朝比 美晴(あさひ みはる、 (1994-01-25) 19… 朝比 美晴(あさひ みはる、 (1994-01-25) 1994年1月25日(32歳) - )は、日本の司会者、実業家、17代目ミニスカポリス。愛称はみぱこ。 北海道札幌市出身。2歳上に兄がいる。特技はバスケットボールである。横浜ビー・コルセアーズのホームゲームにおいて、アシスタントMCを務めた。その後、Wリーグ公式戦においてもアシスタントMCをスポットで務めている。 友人の三上玲奈とともに、自転車で日本縦断約1,300キロの旅を行った。以降、競輪をはじめとする自転車関連の仕事に携わっている。このことについては、スポーツ自転車専門誌『BicycleClub』が配信するポッドキャスト番組にゲスト出演した際に語っている。
三崎 優太(みさき ゆうた、1989年3月29日 - )は、… 三崎 優太(みさき ゆうた、1989年3月29日 - )は、日本の実業家、YouTuber、タレント。北海道札幌市出身。2007年にアフィリエイト関連会社「メディアハーツ」を創業。2014年以降、青汁のネット通販で成功し、「若手イケメン社長」としてマスコミなどに注目されたことから、青汁王子の名で知られる。2024年から「三崎未来ホールディングス株式会社」の代表取締役。妻は、タレント・実業家の橋本甜歌。 北海道札幌市生まれ。北見市で育つ。父親は歯医者で、母親は専業主婦。妹がいる。物心ついた頃は札幌で暮らしていたが、父親の仕事の都合で、遠く離れた北見市へと引っ越す。 中学の頃に非行に走り、家にあまり帰らない時期もあった。
長沼 真太郎(ながぬま しんたろう、1986年 - )は、日… 長沼 真太郎(ながぬま しんたろう、1986年 - )は、日本の実業家。北海道コンフェクトグループ代表取締役。父はきのとや創業者の長沼昭夫。 北海道札幌市出身。北海道札幌南高等学校、慶應義塾大学商学部卒業。 就職活動時には父親同様に菓子店の経営を考えるも、成功までの段階を知るべく起業を前提とした就職先を考え、2010年に丸紅へ就職。製菓ビジネスのシェアが高いこともあり丸紅を選択し菓子食品課にて海外製の食品の輸入業務に携わる。その後、家業のきのとやの中国出店計画に注力するべく丸紅を退社するも、菓子作りの技術不足や方針の相違により半年ほどで計画中止となる。 2011年にきのとやへ入社、売上不振となっていた新千歳空港の支店「KINOTOYA 2」をチーズタルト専門店に転換し経営改善に成功し、その後デコレーションケーキのインターネット販売サービス「Click On Cake」の展開を目的に子会社「COC」を設立。
小泉 聡史(こいずみ さとし、1982年9月1日 - )は、… 小泉 聡史(こいずみ さとし、1982年9月1日 - )は、日本の実業家、起業家、投資家。株式会社E-LINE代表取締役。北海道出身。 1982年生まれ、北海道札幌市出身。3人兄弟で双子の末っ子。幼少期は夕張市で育ち、炭鉱夫であった父の仕事が閉山によりなくなったため、江別市に移住。2001年、アメリカオレゴン州Reynolds High Schoolを経て、2004年に北海道大学工学部応用理工系を卒業し、2006年に同大学大学院工学研究科量子理工学系に進学。 2006年、株式会社リクルートに入社。2010年に株式会社E-LINEを創業し、代表取締役に就任。以後、地域特化型のスモールデータを活用したWeb制作・コンサルティング事業で実績を重ねる。
石水 創(いしみず はじめ、1982年3月30日 - )は、… 石水 創(いしみず はじめ、1982年3月30日 - )は、日本の実業家。北海道札幌市出身。2025年現在は石屋製菓代表取締役社長、北海道コンサドーレ札幌(株式会社コンサドーレ)代表取締役社長などを務める。 父親は石屋製菓名誉会長の石水勲。妻は元北海道放送(HBC)アナウンサーの山田泰子。 高校までを札幌市で過ごし、大学は東洋大学法学部経営法学科に進む。ただ本人によれば「大学までは全てスキー推薦で進学した」という。 2004年に大学を卒業して石屋製菓に入社するが、直後にイギリス及びスイスに1年間留学する。帰国後は同社役員として経営に携わる一方で、2011年からは小樽商科大学大学院(商学研究科アントレプレナーシップ専攻)で2年間起業家精神を学んだ(2013年修了)。
藤井 幸大(ふじい こうだい、1981年12月3日 - )は… 藤井 幸大(ふじい こうだい、1981年12月3日 - )は、北海道出身の実業家。身長171cm。血液型はB型。サンマルコ食品株式会社マーケティング本部部長。一般社団法人日本コロッケ協会会長兼理事長。東京都文京区在住。 米カリフォルニア州・アカデミー・オブ・アート大学広告専攻卒業。父親はサンマルコ食品株式会社 代表取締役社長 藤井幸一。妹が2人いる。 幼少期より、食しているコロッケを追求。年間2000個のコロッケを食する。マーケティングの一環として「コロッケ王国」という設定を創案し、父・幸一を「コロッケ王」、自身は王位継承権第一位「コロッケ王子」と名乗る設定を作っている。 コロッケの発展とマーケット拡大のために一般社団法人日本コロッケ協会の設立に至った。
富山 浩樹(とみやま ひろき、1976年9月5日 - )は日… 富山 浩樹(とみやま ひろき、1976年9月5日 - )は日本の実業家。サツドラホールディングス株式会社代表取締役社長CEO、株式会社サッポロドラッグストアー代表取締役社長CEO。 1976年9月5日生まれ。北海道札幌市出身。北海道石狩南高等学校、札幌大学経営学部卒業。1999年4月ダイカ入社。2007年10月サッポロドラッグストアー入社。同社取締役、常務取締役などを務める。2015年5月サッポロドラッグストアー代表取締役社長、2016年8月サツドラホールディングス代表取締役社長に就任。 2019年7月株式会社リージョナルマーケティング代表取締役会長 CEO、GRIT WORKS株式会社取締役会長、2020年8月株式会社サッポロドラッグストアー代表取締役社長 CEO、サツドラホールディングス代表取締役社長 CEOに就任。
三津原 庸介(みつはら ようすけ、1976年2月5日 - )… 三津原 庸介(みつはら ようすけ、1976年2月5日 - )は、日本の実業家。日本調剤代表取締役社長、同社子会社の日本ジェネリック代表取締役会長、関連会社のメディカルリソース取締役会長。元関連会社長生堂製薬代表取締役会長。 北海道札幌市出身。父は日本調剤創業者の三津原博。桐蔭学園高等学校を経て、1999年一橋大学商学部経営学科卒業。在学中は会計学の伊藤邦雄ゼミに所属。セコマの赤尾洋昭はゼミの同期で親しい。大学卒業後日本調剤に入社。2001年日本調剤経営企画部長。2005年日本ジェネリック取締役。 2006年日本調剤営業推進部長、メディカルリソース取締役。2007年早稲田大学大学院ファイナンス研究科修了、ファイナンス修士(専門職)。
津川 祥吾(つがわ しょうご、1972年1月25日 - )は… 津川 祥吾(つがわ しょうご、1972年1月25日 - )は、日本の実業家、元政治家、コメンテーター。民主党所属の元衆議院議員(3期)。 北海道札幌市出身。札幌市立もみじ台小学校、札幌市立もみじ台中学校、北海道札幌月寒高等学校、北海道大学経済学部経済学科卒業。 大学卒業後、日本国土開発に入社。名古屋支店に配属され静岡県内で現場事務を担当。在社中に民主党の衆議院選挙候補者公募に応募し合格。民主党衆議院選挙公募者公認第1号となる。 2000年、第42回衆議院議員総選挙において民主党から静岡2区に出馬。自由民主党の原田昇左右に敗れたが、重複立候補した比例東海ブロックで復活し、初当選した。2003年の第43回衆議院議員総選挙では原田昇左右の後継である原田令嗣に敗れ落選。
平野 拓也(ひらの たくや、1970年 - )は日本の実業家… 平野 拓也(ひらの たくや、1970年 - )は日本の実業家。北海道札幌市出身。日本マイクロソフト代表取締役社長を経て、米マイクロソフトのバイスプレジデント。 米国のブリガムヤング大学卒業後、Kanematsu USAを経て、1998年に入社したハイペリオンソリューションズで2001年から社長を務めた。2005年に日本マイクロソフトに入社してエンタープライズ向け事業の担当役員を歴任し、Microsoft Central and Eastern Europe でゼネラルマネージャーを務めた。2015年7月に樋口泰行の後任として日本マイクロソフト社長に就任 した。2019年、同年8月31日付で日本マイクロソフト社長を退任し、アメリカ本社の新設部門の副社長に就任することが発表された。
黒島 弘康(くろしま ひろやす、1967年10月6日 - )… 黒島 弘康(くろしま ひろやす、1967年10月6日 - )は、日本の実業家、薬剤師、芸能プロデューサー。青森県八戸市を拠点とする芸能事務所「株式会社トゥインクル」の代表取締役。また、調剤薬局を運営する「株式会社江陽ファーマシー」の代表取締役オーナーを務める。八戸市の館鼻岸壁朝市公認アイドル「pacchi」のプロデューサーであり、地域活性化とエンターテインメントの融合を推進している。 北海道札幌市生まれ、北見市育ち。中学時代に交通事故で頭蓋骨骨折の重体を経験し、大手術を経て回復した経緯がある。北海道札幌平岸高等学校、北海道医療大学薬学部を卒業。大学時代はロックバンドのギター・ボーカルとして音楽活動を行っていた。
兼間 祐二(かねま ゆうじ、1964年(昭和39年)6月11… 兼間 祐二(かねま ゆうじ、1964年(昭和39年)6月11日 - )は、日本の実業家、銀行家。北海道銀行代表取締役頭取を務める。 北海道札幌市出身。北海道札幌南高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業後、1987年北海道銀行入行。1994年に総合企画部に配属、翌1995年に頭取直轄経営企画室が新設されると同室に配属。その後、石狩市の花川支店長や、経営企画グループ調査役グループリーダーを経て、2011年札幌市の鳥居前エリア総括兼鳥居前支店長。2013年執行役員オホーツク地区営業担当兼北見支店長。執行役員札幌・石狩、空知地区営業担当を経て、2016年取締役常務執行役員企画管理部門長。2021年に笹原晶博の後任として常務取締役から代表取締役頭取に就任。
赤坂 祐二(あかさか ゆうじ、1962年(昭和37年)1月3… 赤坂 祐二(あかさか ゆうじ、1962年(昭和37年)1月3日 - )は、日本の経営者、技術者。日本航空代表取締役会長。公益財団法人日本交通公社評議員。 北海道札幌市出身。少年時代はプラモデルの戦闘機が好きで狸小路の中川ライター店に通い、中学生の頃から航空機の設計に関心を持った。小学生時代はのちに本田技研工業の社長となる三部敏宏と少年野球で一緒にプレーし仲が良かった。中学1年で三部の転居のため離ればなれになったが、社長となってから再会している。札幌北高等学校時代はスキージャンプの選手だった。 国産航空機の設計に携わりたいと考えたことから、東京大学の航空学科に進み、1987年に同大学大学院工学系研究科を修了後、同年技術系として日本航空入社。
齋藤 晋(さいとう すすむ、1961年1月23日 - )は、… 齋藤 晋(さいとう すすむ、1961年1月23日 - )は、日本の実業家、技術者。北海道電力代表取締役社長。 北海道札幌市出身。1983年に北見工業大学工学部環境工学科を卒業後、同年北海道電力に入社し、滝川発電所に配属された。大学の研究室で重油ボイラーの性能試験などを行っていたことから、発電所の仕事に興味を持ったという。 入社後は火力発電部門が長いが、火力保守センターの他、人事労務部、総合研究所(金属研究など)、企画部などを経験し、2008年から火力部次長、2012年から火力部火力企画グループリーダーを務めた。 2015年には苫東厚真発電所所長に就任。所長時代は世界一の石炭火力発電所になることを目標に掲げ、デジタル技術の導入や効率化を推進した。
斎藤 茂(さいとう しげる、1960年5月5日 - )は、日… 斎藤 茂(さいとう しげる、1960年5月5日 - )は、日本の音楽プロデューサー、ディスクジョッキー、独立系ラジオ局経営者。クラシック音楽専門のインターネットラジオ局OTTAVAの代表取締役社長である。 札幌市出身。青山学院大学卒業。音楽番組のディレクター、プロデューサー、編成局長などとして、J-WAVEに勤務後、独立。番組、音楽、コンサートなどの制作を行う。 2007年、TBSラジオによるOTTAVAの開局と同時にミュージック・ディレクターに就任。番組で流すすべての楽曲の選定、編成を担当する。番組のトークのBGMやジングルにヴォーカル・アンサンブル カペラの演奏によるルネサンスのア・カペラを選んだのも斎藤だった。
岩田 聡(いわた さとる、1959年〈昭和34年〉12月6日… 岩田 聡(いわた さとる、1959年〈昭和34年〉12月6日 - 2015年〈平成27年〉7月11日)は、日本のゲームクリエイター、プログラマー、実業家。 任天堂の元代表取締役社長で、ハル研究所代表取締役社長なども歴任した。 北海道札幌市真駒内出身。父の岩田弘志は当時、北海道庁観光課に勤務する公務員であったことから、道庁宿舎にて幼年期を過ごした。小学校は札幌市立真駒内曙小学校に入学。小学校6年生の時に札幌冬季オリンピックが開催され、真駒内近隣に建てられた選手村にサイン帳を持って遊びに行く日々を過ごしていたという。また、真駒内競技場で開催されたオリンピック開会式では近隣小学生による「風船スケーター」として、岩田も参加している。
曽我 貴也(そが たかや、1959年(昭和34年)12月4日… 曽我 貴也(そが たかや、1959年(昭和34年)12月4日 - )は、日本の海事実業家。日本郵船株式会社代表取締役社長。 北海道札幌市出身。北海道札幌旭丘高等学校に入学後2年生への進級前に東京へ移り、東京都立文京高等学校卒業、一橋大学商学部に進学し、在学中は基礎スキー部を立ち上げる一方で、日本文化を深く知りたいとの思いから当時伊藤邦雄が顧問を務めていた茶道部に所属し表千家の流儀を学び亭主との積極的な問答のスキルを就職後の営業活動に役立てた。海上保険のゼミで学ぶ中で、「金や保険より目に見えるものを扱う仕事が向いている」との思いのもと、海運業への就職を志す。 1984年に日本郵船入社、20代後半から30代前半にはクルーズ客船「飛鳥」事業の立ち上げに関わり、主にコンテナ船部門を歩み、シンガポール・ロンドン・バンコクなどでの駐在を経験し、自動車物流グループ長などを経て、2018年常務経営委員。
安田 光春(やすだ みつはる、1959年10月5日 - )は… 安田 光春(やすだ みつはる、1959年10月5日 - )は、日本の実業家、銀行家。北洋銀行取締役会長。北海道経済同友会代表幹事。札幌商工会議所会頭。 北海道札幌市出身。札幌市立新琴似小学校、札幌市立新琴似中学校、北海道札幌北高等学校、慶應義塾大学商学部卒業後、1983年北洋相互銀行(現在の北洋銀行)入行。経営管理部企画課長や宮の沢支店長を経て、2007年人事部調査役のまま、当時賞味期限改ざん問題で揺れていた石屋製菓に出向。2009年同行に復帰し融資第一部副部長、2014年取締役に選任され、2016年常務、2018年初の生え抜きとして頭取に就任。2021年4月北海道経済同友会代表幹事、6月第二地方銀行協会会長にそれぞれ就任する。
山口 貢(やまぐち みつぐ、1958年1月8日 - )は、日… 山口 貢(やまぐち みつぐ、1958年1月8日 - )は、日本の実業家。神戸製鋼所特任顧問。第21代神戸製鋼所代表取締役社長、日本鉄鋼連盟副会長を務めた。 北海道札幌市出身。1981年3月、北海道大学法学部卒業。4月1日、神戸製鋼所入社以来、ほぼ事務畑を歩んできた。神戸製鋼所経理課と本社の鉄鋼生産部門管理部で、20代のほとんどを神戸で過ごした。その後、産業用機械(産機)や圧縮機などを手掛ける機械部門へ。2016年に部門長に就任し、2017年にスウェーデンの産機メーカー買収を手掛けた。司令塔の経営企画部も経験し、全社の事業も見渡す視点も養った。 川崎博也会長兼社長の引責伴う緊急登板。打診は辞任表明翌日の2018年3月7日に受けたといい、「こういう時だからこそ」と即決した。
本間 欧彦(ほんま おうひこ、1957年(昭和32年)12月… 本間 欧彦(ほんま おうひこ、1957年(昭和32年)12月25日 - )は、日本のテレビプロデューサー、実業家。北海道文化放送常務取締役。 北海道札幌市出身。札幌市立啓明中学校、北海道札幌南高等学校、慶應義塾大学文学部を卒業。 1980年(昭和55年)フジテレビに入社。営業局、報道局を経て、1987年に第一制作部(現在のドラマ制作センター)に異動。以後、『東京ラブストーリー』や『白線流し』などのヒット作を手掛ける。 2011年(平成23年)6月、北海道文化放送の取締役編成局長に就任し、2013年6月より常務。 2003年(平成15年)7月11日、自身がプロデュース・演出を手がけた『スチュワーデス刑事』シリーズで主演を務めた女優の財前直見と再婚、2006年12月に長男が誕生したが、2012年8月に離婚したことが明らかになった。
秋元 正博(あきもと まさひろ、1956年〈昭和31年〉9月… 秋元 正博(あきもと まさひろ、1956年〈昭和31年〉9月3日 - )は、日本のスキージャンプ解説者、元会社役員、元スキージャンプ競技選手。北海道札幌市出身。北海道岩見沢緑陵高等学校、明治大学政治経済学部卒。現役時代は地崎工業(現岩田地崎建設)に所属。2007年時点では、旭川市内の企業・ノースプランの専務取締役を務めていた。 1970年代後半より1980年代中盤にかけて、八木弘和とともに日本スキージャンプチームの中心選手として活躍した。また、スキージャンプ・ワールドカップでは国内開催以外での日本勢初勝利も含め4勝しているが、うち2勝はマッチ・ニッカネンなど海外のトップ選手も出場した中でのものであるため当時としては非常に価値が高い物となっている。
星野 康二(ほしの こうじ、1956年〈昭和31年〉5月7日… 星野 康二(ほしの こうじ、1956年〈昭和31年〉5月7日 - )は、日本の実業家。学位はMaster of Business Administration(ニューヨーク州立大学)。 ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社代表取締役社長(初代)、会長を経て、スタジオジブリ代表取締役を15年間にわたって務めた。財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事、株式会社ドワンゴ社外取締役、株式会社KADOKAWA・DWANGO社外取締役、株式会社KADOKAWA社外取締役なども歴任した。 1956年、北海道札幌市に生まれ、北海道札幌旭丘高等学校を経て、創価大学文学部に入学する。入学後、「池田大作に対する、不当な非難・中傷の嵐が吹き荒れる」と感じた星野は「必ずや池田大作の偉大さを証明してみせる!国際社会で戦える力ある人材に成長しよう!」と決意したとされる。
成毛 眞(なるけ まこと、1955年9月4日 - )は、日本… 成毛 眞(なるけ まこと、1955年9月4日 - )は、日本の実業家。マイクロソフト日本法人第2代代表取締役社長及びスルガ銀行株式会社の社外取締役を務めた。書評サイト「HONZ」代表。 北海道札幌市出身。北海道札幌西高等学校時代は執行部生徒会長として制服廃止を実現した。高校時代の同級生に田中裕子がいる。1979年中央大学商学部卒業。新卒で地元北海道にある自動車部品メーカー大金アール・エム(現ダイナックス )に入社。1982年にアスキーへ転職したが、入社翌日に子会社に出向を命じられる。その子会社は当時日本では知られていなかったマイクロソフトがアスキーと設立した「アスキーマイクロソフト」だった。その後、1986年にマイクロソフト株式会社(日本法人、以下MSKK)に移り、OEM営業部長、取締役マーケティング部長を歴任。
港 浩一(みなと こういち、1952年〈昭和27年〉5月15… 港 浩一(みなと こういち、1952年〈昭和27年〉5月15日 - )は、日本の経営者、元・ディレクター、テレビプロデューサー。フジテレビジョン代表取締役社長などを歴任した。 北海道上磯郡木古内町出身。北海道札幌西高等学校、早稲田大学第一文学部 卒業。 1976年4月、フジテレビジョン入社。番組制作を志望していたが、人事部に配属された。これは当時のフジテレビが制作局を廃止、複数の制作子会社への分社体制を導入していたためである。1979年、制作子会社に出向する。翌年1980年の大改革でフジテレビ本社が制作子会社を吸収合併し、分社体制を廃止する。念願叶い制作部に所属された。以降、制作畑一筋で、フジテレビが最も勢いがあった1980年代から1990年代までにバラエティーの現場で活躍、ディレクター、プロデューサーとして『とんねるずのみなさんのおかげです』など数々の人気番組を手掛けた。
鍜治 真起(かじ まき、1951年10月8日 - 2021年… 鍜治 真起(かじ まき、1951年10月8日 - 2021年8月10日)は、日本の実業家、雑誌編集者。株式会社ニコリの創設者。 1951年、北海道札幌市生まれ。東京都立石神井高等学校卒業、慶應義塾大学文学部国文学科中退。 1980年、印刷会社に務めながら友人たちと共同で「パズルの雑誌(『パズル通信ニコリ』創刊準備号)」を発行する。1983年に、ニコリを設立する。 1984年、アメリカのパズル誌に載っていた「Number Place」というパズルを名称だけ「数字は独身に限る」と変えて日本で発表したところ、2005年に世界的なヒットとなり、「Godfather of Sudoku(数独の父)」の異名をとった。
長内 順一(おさない じゅんいち、1947年(昭和22年)3… 長内 順一(おさない じゅんいち、1947年(昭和22年)3月7日 - )は、日本の経営者。衆議院議員(1期中退)と札幌市議会議員(2期)を務めた。 株式会社未来経営研究所代表取締役社長。北海道商工会議所連合会会頭特別補佐。サイバー大学客員教授(企業社会責任論)。北海道経営未来塾塾長。 1947年(昭和22年)、北海道札幌市に生まれる。1959年(昭和34年)、札幌市立幌北小学校卒業。1962年(昭和37年)、札幌市立北辰中学校卒業。1966年(昭和41年)、北海道札幌北高等学校を卒業。1970年(昭和45年)、北海学園大学経済学部を卒業。その後、民間企業に勤務する。 1987年(昭和62年)、札幌市議会議員選挙に立候補し、初当選。
清水 建宇(しみず たてお、1947年 - )は元実業家(豆… 清水 建宇(しみず たてお、1947年 - )は元実業家(豆腐店経営)、元朝日新聞論説委員。 北海道札幌市出身。北海道札幌南高等学校、神戸大学経営学部卒業後の1971年4月、朝日新聞入社。佐賀支局、西部本社社会部を経て1981年東京本社に異動、警視庁記者、宮内庁記者を担当の後、出版局に移り「週刊朝日」副編集長、「論座」編集長などを歴任。2003年論説委員に就任。また、テレビ朝日のニュース番組「ニュースステーション」にて、の間、コメンテーターも務めた。2007年定年退職。朝日新聞社が発行する『大学ランキング』の編集長を1994年の創刊以来、2008年版まで続けていた。現在は、スペインのバルセロナで2010年に開店した豆腐店を営んでいるが、体力の衰えを感じて、2021年1月に全国豆腐連合会を通じて後継者を募り店舗を譲った。
近藤 龍夫(こんどう たつお、1945年3月21日 - 20… 近藤 龍夫(こんどう たつお、1945年3月21日 - 2025年11月28日)は、日本の実業家。北海道電力の社長、会長を経て、現在名誉顧問。第7代北海道経済連合会会長。元公益社団法人北海道観光振興機構会長。 北海道札幌市生まれ。父親は鉱山技師。原子力発電環境整備機構理事長を務めた近藤駿介は実兄。北海道名寄高等学校を経て、北海道札幌南高等学校卒業後、北海道大学工学部で黎明期にあった原子力教育を受ける。北大工学部電気工学科卒業後、1969年北海道電力入社。若手時代にアメリカの原子力発電所での実務研修を受け原子力運営課長を経て、泊発電所長、理事苫小牧支店長、取締役事業推進部長などを歴任し、2004年から取締役社長、原子力発電を重視する経営路線を強め泊原発3号機の建設推進や原価の見直しによる「本格改定」で2度の電気料金値下げやオール電化住宅の普及を主導した。
加森 公人(かもり きみひと、1943年 - )は、日本の実… 加森 公人(かもり きみひと、1943年 - )は、日本の実業家。加森観光取締役相談役。元代表取締役社長。 1943年、北海道札幌市に生まれる。札幌北高校を卒業、同高校時代の修学旅行で後楽園遊園地のジェットコースターに乗ったことをきっかけに遊園地好きとなり、その後の遊園地開発へと繋がる。 大学は教師を志望し東京教育大学を第一志望としていたものの不合格となり、1968年に学習院大学経済学部を卒業、立教大学大学院ホテル観光学科修了。大学卒業後は日本ケーブル浦安工場に出向し索道の安全輸送について学んだ後、大学院修了後に父の加森勝雄が第三セクター方式で設立した「登別温泉ケーブル」に就職。夏の濃霧の頃が事実上のオフシーズンになっていたさなか「のぼりべつクマ牧場」の運営にたずさわり、ヒグマを飼育し観光客を呼び込むとともにヒグマの人工飼育や計画出産への挑戦、博物館の建設、ヒグマに芸を覚えさせてのショーの開催といったヒグマに特化した積極策を取り、クマ牧場の収益を元手に札幌市の都心で中古ビルを買収し収益を強化した。
三井 辨雄(みつい わきお、1942年〈昭和17年〉11月2… 三井 辨雄(みつい わきお、1942年〈昭和17年〉11月24日 ‐ 2021年〈令和3年〉4月2日)は、日本の政治家、実業家、薬剤師。 衆議院議員(4期)、国土交通副大臣(菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣)、厚生労働大臣(第15代)などを歴任し、青山会(樽床伸二グループ)代表世話人を務めた。報道等では新字体で三井 弁雄(みつい わきお)の表記も用いられる。 北海道札幌市生まれ。札幌市立柏中学校、北海高等学校、昭和薬科大学薬学部卒業。薬剤師免許を取得し、1967年登録。1975年、三井薬品株式会社を設立し、同社代表取締役に就任。その後医療法人交雄会の理事長に就任し、北海道内に3病院・2介護福祉施設を開設。
大西 敬三(おおにし けいぞう、1935年10月1日 - 2… 大西 敬三(おおにし けいぞう、1935年10月1日 - 2018年2月3日)は、日本の経営者、工学博士。日本製鋼所社長を務めた。北海道札幌市出身。 1960年に北海道大学工学部冶金工学科を卒業し、同年に日本製鋼所に入社。1989年に取締役に就任し、1991年に常務、1993年に専務を経て、1994年に副社長に就任し、1995年に社長に昇格。2001年に相談役を経て、2009年に名誉顧問に就任。1975年から1977年までに室蘭工業大学で非常勤講師、1989年から1991年までに客員教授を務め、日本防衛装備工業会会長も務めた。 2005年に旭日中綬章を受章した。 2018年2月3日病気のために死去。
内山 斉(内山 齊、うちやま ひとし、1935年2月6日 -… 内山 斉(内山 齊、うちやま ひとし、1935年2月6日 - 2022年2月2日)は、読売新聞グループ本社顧問、同社元代表取締役社長、日本新聞協会会長、第13代横綱審議委員会委員長。位階は正三位。 北海道札幌市出身。北海道札幌西高等学校、日本大学文学部社会学科卒業。1957年4月、読売新聞社入社。地方部を中心に記者として活動する。制作局を担当していた当時、印刷拠点の分散化を経営トップに進言して功績が認められる。のちに渡邉恒雄から後継者指名を受ける。 2022年2月2日21時48分、心不全のため、東京都内の病院で死去。86歳没。同日付をもって正三位に叙され、旭日大綬章を受章した。
本多 一夫(ほんだ かずお、1934年7月11日 - )は、… 本多 一夫(ほんだ かずお、1934年7月11日 - )は、日本の劇場経営者、実業家、俳優である。本多劇場グループ代表として、下北沢が「演劇の街」と呼ばれるようになった契機を作った。社団法人日本劇団協議会顧問。東京都世田谷区在住[要出典]。息子は本多劇場総支配人の本多愼一郎。 北海道札幌市に生まれ、1953年(昭和28年)に北海道立伏見高校(現・北海道札幌啓北商業高等学校)を卒業後、北海道放送(HBC)の演劇研究所で学んだ後に上京した。 初めは俳優として活動し、映画俳優として新東宝に入社、1955年(昭和30年)の「新東宝ニューフェイス 第4期生」となった。新東宝ニューフェイスの同期には、女優・三ツ矢歌子、原知佐子、万里昌代、北沢典子、浅田勝子らがいた。
大星 公二(おおぼし こうじ、1932年4月7日 - )は日… 大星 公二(おおぼし こうじ、1932年4月7日 - )は日本の実業家。NTTドコモ社長、同社会長を歴任。北海道札幌市出身。 1945年北海道庁立札幌第一中学校入学、1951年北海道札幌北高等学校卒。1957年東京大学法学部卒業後、日本電信電話公社(現NTT)入社、1966年北海道石狩深川電報電話局長。電気通信総合研究所経営研究室長、データ通信本部営業部長などを経て、1988年NTT取締役経営企画本部長、1990年同常務企業通信システム本部長、1992年NTT移動通信網(NTTドコモ)社長、1998年同会長、現在に至る。社長時代にiモード開発を推進した。 多趣味で知られ、学生時代は全都道府県を旅行したように、今もぶらり出かける外出を好む。
岩本 政光(いわもと まさみつ、1929年(昭和4年)4月1… 岩本 政光(いわもと まさみつ、1929年(昭和4年)4月15日 - 2014年(平成26年)7月5日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(自民党)。 北海道札幌郡豊平町石山(現札幌市南区石山)生まれ。北海中学校を経て北海道大学工学部土木科を卒業した。学生時代からスキーの製作を手がけ、そのまま実業界へと入る。1960年(昭和35年)にタクシー業の東洋交通を設立した。父・政一の選挙活動を手伝ううちに、政界を志すようになる。北海道議会議員を2期務めたのち、1980年(昭和55年)の第12回参議院議員通常選挙で自民党から立候補、初当選を果たし参議院議員を2期務めた。 1990年(平成2年)にクモ膜下出血で倒れた。
西尾 長光(にしお ながみつ、1929年2月18日- 200… 西尾 長光(にしお ながみつ、1929年2月18日- 2004年3月24日 )は、日本の経営者。丸ヨ西尾社長を務め、セイコーマートの創立者でもある。 北海道札幌市出身。札幌北の誉酒造社長の西尾長平の長男として生まれる。ルーツは石川県金沢市。旧制中学校二年生まで札幌で過ごし、残りの二年は旭川中学校(現・北海道旭川東高等学校)に通った。 1952年に早稲田大学第一商学部を卒業し、同年に丸ヨ西尾商店に入社、常務に就任。1954年に専務に就任し、1960年には北の誉酒造専務に就任し、1977年12月に副社長を経て、1978年に社長に就任。1985年11月に会長に就任。2001年から2004年まで、第15代札幌商工会議所会頭。
吉野 龍男(よしの たつお、1927年9月2日 - )は、日… 吉野 龍男(よしの たつお、1927年9月2日 - )は、日本の経営者。伊藤組土建社長を務めた。北海道札幌市出身。 1947年に北海道大学工学部専門部を卒業し、同年に鹿島建設に入社。1949年5月から1950年12月までに北海道大学工学部土木科で助手を務め、1951年4月に伊藤組土建に入社。1977年3月に取締役に就任し、1984年6月に常務、1986年6月に専務、1994年6月に副社長を経て、2002年6月に社長に就任。2008年4月から2009年3月までに会長を務めた。
伊藤 義郎(いとう よしろう、1926年12月14日 - 2… 伊藤 義郎(いとう よしろう、1926年12月14日 - 2023年12月5日)は、日本の実業家。北海道札幌市出身。伊藤組土建代表取締役社長、テレビ北海道代表取締役社長、全日本スキー連盟会長、日本赤十字社北海道支部長等を歴任した。 旧制北海道庁立札幌第一中学校(現在の北海道札幌南高等学校)を経て、早稲田大学に進学。1944年からは学徒動員に伴い川崎の日本鍛造へ勤務、渋谷で東京大空襲に被災し、市ヶ谷の東部軍司令部での事務作業の最中に終戦を迎え、一旦札幌に戻った後1年後に早大へ復学。 1950年に早稲田大学政経学部を卒業した。同年5月に伊藤組土建に入社。一方で終戦直後から「日本を負かしたアメリカはどのような国なのか見てみたい」との思いでアメリカへの留学を考えGHQ総司令部に相談し進駐米軍将校の住宅でハウスボーイとして働いた後1951年に渡米し近代経営学を学び、1952年にカリフォルニア大学大学院を修了し、1953年にコロンビア大学大学院を修了。
戸田 一夫(とだ かずお、1922年4月19日 - 2006… 戸田 一夫(とだ かずお、1922年4月19日 - 2006年10月21日)は、日本の実業家。フィンランド視察を基にした、北海道産業クラスター構想提唱者。北海道札幌市出身。東京工業大学(現東京科学大学)卒。
3代 地崎 宇三郎(ちざき うさぶろう、1919年7月21日… 3代 地崎 宇三郎(ちざき うさぶろう、1919年7月21日 - 1987年11月11日)は、日本の政治家、実業家。旧名は九一。北海道札幌市出身。旧制小樽中学卒業、立命館大学経済学部中退。 3代目地崎宇三郎は、かつて北海道を代表するゼネコンであった地崎工業の前身、株式会社地崎組の3代目社主(オーナー社長)。1943年に父の2代目宇三郎から地崎組社長を継承し、1973年に地崎工業と改称、1981年に長男の地崎昭宇に社長の座を譲った。 父の公職追放直後の1947年の第23回衆議院議員総選挙に立候補するも選挙戦途中で辞退。1963年、第30回衆議院議員総選挙に旧北海道1区より立候補し、初当選。当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・藤尾正行・佐藤孝行・中川一郎・三原朝雄・西岡武夫・鯨岡兵輔・奥野誠亮など。
松尾 英男(まつお ひでお、1918年8月30日 - 199… 松尾 英男(まつお ひでお、1918年8月30日 - 1998年4月3日)は、日本の実業家。 元東急不動産社長、東急ハンズ社長、東京急行電鉄専務。 北海道札幌市出身。小学校卒業後、母親の再婚で東京に移る。1942年慶應義塾大学経済学部を卒業し、戦後の1946年に東京急行電鉄に入社。1953年に東急不動産に出向し、田園都市部長・常務・専務などを経て、1978年社長に就任し、のち会長となる。同社を総合ディベロッパーに育てあげ、「中興の祖」と呼ばれた。さらに1976年に東急ハンズの設立に関わり、初代社長を務める。また、この間東京急行電鉄取締役・専務なども歴任し、東急グループの重鎮として活躍した。
石田 達郎(いしだ たつろう、1918年(大正7年)7月18… 石田 達郎(いしだ たつろう、1918年(大正7年)7月18日 - 1990年(平成2年)7月19日)は、日本の実業家。ニッポン放送・フジテレビジョン社長を務めた。北海道札幌市出身。 札幌一中(現:北海道札幌南高等学校)、慶應義塾大学経済学部を卒業。 鐘淵紡績、映画プロデューサーを経て、1954年(昭和29年)ニッポン放送に入社。74年社長、85年相談役。この間、フジテレビ社長、産経新聞代表取締役を兼任したほか、パシフィック音楽出版(PMP、現:フジパシフィックミュージック)、ポニー、キャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)、ディノス(現:DINOS CORPORATION)といった、フジサンケイグループで非放送・新聞事業の中核となる企業を設立した。
今井 道雄(いまい みちお、1914年1月24日 - 199… 今井 道雄(いまい みちお、1914年1月24日 - 1990年9月4日)は、日本の実業家。丸井今井代表取締役社長、札幌商工会議所会頭、札幌証券取引所理事長等を務めた。 北海道札幌市生まれ。1938年東京商科大学(現一橋大学)を卒業(同期に小泉明ら)。大阪の大丸百貨店で修業したのち、家業の丸井今井グループ入りし、1944年から丸井今井の三代目代表取締役社長を務めた。1973年から札幌商工会議所会頭を務め、北海道商工会議所連合会会頭、札幌観光協会会長、北海道百貨店協会会長、札幌証券取引所理事長なども歴任した。1974年北海道経済連合会設立発起人代表。1981年エフエム北海道発起人。1987年北海道立文学館建設期成会会長。
江守 栄作(えもり えいさく、1903年5月7日 - 198… 江守 栄作(えもり えいさく、1903年5月7日 - 1987年4月2日)は、北海道札幌市生まれの実業家、スケート選手。 明治36年(1903年)札幌生まれで豊水小学校卒。大正7年(1918年)にスケートを始め、大正13年(1924年)ロシアのフィギュアスケートの極東大会で優勝。その後アイスホッケーを始める。 1928年ウラジオストックロシア語学校高等科を卒業した後、貿易会社の清水貿易に就職、ウラジオストック支社長を務めた。 昭和14年(1939年)にトレーニング中のアクシデントから敗血症にかかり左足切断。その後は後進の育成に力を注ぎ、昭和58年(1983年)東京都アイスホッケー連盟会長に就任。
数納 清(かずのう きよし、1903年 <明治36年> 3月… 数納 清(かずのう きよし、1903年 <明治36年> 3月7日 - 1991年 <平成3年> 12月1日)は、日本の実業家。朝日生命保険社長をつとめた。位階は正四位。 北海道札幌市出身。1926年に東京帝国大学経済学部を卒業し、帝国生命保険(現・朝日生命保険)に入社。台北支店長などを経て、1947年朝日生命保険取締役、1965年に社長に就任。1975年会長、1979年相談役。 この間古河三水会理事長をつとめるなど、財界人としても活躍した。 1969年藍綬褒章、1975年勲二等旭日重光章。1991年死去。死没日付をもって正四位に叙された。 『20世紀日本人名事典』(日外アソシエーツ、2004年)
岩本 政一(いわもと まさいち、1903年 - 1979年1… 岩本 政一(いわもと まさいち、1903年 - 1979年1月12日)は、日本の政治家、実業家。元参議院議員(自由民主党・1期)。 北海道札幌郡豊平町石山(現札幌市南区石山)出身。札幌市立石山小学校卒。1929年に貨物自動車運送業を開業。豊平自動車運輸専務、北海道自動車運輸専務を経て、1956年社団法人北海道トラック協会初代会長(~1975年)や、北海道議会議員(札幌市選出)を6期務め、自民党道連幹事長、同党道連副会長、全国都道府県議会議長会副会長、北海道議会議長(1963年5月から1977年7月)、北海道開発審議会委員などを歴任。1971年の第9回参議院議員通常選挙に北海道選挙区から立候補し当選。
酒井 喜四(さかい きし、1901年4月25日 - 1974… 酒井 喜四(さかい きし、1901年4月25日 - 1974年7月1日)は、日本の官僚・実業家。 帝国石油総裁・社長を務めた。 北海道札幌市出身。1924年に東京帝国大学法学部を卒業し、農商務省に入省。商工事務官、商工省鉱山局燃料課長、燃料局第一部油政課長兼資源課長兼商工書記官、燃料局石油部長、札幌鉱山局長などを歴任。商工事務官時代に旧石油業法の起案に携わり、1934年の同法の成立に尽力した。1941年10月鉄鋼局長、1943年鉄鋼統制販売株式会社社長。戦後も商工省燃料局長を務めたが、1947年に退官。同年の第23回衆議院議員総選挙において北海道1区から立候補したが落選した。1948年に帝国石油総裁となり、1950年の民営化後も引き続き1952年まで社長を務めた。
佐藤 貢(さとう みつぎ、1898年〈明治31年〉2月14日… 佐藤 貢(さとう みつぎ、1898年〈明治31年〉2月14日 - 1999年〈平成11年〉9月26日)は、大正時代から昭和時代の北海道の経営者・教育者。位階は正四位。 北海道興農公社の設立に関わり、後身の雪印乳業の初代社長を務めた。また、長らく学校法人酪農学園の理事長を務めた。 札幌市生まれ。北海道庁立札幌第一中学校・ 北海道帝國大學農学部卒業。アメリカのオハイオ州立大学農科大学で細菌学と乳業を学び、1922年(大正11年)に帰国。家業である農業を継ぐ。 1925年(大正14年)、父・善七が設立者の一人であった有限会社北海道製酪販売組合の技師となり、雪印の名で「北海道バター」を製造販売。1940年(昭和15年)から有限会社北海道興農公社の専務を務め、1946年(昭和21年)には経済安定本部勤務。
瀬尾 俊三(せお しゅんぞう、1897年4月11日 - 19… 瀬尾 俊三(せお しゅんぞう、1897年4月11日 - 1980年9月17日)は、日本の経営者。雪印乳業社長を務めた。 北海道札幌市出身。札幌第一中学校(現・北海道札幌南高等学校)を経て、1922年に早稲田大学商学部を卒業。東海林太郎とは大学時代に同じ下宿にいた親友。 名古屋銀行での勤務を経て、1926年に北海道酪農販売組合連合会主事に就任し、1938年に専務、1950年6月に雪印乳業専務、1957年5月に副社長を経て、1963年5月に社長に就任。1971年5月に会長を経て、1973年5月には相談役に就任した。 1963年に藍綬褒章を受章し、1967年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1980年9月17日、急性肺炎のために死去。
岩田 徳治(いわた とくじ、1894年12月15日 - 19… 岩田 徳治(いわた とくじ、1894年12月15日 - 1982年2月20日)は、日本の実業家、政治家。岩田建設の創業者。北海道議会議員(4期)。 札幌村(現在の札幌市東区)出身。岩田家は富山県で江戸時代から続く瓦工場であったが、徳治の両親は西南戦争後の不況により土地家屋を手放し、1890年(明治23年)北海道に渡り現在の丘珠町に入植した。丘珠尋常小学校(現・札幌市立丘珠小学校)卒業後、家業の農業の手伝いに励む。14歳のときに苗穂町(現在の本町)に居を移し、長兄が早逝したため18歳で家督を相続する。北海中学校(現・北海高等学校)卒業。 大星組などを経て1912年から義兄・村上六松が営む合資会社村上組で帳場を担当。