苣木 浅彦(すがき あさひこ、1923年2月23日 - 20… 苣木 浅彦(すがき あさひこ、1923年2月23日 - 2010年4月22日)は、日本の地球科学者。専門は、鉱床学。理学博士(東北大学・1955年)。東北大学名誉教授、山口大学名誉教授。佐賀県生まれ。 旧制宇部高等工業学校(現・山口大学工学部)採鉱科を経て、1945年東北帝国大学理学部岩石鉱物鉱床教室を卒業、翌年東北帝国大学助手となる。1953年同助教授。1955年、東北大学より理学博士の学位を取得、学位論文は「本邦産硫化鉱石の組織に関する熱的研究」。 1957年から山口大学工学部教授となる。1966年から1969年まで、米国ペンシルベニア州立大学・カナダ地質調査所に文部省在外研究員として滞在。
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岩山三郎(いわやま さぶろう、1920年10月8日-1996… 岩山三郎(いわやま さぶろう、1920年10月8日-1996年5月24日)は、日本の美学・美術史学者。 東京生まれ。奈良県立奈良中学校、松山高等商業学校を経て、1943年東北帝国大学法文学部美学藝術学科卒、阿部次郎に師事した。卒業と同時に海軍予備学生隊に入隊、教育班に配属され、海軍兵学校教官を務めた。終戦後、東北大学大学院に進学し、49年より神戸大学文理学部に勤務。小林太市郎のもとで助手となった後、文学部・教養部等で講師・助教授・教授を務め、70年より文学部で芸術学の講座を担当した。84年定年退官、名誉教授となり、87年から91年にかけて宝塚造形芸術大学教授を務めた。95年勲三等旭日中綬章受章。
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大島 孝一(おおしま こういち、1916年12月7日 - 2… 大島 孝一(おおしま こういち、1916年12月7日 - 2012年8月27日)は、日本の教育者、物理学者、平和運動家。女子学院院長。 熊本市に生まれる。1935年福岡県中学修猷館、1937年旧制福岡高等学校理科乙類を経て、1940年、東北帝国大学理学部物理学科卒業。 1941年、福岡管区気象台に勤務中に応召し陸軍の気象班員となる。終戦後、1945年の暮れに九州に向かう途中で、原子爆弾で焼野原となった広島を見て衝撃を受け平和運動を志す。 その後、東北大学理学部地球物理学教室助手を経て、岩手大学学芸学部の物理学の助教授となり、岩手県農村文化懇談会の一員として『戦没農民兵士の手紙』(岩波新書、1961年)の編集に参加している。
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柴田 治三郎(しばた じさぶろう、1909年2月17日 - … 柴田 治三郎(しばた じさぶろう、1909年2月17日 - 1998年7月27日)は、日本の文学研究者、ドイツ文学者、東北大学名誉教授。
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小池 勇二郎(こいけ ゆうじろう、1908年〈明治41年〉5… 小池 勇二郎(こいけ ゆうじろう、1908年〈明治41年〉5月20日 - 1977年〈昭和52年〉12月7日)は、日本の通信技術者、通信工学者、電気工学者、電子工学者。工学博士。松下電器産業東京研究所所長、松下電器産業中央研究所所長、株式会社松下電器東京研究所取締役社長、松下技研株式会社取締役社長。東北大学名誉教授、テレビジョン学会名誉会員。 新潟県中蒲原郡茨曽根村茨曽根(現 新潟市南区茨曽根)出身。1925年(大正14年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1928年(昭和3年)3月に新潟高等学校を卒業、1931年(昭和6年)3月に東北帝国大学工学部電気工学科を卒業した。 1931年(昭和6年)5月に日本放送協会に入局、日本放送協会仙台放送局に配属、日本放送協会本部技術局に異動、送信用の大出力真空管を開発、日本放送協会東京大電力放送所を設計、π型回路の簡易な設計法を発表した。
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猶原 恭爾(なおはら きょうじ、1908年(明治41年)4月… 猶原 恭爾(なおはら きょうじ、1908年(明治41年)4月- 1987年(昭和62年)4月11日 )は、日本の植物生態学者である。資源科学研究所研究員を経て、山に牛を放牧する酪農である山地酪農を提唱し日本に広めた。岡山県高梁市出身。 1908年(明治41年)に岡山県高梁市で出生。その後、旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学を経て、1928年(昭和3年)に鹿児島市にある第七高等学校理科甲類へ進学する。1931年(昭和6年)同校を卒業し、1932年(昭和7年)東北帝国大学理学部生物学教室へ入学する。1935年(昭和10年)3月に同大学を卒業した。 猶原は大学卒業後、1938年(昭和13年)30歳とき、東京府大泉師範学校の設立時教諭となり、同時期に、企画院の外郭団体として設立された大日本帝国の国策調査・研究を行う機関である東亜研究所に所属する。
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尾崎 博(おざき ひろし、1907年2月1日- 1994年2… 尾崎 博(おざき ひろし、1907年2月1日- 1994年2月23日)は、日本の古生物学者。理学博士。国立科学博物館地学研究部長、斎藤報恩会自然史博物館館長などを歴任した。鳥取県鳥取市出身。 1907年、鳥取県気高郡青谷村(現在の鳥取市)で生まれる。旧制倉吉中学校を卒業後、1924年に満州教育専門学校へ第一期生として入学。同期には後の妻となる女性の兄がいた。1928年、東北帝国大学理学部地質学古生物学科に進学し、矢部長克に学ぶ。1932年、再び満州国に戻り、満鉄地質調査所に技師として配属。満州各地で地質資源の探査に貢献する。 1947年に日本へ帰国。1950年国立科学博物館地学課長。1959年、東京教育大学理学博士「Stratigraphical and paleontological studies on the neogene and Pleistocene formations of the Tyosi district」。
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土井正徳(どい まさのり、1900年1月20日-1966年8… 土井正徳(どい まさのり、1900年1月20日-1966年8月18日)は、日本の精神医学者。 熊本県出身。熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校)、1925年東北帝国大学医学部卒、29年医学博士となる。満州医科大学(現・中国医科大学)助教授を務め、戦後は最高裁判所家庭局法務技官をへて、1965年東洋大学文学部教授となる。フロイトの著作の翻訳も行った。
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河野 与一(こうの よいち、1896年(明治29年)9月12… 河野 与一(こうの よいち、1896年(明治29年)9月12日 - 1984年(昭和59年)7月6日)は、日本の哲学者・翻訳家。元東北帝国大学教授。 1896年、神奈川県で生まれた。神戸で育ち、神戸一中から東京帝国大学哲学科に進み、卒業。 卒業後は、暁星中学校に教諭として勤務。その後、第三高等学校教授、法政大学教授を経て、1927年に東北帝国大学助教授に就いた。1946年に教授昇格。戦後の1950年、東北帝国大学を退官して岩波書店の顧問として迎えられた。 多数の言語に通じ、フランス文学、哲学、西洋古典語を講じた。1957年、『プルターク 英雄伝』の原典訳で読売文学賞に選ばれたが、受賞を辞退した。
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宇田 新太郎(うだ しんたろう、1896年(明治29年)6月… 宇田 新太郎(うだ しんたろう、1896年(明治29年)6月1日 - 1976年(昭和51年)8月18日)は、日本の工学者。東北大学教授。 専門は電気工学、通信工学で、八木・宇田アンテナの発明者として知られ、同郷の盛永俊太郎、川原田政太郎と共に「魚津の三太郎博士」と呼ばれた。 富山県下新川郡舟見町(現・入善町)出身。旧制魚津中学、広島高等師範学校を経て、一旦長野県の旧制大町中学で教職に就くが、その後に東北帝国大学工学部電気工学科に入学。1924年に卒業後そのまま大学に奉職し、当時東北帝国大学で隆盛をみた超短波をはじめとする電磁波による電気通信の研究に従事し、八木秀次とともに八木・宇田アンテナを共同発明した。
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田所 芳秋(たどころ よしあき、 1889年(明治22年)8… 田所 芳秋(たどころ よしあき、 1889年(明治22年)8月 - 1977年(昭和52年)6月29日) は、日本の鉱物学者。元日本製鐵八幡製鐵所研究所長。帝国学士院賞受賞。 高知県出身。旧制高知県立中学海南学校(現高知県立高知小津高等学校)を経て、1911年旧制大阪高等工業学校卒業。1916年東北帝国大学理科大学物理学科卒業、理学士。同年官営八幡製鐵所(研究課)入所。1920年東北帝国大学理学博士。官営八幡製鐵所研究所で研究し、日本製鐵八幡製鉄所技師、研究所監事、研究所長、日本製鐵理事などを経て、高知県工業試験場長に就任。1923年正七位勲六等瑞宝章。1934年帝国学士院賞受賞、従四位。1938年日本鉄鋼協会香村賞受賞。
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真島 正市(まじま まさいち、1886年12月15日 - 1… 真島 正市(まじま まさいち、1886年12月15日 - 1974年4月28日)は、日本の応用物理学者。東京大学名誉教授。元東京理科大学学長。元日本学士院会員。元日本金属学会会長。元応用物理学会会長。文化功労者。日本学士院賞受賞。 香川県大川郡神前村(現さぬき市)生まれ。日本における応用物理学分野の権威であり、金属、木材、摩擦、衝撃、燃焼等、多方面に亘って物理現象を研究する。1965年文化功労者。主著に『応用物理学実験法』、『圧力測定法』等。
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逢坂 信忢(おうさか しんご、1882年〈明治15年〉9月9… 逢坂 信忢(おうさか しんご、1882年〈明治15年〉9月9日 - 1981年〈昭和56年〉1月7日)は、日本の牧師、伝道者、宗教哲学者、社会運動家、郷土史家、著述家。 新潟県中蒲原郡女池新田(現 新潟市中央区女池)の、女池新田、神道寺新田、および小張ノ木新田の戸長を務めていた名望家・逢坂清治の次男として出生。 1900年(明治33年)3月に新潟県中学校を卒業、1902年(明治35年)7月に札幌農学校予修科を卒業、1908年(明治41年)12月に東北帝国大学農科大学(旧 札幌農学校)農学科(農政学・農業経済学専攻)を卒業。 1915年(大正4年)9月に救世軍に入隊、1916年(大正5年)6月に救世軍士官学校を卒業、中尉に任官、東京銀座小隊長に就任、1917年(大正6年)4月に大尉に任官、1919年(大正8年)春に救世軍を除隊。
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藤原 松三郎(ふじわら まつさぶろう、1881年2月14日 … 藤原 松三郎(ふじわら まつさぶろう、1881年2月14日 - 1946年10月12日)は、日本の数学者・数学史家。第二次世界大戦前において、90編の欧文論文を著し、1936年にオスロで開催された国際数学者会議で招待講演を行うなど、当時の日本の数学界を代表する数学者であり、また日本数学史、中国数学史、朝鮮数学史をカバーする和漢数学史家としても大きな業績を残した。特に8000枚という膨大な遺稿「日本数学史」は『明治前日本数学史』全5巻(岩波書店、1955-1960)としてまとめられ、現在においても和算史を研究する上で最も重要かつ基本的な文献となっている。 1911年(明治44年)、東北帝国大学に数学科が設置されると、30歳で教授に就任。
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大島 金太郎(おおしま きんたろう、明治4年9月18日(18… 大島 金太郎(おおしま きんたろう、明治4年9月18日(1871年10月31日) - 昭和9年(1934年)1月27日)は、日本の農学者。 長野県諏訪郡宮川村(現在の茅野市)で、先代・大島金太郎の長男として生まれる。1893年(明治26年)、札幌農学校を卒業し、1895年(明治28年)に札幌農学校の助教授に就任した。 1898年(明治31年)より農芸化学研究のためアメリカ合衆国・ドイツに留学し、アメリカでは農務省技師嘱託となった。1903年(明治36年)に帰国して札幌農学校教授となり、翌年から北海道庁技師を兼ねた。1907年(明治40年)、論文提出により農学博士の学位を得た。同年、札幌農学校が東北帝国大学農科大学に改称し、東北帝国大学教授となる。
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井上 仁吉(いのうえ じんきち、1868年12月17日(明治… 井上 仁吉(いのうえ じんきち、1868年12月17日(明治元年11月4日)- 1947年(昭和22年)3月14日)は、日本の応用化学者。東北帝国大学総長、工学博士。号・青崖。 蘭方医・井上勤所の二男として京都に生まれる。京都一中(現京都府立洛北高等学校・附属中学校)を経て、1892年(明治25年)第一高等学校を卒業。1896年(明治29年)帝国大学工科大学応用科学科を卒業し、横浜瓦斯に入社。1899年(明治32年)東京帝大工科大学助教授に就任した。1903年(明治36年)ドイツのドレスデン大学に私費留学し、日露戦争のため1905年(明治38年)に帰国し東京帝大教授に昇任し応用化学第1講座を担任した。
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小川 正孝(おがわ まさたか、1865年2月21日(元治2年… 小川 正孝(おがわ まさたか、1865年2月21日(元治2年1月26日) - 1930年(昭和5年)7月11日)は、日本の化学者。東北帝国大学総長兼教授。 松山中学(現在の愛媛県立松山東高等学校)から東京大学に学ぶ。1890年6月から1896年8月にかけて、静岡県尋常中学校で数学・物理・化学の教員を務めた。ロンドン大学のラムゼー研究室に留学。 2年間の留学中、トリウム鉱石のトリアナイト(方トリウム石、ThO2)の中に新元素を探す研究を行った。1906年の帰国後も研究を続け、1908年、「原子量が約100の43番目の元素」を発見し、ニッポニウム (Nipponium: Np) と命名したと発表した。
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