柴田 裕(しばた ひろし、1920年3月1日 - )は、日本… 柴田 裕(しばた ひろし、1920年3月1日 - )は、日本の経済学者。 山形県酒田市出身。1942年東京商科大学(現一橋大学)卒。1969年「多数国貿易の理論」で大阪市立大学経済学博士。富山大学経済学部助手、講師、助教授、教授。大阪市立大学教授、84年定年退官、名古屋学院大学教授、日本大学国際関係学部教授。
1920年(大正9年)生まれ:687人
柴田 裕(しばた ひろし、1920年3月1日 - )は、日本… 柴田 裕(しばた ひろし、1920年3月1日 - )は、日本の経済学者。 山形県酒田市出身。1942年東京商科大学(現一橋大学)卒。1969年「多数国貿易の理論」で大阪市立大学経済学博士。富山大学経済学部助手、講師、助教授、教授。大阪市立大学教授、84年定年退官、名古屋学院大学教授、日本大学国際関係学部教授。
明日 待子(あした まつこ、1920年3月1日 - 2019… 明日 待子(あした まつこ、1920年3月1日 - 2019年7月14日)は岩手県釜石出身の女優で、ムーラン・ルージュ 新宿座の看板スターとして人気を博す。後半生は日本舞踊家として過ごし、正統五條流宗家家元・五條 珠淑(ごじょう たまとし)を名乗った。 1920年(大正9年)3月、警察署長を務める父・小野寺円之助と母・とらえの娘、小野寺とし子として岩手県釜石に生まれる。尺八を嗜む父と義太夫を嗜む母の影響で5歳から三味線と日本舞踊を習う。9歳で父を亡くした後は母が税関通りで東洋軒という店を始め生活を支えた。13歳のとき釜石市において地方巡業中だったムーラン・ルージュの俳優、有馬是馬にスカウトされたことが舞台人生へのきっかけとなる。
引間 博愛(ひきま ひろよし、1920年3月1日 - 201… 引間 博愛(ひきま ひろよし、1920年3月1日 - 2011年12月3日)は、日本の労働運動家。元全国貨物自動車労働組合委員長、統一労組懇常任代表委員、全労連顧問。 北海道夕張市生まれ。高等小学校卒。大夕張鉱業購買会・東京貨物運送統制組合勤務を経て、戦後の1946年に神田運送で労組を結成。同年東京貨物運送労働組合(東貨労)本部役員。1954年、全国貨物自動車労働組合(全自労)委員長。1977年、全日本運輸一般労働組合(全自労の後身)委員長。 1980年、統一労組懇常任代表委員。同団体の中心人物として、1989年の全労連結成に大きな役割を果たした。以後、全労連顧問、全日本年金者組合委員長(初代)、全国革新懇・東京革新懇各代表世話人などを歴任した他、原水爆禁止運動にも尽力した。
竹山 広(たけやま ひろし、1920年〈大正9年〉2月29日… 竹山 広(たけやま ひろし、1920年〈大正9年〉2月29日 - 2010年〈平成22年〉3月30日)は、日本の歌人。本名は竹山 廣(たけやま ひろし)。 原爆歌人として名高いが、格調高い自然詠、エスプリの効いた社会詠、身の周りのことを題材にしたユーモラスな日常詠も数多く詠んでいる。また、詠んだ短歌を基にした合唱曲がつくられたことでも知られている。第一歌集を出版したのが61歳というかなり遅咲きの歌人である。本名は旧字体の「竹山廣」だが、筆名としては新字体の「竹山広」名義を用いることが多かった。 1920年、長崎県北松浦郡南田平村(現、平戸市田平町)にて生まれた。隠れキリシタンの家柄であったという。
山本 四郎(やまもと しろう、1920年2月29日 - 20… 山本 四郎(やまもと しろう、1920年2月29日 - 2022年8月20日)は、日本の歴史学者。神戸女子大学名誉教授。専門は日本近代史。 京都府出身。1939年12月、陸軍士官学校卒業。1949年3月、京都大学文学部史学科卒業。1971年5月、京都大学文学博士。神戸女子大学教授を経て、同大学名誉教授。 2022年8月20日、老衰のため死去。102歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
中川 利三郎(なかがわ りさぶろう、1920年2月28日 -… 中川 利三郎(なかがわ りさぶろう、1920年2月28日 - 1997年4月22日)は日本の教育者、政治家、文学者。元衆議院議員(日本共産党公認、3期)。柔道7段。 秋田県秋田市出身。秋田市立川尻小学校を経て秋田市商業学校(現秋田市立秋田商業高等学校)卒業。京都の紡績工場に勤務後、立正大学高等師範科卒業。 戦後は秋田市立高等学校の教師を経て、1951年に教職を辞し秋田市会議員選挙に日本社会党再建派から出馬。この時は落選するものの4年後に秋田市議となり2期務める。初出馬の際に推薦されたことから共産党との縁ができ、市議在任中の1961年12月に日本共産党に入党。1963年から秋田県議3期を経て、1972年に行われた第33回衆議院議員総選挙の秋田県第1区に、日本共産党から立候補し初当選を果たす。
趙 一載(チョ・イルジェ、朝鮮語: 조일재、1920年2月2… 趙 一載(チョ・イルジェ、朝鮮語: 조일재、1920年2月28日 - 1965年9月19日)は、大韓民国の政治家。第4・5代韓国国会議員。 日本統治時代の慶尚南道東萊郡(現・釜山広域市東萊区一帯)出身。中央大学法科中退あるいは卒業。 日本留学中に三星党組織事件により7回も検挙され、拷問を受けた。光復後は亡くなった李奉昌、尹奉吉、白貞基の遺骨を本国に奉安する使命で帰国し、申翼熙と会った後に民主国民党の発起人を務めた。同党中央執行委員および慶尚南道党企画部長・組織部長・青年指導部長を経て、民主党発起人・中央委員・釜山西区党委員長・政策委員、国会国防委員を務めた。 1965年1月に民主党院外政策委員に選出されたが、同年9月19日に持病により自宅で死去した。
栗栖 弘臣(くりす ひろおみ、1920年〈大正9年〉2月27… 栗栖 弘臣(くりす ひろおみ、1920年〈大正9年〉2月27日 - 2004年〈平成16年〉7月19日)は、日本の内務官僚、海軍軍人及び陸上自衛官。第13代陸上幕僚長、第10代統合幕僚会議議長。 呉第一中学校、第一高等学校を経て1943年(昭和18年)9月、東京帝国大学法学部卒業。高等文官試験(高文)行政科に首席で合格し内務省に入省するが、短期現役海軍法務科士官を志願し帝国海軍へ。南方戦線へ従軍し、海軍法務大尉として1945年(昭和20年)8月の終戦を迎える。終戦後も、現地で戦犯の特別弁護人を務め、復員が1948年(昭和23年)まで遅れた。 復員後は官僚に戻らず、弁護士となったが、1950年(昭和25年)に総理府事務官となり、1951年(昭和26年)9月、警察予備隊(保安隊を経て陸上自衛隊)に入隊し、警察士長(陸軍少佐・三等陸佐に相当)に任じられる。
大洞 國光(おおほら くにみつ、1920年2月27日 - 没… 大洞 國光(おおほら くにみつ、1920年2月27日 - 没年不明)は、日本の経営者。角川書店社長を務めた。愛媛県出身。 1941年に明治大学専門部貿易科を卒業し、1947年に角川書店に入社した。1979年に常務に就任し、1992年に専務を経て、1993年9月には社長に就任。大株主である角川家の意向でわずか1か月で退任。
三輪 勇之助(みわ ゆうのすけ、1920年2月26日 - 1… 三輪 勇之助(みわ ゆうのすけ、1920年2月26日 - 1990年1月1日)は、三重県四日市市出身の日本の洋画家。 同じ四日市市生まれの従兄弟に芥川賞受賞作家の近藤啓太郎がいる。
川内 康範(かわうち こうはん、1920年〈大正9年〉2月2… 川内 康範(かわうち こうはん、1920年〈大正9年〉2月26日 - 2008年〈平成20年〉4月6日)は、日本の作詞家、脚本家、政治評論家、作家。本名は川内 潔(かわうち きよし)。北海道函館市出身。 1920年(大正9年)、函館市青柳町の日蓮宗住職の家に生まれた。実家は寺を持たず貧しい生活で、大森尋常小学校(現・大森浜小学校)を卒業後、様々な職業を転々とする。大都映画で大道具だった兄を頼って上京、新聞配達をしながら独学で文学修業を重ね日活のビリヤード場に就職、人脈を広げて日活の撮影所に入社する。 1941年(昭和16年)に東宝の演劇部へ入社。やがて撮影所の脚本部へ転属となり、特撮や人形劇映画を担当した。
東屋 五郎(あずまや ごろう、1920年2月26日 - 20… 東屋 五郎(あずまや ごろう、1920年2月26日 - 2010年7月8日)は、日本の数学者。神奈川県横浜市出身。 1940年、東京大学に入学。1949年、彌永昌吉のもとで学位を取得。多元環の研究で知られており、東屋多元環(英語版)やクルル・シュミット・東屋の定理、東屋の補題(いわゆる中山の補題)に名を残している。名古屋大学、北海道大学などで教授を務め、亡くなる際にはインディアナ大学で教授を務めていた。1949年に中山正と共に第2回中日文化賞を受賞。 この項目は、数学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
木村 盛武(きむら もりたけ、1920年2月25日 - 20… 木村 盛武(きむら もりたけ、1920年2月25日 - 2019年9月6日)は、日本のノンフィクション作家。日本獣害史上最大の被害を出した三毛別羆事件の調査を行ったことで知られる。 北海道札幌市出身。父親は青森県出身で、東北地方や北海道で林務官を務めていた。幼少の頃から、父親や母方の伯父に日本史上最大の被害を出した獣害事件である三毛別羆事件のあらましを聞かされ、強烈な印象を記憶に留めていた。 1938年8月、北海道庁立小樽水産学校(現:北海道小樽水産高等学校)製造科在籍時、実習を行った幌筵島で1名が犠牲となった熊害事件で危うく助かった体験を持ち、以後熊に対する関心から逃れられなくなった。 1939年水産学校卒業後はタラバガニ検査の仕事に就いていたが、1941年に北海道庁林務講習第1種を修了し、父と同じ北海道庁林務官となった。
飯田 庸太郎(いいだ ようたろう、1920年(大正9年)2月… 飯田 庸太郎(いいだ ようたろう、1920年(大正9年)2月25日 - 2002年(平成14年)9月9日)は日本の実業家、元三菱重工業社長・会長。元経済団体連合会副会長。三重県出身。
八代 健三郎(やつしろ けんざぶろう、1920年2月25日-… 八代 健三郎(やつしろ けんざぶろう、1920年2月25日- 2019年2月16日 )は、日本の経営者。東海染工社長、名城大学理事長を務めた。 大阪府出身。1941年に神戸商科大学(現神戸大学)を卒業し、同年に住友本社に入社した。1946年9月に東海染工常務に就任し、専務を経て、1951年10月に社長に就任した。1985年11月に会長に就任し、1988年11月から1990年11月までに社長を兼任し、1998年6月から名誉会長を務めた。 1980年4月に藍綬褒章を受章し、1990年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2019年2月16日、死去。98歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
染野 檀(そめの まゆみ、1920年2月25日 - 1994… 染野 檀(そめの まゆみ、1920年2月25日 - 1994年11月12日)は、日本の金属工学者。東京工業大学名誉教授。元鶴岡工業高等専門学校校長。元東京工業大学工学部附属工業高等学校校長。 大分県中津市出身。1944年東京工業大学金属工学科卒業、同助手。1960年工学博士。東京工業大学助教授を経て、1966年東京工業大学教授。1969年鉄鋼,非鉄金属および合金とガスの反応に関する研究により日本鉄鋼協会渡辺義介記念賞受賞。1977年東京工業大学工学部附属工業高等学校校長。1980年長岡技術科学大学教授、東京工業大学名誉教授。同年酸素濃淡電池の高温不均一反応の速度論的研究により日本鉄鋼協俵論文賞受賞。
矢野 宏(やの ひろし、1920年2月25日 - 1986年… 矢野 宏(やの ひろし、1920年2月25日 - 1986年4月2日[要出典])は、日本の経営学者。 香川県出身。1942年東京商科大学卒。海軍に属し主計大尉。1942年三菱重工業勤務。70年三菱自動車に移る。1975年京都産業大学教授。
服部 受弘(はっとり つぐひろ、1920年2月23日 - 1… 服部 受弘(はっとり つぐひろ、1920年2月23日 - 1991年12月6日)は、愛知県出身の元プロ野球選手(捕手、投手、内野手、外野手)・コーチ・監督、解説者。
須田 孝(すだ たかし、1920年2月23日 - 1980年… 須田 孝(すだ たかし、1920年2月23日 - 1980年11月20日)は、日本の経営者。三菱信託銀行社長を務めた。兵庫県出身。 1941年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、1942年に三菱信託銀行に入行。1970年11月に取締役に就任し、1972年10月に常務、1976年7月に専務を経て、1978年9月には社長に就任。 1980年11月20日に肝不全のために死去。60歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
前川 誠郎(まえかわ せいろう、1920年〈大正9年〉2月2… 前川 誠郎(まえかわ せいろう、1920年〈大正9年〉2月23日 - 2010年〈平成22年〉1月15日)は、日本の美術史家。東京大学名誉教授。 京都府京都市生まれ。 1944年東京帝国大学文学部美学美術史学科卒。 旧制第三高等学校教授、京都帝国大学、九州大学助教授を勤め、1970年東京大学文学部助教授、1971年教授、1980年定年退官、名誉教授、国立西洋美術館長。1990年新潟県立近代美術館長。1991年春、勲二等瑞宝章受勲。 ミュンヘンの中央美術史研究所において研究し、デューラーおよびネーデルラント等の北方ルネサンスの美術に業績があり、1975年以来ライヘナウの修道院聖堂の実地調査を行った。
木本 元敬(きもと げんけい、1920年(大正9年)2月22… 木本 元敬(きもと げんけい、1920年(大正9年)2月22日 - 2014年(平成26年)9月12日)は、日本の実業家。西日本鉄道第11代社長(1981年 - 1985年)を務めた。 福岡県小倉市(現北九州市)出身。医師の三男。福岡県立小倉高等学校を経て京都帝国大学を繰上げ卒業し、1942年(昭和17年)に西鉄の前身となる九州電気軌道に入社するも、まもなく太平洋戦争で陸軍の歩兵部隊に応召。フィリピン戦線でレイテ島の隣島の独立守備大隊長(少尉)を務めたが、足を負傷したため部隊を離脱。部隊はその後全滅し、九死に一生を得た。この経験から「私は一度無くしたはずの命を与えられた」と言って、西鉄や地域の発展に尽くすことを自らに課し、仕事に打ち込んだという。
中河 美芳(なかがわ みよし、 1920年2月22日 - 1… 中河 美芳(なかがわ みよし、 1920年2月22日 - 1944年7月12日)は、鳥取県鳥取市出身のプロ野球選手(一塁手、投手)である。
志村 和雄(しむら かずお、1920年2月22日 - 201… 志村 和雄(しむら かずお、1920年2月22日 - 2014年1月5日)は、日本の政治家・実業家。北海道小樽市出身。1943年北海道帝国大学農学部水産学科卒。地方公務員を経て、1975年から1987年まで北海道小樽市長を務めた。 1943年に日本化成工業に入社。まもなく徴兵され、終戦によって復員。北海道小樽水産高等学校教諭を経て、1951年小樽市役所に入る。1967年より同市役所助役を8年務める。助役として、新日本海フェリー就航や小樽駅前再開発事業に尽力した。 その後、小樽市役所を退職し、1975年小樽市長選に立候補し初当選。以後連続3期。市街地再開発派の市長であったが、在任中の1983年には小樽市歴史的建造物及び景観地区保全条例を制定。
衣更着 信(きさらぎ しん、1920年2月22日 - 200… 衣更着 信(きさらぎ しん、1920年2月22日 - 2004年9月18日)は、日本の詩人・翻訳家。高校教諭(英語科)。本名は鎌田 進(かまだ すすむ)。香川県大川郡白鳥村(現・東かがわ市)出身。 県立大川中学(現・香川県立三本松高等学校)在学中の1935年頃から詩作を始め、詩誌『若草』に投稿。明治学院高等商業部に進学して上京し、鮎川信夫らとともに『荒地』の前身である『LUNA』の創刊に参加。以後『ル・バル』『詩集』『荒地』に作品を発表。50歳まで地元の香川で高校教諭としての職務と並立して活動していたが、退職後は詩作・翻訳活動に専念した。1976年、『庚申その他の詩』(書肆季節社)で、第1回地球賞を受賞。
大路 三千緒(おおじ みちお、本名:神山 美知子(かみやま … 大路 三千緒(おおじ みちお、本名:神山 美知子(かみやま みちこ)、1920年〈大正9年〉2月21日 - 2021年〈令和3年〉1月12日) は、日本の女優。元宝塚歌劇団花組・雪組組長で宝塚歌劇団卒業生。東京都出身。愛称は「ミッちゃん」(本名から)。 1937年、立教高等女学校を卒業。 卒業後、宝塚少女歌劇団に宝塚歌劇団27期生として入団(同期生は越路吹雪、乙羽信子、東郷晴子、月丘夢路など)。宝塚入団時の成績は93人中70位。 1939年、初舞台を踏む。宝塚時代は男役を多く演じているが、娘役(とりわけ中年女性役)も初舞台当時より演じることが多かった。 終戦を経て、宝塚再興後の1951年 - 1952年に花組組長、1961年 - 1975年に雪組組長を歴任。
深海 正治(ふかうみ まさはる、1920年(大正9年)2月2… 深海 正治(ふかうみ まさはる、1920年(大正9年)2月21日 - 2021年(令和3年)5月28日)は、日本の技術者。 オリンパス光学工業専務、オリンパス精機社長。 佐賀県出身。久留米高等工業学校(現 : 九州大学工学部)精密機械科を卒業後、旧海軍の技術士官に採用され、大尉に任官。終戦まで機銃や零式艦上戦闘機の同調発射装置の設計を担当。 終戦後の1948年(昭和23年)にオリンパス光学工業に入社。1949年(昭和24年)、諏訪工場から杉浦睦夫が主任技師を務める研究所に異動。東京大学医学部附属病院副手の宇治達郎から胃の内部を撮影するカメラの製作を杉浦とともに依頼され、海軍時代に銃身内部の検査を行う装置を研究していたことを活かし、食道よりも細い管の中にカメラの全ての機能を詰め込む設計を考案。
小座間 泰蔵(おざま たいぞう、1920年(大正9年)2月2… 小座間 泰蔵(おざま たいぞう、1920年(大正9年)2月21日 - 1985年(昭和60年)1月15日)は、日本の政治家。山形県天童市長(1期) 。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 山形県出身。東北帝国大学工学部卒。山形県庁に入り、新庄、米沢の各建設事務所長、土木砂防課長、土木部次長を経て、1975年、天童市助役となる。1981年、天童市長に当選。市長時代は山形県社会教育振興会副会長、県農地管理公社監事、県治山林道協会理事、県自然環境保全審議会委員、国鉄利用成美強化促進期成同盟会常任理事、奥羽本線全線複線化早期完成期成同盟会監事、日本道路協会評議員、県住宅協会監事、県都市計画協会副会長などの公職を兼務した。
矢島 保男(やじま やすお、1920年2月21日 - 200… 矢島 保男(やじま やすお、1920年2月21日 - 2008年10月15日)は、日本の経済学者。 東京出身。早稲田大学商学部卒、1964年「消費者金融論」で商学博士。早大商学部助教授、教授。1990年定年となり、名誉教授。割賦販売審議会会長を務めた。銀行・金融などが専門。
石垣 りん(いしがき りん、女性、1920年(大正9年)2月… 石垣 りん(いしがき りん、女性、1920年(大正9年)2月21日 - 2004年(平成16年)12月26日)は、日本の詩人。東京府東京市赤坂区(現在の東京都港区)生まれ。銀行員として働きながら、詩を次々と発表。主な詩集として、『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』(1959年)、『表札など』(1968年)、『略歴』(1979年)、『やさしい言葉』(1984年)。代表作に「表札」。「断層」「歴程」同人。 第19回H氏賞、第12回田村俊子賞、第4回地球賞受賞。教科書に多数の作品が収録されており、また合唱曲の作詞でも知られる。
安永 英雄(やすなが ひでお、1920年〈大正9年〉2月21… 安永 英雄(やすなが ひでお、1920年〈大正9年〉2月21日 - 2003年〈平成15年〉6月8日)は、日本の政治家、参議院議員(4期、日本社会党)。 福岡県鞍手郡若宮町(現宮若市)出身。1940年福岡師範学校(現・福岡教育大学)卒。小中学校の教諭になり、福岡県教組委員長や県労組評議会議長を歴任する。1968年の第8回参議院議員通常選挙で全国区から日本社会党公認で立候補して初当選した。2期務めた後1980年の第12回参議院議員通常選挙で落選。1983年の第13回参議院議員通常選挙では比例区から立候補して当選した。1995年春の叙勲で勲二等旭日重光章受章。同年引退。国会内では建設委員長や決算委員長を歴任し、党内では参院国対委員長や参議院議員会長などを務めた。
戸田 与三郎(とだ よさぶろう、1920年2月20日 - 1… 戸田 与三郎(とだ よさぶろう、1920年2月20日 - 1986年)は、奈良県出身のプロ野球選手(三塁手)、高校野球監督。 畝傍中学(現・奈良県立畝傍高等学校)卒業後、1939年3月10日に南海軍に入団。翌1940年に一軍出場を果たし、3月18日の巨人戦(西宮球場。トリプルヘッダーの3試合目だった)で初出場。しかし、自身の成績不振と戦局の悪化に伴い、一軍出場の期間は約1ヶ月と短く、4月20日の名古屋軍(鳴海球場)が最終出場となった。1940年シーズン終了後、軍に入営し、そのまま現役引退した。 戦後は、奈良県立高田高等学校の監督に就任。高田高校を1955年春の甲子園に導き、ベスト4に入る健闘をみせた(準決勝で稲川東一郎率いる桐生高〈この大会準優勝〉に3-6で惜敗)。
古本 次郎(ふるもと じろう、1920年2月20日 - 20… 古本 次郎(ふるもと じろう、1920年2月20日 - 2000年1月25日)は、日本の実業家、旭硝子元代表取締役社長。一貫して「拡大均衡」路線をかかげ、海外にも積極的に事業を展開、今日のグローバル企業としての基盤を築いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
金谷 治(かなや おさむ、1920年2月20日 - 2006… 金谷 治(かなや おさむ、1920年2月20日 - 2006年5月5日)は、日本の東洋学者。専門は、中国哲学、特に中国古代思想史)。2003年勲二等瑞宝章受章。 1920年、三重県阿山郡上野町(現・伊賀市)生まれ。早くに両親を亡くし、兄弟の庇護の下、関西大学第二商業学校、関西大学専門部国漢文専攻科で学んだ。在学中、石濱純太郎に師事。石濱の勧めにより武内義雄が在任していた東北帝国大学法文学部文科に進学し師事した。しかし太平洋戦争の戦況悪化を受け、1944年9月に学徒出陣で東北帝国大学を繰り上げ卒業し入隊、大陸に出征した。 復員後、大学院に復学、旧制弘前高等学校嘱託講師となった。1948年、東北大学法文学部講師となり、武内義雄が退官し、しばらく空席になっていた支那学第一講座を引き継いだ。
矢口 洪一(やぐち こういち、1920年〈大正9年〉2月20… 矢口 洪一(やぐち こういち、1920年〈大正9年〉2月20日 - 2006年〈平成18年〉7月25日)は、日本の裁判官。第11代最高裁判所長官を務めた。父の矢口家治も裁判官。 裁判官生活の3分の2を法服ではなく背広姿で過ごした人は、矢口以外にはなく、事務総長をはじめ、総務・人事・行政・民事・経理と7局のうち、5局までを経験した。普通は、この中の1局でも担当すれば、最高裁行政の専門家として重きをなすのだが、矢口の場合は想像を超える最高裁の表裏のすべてに通じていた。そのため、「ミスター司法行政」の異名を取った。 熊本水俣病(チッソ)、新潟水俣病(昭和電工)、イタイイタイ病(三井金属鉱業)、四日市ぜんそく(昭和四日市石油・三菱化成・三菱樹脂・三菱モンサント(前記3社は現:三菱ケミカル)・中部電力・石原産業)の四大公害訴訟のときは、民事局長として、被害者の立証の難しさを緩和する理論を提唱し、早期解決に尽力した。
安永 蕗子(やすなが ふきこ、1920年(大正9年)2月19… 安永 蕗子(やすなが ふきこ、1920年(大正9年)2月19日 - 2012年(平成24年)3月17日)は、歌人、書家。 1998年から2007年まで、宮中歌会始選者を務めた。書家としての号は春炎。毎日書道展名誉会員。熊本県熊本市御徒町(現・中央区安政町)出身。熊本県熊本市名誉市民。ノンフィクション作家の永畑道子は妹。 以下の経歴はおもに安永蕗子著『安永蕗子全歌集 資料編』(河出書房新社、2000年)、『みずあかりの記』(新評論、1979年)、『風のメモリイ』(熊本日日新聞社、1995年)、『自解百選 安永蕗子集』(牧羊社、1987年)、安永蕗子聞書,野口郁子 著『月花の旅』(西日本新聞社、1997年)、松平盟子著「天窓からすべてを望めよ:安永蕗子の短歌と人生(連載)」(短歌研究、短歌研究社、2014年-2015年)に基づく。
山田 政治(やまだ まさはる、1920年〈大正9年〉2月18… 山田 政治(やまだ まさはる、1920年〈大正9年〉2月18日 - 2007年〈平成19年〉12月12日)は日本の政治学者。島根大学名誉教授。元九州国際大学学長。 広島県福山市出身。 島根大学では新設法文学部の初代学部長を務め基礎固めに尽力した。
宮澤 庸子(みやざわ ようこ、1920年〈大正9年〉2月18… 宮澤 庸子(みやざわ ようこ、1920年〈大正9年〉2月18日 - 2014年〈平成26年〉5月4日)は、日本の元ファーストレディである。 早稲田大学名誉教授で英語学者の伊地知純正の二女として生まれる。宮澤夫妻の出会いは、1939年(昭和14年)の夏に宮澤喜一が東京帝国大学、庸子が東京女子大学に入学して間もなくの「日米学生会議」がきっかけだった。 1941年(昭和16年)東京女子大学英語専攻部卒業。その後、1943年(昭和18年)11月30日に結婚。 1991年(平成3年)11月5日から1993年(平成5年)8月9日までは夫の喜一が内閣総理大臣に在任し、その間、ファーストレディとして活動した。 2014年 (平成26年)5月4日に東京都で死去。
永島 トヨ(ながしま トヨ、1920年2月18日 - 201… 永島 トヨ(ながしま トヨ、1920年2月18日 - 2013年2月6日)は、日本の料理研究家。神奈川県出身。フェリス女学院大学卒業。「台所おばあちゃん」の愛称で知られている。本名は森岡 トヨ(もりおか トヨ)。 1993年よりNHK『くらしのジャーナル』に月1回で出演。 1997年、77歳の時に21歳下の琴講師の男性と結婚し話題を呼んだ。永島にとっては初婚であり、出会いのきっかけは夫がたまたまテレビで永島を見て一目惚れし、手紙のやり取りを始めたことだったという。その後、夫の故郷である広島県福山市で「永島トヨ料理教室」を営んでいた。 2008年8月には日本テレビ『ザ!世界仰天ニュース』で、2012年9月には同じく日本テレビの『みんないらっしゃいTV』でこのことが取り上げられた。
山田 信夫(やまだ のぶお、1920年2月17日 - 198… 山田 信夫(やまだ のぶお、1920年2月17日 - 1987年4月26日)は、日本の東洋史学者。大阪大学名誉教授。アジア遊牧民族、東西交渉史を専攻、中世ウイグル世俗文書を研究。 1920年、山口県山口市で生まれた。第六高等学校(現・岡山大学)を経て、東京帝国大学(現・東京大学)文学部に進学。東洋史学科で学び、1943年9月に卒業。 山田を含む6名が1943年10月海軍予備学生に採用され、江田島の海軍兵学校に入隊、12月末まで兵学校生徒に準じる教育を受けた。翌年には兵学校を去り、内地勤務で少尉、中尉となり、敗戦を迎えた。1945年末に帰郷。 1946年、東京帝国大学大学院へ復学。東洋史学科の先輩にあたる前田直典の提唱により、同年3月に北方史研究会を院生仲間らと組織。
白井 孝夫(しらい たかお、1920年(大正9年)2月17日… 白井 孝夫(しらい たかお、1920年(大正9年)2月17日 - 没年不詳)は、日本の実業家、本田技研工業株式会社元専務取締役、本田技術研究所元所長。30代の課長時代には、鈴鹿製作所の工場建設を一手に任され、現在のモータスポーツにまで至るHONDAの鈴鹿拠点の基盤を作り、会社の成長を支えた。 静岡県出身。1943年(昭和18年)立教大学経済学部卒業。大学卒業後、東洋製鋼、繊維貿易公団を経て、1950年(昭和25年)本田技研工業に入社する。 1959年1月、生産課長として前年11月末に起きたスーパーカブの初期トラブルを解決し、年末までに増産体制を取り終えたばかりの頃、社長の本田宗一郎から呼び出され、何の説明もなしに『ヨーロッパへ行って来い』と言われる。
奥谷 禎一(おくたに ていいち、1920年(大正9年)2月1… 奥谷 禎一(おくたに ていいち、1920年(大正9年)2月16日 - 2011年(平成23年)10月3日)は日本の昆虫学者。神戸大学名誉教授。農学博士。 1920年2月16日、東京府に生まれる。 1943年9月に東京帝国大学農学部を卒業し、第9陸軍技術研究所に就職した。 1947年4月、教育研修所(1949年6月より組織改組で国立教育研究所、2001年1月より国立教育政策研究所)文部教官となる。 1951年11月に兵庫県立農科大学講師に就任。1953年2月に同大学の助教授、1969年4月の同大学の国立移管に伴い神戸大学農学部助教授、1971年4月に神戸大学農学部教授となる。この間、1961年5月に「日本産広腰亜目幼虫の分類学的研究」で北海道大学から農学博士号を取得する。
久保 亮五(くぼ りょうご、1920年2月15日 - 199… 久保 亮五(くぼ りょうご、1920年2月15日 - 1995年3月31日)は、日本の物理学者。東京大学、京都大学、慶應義塾大学教授。全米科学アカデミー、フランス科学アカデミー名誉会員。線形応答理論で知られる。 統計物理学、物性物理学の分野で国際的に知られた。 1920年、東京府駒込で中国文学者の久保天随の5人目の子供(4男)として2月15日に誕生。1931年、父・天随が台北帝国大学教授に就任したため、一家は台湾の台北市に移った。翌1932年、台北高等学校尋常科に入学。しかし、1934年に父が死去したことにともない、駒込に戻る。東京府立第五中学校に編入して中学校を4年で修了し、1936年に第一高等学校 (旧制)理科甲類に入学。
大島 襄二(おおしま じょうじ、1920年2月15日 - 2… 大島 襄二(おおしま じょうじ、1920年2月15日 - 2014年3月11日)は、日本の地理学者(文化地理学)。文学博士。関西学院大学名誉教授、元帝塚山学院大学教授。太平洋学会第三代会長。 地理学者として学術探検にも赴き、島嶼地理学、文化人類学者としても有名である。愛知県名古屋市生まれ。 以降快方に向かい、近江兄弟社中学校・高等学校、同志社高等学校で教鞭を執る(1953年まで)。
西村 克彦(にしむら かつひこ、1920年2月15日 - 1… 西村 克彦(にしむら かつひこ、1920年2月15日 - 1992年4月3日)は、刑法学者。 大阪府生まれ。1943年東京帝国大学法学部卒。1946年岡山大学法学部助教授、教授、1962年「共犯論序説」で九州大学法学博士。1971年青山学院大学教授、1988年定年退任、獨協大学教授。
八木 靖浩(やぎ やすひろ、1920年2月15日 - 199… 八木 靖浩(やぎ やすひろ、1920年2月15日 - 1995年2月15日)は、日本の経営者。川崎製鉄社長、会長を務めた。 京都府船井郡八木町出身。1943年に東京帝国大学第一工学部冶金学科を卒業し、同年に川崎重工業に入社した。1950年に川崎製鉄に移り、1971年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1979年に副社長に就任し、1982年に社長に昇格した。1990年に会長に就任し、1993年に取締役相談役に就任し、1995年に相談役に就任した。 1982年に藍綬褒章を受章し、1986年に毎日工業技術賞を受賞した。 1995年2月15日呼吸不全のために死去。75歳没。
大坂 志郎(おおさか しろう、1920年2月14日 - 19… 大坂 志郎(おおさか しろう、1920年2月14日 - 1989年3月3日)は、日本の俳優である。 秋田県能代市に生まれる。父の大坂連治郎は萬町で貸金業、米問屋を営んでいた。母の志保は沢口村小森(現在の北秋田市)の味噌醤油醸造工場を営む名望家の神成千代治の娘。妹に人形作家・陶芸家の神成澪がいる。1927年、夫の浮気性に嫌気がさした母は、志郎と澪を連れて上京し、新宿で郷土居酒屋の「秋田」を営んだ。店には太宰治や井上靖、木下恵介、川島雄三、河西克巳などの文壇映画人が集い、志郎の映画デビューも彼らの影響であった。新聞配達で家計を支え、旧制・日本大学第二中学校を中退し、「新築地劇団」研究生になる。その後、早稲田高等工学校機械科を卒業、満州国鞍山市の昭和製鋼の社員を経て、1942年、松竹俳優研究所に入所し、1943年の吉村公三郎監督の『開戦の前夜』でデビューする。
吉野 トヨ子(よしの トヨこ、1920年(大正9年)2月12… 吉野 トヨ子(よしの トヨこ、1920年(大正9年)2月12日 - 2015年(平成27年)1月24日)は、日本の陸上競技選手。ヘルシンキオリンピック・メルボルンオリンピック陸上女子円盤投代表。元円盤投日本記録保持者、五種競技日本記録保持者。 北海道網走市出身。香蘭高等女学校(現在の香蘭女学校中等科・高等科)、中京高等女学校家事体操専攻科(現:至学館大学)卒業。 戦前はスプリンターとして活躍。1938年、マルチな身体能力を生かし五種競技で237点の日本新記録を樹立した。 戦後は投てきに転向し、円盤投と砲丸投に活躍。1950年、関東選手権で円盤投に出場し、42m58の日本新記録を樹立した。1951年アジア競技大会に出場し、円盤投・砲丸投・やり投で金メダルを獲得した。
山中 雪人(やまなか ゆきと、1920年2月12日 - 20… 山中 雪人(やまなか ゆきと、1920年2月12日 - 2003年6月5日)は、広島県出身の日本画家。宗教画を得意とする。日本美術院同人。元広島市立大学教授。妻は日本画家の水谷愛子。 1920年2月12日広島市台屋町(現在の南区京橋町)の浄土真宗寺院の家に生まれる。1937年に広島崇徳中学校を卒業後、川端画学校で学び、翌1938年に東京美術学校日本画科へ入学し、結城素明や川﨑小虎らの指導を受ける。1941年には結城素明の主宰する大日美術院第4回展覧会では「花屋」が、翌1942年の第5回展覧会では「T先生」が入選する。同年、東京美術学校を繰り上げ卒業し、1946年まで軍籍に身を置くことになる。1944年に中国漢口(現在の湖北省武漢市)の部隊に配属される。
井上 正治(いのうえ まさはる、1920年2月11日 - 1… 井上 正治(いのうえ まさはる、1920年2月11日 - 1997年12月18日)は、日本の海軍軍人、法学者。専門は刑事法学。過失犯理論等を研究。法学博士(九州大学・1950年)。九州大学名誉教授。福岡県出身。 福岡県宗像市生まれ、山口県下関市育ち。旧制山口県立下関中学校、旧制福岡高等学校を経て、九州帝国大学進学。1942年、九州帝国大学法文学部卒業、高等文官試験司法科合格。1950年、法学博士(九州大学)。 海軍入営。最終階級は海軍法務大尉。1946年、九州帝国大学法文学部講師。1948年、九州大学法文学部助教授、1951年、同法教授。1953年、広島大学政経学部教授兼務、1967年第30代九州大学法学部長。
柴田 多摩男(しばた たまお、1920年2月10日 - 19… 柴田 多摩男(しばた たまお、1920年2月10日 - 1944年9月17日)は、長崎県出身のプロ野球選手。 海星中学から1939年に名古屋金鯱軍へ入団。1941年に大洋軍へ移籍し、同年退団。 後に応召され、1944年9月17日に亡くなった。東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。