笹原 恵通郎(ささはら えつろう、1930年4月2日 - )… 笹原 恵通郎(ささはら えつろう、1930年4月2日 - )は、群馬県出身のプロ野球選手。 高崎高校、伊藤商店、桐生織物、大生相互銀行を経て1954年に東映フライヤーズへ入団。同年に退団した。
群馬県立高崎高等学校:152人
笹原 恵通郎(ささはら えつろう、1930年4月2日 - )… 笹原 恵通郎(ささはら えつろう、1930年4月2日 - )は、群馬県出身のプロ野球選手。 高崎高校、伊藤商店、桐生織物、大生相互銀行を経て1954年に東映フライヤーズへ入団。同年に退団した。
岸 曉(きし さとる、1930年(昭和5年)3月29日 - … 岸 曉(きし さとる、1930年(昭和5年)3月29日 - 2019年(令和元年)11月15日)は、日本の銀行家。東京三菱銀行頭取、全国銀行協会連合会会長、成蹊学園理事長等を歴任した。 群馬県出身。東京大学経済学部卒業後、三菱銀行に入行。柏支店長、支店、調査各部副部長、八重洲通り支店長、支店部副部長、業務第一、業務企画、総合企画各部長を歴任。 1983年6月取締役に選任。常務、専務を経て、副頭取時代には東京銀行との合併にあっては統合作業を主導し、1996年4月に東京三菱銀行を発足させた。 1998年に頭取に就任。同年に発覚した大手銀行等による大蔵官僚らに対する過剰接待汚職事件では、全銀協会長として、銀行業界が厳しい批判にさらされる矢面に立った。
森野 善右衛門(もりの ぜんえもん、1928年12月7日 -… 森野 善右衛門(もりの ぜんえもん、1928年12月7日 - 2023年7月31日 )は、日本の神学者、牧師、翻訳家。東北学院大学名誉教授。 広島市生まれ。1945年群馬県立高崎中学校卒業。1948年松本高等学校理科甲類卒業。1953年広島文理科大学物理学科卒業。1957年東京神学大学大学院修士課程修了。日本基督教団信濃町教会、若草教会牧師。1966年東北学院大学助教授、教授。1996年定年退任、名誉教授。
山本 富雄(やまもと とみお、1928年〈昭和3年〉11月5… 山本 富雄(やまもと とみお、1928年〈昭和3年〉11月5日 - 1995年〈平成7年〉3月16日)は、日本の政治家、実業家。 参議院議員(3期)、農林水産大臣(第15代)。父は群馬県草津町長の山本泰太郎。長男は元参議院議員で群馬県知事の山本一太。 群馬県吾妻郡草津町出身。山本泰太郎(元群馬県草津町長)の二男として生まれる。旧制高崎中学(現群馬県立高崎高等学校)を経て、陸軍士官学校在学中に終戦を迎えた(60期)。祖父から続く旅館を経営しながら、山田屋(現在は廃業)を創業し、群馬県内屈指の優良企業に育て上げた[要出典]。草津温泉旅館組合長、同観光協会長を務めた。 1955年に26歳で草津町議会議員に当選(以後3期)。
駒林 邦男(こまばやし くにお、1928年〈昭和3年〉8月2… 駒林 邦男(こまばやし くにお、1928年〈昭和3年〉8月29日 - 2011年〈平成23年〉5月27日)は、日本の教育学者。岩手大学名誉教授。アルゴリズム化教育、ソビエト教育学を研究した。 群馬県高崎市生まれ。高崎中学校を経て、1952年(昭和27年)東京文理科大学教育学科卒業。同年北海道学芸大学釧路分校助手。岩手大学教育学部助教授、教授を経て同附属小学校長。1975年、「現代ソビエト教授 - 学習諸理論の研究」で、東京教育大学より教育学博士の学位を取得。 1994年、定年退官、名誉教授、日本大学工学部教授。没後、正四位。
新井 隆一(あらい りゅういち、1928年3月2日 - 20… 新井 隆一(あらい りゅういち、1928年3月2日 - 2017年6月17日)は、日本の公法学者。早稲田大学名誉教授。 1928年群馬県高崎市生まれ。旧制群馬県立高崎中学校を経て、1956年に早稲田大学第一法学部を卒業。1961年同大学院博士課程単位取得退学、1976年「行政法における私人の行為の理論」で法学博士。早稲田大学法学部助教授、教授、1998年定年、名誉教授。 2014年瑞宝中綬章受章。 2017年6月17日、肝腫瘍にて死去。89歳没。没後、正五位に叙された。
橋本 一明(はしもと いちめい、1927年〈昭和2年〉1月1… 橋本 一明(はしもと いちめい、1927年〈昭和2年〉1月1日 - 1969年〈昭和44年〉1月29日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。國學院大學教授。 群馬県碓氷郡原市町(現・安中市)に生まれる。旧制群馬県立高崎中学校、旧制第一高等学校を経て、東京大学文学部仏文科を卒業。一高在学時代には原口統三の影響を受け、フランス象徴派の詩人、特にアルチュール・ランボーを研究した。1965年(昭和40年)國學院大学教授。 42歳で肺癌により死去した。墓所は高崎市八幡霊園。 小説家の丸谷才一は國學院大学で同僚だった橋本について次のように語っている。 「わたしの二十代の末から十数年間の国学院時代――と名づけてゐるのですが、その国学院時代のわたしの生活にいちばん縁の深いのはこの三人(注・橋本一明、菊池武一、佐藤謙三)でした。
新井 昌一(あらい しょういち、1925年〈大正14年〉6月… 新井 昌一(あらい しょういち、1925年〈大正14年〉6月25日 - 2012年〈平成24年〉9月26日)は、日本の農業団体役員、実業家。全国共済農業協同組合連合会(全共連)会長、全国共済農業協同組合連合会初代経営管理委員会会長。位階は従四位。 群馬県群馬郡中川村浜尻(現・高崎市)出身。旧制高崎中学校卒業。 高崎市農協代表理事組合長を務め、群馬県農協中央会会長、JA群馬信連経営管理委員会会長、JA全農群馬県本部運営委員会会長、全共連群馬運営委員会会長、JA群馬厚生連代表理事会長を歴任。 ライフアドバイザーの強化や地域住民への普及活動などを効果的に展開し、4年連続で推進目標を達成するなどの実績を上げる[要出典]。
田中 健夫(たなか たけお、1923年〈大正12年〉9月27… 田中 健夫(たなか たけお、1923年〈大正12年〉9月27日 - 2009年〈平成21年〉10月12日)は、日本の歴史学者。文学博士(東京大学・論文博士・1977年)(学位論文「日本中世対外関係史の研究」)。東京大学名誉教授。中世東アジアの国際関係史を研究。 群馬県高崎市出身。1940年旧制群馬県立高崎中学校4年修了。1942年9月旧制新潟高等学校卒業。同年10月東京帝国大学文学部国史学科に入学し、1945年9月卒業。1949年東京大学史料編纂所入所、1961年助手、1966年助教授、1971年教授。1977年「日本中世対外関係史の研究」で文学博士(東京大学)の学位を取得。1984年定年退官、東京大学名誉教授、東洋大学教授。
堀口 星眠(ほりぐち せいみん、1923年〈大正12年〉3月… 堀口 星眠(ほりぐち せいみん、1923年〈大正12年〉3月13日 - 2015年〈平成27年〉2月2日)は、群馬県出身の俳人、医師。本名・慶次。 群馬県碓氷郡安中町(現・安中市)生まれ。旧制高崎中学、旧制新潟高校を経て、1942年に東京帝国大学医学部入学。1947年に卒業後、東大付属病院物療内科入局。 東京帝国大学在学中より水原秋桜子に師事。1949年、軽井沢に友人と共同で「森の家」と称する家を借り、翌年より大島民郎、相馬遷子、岡谷公二らと句会。「馬酔木」に新風を吹き込み馬酔木高原派と呼ばれた。1952年「馬酔木」同人。1955年、郷里の安中市にて開業。1958年馬酔木賞。1976年句集『営巣期』で第16回俳人協会賞受賞。
小川 清(おがわ きよし、1922年(大正11年)10月23… 小川 清(おがわ きよし、1922年(大正11年)10月23日 - 1945年(昭和20年)5月11日)は、大日本帝国海軍軍人。 1922年に群馬県高崎市で生まれる。群馬県立高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)、第二早稲田高等学院を経て、1942年秋に早稲田大学政治経済学部へ進学するが、大日本帝国海軍に憧れて1943年12月10日に横須賀第二海兵団に海軍二等水兵として入団する。1944年2月1日に海軍予備学生(14期飛行専修)となり、土浦海軍航空隊に入団すると、学問や飛行訓練などで頭角を現し、同年5月25日に基礎教程を修了、同日付で谷田部海軍航空隊に配属された。谷田部航空隊でも練習機を用いて飛行訓練を行い、同年9月28日に修了、同日付で神ノ池海軍航空隊に入隊した。
大河原 太一郎(おおかわら たいちろう、1922年〈大正11… 大河原 太一郎(おおかわら たいちろう、1922年〈大正11年〉5月26日 - 2017年〈平成29年〉3月5日)は、日本の農林水産官僚、政治家。群馬県出身。 参議院議員(3期)、農林水産大臣(村山内閣)、参議院予算委員長、農林水産事務次官などを歴任した。 群馬県碓氷郡松井田町新堀(現・安中市松井田町新堀)生まれ。松井田小学校、旧制高崎中学、旧制水戸高校を経て、東京帝国大学法学部に進学する。1943年(昭和18年)学徒出陣により経理軍人として樺太に赴任。1947年(昭和22年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。高等文官試験に合格して1947年農林省に入省。農政局に配属。農業協同組合課長、農地課長、大臣官房予算課長、企業流通部長、畜産局長等を経て大臣官房長、食糧庁長官、農林水産事務次官を歴任。
三輪 八郎(みわ はちろう、1921年11月13日 - 19… 三輪 八郎(みわ はちろう、1921年11月13日 - 1944年8月17日)は、群馬県群馬郡片岡村(現・高崎市)出身のプロ野球選手。左投左打。1942年・1943年は、同じ阪神軍に在籍していた三輪裕章と区別するため三輪八と書かれることもある。 高崎市片岡尋常小学校(現:高崎市立片岡小学校)、群馬県立高崎中学校(現:群馬県立高崎高等学校)卒業。甲子園出場経験は無いが、1936年の高崎中3年次には北関東大会決勝まで一人で投げ抜き、群馬県立桐生中学校(現:群馬県立桐生高等学校)に敗れた。 桐生中の野球部監督・稲川東一郎の推薦により、稲川の義弟で大阪タイガースの球団職員だった早川二郎を仲介して同球団に入団。
中曽根 康弘(旧字体: 中曾根 康弘、なかそね やすひろ、1… 中曽根 康弘(旧字体: 中曾根 康弘、なかそね やすひろ、1918年〈大正7年〉5月27日 - 2019年〈令和元年〉11月29日)は、日本の政治家。位階は従一位。勲等は大勲位菊花章頸飾。 衆議院議員連続20回当選(1947年 - 2003年)。科学技術庁長官(第7・25代)、運輸大臣(第38代)、防衛庁長官(第25代)、通商産業大臣(第32・33代)、行政管理庁長官(第45代)、内閣総理大臣(第71・72・73代)、自由民主党総務会長、自由民主党幹事長、自由民主党総裁(第11代)、公益財団法人「世界平和研究所」会長、拓殖大学第12代総長・理事長、名誉総長、東アジア共同体評議会会長、新憲法制定議員同盟会長などを歴任。
山崎 正(やまざき ただし、1916年〈大正5年〉8月20日… 山崎 正(やまざき ただし、1916年〈大正5年〉8月20日 - 1968年〈昭和43年〉1月19日)は、日本の作詞家。代表作の『お富さん』は春日八郎の歌唱により戦後日本の復興を代表するヒット曲のひとつとなった。 東京市亀戸町に生まれ、母親の再婚を機に群馬県高崎市に転居、旧制高崎中学卒業後、東京美術学校に入学、高橋掬太郎門下で作詞を学び、歌謡同人誌「幌馬車」の同人となる。 1937年、日中戦争による召集で高崎歩兵第15連隊に入隊、同年9月20日、傷病により現地の野戦病院に収容、翌10月4日に満州チチハル陸軍病院に転院。病院で作詞を続け『踊る支那兵』を「幌馬車」に発表。帰還後に前橋市の料亭「鳥辰」の長女ふみ子と結婚、1942年に作詞した『暁の門出』『茶作り次郎長』『軍歌千里」がレコード化されプロの作詞家としてデビューするも、1944年に再び召集、東部軍管区宇都宮師管区歩兵第三補充隊(東部第38部隊)の兵長として内地で終戦を迎える。
丸茂 重貞(まるも しげさだ、1916年〈大正5年〉5月29… 丸茂 重貞(まるも しげさだ、1916年〈大正5年〉5月29日 - 1982年〈昭和57年〉7月23日)は、日本の医師、政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。参議院議員(4期)。環境庁長官(第7代)を歴任した。所属派閥は福田派。青嵐会の結成にも参加した。陸軍軍医大尉。 1916年(大正5年)、群馬県吾妻郡坂上村(現・東吾妻町)の出身。出生地は坂上村とも長野県とも。高崎市に移り住み、1934年(昭和9年)旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)を卒業、1940年(昭和15年)東京医学専門学校卒業。医師免許取得後日本鋼管病院に勤務するが、同年10月軍医として応召。最終階級は陸軍軍医大尉。 1946年(昭和21年)7月に復員、群馬県群馬郡滝川村で内科医として開業。
武者 一雄(むしゃ かずお、1916年〈大正5年〉1月2日 … 武者 一雄(むしゃ かずお、1916年〈大正5年〉1月2日 - 2008年〈平成20年〉12月17日)は、日本の小説家、児童文学作家、僧侶。群馬県出身。本名・中村一雄。『ビルマの竪琴』の水島上等兵のモデルとなったとされることで知られる。 碓氷郡松井田町(現 安中市)生まれ。13歳で僧となる。旧制高崎中学校(現 群馬県立高崎高等学校)を経て、1936年駒澤大学専門部仏教科卒業。卒業後ただちに高崎第15連隊に入隊。1938年に北支に出征した後1941年に帰国。福井県の永平寺で2年間修業するが再び召集され、フィリピン、タイなど東南アジアを転戦後、多くの死者が出たインパール作戦に参加し、ビルマ(今のミャンマー)で終戦を迎える。
並木 高矣(なみき たかし、1913年〈大正2年〉8月27日… 並木 高矣(なみき たかし、1913年〈大正2年〉8月27日 - 2003年〈平成15年〉)は、日本の経営学者。 群馬県甘楽郡下仁田町本宿出身。旧制高崎中学校、旧制第二高等学校を経て、1938年東京工業大学機械工学科卒。同年立川飛行機に入社。戦後、日本能率協会に入る。東京商工指導所工業診断課長、玉川大学工学部教授を務め、84年定年。1973年黄綬褒章受章。
分部 順治(わけべ じゅんじ 1911年 <明治44年> 1… 分部 順治(わけべ じゅんじ 1911年 <明治44年> 1月6日 - 1995年 <平成7年> 3月1日)は、日本の彫刻家。
湯浅 正次(ゆあさ しょうじ、1911年〈明治44年〉1月4… 湯浅 正次(ゆあさ しょうじ、1911年〈明治44年〉1月4日 - 1999年〈平成11年〉1月7日)は、日本の実業家・政治家。新島学園中学校・高等学校、新島学園短期大学創設者。安中市長を5期20年に渡って務めた。群馬県安中市出身。位階は正五位。 1911年(明治44年)、群馬県碓氷郡安中町(現・安中市安中)に、湯浅三郎の四男として生まれる。実家湯浅家は天保3年(1832年)創業の醸造業有田屋を営んでおり、祖父治郎は衆議院議員・県会議員、父三郎は25年間にわたり安中町長を、さらに県会議員を務めた。 旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)を中退後、1947年(昭和22年)に有田屋代表取締役社長に就任して家業を継いだ。
近藤 宏二(こんどう こうじ 1910年〈明治43年〉9月9… 近藤 宏二(こんどう こうじ 1910年〈明治43年〉9月9日 - 1990年〈平成2年〉3月19日)は、日本の医師。群馬県吾妻郡原町(吾妻町を経て現・東吾妻町)出身。 群馬県立高崎中学校に入学後、東京府立第四中学校に転入し4年修了。第一高等学校を経て、1936年に東京帝国大学医学部を卒業。1937年内務省衛生局に入り、1938年厚生省(現・厚生労働省)が設立されると技官として結核予防施策に取り組んだ。戦後母子衛生課長を務め、その後退官。 1947年に東京大学より医学博士の学位を取得。学位論文の題は「本邦における潜在結核死亡推計に関する統計的研究」。 1952年よりNHKのラジオドクター・テレビドクターを務め、「皆さんの健康」「療養の時間」を担当する。
高橋 邦雄(たかはし くにお、1910年〈明治43年〉7月2… 高橋 邦雄(たかはし くにお、1910年〈明治43年〉7月25日 - 1988年〈昭和63年〉8月26日)は、昭和期の地方公務員、政治家。参議院議員(1期)、群馬県副知事。 群馬県群馬郡車郷村富岡(箕郷町を経て現高崎市)で生まれる。旧制高崎中学、旧制松本高校を経て、1936年(昭和11年)京都帝国大学法学部を卒業した。 1936年、群馬県庁に入庁し総務部地方課に配属された。1937年(昭和12年)10月、充員召集令により歩兵第15連隊に入隊し1940年(昭和15年)1月に召集解除となったが、1941年(昭和16年)8月に再度充員召集を受けて東部38部隊に入隊し、1945年(昭和20年)4月に解除された。
初世宮下 秀冽(みやした しゅうれつ、1909年〈明治42年… 初世宮下 秀冽(みやした しゅうれつ、1909年〈明治42年〉12月15日 - 1993年〈平成5年〉12月24日)は日本の作曲家・箏曲家。本名は宮下 哲郎(みやした てつろう)。三十絃箏の開発者。 群馬県高崎市(当時の群馬郡倉渕村)生まれ。旧制高崎中学を卒業後、熱病が原因で失明。箏曲家をこころざして、東京盲学校師範部音楽科に入学。古曲を初代萩岡松韻、新曲を宮城道雄、作曲を田辺尚雄から学んだ。1948年の「双調の曲」で三曲新作コンクール1位入賞。1953年の「箏主奏組曲『平家物語による幻想』」で 第8回音楽部門芸術祭奨励賞を受賞した。その後も芸術祭で受賞を繰り返した(大賞2回、入賞8回)ことから、「芸術祭男」とのあだ名で呼ばれた。
狩野 近雄(かのう ちかお、1909年〈明治42年〉4月5日… 狩野 近雄(かのう ちかお、1909年〈明治42年〉4月5日 - 1977年〈昭和52年〉3月10日)は、日本のジャーナリスト。毎日新聞社取締役、スポーツニッポン新聞社社長。 群馬県群馬郡古巻村八木原(現・渋川市八木原)に生まれる。旧制高崎中学校を経て、1932年(昭和7年)早稲田大学法学部を卒業。福田赳夫は高崎中学校の同級。 大学卒業後毎日新聞記者となる。東京裁判の取材ではキャップとして活躍。中部本社編集局長、印刷局長、東京出版局長、東京編集局長を歴任し、1965年(昭和40年)取締役に就任。中部本社代表、西部本社代表、常務取締役も務める。 1971年(昭和46年)よりスポーツニッポン新聞社社長、1975年(昭和50年)同会長。
蝋山 芳郎(ろうやま よしろう、1907年〈明治40年〉11… 蝋山 芳郎(ろうやま よしろう、1907年〈明治40年〉11月15日 - 1999年〈平成11年〉9月30日)は、日本のジャーナリスト、国際問題評論家。 筆名は高山五郎。蠟山政道、山田勝次郎、小山長四郎の弟。息子は高岡短期大学学長などを務めた蝋山昌一。 群馬県高崎市歌川町に生まれる。1925年(大正14年)に旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)を卒業し、旧制第一高等学校理科乙類へ進学するが1929年(昭和4年)に中退。1936年(昭和11年)同盟通信社に入社し、特派員としてインド、ビルマに滞在。1946年(昭和21年)に帰国し、共同通信社東亜部長を務める。1960年(昭和35年)に同社を退職し独立。
山口 薫(やまぐち かおる、1907年〈明治40年〉8月13… 山口 薫(やまぐち かおる、1907年〈明治40年〉8月13日 - 1968年〈昭和43年〉5月19日)は、群馬県出身の洋画家。元東京芸術大学教授。 1907年(明治40年)8月13日、群馬県群馬郡箕輪村金敷平(現・高崎市箕郷町金敷平)の大地主山口家で、父彦太郎、母佐登の間に11人きょうだいの末子として生まれる。 箕輪尋常小学校卒業後、旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)に進む。中学時代の絵日記が、のちに『山口薫中学時代絵日記』として出版されている。絵日記には油絵を描いたり、帝展を見に東京に出かける等の逸話が現れる。4年次に旧制水戸高校理科を受験するも失敗し、5年の冬に上京し当時藤島武二が洋画を指導していた川端画学校で学ぶ。
徳田 進(とくだ すすむ、1907年〈明治40年〉1月7日 … 徳田 進(とくだ すすむ、1907年〈明治40年〉1月7日 - 1998年〈平成10年〉4月23日)は、日本の国文学者。高崎経済大学第4代学長、同名誉教授。 群馬県高崎市宮元町生まれ。高崎中学校(群馬県立高崎高等学校の前身)卒、群馬師範学校専攻科卒。 1939年(昭和14年)東京女子高等師範学校助教授。1941年(昭和16年)、東京文理科大学国文科選科修了。1945年(昭和20年)9月、群馬師範学校教授。1953年(昭和28年)、高崎市立短期大学教授。 1956年(昭和31年)、「二十四孝の研究 特に近古近世の日本文学との交渉を中心として」で、東洋大学より文学博士。1957年(昭和32年)、高崎市立短期大学からの改組により高崎経済大学教授。
福田 赳夫(ふくだ たけお、1905年〈明治38年〉1月14… 福田 赳夫(ふくだ たけお、1905年〈明治38年〉1月14日 - 1995年〈平成7年〉7月5日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は正二位。勲等は大勲位。 大蔵省主計局長、衆議院議員(14期)、農林大臣(第2次岸改造内閣)、大蔵大臣(第1次佐藤第1次改造内閣・第1次佐藤第2次内閣・第2次佐藤第2次改造内閣・第3次佐藤内閣・第2次田中角栄第1次改造内閣)、外務大臣(第3次佐藤改造内閣)、行政管理庁長官(第2次田中角栄内閣)、経済企画庁長官(三木内閣)、自由民主党総裁(第8代)、内閣総理大臣(福田赳夫内閣)を歴任した。 東京帝国大学法学部から大蔵省入り。1947年主計局長となるが、翌年昭電疑獄に連座して退官。
柳沢 米吉(柳澤、やなぎさわ よねきち、1903年〈明治36… 柳沢 米吉(柳澤、やなぎさわ よねきち、1903年〈明治36年〉9月12日 - 1995年〈平成7年〉1月31日)は、昭和時代の土木工学者。内務官僚。実業家。海上保安庁長官。群馬県安中市出身。 群馬県碓氷郡安中町上野尻(現・安中市安中)に生まれる。旧制群馬県立高崎中学校、旧制第八高等学校を経て、1927年(昭和2年)に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業後、内務省に入る。 1943年(昭和18年)運輸通信省港湾局建設課長、1946年(昭和21年)港湾局計画課長、1948年(昭和23年)中国海運局長兼広島海上保安本部長、1951年(昭和26年)海上保安庁長官に就任。同年、不正入出国に関する件で衆議院行政監察特別委員会に証人喚問された。
萩原 恭平(はぎわら きょうへい、1898年11月19日 -… 萩原 恭平(はぎわら きょうへい、1898年11月19日 -1969年7月13日 )は、日本の言語学者。ロンドン大学客員教授、早稲田大学教育学部英語英文学科教授等を歴任した。稲村松雄、竹沢啓一郎との共著『Jack and Betty』は発行部数4,000万部を超えるベストセラーとなり、戦後日本の中・高等教育課程における代表的な英語教科書となった。埼玉県上里町出身。墓所は寛永寺第3霊園。 埼玉県児玉郡賀美村(現:上里町)大字黛にて出生。旧制高崎中学校を経て早稲田大学高等師範部卒業。千葉県立大多喜中学校教諭、東京府立第五中学校教諭、早大高師部講師等を経て1935年に早大教授に就任。同校を1969年に定年退職するまでの間に、1938年に渡英しロンドン大学で客員教授を務め、1960年代に跡見学園女子大学で客員教授を務めた際には同大学英文科開設に尽力した。
井上 房一郎(いのうえ ふさいちろう、1898年〈明治31年… 井上 房一郎(いのうえ ふさいちろう、1898年〈明治31年〉5月13日 - 1993年〈平成5年〉7月27日)は、日本の実業家。井上工業社長・会長。 ブルーノ・タウトを招聘しての工芸運動や、群馬交響楽団の創設、群馬音楽センターの建設といった文化活動によっても知られている。 1898年(明治31年)群馬県西群馬郡高崎町新町(現・高崎市八島町)に生まれる。高崎白衣大観音の建立に力を尽くした井上工業社長・井上保三郎の長男。母は戸ウ(こう)。実母は1904年(明治37年)に死去した。 高崎市立南尋常小学校、旧制高崎中学校を経て、1916年(大正5年)に早稲田大学へ進学する。同時に川合玉堂の塾に通い、山本鼎・北原白秋・片上伸らの知遇を得る。
田中 良三(たなか りょうぞう、1898年 - 1985年1… 田中 良三(たなか りょうぞう、1898年 - 1985年10月9日)は、日本の柔道家。 明治31年群馬県安中市生まれ。日本柔道選士権大会 第六回3位。第八回準優勝、講道館6段(財団法人講道館 記録資料より)。県立高崎高等学校など、広く後進の育成にあたり、篠原秀吉らと共に群馬県柔道界を牽引した。最終段位は講道館8段。 赤川徳次郎(六段/東京)− 田中良三(六段/群馬) この項目は、柔道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P柔道/PJ柔道)。
住谷 啓三郎(すみや けいざぶろう、1897年〈明治30年〉… 住谷 啓三郎(すみや けいざぶろう、1897年〈明治30年〉7月12日 - 1975年〈昭和50年〉1月27日)は、日本の政治家。高崎市長(1955年 - 1971年)、高崎市議会議員、同議長。 高崎市田町の荒物問屋、住谷喜平の長男として生まれる。旧制高崎中学(現・群馬県立高崎高等学校)を経て、慶応大学理財科に進むも中退し、1920年(大正9年)早稲田大学専門部法律科を卒業。少壮実業家として高崎セロファン工場を起業する傍ら、高崎中学の同窓であった井上房一郎や蠟山政道と高崎新人会を創設。1932年(昭和7年)に高崎市議会議員に当選し、翌1933年(昭和8年)に市議会議長に選ばれる。戦後は関東ロクロ会社を設立し社長に就任した。
竹腰 俊蔵(たけごし/たけこし しゅんぞう、1895年〈明治… 竹腰 俊蔵(たけごし/たけこし しゅんぞう、1895年〈明治28年〉12月30日 - 1963年〈昭和38年〉3月28日)は、日本の教員、政治家。群馬県知事(公選第4代)を務めた。群馬県群馬郡箕輪村(のちの箕郷町、現在は高崎市)出身。参議院議員を務めた竹腰徳蔵は実兄であり、群馬県知事に立候補していた兄の急死により補充立候補して当選を果たした。 1895年(明治28年)12月30日、群馬県群馬郡箕輪村西明屋(現・高崎市箕郷町西明屋)の酒造業者・竹腰徳蔵(先代)の次男として生まれる。1909年(明治42年)箕輪小学校を卒業後、1914年(大正3年)高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)を卒業。1915年(大正4年)に群馬県師範学校本科二部(現在の群馬大学教育学部)を卒業した。
蠟山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - … 蠟山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - 1980年5月15日)は、日本の政治学者・行政学者・政治家。お茶の水女子大学名誉教授。民主社会主義の提唱者であり、行政学研究の先駆的存在である。 新潟県刈羽郡鵜川村で蝋山政次郎と母寛子(衆議院議員・牧口義方の二女)の長男として生まれる。父は1872年8月に蝋山政右衛門の長男として生まれ、同家8代目の当主であった。祖父政右衛門が群馬県高崎市歌川町で蝋山酒造を経営していたため同地で育つ。父は上州銀行や上州信託、高崎倉庫株式会社の取締役をはじめ、上州電気鉄道株式会社の監査役を務めるなど群馬県経済界の重鎮であった。 1913年3月に県立高崎中学校、1917年7月に第一高等学校を卒業し、東京帝国大学法学部政治学科に進学。
蝋山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - … 蝋山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - 1980年5月15日)は、日本の政治学者・行政学者、政治家、お茶の水女子大学名誉教授。民主社会主義の提唱者であり、行政学研究の先駆的存在である。
田中 徳次郎(たなか とくじろう、1894年〈明治27年〉8… 田中 徳次郎(たなか とくじろう、1894年〈明治27年〉8月20日 - 1992年〈平成4年〉7月9日)は、日本の実業家。東京海上火災保険社長、日本損害保険協会会長などを歴任した。 群馬県西群馬郡高崎町(現高崎市)出身。1913年群馬県高崎中学校(現群馬県立高崎高等学校)卒業。1917年東京高等商業学校(現一橋大学)本科卒業。一橋基督教青年会出身。同年三菱合資入社。1935年三菱海上火災保険大阪支店長。1944年東京海上火災保険取締役。1947年東京海上火災保険社長。1948年日本損害保険協会会長。1952年海運造船合理化審議会委員、国際電信電話設立委員。1953年三菱銀行取締役。1955年日本海外移住振興設立委員、自動車損害賠償責任保険審議会委員。
田中金司(たなか きんじ、1894年-1985年)は、日本の… 田中金司(たなか きんじ、1894年-1985年)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。専門は、貨幣論・金融論・国際金融論。 1913年(大正2年)に群馬県高崎中学校(現群馬県立高崎高校)を卒業し、東京高等商業学校(現一橋大学)予科に入学。東京高商では佐野善作の指導を受けた。卒業後、神戸高等商業学校、神戸商業大学、神戸経済大学を経て神戸大学教授を務めた。さらに、神戸大学退官後は関西学院大学教授を務めた。 門下生には矢尾次郎神戸大学名誉教授、宮下忠雄神戸大学名誉教授、安居洋神戸市外国語大学名誉教授、小寺武四郎元関西学院大学教授・関西学院大学学長・学校法人関西学院・第10代院長などがいる。貨幣論では名目主義、一般的購買手段を主張したほか、全体的な経済理論としては貨幣的経済理論を主張した。
篠原 義政(しのはら よしまさ、1892年(明治25年)1月… 篠原 義政(しのはら よしまさ、1892年(明治25年)1月9日 – 1943年(昭和18年)7月16日)は、衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。旧名は文治。 群馬県碓氷郡八幡村(現在の高崎市)出身。旧制高崎中学卒業。1916年(大正5年)に高等文官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学法律科を卒業した。内務省に入り、長野県属、東京府属、内務属を歴任した。1919年(大正8年)に内閣軍需局事務官となり、翌年には国勢院事務官に任命された。1922年(大正11年)に退官した後は弁護士・弁理士事務所を開業した。 1932年(昭和7年)、第18回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。4回連続当選を果たした。
2代 竹腰 徳蔵(たけごし/たけこし とくぞう、1891年〈… 2代 竹腰 徳蔵(たけごし/たけこし とくぞう、1891年〈明治24年〉7月10日 - 1956年〈昭和31年〉7月24日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)、群馬県会議員(6期)、群馬県群馬郡箕郷町長。幼名は五四二(いよじ)。群馬県知事選挙に立候補したが投票日の3日前に急逝し、弟・俊蔵が補充立候補により当選を果たした。 1891年(明治24年)、群馬県群馬郡箕輪村西明屋(現・高崎市箕郷町西明屋)で造り酒屋「十一屋」を営む竹腰徳蔵・コウ夫婦の長男として生まれる。竹腰家は新潟から移住してきた徳蔵の先々代が酒造業を創業、銘酒「友鶴」を醸造し、広大な山林田畑を持つ資産家だった。 旧制群馬県立高崎中学校を経て市立大阪高等商業学校を卒業。
岸 福治(きし ふくじ、1891年〈明治24年〉4月30日 … 岸 福治(きし ふくじ、1891年〈明治24年〉4月30日 - 1949年〈昭和24年〉7月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 群馬県群馬郡金古町足門(群馬町を経て現・高崎市足門町)出身。岸保五郎の三男として生れる。旧制高崎中学校を経て、1912年7月、海軍兵学校(40期)を卒業し、翌年12月、海軍少尉任官。「満州」分隊長などを経て、海軍大学校航海学生となる。「野島」「長良」の各航海長などを歴任し、1925年11月、海軍大学校(甲種23期)を卒業した。 「鬼怒」航海長、軍令部第1班第1課参謀、「春日」教官、「八雲」副長、「室戸」「名取」の各艦長、海軍航海学校教頭、「扶桑」艦長などを経て、1939年11月、海軍少将に進級。
清水 善造(しみず ぜんぞう、1891年(明治24年)3月2… 清水 善造(しみず ぜんぞう、1891年(明治24年)3月25日 - 1977年(昭和52年)4月12日)は、群馬県西群馬郡箕輪村(現・高崎市箕郷町)出身の男子テニス選手。 日本人初のウィンブルドン出場者でありベスト4に進出した。全米選手権でもベスト8入りしている。 元俳優の清水善三、関西学院大学教育学部教授の藤木大三らは、清水の孫にあたる。 群馬県立高崎中学校(現:群馬県立高崎高等学校)に進学。東京高等商業学校(現:一橋大学)を卒業後、1912年に三井物産に入社、カルカッタ(インド)、ニューヨーク(アメリカ合衆国)へに駐在員として在任した。テニス選手として国際大会に出場したのはこの期間である。
土屋 文明(つちや ぶんめい、1890年〈明治23年〉9月1… 土屋 文明(つちや ぶんめい、1890年〈明治23年〉9月18日〈戸籍上は1月21日〉 - 1990年〈平成2年〉12月8日)は、日本の歌人・国文学者。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 東大哲学科卒。伊藤左千夫に師事し、斎藤茂吉とともに歌誌「アララギ」の編集に参加。社会化された民衆の生活の内面を表そうとする歌風で、歌集に『往還集』(1930年)、『山谷集』(1935年)など。著述に『万葉集私注』(1949~56年)などがある。 群馬県群馬郡上郊村(現・高崎市)の貧しい農家に生まれる。祖父の藤十郎は賭博で身を持ち崩し強盗団に身を投じて北海道の集治監で獄死したと伝えられており、家族は村人たちから冷たい目で見られ幼い文明にとって故郷の村は耐えがたい環境であった。
滝沢 浜吉(たきざわ はまきち、1890年〈明治23年〉9月… 滝沢 浜吉(たきざわ はまきち、1890年〈明治23年〉9月17日 - 1960年〈昭和35年〉4月30日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、群馬県多野郡八幡村長。 群馬県多野郡八幡村阿久津(現・高崎市阿久津町)に生まれる。群馬県立高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)に学ぶが、郷里の水害により中退。村の田畑・家屋の復旧に尽力し、1925年(大正14年)八幡村長に選ばれ、1938年(昭和13年)まで在職した。多野郡畜産業組合長、多野郡養蚕業組合長、多野郡農会長、烏川沿岸漁業会長、群馬県馬匹組合連合会副会長、群馬県町村会副会長となる。戦後も1946年(昭和21年)群馬県農業会長となり、同年から1年間八幡村長を務めた。
中島 吉三郎(なかじま きちさぶろう、1889年〈明治22年… 中島 吉三郎(なかじま きちさぶろう、1889年〈明治22年〉2月16日 - 1974年〈昭和49年〉1月11日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 1889年(明治22年)に群馬県群馬郡六郷村(現・高崎市)で生まれた。旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)を経て、陸軍士官学校第24期卒業。1938年(昭和13年)1月20日に歩兵第28連隊長に就任し、3月1日に陸軍歩兵大佐に進級した。1939年(昭和14年)に陸軍歩兵学校教導連隊長に転じた。 1941年(昭和16年)3月に陸軍少将に進級し、第37歩兵団長(第1軍・第37師団)に就任し、日中戦争に出動。運城に駐屯し、警備・討伐戦に当たった。
大手 拓次(おおて たくじ、1887年〈明治20年〉11月3… 大手 拓次(おおて たくじ、1887年〈明治20年〉11月3日〔ただし戸籍では12月3日〕 - 1934年〈昭和9年〉4月18日)は、日本の詩人。 群馬県碓氷郡西上磯部村(現・安中市西上磯部)、磯部温泉の温泉旅館・鳳来館に父・宇佐吉、母・のぶの次男として生まれる。祖父・万平は磯部温泉を開発した有力者で、生家は裕福な上流家庭であった。幼少期に両親を亡くしたため祖父母に溺愛され育つ。 磯部小学校、安中中学校と進むが、1904年(明治37年)に中耳炎で休学、以降左の耳が難聴となる。この中耳炎が完全に治癒しなかったのか、以後生涯を通じて頭痛に悩まされ続けることとなった。復学後安中分校の本校である旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)で学び、詩人となることを志し1906年(明治39年)に早稲田大学第三高等予科に入学。
篠原 秀吉(しのはら ひできち、1886年〈明治19年〉1月… 篠原 秀吉(しのはら ひできち、1886年〈明治19年〉1月5日 - 1971年〈昭和46年〉7月8日)は、日本の新聞記者、実業家。上毛新聞社社長。また、学生時代から柔道で鳴らし、講道館8段という経歴から日本体育協会評議員を務めるなど、スポーツ環境の整備に尽力した。桜郷と号して書をよくした。正四位勲三等。 群馬県前橋町(現・前橋市)に、上毛新聞社初代社長・篠原叶の子として生まれる。旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)を経て、1911年(明治44年)早稲田大学政治経済学部を卒業。同年上毛新聞社に入社。 1926年(大正15年)父の死により上毛新聞社を継ぐ。1939年(昭和14年)に上毛新聞が株式会社となると取締役社長に就任した。
羽鳥 千尋(はとり ちひろ、1886年 - 1912年)は、… 羽鳥 千尋(はとり ちひろ、1886年 - 1912年)は、森鷗外の小説「羽鳥千尋」のモデルとなった人物である。群馬県佐波郡玉村町に生まれる。父は陸軍軍医の羽鳥文作。
篠原 誠一郎(しのはら せいいちろう、1884年〈明治17年… 篠原 誠一郎(しのはら せいいちろう、1884年〈明治17年〉5月11日 - 1972年〈昭和47年〉7月8日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功二級。 1884年(明治17年)に群馬県碓氷郡松井田町松井田(現・安中市松井田町松井田)で生まれた。旧制高崎中学校、大阪陸軍地方幼年学校を経て、陸軍士官学校第17期卒業。 1931年(昭和6年)に陸軍歩兵大佐に進級。第16師団司令部附となり、大谷大学に配属された。1933年(昭和8年)に歩兵第40連隊長に就任し、満州事変に出動。討伐戦に当たった。 1936年(昭和11年)に陸軍少将に進級し、歩兵第15旅団長に転じる。1938年(昭和13年)に第1国境守備隊長を経て、1939年(昭和14年)3月に陸軍中将に進級し、関東軍司令部附となる。
桜井 明弘(さくらい あきひろ )は、日本の産婦人科医師。群… 桜井 明弘(さくらい あきひろ )は、日本の産婦人科医師。群馬県立高崎高等学校卒。順天堂大学医学部、同大学院卒。日本産科婦人科学会専門医。日本産科婦人科内視鏡学会技術認定医。 横浜市青葉区たまプラーザで、「産婦人科クリニック さくら」を開設。不妊治療や婦人科内視鏡下手術を専門とし、HPV感染予防ワクチン(子宮頸癌予防ワクチン)の普及など、様々な活動を行っている。2013年、一般社団法人横浜市青葉区医師会理事(経理担当)。2014年、医療法人産婦人科クリニックさくら理事長。2014年からは「子宮美人化計画」と題した女性の健康増進普及活動を主宰している。2015年3月19日、子宮美人化計画を一般社団法人化した「美人化計画」代表理事。