谷田 大輔(たにだ だいすけ、1942年 - )は、日本の実… 谷田 大輔(たにだ だいすけ、1942年 - )は、日本の実業家。株式会社タニタ元代表取締役会長、元社長、経営コンサルタント。 1942年、東京都生まれ。1965年3月、立教大学経済学部卒業。同年4月、東邦ダイカスト株式会社入社。 1966年、タニタ製作所(現・株式会社タニタ)に入社。大阪営業所長、取締役開発部長等を経て、1987年、株式会社タニタ代表取締役社長に就任。 父から引き継いだ同社は3期連続の赤字の状態で、経営を立て直し、組織を活性化するため、「選択と集中」をキーワードとして経営を行った。「ヘルスメーター」で世界一になるという目標を掲げ、体重のメカニズムの研究を進め、新製品の開発・販売を行うとともに、工場を移転して生産コストを下げていく。
坪野谷 雅之(つぼのや まさゆき、1942年 - )は、日本… 坪野谷 雅之(つぼのや まさゆき、1942年 - )は、日本の実業家、教育者。住信アセットマネジメント株式会社(現・三井住友トラスト・アセットマネジメント)元代表取締役社長、住友信託銀行(現・三井住友信託銀行)元常務取締役、非営利活動法人Mother's Tree Japan理事長、立教大学元総長補佐、立教セカンドステージ大学元講師・サポートセンター元副所長、立教大学大学院ビジネスデザイン研究科元講師、山梨英和大学元講師。 1965年、立教大学経済学部経済学科卒業。大学卒業後、住友信託銀行(現・三井住友信託銀行)入行。 同行香港金融現地法人、ロンドン証券現地法人で10年を超える海外勤務を経験した後、金融法人部、年金業務部、名古屋支店を経て、同行常務取締役に就任。
金子 詔一(かねこ しょういち、1942年 - 2025年4… 金子 詔一(かねこ しょういち、1942年 - 2025年4月1日)は、日本の作詞家・作曲家、英語教育者、実業家。日本の歌百選に選ばれた「今日の日はさようなら」の作詞・作曲者。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
高田 茂行(たかだ しげゆき、1941年11月5日 - )は… 高田 茂行(たかだ しげゆき、1941年11月5日 - )は、日本の実業家。日本におけるリゾートホテル営業の先駆者。 父親はジャーナリストの高田秀二。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
高橋 一郎(たかはし いちろう、1941年(昭和16年)10… 高橋 一郎(たかはし いちろう、1941年(昭和16年)10月27日 - 2010年(平成22年)12月11日)は、日本の実業家。東急ストア代表取締役社長。 神奈川県出身。1964年立教大学経済学部卒業後、東京急行電鉄入社。 1967年東光ストア入社。1981年東急ストア取締役。1984年東急ストア常務取締役。1997年東急ストア専務取締役。2000年東急ストア代表取締役。2003年東急ストア代表取締役副社長。2005年東急ストア代表取締役社長。 2008年に株式交換により東京急行電鉄の完全子会社化し、2009年には東急ストア取締役相談役に退いた。 2010年急性肺炎のため死去。享年69。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
麻生 潔(あそう きよし、1941年10月 - )は、日本の… 麻生 潔(あそう きよし、1941年10月 - )は、日本の実業家、カネコ種苗株式会社元代表取締役社長。 1941年10月、神奈川県生まれ。1965年、立教大学法学部卒業。 1973年、カネコ種苗株式会社入社。 1982年、種苗営業部緑飼部長、1983年、取締役緑飼部長、1987年、常務取締役、1993年、専務取締役就任。 2004年、代表取締役社長就任。 社長在任時には、住友化学と肥料の表面をポリウレタン樹脂でコーティングした被覆肥料「ベストマッチ」を共同開発し、肥料分野へ進出するなどの多角化を進めた。肥料は、多すぎても少なすぎても作物を枯らせてしまい、理想は作物の生育に沿って肥料を効かせることだと言われる。
渡邉 新(わたなべ あらた、1941年3月20日 - )は、… 渡邉 新(わたなべ あらた、1941年3月20日 - )は、日本の実業家、アルフレッサホールディングス株式会社元代表取締役会長、元社長 1941年3月20日、北海道生まれ。1963年3月、立教大学経済学部卒業。同年4月、武田薬品工業株式会社入社。 1998年12月、福神株式会社(現・アルフレッサ株式会社)入社。 2001年6月、同社常務取締役経営企画部長、2002年6月、取締役専務執行役員、2003年9月、専務取締役、2004年6月、取締役副社長就任。 2006年6月、アルフレッサホールディングス株式会社代表取締役社長就任。2009年4月、同社代表取締役会長就任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
伊部 幸顕(いべ さちあき、1941年3月17日 - )は、… 伊部 幸顕(いべ さちあき、1941年3月17日 - )は、日本の実業家、ゼリア新薬工業株式会社代表取締役会長兼CEO。 1941年3月17日生まれ。東京都出身。立教大学卒業[要出典]。 ゼリア新薬工業株式会社入社後、1972年3月、同社取締役に就任。 1978年4月、常務取締役、1981年4月、代表取締役専務取締役を歴任後、1982年4月、代表取締役社長に就任。2014年6月、代表取締役会長兼CEOに就任。 社長就任以来、消化器系領域に特化した医療用医薬品事業と、特長ある製品群を主体としたコンシューマーヘルスケア事業を両輪に据え、さらにグローバル展開を推進した積極的な経営で事業拡大と企業体質の強化に努め、将来に向けた発展基盤を作ってきた。
高井 英幸(たかい ひでゆき、1941年(昭和16年)2月2… 高井 英幸(たかい ひでゆき、1941年(昭和16年)2月24日 - )は、日本の映画プロデューサー、実業家。東宝社長、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事、ユニジャパン理事長などを務めた。東京都出身。
奥原 國雄(おくはら くにお、1941年〈昭和16年〉1月1… 奥原 國雄(おくはら くにお、1941年〈昭和16年〉1月10日 - )は、日本の実業家。ケムコ商事代表取締役会長。 広島県呉市出身。広島県呉阿賀高等学校卒業。1963年、立教大学経済学部卒業。1978年、呉青年会議所第26代理事長。1992年、コトブキ技研工業社長に就任する。 趣味はゴルフ、囲碁。住所は広島県呉市和庄登町、西中央5丁目。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
糸魚川 順(いといがわ じゅん、1941年1月8日 - )は… 糸魚川 順(いといがわ じゅん、1941年1月8日 - )は、日本の実業家、立教学院元理事長、立教女学院元理事長、聖路加国際大学元理事長、日本興業銀行元常務取締役。 1941年1月8日 - 北海道生まれ 1964年3月 - 立教大学経済学部卒業。同年4月日本興業銀行入行、シンガポール支店長やアジア部長を歴任。 1992年 - ハーバード大学AMP修了 1993年 - 日本興業銀行取締役福岡支店長 1994年 - 常務取締役 2000年 - 興銀リース株式会社副社長 2004年 - 興銀リース株式会社副社長退任、第一生命保険相互会社顧問 2007年 - 学校法人立教学院理事、理事長 2010年 - 第一生命保険相互会社顧問退任、財団法人聖路加国際病院理事 2014年 - 立教学院理事長退任、学校法人聖路加国際大学理事 2016年 - 学校法人聖路加国際大学理事長 2017年 - 学校法人立教女学院理事[要出典] 2018年 - 学校法人立教女学院理事長[要出典]
成田 純治(なりた じゅんじ、1940年11月18日 - )… 成田 純治(なりた じゅんじ、1940年11月18日 - )は博報堂代表取締役社長。東京都出身。
山内 豊彦(やまのうち とよひこ、1940年10月22日 -… 山内 豊彦(やまのうち とよひこ、1940年10月22日 - 2022年6月17日)は、日本の実業家、元記者。一般社団法人共同通信社元社長、元顧問、公益社団法人日本広告審査機構(JARO)元理事長。 1940年、静岡県生まれ。1963年3月、立教大学経済学部卒業。同年4月、共同通信社入社。編集局経済部長、編集局長、業務局長などを経て2000年から専務理事、2002年10月から社長代行・専務理事。2002年12月、社長就任。2005年、社長を退任した後、顧問に就任。 2012年6月、公益社団法人日本広告審査機構(JARO)理事長に就任。2018年6月、JARO理事長を退任。 2021年6月まで公益財団法人同盟育成会の理事長も務めた。
堀 由紀子(ほり ゆきこ、1940年7月22日 - 2023… 堀 由紀子(ほり ゆきこ、1940年7月22日 - 2023年11月29日)は、日本の実業家。新江ノ島水族館名誉館長、世界淡水魚園水族館名誉館長、日本ユネスコ国内委員会委員。義父(夫の父)は堀久作。 1940年、藤井丙午の娘として生まれる。政治家・藤井孝男(丙午の三男)の姉。 1947年、立教女学院小学校へ入学。1959年、立教女学院高等学校卒業。1963年、立教大学社会学部卒業。大学ではモダンジャズソサイアティ同好会を作るとともに、立教大学英語会(ESS)で活動した。大学在学中の1962年に、日活の御曹司、堀雅彦と結婚する。 1974年、義父の堀久作(元日活社長)が残した株式会社江ノ島水族館の代表取締役社長に就任する。
古川 晶章(ふるかわ まさあき、1940年3月3日 -201… 古川 晶章(ふるかわ まさあき、1940年3月3日 -2012年10月13日 )は、日本の実業家、豊田通商株式会社元代表取締役会長、社長、相談役。2011年、旭日重光章。 1940年3月3日、福岡県北九州市生まれ。1962年3月、立教大学経済学部卒業。 1962年4月、豊田通商株式会社入社。1987年6月、同社取締役就任、1993年6月、常務取締役、1997年6月専務取締役、1999年6月取締役副社長。 2001年6月、代表取締役社長就任、2005年6月、取締役会長、2010年6月相談役。 2010年4月、フィリピン共和国「THE ORDER of SIKATUNA国家勲章」受章。翌2011年6月、旭日重光章受章、フランス「レジオンドヌール勲章シュバリエ」受章。
小島 康宏(こじま やすひろ、1940年 - )は、日本の実… 小島 康宏(こじま やすひろ、1940年 - )は、日本の実業家。株式会社タカラ(現・タカラトミー)元専務、同社元マーケティング本部長、財団法人日本玩具文化財団専務理事、株式会社高砂商事代表取締役。「リカちゃん」人形初代開発担当者・育ての親。 1940年、東京都葛飾区生まれ。1963年、立教大学卒業後、株式会社タカラ(現・タカラトミー)の前身であるタカラビニールに入社。 「リカちゃん」人形の初代開発者を務め、商品化に向けて取り組む。初代「リカちゃん」発売年の1967年(昭和42年)には、旧タカラ本社近くの柴製作所に製造依頼したが、工場が手一杯で生産できず、当時多角化経営を進めていたタイヘイ株式会社に依頼し、製造が開始されることとなった。
俣木 盾夫(またき たてお、1939年3月2日 - ) は、… 俣木 盾夫(またき たてお、1939年3月2日 - ) は、日本の実業家。大手広告代理店・電通グループの代表取締役会長。鹿児島県出身。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
青山 英男(あおやま ひでお、1939年2月16日 - )は… 青山 英男(あおやま ひでお、1939年2月16日 - )は、日本の税理士、実業家、会計学者(財務会計学)。税理士法人青山&パートナーズ代表、LCホールディングス株式会社取締役会長、株式会社ロジコム取締役会長、静岡県立大学名誉教授。 青山会計事務所所長(初代)、大阪学院大学商学部講師、大阪学院大学経済学部教授、静岡県立大学経営情報学部教授、株式会社ロジコム代表取締役社長(初代)、静岡県立大学大学院経営情報学研究科研究科長(初代)、松蔭大学経営文化学部教授などを歴任した。 立教大学経済学部を卒業し、立教大学大学院在籍中に税理士試験、公認会計士試験二次試験に合格した。 大阪学院大学に採用され、商学部の講師や経済学部の教授を務めた。
天野 治郎(あまの じろう、1939年 - )は、日本の実業… 天野 治郎(あまの じろう、1939年 - )は、日本の実業家。新光三越元社長・総経理、三越(現・三越伊勢丹ホールディングス)元本社宣伝部長、パリ三越元支配人、株式会社V.P.A.代表取締役。 1939年、神奈川県横浜市生まれ。1963年、立教大学経済学部卒業。同年、株式会社三越(現・株式会社三越伊勢丹ホールディングス)に入社し、本店婦人服部に配属される。 1975年、パリ三越の支配人としてフランスに駐在。1981年、同社本社営業統括室部長、本社宣伝部長、本社総合企画部長などを兼務する。当時社長で三越の天皇と呼ばれた岡田茂の側近であった。 1982年、「三越事件」により岡田が社長を解任されると、同社大阪支店婦人子供用品部副部長へ異動。
小田 真弓 (おだ まゆみ、1938年9月17日 - )は、… 小田 真弓 (おだ まゆみ、1938年9月17日 - )は、日本の実業家、和倉温泉・加賀屋女将、「現代の名工」受賞者。 1938年、東京都生まれ。1961年3月、立教大学文学部卒業後、加賀屋の小田禎彦(現・相談役)と結婚し、1962年加賀屋に入社。1963年同社取締役、1979年に常務取締役就任。女将として現在に至る。2018年、「現代の名工」を受賞。
平林 武昭(ひらばやし たけあき、1938年4月23日 - … 平林 武昭(ひらばやし たけあき、1938年4月23日 - )は、日本の実業家、日本システム技術株式会社(JAST)代表取締役社長。 1938年(昭和13年)4月23日生まれ。1962年(昭和37年)3月、立教大学経済学部経済学科卒業。 大学卒業後、石川島播磨重工業(現・IHI)に入社。システムエンジニアを務め、米国から日本へ生産管理技術を持ち込む。 その後、工程管理システムの開発を進めて成果を上げ、ソフトウエアに無限の可能性を感じて同社を退社する。 1970年(昭和45年)、大阪万博のプロジェクトに参画し、先進的な工程管理システムの構築に関与し、1973年(昭和48年)3月、7人の陣容で日本システム技術株式会社(JAST)を設立し、代表取締役社長に就任。
天野 宏(あまの ひろし、1938年4月7日 - 2022年… 天野 宏(あまの ひろし、1938年4月7日 - 2022年2月26日)は、日本の実業家、呉羽化学工業株式会社(現・株式会社クレハ)元代表取締役会長・元社長。 1938年4月7日生まれ。立教大学卒業。 呉羽化学工業株式会社(現・株式会社クレハ)に入社。生活関連事業部長など、商品畑を歩んだ。 1997年、同社代表取締役社長就任。2003年6月、代表取締役会長就任。 経営者として、つくれば売れる時代が終焉を迎え、モノ余りの時代になる中で、これまで"技術のクレハ"と言われメーカーオリエンテッドの文化があった企業風土をマーケット・イン志向、利益志向とする考え方に変革し、ニーズにあった高付加価値商品に注力する開発・販売体制を構築した。
松井 幹雄(まつい みきお、1938年1月9日 - )は、日… 松井 幹雄(まつい みきお、1938年1月9日 - )は、日本の実業家。ホテルオークラ代表取締役社長・最高経営責任者 。1993年常務取締役。1997年専務取締役 や、同社代表取締役会長を務める。 東京都出身。1961年立教大学文学部卒業、大成観光(現ホテルオークラ)入社。1987年取締役に昇格。1990年ホテルオークラアムステルダム代表取締役社長兼総支配人。1993年常務取締役。1997年専務取締役。 1999年からホテルオークラ代表取締役社長を務めた。2008年ホテルオークラ代表取締役会長。同年オランダ王国オレンジ・ナッソー勲章受章、ホテリエ・オブ・ザ・イヤー2008受賞。 2010年創業家出身の大倉喜彦に取締役会長職を譲りホテルオークラ特別相談役に退いた。
松久 直史(まつひさ なおし、1938年1月7日 - 202… 松久 直史(まつひさ なおし、1938年1月7日 - 2021年4月4日)は、日本の実業家。日本甜菜製糖株式会社元代表取締役会長・元代表取締役社長。 1938年1月7日生まれ。1960年3月、立教大学卒業。同年4月、日本甜菜製糖株式会社入社。 1993年6月に総務部長に着任し、1994年6月、取締役に就任。人事部長・秘書室長を兼務。 1998年6月、常務取締役に就任し、総務・人事・秘書を管掌する。2000年6月、経理を兼掌。 2001年6月、代表取締役社長就任。2006年6月には、代表取締役会長に就任。 社長在任時の2004年3月には、千葉市美浜区に物流センターを竣工し、同年8月、本社を中央区京橋から港区三田へ移転。
滝 進太郎(たき しんたろう、1937年10月19日 - 1… 滝 進太郎(たき しんたろう、1937年10月19日 - 1998年11月24日)は、日本の実業家、元レーシングドライバー、レーシングチームオーナー。日本のモータースポーツの黎明期、ビジネスとしてプライベートチームを成立させることに挑戦した先駆者と評価されている。 愛知県名古屋市生まれ。立教大学卒業後はスーパーマーケット経営をしていたが、車に興味を持ち箱根などに走りに行くようになる。日本スポーツカークラブ (SCCJ) でジムカーナなどを体験後、本格的なサーキットレースに参戦する。 1964年8月16日にロータス・エラン26で第3回ナショナル・ストックカー・レース(川口市営自動車競技場)でデビュー。
塩野 芳彦(しおの よしひこ、1937年 <昭和12年> 1… 塩野 芳彦(しおの よしひこ、1937年 <昭和12年> 10月10日 - 1999年 <平成11年> 9月17日)は、日本の実業家、塩野義製薬株式会社元代表取締役社長。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。 1937年10月10日生まれ。兵庫県出身。立教大学卒業。 1961年、塩野義製薬株式会社入社。1982年、同社取締役に就任。1985年同社常務、1987年専務、1990年副社長に就任。 1992年、同社代表取締役社長に就任。1999年死去。死没日付をもって従四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
大前 孝治(おおまえ こうじ、1937年1月2日 - )は、… 大前 孝治(おおまえ こうじ、1937年1月2日 - )は、日本の実業家。城北信用金庫名誉会長(元理事長)、一般社団法人全国信用金庫協会名誉会長、株式会社しんきんカード会長。 1937年1月2日生まれ。1959年3月、立教大学経済学部経済学科卒業。 1982年、王子信用金庫(現・城北信用金庫)理事長。 2002年6月、信金中央金庫理事。 2004年1月、王子信用金庫が荒川信用金庫・日興信用金庫・太陽信用金庫と合併し、城北信用金庫が発足。同金庫の理事長に就任。 2006年6月、信金中央金庫会長、一般社団法人全国信用金庫協会会長。 2015年6月、城北信用金庫会長。 2016年6月、一般社団法人全国信用金庫協会名誉会長。
片岡 直公(かたおか なおきみ、1937年〈昭和12年〉1月… 片岡 直公(かたおか なおきみ、1937年〈昭和12年〉1月1日 - 2025年〈令和7年〉5月23日)は、千葉県市川市出身の日本の実業家。位階は正五位。全日警創業者。全国警備業協会会長などを歴任した。 立教大学社会学部卒業後に父親が経営する、白黒ニュースフイルムを再生する会社の「三栄映材」に入社し、専務取締役に就任。 映画産業の衰退から転職を考えていた際に1964年(昭和39年)開催の東京オリンピックでの開会式見学後に立ち寄った選手村でのきびきび動く警備員の姿を見て、感銘を受けた。1966年(昭和41年)に友人5人と全日警を設立。当時は警備業の認知度も低かったため、片岡ら幹部自らが実演を交えた営業を行うこともあった。
丸山 邦治(まるやま くにじ、1937年 - )は、日本の実… 丸山 邦治(まるやま くにじ、1937年 - )は、日本の実業家、株式会社丸山海苔店代表取締役社長、花王アメリカ元副社長。 1937年生まれ。1961年、立教大学経済学部卒業。大学卒業後、花王株式会社に入社。 1972年、スタンフォード大学経営大学院修了。 1979年、花王企画部長を経て、同社国際部長に就任。1980年、花王アメリカ副社長。1985年、ニベア花王常務取締役総支配人。 1991年、株式会社丸山海苔店代表取締役社長(5代目)に就任。丸山海苔店は1854年(安政元年)に日本橋で創業された老舗で、ミシュランガイドで三ツ星を獲得した「すきやばし次郎」を始め、星付きの寿司店の半数以上が同店の海苔を使用し、全国約3千店の高級寿司店にも海苔を卸す名店として知られる。
大野 晃(おおの あきら、1936年1月10日 - )は、日… 大野 晃(おおの あきら、1936年1月10日 - )は、日本の実業家。森永乳業名誉会長。元日本乳業協会会長、初代日本オリエンテーリング協会会長。 北海道生まれ。1958年立教大学卒業、東京食品株式会社入社。1972年東和製機株式会社常務取締役。1973年東和製機株式会社代表取締役専務。1977年エムケーチーズ株式会社代表取締役専務。1979年森永乳業株式会社常務取締役。1981年森永乳業株式会社専務取締役。1982年森永乳業株式会社取締役副社長。1984年ゼリア新薬工業取締役。1985年森永乳業株式会社代表取締役社長。1990年には日本オリエンテーリング協会の会長に就任し、2001年5月まで務める。
田川 永吉(たがわ えいきち、1936年 -)は、日本の作家… 田川 永吉(たがわ えいきち、1936年 -)は、日本の作家、歴史小説家、実業家。幕末、明治維新で活躍した大浦慶の生涯を描いた作品や、曾祖父である松尾儀助の伝記を執筆。特に大浦慶の書籍では、発見した新たな事実を加え、既存のイメージを覆す大浦慶の活躍を映し出した。別称、アイク田川。 1936年生まれ。曾祖父・松尾儀助は、明治初期の有田焼を始め日本の伝統工芸品を海外に輸出した国策会社である「起立工商会社」を大隈重信の斡旋により設立した政商である。幼少期より欧米文化に親しむ。 1962年、立教大学経済学部経営学科(現・経営学部)卒業。1965年に初渡米。 その後、日本、フランス、アメリカの企業の要職を経て独立し、翻訳会社を経営する。
五十嵐 信保(いがらし のぶやす、1935年4月1日 - )… 五十嵐 信保(いがらし のぶやす、1935年4月1日 - )は、日本の経営者。白洋舍社長、会長を務めた。 東京都出身。1958年に立教大学経済学部を卒業し、同年に白洋舎に入社した。1975年2月に取締役に就任し、1977年6月に常務、1984年に専務を経て、1991年3月には社長に就任。2002年3月から2006年3月までに会長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
伊藤 裕康(いとう ひろやす、1934年10月15日 - 2… 伊藤 裕康(いとう ひろやす、1934年10月15日 - 2025年9月7日)は、日本の実業家、中央魚類株式会社代表取締役会長兼CEO、東京都水産物卸売業者協会会長、一般社団法人豊洲市場協会会長、一般社団法人全国水産物卸協会最高顧問。 1934年、東京都生まれ。1959年3月、立教大学経済学部卒業。同年4月、中央魚類株式会社入社。 常務取締役、専務取締役を歴任後、1997年、代表取締役社長に就任。2010年、代表取締役会長兼CEOに就任。 東京都水産物卸売業者協会会長、一般社団法人豊洲市場協会会長、大日本水産会相談役を務める。豊洲移転前の築地市場でも一般社団法人築地市場協会会長を務めるともに、現在最高顧問を務める一般社団法人全国水産物卸協会の会長も務めた。
佐藤 泰春(さとう やすはる、1934年 - 2020年)は… 佐藤 泰春(さとう やすはる、1934年 - 2020年)は、日本の実業家、万平ホテル元代表取締役会長、元社長、顧問。軽井沢エフエム創業者、元名誉会長、元会長、元社長。長野大学客員教授、社団法人日本旅行業協会(JATA)理事、社団法人全国旅行業協会(ANTA)理事、社団法人日本ホテル協会顧問。 1934年、愛知県生まれ。曾祖父は日本のクラシックホテルの一つである軽井沢の万平ホテル創業者の佐藤万平(初代)、祖父は初代万平の一人娘である「よし」の婿養子となった佐藤国三郎(2代目万平、アレクサンダー・クロフト・ショーの聖公会神学校〈立教大学の姉妹校〉出身)、父は名古屋万平ホテルの支配人を務め、ホテル家業の環境の中で育った。
森本 孝(もりもと たかし、1934年 - 2025年3月2… 森本 孝(もりもと たかし、1934年 - 2025年3月26日)は、日本の実業家、熊本第一信用金庫会長、全国信用金庫協会元副会長、熊本経済同友会顧問。 1934年、生まれ。1953年3月、九州学院高等学校卒業。1957年3月、立教大学経済学部卒業。 熊本第一信用金庫に長く務め、熊本経済の発展のため尽力し、現在同金庫会長を務める。全国信用金庫協会副会長なども務めた。 2005年11月、旭日双光章受賞。2020年には熊日賞を受賞した。 2025年3月26日午後2時5分、心不全のため熊本市の病院で死去。90歳没。
松崎 昭雄(まつざき あきお、1933年(昭和8年)1月2日… 松崎 昭雄(まつざき あきお、1933年(昭和8年)1月2日 - 2025年(令和7年)6月25日)は、日本の実業家。森永製菓社長を務めた。長女は、内閣総理大臣や衆議院議員を務めた安倍晋三の妻である安倍昭恵。 東京生まれ。祖父は森永製菓二代目・松崎半三郎、父はのちに森永製菓相談役となる松崎一雄。 1955年、立教大学経済学部卒業、森永製菓に入社。1974年、森永ゼネラルミルズ社長。1977年、森永製菓取締役。1980年、常務。1983年、社長。1988年、レストラン森永社長を兼ねる。社長在任中にグリコ・森永事件が起こり、対応にあたる。1997年に創業家の森永剛太に社長を譲り会長、のち取締役。この間、1995年に立教大学校友会会長に就任。
服部 眞司(はっとり しんじ、1933年 - )は、日本の実… 服部 眞司(はっとり しんじ、1933年 - )は、日本の実業家、湘南信用金庫元理事長、横須賀エフエム放送株式会社(FM・ブルー湘南)会長、株式会社CATV横須賀(現・ジェイコム湘南・神奈川)元取締役会長 1933年、神奈川県横須賀市生まれ。1956年3月、立教大学経済学部卒業。同年4月、横須賀信用金庫入庫。 1971年、同庫常務理事、1974年、専務理事。1984年、理事長に就任。 1989年、鎌倉信用金庫と合併し、名称を湘南信用金庫とし、同庫理事長に就任。 1995年、黄綬褒章受章。 横須賀エフエム放送株式会社(FM・ブルー湘南)会長、株式会社CATV横須賀(現・ジェイコム湘南・神奈川)取締役会長、横須賀防犯協会会長、大相撲宮城野部屋横須賀後援会会長なども歴任する。
佐藤 雄二朗(さとう ゆうじろう、1933年 - 2010年… 佐藤 雄二朗(さとう ゆうじろう、1933年 - 2010年3月4日)は、日本の実業家、経営者。株式会社アルゴ21(現・キヤノンITソリューションズ)代表取締役会長兼社長、ITA(Information Technology Alliance)会長、社団法人情報サービス産業協会(JISA)会長。 1933年、東京都生まれ。1955年、立教大学経済学部卒業。 大学卒業後、吉澤会計機株式会社、1979年に日本ユニバック株式会社取締役営業本部長を務めたのち、1984年に株式会社アルゴ21(現・キヤノンITソリューションズ)を設立して同社代表取締役社長に就任。 1999年に一旦代表取締役社長を退任したが、2004年、同社代表取締役会長兼社長に復帰。
堀内 實三(、1932年〈昭和7年〉9月27日 - )は、日… 堀内 實三(、1932年〈昭和7年〉9月27日 - )は、日本の経営者、東宝不動産相談役、元・甲府宝塚劇場代表取締役社長、元・東宝専務取締役、映画プロデューサー。山梨県出身。 1932年、山梨県甲府市に生まれる。祖母が小林一三の実姉という係累もあり[要出典]、1956年に立教大学経済学部を卒業後、東宝に入社。経理部に配属され、関係会社の収支計算に関与する。 1961年、配給部に移り、配給調査、配給業務、配給促進など、市場動向の掌握、配給実務、動員計画など戦略面を学んだ。『東京オリンピック』の動員計画の立案推進、『砂の女』『怪談』などのフリーブッキングにも参画した。 1973年、松岡功常務担当の元で営業本部制が敷かれると、配給部次長になる。
小坂 哲瑯(こさか てつろう、1932年3月2日 - 201… 小坂 哲瑯(こさか てつろう、1932年3月2日 - 2018年5月23日)は、日本の実業家。日比谷松本楼元代表取締役会長・社長、関東外食産業協議会初代会長、日本フードサービス協会元東京支部長。 本名、小坂 明(こさか あきら)。 日比谷松本楼創業者、小坂梅吉の孫。小坂光雄の息子として日比谷松本楼の家に生まれる。日比谷公園生まれの日比谷公園育ち。銀在の泰明小学校に通う。 埼玉県立熊谷高等学校をへて、1954年、立教大学経済学部経営学科(現・経営学部)卒業。 家業である日比谷松本楼に入社。日比谷松本楼代表取締役社長(3代目)、会長を歴任した。 経営者として、松本楼の歴史を信用を第一に考え、流行は追わず「とにかく良質なものをサービスで満足してもらう」ことを日々繰り返し、歴史を延長していくことを使命として事業運営を進めた。
萩原 忠(はぎわら ただし、1931年 - )は、日本の実業… 萩原 忠(はぎわら ただし、1931年 - )は、日本の実業家、発明家。ハジー技研株式会社代表取締役、株式会社インターホールディングス名誉会長 1931年、山梨県甲府市生まれ。山梨県立甲府中学校(現・甲府第一高等学校)卒業。 立教大学卒業後、金門製作所(ガス、水道メーターの専門メーカーであるに就職。流体制御技術を習得し、LPG小型ガスメーター、高層ビル用流量測定メーターを開発、発明して高い評価を得る。 1962年、アメリカ(DYNAMIC ECOLOGY社)に招聘され、NASAアポロ計画に参加。 油圧機器の劣化防止装置の開発を担当。以降、製鉄、鉄鉱、石油、電力、化学、原子力、鉄道等すべての基幹産業における流体制御(濾過、分離、混合、劣化防止)の専門技術者として従事。
鈴木 常司(すずき つねし、1930年7月6日 - 2000… 鈴木 常司(すずき つねし、1930年7月6日 - 2000年11月15日)は、日本の実業家、ポーラ化粧品元会長。 1930年7月6日、静岡県生まれ。立教大学卒業。1953年8月経営学を学ぶため、アメリカへ留学。ウィリアムズ・カレッジに学ぶ。1954年創業者である父鈴木忍の急死により留学先のアメリカから帰国。24歳でポーラ化成工業とポーラ化粧品本舗の社長となる。セールスレディーによる高級化粧品の訪問販売「ポーラ商法」で業績をのばした。1996年会長。2000年11月15日死去。 美術品の収集家でもあったが、特定のアドバイザーを持たず、美術の専門書によって独学で美術史を学び、その知識を収集に活かすことで19~20世紀の西洋・日本美術の歴史を追うことのできる体系的な西洋絵画コレクションを作り上げた。
出光 謙介(いでみつ けんすけ、1930年 - )は、日本の… 出光 謙介(いでみつ けんすけ、1930年 - )は、日本の実業家。出光興産厚生年金基金理事長、日章興産株式会社常務取締役、日・豪・ニュージーランド協会理事。 1930年、出光計助(出光興産第2代社長、出光佐三の末弟)の長男として生まれる。弟(計助の二男)は、出光昭(出光興産第7代社長)。 1954年3月、立教大学経済学部経済学科卒業。 大学卒業後、大和銀行(現・りそな銀行)に勤務。 その後、出光興産の関連会社である日章興産常務取締役を務めたほか、出光興産厚生年金基金理事長を歴任した。 公益社団法人 日・豪・ニュージーランド協会理事も務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
寺尾 睦男(てらお むつお、1929年1月30日 - 201… 寺尾 睦男(てらお むつお、1929年1月30日 - 2019年7月24日)は、日本の実業家。京都府生まれ。ライオン副社長、公共広告機構(ACジャパンの前身)理事長、ACジャパン相談役、日本広告写真家協会理事、NPO法人LWC Happy Rice理事、世界の子どもにワクチンを日本委員会理事などを歴任。 1929年京都生まれ。後に東京へ転居し、永田町小学校(現・麹町小学校)、旧・関東中学校(現・聖徳学園中学校・高等学校)、立教大学経済学部卒業。 大学卒業翌年の1951年、ライオン油脂(のちのライオン)に入社。以来、一貫して広告宣伝マーケティングに従事し、ビートルズ日本公演特番の単独CM提供やエメロン「ふりむかないでキャンペーン」などを手掛け、商品のヒットにつなげた。
小宮山 昭一(こみやま しょういち、1928年1月1日 - … 小宮山 昭一(こみやま しょういち、1928年1月1日 - 2013年1月21日)は、日本の実業家、埼玉銀行(現・埼玉りそな銀行)元専務、学校法人立教学院元理事長。 1928年生まれ。1950年、立教大学経済学部経済学科卒業。 埼玉銀行(現・埼玉りそな銀行)に入行。銀行では広報マンとして広報業務を担った。 同行専務を務める。同行退職後、1995年7月から2007年5月まで学校法人立教学院理事長を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
田村 逸也(たむら いつや、1925年12月29日 - 20… 田村 逸也(たむら いつや、1925年12月29日 - 2022年2月13日)は、日本の実業家。株式会社タムラ製作所元代表取締役会長・社長。藍綬褒章受章。 1925年12月29日、タムラ製作所(前・田村ラヂオ商会)創業者・田村得松の長男として生まれる。 1950年3月、立教大学経済学部卒業。同月、株式会社タムラ製作所入社。 1953年9月、同社取締役副社長就任。1960年5月、同社代表取締役社長就任。 1999年6月、同社代表取締役会長就任。2001年6月、同社取締役会長就任。 父で創業者である得松の後継者として、約40年間(1960~1999年)にわたって2代目社長を務めた。この間、高度経済成長期の波の中で、生産や販売などの面において国内外で業績を拡大させ、会社の成長をけん引した。
小川 隆司(おがわ たかし、1925年5月24日 - 200… 小川 隆司(おがわ たかし、1925年5月24日 - 2007年7月10日)は、日本の実業家。トンボ鉛筆元代表取締役社長、元会長、取締役名誉会長、日本鉛筆工業協同組合元理事長。通産大臣表彰(現・経済産業大臣表彰)受賞者。 1925年、トンボ鉛筆の創業者小川春之助と妻・小川とわの三男として生まれる。 1948年3月 立教大学経済学部経営学科(現・経営学部)卒業。同年4月、トンボ鉛筆製作所(現・株式会社トンボ鉛筆)入社。1951年、トンボ鉛筆製作所取締役に就任。同社常務、専務を歴任後、1963年、同社副社長に就任。 1964年、株式会社トンボ鉛筆製作所から株式会社トンボ鉛筆へ社名変更される。 1980年には、工業標準化功労者として通産大臣表彰(現・経済産業大臣表彰)を受賞。
岩崎 福三(いわさき ふくぞう、1925年3月11日 - 2… 岩崎 福三(いわさき ふくぞう、1925年3月11日 - 2012年2月29日)は日本の実業家で、鹿児島県に本拠を置く企業集団・岩崎産業の会長。 鹿児島県出身。旧制立教中学校(現:立教池袋中学校・高等学校)を経て、1948年に立教大学経済学部を卒業。1965年千石運送社長、1968年岩崎産業副社長、1972年鹿児島交通社長。岩崎産業の創業者であった父・與八郎から同社を引き継ぎ、1981年にその社長に就任。 後に息子の芳太郎にその役を譲り、同社の会長に就任した。 鹿児島商工会議所の会頭・名誉会頭、指宿市の岩崎美術館の理事長、鹿児島経済同友会の特別幹事、鹿児島県バス協会の名誉会長、鹿児島日仏協会の会長なども務めるなど、地元鹿児島県の経済界の主導者として活躍。
飯島 良男(いいじま よしお、1924年 - 1998年11… 飯島 良男(いいじま よしお、1924年 - 1998年11月8日)は、日本の実業家、ヤマザキナビスコ株式会社(現・ヤマザキビスケット)元代表取締役社長、山崎製パン株式会社元常務取締役。別名、飯島秀浩(いいじま ひでひろ)。 1924年生まれ。山崎製パン創業者の飯島藤十郎の末弟。立教大学卒業。 1951年、山崎製パンに入社。1956年山崎製パン取締役、1969年山崎製パン常務に就任。 1970年、山崎製パンが総合商社ニチメン(現・双日)の仲介によって、アメリカの製菓会社のナビスコとの合弁会社としてヤマザキナビスコ株式会社(現・ヤマザキビスケット株式会社)を設立し、同社代表取締役社長に就任。 1971年、山崎製パン監査役。
遠入 昇(えんにゅう のぼる、1922年 - 2020年7月… 遠入 昇(えんにゅう のぼる、1922年 - 2020年7月8日)は、日本の実業家。東レ株式会社元広報宣伝部長、鐘紡株式会社元代表取締役副社長。東レ時代にミニスカートブームを仕掛けるなど日本のファッション史に残る数々の業績を上げた人物として知られる。 1922年、大分県生まれ。1939年、立教大学経済学部入学。1944年、学徒動員仮卒業。1946年3月、立教大学経済学部卒業。同年4月、東洋レーヨン株式会社(現・東レ株式会社)入社。 1960年、東京販売部長補佐兼宣伝課長、1964年、広報宣伝部長、1970年、繊維事業本部主幹、1975年、兼商品企画担当を歴任。 1981年、鐘紡株式会社入社、1982年、常務取締役、1984年、専務取締役、1988年、代表取締役副社長、1990年、常任顧問を歴任。