柴田 光太郎(しばた こうたろう、1998年3月4日 - )… 柴田 光太郎(しばた こうたろう、1998年3月4日 - )は、秋田放送(ABS)のアナウンサー。秋田県北秋田市出身。 血液型O型。身長178cm。既婚。卓球とバドミントン、空手を習っていた。特技はギターの弾き語り。北秋田市立鷹巣中学校、秋田県立秋田北鷹高等学校、専修大学を卒業した。専修大学在学時には東京都品川区にある秋田県のアンテナショップ「あきた美彩館」でアルバイトをしていた。好きな食べ物は、1位・どて焼き、2位・ちんすこう、3位・焼き鳥、4位・ばっけ(ふきのとう)の天ぷら、5位・マカロニグラタンである。2024年7月7日に結婚した。
鈴木 祐貴(すずき ゆうき、1997年5月29日 - )は、… 鈴木 祐貴(すずき ゆうき、1997年5月29日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 秋田県北秋田市出身。身長が高くて誘われたのをきっかけにバレーボールを始める。 2013年、雄物川高等学校に進学。 2015年、日本代表登録メンバーに選出される。 2016年、東海大学に進学。2017年にも日本代表登録メンバーに選出される。 2019/20シーズン、V.LEAGUE DIVISION1 MEN(V1男子)に所属するパナソニックパンサーズの内定選手となった。しかし、大学時代からの怪我もあり、手術をしてのリハビリ生活が続く。 2020年、大学卒業後に、パナソニックパンサーズに入団した。 2020/21シーズン、V1男子の試合にアウトサイドヒッターとして出場しVリーグデビューを果たした。
立崎 芙由子(たちざき ふゆこ(旧姓鈴木)、1989年1月1… 立崎 芙由子(たちざき ふゆこ(旧姓鈴木)、1989年1月13日 - ) は、日本の女性バイアスロン選手。陸上自衛隊冬季戦技教育隊所属。秋田県立米内沢高等学校卒業。2010年バンクーバーオリンピック、2014年ソチオリンピック、2018何平昌オリンピックおよび2022年北京オリンピック女子バイアスロン日本代表。自衛隊での階級は二等陸尉。夫もバイアスロン選手の立崎幹人。 秋田県北秋田市出身。小学4年生の時にクロスカントリースキーを始め、中学3年生次の2004年に第41回全国中学校スキー大会女子3kmフリーで3位となる。米内沢高校進学後もインターハイに3年連続で出場した。 2007年3月に高校を卒業した後は自衛隊へ進み、同年10月からバイアスロンを始めた。
湊 祐介(みなと・ゆうすけ 1985年3月15日 - )は、… 湊 祐介(みなと・ゆうすけ 1985年3月15日 - )は、日本のスキー選手。専門はノルディックスキー・コンバインド。
翔子(しょうこ、1983年7月28日 - )は、日本のものま… 翔子(しょうこ、1983年7月28日 - )は、日本のものまねタレント。秋田県北秋田市鷹巣出身。本名・小柳翔子 。鷹巣小学校、旧米内沢高校出身。オフィスあっとほーむ所属。身長は166cm。 日本テレビ『ものまねバトル』において大黒摩季のものまねをしてデビューする。 2014年11月12日にデビュー10周年記念ライブ、2024年11月8日にデビュー20周年記念ライブを行った。 趣味にNFL観戦、NBA観戦、アニメ、漫画等がある。埼玉西武ライオンズのファンである。
小林 範仁(こばやし のりひと、1982年5月4日 - )は… 小林 範仁(こばやし のりひと、1982年5月4日 - )は、秋田県北秋田市出身のノルディック複合選手。冬季オリンピック3大会ノルディック複合日本代表。2009年ノルディックスキー世界選手権金メダリスト。
高橋 大斗(たかはし だいと、1980年12月16日 - )… 高橋 大斗(たかはし だいと、1980年12月16日 - )は、秋田県北秋田市出身のノルディック複合、ジャンプ選手。現役時代は土屋ホームに所属していた。
豪風 旭(たけかぜ あきら、1979年6月21日 - )は、… 豪風 旭(たけかぜ あきら、1979年6月21日 - )は、秋田県北秋田郡森吉町(現・北秋田市)出身で尾車部屋に所属した元大相撲力士。本名は成田 旭(なりた あきら)、愛称はアキラ。身長172cm、体重152kg、血液型はAB型。得意技は突き、押し、一本背負い。最高位は西関脇(2014年9月場所)。現在は年寄・押尾川。 秋田県県民栄誉章受章・北秋田市市民栄誉賞受章・北秋田市ふるさと大使。 小学生の時は相撲部に所属。森吉町立森吉中学校時代はただ勉強を教えるだけではなく生徒をきちんと把握した学校の先生に憧れており、この頃から教師を志していた。中学時代に務めた学級委員長としては朝礼の時間の小テストを提案し、生徒たちからブーイングを受けたと、後に2019年3月場所前の相撲誌の記事で明かしている。
高橋 晋平(たかはし しんぺい、1979年 - )は、株式会… 高橋 晋平(たかはし しんぺい、1979年 - )は、株式会社ウサギ代表取締役、おもちゃクリエーター/アイデア発想ファシリテーター。 1979年11月14日生まれ。秋田県鷹巣町(現・北秋田市)出身。鷹巣町立鷹巣東小学校、同鷹巣中学校、秋田県立大館鳳鳴高等学校を経て、1998年東北大学工学部入学。東北大学大学院情報科学研究科に進学し、2004年に修了。 2004年に株式会社バンダイ入社。企画開発商品として、国内外累計335万個を販売し、第1回おもちゃ大賞を受賞した『∞(むげん)プチプチ』、『∞エダマメ』、自分の本名が商品名になっているボードゲーム『瞬間決着ゲームシンペイ』などを始め、「Human Player」『未来予測機ミライスコープ』『6秒スタジアム』『3億円』『絶叫!おばけ屋敷ゲーム』『おねだりわんこ』(以上、玩具商品)、『ほじれるんです。
村上 鉄也(むらかみ てつや、1974年7月23日 - )は… 村上 鉄也(むらかみ てつや、1974年7月23日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、東北楽天ゴールデンイーグルスのチーム統括本部 2軍マネージャー。 小学校4年から野球を始める。能代高時代は、3年時に第74回全国高等学校野球選手権大会に出場、エースではないが1試合登板している。 東北福祉大では、1年上に門倉健、同期に山田貴志、1年下に山岡洋之らがいて、肩や肘などの故障に悩まされ登板機会はあまりなかったが、潜在能力を評価され1996年のドラフト6位で福岡ダイエーホークスの指名を受け入団した。 しかし、プロ入り後も故障に苦しみ、二軍でも登板数は少なく、1999年に現役を引退。同じ年にダイエーから指名を受けた選手の中では唯一一軍出場がなかった。
中嶋 聡(なかじま さとし、1969年3月27日 - )は、… 中嶋 聡(なかじま さとし、1969年3月27日 - )は、元プロ野球選手(捕手)・野球指導者。
桜庭 亮平(さくらば りょうへい、1959年10月31日 -… 桜庭 亮平(さくらば りょうへい、1959年10月31日 - )は、元ニッポン放送、フジテレビのアナウンサー。 秋田県出身。秋田県立大館鳳鳴高等学校、日本大学藝術学部放送学科卒業後、1983年4月ニッポン放送入社。 2001年5月から産経新聞のグループ企業である夕刊フジの編集部に、記者として2002年2月まで出向。同月、ニッポン放送に復帰後は『桜庭亮平 朝刊フジ』を任されていたが、2004年8月に体調不良で降板。2006年4月、同社再編に伴いフジテレビ編成制作局アナウンス室に転籍。その後2017年10月30日付でフジテレビを退職した。
吾羽 七朗(ごう しちろう、本名および旧芸名:伊東 平山(い… 吾羽 七朗(ごう しちろう、本名および旧芸名:伊東 平山(いとう へいざん)、1951年9月13日 - )は、日本の元俳優。 秋田県北秋田郡鷹巣町(現・北秋田市)出身。秋田県立鷹巣高等学校卒業。 NAC演技研修所第2期生。映画、テレビドラマなどで活躍し、1977年に、『ジャッカー電撃隊』(テレビ朝日)に主役メンバーの一人である東竜(ダイヤジャック)役として出演。共演者の丹波義隆からは、手が大きいことから「手っちゃん」の愛称で呼ばれていた。 1979年に放映された人気漫画の実写化作品『おやこ刑事』(東京12チャンネル)では刑事役でレギュラー出演した他、NHK大河ドラマの出演も多い。また、シナリオライターとしても活動している。
石田 信之(いしだ のぶゆき、1950年8月30日 - )は… 石田 信之(いしだ のぶゆき、1950年8月30日 - )は、日本の俳優。本名同じ。
白川 好光(しらかわ よしみつ、1946年1月5日 - )は… 白川 好光(しらかわ よしみつ、1946年1月5日 - )は、日本の実業家。若者向けに、人生論・教育論・教育哲学・青少年育成・人生相談などの講演を行っている。 1946年、秋田県北秋田郡大阿仁村(現北秋田市)に生まれる。1960年、阿仁合中学校を卒業すると、大工訓練所に入学[要出典]。身体に脊髄カリエスのハンディーを負いながらも[要出典]、16歳から大工修行に進む。20歳で上京した後、24歳で白川工務店を立ち上げる。1980年、株式会社白川工務店・株式会社白川住宅を設立し、不動産業と住宅建築業を手がける[要出典]。2004年、同社会長職となる[要出典]。 複雑な家庭環境の中、波乱万丈をくぐり抜けてきた体験が、NHKラジオ深夜便「こころの時代」で紹介されたほか、自叙伝や童話、新聞のコラムなどを発表している。
成田 光弘(なりた みつひろ、1942年10月7日 - 20… 成田 光弘(なりた みつひろ、1942年10月7日 - 2023年10月19日)は、秋田県北秋田郡鷹巣町(現・北秋田市)出身のプロ野球選手(捕手、外野手)。 小学生の時、父親が出張のお土産にキャッチャーミットを購入し、野球を始めるきっかけになった。 しかし、当時は野球をするには充分な環境がなかったため、本格的に取り組むのは中学校へ進学してからになる。 高校進学は当初家が農家だったこともあり、秋田県立鷹巣農林高等学校を希望していたが、秋田市立秋田商業高等学校野球部の勧誘があり、秋田商業高等学校への進学を決めた。甲子園出場は計3回経験している。 秋田商業高等学校を卒業後、大毎に入団する。大毎入団の経緯としては他に大洋、西鉄、中日の計4球団から誘いがあったが、秋田商業高等学校OBの三平晴樹がいたことが決め手となった。
佐々木 英忠(ささき ひでただ、1941年 - )は、日本の… 佐々木 英忠(ささき ひでただ、1941年 - )は、日本の医学者。仙台富沢病院院長。秋田看護福祉大学初代学長。東北大学名誉教授。医学博士。 秋田県北秋田市出身。2004年12月31日付で、定年退職まで3カ月を前に東北大学を退職し、翌年1月23日に秋田桂城短期大学の学長に就任。これは、2005年4月開学の秋田看護福祉大学の学長就任含みと同大学の開学準備に伴うものであった。 2005年4月、秋田看護福祉大学開学と同時に、同大の学長と看護福祉学部看護学科教授に就任。2009年4月、前月で退職した教員に代わり、看護福祉学部長を併任。2010年3月、任期満了を理由に、同大の学長・学部長・教授職を退職した。
大野咲 慎祐(おおのさき しんすけ、1937年7月21日 -… 大野咲 慎祐(おおのさき しんすけ、1937年7月21日 - 没年不明)は、伊勢ヶ濱部屋、荒磯部屋、伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は鈴木 晋。現在の秋田県北秋田市出身。174cm、92kg。最高位は西十両4枚目。得意技は左四つ、寄り。 1951年9月場所に初土俵。当初は序ノ口、序二段で勝ち越せずに苦戦したが、1954年9月場所で入門して初めての勝ち越しを決めると、そこから勝ち越しを続けていき、1961年5月場所に十両昇進。1961年11月場所には自己最高位となる十両4枚目まで番付を上げるも入幕は果たせなかった。1962年9月場所で幕下陥落すると、以降十両へ復帰できずに幕下下位で3勝4敗と負け越した1963年9月場所限りで廃業した。
斉藤 京子(さいとう きょうこ、1936年(昭和11年)6月… 斉藤 京子(さいとう きょうこ、1936年(昭和11年)6月19日 - 2022年(令和4年)1月2日)は、日本の民謡歌手。秋田県北秋田郡栄村(現・北秋田市)太田生まれ。本名は齋藤京子。 「江差追分」の名人であった父・二代目大船繁三郎と、民謡歌手の母・函青白糸との間に生まれる。両親とともに巡業で各地を回り、4歳のとき函館で初舞台を踏む。 秋田・東北を中心に全国の民謡を手がけ、さらに端唄・小唄などの俗謡や、ご当地ソング・舞踊歌謡とレパートリーも幅広い。 1953年、17歳のときコロムビアから「新タント節」「もみすり唄」他でデビュー。20歳でキングレコードに移籍し、「おんな白虎隊」「あゝ川中島」などをヒットさせる。
畠山 健治郎(はたけやま けんじろう、1933年〈昭和8年〉… 畠山 健治郎(はたけやま けんじろう、1933年〈昭和8年〉11月17日 - 2023年〈令和5年〉6月3日)は、昭和から平成期の地方公務員、政治家。位階は正五位。 衆議院議員(2期)、大館市長を務めた。 秋田県北秋田郡森吉町出身。1954年(昭和29年)農業講習所農業科を卒業。同年、秋田県庁に入庁。1962年(昭和37年)大館地方労事務局長。1965年(昭和40年)県北生活協同組合理事。1976年(昭和51年)県職労中央執行委員長。1979年(昭和54年)大館市長に初当選。以降3期務めた。 1993年(平成5年)日本社会党公認で第40回衆議院議員総選挙で旧秋田1区から初当選。1996年(平成8年)の第41回総選挙では社会民主党公認で秋田2区から立候補。
畠山 義郎(はたけやま よしろう、1924年8月12日 - … 畠山 義郎(はたけやま よしろう、1924年8月12日 - 2013年8月7日)は、日本の政治家・詩人。秋田県北秋田郡下大野村村長(1期)、同郡合川町町長(10期)を歴任した。 1924年8月、下大野村で8人きょうだいの4男として生まれるが、次兄・長姉以外は夭折した。3歳の時に母が脳卒中で倒れ半身不随になり、また小学校入学前後に祖父を亡くし、また父も脳卒中に倒れる。 木戸石尋常小学校を卒業後、1939年に鷹巣農林学校林業科(後の秋田県立鷹巣農林高等学校、現秋田県立秋田北鷹高等学校)に入学するが、ほどなくして肺結核を患い、1940年に中退する。 療養中の1941年には月刊詩誌『詩叢』(しそう)を主宰(~1943年)。
羽後響 助枩(うごひびき すけまつ、1904年6月26日 -… 羽後響 助枩(うごひびき すけまつ、1904年6月26日 - 没年不明)は、秋田県北秋田郡森吉町(現北秋田市)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は武石 助松。身長167cm、体重90kg。最高位は西十両筆頭。 1921年1月初土俵、1928年1月十両昇進。十両では負け越したり休場したりと幕下に何度も落ちたりしたが、1931年1月に4回目の十両昇進で東十両7枚目に付いてから定着し、5月に西十両筆頭まで躍進した。この場所と翌10月場所で勝ち越し、次の場所での新入幕が確実とみられたが、1932年1月場所の新番付では入幕どころか1枚下の西十両2枚目にされた。番付発表当日に起きた春秋園事件に加担し、1932年1月脱退(番付上は削除、実質的最終場所は1931年10月)し、天竜三郎率いる新興力士団に加わった。
一湊 政五郎(いちみなと まさごろう、1890年8月1日 -… 一湊 政五郎(いちみなと まさごろう、1890年8月1日 - 1945年12月14日)は、秋田県北秋田郡森吉町(現・北秋田市)出身で出羽海部屋に所属した力士。本名は久住 政五郎。174cm、92kg。最高位は東前頭4枚目。 1909年1月初土俵、入門時は仙台地方の草相撲の大関で、上京して横綱常陸山の門弟となる。地道に昇進して1916年1月十両昇進。2場所連続で勝ち越して1917年1月入幕。右四つからの上手投げを得意技とする相撲巧者で、堅実な取り口には定評があった。1918年5月場所には自己最高位の東前頭4枚目まで進んだ。しかし以降は振るわず、1920年5月場所十両に陥落し、翌1921年1月場所で廃業した。
安成 二郎 (やすなり じろう、1886年9月19日 - 1… 安成 二郎 (やすなり じろう、1886年9月19日 - 1974年4月30日)は、日本の歌人、小説家。 秋田県北秋田郡(現・北秋田市)出身。父正治は元長府藩士で阿仁鉱山の高級機械工だった。兄は評論家安成貞雄、弟は福原信三の秘書だった安成三郎。 秋田縣立大舘中學校を中退した後に上京し、徳田秋声の門下生になった。土岐善麿編集の「生活と藝術」などで生活派の短歌を発表する一方で、金尾文淵堂を振り出しに、実業之世界社や複数の新聞社の編集記者として長く勤めた。平民社に出入りしていた兄貞雄の影響で、大正初期から内田魯庵、大杉栄らと交流を持った。大杉や荒畑寒村が創刊した「近代思想」の編集の手伝いを兄とともに行った。
安成 貞雄(やすなり さだお、1885年4月2日 - 192… 安成 貞雄(やすなり さだお、1885年4月2日 - 1924年7月23日)は、日本の評論家。 秋田県北秋田郡(現・北秋田市)生まれで、中学までは能代市で育つ。父正治は元長府藩士で、阿仁鉱山の高級機械工を経て、東雲の精錬所に勤務した。弟には歌人の安成二郎、福原信三の秘書を務めた安成三郎がいる。 大館中学校(現・秋田県立大館鳳鳴高等学校)時代は正岡子規選の新聞「日本」に投稿した。また校長排斥ストライキの首謀者として無期停学の処分を受けるが、県知事にかけ合って最終的に校長に辞表を書かせた。 高等工業学校への進学を望んでいた父の願いに背き、作家を志して早稲田大学文学部英文科へ進学。日露戦争の真っ只中であり、文学者の中に反戦気運が広がっていた。
河田 与惣左衛門(かわだ よそざえもん、1875年(明治8年… 河田 与惣左衛門(かわだ よそざえもん、1875年(明治8年)2月27日 - 1945年(昭和20年)3月1日)は、明治から大正時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 秋田県北秋田郡鷹巣村(現・北秋田市鷹巣)の豪農。河田与惣兵衛の二男として生まれ、1888年(明治21年)3月に家督を相続する。 1902年(明治35年)秋田銀行取締役となり、のち秋田県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、1906年(明治39年)12月24日から1911年(明治44年)9月28日まで在任した。 その後、秋田郡地主会長、同郡中央会長、赤十字有功社員などを歴任した。 妻 きさ (1881年生まれ、佐藤新三郎三女) 義弟 高安 正一 (1903年生まれ、扇田鉄鉱取締役高安虎治長男)
高橋 本吉(たかはし もときち、1873年(明治6年)2月1… 高橋 本吉(たかはし もときち、1873年(明治6年)2月17日 - 1920年(大正9年)11月26日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。 秋田県北秋田郡綴子村(現在の北秋田市)出身。東京高等師範学校を卒業した後、アメリカ合衆国に渡り、プリンストン大学で修士号を得た。1908年(明治41年)から1910年(明治43年)まで関東都督秘書官を務めた後、関東都督府経済調査嘱託、農商務省海外実業練習生、南満州鉄道株式会社文書係主任、ジャーディン・マセソン商会大連出張所主任などを歴任した。 1917年(大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第14回衆議院議員総選挙でも再選された。 日米問題の調査のため渡米中、シアトルで病死した。
神成文吉(かんなり ぶんきち、1869年5月6日〈明治2年3… 神成文吉(かんなり ぶんきち、1869年5月6日〈明治2年3月25日〉 - 1902年〈明治35年〉1月27日)は、大日本帝国陸軍の軍人。八甲田雪中行軍遭難事件において、青森歩兵第5連隊雪中行軍隊の主任中隊長であった人物として知られる。 1869年5月6日(明治2年3月25日)生まれで、久保田藩領の羽後国秋田郡鷹巣村(現・秋田県北秋田市)出身。 陸軍教導団卒業。1894年(明治27年)10月に特務曹長に昇進し、日清戦争に従軍。威海衛で戦闘の後、1895年(明治28年)4月1日陸軍歩兵少尉に昇進。その後、遼東半島守備を経て、1896年(明治29年)4月3日付けで台湾守備歩兵第2連隊付となり台湾へ出征し、1897年(明治30年)9月7日付けで青森歩兵第5連隊へ帰還。
畠山 雄三(はたけやま ゆうぞう、1851年4月13日(嘉永… 畠山 雄三(はたけやま ゆうぞう、1851年4月13日(嘉永4年3月12日)- 1932年(昭和7年)1月24日)は、明治から昭和初期の農業指導者、政治家。衆議院議員、秋田県会議長。旧姓・長岐。 出羽国秋田郡七日市村(秋田県北秋田郡七日市村、鷹巣町を経て現北秋田市七日市)で、素封家・長岐家の三男として生まれた。1869年(明治2年)山本郡仁鮒村(響村、二ツ井町を経て現能代市)の地主・畠山藤左衛門の婿養子となる。1873年1月(明治5年12月)養父の死去に伴い家督を相続した。 1870年(明治3年)久保田藩御山守となる。仁鮒村副戸長、同戸長、第三大区書記役、秋田県勧業諮問会議員などを歴任。また自由民権運動に加わる。
11代目長岐 貞治(ながき ていじ、1849年(嘉永2年) … 11代目長岐 貞治(ながき ていじ、1849年(嘉永2年) - 1904年)は、日本の政治家。 出羽国秋田郡七日市村(秋田県北秋田郡七日市村、鷹巣町を経て現北秋田市七日市)で七日市村の肝煎を務める長岐家の長男に生まれる。弟に衆議院議員などを務めた畠山雄三がいる。13歳の時に肝煎役を継いだ。1871年に秋田県第2大区2小区戸長に就任する。1879年に秋田県会議員に選出された。 1880年に秋田県畜産協議会会頭に就任した。1888年に秋田県が畜産会を組織すると、その第1期(第1回)の副会長を務めた。1889年に七日市村長に就任した。1896年に内閣に設けられた馬政調査委員を嘱託される。1900年に産牛馬組合会の第1期(第1回)組長に就任した。
成田 直衛(なりた なおえ、嘉永元年9月8日(1848年10… 成田 直衛(なりた なおえ、嘉永元年9月8日(1848年10月4日) - 大正7年(1918年)12月29日)は、明治時代の代議士、秋田県会初代議長。 直衛は嘉永元年(1848年)、出羽国秋田郡鷹巣村(現北秋田市)成田良左衛門の次男に生まれ、久保田町(現秋田市)茶町士族医師青木泰順の養子になったが、兄が亡くなったので実家に戻り跡を継いだ。17歳の時、久保田町の根岸靱負の門に入り文学、弓馬、刀剣の術を学び、秋田藩郷士となり、明治元年(1868年)戊辰戦争では扇田で南部藩の兵士と戦い手柄をたて藩主より刀一振を賜る。 世は明治の新時代となるが、時の流れに敏感な彼は、一時妻子を残して東京の福澤諭吉の門に入る。
白川 志賀右衛門(しらかわ しがえもん、1781年(天明元年… 白川 志賀右衛門(しらかわ しがえもん、1781年(天明元年) - 1818年5月15日(文化15年4月11日))は、江戸時代の大相撲の大関。出羽国(現秋田県北秋田市坊沢)出身。地元では「坊沢(ぼんじゃ)の徳」として民話の題材になり語り継がれている。 1796年(寛政8年)に米内沢に巡業に来た大関小野川に見込まれる。後に大関柏戸宗五郎の弟子になる。1810年(文化7年)に桑ノ弓徳右エ門の四股名で初入幕する。11月に関脇、翌年1月には白川志賀右エ門(2代目白川志賀右エ門)と改名し、西大関に昇進する。翌年に白川志賀右衛門とし西関脇になるが、そこで引退する。 1781年(天明元年)に現在の北秋田市坊沢村に生まれる。
中田 紫乃 は、日本の元女子バレーボール選手。
高橋 正太郎(たかはし しょうたろう)は、日本の外交官。ニュ… 高橋 正太郎(たかはし しょうたろう)は、日本の外交官。ニューヨーク総領事や、駐イラン特命全権大使、駐フィンランド特命全権大使を務めた。 秋田県北秋田郡鷹巣町(現北秋田市)出身。旧制秋田県立能代中学校(現秋田県立能代高等学校)、旧制東京商科大学(現一橋大学)を経て、1943年外務省入省。 バンコク、ワシントンでの大使館勤務を経て、科学技術庁原子力局国際協力課長や、外務省アメリカ局安全保障課長、駐連合王国大使館公使、駐クウェート特命全権大使、1977年ニューヨーク総領事、1981年駐イラン特命全権大使、1983年北海道担当特命全権大使(駐道大使)を歴任し、1984年から1987年まで駐フィンランド特命全権大使を務め、マウノ・コイヴィスト第9代フィンランド大統領の来日の際には、昭和天皇への進講を行うなどした。