桑畑 和男(くわはた かずお、1931年3月25日 - )… 桑畑 和男(くわはた かずお、1931年3月25日 - )は、日本の政治家。元宮崎県北諸県郡三股町長(3期)。 宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業。1957年(昭和32年)三股町役場に奉職。議会事務局長・企画開発課長・総務課長・財政課長・収入役など歴任。1998年(平成10年)より2010年(平成22年)まで三股町長を3期務めたほか、2010年4月から2012年3月まで都城圏域地場産業振興センター副理事長も務めた。 3期目となった2006年(平成18年)の町長選挙では、公約として町長専用公用車を売却するとして当選後に実現した一方で、対立候補を応援した建設業者を町発注工事の指名競争入札から外したことを認めたり、選挙前に元後援会幹部へ現金を渡したことが2009年(平成21年)に明らかになると議会に自身の給与を減額する条例改正案を提案するなど、耳目を集める人物であった。
三浦 謹一郎(みうら きんいちろう、1931年3月25日 -… 三浦 謹一郎(みうら きんいちろう、1931年3月25日 - 2009年9月21日)は、日本の生命科学者。株式会社プロテイオス研究所取締役社長兼研究所長。日本ウイルス学会名誉会員、元日本分子生物学会会長、元日本蛋白質科学会会長。元千葉工業大学教授、元学習院大学教授、元放送大学講師、国立遺伝学研究所名誉教授、東京大学名誉教授。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
永田 正夫(ながた まさお、1931年3月25日 - 200… 永田 正夫(ながた まさお、1931年3月25日 - 2003年4月16日)は、日本の経営者。カネボウ社長を務めた。東京都出身。 1952年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に鐘紡に入社。1976年7月に取締役に就任し、1981年7月に常務、1984年7月に専務を経て、1989年6月に副社長に就任し、1992年5月には社長に昇格した。1994年6月に会長に就任し、1998年6月から名誉顧問を務めた。 2003年4月16日呼吸不全のために死去。72歳没。
倉田 令二朗(くらた れいじろう、1931年3月25日 - … 倉田 令二朗(くらた れいじろう、1931年3月25日 - 2001年8月8日)は、日本の数学者。理学博士(専攻:数学基礎論)。九州大学工学部助教授、河合文化教育研究所主任研究員を務めた。 香川県丸亀市に生まれる。1954年、東京大学(理学部数学科/理工学部数学科とする資料がある)を卒業し、東京工業大学大学院に在籍した。 その後、高等学校教員、日本科学技術研修所電子計算機センター、日本大学文理学部講師などを経て、九州大学助手を経て1964年に九州大学工学部助教授となった。一方、人物事典では、日本大学で助教授となったのち「日大数学科事件」により解雇されたことが記されている。1986年、河合文化教育研究所主任研究員に就任した。
能登 和夫(のと かずお、1931年(昭和6年)3月24日 … 能登 和夫(のと かずお、1931年(昭和6年)3月24日 - 1994年(平成6年)8月28日)は、日本の政治家。北海道三笠市長。位階は従六位。勲五等双光旭日章。 北海道三笠市出身。1948年(昭和23年)空知農業高等学校卒、北海道三笠高等学校定時制卒。 1948年(昭和23年)三笠町役場に入り、1954年(昭和29年)三笠高等学校の定時制に入学、勤労学生となる。三笠市教育長を経て、1983年(昭和58年)三笠市長に初当選。以後、連続2期務め、1991年(平成3年)に勇退。1994年死去。死没日付をもって従六位に叙され、勲五等双光旭日章を追贈された。
宇野 輝雄(うの てるお、1931年3月24日- 2017年… 宇野 輝雄(うの てるお、1931年3月24日- 2017年2月13日)は日本の翻訳家。 千葉県夷隅郡大多喜町出身。1953年明治学院大学文学部英文科卒。
門 玲子(かど れいこ、1931年3月24日- )は、日本近… 門 玲子(かど れいこ、1931年3月24日- )は、日本近世文学研究者。 石川県加賀市大聖寺生まれ。1953年金沢大学文学部卒。1980年『江馬細香 化政期の女流詩人』で第8回泉鏡花記念金沢市民文学賞受賞。1998年『江戸女流文学の発見』により毎日出版文化賞受賞。江馬細香など近世の女性漢詩人、只野真葛など近世の女性思想家について研究している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
山内 清子(やまのうち きよこ、1931年3月24日 - 2… 山内 清子(やまのうち きよこ、1931年3月24日 - 2000年)は、日本の翻訳家。北欧児童文学、絵本などの翻訳をおこなった。 東京府生まれ。東京教育大学言語学科卒業。
河原 武敏(かわはら たけとし、1931年3月24日 - 2… 河原 武敏(かわはら たけとし、1931年3月24日 - 2013年4月25日)は、日本の造園教育者。庭園研究者。第5代日本庭園学会会長 (2000年-2003年)。 東京生まれ。1953年(昭和28) 3月 東京農業大学農学部緑地学科(現・地域環境科学部造園科学科)卒業。大学時代は特待生で総代。1953年(昭和28) 6月東京都建設局に採用。造園技術者としての活躍を開始。同年日本造園学会に入会し学会活動も開始。 1976年(昭和51) 3月に東京都を依願退職し、同年4月に東京農業大学農学部造園学科助教授就任。江山正美の後任として造園計画学第1研究室 主任(後の庭開学・造園学原論研究室、現ガーデンデザイン研究室)を経て庭園学・造園学原論研究室主任、庭園史・近代造園史の授業科目、実務経験を活かした「庭園学及び演習」などの設計演習等を担当。
堀川 孝夫(ほりかわ たかお、1931年(昭和6年)3月24… 堀川 孝夫(ほりかわ たかお、1931年(昭和6年)3月24日 - 1999年(平成11年)11月22日)は、日本の銀行家。元秋田銀行頭取・会長。 秋田県秋田市出身。1953年(昭和28年)、東北大学卒業後、秋田銀入行。 職員組合委員長のほか、本部において企画や人事を長く担当。また秋銀初の外部団体への出向として、「八郎潟新農村建設事業団」へ派遣され、大潟村の大規模モデル農村づくりにも携わった。加えて支店長として初めて赴任した能代支店では、第一次オイルショックの影響を食い止めるべく奔走もした。 1991年(平成3年)、頭取に昇格。トップ在任時は不良債権処理に取り組み、1995年(平成7年)度にはいわゆる住専向け融資、翌年度には「秋田県木造住宅」向けの融資の大半を償却させ、不良債権処理に目処をつけた。
横手 幸助(よこて こうすけ、1931年3月24日 - 20… 横手 幸助(よこて こうすけ、1931年3月24日 - 2001年11月15日)は、日本の経営者、銀行家。協和銀行頭取を務めた。 秋田県出身。1953年に東北大学法学部を卒業し、同年4月に協和銀行に入行。1981年6月に取締役に就任し、1982年6月に常務、1984年6月に専務、1985年6月に副頭取を経て、1986年6月に頭取に就任。1991年4月に協和埼玉銀行(のちのあさひ銀行)会長に就任し、1997年6月に相談役を経て、1998年4月には特別顧問に就任。 2001年11月15日肝不全のために死去。70歳没。
高橋 彦博(たかはし ひこひろ、1931年3月24日 - )… 高橋 彦博(たかはし ひこひろ、1931年3月24日 - )は、日本の政治学者。法政大学名誉教授。法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員。研究テーマは日本現代史・政治史、社会労働運動史、日本の社会民主主義。 学派としては学部指導教授だった増島宏、大学院の指導教授だった中村哲に連なる。 長年にわたり日本共産党の「党員知識人」であったが、著書『左翼知識人の理論責任』の出版後、一方的に除籍される。以降は同時期に除籍となった加藤哲郎、後房雄とともに日本共産党批判の急先鋒に立つ。 また研究・指導活動のみならず、1984年の法政大学キャンパス移転の際には、社会学部学部長として学内の調整、移転反対勢力との交渉に尽力し、『法政大学百二十年史』の編集委員も務めた。
戸川 昌子(とがわ まさこ、1931年3月23日 - 201… 戸川 昌子(とがわ まさこ、1931年3月23日 - 2016年4月26日)は、日本の推理作家、シャンソン歌手。 1931年、東京市に生まれる。東京都立千歳丘高等学校中退。戦争で父と兄を亡くし、戦後は母と二人で女性専用の同潤会大塚女子アパートに入居。伊藤忠商事の英文タイピストの職を経て、1957年頃からはシャンソン歌手として銀巴里に出演するようになる。これは、銀巴里の素人飛び入り企画で、アルトで歌っている戸川を観た美輪明宏が、バンドマスターにレギュラーに加えるよう進言したのがきっかけだった。 1962年、戸川自身が住んでいた大塚女子アパートを舞台としたミステリー『大いなる幻影』で第8回江戸川乱歩賞を受賞。
廣瀬 鎮(ひろせ しずむ、新字体:広瀬鎮、1931年〈昭和6… 廣瀬 鎮(ひろせ しずむ、新字体:広瀬鎮、1931年〈昭和6年〉3月23日 - 1994年〈平成6年〉5月29日)は、千葉県出身の文化人類学者・博物館学者。 財団法人日本モンキーセンターを経て、名古屋学院大学教授をつとめた。専門は、猿と人の関係を対象とする文化人類学。豊田市文化振興財団の研究奨励賞を受賞した。 千葉県千葉市生まれ。1956年(昭和31年)立命館大学法学部卒、1962年同大学院文学研究科日本史専攻修士課程修了。 学生時代、本来の専攻とは関係のない京都大学理学部動物学教室の霊長類研究グループでアルバイトをしていた。アルバイト終了後も、当時研究員をしていた間直之助に従って嵐山の野生ニホンザルの調査・研究を手伝い、やがて野外観察に興味を抱くようになった。
若杉 和夫(わかすぎ かずお、1931年(昭和6年)3月22… 若杉 和夫(わかすぎ かずお、1931年(昭和6年)3月22日 - 2016年(平成28年)7月25日)は、日本の通産官僚。通商産業審議官。 旧通商産業省の同期入省者は、小長啓一、豊島格、宮本二郎(科学技術庁官房長)、工藤敦夫(内閣法制局長官)、神谷和男(中小企業庁長官)、小林進(東洋学園大学教授)、寺田恵一(日本機械工業連合会副会長)、三島和夫(IEA緊急時システム局長(1978年3月~))など。
山口 敏(やまぐち びん、1931年3月22日-2020年9… 山口 敏(やまぐち びん、1931年3月22日-2020年9月24日)は、日本の人類学者。 千葉県東金市出身。水戸高等学校 (旧制)卒、1954年東京大学理学部人類学科卒、59年同大学院生物系研究科博士課程単位取得退学。 1972年「アイヌとオーストラリア原住民の比較骨学的研究」で札幌医科大学・医学博士。1959年北海道公立学校教員、札幌医科大学講師、66年助教授、1972年国立科学博物館人類研究部主任研究官、78年部長。95年定年退官。
金原 左門(きんばら さもん、1931年3月22日 - 20… 金原 左門(きんばら さもん、1931年3月22日 - 2018年1月31日)は、日本の社会学者、中央大学名誉教授。日本近代政治史、文化史が専門。 1931年、静岡県浜松市で生まれた。東京教育大学文学部社会科学科で学び、1954年に卒業。同大学大学院に進学し、1960年に博士課程を単位取得退学。 1960年、東京教育大学附属高等学校教諭に就いた。1963年、中央大学法学部講師となり、後に助教授、1970年に教授昇格。2001年に中央大学を定年退職し、名誉教授となった。2018年に死去。
四代目 花柳 壽輔(よんだいめ はなやぎ じゅすけ、1931… 四代目 花柳 壽輔(よんだいめ はなやぎ じゅすけ、1931年(昭和6年)3月22日 - 2020年(令和2年)9月26日)は、日本舞踊家。本名は花柳寛(はなやぎ・ひろし)。位階は従四位。 2016年6月に宗家家元の座と「壽輔」の名跡を六代目花柳芳次郎(現五代目花柳壽輔)に譲り、自らは二代目花柳 壽應(はなやぎ じゅおう)を襲名した。 1958年(昭和33年)の文部省芸術祭奨励賞、1985年(昭和60年)の国際エミー賞優秀賞、1989年(平成元年)のイタリア賞、1999年(平成11年)の舞踊芸術賞、2001年(平成13年)の日本芸術院賞、2011年(平成23年)日本芸術院会員、2012年(平成24年)NHK放送文化賞などの受賞歴がある。
古屋 哲夫(ふるや てつお、1931年3月21日 - 200… 古屋 哲夫(ふるや てつお、1931年3月21日 - 2006年12月2日)は、日本の歴史学者。専攻は日本近代史。京都大学名誉教授。 1931年、東京都で生まれた。1948年、東京都立第九中学校(現東京都立北園高等学校)卒業。1949年、浦和高等学校 (旧制)(現埼玉大学文理学部)に進学したが、学制改革にともなって新制へ移行したことにより、1949年に第1学年のみ修了。同年、東京大学教養学部文科1類に入学。1951年、同大学法学部に進学。1953年、法学部(政治コース)を修了。同年、同大学大学院社会科学研究科政治専門課程に進学し、1956年に同修士課程を修了、同博士課程に進学。1958年、歴史学研究会書記長。
楢信子(ならのぶこ、1931年3月21日- )は、日本の作家… 楢信子(ならのぶこ、1931年3月21日- )は、日本の作家。稲垣信子の本名で文学研究者。 日本領朝鮮生まれ。1954年奈良女子大学文学部英語英文学科卒。東京都区立中学校英語教師・都立高校司書教諭を経て、実践女子大学、杏林大学、専修大学にて非常勤講師を勤めた。文芸二人誌「双鷲」同人。稲垣瑞雄と東京都立立川高等学校の同僚だった時職場結婚した。21世紀には野上弥生子日記を読む仕事を続けた。
島田 竜三(しまだ りゅうぞう、1931年3月21日 - 没… 島田 竜三(しまだ りゅうぞう、1931年3月21日 - 没年不明)は、日本の俳優。旧芸名、沖 諒太郎。 日本大学芸術科卒業。劇団俳優座研究所出身。1954年、宝塚映画製作所に入社し、翌年にデビュー。東宝を経て、1958年に大映に入社。 以下に日本映画データベースに従い公開日、作品名、製作会社、役名を記載。
岩名 泰得(いわな やすのり、1931年3月21日 - )は… 岩名 泰得(いわな やすのり、1931年3月21日 - )は、日本のジャーナリスト、政治運動家。 東京府北豊島郡石神井村(現・東京都練馬区下石神井)生まれ。早稲田大学に進み、在学中の1953年1月15日、日本共産党に入党。党本部勤務員、東京・中央区委員会副委員長、東京・中部地区委員会常任委員を務めたのち、赤旗編集局に入局。校正部記者、整理部記者、外信部ハノイ特派員、外信部副部長、ブカレスト特派員などを歴任した。1984年7月15日、離党届を提出したが、1985年1月25日、除籍された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
渡辺 護(わたなべ まもる、1931年3月19日 - 201… 渡辺 護(わたなべ まもる、1931年3月19日 - 2013年12月24日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。新劇の俳優から演出家に転向し、いわゆるピンク映画の黎明期からその隆盛を支え、美保純、可愛かずみのデビュー作を手がけたことで知られる。生涯を通じて多作であり、監督作だけでも210作を超えるといわれる。門前 忍(もんぜん しのぶ)という筆名を山本晋也と共有した。 1931年(昭和6年)3月19日、東京府北豊島郡滝野川町(現在の東京都北区滝野川)に生まれる。父は恭三郎、母はナカ、姉・兄・弟・妹をもつ5人兄弟の次男(第3子)、生家は映画館であったため、映画はふんだんにみられる環境にあった。
田中清光(たなか きよみつ/せいこう、1931年3月19日-… 田中清光(たなか きよみつ/せいこう、1931年3月19日- )は、日本の詩人。
早崎 博(はやさき ひろし、1931年3月19日 - 202… 早崎 博(はやさき ひろし、1931年3月19日 - 2024年4月14日)は、日本の経営者。住友信託銀行社長を務めた。千葉県出身。 1953年に東京大学法学部を卒業し、同年に住友信託銀行に入行。 1978年に取締役に就任し、1981年6月に常務、1983年6月に専務、1987年6月に副社長を経て、1989年6月に社長に就任。1993年6月に会長に就任し、1998年3月に相談役を経て、1999年6月から相談役を務めた。 2000年6月から2011年6月までに住友化学監査役を務め、読売テレビ放送、京王電鉄各取締役を務めた。 1995年11月に藍綬褒章を受章。 2024年4月14日、肺炎により死去。
本岡 昭次(もとおか しょうじ、1931年(昭和6年)3月1… 本岡 昭次(もとおか しょうじ、1931年(昭和6年)3月18日 - 2017年(平成29年)4月10日)は、日本の政治家。参議院議員(4期)、参議院副議長(第24代)、民主党参議院議員会長(第2代)を歴任。 2004年の第159回国会において、内閣提出の年金関連法案の採決を控えて会期末が迫る 6月5日、 倉田寛之参議院議長不信任決議案審議のため副議長として議長席に着いた途端に散会宣言を行った。議事が残るにもかかわらず突然行われたこの散会宣言は参議院規則に反するものであり、中立であるはずの副議長が同法案の成立を阻止したい民主党の要請に従ったことと合わせて「参議院の権威が傷ついた」、「権利の濫用との批判を招きかねず『憲政史上例のない禁じ手』」等と批判を招いた。
小池 朝雄(こいけ あさお、1931年〈昭和6年〉3月18日… 小池 朝雄(こいけ あさお、1931年〈昭和6年〉3月18日 - 1985年〈昭和60年〉3月23日)は、日本の俳優、声優、ナレーター。代表作のひとつである『刑事コロンボ』など、洋画・海外ドラマの吹き替えを担当した。アニメ『あしたのジョー』のエンディングテーマ「ジョーの子守唄」では歌手を務めた。 東京府豊多摩郡代々幡町(後の東京府東京市渋谷区、現:東京都渋谷区)出身。 学生時代から演劇活動にのめり込み、東京都立青山高等学校在学中は演劇部のキャプテンとして活躍した。 1950年(昭和25年)に文学座付属演劇研究所に入所。1951年の文学座アトリエ公演、飯沢匡・作『崑崙山の人々』にて初舞台を踏んだ。
宮川 泰(みやがわ ひろし、1931年3月18日 - 200… 宮川 泰(みやがわ ひろし、1931年3月18日 - 2006年3月21日)は、日本の作曲家・編曲家・ピアニスト・タレントである。
田中 靖郎(たなか やすお、1931年(昭和6年)3月18日… 田中 靖郎(たなか やすお、1931年(昭和6年)3月18日 - 2018年(平成30年)1月18日)は、日本の物理学者(X線天文学)。位階は正四位。学位は理学博士(大阪大学・1961年)。宇宙科学研究所名誉教授、東京大学名誉教授、名古屋大学特別教授、日本学士院会員、文化功労者。 東京大学原子核研究所助手、名古屋大学理学部助教授、東京大学宇宙航空研究所教授、宇宙科学研究所教授、日本学術振興会ボン研究連絡センターセンター長、 独立行政法人日本学術振興会ボン研究連絡センターセンター長などを歴任した。 大阪府生まれ。1953年に大阪大学理学部物理学科卒業、東京大学原子核研究所助手を経て、1961年大阪大学理学博士 「空気シャワー中の核子成分の考察(英文)」。
松井 孝(まつい たかし、1931年3月18日- 2017年… 松井 孝(まつい たかし、1931年3月18日- 2017年12月7日 )は、日本の経営者。ダイビル社長、会長を務めた。 台湾出身。1954年に京都大学法学部を卒業し、同年に大阪商船に入社した。1983年6月に大阪商船三井船舶取締役に就任し、1985年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1992年6月にはダイビル社長に就任した。1998年6月に会長を経て、2002年6月には相談役に就任。 2017年12月17日、肝不全のために死去。86歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
加田 克司(かだ かつじ、1931年3月18日 - 1996… 加田 克司(かだ かつじ、1931年3月18日 - 1996年8月24日)は、日本の囲碁棋士。大分県別府市出身、日本棋院所属、木谷實九段門下、九段。加納嘉徳、大平修三とともに戦後新三羽烏と言われた。堅実な碁風で、特に序盤に時間をかける長考で有名。また現代における詰碁創作の第一人者と評されていた。 中華民国青島市に生まれる。1945年4月に一家で祖父のいる天津に疎開。1946年3月に帰国し別府に住む。この年8月、中学3年の時に、神戸から別府を周遊した木谷實と五子局を打って勝ち、三子で負けるが、入門を認められ、木谷門下の戦後第1号として11月から内弟子となる。1947年初段。1948年二段。1950年三段。
今永 清二(いまなが せいじ、1931年3月17日 - 20… 今永 清二(いまなが せいじ、1931年3月17日 - 2018年3月16日)は、日本の東洋史学者、広島大学名誉教授。 大分県生まれ。広島大学卒。1974年「中国回教社会史研究序説」で広島大学文学博士。別府大学助教授、広島大学文学部助教授、教授、1994年定年退官、名誉教授、広島市立大学教授、県立広島女子大学学長。2004年退任。2007年秋瑞宝中綬章叙勲。2018年3月16日、呼吸不全のため、大分市内の病院で死去、86歳。叙正四位。
三浦哲郎(みうら てつお、1931年3月16日 - 2010… 三浦哲郎(みうら てつお、1931年3月16日 - 2010年8月29日)は、日本の小説家、日本芸術院会員。 青森県八戸市に生まれた。早大に入学したが中退、郷里で2年間中学教師を務めたあと、早大仏文科に再入学し、文学を志す。 井伏鱒二に師事し、純愛小説『忍ぶ川』(1960年)で芥川賞受賞。以後、『恥の譜』(1961年)、『初夜』(1961年)などの情感深い私小説を発表し続けた。1985年、ふしあわせだった家族に対する鎮魂の書『白夜を旅する人々』(1984年)で大仏次郎賞受賞。私小説の系譜を継ぐ代表的作家である。 青森県八戸市三日町の呉服屋「丸三」の三男として生まれる。青森県立八戸高等学校へ進学し、八戸高校の籠球部時代に「はやぶさの哲」と呼ばれた(当時の遠征の様子を『笹舟日記』に残している)。
若山 三郎(わかやま さぶろう、1931年3月16日 - 2… 若山 三郎(わかやま さぶろう、1931年3月16日 - 2009年10月1日)は日本の小説家。 1931年3月16日、新潟県刈羽郡高柳町(現柏崎市)出身。 日本作家クラブ理事長。日本文芸家協会会員。 新潟県立柏崎高等学校卒業、明治大学政治経済学部中退。 1951年から日本製鋼と西松建設の嘱託通訳を務める。 1953年から1963年まで在日米軍で特殊通訳を務める。消防署に詰めて、消防隊や救急隊が出動した時、当該事件の内容を英語で米軍に説明する仕事だった。このころ、勤務の合間に小説を執筆。 1961年、『国際仲人』によって『講談倶楽部』奨励賞を受ける(この時の同期に太田久行こと童門冬二がいた)。 1963年に米軍通訳を辞して文筆一本の生活に入る。
松尾 高精(まつお こうせい、1931年3月16日 - )は… 松尾 高精(まつお こうせい、1931年3月16日 - )は、日本の実業家。元西華産業社長。長崎県出身。 1931年長崎県生まれ。1954年早稲田大学理工学部卒業後、西華産業に入社。ドイツ・デュッセルドルフの現地法人に駐在時、元宇部興産専務執行役員の浅野正之(浅野茂隆・東京大学名誉教授の兄)らと交流があった。同社取締役、常務取締役、副社長を経て、1994年社長に就任。在任中は取引における急速な情報システム化が進んでいたことを受けて、1997年に情報通信委員会を発足させ、イントラネット構築を推進した。こうした取り組みなどもあって西華産業は売上高を伸ばし、東京商工リサーチが行った調査によると、九州・沖縄に本社がある企業の売上高ランキングにおいて9位にランクインし、前年比伸び率は39.6%となった(1997年度)。
坂本 賢三(さかもと けんぞう、1931年3月16日 - 1… 坂本 賢三(さかもと けんぞう、1931年3月16日 - 1991年1月9日)は、日本の科学史家、哲学者。哲学・科学史・技術史を専攻。 兵庫県神戸市に生まれる。1953年大阪大学理学部物理学科卒業。同大学院文学研究科(哲学)博士課程中退。 1960年大阪経済大学講師、1962年桃山学院大学講師、1964年助教授、1968年教授、1974年神戸商船大学教授、1986年千葉大学教授となる。 在任中の1991年1月19日、直腸癌のため死去。
髙原 慶一朗(たかはら けいいちろう、1931年〈昭和6年〉… 髙原 慶一朗(たかはら けいいちろう、1931年〈昭和6年〉3月16日 - 2018年〈平成30年〉10月3日)は、日本の実業家。位階は従四位。 ユニ・チャーム創業者で、同社初代代表取締役社長や、日本経団連評議員会副議長等を務めた。第2代ユニ・チャーム代表取締役社長の髙原豪久は長男。 愛媛県川之江市(現四国中央市)生まれ。地元の中学校を総代で卒業し、松山高等学校を経て、大阪市立大学でマルクス経済学を学び、3年で卒論以外の必要単位を取得したため、指導教官の紹介状をもらい、4年目は一橋大学でケインズ経済学を学んだ。1953年大阪市立大学(現大阪公立大学)商学部卒業。卒業論文は「我が国の紙パルプ工業の実証的研究」。
綾田 修作(あやだ しゅうさく、1931年3月16日 - … 綾田 修作(あやだ しゅうさく、1931年3月16日 - )は、日本の銀行家。百十四銀行頭取を務めた。 香川県出身。1953年に香川大学経済学部を卒業し、1955年にアメリカのマサチューセッツ州クラーク大学経済大学院での留学を経て、同年11月に年に百十四銀行に入行した。1977年12月に取締役に就任し、1985年6月に常務、1993年4月に専務を経て、1995年6月には頭取に就任。2004年6月に会長に就任し、2009年6月には相談役に就任。 2007年11月に旭日中綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小野 幹雄(おの もとお、1931年3月16日 - )は、日… 小野 幹雄(おの もとお、1931年3月16日 - )は、日本の最高裁判所判事。 少年時代は父親の任地の樺太に住み、戦後に引き揚げてから家計を助けるなど苦労を重ねた。中央大学在学中に司法試験に合格。司法修習は第7期。1955年4月に裁判官となる。刑事が専門で、裁判現場が長い一方で、最高裁刑事局長、大津地裁所長、司法研修所所長、大阪高裁長官を歴任した。 1992年2月13日に最高裁判所判事に就任。 1995年8月に定年退官。
神品 芳夫(こうしな よしお、1931年3月16日 - 20… 神品 芳夫(こうしな よしお、1931年3月16日 - 2024年2月11日)は、日本のドイツ文学者・詩人。東京大学教養学部教授を経て、東京大学名誉教授。退官後は、明治大学教授に就任。専門はリルケから、戦後ドイツ文学である。 東京都生まれ。東京大学大学院独語独文学専攻博士課程中退。 1962年東京大学教養学部助教授、教授を経て1992年定年退官、名誉教授。明治大学教授、2002年退職。 2005年、「自然詩の系譜 20世紀ドイツ詩の水脈」で第5回日本詩人クラブ「詩界賞」を受賞。 妻の神品友子(1932- )もドイツ文学者(東大院、拓殖大学名誉教授)。 神原芳之の筆名で2016年、第一詩集『青山記』出版。
内田喜吉(うちだ きよし、1931年3月15日 - )はラオ… 内田喜吉(うちだ きよし、1931年3月15日 - )はラオックス元社長。東京都出身。ラオックス創業者の谷口正治とは遠縁にあたる。 1948年に中央商業学校を卒業後、谷口商店に入社。同年7月には谷口電機から分離した朝日無線電機に転じる。以降、1959年に常務取締役、1974年に専務取締役を経て、1976年にラオックスの専務取締役となる。1981年、副社長に就任。1990年にはラオックスのザ・コンピュータ館の立ち上げも行っている。 1991年6月、ラオックスの2代目社長に就任。1995年6月まで4年間つとめた。 ラオックス社長を退任後は株式会社ダイエー・メディア・ソリューションズの代表取締役専務をつとめている。
池田 憲義(いけだ のりよし、1931年3月15日 - )は… 池田 憲義(いけだ のりよし、1931年3月15日 - )は、日本の裁判官。 熊本県立玉名高等学校を経て九州大学法学部を卒業した。 広島地方裁判所(1960年着任)を皮切りに、佐賀地方裁判所唐津支部(1963年)・長崎地方裁判所(1966年)・熊本地方裁判所人吉支部(1969年)などで判事補を務めた。1972年に福岡地方裁判所の判事となる。1979年に福岡高等裁判所判事に移り、1984年からは熊本地方裁判所で第二部総括判事を務めた。 1989年に福岡地方裁判所小倉支部長に就任、1991年からは鹿児島地方裁判所長を務めた。1993年に福岡高等裁判所刑事部第二総括判事となった。 1996年3月15日に定年退官した。
中川 久定(なかがわ ひさやす、1931年3月15日 - 2… 中川 久定(なかがわ ひさやす、1931年3月15日 - 2017年6月18日)は、日本の文学者(フランス文学)。勲等は勲二等。学位は文学博士(京都大学・1976年)。京都大学名誉教授、日本学士院会員。 名古屋大学教養部助教授、京都大学文学部教授、京都大学文学部学部長、近畿大学文芸学部教授、京都国立博物館館長、財団法人国際高等研究所副所長などを歴任した。 日本のフランス文学者であり、新・京都学派の一員としても知られる。日本学士院会員、および、京都大学名誉教授。豊後国・岡藩(大分県竹田市)中川家(旧伯爵家)第18代当主。 東京生まれ。名前が難読のため、同世代の学者からは「キューテイ」と呼ばれていた。
植田 道雄(うえだ みちお、1931年3月15日 - 202… 植田 道雄(うえだ みちお、1931年3月15日 - 2024年4月25日)は、日本の実業家。四国化工機株式会社名誉会長。創業者。 兵庫県生まれ。近畿大学理工学部卒業。1961年ステンレスを主材料とした化学、食品産業向けタンク装置の設計・製造・販売を主業務として四国化工機株式会社を創業する。代表取締役社長となり、四国化工機株式会社を液体食品の充填機製造のトップメーカーに育てる。また、豆腐をはじめとする大豆加工食品の製造事業を行っており、全国有数の豆腐製造メーカーでもある。1996年代表取締役会長に就任、取締役名誉会長に就任する。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
佐野 陽子(さの ようこ、1931年3月15日 - )は、日… 佐野 陽子(さの ようこ、1931年3月15日 - )は、日本の経済学者。専攻は、人的資源管理(元々の専攻は労働経済学)。人的資源管理は経営学の領域だが、取得学位は経済学博士。慶應義塾大学名誉教授。嘉悦大学名誉学長。ノーベル経済学賞受賞者ゲーリー・ベッカーの著作、『Human Capital』(人的資本)の邦訳を行ったことでも知られる。紫綬褒章・瑞宝中綬章受章。
山村 正夫(やまむら まさお、1931年3月15日 - 19… 山村 正夫(やまむら まさお、1931年3月15日 - 1999年11月19日)は日本のミステリー作家。 代表作に『湯殿山麓呪い村』など。日本推理作家協会理事長、日本ペンクラブ理事などを歴任。 推理小説の研究にも熱心でミステリーの古典をトリック中心に分類して一般向けクイズ形式とした『トリック・ゲーム』などの著作もある。 大阪府生まれ。名古屋市出身。 名古屋市立東白壁尋常小学校入学と同時に、毎日作文を一篇書く英才教育を母親から受けノート10冊くらいになる。2年の時、父親のNHK職員の仕事のため東京へ転居する。大井第一小学校で作文が高い評価を受け、少年倶楽部懸賞に応募し何回か入選する。東京都立多摩中学校へ入学する。
田中 圭一(たなか けいいち、1931年3月15日 - 20… 田中 圭一(たなか けいいち、1931年3月15日 - 2018年4月4日)は、日本の歴史学者。筑波大学教授、群馬県立女子大学教授。専門は近世史。佐渡島出身。 新潟県佐渡郡金井町(現・佐渡市)出身。新潟県立佐渡高等学校、新潟大学人文学部を卒業後、高校教諭として勤務しながら研究成果を次々と発表。1967年に京都大学に国内留学して小葉田淳に師事。1987年、『佐渡金銀山の史的研究』で第9回角川源義賞受賞[要出典]。1988年筑波大学教授、95年定年退官、群馬県立女子大学教授[要出典]。「佐渡を世界遺産にする会」の中心として活躍した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
外山 四郎(とやま しろう、1931年3月15日 - 199… 外山 四郎(とやま しろう、1931年3月15日 - 1998年8月19日)は、日本の経営者。アール・エフ・ラジオ日本社長を務めた。北海道出身。 1955年に早稲田大学第一政治経済学部新聞学科を卒業し、同年に読売新聞社に入社。1984年12月に取締役に就任し、1993年6月に日本テレビ放送網取締役とアール・エフ・ラジオ日本専務を経て、1994年6月にはアール・エフ・ラジオ日本社長に就任。 1998年8月19日に膵臓癌のために死去。67歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
吉川 勇一(よしかわ ゆういち、1931年3月14日 - 2… 吉川 勇一(よしかわ ゆういち、1931年3月14日 - 2015年5月28日)は、元ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)事務局長など市民運動家、翻訳家。元英語教師(予備校講師・専門学校講師)、元大学非常勤講師。ソ連崩壊によるソ連共産党秘密文書公開で、日本共産党の不破哲三委員長(当時)から、ソ連のスパイと認定された。 東京大学在学中に日本共産党に入党し、武装闘争を志向する、党内では多数派だが東大では少数派の所感派の活動家として頭角を現し、旧国際派は役職に就かせないという共産党中央の指示で東京大学学生自治会議長に就任した。山村工作隊、東大ポポロ事件、砂川闘争などに参加し、講和・安保両条約発効に抗議する全学ストライキを指導して退学処分を受けた後は、共産党員として専従活動家の道を歩み、全学連書記局員、日本戦没学生記念会(わだつみ会)事務局員(組織部長)、日本平和委員会事務局員、同常任理事などを歴任して実務能力を身につけ、所感派の山村工作隊出身ながら「日本共産党第6回全国協議会(六全協)」後も党に留まり、1958年4月には、後藤新平の義理の姪婿で鶴見和子・俊輔姉弟と姻戚に当たる平野義太郎の仲人で結婚していたが、1965年、前年の原水爆禁止世界大会で共産党の方針に反対意見を表明したことで党から除名処分を受ける。
伊藤 唯真(いとう ゆいしん、別表記:伊藤 唯眞、1931年… 伊藤 唯真(いとう ゆいしん、別表記:伊藤 唯眞、1931年(昭和6年)3月14日 - )は、日本の仏教学者・浄土宗僧侶(浄土門主・総本山知恩院第88世門跡)。佛教大学名誉教授。 1931年、滋賀県甲賀郡(現:湖南市)石部町に生まれた。1948年に旧制滋賀県立膳所中学校卒業し、佛教大学に入学。1953年に卒業し、同志社大学大学院文学研究科に進学。民俗学、文化史学を専攻した。1955年に修士課程を修了し、文学修士号を取得。同研究科博士課程に進み、1955年に単位取得後満期退学。 1961年、佛教大学講師に就いた。1966年に文学部史学科助教授、1974年に同教授に昇格。1981年、学位請求論文『日本聖仏教史の研究:浄土教への関与を中心として』を佛教大学に提出して文学博士号を取得。