南部 昌江(なんぶ まさえ、1960年 - )は日本のキーボ… 南部 昌江(なんぶ まさえ、1960年 - )は日本のキーボーディスト、作曲家、セッション・ミュージシャンである。北海道帯広市出身。初期は水沢朱里名義で作・編曲家として活動。 夫はギタリストで同様にセッション・ミュージシャンである松原正樹。1995年発表の「流宇夢サンド'95」以来、アルバムに参加している。 北海道帯広柏葉高等学校卒業。エレクトーン奏者として、全国・世界の大会で入賞を重ねる。後にヤマハ音楽振興会の所属プレイヤーとして活動。 その後水沢朱里名義で作曲家として活動。早見優、原田知世、荻野目洋子等の作曲・編曲、数多くのCMソングを手掛ける。 1989年に夫である松原、春名正治、島健、石川雅春、伊藤広規、佐野聡と「TRIFORCE」を結成。
帯 ひろ志(おび ひろし、1959年9月16日 - 2014… 帯 ひろ志(おび ひろし、1959年9月16日 - 2014年8月3日)は、日本の漫画家、イラストレーター。本能 猛(ほんのう たける)名義で成人向け漫画を描いたこともある。 同名の司会者(1957年4月28日生まれ、本名:松葉邦雄)とは、別人。 北海道帯広市生まれ、神奈川県育ち。1978年から日本デザイナー学院マンガ科に通い、卒業。社団法人日本漫画家協会会員。既婚。佐藤元とは友人関係。 1979年からアニメーション美術会社でアニメーション背景の仕事に携わった後、1980年埼玉県新座市に引っ越し独立。1982年、集英社の『月刊少年ジャンプ』増刊にて『星の王子さま』でデビューする。 集英社、秋田書店では少年誌、小学館、講談社では主に児童誌で漫画を描いていた。
何ン田 研二(なンだ けんじ、本名:山口 眞、1959年8月… 何ン田 研二(なンだ けんじ、本名:山口 眞、1959年8月22日 - )は、日本の歌手、ものまねタレント。沢田研二や美川憲一、松山千春の物真似をこなす。東京都生まれ、北海道帯広市育ち。 帯広市内の中学校を卒業後地元の寿司店で修行し飲食店や建築業に勤めた後、1996年より「美山真」として歌手活動を開始。1998年よりものまねタレントとして活動を始める。ものまねタレントとしては「何ン田研二」、歌手活動の場合には「山口眞」と2つの芸名を使い分けている。かつて歌手名を「山口真」としていたが、2010年秋より本名の「山口眞」に変更している。一般財団法人日本歌手協会会員。帯広市観光大使。北海道と東京都の二拠点活動を行っている。
横山 信一(よこやま しんいち、1959年〈昭和34年〉7月… 横山 信一(よこやま しんいち、1959年〈昭和34年〉7月21日 - )は、日本の政治家、水産学博士。公明党所属の参議院議員(3期)。 函館水産試験場科長、北海道議会議員(2期)、農林水産大臣政務官、復興副大臣、財務副大臣などを歴任した。 1959年7月21日、北海道帯広市に生まれる。1972年3月、石狩町立南線小学校を卒業。1975年3月、石狩町立花川中学校を卒業。1978年3月、北海道札幌北陵高等学校を卒業。1983年3月、北海道大学水産学部を卒業。 1990年3月、北海道大学大学院水産学研究科博士後期課程で単位取得。同年4月、北海道水産部に就職。同年8月、網走水産試験場に赴任。1992年3月、水産学博士号を取得。
後藤 健市(ごとう けんいち、1959年7月8日 - )は、… 後藤 健市(ごとう けんいち、1959年7月8日 - )は、日本の実業家。「野遊び」をキーワードに地方創生に取り組んでいる。スノーピーク地方創生コンサルティング代表取締役会長。一般社団法人野遊びリーグ理事長。株式会社デスティネーション十勝(DMO)代表取締役社長。ノラワークスジャパン取締役会長。社会福祉法人ほくてん北海点字図書館理事長。合同会社場所文化機構代表。内閣府地域活性化伝道師。
維住 玲子(いじゅう れいこ、1959年[要出典]6月18日… 維住 玲子(いじゅう れいこ、1959年[要出典]6月18日 - )は、日本の小説家、エッセイスト、構成作家である。本名は清水玲子。 北海道帯広市出身。1980年、札幌大学女子短期大学部国文科卒業。1993年「夜汽車」で朝日新聞ライラック文学賞最終候補。1994年「ブリザード」で中央公論社女流新人賞を受賞。 北海道新聞藤原てい特別文化講座 帯広エッセー教室講師(1997〜1999年)。北海道新聞夕刊でエッセー連載(1996〜1999年)。毎日新聞北海道版でエッセー連載(1998〜2001年)。 1997年からアジア各国で取材活動。2002年からアメリカ ノースカロライナ州/ サウスカロライナ州で生活する。
岡山 洋一(おかやま よういち、1959年(昭和34年)4月… 岡山 洋一(おかやま よういち、1959年(昭和34年)4月18日 - )は英語学者。北海道帯広市出身。 英語教育とディベート教育の両分野で活躍している。札幌ディベート研究所代表、ディベートアゴラ主宰。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
穀山 敏(こくやま さとし、1958年9月12日 - )は、… 穀山 敏(こくやま さとし、1958年9月12日 - )は、日本の実業家、元北海道文化放送(UHB)アナウンサー、同社関連会社トップ·クリエーション代表取締役社長→相談役を務めた。 北海道帯広市出身。北海道帯広柏葉高等学校を経て、1981年に明治大学商学部卒業後、テレビ岩手に入社。1988年、地元局の北海道文化放送(UHB)に移籍。UHBではスポーツ実況がメイン。フジ系列全国ネットのゴルフ、マラソン、スキージャンプ、プロ野球、バレー等を担当。1998年長野五輪はフジテレビの応援でジャンプ競技を中心にリポートを担当。その後事業部に異動、報道部を経てスポーツ部長、アナウンス部長を歴任。2014年同社関連会社トップ·クリエーション代表取締役社長に就任。
鳴海 章(なるみ しょう、1958年7月9日 -)は、日本の… 鳴海 章(なるみ しょう、1958年7月9日 -)は、日本の小説家。北海道帯広市生まれ・在住。本名三井 章芳。男性。 北海道帯広市生まれ。北海道帯広柏葉高等学校を経て、日本大学法学部卒。 零細PR会社に勤務していた1991年、『ナイト・ダンサー』で第37回江戸川乱歩賞を受賞(真保裕一の『連鎖』と同時受賞)。前年に『スクォーク75、ハイジャック発生』で乱歩賞に入選したが、最終候補作には選ばれなかった。 シリーズものの著作として『国連航空軍』シリーズ、『スナイパー』シリーズ、『原子力空母信濃』シリーズ、『ゼロ』シリーズがある。航空サスペンス・エンタテイメント小説の熱心な書き手として知られている。1997年から、東京から帯広に戻り作家生活を営んでいる。
坂本 和昭(さかもと かずあき、1958年1月29日 - )… 坂本 和昭(さかもと かずあき、1958年1月29日 - )は、日本の実業家。坂本ビル株式会社および坂本商事株式会社代表取締役社長。北海道出身。 観光カリスマ百選、北海道地域づくりアドバイザー、地域活性化伝道師(内閣府)を歴任。 帯広市生まれ。北海道帯広柏葉高等学校、1980年駒澤大学法学部法律学科卒業。1980年4月、坂本ビル・坂本商事に入社し専務取締役。1992年5月、同社代表取締役社長に就任。 1996年、十勝環境ラボラトリー(TKL)設立し事務局長。2000年、北の起業広場協同組合設立し専務理事。十勝環境ラボラトリー(TKL)専務。2001年7月、北の屋台(帯広市西1条南10丁目7)開業、専務理事。
笹原 晶博(ささはら まさひろ、1957年2月21日 - )… 笹原 晶博(ささはら まさひろ、1957年2月21日 - )は日本の銀行家。北海道銀行代表取締役会長、北海道経済連合会副会長。 北海道帯広市生まれ。北海道札幌北高等学校、北海道大学教育学部卒業後、1979年北海道銀行入行。入行同期に堰八義博第6代頭取や、山川広行札幌ドーム社長がいる。 営業企画室室長、月寒支店長などを経て、2003年取締役執行役員。2006年取締役常務執行役員。2010年代表取締役副頭取兼ほくほくフィナンシャルグループ取締役。2015年から代表取締役頭取兼ほくほくフィナンシャル代表取締役副社長を務め、2018年には北海道銀行と常陽銀行の間で、北海道産品や茨城県産品のロシア、東南アジア輸出拡大支援などでの連携協定を締結した。
富井 健(とみい たけし、1957年 - 2021年)は、キ… 富井 健(とみい たけし、1957年 - 2021年)は、キリスト教再建主義の神学者[要出典]、教役者[要出典]。 北海道帯広市に生まれる。9歳の時にバプテスト教会で浸礼によるバプテスマを受ける。1976年札幌南高等学校卒業。 1977年7月17日、聖書キリスト教会に転入会。聖書キリスト教会の学生会の会長となる。1982年東京外国語大学卒業。1983年レニングラード大学ロシア語課程を修了。 1988年尾山令仁が校長を務める東京神学校を卒業し、聖書キリスト教会の牧師となる。神学校の2年目に最初の再建主義者ラッシュドゥーニーの「Institutes of Biblical Law(聖書律法綱要)」をアメリカで購入し、神学校の卒業論文の参考とした。
窪田 毅(くぼた ひとし、1956年 <昭和31年> 4月1… 窪田 毅(くぼた ひとし、1956年 <昭和31年> 4月13日 - )は、日本の地方公務員。北海道副知事、北洋銀行監査役を歴任。瑞宝中綬章受章。 帯広市出身。北海道札幌南高等学校卒業。1980年4月 北海道庁入庁、2003年 (平成15年) 6月 同総合企画部政策室広報広聴課長、2005年4月 同知事政策部知事室秘書課長、2007年6月 同経済部商工局長、2009年4月 同経済部次長、2010年4月 同上川総合振興局長、2012年4月 同経済部観光振興監。2013年6月 総合政策部長。2017年4月 荒川裕生の退任に伴い北海道副知事就任。2019年5月 高橋はるみ知事から鈴木直道知事への交代に伴い土屋俊亮、浦本元人、中野祐介を後任に辻泰弘らとともに退任。
五十嵐 秀彦(いがらし ひでひこ、1956年3月12日 - … 五十嵐 秀彦(いがらし ひでひこ、1956年3月12日 - )は、俳人。北海道帯広市生まれ。札幌市在住。現代俳句協会、俳人協会会員。漫画家の田島ハルは次女。 札幌北高等学校、明治学院大学法学部法律学科卒。1994年より句作を開始。俳誌「藍生」にて黒田杏子、「雪華」にて深谷雄大に師事。
米沢 則寿(よねざわ のりひさ、1956年3月12日 - )… 米沢 則寿(よねざわ のりひさ、1956年3月12日 - )は、日本の政治家。北海道帯広市長(4期)。 北海道帯広市出身。帯広市立帯広第六中学校(現・帯広市立翔陽中学校)、北海道帯広柏葉高等学校、北海道大学法学部卒業。 1978年4月、石川島播磨重工業株式会社(現・株式会社IHI)に就職。1985年11月、日本合同ファイナンス株式会社(現・株式会社ジャフコ)に入社。1989年から6年間、ロンドンに駐在した。1995年6月、北海道ジャフコ株式会社の取締役社長に就任。2005年2月、ジャフココンサルティング株式会社の取締役社長に就任。 2010年4月18日執行。民主党と新党大地の推薦を受けて無所属で出馬。
佐藤 和孝(さとう かずたか、1956年(昭和31年)2月2… 佐藤 和孝(さとう かずたか、1956年(昭和31年)2月25日 - )は、日本のジャーナリスト。北海道帯広市出身。ジャパンプレスの代表。 出身地の高校卒業後に東京写真専門学校に入学し、中退。1980年(昭和55年)に戦場カメラマンとしてアフガニスタン紛争の取材を行う。その後、ビデオジャーナリストに転進する。1980年代より、アフガニスタン紛争やボスニア・ヘルツェゴビナ紛争などを取材してきた。1996年(平成8年)以降は山本美香と共同で取材。 2001年(平成13年)のアメリカ同時多発テロ発生後も現地に留まり、日本テレビの中継などを通じて報道を続けた。2003年には、イラク戦争開始直前にバグダードに入り、ニュースプラス1、きょうの出来事などで現地のリポートを送り続けた。
大山 三喜雄(おおやま みきお、1955年10月29日 - … 大山 三喜雄(おおやま みきお、1955年10月29日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。北海道帯広市出身。白樺学園高等学校を経て王子製紙所属時代にインスブルックオリンピックに日本代表として出場した。 1976年インスブルックオリンピックでは500m18位、1000m24位だった。1977年と1978年の全日本スプリントスピードスケート選手権大会を連覇。 現役引退後は王子製紙スケート部でコーチ・監督を務め、ソルトレイクシティオリンピック代表チームのコーチも務めた。
平 淑恵(たいら よしえ、本名;黛 淑恵、1954年10月1… 平 淑恵(たいら よしえ、本名;黛 淑恵、1954年10月12日 - )は、日本の女優、声優。北海道帯広市出身。文学座所属。夫は黛りんたろう。義父は黛敏郎。 北海道帯広三条高等学校、立教女学院短期大学幼児教育科卒業。 高校時代に『華岡青洲の妻』の帯広公演を見てから「女優になるなら文学座へ」との一念で、短大卒業後に文学座演劇研究所へ入る。 1977年、アントン・チェーホフの戯曲『かもめ』のニーナ役に起用されて初舞台。 酒井和歌子の後任として1985年以降『大岡越前』で妻・雪絵役を演じ、2006年まで長きにわたる当たり役となった。 1983年と1996年には紀伊國屋演劇賞を受賞。 1996年から、杉村春子(文学座)が舞台初演から長らく演じてきた森本薫作の『女の一生』の布引けい役を譲られた。
高橋 啓(たかはし けい、1953年 - )は、日本の翻訳家… 高橋 啓(たかはし けい、1953年 - )は、日本の翻訳家。 北海道帯広市出身。早稲田大学第一文学部卒業。主としてフランス語・英語の翻訳を行う。パスカル・キニャールの訳者として知られる。 北海道帯広柏葉高等学校を卒業後、1972年に早稲田大学第一文学部に入学し、仏文を専攻する。1978年に卒業後、教科書出版社に入社するも、2年後に退社。1982年から1984年にかけてアルジェリアに渡り、現場通訳の仕事をこなす。 帰国後に翻訳会社で一時的に勤務した後、30代半ばで独立。当初は産業翻訳を手がけていたが、1988年の「FDG 社長学入門」を切っ掛けに本の翻訳を行うようになる。その後高橋はパスカル・キニャールの「めぐり逢う朝」の原著に出会い、パリへ飛びキニャールに面会。
堂山 芳則(どうやま よしのり、1951年1月16日 - )… 堂山 芳則(どうやま よしのり、1951年1月16日 - )は、ホッカイドウ競馬に所属していた元調教師。北海道帯広市出身。長男・堂山直樹は元騎手。 父の堂山大企知は繋駕速歩競走の騎手を経て平地競走の調教師に転じたが病に倒れ、三男である芳則も1970年から騎手を務めていたが、1980年12月1日に調教師免許を取得し、30歳で父の厩舎を引き継ぐ形で開業した。騎手としての通算成績は、2259戦255勝(うち重賞11勝)。 1981年4月26日岩見沢競馬第2競走においてマウタオロシが管理馬初出走、4月28日岩見沢第8競走をハクセカイで制して初勝利を挙げている。 1990年代中盤には西本博厩舎から移籍したササノコバンで道営記念連覇、第6回ブリーダーズゴールドカップでも2着と健闘した。
小堀 勝啓(こぼり かつひろ、1950年〈昭和25年〉6月2… 小堀 勝啓(こぼり かつひろ、1950年〈昭和25年〉6月26日 - )は、CBCテレビ(CBC)の元アナウンサー。2015年7月1日からは、フリーアナウンサーとして活動している。 北海道帯広市出身。その縁で、2014年3月25日から2016年9月30日までは、北海道十勝総合振興局から「とかち観光大使」を委嘱されていた。日本ペンクラブ会員。 北海道帯広柏葉高等学校を経て、東海大学文学部広報学科に進学。学生時代は、アナウンス専門学校に通っていた。 大のビートルズファンであることから、日本武道館での公演を主催した中部日本放送(CBC)への入社を志望。大学卒業後の1973年に入社した(同期に多田明子)。
佐々木原 保志(ささきばら やすし、1950年 - )は、日… 佐々木原 保志(ささきばら やすし、1950年 - )は、日本の撮影監督。北海道帯広市出身。 1968年北海道帯広三条高等学校卒業。1971年日活撮影所に契約カメラマンとして入社、1973年以降はフリーとなり、1982年の『ISAMI』で撮影監督としてデビュー。照明監督の安河内央之とは名コンビと謳われ、多数の作品を輩出。1988年日本映画撮影監督協会(J.S.C.)に入会し、2002年から副理事長を務める。2005年大阪芸術大学映像学科の教授に就任。 ※受賞歴のある作品は太字で表記
廣瀬 義州(ひろせ よしくに、1949年12月3日 - 20… 廣瀬 義州(ひろせ よしくに、1949年12月3日 - 2016年9月21日)は、日本の会計学者。 北海道帯広市出身。立教大学経済学部経営学科卒業。早稲田大学大学院商学研究科博士後期課程修了(新井清光に師事)。商学博士(早稲田大学)。福岡大学専任講師等を経て、早稲田大学商学学術院教授。コロンビア大学大学院客員研究員(1991年 - 1992年)。 大蔵省企業会計審議会臨時委員、幹事、経済産業省企業法制研究会(ブランド価値評価研究会)委員長、日本会計研究学会理事、学会賞審査委員、評議員、国際会計研究学会理事等を歴任。 他共著・編著・論文多数。
宮沢 吾朗(みやざわ ごろう、戸籍上の表記は宮澤 吾朗、19… 宮沢 吾朗(みやざわ ごろう、戸籍上の表記は宮澤 吾朗、1949年11月29日 - )は、囲碁の棋士。北海道帯広市出身。木谷實九段門下、日本棋院所属、九段。 父は衣料店経営の傍ら囲碁の指導をしていたアマチュア強豪で、6歳の頃に兄(宮沢は5男3女の8人きょうだいの末っ子)から碁を教わる。11歳でアマ4段くらいになった1961年、木谷實九段が弟子の上村邦夫・久島国夫(共に現九段)・高畑(柴田)寛二を連れて帯広にやって来た。そこで高畑と3子で打ち木谷に認められ釧路へ1週間同行することになる。後日木谷道場への入門を勧める手紙が届き、11月、大野正由地方棋士とともに帯広の家を出発。青函連絡船に乗って道場へ向かった。
清水 誠一(しみず せいいち、1949年(昭和24年)2月1… 清水 誠一(しみず せいいち、1949年(昭和24年)2月16日 - )は、日本の政治家。 過去に衆議院議員(1期)、北海道議会議員(5期)、帯広市議会議員(通算3期)を歴任した。 1949年(昭和24年)、北海道帯広市に生まれる。1967年(昭和42年)、北海道帯広三条高等学校卒業し、札幌真木呉服店入社。1969年(昭和44年)、清水洋装店入社。1983年(昭和58年)、帯広市議会議員初当選。1991年(平成3年)、北海道議会議員選挙帯広市選挙区から初当選。2010年(平成22年)、後援会関係者の一部が、党道連から割り当てられた電話で、中川義雄の長男でみんなの党から立候補した中川賢一の支援を呼びかけた道義的責任を取り、暫定的に務めていた自民党北海道11選挙区支部長、自民党北海道支部連合会副会長、自民党帯広支部長を辞任した。
角 一幸(すみ かずゆき、1948年9月28日 - )は、日… 角 一幸(すみ かずゆき、1948年9月28日 - )は、日本の実業家。TKC代表取締役社長を経て、同社取締役会長。 北海道帯広市出身。北海道帯広三条高等学校を経て、1972年北海道大学理学部高分子科学科卒業、栃木県計算センター(現TKC)入社。1990年取締役営業本部副本部長。1997年常務取締役地方公共団体事業部副部長。1998年常務取締役地方公共団体事業部長。2001年専務取締役地方公共団体事業部長、TKC保安サービス代表取締役社長。2006年取締役専務執行役員地方公共団体事業部長。2008年代表取締役副社長執行役員地方公共団体事業部長。2011年代表取締役社長執行役員会計事務所事業部長。
山田 泰幸(やまだ やすゆき、1948年8月16日 - )は… 山田 泰幸(やまだ やすゆき、1948年8月16日 - )は、日本の消しゴム版画家。北海道帯広市出身。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
関 寛(せき ひろし、1946年11月4日 - )は、日本の… 関 寛(せき ひろし、1946年11月4日 - )は、日本の実業家。2026年現在中道リース株式会社代表取締役会長。また同社の筆頭株主でもある。 北海道帯広市出身。1965年3月、北海道帯広三条高等学校を卒業。1970年3月、北海学園大学法学部卒業。 1970年4月、帯広市役所に入所する。1986年帯広市市民公室秘書課長となる。1990年3月、帯広市役所を退職する。 1990年4月、岳父・中道昌喜が創業した中道リース株式会社の常務取締役社長室室長に就任する。1991年4月、同社専務取締役に就任する。1992年4月、同社代表取締役副社長となる。 1994年4月、中道リース株式会社代表取締役となる。
時田 則雄(ときた のりお、1946年9月24日 - )は、… 時田 則雄(ときた のりお、1946年9月24日 - )は、日本の歌人。十勝で農業を営みながら、文芸活動を行っている。 北海道帯広市生まれ。北海道帯広農業高等学校在学中から短歌を詠み始める。帯広畜産大学別科草地畜産専攻修了。 1964年、短歌結社「辛夷社」に入会。1980年、角川短歌賞受賞を皮切りに、1982年現代歌人協会賞、1987年北海道新聞短歌賞、1999年短歌研究賞、2009年読売文学賞および芸術選奨文部科学大臣賞など、数多くの受賞歴を持つ。 1992年、大塚陽子の後を引き継ぎ、『辛夷』編集発行人を務めたが、2011年に退会。2015年、同人誌『劇場』を創刊。北海道新聞「日曜文芸」選者。
小野木 聖二(おのき せいじ、1946年8月21日 - 20… 小野木 聖二(おのき せいじ、1946年8月21日 - 2019年10月21日) は、日本の技術者、実業家。アズビル代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本電気制御機器工業会会長、日本電気計測器工業会会長などを歴任した。藍綬褒章受章。 北海道帯広市生まれ。1970年北海道大学工学部応用物理学科卒業、山武ハネウエル入社。 1988年山武ハネウエルアドバンステクノロジーセンター所長。1994年山武ハネウエル工業システム事業部システム開発統括部長。1996年山武ハネウエルア取締役。2000年山武産業システム代表取締役社長。2003年執行役員常務アドバンスオートメーションカンパニー社長。 2004年から代表取締役社長兼執行役員社長を務め、社名をazbilに変更した。
池澤 夏樹(いけざわ なつき、1945年7月7日 - )は、… 池澤 夏樹(いけざわ なつき、1945年7月7日 - )は、日本の小説家・詩人。翻訳、書評も手がける。日本芸術院会員。 文明や日本について考察を基調にした小説や随筆を発表している。翻訳は、ギリシア現代詩からアメリカ現代小説など幅広く手がけている。各地へ旅をしたことが大学時代に専攻した物理学と併せて、池澤の作品の特徴となる。詩が小説に先行していることも、文章に大きな影響を与えている。 声優の池澤春菜と起業家、投資家の池澤摩耶は娘。画家のSaya(摩耶の娘)は孫。 北海道帯広市出身で、マチネ・ポエティクで同人の原條あき子(山下澄、1923年 - 2004年)と福永武彦の間に、疎開先の帯広で誕生した。
肥田 隆行(ひだ たかゆき、1944年5月4日 - )は、… 肥田 隆行(ひだ たかゆき、1944年5月4日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。北海道帯広市出身。 帯広市立帯広第三中学校-北海道帯広柏葉高等学校-専修大学-三協精機 1968年グルノーブルオリンピックでは500m37位。4年後の札幌オリンピックでは500m13位だった。
小野寺 昭(おのでら あきら、1943年〈昭和18年〉9月1… 小野寺 昭(おのでら あきら、1943年〈昭和18年〉9月19日 - )は、日本の俳優、元大阪芸術大学短期大学部客員教授。本名は同じ。柊企画を経て、フロム・ファーストプロダクション所属。 北海道帯広市出身。北海道帯広三条高等学校卒業。 もともと引っ込み思案の恥ずかしがり屋で、人前で何かをすることが苦手だった。地方公務員の父親がアマチュア劇団を主宰しており、舞台を覗いた時に、普段できないことをお芝居という力を借りて別人になってできることに興味を持ち俳優を志す。高校時代に演劇部の部長として『夕鶴』の与ひょう役を演じ、高校演劇コンクールで地区代表に選ばれて北海道大会に出場した。高校卒業後、東京で児童劇団を主宰していた父親の元劇団仲間を頼って、上京する。
山内 恵子(やまうち けいこ、1940年2月20日 - )は… 山内 恵子(やまうち けいこ、1940年2月20日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。社会民主党北海道連合代表。 北海道帯広市生まれ。北海道学芸大学(現・北海道教育大学)札幌分校卒業。小学校教諭を経て、北海道教職員組合女性部長、日教組女性部長等を歴任。 2000年に行われた第42回衆議院議員総選挙に社会民主党公認で比例北海道ブロックから出馬し、初当選を果たす。議員在任中は文部科学委員会等に所属。ジェンダーフリー運動賛同派として活動し「夫婦茶碗は差別表現」と発言した。2003年の第43回衆議院議員総選挙では民主党との選挙協力により北海道第11区から重複立候補するも小選挙区では中川昭一に敗れ、社会民主党が比例議席を得られなかったため落選。
平井 克哉(ひらい かつや、1939年12月11日 - )は… 平井 克哉(ひらい かつや、1939年12月11日 - )は、日本の動物学者・獣医師。専門は獣医微生物学。北海道帯広市出身。 元・岐阜大学大学院連合獣医学研究科長。
佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 - 201… 佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 - 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。 北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。 1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会し、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現在の常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年、東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現在の東京純心大学)の教授になった。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの他大学でも教えていた。
進藤 榮一(進藤 栄一、しんどう えいいち、1939年8月6… 進藤 榮一(進藤 栄一、しんどう えいいち、1939年8月6日 - )は、日本の政治学者。筑波大学名誉教授。専門は、アメリカ外交・国際政治経済学・アジア地域統合。 北海道帯広市生まれ。北海道帯広柏葉高等学校を経て、1963年京都大学法学部卒業。1965年同法学研究科修士課程、1968年同博士課程単位取得退学。1969年フルブライト給費留学生として米国ジョンズ・ホプキンズ大学高等国際関係大学院(SAIS)博士課程進学、1970年プリンストン大学研究員、1971年鹿児島大学法文学部講師・助教授、1974年筑波大学講師、東京外国語大学講師、1975年筑波大学大学院地域研究科助教授、1976年社会科学系助教授、教授、学系長hTARAプロジェクト長を歴任。
澤岡 昭(さわおか あきら、1938年 - )は日本の学者。… 澤岡 昭(さわおか あきら、1938年 - )は日本の学者。 1938年、北海道帯広市生まれ。 小・中・高校時代を札幌で過ごし、1958年北海道大学理類に入学、1963年物理学科卒業、1965年修士課程を修了、その年の秋、博士課程を中退して大阪大学基礎工学部に助手として採用され、1969年に東京工業大学に転勤した。 工業材料研究所と応用セラミックス研究所(現・フロンティア材料研究所)の助手、助教授、教授、所長を経て、1999年大同工業大学(現:大同大学)学長、2017年大同大学名誉学長。 その間、宇宙開発事業団(当時)嘱託やスペースシャトルを利用した宇宙実験、国際宇宙ステーション計画に参画した。
神谷 忠孝(かみや ただたか、1937年6月5日 - )は、… 神谷 忠孝(かみや ただたか、1937年6月5日 - )は、日本近代文学研究者(昭和文学)。北海道大学名誉教授。北海道立文学館第4代理事長。 北海道帯広市生まれ。北海道帯広三条高等学校を経て、1962年北海道大学文学部国文科卒(恵迪寮OB)。67年同大学院博士課程中退。帯広大谷短期大学助教授、70年中央大学助教授。76年北海道大学助教授、のち教授、2001年定年退官、名誉教授。北海道文教大学外国語学部教授。2014年北海道新聞文化賞、2016年北海道文化賞受賞。 札幌市厚別区在住。2011年から、サンピアザ劇場で上演された優秀な作品を表彰する「神谷演劇賞」を自費で主催した。
広野 トヨ(ひろの トヨ、1936年〈昭和11年〉8月20日… 広野 トヨ(ひろの トヨ、1936年〈昭和11年〉8月20日 - 2014年〈平成26年〉8月10日)は、日本のアイヌ文化伝承者。北海道阿寒湖のアイヌ集落の歌い手として知られ、長年にわたって観光客向けに古式舞踊を披露することで、アイヌ文化の伝承へ大きく貢献した。 北海道帯広市で誕生した。幼少期に釧路に移住した。アイヌの文化伝承者・著述家である山本多助を養父として育ち、輪踊りやサロルンリムセ(鶴の舞)を踊るアイヌたちの姿を見て育ったことで、物心がつく前からアイヌの歌や踊りが身の回りにあった。 1973年(昭和48年)、結婚を機に阿寒湖温泉に移り住み、約40年間にわたって、アイヌコタンの常設劇場「オンネチセ」で古式舞踊の歌い手を務め続けた。
木梨 芳一(きなし よしいち、1934年12月8日 - 20… 木梨 芳一(きなし よしいち、1934年12月8日 - 2004年11月12日)は、日本の経営者。北海道文化放送社長、会長を務めた。 北海道帯広市出身。1957年に小樽商科大学を卒業し、同年に北海道新聞社に入社。1991年1月に取締役、1995年1月に常務、1997年11月に専務を経て、1998年6月に北海道文化放送社長に就任。2004年6月に会長に就任。 2004年11月12日に胃癌のために死去。69歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
笹村 二朗(ささむら じろう、1934年〈昭和9年〉3月25… 笹村 二朗(ささむら じろう、1934年〈昭和9年〉3月25日 - 2022年〈令和4年〉7月11日)は、日本の実業家、トカプチアイヌ協会代表、北海道ウタリ協会理事長、アイヌ文化振興・研究推進機構副理事長。帯広市議会議員。 1934年、北海道帯広市生まれ。和人の父とアイヌ人の母を持つ。 1961年に建設業「笹村組」を開業し、1972年に法人化し社長に就任。 帯広市にあった古戦場のチョマトー埋め立て問題で、1975年ごろより、北海道ウタリ協会の活動に関わる。 1996年、北海道ウタリ協会の理事長に就任する。「日本国政府による補償も必要だが、アイヌ民族の自立が重要である」との姿勢をとる。 アイヌ文化振興法の1997年の制定に、理事長として動き回る。
有賀 秀子(ありが ひでこ、1934年2月9日 - 2024… 有賀 秀子(ありが ひでこ、1934年2月9日 - 2024年12月7日)は、日本の女性農芸化学者。専門は、応用生物化学、栄養化学、酪農食品科学。農学博士。 1934年2月9日に北海道帯広市で誕生。1946年帯広市立明星小学校卒業。1946年北海道庁立帯広高等女学校入学、1947年に教育改革により北海道立帯広高等女学校へ、1950年に教育改革により北海道帯広三条高等学校へ改称。1949年に同高等学校併置中学校卒業。1952年北海道帯広三条高等学校卒業。1952年に帯広畜産大学畜産学部酪農学科入学。1956年帯広畜産大学畜産学部酪農学科卒業。1956年に北海道幕別高等学校、1959年に北海道旭川北高等学校の教諭となり、家庭科を教える。
佐藤 タツエ(さとう タツエ、1933年〈昭和8年〉11月1… 佐藤 タツエ(さとう タツエ、1933年〈昭和8年〉11月10日 - 2003年〈平成15年〉12月31日)は、日本のアイヌ文化伝承者。かつて東京都に存在したアイヌ料理専門店「レラ・チセ」の元店長。継父は同じくアイヌ文化伝承者の山本多助。 北海道帯広市で、アイヌ民族として誕生した。幼少時に父が死去し、母の再婚相手が山本多助であった。 離婚後に仕事を求めて、1964年(昭和39年)に上京。北海道には各地にあった生活館のような拠り所が関東にはなかったことで、アイヌの権利回復を目的とし、東京周辺のアイヌたちと共に、1973年(昭和48年)に「東京ウタリ会」、1980年(昭和55年)に「関東ウタリ会」を結成した。
安東 ウメ子(あんどう うめこ、1932年11月20日 ‐ … 安東 ウメ子(あんどう うめこ、1932年11月20日 ‐ 2004年7月15日)は、北海道帯広市フシココタン出身のアイヌの音楽家。ムックリ(口琴)とウポポ(歌)の名手として知られる。 音楽家としてはトンコリ奏者のOKIと共にCDアルバムなどを出している。他にアイヌ語講師やアイヌ文化の保存活動も行っていた。
舟橋 元(ふなばし げん、1931年2月3日 - 1974年… 舟橋 元(ふなばし げん、1931年2月3日 - 1974年9月17日)は、日本の俳優。本名:舟橋 澄。新東宝映画での活躍をはじめ、テレビ時代劇『新選組血風録』『燃えよ剣』の近藤勇役としても知られる。 北海道帯広市生まれ。1948年、法政大学予科在学中に、東横映画(東映の前身)の第1回ニューフェイスに合格、大学を中退して入社し、『月光城の盗賊』でデビューした。退社後は文化放送のラジオドラマなどでキャリアを積む。 劇団ひばり座を経て1950年に、東映東京撮影所の大泉演劇協団に入り、『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』に出演する。1952年、佐分利信に見出され、佐分利監督による『人生劇場』において青成瓢吉役を演じて注目された。
紫竹 昭葉(しちく あきよ、1927年〈昭和2年〉3月27日… 紫竹 昭葉(しちく あきよ、1927年〈昭和2年〉3月27日 - 2021年〈令和3年〉5月4日)は、紫竹ガーデン(北海道帯広市の名物観光庭園)のオーナー。夫が亡くなったことをきっかけに、紫竹ガーデンをオープンし、運営会社の社長としても活躍した。また、亡くなる前まで庭に出て客を迎え、案内しており「紫竹おばあちゃん」としても親しまれた。著書に『咲きたい花はかならず開く』『紫竹おばあちゃんのときめきの花暮らし』などがある。本名は紫竹昭代。 1927年(昭和2年)北海道帯広生まれ。子供の頃から花が好きで、姉や友人と自宅近郊の山で遊び、家の近所にも花に恵まれた原生花園がある環境で育った。旧制北海道庁立帯広高等女学校(後の北海道帯広三条高等学校)在学中、図画の教員から譲られたチューリップの球根を自宅で植え、凍った土を突き破って芽を出したのを見て、花とのかかわりで忘れられない感動となった。
畠山芳雄(はたけやま よしお、1924年8月21日- )は… 畠山芳雄(はたけやま よしお、1924年8月21日- )は、日本の経営コンサルタント。 北海道帯広市出身。1944年陸軍経理学校本科卒。46年札幌財務局勤務、工場、商社などに勤務の後、49年日本能率協会に入り、55年チーフ・コンサルタント、60年理事、67年常務理事。75年専務理事。81年理事長。
藤井幸雄(ふじい ゆきお、1922年3月10日 - 1997… 藤井幸雄(ふじい ゆきお、1922年3月10日 - 1997年7月20日)は、日本の気象学者。 北海道帯広市出身。1942年中央気象台附属気象技術官養成所(現気象大学校)本科卒、中央気象台に入り、気象庁予報課、気象研究所に勤務、応用気象研究室長。そのかたわら東京医科歯科大学で学び、1980年「食中毒発生の気象学的考察」で医学博士号を取得した。インテルハーツ生気象事業部長、エンペックス気象計 (株) 開発部勤務。 1997年7月20日、拡張型心筋症のため死去。
石丸 久(いしまる ひさし、1921年10月31日 - 19… 石丸 久(いしまる ひさし、1921年10月31日 - 1999年12月26日)は、日本の近代文学者。早稲田大学講師、早稲田大学高等学院教諭、代々木ゼミナール講師。 北海道河東郡帯広町(現帯広市)に父・庄七と母・なほこの長男として生まれる。ヨーロッパでの生活経験があり英語・ドイツ語・フランス語に堪能。旧制千葉県立佐倉中学校、旧制静岡高等学校、旧制第二早稲田高等学院を経て、早稲田大学・および同大学院を卒業。大手大学受験予備校代々木ゼミナールの講師も務めた。後に早稲田大学教授。(石丸を「教授」としているのは小田原市の資料のみであり、他の資料では「講師」と記されている。要検証。) 2012年、夫人の希望によって、架蔵していた北原白秋の初版本60冊ほど(評価額150万円以上)が小田原市に寄贈された。