江口 孝(えぐち たかし、1898年 <明治31年> 1月1… 江口 孝(えぐち たかし、1898年 <明治31年> 1月1日 - 1985年 <昭和60年> 3月14日)は、日本の経営者、理学博士。福岡県出身。位階は従四位。 1920年に大阪高等工業学校応用化学科を卒業。1929年に海軍技師を経て、1944年に人道石油取締役に就任し、1951年に日本瓦斯化学工業専務を経て、1959年5月に副社長に就任し、1966年11月には社長に昇格した。1968年11月から相談役を務めた。 1962年11月に紫綬褒章を受章し、1968年に勲三等瑞宝章を受章。 1985年3月14日腎不全のために死去。87歳没。死没日付をもって従五位から従四位に進階した。
島 薫(しま かおる、1897年〈明治30年〉7月2日 - … 島 薫(しま かおる、1897年〈明治30年〉7月2日 - 1977年〈昭和52年〉5月16日)は、日本の医師。広島市への原子爆弾投下の爆心地にある島病院初代院長。「広島外科会の父」。 安芸郡中野村(現広島市安芸区中野)出身。1916年(大正6年)旧制広島県立広島中学校(現広島国泰寺高校)卒業。同年度卒に永山忠則・深山静夫らがいる。 旧制大阪医科大学(現大阪大学医学部)へ進学、1924年(大正13年)卒業。岩永仁雄に師事した。その後、ドイツ・アメリカで留学・研修を続けた。 1933年(昭和8年)8月31日、広島市細工町29-2(現中区大手町1丁目5-25)に「島病院」を開院した。当時の開院挨拶状には「廣島郵便局東側に於いて外科病院を經營」「外科一般特に内臟外科の診療に從事」とある。
金 載学(キム・ジェハク、朝鮮語: 김재학/金載學、1897… 金 載学(キム・ジェハク、朝鮮語: 김재학/金載學、1897年 - 1984年11月21日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の実業家、政治家。 号は白坡(ペクパ、백파)。 慶尚南道統営郡(現・統営市)出身。1912年に大阪工業専修学校(現・大阪大学)卒。茂朱郡茂豊鉱山を経営したほか、土木、建築業界で経営者として、また朝鮮土建協会(現・大韓建設協会)理事、朝鮮人土建共済組合長を務め、代表者としても活動した。そのほかに東亜日報統営支局長(1917年)、京畿道貨物自動車輸送協会理事長、ソウル市城東区中央市場協会理事長などを務めた。1948年の初代総選挙では韓国民主党所属で統営甲選挙区から出馬して当選、国会議員在任中は交通分科委員を務めた。
市原 硬(いちはら かたし、1896年〈明治29年〉5月2日… 市原 硬(いちはら かたし、1896年〈明治29年〉5月2日 - 1979年〈昭和54年〉1月10日)は、日本の医化学者。医学博士。大阪大学名誉教授。日本生化学会会長。位階は従三位。 島根県那賀郡江津村(のち江津町、現・江津市)出身。市原朋作の長男。1914年、浜田中学卒業。1923年、大阪医大卒業。同医化学教室に勤務する。1928年に大阪帝国大学医学部助教授、1940年に教授、1960年に定年退官。1961年、和歌山医大学長に就任。1979年死去。死没日付をもって従三位に叙された。 古武弥四郎大阪帝国大学医学部教授に師事、その後継者として1961年に有核アミノ酸代謝の研究で須田正巳と共に日本学士院賞を受賞した。
大塚 好治(おおつか こうじ、1895年12月27日 - 1… 大塚 好治(おおつか こうじ、1895年12月27日 - 1979年4月25日)は、日本の化学者。大阪工業大学名誉教授。工学博士(大阪大学)。元応用化学教室担当。 専門は、無機工業化学・分析化学・物理化学。 鳥取県出身。1917年旧制大阪高等工業学校(のちの大阪大学)卒業。同校助手となり、1929年旧制大阪工業大学(のちの大阪大学工学部)講師。1933年大阪帝国大学工学部応用化学科助教授などを経て、1952年大阪大学大学院工学研究科にて工学博士(大阪大学)。1958年大阪工業大学工学部応用化学科教授、応用化学教室を担当。1977年大阪工業大学名誉教授。1979年逝去。 大阪工業大学工学部応用化学科で、1958年の同学科開設時より18年の長きに渡り教鞭を執り、同学科初期の応用化学(特に、無機工業化学・分析化学・物理化学)の研究・育成に貢献した。
小沢 凱夫(おざわ よしお、1895年6月13日 - 197… 小沢 凱夫(おざわ よしお、1895年6月13日 - 1978年5月5日)は、日本の医学者。大阪大学名誉教授。 専門は胸部外科学。大阪帝国大学第一外科初代教授。大阪大学外科の礎を築くとともに、日本の心臓外科、呼吸器外科をはじめ、外科学全般の発展に寄与した。 静岡県出身。1920年(大正9年)大阪医科大学卒業。1930年(昭和5年)医学博士を取得、大阪医科大学(後に大阪大学)教授に就任。1937年(昭和12年)国内初の片肺全摘術を行う。1936年(昭和11年)に日本初の心臓外傷手術が、岡山市榊原病院の榊原亨によって実施されたが、この時行われたガーゼによる圧迫止血(昭和11年)と、1937年(昭和12年)に小沢凱夫大阪帝国大教授が行った右室損傷の縫合止血との間で行われた止血法の大論争が日本の心臓外科の扉を開いたと言われる。
井上 源治郎(いのうえ げんじろう、1895年〈明治28年〉… 井上 源治郎(いのうえ げんじろう、1895年〈明治28年〉5月18日 - 没年不明)は、日本の実業家。クレパス本舗桜商会取締役技術最高顧問。 大阪府大阪市西区出身。1917年、大阪高等工業学校応用化学科卒業。摂津製油、関西紙工、川上塗料各勤務の後1927年に桜商会入社。 1946年にクレパス本舗桜商会常務に推され、1950年に専務に就任。1967年に技術顧問。 宗教は浄土宗。趣味はカメラ、写真、園芸。住所は大阪市阿倍野区文の里4丁目。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
小石 雄治(こいし ゆうじ、1894年9月5日- 1984年… 小石 雄治(こいし ゆうじ、1894年9月5日- 1984年1月28日 )は、日本の経営者。ダイハツ工業社長、会長を務めた。島根県浜田市出身。 1912年3月、旧制浜田中学(現在 島根県立浜田高等学校)卒業、1917年に大阪高等工業学校機械科(現在、大阪大学)を卒業し、同年にダイハツ工業の前身である発動機製造に入社。1939年2月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1950年12月にダイハツ工業社長に就任し、軽三輪車や電気自動車の開発に着手し、1967年にトヨタ自動車との業務提携を結ぶなど同社発展の礎を築いていた。1968年に会長を務め、1971年12月から相談役を務めた。 1960年に藍綬褒章を受章し、1973年に勲二等旭日重光章を受章した。
猪原 良右衛門(いはら りょうえもん、1894年〈明治27年… 猪原 良右衛門(いはら りょうえもん、1894年〈明治27年〉5月2日 - 没年不明)は、日本の醸造家。 広島県山県郡加計町(現・安芸太田町)出身。先代良右衛門の息子。1915年7月、大阪高等工業学校醸造科卒業。1920年、東京薬学専門学校卒業。1年志願兵として入営、除隊後家業を継ぐ。 加計町商工会長、広島県火薬商組合長、広島県薬種商組合長、広島県地方森林会議員、広島県山林会長、所得税調査委員、山県郡連合軍人分会長、加計町軍人分会長、大日本消防協会代議員、加計郵便局長などをつとめる。戦後、公職追放となる。 農業及び林業の発展に多大の力を尽くす。宗教は真宗。趣味は読書。住所は広島県山県郡加計町古市。
加野 宗三郎(かの そうざぶろう、1889年7月14日 - … 加野 宗三郎(かの そうざぶろう、1889年7月14日 - 1946年1月23日)は、日本のパトロン、美術品収集家。 「金盛」という酒を醸造販売する、造り酒屋「萬屋」を営む加野熊次郎の長男として、福岡市中奥堂町(現・博多区)に生まれる。1908年福岡県立中学修猷館を経て、1911年大阪高等工業学校(現・大阪大学工学部)醸造科を卒業。 家業の酒造業を営む傍ら、美術や文芸に関心を向け、多くの美術家や詩人・俳人らと交友を持つ。所有する別邸「柳北亭」や「環水荘」は、来福の文人墨客のたまり場となった。交友のあった美術家には、青木繁、青山熊治(ドイツ語版)、津田青楓、森田恒友、正宗得三郎、村上華岳、榊原紫峰、冨田溪仙、小野竹喬、山崎朝雲、冨永朝堂、恩地孝四郎などがあり、文筆家では与謝野鉄幹・晶子夫妻、北原白秋、吉井勇、高浜虚子といった人たちがいた。
谷口 腆二(たにぐち てんじ、1889年〈明治22年〉2月1… 谷口 腆二(たにぐち てんじ、1889年〈明治22年〉2月15日 ‐ 1961年〈昭和36年〉2月12日)は、日本の医師、細菌学者。 新潟県長岡市出身。旧姓、藤田。医学博士(1923年) 大阪大学微生物研究所の設立に尽力し、第3代所長となった。設立においては、関西を代表する実業家、山口玄洞(やまぐち げんどう)の支援を受けた。「喧嘩谷口」というあだ名で呼ばれた大阪大学医学部の昭和初期の「名物」研究者で、微生物病研究所の設立など大阪大学の研究機関としての地位向上に貢献した。山村雄一元大阪大学総長もその免疫学の授業について「体が震えるくらい興奮した」「斬新で魅力的であった」と記している。 1906年に新潟県立長岡中学校(旧制)を卒業。
上野 誠一(うえの せいいち、1888年(明治21年)2月7… 上野 誠一(うえの せいいち、1888年(明治21年)2月7日 - 1971年(昭和46年)5月11日)は日本の化学者。研究は油化学分野。特に米糠油の成分や精製法の研究を行い、食用油や菓子・人造バターなどの食品原料や化粧品原料などの工業化に貢献した。大阪大学名誉教授。 1909年に大阪高等工業学校応用化学科を卒業後、農商務省工業試験所に技手として勤務し,1916年に横浜魚油株式会社技師長兼工務部長に就任、1917年9月~1918年1月にアメリカ、カナダに出張し、1918年9月に早稲田大学理工科講師を嘱託され、1923年に大阪高等工業学校講師となり、1929年に大阪工業大学教授に就任した。その後、1945年に大阪帝国大学工学部長(~1946年)に就任した。
石井 徳久次(いしい とくじ、1887年〈明治20年〉6月1… 石井 徳久次(いしい とくじ、1887年〈明治20年〉6月11日 - 1970年〈昭和45年〉10月24日)は、日本の実業家、農業協同運動指導者、政治家。衆議院議員。 福岡県鞍手郡金生村(のち鞍手郡若宮町、現:宮若市大字金生)で、醸造家「富久鶴」石井房次の長男として生まれる。1908年(明治41年)、大阪高等工業学校醸造科を卒業後に家業を継承。 シベリア出兵に陸軍輜重兵少尉として従軍。その後、若宮村会議員、福岡県会議員、同参事会員、郡教育会長、同育英会長などを務めた。また、農業協同運動にも尽力し、福岡県信用組合連合会長、帝国農会議員、福岡県農会長、福岡県購買販売組合連合会長などを歴任した。 また、1933年(昭和8年)11月から1935年(昭和10年)10月まで第25代福岡県会副議長を務めた。
田崎 信蔵(たざき しんぞう、1885年〈明治18年〉1月2… 田崎 信蔵(たざき しんぞう、1885年〈明治18年〉1月20日 - 1942年〈昭和17年〉4月1日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 大阪府若江郡、のちの中河内郡八尾村(八尾町を経て現八尾市)出身。大阪薬学校(現・大阪大学大学院薬学研究科・薬学部)卒。卒業後は法政大学で学んだ。京都商工信用組合常務理事、(株)小川合金製作所取締役、京都建築工匠組合長、京都勧業無尽(株)取締役となり、京都市会議員、同副議長となる。 1924年の第15回衆議院議員総選挙において京都2区から革新倶楽部公認で立候補して初当選。1928年の第16回衆議院議員総選挙では京都1区から革新党公認で立候補して再選した。衆議院議員を2期務めた。
町永 三郎(まちなが さぶろう、1884年10月13日 - … 町永 三郎(まちなが さぶろう、1884年10月13日 - 1966年9月1日)は、日本の実業家。神戸製鋼所社長と尼崎製鉄社長を務めた。 新潟県出身。1913年に大阪高等工業学校機械部機械科を卒業し、神戸製鋼所に入社した。1944年に取締役に就任し、1946年に公職追放を受けた浅田長平に代わり、社長に就任した。浅田長平が復帰した1952年を機に副社長に就任し、1955年には尼崎製鋼所社長も兼任し、1958年に尼崎製鉄社長に就任した。 1965年11月には勲三等旭日中綬章を受章した。 1966年9月1日敗血症のために死去。81歳没。
石黒 英一(いしぐろ えいいち、1884年3月12日 - 1… 石黒 英一(いしぐろ えいいち、1884年3月12日 - 1973年12月29日)は、日本の経営者。愛知県出身。 1910年に大阪高等工業学校を卒業し、同年に名古屋ガス(のちの東邦ガス)に入社。1936年に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1960年8月に社長に就任。1964年8月から相談役を務めた。 1958年に藍綬褒章を受章し、1965年に勲三等瑞宝章を受章。 1973年12月29日老衰のために死去。89歳没。
花岡 正庸(はなおか まさつね、1883年〈明治16年〉10… 花岡 正庸(はなおか まさつね、1883年〈明治16年〉10月24日 - 1953年〈昭和28年〉2月15日)は、日本の酒造技術者。秋田清酒の父、秋田の酒造りの父、秋田吟醸酒の父などとされる人物である。 長野県中野市出身。1907年に大阪高等工業学校酒造科を卒業した。卒業後、実家の家業であった酒造に従事したが火災のため実家が廃業した。その後、1913年より丸亀税務監督局に勤務し、仙台税務監督局に転じ、1918年から秋田県醸造技師を兼任した。 酵母の硝酸銀応用や酒の低音長期保存法などの新技術を導入・普及させ、秋田における酒造業を牽引した。 1922年に秋田県酒造組合連合会長の伊藤恭之助や県内の有力者、企業家とともに秋田銘醸を創立し顧問となった。
岩井 喜一郎(いわい きいちろう、明治16年(1883年)8… 岩井 喜一郎(いわい きいちろう、明治16年(1883年)8月17日 - 昭和41年(1966年)4月7日)は、日本の醸造技術者、実業家。京都府平民。 1909(明治42)年に、摂津酒造(現:宝ホールディングス)においてアルコール連続蒸留装置を考案。岩井式アルコール連続蒸留装置としての地位を確立。明治45年に新式焼酎(焼酎甲類)並びに、酒精含有飲料を全国に率先して製造開始、大正8年に合成清酒を開発し、工業的大量生産の創始となった。 明治35年(1902年)、大阪高等工業学校醸造学科卒業。明治42年(1909年)、合資会社摂津酒精醸造所に入社(後の摂津酒造)。大正9年(1920年)、摂津酒造 常務取締役兼技師長に就任。
河内 源一郎(かわち げんいちろう、1883年4月30日 -… 河内 源一郎(かわち げんいちろう、1883年4月30日 - 1948年3月31日)は、日本の官僚、科学者、実業家。 「河内菌」の発見により焼酎の品質を飛躍的に向上させた近代焼酎の父。広島県深津郡吉津村(現・福山市吉津町)生まれ。 河内は、代々続く醤油屋の家に生まれた。幼少期から麹や醪に馴染み、広島県立福山中学(現・福山誠之館高校)を経て大阪高等工業醸造科(現・大阪大学工学部発酵工学科)を卒業。家業が不振となったため、1909年に大蔵省入りし、熊本税務監査局鹿児島工業試験場へ技師・酒の鑑定官として赴任した。同年秋、造り酒屋の技術指導員として訪れた巡視先で、鹿児島焼酎と出会う。当時の焼酎はとても不味く、また暑い時期はすぐに腐っていた。
近藤 寿一郎(こんどう じゅいちろう、1880年〈明治13年… 近藤 寿一郎(こんどう じゅいちろう、1880年〈明治13年〉12月8日 - 1958年〈昭和33年〉11月7日)は、日本の実業家、林業並びに製薬業鋼商。近藤家第7代。 鳥取県日野郡根雨宿(のち日野郡根雨町、現日野町)出身。近藤喜兵衛の長男。近藤家は製鉄業を営み、大山林地主である。大阪工業学校(現大阪大学工学部)に学んだが、中退する。 1912年、根雨銀行監査役に就任する。1913年、日野郡根雨町に木材乾溜工場を設立する。1914年、日野郡是製糸取締役となる(後に社長)。1916年、酢酸精製工場として大阪府堺市に近藤製薬工場を建設する。1920年、日野郡教育会長に就任する。 1921年、日野郡木炭同業組合副会長に就任する。
近藤 乾郎(こんどう けんろう、1879年(明治12年)5月… 近藤 乾郎(こんどう けんろう、1879年(明治12年)5月13日) - 1965年(昭和40年)10月17日)は、愛知県碧海郡鷲塚村(現・碧南市)出身の医師(医学博士)。 1879年(明治12年)5月13日、近藤坦平の三男として生まれた。1903年(明治36年)、義兄である近藤次繁の妹としと結婚した。兄ふたりと弟(坦平の長男・二男・四男)は幼くして病没しており、三男である乾郎が近藤家の家督を継いでいる。 1904年(明治37年)に大阪高等医学校(現・大阪大学医学部)を卒業し、京都帝国大学医化学教室などで研究活動を行った後、1908年(明治41年)からドイツとオーストリアのウィーン大学に留学した。
吉田 貞雄(よしだ さだお、1878年10月26日 - 19… 吉田 貞雄(よしだ さだお、1878年10月26日 - 1964年4月15日)は、日本の寄生虫学者。大阪大学名誉教授。
上中啓三(うえなか けいぞう、1876年(明治9年)6月29… 上中啓三(うえなか けいぞう、1876年(明治9年)6月29日 - 1960年(昭和35年)1月11日)は、日本の化学者、薬剤師。ニューヨークで高峰譲吉の助手としてアドレナリンの発見に貢献し、帰国後はアドレナリンの製造開発に尽力したことにより知られる。 1876年、兵庫県塩瀬村名塩(現:西宮市名塩)に生まれる。10歳の時に大阪のミッションスクールに入学して英語や化学を学んだ後、大阪道修町の薬問屋にて丁稚として働く。1891年共立薬学校(現・大阪大学薬学部)に入学し、1894年には薬剤師国家試験に合格して薬剤師となる。その後東京帝国大学医学部薬学科に入学し、「日本近代薬学の開祖」として知られる長井長義のもとで研究生活を送る。
原 耕(はら こう、1876年(明治9年)2月7日 - 19… 原 耕(はら こう、1876年(明治9年)2月7日 - 1933年(昭和8年)8月3日)は、日本の政治家、医師、漁業経営者。 1876(明治9)年11月に鹿児島県川辺郡西南方村大字泊(現南さつま市坊津町泊)で、原平之進、サトの二男として生まれた。生家は代々カツオ漁業を経営していた。 1902(明治35)年大阪高等医学校(現在の大阪大学医学部の前身)を卒業後、日本領事館付医官として2年間アメリカとカナダに滞在。帰国後に神戸市衛生課、船医勤務等を経て枕崎に医院を開業した。 医院開業のかたわら第16回・第18回衆議院議員総選挙に当選し、衆議院議員を2期務めた(立憲民政党、新党倶楽部、立憲政友会に所属)。
橋本 菊太郎(はしもと きくたろう、1876年(明治9年)1… 橋本 菊太郎(はしもと きくたろう、1876年(明治9年)1月7日 - 1947年(昭和22年)2月21日)は、日本の政治家。薬剤師、徳島市長。徳島県徳島市出身。 1876年、徳島市東新町の薬舗「郡茂」の分家、橋本半太郎の長男として生まれる。 小学校を卒業後、大阪市内にある田辺製薬へ勤務し、その傍ら大阪薬学校(現在の大阪大学薬学部)に入学。1890年(明治23年)、14歳の若さで薬剤師試験に合格。後に東京薬学校(現在の東京薬科大学)に進学し1894年(明治27年)7月に同校を修了する。 1904年(明治37年)、徳島市会議員に当選。その後、徳島薬業組合長・徳島市商店研究会長・徳島県薬剤師会長を歴任。
青木 亮貫(あおき りょうかん、1875年(明治8年)7月1… 青木 亮貫(あおき りょうかん、1875年(明治8年)7月15日 - 1941年(昭和16年)8月4日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党)、医師。 滋賀県甲賀郡、のちの水口村(水口町を経て現甲賀市水口町)に、士族隠岐貢の五男として生まれ、青木亮運の養子となった。大阪府立高等医学校(現在の大阪大学医学部)で内科と精神科を学び、1904年(明治37年)に卒業した。卒業後は大阪府立高等医学校病理教室助手兼大阪府立病院医員となり、日露戦争に従軍した。その後、日本赤十字社医員を経て、社団法人水口病院院長となった。 1915年(大正4年)に滋賀県会議員に当選し、1926年(大正15年)には水口町長に選ばれた。
森 平兵衛(もり へいべえ、1874年(明治7年)2月4日 … 森 平兵衛(もり へいべえ、1874年(明治7年)2月4日 - 1952年(昭和27年)5月2日)は、明治から昭和時代前期の政治家。実業家。薬種商。貴族院多額納税者議員。丹平製薬創業者。旧姓は松井。旧名は小二郎。 大阪に生まれる。松井小兵衛の二男として生まれ、1884年(明治17年)2月、先代森平兵衛の養子となり、1900年(明治33年)2月に家督を相続し旧名小二郎を改め襲名する。生家は代々足袋装束商を営んだ大阪の旧家であったが明治初期より売薬を副業とした。 大阪共立薬学校を卒業し、薬剤師となる。家督相続後は丹平商会を発展させるとともに、摂津土地、東印度貿易会社各役員、大阪商工会議所議員を務めた。
河野 徹志(こうの てつし、元治2年1月4日(1865年1月… 河野 徹志(こうの てつし、元治2年1月4日(1865年1月30日) - 昭和15年(1940年)10月23日)は、日本の衆議院議員(正交倶楽部)。産婦人科医、小児科医。 薩摩国薩摩郡高江村(現在の鹿児島県薩摩川内市)出身。1885年(明治18年)、大阪医学校(現在の大阪大学医学部)を卒業し、東京慈恵医院において高木兼寛・実吉安純のもと実地経験を積んだ。1891年(明治24年)、渡米してペンシルベニア大学に入学し、卒業の後医学博士の学位を得た。その後、ジョンズ・ホプキンス大学で学び、さらにオーストリアのウィーン大学でも学んだ。帰国後は大阪医学校助教諭や吉田病院副院長を務めた。1899年(明治32年)に河野病院を開業し、1912年(大正元年)には大阪市医師会議長に就任した。
清水 泰次郎(しみず やすじろう、1859年4月14日〈安政… 清水 泰次郎(しみず やすじろう、1859年4月14日〈安政6年3月12日〉 - 1926年9月2日)は、明治から大正時代に活躍した英学者、教育者。旧姓、中川。幼名、佳之助。同志社英学校(現・同志社大学)や、大阪・英和学舎(現・立教大学)を始め、多くの学校で教授を務め、第五高等学校(現:熊本大学)では夏目漱石の後任となった。英文学者として、日本英文学会を創設し、日本における英文学の発展に貢献した。 1859年(旧暦安政6年3月12日)に中川進之丞玄佳の二男として大阪市東区安土町にて生まれる。幼名を佳之助と称し、家は代々儒者にして医者を業としていた。 1870年(明治3年)、10才の頃に、当時の日本では開国の思想が大きく国内に勃興し、四民平等の精神が発展していく最中、その主旨に感動し、籍を平民に移すことを決心し、その年の12月に清水姓となり、名を泰次郎と改めた。
西山 関一郎(關一郎、にしやま かんいちろう、1848年11… 西山 関一郎(關一郎、にしやま かんいちろう、1848年11月7日(嘉永元年10月12日)- 1903年(明治36年)7月4日)は、明治期の医師、政治家。衆議院議員、島根県会議長。 出雲国神門郡荻杼村(島根県簸川郡川跡村、出雲町を経て現出雲市)で、医師、2代・西山沙保、やゑの長男として生まれる。儒学を今市の伊藤宜堂に学んだ。その後、神戸洋学館で英語を学び、1870年(明治3年)大阪医学校(現大阪大学医学部)に入学し4年間修学。その後上京し、佐々木東洋の私塾主幹に就任。1874年(明治7年)に帰郷し開業した。 1876年(明治9年)9月に公立松江病院が開設され院医に就任。1977年(明治10年)12月、院長心得となり1881年(明治14年)まで在任。
麻生 ゆり(あそう ゆり、11月18日 - )は、日本プロ麻… 麻生 ゆり(あそう ゆり、11月18日 - )は、日本プロ麻雀協会に所属する競技麻雀の女流プロ雀士。大阪府出身。大阪大学法学部卒業。
開 祐司(ひらき ゆうじ)は日本の科学者、元京都大学ウイルス… 開 祐司(ひらき ゆうじ)は日本の科学者、元京都大学ウイルス・再生医科学研究所所長、教授(生体分子設計学分野)。 再生医学において業績を残している。
足木 孝(あしき たかし)は、日本の外交官。リビア駐箚特命全… 足木 孝(あしき たかし)は、日本の外交官。リビア駐箚特命全権大使、中東・北アフリカ担当特命全権大使を経て、クウェート駐箚特命全権大使。
疇地 宏(あぜち ひろし)は、大阪大学大学院理学研究科教授。… 疇地 宏(あぜち ひろし)は、大阪大学大学院理学研究科教授。工学博士。 専門はレーザー核融合で、#直接照射方式のレーザー核融合実験、それに関連する流体力学的不安定性物理現象の基礎実験 を主な研究テーマとしている。
大石 晃子 は、日本の政治家。
松村 雅史(まつむら まさふみ)は大阪電気通信大学医療福祉工… 松村 雅史(まつむら まさふみ)は大阪電気通信大学医療福祉工学部教授で医用生体工学分野の研究者である。
川上 徹也(かわかみ てつや)は、日本のコピーライター、コミ… 川上 徹也(かわかみ てつや)は、日本のコピーライター、コミュニケーションディレクター、作家。湘南ストーリーブランディング研究所代表。
井川 博 は、日本の機械工学者。大阪大学名誉教授。工学博士(… 井川 博 は、日本の機械工学者。大阪大学名誉教授。工学博士(大阪大学)。大阪工業大学工学部機械工学科元教授。溶接学会第31期会長・名誉員。
青木 成一郎(あおき せいいちろう)は、日本の天文学者、京都… 青木 成一郎(あおき せいいちろう)は、日本の天文学者、京都情報大学院大学教授である。京都大学大学院理学研究科附属天文台天文普及プロジェクト室室長。 関西大学非常勤講師。大阪経済大学非常勤講師。元大阪大学研究員。元滋賀大学非常勤講師。 大阪大学理学部物理学科卒業。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了(天文学専攻)、博士(理学)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
赤坂 一之(あかさか かずゆき)は、日本の生物物理学者。
井垣 達吏(いがき たつし)は日本の細胞生物学者。医学博士(… 井垣 達吏(いがき たつし)は日本の細胞生物学者。医学博士(大阪大学)。京都大学大学院生命科学研究科教授、同研究科長。日本細胞生物学会前会長。 ショウジョウバエを用いた、細胞競合によるがん細胞制御機構研究などの業績が評価され大阪科学賞や比較腫瘍学常陸宮賞を受賞。
石井 利江子(いしい りえこ)は、日本の経済学者。滋賀大学経… 石井 利江子(いしい りえこ)は、日本の経済学者。滋賀大学経済学部教授。東京工業大学工学部社会工学科卒、大阪大学経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)。研究分野は産業組織論。
乾 晴行(いぬい はるゆき)は、日本の材料工学者。 京都大学… 乾 晴行(いぬい はるゆき)は、日本の材料工学者。 京都大学大学院工学研究科 材料工学専攻 材料物性学講座 教授。専門は構造材料、機能材料。
岡島 俊英(おかじま としひで)は、日本の化学者。大阪大学産… 岡島 俊英(おかじま としひで)は、日本の化学者。大阪大学産業科学研究所准教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
神林 祐子(かんばやし ゆうこ)は、日本の薬剤師、薬学者であ… 神林 祐子(かんばやし ゆうこ)は、日本の薬剤師、薬学者である。緩和医療における薬の活用による痛みの緩和を専門とする。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
佐々 誠彦(ささ しげひこ)は、日本の電気/電子物理工学・半… 佐々 誠彦(ささ しげひこ)は、日本の電気/電子物理工学・半導体工学者。大阪工業大学名誉教授。工学博士(大阪大学)。元ナノ材料マイクロデバイス研究センター長。元ナノジャパン(ライス大学の研究プロジェクト)研究アドバイザー。元北海道大学量子集積エレクトロニクス研究センター客員教授。IEEE関西支部Chapter役員。大阪産業技術研究所・大阪商工会議所との共同推進機関OIT-P(Osaka Industrial Technology Platform; 地域産業技術プラットフォーム)の元メンバー。 専門は、半導体工学(特に酸化物半導体)・電気/電子物理工学、ナノマテリアル・半導体デバイス(特にテラヘルツ波デバイス)。
柴本 昌彦(しばもと まさひこ)は、日本の経済学者。神戸大学… 柴本 昌彦(しばもと まさひこ)は、日本の経済学者。神戸大学経済経営研究所准教授。専門は、マクロ経済政策・計量経済学・時系列分析。現在の研究課題は、計量経済学・時系列分析を応用した日本経済の実証研究。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
清水 昌平(しみず しょうへい)は、日本の統計学者。専門は統… 清水 昌平(しみず しょうへい)は、日本の統計学者。専門は統計科学。滋賀大学データサイエンス学部教授、滋賀大学データサイエンス・AIイノベーション研究推進センター 副センター長。理化学研究所革新知能統合研究センター 汎用基盤技術研究グループ 因果推論チーム チームリーダー。また、京都大学医学研究科や科学技術・学術政策研究所で客員研究官も兼任している。 因果関係を推測するための統計解析手法の研究開発と応用に従事。特に、統計的因果推論における「LiNGAM(Linear Non-Gaussian Acyclic Model)」の提案者として知られる。データ解析、因果関係の解明、機械学習分野で多大な貢献をしている。
新谷 元嗣(しんたに もとつぐ)は日本の経済学者、東京大学教… 新谷 元嗣(しんたに もとつぐ)は日本の経済学者、東京大学教授。近年では、「ニューケインジアン・モデル」あるいは「DSGE(dynamic stochastic general equilibrium)モデル」を経済データから推定する研究を進めている。
武智 敏(たけち さとし)は日本の工学者、技術者。富士通セミ… 武智 敏(たけち さとし)は日本の工学者、技術者。富士通セミコンダクター担当部長。LSI製造に使用されるArFエキシマレーザー光を用いた写真製版(リソグラフィ技術)用の実用的なレジスト(感光性樹脂)の開発で知られる。 LSIは、リソグラフィ技術を用い、回路パターンをウェハー上のレジストに焼き付けて作られる。しかし、100nm(0.1µm)以下の微細回路パターンのLSI製造には、従来のレジストではArF光の吸収力が強いため、回路パターンを焼き付けることができなかった。そのためArF光で使えるレジストがなく、LSI製造における大きな課題となっていた。 武智は、炭素が環状になった脂環構造である「アダマンチル基」がArF光に透明で、かつレジストに適した材料であることを世界で初めて見出した。