近藤 忠孝(こんどう ただたか/ちゅうこう、1932年4月2… 近藤 忠孝(こんどう ただたか/ちゅうこう、1932年4月2日 - 2013年6月5日)は、日本の弁護士、政治家。参議院議員(日本共産党公認)を3期務めた。全国公害弁護団連絡会議初代幹事長。 1932年4月2日、東京都北区にて化学工場の労働者の子として生まれる。東京都立大学 (1949-2011)(現首都大学東京)人文学部を卒業後の1960年に日本共産党へ入党。1962年には弁護士を開業、黒田法律事務所(現東京法律事務所)へ入り各種労働事件の弁護を担当する。1965年に青年法律家協会議長、1968年にはイタイイタイ病弁護団副団長に就き、裁判で全面勝訴を勝ち取る。イタイイタイ病裁判では、「勝利するためには被害者のいる現地・富山で弁護士として活動することがどうしても必要」として、一家で当時居住していた東京都から富山へ移住しており、NHK歴史情報番組「その時歴史が動いた 苦しむ患者を救いたい~イタイイタイ病裁判・弁護士たちの闘い~」(2007年3月7日放映)にゲスト出演し当時の状況を証言した。
溝上 泰(みぞうえ やすし、1932年4月2日 - 2025… 溝上 泰(みぞうえ やすし、1932年4月2日 - 2025年12月16日)は、日本の教育学者。広島大学・鳴門教育大学名誉教授。社会科教育学専攻。 広島県御調町出身。広島大学教育学部高等学校教育科社会科歴史卒業。同大学大学院文学研究科修士課程西洋史学専攻修了(文学修士)。広島大学大学院を修了後、広島県海田高等学校(現広島県立海田高等学校)教諭となり、その後は長崎大学教育学部講師、同大学助教授、広島大学助教授、同大学教授、広島大学附属東雲小学校長に就任。1995年鳴門教育大学教授、同大学副学長を経て1998年4月から2004年3月まで同大学学長に就任。 また文部省初等中等教育局小学校教育課教科調査官、全国社会科教育学会長、日本社会科教育学会評議員、OECD/CERI環太平洋研究組織議長、日本教育大学協会理事・評議員、日本教科教育学会理事、徳島県教育振興会審議会長を歴任。
古川 智映子(ふるかわ ちえこ、1932年4月1日 - 20… 古川 智映子(ふるかわ ちえこ、1932年4月1日 - 2024年7月29日)は、日本の作家。埼玉県所沢市在住。本名、古川 ぬい(こがわ ぬい)。 青森県弘前市に生まれる。青森県立弘前中央高等学校、東京女子大学短期大学部英語科、東京女子大学文学部日本文学科を卒業。国立国語研究所で『国語年鑑』の編集に従事、その後東京都内の私立高校教諭を経て、執筆活動に入る。日本文藝家協会会員。ヴィクトル・ユゴー文化賞受賞(フランスのヴィクトル・ユゴー文学記念館主催)。潮出版文化賞受賞。 著書の『小説 土佐堀川 女性実業家・広岡浅子の生涯』は、NHK連続テレビ小説『あさが来た』(2015年度後期)の原案となる。本書は著者の処女作。
岡部 達味(おかべ たつみ、1932年4月1日 - )は、日… 岡部 達味(おかべ たつみ、1932年4月1日 - )は、日本の政治学者。専門は、中国外交・中国政治。学位は、社会学博士(東京大学・1973年)。東京都立大学名誉教授。 東京都渋谷区出身。1951年東京都立青山高等学校卒業、1955年東京大学教養学部(国際関係論分科)卒業。1957年同大学院国際関係課程修士課程修了。1973年、東京大学より社会学博士の学位を取得。 1957年から1963年までNHK解説委員室に勤務、その後、国際基督教大学助手(1963-67年)を経て、東京都立大学法学部で専任講師(1967年)、同助教授(1968-75年)、同教授(1975-1995年)を歴任した(1984年から87年まで法学部長)。
依田 智治(よだ ともはる、1932年〈昭和7年〉3月31日… 依田 智治(よだ ともはる、1932年〈昭和7年〉3月31日 - 2026年〈令和8年〉2月27日)は、山梨県出身の元警察官僚、元参議院議員。元防衛事務次官。 ※参照:依田智治『依田智治の主張』(朝雲新聞社、2004年)
大島 渚(おおしま なぎさ、1932年(昭和7年)3月31日… 大島 渚(おおしま なぎさ、1932年(昭和7年)3月31日 - 2013年(平成25年)1月15日)は、日本の映画監督、脚本家、演出家、著述家。フィクションだけでなくドキュメンタリーも制作した。 妹の大島瑛子は女優・プロデューサーで大島プロダクションの代表を務めた。美術監督の戸田重昌は瑛子の夫で義弟に当たる。妻は女優の小山明子、長男の大島武は東京工芸大学芸術学部教授、次男の大島新はドキュメンタリー作品監督。 1932年(昭和7年)3月31日、岡山県児島郡(当時)で生まれた。父方は長崎県対馬の出で、先祖は対馬藩士。母親は広島県呉市出身。父親は農林省の水産学者。仕事の関係で瀬戸内海を転々とし、カニやエビの研究をしていた。
高柳 俊一(たかやなぎ しゅんいち、1932年3月31日 -… 高柳 俊一(たかやなぎ しゅんいち、1932年3月31日 - 2022年7月28日)は、日本の英文学者・神学者。上智大学名誉教授。 新潟県生まれ。1954年上智大学文学部英文科卒業。1954‐1958年米国留学、フォーダム大学大学院から博士号を受ける。1966年-1970年ドイツのザンクト・ゲオルゲン神学院にて神学研究、神学修士号を受け、カトリック司祭に叙階される。上智大学文学部英文学科教授を務め、キリスト教神学、T・S・エリオットなど英文学について多く著作を行う。 2022年にイエズス会ロヨラハウスにて前立腺がんで帰天する。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
駒井 徳造(こまい とくぞう、1932年3月31日 - )は… 駒井 徳造(こまい とくぞう、1932年3月31日 - )は元任天堂部長、元セガ・エンタープライゼス副社長、元トムス・エンタテインメント会長。大阪市出身。 1954年に任天堂に入社し、長く営業を担当した。 任天堂レジャーシステムは1975年に『EVRレース』を発売し、メダルゲームに参入。関東における『EVRレース』の販売は、主にエスコ貿易が担当し、それにより駒井はエスコ貿易社長の中山隼雄と知り合う。任天堂のアーケード事業が苦しい時期も、中山はハードの販売を一手に引き受け、ほとんどエスコ貿易の独占に近い状態になることもあった。駒井はそれらの取引を通じて中山と信頼関係を築いた。 苦しい状態が続いた任天堂のアーケード事業は、『スペースフィーバー』(1979年)の大当たりによって一気に息を吹き返した。
今井 健二(いまい けんじ、1932年3月31日 - )は、… 今井 健二(いまい けんじ、1932年3月31日 - )は、日本の俳優。本名およびデビュー時の芸名:今井 俊一、旧芸名:今井 俊二。 神奈川県鎌倉市出身。明治大学卒業。田中事務所、グループ71、西村事務所に所属していた。 1955年、知人の勧めで、東映ニューフェイス第2期生として東映へ入社。同期には高倉健、五味龍太郎、丘さとみなどがいる。『野郎ども表へ出ろ』に出演して俳優デビューを果たす。大部屋俳優としての役柄を経て、『吠えろ岸壁』への出演後、『皮ジャン・ブルース』ではより大きな役を与えられた。1962年に東映を退社して以降はフリーランスとなった。もともとは二枚目のスター候補であり、温厚な青年なども演じていたが、今井健二名義で『続・女番外地』出演して以降は悪役をメインに演じるようになった。
麻生 誠(あそう まこと、1932年3月30日 - 2017… 麻生 誠(あそう まこと、1932年3月30日 - 2017年4月24日)は、日本の教育社会学者。大阪大学名誉教授、放送大学名誉教授。 東京生まれ。東京教育大学附属高等学校卒業、東京大学教養学部文科二類に入学し、東京大学教育学部卒業。卒業後、東京大学人文科学研究科大学院教育研究科教育社会学専攻(修士課程)修了。同大学院博士課程満期退学。日本育英会専門員を経て、東京学芸大学学芸学部(教育学部)専任講師、助教授。1974年、大阪大学人間科学部助教授、1980年教授。1995年、定年退官、名誉教授。以後は、放送大学教授、副学長、名誉教授、東京女学館理事長、東京女学館大学学長を歴任した。2017年4月24日、死去。
伊藤 満洲雄(いとう ますお 1932年(昭和7年)3月30… 伊藤 満洲雄(いとう ますお 1932年(昭和7年)3月30日 - )は、日本の実業家。父は初代内閣総理大臣の伊藤博文の次男・眞一。 兵庫県川辺郡塚口(現・尼崎市)に生まれる。名前は、同年に建国された満州国にちなむ形で満洲雄(ますお)となった。父は当時南満州鉄道に勤務していたが、満洲雄の生まれる前年に大阪勤務となっていた。 子供の頃から体が弱く、大阪市立曽根崎小学校に入学した年の秋に肺炎となり、阪大病院に入院、退院後も中耳炎に罹患した。当時両親からは「早く亡くなってしまうのではないだろうか」としばしば言われたという。 通学先はその後、塚口小学校に変更となる。父の転勤で東京の青南小学校に移った後、疎開により滋賀県の瀬田町立瀬田国民学校に転校した。
井上 浩(いのうえ ひろし、1932年3月30日 - 198… 井上 浩(いのうえ ひろし、1932年3月30日 - 1989年12月29日)は、日本の植物学者。蘚苔類の分類が専門であり、ナンジャモンジャゴケの発見や命名を行ったことでもその名を知られる。 高知県に生まれる。1956年、東京教育大学理学部植物学科卒業、1961年に同大学大学院を修了。 蘚苔類の分類を中心に取り組み、ナンジャモンジャゴケをはじめ多くの種を命名した。国立科学博物館の植物研究部長として勤務したほか、国際植物命名規約委員会委員、日本蘚苔類学会常任幹事、国際蘚苔類学会会長などを歴任。 1989年に逝去。没後、高知県立牧野植物園に井上の顕彰碑が建てられた。 この項目は、生物学に関連した書きかけの項目です。
五十嵐 美智(いがらし みち、1932年3月30日 - 20… 五十嵐 美智(いがらし みち、1932年3月30日 - 2002年12月10日)は、日本の英文学者、金城学院大学名誉教授。 新潟県生まれ。1954年、広島大学英文科卒、金城学院大学助手。1957年に専任講師、1963年に助教授を経て、1978年、教授。1976年、マドリード大学から「ロルカとイギリス・ロマン派詩人たち」に対してPh.D.。ワーズワスを研究した。2000年、定年退任。 2002年12月10日、急性心不全のため死去。
及川 昭伍(おいかわ しょうご、1932年〈昭和7年〉3月2… 及川 昭伍(おいかわ しょうご、1932年〈昭和7年〉3月29日 - 2020年〈令和2年〉2月14日)は、日本の官僚。元国民生活センター理事長、元経済企画庁総合計画局長。岩手県盛岡市出身。
大内 和臣(おおうち かずおみ、1932年3月29日- )は… 大内 和臣(おおうち かずおみ、1932年3月29日- )は、日本の法学者。専門は国際法。学位は法学博士。元中央大学教授。元西南学院大学教授。福岡県出身。
水野 敬三郎(みずの けいざぶろう、1932年3月29日- … 水野 敬三郎(みずの けいざぶろう、1932年3月29日- )は、日本の仏像美術史学者、東京芸術大学名誉教授、新潟県立近代美術館名誉館長。
岡田 恵美子(おかだ えみこ、1932年3月29日 - )は… 岡田 恵美子(おかだ えみこ、1932年3月29日 - )は、ペルシア文学者、元東京外国語大学教授。夫は十八世紀フランス文学者の岡田直次。 東京生まれ。旧姓は中村。1955年東京学芸大学国語科卒業、中学校の国語教師を務めた後、1963年に31歳でテヘラン大学に留学、1967年、同大学で日本人で初めて文学部博士課程修了、文学博士号を取得する。帰国後、NHK国際局非常勤(1967年)、東海大学講師のほか、1967年東京外国語大学講師、1982年助教授、同年『イラン人の心』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。1988年教授、のち中央大学客員教授を経て総合政策学部教授、退職後は日本イラン文化交流協会会長。
鈴木 悌次(すずき ていじ、1932年3月28日 - 200… 鈴木 悌次(すずき ていじ、1932年3月28日 - 2006年3月27日)は、日本の経営者。アキレス社長を務めた。群馬県出身。 1950年に群馬県立太田高校を卒業し、同年に興国化学工業(のちのアキレス)に入社。 1978年1月に取締役に就任し、1980年1月に常務、1985年12月に専務を経て、1992年6月に副社長に就任し、1994年9月には社長に昇格。1997年1月に取締役相談役を経て、1998年6月から顧問を務めた。 2006年3月27日心不全のために死去。73歳没。
関千枝子(せき ちえこ、1932年3月28日 - 2021年… 関千枝子(せき ちえこ、1932年3月28日 - 2021年2月21日)は、日本のノンフィクション作家。 大阪市出身。旧姓:富永。1944年、父の転勤で大阪から広島市に移住し、旧制広島県立第二高等女学校(現・広島県立広島皆実高等学校の前身の一つ)に入学。そして1945年、自身が2年生のときに広島で被爆。このとき、第二高等女学校では爆心地に程近い雑魚場町(現・中区国泰寺町)での建物疎開作業に動員されており、引率した教師、そして同級生含めた約40人が被爆し亡くなったが、関自身は当日体調不良で欠席、宇品の自宅で病臥していたために被爆こそしたが、爆心地より遠かったため生き延びたという(当日、関含めた生徒でも6人が欠席したほか、建物疎開作業に動員された同級生で1人だけ奇跡的に助かった者がおり、彼女はその後24年生きた)。
浜田泰介(はまだたいすけ、1932年〈昭和7年〉3月28日 … 浜田泰介(はまだたいすけ、1932年〈昭和7年〉3月28日 - )は愛媛県宇和島市出身の画家。 1985年(昭和60年) ART GRAPH 9月号に巻頭特集
坂本 博士(さかもと ひろし、1932年3月28日 - 20… 坂本 博士(さかもと ひろし、1932年3月28日 - 2022年12月3日)は、日本のバリトン歌手、作曲家、音楽教育者。東京府出身。 1954年、東京藝術大学声楽科卒業。 声楽を城多又兵衛、リア・フォン・ヘッサート(独)、ガエターノ・コメッリ(伊)に、ピアノを水谷達夫、作曲を下総皖一、指揮を金子登、渡邉暁雄に師事。 1957年、藤原歌劇団公演「ラ・ボエーム」マルチェロ役でデビュー。 1960年代初頭ごろ、高島一恵に音楽を教えていた。 1963年から1964年にかけて放送されたNHK総合テレビの音楽番組「歌おう世界の友よ」で歌と司会を担当。 1969年、サカモト・ミュージック・スクールを設立し校長に就任する。
三石 精一(みついし せいいち、1932年3月28日 - )… 三石 精一(みついし せいいち、1932年3月28日 - )は、日本の指揮者。 東京出身。幼少よりピアノを学び、ピアニストをめざすが、手の故障で断念。下総皖一のもと作曲を学ぶ。但しコンサート・ピアニスト以外の伴奏などの活動は続けている。 1950年の東京藝術大学受験前に、金子登に指揮者の道を勧められ、同校指揮科の一期生として入学。ピアノを水谷達夫、作曲を下総皖一、指揮を金子登、クルト・ヴェス、渡邉暁雄などに師事。 1955年卒業後、同大学院指揮科専攻科に進学。翌年修了し、芸大指揮科と同大学附属高校にて教鞭をとる。当初は主にピアニストとして、ヴァイオリンの諏訪根自子、声楽の藤原義江、大谷冽子、砂原美智子、アリゴ・ポーラ、ゲルハルト・ヒュッシュ、木琴の平岡養一らの伴奏者として活動する。
柳川 直則(やながわ なおのり、本名:柳川 正祐(やながわ … 柳川 直則(やながわ なおのり、本名:柳川 正祐(やながわ まさすけ)、1932年3月28日 - )は、日本の作曲家、合唱指揮者。 東京都出身。東京芸術大学声楽科卒。声楽を畑中良輔、畑中更予、作曲を松本民之助、指揮を渡辺暁雄に師事。1959年、第二次イタリアオペラ日本公演に出演、大歌手を間近に接し大きな示唆を受ける。東京室内歌劇場の副指揮者も務めた。1957年、自身が指揮者を務める合唱団の連合会を提唱し、当初は6団体で結成。クールスィスと命名し、26回の演奏会の後、解散。この間東京交響楽団他のオーケストラ、室内楽団、中澤桂・立川澄人ら著名ソリストで、ハイドンのオラトリオ四季、ブラームスの哀悼歌および運命の歌、モーツァルト、フォーレ、ケルビーニ等のレクイエムを指揮。
園井 啓介(そのい けいすけ、1932年3月27日 - )は… 園井 啓介(そのい けいすけ、1932年3月27日 - )は、日本の元俳優。テレビドラマへの出演を通じ、孤独と哀愁をたたえたマスクで多くの女性を魅了した。 東京市浅草生まれ。本名・永井之弘。1950年(昭和25年)、東京都立工芸高等学校木材工芸科を卒業して新東宝美術部に入り、映画装置の助手を務める。1953年(昭和28年)に劇団青俳の国民文化研究所演劇科に入り、1954年(昭和29年)青俳に入団、テレビ番組に初出演し、1957年(昭和32年)からNHK『刑事部屋物語』、日本テレビ『見事な娘』などに出演。1958年(昭和33年)、青俳を退団、フリーとなってNHK『事件記者』に山崎記者の役で出演、人気を集める。
岡崎 洋(おかざき ひろし、1932年(昭和7年)3月27日… 岡崎 洋(おかざき ひろし、1932年(昭和7年)3月27日 - 2018年(平成30年)3月31日)は、日本の政治家、大蔵官僚。神奈川県知事(民選第13・14代)、環境事務次官等を歴任した。 神奈川県出身。神奈川県立湘南高等学校、東京大学経済学部卒業。1954年、大蔵省(現財務省)に入省し、銀行局審査課に配属される。入省同期には窪田弘(旧日債銀会長、国税庁長官、理財局長)、矢澤富太郎(太田昭和監査法人会長、関税局長)、吉田正輝(兵庫銀行頭取、日銀理事、銀行局長、大臣官房総務審議官)らがいる。銀行局総務課長補佐(総括・企画)、銀行局特別金融課長、主計局主計官(総理府、司法・警察担当)、主計局主計官(外務、通商産業担当)、銀行局総務課長などを務める。
浮田 逸郎(うきた いつろう、1932年3月27日 - 20… 浮田 逸郎(うきた いつろう、1932年3月27日 - 2017年4月29日)は、長崎県佐世保市出身のプロ野球選手。 佐世保北高校から1950年に西日本パイレーツへ練習生として入団。 同年の6月頃に、独立二軍チームだった山陽クラウンズへ他3選手と一緒に派遣されたとみられる。 1951年に西日本が西鉄と合併すると、西日本からの派遣組4人は全員解雇される。浮田は地元・佐世保の市役所に勤務するが、野球への思いは断ちがたく、1選手として山陽クラウンズに復帰した。 1952年にチームが解散し、1953年に高橋真輝とともに大洋松竹ロビンスへ入団。プロ入り初登板を果たすが、肩を痛め同年引退。カーブが武器だった。
宮林 昭彦(みやばやし しょうげん、1932年3月27日 -… 宮林 昭彦(みやばやし しょうげん、1932年3月27日 - 2014年7月10日)は、長野県長野市生まれの浄土宗の僧、仏教学者。大正大学教授。全日本仏教会副会長。大本山光明寺第百十二世法主。
林 健久(はやし たけひさ、1932年3月27日 - )は、… 林 健久(はやし たけひさ、1932年3月27日 - )は、日本のマルクス経済学者、東京大学名誉教授。専門は財政学。「最後のマルクス経済学者」を自称していた。 1955年東京大学経済学部卒業、1960年同大学院社会科学研究科満期退学。同大学助手、1964年「明治前期の租税構造」で経済学博士。1963年立正大学教授、1975年東京大学経済学部教授、1993年定年退官、名誉教授、流通経済大学経済学部教授、地方財政審議会会長。
野村 沙知代(のむら さちよ、1932年〈昭和7年〉3月26… 野村 沙知代(のむら さちよ、1932年〈昭和7年〉3月26日 - 2017年〈平成29年〉12月8日)は、日本のタレント、女優。所属事務所は株式会社エフエンタープライズ(東京都千駄ヶ谷)。 元プロ野球選手・プロ野球監督である野村克也の妻として知られる。愛称は「サッチー」で、『森田一義アワー 笑っていいとも!』で共演した中居正広から名付けられたという。 出生名、伊東 芳枝(いとう よしえ)。沙知代に改名したのは1976年だが、本記事では便宜上、改名前の事項についても「沙知代」と表記する。 1932年3月26日(土曜日)に福島県西白河郡西郷村で伊東巳之吉・さく夫妻の長女として生まれる。父は地方公務員(東京都交通局職員。
早乙女 勝元(さおとめ かつもと、1932年3月26日 - … 早乙女 勝元(さおとめ かつもと、1932年3月26日 - 2022年5月10日)は、日本の小説家・児童文学作家。東京府東京市足立区出身。
斎藤 富雄(さいとう とみお、1932年〈昭和7年〉3月26… 斎藤 富雄(さいとう とみお、1932年〈昭和7年〉3月26日 - 1991年〈平成3年〉1月31日)は、日本の政治家。新潟県新津市(現・新潟市)長(3期)。位階は正六位。勲五等双光旭日章。 新潟県中蒲原郡新津町(のち新津市を経て、新潟市)出身。1954年新潟県立新津高等学校卒。卒業後は新津市役所に入り、企画室長などを経て、1974年助役に就任する。1981年の新津市長選挙に立候補し、初当選した。1985年に再選。1989年に三選を果たした。3期目途中の1991年、病気のため死去した。1991年死去。死没日付をもって正六位に叙され、勲五等双光旭日章を追贈された。
吉田 正輝(よしだ まさてる、1932年3月26日 - 20… 吉田 正輝(よしだ まさてる、1932年3月26日 - 2011年2月7日)は、東京府出身の大蔵官僚。銀行局長。
森 幸男(もり ゆきお、1932年3月26日 - 2007年… 森 幸男(もり ゆきお、1932年3月26日 - 2007年11月19日)は、日本の経営者。森精機製作所社長、会長を務めた。 和歌山県出身。1954年に京都府立大学を退学し、1955年に森精機製作所に入社。 常務、専務を経て、1986年9月には社長に就任。1999年6月に会長を経て、2002年6月には名誉会長に就任。 1992年4月に藍綬褒章を受章。 2007年11月19日急性心臓死のために死去。75歳没。
松本 俊夫(まつもと としお、1932年3月26日 - 20… 松本 俊夫(まつもと としお、1932年3月26日 - 2017年4月12日)は、日本の映画監督、映像作家、映画理論家。元日本映像学会会長。愛知県名古屋市出身。 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
福井 達雨(ふくい たつう、1932年3月25日 - 202… 福井 達雨(ふくい たつう、1932年3月25日 - 2022年9月6日)は、日本の教育者。滋賀県近江八幡市生まれ。
小尾 芙佐(おび ふさ、1932年3月24日 - )は、日本… 小尾 芙佐(おび ふさ、1932年3月24日 - )は、日本の翻訳家。婚姻前の姓は神谷(かみや)。 東京府豊多摩郡淀橋町大字柏木(現在の東京都新宿区西新宿)に生まれ、東京市淀橋第一尋常高等小学校、三輪田高等女学校で学んだ。戦時中は長野県上伊那郡高遠町に疎開し、長野県伊那高等女学校(その後、長野県伊那弥生ヶ丘高等学校に校名変更)へ転学した。大学受験に向けて、1950年高3の夏休みには東京にある父親の仮住まいに移り、千駄ヶ谷の津田英語会(現在は津田塾大学千駄ヶ谷キャンパスとなった)が主催する夏期講習に通った。講習が終わった後は国立国会図書館で猛勉強に励み、津田塾大学英文学科に合格を果たした。大学入学後は学生寮に入った。
辻 真先(つじ まさき、1932年3月23日 -)は、日本の… 辻 真先(つじ まさき、1932年3月23日 -)は、日本のアニメ・特撮脚本家、推理作家、漫画原作者、旅行評論家、エッセイスト、デジタルハリウッド大学名誉教授。 父は自由民主党の衆議院議員・中日電機工業会長の辻寛一。「実家はおでん屋」と語ることもあるが、これは父寛一が栄で「辻かん」というおでん屋を営んでいたからである。愛知県第一中学校、愛知県立明和高等学校、名古屋大学文学部卒業。 1954年、NHKに入局。制作進行、演出、プロデューサーなどを務めた。NHK在局中も脚本の執筆を行っていたが、1962年に退局し、脚本家としてアニメ・特撮などを中心に多くの脚本を担当。 小説家としては旧『宝石』の新人賞候補作が商業誌デビュー作という経歴を持つ。
西長明(にしなが あきら、1932年3月23日 - )は、日… 西長明(にしなが あきら、1932年3月23日 - )は、日本の化学者。大阪工業大学工学部応用化学科元教授。理学博士(大阪市立大学)。日本化学会第11回学術賞受賞者。 専門は、有機化学・有機金属化学/錯体化学、触媒化学・合成化学。 1963年大阪市立大学(現:大阪公立大学)大学院博士課程修了、理学博士(大阪市立大学)。同大学助手を経て、1965年京都大学工学部助手。1986年同学部合成化学教室助教授を経て、1987年大阪工業大学工学部応用化学科教授。1999年大阪工業大学退官。 京都大学・大阪工業大学工学部にて30年以上の長きに渡り教鞭を執り、特に有機金属化学/錯体化学・触媒化学・合成化学の研究・育成に努めた。
新藤 凉子(しんどう りょうこ、1932年〈昭和7年〉3月2… 新藤 凉子(しんどう りょうこ、1932年〈昭和7年〉3月23日 - 2022年〈令和4年〉10月7日)は、日本の詩人。本名は古屋涼子(ふるや りょうこ)。元『歴程』編集発行人。元日本現代詩人会会長。夫は古屋奎二(1931-2000、元産経新聞論説副主幹、近畿大学中国文化史教授)。 1932年、鹿児島県生まれ。幼少期を旧満州(現中国東北部)で過ごした。共立女子大学中退。1952年(昭和27年)、東宝舞台に入社すると共に劇団東童に入団する。1954年(昭和29年)、三木卓らと同人の詩誌『氾』に参加する。その後、舞台衣装研究室を設立する。文壇バーの経営もした。1962年(昭和37年)、早稲田大学聴講生として学んだ後にヨーロッパに渡り、日本に帰国後は草野心平の推薦で『歴程』同人となる。
清原 淳平(きよはら じゅんぺい、1932年3月23日 - … 清原 淳平(きよはら じゅんぺい、1932年3月23日 - )は、東京都出身の社会活動家。本名は北村雅夫(きたむら まさお)。公益財団法人協和協会代表理事兼専務理事、時代を刷新する会専務理事、新しい憲法をつくる国民会議 会長。 1956年、早稲田大学社会科学課程卒業。1958年3月、同大学大学院商学研究科世界経済課程を修了して商学修士。引き続いてその博士課程に進学。西武グループの創業者堤康次郎邸に付属する会長秘書室に勤務した。 堤の秘書を務めていた時期に、吉田茂と岸信介に接する機会を得る。堤は吉田と岸を尊敬していて、月に1回程度、箱根の湯の花プリンスホテルで懇談会を催した。清原は、特に堤から指名され、これにほとんど同行した。
手銭 弘喜(てぜに ひろよし、1932年3月22日 - 19… 手銭 弘喜(てぜに ひろよし、1932年3月22日 - 1993年6月24日)は、日本のテレビ演出家、映画監督。島根県簸川郡出身。 実家は、松江藩に300年仕えた十代あまりも続いている手錢家。長男であったが、実家は手銭記念館として保存されており、弟が後を継いでいる。 映画監督としては日活で基礎を身に着けた。早撮りの腕前が評価され、「暴れん坊将軍」や「太陽にほえろ!」をはじめテレビドラマ作品を中心に活躍したが、劇場映画を撮るチャンスになかなか恵まれず、晩年の「ファンキー・モンキー・ティーチャー」(1991年)が唯一の劇場映画作品となった。 孫は共同テレビジョン所属でドラマプロデューサーの手銭陸。
金子 徳之介(かねこ とくのすけ、1932年3月22日 - … 金子 徳之介(かねこ とくのすけ、1932年3月22日 - 2010年1月11日)は、日本の政治家。
糸久 八重子(いとひさ やえこ、1932年3月22日 - )… 糸久 八重子(いとひさ やえこ、1932年3月22日 - )は、日本の政治家、元日本社会党参議院議員(2期)。 千葉県茂原市出身。千葉県立大原高等学校を経て、1954年千葉大学教育学部卒。千葉県各地で中学教諭を務め、1983年の第13回参議院議員通常選挙で千葉選挙区から日本社会党公認で立候補して当選。2期務めた。1991年に社会党副委員長に就任。1995年の第17回参議院議員通常選挙に出馬せず引退した。
黒見 哲夫(くろみ てつお、1932年(昭和7年)3月22日… 黒見 哲夫(くろみ てつお、1932年(昭和7年)3月22日 - 2017年(平成29年)5月19日)は、日本の政治家。鳥取県境港市長。 鳥取県西伯郡境町(現境港市)出身。父は印刷業黒見宗次。4歳の時母はるえが病死。 1947年鳥取県立境中学校中退。境町役場勤務。1970年境港市役所財政課長。1980年同総務部長。1983年同民生部長。1986年同助役。 1989年12月境港市長就任。体調を崩して療養が必要な状況となり、2004年6月5日に辞職届けを提出した。 2017年5月19日朝、境港市内の病院で亡くなった。
高森 和子(たかもり かずこ、1932年〈昭和7年〉3月21… 高森 和子(たかもり かずこ、1932年〈昭和7年〉3月21日 - )は、日本の元女優、エッセイスト。大阪市東住吉区出身。本名同じ。 小学校時代、友井唯起子にクラシックバレエを4年間習った。1950年、東大谷高等女学校(現・東大谷高等学校)を卒業。学生時代はバレリーナを目指し友井バレエ団に在籍。遠縁に当たる大河内傳次郎の紹介で1951年、大映京都撮影所に入り、映画「上州鴉」でデビュー。 1953年、姉がNHKに在籍していた縁で大阪放送劇団へ入団。「正確な大阪弁が話せる女優」として大阪制作ドラマの売れっ子となる。 1966年、『横堀川』の主人公の妻役や1973年、八千草薫ら三姉妹の母親役を演じた『けったいな人びと』などで、実年齢よりもかなりの老け役を演じて好評を得る。
福島 雄次郎(ふくしま ゆうじろう、1932年3月21日 -… 福島 雄次郎(ふくしま ゆうじろう、1932年3月21日 - 2005年1月21日)は、日本の作曲家。熊本県八代市出身。 終戦後に結核に侵され、23歳まで療養生活を送る。この間、東京音楽学校(現・東京藝術大学)の通信教育で作曲を学び始める。回復後、東京に出るまでは保険の勧誘員やミシンのセールスマン、五木の山に行って飯場の仕事などをしていた。 東洋音楽短期大学(現・東京音楽大学)卒業。作曲を箕作秋吉、指揮法をアルベルト・レオーネに師事。1962年、「ヴァイオリンとオーケストラのためのラプソディー」で第2回TBS賞(日本を素材とする管弦楽曲募集)入賞。1963年、「オーケストラのための<三連画>」で第32回日本音楽コンクール第3位入賞。
加藤 誠(かとう まこと、1932年3月21日 - 2022… 加藤 誠(かとう まこと、1932年3月21日 - 2022年6月26日)は、日本の地質学者。北海道大学名誉教授。地層内において発見される古生物の研究、とりわけ古生代サンゴを専門とする。宮城県出身。 1932年3月に鉱山地質技師の長男として宮城県に生まれる。1954年金沢大学理学部地学科卒業。一度は国家公務員上級職として奉職し、その後、北海道大学大学院理学研究科に入学。1961年に同大大学院理学研究科博士課程を中退し、北海道大学理学部地質学鉱物学科助手となる。1962年3月 北海道大学理学博士 「Fine skeletal structures in Rugosa(ルゴーサ珊瑚骨格の細構造) 」。
今田 勝(いまだ まさる、1932年3月21日 - 2025… 今田 勝(いまだ まさる、1932年3月21日 - 2025年5月30日)は、日本のジャズ・ピアニスト、作曲家。 1932年3月21日、東京生まれ。若い頃、クラシック・ピアノのレッスンを受けた。明治大学在学中に学生バンドでジャズを演奏し、それから1年間ビジネスマンとなって仕事した。その後、プロとして音楽の道を追求することを決心。1953年からクラリネット奏者である北村英治のバンドの一員となった。 1964年から自身のトリオを率いた。1984年にフュージョン・バンドの「NOWIN (ナウイン)」を結成。1970年代からジャズ・フェスティバルで国際的に演奏を行ってきた。 2015年には、コンサートや日本クルーズ客船、太平洋マスターズ等のイベントで活動しており、ライブ・ハウス「六本木サテンドール」には毎月レギュラーで出演していた。
井村 淳(いむら じゅん、1932年3月21日 - 2013… 井村 淳(いむら じゅん、1932年3月21日 - 2013年11月21日)は、日本の人形劇俳優、演出家である。東京都新宿区出身。血液型はO型。 『できるかな』(NHK教育、1970年 - 1990年)にて、操演するキャラクター「ゴン太くん」を務め上げた。
河 美智子(かわ みちこ、1932年3月20日 - )は、大… 河 美智子(かわ みちこ、1932年3月20日 - )は、大阪府出身の元女優。本名は河口 美智子(かわぐち みちこ)。 玉川学園高等部を卒業。 1951年、東宝と専属契約を結び、1952年、『東京の恋人』で映画デビュー。以後、主に看護婦、女中、女工といった庶民的な役柄で出演。1966年、『バンコックの夜』を最後に引退した。