小西 作太郎(こにし さくたろう、1892年5月25日 - … 小西 作太郎(こにし さくたろう、1892年5月25日 - 1985年2月5日)は、日本の実業家。朝日新聞社元常務。全国高校野球の生みの親でもある。京都府京都市出身。 京都第二中学、旧制三高を経て、1918年に京都帝国大学工学部卒業。1921年に朝日新聞社に入社。印刷部長、印刷局長、常務などを歴任し、特に印刷部門でアメリカから高速度輪転機を導入したり、他社よりも先駆けて扁平活字を考案し採用した。 京都二中時代は捕手を務め、のちに京都市長となる高山義三とバッテリーを組んだ。第三高校では主将となり、高山と相談した上で、大阪朝日京都通信部主催で、中等野球の京津大会の開催を実現させた。これが契機となり、全国中等学校優勝野球大会が始まった。
堂本 印象(どうもと いんしょう、1891年〈明治24年〉1… 堂本 印象(どうもと いんしょう、1891年〈明治24年〉12月25日 - 1975年〈昭和50年〉9月5日)は、日本画家。帝室技芸員。日本芸術院会員。本名:堂本三之助。 1891年(明治24年)12月25日、京都府京都市出身。 1910年(明治43年)、旧制京都市立美術工芸学校(現:京都市立美術工芸高等学校)を卒業。西陣織の図案描きの仕事をしていたが、日本画家を志して京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)に入学。 1924年(大正13年)京都市立絵画専門学校研究科修了。 1919年(大正8年)、帝展初出展作「深草」が入選した。帝展第3回展では「調鞠図」で特選、第6回展に出展した「華厳」は帝国美術院賞を受賞するなど第一級の日本画家として認められた。
長谷川 利行(はせがわ としゆき 明治24年(1891年)7… 長谷川 利行(はせがわ としゆき 明治24年(1891年)7月9日? - 昭和15年(1940年)10月12日)は京都府出身の洋画家、歌人。名の読みは「りこう」とも。
岩井 盛次(いわい もりつぐ、1891年3月21日 - 19… 岩井 盛次(いわい もりつぐ、1891年3月21日 - 1974年3月20日)は、日本の実業家で、エコナックホールディングスの創業者でもある。 京都府京都市出身。1908年に京都市立第一商業学校を卒業した。1926年に日本レースを設立し、1942年に同社の社長に就任した。 近畿放送、京都銀行の各取締役などを歴任し、1965年4月に京都商工会議所会頭に就任した。1965年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 1974年3月20日に腹部腫瘍のために死去。82歳没。
三宅 やす子(みやけ やすこ、1890年3月15日 - 19… 三宅 やす子(みやけ やすこ、1890年3月15日 - 1932年1月18日)は、日本の作家、評論家。 京都市生まれ。京都師範学校校長・加藤正矩の娘で、加藤弘之の姪に当たる。本名・安子、旧姓・加藤。 やす子は長女であるが父正矩の正妻の子ではない。正妻には子がなく、やす子と妹は正妻を「おかあさま」実母を「ばあや」とよんで、妻妾同居の家で育った。9歳で一家は東京へ移り、やす子は府立第二高女に進んだが、病気のため退学。ついでお茶の水高等女学校に入学し、19歳で卒業。1910年(明治43年)三宅雪嶺の甥にあたる理学士三宅恒方と結婚、大正元年にはのちに作家となった長女艶子が誕生した。この頃より雑誌に評論や随筆を書き始め、5年には夏目漱石のもとで創作を学び、漱石没後は小宮豊隆に師事した。
石原 広一郎(いしはら ひろいちろう、1890年(明治23年… 石原 広一郎(いしはら ひろいちろう、1890年(明治23年)1月26日 - 1970年(昭和45年)4月16日)は、日本の実業家で石原産業の創業者。 京都府京都市生まれ。1913年立命館大学法科専門部卒業。1916年にマレー半島に渡航し鉄鉱山の発見・開発に成功。東南アジア各地や日本国内での鉱山開発や、海運業へ事業を拡大した。1931年の満州事変勃発後、南進論提唱の好機が到来したとして日本に帰国し政治活動を展開、国家主義的団体神武会・明倫会を創立して世論を喚起し、二・二六事件では叛乱軍に資金を提供して逮捕された。戦後、A級戦犯容疑で巣鴨に拘禁されるも不起訴となり釈放された。 1890年(明治23年)京都府京都市に生まれる。
池田 永治(いけだ えいじ、1889年10月15日 - 19… 池田 永治(いけだ えいじ、1889年10月15日 - 1950年12月30日)は、日本の漫画家、洋画家、挿絵画家、俳画家。京都府出身。大正期から昭和20年代にかけて活躍した。 1889年、京都市木屋町生まれ、大阪育ち。 本名は池田永治。1928年以降は(妹繁子の死を悲しみ)池田永一治(読みはエイジのまま)と称した。他の画名に永一路、牛、牛歩、田牛(たのもう)などで、これらは丑年うまれにちなむ。 父直次郎の木版印刷業を継がずに上京して、太平洋美術学校を卒業、同校教授となる。珊瑚会に加わり、太平洋画会を中心に活動し、1910年第4回文展褒状「牧場」から1946年日展入選「鳥渡る」まで、日展(帝展、文展)関係の褒状2回、招待2回、無鑑査4回、入選16回に及び、風景画を得意とした。
大橋 理一郎(おおはし りいちろう、1889年 <明治22年… 大橋 理一郎(おおはし りいちろう、1889年 <明治22年> 10月5日 - 1981年 <昭和56年> 2月27日)は、日本の経営者。蝶理社長を務めた。位階は正五位。京都府京都市出身。 1909年に京都府立第一中学校を卒業し、同年に大橋商店に入社。1948年に蝶理社長に就任し、1958年5月には会長に就任。1959年9月から1960年5月までに再び社長を務めた。家政学園理事長も務めた。 1944年に紺綬褒章を受章し、1966年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1981年2月27日、老衰のために死去。81歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
平井 楳仙(ひらい ばいせん、1889年1月5日 - 196… 平井 楳仙(ひらい ばいせん、1889年1月5日 - 1969年8月30日)は、京都府京都市生まれの日本画家。帝国美術院展覧会審査委員。本名は平井秀三。 1906年(明治39年)に京都市立美術工芸学校絵画科卒業。1907年(明治40年)新古美術展四等受賞(夕月)第1回文展入選(宮苑の朝)。 1910年(明治43年)に京都市立美術工芸学校卒業生入江波光・榊原紫峰らによる研究会「桃花会」を結成し、翌年には、榊原紫峰・野長瀬晩花・星野空外ら京都大学文学研究者たちと「バトサヤ」を立ち上げる。文部省美術展覧会(初期文展・新文展)・帝国美術院展覧会に無鑑査出品を続け、戦後は後援会の楳推会を中心に活躍した。
田中 和一郎(たなか わいちろう、1888年(明治21年)7… 田中 和一郎(たなか わいちろう、1888年(明治21年)7月 - 1950年(昭和25年)4月8日)は、日本の衆議院議員、厚生参与官。 京都府京都市出身。1919年(大正8年)、東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、京都帝国大学大学院で都市社会政策を専攻した。大阪毎日新聞社に入社。その後、京都市会議員、同議長、京都府会議員に選ばれた。 1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙に京都1区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受け、出馬し、当選。幣原内閣で厚生参与官を務めた。 1946年(昭和21年)、推薦議員のため公職追放となった。追放中の1950年死去。 その他、京都ホテル株式会社取締役、内外出版印刷株式会社監査役、京都府教育委員長を務めた。
梅原 龍三郎(うめはら りゅうざぶろう、1888年〈明治21… 梅原 龍三郎(うめはら りゅうざぶろう、1888年〈明治21年〉3月9日 - 1986年〈昭和61年〉1月16日)は、日本の洋画家。京都府京都市下京区生まれ。はじめ龍三郎、1914年(大正3年)までは梅原 良三郎(うめはら りょうざぶろう)と名乗り、再び龍三郎と名乗った。 ヨーロッパで学んだ油彩画に、桃山美術・琳派・南画といった日本の伝統的な美術を自由奔放に取り入れ、絢爛な色彩と豪放なタッチが織り成す装飾的な世界を展開。昭和の一時代を通じて日本洋画界の重鎮として君臨した。 京都府京都市下京区生まれ。生家は染物問屋だった。京都府立第二中学校(現・京都府立鳥羽高等学校)を中退し、伊藤快彦の画塾・鍾美会で学んだ後、浅井忠が主催する聖護院洋画研究所(現・関西美術院)に入った。
榊原 紫峰(さかきばら しほう、1887年〈明治20年〉8月… 榊原 紫峰(さかきばら しほう、1887年〈明治20年〉8月8日 - 1971年〈昭和46年〉1月7日)は、京都市出身の日本画家。本名は安造。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
古田 俊之助(ふるた しゅんのすけ、1886年(明治19年)… 古田 俊之助(ふるた しゅんのすけ、1886年(明治19年)10月15日 - 1953年(昭和28年)3月23日)は、日本の実業家で、第七代住友総理事である。第2次大戦の敗戦により、住友財閥が解体され、住友最後の総理事となる。 京都府葛野郡衣笠村字等持院(現・京都市北区等持院北町)の寺侍井上数馬・エンの五男として生まれる。1899年(明治32年)14歳の時、大阪製鎖所を経営する古田敬徳の養子となり、大阪府一中(現・大阪府立北野高等学校)に進んだ。六高を経て、1910年(明治43年)東京帝国大学工科大学を卒業し、住友総本店に入社する。 入社以来、ほとんど住友伸銅所の技術畑を歩き、1935年(昭和10年)の住友金属工業誕生とともに、専務取締役に任ぜられ、翌1936年(昭和11年)には合資理事として住友の大幹部の1人となった。
園 正造(その まさぞう、1886年1月1日 - 1969年… 園 正造(その まさぞう、1886年1月1日 - 1969年11月24日)は、日本の数学者。代数学を専門とする。京都帝国大学名誉教授。西京大学(現京都府立大学および京都府立大学女子短期大学部)初代学長。 京都市生まれ。1910年に京都帝国大学理工科大学数学科卒業。1921年、京都帝国大学教授。 日本の数学界の黎明期を支えた数学者の一人である。エミー・ネーターらと同時期に、代数学の抽象化に大きな役割を果たした。分離可能性に関する研究は後に森嶋通夫によって経済学へ応用された。 豪快な人物であったらしく、祇園から人力車で大学へ出勤したという逸話を持つ。また、数学に留まらず哲学・宗教・思想にも強い興味を持ち、雑誌「改造」などに論文を発表している。
江馬 務(えま つとむ、1884年12月2日 - 1979年… 江馬 務(えま つとむ、1884年12月2日 - 1979年5月10日)は、日本の歴史学者。日本における風俗史の研究の基礎を築いた一人である。京都女子大学名誉教授。 京都市出身。江馬天江の孫、江馬章太郎(京都府立医学専門学校教授)の子。 1907年に新設の京都帝国大学文科大学史学科第1回生として入学、1910年に卒業。卒業論文は「京都市制史」。同年、「日本風俗史」の研究のため同大学大学院に進学する。卒業後、京都市立美術工芸学校の教員となり、1911年には「風俗史研究会」を設立する。有職故実の文献や史料から過去の風俗の考証を進めるだけでなく、実際に衣装などを復原・着用して考察を進める方法を採用し、1915年から毎月1回「時代扮装実演会」を開き、1916年には研究会の機関誌「風俗研究」を創刊した。
国友 末蔵(くにとも すえぞう、1881年〈明治14年〉11… 国友 末蔵(くにとも すえぞう、1881年〈明治14年〉11月17日 - 1960年〈昭和35年〉10月17日)は、明治後期から昭和時代にかけて活動した日本の電気技術者、実業家である。新潟県上越市(旧・高田市)の電力会社中央電気にて技師長および専務取締役を務め、同社の電源開発に携わった。京都市出身。 1881年(明治14年)11月17日、京都の三条通白川橋にて国友藤九郎の四男として生まれた。国友家は戦国時代から近江国坂田郡国友村(現・滋賀県長浜市)で鉄砲を生産していた鉄砲鍛冶の家だが、父・藤九郎は明治維新後京都へ移り活版印刷機の生産にあたっていた。国友は京都府立第一中学校を経て京都の第三高等学校へ進学し、1903年(明治36年)7月に卒業。
前田 松韻(まえだ まつおと、1880年(明治13年)12月… 前田 松韻(まえだ まつおと、1880年(明治13年)12月 - 1944年(昭和19年)4月11日)は、日本の建築家。大連民政署の設計や、寝殿造の研究で知られる。 京都市生まれ。父は福井県士族前田松閣。1904年(明治37年)7月、東京帝国大学工科大学建築学科卒業。 日露戦争下の1904年に軍倉庫の建設に携わり、1905年2月、大連軍政署の嘱託技師、同年10月、関東都督府技師となる。在職中に大連民政署(現・遼寧省対外貿易経済合作庁)、大連の日本橋(現・勝利橋)を設計。 1907年(明治40年)10月、東京高等工業学校(現・東京工業大学)建築科教授に就任。日英博覧会の装飾を担当し、1909年12月よりロンドンに出張。
木下 東作(きのした とうさく、1878年(明治11年)6月… 木下 東作(きのした とうさく、1878年(明治11年)6月27日 - 1952年(昭和27年)6月19日)は、日本の運動生理学者、スポーツ評論家。医学博士。 大阪医科大学(現在の大阪大学医学部)教授から大阪毎日新聞社運動部長に転身。日本女子スポーツ連盟を設立し、人見絹枝を育成したことで知られる。本人も旧制第一高等学校・東京帝国大学在学中には長距離走の選手として知られた。 京都市出身。木下凞の二男。兄に産婦人科学者の木下正中がいる。木下家はもと若狭小浜藩医の家で、凞は明治維新後に京都療病院(現在の京都府立医科大学)に勤務、のちに産婦人科医を開業した(父については木下正中の記事を参照)。 東京府尋常中学、旧制第一高等学校を経て東京帝国大学に進学。
清水 仁三郎(しみず にさぶろう、1878年(明治11年)2… 清水 仁三郎(しみず にさぶろう、1878年(明治11年)2月19日 - 1951年(昭和26年)11月12日)は、日本の衆議院議員(立憲国民党)。建築家。実業家。 京都府京都市出身。建築家清水仁兵衛の二男として生まれ、同志社で学んだ。建築工学を学び、京都武徳殿の建築に参加した。宮内省・農商務省の委嘱を受け、1900年(明治33年)のパリ万国博覧会では日本建築・庭園模型を出品した。1902年(明治35年)、岩崎男爵家の設計技師となり、邸宅の設計を担当した。1910年(明治43年)の日英博覧会の際には、再び宮内省・農商務省の委嘱を受け日本庭園の設計を担当した。1911年(明治44年)、岩崎家の建築事務閉鎖に伴って独立し、清水建築工務所を開いた。
嵐 冠三郎(あらし かんざぶろう、1878年 - 没年不詳)… 嵐 冠三郎(あらし かんざぶろう、1878年 - 没年不詳)は、日本の俳優、元歌舞伎役者、元子役、元女形である。本名は北岡 力松(きたおか りきまつ)。関西歌舞伎から初期のサイレント映画に転向して牧野省三の映画製作を支えた、マキノ最古参俳優である。 1878年(明治11年)、京都府京都市上京区西陣の織物屋の家庭に生まれる。本名については、最初期の資料である『花形活動俳優内証話』(1918年)には「北國力松」とあるが、『日本映画俳優名鑑 昭和五年版』などによれば、本名の姓は「北岡」である。『花形活動俳優内証話』には、芝居好きの両親が四代目實川延三郎(1864年 - 1905年)、片岡柳蔵(1870年 - 1923年)の贔屓であったため、幼児から日本舞踊を習得し、数え年8歳の年に、牧野省三(1878年 - 1929年)の経営する千本座の子役となり、同劇場で初舞台を踏んだ、という旨の記述がなされている。
石田元季(いしだ もとすえ、1877年5月17日-1943年… 石田元季(いしだ もとすえ、1877年5月17日-1943年1月9日)は、日本の国文学者。 京都出身。号は春風。平安義黌卒。愛知医科大学教授、第八高等学校(現・名古屋大学)講師。研究誌「紙魚(しみ)」を主宰する。 尾張地方の文人や芸能人を研究し、1940年「俳文学考説」で帝国学士院賞を受賞。 1930年「名古屋市行進歌」を作詞(作曲:信時潔)。 死後、蔵書のほとんどは天理図書館に入ったが、一部の手沢本は愛知県立大学図書館に収められた。
烏賀陽 然良(うがや しかよし、1876年(明治9年)6月1… 烏賀陽 然良(うがや しかよし、1876年(明治9年)6月18日 - 1946年(昭和21年)3月11日)は、日本の法学者。 専門は民法および商法(特に海商法)。学位は法学博士。京都帝国大学名誉教授。第16代京都帝国大学法学部長。族籍は京都府平民。正三位勲二等受賞者。雅号は旭山人又は都水。 京都府京都市出身(本籍地は京都府京都市上京区)。烏賀陽然冏(または恒正)の長男として生まれる。 1884年(明治17年)家督を相続する。京都市立小川小学校、1899年(明治32年)第四高等学校(旧制)卒業を経て、1903年(明治36年)京都帝国大学法科大学法律科を卒業。 1904年(明治37年)に神戸高等商業学校講師となり、1906年(明治39年)から1920年(大正9年)まで同教授を務める。
真島 利行(まじま としゆき、または故実読みで りこう、18… 真島 利行(まじま としゆき、または故実読みで りこう、1874年(明治7年)11月13日 - 1962年(昭和37年)8月19日)は、京都市生まれの有機化学者。大阪帝国大学総長などを歴任。
会田 龍雄(あいだ たつお、明治4年11月21日(1872年… 会田 龍雄(あいだ たつお、明治4年11月21日(1872年1月1日) - 昭和32年(1957年)12月16日)は、日本の生物学者、遺伝学者。 1903年 - 1941年、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)教授。1932年、帝国学士院賞受賞。 京都市出身。1872年、有栖川宮家に剣客として仕えた勤王派の父(福島県、矢吹出身)と外科医の娘である母(京都市出身)のあいだに長男として生まれる。銅駝校(小学校)、京都府尋常中学校、第三高等学校を経て、帝国大学理科大学動物学教室に入学、飯島魁に師事。同教室を1896年卒業後、1898年、第五高等学校(熊本)教授。この時同僚に夏目漱石がいた。1903年実家のある京都に戻り、京都高等工芸学校教授。
稲畑 勝太郎(いなばた かつたろう、1862年12月21日(… 稲畑 勝太郎(いなばた かつたろう、1862年12月21日(文久2年10月30日) - 1949年(昭和24年)3月30日)は、大正・昭和前期の日本の実業家、貴族院勅選議員。稲畑産業株式会社(創業時の名称は稲畑染料店)の創業者であり、染料、染色業界の発展に尽力した。また日仏文化交流に貢献しており、日本で初めてシネマトグラフを輸入して映画興行を行った人物としても知られる。正五位勲三等。
有栖川宮 威仁親王(ありすがわのみや たけひとしんのう、18… 有栖川宮 威仁親王(ありすがわのみや たけひとしんのう、1862年2月11日〈文久2年1月13日〉- 1913年〈大正2年〉7月10日)は、日本の皇族、海軍軍人。号は欽堂。官職は軍事参議官。称号・階級は元帥海軍大将。勲等は大勲位。功級は功三級。世襲親王家の有栖川宮第10代当主にして最後の当主。 有栖川宮幟仁親王(霊元天皇玄孫)の第四王子(男女合わせた王子女の中では八人目、ただし成人した男子は熾仁親王と威仁親王だけ)で、生母は家女房の森則子。熾仁親王は異母兄。幼称は稠宮(さわのみや)。妃は加賀金沢藩主前田慶寧の娘・慰子(やすこ)。 最後の有栖川宮であり、また最初に海軍に就職した皇族(皇族軍人)である。
池坊 専正 (いけのぼう せんしょう、1840年2月17日〈… 池坊 専正 (いけのぼう せんしょう、1840年2月17日〈天保11年1月15日〉 - 1908年〈明治41年〉4月23日)は、華道池坊第42世家元。六角堂頂法寺 住職。名は正麿、号は長春館柳外。京都生まれ。 明治維新と東京奠都は、京都に本拠を置き、朝廷や武家と深い関係を築いてきた池坊に大きな変革を迫ることになる。京都では、奠都による衰退を防ぐために1872年(明治5年)から京都博覧会が開催されるようになり、門弟を引き連れて出瓶した。1877年(明治10年)には、内国勧業博覧会に立花・生花を出品した。 明治政府の学校令により、1879年(明治12年)から京都府女学校の華道教授に就任、女性に対するいけばな教育に力を注いだ。
有栖川宮 熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう、天保… 有栖川宮 熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう、天保6年2月19日〈1835年3月17日〉- 明治28年〈1895年〉1月15日)は、江戸時代後期・明治時代の日本の皇族、政治家、軍人。雅号は初め泰山、後に霞堂。階級勲等功級は陸軍大将大勲位功二級。世襲親王家の有栖川宮第9代当主。 有栖川宮幟仁親王(霊元天皇玄孫)の第一王子で、幼名は歓宮(よしのみや)。生母は家女房の佐伯祐子。官職は任命順に、大宰帥、国事御用掛、政府総裁、明治政府総裁、東征大総督、兵部卿、福岡藩知事(後に県知事、県令)、元老院議官(後に議長)、鹿児島県逆徒征討総督、左大臣、陸軍参謀本部長、参謀総長、神宮祭主。 和宮親子内親王と婚約していたことで知られるが、徳川幕府の権力失墜に伴い、公武合体を余儀なくされた幕府が公武合体を国内外に誇示するための実績として和宮は降嫁し、徳川将軍第14代徳川家茂と結婚した。
伊丹 重賢(いたみ しげかた、文政13年11月17日(183… 伊丹 重賢(いたみ しげかた、文政13年11月17日(1830年12月31日) - 明治33年(1900年)7月15日)は、日本の男爵。志士、貴族院議員、大審院判事、錦鶏間祗候、従五位。通称、蔵人、右近大進。子に伊丹春雄、伊丹二郎。 京都(山城国)粟田(現京都市東山区)生まれ。伊丹家は代々粟田青蓮院宮に仕えた。幼き頃から神童と呼ばれ、徳川幕府が衰退するにいたって尊皇攘夷派の志士となり東奔西走する。安政5年(1858年)に橋本左内、梅田雲浜らと共に幕府に捕らわれ彦根城に幽閉される。その後、放免となり明治維新を迎える。 維新後、大阪府判事に命ぜられて同地に赴任。その後、長崎・東京府へ赴任し、大審院に入り元老院議官に転ず。
安部井 櫟堂(あべい れきどう、男性、文化2年(1805年)… 安部井 櫟堂(あべい れきどう、男性、文化2年(1805年) – 明治16年(1883年)9月16日)は、近代日本の篆刻家である。 名はカイ?(大+介)、字は大介、号は芥舟。通称音門のちに音人。はじめの姓は岡氏。近江彦根の人。 近江国に生まれたが京都富小路押小路北・南に住む。篆刻の師は不明。明治元年(1868年)、印司に任命される。60代半ばにして明治政府から天皇御璽・大日本国璽の刻印を命じられ1年がかりで明治7年(1874年)に拝刻した。2つの金印は強度を保つため合金製で、櫟堂が繆篆(びゅうてん)を用いて拝刻して秦藏六が鋳造した。重さは4.5kgあり、現在でも公文書に用いられている。
麻木未穂(あさぎ みほ、12月29日 - )は日本の小説家。… 麻木未穂(あさぎ みほ、12月29日 - )は日本の小説家。京都府京都市出身。『黄金の魔女が棲む森』が第1回上半期トクマ・ノベルズEdge新人賞にて最優秀新人作品に選ばれ、デビュー。主にトクマ・ノベルズEdgeで活動し、詳細な調査に基づく歴史ファンタジーを得意とする。 徳間書店 トクマ・ノベルズEdge 幻冬舎コミックス 幻狼ファンタジアノベルス 三笠書房 f-Clan文庫 コスミック出版 コスミック文庫 KADOKAWA ジュエル文庫 KADOKAWA 富士見L文庫 朝日新聞出版 朝日エアロ文庫 プランタン出版 ティアラ文庫 コスミック出版 マリーローズ文庫 インフォレスト ジュリエット文庫 リブレ出版 乙蜜ミルキィ文庫 三交社 ガブリエラ文庫 メディアファクトリー フルール文庫ルージュライン アスキー・メディアワークス ジュエルブックス アスキー・メディアワークス ジュエル文庫 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
五藤 めぐみ(ごとう めぐみ、11月28日 - )は、日本の… 五藤 めぐみ(ごとう めぐみ、11月28日 - )は、日本のフリーアナウンサー。オフィスキイワード大阪本社所属。 京都府京都市出身。明治大学経営学部卒業。 大学を卒業後、2003年にラジオ福島 (rfc) に入社。同期に同局アナウンサーの渡邉美香がいる。 ラジオ福島を退社後、テレビ山梨 (UTY) のアナウンサーを経てフリーアナウンサーへ転向した。フリー転向直後はジョイスタッフに所属していたが、後にオフィスキイワードへ移籍した。それに伴い、活動拠点を関東地方から近畿地方へと移している。 18歳で夫になる男性と出会い、10年の遠距離恋愛を経て結婚し、2児をもうける。123社の入社試験で落ち、大学4年の12月にラジオ福島に内定。
松本 大督(まつもと だいすけ、10月16日 - )は、日本… 松本 大督(まつもと だいすけ、10月16日 - )は、日本の男性司会者、声優。京都府京都市出身。 青二塾大阪校第26期卒業。大阪電気通信大学総合情報学部卒業。 以前は青二プロダクションに所属していた。 TVゲームの企画や求人広告の制作、声優を経て、2020年にジャパネットたかたにMCとして入社し、テレビショッピングのMCを担当している。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:芸能人)。
葛谷 亮(くずや りょう、10月7日 - )は、西日本放送に… 葛谷 亮(くずや りょう、10月7日 - )は、西日本放送に所属していた男性アナウンサー。2006年度入社、2009年3月退社。京都市出身。関西大学文学部卒業。血液型A型。2006年大晦日 ~ 元旦にかけての年越し特番も榎本麗美と担当する予定だったが盲腸炎による入院・手術のため急遽降板した。 2010年より三崎薫の芸名でショップチャンネルキャストとして出演している。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
菅井 秀憲(すがい ひでのり、7月6日 - )は、オペラ歌手… 菅井 秀憲(すがい ひでのり、7月6日 - )は、オペラ歌手(バリトン)、ヴォーカルディレクター、ヴォイストレーナー、ミュージカル歌唱指導、合唱指揮者。 京都府京都市出身。二期会会員。Hi-De Shout International代表取締役。日本モンテッソーリ学会会員旧芸名は菅井英憲、菅井英斗。 京都府京都市左京区出身。小学校時代に仙台に引っ越し、聖ウルスラ学院小学校に転入する。東北学院中学校・高等学校、武蔵野音楽大学音楽学部声楽学科を卒業。二期会オペラスタジオ修了。日本では宮本昭太、横山修司に、イタリアではエッダ・リゲットにオペラ・発声を師事、ニューヨークではJuanita Flemingにゴスペル・ポップスを師事、ロサンゼルスにてHiroki Konnoにポップス発声を遊学で師事。
浅野 りん(あさの りん、2月23日 - ) は、日本の漫画… 浅野 りん(あさの りん、2月23日 - ) は、日本の漫画家。京都府京都市中京区出身。女性。代表作は『であいもん』。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
池内 ヨシカツ(いけうち ヨシカツ、2月1日生まれ)日本の作… 池内 ヨシカツ(いけうち ヨシカツ、2月1日生まれ)日本の作曲家、 現代美術家。京都府京都市生まれ。 幼少期より両親の影響で、作曲や絵画制作を始める。ロサンゼルス在住時には、音楽レーベルのSpinnin' Recordsが主催する音楽コンテスト「Talent Pool」において、日本人として初めて世界ランキング2位となり、翌年には1位を記録した。 2017年、映画『怒り』で坂本龍一とともに劇中音楽を担当。同作品は第40回日本アカデミー賞において優秀作品賞を含む12部門を受賞し、同賞で最多受賞作品となった。 2018年にはルイ・ヴィトンが主催する「Americas Cup」に参加したソフトバンクのテレビCM音楽を担当した。
加藤 文枝(かとう ふみえ)は、日本のチェロ奏者。京都府京都… 加藤 文枝(かとう ふみえ)は、日本のチェロ奏者。京都府京都市出身。同志社高等学校卒業。妹は同じくチェロ奏者の加藤菜生。
相川 奈都姫 は、日本の女性声優。京都府京都市出身。賢プロダ… 相川 奈都姫 は、日本の女性声優。京都府京都市出身。賢プロダクション所属。
AKIRA∞IKEDA(あきら いけだ)は、日本のパーカッシ… AKIRA∞IKEDA(あきら いけだ)は、日本のパーカッショニスト、トラックメイカー、ヴィジュアル&サウンド・アーティスト。 京都府京都市出身。実家は仏表具の掛け軸屋。小学生の時に授業で和太鼓を演奏し、太鼓の低音の響きが好きで音に興味を持つ。 高校時代にドラムセットを始め、卒業後スペインへ旅に行った際アフリカの打楽器ジャンベと出会い、人種や言葉を超えたところで、音楽によって繋がれることに感動し、コミュニケーションツールとしての楽器演奏を始める。波動太鼓(読:ハドウラム)という名前を付けた、半球のボールに水を溜め、その上に半球のボールを乗せたウォータードラムを制作、演奏する。 演奏楽器はさまざまで、スイスで制作されたハングドラム、自作の水楽器波動太鼓(ハドウラム)、アフリカの太鼓ジャンベ、ムビラ、カリンバ、オーストラリアのアボリジニの楽器ディジュリドゥ、日本の琵琶を模したフレーム形状とギリシャの吟遊詩人が用いたリラを組み合わせたハープであるビワリラ、インドの横笛バンスリ、その他、クリスタルボウルなど。
足立 香澄 は、京都府京都市出身の日本の女子プロゴルファー。… 足立 香澄 は、京都府京都市出身の日本の女子プロゴルファー。森田理香子の師匠。
天野 由梨 は、日本の女性声優。京都府京都市伏見区出身、愛知… 天野 由梨 は、日本の女性声優。京都府京都市伏見区出身、愛知県育ち。本名は吉川 智子 であり、ごく初期の頃は芸名も本名をそのまま用いていた。アーツビジョン所属。
池田 佳代(いけだ かよ、12月1日 - )は、日本の実業家… 池田 佳代(いけだ かよ、12月1日 - )は、日本の実業家。株式会社シーアンドシー代表取締役社長。 京都府京都市左京区にて出生。1971年にシーアンドシーを創業し、2011年に創業40周年を迎える。新聞業界の販路を拡げた女性起業家のひとり。社名のシーアンドシーは「Chance and Challenge」より命名された。新聞拡張用販促、企業販促用商品開発、販促イベント、印刷物を含む販売促進のプロデュースを手がける。 12月1日 京都市で生まれる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
福田 眞人(ふくだ まひと、9月19日 - )は、日本の比較… 福田 眞人(ふくだ まひと、9月19日 - )は、日本の比較文化、医学史研究家、名古屋大学名誉教授、名古屋外国語大学教授。 京都市生まれ。父は日本画家福田巌笑、母は俳人の福田万紗子[要出典]。京都大学工学部資源工学科在学中に、京都教育大学教育学部附属高等学校の英語教師だった詩人沢井淳弘(後の京都産業大学教授)の影響で、同人誌「Trabali」、「文芸林泉」を西村豪人らと刊行して、小説を執筆した[要出典]。 卒業後、東京の出版社勤務を経て、1981年東京大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化修士課程入学、芳賀徹に師事。特に日英の医学、疾病の歴史、ヴィクトリア朝英国と明治日本を比較文化史的に研究している。
菅井 秀憲(すがい ひでのり、7月6日 - )は、日本のオペ… 菅井 秀憲(すがい ひでのり、7月6日 - )は、日本のオペラ歌手(バリトン)ボイストレーナー、ミュージカル指導者、合唱指揮者。京都府京都市出身。二期会会員。旧芸名は菅井英憲、菅井英斗。
梶本 惠美(かじもと えみ、6月27日 - )は、日本の脚本… 梶本 惠美(かじもと えみ、6月27日 - )は、日本の脚本家(日本脚本家連盟、日本放送作家協会に所属)。元東京フィルムオブアート・スクール講師。チベット体操伝導師。 京都府京都市出身。1980年に同志社大学文学部文化学科国文学専攻を卒業。 専業主婦時代の1987年、シナリオ・センター本科に入学。その後、夫の転勤に伴ったアメリカから、日本のコンクールに応募し続けた。第16回創作テレビドラマ大賞(平成3年度)に、『春むかし』で入選を果たした。 タイトル太字は、単独作品と思われるもの。 中部日本放送「ドラマ30」 東海テレビ「昼の帯ドラマ」 NHK「金曜時代劇」 NHK「土曜時代劇」 NHK「土曜ドラマ」 新型コロナウィルス感染症対策としてのマスクについて「感染予防にはならない」「大人が外さないと子どもたちは外せない」「酸素不足で脳の発育によくない」「免疫力の低下」などを理由に挙げて着用は不要と主張し、自らも実行している。
紀伊 さつき(きい さつき、5月29日 - )は、日本の女性… 紀伊 さつき(きい さつき、5月29日 - )は、日本の女性声優・ナレーター・女優・歌手。ワイワイワイ所属。京都府京都市出身。 中学校・高等学校・大学とずっと女子校に進学している。出身の中学校・高等学校では特別進学クラスに所属し、100代目の生徒会長も務めた経歴を持つ。 同志社女子大学学芸学部日本語日本文学科に進学と同時に、東京の声優養成所へ通い始める。2009年2月、大学の卒業を優先するために東京通いを中止。大学では卒業式典パーティの司会を勤めた。 2009年9月-2010年2月の間、大阪日本橋のアイドルユニット・ポンバシwktkメイツ初期メンバーとして出席番号4番で活動した。 特技はドリマトーンの演奏。
藤ノ川 成剛 は、京都府京都市西京区(出生地は東京都江戸川区… 藤ノ川 成剛 は、京都府京都市西京区(出生地は東京都江戸川区)出身で、伊勢ノ海部屋所属の現役大相撲力士。本名は齋藤 成剛。身長177cm、体重121kg。最高位は東前頭筆頭(2026年5月場所・7月場所)。
家 泰弘(いえ やすひろ)は、日本の物理学者。学校法人中部大… 家 泰弘(いえ やすひろ)は、日本の物理学者。学校法人中部大学副理事長。東京大学名誉教授。第68期日本物理学会会長。理学博士。 1951年、京都府京都市に生まれる。天文学者の家正則は実兄。兄が通う大阪府立北野高等学校を受験する予定であったが、父が大阪から東京へ転勤となったため、東京都立戸山高等学校に入学し、1970年にそこを卒業した。1974年に東京大学理学部物理学科を卒業。1979年に同大学大学院理学研究科を修了し、理学博士号を取得した。 東京大学物性研究所助手、MIT客員研究員、ベル研究所研究員、IBMのトーマス・J・ワトソン研究所研究員、東京大学物性研究所助教授、教授を歴任した。2008年からの5年間、東京大学物性研究所の所長を務めた。
山本 和隆(やまもと かずたか)は、日本の経営コンサルタント… 山本 和隆(やまもと かずたか)は、日本の経営コンサルタント。フューチャーアーキテクトディレクター等を経て、ジャパン・インターカルチュラル・コンサルティング日本代表。 京都市出身。栄光学園高等学校を経て、1980年一橋大学経済学部卒業、旭硝子入社。1992年シカゴ大学ブース・スクール・オブ・ビジネス修了、経営学修士(MBA)。旭硝子で営業や経営企画を担当したのち、モトローラ経営戦略部長、フューチャーアーキテクトディレクター、Rhodia Electronics & Catalysis社ゼネラルマネージャー、スミダ電機副社長を経て、2013年から日本の多国籍企業の海外進出支援などのコンサルティングを行うシカゴのジャパン・インターカルチュラル・コンサルティング日本代表。