海部 八郎(かいふ はちろう、1923年6月29日 - 19… 海部 八郎(かいふ はちろう、1923年6月29日 - 1994年6月28日)は、実業家・元日商岩井副社長。ダグラス・グラマン事件の中心人物。 実家は東京都文京区小石川にあり、東京高等師範学校附属中学校か東京府立第一中学校、東京府立第四中学校への進学を希望していたという。 父は、元は師範学校の英語教師で、その後、浅野物産の幹部になり、高給取りだったため海部の家庭の生活水準はかなり高かったという。海部の中学時代、友人が20銭、50銭という小遣いしかもっていなかったのに対して、海部は5円、10円の札ビラをきったというエピソードがある。 中学時代は国語、漢文、地理、歴史といった文系科目が得意で、中でも英語の成績は抜群だった。
海道 進(かいどう すすむ、1923年〈大正12年〉1月16… 海道 進(かいどう すすむ、1923年〈大正12年〉1月16日 - 2011年〈平成23年〉2月19日)は、日本の経営学者。学位は、経営学博士(神戸大学・論文博士。神戸大学名誉教授。元日本経営学会理事長。 福井市出身。1942年和歌山高等商業学校卒。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 1947年神戸経済大学(現神戸大学)卒、1949年同助手、1951年神戸大学経営学部講師、1953年助教授、1964年教授。1980-82年経営学部長、1983年日本経営学会理事長、1986年定年退官、名誉教授、奈良産業大学教授。
日比野 哲三(ひびの てつぞう、1922年11月30日 - … 日比野 哲三(ひびの てつぞう、1922年11月30日 - 1992年11月16日)は、日本の経営者。ニチメン社長を務めた。 京都府京都市出身。1947年に神戸経済大学を卒業し、同年に日綿実業(のちのニチメンに入社。1972年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1983年に副社長に就任し、1985年には社長に昇格。1989年から会長を務めた。 1984年に藍綬褒章を受章。 1992年11月16日、肝不全のために死去。69歳没。
賀川 太郎(かがわ たろう、1922年8月9日 - 1990… 賀川 太郎(かがわ たろう、1922年8月9日 - 1990年3月6日)は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手。 神戸一中(現・県立神戸高校)、神戸経済大学(現・神戸大学)を経て、1948年に田辺製薬サッカー部に入団。全日本実業団サッカー選手権大会で6連覇を含む7回の優勝を遂げた田辺製薬の黄金期を支えた一人だった。同時期の天皇杯全日本サッカー選手権大会には大阪クラブの選手として出場し、1951年から3年連続で準優勝している。 日本代表としてもワールドカップ・スイス大会予選など、国際Aマッチ5試合に出場した。 2006年に第2回日本サッカー殿堂入りした。サッカーライターの賀川浩は実弟である。
遠藤 源太郎(えんどう げんたろう、1922年 <大正11年… 遠藤 源太郎(えんどう げんたろう、1922年 <大正11年> 4月24日 - 1998年 <平成10年> 11月25日)は、日本の経営者。グンゼ社長、会長を務めた。位階は従四位。 京都府出身。1946年に神戸経済大学を卒業し、1951年に郡是製絲 (のちのグンゼ) に入社。 1971年に取締役に就任し、1975年に常務、1979年に専務を経て、1985年2月には社長に就任。1990年6月に会長に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章し、1998年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1998年11月25日肝不全のために死去。76歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
木内 佳市(きうち かいち、1921年12月18日 - )は… 木内 佳市(きうち かいち、1921年12月18日 - )は、日本の会計学者。大阪大学名誉教授。 宮崎県生まれ。神戸商業大学卒。平井泰太郎門下。1959年「減価償却論」で、大阪大学より経済学博士の学位を取得。名古屋大学講師、大阪大学法経学部助教授、改組により大阪大学経済学部助教授、教授、1985年定年退官となり名誉教授、追手門学院大学教授を経て、1990年京都学園大学学長となった。
大田 満男(おおた みつお、1921年12月5日 - 202… 大田 満男(おおた みつお、1921年12月5日 - 2025年1月28日)は、日本の大蔵官僚。名古屋国税局長や造幣局長等を務めた。 長女は翻訳家の大田亜侑。 大蔵省出身。独学で英語を学び、フルブライト奨学金、ガリオア奨学金を獲得し、アメリカ・コロンビア大学大学院へ留学。造幣局創立100周年時の造幣局長。
市原 季一(いちはら きいち、1921年11月16日 - 1… 市原 季一(いちはら きいち、1921年11月16日 - 1979年8月3日)は、日本の経営学者。神戸大学教授・日本経営学会理事長を歴任。主にドイツ経営学の歴史研究や、同時代の西ドイツにおける経営学研究の日本への紹介にあたった。 京都市に生まれ、京都市立第二商業学校、彦根高等商業学校を卒業し、神戸商業大学(現神戸大学)に進んだが、臨時徴集で舞鶴海兵団に入り、短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進んで除隊し、家業に従う。 1948年に神戸経済大学助手となり、1951年に神戸大学経営学部講師、翌1952年に助教授、1961年に教授と昇進した。
三好 俊夫(みよし としお、1921年10月22日 - 20… 三好 俊夫(みよし としお、1921年10月22日 - 2000年6月29日)は、松下電工代表取締役名誉会長、日経連副会長、日中経済貿易センター会長。愛媛県松山市出身。 1946年に神戸経済大学経済学部(現神戸大学経済学部)を卒業と同時に松山経専(現松山大学)の教授となる。1950年に松下電工に入社。1977年に取締役に就任。その後、1981年に常務取締役、1982年に専務取締役、1987年2月に代表取締役副社長を経て、1988年2月に代表取締役社長に就任。グローバル経営を推進し、丹羽正治に次いで同社を1兆円企業に育て上げた。その後、1993年に関西経営者協会会長を6年間務め、1994年2月に代表取締役会長に退く、1997年4月28日に亡くなった藤井貞夫相談役の葬儀・告別式の委員長を務めた。
村上 行示(むらかみ こうじ、1921年8月5日 - 201… 村上 行示(むらかみ こうじ、1921年8月5日 - 2011年6月20日)は、日本の労働運動家。元全日本海員組合組合長。 大阪市生まれ。神戸高等商船学校(現神戸大学海洋政策科学部)航海科卒。新和海運出身、甲種船長。1956年全日本海員組合中央執行委員。1960年から1966年に教育部長を務め、機関誌『海員』の編集を担当。組合の先輩を紹介する物語を連載し、1966年に『海上労働運動夜話』(成山堂書店)として刊行した。1971年6月の海員組合第30回臨時大会で組合長に選出。1972年4月から7月の「賃上げ・人間性回復・合理化対策」のスローガンを掲げた92日間のストを指導。民社党員で同盟副会長(1972年1月~1981年1月)を務めたが、日本生産性本部との関係解消、政党支持自由化、全港湾など総評系組合との共闘、総選挙での共産党候補の推薦など海員組合の路線転換を推進した。
辻 源太郎(つじ げんたろう、1921年6月18日 - 20… 辻 源太郎(つじ げんたろう、1921年6月18日 - 2019年9月23日)は、日本の実業家。勲等は勲二等。 トヨタ自動車工業株式会社専務、トヨタ自動車株式会社副社長、トヨタ自動車株式会社副会長、国際デジタル通信株式会社会長、株式会社豊田自動織機製作所会長などを歴任した。 滋賀県彦根市出身。1946年に神戸経済大学(現神戸大学)卒業。 大学卒業後、トヨタ自動車工業に入社し、大学の先輩にあたる花井正八に師事。1972年楠兼敬とともに取締役に昇格。1978年常務取締役。1980年専務取締役。1982年副社長。1985年藍綬褒章受章。1986年から副会長として円高緊急対策委員長を務め、円高への対応などにあたった。
堀 古蝶(ほり こちょう、1921年5月23日 - 1997… 堀 古蝶(ほり こちょう、1921年5月23日 - 1997年10月6日)は、ジャーナリスト、俳人。 愛知県名古屋市生まれ。本名・堀健三。名古屋高等商業学校卒、神戸大学卒。1948年中部日本新聞に入社、ニューデリー特派員、モスクワ特派員、論説委員、1972年「東京新聞」の「筆洗」欄を担当。モスクワ滞在の際「フルシチョフ」をもじって古蝶(ふるしてふ)の俳号をつける。東京新聞客員論説委員。1993年『俳人松瀬青々』で俳人協会評論賞受賞。
刺賀 信雄(さすが のぶお、1921年 <大正10年> 4月… 刺賀 信雄(さすが のぶお、1921年 <大正10年> 4月3日 - 2008年 <平成20年> 4月22日)は、日本の経営者。日本板硝子社長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1944年に神戸商業大学を卒業し、1948年に日本板硝子に入社。1971年5月に取締役に就任し、1976年6月に常務、1980年6月に専務を経て、1982年6月には社長に就任。1988年6月に会長に就任し、1994年6月には相談役に就任。 1991年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2008年4月22日に老衰のために死去。87歳没。死没日付をもって従四位に叙された。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
水上 芳美(みずかみ よしみ、1921年2月17日 - 20… 水上 芳美(みずかみ よしみ、1921年2月17日 - 2006年3月20日)は、日本の経営者。長谷川工務店(現在の長谷工コーポレーション)社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1944年に神戸商業大学 (旧制)(現・神戸大学)を卒業。1946年に長谷川工務店に入社。1949年1月には早くも取締役に就任し、1960年2月常務、1962年12月専務となり長谷工の業績拡大に合わせて昇進を重ねる。1966年2月副社長就任を経て、1969年7月に同社創業者長谷川武彦の後を受けて第2代社長に就任。1987年8月に会長に就任するまで18年間社長職にあった。1996年6月に取締役相談役に退き、1998年6月から翌年まで顧問も務めた。
大植 武士(おおうえ たけし、1920年12月3日 - 19… 大植 武士(おおうえ たけし、1920年12月3日 - 1984年3月31日)は、日本の経営者。リコー社長を務めた。福井県出身。 1943年に神戸商科大学(現神戸大学)を卒業し、同年に湯浅電池に入社。1964年11月にリコーに転じ、常務に就任し、1968年5月に専務を経て、1976年10月に社長に就任した。 1984年3月31日、出張で福岡市に滞在中に心筋梗塞のために死去。63歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
奥田 八二(おくだ はちじ、1920年11月1日 - 200… 奥田 八二(おくだ はちじ、1920年11月1日 - 2001年1月21日)は日本の政治家、社会学者。福岡県知事を3期12年にわたって務めた。九州大学名誉教授。 1920年(大正9年)、兵庫県で生まれる。龍野中学校、姫路高等学校 (旧制)を経て、1944年(昭和19年)に九州帝国大学(現・九州大学)法文学部を卒業し、九州大学で社会思想史の研究に取り組み教授に就任した。また、社会主義協会の発足や、炭鉱失業者の救済を目指した「黒い羽根運動」に参加した。1967年(昭和42年)の社会主義協会分裂では太田派に属し、知事退任後は『進歩と改革』(太田派『社会主義』後継誌)にたびたび寄稿した。 1983年(昭和58年)、当時の社会党や共産党の推薦を得て、自民党推薦の亀井光の5選を阻止すべく福岡県知事選に出馬した。
植村 家隆(うえむら いえたか、1920年(大正9年)6月2… 植村 家隆(うえむら いえたか、1920年(大正9年)6月2日 - 1981年(昭和56年)5月18日)は日本の実業家。日本生命保険元専務取締役。ニッセイ児童文化振興財団(現:ニッセイ文化振興財団)常務理事。日本インターナショナル整流器監査役。旧子爵・旧大和高取藩第16代当主。東京都港区在籍。従五位。 東京都出身。旧大和高取藩第15代当主・植村家治の次男として生まれる。1944年(昭和19年)神戸商業大学(現:神戸大学)卒業後、1946年(昭和21)10月日本生命保険に入社。1968年(昭和43年)東京総務部長、1971年(昭和46年)取締役、1974年(昭和49年)常務、1979年(昭和54年)専務に就任。
伊丹 三樹彦(いたみ みきひこ、1920年3月5日 - 20… 伊丹 三樹彦(いたみ みきひこ、1920年3月5日 - 2019年9月21日)は、日本の俳人、写真家。本名は岩田 秀雄(いわた ひでお)。別号・写俳亭。 兵庫県伊丹町(現伊丹市)に生まれ、同三木町(現三木市)で育つ。三木市立三樹小学校、兵庫工業高等学校卒業。13歳から長谷川かな女の俳誌「水明」にて俳句を始める。高校卒業後は神戸大学工学部を受験するも失敗、神戸市役所に採用される。1937年、日野草城の「旗艦」に投句、のち「旗艦」が統合された「琥珀」同人。戦後、同門の桂信子や楠本憲吉らと「まるめろ」を創刊。また「太陽系」に参加。1949年、日野草城主宰の「青玄」創刊に参加し、編集・発行を行う。1956年の草城没後は「青玄」を継承し主幹となる。
八代 健三郎(やつしろ けんざぶろう、1920年2月25日-… 八代 健三郎(やつしろ けんざぶろう、1920年2月25日- 2019年2月16日 )は、日本の経営者。東海染工社長、名城大学理事長を務めた。 大阪府出身。1941年に神戸商科大学(現神戸大学)を卒業し、同年に住友本社に入社した。1946年9月に東海染工常務に就任し、専務を経て、1951年10月に社長に就任した。1985年11月に会長に就任し、1988年11月から1990年11月までに社長を兼任し、1998年6月から名誉会長を務めた。 1980年4月に藍綬褒章を受章し、1990年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2019年2月16日、死去。98歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大竹 秀男(おおたけ ひでお、1920年 - 2006年)は… 大竹 秀男(おおたけ ひでお、1920年 - 2006年)は、日本の法制史学者、神戸大学名誉教授。近世法制史が専門。 滋賀県出身。愛知県第一中学校、第八高等学校、1943年東北帝国大学法文学部卒、入営して敗戦を迎え、47年東北大学助手、高柳真三に師事、51年神戸大学助教授、62年「農民家族の法史的研究」で東北大法学博士。同年西ドイツ留学、教授、83年定年退官、名誉教授、武庫川女子大学教授。
浦井 和男(うらい かずお、1919年11月26日 - 19… 浦井 和男(うらい かずお、1919年11月26日 - 1982年8月29日)は、日本の経営者。兵庫県神戸市出身。 1942年に神戸商業大学を卒業し、1946年10月に神戸銀行に入行。1967年5月に取締役に就任し、1968年10月に常務、1976年10月に太陽神戸銀行専務を経て、1978年6月に阪神相互銀行会長に就任。1981年6月には社長に就任。 1982年8月29日胃潰瘍のために死去。62歳没。
村上 武雄(むらかみ たけお、1919年9月21日 - 19… 村上 武雄(むらかみ たけお、1919年9月21日 - 1981年7月1日)は、日本の経営者。兵庫県神戸市出身。 1942年に神戸商科大学を卒業し、同年に東京ガスに入社。1969年9月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1976年1月に社長に就任。エネルギー産業の近代化を推進し、1969年には東京電力と共同でアラスカ産の液化天然ガスを導入した 1979年に藍綬褒章を受章。 1981年7月1日肝不全のために死去。61歳没。
津田 一男(つだ かずお、1919年(大正8年)7月20日 … 津田 一男(つだ かずお、1919年(大正8年)7月20日 - 1984年(昭和59年)12月26日)は、日本のプロ野球記者、野球解説者。広島県広島市出身。 出身校は、広島県立広島第一中学校(広島一中。のちの広島県立広島国泰寺高等学校)→神戸高等商業学校(神戸高商。のちの神戸大学)。中学時代はは堅守の内野手として鳴らしたものの、親の反対により野球を断念。戦後の復員以降は、知人と乾物店を経営しながら、母校・広島一中などで野球のコーチを務めたり、実業団野球チームの全広島に参加していた。 1948年(昭和23年)に中国新聞社へ入社し、運動部記者となりプロ野球記者としての活動を開始。1949年(昭和24年)秋の地元球団・広島カープ(のちの広島東洋カープ)創設以降はカープの番記者として活動。
百々 和(どど かず、1919年7月5日 - 2011年2月… 百々 和(どど かず、1919年7月5日 - 2011年2月18日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。 兵庫県武庫郡須磨町(現神戸市須磨区)出身。1943年満州建国大学卒。入営し、敗戦後残留日本軍として中国共産党軍と戦い(中国山西省日本軍残留問題)、1949年中華人民共和国に抑留され、1956年帰国、神戸大学経済学部大学院に入り、1962年博士課程満期退学。1960年龍谷大学助手、1964年神戸大学教養部講師、1964年助教授、1970年神戸大学より経済学博士の学位を取得、1972年教授となり、1983年定年退官、名誉教授となり、神戸学院大学教授、広島経済大学教授を務め、1996年退職。中国での体験をめぐり「蟻の兵隊」にも出演している。
名東 孝二(なとう たかつぐ、1919年6月26日 - 20… 名東 孝二(なとう たかつぐ、1919年6月26日 - 2002年1月8日)は、日本の経済学者。 福岡県出身。神戸商業大学(現・神戸大学)卒。彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)講師、広島大学経済学部講師、助教授、1961年教授。1982年定年退官、名誉教授、日本大学経済学部教授、1974年「資金流通分析の基礎理論」で日大経済学博士。1990年東京国際大学教授、九州保健福祉大学学長。産業総論、経営学、財政学、税制論、地下経済などを研究し、生活者経済学を提唱した。
高村 忠也(たかむら ただなり、1919年6月18日 - 1… 高村 忠也(たかむら ただなり、1919年6月18日 - 1992年9月4日)は、日本の商学者。専門は海運論。神戸大学名誉教授。元日本海運経済学会副会長。 島根県鹿足郡生まれ。1941年山口高等学校文科甲類卒業。1943年神戸商業大学(現神戸大学)卒業。野村寅三郎ゼミ出身。同年東亜海運入社。 指導教官野村に相談して退社し、1946年に神戸経済大学(現神戸大学)経営学専門部講師嘱託となる。野村が学生課の実質的責任者であったため、1947年には文部教官兼文部事務官に任官し、神戸経済大学学生課主事となった。1949年には野村の推薦で、海技専門学院(現海技大学校)教授に着任。 1951年長崎大学経済学部助手。
高木 盛久(たかぎ もりひさ、1918年10月25日 - 2… 高木 盛久(たかぎ もりひさ、1918年10月25日 - 2000年8月12日)は、日本テレビ放送網最高顧問。兵庫県神戸市出身。陸軍少尉。趣味、特技はゴルフと読書。
八幡野 平八郎(やはたの へいはちろう、1917年9月29日… 八幡野 平八郎(やはたの へいはちろう、1917年9月29日 - 1994年5月9日)は、伊勢ヶ濱部屋に所属した元力士。9代谷川。本名は西内 平八郎(にしうち へいはちろう)。現在の高知県須崎市(当時は高岡郡須崎町)出身。182cm、86kg。最高位は西十両5枚目。得意技は右四つ、上手投げ、うっちゃり。 米穀・肥料を商う「西亀」の八男として生まれ、生家は裕福な家庭だった。実父は須崎町議を6期努める有力者で、長兄が神戸高等商業(現神戸大学経済学部)、本人を除く他の7人が京都帝国大学卒という家系で、本人も子供の頃から体格よく頭脳明晰だった。県立城東中学に進学すると柔道部に籍を置き、部員不足の相撲部の試合にも参加し、堺の大浜相撲場で行われた全国中等学校相撲大会にも出場したのを機に、親友の父から強く勧められたため、学業を続けるのを条件として1935年3月に伊勢ヶ濱部屋に入門、5月場所に八幡野の四股名で初土俵を踏んだ。
滝澤 義夫(たきざわ よしお、1917年(大正6年)9月23… 滝澤 義夫(たきざわ よしお、1917年(大正6年)9月23日 - 2003年(平成15年)6月4日)は、日本の政治家。岡山県倉敷市長。玉島市(現・倉敷市)長。位階は正五位。 岡山県浅口郡三和村(のち金光町、現・浅口市)出身。1942年、神戸高等工業学校(現・神戸大学工学部)卒。卒業後は石原産業海運(株)に入社、戦後は玉島町立玉島第一中学校(現・倉敷市立玉島東中学校)教諭となり、のち、水島機工(株)を設立し、社長となった。1955年、玉島市議会議員、1959年に玉島市長に当選した。市長は2期務め、1967年の倉敷市との合併に伴い、倉敷市助役に就任した。1979年、倉敷市長に当選。市長を3期務め、この間、全国市長会副会長を務めた。
山崎 勲(やまざき いさお、1917年3月12日 - 199… 山崎 勲(やまざき いさお、1917年3月12日 - 1999年10月31日)は、日本の経営者、銀行家。関西相互銀行社長を務めた。 熊本県出身。1940年に神戸商業大学を卒業し、同年に住友銀行に入行。1967年11月に取締役に就任し、1972年1月から1974年5月までに常務を務めた。。銀泉社長、大和ハウス工業監査役を歴任し、1978年12月には関西相互銀行社長に就任。1986年6月に会長を経て、1994年6月には関西銀行相談役に就任。 1987年4月に勲四等瑞宝章を受章。 1999年10月31日脳梗塞のために死去。82歳没。
武市 恭信(たけいち やすのぶ、1917年(大正6年)1月1… 武市 恭信(たけいち やすのぶ、1917年(大正6年)1月17日 - 2005年(平成17年)7月28日)は、日本の政治家。貞光町長(3期)、衆議院議員(1期)、徳島県知事(4期)を歴任した。 1917年1月17日、徳島県美馬郡貞光町(現在の同郡つるぎ町)に生まれる。旧制池田中学校、姫路高等学校を経て、京都帝国大学法学部卒業。 1947年より貞光町長を三期務めた後、1963年に衆議院議員に当選、1965年には徳島県知事に当選した。1965年10月9日から1981年10月4日の16年間、徳島県知事を務めた。1981年9月27日の第10回徳島県知事選挙には現職として立候補したが新人に敗れて徳島県知事を退任した。
金久 正弘(かねひさ せいこう、1916年 <大正5年> 1… 金久 正弘(かねひさ せいこう、1916年 <大正5年> 11月3日‐2022年 <令和4年> 9月12日)は、日本の電気工学者、電子工学者。神戸大学名誉教授、鹿児島大学教授(元)、福岡工業大学教授(元)、工学博士(学位)。 鹿児島県出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1937年に旧制第七高等学校造士館(現鹿児島大学)理科を卒業。1941年3月に東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、東京計器製作所(東京計器)入社。1944年2月より海軍技術研究所勤務、終戦により1945年9月嘱託解除。その後住友通信工業(日本電気)に入社し研究所無線研究室勤務。1949年6月住友通信工業を退社し、12月旧制神戸工業専門学校教授着任。
矢尾 次郎 (やお じろう、1916年 <大正5年> 5月2… 矢尾 次郎 (やお じろう、1916年 <大正5年> 5月24日 - 1990年 <平成2年> 3月3日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。元日本学術会議会員。 1916年、福井県福井市生まれ。福井市立福井商業学校(現福井県立福井商業高等学校)を経て、1937年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)を卒業。商業学校では、赤松要ゼミで学んだ。その後は神戸商業大学(現神戸大学)に進み、1940年に卒業、田中金司ゼミで学んだ。 卒業後、指導教官田中の推薦で、1940年に神戸商業大学助手に採用。1944年より神戸商業大学大東亜研究所調査員。1944年に神戸経済大学助手、1946年に同助教授、1952年に同教授に昇進。
山田 時雄(やまだ ときお、1916年2月3日 - 2001… 山田 時雄(やまだ ときお、1916年2月3日 - 2001年5月20日)は、日本の経営者、銀行家。阪神相互銀行社長を務めた。兵庫県出身。 1939年に神戸商科大学を卒業し、同年に神戸銀行に入行。1945年に川西機械製作所を経て、1952年に阪神相互銀行に転じ、1962年5月に取締役に就任し、1967年5月に常務、1973年5月に専務を経て、1975年5月に社長に就任。1981年6月に会長、1983年6月に取締役相談役、1985年6月相談役を経て、同年12月には顧問に退いた。 1978年11月に藍綬褒章を受章し、1986年4月に勲四等瑞宝章を受章。 2001年5月20日肺炎のために死去。85歳没。
橋本 純次(はしもと じゅんじ、1916年(大正5年)1月2… 橋本 純次(はしもと じゅんじ、1916年(大正5年)1月27日 - 1983年(昭和58年)4月18日)は、日本の数学者。専門は一般代数学、束論(特に分配束)。神戸大学理学部長。勲五等瑞宝章。兵庫県明石市出身。一般には数学教育分野、特に参考書であるチャート式数学の著者として知られる。 1916年父橋本久一、母ぬいの長男として兵庫県明石市に生まれる。県立明石中学、東京高師、文理大を卒業後山梨県等で教職に携わった後、戦後神戸工専から神戸大学文理学部創設とともに同大学助教授、教授、理学部長。
喜多 善平(きた ぜんぺい、1916年1月16日 - 198… 喜多 善平(きた ぜんぺい、1916年1月16日 - 1983年1月31日)は、日本の経営者。兵庫県出身。 1938年に神戸商業大学を卒業し、同年に塩野義製薬に入社。1963年に取締役に就任し、1970年5月に常務、1974年5月に専務を経て、1978年6月に副社長に就任し、1982年6月に社長に昇格した。 1983年1月31日膵臓癌のために在任中に死去。67歳没。
岸本 英八郎(きしもと えいはちろう、1916年 - 198… 岸本 英八郎(きしもと えいはちろう、1916年 - 1986年6月21日)は、日本の経営学者。 1941年神戸商科大学卒、1962年「技術革新と経営管理論の形成」で神戸大学経営学博士。神戸大学経済経営研究所勤務ののち、南山大学助教授、甲南大学助教授、教授を務め、1982年名誉教授となり、大阪学院大学教授を務めた。
中牟田 喜一郎(なかむた きいちろう、1915年9月15日 … 中牟田 喜一郎(なかむた きいちろう、1915年9月15日 - 2008年10月18日)は、日本の実業家。岩田屋の創業家で、社長・会長を務めた。妻は元テニス選手の加茂純子。日本テニス協会会長。 福岡県福岡市にて岩田屋百貨店創業者2代目中牟田喜兵衛の長男として生まれた。福岡商業学校、山口高等商業学校を卒業後、現在の神戸大学の前身となる神戸商業大学へ入学、テニス選手として3年時には3年の全日本ランキングで男子シングルス20位、ダブルス9位に名を連ねた。 大学卒業後の1940年に岩井産業(現双日)に入社、1945年岩田屋に入社し、2年後社長に就任、1985年まで務めた。その後会長に就任したが、2002年に経営不振より伊勢丹の傘下に入ったのをきっかけに会長の座から退き、特別顧問となっていた。
黒丸 正四郎(くろまる しょうしろう、1915年4月6日 -… 黒丸 正四郎(くろまる しょうしろう、1915年4月6日 - 2003年11月6日)は、日本の医学者、精神科医。神戸大学名誉教授。 鹿児島県出身。鹿児島県立第一鹿児島中学校 (旧制)を経て、1935年第七高等学校造士館 (旧制)卒業。京都帝国大学医学部卒。1948年医学博士。大阪市立大学医学部助教授、神戸医科大学助教授、1959年同教授、1966年神戸大学教授、1980年定年退官、名誉教授、甲南女子大学教授、1986年退任。精神神経科学。 1988年、勲三等旭日中綬章を受章。2003年11月6日、肺炎のため死去。
西村 俊一(にしむら しゅんいち、1915年3月28日 - … 西村 俊一(にしむら しゅんいち、1915年3月28日 - 1982年8月29日)は、日本の経営者。サクラクレパス社長。西村治兵衛の孫。娘の結婚で皇室と縁続きとなった。 京都府京都市出身。祖父は西村治兵衛、父は1937年にサクラクレパス社長に就任した西村斎次郎。 1939年に神戸商業大学を卒業。大阪ガスでの勤務を経て、1940年8月にサクラクレパス社長に就任した。 1974年10月に藍綬褒章を受章した。 1982年8月29日、肝硬変のために死去。67歳没。
村田 知栄子(むらた ちえこ、1915年2月28日 - 19… 村田 知栄子(むらた ちえこ、1915年2月28日 - 1995年11月)は、日本の女優である。本名は村田 美代子(むらた みよこ)。兵庫県神戸市出身。元夫は俳優の見明凡太朗。姉の嘉寿代は「村田扶実子」の芸名で、芸術座や大映で活躍した女優。 旧芸名→村田智栄子→村田千栄子→村田千英子→村田知栄子→村田知英子。特技は三味線。 兵庫県御影師範学校附属小学校(現:神戸大学附属住吉小学校)、および松蔭高等女学校(現:松蔭中学校・高等学校)卒業。 1933年に日活太秦に入社。伊奈精一監督の現代劇映画『大東京曇後晴れ』にデビューする。明朗な娘役として売り出し、『夢に見る母』、『嫁ぐ日』などの作品に主演。1936年日活多摩川撮影所に移り、『人生劇場』で小杉勇と共演し、『恋は雨に濡れて』では岡譲二、時代劇『裸の町』では島耕二の相手役を務めた。
吉利 一雄(よしとし かずお、1914年8月26日 - 19… 吉利 一雄(よしとし かずお、1914年8月26日 - 1992年10月17日)は、日本の経営者。塩野義製薬社長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1937年に神戸商業大学を卒業し、同年に塩野義製薬に入社した。取締役、常務、専務を経て、1983年2月に社長に就任。社長在任時には研究開発体制の強化に力を入れた。1992年6月に会長に就任した。 1992年10月17日、急性心不全のために死去。78歳没。
徳末 知夫(とくすえ ともお、1914年8月22日 - 20… 徳末 知夫(とくすえ ともお、1914年8月22日 - 2006年1月29日)は、日本の実業家。帝人代表取締役社長を務めた。 日本統治時代の台湾で生まれる。1938年神戸商業大学(現神戸大学)卒業、帝国人造絹絲入社。戦時中は陸軍主計大尉。戦後復帰し 1957年帝国人造絹絲テトロン販売部次長。1959年帝国人造絹絲テトロン販売部長。1961年帝国人造絹絲企画部長。1962年帝人ニューヨーク出張所長。1965年帝人取締役。1969年帝人常務取締役。1980年から帝人代表取締役社長を務めた。それまでの拡大路線で積み上がった不採算事業の整理を実施。一気に二十件以上の事業や海外案件から撤収するとともに、医療・医薬事業を次世代の成長事業として位置づけ、現在の事業構造の原型を築いた。
玉置 猛夫(たまき たけお、1914年(大正3年)7月1日 … 玉置 猛夫(たまき たけお、1914年(大正3年)7月1日 – 2010年(平成22年)4月21日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 香川県小豆郡草壁村(草壁町、内海町草壁本町を経て現小豆島町)で生まれる。1941年(昭和16年)神戸商業大学(現神戸大学)を卒業した。 1941年、日本銀行に入行。外国為替局、考査局、為替管理局などで勤務し、1960年(昭和35年)に退行した。 1960年11月の第29回衆議院議員総選挙に香川県第1区から無所属で出馬して落選し、以後1967年(昭和42年)1月の第31回総選挙まで2回連続で立候補したがいずれも落選。1968年(昭和43年)7月の第8回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。
伊藤 恭一(いとう きょういち、大正3年(1914年)5月2… 伊藤 恭一(いとう きょういち、大正3年(1914年)5月27日 - 平成6年(1994年)8月9日)は、日本の実業家。二代目伊藤忠兵衛の長男。エルサルバドル共和国の繊維事業発展に貢献した。 昭和22年(1947年)に旧制神戸商業大学(現・神戸大学)を卒業し、大建産業に入社する。昭和25年(1950年)に呉羽紡績へ転じる。財務・管理部門を担当し、取締役、常務取締役、専務取締役を経て、昭和38年(1963年)に社長に就任した。その後、昭和41年(1966年)に呉羽紡績が東洋紡績に吸収合併されると、同社副社長となった。後に同社会長・相談役を歴任した。昭和58年(1983年)から伊藤忠兵衛基金理事長。
稲葉 襄(いなば のぼる、1914年2月15日 - 2006… 稲葉 襄(いなば のぼる、1914年2月15日 - 2006年1月8日)は、日本の経営学者。神戸大学名誉教授、広島経済大学名誉教授。経営学博士。専門は中小工業経営・家庭経済学・仏教的企業経営学。 神戸女子大学、武庫川女子大学、神戸女子薬科大学でも非常勤講師を務めた。 1914年、千葉県市原市舞鶴に生まれる。1931年、千葉県立大多喜中学校卒業。1934年、和歌山高等商業学校(現、和歌山大学経済学部)卒業。1937年、神戸商業大学 (旧制)(現神戸大学)卒業、同大学研究科に進学し、1939年修了。同年、和歌山高等商業学校講師に就任。1940年同校教授。 1944年軍需省軍需監理官、1946年商工省近畿地方商工局事務官を経て、同年、神戸経済大学附属経営学専門部講師・教授。
長崎 重芳(ながさき しげよし、1914年 - 1997年)… 長崎 重芳(ながさき しげよし、1914年 - 1997年)は、日本のバレーボール選手、バレーボール指導者。元バレーボール全日本選手、元バレーボール日本男子代表監督。元日本バレーボール協会理事。 “重砲“と呼ばれた猛スパイクで、戦前最高の選手と謳われたバレーボーラー。“球神“とも“日本バレーの父“とも呼ばれた。広島県広島市出身。5寸9尺(約180センチ)、21貫(約80キロ)(中学4年時)。 広陵中学(現広陵高校)で野球をするつもりだったが、親の反対に遭い1927年、広島二中(現広島観音高校)に進学。陸上競技で大活躍したことで、排球部(バレーボール部)に勧誘された。多田徳雄下で黄金期を創った神戸高商(現神戸大学)の中心選手・高橋哲雄と鎔米二の指導を受け、中学上級生並みの体格と人並み外れた運動神経で、すぐに当時の9人制バレー、エースポジションである中衛左に入ると、2年時・14歳で早くも全日本候補となる。
三上 富三郎(みかみ とみさぶろう、1913年11月6日 -… 三上 富三郎(みかみ とみさぶろう、1913年11月6日 - 1995年7月2日)は、日本の経営学者。 1937年神戸商業大学を卒業し、同年松下電器産業に入社する。松下電器で経理部長・総務部長を務めた後、1949年に日本ゴム商業改善協会に勤務した。 1955年、明治大学商学部講師となる。助教授(1957年)を経て1961年に教授に就任。1963年「卸売および卸売業経営の研究」で明治大学より商学博士の学位を取得。1984年に定年を迎え、名誉教授となる。学者としては平井泰太郎に師事した。 恵泉裏道路対策協議会会長を務め、後年は道路行政に関して世田谷区を相手とした訴訟をおこなった。
渡辺 輝雄(わたなべ てるお、1913年10月16日 - 1… 渡辺 輝雄(わたなべ てるお、1913年10月16日 - 1998年12月8日)は、日本の経済学者で、特にフランソワ・ケネーなど、アダム・スミス以前の初期経済学説史を専門とした。 前身の大倉経済専門学校の時代を含め、東京経済大学に長く勤め、経済学部長や学長(1976年 - 1984年)などを歴任した。 大倉財閥が創設した大倉高等商業学校(東京経済大学の前身校)に学び、1934年に卒業して、神戸商業大学に進み、1937年に同大学を卒業して母校である大倉高商の専任講師となり、1939年には教授に昇任した。早くから大倉高商~大倉経専の大学への昇格を唱え、戦後の大学昇格運動において中心的役割を担った。 1949年、新制大学として東京経済大学が発足すると、教授として経済原理、経済学史を担当した。
宍戸 福重(ししど ふくしげ、1913年9月27日 - 20… 宍戸 福重(ししど ふくしげ、1913年9月27日 - 2010年2月2日)は、日本の経営者。富士電機社長、会長を務めた。福島県出身。 1937年に神戸商業大学を卒業し、同年に第一銀行に入行。1963年2月に富士電機に出向し、同年11月に取締役に就任し、1965年11月に常務、1970年11月に専務を経て、1972年11月に副社長に就任し、1974年11月には社長に昇格。1981年6月に会長に就任し、1985年6月に常任相談役を経て、1987年6月から相談役を務めた。 1983年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2010年2月2日老衰のために死去。96歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。