牧島 功(まきしま いさお、1944年10月18日 - 20… 牧島 功(まきしま いさお、1944年10月18日 - 2025年2月27日)は、日本の政治家。第98代神奈川県議会議長。神奈川県政の重鎮として知られ、小泉純也・純一郎・進次郎と三代にわたって小泉家を支えた。娘は衆議院議員の牧島かれん。 横須賀市生まれ。横須賀高校を経て、1967年明治大学商学部卒業。小泉純一郎の弟と同級生だった縁から、小泉家の選挙運動に協力する。大学卒業後、1967年~1974年にかけて、小泉純也・純一郎の秘書を務めた。1975年横須賀市議会議員に初当選。同職を3期務めた後、1987年に神奈川県議会議員に初当選。9期務めた。2005年には、第98代神奈川県議会議長を務めた。県議引退後、まちづくり・人づくりコーディネーターとして活動したほか、FMブルー湘南の立ち上げに関与した。
日下 正勝(くさか まさかつ、1944年10月17日 - )… 日下 正勝(くさか まさかつ、1944年10月17日 - )は、宮城県石巻市出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 東北高等学校では1961年、2年生の時に夏の甲子園に左翼手として出場。2回戦で岐阜商に敗退。高校同期に及川宣士投手、村上宏通二塁手(阪急)がいる。 1962年に大洋ホエールズへ入団。1964年にイースタンリーグの本塁打王と打点王を獲得。同年のジュニアオールスターにも出場する。翌1965年もイースタンリーグ本塁打王を再度獲得。1966年には一軍に定着し、左翼手として16試合に先発出場。その後は守備固め外野手としての出場が多かったが、次第に粘り強い打撃が評価され、左投手への代打として起用される。
町村 信孝(まちむら のぶたか、1944年〈昭和19年〉10… 町村 信孝(まちむら のぶたか、1944年〈昭和19年〉10月17日 - 2015年〈平成27年〉6月1日)は、日本の政治家。
金城 眞吉(きんじょう しんきち、1944年10月16日 -… 金城 眞吉(きんじょう しんきち、1944年10月16日 - 2017年11月16日)は、日本のアマチュアボクシング指導者。沖縄県出身。那覇市立首里中学校、沖縄県立南部農林高等学校及び日本大学卒業。 高校・大学とボクシング部に在籍しフェザー級・アマチュア選手として活躍。地方公務員(配属先は那覇市消防本部)の傍ら、妻の清子と共に夫婦で興南高校ボクシング部、(翁長吾央の高校3年進級、さらに嘉陽宗嗣の義務教育終了となった1998年春より沖尚ボクシング部の練習場兼合宿所たる)ウインナーボクシング教室を運営したが2014年春に閉鎖。数多くの全日本高校チャンピオン、国民体育大会、高校選抜優勝者を育てた。 また自身が興南高校の生徒を預かっていた時期に、沖縄水産高校在学中の浜田剛史・新垣諭や母校・南部農林高校在学中の平仲信明・信敏兄弟も指導。
大久保 洋吉(おおくぼ ようきち、1944年10月15日 -… 大久保 洋吉(おおくぼ ようきち、1944年10月15日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターに所属していた元調教師。大久保末吉の長男として生まれ、早稲田大学理工学部卒業後、建築士を経て競馬界に入る。1976年に調教師免許を取得し、1990年代後半にGI競走5勝を挙げたメジロドーベルなど数々の活躍馬を管理した。2015年、定年により引退。東京都府中市出身。
高田 拓土彦(たかだ たつひこ、1944年10月15日 - … 高田 拓土彦(たかだ たつひこ、1944年10月15日 - 2012年10月1日)は、日本の俳優、脚本家、映画監督、演出家。本名は高田 龍彦。旧芸名は高田 裕史、高田 守弘、高田 大嗣。ペンネームは土筆 勉。師は脚本家の石森史郎。弟子は俳優の三木崇史。 福井県出身。桐朋学園大学芸術学部演劇科卒業。 劇団「ぶどうの会」、劇団俳優座を経て、「アメリカン・プロダクションサービス」を設立後、ボクサー、フリーとして活動していた。俳優としてはグループ71 、一騎プロに所属 。 女優の浅茅陽子とは同棲していたが、浅茅の意志で入籍しなかった。 2012年10月1日、間質性肺炎と肺癌のため東京都文京区の病院で死去。
菱山 郁朗(ひしやま いくお、1944年10月15日 - )… 菱山 郁朗(ひしやま いくお、1944年10月15日 - )は駒澤大学マスコミ研究所研究員、武蔵野大学人間関係学部講師、日本記者クラブ会員、日本マス・コミュニケーション学会会員、21世紀臨調運営委員、放送人政治懇話会会員、千代田プレスクラブ会員。東京都八王子市生まれ。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大龍 隆寛(だいりゅう たかひろ、1944年10月15日 -… 大龍 隆寛(だいりゅう たかひろ、1944年10月15日 - 1999年7月27日)は、三重県鈴鹿市出身で友綱部屋に所属した元大相撲力士。本名は的場 猛(まとば たけし)。175cm、145kg。最高位は東十両6枚目。得意技は押し、右四つ。 1961年5月場所に初土俵。入門してから約1週間の間は気の小ささからか、淋しくて寝られなかったこともあった。1966年3月場所に十両昇進。以後十両を11場所務めたが、腰の重さと粘り強さに頼り過ぎる消極的な取り口であったせいか、負傷が多かった。特に、1970年1月場所で右足首を骨折してからは休場が続き、1970年5月場所限りで25歳で廃業。廃業後は1972年から鈴鹿市で肉料理店「まと場」を経営した。
峰崎 直樹(みねざき なおき、1944年(昭和19年)10月… 峰崎 直樹(みねざき なおき、1944年(昭和19年)10月14日 - )は、日本の元政治家。
山口 昇士(やまぐち のぶお、1944年10月14日 - 2… 山口 昇士(やまぐち のぶお、1944年10月14日 - 2024年9月3日)は、日本の政治家。元神奈川県箱根町長(5期)。 神奈川県小田原市出身。1967年(昭和42年)3月、明治大学商学部商学科卒業。同年9月1日、箱根町役場の事務員となる。 1993年(平成5年)3月31日、箱根町役場を依願退職。同年4月1日、箱根町助役に就任。2000年(平成12年)7月31日、助役を退任。 2000年(平成12年)11月15日、箱根町長に就任。2016年(平成28年)10月30日の選挙で5選。投票率は35.82%だった。 2021年、旭日小綬章受章。 2024年9月3日、死去。79歳没。
岡崎 賢(おかざき まさる、1944年10月14日 - )は… 岡崎 賢(おかざき まさる、1944年10月14日 - )は、日本の経営者。日立電線元副社長である。 1944年の生まれ。山口県の出身である。1967年3月に山口大学経済学部を卒業。同年4月に日立電線に入社。1997年6月に同社経理部長、2001年6月に同社取締役、2003年4月に同社常務取締役、同年6月に同社常務及び取締役、2003年7月に同社ビジネスサポート本部長、2005年4月に同社執行役専務を歴任した。2007年4月に同社代表取締役副社長 兼 取締役となる。 超硬工具の主要原料であるタングステンの確保の為に、2006年前半からオーストリアのタングステン精製メーカーから中間原料の三酸化タングステンの供給を開始した。
鯉川 のぼる(こいかわ のぼる、1944年10月14日 - … 鯉川 のぼる(こいかわ のぼる、1944年10月14日 - )は、東京演芸協会に所属する声帯模写の芸人。本名∶鈴木 雅一。出囃子は『こいのぼり』。 この項目は、お笑いタレント・コメディアン(これらの関連記事を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:お笑い/PJ:お笑い)。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。
住田 正樹(すみだ まさき、1944年(昭和19年)10月1… 住田 正樹(すみだ まさき、1944年(昭和19年)10月13日 - )は、日本の教育社会学者、九州大学・放送大学名誉教授。 兵庫県生まれ。1963年兵庫県立赤穂高等学校卒業、1968年慶應義塾大学文学部社会学科卒業、1974年東京大学大学院教育学研究科教育学専門課程教育社会学専攻博士課程満期退学。1993年「子どもの仲間集団の社会学的研究」で九州大学教育学博士。1974年香川大学教育学部助手、1975年講師、1977年助教授、1982年九州大学教育学部助教授、1991年10月教授、1998年同人間環境学研究科教授、2005年定年退官、名誉教授、放送大学教授。2015年定年、名誉教授。
石橋 秀雄(いしばし ひでお、1944年10月13日 - )… 石橋 秀雄(いしばし ひでお、1944年10月13日 - )は、日本の牧師。前日本基督教団総会議長。 1944年、満洲国新京特別市生まれ。1970年3月、東京神学大学大学院博士前期課程修了。2010年より2022年まで日本基督教団総会議長。2021年、文化庁長官表彰。 富田満(1941年-1946年廃止) 初代: 阿部義宗 - 第2代: 真鍋頼一 - 第3代: 小崎道雄 - 第4代: 武藤健 - 第5代: 白井慶吉 - 第6代: 大村勇 - 第7代: 鈴木正久 - 第8代: 飯清 - 第9代: 吉田満穂 - 第10代: 戸田伊助 - 第11代: 後宮俊夫 - 第12代: 辻宣道 - 第13代: 原忠和 - 第14代: 小島誠志 - 第15代: 山北宣久 - 第16代: 石橋秀雄 - 第17代: 雲然俊美 日本基督教団改革長老教会協議会 - 日本基督教団全国連合長老会 - 日本基督教団新生会 - 同信会 - 更新伝道会 - ホーリネスの群 - FM会 - 日本基督教団聖霊刷新協議会 - マケドニア会 東京神学大学 - 同志社大学神学部 - 関西学院大学神学部 - 日本聖書神学校 - 農村伝道神学校 - 東京聖書学校 日本基督教団讃美歌委員会 - 日本基督教団出版局 青山學院 - 青山学院大学 - 桜美林 - 桜美林大学 - 関西學院 - 啓明學院 - 敬和学園高等学校 - 学校法人聖学院 - 聖学院大学 - 千葉英和高等学校 - 同志社 - 東北学院 - 東北学院大学 - 広島女學院 - 広島女学院大学 - 福岡女學院 - 福岡女学院大学 日本キリスト教協議会 - 社会派 - 教会派 - 皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会 - 日本基督教神学専門学校 - 日本基督教団号 - 第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白 - 反万博闘争 - キリスト新聞
大仁 邦彌(だいに くにや、1944年10月12日 - )は… 大仁 邦彌(だいに くにや、1944年10月12日 - )は、兵庫県神戸市出身 の元サッカー選手(DF)・サッカー指導者、サッカー解説者。 日本サッカー協会第13代会長、現・名誉会長。 3人兄弟の末っ子として生まれ、神戸市立本山中学校2年時にサッカーを始める。神戸高校卒業後は1年の浪人を経て、1964年に慶應義塾大学文学部に入学。 慶應大には2年留年のため6年間在籍し、関東大学リーグでは6年連続全試合出場。大学時代は4-2-4の中盤の選手としてプレーし、1969年度の全日本大学選手権大会では大仁のゴールにより立教大学との決勝戦を1-0で制し優勝を決め、日本学生選抜では主将を務めた。 卒業後は1970年に三菱重工へ入部。
佐々木 茂夫(ささき しげお、1944年(昭和19年)10月… 佐々木 茂夫(ささき しげお、1944年(昭和19年)10月12日 - )は、日本の検察官。弁護士(弁護士法人御堂筋法律事務所)。元大阪高等検察庁検事長。 1969年(昭和44年)検事任官。最高検公判部長、同総務部長、大阪地検検事正等を経て、2004年(平成16年)に札幌高検検事長。その後、2005年(平成17年)福岡高検検事長、2006年(平成18年)大阪高検検事長を歴任し、2007年(平成19年)に退官。2015年、瑞宝重光章受章。 関西を中心に異動を繰り返す「関西検察」の一員で、退官後は弁護士登録し、関西系の各種企業役員等を務め、関西電力監査役も務めていていたが、同社の幹部が森山栄治元部落解放同盟福井県連書記長から多額の金品を受け取っていた問題で、監査役が取締役会に報告していなかったことが2019年(令和元年)に発覚し、日本監査役協会会長の岡田譲治は「おかしいと思う」と対応に疑問を呈した。
畑田 国男(はただ くにお、本名:畑田 国雄、1944年(昭… 畑田 国男(はただ くにお、本名:畑田 国雄、1944年(昭和19年)10月11日 - 1996年(平成8年)3月11日)は、日本の漫画家、著述家。 漫画集団、日本漫画家協会、東横沿線を語る会、ドラフト会議倶楽部、箸ばみの会、日本三大協会、姉妹型の会、三姉妹クラブ、東横文化研究会、各会員。 岡山県生まれ、東京都出身。 慶應義塾大学経済学部を卒業後、同大学院経済学専攻に進み、1967年に博士課程修了。在学中、漫画研究会に所属し、鈴木義司に師事した。大沢商会広告課を経て漫画家専業となる。 漫画家としては主に「悪魔」をモチーフとしたイラスト・漫画作品を『SFアドベンチャー』や『週刊ベースボール』などに掲載していた。
上村 泰子(かみむら やすこ、1944年10月11日- )は… 上村 泰子(かみむら やすこ、1944年10月11日- )は日本の料理研究家、フードコンサルタント。鹿児島県出身。フード・アイ社長。 この項目は、食品・食文化に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:食)。
牧 太郎(まき たろう、1944年10月10日 - )は日本… 牧 太郎(まき たろう、1944年10月10日 - )は日本の新聞記者、ジャーナリストである。東京都日本橋区(現:中央区)出身で毎日新聞社編集委員。
鈴木良昭(すずき よしあき、1944年10月9日 - )は、… 鈴木良昭(すずき よしあき、1944年10月9日 - )は、東京都生まれのクラリネット奏者である。 東京都立駒場高等学校を経て、東京芸術大学卒業、及び同大大学院修了。クラリネットを三島勝輔、千葉国夫、北爪利世に師事した。 1968年、第37回日本音楽コンクール・管楽器部門第1位を受賞した。旧日本フィルハーモニー交響楽団を経て、1972年、新日本フィルハーモニー交響楽団創設に参加した。新日本フィル在団中に渡米し、1981年から1982年の1年間、元クリーヴランド管弦楽団首席奏者R.マルセラスに師事する。帰国後、再び新日本フィルで首席奏者を務め、2004年に定年退職した。 活動は、オーケストラにとどまらず、現代音楽の室内楽グループ『サウンド・スペース・アーク』のメンバーとして内外で活躍。
宮脇 雅俊(みやわき まさとし、1944年10月9日 - )… 宮脇 雅俊(みやわき まさとし、1944年10月9日 - )は、日本の銀行家。十八親和銀行顧問。十八銀行の取締役会長、取締役兼代表執行役頭取を務めた。2016年11月から長崎商工会議所会頭を務めている。 長崎県南松浦郡玉之浦町(現:長崎県五島市)出身。長崎県立長崎東高等学校を経て、1968年に長崎大学経済学部卒業後、十八銀行に入行。専務取締役、副頭取などを経て、2007年に代表執行役頭取就任。生え抜きの頭取就任は51年ぶりのことであった。 2014年、取締役兼代表執行役頭取を森拓二郎に譲り、取締役会長に就任した。 2016年11月、長崎商工会議所会頭に選任された。 2020年に十八銀行の取締役会長を退任し、同行顧問(同年10月、十八親和銀行顧問に横滑り)に就任する。
浜崎 正人(はまさき まさと、1944年10月9日 - 20… 浜崎 正人(はまさき まさと、1944年10月9日 - 2003年5月1日)は鹿児島県出身の元プロ野球選手。 鹿児島商業では2年生でエースとなる。1961年の夏の甲子園県予選決勝に進出するが、東条文博のいた鹿児島実に敗れた。1年上のチームメートに遊撃手の篠原良昭がいる。翌1962年の夏の甲子園に出場。天理高、広陵高を連続完封し準々決勝に進出するが、中京商の林俊宏、三輪田勝利らの継投に抑えられ敗退した。同年の岡山国体でも準決勝に進むが、石川洵(立大-鐘紡)、村上公康のバッテリーを擁する西条高に惜敗。高校同期に三塁手の中原全敏、中堅手の下須崎詔一がいる。 1963年に阪急ブレーブスに入団、シュート主体の投球で貴重な左腕投手として期待される。
田勢 康弘(たせ やすひろ、1944年10月8日 - 202… 田勢 康弘(たせ やすひろ、1944年10月8日 - 2023年2月8日)は、日本の政治ジャーナリスト、日本経済新聞客員コラムニスト。
采谷 義秋(うねたに よしあき、1944年10月6日 - 2… 采谷 義秋(うねたに よしあき、1944年10月6日 - 2022年11月5日)は、日本のマラソン選手。"元祖"市民ランナー。 広島県呉市広長浜生まれ。広島電機大学附属高校(現広島国際学院高校)機械科卒業。高校2年時の1962年全国高校駅伝では、4区区間賞で全国3位に貢献した。 1963年、体育教師になるため日本体育大学健康学科に進学。日体大は当時、長距離・マラソンの一級選手は出ておらず、采谷は特定のコーチにつかず独自のプログラムを作り練習した。健康学科の授業を通して、自身の体調を科学的に分析し、また力学から足の運び、重心の置き方を研究するなど、つねに科学的なトレーニングを消化することに務める。
中村 昇(なかむら のぼる、1944年10月6日 - 201… 中村 昇(なかむら のぼる、1944年10月6日 - 2010年2月24日)は、日本の実業家。京セラ代表取締役会長や、日本ファインセラミックス協会会長を務めた。 1966年大阪市立大学理学部卒業。1967年京都セラミツク入社。1991年京セラ取締役。1995年京セラ常務取締役。1997年京セラ代表取締役専務。1999年京セラ代表取締役副社長。2003年京セラ取締役。2006年京セラ代表取締役会長、京セラケミカル代表取締役会長、京セラソーラーコーポレーション代表取締役会長、京セラSLCテクノロジー代表取締役会長、京セラディスプレイ研究所代表取締役会長、京セラインターナショナル代表取締役会長就任、京都ファッションセンター代表取締役社長就任、日本メディカルマテリアル代表取締役会長。
榊 裕之(さかき ひろゆき、1944年〈昭和19年〉10月6… 榊 裕之(さかき ひろゆき、1944年〈昭和19年〉10月6日 - )は、日本の工学者。東京大学名誉教授。学校法人トヨタ学園フェロー、豊田工業大学名誉学長。専門は半導体電子工学。朝日賞選考委員(2015年度から)。日本学士院会員。文化勲章受章者。 2022年4月1日、国立大学法人奈良国立大学機構の初代理事長として就任した。 愛知県名古屋市出身。江崎玲於奈が提唱した半導体超格子構造の概念に影響を受け、固体半導体中における量子効果の物理と、そのエレクトロニクスへの応用を中心に研究を行ってきた。 兄の榊佳之はゲノム生物学の研究者で豊橋技術科学大学の元学長。父の榊米一郎は電子顕微鏡の研究者で名古屋大学名誉教授、初代豊橋技術科学大学学長。
下嶋 浩(しもじま ひろし、1944年(昭和19年)10月6… 下嶋 浩(しもじま ひろし、1944年(昭和19年)10月6日 - 1999年(平成11年)8月15日)は、機械工学、ロボット工学を専門とする日本の研究者、登山家。東京工業大学工学博士。ロボット国際標準規格に関するISO国際会議日本代表として活躍。ランニング登山の国際的第一人者としても有名で、「下嶋渓」の名で著書もある。東京工業大学教授在職中の1999年、マッターホルンの登山中に滑落事故で死去。 1944年生まれ、神奈川県出身。高校生の頃から登山を始め、カメラいじりも得意であった。東京工業大学工学部機械工学科を卒業。同期生に林巌、吉澤善男がいた。 東京工業大学大学院修士課程、博士課程を通じて、小川潔教授の元で研究を行う。
栗生澤 猛夫(くりうざわ たけお、1944年10月5日 - … 栗生澤 猛夫(くりうざわ たけお、1944年10月5日 - )は、日本の歴史学者。主専攻はロシア中世・近世史。北海道大学名誉教授。北海道大学文学部長・大学院文学研究科長を歴任。 1944年、岩手県盛岡市で生まれた。1963年3月に岩手県立盛岡第一高等学校卒業し、一橋大学経済学部に進学。1967年に卒業して一橋大学大学院社会学研究科に進み、1971年に修士課程を修了。大学での指導教官は金子幸彦であった。北海道大学大学院文学研究科博士課程に移り、1974年に単位取得退学。 1974年4月、日本学術振興会奨励研究員となった。同1974年10月よりベルリン自由大学東欧研究所に研究留学(ドイツ学術交流会奨学生として)。
岩崎 邦宏(いわさき くにひろ、1944年10月5日 - )… 岩崎 邦宏(いわさき くにひろ、1944年10月5日 - )は、大分県出身の元競泳選手。1964年東京オリンピック競泳男子800mフリーリレー銅メダリスト。大分県立佐伯鶴城高等学校、早稲田大学教育学部卒業。東京・メキシコの2大会に出場。 早稲田大学2年時に出場した1964年東京オリンピックでは400mリレーで4位入賞、800mリレーでこの大会競泳チーム唯一となる銅メダルを獲得する。 1966年アジア競技大会では100m自由形で優勝・日本新、200m自由形で優勝、800mリレーで優勝、400mメドレーリレーで優勝する 1968年メキシコシティーオリンピックでは100m自由形で準決勝敗退、200m自由形予選敗退、400mリレーでは8位、400mメドレーリレーでは5位、800mリレーでは予選敗退。
丹羽 隆昭(にわ たかあき、1944年10月5日 - )は、… 丹羽 隆昭(にわ たかあき、1944年10月5日 - )は、日本のアメリカ文学者。文学博士(京都大学・2001年)。京都大学名誉教授。関西外国語大学教授。 名古屋市生まれ。1967年南山大学文学部英文科卒、1972年京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。1977年インディアナ大学大学院修士課程修了。南山大学助教授、京都大学総合人間学部助教授、人間・環境学研究科教授。2001年「恐怖の自画像 ホーソーンと「許されざる罪」」で京都大学より博士(文学)の学位を取得。2008年定年退任、名誉教授、関西外国語大学教授。
宮内 勝典(みやうち かつすけ、1944年10月4日 - )… 宮内 勝典(みやうち かつすけ、1944年10月4日 - )は、日本の小説家、エッセイスト。早稲田大学、大阪芸術大学の教授を歴任。世界各地を渡り歩き、経験と想像力をもとにスケールの大きな小説世界を構築。人はいかに「アイデンティティー」という名のくびきから逃れられるかという問いを根底に創作を重ねてきた。 終戦前年に旧満洲国のハルビンにて生まれ、終戦後の引き揚げにより鹿児島県指宿市旧山川町で育つ。鹿児島県立甲南高等学校に進学し、部活動の文学部(文芸部)に所属。1963年に鹿児島県立甲南高等学校を卒業し、働きながら国内を4年かけて放浪。1967年にアメリカ合衆国へ渡り、カリフォルニアとニューヨークで2年ずつ暮らした後、ヨーロッパからインドへの旅を経て日本に帰国。
黒田 アキ(くろだ あき、本名: 黒田 明比古(くろだ あき… 黒田 アキ(くろだ あき、本名: 黒田 明比古(くろだ あきひこ)、1944年10月4日 – )はフランス・パリ在住の日本人画家、芸術家。男性。 京都府京都市出身。1970年にパリに渡り、以降ヨーロッパを中心に活動している。 彼の作品には、ギリシャ神話にまつわる迷宮・ラビリントスの半人半牛のミノタウロスが象徴的に描かれており、アリアドネの糸が空間を走る。またカリアチードのシルエットでも有名である。キャンパスがパサージュとしての存在を放つ、極めて独創的な作品制作を続けている。 1992年から現在まで「COSMOGARDEN」(コスモガーデン)と呼ばれる、流動的、「異種混合的」なトータルアート・スペクタクルの活動を続けている。
末広 まきこ(すえひろ まきこ、本名:末廣 眞樹子、1944… 末広 まきこ(すえひろ まきこ、本名:末廣 眞樹子、1944年〈昭和19年〉10月3日 - )は、タレント、元ラジオ パーソナリティ、元参議院議員(1期)、実業家。末広 真季子、末広 真樹子とも。 大阪府大阪市出身。父は画家の末広元信。大阪教育大学附属高等学校池田校舎、同志社大学文学部英文学科卒業。「セクシーボイスコンテスト」で優勝後、ラジオ パーソナリティ、コメンテーターとして、主に関西や名古屋ローカルで活躍。 若手時代は「オマキ」の愛称で親しまれた。 1967年(昭和42年)、『仮面の忍者赤影』(関西テレビ、東映京都)で、くノ一「人むかでの矢尻」役で出演したのが映像作品デビュー。これは、末広のラジオ番組を撮影現場で聞いていた「赤影」役の坂口祐三郎やスタッフが、末広のプロフィール紹介に興味を持ち、出演依頼してのものだった。
若松進一(わかまつしんいち、1944年10月3日 - )は、… 若松進一(わかまつしんいち、1944年10月3日 - )は、愛媛県の地域づくりリーダー。愛媛県伊予郡双海町下灘(現在は伊予市)出身。愛媛県立宇和島水産高等学校漁業科を卒業後、家業の漁業に就く。青年団活動で愛媛県青年団連合会会長、四国四県青年団連絡協議会会長などを歴任。総理府第10回青年の船班長としてアメリカ・メキシコを訪問。リーダーシップを見込まれて双海町役場に入庁。広報、社会教育主事等を担当。国鉄下灘駅のプラットフォームコンサート、双海シーサイド公園など双海町の「夕日のまちづくり」を主導してきた。1994年地域振興課長、2003年教育長などを歴任。教育長を最後に役場を定年退職後、双海町下灘の「水平線の家」で人材育成を実践している。
阿部 輝夫(あべ てるお、1944年10月3日 - )は、日… 阿部 輝夫(あべ てるお、1944年10月3日 - )は、日本の精神科医。 宮城県生まれ。順天堂大学医学部卒。1977年「躁うつ病の慢性化に関与する要因の多元的研究」で医学博士。順天堂大学精神科助教授、米・コーネル大学精神科Human Sexual Program研究員、順天堂大学付属浦安病院勤務を経て、1996年「あべメンタルクリニック」を開業、同院長。
寺本泉(てらもと いずみ、1944年10月3日 - )は日本… 寺本泉(てらもと いずみ、1944年10月3日 - )は日本の大蔵官僚。整理回収機構副社長などを歴任。血液型はA型。 東京都出身(父・広作は熊本県宇土郡、母は東京府)。兄は日本銀行考査局長、東京三菱銀行常務取締役、福岡銀行代表取締役頭取などを歴任した寺本清。 東京都立日比谷高等学校から東京大学文科一類に入学。東京大学法学部卒業。東大法学部在学中に国家公務員上級甲種試験(法律)と司法試験に合格。1967年 大蔵省入省(主計局総務課)。1983年6月 横浜税関総務部長。1989年6月 銀行局検査部管理課長。1990年6月 北海道財務局長。1992年6月 理財局たばこ塩事業審議官。1994年 大臣官房審議官(大臣官房担当)。
照山 俊一(てるやま しゅんいち、1944年〈昭和19年〉1… 照山 俊一(てるやま しゅんいち、1944年〈昭和19年〉10月3日 - )は、日本の政治家。元大分県国東市長(1期)。 大分県出身。明治大学農学部卒。国東町役場に入り、産業、企画の各課長、助役など経て、1999年〈平成11年〉国東町長に当選する。町長を2期務め、2006年〈平成18年〉合併により国東市が発足。合併後の市長選挙に立候補し、当選する。翌年収賄容疑で逮捕され、市長を辞職した。
米倉 宝二(よねくら ほうじ、1944年(昭和19年)10月… 米倉 宝二(よねくら ほうじ、1944年(昭和19年)10月3日 - )は、日本のボクサー。 立教大学在学中に、1964年東京オリンピックに男子ライトウェルター級大会で出場し、3回戦敗退した。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
横田 尤孝(よこた ともゆき、1944年〈昭和19年〉10月… 横田 尤孝(よこた ともゆき、1944年〈昭和19年〉10月2日 - )は、日本の最高裁判所裁判官、弁護士、元次長検事。長島・大野・常松法律事務所顧問。
小島 一慶(こじま いっけい、1944年〈昭和19年〉10月… 小島 一慶(こじま いっけい、1944年〈昭和19年〉10月2日 - 2020年〈令和2年〉4月23日)は、日本のフリーアナウンサー。元TBSアナウンサー、司会者。俳人(「玉藻」同人)。 本名の漢字表記は同じだが、名前の読みは「かずよし」である。長崎県長崎市出身。 母子家庭育ちで、本人曰く「貧しかった」。一家には、旅回りの役者だった祖父、博打打ちで「明烏のおはつ」と呼ばれていた祖母もいた。祖父が時折酒乱で暴れていたことから母は耐えられず別居して、子供のころの小島も身に危険を感じると母の元へ逃げ込んでいたということもあった。 幼稚園時代から演劇に熱中するようになり、また浪曲が好きで、子供の頃は浪曲師か役者になりたいと思っていた。
安江 和宣(やすえ かずのり、1944年10月2日- )は、… 安江 和宣(やすえ かずのり、1944年10月2日- )は、日本の神道学者、神職。専門は、神社祭式、有職故実。皇學館大学名誉教授。神社本庁参与・祭式講師・教学委員。洲河崎神社宮司。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
東 てるひこ(あずま てるひこ、1944年10月2日 - 2… 東 てるひこ(あずま てるひこ、1944年10月2日 - 2019年2月18日)は、日本の実業家。株式会社東京音楽センター(TMC)創業者。音楽プロデューサー、シンガーソングライター。本名は東 暉久(あずま てるひさ)。 鹿児島県生まれ。駒澤大学商学部経済学科を卒業した。大学卒業後、トヨタ系列カーディーラーに入社した。入社1年目よりトップセールスマンとなる。1973年、東京音楽センターの前身となる「コトブキミュージック」を設立し、代表取締役社長に就任した。1974年、結婚式や披露宴の音楽演出に着目し、披露宴専用の「8トラックテープ」を開発した。 1978年、「レディバード音楽学院」を設立し、プロ演奏者養成を始める。
小山 成昭(おやま しげあき、1944年10月2日 - )は… 小山 成昭(おやま しげあき、1944年10月2日 - )は、日本の経営者。ファナック社長を務めた。 神奈川県出身。1967年に東京大学工学部を卒業し、同年に富士通に入社。1972年に富士通ファナックに転じ、1985年6月に取締役に就任し、1987年6月に常務を経て、1989年6月に副社長に就任した。1999年6月に社長に昇格。2003年6月には会長に就任。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
原田 義昭(はらだ よしあき、1944年〈昭和19年〉10月… 原田 義昭(はらだ よしあき、1944年〈昭和19年〉10月1日 - )は、日本の政治家、通産官僚、弁護士、実業家。船井電機代表取締役会長。日韓トンネル実現九州連絡協議会会長代行、原田国際法律事務所代表。 環境大臣(第26代)、内閣府特命担当大臣(原子力防災)(第4次安倍第1次改造内閣)、文部科学副大臣(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)、厚生政務次官(第2次橋本改造内閣)、衆議院議員(8期)、衆議院消費者問題に関する特別委員長・財務金融委員長・外務委員長、自由民主党総務会長代理・国際情報検討委員長・外交経済連携本部幹事長・競争政策調査会長・衆議院議員総会副会長・道州制推進本部長・人事委員長・筆頭副幹事長・福岡県支部連合会長・総務会副会長、中小企業庁参事官、通商産業大臣秘書官、関東通産局総務課長を歴任した。
五所 美子(ごしょ よしこ、1944年10月1日 - )は、… 五所 美子(ごしょ よしこ、1944年10月1日 - )は、日本の歌人。 茨城県水戸市生まれ。生後まもなく、両親の郷里・大分県宇佐市に帰る。九州大学文学部卒業。卒論は「式亭三馬の言語描写についての一考察」。 1982年、石田比呂志に師事し、歌誌「牙」に入会、20年ほど在籍。2009年11月、個人誌「和布刈通信」を創刊。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
高田 公理(たかだ まさとし、本名・高田康孝 1944年10… 高田 公理(たかだ まさとし、本名・高田康孝 1944年10月1日 - )は、日本の生活文化学者、武庫川女子大学名誉教授。元佛教大学教授。 1944年、京都市生まれ。京都大学理学部で学び、1968年に卒業した。 広告制作業を経営した後、1976年にシー・ディー・アイ(文化をテーマとするシンクタンク・京都市中京区)に入社、主任研究員となった。1982年、愛知学泉大学専任講師に就いた。1987年に教授に昇任。1992年より武庫川女子大学教授。1999年、学位論文『生活文化と世相の変容にかんする研究 20世紀日本の高度経済成長期を中心に』を総合研究大学院大学に提出して学術博士の学位を取得。 2009年からは佛教大学教授として教鞭をとり、2015年に定年退職した。
上野 哲弘(うえの あきひろ、1944年(昭和19年)10月… 上野 哲弘(うえの あきひろ、1944年(昭和19年)10月1日 - 2016年(平成28年)2月23日)は、新宮市長(1期)。和歌山県議会議員(4期)。位階は従五位。旭日小綬章受章。 和歌山県出身。1968年(昭和43年)中央大学法学部卒。1975年(昭和50年)新宮市議会議員となり、その後、市議会副議長となる。1991年(平成3年)和歌山県議会議員に転じ、連続3期務める。1999年(平成11年)の新宮市長選挙に立候補したが、現職の佐藤春陽に破れ落選。2003年(平成15年)の新宮市長選挙に再び立候補し、現職の佐藤春陽を300票弱の差で破り、当選した。 2年後の2005年(平成17年)新宮市は隣接する熊野川町と合併し、新たな新宮市が発足。
沼田 健哉(ぬまた けんや、1944年10月1日 - )は日… 沼田 健哉(ぬまた けんや、1944年10月1日 - )は日本の社会学者。専門は社会心理学、宗教社会学、文芸社会学。桃山学院大学教授。岩手県立盛岡第一高等学校、東京大学文学部社会学科卒業、同大学院社会学研究科博士課程修了。三重県出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山崎 正勝(やまざき まさかつ、1944年10月 - )は、… 山崎 正勝(やまざき まさかつ、1944年10月 - )は、日本の科学者、物理学者、科学史家、理学博士。東京工業大学名誉教授。専門は科学史、科学社会学、物理学史。 1944年、静岡県で技術者の父のもとで生まれる。1963年に東京都立大学附属高等学校を卒業後、東京工業大学理工学部物理学科へ入学。1967年に同大学大学院理工学研究科物理学専攻修士課程へ進学。1972年に博士課程を修了し、論文「多重散乱展開とGlauber近似」で理学博士(東京工業大学)を取得。同年に東京工業大学理学部教務補佐員、1973年に同大学理学部物理学科教務職員を経て、1976年に三重大学教育学部講師、同年10月に助教授へ昇格した。
園 勲夫(その いさお、1944年10月 - )は日本のカー… 園 勲夫(その いさお、1944年10月 - )は日本のカーデザイナー、グラフィックデザイナーである。 1944年に京都府京都市に生まれる。 幼い頃から絵が好きで一時期画家を志したが、京都府立洛東高等学校時代に父親からの助言により大学進学を前に進路を変え、日本大学芸術学部へ進学し、工業デザインを学ぶ。 大学卒業後の1969年に日産自動車へ入社。入社後はカーデザイナーとして多くの車種のエクステリアデザインを手がける。 1996年に日産を退職する。その後は学生時代から趣味として続けてきた水彩画に専念し絵画塾などで指導も行っている。