藤田 晴(ふじた せい、1924年10月2日 - 2022年… 藤田 晴(ふじた せい、1924年10月2日 - 2022年7月6日)は、日本の経済学者。大阪大学名誉教授。 京都市出身。1949年東京大学経済学部卒業、1961年「財政政策と経済安定」で、大阪大学より経済学博士の学位を取得。名古屋市立大学助教授、大阪大学経済学部助教授、教授、1988年定年退官、名誉教授となり、近畿大学教授を務めた。1972年『日本財政論』でエコノミスト賞受賞。
小谷 剛(こたに つよし、1924年9月11日-1991年8… 小谷 剛(こたに つよし、1924年9月11日-1991年8月29日)は、医師、作家。 京都市生まれ、愛知県名古屋市育ち。旧制東海中学、名古屋帝国大学附属医学専門部卒業。 名古屋市中川区で産婦人科医院を開業、同人雑誌『作家』を主宰する。1949年上半期、「確証」で戦後復活した最初の芥川賞を受賞する。医師として活動しながら『作家』の刊行を続け、後進を育成した。 小谷の死去後、『作家』は1992年1月号をもって月刊誌としての刊行を終了。後継誌として『季刊作家』が創刊された。
廣瀬杲(ひろせ たかし、1924年6月22日 - 2011年… 廣瀬杲(ひろせ たかし、1924年6月22日 - 2011年12月30日)は、日本の仏教学者(真宗学)。大谷大学名誉教授。同大学学長を歴任。 京都市生まれ。1953年大谷大学文学部真宗学専攻卒業。1960年大谷大学講師、1961年助教授、1965年教授、1980-1986年学長を務め、1990年退職、名誉教授となる。
玉城 逸夫(たまき いつお、1924年6月10日 - 200… 玉城 逸夫(たまき いつお、1924年6月10日 - 2008年8月31日)は、京都府京都市出身の日本の土木・地球物理学者。大阪工業大学名誉教授。理学博士(京都大学)。物理探査学会元理事・名誉会員。勲三等瑞宝章受章。 専門は、地球物理学・地震工学、測量学、土木地質学・地学/地すべり学。 1950年京都大学理学部地球物理学科卒業。京都大学第1期特別研修生となり、修了後、1954年大阪工業大学に着任、工学部にて土木工学教育・研究を担当。1962年京都大学より論文「地震活動度と地殻構造の結びつき : 特に日本地域について」で理学博士の学位を取得。同年、大阪工業大学教授に就任。1965年同大学中央研究所所属となる。
吉川 経夫(きっかわ つねお、1924年6月4日 - 200… 吉川 経夫(きっかわ つねお、1924年6月4日 - 2006年8月31日)は、日本の法学者。法政大学名誉教授(刑法)。京都府京都市出身。長男の純は弁護士。弟の進三は同志社大学教授。 刑法学説の位置づけとしては、自由主義的でありながら、法律の権威を守ることも重視する、大場茂馬以来の後期旧派(後期古典派)の系譜に属する。 2006年8月31日19時、膵臓がんのため東京都内の自宅で死去。82歳没。
前田 信二郎(まえだ しんじろう、1924年5月30日 - … 前田 信二郎(まえだ しんじろう、1924年5月30日 - 1974年3月3日)は、刑法学者、犯罪学者。 京都市生まれ。1948年京都帝国大学法学部卒。研究生をへて1953年近畿大学法学部助教授、教授、琉球大学教授。49歳で死去。売春、サド裁判などについても研究した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
中島 千恵子(なかじま ちえこ、1924年5月21日 - 1… 中島 千恵子(なかじま ちえこ、1924年5月21日 - 1999年11月16日)は、日本の児童文学作家・放送作家。 京都市出身。1949年同志社大学文学部卒。長浜市立図書館館長を経て、滋賀文教短期大学教授を務めた。1967年「まめだの三吉」で毎日児童小説入選、1968年『タブーの島』で毎日児童小説入選。ラジオ作品に「山にあるいのち」「日本海」などがある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
奥山 融(おくやま とおる、1924年1月21日 - 200… 奥山 融(おくやま とおる、1924年1月21日 - 2009年11月7日)は、日本の実業家・映画プロデューサー。元松竹株式会社社長。創業家である白井家、大谷家以外からは永山武臣以来2人目の社長であった。父は元松竹専務の奥山市三、次男は元松竹専務でチームオクヤマ代表の奥山和由。 京都市出身。京都府立京都第一中学校、第五高等学校を経て、1947年京都帝国大学法学部政治学科卒業。同年大和証券入社。1951年松竹入社。主に映画興行部門、国際部門を歩き、1955年プロデューサー、国際部長を経て1968年取締役、1971年常務、1974年専務、1978年副社長。1986年、松竹大船撮影所50周年を期して「ニュー大船調」を打ち出す。
荒木 雅子(あらき まさこ、1924年1月2日 - )は、日… 荒木 雅子(あらき まさこ、1924年1月2日 - )は、日本の女優。本名は荒木美代子。旧芸名、忍 美代子。京都府京都市出身。父親は荒木忍。血液型はA型。松竹芸能所属。元新春座座員。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
秋山 十三子(あきやま とみこ、1924年(大正13年) -… 秋山 十三子(あきやま とみこ、1924年(大正13年) - 1997年(平成9年)7月11日)は、京都市生まれの随筆家。京都の風物や暮らしに関する著作などがある。 京都府京都市の祇園近く白河周辺で9代続いた造り酒屋に生まれる。京都府立第二高等女学校(現・京都府立朱雀高等学校)高等科卒業。婦人雑誌の読者欄投稿で佳作を受賞して以降、家事のかたわらで執筆活動をする。1984年(昭和59年)に単著で京都の言葉を巧みに自然な文体で書かれた『私の手もと箱 京暮らしの四季』を出版。ほかにも主婦の目から見つめた京都の風物や暮らし、おばんざい、酒造り唄などに関する著作があり、京都の女流随筆家として注目された。『豆腐の話』という著作では、参考文献をあげつつ、エッセイにとどまらない、京都のお豆腐が生活に根付いている様子がわかる内容となっている。
中村 尚夫(なかむら ひさお、1923年12月17日 - 2… 中村 尚夫(なかむら ひさお、1923年12月17日 - 2008年6月25日)は、日本の経営者。クラレ社長を務めた。京都府京都市出身。 第三高等学校を経て、1948年に京都大学経済学部を卒業し、1950年に同大学院を修了し、同年にクラレに入社した。 1972年11月に取締役に就任し、1976年6月には常務に就任し、1981年6月には副社長に就任した。 1985年6月には社長に昇格し、1993年6月には会長に就任した。2000年6月から相談役に就任した。 1990年11月に藍綬褒章を受章し、1996年11月に勲二等瑞宝章を受章した。 2008年6月25日急性冠症候群のために兵庫県宝塚市の病院で死去。
前川 道介(まえかわ みちすけ、1923年9月2日 - 20… 前川 道介(まえかわ みちすけ、1923年9月2日 - 2010年6月11日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。同志社大学名誉教授。 京都市出身。京都大学文学部卒業。同大学院中退、1954年天理大学助教授、1956年西京大学助教授(1958年、京都府立大学に改称)、1967年同志社大学教授、1989年定年退任し名誉教授。 国書刊行会「ドイツ・ロマン派全集」責任編集を務めた。ドイツ文学の怪奇・幻想文学を多く翻訳し、評論を刊行した。 2001年春、勲三等瑞宝章を受章。2010年、呼吸不全により死去(没年86歳)。
大北 一夫(おおきた かずお、1923年9月1日 - 200… 大北 一夫(おおきた かずお、1923年9月1日 - 2001年9月10日)は、日本の経営者。昭和シェル石油社長を務めた。京都府京都市出身。 1947年に同志社大学文学部社会学科を卒業し、函館ドックでの勤務を経て、1949年にシエル石油に入社。1969年に取締役に就任し、1975年に常務、1978年に専務、1981年に副社長を経て、1982年には社長に就任。昭和石油との合併を取り仕切り、1985年に昭和シェル石油社長に就任。1989年3月に副会長に就任し、1991年3月に取締役相談役を経て、1993年3月に相談役に就任。 1985年11月に藍綬褒章を受章し、1996年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2001年9月10日に肺炎のために神奈川県横浜市の病院で死去。
野長瀬 三摩地(のながせ さまじ、1923年8月30日 - … 野長瀬 三摩地(のながせ さまじ、1923年8月30日 - 1996年5月23日)は、日本のテレビ監督、脚本家。京都府京都市出身。別名:南川 竜、南川 龍。 父は大正画壇で活躍した野長瀬晩花。伯父はトピー工業創業者の一人である野長瀬忠男。 野長瀬氏の末裔で、本名の三摩地は仏教用語のサマディー(三昧)にちなんで名付けられた。 幼少より父に連れられてよく映画を観に行き、映画制作の道を志す。 1946年に日本大学芸術学部映画学科を卒業し、東宝に入社。渡辺邦男、青柳信雄、本多猪四郎らの助監督を務め、主に杉江敏男監督作品に従事。黒澤明監督の『蜘蛛巣城』『どん底』(1957年)、『隠し砦の三悪人』(1958年)ではチーフ助監督を務めた。
井上 梅次(いのうえ うめつぐ、1923年5月31日 - 2… 井上 梅次(いのうえ うめつぐ、1923年5月31日 - 2010年2月11日)は、日本の映画監督、脚本家、作詞家である。 京都市生まれ。京都市立第一商業学校を卒業後、慶應義塾大学経済学部に入学するも、1943年応召、1945年に復学して1947年に卒業。在学中から出入りしていた新東宝に正式に入社。自作の脚本を盛んに売り込み、1952年、わずか5年で『恋の応援団長』で監督に昇進。雪村いづみの音楽映画などを手掛けた。 1955年、日活に移籍。当時売り出し中の石原裕次郎の映画を担当し、『嵐を呼ぶ男』が大ヒット。裕次郎は大スターとしての地位を確立した。 1960年フリーになり、新東宝、日活以外の邦画四社で活躍。
重森 完途(しげもり かんと、1923年5月19日 - 19… 重森 完途(しげもり かんと、1923年5月19日 - 1992年12月31日)は日本の作庭家。造園家。造園史家。庭園研究家で京都林泉協会会長等を歴任。重森三玲の長男。名前はイマヌエル・カントに由来する。 京都府京都市出身。1943年に早稲田大学文学部国文科を卒業後、兵役を経て1945年に重森三玲研究所で庭園の研究を開始するが、1955年には重森完途庭園設計研究所を設立し、設計活動を開始する。1958年より芝浦工業大学講師を兼任する。1966年、外務省文化使節としてオセアニアに派遣される。京都工芸繊維大学講師で作庭家の重森千青は息子である。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
堂本 元次(どうもと もとつぐ、1923年〈大正12年〉4月… 堂本 元次(どうもと もとつぐ、1923年〈大正12年〉4月9日 - 2010年〈平成22年〉1月4日)は、京都市出身の日本画家。本名は塩谷 元次。 日本画家堂本印象の長兄、堂本寒星の養子。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
小橋 一郎(こばし いちろう、1923年(大正12年)2月1… 小橋 一郎(こばし いちろう、1923年(大正12年)2月14日 - )は、日本の法学者。専門は、商法・会社法)。学位は、法学博士(大阪大学・論文博士・1962年)。同志社大学名誉教授。勲三等旭日中綬章受章。 京都府京都市生まれ。1940年(昭和15年)3月京都府立京都第一中学校卒業。1945年(昭和20年)、立命館大学法文学部卒業。学位は、法学博士(大阪大学、1962年)(学位論文「手形行為論」)。2000年(平成12年)4月、勲三等旭日中綬章受章。
杉之原 壽一(すぎのはら じゅいち、1923年1月15日 -… 杉之原 壽一(すぎのはら じゅいち、1923年1月15日 - 2009年7月15日)は、日本の社会学者。神戸大学名誉教授。部落問題研究の中心的な論客の一人である。京都府出身。 京都市生まれ。1943年、京都帝国大学文学部哲学科卒業。京都大学人文科学研究所助手を経て、1986年まで神戸大学文学部教授。日本学術会議会員。 部落の中で階層分化が進行していることを実態調査から明らかにし「アメリカ帝国主義に従属する日本独占資本」を部落差別の主敵とする日本共産党の主張の正当性を訴えていたが、当の共産党が国民融合論を提唱した後には一転し、同じ調査を根拠に部落差別は解消しつつあるとの立場を取るようになった。1984年、「現代部落差別の研究」で第9回野呂栄太郎賞を受ける。
日比野 哲三(ひびの てつぞう、1922年11月30日 - … 日比野 哲三(ひびの てつぞう、1922年11月30日 - 1992年11月16日)は、日本の経営者。ニチメン社長を務めた。 京都府京都市出身。1947年に神戸経済大学を卒業し、同年に日綿実業(のちのニチメンに入社。1972年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1983年に副社長に就任し、1985年には社長に昇格。1989年から会長を務めた。 1984年に藍綬褒章を受章。 1992年11月16日、肝不全のために死去。69歳没。
西八條 實(にしはちじょう みのる、1922年11月15日-… 西八條 實(にしはちじょう みのる、1922年11月15日- 2015年2月1日 )は、日本の経営者、工学博士。島津製作所社長、会長を務めた。 京都府京都市出身。1945年に京都帝国大学工学部を卒業し、京大大学院に進学したが、1947年7月に中退し、島津製作所に入社。1973年11月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1985年3月に副社長に就任し、翌年6月には社長に昇格した。1992年6月から会長を務め、1998年6月から相談役を務めた。 1986年11月には藍綬褒章を受章し、1993年4月には勲二等瑞宝章を受章した。 1996年1月から1999年5月まで関西経済連合会の副会長。 2015年2月1日、老衰のために死去。
川勝 義雄(かわかつ よしお、1922年(大正11年)11月… 川勝 義雄(かわかつ よしお、1922年(大正11年)11月8日 - 1984年(昭和59年)4月4日)は、日本の東洋史学者。京都大学人文科学研究所教授。専門は六朝期の中国史、中国思想史。京都市生まれ。 京焼の一つ粟田口焼の窯元の息子として生まれ、京都府立第一中学(現:京都府立洛北高等学校・附属中学校)、第三高等学校、京都帝国大学文学部卒業。京都大学人文科学研究所の司書系の助手になり、後研究系の助手、フランスに留学してヨーロッパ東洋学を学び、東洋学者アンリ・マスペロの著書を翻訳した。帰国後京都大学人文科学研究所教授在職中に没した。 内藤湖南・宮崎市定の魏晋南北朝時代を中世とする論を受け継ぐ京都学派の一人であり、特に中国の貴族制研究において谷川道雄と共に「豪族共同体論」を展開し、矢野主税・越智重明らと激しい論争を繰り広げた。
中村 金夫(なかむら かねお、1922年10月26日 - 1… 中村 金夫(なかむら かねお、1922年10月26日 - 1999年2月21日 )は、日本の経営者。日本興業銀行頭取を務めた。 京都府京都市出身。1947年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に日本興業銀行に入行した。1966年にハーバード大学経営大学院でAMPを修了。1972年11月に取締役に就任し、常務を経て、1982年6月に副頭取に就任し、1984年6月には頭取に昇格した。1990年6月に会長に就任。1988年11月に藍綬褒章を受章。 1999年2月21日、心不全のために死去。76歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
加藤 曻(加藤 昇、かとう のぼる、1922年(大正11年)… 加藤 曻(加藤 昇、かとう のぼる、1922年(大正11年)9月 - 2020年(令和2年)7月30日 )は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中尉。 京都府京都市出身。父は、商船の船長をして不在がちであったため、専ら母の影響を受けて育つ。1934年(昭和9年)4月、京都市立第二商業学校に入学。同校卒業後、1939年(昭和14年)4月、立命館大学法学部に入学。1942年(昭和17年)徴兵検査甲種合格。大東亜戦争の戦況拡大に伴い、1943年(昭和18年)9月、同校を繰上げ卒業。 1943年(昭和18年)海軍航空隊へ志願し、10月1日、海軍飛行科予備学生(第13期)に合格。三重海軍航空隊で基礎教程を学ぶ。
森 進一(もり しんいち、1922年6月10日 - 2005… 森 進一(もり しんいち、1922年6月10日 - 2005年10月11日)は、日本の古代ギリシア哲学研究者、小説家、関西医科大学名誉教授。 京都府京都市出身。京都帝国大学文学部で古代ギリシア哲学を専攻し、田中美知太郎の指導を受け、京大大学院古代哲学専攻博士課程中退。京都大学非常勤講師を経て、64年関西医科大学教養部助教授、65年教授、91年定年、名誉教授。 また森泰三の名で文学作品も発表、1963年「砧」で芥川賞候補、1972年「冬へ」、1976年「結婚」で3度候補にあがった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
関 弥三郎(せき やさぶろう、1922年4月1日 - )は、… 関 弥三郎(せき やさぶろう、1922年4月1日 - )は、日本の経済統計学者、立命館大学名誉教授。 京都市出身。1947年立命館大学経済学科卒。1992年「寄与度・寄与率の理論と応用」で経済学博士の学位の取得。立命館大学助教授、教授を務めた。1986年定年、名誉教授、京都学園大学教授。
井上 太一(いのうえ たいち、1922年3月30日 - 19… 井上 太一(いのうえ たいち、1922年3月30日 - 1997年7月8日)は、日本の経営者、銀行家。京都銀行頭取を務めた。京都府京都市出身。 1946年に大阪商科大学を卒業し、同年に京都銀行に入行。1968年11月に取締役に就任し、1972年3月に常務、1974年11月に専務を経て、1978年12月に副頭取に就任し、1979年4月に頭取に昇格。1994年5月に会長に就任。 1985年11月に藍綬褒章を受章。 1997年7月8日肝不全のために死去。75歳没。
多田 正剛 ( ただ せいごう、1922年2月18日 - 1… 多田 正剛 ( ただ せいごう、1922年2月18日 - 1997年9月18日)は、 日本の空手家であり、日本正剛館空手道士会の創設者。 剛柔流八段位。京都府京都市出身。立命館大学卒業。 1922年大正11年生まれ。中国上海市にて15歳で中国武術を学ぶ。立命館大学空手部にて、宮城長順流祖より直々に剛柔流空手道を伝授される。のち同大学空手部監督を務める。1945年より京都市に日本剛柔流空手道士会を設立。京都市内に数道場を構え、立命館大学空手部直系の本土剛柔流の名門道場として栄える。のち日本正剛館空手道士会と改称。国内支部20数箇所の他に、10大学空手道部(大阪大学・滋賀大学・仏教大学・大阪歯科大学・京都外大・京工繊大・京薬大・山口大学・徳山大学・九州共立大)および海外20支部を指導した。
前川 嘉一(まえかわ かいち、1922年2月9日 - 199… 前川 嘉一(まえかわ かいち、1922年2月9日 - 1990年1月29日)は、日本の経済学者。 京都市生まれ。第三高等学校、兵役をへて1947年京都帝国大学経済学部卒。1968年「イギリス労働組合主義の発展」で京都大学より経済学博士の学位を取得。1949年京都大学経済学部助手、1950年講師、1954年助教授、1969年教授、1976-1977年経済学部長、1985年定年退官、名誉教授。
大野 俶嵩(おおの ひでたか、1922年(大正11年)1月2… 大野 俶嵩(おおの ひでたか、1922年(大正11年)1月20日 - 2002年(平成14年)9月5日)は、昭和・平成期の日本画家であり、京都市立芸術大学名誉教授である。 京都府京都市生まれ。本名は大野 秀隆。 須田国太郎の指導を受けた1941年(昭和16年)京都市立美術工芸学校日本画科を終えると、京都市立絵画専専門学校日本画科(現・京都市立芸術大学)を1943年(昭和18年)に卒業。 1948年には星野眞吾の推薦を受けパンリアル美術協会に参加し、下村良之介らと翌1949年に「パンリアル宣言」を発表、パンリアル美術協会を公に結成する。同年、第1回展を開催し、1958年(昭和33年)まで同展に出品。
堂本 阿岐羅(どうもと あきら、1922年〈大正11年〉 -… 堂本 阿岐羅(どうもと あきら、1922年〈大正11年〉 - 2008年〈平成20年〉12月12日)は、京都市出身の日本画家。本名は堂本 亮。 日本画家堂本印象の次兄、堂本漆軒の子。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
保井 浩一(やすい こういち、1921年7月19日 - 20… 保井 浩一(やすい こういち、1921年7月19日 - 2001年11月17日)は、京都府出身のプロ野球選手・監督。
村田 昭(むらた あきら、1921年(大正10年)3月25日… 村田 昭(むらた あきら、1921年(大正10年)3月25日 - 2006年(平成18年)2月3日)は、実業家である。村田製作所創業者・名誉会長・元会長・社長。 京都府京都市東山区泉涌寺生まれ。父親が陶器店を営む。 幼少期の頃は「病気のデパート」と呼ばれるほど病弱で、病床で文学書、子供向けの科学誌「子供の科学」などを読んで過ごしていた。 1936年(昭和11年)、京都市立第一商業学校(現:京都市立西京高等学校・附属中学校)を肺結核のため中退後、家業に専念。特殊陶器、精密特殊磁器に注目し、製品化することにより事業を拡大。1944年(昭和19年)10月、村田製作所を創業する。 1950年(昭和25年)、法人化の後、京都大学との「産学協同」で酸化チタンコンデンサの開発に成功。
清水 正徳(しみず まさのり、1921年2月17日 - 20… 清水 正徳(しみず まさのり、1921年2月17日 - 2004年3月7日)は、日本の哲学研究者。神戸大学名誉教授。 京都府京都市生まれ。東北帝国大学哲学科卒業。神戸大学助教授、教授、1984年定年退官、名誉教授、大阪学院大学教養部教授。マルクスの疎外論を研究。 1996年、勲三等旭日中綬章を受章。 2004年3月7日、病気のため京都市東山区の病院で死去。83歳没。
左近 友三郎(さこん ともさぶろう、1921年1月26日 -… 左近 友三郎(さこん ともさぶろう、1921年1月26日 - 2002年8月16日)は、日本の官僚、経営者。中小企業庁長官、共同石油社長、会長を務めた。京都府京都市出身。 1944年に東京帝国大学法学部を卒業し、学徒動員で満洲に出征。終戦後は3年間のシベリア抑留を経て、帰国。1949年に商工省に入省し、1978年6月に中小企業庁長官に就任。1980年6月に東京銀行顧問に就任。1982年6月に共同石油専務に就任し、1983年6月に副社長を経て、1985年11月に社長に就任した。1990年6月には会長に就任した。1992年12月に日本鉱業と合併し、日鉱共石副会長に就任し、1996年6月には相談役に退いた。
服部 栄三(はっとり えいぞう、1920年11月1日 - 2… 服部 栄三(はっとり えいぞう、1920年11月1日 - 2008年1月27日)は、日本の法学者。 京都市出身。第三高等学校卒、1943年東京帝国大学法学部政治学科卒、1962年「団体法の研究 株式会社法を中心として」で東北大学・法学博士。 1945年10月東大法学部助手、1947年北海道大学法文学部助教授、1950年同志社大学法学部助教授、52年教授、1957年東北大学法学部教授、72年法学部長、84年定年退官、名誉教授。没後正四位。
和崎 洋一(わざき よういち、1920年9月16日 - 19… 和崎 洋一(わざき よういち、1920年9月16日 - 1992年6月29日)は、日本の人類学者。京都大学名誉教授。 京都府京都市出身。第三高等学校を経て、1945年京都大学理学部卒業。京大教授時代には京都大学アフリカ学術調査隊に参加。梅棹忠夫とは三高の同級生で京都大学アフリカ学術調査隊に参加した良き友人だった。その後は富山大学人文学部教授、中部大学国際関係学部教授を歴任した。 実の息子にWOWOW代表取締役社長の和崎信哉、文化人類学者で中部大学国際関係学部教授の和崎春日がいる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
島薗 安雄(しまぞの やすお、1920年7月30日 - 19… 島薗 安雄(しまぞの やすお、1920年7月30日 - 1997年4月9日)は、日本の医学者・精神科医。専門は精神病理学・精神生理学。元金沢大学医学部教授。東京医科歯科大学名誉教授。学位は、医学博士(東京大学・1950年)。京都府京都市生まれ。 父は東京大学医学部教授などを務めた島薗順次郎、息子は東京大学大学院人文社会系研究科教授の島薗進。 1920年京都府京都市生まれ。1943年東京帝国大学医学部医学科卒業。1950年東京大学より医学博士の学位を取得。1954年フンボルト留学生として西ドイツ留学。1956年東京大学医学部助教授。1959年金沢大学医学部教授。1967年東京医科歯科大学医学部教授。
金田 正泰(かなだ まさやす、旧姓:竹村、晩年の姓:小武内、… 金田 正泰(かなだ まさやす、旧姓:竹村、晩年の姓:小武内、1920年7月21日 - 1992年12月5日)は、京都府京都市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者。
森 光子(もり みつこ、1920年〈大正9年〉5月9日 - … 森 光子(もり みつこ、1920年〈大正9年〉5月9日 - 2012年〈平成24年〉11月10日)は、日本の女優、歌手、マルチタレント、司会者。日本俳優連合名誉副会長、第6代日本喜劇人協会会長、フジテレビジョン番組審議会名誉顧問。国民栄誉賞受賞。栄典は従三位・勲三等瑞宝章・紫綬褒章・文化功労者・文化勲章。東京都名誉都民・京都市市民栄誉賞・京都名誉観光大使。 1920年、京都府京都市出身。京都府立第一高等女学校(現・京都府立鴨沂高等学校)中退。俳優の嵐寛寿郎の従妹である。長らく「寛寿郎の姪で1923年生まれ」としていたが、1984年の紫綬褒章受章にあたり事実を公表し、訂正している。芸名は嵐の母(伯母)から、女優の森静子と伯母の旧姓・森端にちなんで「森」、本名の美津より「光子」とつけられたことによる。
中谷 信夫(なかたに のぶお、1920年5月4日 - 199… 中谷 信夫(なかたに のぶお、1920年5月4日 - 1992年5月21日)は、京都府京都市出身のプロ野球選手。左投右打で、ポジションは投手。 京都市立第一工業学校(現・京都市立洛陽工業高等学校)、立命館大学から門司鉄道局(現・JR九州硬式野球部)を経て、シーズン途中ながらも1947年に南海ホークスへ入団し、1年目に15勝を挙げ、翌年も開幕から12連勝で、前年御園生崇男が記録したプロ野球記録の13連勝に挑んだ6月25日の対金星スターズ戦では6対2で敗戦投手となり連勝を止めるものの、この年は21勝を挙げる。1951年には14勝して最高勝率のタイトルを獲得し、5年連続二桁勝利も記録した。1955年に現役引退後は、1960年までコーチとなる。
前川 誠郎(まえかわ せいろう、1920年〈大正9年〉2月2… 前川 誠郎(まえかわ せいろう、1920年〈大正9年〉2月23日 - 2010年〈平成22年〉1月15日)は、日本の美術史家。東京大学名誉教授。 京都府京都市生まれ。 1944年東京帝国大学文学部美学美術史学科卒。 旧制第三高等学校教授、京都帝国大学、九州大学助教授を勤め、1970年東京大学文学部助教授、1971年教授、1980年定年退官、名誉教授、国立西洋美術館長。1990年新潟県立近代美術館長。1991年春、勲二等瑞宝章受勲。 ミュンヘンの中央美術史研究所において研究し、デューラーおよびネーデルラント等の北方ルネサンスの美術に業績があり、1975年以来ライヘナウの修道院聖堂の実地調査を行った。
元井 能(もとい ちから、1920年1月5日 - 1989年… 元井 能(もとい ちから、1920年1月5日 - 1989年3月28日)は、服飾史学者。 京都市出身。父は絵更紗の創始者・元井三門里(本名・翠。1885-1956)。1942年大阪外国語学校仏語科卒。1949年京都帝国大学文学部美学美術史卒。同大学院をへて、1957年京都市立美術大学講師、1963年助教授、1969年校名変更で京都市立芸術大学助教授、1970年教授。1985年定年退任、名誉教授。京都女子大学教授、京都市美術館館長。
瀧井 利彌(たきい としや、1919年7月7日 - 1996… 瀧井 利彌(たきい としや、1919年7月7日 - 1996年6月11日)は、日本の経営者。タキイ種苗社長を務めた。京都府京都市出身。 1942年に立命館大学経済学部を卒業。1947年にタキイ種苗取締役に就任し、1960年に副社長を経て、1970年には社長に昇格。1991年には会長に就任。日本種苗協会会長も務めた。 1983年に藍綬褒章を受章し、1992年4月に勲四等旭日小綬章を受章。 1996年6月11日肺癌のために死去。76歳没。
野村 芳太郎(のむら よしたろう、1919年(大正8年)4月… 野村 芳太郎(のむら よしたろう、1919年(大正8年)4月23日 - 2005年(平成17年)4月8日)とは、日本の映画監督。父は映画監督の野村芳亭、祖父は浮世絵師の二代目野村芳国。 父・芳亭は日本の映画監督の草分け的存在で、松竹蒲田撮影所の所長も務めた。その関係で、京都と東京を行き来して育つ。京都市生まれで、生後まもなく東京市浅草区に移った。蒲田小学校から暁星小学校、暁星中学校を経て慶應義塾大学文学部芸術学科卒業。大学卒業後の1941年、松竹大船撮影所に入社。 1946年に復員。黒澤明作品の『醜聞』『白痴』では助監督を務め、黒澤からは「日本一の助監督」と評価された。1952年の『鳩』で監督デビュー。
中西 珠子(なかにし たまこ、1919年3月19日 - 20… 中西 珠子(なかにし たまこ、1919年3月19日 - 2008年4月3日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。 国連ハビタット推進議員連盟事務局長。議員引退後も同活動の支援を続けたことから国連ハビタット賞(英語版)を授与されている。 京都府京都市出身。法学者、中島重の長女。 1940年、津田英学塾卒業。 戦後、GHQに勤務。のち国際労働機関に転じ、東京支局次長を経て、津田塾大学理事、津田塾会理事長を務める。 1983年、第13回参議院議員通常選挙比例区に公明党から出馬し、初当選。 1989年、第15回参議院議員通常選挙比例区再選。 1995年春の叙勲で勲二等瑞宝章受章。同年の第17回参議院議員通常選挙に立候補せず、引退。
高木 貞敬(たかぎ さだゆき、1919年(大正8年)3月19… 高木 貞敬(たかぎ さだゆき、1919年(大正8年)3月19日 - 1997年(平成9年)10月11日)は、日本の神経生理学者。 京都府京都市生まれ。1944年東京帝国大学医学部卒。1952年「後索後根標品に見られる遲電位」で東大医学博士。東大医学部講師、1954年群馬大学医学部生理学科教授。1954年から1957年までイリノイ大学、1964年から1965年までミシガン大学に留学した。1983年定年退官、名誉教授。1997年、膵臓癌のため死去。
堀内 宗心(ほりのうち そうしん、1919年1月20日 - … 堀内 宗心(ほりのうち そうしん、1919年1月20日 - 2015年5月27日)は、表千家の茶人。 京都府京都市出身。堀内家・10代堀内宗完・不仙斎の三男、本名吉彦。1944年京都帝国大学理学部卒業、同副手。1946年2月長兄・幽峯斎宗完死去により長生庵を継ぎ、同年4月 表千家不審菴入門、内弟子として表千家第13代家元・即中斎千宗左に師事。同年12月建仁寺竹田益州より兼中斎の斎号を受ける。1953年12代堀内宗完を襲名。1997年甥の堀内國彦が宗完を継ぎ、宗心を名のる。1999年表千家家元より皆伝を受ける。2015年5月27日、前立腺癌のため死去。
石田 徳次郎(いしだ とくじろう、1918年12月3日 - … 石田 徳次郎(いしだ とくじろう、1918年12月3日 - 1990年3月28日)は、日本の経営者。京都府京都市出身。 1939年1月に石田旭山印刷取締役に就任し、1941年に同志社大学法学部政治学科を卒業。1943年に大日本スクリーン製造専務に就任し、1947年5月には社長に就任。1989年4月に会長に就任。 1963年6月に紺綬褒章を受章し、1980年4月に藍綬褒章を受章。 1990年3月28日心不全のために死去。71歳没。
大橋 秀一郎(おおはし しゅういちろう、1918年8月7日 … 大橋 秀一郎(おおはし しゅういちろう、1918年8月7日 - 2006年1月20日)は、日本の経営者。蝶理社長を務めた。 京都府京都市出身。1941年に大阪商科大学を卒業し、同年に蝶理に入社。1948年に取締役に就任し、1958年に常務、1964年に専務を経て、1969年3月に副社長に就任し、1970年5月には社長に昇格。1975年5月から相談役を務めた。1983年6月には家政学園理事長に就任。 2006年1月20日心不全のために死去。87歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。