生駒 雷遊(いこま らいゆう、1895年〈明治28年〉4月1… 生駒 雷遊(いこま らいゆう、1895年〈明治28年〉4月1日 - 1964年〈昭和39年〉12月2日)は、活動弁士、俳優である。本名は生駒 悦(読み不明)。東京浅草を中心に高い人気を得た。 1895年(明治28年)4月1日、岡山県 真島郡落合村大字垂水(現在の同県真庭市落合垂水)で運送業を営む、若狭屋生駒宗平の長男・悦として生まれる。 1912年(明治45年)、旧制・岡山県立商業学校(現在の岡山県立岡山東商業高等学校)を卒業、役場につとめるが、退職して上京し、早稲田大学に入学した。やがて中退、伊井蓉峰門下から日活(1912年設立)の「活動写真弁士養成所」で弁士の技術を学んだ。 1916年(大正5年)、満21歳のころ、浅草の帝国館で公開されたユニバーサル映画の一連のブルーバード映画作品が大ヒットし、生駒の解説の功とされた。
高田 保(たかた たもつ / たかだ たもつ、1895年(明… 高田 保(たかた たもつ / たかだ たもつ、1895年(明治28年)3月28日 - 1952年(昭和27年)2月20日)は、茨城県出身の劇作家、随筆家。俳号は羊軒。母方の従兄に近世文学研究者の山口剛がいる。 1895年、茨城県新治郡土浦町(現在の土浦市)の旧家に生まれる。子供の頃より気遣いが出来てまた話も面白く、同級の者以外とも交流するなど人望が厚かったという。旧制土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)を経て早稲田大学英文科へと進んだ。大学在学中から新劇運動に参加して宇野浩二を知るようになる。また、在学中に創立者・大隈重信の妻の銅像を建てるかの問題で「銅像事件」と呼ばれる騒動が起きるが、その時代を描いた尾崎士郎の小説『人生劇場・青春編』に、高田をモデルとした「吹岡早雄」という人物が登場している。
森下 政一(もりした まさかず、1895年〈明治28年〉3月… 森下 政一(もりした まさかず、1895年〈明治28年〉3月5日 - 1957年〈昭和32年〉3月5日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。 位階は正五位、勲等は勲三等。 大阪市財務部長、大阪市民信用組合長、大阪市教育会長、日本社会党大阪府支部連合会会長、参議院議員総会副会長を務めた。 京都府福知山市生まれ。1916年(大正5年)- 早稲田大学商科卒業。大学卒業後、米国に留学。 1925年(大正14年) 関西大学経済学部で講師、後に教授として財政学や英語経済を教える。 1930年(昭和5年) 第17回衆議院議員総選挙大阪1区落選(国民同志会)。 1936年(昭和11年) 大阪市助役就任。 1947年(昭和22年) 第1回参議院議員通常選挙大阪府選挙区初当選(日本社会党)。
白仁 宝一(しらに ほういち、1895年(明治28年)2月2… 白仁 宝一(しらに ほういち、1895年(明治28年)2月25日 - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。陸軍司政官。 佐賀県佐賀郡春日村大字尼寺(大和村、大和町を経て現佐賀市)に生まれる。1927年(昭和2年)3月、早稲田大学法学部を卒業し、1929年(昭和4年)7月、渡台し台湾総督府税関監吏を拝命する。同年10月、高等試験行政科に合格。府税関監視・台北支署兼監視部勤務となり、1930年(昭和5年)11月には高等試験司法科に合格した。1931年(昭和6年)7月、台南州属に転じ、同州勧業課長を経て、1935年(昭和10年)3月、同州北門郡守に就任。その後、台中州勧業課長、新竹州警察部長を経て、陸軍司政官に任じた。
高橋 啓(たかはし けい、1895年(明治28年)2月25日… 高橋 啓(たかはし けい、1895年(明治28年)2月25日 - 1968年(昭和43年)5月22日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。 宮城県出身。1920年早稲田大学専門部法律科卒。拓北産業社長、宮城県林業会長、日本林業会理事などを歴任する。1947年の第1回参議院議員通常選挙において宮城地方区から民主党公認で立候補して当選。参議院通商産業委員長となる。1950年の参院選で落選。1968年5月22日死去、73歳。死没日をもって勲四等旭日小綬章追贈、従五位に叙される。
羅 容均(ナ・ヨンギュン、朝鮮語: 나용균、1895年2月2… 羅 容均(ナ・ヨンギュン、朝鮮語: 나용균、1895年2月25日または1895年11月25日または1896年1月8日 - 1984年7月6日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の政治家。制憲・第4・5・6代韓国国会議員、第6代保健社会部長官、第6代国会副議長を歴任した。 本貫は羅州羅氏。号は白峰。金大中の側近で外交官・元駐日大使の羅鍾一は四男、順天郷大学校名誉教授の羅鍾億(朝鮮語版)は六男。2人以外に次男と三男も政治学者である。 全羅北道井邑またはソウル鍾路区出身。早稲田大学政治科卒(または政経学部中退)。早大在学中に白寛洙・金度演ら朝鮮人留学生と共に二・八独立宣言の発表を主導し、三・一運動に関わり逮捕・投獄された後、渡中し大韓民国臨時政府議政院議員に選ばれ、臨時議院法制委員・政務調査特別委員・政治分科委員、上海海内外国民大会準備委員を務めた。
浅原 六朗(あさはら ろくろう、1895年2月22日 - 1… 浅原 六朗(あさはら ろくろう、1895年2月22日 - 1977年10月22日)は、日本の小説家、作詞家、俳人、大学教授。 代表作は「ある自殺階級者」「H子との交渉」「混血児ジヨオジ」など。童謡「てるてる坊主」の作詞者、浅原鏡村としても知られる。 1982年(昭和57年)3月27日 てるてる坊主の館浅原六朗文学記念館が竣工。同年6月1日に開館となった。館内には浅原六朗の蔵書・ノートに書かれた青春日記・交友のあった作家たちの書簡及び写真、自筆の書や筆記用具なども展示されている。また、隣接する池田町文化財資料館にも「町ゆかりの文学者」として紹介されており、長野県池田町を代表する文学者である。 また、町役場の屋上で鳴らされていたサイレンも、「てるてる坊主」のメロディーに替わった。
野田 武夫(のだ たけお、1895年2月8日 - 1972年… 野田 武夫(のだ たけお、1895年2月8日 - 1972年6月7日)は、昭和期の日本の政治家。総理府総務長官・自治大臣。位階は正三位。元衆議院議員の野田毅は娘婿。 熊本県飽託郡川口村(現・熊本市南区)出身。 旧制熊本中学校(現熊本県立熊本高等学校)を経て、1923年早稲田大学法学部独法科を卒業後、国民新聞記者、東京朝日新聞政治部記者、神奈川新聞社社長、町田忠治商工大臣秘書官を経て、1936年第19回衆議院議員総選挙に立憲民政党公認で旧神奈川2区より立候補して当選を果たす。以後戦後も含めて当選8回。戦前は軍需政務次官、商工省参与などを務めた。政党解消後は翼賛議員同盟→翼賛政治会→大日本政治会に所属した。
根来 治(ねごろ おさむ、1895年(明治28年)1月24日… 根来 治(ねごろ おさむ、1895年(明治28年)1月24日 - 1971年(昭和46年)2月25日)は、日本の郷土史家である。号は鉄蕉。 大阪府東鳥取村(後の東鳥取町、現在の阪南市)に生まれる。後に上京し早稲田大学に入学するが、中退し故郷に帰った。 後に同地で「鳥取史談会」の結成に携わり、同郷の郷土史家と共に東鳥取の歴史が書かれた『東鳥取村誌』の編纂の一人となった。なお、この著書は1958年(昭和33年)に刊行されている。その後は『鳥取郷史』の編纂にも携わるが編纂中に死去し、死去から2年後の1973年(昭和48年)に刊行された。 この項目は、大阪府に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:日本の都道府県/大阪府)。
八坂 善一郎(やさか ぜんいちろう、1895年(明治28年)… 八坂 善一郎(やさか ぜんいちろう、1895年(明治28年)1月23日 - 1980年(昭和55年)8月29日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、初代大分県旧杵築市長。 大分県速見郡八坂村大字日野(現杵築市)で、大分県会議長を務めた八坂三治の長男として生まれる。早稲田大学政治経済科で学んだが、中国大陸に心惹かれ中退して満州に渡った。1927年(昭和2年)政治家を目ざして帰郷。 1933年(昭和8年)八坂村会議員に選出された。別府自動車社長に就任し、1939年(昭和14年)大分県会議員となる。1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で大分県全県区から日本進歩党公認で出馬して当選し、その後、民主党に所属し衆議院議員に1期在任した。
平賀 文男(ひらが ふみお、1895年(明治28年)1月20… 平賀 文男(ひらが ふみお、1895年(明治28年)1月20日 - 1964年(昭和39年)4月19日)は、山梨県出身の登山家、郷土史家。 山梨県北巨摩郡穂坂村(現・韮崎市)に、父「延富」、母「ふで」の長男として生まれる。1909年(明治42年)4月に山梨県立甲府中学校(現・山梨県立甲府第一高等学校)に入学したが1911年(明治44年)3月に中退し同年4月に東京の目白中学校に転入。同校卒業後の1914年(大正3年)に早稲田大学政治経済学科に入学し1917年(大正6年)に卒業とともに帰郷。 1921年(大正10年)に穂坂村村会議員に当選、また北巨摩郡農会議員を務めるなど村治や新興産業発展につくし、特に地域の開発に熱心で広く各地の山野を跋歩し、未知の景勝、山岳などを調査研究し、甲斐山岳会の設立を提唱して実現。
伊藤 松雄(いとう まつお、1895年〈明治28年〉1月13… 伊藤 松雄(いとう まつお、1895年〈明治28年〉1月13日 - 1947年〈昭和22年〉8月5日)は、日本の劇作家、脚本家、演出家である。 1895年(明治28年)1月13日、長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)に生まれる。 東京に移り、旧制・早稲田大学を卒業、満18歳になる1913年(大正2年)、有楽座に加わり、劇作者兼演出家となる。新文芸協会、のちに森英次郎、山田隆弥らの舞台協会で新劇を演出した。 1920年(大正9年)、戯曲集『危急』を上梓、翌1921年(大正10年)、ショーレム・アッシュの戯曲『夜』を翻訳して上梓している。 舞台協会に属していた1923年(大正12年)、日活向島撮影所と同協会が提携、3作を製作することとなり、うち『忘れな草』、『三つの魂』にオリジナル脚本を書き下ろし、いずれも田中栄三が監督した。
今井 兼次(いまい けんじ、1895年〈明治28年〉1月11… 今井 兼次(いまい けんじ、1895年〈明治28年〉1月11日 - 1987年〈昭和62年〉5月20日)は、日本の建築家。早稲田大学理工学部建築学科卒業。母校の教授を長く務め、建築作品とともに教育者として研究室から優れた建築家、研究者を多数輩出した。昭和初期にガウディを日本に紹介した人物である。 東京市赤坂区青山権田原町(現:東京都港区元赤坂2丁目)に生まれる。青山尋常小学校、日本中学校(現:日本学園中学校・高等学校)を経て早稲田大学理工学部建築学科へ入学。1919年、大学卒業と同時に助手に任命され、翌年、助教授に就任。1926年から1927年にかけて東京地下鉄道(現:東京メトロ銀座線浅草駅 - 新橋駅間)の各駅の構内・出入口の設計、車両の内装や職員の制服デザインを担当し、ヨーロッパの地下鉄駅の研究及び早稲田大学からの近代建築視察を行うため外遊。
北村 寿夫(きたむら ひさお、1895年1月8日 - 198… 北村 寿夫(きたむら ひさお、1895年1月8日 - 1982年1月3日)は、日本の脚本家、児童文学作家。 東京麹町区下六番町出身。本名・寿雄。早稲田大学中退。小山内薫に師事し、『劇と評論』同人となる。 1936年(昭和11年)NHK文芸部主事。 1947年(昭和22年)、ラジオドラマ『向う三軒両隣』の脚本を八住利雄、伊馬春部、北条誠とともに交代で執筆。終戦直後の民主的で明るい人間関係を描くホームドラマは人気番組となった。 1952年(昭和27年)から「白鳥の騎士」に始まる「新諸国物語」を五年連続してラジオ放送し、「笛吹童子」「紅孔雀」などがヒットして映画化もされた。墓所は雑司ヶ谷霊園。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
岡本 文弥(おかもと ぶんや、本名:井上 猛一、1895年〈… 岡本 文弥(おかもと ぶんや、本名:井上 猛一、1895年〈明治28年〉1月1日 - 1996年〈平成8年〉10月6日)は、日本の新内節の太夫、新内節岡本派五代目家元、新内節研究家、随筆家、俳人。 東京・谷中上三崎南町に生まれる。父・田崎源次郎は煉瓦職人、母・とらは新内語りの鶴賀若吉(のちに三世・岡本宮染)。幼少時より母親から浄瑠璃を習い、1913年(大正2年)、富士松加賀路太夫を名乗る。早稲田大学中退後、文芸誌の編集者をしながら、夜は新内を流す日々を過ごす。1923年(大正12年)母と共に独立して岡本派を再興、岡本宮太夫を名乗り、後に岡本文弥と改名。母の幼女で妹でもある三味線の名手、四世・岡本宮染とコンビを組み、母から多くの貴重な古曲を継承すると共に、生来の文才を生かして次々と新作を発表。
槙尾 栄(まきお さかえ、1895年 – 1980年9月)は… 槙尾 栄(まきお さかえ、1895年 – 1980年9月)は、日本の作家、技術者。 広島県に生まれる。早稲田大学電気工学科を卒業後逓信省に入省、技官として勤務の傍ら、余技として小説の執筆、歌謡曲の作詞等を手がけた。 当時のいわゆる空想科学小説に興味を持ち、海野十三とも交流があったという。1928年、雑誌「キング」に槙尾赤霧の筆名で「透明の人間」を発表。自らの発明した技術によって透明人間となった少壮の科学者が辿る運命を描いたこの作品は、日本における「透明人間もの」としては最も早いものの一つである。他に技術書や科学啓蒙書も執筆している。
戸川 貞雄(とがわ さだお、1894年(明治27年)12月2… 戸川 貞雄(とがわ さだお、1894年(明治27年)12月25日 - 1974年(昭和49年)7月5日)は、日本の小説家、平塚市の第7・8代市長。勲三等瑞宝章。 東京は本郷の森川町生まれ。幼少から父の仕事により台湾へ移り、本土へ戻ってからも静岡や名古屋などへ移り続けた。 静岡県立静岡中学校に学ぶ。早稲田大学文学部英文科在学中から執筆活動を行い、卒業後は東京社(現在のハースト婦人画報社)の編集者を経たのち退職し、1921年10月に『蠢く』で作家デビュー。翌年東京から平塚市に移住し、戦前から戦後にかけて作家として活動する。 1955年に河野謙三からの要請を受けて平塚市長選挙に出馬。所属していた作家クラブの小説家や芸能人の応援もあり、710票差の接戦を制し当選。
水谷 まさる(みずたに-、1894年(明治27年)12月25… 水谷 まさる(みずたに-、1894年(明治27年)12月25日 - 1950年(昭和25年)5月25日)は、日本の童話作家、少女詩人。 東京出身。本名は勝。早稲田大学卒。コドモ社『良友』編集者、『少女画報』主筆などをへて童話作家となる。1928年千葉省三らと同人誌『童話文学』を創刊。
3代八馬 兼介(はちうま かねすけ、旧名・栄之介、1894年… 3代八馬 兼介(はちうま かねすけ、旧名・栄之介、1894年〈明治27年〉12月23日 - 1960年〈昭和35年〉8月12日)は、日本の実業家、政治家、資産家、兵庫県多額納税者。貴族院議員。神戸銀行頭取。八馬汽船相談役。勲四等。 兵庫県武庫郡西宮町(現西宮市)出身。兵庫県平民、海運業・八馬永蔵の長男。初代八馬兼介の孫。1916年、早稲田大学商科卒業。 1917年、家督を相続し、旧名・栄之介を改めた。精米及び海運業を営み、傍ら銀行会社の重役であった。 西宮市会議員、日本船主協会、日伯協会各理事、八馬汽船社長、同会長、同相談役、武庫銀行、西宮銀行各頭取、日伯拓殖、大同信託、神戸土地興業、日本毛織、共同信託、東洋パルプ各取締役、西宮酒造、神戸海上火災保険、朝日海上火災保険、梅田映画劇場、阪神急行電鉄、東京宝塚劇場、山陽中央水電、南街映画劇場、神戸瓦斯、日本鉱産業、桐花興業各監査役、神戸信託相談役、多聞代表社員などを務めた。
張 徳秀(チャン・ドクス、1894年12月10日 - 194… 張 徳秀(チャン・ドクス、1894年12月10日 - 1947年12月2日)は、朝鮮の政治家、教育者、独立運動家。本貫は結城張氏、号は雪山。東亜日報の初代主筆。 黄海南道載寧郡出身。1910年代に早稲田大学に留学し、在学中は朝鮮人留学生のリーダーとして活躍した。「新亜同盟党」で、大陸中国や台湾の留学生と交流したほか、茅原華山の雑誌「第三帝国」にも寄稿した。1918年に上海に渡り、呂運亨とともに「新韓青年党」を組織した。1919年2月に朝鮮に戻り逮捕された。同年11月の呂運亨の訪日の際には通訳を務めた。1920年「東亜日報」創刊とともに主筆を務め、金明植らと高麗共産党(朝鮮語版)上海派の国内支部を組織した。
坂本 大造(さかもと だいぞう、1894年(明治27年)12… 坂本 大造(さかもと だいぞう、1894年(明治27年)12月8日 - 1964年(昭和39年)7月29日)は、大正から昭和期の造船技術者、政治家、華族。貴族院男爵議員。 本籍・長野県。海軍士官・坂本俊篤の長男として生まれる。父の死去に伴い、1941年(昭和16年)6月2日、男爵を襲爵した。 1916年(大正5年)早稲田大学理工科を卒業した。同年、横浜船渠に入社。その後、石川島造船所に移り、工作部鍛錬工場長、鋳鍛部部長代理などを務めた。 1946年(昭和21年)6月29日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
井上 卓一(いのうえ たくいち、1894年〈明治27年〉12… 井上 卓一(いのうえ たくいち、1894年〈明治27年〉12月5日 - 1979年〈昭和54年〉12月7日)は、日本の弁護士・政治家。衆議院議員、内閣官房副長官。 岡山県勝南郡湯郷村(現美作市)出身。1923年、早稲田大学専門部法律科を卒業。 東京で弁護士となり、日本弁護士協会理事も務めた。その他、小石川区会議員、東京市会議員を歴任。 1946年4月、第22回衆議院議員総選挙で岡山県選挙区に日本自由党から出馬し当選。1947年4月の第23回総選挙で落選し、衆議院議員を一期務めた。落選後の1948年、政治資金に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。1954年12月から第1次鳩山一郎内閣の内閣官房副長官(事務担当)を務め、第2次鳩山一郎内閣の内閣総理大臣秘書官に就任。
山田 輝郎(やまだ きろう、1894年(明治27年)11月1… 山田 輝郎(やまだ きろう、1894年(明治27年)11月16日 - 1982年(昭和57年)4月17日)は、日本の実業家。ロート製薬会長。山田スイミングクラブ設立者。大阪府多額納税者。ロート製薬の前身である信天堂山田安民薬房を創業した山田安民の長男。 奈良県宇陀郡伊那佐村(後の榛原町、現・宇陀市)出身。山田安民の長男である。1899年、父・安民が大阪で信天堂山田安民薬房創業。 1920年、早稲田大学専門部政治経済科を卒業。山田安民薬房に入る。1936年、父の退隠に伴い家督を相続する。1939年、上海に山田製薬會社を、1940年、奉天に満州山田製薬會社を各設立し共に其の社長に就任する。1943年、父・安民死去。
横川 重次(よこかわ じゅうじ、1894年(明治27年)11… 横川 重次(よこかわ じゅうじ、1894年(明治27年)11月9日 - 1964年(昭和39年)9月11日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(8期)。埼玉県多額納税者。武蔵野銀行相談役。位階は正四位。勲二等旭日重光章。 埼玉県比企郡大河村腰越(現・小川町)出身。横川宗作の長男。旧制早稲田中学を経て[要出典]1917年、早稲田大学大学部文学科哲学科卒業。ドイツに留学し、ベルリン大学で社会学を専攻した。1924年、家督を相続した。 農業、製材業を営み埼玉県多額納税者となった。大河村信用組合長、小川無尽、横川製材各社長、武州本場絹織物工業、比企繭販売利用各組合長などをつとめた。 1927年3月28日、第15回衆議院議員総選挙の埼玉県第3区補欠選挙で衆議院議員に当選。
根岸 寛一(ねぎし かんいち、明治27年(1894年)11月… 根岸 寛一(ねぎし かんいち、明治27年(1894年)11月1日 - 昭和37年(1962年)4月28日)は、戦前日本の映画プロデューサー。昭和10年(1935年)から日本映画の黄金時代である日活多摩川撮影所時代をマキノ満男らとつくりあげる。その後、満州映画協会理事を経て敗戦後はニュース映画を製作する日本映画社(日映)の社長として原爆記録映画を製作。日映を辞したのちは東急資本による東横映画、さらに東京映画配給(のちの東映)の「第四系統」(東宝、松竹、大映の後発組の邦画配給系統の意)に参画するが、公職追放により辞任。追放解除の頃には肺結核が悪化、斯界から引退した。 戦前から戦後まで古野伊之助、甘粕正彦、五島慶太という大物の影響力を利用しながら、迫害された映画人を徹底して庇護した根岸に対して、現在まで「左翼」との評価が根強く残っている。
江戸川 乱歩(えどがわ らんぽ、旧字体:江戶川 亂步、189… 江戸川 乱歩(えどがわ らんぽ、旧字体:江戶川 亂步、1894年〈明治27年〉10月21日 - 1965年〈昭和40年〉7月28日)は、日本の推理作家、怪奇・恐怖小説家、アンソロジスト。日本推理作家協会初代理事長。位階は正五位。勲等は勲三等。ペンネームの由来は、小説家のエドガー・アラン・ポーのもじり。本名は平井 太郎(ひらい たろう)。 大正から昭和期にかけて活躍し、主に推理小説を得意とした。また、第二次世界大戦後は推理小説分野を中心に評論家や研究家、編集者としても活躍した。乱歩の寄付で創設された江戸川乱歩賞が推理作家の登竜門となるなど、後世にも大きな影響を与えた。 1894年(明治27年)、三重県名賀郡名張町(現・名張市)で名賀郡役所書記の平井繁男・きくの長男として生まれる(本籍地は同県津市)。
板垣 鷹穂(いたがき たかお/たかほ、1894年(明治27年… 板垣 鷹穂(いたがき たかお/たかほ、1894年(明治27年)10月15日 - 1966年(昭和41年)7月3日)は、美術評論家。西洋美術史の研究者として、その業績を著作に残す。また、明治以降から同11年代までの日本近代建築についての論評をはじめ、映画、写真など新たな美術領成をメディア論として論じた草分け的存在でもあった。 モダニズム研究で文芸、美術、建築、文学にまで射程は広い。終戦後に早稲田大学文学部教授となり、最晩年まで教鞭を取った。ほか明治大学教授、東京写真大学教授を歴任した。 東京神田生まれ。文芸評論家の平山直子(板垣直子)と結婚。 1915(大正4)年、第一高等学校第二部退学後、東京帝国大学文科大学哲学科の選科生として西洋美術史を学ぶ。
岸 一郎(きし いちろう、1894年(明治27年)10月13… 岸 一郎(きし いちろう、1894年(明治27年)10月13日 - 1969年(昭和44年)4月3日)は、日本の野球選手、監督。 福井県敦賀市松原出身。旧制早稲田中学(現・早稲田中学・高校)、早稲田大学、満鉄(満州倶楽部)で一貫してエースを務め、極東選手権競技大会でも活躍した。早大時代のチームメイトである市岡忠男は「早大時代は沢村栄治に匹敵する投手であり、満洲の野球が強くなったことにも岸君の力は大きく貢献している」と戦前の大選手であることを証言している。1918年に満鉄が、当時日本一と言われた一高と二試合して二度とも破ったとき、どちらの試合でも岸は好投し、対戦した内村祐之から投手として高い評価を受けている。
上条 愛一(上條、かみじょう あいいち、1894年(明治27… 上条 愛一(上條、かみじょう あいいち、1894年(明治27年)10月2日 - 1969年(昭和44年)2月18日)は、日本の労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。 長野県東筑摩郡今井村(現:松本市)で生まれた。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)卒業後、代用教員を経て、1920年、早稲田大学政治経済科を卒業。同年、読売新聞社に記者として入社した。 1920年、大日本労働総同盟友愛会東京連合会書記に就任。1925年、第7回国際労働総会に日本労働代表随員として渡欧した。その後、日本労農党、日本労働組合同盟の結成に参画し、1936年、日本労働組合会議書記長に就任した。 戦後、日本社会党に入党し、日本労働組合総同盟(総同盟)全繊同盟総主事、総同盟副会長、中央労働委員会労働者側委員、全繊同盟政治顧問などを歴任した。
酒井 朝彦(さかい あさひこ、1894年10月1日 - 19… 酒井 朝彦(さかい あさひこ、1894年10月1日 - 1969年5月25日)は、日本の児童文学作家。本名・酒井 源一。教師、編集者をへて創作に専念。1961から1962年、第5代日本児童文学者協会会長。 長野県下伊那郡竜丘村(現飯田市)の母の実家に生まれ、1900年、5歳の時に父に死別し木曽の定勝寺に預けられた。小学校卒業後上京し、旧制東京中学を経て早稲田大学英文科に進む。1920年に卒業。その後、働きながら小川未明のネオ・ロマンチィズムに傾倒し童話を書き始める。1924年、未明の推薦により東京朝日新聞に「天に登った蛍」を発表。同年、同人誌『童話時代』を創刊。同誌休刊後、1928年に千葉省三、伊藤貴麿らと同人誌『童話文学』を創刊。
高橋 円三郎(圓三郎、たかはし えんざぶろう、1894年(明… 高橋 円三郎(圓三郎、たかはし えんざぶろう、1894年(明治27年)9月26日 - 1956年(昭和31年)6月4日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 島根県神門郡今市町(簸川郡今市町を経て現:出雲市)に父・徳助の長男として生まれる。1920年(大正9年)早稲田大学大学部政治経済学科を卒業後、山下汽船に入社。その後、報知新聞記者、東京朝日新聞記者を務めた。 政界を志し法制局事務嘱託に就任。1937年(昭和12年)第20回衆議院議員総選挙に立憲政友会から立候補し当選。農林大臣秘書官、日本大豆統制常任監査役を務めた。1940年(昭和15年)帝国油糧統制筆頭理事、太陽商社取締役となる。1946年(昭和21年)山陰日日新聞社長に就任。
中村 三之丞(中村 三之烝、なかむら さんのじょう、1894… 中村 三之丞(中村 三之烝、なかむら さんのじょう、1894年〈明治27年〉9月18日 - 1979年〈昭和54年〉7月8日)は、日本の政治家。位階は正三位。 運輸大臣、衆議院議員を歴任。 京都府出身。1918年(大正7年)早稲田大学政治経済科を卒業。大蔵大臣秘書官等を経て、1932年(昭和7年)立憲民政党公認で第18回衆議院議員総選挙に立候補し当選した。以後通算当選8回。1937年(昭和12年)第1次近衛内閣の大蔵参与官となる。戦前は永井柳太郎に近く、1940年(昭和15年)の新体制運動に際しては民政党が解党する前に永井らと民政党を離党、大政翼賛会に合流した。政党解消後は翼賛議員同盟には参加せず中間派の議員倶楽部に所属したが、1942年(昭和17年)の翼賛選挙では翼賛政治体制協議会の推薦候補として立候補し当選した。
末高 信(すえたか まこと、1894年9月4日 - 1989… 末高 信(すえたか まこと、1894年9月4日 - 1989年4月4日)は、日本の社会保障学者、商学博士。生命保険修士会名誉会長ならびに生命保険アンダーライティング学院創立者。東京都台東区出身。 上記以外に、日本保険学会名誉会員、健康保険組合連合会顧問、社会保険診療報酬支払基金理事等を兼ねた。 松平信生(長州征伐に旗頭として参加した松平左金吾の十一男)の長男として1894年(明治27年)に生まれる。末高姓は父である信生(のぶなり)が仕えていた徳川慶喜が大政奉還の後、駿府入りした際に旗本の末高家の養子になり改姓したことに依る。父、信生は 西南戦争の後徳川家のもとを離れることになり、東京日本橋で漆器問屋の娘きくと結婚、家持(地主)を営むが、チフスで急逝した。
正田 卯平(しょうだ うへい、1894年〈明治27年〉9月3… 正田 卯平(しょうだ うへい、1894年〈明治27年〉9月3日 - 1979年〈昭和54年〉)は、日本の実業家、政治家。前名は茂三郎。群馬県購連理事。群馬県自動車合同副社長。群馬県石油配給、館林航器各取締役。前橋日産モーター取締役会長。町会議員。正田卯平商店。雑貨商。米屋、荒物商。 群馬県邑楽郡館林町(現・館林市)出身。卯平の二男。前名・茂三郎を改め襲名した。早大商科修業。父業に従事した。町学務委員、館林信組理事であった。1949年(昭和24年)館林商工会議所会頭に就任。館林交通安全協会会長も務めた。 宗教は浄土宗。趣味はスポーツ、柔道。住所は館林谷越。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
泉 甲二(いずみ こうじ、1894年8月31日 - 1980… 泉 甲二(いずみ こうじ、1894年8月31日 - 1980年11月10日)は、日本の歌人、美術評論家。本名は山田 邦祐。 福岡県福岡市田島に生まれる。1915年福岡県立中学修猷館を経て、1920年早稲田大学文学部英文科を卒業し、研究社に入社。在学中の1917年から北原白秋に師事している。 戦後、「婦人画報」編集局に移り、1935年白秋の歌誌「多磨」創刊に参加、のち編集に従事。1953年に同誌が終刊後、中村正爾の歌誌「中央線」創刊に参加。 本名名義で美術書も出版した。
古谷 専三(ふるや せんぞう、1894年7月27日 - 19… 古谷 専三(ふるや せんぞう、1894年7月27日 - 1991年9月6日)は、日本の英文学者。 神奈川県出身。旧制厚木中学校卒、教員検定試験合格、早稲田大学中退、日本大学文理学部卒、小学校・中学校教員、私塾経営をへて1942年日本大学助教授、教授、1959年「Studies in George Eliot’s realism」で日大文学博士。64年定年、1966年帝京大学文学部教授、文学部長。三男は英文学者の古谷三郎。ジョージ・エリオットが専門。
佃 良一(つくだ りょういち、1894年〈明治27年〉6月3… 佃 良一(つくだ りょういち、1894年〈明治27年〉6月3日 - 1963年〈昭和38年〉12月22日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 兵庫県八名郡湊村(神戸市湊区を経て現兵庫区)で生まれた。1919年、早稲田大学英法科卒。神戸、須磨各税務署内所得調査委員、大阪財務局所得審査委員となる。 1929年4月25日から1937年4月24日まで神戸市会議員を務め、同年5月22日から再び神戸市会議員となる。1939年9月25日の選挙で神戸市湊区選挙区から兵庫県会議員選挙に立候補して、当選し、同月に就任した。1942年5月20日に市議を退任したが、同年6月20日に市議となった。1943年5月14日から同年7月1日まで第35代神戸市会副議長を務め、同日から1944年7月1日まで第24代神戸市会議長を務めた。
堀川 恭平(ほりかわ きょうへい、1894年(明治27年)5… 堀川 恭平(ほりかわ きょうへい、1894年(明治27年)5月17日 - 1970年(昭和45年)9月29日)は、日本の実業家、政治家。位階は従三位。 衆議院議員(8期)。旧姓・佐藤。 岡山県岡山市川崎町(現北区京橋町)で佐藤権次郎の三男として生まれ、堀川宇一郎の養子となった。1917年、早稲田大学政治経済科を卒業。飾磨郡城南村会議員、同村長、姫路市会議員、兵庫県会議員を歴任。また、姫路市警防団長、播州交通 (株) 社長、兵庫県飼料統制 (株) 社長、鹿島建設 (株) 顧問、全国戦災都市連盟常任幹事などを務めた。 1946年4月、第22回衆議院議員総選挙に兵庫県第二区から日本進歩党公認で立候補し当選。
柳田 泉(やなぎだ いずみ、1894年(明治27年)4月27… 柳田 泉(やなぎだ いずみ、1894年(明治27年)4月27日 - 1969年(昭和44年)6月7日)は、日本の明治文学研究者・翻訳家。明治文学に関する資料収集・編纂、実証研究で多大な成果がある。 1894年、青森県中津軽郡豊田村(現・弘前市)生まれ。1918年に早稲田大学英文科を卒業。トルストイの小説や、『カーライル全集』、『ホイットマン全集』、『アミエルの日記』など英訳版からの重訳を含め、多くの思想哲学書を翻訳出版した。当初は英文学史研究を志したが、関東大震災で多くの書籍を火災で失ったことをきっかけに明治文学研究へと転向した。1924年には、吉野作造を中心に結成された「明治文化研究会」に参加。
李 鍾栄(イ・ジョンヨン、朝鮮語: 이종영、1894年4月2… 李 鍾栄(イ・ジョンヨン、朝鮮語: 이종영、1894年4月20日 - 1954年2月1日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、親日派、大韓民国の政治家。第2代韓国国会議員。 別名には李 鍾滎(イ・ジョンヒョン、이종형)、権 守貞、権 秀貞(クォン・スジョン、權守貞•權秀貞/권수정)などがある。 江原道旌善郡出身。元山普光中学校、早稲田大学政経科卒。三・一運動の後は曺相伯、李光世、金道源などと雲泥洞事件に参加したが、後は関東軍の密偵となり、日本統治時代の後期には朝鮮総督府警務局の嘱託を務めた。戦後は極右性向の大東新聞社の社長を務めた。1950年の第2代総選挙では旌善郡選挙区より大韓独立促成国民会から本名で出馬して当選し、国会議員を1期務めた。
卯尾田 毅太郎(うおた きたろう、1894年(明治27年)4… 卯尾田 毅太郎(うおた きたろう、1894年(明治27年)4月8日 - 1945年(昭和20年)6月16日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員、新湊町長。 富山県射水郡新湊町四十物町(現射水市八幡町)で、卯尾田兵次郎、やい夫妻の長男として大井清平宅で生まれる。文珠寺尋常高等小学校高等科を経て、1914年(大正3年)3月、富山県立高岡中学校を卒業。同年4月、早稲田大学商科に入学し、1918年(大正7年)7月に卒業した。 大学卒業後、神戸市の下里貿易商会に入社。1923年(大正12年)2月、新湊立憲青年党を結成し総理に就任。1927年(昭和2年)9月、富山県会議員に当選。以後、名誉職参事会員、新湊町長(6期)、新湊町職業紹介所長、都市計画富山地方委員会委員、新湊警防団長などを務めた。
吉田 甲子太郎(よしだ きねたろう、1894年〈明治27年〉… 吉田 甲子太郎(よしだ きねたろう、1894年〈明治27年〉3月23日 - 1957年〈昭和32年〉1月8日)は、日本の翻訳家、英文学者、児童文学者。筆名に朝日壮吉、吉田夏村などがある。 群馬県北甘楽郡小野村(現・富岡市)生まれ。東京芝桜田小学校高等科、旧制立教中学校を経て、早稲田大学英文科卒業。 大学卒業後、母校、旧制立教中学校の英語教師となる。大学在学中より山本有三に師事。朝日壮吉などの筆名を用い、中学教師のかたわら、『新青年』などに探偵小説を翻訳するが、1927年ころから児童文学に移行し、少年小説を書く。1932年、新設された明治大学文藝科で、科長となった山本の推薦で教授となる。戦後は明大文学部文学科長を務め、児童雑誌『銀河』の編集にも携わる。
山内 義雄(やまのうち よしお、1894年3月22日 - 1… 山内 義雄(やまのうち よしお、1894年3月22日 - 1973年12月17日)は、日本のフランス文学者。早稲田大学などで教鞭を執りながら、多くの訳業を遺した。日本芸術院会員。 1894年(明治27年)、父通義、母テウの次男として、東京市牛込区(現在の東京都新宿区)市谷田町に生まれた。父は陸地測量部長を経て初代の陸軍砲工学校長を務めた陸軍工兵大佐であった。暁星小学校・同中学校を経て、1911年、東京外国語学校仏語科に進んだ。中学時代、永井荷風と上田敏の訳詩によりヴェルレーヌやボードレールを知り、原書を輸入して読み、また、作歌・詩作も試みた。 1915年(大正4年)、東京外国語学校を卒業し、家庭の事情で、希望の京都帝国大学文学部でなく、[要出典]法学部に入って、文学部上田敏教授の講義をその急逝までの1年余聴いて、直接の薫陶も受けた。
村野 次郎(むらの じろう、1894年3月19日 - 197… 村野 次郎(むらの じろう、1894年3月19日 - 1979年7月16日)は、歌人、実業家。 東京府北多摩郡多磨村(府中市)に生まれる。家業は江戸時代より続く酒問屋。詩人の村野四郎は弟。 多摩尋常小学校卒業後、府立第二中学校(現・東京都立立川高等学校)に入学。文学熱を憂慮した父の助言で早稲田実業学校へ転校、1913年、同校卒業。1919年、早稲田大学商学部卒業。 北原白秋に師事し、「朱欒」「地上巡礼」に参加。1918年、白秋のもとを離れ、「秦皮(とねりこ)」を創刊。1923年、「香蘭」を創刊し、白秋を顧問に迎える。 1924年、白秋、前田夕暮、古泉千樫、土岐善麿が創刊した「日光」に参加。1932年、日本歌人協会を設立、評議員となる。
葉山 嘉樹(はやま よしき、1894年(明治27年)3月12… 葉山 嘉樹(はやま よしき、1894年(明治27年)3月12日 - 1945年(昭和20年)10月18日)は、日本の小説家。本名嘉重。 福岡県京都郡豊津村(現・みやこ町)出身。早稲田大学高等予科文科中退。労働運動に従事し、職を転々とする傍ら、「文芸戦線」に発表した『淫売婦』で注目され、作家生活に入る。『セメント樽の中の手紙』や長編『海に生くる人々』などで労働者階級の生活と反抗と連帯感を描き、初期プロレタリア文学の代表的存在となった。その後開拓団員として満洲に渡り、敗戦後、引揚げの車中で病没した。農民小説も書いた。 士族の家庭に生まれる。旧制豊津中学(現:福岡県立育徳館高等学校)から1913年に早稲田大学高等予科に進学するも、学費未納により除籍。
舟崎 由之(ふなざき よしゆき、1894年3月7日 - 19… 舟崎 由之(ふなざき よしゆき、1894年3月7日 - 1966年12月2日)は、新潟県出身の実業家、政治家。日本金属の創業者。三国鋼帯株式会社取締役、舟崎鋼業合資会社代表社員。 新潟県佐渡郡金丸村生まれ。旧制佐渡中学校(現在の新潟県立佐渡高等学校)を経て、1917年に早稲田大学理工学部機械科を卒業する。東京銅板技師、高砂鉄工所技師長、三船商事・日本特殊鋼材・日本航空機工業・日本ペニシリン製薬の各社長を歴任した。 1946年から2回、新潟1区から衆議院議員に当選(日本進歩党)。戦後、萩野由之(東京帝国大学教授)の遺した蔵書を高額で買い取り、母校新潟県立佐渡高等学校に寄付した。舟崎文庫の名で保存されている。
喜多 壯一郎(きた そういちろう、1894年2月24日 - … 喜多 壯一郎(きた そういちろう、1894年2月24日 - 1968年1月28日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党→改進党→日本民主党)。法学者。専門は国際法。 石川県羽咋郡北大海村(現在の宝達志水町)出身。1917年(大正6年)、早稲田大学英語政治科を卒業した後、アメリカ合衆国のノースカロライナ州立大学大学院、プリンストン大学、ジョンズ・ホプキンス大学、スイスのチューリッヒ大学に留学した。1922年(大正11年)に帰国し、早稲田大学で講師として「新聞研究講座」を担当。また第一早稲田高等学院教授を務めた。1925年(大正14年)に再び留学し、アメリカ、イギリス、ドイツ、スイスの大学を視察した。1928年(昭和3年)に帰国後、早稲田大学新聞学会会長、同講演部長、教授に就任した。
木村 毅(きむら き、1894年2月12日 - 1979年9… 木村 毅(きむら き、1894年2月12日 - 1979年9月18日)は、日本の文学評論家、明治文化史の研究家、小説家。小説家の阿部知二とはいとこ同士にあたる。 岡山県勝南郡勝間田村(現:勝田郡勝央町)に生まれる。少年時代から文士を志し、『少年世界』『文章世界』に投稿する。高等小学校卒業後の3年間独学、その後早稲田大学英文科に入学。同じクラスには宮島新三郎、植村宗一(直木三十五)、青野季吉、田中純、西条八十、細田民樹、細田源吉らがいた。1917年卒業。 隆文館、次いで早稲田で同級だった直木三十五らの設立した春秋社に入社し、トルストイ全集の編集を手がけ、植村退社後も宮崎安右衛門『乞食桃水』、西田天香『懺悔の生活』などのベストセラーを企画した。
千葉 胤次(ちば たねつぐ、1894年(明治27年)1月2日… 千葉 胤次(ちば たねつぐ、1894年(明治27年)1月2日 - 1959年(昭和34年)7月6日)は、昭和時代前期の政治家、弓道家。東京市目黒区長、品川区長、下谷区長、麹町区長。号は宏斉。 千葉晋作の二男として宮城県栗原郡高清水町(現在の栗原市)に生まれる。早稲田大学商科を卒業し、東京市電気局工場長、秘書係長、秘書労働工場各課長を経て、1932年(昭和7年)10月、目黒区長に就任し、1936年(昭和11年)10月、品川区長に転じた。ついで1937年(昭和12年)12月、下谷区長となり、1940年(昭和15年)8月まで務め、同年12月、東京市会事務局長に就任した。ほか、大政翼賛会局長などを務めた。
木佐木 勝(きさき まさる、1894年 - 1979年)は日… 木佐木 勝(きさき まさる、1894年 - 1979年)は日本の編集者。東京府出身。早稲田大学英文学科卒。 中央公論社、改造社に務め、1965年に図書新聞社で『木佐木日記』を刊行。2016年に中央公論新社で改訂復刊され、ジャーナリズム史・文化史の貴重な資料として評価されている。 1894年、東京府下品川町に生まれる。伯父の感化で文学少年になる。早稲田大学では片上伸に師事。早稲田騒動で波多野精一の留任運動にも加わった。1918年教師などを経たのち、翌1919年、中央公論社に入社。滝田樗陰の下、高野敬録、伊藤茂雄らとともに『中央公論』の編集に従事。図書新聞社から刊行された『木佐木日記』は入社時1919年から、樗陰が死去した1925年までのものである。