スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
酒井 忠明(さかい ただあきら、1917年〈大正6年〉1月3… 酒井 忠明(さかい ただあきら、1917年〈大正6年〉1月30日 - 2004年〈平成16年〉2月28日)は、酒井左衛門尉家21代当主、写真家、書家、歌人、財団法人致道博物館名誉館長。1998年勲五等双光旭日章。1999年鶴岡市名誉市民。 1917年(大正6年)、旧庄内藩主 酒井家20代当主・酒井忠良の長男として山形県鶴岡市家中新町に生まれる。母は大給近道長女・萬千子。 1935年(昭和10年)に旧制鶴岡中学(現・山形県立鶴岡南高等学校)を卒業後、酒井家図書研究所文会堂で旧庄内藩校致道館伝統に基づく「庄内学」とも称される儒学や東洋古典などを学びながら短歌を始め、歌人で万葉集研究家の国文学者、佐佐木信綱に師事する。
大久保 公治(おおくぼ こおじ、1916年(大正5年) - … 大久保 公治(おおくぼ こおじ、1916年(大正5年) - 2002年(平成14年))は、日本の画家。
成沢 翠映(なりさわ すいえい、本名:喜三郎、1915年(大… 成沢 翠映(なりさわ すいえい、本名:喜三郎、1915年(大正4年) - 1998年(平成10年))は、日本の画家。
三井 惣一(みつい そういち、1915年(大正4年) - 1… 三井 惣一(みつい そういち、1915年(大正4年) - 1953年(昭和28年))は、日本の画家。
山本 甚作(やまもと じんさく、1915年(大正4年) - … 山本 甚作(やまもと じんさく、1915年(大正4年) - 1996年(平成8年)10月4日)は、日本の画家。
足達 兼一郎(あだち けんいちろう、1914年(大正3年)3… 足達 兼一郎(あだち けんいちろう、1914年(大正3年)3月24日 - 1980年(昭和55年)2月11日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第9代市長。栄典は、従六位・勲八等。
木村 儀三郎(きむら ぎさぶろう、1914年 - 1978年… 木村 儀三郎(きむら ぎさぶろう、1914年 - 1978年)は、日本の画家。旧姓は川村。
白井 重麿(しらい しげまろ、1913年(大正2年)7月12… 白井 重麿(しらい しげまろ、1913年(大正2年)7月12日 - 1984年(昭和59年)11月25日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第10代市長、満州国官吏。栄典は正六位・勲四等・旭日小綬章。
石黒 慶之助(いしぐろ けいのすけ、1913年(大正2年)6… 石黒 慶之助(いしぐろ けいのすけ、1913年(大正2年)6月1日 - 1998年(平成10年)1月19日)は、日本の歯科医師、海軍軍人、歯科医大尉、歯学士、医学博士、開業歯科医、(社)鶴岡地区歯科医師会会長、(社)山形県歯科医師会理事、山形県歯科医師政治連盟顧問、栄典は正五位・勲五等・双光旭日章。
今井 繁三郎(いまい しげさぶろう、明治43年(1910年)… 今井 繁三郎(いまい しげさぶろう、明治43年(1910年)2月7日 - 平成14年(2002年)1月9日)は、日本の画家。羽黒町名誉町民(現:鶴岡市名誉市民)。 羽黒町(旧泉村)戸野に生まれる。 旧制鶴岡中学(現:山形県立鶴岡南高等学校)卒業後、上京。創作に励む傍ら、美術雑誌の編集長を務める。また太平洋戦争の最中には、従軍画家として諸国を巡った。戦後、帰郷。美術団体「白甕社(はくおうしゃ)」の代表を長年務め、庄内の芸術振興や後身の指導に尽力した。 具象、抽象を織り交ぜた奔放な画風で知られ、晩年まで旺盛に創作を続けた。 1990年に鶴岡市山王町にあった豪商の土蔵を買い取り、自作を常設展示する今井繁三郎美術収蔵館を自宅庭に開館した。
斎藤 秀一(さいとう ひでかつ、1908年12月24日 - … 斎藤 秀一(さいとう ひでかつ、1908年12月24日 - 1940年9月5日)は、日本の言語学者、僧侶。エスペランティスト、ローマ字論者。別名に森馥、鳥海昇、北島三郎、野沢愛蘭。 明治41年、山形県東田川郡山添村(現:鶴岡市櫛引地区)泉流寺の長男として生まれる。鶴岡中学(現・山形県立鶴岡南高等学校)、1931年駒澤大学文学部東洋文学科卒業。大学在学中、日本エスペラント学会、カナ文字会、秋田雨雀らのソビエトの会の会員となる。 大学卒業後、朝日村大泉小学校教員となり、大平や八久和などの分校に勤めていたが、軍国主義教育に批判的であり、児童にローマ字を教えていたことが問題視され、赤化教員の疑いで鶴岡警察署に1度目の逮捕。
田中 正佐(たなか しょうすけ、1908年(明治41年)11… 田中 正佐(たなか しょうすけ、1908年(明治41年)11月2日 - 2000年(平成12年)1月8日)は、日本の実業家。大丸副社長を経て、東急グループの総帥である五島昇に招かれ、東急百貨店社長に就き、東光ストア(現・東急ストア)や東急エージェンシー社長も兼任し、グループの流通事業の発展に力を尽くした。 山形県鶴岡市出身。父正造、母こえだのもと7人兄弟の次男として生まれる。田中家は庄内藩の家臣で、母方は家老の家柄だった。 鶴岡中学校、新潟高等学校、京都帝国大学経済学部を卒業。山添直(小田急不動産社長)は幼友達。 満鉄への入社を希望していたが、知人のすすめもあって1933年、大丸に入社。入社5年後の1938年、大丸が進出していた中国の蘇州店支配人を任される。
齋藤 求(さいとう もとむ、1907年〈明治40年〉10月2… 齋藤 求(さいとう もとむ、1907年〈明治40年〉10月20日 - 2003年〈平成15年〉12月24日)は、日本の画家。
佐藤 貫一(さとう かんいち、1907年4月13日 - 19… 佐藤 貫一(さとう かんいち、1907年4月13日 - 1978年2月26日)は、日本の刀剣学者。(財)日本美術刀剣保存協会常務理事。刀剣博物館副館長。貴ノ花後援会会長。号は寒山。 日本刀研究の権威として知られる[要出典]。特に新刀の研究で知られ、古刀の研究で知られる本間薫山と並んで、しばしば両山と呼ばれる[要出典]。 栄典・称号は従四位・勲三等・瑞宝章・文学博士(國學院大學)・剣道教士七段。
金井 勝助(かない かつすけ、1905年(明治38年)5月2… 金井 勝助(かない かつすけ、1905年(明治38年)5月27日 - 1986年(昭和61年)4月18日)は、日本の銀行家。荘内銀行頭取、会長を歴任した。 六十七銀行頭取を務めた金井成功の3男として、山形県西田川郡大宝寺村(現:鶴岡市)に生まれる。 旧制鶴岡中学(現:山形県立鶴岡南高等学校)卒業後、医師を目指し旧制第四高等学校に進むが、在学中に両親を亡くし、六十七銀行から強く入行を求められた。このため進路を変え、京都帝国大学経済学部に入学。卒業後、同行に入行した。 1941年4月に合併によって荘内銀行が発足する際には、合併事務の統括を担当。荘銀が誕生後には35歳にして支配人に就き、営業部長と庶務部長を兼務した。
犬塚 又太郎(いぬづか またたろう、1905年5月1日 - … 犬塚 又太郎(いぬづか またたろう、1905年5月1日 - 1994年)は、日本の漢学研究家、(財)致道博物館初代館長理事・常任顧問。
相良 守次(さがら もりじ、1903年5月8日 - 1986… 相良 守次(さがら もりじ、1903年5月8日 - 1986年11月7日)は、日本の心理学者、東京大学名誉教授。栄典は、正四位・勲三等旭日中綬章。 山形県鶴岡市に相良守一の次男として生まれる[要出典]。荘内中学校を経て[要出典]、1925年水戸高等学校理科甲類卒業。1929年東京帝国大学文学部心理学科卒業、同文学部副手。1936年成城高等学校教授、1943年東京帝国大学文学部心理学科助教授、1952年同教授。1952年『逆向抑制の心理学的研究』で文学博士。1964年定年退官、名誉教授。1964年東京女子大学文理学部教授、1969年同大学退職。このほか、湘南工科大学、文教大学の各教授を務めた。 1961年から1964年まで日本心理学会会長を務める。
大井 篤(おおい あつし、1902年(明治35年)12月11… 大井 篤(おおい あつし、1902年(明治35年)12月11日 - 1994年(平成6年)12月27日)は、日本の海軍軍人。海兵51期・海大34期。最終階級は海軍大佐。 大東亜戦争(太平洋戦争)中に海上護衛総司令部参謀を務め、戦後に『海上護衛戦』(日本出版共同、1953年)を上梓したことで知られる。 1902年(明治35年)12月11日、医師の二男として山形県鶴岡市(現)に生まれる。荘内中学校(現:山形県立鶴岡南高等学校)を経て、1920年(大正9年)8月26日に海軍兵学校に入校し、1923年(大正12年)7月14日に卒業した(兵51期)。入校席次は11位/293名、卒業席次は9位/255名。兵51期の同期生には樋端久利雄(首席)、小園安名、山本祐二、実松譲、工藤俊作らがいる。
矢口 麓蔵(やぐち ろくぞう、1902年(明治35年)7月5… 矢口 麓蔵(やぐち ろくぞう、1902年(明治35年)7月5日 - 1990年(平成2年)8月13日)は、日本の外交官。初代外務省入国管理部長、初代外務省移住局長、駐チリ特命全権大使、駐キューバ特命全権大使。 山形県出身。旧制山形県立鶴岡中学校(現山形県立鶴岡南高等学校)を経て、1924年神戸高等商業学校(現神戸大学)本科卒業。1931年外務省入省。特別調達庁事業局次長兼経営部長、連絡調整中央事務局第三部長、外務省管理局入国管理部長などを経て、外務省移住課参事官として移民政策を構想した。日本・カンボジア平和条約が締結された1955年からは外務省移住局長を務め、農業労働者のカンボジアへの移民を行う旨の大綱について合意を獲得した。
阿達 英次郎(あだち えいじろう、1902年6月11日 - … 阿達 英次郎(あだち えいじろう、1902年6月11日 - 1989年)は、日本の医師、医学博士、開業医、栄典は勲五等・瑞宝章。
笹原 儀三郎(ささはら ぎさぶろう、1902年(明治35年)… 笹原 儀三郎(ささはら ぎさぶろう、1902年(明治35年) - 1994年(平成6年)9月6日)は、日本の教育者、郷土史家。 山形県鶴岡町(現:鶴岡市)に生まれる。 荘内中学校(現:山形県立鶴岡南高等学校)、旧制第二高等学校を経て、京都帝国大学文学部文学科を卒業。同大大学院で英文学を研究する。 秋田県立秋田中学校(現:秋田県立秋田高等学校)、京都市立第一工業学校(現:京都市立洛陽工業高等学校)、京都府立第一中学校(現:京都府立洛北高等学校・附属中学校)、旧制二高で教鞭を執り、鶴岡南高等学校、山形県立鶴岡北高等学校、山形県立山形北高等学校で校長、鶴岡工業高等専門学校では教授を務めた。 1994年9月6日、死去。
尾形 六郎兵衛(おがた ろくろうべえ、1901年(明治34年… 尾形 六郎兵衛(おがた ろくろうべえ、1901年(明治34年)3月29日 - 1973年(昭和48年)7月24日)は、日本の漁業家、政治家、参議院議員、自由党所属、栄典は正五位・勲三等・瑞宝章・藍綬褒章、幼名は昌作。
服部 卓四郎(はっとり たくしろう、1901年(明治34年)… 服部 卓四郎(はっとり たくしろう、1901年(明治34年)1月2日 - 1960年(昭和35年)4月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。 山形県出身。陸士34期、陸大42期(優等)。 陸軍士官学校34期を秩父宮雍仁親王を除き、12番の成績で卒業。同期に西浦進、石井秋穂、堀場一雄、赤松貞雄、西田税、三好達治などがいる。 服部は、同期の西浦・堀場とともに「三十四期の三羽烏」と称されるほどの俊秀であった。 陸軍大学校42期を卒業。卒業後、しばらくは参謀本部に勤務したが、1934年(昭和9年)~1935年(昭和10年)フランス留学、1936年(昭和11年)にはエチオピア戦争を観戦するなど海外畑を歩いた。
加藤 精三(かとう せいぞう、1900年(明治33年)11月… 加藤 精三(かとう せいぞう、1900年(明治33年)11月20日 - 1965年(昭和40年)5月3日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第6代市長、衆議院議員(5期)、致道博物館顧問。山形県西田川郡鶴岡町(現・鶴岡市)出身。防衛庁長官・内閣官房長官・自民党幹事長を歴任した加藤紘一の父。
村井 貞敏(むらい さだとし、1900年(明治33年)8月2… 村井 貞敏(むらい さだとし、1900年(明治33年)8月27日 - 1944年(昭和19年)5月22日)は、日本の海軍軍人。 山形県鶴岡市で誕生、荘内中学校出身。1922年(大正11年)6月、海軍兵学校50期を卒業、任官。1937年(昭和12年)12月1日駐満海軍部副官着任後、1938年(昭和13年)駐満海軍部が解散した後も、1940年(昭和15年)11/15帰任までの期間、満州国中枢における海軍諜報機関として日華事変の情報収集に当たった。1944年5月22日、砲艦橋立の艦長として南シナ海東沙島南方海域で損傷輸送船の救助中に、米潜水艦の雷撃を受け沈没、戦死した。
風間 彦男(かざま ひこお、1899年10月20日 - 19… 風間 彦男(かざま ひこお、1899年10月20日 - 1945年2月3日)は、日本の陸軍軍人、最終階級は陸軍中尉、酒田風間氏分家・東美家第八代当主。
斎藤 弘吉(さいとう ひろきち、1899年〈明治32年〉8月… 斎藤 弘吉(さいとう ひろきち、1899年〈明治32年〉8月13日 - 1964年〈昭和39年〉9月19日)は、日本の日本犬研究家、芸術家、古美術研究家である。 東京都渋谷駅前の『忠犬ハチ公』を広く知らしめたことや、第1次南極地域観測隊の『タロとジロ』他の樺太犬救出のために尽力した事でも知られる。ペンネームは、斎藤弘。 社団法人日本犬保存会初代会長。財団法人日本動物愛護協会理事長。社団法人日本庭園協会常務理事。日本哺乳動物学会理事。世界動物保護連盟日本代表理事。動物友の会代表。空気銃対策協議会代表。ハチ公銅像維持会顧問。 洋画家を目指して東京美術学校を卒業したが、病気療養中に日本犬と出会い、当時、絶滅が危惧される状況にあった日本犬の保存活動をする事を決めた。
安倍 栄作(あべ えいさく、1899年 - 1983年6月2… 安倍 栄作(あべ えいさく、1899年 - 1983年6月27日)は、山形県出身の日本の洋画家。 東田川郡藤島村(現・鶴岡市)に生まれる。生家は高橋家で、鶴岡の安倍家の家督を継いだ。山形県立荘内中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)に進学し、東京美術学校日本画科出身の美術教員・小貫博堂に指導を受けた。東京美術学校図画師範科に進学・卒業後、北海道庁立函館高等女学校(現・北海道函館西高等学校)教員となる。その後、郷里に近い山形県立鶴岡高等女学校(現・山形県立鶴岡北高等学校)の教員に転じた。 画家としては、太平洋美術会、槐樹社、地元鶴岡の美術団体である白甕社に所属。「バラの画家」の異名もあった。
山本 善雄(やまもと よしお、1898年(明治31年)6月2… 山本 善雄(やまもと よしお、1898年(明治31年)6月20日 - 1978年(昭和53年)11月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。山形県鶴岡市出身。 旧制山形県立荘内中学校より海軍兵学校第47期入校。山本は海軍大学校甲種課程卒業後は、海軍中央部に在職することが多かったいわゆる赤レンガ組士官であり、太平洋戦争中の軍政の中枢にあった人物である。最後の軍務局長を務めた後、公職追放を経て、海上自衛隊の前身、海上警備隊建設準備委員会(Y委員会)主宰を務めた。
白井 勇(しらい いさみ、1898年(明治31年)6月19日… 白井 勇(しらい いさみ、1898年(明治31年)6月19日 - 1984年(昭和59年)4月12日)は、日本の政治家、参議院議員。 全国食糧検査協会理事長を務めるなど食糧行政の権威として重きを成した。 庄内藩新徴組取扱役・西郷村長だった白井重遠の6男として山形県西田川郡鶴岡町(現・鶴岡市)に生まれる。1917年(大正6年)に山形県立荘内中学校)を卒業し、北海道帝国大学予科を経て東京帝国大学農学部農政経済科に進学。1925年(大正14年)に大学を卒業すると農林省に入省し、仙台米穀事務所長(1933年(昭和8年))・食糧庁検査課長(1945年(昭和20年))で退官する。 1953年(昭和28年)4月24日の第3回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で出馬、362,293票を得て初当選し左派社会党に入党するが翌年社会党から除名、自由党に入る。
大八木 栄治(おおやぎ えいじ、明治31年(1898年)5月… 大八木 栄治(おおやぎ えいじ、明治31年(1898年)5月29日 - 昭和37年(1962年)3月19日)は、日本の画家。大山町教育長。 美術教師を務める傍ら画業に励み、日本画、水彩画、油彩画など多くの作品を残した。代表作に、第9回帝展で入選した『枯れたる向日葵』がある。
松木 侠(まつき たもつ、1898年〈明治31年〉3月9日 … 松木 侠(まつき たもつ、1898年〈明治31年〉3月9日 - 1962年〈昭和37年〉7月10日)は、日本の政治家、弁護士、旧鶴岡市第8代市長。栄典は正五位・勲三等・旭日中綬章。哲学者・木田元の伯父。
斎藤 保太郎(さいとう やすたろう、1897年(明治30年)… 斎藤 保太郎(さいとう やすたろう、1897年(明治30年)7月20日 - 1943年(昭和18年)12月8日)は、日本ホーリネス教会、きよめ教会の牧師である。太平洋戦争中に、治安維持法違反で検挙され、服役中に殉教した。 山形県西置賜郡温海村湯温海(現・鶴岡市)に生まれた。鶴岡市の庄内中学(現・鶴岡南高等学校)に入学したが、中退し上京する。絵画の才能があったので、東京では肖像画を描いて生計を立てていた。 1915年(大正4年)単立教会の本郷浅嘉町教会の牧師小沢勝之助に導かれて洗礼を受ける。 1918年(大正7年)に東洋宣教会の聖書学院に入学する。1921年(大正10年)に卒業し、神田ホーリネス教会の副牧師になり、奥野まつと結婚する。
林 信雄(はやし のぶお、明治30年(1897年)4月8日 … 林 信雄(はやし のぶお、明治30年(1897年)4月8日 - 昭和39年(1964年)12月12日)は、日本の医学者、医学博士(千葉医科大学)。放射線による内科的診断・放射線医学の先駆者。従五位・勲四等・旭日小綬章。 山形県鶴岡市出身。
氏家 彦太郎(うじいえ ひこたろう、明治30年(1897年)… 氏家 彦太郎(うじいえ ひこたろう、明治30年(1897年)2月14日- 昭和57年(1982年)11月30日)は、日本の刀剣鑑定家、(株)松ヶ岡製作所社長、致道博物館理事、日本美術刀剣保存協会評議員、山形県銃砲刀剣登録審査員。栄典は勲五等・瑞宝章。
川村 智保(かわむら ちほ、1896年〈明治29年〉6月19… 川村 智保(かわむら ちほ、1896年〈明治29年〉6月19日 - 1993年〈平成5年〉3月9日)は、日本の画家。
松本 毅(まつもと たけし、1896年(明治29年)4月14… 松本 毅(まつもと たけし、1896年(明治29年)4月14日 - 1962年(昭和37年)5月14日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。山形県鶴岡市出身。開拓使の松本十郎の孫にあたる。
山口 将吉郎(やまぐち しょうきちろう、1896年(明治29… 山口 将吉郎(やまぐち しょうきちろう、1896年(明治29年)3月30日 - 1972年(昭和47年)9月12日)は、山形県鶴岡市出身の日本画家。挿絵画家。 高校時代は、美術講師の小貫博堂に指導を受け、大学時代は、結城素明に師事した。 大学卒業後は、絵画展覧会に作品を出品したり、同人誌などで挿絵を発表する。 その後は、主に小説本などの挿絵を描き、その中でも『神州天馬侠』 吉川英治(著)の挿絵は有名。 従甥に奇人の南画家として知られる服部二柳がいる。
森 悌次郎(もり ていじろう、 1896年1月25日 - 1… 森 悌次郎(もり ていじろう、 1896年1月25日 - 1969年7月13日)は、山形県鶴岡市出身の体育学者、大学教授、サッカー選手。 1916年3月に山形県立荘内中学校(現:山形県立鶴岡南高等学校)を卒業。東京高等師範学校に入学し、蹴球部に入部した。在学中の1921年6月に開催された第5回極東選手権競技大会のサッカー日本代表に選出され、2試合に出場した。 1923年3月に東京高師本科体育科甲組を卒業し、同年4月より東京高師の助手兼助教諭に任じられた。1925年4月に東京女子体操音楽学校の講師となり、1926年から1年間体操の研究のためにドイツ国に留学した。1927年8月に東京高師の助教授兼助教諭となった。
林 茂助(はやし もすけ、明治28年(1895年)4月29日… 林 茂助(はやし もすけ、明治28年(1895年)4月29日 - 平成2年(1990年)10月4日)は、日本の化学者、理学博士、東京工業大学名誉教授、鶴岡工業高等専門学校初代校長。
相良 守峯(さがら もりお、1895年(明治28年)4月14… 相良 守峯(さがら もりお、1895年(明治28年)4月14日 - 1989年(平成元年)10月16日)は、日本の独文学者。 東京大学名誉教授、鶴岡市名誉市民(第一号)、勲二等瑞宝章受章、文化勲章受章。贈従三位(没時叙位)、贈勲一等瑞宝章(没時陞叙)。山形県鶴岡市出身。幼名は鈇太郎(おのたろう)だったが、鉄太郎(てつたろう)と間違えられることが多かったため、数え23歳の年の瀬に郡長の許可を得て守峯と改めた(『茫々わが歳月』p.7)。 木村謹治とともに編纂した独和辞典は「キムラ・サガラ」と呼ばれた。 大独和辞典の編纂やゲーテの研究等でも有名。日本独文学会の創設に貢献した。
酒井 忠悌(さかい ただやす、1893年〈明治26年〉6月6… 酒井 忠悌(さかい ただやす、1893年〈明治26年〉6月6日 - 1962年〈昭和37年〉11月28日)は、出羽庄内藩11代藩主、伯爵・酒井忠篤の四男。鶴城書道会会長。致道博物館顧問。東北農家研究所相談役。山形県社会教育委員。通称は小三郎、号は南荘。子に酒井忠一。 旧庄内藩酒井家当主・酒井忠篤の四男として鶴岡市家中新町に生まれる。伯父(忠篤の長兄)酒井忠恕の未亡人の瑛昌院に奉仕して桧物町邸に居住していたが、没後鷹匠町に移って、長い間酒井家の学問所・文会堂で経書を講じた。早くから漢学を赤沢源也に、漢詩と書道を黒崎研堂に学んでいて、昭和37年(1962年)3月に、松平穆堂の後を継いで鶴城書道会会長となった。
佐藤 幸徳(さとう こうとく、1893年(明治26年)3月5… 佐藤 幸徳(さとう こうとく、1893年(明治26年)3月5日 - 1959年(昭和34年)2月26日)は、日本の大日本帝国陸軍軍人。最終階級は中将。 山形県出身。陸士25期、陸大33期。インパール作戦において、軍司令官の牟田口廉也中将と対立し、作戦途中に師団長による独断退却を行ったことで知られる。 山形県に生まれた佐藤は、鶴岡中学校(現山形県立鶴岡南高等学校)から仙台陸軍幼年学校を経て、陸軍士官学校卒業。さらに1921年(大正10年)に陸軍大学校を卒業。陸軍参謀本部勤務や部隊勤務などを経る。 1930年(昭和5年)から2年間を陸軍参謀本部の戦史課で過ごす。この戦史課勤務時代に、小磯國昭や東條英機などの「統制派」に属する人物と多く交際し、橋本欣五郎とともに桜会の規約作成にも関与した。
佐藤 保太郎(さとう やすたろう、1893年3月5日 - 1… 佐藤 保太郎(さとう やすたろう、1893年3月5日 - 1977年3月7日)は、日本の地理学者、教育者、教育学者。第二次世界大戦直後の学習指導要領改訂などに携わり教育界の発展に寄与した。奥州大学(現富士大学)教授を歴任。
小松原 久治(こまつばら きゅうじ、1892年(明治25年)… 小松原 久治(こまつばら きゅうじ、1892年(明治25年)10月30日 - 1967年(昭和42年)1月17日)は、日本の元造幣局研究所所長、工学博士。
齋藤 悠輔(さいとう ゆうすけ、1892年〈明治25年〉5月… 齋藤 悠輔(さいとう ゆうすけ、1892年〈明治25年〉5月21日 - 1981年〈昭和56年〉3月26日)は、日本の最高裁判所判事。 栄典・称号は、正三位・勲一等瑞宝章・温海町名誉町民(後の鶴岡市名誉市民)。山形県西田川郡温海町(後の鶴岡市)出身。 山形県西田川郡温海町湯温海の刀工・齋藤清人の息子として生まれる。1910年、荘内中学校(後の山形県立鶴岡南高等学校)卒業(同窓生に石黒岩太がいた。)。第一高等学校卒業。 1917年、東京帝国大学法学部卒業。大阪地方裁判所司法官試補 任官。1918年、同裁判所判事 任官。1926年、大阪控訴院判事 任官。1935年、東京地方裁判所検事 任官。1937年、司法制度を調査するため欧米諸国を歴訪する。
石黒 岩太(いしぐろ いわた、1892年(明治25年)3月3… 石黒 岩太(いしぐろ いわた、1892年(明治25年)3月30日 - 1951年(昭和26年)10月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
阿部 孝壮(あべ こうそう、1892年(明治25年)3月24… 阿部 孝壮(あべ こうそう、1892年(明治25年)3月24日 - 1947年(昭和22年)6月19日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。 1892年3月24日、父・阿部周治、母・つる の五男として山形県東田川郡押切新田村(現・三川町)に生れる。実家は、味噌・醤油の醸造業を営む。荘内中学校を経て、1912年7月、海軍兵学校(40期)を卒業し、翌年12月、海軍少尉任官。第一次世界大戦では「八雲」乗組として青島攻略戦に参加した。1919年12月、海軍砲術学校高等科を卒業し、以後、砲術畑を歩む。 「山風」「秋風」の各砲術長、「陸奥」分隊長、「山城」「浅間」「長門」の各副砲長、海兵教官、「那珂」「足柄」「榛名」「日向」の各砲術長を歴任。
大瀬 欽哉(おおせ きんや、1891年(明治24年) - 1… 大瀬 欽哉(おおせ きんや、1891年(明治24年) - 1991年(平成3年))は、日本の歴史家。鶴岡市立図書館館長、(社)荘内文化財保存会理事、山形県地域史研究協議会副会長、栄典・称号は、勲六等単光旭日章・鶴岡市名誉市民。 1891年(明治24年)山形県鶴岡市家中新町に銀行員の大瀬正の四男として生まれる。荘内中学校(山形県立鶴岡南高等学校)を経て、山形師範学校第二部卒業。西田川郡で高等小学校の教師を務める。1936年(昭和11年)鶴岡市立図書館に司書として勤務し、同図書館館長を務める。1950年(昭和25年)以文会(現・致道博物館)が設立され評議員に就任。1955年(昭和30年)図書館館長を退職。
山宮 允(さんぐう まこと、1890年(明治23年)4月19… 山宮 允(さんぐう まこと、1890年(明治23年)4月19日 - 1967年(昭和42年)1月22日)は、日本の詩人、英文学者。日本詩人クラブ発起人の一人。 山形県山形市出身。山形県立荘内中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)から、第一高等学校に進む。一高時代からアララギの歌会に参加した。 1914年在学中に中心となって第三次『新思潮』を創刊、ほかに豊島与志雄、山本有三、井出説太郎(土屋文明)、柳川隆之介(芥川龍之介)、草田杜太郎(菊池寛)、成瀬正一、久米正雄、佐野文夫、松岡譲がいた。 1915年東京帝国大学英文科卒。 1917年、川路柳虹らと詩話会を結成、1918年から評論集『詩文研究』を上梓する。