柚木 進(ゆき すすむ、1920年9月28日 - 1997年… 柚木 進(ゆき すすむ、1920年9月28日 - 1997年10月22日)は、広島県呉市山手町出身のプロ野球選手(投手)。1940年代後半-1950年代に南海ホークスのエースとして活躍した。
1920年(大正9年)生まれ:687人
柚木 進(ゆき すすむ、1920年9月28日 - 1997年… 柚木 進(ゆき すすむ、1920年9月28日 - 1997年10月22日)は、広島県呉市山手町出身のプロ野球選手(投手)。1940年代後半-1950年代に南海ホークスのエースとして活躍した。
鈴木 和夫(すずき かずお、1920年9月27日 - 201… 鈴木 和夫(すずき かずお、1920年9月27日 - 2011年1月18日)は、日本の経営者。凸版印刷社長を務めた。 東京都出身。1944年に東京商科大学を卒業し、同年に凸版印刷に入社。1967年1月に取締役に就任し、1969年1月に常務、1971年1月に副社長を経て、1973年12月から1981年3月までに東京書籍社長を務めた。1978年8月に再び凸版印刷副社長に就任し、1981年2月には社長に昇格。1991年6月に会長に就任し、1993年6月に取締役相談役を経て、1998年6月に特別相談役に就任。 1985年4月に藍綬褒章を受章。 2011年1月18日に多臓器不全のために死去。90歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
梶岡 忠義(かじおか ただよし、1920年9月26日 - 2… 梶岡 忠義(かじおか ただよし、1920年9月26日 - 2003年3月23日)は、昭和中期(1940年代後半-1950年代前半)のプロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。現役時代は阪神タイガースで活躍し、引退後は阪神の投手コーチを務めた、大阪府大阪市出身。 成器商業学校から専修大学へ進学。専修大学時代は4番(ないし5番)エースとして、東都大学リーグで6季連続優勝に貢献した。専修大学卒業時に阪神から声がかかったが、学徒出陣となり満州へ行くこととなる。1946年に満州から帰国し、発足した中央工業の野球部に入る。 翌1947年2月1日に南海から勧誘されるが、阪神への義理を通し、自ら電話で阪神に連絡をとり、阪神に入団する。
亀長 友義(かめなが ともよし、1920年9月26日 - 2… 亀長 友義(かめなが ともよし、1920年9月26日 - 2011年1月17日)は、日本の農林官僚、政治家。参議院議員(2期)、全国農業共済協会長。 徳島県三好市池田町生まれ。徳島県立池田中学校卒業。第六高等学校在学中は江尻宏一郎(元三井物産社長)と柔道部に所属した。 東京帝国大学法学部卒業後、1943年 農林省入省(馬政局嘱託)。食糧庁総務部企画課長、水産庁生産部長、林野庁林政部長、農林経済局長、大臣官房長、食糧庁長官を経て、1972年 農林事務次官に就任。退官後は大日本水産会長に就任。 1977年の第11回参議院議員通常選挙徳島県選挙区で自由民主党から出馬し、初当選。2期務める。 1989年の第15回参議院議員通常選挙で連合の乾晴美にやぶれ落選。
加藤 寛嗣(かとう かんじ / ひろつぐ、1920年(大正9… 加藤 寛嗣(かとう かんじ / ひろつぐ、1920年(大正9年)9月26日 - 2002年(平成14年)3月17日)は、第14代四日市市長。三重県四日市市塩浜地区馳出町出身。 三重県四日市市の旧家の加藤寛の長男で、三重県知事の田中覚は従兄弟であった。ハワイ州で生まれた。1944年(昭和19年)9月に東京帝国大学経済学部を卒業し、津海軍工廠に配属され終戦を迎えた。1945年(昭和20年)11月、三菱銀行に入行した。1946年(昭和21年)4月、日本肥料株式会社四日市工場に転じた。東海瓦新化成株式会社、三菱油化株式会社旭工場総務部長を経て、1967年(昭和42年)12月に三菱油化を退職した。 その間、1947年(昭和22年)に四日市市議会議員に当選し、以後12年間に各委員長、副議長を歴任した。
高木 彬光(たかぎ あきみつ、1920年〈大正9年〉9月25… 高木 彬光(たかぎ あきみつ、1920年〈大正9年〉9月25日 - 1995年〈平成7年〉9月9日)は、日本の推理作家。本名は高木 誠一(たかぎ せいいち)。津軽方言詩人・医師の高木恭造の甥に当たる。 青森県青森市生まれ。4代続いた医者の家系だった。幼少時に母親と死別。 旧制青森中学校(現:青森県立青森高等学校)から四修で第一高等学校理科乙類に入学。東京帝国大学理学部化学科の受験に失敗し、京都帝国大学薬学部に進んだが1年で中退、京都帝国大学工学部冶金学科卒。 非嫡出子として生まれ、一高入学の年に父親が亡くなり、家は破産して一家は離散し、親族からの援助で学業を続けた。その暗い生い立ちのせいもあってか、「出身地・青森」には生涯思い入れを見せなかった。
村上 一郎(むらかみ いちろう、1920年(大正9年)9月2… 村上 一郎(むらかみ いちろう、1920年(大正9年)9月24日 - 1975年(昭和50年)3月29日)は、日本の文芸評論家、歌人、小説家。日本浪曼派に共感した。 東京で生まれ、父はホーリネス教会派のクリスチャンだった。栃木県宇都宮市で育つ。旧制宇都宮中学校(現栃木県立宇都宮高等学校)を経て、東京商科大学(現・一橋大学)予科に進学。高島善哉ゼミ出身。 1943年に大学を卒業後、短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入校。小島直記らは同期生にあたる。1944年3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年3月、海軍主計大尉に昇進し終戦を迎えた。 戦後は三菱化成(現三菱ケミカルホールディングス)に入社したがやがて退社。
渓間 秀典(たにま しゅうてん、1920年9月24日 - 1… 渓間 秀典(たにま しゅうてん、1920年9月24日 - 1989年7月1日)は、プロ野球球団阪急ブレーブスの球団代表、球団社長。 大阪市の天満にある万福寺の住職の次男として生まれる。 龍谷大学文学部に進学し、映画監督の松林宗恵とは同期であった。1944年に大学卒業した後に、海軍航空隊に志願し、海軍士官となる。 復員後は、京阪神急行電鉄に入社。 1968年10月にパ・リーグ会長に就任した岡野祐の後任として、プロ野球球団阪急ブレーブスの球団代表に就任した。1976年から1978年までは球団社長を務めた。 1989年7月1日に心不全のために死去。68歳没。
奥村 輝之(おくむら てるゆき、1920年 <大正9年> 9… 奥村 輝之(おくむら てるゆき、1920年 <大正9年> 9月23日 - 2009年 <平成21年> 5月11日 )は、日本の経営者。太陽神戸銀行頭取を務めた。位階は正四位。 大阪府大阪市出身。1941年に高文行政科に合格し、1942年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に大蔵省に入省。1972年11月に神戸銀行(のちの太陽神戸銀行)常務に就任し、常務、専務、副頭取を経て、1983年6月には頭取に昇格した。1987年6月に会長に就任し、1990年4月に太陽神戸三井銀行(のちのさくら銀行)会長に就任し、1991年6月に相談役、1998年7月に常任顧問、2000年4月に名誉顧問を歴任した。 関西テレビ放送監査役、兵庫県公安委員会委員長も務めた。
村山 利雄(むらやま としお、1920年9月23日 - 20… 村山 利雄(むらやま としお、1920年9月23日 - 2020年9月24日)は、日本の経営者。日立造船社長を務めた。宮崎県都城市出身。 1941年に長崎高等商業学校を卒業し、同年に日立造船に入社。1975年5月に取締役に就任し、1977年6月に常務を経て、1979年6月に副社長に就任し、1983年6月から1988年6月までに社長を務めた。 2020年9月24日急性肺炎のために死去。100歳没。
高橋 國雄(たかはし くにお、1920年〈大正9年〉9月22… 高橋 國雄(たかはし くにお、1920年〈大正9年〉9月22日 - 2016年〈平成28年〉8月1日)は、日本の政治家。位階は従四位。千葉県市川市長を務めた(5期)。 千葉県市川市に生まれる。法政大学商業学校(現法政大学中学校・高等学校)を経て、法政大学専門部政治経済科卒業。1940年(昭和15年)に市川市役所に入り、同市総務部長、同市助役を務める。 1977年(昭和52年)に市川市長選挙に出馬し、初当選する。以降5期連続当選し、1997年(平成9年)に退任する。 1998年(平成10年)に勲三等旭日中綬章を受章する。 1999年(平成11年)に市川市から名誉市民を贈られる。 2016年8月1日、心不全のため死去。
高橋 敬典(たかはし けいてん、1920年9月22日 - 2… 高橋 敬典(たかはし けいてん、1920年9月22日 - 2009年6月23日)は、日本の金工家。 山形県山形市銅町出身。茶の湯釜で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。本名は高橋高治(たかじ)。 映画監督の村川透は女婿。 社団法人日本工芸会参与、山形鋳物工業団地協同組合副理事長、山形市輸出入組合理事、山形県物産協会理事等を歴任。
崔 慶禄(チェ・ギョンノク、최경록、1920年9月21日 -… 崔 慶禄(チェ・ギョンノク、최경록、1920年9月21日 - 2002年9月2日)は、大韓民国の軍人、外交官、政治家。本貫は慶州崔氏。創氏改名時の日本名は新田慶吉。 5・16軍事クーデター当時は朴正煕の直属の上官であり、第四共和国期に22代交通部長官、第五共和国期には国会議員を経て7代駐日大使を務めた。 1920年9月、日本統治時代の忠清北道陰城郡に生まれる。陰城三成普通学校を卒業した後、内地に留学し豊橋中学校で学んだ。 1938年、日本陸軍に志願(志願兵1期)。1939年12月、陸軍兵志願者訓練所を修了して歩兵第79連隊に配属。同世代の中で最も優秀な成績であり、下士官候補生に選ばれた。そこで中隊長の松田靖彦大尉に目をかけられ、彼の推薦で陸軍士官学校の試験にも合格したほか、1942年秋、汝威島での演習中に引き合わされた小野武雄中佐に薫陶を受ける。
堀井 岸雄(ほりい きしお、1920年9月21日 - 201… 堀井 岸雄(ほりい きしお、1920年9月21日 - 2014年3月)は、日本の社会学者。元八幡大学(現:九州国際大学)学長。福岡県門司市(現北九州市)生まれ。 福岡県門司市に生まれ、昭和13年(1938年)に門司中学校を卒業後、一旦門司鉄道管理局に就職したが、昭和15年(1940年)4月、八幡大学の前身である戸畑市の九州専門学校法政科に入学する。昭和17年(1942年)には東北帝国大学法文学部社会学科に入学した。大学では新明正道教授に師事した。昭和18年(1943円)12月、学徒動員で応召、久留米第12師団に入隊する。翌年9月に復員し、大学に復学した。昭和23年(1948年)、母校である戸畑専門学校(前九専)に社会学と心理学の担当教授として就任し、以後八幡大学の教授、学長を歴任するに至った。
三浦 種敏(みうら たねとし、1920年(大正9年)9月21… 三浦 種敏(みうら たねとし、1920年(大正9年)9月21日 - 2004年(平成16年)1月19日)は、日本の海軍技術大尉、学者。専門は電気音響工学。 1920年9月21日、青森県五戸町生まれ。1943年9月、東北帝国大学工学部電気工学科卒業。1945年3月、海軍技術大尉。同年11月、逓信省電気試験所に入所し、4号電話機の開発に従事。1952年8月、日本電信電話公社入社。1957年8月、工学博士(東北大学)。1959年、日本電信電話公社電気通信研究所伝送研究室室長。1962年、日立製作所中央研究所入所。1977年、東京電機大学工学部電気通信工学科教授。2004年1月19日、83歳で死去。 1985年5月から1987年まで、日本音響学会会長を務めた。
栗本 正(くりもと ただし、1920年(大正9年)9月19日… 栗本 正(くりもと ただし、1920年(大正9年)9月19日 - 1986年(昭和61年)10月28日)は、日本の声楽家(バス、バリトン)、オペラ歌手、音楽教育者、合唱指揮者。元名古屋芸術大学学長。妻も声楽家(メゾソプラノ)の栗本尊子。 台湾出身。父は三輪神社(石川県)等の社掌であったが、台湾基隆神社社掌補任により移住したため、現地にて出生。父の任期満了により帰国、神奈川県立川崎中学校(旧制)卒業。1937年(昭和12年)東京音楽学校入学。同期に中山悌一がいる。1941年(昭和16年)東京音楽学校声楽科卒業。1943年(昭和18年)東京音楽学校研究科修了。宮廷歌手ヘルマン・ヴーハープフェニッヒに師事。
沢田 誠一(澤田 誠一、さわだ せいいち、1920年9月18… 沢田 誠一(澤田 誠一、さわだ せいいち、1920年9月18日 - 2007年6月5日)は、日本の小説家。北海道を代表する文芸同人誌『札幌文学』『北方文芸』の編集人・発行人としても活躍。元・財団法人北海道文学館理事長。 1920年(大正9年)、北海道札幌郡豊平町大字平岸村(現・札幌市豊平区平岸)で、リンゴ農家を営み、同町の町会議員も務めた澤田清五郎の五男として生まれる。札幌商業学校(現・北海学園札幌高等学校)第16期卒。札商卒業の頃から作歌を開始し、1941年(昭和16年)に陸軍高射砲学校入学。高射砲学校卒業後は小樽、北千島などに赴任、敗戦時は埼玉県栗橋町の高射砲陣地の中隊長。1947年(昭和22年)に西尾廣子と結婚。
小松 勇五郎(こまつ ゆうごろう、1920年(大正9年)9月… 小松 勇五郎(こまつ ゆうごろう、1920年(大正9年)9月18日 - 1995年(平成7年)12月23日)は、広島県出身の通産官僚。通商産業事務次官。神戸製鋼会長。位階は従三位。勲一等瑞宝章。 呉第一中学、広島高等学校文科乙類、東京帝国大学法学部卒業。1944年軍需省入省、整備局配属。戦後は通商産業省へ移り、広島通産局、鉄鋼局鉄鋼政策課、企業局企業第一課勤務を経て、1953年外務省経済局スターリング課に出向、1955年-1960年在西ドイツ大使館一等書記官としてボンに駐在。帰国後ヨーロッパ経済の実情を『小松レポート』にまとめ論客として登場した。 通商局国際経済課長、重工業局産業機械課長、企業局企業第一課長、大臣官房総務課長、通商局国際経済部長(1968年~1971年)、官房長(1971年6月~1972年5月)、通商局長(1972年6月~、次の和田敏信局長で通商政策局と改組)、初代産業政策局長(1973年7月~、企業局から改組)を経て、事務次官(1974年11月~1976年7月)。
柳田 盈文(やなぎた つねふみ、1920年9月18日 - 1… 柳田 盈文(やなぎた つねふみ、1920年9月18日 - 1991年2月10日)は、日本の経営者。東急建設社長を務めた。神奈川県横浜市出身。 1937年に東京横浜電鉄(のちの東京急行電鉄)に入社し、1940年には攻玉社高等工学校土木科を卒業。 1970年に取締役に就任し、1973年に常務、1985年に専務を経て、1985年12月には東急建設社長に就任。1990年6月には副会長に退いた。 1991年2月10日肺炎のために死去。70歳没。
齋藤 裕(さいとう ひろし、1920年 <大正9年> 9月1… 齋藤 裕(さいとう ひろし、1920年 <大正9年> 9月18日 - 2000年 <平成12年> 10月6日)は、日本の実業家。位階は従三位。 1987年から1993年まで新日本製鐵(新日鉄、現日本製鉄)社長、1993年から1998年まで新日鉄会長、1994年から1998年まで経済団体連合会評議員会議長を務めた。国際鉄鋼協会会長等も歴任した。 東京市日本橋大伝馬町出身。1938年に東京府立第一中学校を卒業後、東京商科大学(現・一橋大学)に進学した。八幡製鐵に入社。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、1942年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。
塚本 幸一(つかもと こういち、1920年9月17日 - 1… 塚本 幸一(つかもと こういち、1920年9月17日 - 1998年6月10日)は日本の実業家。ワコール創業者。日本会議初代会長。 TVドラマ『西部警察』、日本全国縦断ロケ、PART-III第49話「京都・幻の女殺人事件-京都篇-」において本人役で出演している。
荘子 邦雄(しょうじ くにお、1920年9月16日 - 20… 荘子 邦雄(しょうじ くにお、1920年9月16日 - 2021年3月25日)は、日本の法学者。専門は刑法。東北大学名誉教授。札幌学院大学名誉教授。法学博士(北海道大学、1962年)。兵庫県出身。叙従三位。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
和崎 洋一(わざき よういち、1920年9月16日 - 19… 和崎 洋一(わざき よういち、1920年9月16日 - 1992年6月29日)は、日本の人類学者。京都大学名誉教授。 京都府京都市出身。第三高等学校を経て、1945年京都大学理学部卒業。京大教授時代には京都大学アフリカ学術調査隊に参加。梅棹忠夫とは三高の同級生で京都大学アフリカ学術調査隊に参加した良き友人だった。その後は富山大学人文学部教授、中部大学国際関係学部教授を歴任した。 実の息子にWOWOW代表取締役社長の和崎信哉、文化人類学者で中部大学国際関係学部教授の和崎春日がいる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
高田 卓爾(たかだ たくじ、1920年9月16日 - )は、… 高田 卓爾(たかだ たくじ、1920年9月16日 - )は、日本の法学者。専門は刑事法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)。大阪大学名誉教授、大阪市立大学名誉教授。鳥取県出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
岸 俊男(きし としお、1920年9月15日 - 1987年… 岸 俊男(きし としお、1920年9月15日 - 1987年1月21日)は、日本史学者、京都大学名誉教授、専門は日本古代史。 1920年、古社寺修理技師・岸熊吉の子として京都市上京区に生まれ、直後に父の仕事の都合で奈良市に移り、以後生涯の拠点であった。奈良県立奈良中学校・第三高等学校を経て、京都帝国大学文学部史学科に入るが、学徒動員によって満足に学業に打ち込めないまま、1944年9月に卒業。直後に再度召集を受けて海軍少尉となった。敗戦後に京都帝国大学大学院生として学業復帰を認められ、復学した。 1946年9月、京都帝国大学助手に採用された。1951年、奈良女子大学文学部講師となり、1953年に助教授昇格。
田中 徳三(たなか とくぞう、1920年9月15日 - 20… 田中 徳三(たなか とくぞう、1920年9月15日 - 2007年12月20日)は、日本の映画監督である。関西学院大学文学部卒業。大阪市東区(現・中央区)船場出身。
和田 夏十(わだ なっと、1920年(大正9年)9月13日 … 和田 夏十(わだ なっと、1920年(大正9年)9月13日 - 1983年(昭和58年)2月18日)は、兵庫県姫路市出身の脚本家。映画監督・市川崑の妻。本名は市川 由美子(いちかわ ゆみこ)、旧姓は茂木(もぎ)。
渋谷 守生(しぶや もりお、1920年(大正9年)9月13日… 渋谷 守生(しぶや もりお、1920年(大正9年)9月13日 - 2014年(平成26年)12月13日)は、日本の政治家。東京都議会議長を務める等、政治家として活躍する傍らで将棋の普及にも大きく貢献し、2012年に日本将棋連盟からアマチュア八段を授与された。位階は正五位。 以下、将棋関係の連載、コラム等多数 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
池本 正夫(いけもと まさお、1920年(大正9年)9月13… 池本 正夫(いけもと まさお、1920年(大正9年)9月13日 - 2001年(平成13年)5月26日)は、昭和から平成時代の政治家。京都府宇治市長。 宇治市出身。莵道青年学校卒業。 宇治市議会議員4期、1973年(昭和48年)市議会議長、1977年(昭和52年)宇治商工会議所副会頭を経て、1980年(昭和55年)以来、宇治市長に4選。1996年(平成8年)引退した。 2001年(平成13年)5月26日、胃がんのため京都府宇治市の病院で死去した。
後藤 喜八郎(ごとう きはちろう、1920年(大正9年)9月… 後藤 喜八郎(ごとう きはちろう、1920年(大正9年)9月12日 - 2007年(平成19年)11月1日)は、日本の政治家。日本社会党に所属し、東京都武蔵野市議会議員・副議長、第2代武蔵野市長を歴任した。1960年代から1970年代にかけて日本各地に多く誕生した革新系首長の一人である。 1920年(大正9年)9月12日、東京府北多摩郡武蔵野村(のちの東京都武蔵野市)に生まれる。 1943年(昭和18年)8月、中央大学法学部を中退。終戦時には第三〇二海軍航空隊に中尉として所属し、厚木航空隊事件に際しては上官の小園安名大佐の命により「抗戦の使者」として谷田部海軍航空隊へ駆り出されたものの、同隊の説得を断念している。
金澤 武(かなざわ たけし、1920年〈大正9年〉9月11日… 金澤 武(かなざわ たけし、1920年〈大正9年〉9月11日 - 2003年〈平成15年〉5月26日)は、日本の船舶工学者、溶接工学者、構造力学者、材料力学者、破壊力学者、材料強度学者。工学博士。東京大学名誉教授、日本造船学会名誉員。 福井県福井市清川上町80番地(現 福井市松本1丁目)の福井中学校の博物教師・金澤祿郞の次男として出生。1923年(大正12年)9月の父の新潟中学校への異動に伴って新潟県新潟市学校町通3番町(現 新潟市中央区)に転居。 1938年(昭和13年)3月に新潟中学校を卒業、1941年(昭和16年)3月に新潟高等学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に東京帝国大学第一工学部船舶工学科を半年繰り上げ卒業、東京帝国大学第一工学部大学院に入学。
前田 金五郎(まえだ きんごろう、1920年9月11日 - … 前田 金五郎(まえだ きんごろう、1920年9月11日 - 2013年2月21日)は、日本の国文学者。専門は日本近世文学、特に井原西鶴。専修大学名誉教授。 1920年、静岡県清水市に生まれる。1944年、東京文理科大学文学科国語国文学専攻卒業。大阪府立岸和田中学校教諭を経て、1945年に応召。復員後、複数の高校で教鞭を執った後、1966年専修大学文学部国文科助教授に就任。1972年、同教授。1991年、専修大学を定年退職し、名誉教授となった。2013年2月21日、消化管出血のため東京都で死去。 小西甚一が「怪物」と評するほど、博識な人物として知られた。
伊達 得夫(だて とくお、1920年9月10日 - 1961… 伊達 得夫(だて とくお、1920年9月10日 - 1961年1月16日)は日本の編集者、出版社経営者。書肆ユリイカ代表。 釜山広域市生まれ。旧制京城中学校卒業まで、京城で過ごす。旧制福岡高等学校を経て、1943年、京都帝国大学経済学部卒業。出征して北支や内蒙古で転戦し、戦後に上京して前田出版社に勤務。 原口統三『二十歳のエチュード』の出版を手がけ、同書をベストセラーとする。1948年、同書の紙型を持って独立し、書肆ユリイカを創立。1950年頃から主に詩書を出版。1956年、詩誌『ユリイカ』を創刊。没後の1962年に遺稿集『ユリイカ抄』が刊行され、その業績により第1回藤村記念歴程賞を受けた。
藤井 桑正(ふじい そうしょう、1920年9月9日 - 20… 藤井 桑正(ふじい そうしょう、1920年9月9日 - 2000年8月5日)は朝日放送(ABC)元会長・社長。 大阪府泉南市出身。大阪府立岸和田高等学校、東京帝国大学経済学部卒業後、朝日新聞社へ入社。その後、朝日放送へ中途入社。営業局長、編成局長、総務局長、1974年常務、1979年専務、1983年副社長を経て、1990年6月社長に就任。1995年6月会長へ就任。1999年に相談役へ退く。その他には日本民間放送連盟副会長も務めた。2000年8月5日、胃ガンのため79歳で死去。 社長時代の1992年頃、やしきたかじんが警備員の態度の悪さに腹を立て、ラジオ番組内で「(朝日は)アホから偉くなる放送局」と発言し、当時の副社長が激怒した事件があり、副社長は口論の末、たかじんに一生立ち入り禁止処分を下した。
杉山 茂樹(すぎやま しげき、1920年9月9日 - 199… 杉山 茂樹(すぎやま しげき、1920年9月9日 - 1992年12月20日)は、日本の映画プロデューサー。松竹大船撮影所で活躍後、国際放映に転じ、テレビ映画を手がけた。 静岡県立静岡中学校、京都大学文学部哲学科卒業。松竹京都撮影所で日活出身の市川哲夫監督の映画『我輩は探偵でアル』(1949年(昭和24年)5月23日公開)を、マキノ正博監督の『非常線』(1947年)のプロデューサー・小倉浩一郎のもとで製作、プロデューサーとしてデビュー。1960年(昭和35年)11月30日に公開された番匠義彰監督の映画『浮気のすすめ 女の裏窓』で初めて松竹大船撮影所作品を手がけた。1961年(昭和36年)8月6日に公開された、酒井辰雄監督の映画『ひとり寝』を最後に、12年間で79本を製作してきた松竹京都を去り、大船撮影所へ異動。
浜本 万三(はまもと まんそう、1920年9月9日 - 20… 浜本 万三(はまもと まんそう、1920年9月9日 - 2008年1月21日)は、日本の政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。 参議院議員(3期)、日本社会党参議院議員会長、参議院社会労働委員長、労働大臣(第60代)などを歴任した。 広島県尾道市出身。向東高等小学校卒業。 広島電気(現:中国電力)に入社後、労働運動に参加した。日本電気産業労働組合広島県支部委員長や広島県労働組合会議議長などを歴任した。 1974年の第10回参議院議員通常選挙で日本社会党から立候補し、初当選を果たした。以来、通算18年(2回落選)の国政生活を送る。社会党右派の系譜に連なる政権構想研究会に所属した。在任中は社会党参議院議員会長や参議院社会労働委員長などを歴任。
井出 源四郎(いで げんしろう、1920年9月7日 - 20… 井出 源四郎(いで げんしろう、1920年9月7日 - 2008年11月28日)は日本の医学者。専門は病理学。第8代千葉大学学長。 長野県南佐久郡臼田町(現佐久市)生まれ。旧制野沢中学(長野県野沢北高等学校)、旧制松本高等学校理科乙類を経て,、1944年旧制千葉医科大学卒業。母校助手を経て、1956年同助教授。1957年医学博士(千葉大学)。論文の題は「潰瘍性関節症の病理学的研究 」。1965年教授、1978年医学部長、1982年学長を歴任。1988年退官、名誉教授。1993年勲二等旭日重光章受勲。 1961年刊行の『中日英医学用語辞典』の編集委員長を務めた他、著書に『喫煙と肺癌』、『最新病理組織学』などがある。
堀内 幸枝(ほりうち さちえ、1920年9月6日 - 202… 堀内 幸枝(ほりうち さちえ、1920年9月6日 - 2021年10月11日)は、日本の詩人。 山梨県東八代郡御代咲村(現笛吹市)生まれ。本姓・千葉。大妻専門学校卒。 22歳で甲府在住の千葉幸男と結婚するが、姑とあわず、3ヶ月で婚家を出て、夫を誘い東京に出て二人で生活する。 神保光太郎、深尾須磨子らの知遇を得て『四季』などに詩を発表する。詩誌『葡萄』発行人。中田喜直、田中隆司の作曲により歌曲となった作品も多数ある。 現代詩人会会員。101歳で死去。 夫の千葉幸男は、上野精養軒に勤め、社長、会長、のち相談役。
三﨑 千恵子(みさき ちえこ、本名:宮阪 トシ、旧姓:榊原、… 三﨑 千恵子(みさき ちえこ、本名:宮阪 トシ、旧姓:榊原、1920年(大正9年)9月5日 ‐ 2012年(平成24年)2月13日)は、東京府北豊島郡西巣鴨町(現:東京都豊島区)出身の女優。東洋高等女学校卒業。夫は宮阪将嘉(1997年に死別)。 家業は青果問屋であった。 東洋高等女学校卒業後、白木屋(現在の東急百貨店)に入社。そこのコーラス部に入ったことがきっかけで、1939年に松竹演芸部に歌手として所属。 その後、ムーランルージュなどを経て、1954年に劇団民藝へ入団(新藤兼人監督の『どぶ』でスクリーンデビューも果たす)。 1967年に劇団を退団。 1969年から始まった『男はつらいよ』シリーズに車寅次郎のおばちゃん・車つね役として計49作で起用され、これが当たり役となる。
上村 占魚(うえむら せんぎょ、1920年9月5日 - 19… 上村 占魚(うえむら せんぎょ、1920年9月5日 - 1996年2月29日)は俳人、随筆家。熊本県人吉市生まれ。本名・武喜。東京美術学校卒。『ホトトギス』同人。松本たかしに師事。『みそさざい』主宰。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
萩原 葉子(はぎわら ようこ、1920年〈大正9年〉9月4日… 萩原 葉子(はぎわら ようこ、1920年〈大正9年〉9月4日 - 2005年〈平成17年〉7月1日)は、日本の小説家、エッセイスト。 詩人萩原朔太郎と最初の妻、稲子(旧姓上田)との長女として東京本郷の東京帝大構内の前田侯爵邸に生まれ、大井町、田端、鎌倉材木座、馬込、前橋、下北沢などを転々として育つ。2歳下の妹・明子がいる。8歳の時両親が離婚し、前橋の祖母(朔太郎の母)宅に預けられた。権勢を振るう祖母の圧迫で、2番目の妻と離婚させられた朔太郎が1942年、55歳で死ぬという辛酸をなめ、このことがのち小説『蕁麻の家』に描かれることになる。 1938年、精華高等女学校(現・東海大学付属望洋高等学校)卒業、同年文化学院入学。
有働 亨(うどう とおる、1920年9月3日 - 2010年… 有働 亨(うどう とおる、1920年9月3日 - 2010年6月30日)は、俳人。
橡川 一朗(とちかわ いちろう、1920年9月3日 - 20… 橡川 一朗(とちかわ いちろう、1920年9月3日 - 2019年)は、日本の西洋中世史家。東京都立大学名誉教授。 中近世ヨーロッパにおける家父長的奴隷制説を提起して、通説と鋭く対立し、特に日本におけるドイツ史研究に大きな影響を及ぼした。また、家父長的奴隷制説を証明する史料として、ドイツのグリム編『ヴァイステューマー』を重視し、その本格的解読に取り組んだわが国の先駆的研究者でもある。日本史についても、安良城盛昭の家父長制的奴隷制論と連携し、『源氏物語』や親鸞などに関して独自の見解を示し、家父長的奴隷制を軸とする射程範囲の広い歴史観を展開していた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
佐藤 武敏(さとう たけとし、1920年9月3日- 2019… 佐藤 武敏(さとう たけとし、1920年9月3日- 2019年8月31日)は、日本の東洋史学者、大阪市立大学名誉教授。古代中国の交易・水利の研究などを行い、 1920年、山形県で生まれた。東北帝国大学法文学部を卒業し、同大学大学院中退。 卒業後は大阪市立大学助教授に就いた。のち教授昇格。1961年、学位論文『中国古代工業史の研究』を東北大学に提出して文学博士号を取得。1984年に大阪市立大学を定年退官し、同校の名誉教授となった。退任後も流通科学大学などで教鞭をとった。2019年に死去。
大野 百樹(おおの ももき、1920年〈大正9年〉9月3日 … 大野 百樹(おおの ももき、1920年〈大正9年〉9月3日 - 2019年〈平成31年〉3月1日)は、昭和から平成の日本画家。本名は大野慶蔵。 埼玉県秩父に生まれる。 小谷津任牛や奥村土牛に師事する。1948年(昭和23年)再興第33回院展にて初入選。ほか1986年(昭和61年)再興第71回院展にて日本美術院賞(大観賞)、2008年(平成20年)再興第93回院展にて文部科学大臣賞、2011年(平成23年)再興第96回院展にて内閣総理大臣賞などを受賞した。2001年(平成13年)10月17日、日本美術院同人に推挙された。2019年(平成31年)3月1日、肺炎のため死去。98歳。代表作に『谷川岳』など。
江尻 宏一郎(えじり こういちろう 1920年9月1日 - … 江尻 宏一郎(えじり こういちろう 1920年9月1日 - 2015年4月21日)は、日本の実業家。三井物産第6代社長。神奈川県横浜市生まれ。位階は従三位。 父は三井物産勤務の商社マンだった。東京府立一中卒業後、柔道の力量を見込まれ第六高等学校に入学した。六高を経て、東京帝国大学法学部入学。中学時代から柔道部に所属し、六高、東大と通じてキャプテンを務めた。六高柔道部先輩に永野重雄、同部同期に亀長友義(参議院議員、農林事務次官)らがいた。同じクラスの石井多加三(国際電電社長、郵政事務次官)とは親友だった。1943年(昭和18年)9月、戦時中の折、東京帝大法学部を繰り上げ卒業し、父と同様三井物産入社。
王馬 熙純(おう・ま・きじゅん、1920年9月1日 - 20… 王馬 熙純(おう・ま・きじゅん、1920年9月1日 - 2018年6月11日)は、中国出身の日本の料理研究家。日本に帰化、本名・王城純子〈おうき・じゅんこ〉。 中国・ハルビン出身。水運業、酒精工場、イースト工場、銀行業などを手がけた実業家である馬延喜の長女として生まれる。レオ・シロタに師事することを希望し、母を伴って三兄と妹とともに日本に留学した。1937年に東京音楽学校予科に入学。1938年から同校本科器楽部ピアノ専攻で学び1941年3月に卒業。同年4月に同校研究科器楽部ピアノ専攻に進学した。1942年に東京音楽学校の満州国建国十周年慶祝音楽使節団にピアニストとして参加し、満洲、朝鮮の各地を巡って演奏した。
渡邉 渡(わたなべ わたる、1920年9月 - 2011年4… 渡邉 渡(わたなべ わたる、1920年9月 - 2011年4月21日)は、日本の経済史学者。特に明治維新の時期を中心とした日本経済史を専門とした。前身の大倉経済専門学校の時代を含め、東京経済大学に長く勤め、経済学部長、学長(1984年 - 1988年)を歴任した。 1920年東京に生まれる。大倉財閥が創設した大倉高等商業学校(東京経済大学の前身校)に学び、1943年に慶應義塾大学経済学部を卒業した。商工組合中央金庫勤務を経て、1946年に大倉経済専門学校と改称していた母校の講師となった。1949年、新制大学として東京経済大学が発足すると、専任講師となり、1951年に助教授、1958年に教授と昇進した。
安宅 常彦(あんたく つねひこ、1920年〈大正9年〉8月3… 安宅 常彦(あんたく つねひこ、1920年〈大正9年〉8月31日 - 1998年〈平成10年〉10月18日)は、昭和期の労働運動家、政治家。日本社会党衆議院議員(6期)。全電通東北地方本部委員長、山形県労働組合評議会議長、日朝国交正常化国民会議事務局長を務めた。 現在の山形県村山市で生まれる。1936年(昭和11年)仙台逓信講習所普通科を卒業。山形楯岡郵便局、山形電気通信部で勤務した。 1952年(昭和27年)全電通東北地方本部委員長、1955年(昭和30年)山形県労働組合総評議会議長に就任する。 1960年(昭和35年)第29回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選。以来、旧山形2区から日本社会党の公認を受け立候補し、連続6回当選する。
上田 毅八郎(うえだ きはちろう、1920年8月30日 - … 上田 毅八郎(うえだ きはちろう、1920年8月30日 - 2016年6月18日)は、日本の画家である。海洋船舶画家として、模型メーカー・タミヤの「ウォーターラインシリーズ」をはじめとするボックスアートで知られる。 静岡県藤枝市鬼岩寺に生まれ、静岡市千代田で育つ。上田は子供のころから「子供の科学」「航空少年」といった少年雑誌を見ながら、船舶や飛行機の絵を盛んに模写していた。 1941年(昭和16年)、徴兵の為帝国陸軍の高射砲連隊(浜松市)に入営。後に船舶部隊(暁部隊)の船舶砲兵に転科、陸軍徴用船である軍隊輸送船に乗船し備砲たる高射砲の操作要員(船砲隊員)となり(船舶砲兵第1連隊)、太平洋戦争における数々の輸送任務に従軍。