スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
栗田 尚弥(くりた ひさや、1954年 - )は、日本の国際… 栗田 尚弥(くりた ひさや、1954年 - )は、日本の国際政治学者。國學院大學、立教大学、立正大学各講師。専門は日本政治外交史、軍事史。 東京都出身。1973年茨城県立土浦第一高等学校卒業。1977年中央大学法学部卒業。1988年明治大学大学院政治経済学研究科博士後期課程修了後に退学。 國學院大學文学部講師を長く務めているほか、中央大学社会科学研究所客員研究員を経て沖縄東アジア研究センター主任研究員を務めている。また神奈川県の『相模原市史』や『座間市史』や『茅ヶ崎市史』、埼玉県の『埼玉県史』や『さいたま市史』、千葉県の『柏市史』や『鎌ヶ谷市史』や『野田市史』、東京都の『立川市史』など関東地方の自治体史編纂に関わっている。
渡辺 芳人(わたなべ よしひと、1953年5月30日 - )… 渡辺 芳人(わたなべ よしひと、1953年5月30日 - ) は、日本の化学者。専門は生物無機化学、生体機能関連化学。名古屋大学理事・副総長を経て、自然科学研究機構分子科学研究所所長。元日本化学会筆頭副会長。元日本学術会議会員。日本化学会賞等受賞。 1972年岩手県立盛岡第一高等学校卒業1976年東北大学理学部化学科卒業。1982年筑波大学大学院化学研究科博士課程修了、理学博士。同年ミシガン大学化学科博士研究員。1984年ミシガン大学化学科上級研究員。1985年プリンストン大学化学科研究員。1987年慶応大学医学部助手。1989年通商産業省工業技術院化学技術研究所主任研究員。1990年京都大学工学部助教授。
川人 貞史(かわと さだふみ、1952年(昭和27年)12月… 川人 貞史(かわと さだふみ、1952年(昭和27年)12月7日 - )は、日本の政治学者。博士(法学)(東京大学・論文博士・1993年)。東京大学名誉教授。北海道大学教授・東北大学教授・東京大学教授を経て、帝京大学教授。 専門は、日本政治、選挙研究。第一次資料に基づく実証分析を重視しつつ、新制度論政治学による日本政治についての理論構築を志向している。富山県西礪波郡福岡町赤丸生まれで、実父は神職で高岡第一高等学校長も務めた川人貞現。 略歴は以下のとおり。 指導教官は京極純一。
大熊 孝(おおくま たかし、1942年(昭和17年)8月 -… 大熊 孝(おおくま たかし、1942年(昭和17年)8月 - )は、日本の河川工学者。新潟大学名誉教授。台北市生まれ。千葉市出身、新潟市在住。 専門は河川工学・河川土木史で、自然と人の関係、川と人の関係を地域住民の立場を尊重しながら研究している。土木工学の教員の中では珍しく住民運動の側に立ったり、社会的な発言をする。 2019年4月現在、八ッ場ダムに反対する八ッ場あしたの会代表世話人・水の駅・ビュー福島潟名誉館長、NPO 法人新潟水辺の会顧問、日本自然保護協会参与などを務める。 1942年台湾で出生。4歳で高松に引き揚げて亀阜小学校に入学し、そのあと千葉に20年少し住む。千葉県立千葉第一高等学校を卒業。
川名 登(かわな のぼる、1934年6月13日 - 2011… 川名 登(かわな のぼる、1934年6月13日 - 2011年6月11日)は、日本の経済史学者、河川水運史研究者、千葉経済大学名誉教授。 千葉県銚子市生まれ。犢橋村立犢橋中学校、千葉県立千葉第一高等学校を経て、千葉大学文理学部史学科日本史学専攻に入学。1957年千葉大学文理学部史学科日本史学専攻卒業。1962年明治大学大学院文学研究科日本史学専攻修士課程修了。明治大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程単位取得満期退学。横須賀市博物館、千葉経済大学短期大学教授、1987年に千葉経済大学経済学部が設置されると教授に就任し、2005年定年退任、名誉教授。 1993年『日本近世河川水運史の研究』で文学博士(明治大学)。
阿部 龍蔵(あべ りゅうぞう、1930年7月11日 - 20… 阿部 龍蔵(あべ りゅうぞう、1930年7月11日 - 2013年11月1日)は、日本の物理学者。東京大学名誉教授。 東京都出身。旧制第一高等学校を経て、1953年東京大学理学部物理学科卒業。1959年東京教育大学理学博士。東京工業大学助手、1961年東京大学物性研究所助教授、1966年東京大学教養学部教授。1991年定年退官、名誉教授、放送大学教授、副学長。
坂口 健二(さかぐち けんじ、1929年 - 没年不詳)は、… 坂口 健二(さかぐち けんじ、1929年 - 没年不詳)は、日本の農芸化学者。 父は醸造の世界的権威東京大学名誉教授坂口謹一郎博士。 坂口健二は1929年、東京市に生まれ、第一高等学校を卒業する。1952年に東京大学農芸化学科を卒業し、千葉県野田市の野田産業科学研究所(キッコーマン)の研究員となる。1971年には、東京都町田市に設立された三菱化成生命科学研究所(後の三菱化学生命科学研究所)の微生物化学研究所室長となり、情報開発室長に1981年になる。1983年にフランス政府招聘研究員、1984年にドイツ政府招聘研究員。1984年にカリフォルニア大学客員教授となった。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
嶋田 豊(島田 豊、しまだ ゆたか、1929年 - 1997… 嶋田 豊(島田 豊、しまだ ゆたか、1929年 - 1997年10月22日)は、日本の哲学者。日本福祉大学名誉教授。 東京生まれ。旧制第一高等学校を経て、1952年名古屋大学文学部哲学科卒業。1957年日本福祉大学に赴任。同大学経済学部教授(哲学・社会思想史)、常任理事、全学教授会議長、経済学部長、社会福祉学部長などを務めた。 1982年-1984年唯物論研究協会(全国唯研)委員長。
寺田 和夫(てらだ かずお、1928年5月17日 - 198… 寺田 和夫(てらだ かずお、1928年5月17日 - 1987年9月5日)は、日本の人類学者、東京大学教養学部教授。 1928年、横浜市生まれ。第一高等学校から、東京大学理学部人類学科へ進んだ。1951年に卒業し、同大学院に進学。 1956年、教養学部助手に採用された。1958年から1969年、東京大学アンデス地帯学術調査団の一員としてペルーで考古学遺跡の発掘調査に従事。助教授を経て、教授した。1962年、学位論文『人体計測値による親子の類似性の分析』を東京大学に提出して理学博士の学位を取得。在職中に死去した。 ラテンアメリカの歴史と文化を専攻し、師泉靖一のインカ文化・アンデス文明研究を引き継いだ。
赤池 弘次(あかいけ ひろつぐ、1927年11月5日 - 2… 赤池 弘次(あかいけ ひろつぐ、1927年11月5日 - 2009年8月4日)は、日本の数理統計学者。1970年代に確立した赤池情報量規準(AIC)で知られる。統計数理研究所第8代所長。2006年京都賞受賞者(基礎科学部門)。 1927年、現在の静岡県富士宮市にて生まれた。1945年、海軍兵学校(75期)を卒業し、第一高等学校に入学。1948年、第一高等学校を卒業。同年4月に東京大学理学部数学科に入学し、数学を専攻した。1952年、東京大学理学部数学科を卒業。 卒業後は、1952年4月より統計数理研究所に入った(文部技官)。1961年、学位論文『間隔過程の統計的管理について』を東京大学に提出して理学博士号を取得。
田中 英夫(たなか ひでお、1927年1月13日 - 199… 田中 英夫(たなか ひでお、1927年1月13日 - 1992年8月20日)は日本の法学者。専門は英米法。東京大学法学部長・名誉教授。末延三次門下。弟子に寺尾美子など。 一橋大学名誉教授田中和夫の長男として東京に生まれる。 1943年福岡県中学修猷館卒業、1945年第一高等学校卒業を経て、1951年、東京大学法学部を卒業し、1954年、同大学院を修了。1962年、法学博士(東京大学)の学位を取得する(学位論文「私有財産権の保障規定としてのデュー・プロセス・クローズの成立」)。 その後、1954年10月、東京大学法学部助教授を経て、1964年、東京大学法学部教授に就任。この間、2度にわたりハーバード大学ロー・スクールにおいて客員教授として日本法を講義している。
鶴見 良行(つるみ よしゆき、1926年4月28日 - 19… 鶴見 良行(つるみ よしゆき、1926年4月28日 - 1994年12月16日)は、日本のアジア学者・人類学者。 1926年、外交官・鶴見憲の息子としてアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれた。外交官の父の仕事の影響で、ワシントンD.C.、ポートランド、ハルビンなど一家は在外生活を重ねた。第一高等学校の受験に失敗して、東京外国語学校に入学。同校を1年で退学し、水戸高等学校を経て、東京大学法学部に入学した。1952年に東京大学法学部を卒業。 1946年にいとこの鶴見俊輔、鶴見和子が関係した雑誌『思想の科学』が発刊されると、思想の科学研究会の常任活動に参加し、自身はコミュニケーション論を研究した。
早川 宗八郎(はやかわ そうはちろう、1926年3月15日 … 早川 宗八郎(はやかわ そうはちろう、1926年3月15日 - 2014年8月26日)は、日本の工学者。東京工業大学名誉教授、同大学元理学部長、職業能力開発総合大学校元校長、同大学校名誉教授。日本基督教団の牧師でもあった。東京大学工学博士。専門は固体光物性、紛体物性、エネルギー変換物性。 東京市本所区に生まれる。父50歳、母41歳という老齢の父母のもと、7人兄弟の末子として誕生した(8人目の子供だが1人は夭逝していた)。下町育ちそのままに、中学2年生までは毎日午後9時過ぎまでガキ大将として日々を過ごした。また、幼年のころから剣道の修練に励んだ。中学3年生のときにそれまでの生活にむなしさを感じ、第一高等学校に入ることと、剣道から禅の道に転換する目標を立てた。
篠原 一(しのはら はじめ、1925年8月21日 - 201… 篠原 一(しのはら はじめ、1925年8月21日 - 2015年10月31日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。専門は、ヨーロッパ、特にドイツの政治史。 1925年、東京都目白生まれ。第一高等学校から東京帝国大学へ進み、政治学を専攻する。しかし、太平洋戦争の下で同世代は兵役あるいは学徒として出生してゆき、篠原も兵役に就くが外地に出るまえに敗戦を迎え、自身は結核を発症した。。東京帝国大学へ復学し、1950年3月に東京大学法学部政治学科を卒業。1950年4月より東京大学法学部助手となった。しかし、再び結核を発病し、伏臥生活を送りつつ、ドイツ語の資料を読んで助手論文を執筆。 1953年7月、東京大学法学部助教授に昇進。
西川 治(にしかわ おさむ、1925年6月16日 - 201… 西川 治(にしかわ おさむ、1925年6月16日 - 2019年11月2日)は、日本の人文地理学者、東京大学名誉教授。瑞宝中綬章受章。 東京市本郷区(現東京都文京区)に生まれる。1944年、第一高等学校理科卒業。1947年、東京帝国大学理学部地理学科卒業、同副手。1949年,助手。1955年から1958年まで西ドイツのボン大学に留学。1958年、東京大学教養学部助教授。1961年、「日本における自然地域の変貌」で東京大学理学博士。1971年、教授。1986年、定年退官、名誉教授、立正大学教授。1996年、退職。その後も、富士学会名誉会長などを務めていた。2005年、瑞宝中綬章受章。 2019年11月2日13時38分、急性腎不全のため東京都多摩市の病院で死去。
高田 淳(たかた あつし、1925年5月28日 - 2010… 高田 淳(たかた あつし、1925年5月28日 - 2010年4月9日)は、日本の中国文学者・中国思想学者。学習院大学名誉教授。 1925年、朝鮮京城に生まれる。父は大分県出身で中国思想学者の高田眞治、母方の祖父は英文学者の皆川正禧。1945年、第一高等学校休学中に入営、満州で敗戦を迎え、1947年、帰国。1952年、東京大学中国文学科を卒業し、同大大学院へ進学するも中退。1953年、大倉山学院給費生。 1955年、学習院高等科国語講師。1957年、学習院高等科国語教諭。1964年より東京女子大学専任講師、助教授。1972年より東京大学文学部中国文学科助教授、1974年、東京大学文学部中国文学科を退職し学習院大学文学部史学科教授となり、1996年に定年退職。
鷺坂 修二(さぎさか しゅうじ、1925年3月28日 - 2… 鷺坂 修二(さぎさか しゅうじ、1925年3月28日 - 2015年10月14日)は、日本の物理学者。専門は、宇宙線物理学。信州大学名誉教授であった。 1925年鷺坂清信・操夫妻の次男として東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区赤城元町)に生まれた。 1931年東京府麴町区小学校に入学。1937年、第一東京市立中学校に入学。1942年、旧制第一高等学校理科に入学。 1945年、名古屋大学理学部物理教室に入学。旧制一高・名古屋大学理学部を通じての級友に物理学者の丹生潔がいる。 入学した年の7月に長野県神川村(現・長野県上田市)に疎開。 この頃、結核を発症し、上田で結核病院に入院療養する。 1945年にはやや快方に向かい、長野県松代町にあった松代地震研究所々長を務めていた父のもとで暮らした。
石井 素介(いしい もとすけ、1924年1月 - 2017年… 石井 素介(いしい もとすけ、1924年1月 - 2017年3月24日)は、経済地理学、ドイツ研究などを専門とし、経済地理学会会長なども務めた日本の地理学者、明治大学名誉教授。 愛媛県周桑郡小松町(後の西条市)に生まれる。 1943年に第一高等学校を卒業して東京帝国大学理学部地理学科に進んだ。戦時下の学生生活の中では、満洲国での調査も経験した。 1946年に大学を卒業して、内務省国土局計画課などを経て、1948年から総理府資源調査会事務局に8年間勤務した。資源調査会に勤務した時期には、特に水害調査に従事し、以降、資源論や災害論に取り組む契機となった。 1956年に明治大学文学部史学地理学科(地理学専攻)専任講師に転じ、1957年に助教授、1963年に教授に昇任した。
外尾 健一(ほかお けんいち、1924年(大正13年) - … 外尾 健一(ほかお けんいち、1924年(大正13年) - 2021年(令和3年)3月30日)は、日本の法学者。専門は労働法。東北大学名誉教授。元東北学院大学教授。2000年勲二等瑞宝章受章。台湾・台北市出身。 1941年台北州立台北第一中学校卒業。徴兵により、電信第二九連隊に入隊。1946年復員。1948年第一高等学校 (旧制)卒業。 1951年(昭和26年)東京大学法学部卒業。1951年東京大学社会科学研究所助手(指導教員:有泉亨)。1956年東北大学法学部助教授。1962年3月31日「フランス労働協約の研究」で東北大学より法学博士の学位を取得。1963年東北大学法学部教授。1965年東北大学評議員。
衞藤 瀋吉(えとう しんきち、1923年(大正12年)11月… 衞藤 瀋吉(えとう しんきち、1923年(大正12年)11月16日 - 2007年(平成19年)12月12日)は、日本の国際政治学者。専門は、中国を中心とする東アジア政治史、国際関係論。東京大学名誉教授、亜細亜大学名誉教授。亜細亜大学学長、東洋英和女学院院長を歴任。 1923年、旧満州奉天(現・瀋陽)で生まれた。「エリート教育、特殊教育を実践したユニークな学校」として知られていた満洲教育専門学校附属奉天千代田小学校を卒業。1941年に奉天第一中学校、1943年に第一高等学校文科甲類を卒業。同年、東京帝国大学法学部政治学科に入学。 しかし、同1943年の学徒出陣により陸軍に入隊。広島市の大本営第2通信隊に所属した1945年8月、広島駅近くの松本商業(現・瀬戸内高校)内にあった建物内で被爆。
三枝 充悳(さいぐさ みつよし、1923年 <大正12年> … 三枝 充悳(さいぐさ みつよし、1923年 <大正12年> 4月18日 - 2010年 <平成22年> 10月19日)は、日本の仏教学者。専門は、仏教学・インド哲学。筑波大学名誉教授。位階は正五位。 1923年、静岡県静岡市生まれ。静岡県立静岡中学校に学ぶ。第一高等学校在学中、1943年、学徒出陣するが内地勤務で敗戦を迎えた。 戦後は東京大学文学部哲学科へ進み、学部卒業後は同大学院(旧制)修了。卒業後は母校の東京大学助手となった。ミュンヘン大学に留学、1962年にPh.Dを取得し帰国。帰国後、國學院大學助教授に就任。1971年、『東洋思想と西洋思想』を國學院大学に提出して文学博士号を取得した。 1975年より筑波大学教授。
前沢 泰(まえざわ やすし、1923年 - 1986年)は、… 前沢 泰(まえざわ やすし、1923年 - 1986年)は、日本の教育者、教育学者。 長野県飯田市出身。1944年旧制第一高等学校卒。戦後中学校教師を務めた。1977年退職後、長野県下伊那郡上郷町(現飯田市)に転居。1961年より全国生活指導研究協議会(全生研)中央常任委員を務める。
角田 豊(すみだ ゆたか、1922年8月19日 - 1978… 角田 豊(すみだ ゆたか、1922年8月19日 - 1978年9月7日)は、日本の法学者。 神奈川県逗子生まれ。第一高等学校、1944年東京帝国大学法学部政治学科卒、同大学院、1943年徴兵、ポツダム中尉。1946年中央労働学園調査部職員、1948年同専門学校助教授、1949年中央労働学園大学助教授、1951年静岡大学文理学部助教授、1964年同志社大学教授。
田村 善藏(たむら ぜんぞう、1922年(大正11年)4月6… 田村 善藏(たむら ぜんぞう、1922年(大正11年)4月6日 - 2008年(平成20年)6月8日)は、日本の薬学者、分析化学者。薬学博士、東京大学名誉教授。薬理学者の田村憲造は父、農芸化学者の田村学造は弟である。 1922年(大正11年)4月6日、東京帝国大学医科大学助教授(当時)の田村憲造の長男として生まれる。東京高等師範学校附属中学校から、旧制第一高等学校へ進み、東京帝国大学医科大学薬学科へ入学する。薬学科へ進んだのは、父・憲造の共同研究者であった石館守三が新設された薬品分析化学講座の教授をしており、憲造からの勧めがあったからだという。1945年(昭和20年)4月、決戦教育措置要綱により授業停止となり、賀茂海軍衛生学校へ学徒勤労動員となった。
吉田 耕造(よしだ こうぞう、1922年(大正11年)1月1… 吉田 耕造(よしだ こうぞう、1922年(大正11年)1月17日 - 1978年(昭和53年)1月28日)は日本の海洋物理学者。 1922年に大阪府で出生。旧制大阪府立北野中学校、旧制第一高等学校を経て、1944年に東京帝国大学理学部地球物理学科を卒業後、日本の海洋物理学の有識者に学んだり、カリフォルニアのスクリップス海洋研究所で研究をしたりした。1953年東京大学理学博士、学位論文の題は「海の波浪及び海洋に起る波動の研究 」。 1954年には東京大学理学部助教授、1964年には同大教授に就任した。沿岸湧昇の国際的な権威であり、日本海洋学会でも指導的な立場となった。1968年には第3回日本海洋学会賞を受賞した。
木村 敏雄(きむら としお、1922年1月15日 - 201… 木村 敏雄(きむら としお、1922年1月15日 - 2019年10月11日)は、日本の地球科学者。専門は構造地質学。福岡県生まれ。 1938年に第一高等学校理科乙類へ入学し、1941年に東京帝国大学理学部地質学科へ入学、1943年9月に東京帝国大学大学院へ入学する。その後休学し、海軍技術見習尉官(短期)となる。1945年に海軍技術大尉となり、1946年5月に復員。10月東京帝国大学大学院に復学する。1947年9月に東京帝国大学理学部助手となり、1950年3月に名古屋大学理学部助教授、1957年に東京大学教養学部助教授となる。1958年に東京大学より理学博士の学位を受ける。1962年5月に東京大学理学部教授(地質学第二講座)、1964年より1976年まで東京大学地震研究所教授を併任、1982年定年により退職し、東京大学名誉教授となる。
遠藤 浩(えんどう ひろし 1921年9月13日 - 200… 遠藤 浩(えんどう ひろし 1921年9月13日 - 2005年5月5日)は、日本の法学者。専門は民法。学習院大学名誉教授。山形県米沢市出身。 米沢市の実家(鍛冶町)の斜向かいに我妻栄の生家(鉄砲町)があった。米沢興譲館中学校3年時に肋膜炎・肺結核を患い、以後三十数年間は持病を抱えながらの生活となる。第一高等学校、東京帝国大学法学部卒。法学部大学院で我妻に師事した。 学習院大学名誉教授。元司法試験考査委員(任:1968年 - 1984年)および元国家公務員上級試験(現在の国家公務員第I種試験)考査委員(任:1970年 - 1972年)。元弁護士。勲三等瑞宝章受章。 米沢高等学校で教師と野球部監督を務め、プロ野球で活躍する皆川睦雄(南海ホークス)を指導した経歴を持っている。
上原 淳道(うえはら ただみち、1921年8月20日 - 1… 上原 淳道(うえはら ただみち、1921年8月20日 - 1999年11月27日)は、日本の中国史学者。中国古代史専攻。東京大学教授、関東学院大学教授などを歴任。 上原専禄の長男として東京府北豊島郡滝野川(現・北区滝野川)に生まれる。1942年第一高等学校卒業、東京帝国大学文学部東洋史学科入学。しかし、太平洋戦争の戦局悪化により、1943~1945年学徒兵として従軍。 戦後、1948年に東京大学卒業、同大学院に入学。1953年より母校の東京大学教養学部専任講師となり、1955年助教授、1967年教授。1982年に定年退官。名誉教授の称号を辞退し、その後は関東学院大学教授として教鞭をとった。1987年に関東学院大学も退職。
森口美都男(もりぐち みつお、1921年6月12日 - 19… 森口美都男(もりぐち みつお、1921年6月12日 - 1993年3月18日)は、日本の哲学者、京都大学名誉教授。ヨーロッパの哲学を研究。 フランス・パリ生まれ。1939年京都府立京都第一中学校卒、1942年第一高等学校(文科甲類)卒、1947年京都帝国大学文学部哲学科卒、1949年京都帝国大学大学院修了。1950年大阪市立大学法文学部助手、1951年同講師、1957年大阪市立大学文学部助教授、1965年京都大学文学部倫理学科助教授、1967年同教授、1985年定年退官、名誉教授。
岩崎 允胤(いわさき ちかつぐ、1921年(大正10年)1月… 岩崎 允胤(いわさき ちかつぐ、1921年(大正10年)1月7日 - 2009年(平成21年)8月9日)は、日本の哲学者。一橋大学名誉教授。日本平和委員会代表理事、唯物論研究協会委員長等を歴任。 東京市本郷区生まれ。第一高等学校卒、1943年東京帝国大学法学部卒業。1949年東京大学文学部卒業。北海道大学文学部助教授、教授、1973年一橋大学社会学部教授、1980年唯物論研究協会委員長。1984年定年退官、名誉教授、大阪経済法科大学教授。日本平和委員会代表理事等を歴任した。 日本共産党の出隆(のちに共産党を除名)に師事して古代ギリシア哲学を専門としたが、左翼的立場にたち、梅原猛や河合隼雄を批判、また歴史に取材した戯曲や小説も書いた。
赤司 道雄(あかし みちお、1920年12月7日 - 199… 赤司 道雄(あかし みちお、1920年12月7日 - 1993年2月22日)は、日本の聖書学・宗教学者。立教大学名誉教授。 第一高等学校を経て、1943年東京帝国大学宗教学科卒、1952年東京大学大学院特別研究生修了、助手、1950-1952年シカゴ大学へ留学、1953年立教大学一般教育部助教授、教授。1965年「旧約聖書捕囚以後の思想史の研究 神の応報の問題をめぐって」で文学博士(東京大学)。1980年シカゴ大学併設ミドヴィル神学校名誉神学博士。1986年立教大学を定年退職。立教大学名誉教授。同仁自由キリスト教会牧師。 1993年2月22日、肝臓癌のため死去。
角田 礼次郎(つのだ れいじろう、1920年12月4日-20… 角田 礼次郎(つのだ れいじろう、1920年12月4日-2020年11月17日 )は、日本の法律家。位階は正三位。 元最高裁判所判事、元内閣法制局長官。角田 禮次郎とも表記。 台湾総督府勤務の父親の任地である台湾の高雄で生まれ、1932年(昭和7年)まで同地に住んでいた。 第一高等学校を経て1944年(昭和19年)に東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入り、自治省から内閣法制局に。大平、鈴木、中曽根の三内閣にわたって内閣法制局長官を務めた。内閣法制局長官として憲法改正、閣僚靖国神社公式参拝、徴兵制違憲などについて政府統一見解を政府答弁書をまとめる中心的存在だった。 1975年3月18日、衆議院内閣委員会で内閣法制局第一部長として「昭和という元号は、法律上の基礎はなく、慣習として用いられている」「陛下に万一のことがあれば、昭和という元号がその瞬間に消え、空白の時代が始まる」と答弁した。
秋田 稔(あきた みのる、1920年10月5日 - 2017… 秋田 稔(あきた みのる、1920年10月5日 - 2017年4月28日)は、日本の神学者。恵泉女学園名誉学園長。 現中国東北部(満洲)生まれ。大連第一中学校、第一高等学校卒、東京帝国大学文学部倫理学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科倫理学専攻(旧制)修了、ハーバード大学ハーバード燕京研究所客員研究員、国際基督教大学助教授、準教授、教授、1973年北星学園大学学長、恵泉女学園長、1995年退任、名誉学園長、山梨英和学院長。
山井 湧(やまのい ゆう、1920年7月22日 - 1990… 山井 湧(やまのい ゆう、1920年7月22日 - 1990年4月16日)は、中国思想学者、東京大学名誉教授。 1920年、兵庫県生まれ。中学四修で第一高等学校に入学した。卒業後は東京帝国大学支那哲学科に進学したが、1942年に学徒出陣のため繰り上げ卒業。軍隊では内地勤務であったため、戦後いち早く復員し、大学に戻った。 長く特別研究生、都立高校教諭としての勤務を経て、母校である東京大学文学部中国哲学研究室助手となった。1962年に中央大学助教授として着任。1964年、東京大学文学部助教授に就任。1971年に教授昇進。1981年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった〔疑問ありーノート参照〕。その後は大東文化大学教授として教鞭をとり、文学部長も務めた。
乾 崇夫(いぬい たかお、1920年1月16日 - 2012… 乾 崇夫(いぬい たかお、1920年1月16日 - 2012年9月13日)は、日本の工学者(造船学・船型学)。学位は工学博士(東京大学・1958年)。東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。 東京府出身。旧制第一高等学校、東京帝国大学工学部船舶工学科卒業。船体の造波抵抗、流れの可視化、数値解析、球状船首の研究などを行い、1958年東京大学から工学博士号取得。論文は「船体の造波抵抗に関する研究」。 1958年東京大学工学部教授、1980年定年退官、玉川大学教授、1988年文化功労者となる。日本学士院会員。2012年9月13日、肺炎により東京都内の病院で死去した。92歳没。 造船学や船型学を専門としており、波の重要性に着目し波紋解析的船型試験法を開発した。
阪谷 芳直(さかたに よしなお、1920年1月10日 - 2… 阪谷 芳直(さかたに よしなお、1920年1月10日 - 2001年9月3日)は、日本の銀行家・エコノミスト・思想史家・翻訳家。 愛知県生まれ。第一高等学校を経て、1943年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、大蔵省に入省する。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。海軍運輸本部付となり、徴用船の配船業務に従事。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 戦後は日本銀行に移り、調査局、広島支店、国庫局に在勤。その後日本輸出入銀行・アジア開発銀行に転じた。 2001年9月3日、肺腺癌のため死去。
河原 忠彦(かわはら ただひこ、1920年 - 2021年7… 河原 忠彦(かわはら ただひこ、1920年 - 2021年7月10日[要出典])は、ドイツ文学者、東京大学名誉教授。息子は西洋中世史研究者の河原温。 第一高等学校から1949年東大独文科卒。横浜国立大学講師、1953年東大教養学部助教授、教授。1981年定年退官、名誉教授。明治大学教授を務め、1991年退職。100歳で死去。[要出典] この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
松下 和則(まつした かずのり、1919年3月3日 - 20… 松下 和則(まつした かずのり、1919年3月3日 - 2007年11月9日)は、フランス文学者、東京大学名誉教授。 父の任地、現在の青森県弘前市に生まれ、翌年東京に移転。第一高等学校理科から、1941年東京帝国大学理学部物理学科を繰り上げ卒業、1942年同地震研究所助手、1943年同文学部仏文科に入学し、1946年卒業。大学院研究生を経て1951年中央大学助教授、1954年東京大学教養学部助教授、1967年教授、1979年定年退官、名誉教授。上智大学教授を務め1984年退職。1981年から1985年まで日本フランス語フランス文学会会長、1984年フランス政府より教育功労章を授与される。1992年勲三等旭日中綬章。
原 亨吉(はら こうきち、1918年6月21日 - 2012… 原 亨吉(はら こうきち、1918年6月21日 - 2012年3月20日)は、日本の数学史家、フランス文学者、翻訳家。大阪大学名誉教授。 フランス科学思想史、近世ヨーロッパ数学史を専攻し、ルネ・デカルト、ケプラー、ホイヘンス、ロベルヴァル、ライプニッツを軸に研究論文・翻訳を行い、フランス語教育にも長くたずさわった。若き日はスタンダール、アラン、ヴァレリーらの翻訳も行った。 京都市出身。姫路市に育つ。第一高等学校理科乙類を経て、1938年京都帝国大学哲学科入学、1940年退学し1942年東京帝国大学仏文科卒業。1942年入営し少尉で敗戦、1945年8月20日中尉(いわゆるポツダム中尉)で除隊、1947年同志社女子専門学校教授、1949年関東学院大学経済学部助教授。
美土路 達雄(みどろ たつお、1917年(大正6年)5月1日… 美土路 達雄(みどろ たつお、1917年(大正6年)5月1日 - 1992年(平成4年)11月29日)は、日本の農業経済学者・教育学者・家政学者。専門は農業経済学・農民教育論・農業家政学・農業協同組合経営論など。農産物市場論において市場構造分析の基礎を築き、農協の経営主義を批判するなど、研究領域は多岐に渡る。教育学博士(北海道大学)。名寄女子短期大学名誉教授。 岡山県津山市生まれ。1938年第一高等学校 (旧制)卒業。1942年東京帝国大学農学部卒業。同年、日本勧業銀行に入社。1945年東京帝國大学大学院(旧制)特別研究生修了。その後、病気療養。1955年協同組合短期大学協同組合科助教授に就任。
山根常男(やまね つねお、1917年1月2日-2007年9月… 山根常男(やまね つねお、1917年1月2日-2007年9月24日)は、社会学者。 高知県生まれ。名古屋で育つ。姉は詩人の水野八重子。第一高等学校卒、1940年東京帝国大学文学部社会学科卒、中華民国北京国立新民学院講師。応召し、ニューブリテン島で敗戦を迎える。名古屋市立女子専門学校(のち名古屋市立女子短期大学)教員、1949年岐阜大学講師、1951年南山大学助教授、1959年大阪市立大学助教授、教授、1977年定年退官、名誉教授、駒澤大学教授、91年定年退任。 南山大学時代に名古屋大学の村松常雄のもとでフロイト精神分析を学び、ミシガン大学に学んでイスラエルのキブツを調査した。家族社会学。
丸尾 文治(まるお ぶんじ、1917年 - 2015年1月5… 丸尾 文治(まるお ぶんじ、1917年 - 2015年1月5日)は、日本の生物学者(生化学・分子生物学・農芸化学)、教育者。勲等は勲三等。学位は農学博士(東京大学・1954年)。東京大学名誉教授、社団法人日本生化学会名誉会員。 片倉製糸紡績株式会社での勤務を経て、東京帝国大学農学部助手、東京大学農学部助教授、東京大学応用微生物研究所教授、社団法人日本生化学会会長(第26代)、東京大学応用微生物研究所所長、東京大学評議員、日本大学農獣医学部教授、日本大学農獣医学部次長、埼玉第一高等学校校長(第3代)などを歴任した。 生化学、分子生物学、農芸化学などを専攻する静岡県出身の生物学者である。枯草菌の酵素に関する研究が知られており、α-アミラーゼの生成を制御する7つの遺伝子を特定し、それらを組み合わせることで生産性を従来の数千倍にまで向上させた。
藤堂 明保(とうどう あきやす、1915年9月20日 - 1… 藤堂 明保(とうどう あきやす、1915年9月20日 - 1985年1月2日)は、日本の漢学者。 三重県阿山郡(のちの上野市、現伊賀市域)生まれ。家系は津藩伊賀上野城代の藤堂家。父の赴任により大連で育つ。1938年、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学文学部支那哲学科卒業後、外務省研修員として北京へ留学する。そのまま応召し、1941年に現地で除隊、さらに通訳として軍務に従事する。敗戦を南京で迎え、その翌日には軍命でハノイへ飛び、1947年に中国経由で復員する。 帰国後は第一高等学校教授を経て、1950年に東京大学文学部専任講師、1954年に同助教授、1963年に同教授。東大紛争で全共闘支持を表明し、1970年、強行排除に抗議して辞職、その直後から『11PM』に出演して「女へんの漢字」を解説したり、1971年からはNHKテレビの『中国語講座』講師を担当するなど、マスコミでも活躍した。
森田 鉄郎(もりた てつろう、1914年10月22日 - 1… 森田 鉄郎(もりた てつろう、1914年10月22日 - 1996年2月5日)は、日本の西洋史学者。 1914年10月22日、父・福井県出身・弁護士・摩寿意善太郎、母・広島県出身・山田ツヤの次男として東京麻布区に生まれる。兄は日本の美術家、東京芸術大学名誉教授・摩寿意善郎。麻布中学校卒業後、1932年、旧制第一高等学校に入学。 1935年東京帝国大学文学部西洋史学科入学。1939年同卒業。秩父宮御用掛・学習院大学教授・渡邉八郎長女・千江と婚姻。(祖父は大村藩士・初代大阪府知事・元老院議官・会計検査院長・貴族院議員・渡邉昇)婚姻後京都市岡崎円寺151・「吉富楼」経営の森田久の夫婦養子となり、姓を森田と改める。
今井 功(いまい いさお、1914年(大正3年)10月7日 … 今井 功(いまい いさお、1914年(大正3年)10月7日 - 2004年(平成16年)10月24日)は、日本の物理学者(流体力学)。理学博士(論文博士・1943年)。文化勲章受章者。航空機の飛行に関係した空気力学の基礎理論において大きな業績を上げた。 1914年に関東州大連に生まれ、神戸市で育った。幼少時より学業に秀で、跳び級制度により小学校5年修了で第一神戸中学校に入学した。1年の飛び級で卒業し、旧制第一高等学校を経て東京帝国大学理学部物理学科で寺沢寛一教授に師事、1936年に卒業。 卒業してからは、しばらく大阪帝国大学理学部の友近晋教授のもとで助手を務め、2年半のちに東大へ講師として戻り、1942年に助教授、1950年に教授に昇進した。
篠崎 信男(しのざき のぶお、1914年6月21日 - 19… 篠崎 信男(しのざき のぶお、1914年6月21日 - 1998年4月16日)は、日本の人口学者。 東京出身。別名・神寺人言(じんげんひとよ)。 第一高等学校、東京帝国大学理学部数学科をへて、1939年長谷部言人によって新設された人類学科に移り第一期生として卒業。 1961年「血族結婚部落に関する生体人類学的研究」で東京大学理学博士。 1943年厚生省に入り、人口問題研究所、同人口資質部長。1984年日本人口学会会長。1984年勲二等瑞宝章受勲。
永田 武(ながた たけし、1913年6月24日 - 1991… 永田 武(ながた たけし、1913年6月24日 - 1991年6月3日)は、日本の地球科学者である。岩石磁気学という分野を開いた。日本の南極観測を指導した。 愛知県岡崎市出身。第一東京市立中学、旧制第一高等学校、東京帝国大学を卒業後、東京大学地震研究所を経て東京大学教授に就任した。疎開中は挙母町(現・豊田市宮町)の浄覚寺に滞在した。奇しくも30年前に日本人で初めて南極へ向かった白瀬矗が晩年1946年同じ挙母町に転居し亡くなった後、白瀬の妻と次女タケコが浄覚寺に滞在している。1944年7月、東京大学 理学博士、論文名は「火山岩、自然残留磁気およびその地球磁気学的諸問題への応用について(英文) 」。
山本 二三丸(やまもと ふみまる、1913年3月10日 - … 山本 二三丸(やまもと ふみまる、1913年3月10日 - 2011年12月3日)は、日本のマルクス経済学者、立教大学名誉教授。 愛知県豊橋市出身。第一高等学校卒、1936年東京帝国大学経済学部卒。1954年「再生産論」で立教大学経済学博士。1936年東京貯蓄銀行書記、1938年東亜研究所所員、1940年日本鉄鋼連合会書記、1941年鉄鋼統制会書記、日本鋼管書記、1946年立教大学経済学部助教授、1948年教授となり、1978年定年退任、名誉教授。愛知大学教授を務めた。マルクス経済学の厳密な検証において功績があったが、現実の世界経済、世界の社会主義国の崩壊など、理論と現実の乖離は大きく、大きな課題を残して2011年12月3日、98歳で逝去。
榊 米一郎(さかき よねいちろう、1913年(大正2年)3月… 榊 米一郎(さかき よねいちろう、1913年(大正2年)3月5日 - 2014年(平成26年)2月20日)は、日本の電子工学者。名古屋大学名誉教授、豊橋技術科学大学名誉教授。位階は従三位。 京都府京都市出身。父はサンスクリット学者で京都帝国大学名誉教授の榊亮三郎。1932年旧制第一高等学校理科甲類卒業、1935年東京帝国大学工学部電気科卒業、沖電気勤務、1939年名古屋帝国大学嘱託となり、助教授、1951年「磁気測定法に関する研究」で名古屋大学工学博士。1952年名古屋大学工学部教授。1967年 - 1969年工学部長。1974年定年退官、名誉教授、豊田工業高等専門学校校長、1976年退官、名誉教授、豊橋技術科学大学初代学長となる。
太田邦夫(おおた くにお、1913年2月23日 - 1997… 太田邦夫(おおた くにお、1913年2月23日 - 1997年4月23日)は、昭和・平成期の病理学者。東京医科歯科大学、東京大学各名誉教授、日本医学会4代会長。 兵庫県神戸市にて大阪商船副社長の太田丙子郎の長男として生まれる。旧制第一高等学校を経て1937年(昭和12年)東京帝国大学医学部医学科を卒業し、陸軍軍医として北支やラバウルで死線を彷徨う。 東京帝大助手を経て1941年に同講師、1944年医学博士号取得、癌研究所病理部長、1948年東京医科歯科大学教授となる。癌研所長の中原和郎の推薦で、ニューヨーク市のスローン・ケタリング癌センター(en:Memorial Sloan Kettering Cancer Center、アルフレッド・スローン、チャールズ・ケタリングの寄付による研究施設)に留学し、外科病理を研修。