三橋 和史(みはし かずし、1988年〈昭和63年〉12月2… 三橋 和史(みはし かずし、1988年〈昭和63年〉12月22日 - )は、日本の政治家、弁護士。奈良県香芝市長(1期)。元奈良市議会議員(1期)。 大阪府大阪市西区生まれ。2000年に大阪府八尾市から奈良県香芝市に転居する。香芝市立下田小学校、香芝市立香芝中学校、奈良県立奈良高等学校、明治大学政治経済学部政治学科卒業。大学では雄弁部に所属した。2011年、南都銀行入行。2014年に退職し奈良県庁入庁。 2017年の奈良市議会議員選挙に日本維新の会公認で立候補し、初当選する。翌年に維新を離党。 2021年、大阪大学大学院高等司法研究科修了。同年6月1日、任期満了に伴う奈良市長選(7月4日告示、11日投開票)への立候補を表明。
舟橋 和宏(ふなばし かずひろ、1988年3月24日 - )… 舟橋 和宏(ふなばし かずひろ、1988年3月24日 - )は、東京都出身の日本の弁護士(東京弁護士会所属)。芸能プロダクションELBS Entertainment所属。 芸能・エンターテインメントを多く扱うレイ法律事務所において、特にアニメーション・漫画に関連する法律問題等(事務所移籍・退所トラブル、誹謗中傷、著作権、商標権)を主要な業務分野とし、メディアからはエンタメ業界の問題に詳しい弁護士として紹介される。 アーティストグループ名が所属事務所ではなく当該メンバーらに帰属するとの判決を獲得。 被害者である女性声優の代理人を務め、被害者を特定することについて慎重な配慮を求めるといった声明を発表した。
井野 俊郎(いの としろう、1980年〈昭和55年〉1月8日… 井野 俊郎(いの としろう、1980年〈昭和55年〉1月8日 - )は、日本の政治家、弁護士。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、経済産業副大臣兼内閣府副大臣。 防衛副大臣兼内閣府副大臣、法務大臣政務官兼内閣府大臣政務官、自由民主党国会対策副委員長、伊勢崎市議会議員(1期)を歴任。 群馬県伊勢崎市生まれ(現住所は伊勢崎市田中町)。伊勢崎市立宮郷小学校、伊勢崎市立宮郷中学校卒業、東京農業大学第二高等学校、明治大学法学部卒業。 2004年、司法試験合格。2007年(平成19年)、弁護士登録。 2010年1月、伊勢崎市にて井野法律事務所を開設。同年4月、伊勢崎市議会議員選挙初当選。 2011年1月17日、自民党群馬県連が公募している群馬2区支部長の選考に応募。
横張 清威(よこはり きよたけ、1976年6月25日 - )… 横張 清威(よこはり きよたけ、1976年6月25日 - )は、日本の弁護士、公認会計士。 1976年、東京都葛飾区に生まれる。2000年に明治大学法学部を卒業し、翌2001年、司法試験に合格。2004年、東京弁護士会に所属、みらい総合法律事務所入所。2012年、公認会計士試験に合格、監査法人アヴァンティア入所。2016年、公認会計士登録、VOVAN & ASSOCIES(バンコク法律事務所)にパートナーとして参画。2018年、弁護士法人L&A設立。2019年、都築電気株式会社の社外監査役に就任。2021年、弁護士法人トライデント設立。2023年、令和5年度司法試験予備試験考査委員(民事訴訟法)就任。
宮崎 政久(みやざき まさひさ、1965年〈昭和40年〉8月… 宮崎 政久(みやざき まさひさ、1965年〈昭和40年〉8月8日 - )は、日本の政治家、弁護士。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、防衛副大臣兼内閣府副大臣。 衆議院経済産業委員長、厚生労働副大臣、法務大臣政務官を歴任した。弁護士法人那覇綜合代表弁護士。沖縄国際大学非常勤講師。姓の漢字の「崎」は正確には、立崎の「﨑」。 1965年(昭和40年)8月8日、長野県上田市に生まれる。父親の転勤に伴い、埼玉県立春日部高校を経て明治大学法学部法律学科に進学。大学卒業後の1992年(平成4年)に司法試験に合格し、司法修習生(47期)となった。 修習地として那覇地裁を選んだのを機に沖縄県に移住。県収用委員会委員長や各種訴訟の行政側代理人を務めた保守系弁護士の小堀啓介に師事し、2004年(平成16年)まで小堀啓介法律事務所(現在の琉球法律事務所)に勤務した。
平田厚(ひらた あつし、1960年5月- )は、日本の弁護士… 平田厚(ひらた あつし、1960年5月- )は、日本の弁護士・民法学者。明治大学教授。 鹿児島市生まれ。鹿児島県立鶴丸高等学校卒業、1985年東京大学経済学部卒業、1987年司法試験合格。1990年弁護士登録。 1996年ベルギー、ルーヴァン・カトリック大学留学、2004年明治大学法科大学院専任教授となる(民法担当)。 2012年日比谷南法律事務所を設立。
池本 誠司(いけもと せいじ、1955年 - )は、日本の弁… 池本 誠司(いけもと せいじ、1955年 - )は、日本の弁護士。消費者問題等を専門とし、消費者庁参与や、内閣府消費者委員会委員、埼玉弁護士会会長等を歴任。 1978年明治大学法学部卒業。1982年埼玉弁護士会弁護士登録。専門は消費者問題等で、埼玉弁護士会会長や、日本弁護士連合会消費者問題対策委員会委員長、東京都消費生活対策審議会会長代理、消費者庁参与、経済産業省産業構造審議会商務流通情報分科会割賦販売小委員会委員、内閣府消費者委員会委員、明治大学法学部非常勤講師、明治大学大学院法務研究科非常勤講師、国民生活センター客員講師等を歴任。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
鈴木 忠司(すずき ただし、1954年8月 - )は、日本の… 鈴木 忠司(すずき ただし、1954年8月 - )は、日本の弁護士。仙台弁護士会副会長、仙台家庭裁判所調停委員、加美町顧問弁護士、仙台弁護士会所属。 宮城県加美町出身。加美町立中新田中学校、宮城県古川高等学校を経て、1977年明治大学法学部法律学科卒業。 1991年(平成3年10月)司法試験合格。1993年(平成5年)司法修習修了、1994年(平成6年4月)仙台弁護士会に弁護士登録。鈴木・原田法律事務所に所属。2006年(平成18年4月)仙台家庭裁判所調停委員に就任。2009年(平成21年4月)仙台弁護士会副会長に就任。明治大学校友会宮城県支部会長。日本体育協会スポーツ少年団協力弁護士。加美町顧問弁護士。
木村 良二(きむら りょうじ、1950年10月15日 - )… 木村 良二(きむら りょうじ、1950年10月15日 - )は、日本の弁護士。横浜弁護士会会長や、日本弁護士連合会副会長や、関東弁護士会連合会理事長、法務省法制審議会委員等を歴任した。 神奈川県横須賀市生まれ。神奈川県立横須賀高等学校、明治大学法学部卒業。1980年横浜弁護士会弁護士登録。2006年横浜弁護士会会長。2007年横浜国立大学学術研究部会委員。2008年日本弁護士連合会副会長。2012年日本司法支援センター神奈川地方事務所所長、菱洋エレクトロ監査役。2015年法務省法制審議会委員。2017年日本弁護士政治連盟副理事長兼神奈川支部長。2019年から関東弁護士会連合会理事長を務め、入国管理政策への抗議声明を出すなどした。
田中 等(たなか ひとし、1950年7月28日 - )は、日… 田中 等(たなか ひとし、1950年7月28日 - )は、日本の弁護士。第一東京弁護士会会長や、日本弁護士連合会副会長、学校法人明治大学評議員、SUMCO取締役、東京エネシス取締役等を歴任した。 1973年明治大学法学部卒業。1976年弁護士登録。2005年SUMCO監査役。2009年第一東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長。2012年学校法人明治大学評議員。2014年東京エネシス取締役。2016年SUMCO取締役。2020年旭日中綬章受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
森 保彦(もり やすひこ、1945年2月14日 - )は、日… 森 保彦(もり やすひこ、1945年2月14日 - )は、日本の弁護士、馬主。 1945年、東京都出身。1967年に明治大学法学部を卒業し1972年に司法試験に合格、1975年に弁護士登録した。以降は日本弁護士連合会代議員、民事調停委員、学校法人いわき明星大学理事などを歴任し、現在は株式会社アイロムグループ法律顧問などを務める。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録している馬主としても知られる。勝負服の柄は桃、青十字襷、青袖桃一本輪、冠名には「タケル」を用いる。 2012年3月より一般社団法人東京馬主協会会長。また日本馬主協会連合会会長を2013年1月から2017年3月にかけて務めた。
漆原 良夫(うるしばら よしお、1944年〈昭和19年〉11… 漆原 良夫(うるしばら よしお、1944年〈昭和19年〉11月18日 - )は、日本の政治家、弁護士。愛称は「うるさん」。 衆議院議員(7期)、公明党国会対策委員長、公明党中央幹事会会長(初代)、公明党顧問などを歴任した。 新潟県出身。新潟県立三条高等学校卒業後に大学進学のために上京。大学時代は住み込みで新聞配達をしながら勉学に励み、明治大学法学部を卒業した。 1968年、23歳で司法試験に合格(司法修習23期。同期に仙谷由人がいる)。 1971年、東京弁護士会に弁護士登録を行い、弁護士として活動。 1996年10月の第41回衆議院議員総選挙に比例北陸信越ブロックから新進党公認で出馬し、初当選。
福島 啓充(ふくしま ひろみつ、1944年〈昭和19年〉 -… 福島 啓充(ふくしま ひろみつ、1944年〈昭和19年〉 - )は、日本の元検察官、弁護士。創価学会では、副会長などの役職を務めた。 明治大学付属明治高等学校を経て東京大学法学部を卒業。1965年に司法試験合格し、検察官(検事)に任官し、検察官を退官後に、1975年に弁護士となる。東京弁護士会会長、法律扶助協会理事などを歴任。新麹町法律事務所所長。 創価学会では、副会長などの役職を務めた。
細川 律夫(ほそかわ りつお、1943年〈昭和18年〉8月8… 細川 律夫(ほそかわ りつお、1943年〈昭和18年〉8月8日 - )は、日本の政治家、弁護士。 厚生労働大臣(第13代)、厚生労働副大臣(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣)、衆議院決算行政監視委員長、同環境委員長、衆議院議員(7期)、第89代裁判官弾劾裁判所長、民主党国会対策委員長代理などを歴任した。 高知県吾川郡吾北村(のちの高知県吾川郡いの町)出身。高知学芸高等学校を経て、1966年、明治大学法学部を卒業。卒業後、司法試験に合格し、1974年に弁護士登録(埼玉弁護士会)。1981年、越谷総合法律事務所を開設。大森勧銀事件の被告人の弁護を手がけ、冤罪を晴らし逆転無罪を勝ち取った。 その後、2回連続で総選挙に立候補するが落選。
熊﨑 勝彦(くまざき かつひこ、1942年〈昭和17年〉1月… 熊﨑 勝彦(くまざき かつひこ、1942年〈昭和17年〉1月24日 - 2022年〈令和4年〉5月13日)は、日本の検察官、弁護士(第一東京弁護士会)。検察官として最高検察庁公安部長、東京地方検察庁特別捜査部長(東京地検特捜部長)などを務め、退官後には第13代日本野球機構コミッショナーなどを務めた。位階勲等は従三位瑞宝重光章。 1942年(昭和17年)1月24日、岐阜県益田郡萩原町(現・下呂市)出身。岐阜県立益田高等学校(現・岐阜県立益田清風高等学校)、明治大学法学部を経て、旧司法試験に合格。1972年、30歳で検事任官。同期に大林宏(検事総長)、横田尤孝(最高裁判所判事)、中尾巧(大阪高等検察庁検事長)、三井環(大阪高等検察庁公安部長)などがいる。
熊崎 勝彦(くまざき かつひこ、1942年1月24日 - )… 熊崎 勝彦(くまざき かつひこ、1942年1月24日 - )は、日本の元検察官、弁護士(第一東京弁護士会)、熊崎勝彦綜合法律事務所 所長。元・最高検察庁公安部長。東京地方検察庁特別捜査部長(東京地検特捜部長)を経験している。吉本興業株式会社顧問。第13代日本野球機構コミッショナー。
内藤 功(ないとう いさお、1931年3月2日 - )は、日… 内藤 功(ないとう いさお、1931年3月2日 - )は、日本の弁護士、政治家。日本共産党所属の元参議院議員(2期)。日本共産党名誉幹部会顧問。日本平和委員会代表理事。自由法曹団本部常任幹事。 東京都中央区出身。1952年明治大学法学部卒業後、同大学講師にて教鞭を執りながら弁護士として活動。恵庭事件や砂川事件、長沼ナイキ基地訴訟など憲法裁判で弁護団に関わったほか、恵庭裁判の過程で統幕会議事務局長を法廷で証人喚問、自衛隊による有事研究(三矢研究)を明らかにしたことでも知られる。 1974年の参院選に全国区から立候補し初当選。2期12年参議院議員を務めたが、1989年の参院選で落選するとそのまま政界を引退する。
三浦 久(みうら ひさし、1931年1月1日 - 2024年… 三浦 久(みうら ひさし、1931年1月1日 - 2024年4月3日)は、日本の政治家、弁護士。元衆議院議員(日本共産党所属、通算5期)。日本共産党名誉幹部会顧問。 秋田県北秋田郡阿仁合町(阿仁町を経て現在は北秋田市)出身。1954年明治大学法学部を卒業後、弁護士となる。総評弁護団にて三井三池争議の弁護を担当していた縁で北九州市に居住、同地に弁護士事務所を開設。地元北九州市小倉北区(事件発生当時は小倉区)から西日本一帯に広まったカネミ油症事件では弁護団の副団長も務めた。 1971年の北九州市長選に社共共闘で出馬するも無所属現職の谷伍平(自民、民社推薦)に敗れる。翌年の総選挙で旧・福岡4区から出馬し初当選を果たす。
保住 昭一(ほずみ しょういち、1928年 - 2005年)… 保住 昭一(ほずみ しょういち、1928年 - 2005年)は、日本の法学者・弁護士。商法学者。明治大学名誉教授。福島県二本松市出身。 1953年司法試験合格。1954年明治大学法学部卒業。司法修習生。 1956年明治大学法学部助手。1958年明治大学法学部講師。1961年明治大学法学部助教授。1966年明治大学法学部教授。弁護士登録(第二東京弁護士会所属)。1971年西ドイツ・ハンブルク大学に留学。1976年明治大学法学部法律学科長。1984年明治大学法学部長。1999年明治大学定年退職。同名誉教授。 この他、明治大学評議員(1976年、1980年-1984年、1988年-1992年)、藤沢市情報公開審査会(1986年-1998年)も務めた。
鍛冶 良堅(かじ よしかた、1926年8月5日 - 2018… 鍛冶 良堅(かじ よしかた、1926年8月5日 - 2018年2月15日)は、日本の法学者、弁護士。明治大学名誉教授。家族法が専門。妻は鍛冶千鶴子。 東京生まれ。鍛冶良作の次男。明治大学法学部卒。明治大学法学部助教授、教授、1997年定年、名誉教授となる。弁護士。
寺沢 光子(てらさわ みつこ、1926年4月25日 - 20… 寺沢 光子(てらさわ みつこ、1926年4月25日 - 2001年7月16日)は、日本の弁護士。女性初の地方裁判所所長として、徳島地方裁判所所長、浦和家庭裁判所所長、横浜家庭裁判所所長等を歴任した。 1926年、出生。明治大学卒業後、弁護士となり、女性で初めて司法研修所の裁判官教官を務めた他、1983年に女性初の地方裁判所長として徳島地方裁判所長に就任した。その後、浦和家裁所長、横浜家裁所長、東京高裁部総括などを歴任、高裁判事として、多くの著名事件について判決を出した。 1996年。勲二等瑞宝章を受章。2001年、腸閉塞のため死去。75歳没。
鍛冶 千鶴子(かじ ちづこ、1923年7月31日 - 201… 鍛冶 千鶴子(かじ ちづこ、1923年7月31日 - 2018年4月8日)は、日本の弁護士、著作家。日本婦人法律家協会会長、国民生活センター会長、市川房枝記念会理事長などを務めた。 熊本県阿蘇古城村出身。両親は教師。1936年に熊本第二高等女学校入学、3年生のときに、日本初の女性弁護士が3人(中田正子、久米愛、三淵嘉子)誕生という新聞記事に接する。同年父親を亡くす。 1942年、当時としては女性に法律専門家としての教育を唯一行っていた明治大学専門部に入学。太平洋戦争の激化で一時帰郷した後、1947年に明治大法学部に入学。大学同級生だった鍛冶良堅(明治大教授)と1950年に結婚し、後に一児をもうけた。
金 正斗(キム・ジョンドゥ、朝鮮語: 김정두、1918年8月… 金 正斗(キム・ジョンドゥ、朝鮮語: 김정두、1918年8月2日 - 1985年4月5日)は、大韓民国の裁判官、弁護士、政治家。大邱弁護士会(現・大邱地方弁護士会)会長、第8代韓国国会議員、民権党総裁権限代行を歴任した。 本貫は慶州金氏。元ソウル高等法院院長の金東建(朝鮮語版)は娘婿、裁判官の潘侹佑は孫娘婿。 日本統治時代の慶尚北道高霊郡出身。京城第1高等普通学校(現・京畿高等学校)、1941年明治大学法科卒。1945年司法要員考試合格。1948年大邱地方法院(朝鮮語版)判事、1951年大邱高等法院(朝鮮語版)判事、大邱地方法院・ソウル高等法院(朝鮮語版)部長判事、1968年第21代大邱弁護士会(現・大邱地方弁護士会)会長、第8代国会議員、慶州金氏宗親会中央会副会長、崇恵殿陵保存会専務理事、新民党統一分科委員長・大邱東地区党委員長、民権党中央党事務総長・慶北第2地区党委員長・総裁代行を務めた。
李 炳夏(イ・ビョンハ、朝鮮語: 이병하、1913年11月1… 李 炳夏(イ・ビョンハ、朝鮮語: 이병하、1913年11月18日 - 2000年11月2日)は、大韓民国の政治家、裁判官、弁護士、公証人。第12代法務部長官、第4・5代韓国国会議員。 本貫は真城李氏(朝鮮語版)。号は暁汀、日本名は李家炳夏。 日本統治時代の慶尚北道聞慶郡出身。地元で普通学校を卒業後、1928年に京城に上京し雑貨店の店員を務めたが、1931年9月に内地に密航し、同年11月に大阪の日刊新聞の従業員に就職した。1933年4月には甲種中学校である大阪北洋商業学校の夜間部3年に編入し、1935年3月に卒業。同年4月に明治大学専門部法科夜間部に入学し、1938年に卒業した。卒業後はしばらく京城の三中井百貨店で経理・人事管理・商品購入担当職員を務め、1940年には三中井百貨店の東京支社に転職した。
中田 正子(なかた まさこ、明治43年〈1910年〉12月1… 中田 正子(なかた まさこ、明治43年〈1910年〉12月1日 - 平成14年〈2002年〉10月15日)は、日本の弁護士。日本初の女性弁護士の一人で、鳥取県弁護士会長、日本弁護士連合会理事などを歴任した。夫は中田吉雄元社会党参院議員。旧姓は田中。昭和25年に正子が鳥取市馬場町に開業した法律事務所は、初代鳥取市長となった岡崎平内の屋敷の応接間を使用していた。 明治43年(1910年)、東京市小石川区久堅町(現・東京都文京区小石川)に陸軍将校の父・田中國次郎(国次郎)と母・槙子の次女として生まれる。父の國次郎は憲兵少佐で、職業軍人の傍らシェークスピアを原語で読む好学の士であり、正子はこのような父の影響を受けて育った。
金 意俊(キム・イジュン、キム・ウィジュン、朝鮮語: 김의준… 金 意俊(キム・イジュン、キム・ウィジュン、朝鮮語: 김의준、1909年4月28日または1916年2月19日 - 1985年2月14日)は、大韓民国の裁判官、検察官、弁護士、政治家。第2・3・4代韓国国会議員。本貫は延安金氏(朝鮮語版)。 京畿道驪州郡出身。京城第一高普、明治大学法科卒、高等考試司法科合格。検察庁春川支院検事、ソウル地方法院判事、ソウル高等法院判事、驪州支院長を経て政界入りし、国会議員3期、国会法制司法委員長、高等考試委員、国連総会オブザーバー韓国代表、自由党中央党宣伝部長・党務委員を務めた。 5・16軍事クーデター以降は政界を引退し弁護士として活動したが、脳卒中が発病してからは子供たちがいるアメリカに移住した。
任 哲鎬(イム・チョロ、朝鮮語: 임철호、1905年6月12… 任 哲鎬(イム・チョロ、朝鮮語: 임철호、1905年6月12日または1908年 - 1990年8月19日または1999年8月19日)は、大韓民国の弁護士、政治家。第11代農林部長官、第4代韓国国会議員を歴任した。 忠清南道扶余郡出身。明治大学法学部卒。高等試験司法科合格。弁護士、中央女子中高等学校財団理事、豊文女子中高等学校財団理事、大韓民国考試行政法・憲法担当委員、李承晩大統領法律秘書官、農林部次官、韓日会談代表(1951年)、自由党ソウル市副委員長・中央党組織部長・中央委員会副議長(1952年)、第11代農林部長官(1955年)、大韓蚕糸会長、国会議員・副議長などを歴任した。1950年代後半は李起鵬の側近で、李の後任の国会議長に取り沙汰されたが、副議長在任中に発生した4・19革命以降は不正選挙関連の反革命勢力として糾弾され、5・16軍事クーデター以降は革命裁判によって拘束・投獄された。
小林 正基(こばやし まさもと、1905年〈明治38年〉1月… 小林 正基(こばやし まさもと、1905年〈明治38年〉1月20日 - 1978年〈昭和53年〉10月27日)は、昭和時代の警察官・弁護士。 1905年1月、北海道空知郡中富良野村で小林権三郎の子として生まれる。1929年に高等試験行政科に合格。神奈川県巡査を拝命。1931年、明治大学法学部を卒業し、神奈川県警部補、神奈川県警部を経て1933年、高等試験司法科に合格。秦野警察署長、藤沢警察署長、神奈川県警察部保安課長、石川県警察部警務課長兼警防課長、福岡県警察部警務課長、海軍司政官、ボルネオ民政部に勤務。内務事務官、兵庫県警察部刑事課長、兵庫県警察部警務課長、青森県警察部長を歴任。1948年3月に横浜市警察局長に就任し、これをもって退官。
石渡 満子(いしわた みつこ、1905年(明治38年)1月1… 石渡 満子(いしわた みつこ、1905年(明治38年)1月13日 - 1974年(昭和49年)8月27日)は、日本の裁判官、弁護士。女性として日本で最初に裁判官となった。 神奈川県(京都府との説もある)にて、旧名主であり官吏の家の4人姉妹の長女として出生。1922年東京女子高等師範学校附属高等女学校本科卒業、1926年東京女子高等師範学校卒業。卒業と同時に結婚する。8年後に離婚し、法曹を志し、明治大学に進学し、1944年に卒業。1945年司法試験に合格。1948年婦人法律普及会を結成。 1949年女性初の判事補として東京地方裁判所に赴任。1950年婦人人権擁護同盟を組織。1961年判事となり、関東各地の地方裁判所に赴任。
山田 丈夫(やまだ たけお、1904年〈明治37年〉3月31… 山田 丈夫(やまだ たけお、1904年〈明治37年〉3月31日 – 1971年〈昭和46年〉1月19日)は、日本の弁護士・実業家。 1904年(明治37年)3月31日、岐阜県岐阜市に生まれた。岐阜県岐阜中学校の同期には、岐阜市長を務めた松尾吾策などがおり、松尾とは大学も一緒だった。 1927年(昭和2年)に明治大学法学部を卒業し、1928年(昭和3年)に弁護士を開業した。1943年(昭和18年)には岐阜県弁護士会会長に就任した。 1946年(昭和21年)、『東海夕刊新聞』を創刊して自身が社長に就任した。1954年(昭和29年)、『岐阜タイムス』(現・『岐阜新聞社』)の社長に迎えられると、1959年(昭和34年)には社名を岐阜日日新聞社に変更し、1960年(昭和35年)には紙名を『岐阜日日新聞』に変更した。
岩澤 誠(いわさわ まこと、1902年(明治35年)11月9… 岩澤 誠(いわさわ まこと、1902年(明治35年)11月9日 - 1984年(昭和59年)5月6日)は、日本の弁護士、学校経営者。札幌弁護士会会長。学校法人札幌大学理事長。 千葉県出身。万治郎の次男。 1927年(昭和2年)明治大学法科卒業。北海道庁に入る。 1932年(昭和7年)弁護士を開業。札幌法務局、北海道石炭鉱業連盟、札幌信用組合、東銀、北海道石炭、日本ゴム、北海道購買農協連、北海道販売農協連、北海道漁業協組連合、各顧問となる。1953年(昭和28年)日弁連副会長に就任。 趣味は野球、写真。宗教は真言宗。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
野間 繁(のま しげる、1902年10月15日 - 1978… 野間 繁(のま しげる、1902年10月15日 - 1978年8月12日)は、日本の法学者、裁判官、弁護士。明治大学名誉教授。民事訴訟法が専門。勲二等正四位。 1902年、広島県広島市生まれ。1921年明治大学予科に入学。雄弁部に所属する。1926年明治大学法学部を卒業。卒業後は裁判官となり、東京区裁判所判事、東京地方裁判所部長判事、函館地方裁判所部長判事、東京控訴院判事・勅任部長、裁判官訴追委員会事務局長を歴任、1958年に退官。 1947年、「上訴法の基礎理論」を明治大学に提出して法学博士号を取得。1958年明治大学教授となる。國學院大學教授も兼任。1974年、明治大学を定年退職し、名誉教授となった。
渡部 喜十郎(わたなべ きじゅうろう、1902年(明治35年… 渡部 喜十郎(わたなべ きじゅうろう、1902年(明治35年)3月20日 – 2004年(平成16年)10月11日)は、日本の弁護士、第22代日本弁護士連合会会長。 1902年、愛媛県温泉郡難波村(現・松山市)にて出生。 1920年、北予中学卒業後、上京し働きながら明治大学にて学ぶ。 1929年、高等試験司法科に合格。弁護士となる。 1966年、東京弁護士連合会会長に就任。 1968年、東京都弁護士協同組合の設立を提唱し、初代理事長に就任。 1971年、日本弁護士連合会会長に就任。 1984年、全国弁護士協同組合連合会の初代理事長に就任。 2004年、死去。102歳。
趙 柱泳(チョ・ジュヨン、朝鮮語: 조주영、1900年3月1… 趙 柱泳(チョ・ジュヨン、朝鮮語: 조주영、1900年3月11日 - 1976年11月25日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の弁護士、警察官僚、政治家。第4代逓信部長官、第2代韓国国会議員。キリスト教徒。 慶尚南道南海郡出身。明治大学法学部卒。日本弁護士試験合格。朝鮮興業銀行監査役を経て、光復後は警務部総務局局長、警務部監察長、弁護士会委員を務め、1950年の第2代総選挙で南海郡選挙区から無所属で国会議員に当選した。同年の朝鮮戦争で北朝鮮に拉致されたという説もあるが、その後は国会法司委員、鄭国殷(朝鮮語版)事件調査委員、交通部顧問、逓信部長官を歴任した。1954年の第3代総選挙と1958年の第4代総選挙にも出馬したが、いずれも落選した。
鈴木 信雄(すずき のぶお、1898年〈明治31年〉1月4日… 鈴木 信雄(すずき のぶお、1898年〈明治31年〉1月4日 - 1979年〈昭和54年〉6月15日)は、日本の弁護士、政治家、実業家。勲等は勲三等。位階は従四位。 弁護士としては1921年(大正10年)の登録から50年以上に渡って活動し、その間に生地静岡県における三百屋の規制や被疑者の人権擁護などに役割を果たした。政治家としては戦前に立憲政友会の所属で静岡市議、静岡県議を務め、戦後も県政において保守派の重鎮として影響力を保った。その他、1976年(昭和51年)に設立された静岡県民放送の初代社長を務めるなど、県の行政分野にも影響を残している。 1898年(明治31年)1月4日、静岡県小笠郡笠原村の裕福な農家に生まれる。
名川 保男(ながわ やすお、1896年(明治29年)3月25… 名川 保男(ながわ やすお、1896年(明治29年)3月25日 - 1975年(昭和50年)5月25日)は、日本の弁護士、東京弁護士会会長、国家公安委員会委員長代理、明治大学専務理事、東京音楽大学理事長。 衆議院議員、鉄道政務次官、第一東京弁護士会会長を務めた名川侃市の弟。 広島県生まれ。1919年(大正8年)明治大学法学部卒業。1922年(大正11年)千葉地方裁判所判事に任官。1927年(昭和2年)に弁護士となる。事務所は京橋区銀座。 帝人事件、炭鉱国管疑獄、昭和電工事件、日殖事件、造船疑獄といった汚職事件の弁護人を務めた。 1955年(昭和30年)東京弁護士会会長に就任。日本弁護士連合会副会長を務めた。
四宮 久吉(しのみや ひさきち、1895年9月8日-1980… 四宮 久吉(しのみや ひさきち、1895年9月8日-1980年11月10日)は、日本の政治家であり弁護士。徳島県石井町出身。位階および勲等は、従四位・勲二等。 医師の書生として明治大学を卒業後、弁護士となる。 東京府会議員(3期)、東京都議会議員(文京区選出・5期)、東京都議会議長、全国都道府県議会議長会会長をへた後鳩山一郎の後見を得て、文京区で衆議院議員として第30回衆議院議員総選挙に出馬し当選。第31回までの6年間を衆議院議員として国政に携わる。この間、青色申告や戦後帰還事業、競艇事業の推進に貢献し、中曽根康弘の最初の派閥メンバーとして参画したのちに引退。 最終的に都議会議員時代に秘書であった深谷隆司に議席を譲る。
韓 根祖(ハン・グンジョ、朝鮮語: 한근조/韓根祖、1895… 韓 根祖(ハン・グンジョ、朝鮮語: 한근조/韓根祖、1895年7月19日 - 1972年2月8日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の弁護士、政治家、実業家。平壌市長、第4・5・6代韓国国会議員を歴任した。 本貫は清州韓氏。カトリック教徒。 平安南道江西郡出身、本籍はソウル。1921年明治大学法学部卒。翌年の弁護士試験合格後は平壌で弁護士として活動し、平壌弁護士会長を経て、大東亜戦争勃発以降は農村に隠居した。光復後は平壌市長、平安南道政治委員を務めた。その後は越南し、米軍政庁大法院大法官、司法部法務次長、曺晩植が率いる朝鮮民主党の副党首・最高委員、憲法起草専門委員、司法科・行政科考試委員、高等選考委員、弁護士試験委員、韓国日報社社長、民主党中央常任委員会議長・ソウル鍾路乙区党委員長を務めた。
永田 安太郎(ながた やすたろう、1895年(明治28年)7… 永田 安太郎(ながた やすたろう、1895年(明治28年)7月15日 – 1955年(昭和30年)5月13日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(1期)、愛知県会議長、愛知県会議員(4期)などを歴任した。 愛知県碧海郡長瀬村大字橋目字毘沙門(現岡崎市)に永田半兵衛の次男として生まれた。安城農林学校を卒業後、家事の農業に従事していたが、明治大学専門部法律学科に入学した。1917年(大正6年)7月、同大学を卒業。1922年(大正11年)に弁護士試験に合格し弁護士を開業した。1937年(昭和12年)には名古屋弁護士会長に就任した。 1927年(昭和2年)9月25日の愛知県会議員選挙に碧海郡選挙区から立憲民政党公認で出馬し初当選。
井川 伊平(いかわ いへい、1895年(明治28年)3月18… 井川 伊平(いかわ いへい、1895年(明治28年)3月18日 - 1979年(昭和54年)11月2日)は、日本の政治家、弁護士。参議院議員(2期)。 徳島県出身。1921年、明治大学法学部卒業。1923年、札幌市で弁護士事務所を開業。その後、札幌市議会議員(3期)、北海道議会議員(6期)を務め、1951年に北海道議会副議長に就任(1期、当時は国民民主党に所属)。1955年、市議や道議として公共の福祉に奉仕した地方自治発展の功労により藍綬褒章受章。 1959年の第5回参議院議員通常選挙と1965年の第7回参議院議員通常選挙において北海道選挙区より当選(自由民主党)。参議院議員を2期に亘って務め、北海道開発政務次官などに就いた。
鍛冶 良作(かじ りょうさく、1895年〈明治28年〉2月2… 鍛冶 良作(かじ りょうさく、1895年〈明治28年〉2月20日 - 1980年〈昭和55年〉6月8日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(7期)。 富山県下新川郡生地町(現黒部市)出身。1915年に上京して谷欽太郎の書生となる。その後明治大学に入学して雄弁部に所属したが、部内の社会主義論になじめず退部し、「桜桂会」というグループを結成して雄弁部に対抗した。 1921年に明治大学を卒業。翌年神田区会議員となり、1947年、富山一区から衆議院議員に初当選し、以降7期務め、法務政務次官、大蔵政務次官などを歴任。1960年、裁判官弾劾裁判所裁判長に就任。1965年秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章。1970年秋の叙勲で勲一等瑞宝章。
原 淳一郎(はら じゅんいちろう、1894年〈明治27年〉1… 原 淳一郎(はら じゅんいちろう、1894年〈明治27年〉10月30日 - 1975年〈昭和50年〉6月2日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(2期)。板垣退助先生顕彰会創立発起人兼顧問。 高知県安芸郡田野村(現田野町)で生まれた。1919年明治大学法律科卒。弁護士となる。兵庫県議、同参事会員、神戸市議、同参事会員、神戸弁護士会副会長となる。高知電気工業、国策化学工業、神戸機械工作所各(株)取締役、(株)播磨造船所監査役、神陽汽船、大陸鉱業、秋岺鉱業、三陽工業、三陽精機、太平金属各(株)社長、ラジオ高知初代社長、高知放送取締役となる。 1932年の第18回衆議院議員総選挙において兵庫2区(当時)から立憲民政党公認で立候補して当選。
長井 源(ながい げん、1894年(明治27年)8月13日 … 長井 源(ながい げん、1894年(明治27年)8月13日 - 1966年(昭和41年)9月19日)は、日本の政治家、弁護士。三重県飯南郡粥見町(現松阪市)出身。戦前の大日本帝国の帝国議会の民政党衆議院議員。戦後の日本進歩党・改進党・日本民主党・自由民主党の衆議院議員。 三重師範学校(現在の三重大学)を卒業した。三重県内の尋常小学校の教員を経て、法律を学ぶため1923年(大正12年)明治大学法学部法律学科を卒業した。高等文官試験をパス(合格)した。衆議院議員に初当選する前のキャリアとして、弁護士、松阪市会議員、三重県会議員、第33代三重県会副議長(昭和8年11月~昭和10年10月在任)を務めた。
水野 東太郎(みずの とうたろう、1894年 - 1980年… 水野 東太郎(みずの とうたろう、1894年 - 1980年)は、日本の弁護士。第8代日本弁護士連合会会長。 1894年、愛知県出身。 明治大学卒業後、弁護士となり、東京弁護士連合会会長、日本弁護士連合会会長などを歴任した。 また、明大法学部では、身分法を講じ、理事長にも就任した他、国際親善病院理事長なども務めた。 1980年、死去。勲二等。
山本 粂吉(やまもと くめきち、1893年(明治26年)7月… 山本 粂吉(やまもと くめきち、1893年(明治26年)7月25日 - 1974年(昭和49年)2月17日)は、日本の政治家、弁護士。旧姓は瀬尾。 茨城県新治郡小幡村(現石岡市)に茨城県士族瀬尾由三郎の息子として生まれた。絶家となっていた山本家の家督を継ぎ、台湾公学校教諭を務めた後に明治大学法科専門部を卒業。弁護士となって東京弁護士会副会長や司法省委員を歴任する傍ら、台湾の板橋林家の法律顧問にもなっている。 1936年の第19回衆議院議員総選挙に旧茨城3区から立憲民政党公認で立候補し当選。政党解消後の翼賛選挙では翼賛政治体制協議会の推薦候補として当選。翼賛議会においては戦時刑事特別法改正法律案委員会の理事を務めた。
押川 定秋(おしかわ さだあき、1890年(明治23年)5月… 押川 定秋(おしかわ さだあき、1890年(明治23年)5月17日 – 1951年(昭和26年)5月10日)は、日本の弁護士、衆議院議員(民主党)。 宮崎県児湯郡高鍋町出身。定澄の三男。独習にて普通学を修め、1914年、郷里高鍋を出て上京して苦学力行しつつ1917年(大正6年)、明治大学法科を卒業、同年弁護士を開業した。 東京府会議員、同市部会議長に選出された。また神奈川県農機具工業組合理事長、同農機具工業統制組合理事長、同農機具工業協同組合理事長を務めた。 1947年(昭和22年)の第23回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。その他、細王舎工場合資会社代表社員を務めた。 宗教は神道。趣味は政治。 宮崎県児湯郡高鍋町、東京市小石川区同心町
吉田 安(よしだ あん、1890年〈明治23年〉2月21日 … 吉田 安(よしだ あん、1890年〈明治23年〉2月21日 - 1975年〈昭和50年〉3月21日)は、日本の政治家、弁護士。位階は従四位。勲等は勲三等旭日中綬章。 熊本県出身。1916年(大正5年)、明治大学専門部法律科卒業。司法官試補の後、弁護士となる。熊本県会議員、熊本市会議員、参事会員を務めた。第19回衆議院議員総選挙と第20回総選挙は立憲民政党で、第21回総選挙は無所属で立候補したが、いずれも落選している。1946年(昭和21年)の第22回総選挙において熊本県から立候補して衆議院議員に初当選。当選4回。日本進歩党、民主党、国民民主党、改進党、日本民主党などに所属し、役職を歴任。第1次吉田内閣で司法参与官、第3次吉田内閣で郵政政務次官などを務めた。
古屋 貞雄(ふるや さだお、1889年(明治22年)12月2… 古屋 貞雄(ふるや さだお、1889年(明治22年)12月20日 - 1976年(昭和51年)1月4日)は、日本の政治家、弁護士、社会運動家。 山梨県東山梨郡七里村下於曽(現・甲州市)出身。1919年、明治大学法科専門部特科卒業。山梨県で小作人組合を組織し、日本農民組合の役員となる。1921年、自由法曹団の弁護士となり、各地の労農運動を支援した。朝鮮や台湾でも弁護士活動を行った。 戦後、自由法曹団、日本社会党に参加。1952年10月、第25回衆議院議員総選挙に山梨県全県区から出馬して当選し、以後第27回総選挙まで連続3回の当選を果たした。 1955年には、古屋を団長とする国会議員訪朝団で北朝鮮を訪問し金日成と会見。
太田 耕造(おおた こうぞう、1889年(明治22年)12月… 太田 耕造(おおた こうぞう、1889年(明治22年)12月15日 - 1981年(昭和56年)11月26日)は、日本の弁護士・政治家・教育者。亜細亜大学の実質的創立者の一人。 旧二本松藩の豪商・勢州屋八代長左衛門より分家し、金融機関の相生社(あいおいしゃ)結社に参画した太田貞郎の4男として福島県で生まれる。日本基督一致教会福島教会(現、日本基督教団福島教会)で洗礼を受け、キリスト教青年運動に従事。牧師を志し上京、聖学院神学校に入学するが、法律家・政治家に進むことを決意。東京中学卒業時に高等学校受験に失敗し、明治大学法学部を経て、第四高等学校、東京帝国大学法学部英法科を卒業し弁護士となる一方、民族主義運動に傾注。
小河 虎彦(おがわ とらひこ、1888年〈明治21年〉4月1… 小河 虎彦(おがわ とらひこ、1888年〈明治21年〉4月1日 - 1975年〈昭和50年〉5月8日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(1期)。旧姓・合屋。 大分県速見郡日出村(現日出町)で、合屋家次の二男として生まれ、弁護士・小河源一の養子となる。1911年(明治44年)明治大学法律科卒。司法官試補となり、弁護士の業務に従事する。山口地方裁判所所属弁護士会会長、山口県議となる。 1930年(昭和5年)第17回衆議院議員総選挙において山口2区から立憲民政党公認で立候補したが落選した。1934年(昭和9年)の山口2区の補欠選挙で民政党公認で立候補して当選する。衆議院議員を1期務めた。1936年(昭和11年)第19回総選挙で落選した。