横澤 丈二(よこざわ じょうじ、1964年11月5日 - )… 横澤 丈二(よこざわ じょうじ、1964年11月5日 - )は、東京都出身の演出家・脚本家・映画監督・俳優・歌手。株式会社ヨコザワ・プロダクション代表取締役。劇団四重奏主宰。日本芸能マネージメント事業者協会会員・日本音楽著作権協会会員。大嶽部屋東京大竜会理事。 日本大学第三中学校・日本大学第三高等学校卒業。高校1年よりクラリネットを北爪利世に師事。日本大学芸術学部を経て、1986年に無名塾に入塾。数々のテレビ・映画・舞台に出演。 1990年、株式会社ヨコザワ・プロダクション設立、ヨコザワ・アクターズ・スタジオ(俳優・声優養成所)を開設。1992年に現在の劇団四重奏を旗揚げ。 映画『エクソシスト』を舞台化するにあたり、原作者である、ウィリアム・ピーター・ブラッティと対談を実現している。
小山 薫堂(こやま くんどう、1964年〈昭和39年〉6月2… 小山 薫堂(こやま くんどう、1964年〈昭和39年〉6月23日 - )は、日本の放送作家、脚本家、ラジオパーソナリティ。 株式会社オレンジ・アンド・パートナーズ代表取締役社長、N35, inc.主宰、株式会社下鴨茶寮代表取締役社長、京都芸術大学副学長・芸術学部教授、2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)シグネチャー事業プロデューサー、株式会社モスフードサービス社外取締役、一般財団法人今日庵評議員。 『料理の鉄人』以来、別名としてうどん熊奴(くまやっこ、「こやまくんどう」を逆さにしたアナグラム)の作家名を使い分けている。 熊本県本渡市(現・天草市)出身。天草市立本渡南小学校、天草市立本渡中学校、熊本マリスト学園高等学校、日本大学藝術学部放送学科卒業。
金巻 兼一(かねまき けんいち、1964年1月20日 - 、… 金巻 兼一(かねまき けんいち、1964年1月20日 - 、AB型/水瓶座)は、日本の脚本家、劇作家、作曲家。「オフィス:ぎんがみ」主宰。脚本家としてはアニメを中心に活動している。別名「チャーリー」。東京都出身。日本大学櫻丘高等学校卒。日本大学文理学部ドイツ文学科卒。 脚本家・渡邉由自に師事し、テレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の第90話「妖精ニクスの青い涙」でデビュー。1992年に『元気爆発ガンバルガー』で自身初のシリーズ構成を務める(同作品完結後に発売されたヴォーカルアルバムの新録曲の作曲も手掛けた)。2002年の東京桜組公演『夢ときどき晴れ。』で劇作家デビューを果たす。なお、声優の鳥海勝美とは、大学時代の同期である。
光石 富士朗(みついし ふじろう、1963年12月9日 - … 光石 富士朗(みついし ふじろう、1963年12月9日 - )は、日本の映画監督、脚本家、演出家。東京都出身。 日本大学第三高等学校、日本大学文理学部社会学科卒業。大学を卒業後、廣木隆一、神代辰巳らの助監督を務め、プロの現場で活動を始める。2002年の映画『おぎゃあ。』では、予期せぬ妊娠をした少女が母親になるまでの過程を爽やかに描き出し「遊び心があり、革新的でエネルギーに満ち、現実とファンタジーの融合に成功した稀有な作品」と絶賛され、ハワイ国際映画祭でネットパック特別賞(最優秀アジア映画賞)を受賞。その他の主な監督作品に『富江 replay』、『M-1グランプリへの道 まっすぐいこおぜ!』などがある。
宮川 賢(みやかわ まさる、1963年〈昭和38年〉1月21… 宮川 賢(みやかわ まさる、1963年〈昭和38年〉1月21日 - )は、東京都中野区大和町出身のタレント・脚本家・演出家・劇団主宰者・放送作家・ラジオパーソナリティ・アーティスト・実業家(制作会社社長)。練馬区大泉学園在住。既婚、1男1女あり。愛称は、みーくん。 高円寺で生まれ育つ。18歳で家を売払い、吉祥寺に引越す。 学歴:東京都立荻窪高等学校卒業→日本大学経済学部卒業。後年自身のラジオ番組『バツラジ』(TBSラジオ)内で母校の荻窪高校がなくなることを惜しんでいたが、定時制課程に改組されたものの学校は残った。 趣味はサッカー観戦、サイクリング、ランニング、バイク、ドライブ、旅行、家庭菜園。特に、スペインリーグリーガ・エスパニョーラの名門、FCバルセロナの大ファン。
吉川次郎(よしかわ じろう、1963年 - )はフリーの脚本… 吉川次郎(よしかわ じろう、1963年 - )はフリーの脚本家。元伊丹プロダクション所属。 日本大学芸術学部映画学科卒業。伊丹十三の下で10年間アシスタントを務めた後、フリーの脚本家に。現・日本大学芸術学部文芸学科講師。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
沼田 やすひろ(ぬまた やすひろ、沼田康博、1962年9月2… 沼田 やすひろ(ぬまた やすひろ、沼田康博、1962年9月26日 - )は、日本の脚本家である。 神奈川県横浜市出身。水野プロダクションでの玩具業界と出版業界を繋ぐキャラクター・ビジネス経験の後、作家・長谷川潤二(ジャーナリスト・古屋信二)に師事し、フリーランスの編集・脚本家となる。キャラクター設定と世界観設定に独自の視点を持ち、書籍・ゲーム・アニメ・映画などのコンテンツ制作に携わる。必要に応じ、コンテンツ開発企業に在籍。現在、講師業務のかたわら、映像企画の推進中。
長谷川 圭一(、1962年2月1日 - )は、日本の脚本家。… 長谷川 圭一(、1962年2月1日 - )は、日本の脚本家。静岡県熱海市出身。 日本大学芸術学部映画学科卒業後、未公開映画『朽ちた手押し車』で助監督デビュー。その後は『太陽にほえろ!』末期シリーズに参加後、美術部に転じて10年以上、小道具・装飾係などの美術スタッフを務め、『ゴリラ・警視庁捜査第8班』『バトルヒーター』『丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる』『1999年の夏休み』『ガメラ 大怪獣空中決戦』『ガメラ2 レギオン襲来』など多数の作品に参加する。 1997年、前述の『大怪獣空中決戦』に参加した流れで、本編装飾スタッフとしても参加していた『ウルトラマンティガ』にて、脚本家として参加したい想いを抑えきれず、監督やプロデューサーに過去に書いた脚本を読んでもらい、同作品の第22話「霧が来る」で脚本家デビュー。
齊藤 珠緒(さいとう たまお、1962年 - )は、神奈川県… 齊藤 珠緒(さいとう たまお、1962年 - )は、神奈川県川崎市出身の日本の脚本家。 1985年に日本大学藝術学部映画学科を卒業し、同年に火曜サスペンス劇場『ある少女の犯罪 私は女!!』の脚本でデビュー。 脚本家の国弘威雄の娘であり、かつては「国弘 珠緒」名義で活動していたほか一部の作品では父と共同で脚本を担当した。「国広 珠緒」、「斉藤 珠緒」、「斎藤 珠緒」、「齋藤 珠緒」名義でクレジットされることもある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
川崎 郷太(かわさき きょうた、1961年11月6日 - )… 川崎 郷太(かわさき きょうた、1961年11月6日 - )は、日本の特撮監督、映画監督、脚本家。平成ウルトラマンの演出で知られる。東京都出身。 1984年、日本大学藝術学部卒業(卒業制作の題名は「恐竜泥棒」)。同年、木下プロダクションに入社し、テレビドラマの現場に付く。1988年、休職して渡米。ディズニー映画『ミクロキッズ』SFX班にインターンとして参加。帰国後に復職し、展示映像の映像やオリジナルビデオを監督する。1990年よりフリーランス。 2006年以後の作品はないが、八木毅など旧知の監督が川崎と会談している。 円谷プロダクション製作のウルトラシリーズにおいて、史上初めて脚本・監督・特技監督の三役を一つのエピソードで公式に兼ねた。
三谷 幸喜(みたに こうき、1961年〈昭和36年〉7月8日… 三谷 幸喜(みたに こうき、1961年〈昭和36年〉7月8日 - )は、日本の劇作家、脚本家、演出家、映画監督、俳優。 劇団「東京サンシャインボーイズ」主宰。シス・カンパニー所属。身長174 cm。 東京都世田谷区出身。父が好きだった大相撲力士・大鵬幸喜(当時は大関、後に横綱に昇進)にちなんで「幸喜」(こうき)と命名。両親は九州出身で、父は福岡市の中洲でクラブを数店舗経営していた実業家であった。家は裕福であったが、父は三谷が10歳の時に亡くなった。 小学生の頃、「ビバ!チャップリン」シリーズからチャールズ・チャップリンのファンになり、スイスにあった自宅前までチャップリンに会いに行ったことがある。
福田卓郎(ふくだ たくろう、1961年5月16日 - )は、… 福田卓郎(ふくだ たくろう、1961年5月16日 - )は、日本の脚本家、演出家。愛媛県(旧・伊予三島市)四国中央市出身。アンドリーム所属。 日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。在学中から映画、演劇活動を開始し、脚本や演出を手掛ける。 卒業後は東宝演劇演出部に入社。 1987年に福田自身が主宰する「劇団疾風DO党」を結成。これに伴い東宝を退社する。2002年、劇団をDotoo!(ドトォ!)と改名。 1988年に、コピーライターとしてラジオCM「うちのお母さん」(ライオン)でACC最優秀スポットCM賞ラジオ部門民放祭優秀賞を受賞する。 1991年にシナリオライターとして、映画『就職戦線異状なし』でデビュー。
菊原 共基(きくはら ともき、1961年4月7日 - )は、… 菊原 共基(きくはら ともき、1961年4月7日 - )は、愛媛県大洲市出身の放送作家(構成作家)、脚本家、元お笑い芸人。別名義に菊原 智岐、ファニー菊原などがある。日本脚本家連盟会員。 1980年、日本大学藝術学部映画学科入学。1982年、コントグループ「ファニーズ」結成。日本テレビお笑いスター誕生9週勝ち抜き、ゴールデンルーキー賞獲得。1984年、前衛劇団「超薄的ワルツ」結成。1985年、コピーライターとして広告デザイン会社に入社。フランスベッドなどの広告を担当。1987年、放送作家に転向。秋元康に二番弟子として弟子入りし、SOLD-OUT、オフィスクレッシェンド、エイティーワン・エンタテインメント、イキナを経て現在はフリー。
いとう 斗士八(いとう としや、1961年-)は、静岡県出身… いとう 斗士八(いとう としや、1961年-)は、静岡県出身の脚本家。 日本大学芸術学部在学中の1981年、同じく日芸生の片渕須直らと共に宮崎駿演出の新作アニメ脚本テストに参加し、提出したシナリオは1984年に『名探偵ホームズ』の一篇として採用される。卒業後、松竹シナリオ研究所、雑誌編集などを経て、1987年にテレビドラマ『あぶない刑事』で本格デビュー。主に刑事ドラマや2時間サスペンスなどを手掛ける他、最終話の視聴率が37.2 %(ビデオリサーチ関東地区)に達した1994年のドラマ『家なき子』の脚本も担当した。 1959年から1964年の間に生まれ、1960年代後半のテレビ高度成長期を幼少期に経験したテレビ作家であるSSジェネレーションの一人。
片渕 須直(かたぶち すなお、男性、1960年8月10日 -… 片渕 須直(かたぶち すなお、男性、1960年8月10日 - )は、日本のアニメ監督、脚本家。大阪府枚方市生まれ。 日本大学芸術学部映画学科卒業。株式会社コントレール取締役。日本大学芸術学部映画学科特任教授、日本大学芸術学部上席研究員[リンク切れ]。東京芸術大学大学院講師。日本映画監督協会会員。日本脚本家連盟連盟員。日本映像学会会員。日本アニメーション学会会員。日本アニメーション協会会員。航空ジャーナリスト協会会員[リンク切れ]。 母方の祖父が枚方公園駅の近くで映画館を営んでいたため、子どもの頃からアニメ映画などをよく観ていたという。2歳7か月で、東映動画の『わんぱく王子の大蛇退治』を観たことを覚えており、特に名アニメーターの大塚康生と月岡貞夫が作画したクライマックスシーンが印象に残っていたが、月岡貞夫に大学で学び、業界の先輩に大塚康生がいて、「自分の人生は、線路が敷かれた一本の電車道なのか」と不思議な縁を感じたという。
野沢 尚(のざわ ひさし、1960年5月7日 - 2004年… 野沢 尚(のざわ ひさし、1960年5月7日 - 2004年6月28日)は、日本の脚本家・推理小説家。愛知県名古屋市出身。愛知県立昭和高等学校、日本大学芸術学部映画学科卒業。既婚。 テレビドラマの脚本で高い評価を受ける一方、推理小説にも幅を広げた。北野武の映画監督デビュー作の脚本を手掛けたことでも知られている。 父は京都大学名誉教授で京都大学霊長類研究所所長も務めた生物学者の野澤謙(1927年島根県生まれ、東京大学農学部獣医学科卒業)。叔父はフランス文学者で元東京都立大学教授の野沢協。曾祖父は教育者・漢学者の田邊新之助。大伯父に京都学派を代表する哲学者の田辺元、元東京美術学校教授の田辺至がいる。
加納 幸和(、1960年1月25日 - )は日本の俳優、劇作… 加納 幸和(、1960年1月25日 - )は日本の俳優、劇作家、脚本家、演出家。劇団「花組芝居」主宰。お笑いタレント、喜劇俳優、講談師の森田展義とは親同士がいとこのため、はとこである。その他の親戚に俳優、声優の森田順平、俳優の森田浩平、俳優の森田晋平がいる。 兵庫県尼崎市出身。日本大学芸術学部演劇学科卒業。大学の卒業論文「『櫻姫東文章』の再生と可能性」で芸術学会賞を受賞。 1984年10月、演劇プロデュース団体「加納幸和事務所」を設立。1987年、劇団「花組芝居」に改名。同年4月1日、『ザ・隅田川』公演で旗揚げ。 花組芝居の全作品の脚本、演出を手掛け、主に歌舞伎をモチーフにした作品が多い。 俳優、雑誌のコラム連載、専門学校の講師としても活動している。
中園 ミホ(なかぞの ミホ、1959年7月16日 - )は、… 中園 ミホ(なかぞの ミホ、1959年7月16日 - )は、日本の脚本家。 本名は中園 美保(読み同じ)。日本大学第二高等学校、日本大学芸術学部放送学科卒業。2010年度から日本大学芸術学部客員教授を務める。 東京都中野区生まれ。10歳で父を、19歳で母を病気で亡くす。 大学卒業後、広告代理店に入社。社の同僚がシナリオ講座に申し込んだものの行けなくなったため、その代わりとしてノートをとるため、シナリオ講座に参加した。1年3か月で広告代理店を退職したのち、コピーライター、四柱推命の占い師などの職業を経験。偶然知り合った脚本家の田中陽造の清書係に就く。その後、同じく脚本家の桃井章と知り合い、桃井の妻を世話するなど懇意になり、これらをきっかけにシナリオライターとなる。
天沢 彰(あまさわ あきら、1959年1月18日 - )は、… 天沢 彰(あまさわ あきら、1959年1月18日 - )は、愛媛県出身の日本の脚本家、小説家である。劇団歴史新大陸の座付き作家。 日本大学を卒業。その後アニメの企画会社において多数のアニメ脚本を手がける。現在、脚本だけでなく小説、漫画原作、舞台、ゲームシナリオも手がけている。天沢彰のほか、八田朗、ORCA名義でも作品を発表している。アンドリーム(&REAM)所属。 1995年、小説『8マン ニュージェネレーション』でデビュー。『ランドロック』『ガンドレス』などの小説がアニメ化されている。映画『大帝の剣』の脚本、ドラマ『満福少女ドラゴネット』(TVK)、『幻星神ジャスティライザー』(TX)の脚本を手がけている。
君塚 良一(きみづか りょういち、1958年4月21日 - … 君塚 良一(きみづか りょういち、1958年4月21日 - )は、日本の脚本家、映画監督、放送作家。 東京都港区出身。日本大学芸術学部卒業。 妻は、女性アイドルグループ・トライアングルのメンバーで元タレントの藤本あき(加藤明恵)。 学生時代は映画監督を志していたが東宝撮影所でのアルバイト経験で映画界の不況を目の当たりにして、次第に映画界への興味を失う。倉本聰、山田太一、向田邦子などのシナリオライターが脚光を浴びているのを見て、テレビドラマの世界に関心を抱くようになった。大学の教授の紹介で、卒業後は萩本欽一に弟子入りし、萩本お抱えの放送作家集団である「パジャマ党」に加入。『欽ちゃんの週刊欽曜日』『欽ちゃんのどこまでやるの!?』『ライオンのごきげんよう』など、バラエティ番組に構成作家として携わる。
青木 研次(あおき けんじ、1958年1月31日 - )は、… 青木 研次(あおき けんじ、1958年1月31日 - )は、日本の脚本家。 20代後半よりテレビの放送作家となり、多くのテレビ番組を手掛ける。30代後半より映画の脚本を書きはじめ、『いつか読書する日』で菊島隆三賞(日本シナリオ作家協会)、第27回ヨコハマ映画祭脚本賞、芸術選奨新人賞受賞。 山形県米沢市生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒業後、在日米軍ホテル勤務を経て、諸国放浪の末、テレビの放送作家となる。 「新世界紀行」(TBS)、「サンデープロジェクト」(テレビ朝日)「驚きももの木20世紀」(朝日放送)「美の巨人たち」(テレビ東京)など多くの番組に携わる。 その後、緒方明監督作品『独立少年合唱団』で映画脚本、原作を手掛けた。
落合 正幸(おちあい まさゆき、1957年 - )は、日本の… 落合 正幸(おちあい まさゆき、1957年 - )は、日本のテレビドラマの演出家、脚本家、映画監督。共同テレビジョン所属を経てフリー。 東京都出身。日本大学藝術学部卒。星護とともに独特の演出方法で知られた。代表作のテレビドラマ『世にも奇妙な物語』では、35作(番組歴代最多演出数)を監督した。 2003年、共同テレビを退社し、映画監督活動を開始。『感染』はアメリカでも上映された。 共同テレビ退社以降同社とは全く関わりがなかったが、2012年に9年ぶりに『世にも奇妙な物語』の一話「ヘイトウイルス」でタッグを組みドラマのメガホンをとった。 2度結婚しており、元妻は共同テレビの親会社であるフジテレビでアナウンサーを務めた寺田理恵子と女性作家である梅田みか。
ときた ひろこ(本名:時田 広子、1956年10月24日 -… ときた ひろこ(本名:時田 広子、1956年10月24日 - )は、日本の女性アニメーション監督、脚本家。東京都板橋区出身。日本脚本家連盟会員。 日本大学理学部物理学科在学中に、アルバイトでテレビアニメの彩色の仕事を行なったのがアニメ業界入りのきっかけ。和光プロダクションのテレビアニメ『激走!ルーベンカイザー』で監督の布川ゆうじと知り合い、1978年のスタジオぴえろ発足に誘われ、事務として設立に参加。1980年の『ニルスのふしぎな旅』などの動画などを担当した。1981年に退社してフリーとなり、『あしたのジョー2』などの動画を担当。 しかし原画への昇格を待たずに、自らのアニメーターの才能に見切りをつけて演出家を志向。
谷田部 勝義(やたべ かつよし、1956年7月11日 - )… 谷田部 勝義(やたべ かつよし、1956年7月11日 - )は、東京都出身の脚本家、アニメ演出家、監督、音響監督。別名義に森田光太、森田風太がある。 1975年、日本大学芸術学部映画科に入学、大学時代には後に俳優として名を馳せる内藤剛志らとともに5、6人で自主制作映画を撮っていたと後に述懐しているが、ある時受けたアニメーションのゼミをきっかけとして、その講師であった池田宏の人柄に触発される形で大学を中退。新聞広告に載っていたというアドコスモへと1978年に入社し、制作進行に従事することとなる。 在学中は特にアニメが好きであったわけでもなく、入社当時もアニメのことは全然知らなかったという谷田部であるが、一方で当初から演出の仕事をしたいという意思も持ち合わせてはいた。
喜多 一郎(きた いちろう、1956年6月9日 - )は、日… 喜多 一郎(きた いちろう、1956年6月9日 - )は、日本の映画監督、テレビプロデューサー、音楽プロデューサー、作家、脚本家、大学客員教授。株式会社オフィスキタCEO。 1956年6月9日東京都出身。日本大学芸術学部映画学科卒業。株式会社オフィスキタ代表取締役社長。テレビ、音楽業界を経て1997年に自社を設立。2002年より映画監督。 「人間再生」を一貫したテーマにオリジナル脚本で12本の映画を監督する。大ヒットした2005年公開の映画『Life on the longboard』(大杉漣、小栗旬 他)では日本中の海を、中年サーファーで一杯にした社会現象を生み出す。2013年公開映画『ヨコハマ物語』(北乃きい、奥田瑛二、市毛良枝 他)は神奈川県推薦映画第一号に指定され大ヒットを記録する。
岡本 螢(おかもと ほたる、女性、1956年 - )は、劇作… 岡本 螢(おかもと ほたる、女性、1956年 - )は、劇作家、脚本家、漫画原作者、作家。東京都中央区日本橋出身。なお、岡本蛍という表記は誤りである[疑問点 – ノート]。 日本大学藝術学部演劇学科卒業。1975年、19歳の時に「半変化束恋道中」でテアトル・エコー創作戯曲募集入選。 江戸を舞台としたミュージカル作品を発表し劇作家として活躍。その後はテレビ・ラジオドラマの原作脚色にも携わる。 1992年、映画化された代表作『おもひでぽろぽろ』で日本アカデミー賞特別賞受賞。 読売演劇大賞の選考委員を務めた。 伊東四朗 - えなりかずき - 魁三太郎 - 桜金造 - 重田千穂子 - 前田吟 - 杉浦日向子 石原詢子 - 香西かおり - 伍代夏子 - 坂本冬美 - 長山洋子 - 藤あや子 浅茅陽子 - 篠田拓馬 - 竹下景子 - 野川由美子 - 松金よね子 - 由紀さおり 井上頌一 - 海老原靖芳 - 大橋泰彦 - 岡本螢 - 小澤寛 - 数原晋 - 清水東 - 滝大作 - 藤野浩一 捨てられて - みれん酒 - 夜桜お七 コメディー道中でござる - NHK総合 瀬川瑛子 - 田川寿美
宮本昌孝(みやもと まさたか、1955年9月11日 -)は、… 宮本昌孝(みやもと まさたか、1955年9月11日 -)は、日本の脚本家、時代小説作家、SF作家。 骨太な作風でありながら、明るくにじみでるユーモアに特徴がある。静岡県浜松市出身。 2001年時点で日本SF作家クラブ会員だったが、2024年10月時点では会員名簿に名前がない。 小学生の頃は、当時の日本が映画の全盛期ということもあって、映画をよく観たり、ちばてつやや川崎のぼるの漫画に親しんだ。小学校高学年の時に担任の教師から授業参観日の演し物を行うように指示され、宮本が作、演出、出演を行ったところ、これを教師に気に入られる。この頃からストーリー漫画を描くのも好きになり、一時期は漫画家を目指していた。
平光 琢也(ひらみつ たくや、1955年1月13日 - )は… 平光 琢也(ひらみつ たくや、1955年1月13日 - )は、日本の俳優、演出家、脚本家、音響監督。岐阜県出身。「ひらこう」と読まれるが「ひらみつ」が正しい。趣味は絵画、ドラム。 神奈川県立小田原高等学校を経て、1975年日本大学芸術学部演劇学科在学中に「劇団魔天楼」を結成。また、同時期に劇団雲研究生、円・演劇研究所研究生を経て、1978年、演劇集団 円に俳優として入団。 1983年に「劇団魔天楼」で共に活動していた赤星昇一郎、郷田ほづみと結成したお笑いトリオ「怪物ランド」で、『お笑いスター誕生!!』に出場。10週勝ち抜きチャンピオンとなる。その後、冠番組となった『ウソップランド』(テレビ朝日)に出演しカルト的な人気を獲得した。
矢崎 仁司(やざき ひとし、1954年11月20日 - )は… 矢崎 仁司(やざき ひとし、1954年11月20日 - )は、日本の映画監督、脚本家。 1956年11月20日、山梨県南巨摩郡鰍沢町に生まれる。山梨県立巨摩高等学校を卒業。日本大学芸術学部映画学科に在学中の1980年、『風たちの午後』で映画監督デビューを果たす。1992年、『三月のライオン』でベルギー王室主催ルイス・ブニュエルの「黄金時代」賞を受賞する。2010年、中谷美紀と大森南朋を主演に迎えた『スイートリトルライズ』が公開される。
縞田 七重(しまだ ななえ、1954年9月24日 - )は、… 縞田 七重(しまだ ななえ、1954年9月24日 - )は、千葉県千葉市出身の脚本家、小説家である。 日本大学芸術学部放送学科を卒業。広告代理店勤務の後、1978年にフリーのシナリオライターとして、『女高生初体験』(大蔵映画)でデビュー。その後、2年間で30本のピンク映画を執筆する。その他、TV台本や劇画原作などにも携わる。 日本放送作家協会主催のシナリオ講座に通い、基礎科終了後、当時ピンク映画監督だった和泉聖治と出会い、映画業界に携わるようになる。『女性自身』での漫画脚本として携わる。
伴 一彦(ばん かずひこ、1954年8月3日 - )は、日本… 伴 一彦(ばん かずひこ、1954年8月3日 - )は、日本の脚本家。福岡県出身。 福岡県立福岡高等学校を経て日本大学芸術学部映画学科脚本コース卒業。在学中に石森史郎、佐治乾らに師事。1981年頃から本格的に脚本家の活動を開始する。 2005年8月、自身の短編小説集「ラヴ・コール」を無断で俳優養成学校公演の脚本に使用されたとして、脚本家の高橋いさをと養成学校の経営者を相手どり、550万円の損害賠償や謝罪広告の掲載を求め、東京地裁に提訴した。2006年3月30日に高橋が著作権侵害を認め、謝罪金50万円を払うことなどで和解が成立。 2012年2月、同年4月からフジテレビ系列で放送されたドラマ『家族のうた』について、自身が以前脚本を担当した『パパはニュースキャスター』と設定が酷似していると自身のTwitter(現:X)で指摘し、話題となった。
関根 和美(せきね かずよし、1954年8月2日 - 201… 関根 和美(せきね かずよし、1954年8月2日 - 2019年10月10日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。東京都出身。日本大学藝術学部文芸学科卒業。 大学卒業後、フリーの助監督として小川欽也、山本晋也らに師事した後独立し、脚本家として『下半身美人 狂いそう』(1980年、久我剛監督)などを執筆。飯泉大の推薦を受け国映制作『OL襲って奪う』(1984年)で映画監督デビュー。以降、主に独立系(インディーズ)の成人映画をコンスタントに制作し、監督している。関根プロダクション社長。成人映画だけではなくVシネマ、テレビ番組、VP作品も手がけており、一般作品としては『不思議めがね』(2002年、三村渉監督)において監督補としてメガホンを取っている。
三村 渉(、1954年5月7日 - 2021年8月26日)は… 三村 渉(、1954年5月7日 - 2021年8月26日)は日本映画の脚本家。三重県出身。 日本大学藝術学部映画学科卒業。大学卒業時に、自身は現場に向かないと考えたことから脚本家を目指して様々なコンクールに応募し、1982年サンリオ脚本賞受賞。映画監督の野村芳太郎に師事する。1987年に映画『フリーター』で脚本家デビュー。代表作はゴジラシリーズ。 日本映画学校の講師も務めていた。 2021年8月26日、長年の体調不良の悪化により[要出典]死去。享年67歳。 野村へ師事したのは脚本を読んでもらったことがきっかけであり、サンリオ脚本賞受賞後、自費出版した自作の脚本を複数名に贈ったが、返答があったのは野村だけであったという。
鷺山 京子(さぎやま きょうこ、1951年2月7日 - )は… 鷺山 京子(さぎやま きょうこ、1951年2月7日 - )は、茨城県出身の映画・テレビドラマ作品の脚本家、小説家。しばしば鷲山京子(わしやまきょうこ)と誤記されているが、鷺山京子が正しい表記である。別名義に瑞樹かりん・三田ゆい子がある。石森史郎の弟子。 高校生時代にロマン・ポランスキーの作品に感銘を受け、映画監督を目指して、日本大学芸術学部に入学。演出コースを専攻する。しかし映像製作の実習を経験して、体力を使う撮影現場の仕事の難しさを感じるようになり、脚本家に志望を転換。石森史郎が講師を務めていた大学のシナリオゼミに出席したことをきっかけに、石森に師事する。当時の同じ門下生には土筆勉、中原朗らがいた。
森田 芳光(もりた よしみつ、1950年1月25日 - 20… 森田 芳光(もりた よしみつ、1950年1月25日 - 2011年12月20日)は、日本の映画監督、脚本家である。
柏原 寛司(、1949年〈昭和24年〉9月6日 - )は、日… 柏原 寛司(、1949年〈昭和24年〉9月6日 - )は、日本の脚本家、映画監督。東京都中央区日本橋出身。一般社団法人シナリオ作家協会会長、日本シナリオ作家協会副理事長を歴任。 実家は江戸時代末期から代々、東京・人形町に住む一家で、柏原で4代目に当たる。中学生時代は映画少年で、特に西部劇を好み、『アラモ』は36回も観たという。この他にも少年時代は落語も愛好した。高校生以降は友人の勧めで『用心棒』を観て以来、日本映画も好むようになり、高倉健、勝新太郎主演などの作品をよく観るようになる。一方で高校時代は野球部で、野球にも打ち込んでいた。 1969年、日本シナリオ作家協会主催のシナリオ研究所(現在のシナリオ講座の前身)第22期を修了。
丸山 昇一(まるやま しょういち、1948年4月6日 - )… 丸山 昇一(まるやま しょういち、1948年4月6日 - )は、日本の脚本家。映画『野獣死すべし』やテレビドラマ『探偵物語』で知られる。宮崎県南那珂郡出身。 兄と姉は年齢が離れており、本人曰く「一人っ子同然に育てられた」。『年鑑代表シナリオ集』(1964年版)に掲載されていた新藤兼人『鬼婆』を読み、シナリオライターを志す。高校の演劇で戯曲を2本書いたことが地元の新聞に載り、「日本演劇界の天下を取るには」ということで上京。芝居を見まくる学生時代を過ごす。 日本大学芸術学部を卒業。大学の卒業シナリオ「三匹のガニ股」が映画学科主任賞を受賞。大学卒業後はオートスライド(CM・社内教育用スライド)製作会社に就職。
高田 ひろお(たかだ ひろお、1947年3月28日 - )は… 高田 ひろお(たかだ ひろお、1947年3月28日 - )は日本の作詞家、絵本作家、脚本家。日本の歌謡曲で史上最多のシングルレコード売上を記録した「およげ!たいやきくん」の作詞者として知られる。 希望学園釧路第一高等学校を卒業後[要出典]上京し、弁護士をめざして大学の法学部に進学する。大学院まで進んだものの、弁護士には(合格に)時間がかかると言われて志望を断念し、25歳の時に星野哲郎に弟子入りする。作詞家や絵本作家を目指した理由は、都会の子供にも故郷の釧路のような自然に触れてほしいという思いだった。 絵本作家からスタートし、子供向けの楽曲の作詞を多く手がけた。「およげ!たいやきくん」は『ひらけ!ポンキッキ』の童謡募集の話を知って持ち込んだ曲の一つで、10歳頃に冬の銭湯帰りに鯛焼きを買って腹巻きに入れた経験を東京で思い出し、釧路の海であの鯛焼きを泳がせてやりたいと考えたことが元になったという。
藤井 邦夫(ふじい くにお、1946年11月22日 - 20… 藤井 邦夫(ふじい くにお、1946年11月22日 - 2025年10月12日)は、脚本家、小説家、元監督。北海道旭川市出身。別名義に相里修がある。 北海道旭川北高等学校を経て、日本大学藝術学部卒業。1970年に東映テレビプロダクションに助監督として入社。もともとは脚本家志望ではあったが、本を書くための勉強として割り切ったと本人は後に語っている。同期に映画監督の辻理がいた。 数多くの作品で助監督を務める傍ら、『特別機動捜査隊』(第799話「娘の思春期」)で脚本家としてデビュー。後番組『特捜最前線』では、助監督兼脚本家として活躍した。オープニングナレーションは藤井が考案している。第235話「少女売春・夢を掘る男!」で監督に昇進。
葉方 丹(はかた たん、1944年7月8日 - )は、演出家… 葉方 丹(はかた たん、1944年7月8日 - )は、演出家、脚本家、作家、作詞家。 日本アカデミー賞協会、日本音楽著作権協会、日本シナリオ作家協会、日本放送作家協会に所属する。東京都在住。別名、「はがたたん」。 京都市出身。大将軍(白梅町)で生まれる。父は西陣の職人。京都府立山城高等学校卒業後、日本大学芸術学部在学中から映像関係の仕事に携わる。後に大学中退。 アルバイトで日本劇場で働いていた時に叡南覚照と知り合い、「ごぜんさま」と呼ぶようになり、世話になる。ある時、叡南に将棋で勝ち、叡南に「おまえには歯が立たない。おまえ、はがたたん、にせえ」と言われる。また、叡南に「八百屋で行け」と言われ、「来るもの拒まず」で種々の仕事をするようになった。
田口 成光(たぐち しげみつ、1944年2月4日 - )は、… 田口 成光(たぐち しげみつ、1944年2月4日 - )は、日本の脚本家、構成作家、プロデューサー。 長野県飯田市出身。長野県飯田高等学校を経て日本大学芸術学部を卒業後、脚本家を目指して1967年に円谷プロダクション(以下、円谷プロ)へ入社。しかし、円谷プロの意向で『ウルトラセブン』などの特撮班助監督を経験することになり、同社の作品数が激減した1960年代末に企画室の勤務へ就いた。 1971年に放映された『帰ってきたウルトラマン』で、TBSのプロデューサーだった橋本洋二から深夜に及ぶ書き直し要求を経て、第8話「怪獣時限爆弾」が初採用され脚本家としてデビュー。以降は円谷プロで企画室長として1970年代の「第2期ウルトラシリーズ」『ミラーマン』などを企画し、脚本も執筆した。
南川 泰三(みなみかわ たいぞう、1943年12月3日 - … 南川 泰三(みなみかわ たいぞう、1943年12月3日 - )は、日本の脚本家。大阪府出身。1968年(昭和43年)3月、日本大学芸術学部文芸学科卒業。同大学院中退。 日本放送作家協会理事、文化庁芸術祭賞審査員を務める。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
西脇 英夫(にしわき ひでお、1943年11月9日 - 20… 西脇 英夫(にしわき ひでお、1943年11月9日 - 2021年6月4日)は、日本の映画評論家・漫画原作者・小説家・脚本家。東京都出身、日本大学芸術学部卒。 1965年に大学卒業後、CFプロダクション勤務、雑誌『東京25時』(アグレマン社)の編集部を経てフリーとなる。以後、『キネマ旬報』(キネマ旬報社)、『映画批評』(新泉社)などの映画雑誌に映画評論のコラムを発表。現在でも『キネマ旬報』でコラムを発表している。 漫画原作を手掛ける際は、主に『東史朗』名義で活動している。また、清彗社の漫画情報誌『だっくす』1978年9・10月号から改名後の『ぱふ』1979年9月号まで、『B級劇画講座』というコラムを連載していた(西脇英夫名義)。
深町 章(ふかまち あきら、1943年4月16日 - )は、… 深町 章(ふかまち あきら、1943年4月16日 - )は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。本名は稲生 稔(いのう みのる)。助監督時代の筆名は伊能 実(いのう みのる)、監督デビュー後の筆名は稲尾 実(いなお みのる)、東活では荻西 太郎(おぎにし たろう)の名で作品を発表した。 1943年(昭和18年)4月16日、茨城県水戸市に生まれる。 1959年(昭和34年)4月、茨城県立水戸第一高等学校に進学、1962年(昭和37年)3月に同校を卒業、翌1963年(昭和38年)4月に日本大学藝術学部映画学科に進学した。同期にのちに映画監督・撮影技師になる久我剛(1944年 - )こと斎藤雅則がいた。
秋田 佐知子(あきた さちこ、1943年2月14日 - 20… 秋田 佐知子(あきた さちこ、1943年2月14日 - 2006年1月25日)は、日本の脚本家。 宮崎県延岡市出身。7人きょうだいの五女。高校生時代から、地元の映画館に足繁く通う。1965年に日本大学芸術学部放送学科を卒業。一旦故郷の宮崎で教職に就いた後、1968年に再上京してシナリオ学校に入学。友人の紹介で出会った脚本家の西澤裕子の推薦で、1971年に電通に入ってラテ局のアシスタントとなり、実質的にドラマの企画製作に参加することになる。1978年の『微笑』(TBS)が、単独脚本での初作品といわれる。 2006年1月25日、癌のため死去。 太字は、単独脚本と思われるもの この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年〈昭和16年〉11… 富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年〈昭和16年〉11月5日 - )は、日本のアニメ監督、演出家、脚本家、漫画原作者、作詞家、小説家。日本芸術院会員。本人は演出家・原案提供者としている。日本初の30分テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』の制作に携わるなど、日本のテレビアニメに草創期から携わる。祖父は東京府南葛飾郡大島町(現・東京都江東区の一部)町長を務めた富野喜平次。 代表作は『機動戦士ガンダム』などのガンダムシリーズ、『伝説巨神イデオン』、または『聖戦士ダンバイン』他のバイストン・ウェル関連作品など。 キャリアを通じて複数のペンネームを用いている。 本名は富野 喜幸()で両親の喜平と幸子の一文字ずつをとって付けられた。
神山 征二郎(こうやま せいじろう、1941年〈昭和16年〉… 神山 征二郎(こうやま せいじろう、1941年〈昭和16年〉7月16日 - )は、日本の映画監督、脚本家。岐阜県岐阜市中西郷出身。2022年5月より東京都内から長野県上田市に移住(2024年9月時点)。 農家に生まれる。岐阜県立岐阜北高等学校に在学中は画家を志していた。日本大学芸術学部映画学科に在学中は演劇に傾倒していたが、1964年(昭和39年)、4年生の時に重症の右湿性肋膜炎を患い大学を中退し帰郷する。病気の回復後に再び上京し、映画芸術誌編集部のアルバイトを経て、1965年(昭和40年)、新藤兼人監督が主宰する近代映画協会に参加する。なお、大学時代の同窓生にアニメーション監督の富野由悠季がいる。
市川 森一(いちかわ しんいち、1941年(昭和16年)4月… 市川 森一(いちかわ しんいち、1941年(昭和16年)4月17日 - 2011年(平成23年)12月10日)は、日本の脚本家、劇作家、小説家、コメンテーター。日本放送作家協会の会長を務めた。長崎県諫早市出身。 妻は『マキちゃん日記』で知り合った女優の柴田美保子。妹は放送作家の市川愉味子(井上愉味子)。実質的なデビュー作は円谷プロ製作『快獣ブースカ』。代表作は『傷だらけの天使』『ウルトラセブン』『帰ってきたウルトラマン』『ウルトラマンA』『コメットさん』『露玉の首飾り』『TAJOMARU』など多数。 実家の呉服屋を継がずに旧海軍大村航空隊の教官となった父・市川一郎(同志社専門学校高等商業部出身)と、寛政5年(1793年)創業の老舗の諫早名物おこし屋の娘であった母との間に1941年(昭和16年)誕生。
永原 秀一(、1940年〈昭和15年〉8月7日 - 2001… 永原 秀一(、1940年〈昭和15年〉8月7日 - 2001年〈平成13年〉11月14日)は東京都出身の脚本家。株式会社ラグス元代表取締役。日本大学芸術学部卒。 大学卒業後、東宝文芸部研究生、シナリオ作家協会職員を経て、1967年に日活映画『拳銃は俺のパスポート』でデビュー。以降、『野獣を消せ』(1969年)『斬り込み』(1970年)『女番長野良猫ロック』(1970年)などのハードボイルド・アクション作品を矢継ぎ早に手掛け、日活ニューアクション路線の屋台骨を脚本面から支えた。一方で日活作品のみならず、初のオリジナル脚本作品である『狙撃』(1968年)をはじめ、『弾痕』(1969年)『ヘアピン・サーカス』(1972年)『反逆の報酬』(1973年)などの東宝作品においてもその手腕を発揮し、“東宝ニューアクション”という新路線の開拓にも功績を残している。
足立 正生(あだち まさお、1939年〈昭和14年〉5月13… 足立 正生(あだち まさお、1939年〈昭和14年〉5月13日 - )は、日本の映画監督・脚本家・俳優。パレスチナ解放人民戦線・日本赤軍の元メンバー。 福岡県八幡市(現・北九州市八幡東区)出身。日本大学芸術学部映画学科中退。若松プロダクション参加、若松孝二の盟友とされる。 1939年5月13日、福岡県八幡市(現・北九州市八幡東区)に生まれた。八幡市立中央中学校と福岡県立八幡高等学校を卒業。1959年、日本大学芸術学部映画学科に入学。新映画研究会を立ち上げた。同時期に、VAN映画科学研究所を設立。 1961年の監督映画『椀』が学生映画祭大賞を受賞し、1963年の自主製作映画『鎖陰』でも脚光を浴びた。