鍛治 茉音(かじ まのん、2004年8月24日 - )は、日… 鍛治 茉音(かじ まのん、2004年8月24日 - )は、日本のスノーボード選手。2020年ローザンヌユースオリンピック銀メダリスト、2021年ジュニア世界選手権金メダリスト。 2020年ローザンヌユースオリンピックに出場し、女子ハーフパイプで85.33点を記録し、銀メダルを獲得。 2021年のジュニア世界選手権では、女子ハーフパイプで金メダル獲得。
富山県 魚津市:42人
※有名人ナビに登録されている42人を職業別に数えました。複数の職業を持つ人は、それぞれの職業に数えています。
鍛治 茉音(かじ まのん、2004年8月24日 - )は、日… 鍛治 茉音(かじ まのん、2004年8月24日 - )は、日本のスノーボード選手。2020年ローザンヌユースオリンピック銀メダリスト、2021年ジュニア世界選手権金メダリスト。 2020年ローザンヌユースオリンピックに出場し、女子ハーフパイプで85.33点を記録し、銀メダルを獲得。 2021年のジュニア世界選手権では、女子ハーフパイプで金メダル獲得。
田中 笑伊(たなか えみい、1999年10月19日 - )は… 田中 笑伊(たなか えみい、1999年10月19日 - )は、日本の女子ラグビーユニオン選手。 小学2年生からラグビーを始めた。 2018年、國學院栃木高校卒業後、日本体育大学に入る。 2022年、日本体育大学卒業後、ながとブルーエンジェルスに入る。 2024年、パリ2024五輪の7人制女子日本代表内定選手に選ばれた。
石川 歩(いしかわ あゆむ、1988年4月11日 - )は、… 石川 歩(いしかわ あゆむ、1988年4月11日 - )は、富山県魚津市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。ツインズ・オーステルハウト所属。 魚津市立本江小学校3年次から本江スポーツ少年団で野球を始める。魚津市立西部中学校では軟式野球部に所属した。 富山県立滑川高等学校では硬式野球部に所属。3年夏の県大会はエースとして3試合に先発するも3回戦で富山第一に3対6で敗れ、甲子園出場はならなかった。1学年下に竹嶋祐貴がいる。もともと高校で野球をやめ、服飾関係の専門学校に進むつもりだったが、周囲に勧められ大学のセレクションを受け合格した。 中部大学に進学後は1年春から公式戦に出場。2年次には春の大学選手権に出場し全国デビュー。
村田 顕弘(むらた あきひろ、1986年7月14日 - )は… 村田 顕弘(むらた あきひろ、1986年7月14日 - )は、将棋棋士。中田章道門下。棋士番号は267。兵庫県尼崎市生まれ、富山県魚津市育ち。 1998年小学6年で富山県出身の中田章道を師匠として、関西奨励会試験を受けたが不合格。しかし、翌1999年中学校1年で6級として奨励会入り。2001年に初段に昇段し、2004年前期から三段リーグで戦う。 2007年、中田の妻が四段入りを期待しながら6月に没したことに発奮し、同年秋にその弔いとなる四段昇段を果たした。第41回三段リーグ(2007年度前期)での成績は15勝3敗(1位)。21歳でのプロ入りである。 初参加の第34期(2008年度)棋王戦の予選を勝ち上がり、本戦出場。
花岡 萌(はなおか もえ、1984年6月22日 - )は、富… 花岡 萌(はなおか もえ、1984年6月22日 - )は、富山県魚津市出身のアルペンスキー選手。 富山県魚津市出身の元アルペンスキーレーサー。富山県立雄山高等学校、日本大学文理学部体育学科卒業。 2016年4月、筑波大学大学院人間総合科学研究科博士前期課程体育学専攻(ナショナルリーディングコーチ養成プログラム)に入学。 高校時代にインターハイおよび国民体育大会で優勝(大回転)、以降、インターカレッジ3連覇達成(スーパー大回転)、全日本スキー選手権優勝(回転・大回転)など多くの成績を残す。ワールドカップ19レース出場。ソチオリンピック出場へ向けて、回転・スーパー複合の2種目をターゲットに数々の欧州レースを転戦。
楽山 孝志(らくやま たかし、1980年8月11日 - )は… 楽山 孝志(らくやま たかし、1980年8月11日 - )は、日本の元サッカー選手。富山県魚津市出身。ポジションはミッドフィールダー。中京大学卒業。 地元富山でサッカーを始める。 高校時は名門清水商業高校に越境入学する。同期に、池田学・水谷雄一・小林宏之。2年先輩に川島眞也・薬師寺直樹、1年先輩が小野伸二・平川忠亮・池端陽介・太田恵介、2年後輩が小林大悟・佐野裕哉・秋本倫孝・河野淳吾。高校3年の時高校選手権に静岡県代表として出場している。 その後、中京大学に進学する。同期に西政治。2年先輩に山岸範宏・山崎光太郎・園田勇一、1年先輩に末岡龍二、2年後輩に井上秀人・永冨裕也、3年後輩に松田勉がいる。
久和 恵実(きゅうわ めぐみ、1979年2月4日 - )は富… 久和 恵実(きゅうわ めぐみ、1979年2月4日 - )は富山県のフリーアナウンサー。富山県魚津市出身で血液型はO型。イベント、式典MCなども担当している。音楽・ライブが大好きで、行きたいライブがあれば全国どこへでも行く。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
沖田 ×華(おきた ばっか、1979年〈昭和54年〉2月2日… 沖田 ×華(おきた ばっか、1979年〈昭和54年〉2月2日 - )は、日本の漫画家。女性。富山県魚津市出身。富山県立新川女子高校衛生看護科卒業。ペンネームは命名を任されたゲッツ板谷が催促の電話を受けて「うるせー起きたばっかなんだよ」と返答したことに由来する。 魚津駅近くの中華料理店『朱喜』(現在は閉店)を営む両親の下に生まれる。 小学4年生の頃に学習障害、注意欠陥多動性障害、中学生の頃にアスペルガー症候群と診断されていたが、当初本人はこれを認めず、成人してからSNSでようやく自身の障害を自覚した。幼少期は前述の理由で忘れ物が多く、簡単な計算や読み書きもできなかったため、同級生からのいじめや、教師からの体罰を受ける日々を送る。
中島 真紀子(なかじま まきこ、1976年7月31日 - )… 中島 真紀子(なかじま まきこ、1976年7月31日 - )は、元北日本放送の女性レポーター。富山県魚津市出身。血液型B型。1999年入社。2003年には伊藤敏博とのデュエット曲『ふたりの富山』を発表した。2021年3月をもって同社を退社した。
田村 康介(たむら こうすけ、1976年3月16日 - )は… 田村 康介(たむら こうすけ、1976年3月16日 - )は将棋棋士。棋士番号は217。大内延介九段門下。富山県魚津市出身。東京都新宿区育ち。 1987年、小学6年生のとき第12回小学生将棋名人戦に出場し(東京都代表)、決勝で北浜健介を破って優勝した。 三段リーグには1992年度下期の第12回より参加。6期目に12勝6敗で2位の成績を収めて、19歳でプロデビュー(四段昇段)を果たす(1995年10月1日)。 1996年度は早指し将棋選手権で活躍を見せ、予選から怒涛の9連勝で決勝まで進出する(決勝戦で村山聖に敗れ準優勝)。 2000年度は竜王戦(第13期)の6組ランキング戦で優勝し、5組に昇級&本戦進出(本戦1回戦で山本真也に敗れる)。
小路 晃(しょうじ あきら、1974年1月31日 - )は、… 小路 晃(しょうじ あきら、1974年1月31日 - )は、日本の男性元総合格闘家、元プロレスラー。現在は飲食店経営者、政治活動家、株式会社A-STYLE代表取締役。総合格闘技審判員。富山県魚津市出身。 ニックネームは、「最後の日本男児」。PRIDEには全選手最多の23回出場し、最初の大会PRIDE.1と最後の大会PRIDE.34にも出場するなど、「ミスターPRIDE」とも呼ばれた。 小学生から柔道を始め、富山第一高等学校時代は村上一成と同級生となり同じ柔道部に所属。高校卒業後はプロレスラーになることを夢見ていたが、柔道推薦で中京大学に入学。全日本学生体重別選手権でベスト8まで進出した。 大学時代に知り合った青柳政司に薦められ、1995年に新東京プロレス青森大会で覆面レスラー「誠軍団1号」としてプロレスデビュー。
藤井 友里子(ふじい ゆりこ、1972年12月1日 - )は… 藤井 友里子(ふじい ゆりこ、1972年12月1日 - )は、日本のボッチャ選手。富山ボッチャクラブ所属。旧名柴山 友里子(しばやま ゆりこ)。 富山県魚津市出身。生後間もない頃に患った脳性麻痺で手足に重度の障がいを抱え、歩行困難になる。以前は家に閉じこもりがちだったが、2000年に障害者スポーツ交流会でボッチャを知ってからは「自分でもできるスポーツがあった」とのめり込むようになり、富山ボッチャクラブに加入した。 2002年の第4回日本ボッチャ選手権大会にBC2クラスで初参戦(結果は8位)、翌年2003年の第5回日本ボッチャ選手権大会で初優勝。2005年の途中からBC1に転向し、同年の第7回日本ボッチャ選手権大会で同クラス初優勝。
島澤 諭(しまさわ まなぶ、1970年 - )は、日本の経済… 島澤 諭(しまさわ まなぶ、1970年 - )は、日本の経済学者。専門は財政学、経済政策、社会保障、世代間格差。関東学院大学経済学部教授。 1970年、富山県魚津市生まれ。 1994年、東京大学経済学部を卒業後、同年4月に経済企画庁(現在の内閣府)に入庁。月例経済報告、経済白書、経済見通しなどの作成や経済政策の企画・立案に従事した。 2001年に内閣府を退官。 その後、2002年に秋田経済法科大学(現・ノースアジア大学)経済学部専任講師、2004年10月から秋田大学教育文化学部准教授を歴任。 2015年4月から中部圏社会経済研究所研究部長などを経て、2022年4月より関東学院大学経済学部教授に就任(現在に至る)。
柳下 詩織(やなぎした しおり、1969年9月20日 - )… 柳下 詩織(やなぎした しおり、1969年9月20日 - )は、富山県魚津市出身のアナウンサー。 富山大学人文学部卒業後、山梨県・清里高原にあるオルゴール博物館「ホール・オブ・ホールズ」の学芸員を経て、FM-FUJIに入社。アナウンサーとしてワンマンDJ番組などを担当する。 その後、青森テレビを経て、1999年10月から2000年9月までテレ玉に在籍。生活情報番組を担当したあと、2000年10月に地元にUターンする形でチューリップテレビに入局し、2008年3月で退職。その後、I.S.K有限会社に入社。日経コンサルタントのコミュニケーション術講師を経て、現在は富山県内でチューリップテレビアナウンス基礎講座の講師、富山インターネット市民塾(アナウンサー等の経験を生かして「柳下詩織の暮らしの言葉レシピ」(朗読や話し方にまつわる講座)、紅茶コーディネーターを生かして「おいしい紅茶生活のススメ」)の講師等をしているほか、フリーライターとしても活動中。
沢樹舞(さわき まい、1969年8月29日 - )は、日本の… 沢樹舞(さわき まい、1969年8月29日 - )は、日本のワインアドバイザー、エッセイスト、ラジオパーソナリティ。元ファッションモデル。血液型B型。富山県魚津市出身。
牧 陽一(まき よういち、1959年6月17日 - )は、日… 牧 陽一(まき よういち、1959年6月17日 - )は、日本の中国文学者。専攻は現代中国の文学・芸術。埼玉大学名誉教授。湯浅芳子賞受賞-。 富山県富山市に生まれ、魚津市出身と称している。富山県立魚津高等学校を経て、1982-1984年に中国政府給費留学生として上海復旦大学などに留学。1985年早稲田大学第二文学部東洋文化専修卒業。1988年信州大学大学院人文科学研究科修士課程修了、1992年一橋大学大学院社会学研究科博士課程満期退学。同年埼玉大学教養学部専任講師。同助教授を経て、教授。専攻は現代中国の文学・芸術で、1995年『中国現代戯曲集』により湯浅芳子賞受賞。2025年3月埼玉大学を定年退職し、名誉教授の称号を与えられる。
住 博司(すみ ひろし、1954年8月19日 - 1998年… 住 博司(すみ ひろし、1954年8月19日 - 1998年7月11日)は、日本の政治家。NHK放送記者を経て、衆議院議員(3期)、厚生政務次官などを務めた。 第2次中曽根内閣で法務大臣を務めた住栄作の次男。自由民主党所属。 富山県魚津市出身。麹町小学校、麹町中学校、早稲田大学高等学院、早稲田大学政治経済学部卒業。1977年NHK入局。放送記者として活動。NHKで京都府警のキャップだったころ、共同通信の同キャップが青山繁晴だった。 1987年、NHK退職。当時の宮澤喜一蔵相の秘書となる。1990年の第39回衆議院議員総選挙に父の地盤を引き継ぎ旧富山1区から立候補し初当選(当選同期に岡田克也・佐田玄一郎・藤井裕久・鈴木俊一・亀井久興・中谷元・森英介・福田康夫・石原伸晃・河村建夫・小林興起・塩谷立・古屋圭司・細田博之・松岡利勝・小坂憲次・山本拓・赤城徳彦・村田吉隆・簗瀬進・山本有二など)。
ジョージ土門(ジョージ どもん、1951年1月12日 - 2… ジョージ土門(ジョージ どもん、1951年1月12日 - 2007年12月20日)は、日本の占い師。 1951年1月12日午前10時、魚津市生まれ。2007年12月20日逝去。亜琴大として活動後、改名。辛島宣夫に師事。西洋占星術、タロット占い師として東京占星学スクール校長を務めた。日本占術協会の理事をしていたこともある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、占いに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています。
松田 幸一(まつだ こういち、1947年4月15日 - )は… 松田 幸一(まつだ こういち、1947年4月15日 - )は、富山県魚津市出身のハーモニカ奏者である。通称アリちゃん。1969年より翌年にかけて中川イサト、瀬尾一三、金延幸子らと「愚」として活動。30年以上スタジオ・ミュージシャンとして数々のアーティストのレコーディングやライブに参加。その作品は100を越す。ソロ・アーティストとしてもライブ活動を続ける一方、ラストショウ、1972年に結成したアーリータイムスストリングスバンドのメンバーである。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
吉田 忠裕(よしだ ただひろ、1947年1月5日 - )は、… 吉田 忠裕(よしだ ただひろ、1947年1月5日 - )は、日本の経営者。YKK元社長・元会長。富山県魚津市出身。創業者吉田忠雄の長男。ただ、血縁的には吉田忠雄の甥であることが分かっている。 千代田区立九段中学校、慶應義塾高等学校を経て、1969年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、1972年に吉田産業(現在のYKK)に入社。1978年に取締役に就任し、1980年に専務、1985年に副社長を経て、1993年7月に社長に就任。1999年6月には会長も兼任。2011年6月から2018年6月までに会長を務めた。2024年、旭日重光章受章。
谷林 正昭(たにばやし まさあき、1946年〈昭和21年〉1… 谷林 正昭(たにばやし まさあき、1946年〈昭和21年〉10月28日 - 2019年〈令和元年〉8月17日)は、日本の政治家。参議院議員を1期務めた。 富山県魚津市出身。富山県立魚津工業高等学校を卒業後、日本通運に入社。 入社後、労働組合の活動に従事し、全日通労働組合富山県支部副委員長、富山県労協センター事務局長、全日本運輸産業労働組合富山県連合会執行委員長を歴任。 1998年7月12日、第18回参議院議員通常選挙において民主党から富山県選挙区から立候補し落選。同年8月1日、住博司衆議院議員の死去に伴う富山2区補欠選挙へ立候補を要請されるが、辞退。その後、参院選で当選した永田良雄が8月22日に急死したため同年9月1日付で繰り上げ当選となった。
臼井 嘉一(うすい よしかず、1945年10月7日 - 20… 臼井 嘉一(うすい よしかず、1945年10月7日 - 2013年10月5日)は、日本の教育学者、福島大学名誉教授、国士舘大学教授。専門は社会科教育学。 富山県魚津市生まれ。京都教育大学卒。1977年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。福島大学教育学部助教授、教授、2002年3月から2006年3月まで学長。2008年退任と同時に名誉教授、国士舘大学文学部教育学科教授、同年10月全学教職課程委員長兼任。 2013年10月5日、肺炎のため死去。67歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
川道 武男(かわみち たけお、1944年1月31日 - )は… 川道 武男(かわみち たけお、1944年1月31日 - )は、日本の動物学者。 富山県魚津市出身。1967年北海道大学理学部生物学科(動物学専攻)卒業、1973年同大学大学院理学研究科博士課程中退。この間、1972年アラスカ州立大学北極生物研究所に所属。1973年大阪市立大学理学部生物学科助手。1976年「ナキウサギの比較行動学並びに比較社会学」で北海道大学理学博士。1982年大阪市立大学理学部講師、1985年-2000年助教授。 学生時代に世界を放浪し、独立したばかりのアフリカ諸国での野生哺乳類への無法な扱いを目の当たりにし、野生哺乳類の生態研究を決意する。1970年代半ばに奈良の社寺林でムササビの生態観察を開始し、国内外でナキウサギ、ツバイなど単独性哺乳類の社会を研究している。
舛方 勝宏(ますかた かつひろ、1943年2月16日 - )… 舛方 勝宏(ますかた かつひろ、1943年2月16日 - )は、日本のアナウンサー、実業家。日本テレビ放送網(NTV)でアナウンサーを皮切りに、グループ各社で管理職や役員職を歴任した。富山県魚津市出身。富山県立魚津高等学校、早稲田大学第一文学部社会学科卒業。 ※特記なき限り、日本テレビアナウンサー当時のもの。
石田 帰山(いしだ きざん、1940年5月10日 - )は、… 石田 帰山(いしだ きざん、1940年5月10日 - )は、日本の書家。本名、紀夫。元毎日書道展会員、元創玄書道会審査員。「唯一神又吉イエス主義を後世に伝える会」の題字を手掛けたことで知られる。石田紀夫名義で、テノール歌手としても活動している。 富山県魚津市生まれ。専修大学卒業、東京音楽大学大学院修士課程修了。文化功労者である書道家大平山濤に50年の間師事する。 19歳の時、書道家吉田帰雲、大平山濤両者から一字ずつもらい、雅号「帰山」を名乗りはじめる。1965年、文化勲章受賞者である金子鷗亭が立ち上げた書道会「創玄書道会」の開催する第1回創玄展に出品し、入選。1968年、鷗亭のもとへ向かう山濤と共に、東京に移り住む。
五島 道信(ごとう みちのぶ、1937年10月21日 - )… 五島 道信(ごとう みちのぶ、1937年10月21日 - )は、富山県魚津市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 富山県立魚津高等学校では同僚となる石黒誠作の2年後輩にあたる。卒業後日本カーバイドを経て1956年に近鉄パールスへ入団。翌年は開幕戦から12試合連続「1番・中堅手」でスタメン出場した。また、1959年にも開幕戦に「8番・左翼手」でスタメン出場しており、期待された選手だったが打撃が振るわず、この年限りで引退した。引退後は帰郷して、魚津国際カントリーに勤務。
中尾 哲雄(なかお てつお、1936年4月2日 - )は、日… 中尾 哲雄(なかお てつお、1936年4月2日 - )は、日本の実業家。インテック社長、インテックグループCEO、カターレ富山代表取締役社長、ITホールディングス会長を歴任。 富山県魚津市出身。高校3年のときに結核にかかり、大学進学を志して上京するも喀血して帰郷せざるを得なかった。富山大学経済学部卒業後、証券会社に入り、不二越の創業者井村荒喜の紹介で富山商工会議所に入所。課長時代に、金岡幸二のコンピュータ会社創立に加わり、地元企業への根回しを担当する。金岡急逝後、インテックの社長に就任。 アイザック最高顧問、北国インテックサービス相談役、マイテック相談役、富山経済同友会特別顧問のほか、社団法人テレコムサービス協会会長、富山県とやま起業未来塾塾長、富山県公安委員会委員長を歴任。
石黒 誠作(いしぐろ せいさく、1935年4月9日 - )は… 石黒 誠作(いしぐろ せいさく、1935年4月9日 - )は、富山県魚津市出身の元プロ野球選手。 中学時代は県大会で4度の優勝を経験しており、魚津高校でも1年生からレギュラーとして活躍する。 1954年に近鉄パールスに投手で入団。1956年に外野手へ転向し、この年に1軍初出場。 1957年に現役引退。その後は地元で会社員となった。
広田 伊蘇夫(ひろた いそお、1935年(昭和10年)2月2… 広田 伊蘇夫(ひろた いそお、1935年(昭和10年)2月2日 - 2011年(平成23年)9月18日)は、日本の精神科医。 富山県魚津市出身。1961年(昭和36年)東京大学医学部卒、同精神科入局。1964年(昭和39年)東京都立松沢病院勤務。1980年(昭和55年)三枚橋病院勤務、のち理事。病院地域精神医学会理事長。同愛記念病院勤務。国連非政府組織 (NGO) 国際医療職専門委員会日本代表。イギリス王立精神医学会選出会員。患者の権利のために戦い宇都宮病院事件でも活躍した。
盛永 宗興(もりなが そうこう、1925年8月2日 - 19… 盛永 宗興(もりなが そうこう、1925年8月2日 - 1995年6月12日)は、日本の臨済宗の僧。 大正14年(1925年)、富山県に生まれた。後藤瑞巌について出家し、小田雪窓より印可を受けた。妙心寺・龍安寺の塔頭である大珠院住職を務めた。 昭和61年(1986年)4月から平成6年(1994年)3月まで、花園大学学長。平成7年(1995年)6月12日没。 1925年(大正14年)に富山県魚津市で、姉が三人と弟の五人姉弟の長男として生まれた。家は元来、先祖代々百姓で、祖父の代までは百姓であった。そんななか宗興の父が突然医学の勉強を志して、開業医となった。そのため田畑は全て小作に出すこととなった。
谷 正雄(たに まさお、1924年〈大正13年〉11月16日… 谷 正雄(たに まさお、1924年〈大正13年〉11月16日 - 1999年〈平成11年〉3月6日)は、日本の経営者。北陸電力社長を務めた。富山県魚津市出身。位階は従三位。 1946年に京都帝国大学経済学部を卒業し、1947年に北陸配電(のちの北陸電力)に入社した。1974年に取締役に就任し、1979年に常務、1981年に副社長を経て、1987年に社長に就任。1993年に会長に就任。 北陸経済連合会会長、ケーブルテレビ富山社長も歴任。 1986年に藍綬褒章を受章し、1998年に勲一等瑞宝章を受章。 1999年3月6日急性肺炎のために死去。74歳没。死没日付をもって従三位に叙された。
江幡 修三(えばた しゅうぞう、1921年1月11日 - 2… 江幡 修三(えばた しゅうぞう、1921年1月11日 - 2009年6月3日)は、日本の法曹。検事総長。弁護士。 富山県魚津市出身。旧制富山高等学校を経て、1943年東京帝国大学法学部卒。東京地検総務部長、札幌地検検事正、東京高検検事長などを歴任し、1983年12月から2年間、検事総長。 財田川事件、松山事件の再審無罪判決に対し、控訴見送りを指示した。1976年のロッキード事件では最高検検事として捜査。1979年のダグラス・グラマン事件では、東京地検検事正として捜査を指揮した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
住 栄作(住 榮作、すみ えいさく、1920年5月20日 -… 住 栄作(住 榮作、すみ えいさく、1920年5月20日 - 1986年12月20日)は、日本の内務官僚、海軍軍人(海軍主計大尉)、政治家(衆議院議員)。 法務大臣・建設政務次官・労働省職業安定局長などの要職を歴任し、富山職業訓練短期大学校・富山医科薬科大学の開設を推進した。自由民主党所属。住博司は実子。富山県魚津市出身。位階勲等は従三位勲一等瑞宝章。 富山県の農家に生まれた。9人兄弟であったという。旧制魚津中学校から旧制富山高校に進学。魚津中在学中は陸上競技部に所属し5000mで活躍し、富山高校在学中は剣道部で活躍した。1940年、東京帝国大学法学部に入学。在学中に高等文官試験合格。1943年卒業。
吉田 忠雄(よしだ ただお、1908年9月19日 - 199… 吉田 忠雄(よしだ ただお、1908年9月19日 - 1993年7月3日)は、日本の実業家で、YKKの創業者。富山県出身。魚津市、黒部市の名誉市民。神奈川県藤沢市に居住していた。YKK二代目社長・YKK AP創業者吉田忠裕は長男。 富山県下新川郡下中島村住吉(現在の魚津市住吉)で生まれる。魚津尋常高等小学校卒業後の1928年に上京。 古谷商店の社員を経て1934年にYKKの前身であるサンエス商会を設立し、ファスナーの生産を始める。以降、YKKを世界的な企業に育て上げた。兄弟の吉田久松もYKKの設立に貢献した。 魚津町議会議員、魚津商工会議所初代会頭(1949年~)、富山地方裁判所魚津支部民事司法委員なども務めた。
大宅 昌(おおや まさ、1906年(明治39年)10月19日… 大宅 昌(おおや まさ、1906年(明治39年)10月19日 - 2007年(平成19年)5月24日)は教育者で、大宅壮一の妻、大宅壮一文庫の理事長を務めた。 三女は評論家の大宅映子。富山県魚津市出身。 旧姓、奥田。富山県立富山高等女学校卒、富山県女子師範学校第二部卒、7年間教師をする。 1931年4月、前妻を亡くしたばかりの大宅壮一が富山へ講演会に来て見初められ、5月に結婚。4人の子供に恵まれた(大宅歩、映子のほか二女。)。 大宅壮一の蔵書をもとに設立された雑誌専門図書館「大宅壮一文庫」の理事長を1971年の発足以来、終生務めた。 1981年に出版された「愉しく生きる老い」はベストセラーになった。
川原田 政太郎(かわはらだ まさたろう、1890年8月7日 … 川原田 政太郎(かわはらだ まさたろう、1890年8月7日 - 1983年9月6日)は、日本の工学者、早稲田大学名誉教授。日本におけるテレビジョン研究において、高柳健次郎と並ぶ第一人者。 同郷の宇田新太郎、盛永俊太郎と共に「魚津の三太郎博士」と呼ばれた。 富山県下新川郡下野方村(現・魚津市)に生まれ、素質を認められ地元の医師の支援のもとで働きながら苦学し、魚津町立魚津尋常高等小学校(後の魚津市立大町小学校、現在は魚津市立よつば小学校に統合)→魚津中学校(現富山県立魚津高等学校)を経て早稲田大学大学部予科に入学。1915年早大理工科電気工学科卒業。早稲田大学助教授としてイギリスに留学した際、ロンドン大学のテレビジョン実験に感銘を受ける。
琴ヶ浦 善治郎(ことがうら ぜんじろう、1890年2月11日… 琴ヶ浦 善治郎(ことがうら ぜんじろう、1890年2月11日 - 1945年3月10日)は、富山県下新川郡(現在の魚津市)出身の元大相撲力士。本名は越野 善次郎(こしの ぜんじろう)。 1890年2月11日に富山県下新川郡(現:富山県魚津市)で生まれる。1909年1月に上京して二十山部屋に入門し、初土俵を踏む。四股名は小戸ヶ浦を名乗り、小錦八十吉 (横綱)から徹底的に指導を受けたことで腕力や足腰が鍛えられた。1915年6月場所で新十両昇進を機に「琴ヶ浦」へ改名し、1917年1月場所で新入幕を果たした。 ペテン立ちが巧く、右差しで相手の左を攻めながら一気に寄る取り口で、上品な人柄もあって人気があったが、1927年10月場所で現役を引退し、年寄・常盤山を襲名した。
横山 源之助(よこやま げんのすけ、明治4年2月21日〈18… 横山 源之助(よこやま げんのすけ、明治4年2月21日〈1871年4月10日〉- 大正4年〈1915年〉6月3日)は、富山県中新川郡魚津町(現在の魚津市)出身のジャーナリスト。号は天涯茫々生。他に有磯逸郎・無膓・夢蝶・漂天痴童・樹下石上人といった筆名を用いた。 魚津の網元の家に私生児として生まれ、すぐに左官職人の横山伝兵衛の養子となる。1881年、魚津明理小学校を卒業後、商家(醤油醸造業)に住み込み奉公をしながら独学し、1885年に富山県立富山中学校に1期生として入学する。しかし2年生の時に中退、代言人(弁護士)を目指して上京し、英吉利法律学校(現在の中央大学)に学ぶ。その後、弁護士試験を数度にわたって受験するが合格できず、各地を放浪する。
田村 惟昌(たむら これまさ、1856年4月6日(安政3年3… 田村 惟昌(たむら これまさ、1856年4月6日(安政3年3月2日)- 1926年(大正15年)7月30日)は、明治から大正時代の政治家。新聞経営者。衆議院議員(4期)。 越中国新川郡、のちの富山県下新川郡経田村(現魚津市)の濱名家に生まれ、のち伯父の田村家の養子となる。富山藩儒・岡田呉陽の門に入り学んだ。1874年(明治7年)新川県第三大区副区長、1875年(明治8年)9月、学区取締を経て、1878年(明治11年)新川郡書記に就任する。1881年(明治14年)3月、有志と共に協同会を組織し同会長となり政治活動に奔走する。ついで富山県会議員に当選し、同常置委員、副議長などを歴任した。ほか、富山日報社社長を務めた。
谷 順平(たに じゅんぺい、1836年12月21日(天保7年… 谷 順平(たに じゅんぺい、1836年12月21日(天保7年11月14日)- 1921年(大正10年)8月3日)は、明治から大正期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、富山県会議長、富山県下新川郡道下村長。幼名・義之助。 越中国新川郡仏田村(石川県新川郡仏田村、富山県下新川郡道下村を経て現魚津市)で、豪農・谷平兵衛の長男として生まれた。加賀藩士・沢田六左衛門、馬場春鴎に師事し漢学を修めた。1856年(安政3年)家督を相続し新川郡縄張役、仏田の肝煎役に就任。1872年(明治5年2月)金沢県新川郡第8区租税調役、1873年(明治6年)9月、第3大区副区長となる。その後、戸長、下新川郡書記を務めた。
佐土原 かおり は、日本の女性声優、歌手。アクロスエンタテイ… 佐土原 かおり は、日本の女性声優、歌手。アクロスエンタテインメント所属。
浦崎 宣光(うらさき のりみつ)は、日本の男性アニメーション… 浦崎 宣光(うらさき のりみつ)は、日本の男性アニメーションプロデューサー。富山県魚津市出身。2025年現在、スタジオディーン制作本部長の職に就いている。 1992年に制作進行としてスタジオディーンに入社。OVAやグロス請け作品で制作進行を務めたのち、1995年に『少年サンタの大冒険!』で制作デスクとなる。その後、制作プロデューサーを経て制作本部長に就任している。 アニメーション制作においては、視聴者の日常生活における補完的な役割を果たすことを重視している。作品を通じて思考のきっかけや新たな発見、感情の発散を提供し、それが日常の活力につながる状態を理想としている。48年の歴史の中で多様なジャンルの作品を手掛けてきた経験を基盤とし、今後は属性や環境を問わず幅広い層が楽しめる作品づくりを目指している。