荒井 献(あらい ささぐ、1930年5月6日 - 2024年… 荒井 献(あらい ささぐ、1930年5月6日 - 2024年8月16日)は、日本の新約聖書学者・グノーシス主義研究者。学位は、神学博士(ドイツ・エアランゲン=ニュルンベルク大学)。東京大学名誉教授、恵泉女学園大学名誉教授。日本学士院会員。 1930年(昭和5年)、秋田県大曲市(現大仙市)で生まれた。秋田県立秋田高等学校より東京大学へ進み、1954年、東京大学教養学部を卒業。東京大学大学院人文科学研究科に進み、西洋古典学を専攻した。1959年に博士課程を単位取得満期退学。その後はドイツ・フリードリヒ・アレクサンダー大学エアランゲン=ニュルンベルクに留学し、『ナグ・ハマディ写本』中の『真理の福音』のキリスト論に関する学位論文を提出して神学博士の学位を得た。
宮越 郷平(みやこし きょうへい、1928年4月25日 - … 宮越 郷平(みやこし きょうへい、1928年4月25日 - 2013年6月23日)は、日本の作家。秋田県出身。本名、道晃(どうこう)。 1928年(昭和3年)、西仙北町刈和野(現:大仙市)生まれ。秋田中学校(現:秋田県立秋田高等学校)、1948年(昭和23年)駒澤大学予科卒業。同年駒澤大学国文科中退。舞台芸術学院修了後、舞台座に入団。その後、小学校教員を経て角館南高校教諭、県教育庁社会教育課長、県生涯学習センター所長。秋田県コミュニティ・カレッジ学長を経て、秋田県社会教育委員連絡協議会長を歴任。 1955年(昭和30年)から1966年まで魁新年文芸に「ある挿話」など入選8回。その間、中編小説に「夜ぶりの頃」が第一席、「河岸段丘」が『家の光』連載小説で佳作。
細谷 昭雄(ほそや あきお、1927年1月10日 - 201… 細谷 昭雄(ほそや あきお、1927年1月10日 - 2014年3月12日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)を歴任した。 秋田県仙北郡神岡町(現大仙市)出身。旧制秋田県立横手中学校(現在の秋田県立横手高等学校)を経て、秋田大学学芸学部(現在の秋田大学教育文化学部)卒。卒業後は小中学校教員になり、秋田県教職員組合仙北支部書記長、同支部長、大曲仙北郡労事務局長、同議長、日本社会党大曲仙北総支部執行委員長などを経て、1971年秋田県議に当選し2期務めた。1979年の第35回衆議院議員総選挙で秋田2区から日本社会党公認で立候補して当選し、翌1980年の第36回衆議院議員総選挙で落選。
伊藤 功(いとう いさお、1919年〈大正8年〉6月16日 … 伊藤 功(いとう いさお、1919年〈大正8年〉6月16日 - 2015年〈平成27年〉9月28日)は、昭和から平成時代の政治家。秋田県大曲市長。旧姓は杉山。位階は正六位。 大曲市(現・大仙市)出身。1937年(昭和12年)3月、秋田県立大曲農業学校卒業。同年4月から樺太庁に入り、殖産部林業課に勤務する。 1949年(昭和24年)角間川町役場に奉職し、1955年(昭和30年)合併により大曲市となる。大曲市財政課長、総務課長、1974年(昭和49年)収入役、1976年(昭和51年)助役を経て、1979年(昭和54年)大曲市長に当選。同年10月21日に就任した。2期務め、1987年(昭和62年)引退した。
髙田 景次(たかだ けいじ、1916年〈大正5年』1月23日… 髙田 景次(たかだ けいじ、1916年〈大正5年』1月23日 - 2003年〈平成15年〉3月16日)は、日本のジャーナリスト、政治家。秋田魁新報社監査役や秋田市長(第15代)を務めた。秋田県大仙市(旧中仙町豊岡)出身。 豊岡村立豊岡尋常小学校、秋田県立角館中学校、山形高等学校を経て、1940年(昭和15年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業。 戦後、1945年(昭和20年)秋田魁新報社に入り、政治経済部長、編集局長を経て、1959年(昭和34年)取締役となり、その後、監査役を務めた。 1973年(昭和48年)2月から1990年(平成2年)4月まで、連続5期秋田市長を務める。歴代市長の中で最長となる17年間の在任中、「公園都市秋田市をつくる条例」「秋田市文化振興条例」などの制定や市民の健康と体力づくり運動、秋田新都市の建設、広面や桜ニュータウンなどの東部、御野場・御所野の南部新拠点開発、仙台市道路愛称名にならった秋田市道路愛称名などの制定、都市景観賞など多方面にわたって功績を残すなど秋田市発展の基礎を築く。
三森 英逸(みもり えいいつ、大正4年(1915年)9月8日… 三森 英逸(みもり えいいつ、大正4年(1915年)9月8日 - 没年不詳)は、昭和の郷土史家。秋田県仙北郡大曲町(現大仙市)出身。 先祖は由利郡矢島(由利本荘市矢島町)の人。江戸時代の前に大曲村に移住。代々、義右衛門を名乗り、子孫は大曲に残った者、角館町(仙北市角館)に分家した者、のちに東京都へ移住した者がいるのだと云う。 旧陸軍の経理学校を卒業後、第二次世界大戦が始まり、召集され戦地へ。復員後に大曲少史編纂に関わる。1959年(昭和34年)4月10日、「仙北友報」創刊。仙北友報(現・三森印刷)代表。秋田県歴史調査委員、大曲市郷土史編纂委員、大曲文化財審議委員。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
柴田 安子(しばた やすこ、1907年9月26日 - 194… 柴田 安子(しばた やすこ、1907年9月26日 - 1946年7月27日)は、日本の画家。旧姓最上。最上広胖の娘。 1907年、秋田県大曲市で生まれる。但し、父広胖は1900年より貴族院議員になってすでに東京麹町に邸宅を構えていたので東京生まれの可能性が高い。母か禰。幼名義枝。父の帰省に伴い、度々秋田県角間川の尋常高等小学校に一時編入した。 1919年、安子に改名。 1921年、鎌倉女学校入学。 1923年、震災後東京にもどり、千代田高等女学校に編入、在学中から松岡映丘に師事。 1931年に由利本荘市出身の東洋史学者柴田宜勝と結婚。 1938年には新美術人協会を設立。しかしその同年、甲状腺の異常が見つかり手術を行った。
根本 龍太郎(ねもと りゅうたろう、1907年5月25日 -… 根本 龍太郎(ねもと りゅうたろう、1907年5月25日 - 1990年3月19日)は、昭和期の日本の政治家。位階は正三位、勲一等旭日大綬章。 自由民主党衆議院議員。秋田県大曲市(現在の大仙市)出身。 秋田県立秋田農業学校(現秋田県立大曲農業高等学校)を経て、1932年京都帝国大学農学部農林経済学科卒業。満州国に渡り、役人を経て、建国大学の助教授を務めた。終戦で日本に引き上げ、1947年の第23回衆議院議員総選挙に旧秋田2区から秋田県民主党より立候補し当選する(当選同期に鈴木善幸・中曽根康弘・中山マサ・松野頼三・倉石忠雄・石田博英・園田直・櫻内義雄・中村寅太など)。 その後民主党に所属するが、炭鉱国管問題に反対し田中角栄、幣原喜重郎、原健三郎、佐々木秀世らと民主党を脱党し、吉田茂の自由党に入党する。
松田 解子(まつだ ときこ、本名:大沼 ハナ、1905年〈明… 松田 解子(まつだ ときこ、本名:大沼 ハナ、1905年〈明治38年〉7月18日 - 2004年〈平成16年〉12月26日)は、日本の小説家。秋田県仙北郡荒川村出身。長男に記録映画作家の大沼鉄郎がいる。 三菱鉱山経営の荒川鉱山に育った松田は、大盛小学校を卒業すると鉱山の事務所でタイピストなどをしながら文学に触れていた。1923年に秋田女子師範(本科第二部、一年制)に入学、卒業後母校の大盛小学校に赴任する。1926年に職を辞して上京した。上京後、労働運動に参加し、その中で大沼渉と結婚する。結婚、子育てのなかの体験が初期の作品のなかに生かされている。1928年、読売新聞の女流新人短編募集に応じた「産む」が入選し、1929年には『女人芸術』に「乳を売る」が掲載された。
黒沢 三一(くろさわ さんいち又はくろさわ さんいつ、189… 黒沢 三一(くろさわ さんいち又はくろさわ さんいつ、1894年11月23日 - 1967年1月31日)は、秋田の民謡歌手。 秋田県仙北郡太田町東今泉(現在の大仙市太田町東今泉)に大信田七重郎の三男として生まれる。1915年の春に黒沢重四郎(後に町議となる黒沢良太郎)の家に奉公し、翌年に黒沢コナミと結婚した。本業は大工であった。 1922年に日三市鉱山の祭典に飛び入り参加し1等賞になり有名になった。1927年に飾山囃舞踊団に加わった。1930年に東京の第5回全国郷土舞踊民謡大会に出場した。1931年に大阪で初のレコーディングを行った。1932年に仙北歌踊団に入った。1938年に上京しレコーディングを行い、全国的に好評を得た。
楢錦 政吉(ならにしき まさきち、1894年3月10日 - … 楢錦 政吉(ならにしき まさきち、1894年3月10日 - 1973年7月16日)は、秋田県仙北郡南外村(現在の大仙市)出身で湊川部屋(入門時は追手風部屋)に所属した力士。本名は佐藤 政吉(さとう まさきち)。171cm、86kg。最高位は西前頭筆頭。得意手は右四つ、押し。 入門する前は盛岡高等農林学校で相撲選手として活躍していたが、郷里の地主と父に勧められて追手風部屋へ入門、1914年1月場所で初土俵を踏む。1916年に湊川部屋独立に際して移籍、1918年5月場所十両昇進。1923年1月場所に入幕、勝率4割程度ながら筆頭まで進んだ。前捌きのうまさが知られていた。1927年の師匠の死去により、部屋の後継候補にも目されたがかなわず、1927年10月場所限りで廃業した。
大黒 富治(おおぐろ とみじ、1893年11月15日 - 1… 大黒 富治(おおぐろ とみじ、1893年11月15日 - 1965年12月18日)は、秋田県出身の歌人、農業研究家。旧姓丹波。(昭和28年、仁別務沢、植物園にて撮影) 1893年(明治26年)11月15日、仙北郡大川西根村(現・大仙市)において丹波常吉とフミの間に六男三女の末っ子として生まれる。 秋田農業学校(現・秋田県立大曲農業高等学校)を卒業後、1909年(明治45年)に鹿角郡の曙尋常高等小学校の代用教員となり、1915年(大正4年)から仙北郡花館村(現・大仙市)の農商務省農事試験場陸羽支場にて農学博士の寺尾博の助手として作物育種事業に従事する。同僚の仁部富之助らとともに冷害に強い米の品種改良に取り組み、陸羽132号、秋田1号、秋田7号などの育種に尽力した。
両國 勇治郎(りょうごく ゆうじろう、1892年3月18日 … 両國 勇治郎(りょうごく ゆうじろう、1892年3月18日 - 1960年8月10日)は、秋田県仙北郡外小友村(旧:秋田県仙北郡南外村、現:秋田県大仙市)出身の大相撲力士。本名は伊藤 勇治郎(いとう ゆうじろう)(旧姓:西村)。最高位は東関脇。 まだ肌寒い1892年3月18日に秋田県仙北郡で生まれた。出身地である秋田県に入間川清藏一行が巡業に訪れた際に見出されてそのまま入門、両国国技館が開館した1909年6月場所で初土俵を踏んだ。小兵だが色白で均整のとれた筋肉質な体格は人気があり、さらに足腰の強さから稽古場では大錦卯一郎が相手でも勝てないほどだったという。この恵まれた体質と土俵度胸を生かして順調に出世すると、新入幕の1914年5月場所ではいきなり9勝1休の好成績を挙げ、幕内最高優勝を果たした。
福原 定吉(ふくはら さだきち、1889年(明治22年)9月… 福原 定吉(ふくはら さだきち、1889年(明治22年)9月6日 ‐ 1980年(昭和55年)4月24日)は、日本の政治家。秋田県大曲町(現・大仙市)の町長を経て、合併後の大曲市の初代市長を務めた。位階は従五位。 福原寅吉の長男。父・寅吉は本来は福原家を継ぐはずだったが、複雑な事情から、福辺内(当時の須和町)に分家となり、1888年(明治18年)に商店を開いた。 大正元年の「仙北郡案内」によると、五十(いさば)集商に大坂久治、福原寅吉、伊勢多郎八、最上正吉と印刷されている。 1933年(昭和8年)に、仙北酒造株式会社を買い取り、12月には酒の免許を取得し、翌1934年(昭和9年)から個人経営として、黒松金福(のちの福原酒販)を始めた。
物部 長穂(もののべ ながほ、1888年6月19日 - 19… 物部 長穂(もののべ ながほ、1888年6月19日 - 1941年9月9日)は日本の土木学者。工学博士。日本の水理学、土木耐震学の第一人者。 秋田県仙北郡(現在の大仙市域)出身。出羽物部氏の家系である唐松神社の生まれで、弟に帝国陸軍中将の物部長鉾がいる。 大正時代から昭和初期に掛けて土木工学の第一人者として当時の日本に多大な影響を与えたが、特に影響を与えたのは河川工学・ダム工学である。ダムの耐震構造に関する基礎を形成し(これを初めて採用したのが庄川水系の小牧ダム)、バットレスダムや重力式コンクリートダムの工法理論を構築した。そして最も影響を与えたのは河川開発であり、彼の発案した「河水統制計画」論は以後の河川開発に革命をもたらし、河川総合開発事業とその根幹である多目的ダムは彼の案より実現された。
後藤 英次(ごとう えいじ、1887年(明治20年)11月5… 後藤 英次(ごとう えいじ、1887年(明治20年)11月5日 - 1967年(昭和42年)11月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 秋田県仙北郡高梨村(現・大仙市)出身 。後藤英之助の長男として生まれる。秋田中学校を経て、1909年11月、海軍兵学校(37期)を卒業し、翌年12月に海軍少尉任官。海軍砲術学校普通科、海軍水雷学校普通科で学ぶ。 以後、「安芸」分隊長、「常磐」分隊長、水雷学校教官、「弥生」「吹雪」「樅」の各駆逐艦長、砲艦「隅田」「鳥羽」「堅田」の各艦長、「龍田」水雷長、「第5号駆逐艦」(春風 [II])・「第41号駆逐艦」(薄雲 [II])の各駆逐艦長、「浅間」副長などを歴任。
澤口 フク(さわぐち フク、1886年(明治19年)8月25… 澤口 フク(さわぐち フク、1886年(明治19年)8月25日 - 1972年(昭和47年)12月24日)は、日本の政治家。秋田県仙北郡中川村(のち角館町を経て、現・仙北市)長。秋田県議会議員(3期)。 秋田県仙北郡荒川村(のち協和村→協和町を経て、現・大仙市)生まれ。秋田女子師範学校(現・秋田大学教育文化学部)を経て、日本音楽学校に入る。その後、帰郷し、1911年に中川村の澤口朝治と結婚する。朝治は後に中川村長となる。 1947年、公職追放となった夫に代わり、中川村長選挙に立候補し、当選。秋田県では初の女性村長となった。同時に秋田県議会議員選挙に仙北郡選挙区から秋田県民主党から立候補し、当選した。
田口 謙蔵(たぐち けんぞう、1883年2月6日 - 195… 田口 謙蔵(たぐち けんぞう、1883年2月6日 - 1956年1月16日)は、日本の新聞人、秋田県会議員、郷土史家。松圃(しょうほ)と号した。 田口家は秋田県の花館村の人であり、先祖は千助とされる。大曲町の素封家であった田口米吉の二男として産まれる。祖父・岩蔵が、謙蔵には幼くして非凡な才能のあることを見抜き、満三歳から大道政治郎という人をつけて勉強させた。大道の熱心な教育もあり、通常より2年早い5歳で大曲小学校に入学し神童と呼ばれる。 1891年に秋田市伝紳画会が平福穂庵の追悼画会として全国から作品を募集した際に、当時9歳の謙蔵も絵画を応募したが、審査にあたった鈴木百年、菅原白竜は筆致に感じて奉書紙に漢文の奨励詞を書いて、手づから与えた。
佐々木 駒之助(ささき こまのすけ、1873年(明治6年)7… 佐々木 駒之助(ささき こまのすけ、1873年(明治6年)7月6日 - 1954年(昭和29年)6月2日)は、大正から昭和前期の実業家、政治家。東洋拓殖総裁、貴族院勅選議員。 秋田県仙北郡花館村(大曲市花館を経て現大仙市)で、佐々木多右衛門の三男として生まれ、1885年(明治18年)6月、叔父・佐々木福蔵の養子となる。秋田中学校(現秋田県立秋田高等学校)を経て、1899年(明治32年)慶應義塾大学部理財科を卒業した。 福澤諭吉の紹介で堺市の会社に就職。その後、1900年(明治33年)山口銀行に入行し、理事兼営業部長、常務取締役などを歴任。三和銀行の創設に尽力した。その他、山口合資会社理事長、日本生命保険会長、共同火災保険会長、トヨタ自動車工業監査役、財団法人東亜研究所評議員、南洋協会評議員などを務めた。
伊藤 恭之助(いとう きょうのすけ、1870年3月29日(明… 伊藤 恭之助(いとう きょうのすけ、1870年3月29日(明治3年2月28日)- 1938年(昭和13年)12月15日)は、明治から昭和前期の醸造家、農業経営者、政治家。衆議院議員、第13代伊藤家当主。 出羽国仙北郡南楢岡村及位(秋田県仙北郡南楢岡村、南外村を経て現大仙市南外及位)で、肝煎、酒造業・伊藤重四郎の長男として生れた。神官・高橋村司の私塾で学び、その後、旧久保田藩士・半田忠蔵などに師事した。父の死去に伴い1888年(明治21年)4月に家督を相続した。当主となったため進学が不可能となり、書物によって独学した。 1894年(明治27年)南楢岡村会議員に選出され32年間在任。1897年(明治30年)8月、秋田県会議員に就任し連続7期在任し、同参事会員、仙北郡会議員も務めた。
池田 亀治(いけだ かめじ、1867年7月16日(慶應3年6… 池田 亀治(いけだ かめじ、1867年7月16日(慶應3年6月15日)- 1934年(昭和9年)3月8日)は、明治から昭和初期の農業指導者、政治家、銀行家。衆議院議員。号・万年、俳号歌号・伸穂。 出羽国仙北郡、のちの秋田県仙北郡新刈和野村(刈和野村、刈和野町、西仙北町を経て現大仙市)で、豪農・池田勘左衛門の長男として生まれる。根本通明に師事し勉学に励んだ。 刈和野町会議員となる。1898年(明治31年)秋田県会議員に選出され、同参事会員、仙北郡会議員、所得調査委員にも在任した。1917年(大正6年)4月、第13回衆議院議員総選挙(秋田県郡部、立憲政友会)で初当選し、その後、第16回総選挙まで再選され、衆議院議員に通算4期在任した。
大戸嵜 岩枩(おおとざき いわまつ、1866年8月10日(慶… 大戸嵜 岩枩(おおとざき いわまつ、1866年8月10日(慶應2年7月1日) - 1928年12月28日)は、現在の秋田県大曲市(現・大仙市)出身で待乳山部屋、尾車部屋、陣幕部屋(大坂相撲)に所属した力士。本名は高橋 岩松。167cm、86kg。最高位は東前頭2枚目(大阪相撲)。6代松ヶ根。 1888年5月初土俵、1892年6月十両昇進。1893年5月に入幕を果たしたが脱走し、1896年から1899年までは大坂相撲に参加した。1900年1月に西前頭15枚目格で復帰する。そして1914年1月、実に47歳で引退した。江戸時代の生まれで、両国国技館で十両の土俵をつとめた力士のひとりである。その後は松ヶ根を襲名したが、1926年1月に廃業した。
榊田清兵衛(さかきだ せいべえ、元治元年5月26日(1864… 榊田清兵衛(さかきだ せいべえ、元治元年5月26日(1864年6月29日) - 昭和4年(1929年)10月10日)は、明治時代から昭和時代の政治家。仙北郡会議員、秋田県会議員を経て元衆議院議員(当選7回)。地方問題の解決と床次竹二郎内閣実現のために奔走した。 出羽国仙北郡大曲村(現秋田県大仙市大曲地区)に大地主・四世榊田清兵衛(長蔵)と由利町出身のさだの長男として誕生。幼名は清蔵。女ばかりの後の待望の男子となる。1874年(明治7年)に大曲小学校に入学後、まもなく父長蔵が亡くなり、家督相続し、家名の清兵衛をついだ。わんぱく少年だったが学問を好み、神沢繁(素堂)、黒沢利吉、高垣重明、岡田好成らに師事し、自宅向かいに講習義塾を設立した。
藤井 帰一郎(ふじい きいちろう、1860年(万延元年11月… 藤井 帰一郎(ふじい きいちろう、1860年(万延元年11月) - 1942年(昭和17年)9月18日)は、日本の教育者。現在の秋田県大仙市内小友出身。 内小友村宮林新田村出身で、小松清兵衛の次男。1878年(明治11年)、秋田師範学校の第一期生。郡内(現在の秋田県の市町村)の小学校訓導を歴任し、六郷町本道町の町医者・藤井玄瑞(げんずい)の養子となり、1883年(明治16年)12月、長女タケと結婚。1887年(明治20年)に六郷町上町(かみまち)に分家。 1884年(明治17年)、独立新校舎が建った六郷小学校へ着任し、1889年には校長となった。以来、1922年(大正11年)までの約43年間に県の視学官なども歴任しながら、3度に渡り、六郷小学校の校長を務めた。
池田 孫一(いけだ まごいち、嘉永6年8月12日(1853年… 池田 孫一(いけだ まごいち、嘉永6年8月12日(1853年9月14日)- 大正11年(1922年)3月4日)は、日本の実業家。 出羽国仙北郡(仙北町を経て現在は大仙市)出身。1877年に仙北郡役所の吏員に採用されるが辞職し、1882年に秋田市に出て秋田織絹社に入社した。1886年に鉱山事業を始め雄勝郡の田子内鉱山を採掘した。1897年に東北鉱業会を組織した。 大館市の花岡鉱山の開発にも尽力した。黒川油田地帯の調査、天然アスファルトの活用研究なども行った。石州流の茶人としても知られた。 1922年に小坂町で死去した。
斎藤 勘七(さいとう かんしち、1853年5月11日(嘉永6… 斎藤 勘七(さいとう かんしち、1853年5月11日(嘉永6年4月4日) - 1936年(昭和11年)2月18日)は、明治から昭和時代初期の政治家。衆議院議員(3期)。名・忠篤、号・桂斎。屋号は勘左衛門。 出羽久保田藩領仙北郡花館村(秋田県仙北郡花館村、大曲市を経て現大仙市)出身。生家は農業と清酒醸造業を営んだ。角間川青松館、二階堂鴻之進に師事し漢学を修めた。自由民権の発揚を訴え、秋田県会議員に挙げられたが、1881年(明治14年)病のため辞す。ほか、花館村長、仙北郡会議員を歴任した。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では秋田県第4区から出馬し当選。つづく第2回および第9回総選挙でも当選し衆議院議員を通算3期務めた。
最上 広胖(もがみ こうはん/ひろみ、1847年11月16日… 最上 広胖(もがみ こうはん/ひろみ、1847年11月16日(弘化4年10月9日) - 1930年(昭和5年)3月17日)は、明治から大正時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 出羽国平鹿郡角間川村(角間川町、大曲市を経て現大仙市)(現秋田県)で地主・角間川六人衆の最上久右衛門の長男として生まれる。福島県中村の二宮漢学塾で学んだ。1880年(明治13年)腐れ米追放のための資金融資を目的とした秋田改良社を設立し、支配人となる。1894年(明治27年)平鹿銀行と改称し、同頭取に就任した。 1897年(明治30年)秋田県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1904年(明治37年)9月28日まで在任した。
池田 甚之助(いけだ じんのすけ、1846年1月9日(弘化2… 池田 甚之助(いけだ じんのすけ、1846年1月9日(弘化2年12月12日)- 1901年(明治34年)10月27日)は、明治時代の政治家。池田家12代当主。貴族院多額納税者議員。秋田銀行の前身行の一つである、旧秋田銀行初代頭取。 出羽国山本郡高梨村(秋田県仙北郡高梨村、仙北村、仙北町を経て現大仙市)に生まれる。生家は豪農で庄屋を務めた。 大区小区制が敷かれると、1872年(明治5年)秋田県第八大区第二小区戸長となり、ついで高梨村戸長、初代高梨村長などを歴任した。明治期の秋田県の鉄道敷設に際しては発起人を務めた。 1890年(明治23年)秋田県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1891年(明治24年)10月15日まで在任した。
池田 美佳(いけだ みか、7月2日 - )は、秋田県大仙市… 池田 美佳(いけだ みか、7月2日 - )は、秋田県大仙市出身のコンテンポラリー・ダンサー、振付家、モデル、女優。身長167cm。 秋田県立横手高等学校を経て、2007年に明治大学文学部(演劇学専攻)を卒業。 7歳よりモダンダンス、クラシックバレエ、ジャズダンス、体操などを学ぶ。全国コンクールに於いて、中学生時代に2連覇するなど、計4回優勝。2005年文化庁新進芸術家国内研修員選出。2009年、自身の振付けによるソロ作品にて新人賞受賞。2010年、新国立劇場監督David Bintley氏により期待の新鋭アーティストに選出され、ソロ作品を発表。2011年、秋田県芸術選奨。特技は、書道5段・ピアノ・和太鼓・水泳など。
なかのや ひとし(12月29日 -) は、日本の男性シンガー… なかのや ひとし(12月29日 -) は、日本の男性シンガーソングライター。秋田県仙北郡太田町(現・大仙市)出身。宮城県在住。血液型はA型。 シンガーソングライター。“杜の都のソングバンド”自由のボーカル&アコースティックギター。2013年からは、なかのや&みい楽団としても活動中。2001年、ソロCD『空に』全国リリース (トロッコレコード)。2008~2011年、4年連続でプロ野球公式戦にて国歌独唱を行う。 また、2006年から現在まで、ラジオ3『トリコラジオ』(76.2MHz)のパーソナリティーも務めている。 『空に』 (2000年5月発表)1.望郷 2.ストリーマー 3.ムーン 4.遠くへ 5.アシタ 6.翼 7.素晴らしい世の中で 8.一番町通り 9.私たちは 10.ペルソナリティー 11.空に *街の中で[ボーナストラック] バンド「自由」としての作品は以下。
御法川 信英 は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(… 御法川 信英 は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)、同党国会対策委員長代理、同党秋田県支部連合会会長。
竹内 幸輔 は、日本の男性声優、元お笑いタレント。秋田県大曲… 竹内 幸輔 は、日本の男性声優、元お笑いタレント。秋田県大曲市 出身。ケッケコーポレーション所属。
円山和子(まるやま かずこ)は、秋田県中仙町(現:大仙市)出… 円山和子(まるやま かずこ)は、秋田県中仙町(現:大仙市)出身の演歌歌手。秋田県立角館南高等学校出身。MKプロモーションに所属。オーシャンパシフィック・ホリデー業務提携。 1989年、民謡から演歌に転身。「ドンパン節だよおらがの里は」「角館ワルツ」でデビュー。股旅演歌をメインに歌っている。円山和子で活動する前は「萩ゆう子」、「和泉ゆう子」として活動していた。 2005年に日本クラウンからコロムビアレコードへ移籍し「大親分/蛍舞」を全国発売。
戸山英二(とやま えいじ)は、日本カンツォーネ協会の会長。秋… 戸山英二(とやま えいじ)は、日本カンツォーネ協会の会長。秋田県大仙市出身。武蔵野音楽大学声楽科在学中に「銀巴里」のオーディションに合格して以来、国内外様々なコンテストで優勝。61年より石井好子音楽事務所専属歌手第一号として活躍。日本人のカンツォーネ歌手として初めてRCA ITALIANA(イタリア)との専属契約を結び数多くの国際音楽祭などにも出演。現在は指導の傍らコンサート活動、新人発掘にも努めている。
嶋貫 秀樹(しまぬき ひでき)は、秋田県大曲市(現在の大仙市… 嶋貫 秀樹(しまぬき ひでき)は、秋田県大曲市(現在の大仙市)出身の起業家、慈善団体活動家。 SPMグループのCEO(不動産開発、建設、コンサルタント等) ・株式会社SPMジャパン ・株式会社SPMコーポレーション ・株式会社SPM建設設計(→スルーアイランドに改称) ・合同会社myふどうさん・japn 他 公益財団法人日本国際育成支援機構会長。 2014年4月一般財団法人南アジア友好協会設立。現在公益財団法人公益財団法人日本国際育成支援機構に改称。