李 鍾承(イ・ジョンスン、朝鮮語: 이종승、1923年4月2… 李 鍾承(イ・ジョンスン、朝鮮語: 이종승、1923年4月28日 - ?)は、日本統治時代の朝鮮の朝鮮貴族。 本貫は全義李氏。本籍は京城府體府洞(現: ソウル特別市)。 1923年4月28日、日本統治時代の朝鮮で男爵であった李能世の3人目の子供として生まれた。1934年9月、子爵李忠世の死後、養子として入籍した。 1934年10月15日には養父の李忠世が受けた子爵位を継承し、1940年には日本紀元2600年祝典記念招待者に選ばれた。 1942年に東京学習院(当時)を卒業し、1943年5月15日には日本政府から従五位に叙位された。東京帝国大学法学科1年生に在学中の1943年11月15日に帰国し、1943年11月18日には京城府東大門警察署を訪れ、日本軍学徒兵に志願した。
宇井 昇(うい のぼる、1923年4月28日 - 2008年… 宇井 昇(うい のぼる、1923年4月28日 - 2008年3月18日)は、元中部日本放送(CBC)アナウンサー。日本の民間放送(本放送)で第一声を発した人物でもあった。 東京都墨田区出身。東京工業大学卒業後、大蔵省に入省する。1951年、同省を退職し、開局直前の中部日本放送に入社。プロ野球・中日ドラゴンズ戦や大相撲の実況中継、クイズ番組の司会などで活躍。1959年、同社を退社しフリーに。主に日本短波放送・ラジオ関東で活躍。1981年から2002年まで、リクルートで企業の社員研修を行うトレーナーを勤める。 晩年は東京都江戸川区に住み、出身地の墨田区でボランティア活動を行う特定非営利活動法人「てーねん・どすこい倶楽部」の理事を務めながら余生を送っていた。
平岡 定海(ひらおか じょうかい、1923年4月27日 - … 平岡 定海(ひらおか じょうかい、1923年4月27日 - 2011年11月26日)は、華厳宗の僧侶で歴史学者。第213世東大寺別当。書家。 1923年(大正12年)、奈良市東大寺上之坊に生まれる。1949年(昭和24年)京都大学文学部史学科卒業。1955年(昭和30年)東京大学大学院修了。1960年(昭和35年)文学博士。 1954年(昭和29年)種智院大学講師、1957年(昭和32年)助教授、1966年大手前女子大学教授。東大寺上之坊住職、東大寺執事長、華厳宗管長、東大寺別当を歴任。 2011年(平成23年)11月26日、多臓器不全により遷化。88歳没。
桟 熊獅(かけはし くまし、1923年(大正12年)4月25… 桟 熊獅(かけはし くまし、1923年(大正12年)4月25日 - 2012年(平成24年)2月3日)は日本の政治家。佐世保市長を16年間にわたって務めた。 佐世保市出身。県立佐世保中学校(現・佐世保南高校)、第五高等学校文科甲類を経て、東京大学経済学部を卒業。長崎県職員、佐世保市職員、佐世保重工業(SSK)社員を経て、1970年3月に長崎県出納長に就任、1972年3月に副知事に転じ1期を務めた。 1979年4月、引退する辻一三の後継として佐世保市長選に出馬し当選、4期16年を務める。在任中にテクノポリス指定や西九州自動車道の大塔までの開通、ハウステンボスの誘致などを果たしたが九州新幹線西九州ルートの早岐経由から嬉野温泉経由への経路変更問題で政治姿勢を追及され、1992年12月の定例市議会で異例の「市長に猛省を求める決議」が可決されるに至った。
武田元治(たけだ もとはる、1923年4月25日-2012年… 武田元治(たけだ もとはる、1923年4月25日-2012年2月17日)は、日本の国文学者。 神戸市出身。1943年学徒出陣、中国戦線を転戦。1949年東京帝国大学文学部国文学科卒。51年同大学院(旧制)修了。高校教諭を経て1973年群馬大学教育学部助教授。1975年大妻女子大学助教授、76年教授、84-88年文学部長、大妻学院理事、96年定年退任、名誉教授。1999年勲四等旭日小綬章受勲。解釈学会会長を務めた。
中村 栄(なかむら さかえ、1923年4月24日 - 199… 中村 栄(なかむら さかえ、1923年4月24日 - 1998年10月29日)は、群馬県出身の元プロ野球選手(内野手)。 桐生中では1939年に第25回全国中等学校優勝野球大会へ出場した。 社会人野球の藤倉電線を経て、1942年に阪急軍へ入団。1944年に応召し、終戦後はアマチュア野球の三共繊維でプレー。1950年に新設球団の国鉄スワローズでプロへ復帰。発足当初の国鉄では唯一のプロ経験者で、三塁手、二塁手のレギュラーとして活躍。1956年に現役を引退した。 その後、社会人野球の富士重工業の監督に就任し、都市対抗出場に導いた。 1998年10月29日に死去。75歳没。
松浦 功(まつうら いさお、1923年〈大正12年〉4月24… 松浦 功(まつうら いさお、1923年〈大正12年〉4月24日 - 2002年〈平成14年〉12月28日)は、日本の内務及び自治官僚、政治家。法務大臣(第63代)、参議院議員(3期)。 東京都出身。旧制東京高等学校卒業後、東京帝国大学法学部政治学科に入学。東京帝大在学中の1946年に高等試験行政科に合格。1947年、東京帝大を卒業し、旧内務省に入省(地方局配属)。自治省大臣官房総務課長、北九州市助役、消防庁長官、自治事務次官などを歴任した後、1980年の参議院議員選挙に全国区から自民党公認で出馬し初当選。1995年、自民党地方自治関係団体委員長。1996年、第2次橋本内閣の法務大臣として初入閣。
出羽湊 秀一(でわみなと しゅういち、1923年4月24日 … 出羽湊 秀一(でわみなと しゅういち、1923年4月24日 - 1979年9月16日)は、青森県中津軽郡岩木町(現・同県弘前市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は川田 秀一(かわだ しゅういち)。最高位は東前頭筆頭(1956年5月場所)。現役当時の体格は177cm、98kg。得意手は突っ張り、右四つ、寄りなど。 引退後は年寄・藤島として後進の指導と、相撲協会の発展に尽くした。 1940年5月場所にて、17歳で初土俵を踏んだが、幕下に昇進したところで兵役のために長く土俵を離れた。そのため、新十両昇進は1949年5月場所と、時間がかかった。 十両にいた時期も長く、新入幕を果たした1953年5月場所では、すでに30歳に達していた。
飯田 孝三(いいだ こうぞう、1923年 <大正12年> 4… 飯田 孝三(いいだ こうぞう、1923年 <大正12年> 4月23日 - 2013年 <平成25年> 5月4日)は、日本の経営者。日本原子力発電社長を務めた。京都府出身。位階は従四位。 1946年に東京帝国大学第一工学部電気工学科を卒業し、1947年に関西配電(のちの関西電力)に入社。1968年5月に取締役に就任し、1977年6月に常務、1979年6月に専務を経て、1983年6月に副社長に就任し、1992年6月には日本原子力発電社長に就任。1995年5月に会長に就任。 1984年4月に藍綬褒章を受章し、1997年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2013年5月4日胃癌のために死去。90歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
長田 博孝 (ながた ひろたか、1923年〈大正12年〉4月… 長田 博孝 (ながた ひろたか、1923年〈大正12年〉4月21日 - 2015年〈平成27年〉1月8日)は、日本の銀行家。三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)取締役。 鳥取県出身。三菱化工機社長・長田清治郎の二男。祖父は鳥取市本町4丁目で呉服太物商を営む長田幾蔵。1948年、東京大学法学部政治学科卒業。 三菱銀行に入り本店貸付課長代理、桜橋支店副長調査部調査役業務第二部業務第一課長、本店貸付第一課長を経て1966年に有楽町支店長。1977年、取締役。1980年、常任監査役。 2015年1月8日、腎不全のため死去した。 鳥取市在籍で、住所は東京都世田谷区駒沢2丁目。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
吉川 雅恵(よしかわ まさえ、1923年4月20日 - 19… 吉川 雅恵(よしかわ まさえ、1923年4月20日 - 1991年12月17日)は日本の女優。本名は吉川美代子(旧姓:林田)。大阪府大阪市出身。旧芸名=仁保海(にほみ)月子。宝塚歌劇団在団中の愛称はオバァちゃん。特技は三味線、日舞。
千 玄室(せん げんしつ、1923年〈大正12年〉4月19日… 千 玄室(せん げんしつ、1923年〈大正12年〉4月19日 - 2025年〈令和7年〉8月14日)は、茶人。茶道裏千家15代家元汎叟宗室。斎号は鵬雲斎、若宗匠時代は宗興。家元譲座後は大宗匠を務めた。位階は従三位。 「玄室」の名は、裏千家4代目の仙叟宗室が宗室を襲名する以前の名で、12代直叟宗室が隠居した際にも「玄室」を名乗っていた。最初の「宗室」への改名前の本名は千 政興。 青年時代には大日本帝国海軍に特攻隊員として入隊した経験を持ち、メディアなどを通し、戦争体験者の1人として実体験を語り継いでいた。終戦直前には松山海軍航空基地で航空隊分隊士教官として甲飛第15期の訓練にあたった。後に特秘命令として南方戦線に居る高官を陸軍の大型輸送機を使用して連れて帰るように命ぜられた。
森 一郎(もり いちろう、1923年4月19日 - 1991… 森 一郎(もり いちろう、1923年4月19日 - 1991年10月21日)は、日本の英語教師・俳人。 奈良県出身。奈良県立畝傍中学、東京文理科大学卒業。奈良女子高等師範学校附属高等女学校(現・奈良女子大学附属中等教育学校)英語科教諭、東京都立日比谷高等学校英語科教諭、関西学院大学教授、奈良産業大学教授、中央ゼミナール講師を歴任。 日比谷高校時代にまとめた入試頻出順の英単語集である『試験にでる英単語』(青春出版社)の初版の1967年以降、2006年現在までに累計1500万部を超える大ベストセラーとなり、大学受験参考書・英単語集の金字塔を打ち立てた。1975年に第一回目の改訂が行なわれ、当時社会問題化した環境問題等に関する単語を追加し、時事英語試験への対策を強化した。
粟津 正蔵(あわづ しょうぞう、1923年4月18日 - 2… 粟津 正蔵(あわづ しょうぞう、1923年4月18日 - 2016年3月17日)は、日本の柔道家(講道館九段)。 戦前から戦後にかけての現役選手時代は明治神宮競技大会や全日本選手権大会等で活躍。1950年代以降はフランスにおいて半世紀以上に渡り柔道を指導し、その礎を築いた。その功績から1999年にはフランス政府よりレジオンドヌール勲章を受賞し、“フランス柔道育ての父”として知られている。 現在の京都府京都市山科区安朱東海道町に生まれる。5歳で柔道を始め、小学生の頃から全国有数の強豪校である市立第一商業学校(現:市立西京高校)に出入りして稽古に汗を流し、そのまま同校へ進学。市立第一商業学校時代には1年生の頃から活躍しその黄金期の立役者となったほか、平野時男や大館三郎らと共に京都府代表として出場した1939年と1949年の明治神宮競技大会柔道競技(中等学校の部・団体戦)では連覇を果たしている。
稲垣 定雄(いながき さだお、1923年4月18日 - )は… 稲垣 定雄(いながき さだお、1923年4月18日 - )は、香川県出身の元プロ野球選手。
井上 一夫(いのうえ かずお、1923年4月18日 - 20… 井上 一夫(いのうえ かずお、1923年4月18日 - 2003年5月12日)は、翻訳家。日本推理作家協会、日本翻訳家協会、日本文芸家協会会員。 東京出身。1948年、慶應義塾大学文学部哲学科卒業。雄鶏社の『雄鶏通信』で延原謙のもとで編集部員として勤めるかたわら、アルバイトで外国映画の名作を翻訳・出版。 のち独立して翻訳家に。エド・マクベインの警察小説「87分署」シリーズや、イアン・フレミングのスパイ小説「007」シリーズ、『アンジェリク』、SFなど多数の作品を翻訳した。『キングの身代金』は黒澤明監督映画『天国と地獄』の原作となった。 87分署シリーズ(The 87th Precinct)
北村 文雄(きたむら ふみお、1923年〈大正12年〉4月1… 北村 文雄(きたむら ふみお、1923年〈大正12年〉4月18日 - 2017年〈平成29年〉3月1日)は、日本の造園学者・造園教育者。 専門は造園植物である芝、花蓮。北海道旭川市生まれ。父親の故郷新潟県のほか熊本県と福岡県などに転居し、以降栃木県から東京に移る。
三枝 充悳(さいぐさ みつよし、1923年 <大正12年> … 三枝 充悳(さいぐさ みつよし、1923年 <大正12年> 4月18日 - 2010年 <平成22年> 10月19日)は、日本の仏教学者。専門は、仏教学・インド哲学。筑波大学名誉教授。位階は正五位。 1923年、静岡県静岡市生まれ。静岡県立静岡中学校に学ぶ。第一高等学校在学中、1943年、学徒出陣するが内地勤務で敗戦を迎えた。 戦後は東京大学文学部哲学科へ進み、学部卒業後は同大学院(旧制)修了。卒業後は母校の東京大学助手となった。ミュンヘン大学に留学、1962年にPh.Dを取得し帰国。帰国後、國學院大學助教授に就任。1971年、『東洋思想と西洋思想』を國學院大学に提出して文学博士号を取得した。 1975年より筑波大学教授。
戸井 昌造(とい しょうぞう、1923年(大正12年)4月1… 戸井 昌造(とい しょうぞう、1923年(大正12年)4月16日 - 2000年(平成12年)4月17日)は、日本の画家、民俗研究家、作家。兵庫県生まれ。早稲田大学政治経済学部中退。息子は作家の戸井十月。 早稲田高等学院在学中に学徒出陣で中国に赴任。敗戦により捕虜となった後に復員し、早稲田大学に復学するが中退。1946年に共産党に入党し、1950年に脱党。 人形劇団プークでの民主主義的文化活動などを経て画家となる。それと並行して日本の民俗史や民衆史などを研究。特に秩父事件の研究では第一人者とされている。 人形劇団プークのリーダーだった、川尻東次・川尻泰司兄弟の妹・錦子と結婚。 2000年4月17日、胃がんにより死去。
染谷 恭次郎(そめや きょうじろう、1923年4月15日 -… 染谷 恭次郎(そめや きょうじろう、1923年4月15日 - 2000年1月3日)は、日本の会計学者。東京都出身。早稲田大学名誉教授。専門分野は財務会計であるが、管理会計・経営分析・原価計算・監査に関する書物や論文も多い。 早稲田大学商学部卒業。早稲田大学では佐藤孝一博士の下で会計学を学ぶ。1946年卒業後商学部助手に採用され、専任講師・助教授を経て1955年に教授。 1962年には商学博士の学位を授与される。早稲田大学教務部長・商学部長・早稲田大学大学院商学研究科委員長等を歴任。1984年に設立された国際会計研究学会では発起人を務め、初代会長となる。1985年から1988年にかけて日本会計研究学会の会長等を務めるなど、日本における会計学の発展に貢献した。
伊坂 重孝(いさか しげたか、1923年(大正12年)4月1… 伊坂 重孝(いさか しげたか、1923年(大正12年)4月14日 - 2016年(平成28年)7月22日)は、元学校経営者、元企業経営者。 この他、北海道教育委員や、社団法人日本民間放送連盟副会長、北海道文化財保護協会副会長、財団法人アイヌ無形文化伝承保存会理事なども務めた。1949年に道展に初入選以来、生涯にわたって絵画を趣味とした。 親族に札幌メディアパーク・スピカのデザインを担当した伊坂重春や、学校法人札幌学院大学専務理事を務めた伊坂員維がいる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
橋元 四郎平(はしもと しろうへい、1923年4月13日 -… 橋元 四郎平(はしもと しろうへい、1923年4月13日 - 2009年8月1日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。福島県田村郡三春町出身。 旧制田村中学、第二高等学校卒業後、戦時中に学徒動員で軍隊に行き、敗戦時は陸軍少尉。東京大学卒業後に故郷の福島県に戻り家業の薬品を手伝っていたが、上京して司法試験を受験し合格。司法修習を終え、1954年に弁護士登録。日弁連事務総長を務めた。 1990年1月に最高裁判事に就任。在任中、1990年衆院選の一票の格差訴訟や横田、厚木両騒音公害訴訟の判決などにかかわった。 1993年4月に定年退官。1995年春の叙勲で勲一等瑞宝章を受章。 1998年宮中歌会始召人。
関 喜誉仁(せき きよひと、1923年4月13日 - 没年不… 関 喜誉仁(せき きよひと、1923年4月13日 - 没年不詳)は、日本の映画監督、脚本家である。旧漢字表記関 喜譽仁、別名に沖 全吉(おき ぜんきち)、沖 弘次(おき こうじ)。 allcinema等での読み「せき きよじ」は誤りである。 1923年(大正12年)4月13日、関東州大連市(現在の中華人民共和国遼寧省大連市)に生まれる。 旧制中学校に在学中、校内での月1度の選定上映で映画に夢中になり、東京に出て、日本大学法文学部芸術学科映画専攻(現在の日本大学藝術学部映画学科)に入学する。同学在学中に、マキノ雅弘(当時は正博)に個人的に師事する。関が満18歳であった1941年(昭和16年)12月8日に太平洋戦争が開戦し、やがて戦況は激化、応召して1944年(昭和19年)9月に同学を繰り上げ卒業する。
丹羽 義信(にわ よしのぶ、1923年4月12日 - 201… 丹羽 義信(にわ よしのぶ、1923年4月12日 - 2019年12月23日)は、日本の英語学者、名古屋大学名誉教授。 愛知県生まれ。名古屋大学文学部言語学科卒、同大学院修士課程修了。1975年「古代英語動詞接頭辞Ge-の研究」で名大文学博士。名古屋大学教育学部附属中学校・高等学校教諭、名古屋大学教養部助教授、同言語文化部教授、1987年定年退官、名誉教授、中部大学教授、名古屋女子大学教授。1988-94年外国語教育メディア学会会長。2000年勲三等旭日中綬章受勲。 2019年12月23日、老衰のため、愛知県岩倉市の病院で死去。96歳没。死没日をもって正四位に叙される。
仁科 関夫(にしな せきお、1923年(大正12年)4月10… 仁科 関夫(にしな せきお、1923年(大正12年)4月10日 - 1944年(昭和19年)11月20日)は、日本の海軍軍人。海兵71期。太平洋戦争(大東亜戦争)の末期、人間魚雷「回天」を創案するとともに自らも出撃して戦死した。最終階級は海軍少佐。 1923年(大正12年)4月10日に滋賀県大津市で生まれる。その後大阪府へ転居し、大阪府女子師範附属小学校を卒業後に大阪府立天王寺中学校を四年で修了し、海軍兵学校(71期)へ入学する。地理学や各訓練などに才能を如何なく発揮し、1942年(昭和17年)11月14日に優秀な成績で卒業。当時の海軍兵学校校長は井上成美海軍中将。卒業式には高松宮宣仁親王(軍令部大佐、昭和天皇弟宮)が出席した。
平光 淳之助(ひらみつ じゅんのすけ、1923年〈大正12年… 平光 淳之助(ひらみつ じゅんのすけ、1923年〈大正12年〉4月10日 - 2017年〈平成29年〉3月17日 )は、フリーアナウンサーで、元NHKアナウンサー。本名同じ。 東京府出身。旧制青山学院高等部卒業、青山学院大学文学部英米文学科出身。三菱商事、リーダーズ・ダイジェスト社を経て1951年にNHK入局。秋田放送局、仙台放送局を経て1954年から東京勤務。1959年には皇太子明仁親王と美智子妃の御成婚パレードの実況放送を担当。1960年からワシントンVOA局に日本語放送アナウンサーとして派遣、1962年に帰国。1981年にNHK退職後はテレビ東京(1981年9月まで「東京12チャンネル」)の局契約を経てフリー。
榎倉 香邨(えのくら こうそん、1923年4月10日 - 2… 榎倉 香邨(えのくら こうそん、1923年4月10日 - 2022年1月21日)は、日本の書家。本名は弘(ひろむ)。書道香瓔会を主宰。日展参事、日本書芸院名誉顧問。 兵庫県西脇市出身。兵庫師範学校卒。安東聖空にまなび、1956年日展初入選、1966年、1975年特選。1985年兵庫県文化賞受賞。1996年日展出品の「流翳」で日本芸術院賞受賞。古筆を研究して現代的な感覚で「かなの美」を追求した。若山牧水の短歌をモチーフにした書をライフワークとした。 2022年1月21日午前7時2分、肺炎のため兵庫県加東市の病院で死去。98歳。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
堂本 元次(どうもと もとつぐ、1923年〈大正12年〉4月… 堂本 元次(どうもと もとつぐ、1923年〈大正12年〉4月9日 - 2010年〈平成22年〉1月4日)は、京都市出身の日本画家。本名は塩谷 元次。 日本画家堂本印象の長兄、堂本寒星の養子。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
武田 郁夫(たけだ いくお、1923年4月6日 - 2012… 武田 郁夫(たけだ いくお、1923年4月6日 - 2012年7月4日)は、日本の製造技術者、実業家。タケダ理研工業(現在のアドバンテスト)創業者。 愛知県出身。1943年4月に日本大学旧工学部電気科に入学した。1944年に学徒動員により逓信省電気試験所(現在の産業技術総合研究所)の神代分室に勤務した。 1945年日本大学電気工学科卒。戦後の1945年11月に電気試験所に正式に採用された。 1950年11月にレッドパージにより電気試験所を退職し、千野製作所(現在のチノー)を退職した3人の技術者とともに八島製作所を創業した。 その後、1954年6月に愛知県豊橋市でタケダ理研工業株式会社を設立した。
黒板 伸夫(くろいた のぶお、1923年(大正12年)4月5… 黒板 伸夫(くろいた のぶお、1923年(大正12年)4月5日 - 2015年(平成27年)5月11日)は、日本の歴史学者。専門は日本古代史。妻は作家の永井路子。歴史学者の黒板勝美は伯父。 1923年(大正12年)、東京府生まれ。東京大学文学部国史学科卒業。同大学大学院(旧制)修了。平安博物館嘱託、同博物館講師、吉川弘文館編集長を経て、清泉女子大学教授・醍醐寺霊宝館長。 2015年5月11日、肺炎のため死去。92歳没。 2016年、第27回大衆文学研究賞・大衆文学部門を、黒板伸夫・永井路子編「黒板勝美の思い出と私たちの歴史探究」(吉川弘文館)が受賞した。
江口 篤寿(えぐち あつひさ、またはあつとし)1923年4月… 江口 篤寿(えぐち あつひさ、またはあつとし)1923年4月5日-2010年5月20日)は、医師、健康教育学者。 鹿児島県出身。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)および第七高等学校造士館 (旧制)を経て、1947年東京帝国大学医学部卒、1961年順天堂大学医学博士。学位論文の題は「新生児及び幼若乳児における二、三の反射の消長について 」。 医師。1959年立教学院診療所医師。1974年東京大学講師、1976年筑波大学教授、87年定年退官、名誉教授、和洋女子短期大学教授。日本健康情報科学協会会長。
鈴木 禄彌(祿彌、禄弥)(すずき ろくや、1923年(大正1… 鈴木 禄彌(祿彌、禄弥)(すずき ろくや、1923年(大正12年)4月4日 - 2006年(平成18年)12月22日)は、日本の法学者。東北大学名誉教授、東海大学客員名誉教授。専門は民法。 法学博士(東京大学、1961年)(学位論文「居住権論」)。1998年(平成10年)より日本学士院会員。1967年(昭和42年)松永賞。1986年(昭和61年)紫綬褒章。
上杉 千郷(うえすぎ ちさと、1923年4月3日 - 201… 上杉 千郷(うえすぎ ちさと、1923年4月3日 - 2010年6月30日)は、日本の狛犬研究家、神職。学校法人皇學館常任顧問。 岐阜県吉城郡古川町(現・飛騨市)の神社社家19代目に生まれる。神宮皇學館大學付属専門部在学中に学徒出陣、第一期海軍飛行専修予備生徒となり海軍少尉任官、沖縄戦に参加する。1944年9月に神宮皇學館大學付属専門部、1950年3月に國學院大學文学部を卒業。 1952年4月に総理府事務官となり、その後、法務大臣秘書官、郵政大臣秘書官を経て、全国神社総代会参事、全国神社会館館長、岐阜県神社庁副庁長(1971年3月)、鎮西大社諏訪神社宮司(1982年4月)、世界連邦日本宗教委員会議長(1995年4月)、長崎県神社庁長(1998年7月)、世界宗教者平和会議日本委員会評議員(1999年4月)を歴任。
土屋 公献(つちや こうけん、1923年4月3日 - 200… 土屋 公献(つちや こうけん、1923年4月3日 - 2009年9月25日)は、日本の弁護士。元日弁連会長。 旧日本軍による731部隊や重慶爆撃などの国家賠償事件で弁護団長を務めた。 在日コリアンの人権問題にも深く関わり、朝鮮総連の代理人を務め、朝鮮高級学校生徒の高校体育連盟加盟問題では日弁連に人権救済を申し立て、高校総体参加への道を開く一方、北朝鮮による日本人拉致事件では日本人拉致被害者の家族を非難したり、朝鮮総連中央本部をめぐる詐欺事件への関与などの問題も起こした。 慰安婦問題では国連において、慰安婦を「性的奴隷(Sex Slaves またはSexual Slavery)」 と定義して国連から日本政府に対し補償を実行することを働きかけるよう運動した。
山岡 一三(やまおか いちぞう、1923年(大正12年)4月… 山岡 一三(やまおか いちぞう、1923年(大正12年)4月2日 - 1996年(平成8年)2月25日)は、日本の土木工学者であり、教育者でもある。建設省を経て関西大学工学部教授。国際ジオシンセティックス名誉会員。岡山県高梁市出身。 1923年(大正12年)、岡山県上房郡(現:高梁市)の山岡信治郎の子として出生する。1942年(昭和17年)地元の旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)を卒業し、同年、山口県にある旧制山口高等学校理科へ進学する。 その後、同校を1945年(昭和20年)に卒業し、同年、京都帝国大学工学部へ進学。その直後日本は第二次世界大戦に敗北。戦後の混乱の中、1947年(昭和22年)山岡は3年次途中で卒業扱いとなり、同大学を卒業し、建設省へ入省する。
三木 與志夫(みき よしお、1923年4月2日 - 1994… 三木 與志夫(みき よしお、1923年4月2日 - 1994年5月16日)は、日本の地方公務員。東京都交通局長、東京都副知事、東京都競馬代表取締役社長、東京都住宅供給公社理事長などを歴任した。 1946年東北帝国大学法文学部法科卒業、東京都入庁、調査室。1960年東京都企画室副参事。1961年東京都総務局副主幹。1962年東京都財務局管財部都有財産調査課長。1963年東京都財務局経理部検収課長。1964年東京都総務局総務部庶務課長。1967年東京都企画調整局参事(企画調査担当)。1969年東京都清掃局作業部長。1972年東京都住宅局総務部長。1974年東京都住宅局次長。1975年東京都清掃局長。
小栗 一也(おぐり かずや、1923年〈大正12年〉4月2日… 小栗 一也(おぐり かずや、1923年〈大正12年〉4月2日 - 2001年〈平成13年〉12月13日)は、日本の俳優。本名は中村 俊男(なかむら としお)。 東京市荏原郡世田ヶ谷町(現・東京都世田谷区)出身。正則英語学校(現・正則学園高等学校)中退。たむらプロ、岩崎事務所に所属していた。 1946年に文芸劇場に入団。1955年に劇団葦の結成に参加。その後はフリーとなり、味のある名脇役として数多くの映画、テレビドラマに出演した。 2001年12月13日、肺炎のため死去、78歳没。
菅野 壽(かんの ひさし、1923年4月1日 - 2006年… 菅野 壽(かんの ひさし、1923年4月1日 - 2006年8月21日)は日本の政治家、医師。位階は従四位。勲二等瑞宝章。 参議院議員(連続2期・在職12年)、日本医師会常任理事。医学博士(新潟大学)。 宮城県桃生郡北村(現石巻市)出身。旧制石巻中学から1947年日本大学医学部卒業。1972年東武中央病院(埼玉県和光市)開設。菅野総合病院(同)理事長、埼玉県医師会理事、常任理事を経て、1982年から1984年まで花岡堅而会長のもとで日本医師会常任理事を一期務めた。 1989年第15回参議院議員通常選挙比例代表区に日本社会党から出馬し初当選、連続二期。参議院厚生委員会理事、地方行政委員長、環境特別委員長を歴任。
多賀 潤一郎(たが じゅんいちろう、1923年〈大正12年〉… 多賀 潤一郎(たが じゅんいちろう、1923年〈大正12年〉4月1日 - 2025年〈令和7年〉11月20日)は、日本の実業家。元イビデン社長。岐阜県不破郡垂井町出身。 社長在任時の1982年(昭和57年)に社名を揖斐川電気工業からイビデンに変更。建材などの従来の事業から転換を進め、プリント基板事業を中心とする会社とし、後の電子事業の基礎を築く。 晩年は一般社団法人中部産業連盟相談役を務めた。また、経営者及び自治体の首長のための私塾「多賀塾」、若手経営者のための「平成多賀塾」を開催する他、日本福祉大学経営者講座や中京大学大学院ビジネス・イノベーション研究科、愛知学院大学、岐阜経済大学などの臨時講師も行なっていた。
坂上 壽夫(さかうえ としお、1923年 <大正12年> 4… 坂上 壽夫(さかうえ としお、1923年 <大正12年> 4月1日 - 2011年 <平成23年> 7月19日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。和歌山県出身。位階は正三位。 1944年(昭和19年)に東京帝国大学法科を卒業。海軍に応召となり、敗戦の時には法務大尉。1946年(昭和21年)に司法官試補となり、約1年判事補生活をした後で1949年(昭和24年)に弁護士に。海野晋吉弁護士事務所に入り、実務を学んだ。 企業側の立場に立ったことが多く、森永ヒ素ミルク事件や石油ヤミカルテル事件などでは会社側被告の代理人を務めた。ロッキード事件では若狭得治全日空社長の控訴審弁護人を務めた。司法研修所で刑事弁護の教官も務め、法制審議会民法部会の委員を2年務めた。
金津 滋(かなつ しげる、1923年(大正12年)4月1日 … 金津 滋(かなつ しげる、1923年(大正12年)4月1日 - 1996年(平成8年)7月25日)は、日本の染色工芸家。島根県松江市出身。 出西窯が創業まもなく方向性も定まっていなかった昭和24年晩春、金津は松江美術工芸研究所の同窓であった石村英一、多々納利雄とともに出西窯を訪れた。窯の様子をみた金津は、「美しさも志も感じられん」と言葉を残して帰っていった。数日後、出西窯を再訪した金津は、柳宗悦著『私の念願』と浜田庄司作の急須等を置いていった。その本を読んだ出西窯の多々納弘光は、柳の工芸論に感銘を受け、民藝の考え方による実用の陶器をつくろうと決心する。その後、多々納をはじめとする出西窯のメンバーたちは、金津が仲介となり河井寛次郎と会い、民藝運動の指導者たちに指導を受けたことで、民藝運動に本格的に参加することとなった。
浜田 百合子(はまだ ゆりこ、1923年3月31日 - 消息… 浜田 百合子(はまだ ゆりこ、1923年3月31日 - 消息不明)は日本の女優。佐賀県佐賀市生まれ、東京育ち。プロデューサーの本木荘二郎は元夫。日本映画学校卒業。 1945年に東宝入社。1946年の『民衆の敵』でデビューする。1958年に引退。引退して以降、現在までに70年近くも経っているため、生死も含めて消息不明である。
林 直道(はやし なおみち、1923年3月31日 - 202… 林 直道(はやし なおみち、1923年3月31日 - 2023年1月6日 )は、日本のマルクス経済学者・百人一首研究家。大阪市立大学名誉教授。専門は、恐慌論、日本経済論。関西勤労者教育協会副会長。百人一首について歌織物説を唱える。 1923年、大阪市に生まれる。1946年大阪商科大学卒。1977年野呂栄太郎賞受賞。1964年大阪市立大学教授、1974年「景気循環の研究」で大阪市大経済学博士。1983年同名誉教授、大阪経済法科大学教授。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
西山 広喜(にしやま こうき、1923年(大正12年)3月3… 西山 広喜(にしやま こうき、1923年(大正12年)3月31日 - 2005年(平成17年)2月24日)は、日本の右翼で、政財界をつなぐフィクサーとして知られた。財団法人日本政治文化研究所理事長。西山広喜事務所代表。 宮崎県出身。宮崎県立妻中学校(後の宮崎県立妻高等学校)、明治大学を卒業。 部落解放同盟初代執行委員長・松本治一郎の養子・松本英一と親交があった縁で、日本社会党宮崎県委員会青年部長を経て、社会党青年部の本部役員となり上京、治一郎の秘書となる。治一郎の紹介で大物右翼の三浦義一の知遇を受け、三浦の片腕である関山義人の興論社で活動。1961年(昭和36年)に興論社から独立して昭和維新連盟を発足させ、初代会長になる。
岡 保生(おか やすお、1923年3月31日 - 1999年… 岡 保生(おか やすお、1923年3月31日 - 1999年2月4日)は、日本の日本文学研究者。専門は、日本近代文学。三重県伊勢市生まれ。1945年、早稲田大学国文科卒。昭和女子大学教授、青山学院大学教授を経て、青山学院大学名誉教授。尾崎紅葉、小栗風葉といった硯友社の作家の実証的な研究を行った。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
幾代 通(いくよ とおる、1923年(大正12年)3月30日… 幾代 通(いくよ とおる、1923年(大正12年)3月30日 - 1991年(平成3年)1月31日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)。東北大学名誉教授。従三位勲二等。我妻榮門下。弟子に徳本伸一など。 1923年(大正12年)3月30日、福井県福井市に生まれる。1939年(昭和14年)3月、東京府立第一中学校四年修了。1942年(昭和17年)3月、第一高等学校文科甲類卒業、同年4月東京帝国大学法学部法律学科入学。1944年(昭和19年)9月、東京帝国大学法学部法律学科卒業。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、同年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。
末永 直行(すえなが なおゆき、1923年3月30日 - )… 末永 直行(すえなが なおゆき、1923年3月30日 - )は、日本の音楽評論家・会社経営者。駅弁業者である博多鉄道構内営業有限会社(屋号:寿軒)社長。
田村 義也(たむら よしや、1923年3月30日 - 200… 田村 義也(たむら よしや、1923年3月30日 - 2003年2月23日)は、日本の編集者、装幀家。 東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。1948年3月、初の公募社員として岩波書店に入社。当時の岩波では大卒社員が珍しかったため、かなりの反感と嫉妬を社内で受けたという。1985年に退社するまで、岩波新書編集部や『世界』、『文学』などの編集長をつとめた。 数多い書籍の装幀(ブックデザイン)を行い、その装幀は独特の書体と風合いを持つ特徴的なもので、多くのファンがいた。第13回講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。2003年に、骨髄異形成症候群により、79歳で死去したが、人となりを偲び『田村義也—編集現場115人の回想』が刊行された。
今枝 愛真(いまえだ あいしん、1923年(大正12年)3月… 今枝 愛真(いまえだ あいしん、1923年(大正12年)3月30日 - 2010年(平成12年)3月9日)は、日本史学者、禅仏教研究者、曹洞宗僧侶。 静岡県生まれ。1947年東京帝国大学文学部国史学科卒業。1951年東京大学史料編纂所に入る。1962年助手、1969年助教授、1972年教授、1981年所長。1983年定年退官、名誉教授。1971年「中世禅林成立史の研究」で東大文学博士。興隆寺住持。2010年3月9日、肺炎のため死去。86歳没。没後正五位受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
楠田 丘(くすだ きゅう、1923年3月29日 - )は、日… 楠田 丘(くすだ きゅう、1923年3月29日 - )は、日本の官僚、労働問題研究者。 熊本県出身。1948年九州帝国大学理学部数学科卒、労働省に入り、1962年統計業務指導官、1965年経済企画庁経済研究所主任研究官、1968年アジア経済研究所主任調査研究員、1970年退官、日本賃金センター研究主任、1981年代表幹事。1980年日本生産性本部理事、1984年日本雇用処遇センター所長。1994年産労総合研究所。日本賃金研究センター代表幹事。