浦田 健次郎(うらた けんじろう、1941年12月15日 -… 浦田 健次郎(うらた けんじろう、1941年12月15日 - 2022年12月25日)は、日本の作曲家。東京都出身。 1964年東京芸術大学音楽学部器楽科(トロンボーン専攻)卒業。1969年同大作曲科卒業、1973年同大大学院修士課程修了。1975年より東京芸術大学音楽学部作曲科にて指導にあたり、2009年3月定年により退官。1969年、日本吹奏楽指導者協会作曲賞受賞。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
昭和 精吾(しょうわ せいご、本名:鎌田 賢、1941年12… 昭和 精吾(しょうわ せいご、本名:鎌田 賢、1941年12月14日 - 2015年8月29日)は、日本の俳優、演出家。昭和精吾事務所設立者。満州生まれ。 昭和16年(1941年)12月14日、満洲の大日本帝国陸軍大佐であった父の官舎で誕生。終戦間際、父の実家に引き揚げ、秋田県大館市の農家で育つ。県立大館鳳鳴高校卒業後上京、演劇の道へと進む。 1967年、劇団東俳演劇研究所に入所。のち東映演劇研究所に移籍。高倉健主演『網走番外地』シリーズ、渥美清主演『初詣列車』、日本テレビの東映刑事物のドラマにチンピラ等で出演。 1969年、寺山修司の演劇実験室◎天井桟敷に入団。主に詩をマイクで語るマイクアジテーションを担当。
森 詠(もり えい、1941年12月14日 - )は、日本の… 森 詠(もり えい、1941年12月14日 - )は、日本の小説家、ジャーナリスト。 日本文藝家協会理事(2012年より)。日本ペンクラブ会員。 代表作は架空戦記『燃える波濤』(徳間書店)。 東京府生まれ。栃木県立黒磯高等学校、東京外国語大学イタリア語学科を卒業後、「週刊読書人」の記者を経て、フリージャーナリストとして独立。 1971年、『黒い龍』で作家デビュー。以後、世界をまたにかけたスパイ小説、軍事情報小説で人気を博す。 1983年には、日本冒険作家クラブの創設を提唱して実現。1985年には『雨はいつまで降り続く』で第93回直木三十五賞候補となった。その後、警察小説、青春小説、架空戦記などジャンルの幅を広げて活躍。
平野 克明(ひらの かつあき、1941年12月14日 - )… 平野 克明(ひらの かつあき、1941年12月14日 - )は、新潟県出身の元プロ野球選手。 新潟県立柏崎工業高校から社会人野球の新潟電化を経て、1964年に大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)に入団。開幕3戦目の先発を任されたが早々にKOされ、以降の登板は1試合に終わり、この1年だけで現役を引退した。
磯崎 康彦(いそざき やすひこ、1941年12月14日- )… 磯崎 康彦(いそざき やすひこ、1941年12月14日- )は、日本の美術史家。福島大学名誉教授。近世日本の蘭画を専門とした。 神奈川県生まれ。横浜国立大学教育学部美術科卒、東京芸術大学大学院修士課程修了。オランダ政府給費生としてアムステルダム自由大学に学び、福島大学教授となる。ハイデルベルク大学客員教授、ベルリン大学客員研究員を歴任。福島大学教授退任後は同大学名誉教授となる。 2007年、「江戸時代の蘭画と蘭書 近世日蘭比較美術史」で東京芸術大学より博士(美術)。
黒岩 常祥(くろいわ つねよし、1941年12月13日 - … 黒岩 常祥(くろいわ つねよし、1941年12月13日 - ) は、日本の生物学者。東京大学名誉教授。元日本植物学会会長。日本学士院会員。文化功労者。日本学士院賞等受賞。 東京市牛込区生まれ。1966年東京都立大学理学部生物学科卒業。1971年東京大学大学院理学系研究科植物学専攻博士課程修了、東京都立アイソトープ総合研究所研究員。 1973年岡山大学理学部生物学科講師。1974年岡山大学理学部生物学科助教授。1977年岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所助教授。1983年岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所教授。1987年東京大学理学部生物学科教授。1991年東京大学理学部附属植物園園長。1992年東京大学総長補佐。
加藤 眞(かとう しん、1941年12月13日 - )は、日… 加藤 眞(かとう しん、1941年12月13日 - )は、日本の実業家、エンジン技術者、レーシングカーデザイナーである。 株式会社サードの会長兼社長、株式会社シグマオートモーティブ会長、株式会社シグマ商事会長。父はトヨタ自動車販売社長加藤誠之。 1941年12月千葉県市川市に生まれる。 1965年日本大学理工学部工業経営学科(現・生産工学部)を卒業し、この当時父誠之()がトヨタ自動車販売で副社長であり「トヨタでもレースをやるようだから、そっちへ行ったらどうか」と入社を勧め、1965年4月トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)に入社し試作課(後に車両試験課に改名)配属となった。トヨタ社員時代の研修で、キャロル・シェルビーの元でレースシリーズに同行しエンジニアリングとレースチーム運営のノウハウを学ぶ。
高橋 紘(たかはし ひろし、1941年(昭和16年)12月1… 高橋 紘(たかはし ひろし、1941年(昭和16年)12月12日 - 2011年(平成23年)9月30日)は、日本のジャーナリスト、皇室研究者。 東京都生まれ。東京都立竹早高等学校、早稲田大学法学部卒業後、1965年(昭和40年)に共同通信社に入社。社会部長・仙台支社長、ラジオ・テレビ局長、取締役事業本部長などを経て退職。同じく皇室関係の著作がある橋本明は上司にあたる。2005年(平成17年)に、小泉政権時代に開かれた「皇室典範に関する有識者会議」にて議題となった皇位継承問題においては女系天皇化を主張していた。2008年(平成20年)まで、静岡福祉大学社会福祉学部教授(専攻は皇室制度、近現代日本史)。
所 功(ところ いさお、1941年(昭和16年)12月12日… 所 功(ところ いさお、1941年(昭和16年)12月12日 - )は、日本の法学者、歴史学者、法制史学者。専門は日本法制史。学位は法学博士(慶應義塾大学・1986年)。京都産業大学名誉教授。公益財団法人モラロジー研究所教授(研究主幹)。麗澤大学比較文明文化研究センター客員教授。京都産業大学日本文化研究所客員教授。皇學館大学特別招聘教授。 岐阜県揖斐郡小島村野中(現・揖斐川町)生まれ。岐阜県立大垣北高等学校では稲川誠一の指導の下、歴史同好会を設立。1964年(昭和39年)に名古屋大学文学部史学科を卒業し、同年皇學館高等学校非常勤講師。1966年(昭和41年)に名古屋大学大学院文学研究科修士課程修了(文学修士・名古屋大学・1966年)。
山本 義隆(やまもと よしたか、1941年(昭和16年)12… 山本 義隆(やまもと よしたか、1941年(昭和16年)12月12日 - )は、日本の科学史家・自然哲学者・教育者。元学生運動家。駿台予備学校物理科講師。元・東大闘争全学共闘会議代表。妻は装幀家の山本美智代。東京大学大学院博士課程中退。 大阪府出身。大阪市立船場中学校、大阪府立大手前高等学校を経て、1960年(昭和35年)東京大学理科一類入学、1964年(昭和39年)東京大学理学部物理学科卒業。 その後、同大学院で素粒子論を専攻、京都大学基礎物理学研究所に国内留学する。秀才でならし、将来を嘱望されていたが、学生運動に没入した。学生運動の後は大学を去り、大学での研究生活に戻ることはなかった。 1960年代、東大ベトナム反戦会議の活動に携わり、東大全共闘議長を務める。
市村俊和(いちむら としかず、1941年(昭和16年)12月… 市村俊和(いちむら としかず、1941年(昭和16年)12月12日 - )は、日本の武道家、合気道家。 1966年から1986年までスウェーデンに住み、同時期にスウェーデンで合気道を指導した。また、デンマークとフィンランドで責任者として、これら3カ国の居合道の発展に貢献し、フィンランドで初めて合気道の演武を行った。1977年に合気会6段、1969年に居合道で錬士6段を修めた。そして武道の教えに関連して、マクロビオティックと言霊についても指導を行った。 1957年に東京にある合気会本部道場で合気道をはじめ、西尾昭二師範に師事した。1961年、東洋大学に進学後、合気道部(当時同好会)の創立に関わる。
酒井 洋子(さかい ようこ、1941年12月11日 - )は… 酒井 洋子(さかい ようこ、1941年12月11日 - )は、日本の翻訳家。 東京出身。本姓・金子。日本女子大学英文科卒。ハワイ大学イースト・ウェスト・センター大学院演劇科修士課程修了。 文学座、テアトル・エコーなどで、ニール・サイモンをはじめとする舞台の演出を手がけるかたわら、小説、ノンフィクション、児童書などの翻訳を手がける。第12回湯浅芳子賞受賞。
小川 陽一郎(おがわ よういちろう、1941年12月11日没… 小川 陽一郎(おがわ よういちろう、1941年12月11日没)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は中佐。福岡県出身。駆逐艦「早苗」や「如月」の艦長を務め、ウェーク島沖にて1941年12月11日に戦死した。 旧制福岡県立東筑中学校(現・福岡県立東筑高等学校)を卒業後、海軍兵学校に入校(第57期卒業)。1941年4月15日に「早苗」艦長。1941年10月1日、「如月」艦長となる。 第6水雷戦隊第30駆逐隊所属の「如月」は、1941年12月の太平洋戦争開戦劈頭、ウェーク島攻略(ウェーク島の戦い)任務に就き、第6水雷戦隊旗艦である軽巡洋艦「夕張」等とクェゼリン環礁を出撃した。12月11日、「如月」はウェーク島ピーコック岬の南で、島内のアメリカ海兵隊基地に所属するF4F戦闘機の機銃掃射を受けて爆沈し、その際に小川は戦死した。
鷲見 洋一(すみ よういち、1941年12月11日 - )は… 鷲見 洋一(すみ よういち、1941年12月11日 - )は、日本のフランス文学者、慶應義塾大学名誉教授。専攻は18世紀フランス文学・思想・歴史。音楽学者の渡部恵一郎は従兄。
浅生 重機(あさお しげき、1941年12月11日 - )は… 浅生 重機(あさお しげき、1941年12月11日 - )は、日本の裁判官、弁護士。三重県出身。灘高等学校、東京大学卒業。横浜地方裁判所長、東京高等裁判所部総括判事。瑞宝重光章叙勲者。 退官後は、明治大学にて専任教授を務め、現在は弁護士を務めている。
山邊 光宏(やまべ みつひろ、1941年12月11日 - )… 山邊 光宏(やまべ みつひろ、1941年12月11日 - )は、日本の教育学者。博士(文学)(2003年、安田女子大学にて取得)。同大学名誉教授。 山口県生まれ。旧姓・片山。1964年山口大学教育学部小学校教員養成課程を卒業。1969年広島大学大学院修士課程修了。同大学教育学部助手、1984年に安田女子大学文学部教授、2003年「シュプランガー教育学の研究 宗教思想的視座からの考察」で安田女子大学にて博士(文学)。2012年同大学定年退官し、同大学名誉教授。専門は教育哲学・思想。
坂本 九(、出生名:さかもと ひさし、1941年〈昭和16年… 坂本 九(、出生名:さかもと ひさし、1941年〈昭和16年〉12月10日 - 1985年〈昭和60年〉8月12日)は、日本の歌手、俳優、タレント、司会者。本名、大島 九()。愛称は九ちゃん。 神奈川県川崎市川崎区南町出身。妻は柏木由紀子。柏木との間に娘が2人おり、長女は大島花子、次女は舞坂ゆき子。実祖父は茨城県新治郡田伏村(現在のかすみがうら市)出身の漁師・坂本金吉。またサックス奏者の阿部薫は甥(姉の息子)。 1959年6月に『題名のない唄だけど』でデビューして以来、『上を向いて歩こう』『見上げてごらん夜の星を』『明日があるさ』など数多くのヒット曲を出し、全世界におけるレコードの売上は1500万枚以上に達した。
半谷 進彦(はんや のぶひこ、1941年12月10日 - )… 半谷 進彦(はんや のぶひこ、1941年12月10日 - )は、元NHKアナウンサー。 愛知県出身。愛知県立明和高校、名古屋大学文学部卒業、1965年入局。初任地は函館。以後、東京アナウンス室、名古屋、広島、長崎、松山などで勤務した。その後、1993年日本語センター専属となる。1998年、日本語センターエグゼクティブアナウンサー。2006年日本語センター専門委員。NHK職員研修、企業・団体研修等の講師等を務める。
高野 公彦(たかの きみひこ、1941年12月10日 - )… 高野 公彦(たかの きみひこ、1941年12月10日 - )は、日本の歌人。歌誌「コスモス」編集人、選者。本名は、日賀志康彦。 「コスモス」に入会し、宮柊二に師事。厳選された端正な表現で人生の深奥をうたう。「桟橋」創刊。歌集に『汽水の光』(1976年)、『天泣』(1996年)、『水苑』(2000年)、『河骨川』(2012年)、『流木』(2014年)などがある。 愛媛県喜多郡長浜町(現・大洲市)出身。東京教育大学文学部国文科卒業。1964年、「コスモス」に入会し、宮柊二に師事する。河出書房新社の編集者を26年間務めた後、青山学院女子短期大学国文学科教授。日経歌壇選者(1993年~2004年)、朝日歌壇選者(2004年~)、新潟日報読者文芸選者 、南日本新聞南日歌壇選者。
青柳 一彦(あおやぎ かずひこ、1941年12月10日 - … 青柳 一彦(あおやぎ かずひこ、1941年12月10日 - )は、日本の実業家。東京都出身、武蔵大学経済学部卒。兼松日産農林株式会社代表取締役社長。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
堀 鉄蔵(ほり てつぞう、1941年12月10日 - )は、… 堀 鉄蔵(ほり てつぞう、1941年12月10日 - )は、日本の経営者。名古屋テレビ放送社長を務めた。東京都出身。 1965年に横浜国立大学経済学部を卒業し、同年に朝日新聞社に入社。2000年6月に全国朝日放送に転じ、顧問と取締役に就任し、2001年6月に常務を経て、2004年6月に名古屋テレビ放送社長に就任。2010年1月に取締役相談役に就任。 2014年11月に旭日中綬章を受章。
高石 ともや(たかいし ともや、高石 友也とも、本名・尻石 … 高石 ともや(たかいし ともや、高石 友也とも、本名・尻石 友也〈しりいし ともや〉、1941年〈昭和16年〉12月9日 - 2024年〈令和6年〉8月17日)は、日本のフォークシンガー。代表作は「受験生ブルース」。 1960年代後半の日本のフォークソングの創世期以来、2020年代まで現役フォークシンガーとして活動し、また、マラソンランナーとしても活躍した。 幼少期は政略結婚で不幸と愚痴を言っていた母親に虐待を受けご飯も家族1人だけ食べさせてもらえなかった。60歳になって友人に打ち明けて初めて楽になった。大阪の蕎麦屋に働いている時、アメリカのフォークソングに日本語の歌詞をつけて歌ったら周りが応援してくれてギター一本で歌い始めた所反戦ブームにのって人気が出た。
白石 加代子(しらいし かよこ、1941年12月9日 - )… 白石 加代子(しらいし かよこ、1941年12月9日 - )は、日本の女優。株式会社スタジオオーデュボン所属。夫は早稲田小劇場に所属していた深尾誼(ふかお よしみ)。東京市麻布区(現・東京都港区)東麻布出身。日本芸術院会員。 父・仁志郎(にしろう)、母・フサの長女として生まれる。父は逓信省の役人で、静岡県河津浜電話中継所の所長を務めていた。 5歳の頃、結核で父親を亡くし、家計が常に苦しくなる。 小学生の時、学校にやって来た児童劇団の芝居を見て、すでに舞台の世界に魅力を感じ始めていたが「弟が就職するまでは長女として家計を支えなければならない」という責任感から、麹町学園女子高等学校卒業後は東京の港区役所に就職。
松村 好子(まつむら よしこ、女性、現姓・神田、1941年1… 松村 好子(まつむら よしこ、女性、現姓・神田、1941年12月9日 - )は、日本の元バレーボール選手。1964年東京オリンピックバレーボール女子金メダリスト。 大阪府出身。守口市立庭窪中学校でバレーを始め、四天王寺高等学校卒業後に、日紡貝塚に入社した。ポジションはレシーバー。現役時代の身長は169cm。東京オリンピック後に引退。
堀内 岩雄(ほりうち いわお、1941年12月9日 - 20… 堀内 岩雄(ほりうち いわお、1941年12月9日 - 2015年3月4日)は、富山県滑川市出身のレスリング選手で日本大学教授。1964年東京オリンピックレスリング男子フリーライト級銅メダリスト。日本大学卒業。 2015年3月4日午後0時7分、糖尿病のため死去。73歳没。3月11日に葬儀・告別式が営まれた。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
加藤 武久(かとう たけひさ、1941年(昭和16年)12月… 加藤 武久(かとう たけひさ、1941年(昭和16年)12月8日 - )は、秋田県出身の元競輪選手。 秋田県立六郷高等学校を経て法政大学に進学。同大学在学中の1964年(昭和39年)、東京オリンピック・チームタイムトライアル(TTT)に出場し19位。その後、日本競輪学校第22期生を経て競輪選手となった。1985年(昭和60年)5月20日選手登録削除。 引退して秋田県に帰郷後は美郷町飯詰駅前のタクシー会社の経営にたずさわった。
石井 いさみ(いしい いさみ、本名:石井 勇巳〈読み同じ〉、… 石井 いさみ(いしい いさみ、本名:石井 勇巳〈読み同じ〉、1941年12月8日 - 2022年9月17日)は、日本の男性漫画家。 生家は建築設計業。東京都立蔵前工業高等学校卒業。 高校在学時の1957年、『たけうま兄弟』(講談社『少年クラブ』)でデビュー。 代表作はサッカー漫画の『くたばれ!!涙くん』(小学館『週刊少年サンデー』1969年)と、ナナハンを中心とする各種バイクと青春を題材にした『750ライダー』(秋田書店『週刊少年チャンピオン』1975年)。デビュー当時からバイク好きのカミナリ族で、後にプロレーサーとなった酒井正も友人であったことから描かれた後者はヒット作となり、9年間にわたって連載された。
仙田 満(せんだ みつる、1941年12月8日 - )は、日… 仙田 満(せんだ みつる、1941年12月8日 - )は、日本の建築家(東京工業大学工学博士)、環境デザイナー。株式会社環境デザイン研究所会長(創設者)。 東京工業大学名誉教授。専門は、建築学・環境デザイン。1982年(昭和57年)に「こどものあそび環境の構造に関する研究」で東京工業大学より工学博士号を取得。 神奈川県横浜市出身。東京工業大学建築学科卒業後、1964年菊竹清訓建築設計事務所へ入所。1968年環境デザイン研究所を創設し代表に就任。琉球大学工学部建築学科教授(1984年 - 1987年)、名古屋工業大学社会開発工学科教授(1988年 - 1992年)、東京工業大学工学部建築学科教授(1992年 - 2005年)、日本建築学会会長(2001年 - 2003年)、放送大学教養学部教授(2007年 - 2012年)。
井上 勝也(いのうえ かつや、1941年12月8日 - 20… 井上 勝也(いのうえ かつや、1941年12月8日 - 2020年9月22日 )は、心理学者、筑波大学名誉教授。 埼玉県川越市出身。早稲田大学大学院心理学修士課程修了。東京都老人総合研究所心理研究室長、筑波大学教授、2005年定年退官、名誉教授、駿河台大学教授。2012年退職。1993年日本老年行動科学会を設立し、2005年まで会長を務めた。 主な研究として、「ポックリ信仰の心理的背景」や「認知症高齢者の徘徊の平均距離」、「阪神・淡路大震災における高齢者の避難行動・適応行動」などがあげられる。
清水 聖義(しみず まさよし、1941年〈昭和16年〉12月… 清水 聖義(しみず まさよし、1941年〈昭和16年〉12月7日 - )は、日本の政治家。 群馬県太田市長(5期)、旧太田市長(3期)、群馬県議会議員(3期)、太田市議会議員(1期)などを務めた。 群馬県新田郡太田町(現・太田市)に、父孝一・母せんの長男として生まれる。1960年群馬県立太田高等学校を卒業し、1964年慶應義塾大学商学部卒業。同年シオノギ製薬に入社。学習塾の経営も行った。 1979年に太田市議会議員に初当選し1期務める。1983年群馬県議会議員選挙に太田市選挙区から無所属で立候補し当選。以降連続3期務める。同年自由民主党に入党、同党群馬県連副幹事長などを務める。 1993年に日本新党に党籍変更。
上村 忠男(うえむら ただお、1941年12月7日- )は、… 上村 忠男(うえむら ただお、1941年12月7日- )は、日本の歴史学者。東京外国語大学名誉教授。ルネサンス、近世哲学期から20世紀イタリア現代思想までのイタリア思想史の原典訳・研究を多く刊行している。 1941年、兵庫県尼崎市生まれ。東京大学教養学部国際関係論分科を卒業し、同大学院社会学研究科修士課程を修了。 東京外国語大学外国語学部助教授となり、後に教授昇進。大学では、イタリア語学科、総合文化講座を担当した。2003年より大学院地域文化研究科教授。2005年に東京外国語大学を定年退職し、名誉教授となった。 2018年に第三回須賀敦子翻訳賞を受賞した。
加藤 浩時(かとう こうじ、1941年12月6日 - )は、… 加藤 浩時(かとう こうじ、1941年12月6日 - )は、日本の実業家、競泳コーチ。 オリンピック選手を多く輩出しているイトマンスイミングスクールの代表取締役社長を務める。 メキシコオリンピックからロサンゼルスオリンピックまで4大会でオリンピック選手団競泳コーチを務めた。 愛知県名古屋市生まれ。 小学4年から水泳を始め平泳ぎの選手であった。中京商業高等学校(現在の中京大学附属中京高等学校)を経て、1964年に早稲田大学を卒業。 大学4年のときに練習マネージャーとなりコーチ法を学び始める。ロート製薬に入社し、ロート製薬社長の山田輝郎が設立した山田スイミングクラブ、その後継のイトマンスイミングスクールで選手育成にあたった。
後藤 忠治(ごとう ただはる、1941年12月4日 - )は… 後藤 忠治(ごとう ただはる、1941年12月4日 - )は、日本の実業家、元水泳選手。セントラルスポーツ創業者で、同社代表取締役社長を経て、代表取締役会長、社会スポーツセンター会長。 東京都葛飾区柴又生まれ。市川高等学校を経て、1964年日本大学商学部卒業、大丸入社。1964年東京オリンピックで400mリレー4位入賞という結果に終わったため、引退を決意し、退社。同年東京工機入社。1968年セントラルスポーツクラブ創業。1970年セントラルスポーツクラブ(現セントラルスポーツ)設立、同社取締役。1976年同社代表取締役副社長。1977年同社代表取締役社長。1987年パレスセントラルスポーツ取締役。
知念 正真(ちねん せいしん、1941年12月4日 - 20… 知念 正真(ちねん せいしん、1941年12月4日 - 2013年9月25日)は、沖縄県沖縄市出身の劇作家、演出家。 1941年生まれ。沖縄県立コザ高等学校卒業。二松學舍大学中退。 琉球放送勤務を経て、劇団創造に所属する。 1976年に『人類館事件』より発想を得た『人類館』を雑誌『新沖縄文学』33号に発表。1978年に『人類館』で岸田國士戯曲賞を受賞する。 2013年9月25日に肝臓がんのため死去。71歳没。
山脇 百合子(やまわき ゆりこ、1941年12月3日 - 2… 山脇 百合子(やまわき ゆりこ、1941年12月3日 - 2022年9月29日)は、日本の絵本作家、挿絵画家。結婚前の姓は大村。カトリック教徒。 東京府出身。東京都立西高等学校、上智大学外国語学部フランス語科卒。高校三年の頃より童話の挿絵や絵本の仕事を多く手がける。20代前半で結婚、3児の母。 児童文学者の実姉・中川李枝子との共著も多く、『ぐりとぐら』(福音館書店)は海外にも翻訳されている。 1967年『ぐりとぐらのおきゃくさま』で厚生大臣賞受賞。2013年に菊池寛賞を受賞。他受賞多数。 2022年9月29日午後8時32分、シェーグレン症候群の衰弱により、死去。80歳没。
野村 宣一(のむら せんいち、1941年 <昭和16年> 1… 野村 宣一(のむら せんいち、1941年 <昭和16年> 12月3日 - 2024年 <令和6年> 1月18日)は、日本の政治家。17代・18代茨木市長。元茨木市助役。位階は正六位。旭日小綬章。 大阪府立東淀川高等学校から関西大学法学部に進学し、卒業後の1965年(昭和40年)4月に茨木市職員となる。 市長公室長や茨木市収入役を経て、1996年(平成8年)5月に山本末男市長の下で茨木市助役となる。 2004年(平成16年)1月に助役を退任し、山本の後継候補として4月11日投開票の茨木市長選挙に出馬、得票数30,948票(投票率35.41%)で当選し、4月18日に第17代市長に就任した。 2007年(平成19年)12月18日の茨木市議会最終日に次期市長選挙への出馬を表明し、2008年(平成20年)4月6日の告示日に無投票での再選を果たした。
唐木 英明(からき ひであき、1941年12月3日 - )は… 唐木 英明(からき ひであき、1941年12月3日 - )は、日本の獣医師、農学者(獣医薬理学)。学位は農学博士(東京大学・1971年)。東京大学名誉教授、世界健康リスクマネージメントセンター国際顧問、公益財団法人食の安全・安心財団理事長。
上潮 智也(あげしお ともや、1941年12月3日 - )は… 上潮 智也(あげしお ともや、1941年12月3日 - )は、熊本県菊池郡七城町(現・菊池市)出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は古市 稔伸。身長182cm、体重109kg。最高位は東十両2枚目。得意技は左四つ、上手出し投げ。 1958年3月場所初土俵、1968年5月場所十両昇進、1971年11月場所廃業。入門後半年に肝臓疾患が発覚するが、体に気をつかいつつ稽古を人一倍行っていた。廃業後の1972年から「ちゃんこ上潮」を開業。自身が納得いくちゃんこの味にたどり着くまで2、30年かかったというが、野菜の甘みが溶け込んだ出汁、沖縄の塩、北海道の羅臼昆布が活きた逸品となっており、味のすり身のちゃんこを食べて体調が改善された客もいるという。
奥岡 茂雄(おくおか しげお、1941年12月2日 - )は… 奥岡 茂雄(おくおか しげお、1941年12月2日 - )は、日本の美術史学者。美術評論家。元地方公務員。専門は、日本美術史。特に、近代日本画を研究。北海道空知郡北村(現・岩見沢市北村)出身。 北海道教育委員会空知教育局入局。1966年3月中央大学法学部通信教育課程卒業。その後、佛教大学社会学部通信教育課程卒業。北海道教育委員会北海道教育庁に転属を経て、1973年に北海道立近代美術館の設置委員会に参画。1977年北海道近代美術館に開館後、同学芸課長や同学芸部長を経て、1999年に同副館長。2002年北海道教育委員会に定年退官。2002年北海道浅井学園大学生涯学習システム学部芸術メディア学科教授。
阿井 渉介(あい しょうすけ、1941年12月2日 -)は、… 阿井 渉介(あい しょうすけ、1941年12月2日 -)は、日本の小説家。本名、阿井 文瓶(あい ぶんぺい)。 1941年、中国の北京市に生まれる。1943年に静岡県藤枝市、1953年に焼津市へと転居する。早稲田大学第一文学部卒業後、広告代理店などを経て、1972年より、大学時代に親しくなっていた脚本家の石堂淑朗の下で、口述筆記などを手伝っていた。石堂の勧めで『ウルトラマンA』のフォース助監督を務める傍ら、脚本家としての基礎を学ぶ。1973年、本名の阿井文瓶名義で『ウルトラマンタロウ』第26話「僕にも怪獣が退治できる!」の脚本を執筆しデビュー。以後『ウルトラマンレオ』のほか、『七人の刑事』『特捜最前線』『風が燃えた』など一般ドラマの脚本を執筆。
野村 五男(のむら いつお、1941年(昭和16年)12月2… 野村 五男(のむら いつお、1941年(昭和16年)12月2日 - 2010年(平成22年)9月23日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員(2期)、茨城県議会議員(3期)を務めた。 茨城県出身。早稲田大学政経学部卒業。卒業後はいすゞ自動車社員、代議士秘書、常総地区トラック協議会会長、茨城県トラック協会理事を経て、1978年茨城県議会議員に当選。3期務める。 1989年、茨城県選出の参議院議員岩上二郎が死去。茨城県選挙区の補欠選挙が行われることになり、自民党茨城県連は茨城県議の野村を擁立、党本部に公認を申請した。これに対し、岩上の妻妙子(元参院議員)が無所属での立候補を表明。保守は分裂状態となったが、妙子は当時自民党幹事長の小沢一郎などの説得を受け、立候補を撤回。
増村 紀一郎(ますむら きいちろう、1941年12月1日 -… 増村 紀一郎(ますむら きいちろう、1941年12月1日 - )は、日本の漆芸家。かすかべ親善大使。人間国宝(重要無形文化財「髹漆」の保持者)。 1941年(昭和16年)12月1日漆芸家・増村益城(重要無形文化財保持者)の長男として東京都豊島区に生まれる。東京都立豊島高等学校を卒業後、1967年(昭和42年)東京藝術大学美術学部工芸科を卒業し、1969年に大学院美術研究科漆芸専攻を修了した。1982年に東京藝術大学美術学部助手に就任。1990年(平成2年)に助教授へ昇格し、1997年に美術学部教授に就任した。2009年3月に退任し、現在東京藝術大学名誉教授。
長谷川 逸子(はせがわ いつこ、1941年12月1日 - )… 長谷川 逸子(はせがわ いつこ、1941年12月1日 - )は日本の建築家。菊竹清訓事務所出身。静岡県焼津市出身。関東学院大学工学部建築学科卒業。東京工業大学研究生を経て、1979年長谷川逸子・建築計画工房設立。関東学院大学客員教授。 伊東豊雄とともに「野武士」世代と伝えられている(槇文彦が命名)。1984年竣工の眉山ホールでの日本建築学会賞作品賞受賞や1986年に槇文彦や磯崎新らが審査員を務めた湘南台文化センターの公開コンペで最優秀賞を受賞し一躍注目を浴びる。トウキョウ建築コレクション2020審査員長などを歴任。 1941年(昭和16年)、静岡県焼津町に生まれる。父親は、逸子の祖父が創業したいくつもの会社を継ぎ、練炭工場や鉄工所など複数の事業を営んでいた。
重野 安正(しげの やすまさ、1941年12月1日 - 20… 重野 安正(しげの やすまさ、1941年12月1日 - 2021年4月9日)は、日本の政治家。従四位。衆議院議員(3期)、大分県議会議員(7期)、社会民主党幹事長(第6代)、同国会対策委員長(第6代)を歴任。 1962年、農業改良普及員として大分県庁に入庁。その後、労働組合活動に没頭するようになり政治に目覚めた。自治労大分県職員連合労働組合の加盟労組である大分県職員労働組合(大分県職労)から大分県議会議員に転身。2000年、大分2区から衆議院議員に立候補し比例復活で初当選。 国政では、社会民主党の国会対策委員長を経て幹事長に就任した。民社国連立政権下でも引き続き幹事長を務め、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全・少子化対策・男女共同参画担当)として入閣した党首の福島瑞穂に代わり党務全般を指揮した。
亀井 忠雄(かめい ただお、1941年12月1日 - )は、… 亀井 忠雄(かめい ただお、1941年12月1日 - )は、能楽師(葛野流大鼓方)。人間国宝(重要無形文化財保持者各個認定)。配偶者は歌舞伎囃子方九代目田中佐太郎。東京都出身。日本大学芸術学部卒業。
金田 星雄(かねだ ほしお、1941年12月1日 - )は、… 金田 星雄(かねだ ほしお、1941年12月1日 - )は、愛知県名古屋市北区出身の元プロ野球選手・歌手。ポジションは投手。右投げ右打ち。
古川 純(ふるかわ あつし、1941年12月1日 - 202… 古川 純(ふるかわ あつし、1941年12月1日 - 2024年12月7日)は、日本の法学者。専修大学名誉教授。専門は憲法。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
伊藤 英成(いとう えいせい、1941年〈昭和16年〉12月… 伊藤 英成(いとう えいせい、1941年〈昭和16年〉12月1日 - 2021年〈令和3年〉1月19日)は、日本の政治家。元衆議院議員(6期)。建設政務次官、衆議院安全保障委員長、民主党「次の内閣」の外務大臣などを歴任した。 愛知県渥美郡渥美町(現・田原市)出身。1964年(昭和39年)、名古屋大学経済学部卒業。同年、トヨタ自動車工業株式会社に入社。 1974年(昭和49年)9月から1976年(昭和51年)8月までトヨタ自工労働組合の副委員長を務めた(非専従)。 1981年(昭和56年)12月24日、トヨタ自工労組は評議会を開き、衆議院・旧愛知4区につき渡辺武三に代わる新人を擁立する方針案を明らかにした。
信原 啓也(のぶはら ひろや、1941年11月30日 - )… 信原 啓也(のぶはら ひろや、1941年11月30日 - )は、熊本県熊本市出身の財界人。元日本クレジットカード協会会長、元ジェーシービー(JCB)社長。
野本 三吉(のもと さんきち、1941年11月30日 - )… 野本 三吉(のもと さんきち、1941年11月30日 - )は、日本の教育学者、評論家、ノンフィクション作家、横浜市立大学名誉教授、前沖縄大学学長、同大名誉教授。東京都本所区(現墨田区)出身。本名加藤 彰彦(かとう あきひこ)。1964年横浜国立大学教育学部教育学科卒業。沖縄子ども研究会会員。 大学卒業後、横浜市内の小学校教員を経て、日本列島を4年余り放浪し共同体巡りをする。1972年から横浜市役所職員となり、寿生活館の相談員、児童相談所の児童福祉司(ソーシャルワーカー)を務める。横浜市役所を退職後、横浜市立大学文理学部助教授に就任。1991年に教授。1995年より同大国際文化学部教授。社会福祉論を担当した。