伊藤 弘一(いとう こういち、1936年9月23日 - )は… 伊藤 弘一(いとう こういち、1936年9月23日 - )は、日本の俳優。千葉県館山市出身。本名同じ。 安房第一高校、舞台芸術学院卒業。 劇団俳優座養成所、千田杉山教室を経て、劇団俳優小劇場に入団。初舞台は『十二夜』。フリーランス期間を経て、劇団俳小、エヌ・エー・シーに所属していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
川合 淳二(かわい じゅんじ、1936年〈昭和11年〉9月2… 川合 淳二(かわい じゅんじ、1936年〈昭和11年〉9月22日 - )は、日本の農林官僚。水産庁長官を務めた。静岡県出身。 1960年に東京大学法学部を卒業し、同年に農林省に入省した。1986年7月に大臣官房総務審議官に就任し、1992年7月から1993年10月までに水産庁長官を務めた。 2007年4月に瑞宝重光章を受章。
石堂秀夫(いしどう ひでお、1936年9月21日 - )は、… 石堂秀夫(いしどう ひでお、1936年9月21日 - )は、日本の小説家。 東京生まれ。東京都立三田高等学校定時制中退。1969年小説『那覇の港で』により第6回総評文学賞を受賞。1971年、長編小説『詐欺師たち』を刊行し、椎名麟三の絶賛を受けて作家生活に入る。『奥の細道・全行程を往く』で松尾芭蕉の研究家としても知られ、また、ドラマ『天明義民伝』で、2000年度地方自治大賞を受賞。
宮下 啓三(みやした けいぞう、1936年9月20日 - 2… 宮下 啓三(みやした けいぞう、1936年9月20日 - 2012年5月6日)は、日本の文学者(ドイツ文学者)、慶應義塾大学名誉教授。 東京府出身。父は宮下正美。兄の宮下展夫は演劇評論家で『朝日ジャーナル』編集長。 幼稚舎から慶應義塾普通部を中退し湘南学園中学校に転校、同高等学校から慶應義塾高校編入を経て1959年慶應義塾大学独文科卒、1965年同大学院博士課程単位取得満期退学。1977年「18世紀ドイツ戯曲史とブランクヴァース」で慶應義塾大学より文学博士を賜る。 後に慶應義塾大学文学部助教授、教授を歴任し、2001年定年退任、2007年まで帝京大学教授。1978年日本観光文化奨励賞受賞。 専門はドイツ演劇、スイス文化史。
藤枝 晃雄(ふじえだ てるお、1936年9月20日 -201… 藤枝 晃雄(ふじえだ てるお、1936年9月20日 -2018年4月26日)は、美術評論家、武蔵野美術大学名誉教授。本名は藤枝照容(ふじえだ てるかた)。 福井県越前市出身。実家は陽願寺で、シベリア抑留経験者の父を持つ。東京都立戸山高等学校、東京芸術大学美術学部卒業。卒業論文はマルセル・デュシャンについて扱い、装丁は石岡瑛子が担当した。在学中にはモダニズム詩に熱中し、北園克衛発行の「VOU」に参加。京都大学大学院を経てペンシルベニア大学大学院に留学、2002年「ジャクソン・ポロック」で大阪大学文学博士。 専攻はポロック、ブラック、草間彌生など。1960年代後半から『美術手帖』などに論評を寄せた。
伊藤 源嗣(いとう もとつぐ、1936年9月20日 -)は、… 伊藤 源嗣(いとう もとつぐ、1936年9月20日 -)は、日本の実業家。石川島播磨重工社長、会長を務めた。 静岡県出身。1959年に東京大学工学部機械工学科を卒業し、石川島重工業に入社した。1993年6月に取締役、1998年6月に常務、2000年6月に専務を経て、2001年6月から社長に就任。2003年6月には最高経営執行責任も兼任し、2007年から2008年までに会長を務め、それ以降は相談役と特別顧問を務めた。 日本航空宇宙工業会会長や日本防衛装備工業会会長や日本機械工業連合会会長なども歴任した。 2017年に旭日重光章を受章した。
小華和 ためお(こはなわ ためお、本名:小華和 為雄(読みは… 小華和 ためお(こはなわ ためお、本名:小華和 為雄(読みは左記と同じ)、1936年9月18日 - )は、山形県酒田市出身のアニメーター、アニメーション監督である。
片山 文彦(かたやま ふみひこ、1936年9月18日 - 2… 片山 文彦(かたやま ふみひこ、1936年9月18日 - 2016年7月16日)は、東京都生まれの神職、花園神社名誉宮司、医師、医学博士。神道時事問題研究会を主催。 東京市(現東京都新宿区)に生まれる。昭和医科大学卒業、1971年東京女子医科大学大学院修了(衛生学教室)、「東京女子医科大学病院の診療圏」で医学博士。國學院大學神道研修別科修了。 東京女子医科大学講師、立教大学講師、國學院大學講師を歴任。
飯吉 厚夫(いいよし あつお、1936年9月17日 - )は… 飯吉 厚夫(いいよし あつお、1936年9月17日 - )は、日本の工学者。京都大学名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。核融合科学研究所名誉教授。未来エネルギー研究協会名誉会長。工学博士(慶應義塾大学)。専門分野はプラズマ理工学、核融合科学。 学校法人中部大学第4代理事長、中部大学第2代総長・第3代学長。中部ESD拠点(RCE中部)代表。核融合科学研究所初代所長。 プラズマ・核融合学会会長、IEA・ステラレータ執行委員会委員長、文部科学省科学技術・学術審議会委員、国立大学法人評価委員会委員、財団法人かすがい市民文化財団理事長等を歴任。主な著書に『ビッグプロジェクト-その成功と失敗の研究-』(2008年 新潮新書)など。
高田 直樹(たかだ なおき、1936年9月17日 - )は、… 高田 直樹(たかだ なおき、1936年9月17日 - )は、日本の登山家・教育者・プログラマー。 京都府与謝郡岩滝町生まれ。京都府立大学卒業。京都府宇治市在住。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
飯田 哲也(いいだ てつや、 1936年9月17日 - 20… 飯田 哲也(いいだ てつや、 1936年9月17日 - 2023年5月9日)は、日本の社会学者。専門は、家族社会学。 富山市生まれ。法政大学社会学部卒業後、法政大学大学院社会学研究科単位取得退学。1992年、名古屋大学から博士(文学)の学位を取得。日本福祉大学講師・助教授、立命館大学産業社会学部助教授・教授を歴任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
井茂 圭洞(いしげ けいどう、1936年9月16日 - )は… 井茂 圭洞(いしげ けいどう、1936年9月16日 - )は、日本の教育者、書家。一東書道会会長、京都教育大学名誉教授、日本芸術院会員、文化功労者。本名は井茂 雅吉(いしげ まさきち)。 高等学校の教員を経て、京都教育大学教育学部教授、公益社団法人日展副理事長などを歴任した。 1936年生まれ、兵庫県出身。本名は雅吉。1954年より深山龍洞に師事。京都学芸大学(現・京都教育大学)卒。大学卒業後は、高等学校の教員として書道を教えていた。 61年「若山牧水の歌」が日展初入選。1991年京都教育大学教授。97年日展評議員。「清流」で2001年日展内閣総理大臣賞、2001年芸術院賞。2012年日本芸術院会員。
築地 美孝(つきじ よしたか、1936年9月16日 - )は… 築地 美孝(つきじ よしたか、1936年9月16日 - )は、熊本県玉名郡長洲町出身のマラソンランナー、スポーツ指導者。 熊本県立玉名高等学校を経て、1959年、東京教育大学体育学部卒。 大学卒業後、東京急行電鉄陸上部監督を経て,東急鯱パスKK勤務の傍ら数々のマラソンランナーの育成に努める。 経歴が日本マラソンの父である金栗四三と同一である。
加地 和(かじ やまと、1936年9月16日 - 2008年… 加地 和(かじ やまと、1936年9月16日 - 2008年9月14日)は、日本の政治家(衆議院議員)、弁護士、税理士。京都府出身。自由民主党所属の京都市会議員、加地浩は二男。妻の勝子は元京都府議会議員(綾部市選挙区)・綾部市議会議員の長岡巻太郎の二女。父の加地弥一は元京都市会議員(上京区選出)。
永井 康郎(ながい やすお、1936年9月16日 - 201… 永井 康郎(ながい やすお、1936年9月16日 - 2014年4月21日)は、日本の実業家、馬主。トヨタカローラ三重株式会社の代表取締役社長を務めていた。明治大学政治経済学部出身。 1936年生まれ。トヨタカローラ三重株式会社の代表取締役専務を経て第3代代表取締役社長を務めた。退任後は同社相談役のほかネッツトヨタノヴェル三重株式会社相談役、永井自動車工業株式会社相談役などを務め、2014年に死去した。77歳没。トヨタカローラ三重で要職を歴任した現名誉会長の永井啓弐は兄。 日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は緑、赤袖緑一本輪、冠名には三重県に関する語を取り入れる兄の啓弐とは異なり、フランス語で「ありがとう」を意味する「メルシー」を用いた。
長島 良三(ながしま りょうぞう、1936年9月16日 - … 長島 良三(ながしま りょうぞう、1936年9月16日 - 2013年10月14日)は、日本の編集者・翻訳家。フランス文学の翻訳を専門とする。 アンドレ・モーロワ、ボリス・ヴィアン、ジョルジュ・シムノン(「メグレシリーズ」)、モーリス・ルブラン(「ルパン・シリーズ」)などの翻訳で知られる。別名、北村良三(きたむら りょうぞう)。少年文芸作家クラブ会員。 編集者時代は、「ミステリマガジン」「SFマガジン」両誌の編集長を務めた。また、バベル翻訳学院講師も務めた。 東京府に生まれる。明治大学文学部仏文科卒。大学を修了後、早川書房に入社。1973年から1975年までは「ブラック・ユーモア選集」などを企画した。
石黒靖尋(いしぐろやすひろ、1936年(昭和11年)9月15… 石黒靖尋(いしぐろやすひろ、1936年(昭和11年)9月15日 - 2011年(平成23年)1月13日)は、国内最大手ホームセンター「DCM」の源流企業である「ホーマック」「石黒ホーマ」の創業者で、元会長。日本のホームセンター業界、チェーンストア業界の礎を築いた第一人者。DCMホールディングス元代表取締役相談役。 ホーマックの前身企業の創業者の出自。 同社社長を経て、いったんは会長・相談役に退いたが、DJグループ(現DCMグループ)入りで、当時の前田勝敏ホーマック会長兼社長がDJHDの社長就任とその後のインサイダー問題による引責辞職に伴い、同社の代表権のない会長に復帰した上、取締役相談役として名を連ねていたDJHDでも相談役の肩書きのまま代表権を付与されていた。
今瀬 剛一(いませ ごういち、1936年9月15日 - )は… 今瀬 剛一(いませ ごういち、1936年9月15日 - )は、日本の俳人。茨城県出身。 1944年、父の生地である茨城県東茨城郡小松村(現在の城里町)に疎開し、以後同地に住む。茨城県立水戸第一高等学校時代にホトトギスの俳人でもあった音楽教師・滝豊(俳号:鼓泉子)の指導のもとで俳句の作成を開始する。茨城大学卒業後、1959年より学校教師として勤める。1961年、「夏草」入会。1970年、「沖」創刊とともに参加し能村登四郎に師事。1975年に沖賞、1979年に茨城文学賞受賞。1986年、「対岸」を創刊・主宰。1997年から東京新聞茨城版「ひたち俳壇」の選者を務める。 2008年、句集『水戸』により第47回俳人協会賞を受賞。
松澤 友久(まつざわ ともひさ、1936年9月15日 - )… 松澤 友久(まつざわ ともひさ、1936年9月15日 - )は、日本のラグビー指導者。山梨県出身。 日川高校卒業後、日本体育大学に入る。 日本体育大学卒業後、川崎の高校教師を経て1971年、相模台工業高校のラグビー部監督に就任。監督として在籍期間中花園1度の優勝、2度の準優勝に貢献。なお総監督を務めた1994年も花園連覇した。 監督退任後は山梨学院大学の監督就任。関東大学ラグビーリーグ戦グループ1部初昇格に貢献。相模原市ラグビーフットボール協会の会長を務めた。
小田部 羊一(こたべ よういち、1936年9月15日 - )… 小田部 羊一(こたべ よういち、1936年9月15日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団評議員。アニメーター・銅版画家の奥山玲子は妻。 日本統治時代の台湾・台北州台北市に生まれる。小学校教員の父は、油彩を嗜んでいた。幼少時より『ポパイ』や『桃太郎の海鷲』・『くもとちゅうりっぷ』などのアニメーション映画に親しんで育つ。日本の敗戦後、家族とともに日本に引き揚げ、奈良市・新潟市・日立市を移り住む。帰国後は手塚治虫(『新宝島』『ロストワールド』)や小松崎茂・山川惣治の作品に惹かれて頻繁に模写し、『せむしのこうま』『白雪姫』といった外国のアニメーション映画にも接する。
山崎 忠昭(やまざき ただあき、1936年9月15日 - 1… 山崎 忠昭(やまざき ただあき、1936年9月15日 - 1999年8月)は、日本の脚本家、放送作家。通称「ヤマチュー」。 新潟県出身。「新潟映研」で佐藤忠男の面識を得る。 早稲田大学第一文学部演劇学科卒業後、大学院に進むも中退。在学時はワセダミステリクラブの創設に参加した。 1960年、日活が制作する“無国籍アクション”作品の脚本・企画にフリーの立場で関わるようになり、池田一朗に師事。1961年公開の映画『明日が私に微笑みかける』で脚本家デビュー。以降は『野獣の青春』(監督:鈴木清順)・『黒い賭博師 悪魔の左手』(監督:中平康)・『殺人狂時代』(監督:岡本喜八)などを執筆し、日本映画史に残るカルト映画の脚本家として知られるようになる。
最首 悟(さいしゅ さとる、1936年〈昭和11年〉9月14… 最首 悟(さいしゅ さとる、1936年〈昭和11年〉9月14日 - 2026年〈令和8年〉2月8日)は、日本の哲学者、生物学者、社会学者、社会・思想評論家、思想家。和光大学名誉教授。 元全共闘活動家。和光大学人間関係学部教授(環境哲学)、人間関係学部学部長を経て名誉教授。ほか駿台予備学校論文科講師。NPOのオルタナティブ大学であるシューレ大学アドバイザーを務める。 神奈川県横浜市在住。(※2020年1月現在) 福島県生まれ、千葉県育ち。国民学校では病気で3年の長期欠席を経験している。 1959年(昭和34年) 千葉県立国府台高等学校を経て東京大学理科1類入学。1960年(昭和35年) ブント同盟員になるも「1日ブント」と呼ばれる。
沢 阿由美(さわ あゆみ、1936年9月14日 - )は、日… 沢 阿由美(さわ あゆみ、1936年9月14日 - )は、日本の女優。東京都出身。本名は中村 泰子。別芸名に中村 恭子(なかむら きょうこ)。 立教女学院高等学校卒業。1955年に松竹演技研究所に入り、1960年2月に現代劇場に入団。1963年2月に劇団新劇場の所属となる。その後は松竹芸能、新国劇、劇団鮎、衣笠プロダクションなどに所属した。創成期のテレビドラマに数多く出演した。
佐々木 守(ささき まもる、1936年9月13日 - 200… 佐々木 守(ささき まもる、1936年9月13日 - 2006年2月24日)は、日本の脚本家、放送作家、漫画原作者。 石川県能美市(旧根上町)出身、石川県立小松高等学校、明治大学文学部日本文学科卒業。 大学では児童文学研究部に所属し、鳥越信、古田足日、山中恒、神宮輝夫らの児童文学研究誌「小さい仲間」の同人となる。そのころに書いた「児童文学における近代性への疑問 -- 児童文学者の戦争責任」(『小さい仲間』26号)「新美南吉『おじいさんのランプ』論」(『日本児童文学』通巻45号)などで注目をあびた。 1955年、大学2年の際に「砂川闘争」に参加する。大学4年の時から教育映画作家協会 (現:日本記録映画作家協会)の機関誌「記録映画」の編集者をつとめ、大島渚、松本俊夫らと知り合う。
有田 麻里(ありた まり、1936年9月13日 - 2009… 有田 麻里(ありた まり、1936年9月13日 - 2009年12月3日)は、日本の女優、声優。東京都出身。身長166cm、体重55kg。 静岡県立清水東高等学校卒業。現代演劇協会附属研究所を経て、劇団雲に入団し、深沢 英子(ふかざわ えいこ)の芸名で俳優活動をスタートする。1975年、演劇集団 円の結成に参加。有田麻里に改名し、舞台を中心にテレビドラマなどでも活躍する。2006年、夫である俳優・平野稔と共に円を退団し、LLC平野企画の創立に参加。 2009年12月3日、膵臓癌により死去。73歳没。
光沢 毅(みつざわ たけし、1936年9月13日 - )は、… 光沢 毅(みつざわ たけし、1936年9月13日 - )は、長野県飯田市出身の野球選手(投手、外野手)・監督・解説者、ブラインドゴルフ選手。 終戦翌年の1946年に小学4年生で野球を始め、中学時代は投手のほか、様々なポジションをこなした。 飯田長姫高時代は授業中もゴムまりで鍛えた握力で鋭いドロップを投げ、2年春に、3年生のエースが受験勉強のために退部し、代わりにエースとなった。 3年次の1954年、登録身長160cm、実際の身長は157cm、体重51kgの短躯ながら左腕エースとして春の選抜に初出場。1試合平均で12個の三振を奪うなど、剛球投手として注目されたが、完全な光沢のワンマンチームで、チーム自体はそれほど注目されていなかった。
常の松 寛(つねのまつ ひろし、1936年9月13日 - 没… 常の松 寛(つねのまつ ひろし、1936年9月13日 - 没年不明 )は、出羽海部屋に所属した元力士。本名は吉岡 寛(よしおか ひろし)(旧姓南口)。現在の福岡県嘉麻市(旧山田市)出身。178cm、102kg。最高位は西十両13枚目。得意技は左四つ、寄り。 1952年5月場所に初土俵、1960年7月場所に十両昇進。新十両の場所は8勝7敗と勝ち越したが、その後2場所連続で負け越し、わずか3場所で幕下陥落。1963年1月場所に26歳で廃業。
溝上 恵(みぞうえ めぐみ、男性、1936年9月12日 - … 溝上 恵(みぞうえ めぐみ、男性、1936年9月12日 - 2010年1月4日)は、日本の地震学者。専門は地震計測。東京大学地震研究所教授を経て、同大学名誉教授。地震防災対策強化地域判定会会長・地震予知連絡会委員・中央防災会議委員などを歴任。新潟県長岡市出身。 微小地震の研究で知られ、地震予知の対象をプレスリップ(前兆すべり)に限定するなど前兆分析の分野で大きく貢献した。
黒川 清(くろかわ きよし、1936年9月11日 - )は、… 黒川 清(くろかわ きよし、1936年9月11日 - )は、日本の医学者(内科学・腎臓学・医療政策・科学政策)。 勲等は旭日重光章。学位は医学博士(東京大学・1967年)。東京大学名誉教授、政策研究大学院大学名誉教授、東海大学特別栄誉教授、World Dementia Council副議長、特定非営利活動法人日本医療政策機構代表理事。 東海大学医学部学部長(第3代)、東海大学総合医学研究所所長、日本学術会議会長(第22・23代)、内閣特別顧問などを歴任した。 弟は都市工学者で東京工業大学・筑波大学名誉教授の黒川洸。叔父(母の弟)は教育心理学者の続有恒。 1955年に成蹊高等学校を卒業し、1962年に東京大学医学部を卒業した。
白川 文造(しらかわ ぶんぞう、1936年(昭和11年)9月… 白川 文造(しらかわ ぶんぞう、1936年(昭和11年)9月11日 - )は、日本の実業家、テレビドラマのプロデューサー。ビーエスフジ(BSフジ)社長、鹿児島テレビ放送副社長を務めた。 香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校、東京大学文学部西洋史学科卒業。 1962年(昭和37年)東京大学卒業後、フジテレビジョン入社。編成局に勤務し、『鉄腕アトム』 『鉄人28号』 『夜のヒットスタジオ』 『北の国から』 など数多くのヒット番組の編成・企画・プロデュースに携わる。 1981年(昭和56年)10月9日、『北の国から』の第1話が放映される。初回視聴率16.4%、最終回は21.0%を獲得した。視聴者からの反響は絶大で、以後20年間で8本のスペシャルが放送される国民的ドラマとなった。
設楽 博(しだら ひろし、1936年9月11日 - )は、日… 設楽 博(しだら ひろし、1936年9月11日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督である。山形県村山市出身。日本大学芸術学部卒業。 大学を卒業した1960年春、東映に入社。2年ほど京都撮影所に勤務した後、東映動画に移籍した。1965年、『宇宙パトロールホッパ』にてテレビアニメの演出家としてデビュー。その後、『魔法使いサリー(第1作)』『ゲゲゲの鬼太郎(第1作)』『タイガーマスク』『デビルマン』『ミクロイドS』など数多くのテレビアニメで演出を担当した。 演出家・設楽博の名を一躍有名にしたのは、1976年、初めてチーフディレクター(=監督)の大役を任されたテレビアニメ『キャンディ・キャンディ』である。
真田 健一郎(さなだ けんいちろう、1936年9月10日 -… 真田 健一郎(さなだ けんいちろう、1936年9月10日 - 2008年12月17日)は、日本の俳優。本名は藤森 弘義。旧芸名は藤森 達雄、藤森 健之。 東京都墨田区出身。日本大学藝術学部卒業。劇団昴を経て、アクトレインクラブに所属していた。 大学卒業後に新国劇に入団し、辰巳柳太郎に師事。以後1982年に退団するまで26年間に渡って主に新国劇で活躍。舞台以外にもテレビや映画の時代劇にも出演。池波正太郎からの信任が厚く、池波原作の演劇・テレビ作品の常連。「真田健一郎」の芸名も、新国劇退団時に池波が名付け親になって改名したものである。『鬼平犯科帳』では丹波哲郎主演版と中村吉右衛門主演版で、火付盗賊改方同心・沢田小平次役を演じており、『三毛猫ホームズの推理』など現代劇にも出演した。
原 広司(はら ひろし、1936年9月9日 - )は、日本の… 原 広司(はら ひろし、1936年9月9日 - )は、日本の建築家。東京大学名誉教授。
村上 陽一郎(むらかみ よういちろう、1936年9月9日 -… 村上 陽一郎(むらかみ よういちろう、1936年9月9日 - )は、日本の科学史家・科学哲学者、東京大学・国際基督教大学名誉教授。
井手 久登(いで ひさと、1936年9月9日 - )は、日本… 井手 久登(いで ひさと、1936年9月9日 - )は、日本の造園・緑地学研究者。生態学者。教育者。東京大学名誉教授。日本学術会議会員。農学博士。首都機能移転の環境に関する研究会座長。岳父は経済史学者の大塚久雄。 研究テーマは生態学的土地利用計画、農村計画学、緑地環境計画。造園系文化財保護・現地保存と環境保全。都市緑化・緑地保全、植生分布、果樹変異、生垣、緑環境・緑景観、保存樹街路樹保全などや生活環やナショナル・トラストなど。1992年、農村計画学会会長。1995年、日本都市計画学会副会長。日本公園緑地協会公園緑地研究委員会委員長。2001年、日本都市計画学会功績賞。2014年、第8回みどりの学術賞。
西大路 隆昭(にしおおじ たかあき、1936年(昭和11年)… 西大路 隆昭(にしおおじ たかあき、1936年(昭和11年)9月9日 - )は、日本の実業家。西大路家の第23代当主。父は西大路隆敏。同志社大学卒業。京都府京都市出身。 1936年(昭和11年)に京都府京都市で子爵・西大路隆敏とその妻で日本電力社長・池尾芳蔵の次女である正子の長男として生まれる。同志社大学卒業。 1953年(昭和28年)に父の隆敏が亡くなり家督を相続し、西大路家の当主となる。私生活では矢嶋新兵衛の娘である洋子と結婚し、1男1女を儲けた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
宗像 隆幸(むなかた たかゆき、1936年9月9日 - 20… 宗像 隆幸(むなかた たかゆき、1936年9月9日 - 2020年7月6日)は、日本の台湾独立運動家。 1936年、鹿児島市に生まれる。1961年、明治大学経営学部を卒業。出版社勤務を経て、台湾青年社(後の台湾独立建国聯盟日本支部)に参加。月刊『台湾青年』の編集長を務める。筆名・宋重陽。アムネスティ・インターナショナル日本支部理事、台湾人元日本兵の補償問題を考える会幹事を歴任。「台湾自救運動宣言」を発表し、自宅軟禁状態にあった彭明敏(台湾大学教授、後の総統候補)の台湾脱出に協力する。台湾独立建国聯盟総本部中央委員、アジア安保フォーラム幹事。2020年7月6日、東京で死去。享年84。
浦田 直治(うらた なおじ、1936年9月8日 - )は、群… 浦田 直治(うらた なおじ、1936年9月8日 - )は、群馬県桐生市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 桐生市立境野中学校では主将を務め、2年次の1950年には東京六大学秋季リーグ戦試合開始前の神宮に行き、法政大でプレーする根本陸夫を訪ねた。 監督が日大出身で根本の2年先輩であり、主将の浦田に「後輩に根本っていう選手がいた。今は法政大学でキャッチャーをしている。俺が頼むから、みんなを連れて六大学を見に行き、野球の勉強をしてきなさい」と言ったのが、根本と会ったきっかけである。浦田は根本宛に手紙を書くよう命じられ、野球部全員で行くことや試合観戦の希望を記して投函していたが、根本という選手について先生は何も教えてくれなかった。
緒方 謙二郎(おがた けんじろう、1936年9月8日 - )… 緒方 謙二郎(おがた けんじろう、1936年9月8日 - )は日本の通産官僚。血液型はB型。資源エネルギー庁長官、川崎重工業副社長、日中経済協会理事長、東京浦高会会長などを歴任。兄は国立国会図書館元館長の緒方信一郎[要出典]。 埼玉県浦和市出身(父は福井県、母は和歌山県)。埼玉県立浦和高等学校、東京大学法学部卒業。1960年 通商産業省入省。配属先は大臣官房調査統計部管理課。1975年 通商産業省生活産業局住宅産業課長。1978年 資源エネルギー庁ガス事業課長。1981年 通商産業省基礎産業局鉄鋼業務課長。1984年 通商産業省大臣官房会計課長。1988年 科学技術庁科学技術振興局長。1989年 科学技術庁原子力局長。
小林 義明(こばやし よしあき、1936年9月8日 - )は… 小林 義明(こばやし よしあき、1936年9月8日 - )は、日本の元映画監督・プロデューサー。主に特撮テレビドラマ作品を手がける。東映に所属していた。株式会社自由メディア代表。 1952年 東京教育大学附属中学校(現・筑波大学附属中学校)卒業。1955年 東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)卒業。1960年 日本大学藝術学部を卒業後、東映東京撮影所に入社。 佐伯清に師事し、社員監督の立場で数々の作品に携わる。最初に助監督としてついた作品は片岡千恵蔵主演の『二発目は地獄行きだぜ』(1960年1月27日公開)、デビュー作品は1966年のテレビドラマ『刑事さん』。その後、労働組合の幹部になったことから2年ほど労働を禁じられていたが、労使交渉により復帰し、吉川進プロデューサーの招きにより、1978年の『スパイダーマン』より特撮作品の演出に進出。
豊田 彰(とよだ あきら、1936年9月8日 - )は、日本… 豊田 彰(とよだ あきら、1936年9月8日 - )は、日本の物理学者、翻訳家、茨城大学名誉教授。 愛知県生まれ。1964年名古屋大学大学院理学研究科物理学博士課程修了、「弱い相互作用におけるボゾン極近似と中間ボゾンについて」で理学博士。茨城大学教養部講師、助教授、教授。2000年定年退官、名誉教授。1993年『青春 ジュール・ヴェルヌ論』で日本翻訳出版文化賞受賞。ミシェル・セールの著作を数多く翻訳した。
宗近 晴見(むねちか はるみ、1936年〈昭和11年〉9月8… 宗近 晴見(むねちか はるみ、1936年〈昭和11年〉9月8日 - 2025年〈令和7年〉7月31日)は、日本の男性俳優、声優。本名は北村 克己。東京都出身。身長170cm、体重72kg。血液型はB型。最終所属はヘリンボーン。 明治大学文学部卒業。俳優座養成所7期卒業。1958年4月に劇団新人会に入団し、1960年10月まで在籍。1961年5月に新劇場に入団。その後、エヌ・エー・シー、芹川事務所、大沢事務所に所属していた。 2010年代以降は仕事量を抑える傾向にあり、映像作品への出演は2011年のテレビドラマ『坂の上の雲』第3部が、舞台を含めると、2014年の舞台『赤い糸、みぃつけた。』が最後の仕事となっている。
井上 博司(いのうえ ひろし、1936年(昭和11年)9月7… 井上 博司(いのうえ ひろし、1936年(昭和11年)9月7日 - 2019年(令和元年)9月17日)は、日本の政治家。北海道函館市長(2期)。位階は正六位。旭日小綬章。 北海道函館市出身。北海道函館西高等学校卒業後、1955年函館市役所に入る。商工観光、企画、市民の各部長を経て、助役となる。1999年、当時の函館市長木戸浦隆一が病気のため辞職。これに伴う市長選挙に立候補して当選した。2003年に再選。2007年の市長選では3選を目指したが、元助役の西尾正範に敗れた。2019年春の叙勲で旭日小綬章を受章。同年9月死去。死没日付をもって正六位に叙された。
根平 邦人(ねひら くにと、1936年9月6日 - 2026… 根平 邦人(ねひら くにと、1936年9月6日 - 2026年3月8日)は、日本の植物学者、自然科学者、理学博士。広島大学及び広島経済大学名誉教授。現在放送大学客員教授、実践生物教育研究会講師でもある。鳥取県境港市出身。広島市西区在住。
公文 宏(くもん ひろし、1936年9月6日 - 2020年… 公文 宏(くもん ひろし、1936年9月6日 - 2020年1月8日)は、日本の大蔵官僚。国土庁長官官房長、内閣官房内閣内政審議室長、国土事務次官、石油公団副総裁、住友生命総合研究所副社長などを歴任。血液型はAB型。 香川県坂出市出身(父母も香川県)。香川県立坂出高等学校、東京大学法学部卒業。東大法学部在学中に国家公務員上級甲種試験(法律)を合格。1959年 大蔵省に入省(主計局総務課)。総務課長に中尾博之、その後、主計官(総務課企画担当)に海堀洋平が就き、同期で同じ係には斎藤次郎がいた。1966年7月1日 甲府税務署長。主に課長補佐時代は大臣官房と主計局に勤務。1968年7月から2年間は和歌山県総務部財政課長として出向。
竹内 修司(たけうち しゅうじ、1936年9月5日 - )は… 竹内 修司(たけうち しゅうじ、1936年9月5日 - )は、日本の元編集者・ジャーナリスト。八戸ペンクラブ顧問。 北海道函館市生まれ。1946年台湾より引揚げて父の郷里青森県弘前市和徳町へ。翌年母の郷里八戸市六日町へ移り、1955年八戸高等学校卒業(高七回生)。アルビオン英語学校一期生として中高5年間薫陶を受けた漆山終吉校長の母校でもある東京外国語大学英文学科を卒業。 1959年2月に文藝春秋新社(のちの株式会社文藝春秋)に入社。雑誌「週刊文春」月刊「文藝春秋」「文學界」の編集や、出版部で書籍編集に携わる。1977~79年「諸君!」編集長ののち、出版局長、編集局長、営業局長、総務局長、常務取締役を経て2000年6月退任。
菊池 光造(きくち こうぞう、1936年9月5日 - )は、… 菊池 光造(きくち こうぞう、1936年9月5日 - )は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。専門は労使関係。
梶原 一騎(かじわら いっき、1936年9月4日 - 198… 梶原 一騎(かじわら いっき、1936年9月4日 - 1987年1月21日)は、日本の漫画原作者、小説家、映画プロデューサー。本名は高森 朝樹(たかもり あさき)。高森 朝雄(たかもり あさお)の筆名も使用した。格闘技やスポーツを題材に、男の闘う姿を豪快に、ときには繊細に描き出し、話題作を次々と生み出した。自身の型破りで豪快な生き方や数々のスキャンダルでも話題を呼んだ。身長180cm、体重85kg。空手五段、柔道二段(1983年7月28日の自己申告)。 1966年から『週刊少年マガジン』に連載された漫画『巨人の星』の原作者として名声を上げ、以後『あしたのジョー』(高森朝雄名義)、『タイガーマスク』など、いわゆる「スポ根もの」分野を確立した功績をはじめ、多くの劇画・漫画作品の原作者として活躍した。
吉川 貴久(よしかわ よしひさ、1936年9月4日 - 20… 吉川 貴久(よしかわ よしひさ、1936年9月4日 - 2019年10月12日)は、日本の射撃競技(ピストル種目)選手。福岡県警察所属の警察官。1960年ローマオリンピック・1964年東京オリンピックの男子フリーピストル銅メダリスト。日本にオリンピック射撃競技初のメダルをもたらし、2大会連続のメダリストとなった。 オリンピックのほかアジア競技大会やISSF世界射撃選手権・アジア射撃選手権などの国際大会でも活躍、1966年アジア競技大会および1967年アジア射撃選手権大会で金メダルを獲得している。 福岡県出身。福岡県立戸畑中央高等学校卒業。 1960年ローマオリンピックに23歳で出場。男子フリーピストル種目(以下、吉川の国際大会出場はすべて同種目)マフムド・ウマロフ(英語版)と同点(552点)で並び、シュートオフの末に銅メダル。
関森 正治(せきもり まさはる、1936年9月4日 - )は… 関森 正治(せきもり まさはる、1936年9月4日 - )は香川県出身の元プロ野球選手。昭和30年代の近鉄球団の主力選手であった。