高野 孝(たかの たかし、1932年10月10日 - )は、… 高野 孝(たかの たかし、1932年10月10日 - )は、日本の経営者。野村不動産社長を務めた。 京都府出身。1956年に京都大学法学部を卒業し、同年に野村證券に入社。1978年12月に取締役に就任し、1981年12月に常務、1983年12月に専務、1986年12月に副社長を経て、1987年12月に野村不動産社長に就任。1992年6月に会長に就任し、1995年6月には相談役に就任。
藤代 幸一(ふじしろ こういち、1932年10月10日 - … 藤代 幸一(ふじしろ こういち、1932年10月10日 - 2020年1月14日)は、日本の中世ドイツ文学者、旧・東京都立大学名誉教授。 1932年、東京市築地(現中央区)で生まれた。東京外国語大学ドイツ語科を卒業。大学院は東京都立大学大学院へ進み、1958年に修士課程を修了。 1959年、日本大学講師に就いた。1964年に静岡大学講師に転じ、1967年より東京都立大学助教授となった。1983年に教授昇格。1996年に東京都立大学を定年退官し、名誉教授となった。2020年1月14日、肺炎のため死去。87歳没。叙従四位、瑞宝小綬章追贈。 幼少時から歌舞伎、落語に親しみ、中世ドイツの笑いのある演劇・文芸を研究した。
本山 可久子(もとやま かくこ、1932年〈昭和7年〉10月… 本山 可久子(もとやま かくこ、1932年〈昭和7年〉10月9日 - )は、日本の女優。 東京市(現東京都)日本橋出身。 母は俳人の鈴木真砂女。 長狭高等女学校(現・鴨川令徳高等学校)卒業。文学座演劇部所属。 文学座附属演劇研究所に入所後、舞台を中心に活動する一方、テレビドラマにも堅実なバイプレイヤーとして多数出演。1970年代になると主人公の母親役や妻役が増え、その演技力から不幸な目に遭遇する役での出演も多かった。ちなみに1972年の『帰ってきたウルトラマン』第43話では根上淳演じる伊吹隊長の夫人役でゲスト出演したが、根上とは1975年に『傷だらけの天使』第23話においても夫婦役で共演している。
山崎 弘美(やまざき ひろみ、1932年10月9日 - 20… 山崎 弘美(やまざき ひろみ、1932年10月9日 - 2013年5月20日)は、長野県出身のプロ野球選手。 辰野高校から1952年に読売ジャイアンツへ入団。1958年の二軍の国鉄・大洋との北海道遠征では、青函連絡船で函館に着くと朝市で毛ガニを両手で抱えきれないくらい買ってくるなど、めぼしい駅に着く度に地元の名物を買い込んできたほか、買い出し・列車の手配など、マネージャー兼任で活躍した。また、巨人軍合宿所の小山寮長の信頼が厚く、そのうち副寮長格になって寮長の隣の部屋に住んでいたという。しかし、広田順・藤尾茂・森昌彦ら強力な捕手陣の壁を崩せず、一軍試合出場は1959年の2試合のみで、1960年に引退。
外間 寛(ほかま ひろし、1932年〈昭和7年〉10月9日 … 外間 寛(ほかま ひろし、1932年〈昭和7年〉10月9日 - 2022年〈令和4年〉4月29日)は、日本の法学者。専門は行政法、特にアメリカ行政手続法。第22代中央大学学長、同総長。中央大学名誉教授。沖縄県那覇市首里出身。橋本公亘の弟子。 1932年、沖縄県首里市(現・那覇市)生まれ。沖縄県立首里高等学校卒業。1954年、中央大学法学部卒業。1960年 東京大学大学院社会科学研究科公法専攻単位取得満期退学、東京大学法学部助手。 1961年、中央大学法学部専任講師。1962年、同学部助教授。1968年、同学部教授。1987年、同学部長( - 1991年)。1990年、中央大学理事( - 1993年)。
山本 明(やまもと あきら、1932年10月9日 - 199… 山本 明(やまもと あきら、1932年10月9日 - 1999年9月28日)は、日本の社会学者。専攻は都市文化論。 大阪市出身。1955年同志社大学文学部卒業、57年同大学院法学研究科修了。1972年同志社大学文学部教授となる。
杉本 昭七(すぎもと しょうしち、1932年10月8日 -2… 杉本 昭七(すぎもと しょうしち、1932年10月8日 -2022年2月11日 )は、日本の経済学者、京都大学名誉教授。 山口市出身。1961年京都大学大学院経済学研究科博士課程満期退学、79年「現代帝国主義の基本構造」で経済学博士。京都大学経済研究所助教授、教授、88-90年所長を務める。95年定年退官、名誉教授、阪南大学教授。門下に有賀敏之がいる。
游 仲勲(ゆう ちゅうくん、1932年10月8日 - )は、… 游 仲勲(ゆう ちゅうくん、1932年10月8日 - )は、日本の経済学者。専門は、社会主義経済論、計画経済論、中国経済論、新興国経済論、華僑・華人経済論、人間の国際移動研究など。日本華僑華人学会創始者で初代会長。 1932年、台湾・台北で台湾人の父と日本人の母の家庭に生まれた。幼少期から日本で育ち、教育もすべて日本で受けた。兵庫県立神戸高校を卒業後、神戸大学経済学部に進学。卒業後は同大学大学院経済学研究科に進み、博士課程を修了。 熊本商科大学(現・熊本学園大学)、国際大学大学院、亜細亜大学、東邦学園大学(現・愛知東邦大学)教授を務めた。1970年、学位論文『華僑経済の研究』を神戸大学に提出して経済学博士号を取得。
内藤 昌(ないとう あきら、1932年10月8日 - 201… 内藤 昌(ないとう あきら、1932年10月8日 - 2012年10月23日)は、日本の建築史家。名古屋工業大学名誉教授、元日本建築学会副会長。専門は、建築史、都市史。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1955年、東京工業大学理工学部建築学科卒業。1960年、同大学院理工学研究科建築学専攻博士課程修了。工学博士(東京工業大学)。論文の題は「書院造に於ける「間」の研究」。 1961年東京工業大学助手、1963年名古屋工業大学助教授、1972年同大学教授、1990年東京工業大学(現・東京科学大学)教授兼任、1993年愛知産業大学学長を歴任。元日本建築学会副会長。 2012年10月23日に老衰で死去。
蓑谷 穆(みのたに たかし、1932年10月7日 - 201… 蓑谷 穆(みのたに たかし、1932年10月7日 - 2016年4月17日)は、日本の実業家。株式会社みの谷取締役会長で、高山商工会議所会頭、一般財団法人金森公顕彰会理事長も務めた。 岐阜県出身。岐阜県立斐太高等学校在学中に家業の「みの谷」を継ぎ、1951年に同校を卒業後、1953年に同社代表取締役に就任した。[要出典] 1982年から飛騨高山観光協会(現・飛騨・高山観光コンベンション協会)会長を30年間務めた。観光と商工業が一体となったまちづくりを目指し、高山市の国際観光都市としての発展を推進した[要出典]。 1998年から15年間、高山商工会議所の会頭を務める。 2004年[要出典]、国土交通省が制定した「観光カリスマ百選」に、「外客受入」類型の一人として選任される。
井嶋 一友(いじま かずとも、1932年(昭和7年)10月7… 井嶋 一友(いじま かずとも、1932年(昭和7年)10月7日 - )は、日本の元法曹。弁護士。元次長検事。元最高裁判所判事。父は元・大阪高検検事長(在:1966年9月 - 1968年2月)の井嶋磐根(いじま いわね)(wikidata)、父方の叔父に京都大学名誉教授の井嶋勉がいる。奈良県出身。 1957年(昭和32年)京都大学法学部卒業。1959年(昭和34年)検事任官。大臣官房長、刑事局長、最高検刑事部長を経て、1992年(平成4年)高松高検検事長、1993年(平成5年)次長検事。1995年(平成7年)には最高裁判事に就任。 2002年(平成14年)に定年退官となる。その後、弁護士登録し、株式会社ランドビジネス(wikidata)監査役等を務めた。
秌場 準一(あきば じゅんいち、「あき」の字は「火」へんに「… 秌場 準一(あきば じゅんいち、「あき」の字は「火」へんに「禾」(ノギ)、1932年10月6日 - )は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(一橋大学)・LL.M.(イェール大学)。一橋大学名誉教授。日本学術会議会員、国際法学会理事長、国際私法学会理事長を歴任。 兵庫県神戸市生まれ。中学時に神戸から母の故郷である高知に転居。一橋大学では久保岩太郎と大平善梧に師事。博士課程を修了した1960年から一橋大学に勤務。1966年に当時東京大学法学部助手だった鳥居淳子(国際私法学者、成城大学教授、法務省法制審議会会長)と結婚。1996年3月に63歳を定年とする一橋大学の定年制により定年退官。指導学生に横山潤一橋大名誉教授、中山ひとみ元第二東京弁護士会副会長など。
岡田 宏明(おかだ ひろあき、1932年10月5日 - 20… 岡田 宏明(おかだ ひろあき、1932年10月5日 - 2004年2月13日)は、文化人類学者。 東京出身。東京大学教養学部文化人類学卒。1955年同大学院生物系研究科人類学博士課程退学。北海道大学北方文化研究所助教授、教授、文学部教授、96年定年退官、名誉教授、北海学園大学人文学部教授。2001年退任。妻も文化人類学者の岡田淳子(あつこ)。
野間 友一(のま ともいち、1932年10月5日 - 201… 野間 友一(のま ともいち、1932年10月5日 - 2012年5月17日)は日本の弁護士、政治家。衆議院議員(日本共産党公認、通算5期)。日本共産党和歌山県副委員長。 兵庫県多紀郡篠山町(現・丹波篠山市)出身。早稲田大学法学部を卒業後、総評弁護団及び自由法曹団に参加。1972年の衆院選に和歌山1区から出馬し初当選、和歌山県初の共産党国会議員となった。以後衆議院議員を5期務めるが、1990年の衆院選で落選する。 2002年10月28日、「古希団員」として表彰を受ける。議員引退後は、和歌山県和歌山市の「きのくに法律事務所」に勤務していた。
鮎沢 成男(あゆざわ しげお、1932年10月4日 - 20… 鮎沢 成男(あゆざわ しげお、1932年10月4日 - 2004年2月11日)は、日本の経営学者。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、一橋大学大学院経済学研究科を修了した[要出典]。中央大学商学部教授を務め、1988年に同大学企業研究所所長となった。
高倉 公朋(たかくら きんとも、1932年〈昭和7年〉10月… 高倉 公朋(たかくら きんとも、1932年〈昭和7年〉10月4日 - 2019年〈令和元年〉5月2日)は、日本の医学者。専門は脳神経外科学。医学博士。東京大学名誉教授。東京女子医科大学名誉教授、元学長。 旧姓は河鰭。河鰭実英の三男として生まれる。東京出身。学習院高等科時代に高倉篤麿(元・子爵)の養子となる。
佐々木 英也(ささき ひでや、1932年〈昭和7年〉10月3… 佐々木 英也(ささき ひでや、1932年〈昭和7年〉10月3日 - )は、日本の西洋美術研究者。東京芸術大学名誉教授。 岩手県江刺市(現・奥州市)に生まれる。1951年、岩手県立水沢高等学校卒業。1956年、東京藝術大学美術学部専攻科卒業。1958年、イタリア政府給費留学生としてローマ大学に学ぶ。1961年、国立西洋美術館研究員。1972年『ザ・ヌード』で日本翻訳出版文化賞受賞。1976年、東京藝術大学美術学部助教授、1985年同教授。1990年『ジョットの藝術』でマルコ・ポーロ賞受賞。2000年定年退官、名誉教授。2001年岩手県立美術館館長に就任、2010年退任。
佐藤 公男(さとう きみお、1932年10月2日 - )は、… 佐藤 公男(さとう きみお、1932年10月2日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。 白石高校から仙台鉄道局を経て1953年に大洋松竹ロビンスへ入団。同年に退団した。
出目 昌伸(でめ まさのぶ、1932年10月2日 - 201… 出目 昌伸(でめ まさのぶ、1932年10月2日 - 2016年3月13日)は、日本の映画監督。滋賀県八日市市(現:東近江市)出身。滋賀県立八日市高等学校、早稲田大学文学部卒業。 1957年に東宝入社。黒澤明、松林宗恵、堀川弘通、古澤憲吾らの助監督を務め、1968年、内藤洋子主演の『年ごろ』で監督に昇進。その後、『俺たちの荒野』『その人は女教師』など、それまでの東宝青春映画とは一線を画す作品を監督する。 東宝退社後の1980年代中盤からは、東映で吉永小百合主演による『天国の駅』『玄海つれづれ節』、織田裕二、仲村トオル、風間トオルら若手スターによる反戦映画『きけ、わだつみの声』、岩下志麻と吉永小百合の2大女優初競演が話題となった『霧の子午線』など、大作映画を次々と手がける。
長谷川 繁雄(はせがわ しげお、1932年10月2日 -19… 長谷川 繁雄(はせがわ しげお、1932年10月2日 -1966年6月24日)は、1950年代半ばから1960年代前半にかけて活躍したプロ野球選手(一塁手、外野手)である。広島県竹原市出身。 竹原高校を卒業後、法政大学に進学。東京六大学野球リーグでは中心打者として活躍したが、優勝には届かず、1954年秋季リーグの2位が最高成績であった。大学同期に中野健一、1年下に斎田忠利・古川啓三がいる。 1956年に南海ホークスへ入団。同年は開幕直後から一塁手、五番打者に抜擢され、寺田陽介とレギュラーを争う。四番打者としても11試合に出場した。1957年のシーズン後半から中堅手に回る。1958年には122試合に出場し規定打席にも到達、打率.276(リーグ9位)、16本塁打の好成績を残した。
黒木 靖夫(くろき やすお、1932年10月2日 - 200… 黒木 靖夫(くろき やすお、1932年10月2日 - 2007年7月12日 )は、日本の工業デザイナー。 ソニー株式会社宣伝部長・意匠部長・クリエイティブ本部長・取締役、ソニー企業代表取締役社長を歴任した。 1993年にソニーを退職後、株式会社黒木靖夫事務所を設立し独立。富山インダストリアルデザインセンター(現富山県総合デザインセンター)所長を務める。 東北芸術工科大学客員教授、成安造形大学客員教授、立命館大学客員教授。 宮崎県西都市に生まれる。宮崎県立妻高等学校(第5回生)、千葉大学工学部工業意匠学科卒業。 学科推薦でそごうへ入社し広告を担当。3年後に新聞でソニーの求人広告を見つけ中途入社する。
斎藤 洋三(さいとう ようぞう、齋藤 洋三、1932年10月… 斎藤 洋三(さいとう ようぞう、齋藤 洋三、1932年10月2日 - 2024年7月14日)は日本の耳鼻咽喉科学者。1964年にスギ花粉症を世界ではじめて報告した。 1958年、東京医科歯科大学医学部卒業、1963年、東京医科歯科大学博士課程修了。同大学助手、講師、助教授、神尾記念病院顧問を歴任。1983〜1998年、東京都花粉症対策検討委員会会長。2000年、日本花粉学会学術賞を受賞。
大森 黎(おおもり れい、女性、1932年10月1日 - )… 大森 黎(おおもり れい、女性、1932年10月1日 - )は、日本の作家、ノンフィクション作家。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身。本名・小山玲子。妹に女優の大森暁美、弟に数学者の大森英樹がいる。1955年東北大学法学部卒業。NHKに入り、教育局テレビディレクター。62年結婚して退社。1972年「黎まやこ」名義「五月にー」で文學界新人賞受賞、1981年「大河の一滴」で読売「女性ヒューマンドキュメンタリー」大賞を受賞した。受賞作は夫の連れ子だった脳性まひの義理の息子を描いたもの。
黒田 眞(黒田真、くろだ まこと、1932年10月1日 - … 黒田 眞(黒田真、くろだ まこと、1932年10月1日 - 2026年4月5日)は、日本の通産官僚。通商産業審議官などを歴任。 東京都出身。東京都立小山台高等学校を経て、1955年に東京大学法学部卒業、同年、通商産業省入省。ジュネーブ代表部一等書記官、通商政策局国際経済課長、通商政策局長など通商畑を歩む。 1980年代半ばから半導体をめぐり激化した日米貿易摩擦における日本側当事者の一人。当時の交渉過程で米国側から「タフ・ネゴシエーター」の異名を付けられたことで知られている。 通産審議官在任中の1987年4月17日、日米半導体協定交渉の最終段階における「対日措置」発動の際の、日本側責任者の一人であった。
米川 忠吉(よねかわ ただよし、1932年(昭和7年)10月… 米川 忠吉(よねかわ ただよし、1932年(昭和7年)10月1日 - 2011年(平成23年)9月16日)は、日本の航空自衛官。第19代航空幕僚長。 神奈川県横浜市出身。横浜第一中学、希望ヶ丘高校を経て、青山学院大学へ進み、学生時代はラグビーに熱中した。入隊の動機は、1955年(昭和30年)頃は不況で入社を予定していた会社は皆、採用中止となり、自衛隊に入隊した親戚やラグビー部の同輩に相談し、入隊を勧められた。陸上自衛隊の採用試験を受験し、第15期一般幹部候補生として採用されたが、採用となってから航空自衛隊のパイロット要員が足りないため、空自に行かないかとの話があり、興味もあったことから航空自衛隊に入隊した。
宮尾 嶽雄(みやお たけお、1932年10月1日 - 201… 宮尾 嶽雄(みやお たけお、1932年10月1日 - 2016年)は、日本の哺乳類学者。元愛知学院大学教授。 東京生まれ、長野県出身。信州大学教育学部松本分校卒業。在学中、昆虫学者清水三雄の指導を受けるが、医学部解剖学教室に入局するにあたり、哺乳類の解剖を研究テーマとする。信州大学医学部第二解剖学教室助手、教授を経て、愛知学院大学教授。1968年、信州大学医学博士。論文の題は 「食性の身体諸器官発育および構造におよぼす影響 : 長野県産ネズミ類の種的特徴とその評価」。 日本各地における小型哺乳類の分布や生態に関する基礎研究を固めた。また、日本哺乳類学会の前身である日本哺乳動物学会の評議員や大会長を務めるなど、日本の哺乳類学の確立に貢献した。
斯波 重治(しば しげはる、1932年10月1日 - )は、… 斯波 重治(しば しげはる、1932年10月1日 - )は、日本の音響監督である。東京都下北沢出身。元オムニバスプロモーション代表取締役社長、相談役。 東京教育大学卒業。劇団自由劇場を創立し、舞台を中心に活躍。 1960年にNHKで放送された海外ドラマ『陽気なネルソン』で声優デビュー。だが一言ですぐに終わる役などが多かったため、裏側に入って見学をした際に「ああそうか、こうやって録音してやっていくんだな。、」と音声製作の手順を覚えたという。その後小山源喜の紹介で音響監督の仕事を始める。 1963年に設立されたオムニバスプロモーションのメンバーに加わり、テレビ洋画の吹き替えの演出を手掛けた後、1972年に放映開始された『科学忍者隊ガッチャマン』でテレビアニメの音響監督(録音ディレクター)を初めて務めた。
福岡 宗也(ふくおか そうや、1932年10月 - 2000… 福岡 宗也(ふくおか そうや、1932年10月 - 2000年4月11日)は元衆議院議員(1期)。
タック牧田(タックまきた、1932年10月 - 2026年3… タック牧田(タックまきた、1932年10月 - 2026年3月30日)はワシントン州シアトル出身のスポーツ写真家。本名は牧田 隆。関西学院大学在学中はアメリカンフットボール部に所属した。大学卒業後、1961年にアメリカに留学、その後、海兵隊に入り原子力潜水艦での勤務も経て1964年にAFLのニューヨーク・ジェッツの専属フォトグラファーとなった。1974年からNFL公式カメラマンとなっている。ニュージャージー州在住。スーパーボウルを第1回から取材しており日本で行われたアメリカンボウルの際には来日を果たしている。NFLのほか、ケンタッキーダービーやインディ500なども撮影している。 関西学院大学アメリカンフットボール部でプレイし、1953・1954年と甲子園ボウルで優勝を2回経験している。
大内 秀明(おおうち ひであき、1932年10月 - 202… 大内 秀明(おおうち ひであき、1932年10月 - 2024年1月9日)は、日本の経済学者・マルクス経済学研究者。東北大学名誉教授。 1932年、東京市(現・東京都)に生まれる。神奈川県立小田原高校、東京大学経済学部を卒業、東京大学大学院社会科学研究科博士課程を修了し、1963年に 『価値論の形成』で東京大学より経済学博士の学位を受ける。その後、東北大学教養部教授を務める。 1993年に東北大学を退官して名誉教授となる一方、東北科学技術短期大学学長に就任した。この年、社会党シャドーキャビネットで「経済企画庁長官」に任じられた。 1999年より、東北文化学園大学総合政策学部で教授を務める(2003年まで)。
五木 寛之(いつき ひろゆき、1932年〈昭和7年〉9月30… 五木 寛之(いつき ひろゆき、1932年〈昭和7年〉9月30日 - )は、日本の小説家・随筆家。福岡県出身。旧姓は松延(まつのぶ)。日本芸術院会員。 第二次世界大戦での日本の敗戦に伴い少年期に朝鮮半島から引揚げ、早稲田大学露文科中退。作詞家を経て『さらばモスクワ愚連隊』でデビューした。『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞受賞。反体制的な主人公の放浪的な生き方(デラシネ)や現代に生きる青年のニヒリズムを描いて、若者を中心に幅広い層にブームを巻き起こした。その後も『青春の門』をはじめベストセラーを多数発表。1990年代以降は『大河の一滴』など仏教、特に浄土思想に関心を寄せた著作も多い。 1932年、教員の松延信蔵とカシエの長男として福岡県八女郡上妻村に生まれる。
小野田 隆(おのだ たかし、1932年 <昭和7年> 9月3… 小野田 隆(おのだ たかし、1932年 <昭和7年> 9月30日 - 2018年 <平成30年> 4月30日)は、日本の経営者。住友海上火災保険社長を務めた。位階は従四位。 神奈川県出身。1955年に東京大学法学部私法学科を卒業し、同年に住友海上火災保険(現在の三井住友海上火災保険)に入社。1983年7月に取締役に就任し、1985年2月に常務、1988年6月に専務を経て、1989年6月に副社長に就任し、1990年10月には社長に昇格。1998年6月に会長に就任し、2001年6月には相談役に就任。 2012年4月に旭日重光章を受章。 2018年4月30日に心不全のために死去。85歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
植草 貞夫(うえくさ さだお、1932年9月29日 - )は… 植草 貞夫(うえくさ さだお、1932年9月29日 - )は、日本のアナウンサー。元・朝日放送(ABC)アナウンサーで、同社からの定年退職(1992年)後も、個人事務所の(植草貞夫事務所・オフィスSARAH)代表を務めながら、フリーアナウンサーやスポーツコメンテーターとして2010年代の初頭まで活動していた。 東京府東京市の出身で、東京都立墨田川高等学校から早稲田大学へ進学。大学卒業後の1955年に、アナウンサーとして朝日放送に入社した。入社時点の朝日放送はラジオ単営局であったが、テレビ単営局の大阪テレビ放送との合併によって、入社直後の6月1日付でテレビとの兼営局として再スタートを切った。朝日放送アナウンサーとしての同期に田村安起と矢代清二、他の職種で採用されていた同期の社員に山内久司と澤田隆治と槇洋介などがいる。
川崎 祥悦(かわさき しょうえつ、1932年(昭和7年)9月… 川崎 祥悦(かわさき しょうえつ、1932年(昭和7年)9月29日 - )は、日本の作曲家。青森県出身。東京藝術大学音楽部作曲科卒業。多くの合唱曲を作曲している。作曲家の川崎絵都夫は息子にあたる。
奥田 昌道(おくだ まさみち、1932年9月28日 - )は… 奥田 昌道(おくだ まさみち、1932年9月28日 - )は、日本の法学者。専門は民法。裁判官。勲等は旭日大綬章。学位は、法学博士(京都大学・論文博士・1980年)。京都大学名誉教授、鈴鹿国際大学名誉教授、日本学士院会員。於保不二雄門下。 京都大学法学部教授、京都大学法学部学部長、京都大学大学院法学研究科教授、鈴鹿国際大学国際関係学部教授、最高裁判所判事、同志社大学大学院司法研究科教授などを歴任した。 東京府出身の法学者であり、民法を専攻していた。学位論文「請求権概念の生成と展開」により、京都大学より法学博士の学位を授与された。京都大学、鈴鹿国際大学、同志社大学で教鞭を執り、最高裁判所の判事も務めた。
大川 タケシ(おおかわ タケシ、1932年9月28日 - )… 大川 タケシ(おおかわ タケシ、1932年9月28日 - )は、日本の脚本家・原作家・小説家。日本脚本家連盟の元理事、シナリオスクール元講師。 東京市日本橋区(現・東京都中央区)出身。子供の頃から映画好きで、黒澤明作品が好きだった。1949年に公開された映画『野良犬』に感銘を受け、同作の監督を務めた黒澤に手紙を出し、文通するようになる。これが脚本家を志すきっかけともなった。高校生時代からシナリオを書き始め、シナリオコンクールに応募し続けて何本か佳作に入選。 明治大学文学部卒業。1960年の日活映画『刑事物語』で脚本家デビュー。『特別機動捜査隊』(NETテレビ・東映)からテレビドラマの脚本にも進出する。
松本 孝(まつもと たかし、1932年9月28日 -2016… 松本 孝(まつもと たかし、1932年9月28日 -2016年11月27日)は、日本の小説家。 東京府生まれ。早稲田大学第一文学部仏文科卒。ルポライターを経て、1960年「夜の顔ぶれ」で直木賞候補になった。『週刊新潮』に「黒い報告書」を書いていた。のち官能小説家として活躍する。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
柴田 博一(しばた ひろかず、1932年(昭和7年)9月27… 柴田 博一(しばた ひろかず、1932年(昭和7年)9月27日 - 2014年(平成26年)12月5日)は、日本の実業家。元キーコーヒー株式会社名誉会長、代表取締役会長、社長。同社創業家2代目で、父は創業者の柴田文次。位階は従五位。 浅野高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。1957年家業の株式会社木村コーヒー店(現キーコーヒー株式会社)入社。1970年同社代表取締役社長、1994年代表取締役会長に就任。全日本コーヒー協会会長、全日本コーヒー公正取引協議会副会長、東日本コーヒー商工組合常務理事を歴任した。日本におけるコーヒー業界の発展に尽力し、1981年にはブラジル連邦政府よりサンフランシスコ・グランクルス勲章、1990年に藍綬褒章、2002年に勲四等旭日小綬章を受章した。
飯田 経夫(いいだ つねお、1932年9月27日 - 200… 飯田 経夫(いいだ つねお、1932年9月27日 - 2003年8月4日)は、日本の経済学者。名古屋大学名誉教授。大平内閣ではブレーンを務め、政府税制調査会委員、人事院参与などを歴任した。 大阪府出身。愛知県立津島高等学校を経て、名古屋大学経済学部卒業。塩野谷九十九ゼミナールに所属し、塩野谷ゼミの同級生には十六銀行頭取、代表取締役会長を務めた清水義之、後輩には水谷研治がいる。 1963年から2年間、イギリスへ留学。同年9月、名古屋大学より経済学博士を取得。論文は「経済成長と二重構造」。 名古屋大学経済学部長、国際日本文化研究センター教授、中部大学教授を歴任。専攻は理論経済学。独自の視点から見た日本経済論や経済思想史の著作が数多く、論壇で活躍した。
若山 弦蔵(わかやま げんぞう、1932年9月27日 - )… 若山 弦蔵(わかやま げんぞう、1932年9月27日 - )は、日本の男性俳優、ラジオパーソナリティ、ナレーター、声優、フリー。
瀬木 耿太郎(せぎ こうたろう、1932年9月27日 - )… 瀬木 耿太郎(せぎ こうたろう、1932年9月27日 - )は、日本のエコノミスト、評論家。子供は、ノンフィクション作家の関岡英之。 本名・関岡正弘。福岡県生まれ。東京大学工学部および経済学部卒業。オイルエコノミストとして、世界石油産業の現場に身を置きながら、石油産業、国際石油情勢、メジャーとOPECについて分析・評論を書く。のち東京国際大学教授。
高須賀 義博(たかすか よしひろ、1932年(昭和7年)9月… 高須賀 義博(たかすか よしひろ、1932年(昭和7年)9月27日 - 1991年(平成3年)11月9日)は、日本のマルクス経済学者。元一橋大学経済研究所教授。エコノミスト賞受賞。 愛媛県生まれ。日本統治時代の朝鮮出身。1955年一橋大学経済学部卒業。1957年一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。都留重人ゼミナール出身。1966年、都留重人、種瀬茂、藤野正三郎の審査で、『現代価格体系論序説』で一橋大学経済学博士。一橋大学経済研究所教授在任中の1991年に死去。 1972年、『現代日本の物価問題』でエコノミスト賞受賞。指導学生に米山高生(一橋大学名誉教授)、池尾和人(慶應義塾大学教授)、北原徹(立教大学名誉教授)、御崎加代子(滋賀大学教授)、長尾史郎(明治大学名誉教授)、磯谷明德(九州大学教授)、海老塚明(大阪市立大学教授)、植村博恭(横浜国立大学教授)、都留康(一橋大学教授)、吉原直毅(マサチューセッツ大学教授)など。
堀内 實三(、1932年〈昭和7年〉9月27日 - )は、日… 堀内 實三(、1932年〈昭和7年〉9月27日 - )は、日本の経営者、東宝不動産相談役、元・甲府宝塚劇場代表取締役社長、元・東宝専務取締役、映画プロデューサー。山梨県出身。 1932年、山梨県甲府市に生まれる。祖母が小林一三の実姉という係累もあり[要出典]、1956年に立教大学経済学部を卒業後、東宝に入社。経理部に配属され、関係会社の収支計算に関与する。 1961年、配給部に移り、配給調査、配給業務、配給促進など、市場動向の掌握、配給実務、動員計画など戦略面を学んだ。『東京オリンピック』の動員計画の立案推進、『砂の女』『怪談』などのフリーブッキングにも参画した。 1973年、松岡功常務担当の元で営業本部制が敷かれると、配給部次長になる。
福田 喜重(ふくだ きじゅう、1932年9月26日 - 20… 福田 喜重(ふくだ きじゅう、1932年9月26日 - 2022年12月16日)は、日本の刺繡家、重要無形文化財保持者。刺繡では唯一人の人間国宝である。 京都市生まれ。京都市立第一工業学校(現・京都市立京都工学院高等学校)卒業。父である刺繡家福田喜三郎に1948年から師事。父からの厳しい指導によって本格的伝統技法を習得した。刺繡作品は主に和服。一越縮緬や綸子地などの生地を使用し、意匠では自然物を流動的に表現し、色糸による刺繡で微妙なグラデーションや細かい作業によって繊細で流れるような曲線を描く。そのため、作品は平坦にならず、奥行きを感じさせ絵柄になる。1976年に日本工芸会日本伝統工芸展に初入選、以降受賞を重ねる。
寺崎 昌男(てらさき まさお、1932年9月26日 - )は… 寺崎 昌男(てらさき まさお、1932年9月26日 - )は、日本の教育学者、東京大学・立教大学・桜美林大学名誉教授。東京大学教育学部長、東京大学教育学部附属中学校・高等学校(現・附属中等教育学校)校長、立教大学全学共通カリキュラム運営センター部長、立教学院本部調査役を歴任。学界では教育史学会、日本教育学会、大学教育学会の運営に携わり、日本学術会議第17・18期会員。教育史の枠を超えて大学史の研究を進め、多くの著書がある。 福岡県生まれ。福岡県立明善高等学校を経て、1957年、東京大学教育学部教育学科卒業。1959年、東京大学大学院人文科学研究科教育学専門課程修士課程修了。1962年、東京大学大学院人文科学研究科教育学専門課程博士課程単位取得退学。
長浜 忠夫(ながはま ただお、1932年〈昭和7年〉9月26… 長浜 忠夫(ながはま ただお、1932年〈昭和7年〉9月26日 - 1980年〈昭和55年〉11月4日)は、日本のアニメ監督、舞台演出家。鹿児島県鹿児島市出身。あおいあきらのペンネームで作詞も手がけた。 中学生時代から演劇部で活動。鹿児島放送劇団に所属し、演出を担当する。日本大学芸術学部演劇学科に進学。舞台芸術学院、キリン座、青年俳優クラブ、劇団民藝(宇野重吉に師事)で演劇を学びながら、演劇雑誌『テアトロ』編集部でアルバイトをする。 1960年代前半、人形劇団ひとみ座の演出部に所属していた頃、テレビの人形劇(NHK『ひょっこりひょうたん島』、TBSテレビ『伊賀の影丸』)の演出を担当。その後、ひとみ座の同期で『伊賀の影丸』の製作者でもあった藤岡豊が設立したアニメ制作会社東京ムービーのアニメ制作を担当していたAプロダクションへ入社する。
東山 収一郎(ひがしやま しゅういちろう、1932年(昭和7… 東山 収一郎(ひがしやま しゅういちろう、1932年(昭和7年)9月25日- 2021年(令和3年)10月3日)は、日本の元海上自衛官。第17代海上幕僚長。 東京都出身。東京水産大学では製造学科で食品衛生を研究テーマにしていた。卒業後、海上自衛隊に入隊。入隊の動機は当時、大学が久里浜にあり、目の前に海上自衛隊の基地があったことから「なんとなく、面白そうだから」という理由で入隊したという。 入隊後は空にあこがれて航空部隊へ進む。主に対潜哨戒機「S2F-1 トラッカー」のパイロットとして活躍し、飛行時間は3,500時間を超える。二十代で機長を務めていた頃は、護衛艦と共同で実施する対潜哨戒の作戦の方針をめぐって2佐クラスの艦長と無線でしばしば火花を散らしたという。
井上 佳明(いのうえ よしあき、1932年9月25日 - 1… 井上 佳明(いのうえ よしあき、1932年9月25日 - 1980年6月25日)は、大阪府出身で、1950年代に活躍したプロ野球選手(投手)。 大阪府立天王寺高等学校を卒業後、1951年に国鉄スワローズに入団。同年9月1日、後楽園球場での対大洋ホエールズ戦にてプロ初勝利を挙げた。 翌1952年には、7勝を記録。1953年には自己シーズン最多の9勝を挙げたものの、セ・パ両リーグ最多の26敗を喫した。同年5月9日から8月6日にかけて、同一シーズン13連敗というセ・リーグ記録を残している。以降は成績が低迷し、1957年オフに引退。 1980年6月25日、病のために47歳という若さで急逝した。
久保 菜穂子(くぼ なおこ、本名:久保 忠子(くぼ なおこ)… 久保 菜穂子(くぼ なおこ、本名:久保 忠子(くぼ なおこ)、1932年9月24日 - )は、日本の女優。東京府豊多摩郡代々幡町上原(現東京都渋谷区上原)出身。身長163cm、体重56kg。
佐藤 信夫(さとう のぶお、1932年9月24日 - 199… 佐藤 信夫(さとう のぶお、1932年9月24日 - 1993年5月19日)は、日本の言語哲学者。専門はフランス思想および言語哲学。 言葉の構造と意味をレトリックの面から探求する。19世紀末まで人文教養の中心で、それ以後急速に消滅したレトリックを見直そうとする。著書に『記号人間』(1977年)、『レトリック感覚』(1978年)など。 東京府(現東京都杉並区)出身。東京大学文学部哲学科卒。國學院大學助教授、教授。おもに「レトリック」に関する著作を数多く残したことで知られている。また翻訳も手掛け、ロラン・バルトなどの訳書がある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。