柳田 敏司(やなぎだ としじ、1926年4月4日 – 201… 柳田 敏司(やなぎだ としじ、1926年4月4日 – 2011年8月17日)は、日本の考古学者。 大宮市生まれ。1947年埼玉師範学校本科卒業。1951年3月國學院大學文学部史学科を卒業。卒業論文は「武州大宮宿檢地の一考察」。中学校、高等学校の教員を経て、1956年7月、埼玉県教育局社会教育課文化財保護係に異動となり、以後、埼玉県の文化財保護行政に携わる。埼玉県庁で、文化財保護課長、埼玉県立博物館長などを歴任したのち、埼玉県文化財保護審議会委員、埼玉県考古学会長なども務める。2005年秋の叙勲で双光旭日章受章。
長尾 宇迦(ながお うか、1926年2月3日 - 2018年… 長尾 宇迦(ながお うか、1926年2月3日 - 2018年1月2日)は、日本の作家。 大連市生まれ。本籍山口県。本名・豊。國學院大學卒。盛岡市で高校教師を務めるかたわら、同人誌『東北文脈』を発刊。 1958年「白い寒波」で岩手日報新聞小説賞、1964年「山風記」で小説現代新人賞受賞。1971年初の著書を刊行、1987年「幽霊記―小説・佐々木喜善」で直木賞候補。 歴史に埋もれた人物を描くことが多い。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
小林 茂美(こばやし しげみ、男性、1926年-2009年5… 小林 茂美(こばやし しげみ、男性、1926年-2009年5月12日)は、日本の国文学者。 山形県生まれ。國學院大學文学部文学科卒業。同大学院博士課程修了、1978年「王朝文学の伝承構造論的研究」で文学博士。國學院大學文学部教授。97年定年退職、名誉教授。
金子 量重(かねこ かずしげ、1925年12月7日 -201… 金子 量重(かねこ かずしげ、1925年12月7日 -2017年5月20日 )は、日本のアジア民俗学者、図書館情報学者。 神奈川県横浜市に生まれる。1950年に國學院大學文学部史学科を卒業した。同年より新宿のCIE図書館に勤務した。1951年には慶應義塾大学図書館学科を修了する。 1952年から駐日アメリカ合衆国大使館図書館および同広報文化局審議室に勤務した。その後大使館のアメリカン・センターでも勤務し、1977年に退職する。図書館勤務のかたわらアジアの陶器などについて研究した。 このほか、大妻女子大学、東京造形大学などの非常勤講師を務めた。 アジア民族造形文化研究所所長,名誉学術博士。アジア民族造形学会会長。
江頭 光(えがしら こう、1925年11月26日 - 200… 江頭 光(えがしら こう、1925年11月26日 - 2009年11月28日)は、日本の新聞記者、著作者。 学徒出陣後、1948年國學院大學国文学科卒。同年西日本新聞入社。社会部次長、福岡市都市圏部長、文化部長などを歴任。1993年第18回福岡市文化賞(地域史部門)受賞。1982年~1998年福岡市社会教育委員長。地元の行事を温かく的確に報道し「博多記者」と称された。博多の行事を「国学の視点」でとらえ直したからこそ、著作は今も新鮮だ、と評された。博多に関する著書を現役記者時代から退職後まで多数刊行。没後においても2011年に「博多ことば」が海鳥社から新装再刊された。 1.^ 朝日新聞 2009年11月30日西部版訃報欄 2.^ 江頭 光 『博多ことば』著者略歴 海鳥社 2011年 194頁 3.^ 西日本新聞 2009年12月5日都市圏版
林 陸朗(はやし ろくろう、1925年8月12日 - 201… 林 陸朗(はやし ろくろう、1925年8月12日 - 2017年2月17日)は、日本の歴史学者。國學院大學文学部名誉教授。文学博士。専門分野は日本古代史。 富山県富山市出身。1949年に國學院大學文学部史学科を卒業、同年助手。1965年から同専任講師、1966年から助教授、1969年から教授。同大学文学部長、大学院委員長、1991年国学院短期大学長を歴任。1996年定年退職、名誉教授。 1970年国学院大学にて「上代政治社会の研究」で文学博士。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鎌田久子(かまた ひさこ、1925年〈大正14年〉5月10日… 鎌田久子(かまた ひさこ、1925年〈大正14年〉5月10日 - 2011年〈平成23年〉1月17日)は、日本の民俗学者。成城大学名誉教授。 静岡県磐田郡天竜村(後の磐田市)生まれ。実践女子専門学校卒、国学院大学卒。柳田國男に師事、柳田の秘書も務めた。南方熊楠賞(1990年制定)では選考委員を務めた。2003年には「南方二書」の原本を発見した。 2011年1月17日、卵巣がんにより死去。
杉崎 一雄(すぎさき かずお、1925年(大正14年)4月2… 杉崎 一雄(すぎさき かずお、1925年(大正14年)4月28日 - 1998年(平成10年)4月6日)は、日本の国語学者である。 東京府(現在の東京都)に生まれる。國學院大學卒業後、同大学の助教授として活動した。その後は共立女子短期大学や中京大学等に勤務しそれぞれ教授として活動した。この頃に大学教授としての傍ら、古代から現代までの文法における謙譲語を中心とした敬語法の研究に携わった。 また、この頃に池上秋彦や金田弘、鈴木丹士郎らと共に国語辞典の『大辞泉』の編纂に携わり、同委員の敬語専門として活動した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
豊田 きいち (とよだ きいち、本名:豐田 龜市、1925年… 豊田 きいち (とよだ きいち、本名:豐田 龜市、1925年4月6日 - 2013年1月10日)は、日本の編集者、著作権研究者。 1925年生まれ。旧制獨協中学校、旧制第二高等学校を経て、陸軍予備士官学校で終戦を迎える。1943年(昭和18年)早稲田大学に入学。1946年(昭和21年)、師である言語学者・金田一京助の移動に伴い、國學院大學に転入。1949年(昭和24年)卒業。同年、小学館に入社。『小学一年生』から始まり、二年から六年まで学習雑誌の編集部に在籍、51年『小学六年生』編集長、1959年に日本初の週刊少年誌となる『週刊少年サンデー』を創刊、初代編集長に就任する。63年『女性セブン』初代編集長。
和田 利政(わだ としまさ、1925年 - 2022年6月1… 和田 利政(わだ としまさ、1925年 - 2022年6月19日)は、日本の国語学者、國學院大學名誉教授。専攻は国語学、特に敬語史研究。『旺文社国語辞典』の編纂者。 東京八王子生まれ。1951年國學院大學国文科(旧制)卒業。同大学助手、講師、助教授、1969年教授、1996年定年退任、名誉教授。
外間 守善(ほかま しゅぜん、1924年(大正13年)12月… 外間 守善(ほかま しゅぜん、1924年(大正13年)12月6日 - 2012年(平成24年)11月20日)は、日本の言語学者・沖縄学研究者。沖縄学研究所所長、法政大学名誉教授。伊波普猷の後継者であり、琉球文学・文化研究の第一人者。 1924年(大正13)、沖縄県那覇市に生まれ。 1939年(昭和14)那覇尋常高等小学校高等科卒業後、同年沖縄県立水産学校入学。1940年(昭和15)沖縄県師範学校入学。 1944年(昭和19)8月、妹の静子は学童疎開で対馬丸の犠牲となった。1945年(昭和20)1月、守善は19歳の沖縄師範学校在学中に、沖縄戦で現地入隊となり、第24師団歩兵第32連隊第2大隊(志村大隊)に配属される。
森田 峠(もりた とうげ、1924年10月16日 - 201… 森田 峠(もりた とうげ、1924年10月16日 - 2013年6月6日)は、俳人。本名・康秀。 大阪府生。國學院大學国文科卒。1942年より作句し「誹諧」の高浜虚子・年尾選に投句。1944年、岡安迷子に師事。迷子に連れられて小諸に疎開中の虚子に会いに行き、この際に虚子から「峠」の俳号を貰った。 1951年、兵庫県尼崎市尼崎高等学校に教員として奉職。同年、阿波野青畝の「かつらぎ」に入会。翌年より長く編集長を務めたのち、1990年に青畝より「かつらぎ」主宰を継承。2013年、同名誉主宰に就任。また俳人協会顧問も務めた。 代表句に「箱河豚の鰭は東西南北に」などがある。虚子・青畝に学んだ写生を信条とし、吟行を重んじた。
新井 章(あらい あきら、1924年〈大正13年〉10月12… 新井 章(あらい あきら、1924年〈大正13年〉10月12日 - 2001年〈平成13年〉6月11日)は、日本の歌人、文芸評論家。江戸川大学名誉教授。同じく江戸川大学教授を務める新井正彦(1957年 - )は子。 長野県上伊那郡長谷村(現伊那市)生まれ。1945年10月に長野青年師範学校を卒業後、長野県小野青年学校などの教諭を歴任。1958年、國學院大學文学部文学科卒。1970年4月より江東区立亀戸中学校教頭。1985年より江戸川女子短期大学教授、人文学科長。1990年より江戸川大学教授、教養部長。1995年に定年退職し、名誉教授。歌誌『水門』主宰、千葉日報歌壇選者。
渡部 英麿(わたなべ ひでまろ、1924年9月24日 - 2… 渡部 英麿(わたなべ ひでまろ、1924年9月24日 - 2011年10月12日)は、広島県広島市西本浦町(現南区)出身の宮司。元サッカー選手、指導者。 実家は広島市の黄金山に面した邇保姫神社。國學院大學出身という異色の経歴は神社の神主だからである。 広島似島中学教諭時代に日本代表に選出され、1954年のワールドカップスイス大会予選と第2回アジア競技大会(マニラ)の国際Aマッチ2試合に先発出場した。体格も良く、ゴールキーパーとして安定したプレーを見せ、名ゴールキーパーと謳われた。視力が悪かったためメガネを掛けてプレーした。当時チームでのニックネームはやはり「神主」だったという。 指導者としても活動しており、山陽高校監督として1967年、同校を全国高校選手権優勝に導いた。
金田 元彦(かねだ もとひこ、1924年9月18日 -201… 金田 元彦(かねだ もとひこ、1924年9月18日 -2013年9月22日)は、日本の国文学者。 東京生まれ。1942年関東学院中学部卒、47年國學院大學文学部卒、51年東京大学文学部言語学研究科修了。54年國學院大学文学部助手。講師、助教授、教授、2000年定年退任。幸田文に弟子入りしていた。イラン研究者であり、名寄市立大学講師の小山貴博は従孫。
鎗田 清太郎(やりた せいたろう、1924年7月29日 - … 鎗田 清太郎(やりた せいたろう、1924年7月29日 - 2015年8月31日)は、日本の詩人、編集者。 東京生まれ。1949年國學院大學文学部哲学科卒。角川書店に勤務、1957年に編集部次長で退社、知性社出版部長、表現社出版部長、新人物往来社編集局長。1995年日本現代詩人会会長。詩誌『火牛』代表。2002年『思い川の歌』で丸山薫賞受賞。
塩田 丸男(しおだ まるお 1924年7月27日 - )は、… 塩田 丸男(しおだ まるお 1924年7月27日 - )は、日本の作家・評論家である。
中島 司有(なかじま しゆう、1924年〈大正13年〉3月7… 中島 司有(なかじま しゆう、1924年〈大正13年〉3月7日 - 2002年〈平成14年〉7月5日)は、日本の書家、書道教育者、元NHKアナウンサー。文学博士。國學院大學名誉教授。現代書道研究所創設者。本名は中島壌治。 東京都神田区(現千代田区)出身。小学校時代に左利きを矯正するために書を習い始め、栄田有宏に師事。1948年(昭和23年)に21歳で毎日展かな部で最高賞、翌年の日書展では最高賞、文部大臣賞を受賞し名を広めた。 京華商業高校、國學院大學国文科を卒業後、NHKに入局。主にアナウンサーを6年、演出を7年、計13年徳島・松山局などで勤め、1965年(昭和40年)より母校である國學院大學の教員を開始(のちに名誉教授となる)。
松浦 武(まつうら たけし、1924年 - ?)は、日本史学… 松浦 武(まつうら たけし、1924年 - ?)は、日本史学者、文芸評論家。旧姓・社本(しゃもと)。 愛知県生まれ。國學院大學文学部国史学科卒。名古屋市立保育短期大学助教授、名古屋市立短期大学教授、愛知工業大学教授。 松浦武の名で歴史研究、社本武の名で文芸評論を書く。豊田工業高等専門学校名誉教授・松浦由起(よしき、1950 - )は息子。
水谷 光男(みずたに みつお、1923年(大正12年)12月… 水谷 光男(みずたに みつお、1923年(大正12年)12月30日 - 2016年(平成28年)8月28日)は、三重県伊勢市長(5期)。 三重県桑名郡多度町(現・桑名市)出身。1946年、國學院大學国史学科卒。同年、三重県庁に入る。県庁では知事公室県民室広報係長、県民室長補佐、県民室長、東京事務所長、農林水産、生活環境、福祉の各部次長、北勢県民局長を経て、1980年、伊勢市助役となる。1984年、伊勢市長に当選、2004年まで4期20年務めた。2005年旭日中綬章を受章。2013年瑞宝単光章を受章。2016年8月に死去した。死去後、死没日をもって正八位から従四位に叙された。
山上 伊豆母(やまかみ いずも、1923年(大正12年)7月… 山上 伊豆母(やまかみ いずも、1923年(大正12年)7月9日 - 2008年1月11日)は、日本の民俗学者。 京都府生まれ。父は神官、歌人の山上忠麿(1887年 - 1965年)。國學院大學卒、立命館大学卒、同志社大学大学院、帝塚山大学教養学部教授。1974年「古代祭祀伝承の研究」で國學院大學文学博士。1994年定年退任。
濱川 博(はまかわ ひろし、1923年7月8日 - )は、日… 濱川 博(はまかわ ひろし、1923年7月8日 - )は、日本の文芸評論家。長崎県生まれ。國學院大學卒。朝日新聞宮崎支部から鹿児島支局長。大妻女子大学教授を務めた。
松原 純一(まつばら じゅんいち、1923年3月10日 - … 松原 純一(まつばら じゅんいち、1923年3月10日 - 1966年6月22日)は、日本の編集者・近代文学研究者。元相模女子大学教授。角川書店創業当時の中心人物。 創業当初の角川書店の中心人物として活躍し、角川源義を助けた。のち相模女子大教授に就任。森鷗外に関心をもち、自ら推進した「表現」誌上に「舞姫」論及び小倉時代の鷗外について論考を発表、また森しげ女の小説についても言及している。
米原 正義(よねはら まさよし、1923年2月22日 - 2… 米原 正義(よねはら まさよし、1923年2月22日 - 2011年11月3日 )は、日本の日本史学者。國學院大學名誉教授。中世史専攻。 1923年、島根県で生まれた。國學院大學で学び、桑田忠親らに師事。同大学大学院博士課程を修了。卒業後は母校の國學院大學教授となった。1978年、学位論文『戦国武士と文藝の研究』を國學院大學に提出して文学博士の学位を取得。1995年、國學院大學を定年退任し、名誉教授となった。 専門は日本中世史で、尼子氏、大内氏などを研究テーマとした。NHK大河ドラマ『毛利元就』では時代考証を担当した。のち、茶人や茶の湯の研究も行っている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
竹野 栄(たけの さかえ、1922年4月27日 - 没年不明… 竹野 栄(たけの さかえ、1922年4月27日 - 没年不明)は、日本の児童文学作家、教育者。 北海道奥尻島出身。北海道第二師範学校(現在の北海道教育大学)、國學院大學卒業。 師範学校在学中に素話を行った際に、自作の童話を使って行いたいと考えたことがきっかけで児童文学を志す。1961年から石森延男に師事し、児童文学を執筆し始める。1963年に『ブチよしっかり渡れ』で第4回講談社児童文学作品を受賞し、デビュー。 大学卒業後の約40年間、北海道や東京で小学校教諭を勤めていた体験を生かし、数々の児童文学作品を発表する。教師や校長先生たちと子供たちとの交流を題材とした、明るくのびのびとした作品が多い。その一方で、小学校低学年を対象にした国語や生活科に関連した絵本や、児童向けのノンフィクションの執筆も多く手掛ける。
山川 京子(やまかわ きょうこ、1921年8月25日 - 2… 山川 京子(やまかわ きょうこ、1921年8月25日 - 2014年3月20日)は、歌人。 東京府出身。旧姓:田中。松本清張の父・峯太郎の弟・田中嘉三郎の娘で、つまり清張の従妹にあたる。國學院大學文学部国文科卒。中河幹子、折口信夫に師事した。同じく折口門下の詩人・山川弘至と結婚するが、45年夫が戦死。「をだまき」をへて1954年「桃」を創刊。伝統性を尊重しロマン主義をめざす。 大本の信者で、教団の教育機関・梅松塾の第三代塾長を務めた。
須知 徳平(すち とくへい、本名:須知 茂(すち しげる)、… 須知 徳平(すち とくへい、本名:須知 茂(すち しげる)、1921年7月28日 - 2009年3月17日)は、日本の小説家、児童文学作家。 岩手県盛岡市出身。國學院大學専門部卒業。軍隊から復員後、岩手県や北海道で中学、高校の教師をしたのち上京する。 1962年、『ミルナの座敷』で講談社児童文学作品受賞(当時は佐川茂名義)、同作品はNHKのNHK少年ドラマシリーズ(1972年4月1日 - 4月29日放送)にもなった。 ほかには小林旭の監督で映画化された『春来る鬼』で、1963年毎日新聞社主催の第一回吉川英治賞を受賞(現在の吉川英治文学賞とは別)。1988年から盛岡大学の教授および非常勤講師を務めた。
今村 充夫(いまむら みちお、1921年6月25日 - 20… 今村 充夫(いまむら みちお、1921年6月25日 - 2015年8月27日)は、日本の民俗学者、歌人。 朝鮮京畿道京城府(現・大韓民国ソウル特別市)生まれ。京城公立中学校(現・ソウル高等学校)卒。旧制國學院大學予科から学部国文学科卒。旧制福井県立小浜中学校教諭、新制若狭高校、石川県立各高等学校の教諭、教頭を経て、石川県立郷土資料館副館長、分館長。国立石川工業高等専門学校講師(1996年当時)。 加能民俗の会会長、石川県歌人協会会長、石川県立郷土資料館(石川県立歴史博物館の前身)副館長、日本民俗学会名誉顧問、金沢市文化財保護審議委員。国立民族学博物館国内資料調査委員。折口信夫に師事。1983年(62歳)の時に『日本の民間医療』弘文堂を公刊する。
岩沢 愿彦(いわさわ よしひこ、1921年 - )は、日本の… 岩沢 愿彦(いわさわ よしひこ、1921年 - )は、日本の歴史学者。東京大学史料編纂所教授を経て、東京大学名誉教授。 國學院大學史学科卒。1948年東京大学史料編纂所勤務、62年助手、70年助教授、73年教授、82年定年退官、名誉教授、日本大学文理学部教授。神奈川県川崎市に居住した。 高柳光壽、桑田忠親、奥野高廣らと共に、昭和初期に活躍した國學院大學系の歴史学者である。特に奥野高廣と共同校注した『信長公記』(角川文庫・1969年)は現在でも広く利用されている。また織田信長、豊臣秀吉期の史料研究を展開し、「山城・近江における豊臣氏の蔵入地について」(『歴史学研究』288号、1964年)、「石田三成の近江佐和山領有」(高柳光寿博士頌寿記念会編『戦乱と人物』吉川弘文館、1968年)、「本能寺の変拾遺-『日々記』所収天正十年夏記について」(『歴史地理』 91巻4号、 1968年)などの重要な論文を発表し、戦国史解明に貢献した。
小川 信(おがわ まこと、1920年12月31日 - 200… 小川 信(おがわ まこと、1920年12月31日 - 2004年11月15日)は、日本の日本史学者。日本学士院賞受賞者。國學院大學名誉教授。 専門は日本中世史。室町時代政治史をテーマとし、考証に重きをおいた。晩年、歴史地理的な研究にも取り組んだ。自身が中心となって『久我家文書』編纂・刊行に従事。 東京市に生まれる。1938年暁星中学校卒業。1940年國學院大學予科修了。1942年9月國學院大學史学科卒業。卒業論文は「荘園内に於ける番頭に就いて」。同年10月応召。後、陸軍少尉に至る。1945年8月シベリア抑留。1948年5月復員。10月埼玉県立浦和高等学校教諭。1949年暁星高等学校講師。1952年麻布高等学校講師。
中村 浩(なかむら ひろし、1920年7月15日 - 198… 中村 浩(なかむら ひろし、1920年7月15日 - 1985年8月23日)は、日本の国文学者、歌人。 大阪市生まれ。本名・米島勉。父は書道家で大阪朝日新聞にも勤務した中村眉山(本名は平三)。父親が阪田の書の代筆をしていた関係で、晩年の阪田三吉と交流があり、のちにその思い出をもとに阪田の27回忌(1972年)に、それを記念した『実録王将伝』を執筆、のちに『棋神・阪田三吉』として刊行した。 國學院大學文学部国文学科卒。折口信夫、金田一京助に師事。戦後、関西大学、薫英学園で教職につき、その後、大阪府議会事務局、四天王寺女子大学、羽衣学園短期大学、辻調理師学校に勤務。
飯田 龍太(いいだ りゅうた、1920年(大正9年)7月10… 飯田 龍太(いいだ りゅうた、1920年(大正9年)7月10日 - 2007年(平成19年)2月25日)は、山梨県出身の俳人。飯田蛇笏の四男で、蛇笏を継ぎ俳誌「雲母」を主宰。戦後の俳壇において森澄雄とともに伝統俳句の中心的存在として活躍した。
筑紫 申真(つくし のぶざね、1920年(大正9年)3月28… 筑紫 申真(つくし のぶざね、1920年(大正9年)3月28日 - 1973年(昭和48年)1月9日)は、在野の神話学者、歴史学者、民俗学者。 1920年(大正9年)、広島県に生まれる。広島県三原市の沼田神社社家で沼田国造家を称する筑紫家に連なる家系であったため、筑紫家の養子となる。実父は侍従武官も務めた陸軍中将坪島文雄。國學院大學を卒業し、第59代沼田国造として沼田神社の神職を務めながら、郷里の中学校の教師ともなる。戦中は応召し、戦後は広島県内の中学・高校教師を歴任。1952年6月に転任した三重県立亀山高等学校を振り出しに、三重県立鳥羽高等学校・三重県立志摩高等学校・三重県立上野高等学校・鳥羽・三重県立四日市高等学校・三重県立明野高等学校の各高校へと転任した。
丹羽 基二(にわ もとじ、1919年9月5日 - 2006年… 丹羽 基二(にわ もとじ、1919年9月5日 - 2006年8月7日)は、日本の民俗学者、苗字・家紋研究家。イタリアのオリエンタル大学名誉教授、文学博士。日本家系図学会会長、日本伝統美保存会、地名を守る会代表などを歴任した。 1919年、栃木県で生まれた。1944年、國學院大學国文科を卒業する。卒論のテーマは『源氏物語』。柳田國男、樋口清之、折口信夫、太田亮らに師事した。高校教師の傍ら苗字調査を続け、1980年の退職後に本格的な研究活動に入り、全国の100万基の墓を巡った。 2006年8月7日、肺炎のため逝去。 栃木県佐野市に住んでいた幼少時に、隣組の住人の苗字、四十八願(よいなら)に関心を抱き、師事した柳田國男にその苗字について質問をしたところ、柳田に勧められ苗字の研究を開始する。
西沢 爽(にしざわ そう、本名、西澤 義久(にしざわ よしひ… 西沢 爽(にしざわ そう、本名、西澤 義久(にしざわ よしひさ)、1919年(大正8年)1月9日 - 2000年(平成12年)7月19日)は、日本の作詞家、元日本作詩家協会会長、文学博士。 東京府出身。1954年(昭和29年)から日本コロムビアの専属となり、島倉千代子「からたち日記」、「恋しているんだもん」「星空に両手を」、美空ひばり「ひばりの佐渡情話」、「波止場だよ、お父つぁん」、水原弘「女の爪あと」、小林旭「さすらい」、舟木一夫「学園広場」など数々のヒット曲を世に送り、戦後の大衆音楽に多大な影響を与えた。 1974年(昭和49年)、休筆を宣言し、作詞活動の第一線から身を引く。その後、中世以降の歌謡曲研究に専念し、「日本近代歌謡史」、「雑学歌謡昭和史」などを著した。
杉山 博(すぎやま ひろし、1918年8月4日 - 1988… 杉山 博(すぎやま ひろし、1918年8月4日 - 1988年10月20日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。専門は日本中世史。 神奈川県小田原市出身。國學院大學文学部で高柳光寿、渡辺世祐の指導を受け日本中世史を学び、1941年に卒業。卒業論文は「中世末期に於ける夫役に就て」。その後、兵役につき、戦後、1946年國學院大學図書館司書、翌1947年から東京大学史料編纂所に勤務し、1966年に助教授、1972年4月から1976年4月まで教授。1976年から駒澤大学文学部教授。 地方史研究協議会の創立にも加わっており、史料・文書や自治体史の編修に尽力した。
貴志 正造(きし しょうぞう、1918年〈大正7年〉 - 1… 貴志 正造(きし しょうぞう、1918年〈大正7年〉 - 1980年〈昭和55年〉8月27日)は、日本の国文学者。中世日本文学・説話文学専攻。二松学舎専門学校・國學院大學文学部国文科卒業。二松学舎大学文学部国文学科教授を歴任。和歌山県生まれ。
大久間 喜一郎(おおくま きいちろう、1917年(大正6年)… 大久間 喜一郎(おおくま きいちろう、1917年(大正6年)12月13日 - 2012年(平成24年)3月24日)は、日本の国文学者・歌人。明治大学名誉教授。若い頃にはラジオアナウンサーを務めた経歴も持つ。 東京府東京市浅草区(現・東京都台東区)に生まれる。1940年、國學院大學文学部国文科を卒業。卒業後、日本放送協会アナウンサーから満洲電信電話勤務となる(満州電信電話には森繁久弥もアナウンサーとして勤務していた)。 戦後、獨逸学協会中学校(現・獨協中学校・高等学校)教師を経て、明治大学経営学部助教授となり、1962年に教授に就任。1972年「古代文学の構想」で國學院大學より文学博士の学位を取得。
角川 源義(かどかわ げんよし、1917年(大正6年)10月… 角川 源義(かどかわ げんよし、1917年(大正6年)10月9日 - 1975年(昭和50年)10月27日)は、日本の実業家、国文学者、俳人。KADOKAWAグループ創業者。俳号は源義(げんぎ)、水羊(すいよう)。 辺見じゅん(作家、幻戯書房代表)、角川春樹(俳人、角川春樹事務所会長兼社長)、角川歴彦(角川文化振興財団名誉会長、元KADOKAWA会長)の父。 富山県中新川郡東水橋町(現富山市)に父・源三郎、母・ヤイの三男として生まれた。父・源三郎は源義誕生時は鮮魚を商っていたが、後に米穀商に転じ成功している。 1930年(昭和5年)、富山県立神通中学校(現在の富山県立富山中部高等学校)に入学した。
菊池 武雄(きくち たけお、1917年8月11日 – 197… 菊池 武雄(きくち たけお、1917年8月11日 – 1974年10月24日 )は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。 東京都出身。1938年に國學院大學に入学し、1939年度には西岡虎之助が担当した科目「国史学」を履修。1941年3月に卒業。卒業論文は「吉野朝時代公家社会世相と洞院公賢」。同年6月東京帝国大学史料編纂所に入所。その後、兵役に就き、シベリア抑留を経て、1947年11月復員。1948年1月に史料編纂所に復帰し、1956年に助手、1968年に助教授、1974年に教授となる。古文書部に属し、東大寺文書の編纂を担当した。 1953年発表の論文『戦国大名の権力構造-遠州蒲御厨を中心として-』は、永原慶二によって「戦後新たに出発した戦国大名研究の起点に位置付けられる労作」と評価されている。
高宮 行男(たかみや ゆきお、1917年1月26日 - 20… 高宮 行男(たかみや ゆきお、1917年1月26日 - 2009年6月30日)は、日本の実業家、予備校経営者。國學院大學院友会第10代会長。「代々木ゼミナール」の創業者として知られる。北海道出身。 北海道滝川市に生まれる。生家は御嶽山神社で、高宮家は出雲の神官の係累である。 1938年に國學院大學神道学部を卒業し、太平洋戦争中は札幌歩兵第二十五連隊で連隊旗手を務めた。1943年に、東京都内でキャバレー、質屋、パチンコ屋チェーンなどを経営していた増田商事の社長増田亀吉の娘と結婚する。 義父に見込まれて経営に携わり1953年に開設した予備校「不二学院」で会計を担当したが、義父と離反して学院の支配権を掌握する。
吉川 泰雄(よしかわ やすお、1917年〈大正6年〉1月7日… 吉川 泰雄(よしかわ やすお、1917年〈大正6年〉1月7日 - 2000年〈平成12年〉1月31日)は、日本の言語学者、国語学者、歌人。國學院大學名誉学長。 東京生まれ。1940年(昭和15年)に國學院大學文学部国文学科を卒業し、同国史学科へ編入学、翌年1941年(昭和16年)に退学して東京帝国大学史料編纂掛雇(のち史料編纂所雇)、1952年(昭和27年)に同事務官、1953年(昭和28年)から國學院大學文学部専任講師、1958年(昭和33年)に同助教授、1963年(昭和38年)に同教授となり、1973年(昭和48年)からは文学部長、1975年(昭和50年)の佐藤謙三学長の死去にともなって学長代理、ついで学長をつとめ、1987年(昭和62年)まで在任、退任後に名誉教授・名誉学長となる。
今井 信雄(いまい のぶお、1917年 - 2009年)は、… 今井 信雄(いまい のぶお、1917年 - 2009年)は、日本の国文学者。信州白樺派教員に関する研究の第一人者である。 長野県諏訪郡長地村(現・岡谷市)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、國學院大学卒業。長野県内の小中高校教諭を経て、1948年成城学園中学校高等学校教諭。指揮者小澤征爾の中学の担任となり、小澤が指揮者の道に進んだのは今井の進言が影響した。成城短期大学(のちの成城大学短期大学部)助教授を経て、同短期大学教授、同短期大学学長。1983年退官、同短期大学名誉教授。
大沢 清(おおさわ きよし、1916年12月1日 - 200… 大沢 清(おおさわ きよし、1916年12月1日 - 2005年7月14日)は、神奈川県鎌倉郡川口村大字片瀬(現:藤沢市片瀬海岸)出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。プロ野球選手の大沢紀三男、大沢啓二は弟。タレントの大沢あかねは従孫娘。 神奈川県立商工実習学校、國學院大學を経て、1937年に名古屋軍へ入団しプロ入り。1年目から内野のユーティリティプレイヤーとして活躍し、1939年には川上哲治に次ぐ打率.310を記録する。第二次世界大戦終戦後、1946年に後身である中部日本軍へ復帰し、1949年に東急フライヤーズへ移籍。 1950年には新球団として発足した大洋ホエールズへ移籍し、一塁手に定着。
山川 弘至(やまかわ ひろし、大正5年(1916年)9月10… 山川 弘至(やまかわ ひろし、大正5年(1916年)9月10日 - 昭和20年(1945年)8月11日)は、歌人、詩人、国文学者。 岐阜県奥美濃の郡上市生まれ。國學院大學文学部国文科卒。折口信夫に師事。林富士馬らと文芸同人誌を興す。田中京子(山川京子)と結婚後5日目に召集され、敗戦直前に台湾で爆撃のため28歳で死去。 . NCID BB08934063
田畑 英勝(たばた えいかつ、旧名:龍英勝、1916年8月1… 田畑 英勝(たばた えいかつ、旧名:龍英勝、1916年8月15日 - 1983年8月11日)は、日本の民俗学者。奄美群島の民俗調査、著作に功績がある。 奄美大島の旧家の長男として鹿児島県名瀬市で生まれる。名瀬尋常高等小学校(奄美市立名瀬小学校)、旧制鹿児島県立大島中学校(鹿児島県立大島高等学校の前身)を経て、國學院大學で折口信夫、柳田國男に師事する。旧制大島中では美術部と乗馬部、国学院大学では柔道部として活動。1939年に國學院大學本科国文科を卒業後、台湾での教職を経て、満洲国立新京法政大学(中国語版)教授。戦後は1947年に故郷奄美大島に帰り、旧制奄美高等女学校(鹿児島県立奄美高等学校の前身)および同専攻科の教員を務めながら、奄美の民俗研究に取り組む。
鳥居 正博(とりい きみひろ、1916年〈大正5年〉2月27… 鳥居 正博(とりい きみひろ、1916年〈大正5年〉2月27日 - 1994年〈平成6年〉5月8日)は、日本の実業家。旺文社元副社長。日本英語検定協会元専務理事。國學院大學マスコミ院友会元副会長。鳥居耀蔵の養玄孫にあたる。鳥居支家十三代目。 東京府出身。杉並区堀ノ内在住。鎌田福寿の四男に生まれ、花園神社社司・鳥居成功の養子となる。養父・成功は鳥居耀蔵の曾孫にあたる。実妹は声優の鎌田弥恵。 1938年(昭和13年)國學院大學国文科を卒業後、旺文社に入社。1942年(昭和17年)国漢部次長となり、1946年(昭和21年)取締役書籍部長、1960年(昭和35年)専務を経て、1967年(昭和42年)副社長に就任。
景山 春樹(かげやまはるき、1916年1月9日-1985年7… 景山 春樹(かげやまはるき、1916年1月9日-1985年7月22日)は、日本の神道・仏教美術学者。 1916年、滋賀県大津市で生まれた。景山家は比叡山公人の家系であった。國學院大学文学部国史学科で学び、1939年に卒業。 1939年5月、京都市教育局学務課に入職。1941年1月、恩賜京都博物館鑑査員となった。1944年に応召し、1946年に復員。 1947年に文部技官となり、京都国立博物館考古室長兼普及室長を務めた。1964年、学位論文『神道美術の研究』を國學院大學に提出して文学博士の学位を取得。1970年に京都国立博物館学芸課長となり、1976年に退官。 1976年4月からは帝塚山大学教授として教鞭をとった。
加藤 克巳(かとう かつみ、1915年6月30日 - 201… 加藤 克巳(かとう かつみ、1915年6月30日 - 2010年5月16日)は、昭和・平成期の歌人。 京都府綾部市生まれ。旧制埼玉県立浦和中学校在学中に短歌を作り始め、若山牧水系の歌誌「菁藻」(主宰:髙橋俊人)に入会。1933年、國學院大學予科入学、1935年、國學院大學国文科進学、折口信夫、武田祐吉らの薫陶を受ける。在学中に新芸術派短歌運動に加わり「短歌精神」を創刊。1936年、若手歌人の集まり「四月会」に参加。1937年、第一歌集『螺旋階段』を刊行。1938年、國學院大學卒業。 その後応召し、敗戦まで軍隊生活を経験する。戦後は浦和中学校の教諭に復帰。1946年、常見千香夫、大野誠夫らと「鶏苑」を創刊、近藤芳美、宮柊二らと「新歌人集団」を結成。
岡田 一男(おかだ かずお、1915年3月31日 - 200… 岡田 一男(おかだ かずお、1915年3月31日 - 2009年3月7日)は、日本の歴史学者。日本文化大学名誉教授。宮本武蔵の研究家として関連著書がある。茨城県出身。剣道教士。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。