山中 康裕(やまなか やすひろ、1941年 - )は、日本の… 山中 康裕(やまなか やすひろ、1941年 - )は、日本の医学者、精神科医。京都大学名誉教授。医学博士。
愛知県立旭丘高等学校:309人
山中 康裕(やまなか やすひろ、1941年 - )は、日本の… 山中 康裕(やまなか やすひろ、1941年 - )は、日本の医学者、精神科医。京都大学名誉教授。医学博士。
松本 敏雄(まつもと としお、1941年 - )は、日本の天… 松本 敏雄(まつもと としお、1941年 - )は、日本の天文学者。宇宙航空研究開発機構名誉教授。
青山 久(あおやま ひさし、1940年12月6日 - )は、… 青山 久(あおやま ひさし、1940年12月6日 - )は、日本の医師、形成外科医、医学博士、愛知医科大学名誉教授。 専門は、熱傷、レーザー治療。特に乳幼児を中心とするアザのレーザー治療に関しては、難度の高い症例への対応、手術数、治療成績ともに豊富な実績があり、現在でも愛知医科大学形成外科の重点項目となっている。また、モンゴル国との交流にも尽力し、オユンナ基金に集まった義捐金をもとに、1997年4月に女児、1998年10月には男児の巨大血管腫に対して、当時最新型のレーザー機器にて治療にあたった。その際、モンゴルから医師のハンドスーレンが来日している[出典無効]。 日本形成外科学会理事、日本熱傷学会理事、日本熱傷学会専務理事、日本褥瘡学会評議員 日本形成外科学会専門医日本熱傷学会専門医
和田義彦(わだ よしひこ、1940年4月3日 - )は、日本… 和田義彦(わだ よしひこ、1940年4月3日 - )は、日本の画家。
古田 隆彦(ふるた たかひこ、1939年12月1日 - )は… 古田 隆彦(ふるた たかひこ、1939年12月1日 - )は、日本の社会学者。研究領域は広く、応用社会学、人口社会学、未来社会学、消費社会学、マーケティング論、生活学、消費者行動論、文明論など多岐にわたる。 1939年、岐阜県恵那市に生まれる。1958年、愛知県立旭丘高等学校卒業。1963年、名古屋大学法学部卒業。八幡製鐵株式会社(現・日本製鉄株式会社)に入社。1971年、株式会社社会工学研究所(黒川紀章、香山健一、佐藤誠三郎、公文俊平が立ち上げ、牛尾治朗がバックアップしたシンクタンク)に入社、1975~1984年、取締役・研究部長。1984年、現代社会研究所を設立、所長に就任。同年より青森大学社会学部助教授、教授を兼任(2010年まで)。
鈴木 公平(すずき こうへい、1939年(昭和14年)3月2… 鈴木 公平(すずき こうへい、1939年(昭和14年)3月20日 - )は、日本の政治家。第7代愛知県豊田市長(3期)。 愛知県豊田市上郷町出身。1954年(昭和29年)、高橋村役場に奉職。23歳のときに父を亡くし、以後、母と弟妹4人の一家の柱となる。かたわら愛知県立旭丘高等学校の通信課程と夜間の愛知大学短期大学部法経科に通い、1965年(昭和40年)、同大学を卒業する。豊田市役所で秘書課長、広報課長、総務部長などを務めた。1992年(平成4年)4月1日、豊田市助役に就任。 1999年(平成11年)10月15日、豊田市長の加藤正一は任期満了に伴う豊田市長選挙への不出馬を表明。自民党系と全トヨタ労連系の市議で構成される市議会の与党会派「思政クラブ」はただちに後継者の人選に入る。
尾原蓉子(おはら ようこ、1938年10月7日 - )は、日… 尾原蓉子(おはら ようこ、1938年10月7日 - )は、日本の実業家。IFIビジネス・スクール元学長。西友元・取締役、エイボン・プロダクツ取締役、良品計画取締役、旭リサーチセンター取締役。柳井正・ファーストリテイリング代表取締役が最も尊敬する女性とされている。
伊藤博行(いとう ひろゆき、1938年1月25日 - )は日… 伊藤博行(いとう ひろゆき、1938年1月25日 - )は日本の大蔵官僚。関税局長、内閣官房内閣内政審議室長などを歴任。現在は公益財団法人日本住宅総合センター評議員。 愛知県名古屋市出身。愛知県立旭丘高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1960年 大蔵省に入省する(主税局調査課)。主に主計局と主税局で勤務経験を積む。1981年7月に主税局調査課長となって以降は、主税畑一筋となる。1988年6月 国税庁次長。1989年6月 日本銀行政策委員会大蔵省代表委員。1990年7月 関税局長。1991年6月14日より内閣官房内閣内政審議室長。1993年6月16日に退官。1994年7月1日 住宅金融公庫副総裁(2001年1月31日まで)。
加藤 千麿(かとう かずまろ、1938年(昭和13年)1月1… 加藤 千麿(かとう かずまろ、1938年(昭和13年)1月1日- 2023年(令和5年) 2月25日)は、日本の実業家。元名古屋銀行取締役会長。関東州大連市生まれの引揚者。長女はフリーアナウンサーの加藤千佳。名古屋銀行頭取の藤原一朗は娘婿(次女の夫)。 関東州大連市で加藤廣治の子として出生して同地で9歳まで過ごし、1945年の敗戦で引揚者として日本に入国した。 愛知県立旭丘高等学校を経て、1963年に慶應義塾大学法学部卒業後、東海銀行入行。1968年に父が創業した名古屋相互銀行入行。1974年に取締役となり、1975年に代表取締役常務就任、以後43年間にわたり代表取締役を務めた。 1982年に名古屋相互銀行社長就任、1989年に名古屋相互銀行の普通銀行への転換により、名古屋銀行頭取就任。
鈴木 正一郎(すずき しょういちろう 1938年 - )は、… 鈴木 正一郎(すずき しょういちろう 1938年 - )は、日本の実業家。王子製紙(現・王子ホールディングス)代表取締役社長・会長、日本経団連評議員会副議長、日本製紙連合会会長を歴任。 愛知県出身。愛知県立旭丘高等学校を経て、1961年東京工業大学理工学部機械工学科卒業、王子製紙入社。春日井工場施設部長、技術本部副本部長等を経て、1993年取締役、96年常務、99年専務、2000年副社長と進み、2001年代表取締役社長に就任。 2006年から代表取締役会長。同年篠田和久社長とともに、北越製紙株の株式公開買付けを行い、日本初の大企業同士の敵対的TOBとして注目された。2012年会長を退任し取締役。
水谷 碩之(みずや ひろゆき、1938年- )は、日本の建築… 水谷 碩之(みずや ひろゆき、1938年- )は、日本の建築家。
袖井 孝子(そでい たかこ、1938年 - )は、日本の社会… 袖井 孝子(そでい たかこ、1938年 - )は、日本の社会学者。お茶の水女子大学名誉教授。シニア社会学会会長、NPO法人高齢社会をよくする女性の会副理事長。 愛知県名古屋市出身。愛知県立旭丘高等学校、国際基督教大学卒業。同大大学院修士課程修了。東京都立大学大学院博士課程修了。大学院修了後、淑徳短期大学専任講師、東京都老人総合研究所の主任研究員を務める。1975年よりお茶の水女子大学家政学部助教授、1990年より同学部教授、1992年から同大学生活科学部教授を務め、同大名誉教授。 男女共同参画会議議員、厚生労働省「女性と年金検討会」座長等を務め、専門である家族社会学・女性学・老年学の立場から実際の社会福祉政策に対し多くの提言を行っている。
赤瀬川 原平(あかせがわ げんぺい、本名:赤瀬川 克彦(あか… 赤瀬川 原平(あかせがわ げんぺい、本名:赤瀬川 克彦(あかせがわ かつひこ)、1937年3月27日 - 2014年10月26日)は、日本の前衛美術家、随筆家、作家。 純文学作家としては尾辻 克彦(おつじ かつひこ)というペンネームがある。「尾辻」は父方の親戚の苗字に由来する[要ページ番号]。 神奈川県横浜市中区本牧町生まれ。愛知県立旭丘高等学校美術科卒業。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)油絵学科中退。 兄は直木賞作家の赤瀬川隼。姉の赤瀬川晴子は帽子作家。また、外交官の西春彦は父のいとこにあたる。姪(隼の長女)は『人麻呂の暗号』の著者である藤村由加の一人。 2006年4月より、武蔵野美術大学日本画学科の客員教授を務めていた。
荒川 修作(あらかわ しゅうさく、1936年〈昭和11年〉7… 荒川 修作(あらかわ しゅうさく、1936年〈昭和11年〉7月6日 - 2010年〈平成22年〉5月19日)は、日本の美術家である。愛知県名古屋市出身。 1936年、名古屋市に生まれる。生家はうどん屋。愛知県立旭丘高等学校美術科卒業で元ロサンゼルス在住の現代石彫家、国島征二と同窓だった。武蔵野美術学校中退。1957年、読売アンデパンダン展に初出品し、1960年、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズの結成に参加。1961年、渡米し、滝口修造の仲介でマルセル・デュシャンに会い以後ニューヨークを拠点に活動を続けた。渡米後、マドリン・ギンズと知り合い1962年頃から共同制作を始める。1970年、ヴェネツィア・ビエンナーレで代表作となる『意味のメカニズム』を発表。
吉川 幸枝(よしかわ さちえ、1935年9月21日 - )は… 吉川 幸枝(よしかわ さちえ、1935年9月21日 - )は、日本の実業家。株式会社よし川代表取締役社長。 ほんものおんな塾主催。 愛称は、「歩く百億円」。[3]
大島 宏彦(おおしま ひろひこ、1934年4月26日 - 2… 大島 宏彦(おおしま ひろひこ、1934年4月26日 - 2023年8月23日)は、日本の実業家。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。中日新聞社最高顧問。愛知県名古屋市出身。 愛知県立旭丘高等学校を経て、1957年に東京大学法学部卒業。同年に中日新聞社に入社。 1968年にはワシントン特派員、1979年6月には取締役、1981年6月には常務、1983年6月には専務、1984年6月には副社長を歴任し、1987年6月から社長に就任し。1997年5月からは会長に就任し、2003年6月からは取締役最高顧問に就任した。 1995年から2000年までは株式会社中日ドラゴンズ代表取締役オーナーを務めた。第2次星野仙一政権をバックアップし、球団の黄金期を作った一人といわれる。
松永 嘉夫(まつなが よしお、1933年12月15日 - 1… 松永 嘉夫(まつなが よしお、1933年12月15日 - 1996年11月3日)は、日本の経済学者。 愛知県名古屋市出身。愛知県立旭丘高等学校を経て、1956年名古屋大学経済学部卒、1961年名古屋大学大学院経済学研究科博士課程満期退学、1965年「対外流動準備の機能に関する研究 適正対外流動準備の理論」で経済学博士。名大助手、1964年名古屋市立大学講師、1965年助教授、1971年教授、経済学部長。1994年名誉教授、1991年早稲田大学商学部教授。1996年定年退任、中部大学教授。
谷口 巌(たにぐち いわお、1933年9月15日 – 201… 谷口 巌(たにぐち いわお、1933年9月15日 – 2015年8月28日)は、日本の国文学者。南京事件研究家。愛知教育大学名誉教授。 愛知県東春日井郡旭町(現・尾張旭市)生まれ。旧制愛知一中(現・愛知県立旭丘高等学校)を経て、新制の愛知県立瀬戸高等学校卒業後、1958年東京大学文学部フランス文学科卒業。1960年同大学院文学研究科前期博士課程修了(国文学)専攻。同年、函館ラ・サール高等学校教諭、1966年北海道教育大学講師、1970年愛知教育大学助教授、1975年同大学教授、1997年より現職。晩年、愛知県瀬戸市苗場町で暮らした。2015年8月28日、呼吸不全のため81歳で死去。
服部 禎男 (はっとり さだお、1933年7月27日 - )… 服部 禎男 (はっとり さだお、1933年7月27日 - )は、日本の工学者、元電力中央研究所名誉特別顧問。放射線ホルミシスの研究者。 愛知県名古屋市生まれ。愛知県立旭丘高等学校を経て、1956年、名古屋大学電気工学科卒業後、中部電力に入社。入社翌年、東京工業大学大学院原子核工学修士課程に進学。修了後の1960年、アメリカ合衆国オークリッジ国立研究所原子炉災害評価研修課程へ留学。1972年、動力炉・核燃料開発事業団に在籍、ふげん建設電気機械課長として設計、許認可研究活動に携わる。 1980年、電力中央研究所・研究開発部の初代原子力部長に就任。1984年、アメリカ合衆国の生化学者トーマス・ラッキーの唱えた放射線ホルミシス論を知り、のちに同理論は正しいと考えるに至る。
岡崎 恒子(おかざき つねこ、1933年〈昭和8年〉6月7日… 岡崎 恒子(おかざき つねこ、1933年〈昭和8年〉6月7日 - )は、日本の生物学者(分子生物学)。理学博士(名古屋大学・1963年)。名古屋大学名誉教授。名古屋大学理学部教授などを歴任。藤田医科大学特別栄誉教授。紫綬褒章受章者、瑞宝中綬章受章者、文化功労者、文化勲章受章者。 愛知県出身の分子生物学者である。夫である岡崎令治と共同で遺伝子複製の仕組みを予測させたDNA断片「岡崎フラグメント」の研究で知られる。 愛知県名古屋市で外科医の原多喜万の二女として生まれる。愛知県立旭丘高等学校を経て、1952年に名古屋大学理学部生物学科入学。卒業研究のために通った名古屋大学臨海研究所で岡崎令治と知り合い、1956年に大学院進学と同時に結婚、共同研究者となる。
吉田 孝(よしだ たかし、1933年5月 - )は、日本の歴… 吉田 孝(よしだ たかし、1933年5月 - )は、日本の歴史学者。青山学院大学名誉教授。専門は日本古代史。愛知県出身。
福岡 宗也(ふくおか そうや、1932年10月 - 2000… 福岡 宗也(ふくおか そうや、1932年10月 - 2000年4月11日)は元衆議院議員(1期)。
川島 孝(かわしま たかし、1932年6月8日 - )は、愛… 川島 孝(かわしま たかし、1932年6月8日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。 旭丘高校から1951年に国鉄スワローズへ入団。1952年に退団。
大橋 正昭(おおはし まさあき、1932年6月 - )は、日… 大橋 正昭(おおはし まさあき、1932年6月 - )は、日本の実業家。愛知製鋼代表取締役社長や、日本金属学会会長、ファインセラミックスセンター理事長、学校法人名城大学理事長などを務めた。藍綬褒章受章。 愛知県出身。愛知一中入学後、在学中に学制改革が起こり、愛知県立旭丘高等学校を卒業。東北大学大学院工学研究科修士課程修了後、1957年トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。労働組合書記長、取締役、常務取締役、専務取締役を経て、1992年愛知製鋼取締役副社長。愛知製鋼で取締役社長や、取締役会長、相談役を歴任した。 1990年ファインセラミックスセンター理事長。1993年日本金属学会会長。1997年中部実業団陸上競技連盟会長。
辻 真先(つじ まさき、1932年3月23日 -)は、日本の… 辻 真先(つじ まさき、1932年3月23日 -)は、日本のアニメ・特撮脚本家、推理作家、漫画原作者、旅行評論家、エッセイスト、デジタルハリウッド大学名誉教授。 父は自由民主党の衆議院議員・中日電機工業会長の辻寛一。「実家はおでん屋」と語ることもあるが、これは父寛一が栄で「辻かん」というおでん屋を営んでいたからである。愛知県第一中学校、愛知県立明和高等学校、名古屋大学文学部卒業。 1954年、NHKに入局。制作進行、演出、プロデューサーなどを務めた。NHK在局中も脚本の執筆を行っていたが、1962年に退局し、脚本家としてアニメ・特撮などを中心に多くの脚本を担当。 小説家としては旧『宝石』の新人賞候補作が商業誌デビュー作という経歴を持つ。
塩野谷 祐一(しおのや ゆういち、1932年1月2日 - 2… 塩野谷 祐一(しおのや ゆういち、1932年1月2日 - 2015年8月25日)は、日本の経済学者、一橋大学名誉教授、名古屋大学特別教授。1991年日本学士院賞、2002年文化功労者。経済哲学やヨーゼフ・シュンペーターの研究の第一人者。第12代一橋大学学長、国立大学協会副会長、国立社会保障・人口問題研究所長等を歴任。愛知県豊橋市生まれ。 父は経済学者の塩野谷九十九(元名古屋大教授)、妻は山内得立(哲学者、文化功労者、京都大学名誉教授)長女。一橋大学大学院で山田雄三の指導を受けた。スタンフォード大学教授等を務めた経営学者の今井賢一は山田ゼミの同期。著書に『シュンペーターの経済観』『価値理念の構造』など。
新堂 幸司(しんどう こうじ、1931年8月20日 - )は… 新堂 幸司(しんどう こうじ、1931年8月20日 - )は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。 東京大学名誉教授、愛知大学名誉教授。弁護士。兼子一門下。弟子に高橋宏志、高田裕成、山本和彦、太田勝造、長谷部由起子、佐藤鉄男、樫村志郎など。 東京大学を定年退官した1992年に第二東京弁護士会に弁護士登録し、森綜合法律事務所(現在の森・濱田松本法律事務所)に客員弁護士として迎えられて以降は、弁護士活動を主に行っている。現在は森・濱田松本法律事務所を離れ、2011年9月に松村国際法律事務所(現在は新堂の参画により新堂・松村法律事務所と改称)に参画した。 三ヶ月章が提唱した訴訟物における「新訴訟物理論」「訴訟法説」を承継した上で、訴訟法の独自性を重視した理論を徹底させ、既判力につき、その客観的範囲についての争点効理論や、主観的範囲についての反射効理論等の独自の概念や問題提起を次々と提唱して民事訴訟法学の発展に寄与した。
十一世 福井四郎兵衛(じゅういっせい ふくい しろべえ、本名… 十一世 福井四郎兵衛(じゅういっせい ふくい しろべえ、本名:林 啓治郎、1930年5月2日 - 2018年12月17日)は、幸清流小鼓方職分の能楽師。社団法人能楽協会名古屋支部会員、日本能楽会(重要無形文化財総合指定)会員。 1930年(昭和5年)5月2日、愛知県名古屋市の大須の商家に6人兄弟の末っ子として生まれる。1943年(昭和18年)、南久屋国民学校(現・名古屋市立栄小学校)を卒業。元首相の海部俊樹は同級生。1948年(昭和23年)、旧制愛知一中(現・愛知県立旭丘高等学校)を卒業。担任教師が能楽に造詣が深く、中学3年で能の「隅田川」を観て以来とりこに。すぐに謡曲愛好会を立ち上げる。 1950年(昭和25年)7月、九世福井五郎に師事(福井家は幸清流家元の分家格・後見職の家。
加藤 孝(かとう たかし、1930年3月5日 - )は、日本… 加藤 孝(かとう たかし、1930年3月5日 - )は、日本の労働官僚。元労働事務次官。 愛知県出身。愛知一中(現在の愛知県立旭丘高等学校)、第八高等学校を経て、1950年に東京大学法学部に入学。1954年に卒業。卒業後に労働省に入省。1972年に職業安定局職業安定業務指導課長、1974年に新潟県商工労働部長、1977年に大臣官房会計課長、1979年に職業安定局失業対策部長、1982年に高齢者対応部長を経て、同年大臣官房長、1983年に職業安定局長、1986年に労働事務次官。 40年ぶりに労働基準法改正案が国会で成立した後の1989年9月に労働事務次官を退任。その後は同省顧問を経て、日本障害者雇用促進協会と全国民営職業紹介事業協会の会長を務めた。
江副 茂(えぞえ しげる、1930年2月22日 - 2017… 江副 茂(えぞえ しげる、1930年2月22日 - 2017年5月20日)は、日本の技術者、実業家。東陶機器(現TOTO)元社長江副孫右衛門の甥で、同社社長や会長、九州・山口経済連合会(現九州経済連合会)副会長、福岡県公安委員会委員長などを務めた。正四位勲二等瑞宝章。 関東州大連市生まれ。東陶機器(現TOTO)社長を務めた江副孫右衛門は伯父。愛知県立旭丘高等学校1期を経て、1955年名古屋大学工学部機械学科卒業、東洋陶器入社。水栓金具技術者としてウォシュレット等の開発を手掛けた。 東陶機器常務、専務、副社長を経て、1992年から社長を務め、アジア進出などを進めた。1998年から会長。 2001年勲二等瑞宝章受章。
国嶋 一則(くにじま かずのり、1930年2月13日 - 2… 国嶋 一則(くにじま かずのり、1930年2月13日 - 2020年5月1日)は、日本の倫理学者。駒澤大学名誉教授。「伊吹 浄」の筆名をもつ。 1930年、岐阜県大垣市生まれ。愛知県立旭丘高等学校を卒業し、金沢大学法文学部に入学した。しかし、1952年に東京大学文学部倫理学科に転じ、1956年に卒業。同大学大学院に進み、金子武蔵に師事した。1959年、大学院比較文学比較文化課程に転じた。1965年、同博士課程を中退。 その後は、東京農業大学助教授に就いた。1969年より駒澤大学助教授。1970年に教授昇進。2000年に駒澤大学を定年退任し、名誉教授となった。
大澤 省三(おおさわ しょうぞう、1928年10月2日 - … 大澤 省三(おおさわ しょうぞう、1928年10月2日 - 2022年5月27日)は、日本の生物学者。専門は、分子遺伝学。学位は、理学博士(名古屋大学)。名古屋大学及び広島大学名誉教授。 1984年、バクテリアの1種のマイコプラズマが、変則的な遺伝暗号を使っていることを発見。この現象を説明する学説としてコドン捕獲説を提唱したことで知られる。2022年5月27日に病気のため死去したことが6月1日に報道された。
澤木 秀夫(さわき ひでお、1928年10月1日 - 201… 澤木 秀夫(さわき ひでお、1928年10月1日 - 2018年5月21日)は、日本の実業家。丸栄代表取締役社長や、同社代表取締役会長、中部百貨店協会会長などを務めた。 愛知県出身。愛知県第一中学校(現愛知県立旭丘高等学校)を経て、1949年名古屋経済専門学校(現名古屋大学経済学部)卒業、東海銀行入行。東海銀行専務などを経て、1986年丸栄副社長。1989年丸栄社長。1996年キタン会会長。1998年丸栄会長。2001年退任。中部百貨店協会会長なども務めた。2018年肺炎のため死去。享年89。
岡井 隆(おかい たかし、1928年(昭和3年)1月5日 -… 岡井 隆(おかい たかし、1928年(昭和3年)1月5日 - 2020年(令和2年)7月10日)は、日本の歌人・詩人・文芸評論家。未来短歌会発行人。日本藝術院会員。塚本邦雄、寺山修司とともに前衛短歌の三雄の一人。2016年文化功労者選出。従四位叙位、旭日中綬章追贈。 17歳から歌作を始め、「アララギ」に参加。慶大医学部卒業後、内科医のかたわら、歌人として活躍する。浪漫的歌風の生活詠から次第にナショナリズムに傾き、先鋭的な思想性を短歌に導入し、前衛短歌運動の先頭に立った。一時は文学活動を停止したが、歌集『鵞卵亭』(1975年)を刊行して復帰。作風は柔和に転じた。著作に『海への手紙』(1962年)、『茂吉の歌私記』(1973年)などの評論、『岡井隆の短歌塾 入門編』(2012年)など入門書も多い。
江藤 千秋(えとう ちあき、1928年 - 2003年9月2… 江藤 千秋(えとう ちあき、1928年 - 2003年9月24日)は、日本の作家。ほか化学教師、河合塾講師を歴任した。 1928年愛知県名古屋市に生まれる。1945年愛知県第一中学校(現・愛知県立旭丘高等学校)卒業。1948年名古屋工業専門学校(現・名古屋工業大学)卒業。工業技術院東京工業試験所研究員を経て、1954年より愛知県立惟信高等学校、1956年より1970年まで旭丘高等学校でそれぞれ化学を担当後、学校法人河合塾理事に就任。2003年9月24日、心不全のため死去。 『15歳の志願兵』の原案となった『積乱雲の彼方に 愛知一中予科練総決起事件の記録』の著者である。この本は実話に基づいて描かれており、江藤千秋自身も全校生徒が予科練へ志願した「愛知一中予科練総決起事件」の当事者の一人であった。
大木 浩(おおき ひろし、1927年〈昭和2年〉6月30日 … 大木 浩(おおき ひろし、1927年〈昭和2年〉6月30日 - 2015年〈平成27年〉11月13日)は、日本の政治家、外交官。全国地球温暖化防止活動推進センター代表。位階は従三位。 環境大臣(第3代)、環境庁長官(第35代)、衆議院議員(1期)、参議院議員(3期)。 愛知県西春日井郡西枇杷島町(現清須市)出身。愛知県立第一中学校(現愛知県立旭丘高等学校)時代は岡井隆と同級生で仲が良かった。第八高等学校を経て、旧制松本高校文科卒業後、海軍兵学校(第76期)で終戦を迎え、東京大学法学部卒業。 1952年東大卒業後、外務省に入省した。ワシントン、ベオグラード、ジュネーブでの在外公館勤務。外務省欧亜局東西通商課長、欧亜局東欧第一課長、報道課長、官房総務参事官を経て、1978年官房審議官・多角的貿易交渉担当大使、1979年在ホノルル総領事。
盛田 正明(もりた まさあき、1927年5月29日 - )は… 盛田 正明(もりた まさあき、1927年5月29日 - )は、日本の実業家。ソニー副社長、ソニー・アメリカ会長、ソニー生命保険社長・会長を歴任した。 愛知県名古屋市出身。実家は江戸時代創業の老舗造り酒屋『盛田』。三人兄弟の末子で、長兄にはソニー創業者のひとりである盛田昭夫、次兄には盛田を引き継いだ盛田和昭(和昭の妻は大日本紡績常務田代重三の四女)がいる。義兄(姉の夫)はソニー元社長の岩間和夫。母方の祖父は旧大垣藩家老家で大垣共立銀行頭取の戸田鋭之助で、母方の伯父には実業家の戸田直温・戸田良直兄弟がおり、早川種三は母の従兄弟にあたる。 愛知県立第一中學校(旧制愛知一中・現 愛知県立旭丘高等学校)時代はバレーボール部に入り、セッターとしてプレーしていた。
神谷 不二(かみや ふじ、1927年1月6日- 2009年2… 神谷 不二(かみや ふじ、1927年1月6日- 2009年2月20日)は、日本の国際政治学者。学位は、法学博士(京都大学・1967年)。慶應義塾大学名誉教授。 愛知県名古屋市[要出典]出身。 当初は岡義武の下で近代イギリス外交史を研究したが、後に関心を現代国際政治へと移し、現代アジアの国際政治、日米関係などを研究対象とする。朝鮮戦争研究の草分けで、1966年に発表した著書『朝鮮戦争』で、戦争の発端は北朝鮮による侵略であったと論じ、従来米韓の「北侵」によるとされてきた戦争起源論に反論した。1993年から2002年まで、防衛学会(後に国際安全保障学会)の会長を務めた。 日本政府の外交政策ブレーンを様々な形で務め、沖縄返還時にも学者グループとして政府への提言を行った。
宇佐美 魚目(うさみ ぎょもく、1926年9月14日 - 2… 宇佐美 魚目(うさみ ぎょもく、1926年9月14日 - 2018年10月19日)は、愛知県出身の俳人、書家。本名は和男。名古屋市生まれ、愛知県第一中学校卒。19歳のとき父・野生の勧めで俳句をはじめ、翌年より「ホトトギス」に投句、高濱虚子、橋本鶏二に師事。また「牡丹」「桐の葉」でも学ぶ。1954年、愛知県愛知郡鳴海町(現、名古屋市緑区鳴海町)にて書道塾を開く。書は武市秀峰に師事。蜻蛉会、舟上会主宰(幹事長:宮川一水)。「桐の花」「鷹」「雪」を経て、1957年に鶏二の「年輪」創刊に参加、編集を担当。また野見山朱鳥に兄事。1958年、第1回年輪賞、第1回四誌連合会賞受賞。1963年、波多野爽波の「青」同人参加。
豊田 芳年(とよだ よしとし、1925年8月29日 - 20… 豊田 芳年(とよだ よしとし、1925年8月29日 - 2017年1月8日)は、日本の実業家。豊田自動織機の社長、会長、名誉会長を歴任。トヨタ自動車の初代会長豊田英二の弟で、豊田自動織機の創業者豊田佐吉の甥に当たる。
佐伯 進(さえき すすむ、1925年5月13日 - 2021… 佐伯 進(さえき すすむ、1925年5月13日 - 2021年7月1日)は、日本の実業家。ノリタケカンパニーリミテド社長・会長や、中部経済同友会代表幹事、学校法人名城大学理事長を務めた。勲三等瑞宝章、スリランカラトナ勲章、藍綬褒章受章。 愛知県で佐伯卯四郎(のちに日本陶器社長・会長)の子として生まれる。 旧制愛知一中(のちの愛知県立旭丘高等学校)を経て、1943年東京商科大学(のちの一橋大学)予科入学、1945年陸軍予備士官学校卒業。1948年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し、日本陶器入社。大学では古川栄一ゼミナールに所属。 日本陶器では一貫して営業畑を歩み、本社での営業やニューヨークに通算17年駐在を経て、1971年取締役、1973年常務取締役、1981年専務取締役、1985年代表取締役副社長。
伊藤 延男(いとう のぶお、1925年3月8日 - 2015… 伊藤 延男(いとう のぶお、1925年3月8日 - 2015年10月31日)は、日本の建築史学者、文化財保護者、文化功労者。東京国立文化財研究所名誉研究員、神戸芸術工科大学名誉教授。 愛知県名古屋市出身。愛知一中を経て、1947年東京帝国大学工学部建築学科卒業後、国立博物館に入り、奈良国立文化財研究所建造物研究室長、1961年「中世和様建築の研究」で東京大学より工学博士の学位を取得。1971年文化庁文化財保護部建造物課長、1978年東京国立文化財研究所所長。87年定年退官、名誉研究員、神戸芸術工科大学教授、同名誉教授。1995年勲三等旭日中綬章受章。2004年文化功労者。2012年ガッゾーラ賞受賞。
伊藤 栄樹(いとう しげき、1925年2月3日 - 1988… 伊藤 栄樹(いとう しげき、1925年2月3日 - 1988年5月25日)は、日本の検事総長・東京高検検事長・法務事務次官。「ミスター検察」と呼ばれた。名前の「栄」の正しい表記は旧字体の「榮」。没後、従三位を贈られた。
山寺 秀雄(やまてら ひでお、1924年 - )は、日本の化… 山寺 秀雄(やまてら ひでお、1924年 - )は、日本の化学者。理学博士。専門は、無機化学で、名古屋大学名誉教授、大同工業大学名誉教授。京都府出身。
貞家 克己(ていか かつみ、1923年 <大正12年> 9月… 貞家 克己(ていか かつみ、1923年 <大正12年> 9月13日 - 2003年 <平成15年> 11月17日)は、日本の裁判官。最高裁判所判事。愛知県出身。位階は正三位。 愛知一中や旧制一高を経て、1948年(昭和23年)東京帝国大学を卒業。司法修習を終えた後、いったん千葉地裁判事補などをし、1953年(昭和28年)10月に法務省入り。参事官、司法法制調査部長、訟務局長、民事局長を務め、「法務省に貞家あり」といわれた存在であった。裁判官としても宇都宮地裁所長、横浜地裁所長、広島高裁長官、大阪高裁長官などを歴任した。法務省訴訟局長から東京高裁判事になった時は周囲から「今様浦島ですね」と冷やかされ、自ら「浦島太郎の独白」と題する随筆を法律雑誌に寄せた。
大野 英二(おおの えいじ、1922年10月20日 - 20… 大野 英二(おおの えいじ、1922年10月20日 - 2005年9月6日)は、日本の経済学者、京都大学名誉教授。
鬼頭 恭一(きとう きょういち、1922年(大正11年) 6… 鬼頭 恭一(きとう きょういち、1922年(大正11年) 6月10日 - 1945年(昭和20年) 7月29日)は日本の作曲家。東京音楽学校本科在学中に学徒出陣、終戦17日前に霞ヶ浦航空隊で飛行訓練中に事故死した。戦後70年にあたる2015年、戦死した遺骨が故郷の愛する人の元に帰る情景を描いた歌曲「雨」が初演された。 大正11年(1922年)6月10日、名古屋中心地で酒問屋を営む父・儀一、母・成子の四人兄妹の長男として生まれる。実家近くにあったキリスト教系の幼稚園で賛美歌を耳にした事が、恭一の音楽の原点であった。幼少期の恭一について2歳年下の弟・哲夫は次のように証言している。 兄は幼い頃から「珍しいもの、新しいもの」を好み、やりたいことや欲しいものはとことん追求しなければ気が済まない「やんちゃくちゃ」(当時の名古屋弁) な腕白小僧で、しょっちゅう両親を困らせていました。
米倉 功(よねくら いさお、1922年5月25日 - 201… 米倉 功(よねくら いさお、1922年5月25日 - 2015年12月6日)は日本の実業家。伊藤忠商事の社長・会長、経済団体連合会副会長を務めた。勲一等瑞宝章、藍綬褒章、トルコ共和国功労勲章受章。
清水九兵衛(きよみず きゅうべえ、旧字体: 淸水 九兵衞、1… 清水九兵衛(きよみず きゅうべえ、旧字体: 淸水 九兵衞、1922年5月15日 - 2006年7月21日)は彫刻家、陶芸家。日本における抽象彫刻の第一人者である一方、京焼の名家として知られる清水六兵衞(七代)を襲名していた。名は広、旧姓は塚本。 愛知県大久手町(現・名古屋市千種区大久手町)に生まれ、愛知一中(現・愛知県立旭丘高等学校)へ進学。第二次世界大戦開戦直後に名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)で建築を学び、主にイタリアのファシスト政権下で存続していたモダニズム建築に興味を持った。沖縄戦から生還し、戦後は東京藝術大学美術学部鋳金科で彫刻を学んだ。在学中に京都の清水焼の名跡、六代清水六兵衛の養子となり陶芸をはじめた。
山田 鐐一(やまだ りょういち、1922年4月29日 - 2… 山田 鐐一(やまだ りょういち、1922年4月29日 - 2008年6月16日)は、日本の法学者。