稲田 悦子(いなだ えつこ、1924年2月8日 - 2003… 稲田 悦子(いなだ えつこ、1924年2月8日 - 2003年7月8日)は、日本の女性フィギュアスケート選手、コーチ。1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックのフィギュアスケート競技女子シングル日本代表。戦前、戦後合わせて全日本選手権7回優勝。日本の女子フィギュアスケートの先駆者でもあった。大阪府大阪市出身。梅花高等女学校卒業。 1924年(大正13年)、大阪の稲田時計店の末娘として生まれた。1932年(昭和7年)、8歳のときから永井康三にスケートの指導を受け、才能を開花させた。1933=1934年、全日本ジュニア選手権優勝。1934~1935年、全日本選手権優勝した。1935年11月の日本代表選考会で、総得点1745.3点で2位の東郷球子を300ポイント以上引き離して優勝した。
山崎 豊子(やまさき とよこ、1924年〈大正13年〉1月2… 山崎 豊子(やまさき とよこ、1924年〈大正13年〉1月2日 - 2013年〈平成25年〉9月29日)は、日本の小説家。本名は杉本 豊子(すぎもと とよこ)。 大阪府大阪市南区順慶町通(現:中央区南船場)出身。実家は老舗昆布屋の小倉屋山本である。1936年(昭和11年)に大阪市芦池尋常小学校を卒業して相愛高等女学校に入学し、1941年(昭和16年)に卒業した。相愛入学後、年一回刊行されていたらしい校友会誌『相愛』に作文を寄稿しており、12歳時の「淡路島」が現存する最初期の文章とみられる。 太平洋戦争下の1944年(昭和19年)、京都女子高等専門学校国文学科卒業。毎日新聞社に入社した。 毎日新聞大阪本社調査部を経て1945年(昭和20年)学芸部に勤務し、当時学芸副部長だった作家井上靖のもとで記者としての訓練を受けた。
小西 秋雄(こにし あきお、1923年11月21日 - 20… 小西 秋雄(こにし あきお、1923年11月21日 - 2011年6月4日)は、日本の経営者。新キャタピラー三菱社長、会長を務めた。大阪府大阪市出身。 1948年に京都大学法学部を卒業し、同年に三菱重工業に入社。1982年に取締役に就任し、1985年6月に常務を経て、1987年4月には新キャタピラー三菱社長に就任。1993年6月に相談役に就任。 2011年6月4日肺炎のために死去。88歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
佐藤 愛子(さとう あいこ、1923年〈大正12年〉11月5… 佐藤 愛子(さとう あいこ、1923年〈大正12年〉11月5日 - )は、日本の小説家。大阪市生まれ、西宮市育ち。小説家・佐藤紅緑と女優・三笠万里子の次女として出生。異母兄に詩人・サトウハチローと脚本家・劇作家の大垣肇。甲南高等女学校卒業。 父親と同様「憤怒の作家」と言われ、社会を鋭く批判する姿勢から「男性評論家」と呼ばれていた。 1923年11月5日(戸籍上は11月25日)、佐藤洽六(筆名 ・佐藤紅緑)とシナ(元女優の三笠万里子)の次女として、大阪市住吉区帝塚山で出生した。父親は先妻のはるを棄て、シナと再婚していた。1925年に「私の故郷」と呼ぶ兵庫県武庫郡鳴尾村(現西宮市)に転居。小学校時代は大衆小説の大家である父親に送られてくる雑誌の恋愛小説を読みふけっており、算術は苦手であったという[要出典]。
尾藤 正英(びとう まさひで、1923年9月1日 - 201… 尾藤 正英(びとう まさひで、1923年9月1日 - 2013年5月4日)は、日本の歴史学者。文学博士(名古屋大学・論文博士・1962年)(学位論文「幕藩体制の政治的原理と朱子学との関係に関する研究」)。東京大学名誉教授。 大阪府大阪市生まれ。幼少期は旧満州(中国東北部)に移住。第三高等学校を経て1943年東京帝国大学文学部国史学科入学するも同年12月に学徒出陣。1945年8月の終戦は第二航空軍(満州)教官。翌年に復員。 1949年、東京大学文学部国史学科卒業。1958年、名古屋大学文学部講師、1962年1月、名古屋大学文学部助教授。同年4月、東京大学文学部助教授を経て、1970年、東京大学文学部教授。
吉川 雅恵(よしかわ まさえ、1923年4月20日 - 19… 吉川 雅恵(よしかわ まさえ、1923年4月20日 - 1991年12月17日)は日本の女優。本名は吉川美代子(旧姓:林田)。大阪府大阪市出身。旧芸名=仁保海(にほみ)月子。宝塚歌劇団在団中の愛称はオバァちゃん。特技は三味線、日舞。
岡部 伊都子(おかべ いつこ、1923年3月6日 - 200… 岡部 伊都子(おかべ いつこ、1923年3月6日 - 2008年4月29日)は、日本の随筆家。 大阪府大阪市出身。1936年、相愛高等女学校を結核のため中退。婚約者が沖縄戦で戦死しており、この時の体験から、自分を「加害の女」と呼び、「女は被害者ではない。送り出した自分も戦争に加担した」と語っていた。戦後すぐ結婚したが、7年後に離婚[要出典]。同人誌『文学室』に参加[要出典]、谷沢永一は岡部の才能を最初に認めたのは自分であると書いている(『回想開高健』[要ページ番号])。 1954年から朝日放送「四百字の言葉」の原稿を担当し、これをまとめた『おむすびの味』(1956年)で認められる。美術・伝統・自然・歴史・戦争・沖縄・差別・環境問題など、様々なジャンルの著書・連載を多数残した。
真弓 常忠(まゆみ つねただ、1923年3月6日 - 201… 真弓 常忠(まゆみ つねただ、1923年3月6日 - 2019年4月3日)は、日本の神職・神道学者・歴史学者。皇學館大学名誉教授。住吉大社名誉宮司。 大阪市生まれ。神宮皇學館大學卒業後、1975年まで住吉大社禰宜、1993年まで皇學館大学教授。退任後は八坂神社宮司を経て、住吉大社宮司に就いた。2012年より同名誉宮司。2019年4月3日に死去。96歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
石濱 恒夫(いしはま つねお、1923年〈大正12年〉2月2… 石濱 恒夫(いしはま つねお、1923年〈大正12年〉2月24日 - 2004年〈平成16年〉1月9日、80歳没)は、日本の文学者。石浜 恒夫とも表記。 大阪府大阪市出身。父は歴史学者(東洋史学)の石濱純太郎。従兄に小説家の藤沢桓夫がいる。2人の娘のうち長女は女優の京春上、次女はエッセイスト、挿絵画家の石浜紅子。 大阪高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学文学部美術史学科在学中から父の友人であった織田作之助などの影響を受けて文学を志し、大学卒業後に川端康成に弟子入りし、鎌倉の川端の私邸に住み込み師事した。1968年(昭和43年)に川端がノーベル文学賞を受賞した際には、ストックホルムでの授賞式に同行している。
松浦 行真(まつうら こうしん、1923年1月24日 - 1… 松浦 行真(まつうら こうしん、1923年1月24日 - 1991年4月25日)は、大阪市出身の日本の作家、産経新聞記者、浄土宗の僧侶。 大阪市生まれ。大正大学二年修了。1946年産経新聞入社、のちフリー。『風が燃えた』『熱い嵐』は、1978-79年にテレビドラマ化された。
駒井 茂春(こまい しげはる、1923年1月8日 - 199… 駒井 茂春(こまい しげはる、1923年1月8日 - 1998年11月12日)は、日本の経営者。ダスキン社長を務めた。大阪府大阪市出身。 1943年に大阪商科大学高等部商業科を卒業。安宅産業、自営業、クントクでの勤務を経て、1963年にダスキンの創業に参加し、取締役、副社長を経て、1979年11月に社長に就任。1994年6月から1998年6月までに会長を務めた。 1998年11月12日心不全のために死去。75歳没。
田中 太郎(たなか たろう、1923年 <大正12年> 1月… 田中 太郎(たなか たろう、1923年 <大正12年> 1月6日 - 没年不明)は、日本の経営者。日本電装(現在のデンソー)社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1945年に東京帝国大学工学部機械学科を経て、1947年に東京大学工学部大学院を修了し、同年10月に民生ディーゼル工業に入社。1958年10月に日本電装に転じ、1971年2月に取締役に就任し、1978年5月に常務、1979年3月に専務を経て、1985年3月に副社長に就任し、1987年3月には社長に昇格。1991年3月から1995年3月までに会長を務めた。 1989年4月に藍綬褒章を受章。
中野 藤生(なかの ふじお、1922年12月8日 - 200… 中野 藤生(なかの ふじお、1922年12月8日 - 2009年8月12日)は日本の統計力学者。線形応答理論への寄与で知られる。大阪市出身。 1922年、大阪に生まれる。1944年(昭和19年)9月、大阪帝國大学(現大阪大学)理学部物理学科を繰り上げ卒業後、海軍技術見習尉官となって海軍兵学校にて物理教官となる。戦後、大阪帝國大学理学部副手、大阪大学助手を経て、1955年1月に名古屋大学教授となる。 1955年に「電気伝導度の公式」を、1973年には「対称破りポテンシャルの方法」を発表。1986年、停年退官ののち名古屋大学名誉教授。2009年8月、肺炎のため名古屋市にて死去。86歳であった。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
西田 秀穂(にしだ ひでほ、1922年(大正11年)10月1… 西田 秀穂(にしだ ひでほ、1922年(大正11年)10月19日 - 2019年2月16日)は、西洋美術史学者、東北大学名誉教授。 大阪市生まれ。学徒出陣をへて、1949年東北帝国大学法文学部文学科卒。ドイツ・ボン大学美術史研究所にて西洋近代美術(カンディンスキー、ドイツ表現主義)を研究。東北大学文学部助手、1950年(昭和25年)講師、1954年(昭和29年)助教授、1972年(昭和47年)教授、1981-1983年文学部長、1986年(昭和61年)定年退官、名誉教授、実践女子大学教授。1993年(平成5年)退職。 1990年(平成2年)「カンディンスキー研究 非対象絵画の成立 :その発展過程と作品の意味」で東北大学文学博士。
香川 正(かがわ ただし、1922年7月23日 - 没年不明… 香川 正(かがわ ただし、1922年7月23日 - 没年不明)は、大阪府大阪市出身のプロ野球選手、高校野球指導者。ポジションは外野手。 坂出商業学校時代の1938年に夏の甲子園に出場。1940年早稲田大学に進学。応召を経て社会人野球の全大阪、全鐘紡、中央ペイント、日本生命でプレーし1954年に近鉄パールスに入団(当時32歳)。 2年間在籍した後、母校坂出商業高校の監督に就任。1957年夏は安藤元博を擁しベスト8。秋の静岡国体では優勝を飾った。 長男の香川正人も近鉄に在籍したプロ野球選手。
高木督夫(たかぎ ただお、1922年6月3日 - 2012年… 高木督夫(たかぎ ただお、1922年6月3日 - 2012年12月8日)は、日本の経営学者。法政大学名誉教授。労働問題が専門。 大阪市出身。1946年東京帝国大学経済学部卒。労働科学研究所研究員、理事、法政大学工学部助教授、教授を務め、1993年定年となり名誉教授、立命館大学教授を務めた。労働者教育協会理事。
鮎川 十糸子(あゆかわ としこ、1922年5月28日 - 2… 鮎川 十糸子(あゆかわ としこ、1922年5月28日 - 2007年4月6日)は、大阪府大阪市出身の日本の女優。本名・西川寿美(にしかわ としみ)。 大阪市東区(当時。現・中央区)生。四条畷高等女学院女学校を卒業後、東宝京都撮影所に俳優養成所の生徒として入社。1941年東宝東京撮影所に移籍し、石田民三監督作品「をり鶴七変化」の主演に抜擢。以後も石田、並びにマキノ正博監督の作品を中心に活躍し、1943年に松竹京都撮影所に移籍。中でも1950年に上映された『七つの宝石』では大坂志郎とのベッドシーンで話題となった。 1958年松竹を退社した後は、テレビのドラマやアニメ『じゃりン子チエ』の竹本菊(おバァ)役などで活躍。
近藤 摂南(こんどう せつなん、1922年4月7日 - 20… 近藤 摂南(こんどう せつなん、1922年4月7日 - 2009年5月20日)は、日本の書道家。本名は寿男。 大阪府大阪市生まれ。1945年、立命館大学卒業。炭山南木、津金隺仙(「隺」は鶴の文字から鳥を取った文字)に師事。池大雅に大きな影響を受けた。旧来の書壇のあり方に疑問を呈し、自ら新書派を旗揚げ。寺山修司の詩を作品に仕上げるなどした。 日展理事、四天王寺女子大学教授のほか、新書派協会の会長などを務める。 2009年5月20日、肺炎のため死去。
森下 泰(もりした たい、1921年12月21日 - 198… 森下 泰(もりした たい、1921年12月21日 - 1987年11月14日)は、日本の実業家、政治家。森下仁丹社長、参議院議員(3期)。 大阪府大阪市出身。森下仁丹創業者森下博の孫。旧制甲南高校から京都帝国大学に進学するも、在学中の1943年3月に祖父の死去に伴い森下仁丹社長に就任。同年9月には戦争の激化に伴い大学を繰り上げ卒業し、短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。海軍艦政本部出仕兼海軍航空本部出仕となる。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進。東京監督官事務所監査官付を経て、監督会計官付で終戦を迎えた。
五味 康祐(ごみ やすすけ、1921年12月20日 - 19… 五味 康祐(ごみ やすすけ、1921年12月20日 - 1980年4月1日)は、日本の小説家。 五味の本名は「康祐」であり、ヨミは「やすすけ」であるとされてきた。なお、(公財)練馬区文化振興協会が所蔵する五味自筆の年譜では、本名についての記述はない。一方で、『五味康祐の世界展』図録の添付年譜には、「幼少時は『欣一』または『欣吾』と呼ばれていた」と記載されている。 五味が在学した明治大学に残る史料によると、五味の本名は五味 欣一である。 剣豪を扱った歴史・時代小説を始め数々の作品を発表。特に柳生十兵衛など柳生一族を扱った作品で知られており「五味の柳生か、柳生の五味か」と評された。『週刊新潮』をはじめとする出版社系週刊誌の爆発的流行と軌を一にする、昭和30年代から40年代(1950年代後半から1970年代前半)の流行作家であった。
角山 栄(角山 榮、つのやま さかえ、1921年11月7日 … 角山 栄(角山 榮、つのやま さかえ、1921年11月7日 - 2014年10月15日)は、日本の経済史家。和歌山大学学長や堺市博物館館長を務めた。専攻はイギリス近代経済史。 大阪府大阪市出身で、幼少期は堺市で育った。市岡中学校(旧制)、旧制大阪高等学校を経て、1945年(昭和20年)に京都帝国大学経済学部卒業。1950年(昭和25年)和歌山大学経済学部助教授。1961年(昭和36年)「イギリス毛織物工業史論」で経済学博士(京都大学)。和歌山大学経済学部教授、1967年(昭和42年)-1968年(昭和43年)経済学部長、1975年(昭和50年)4-7月学長、1986年(昭和61年)定年退官、名誉教授。
永井 滋郎(ながい じろう、1921年10月27日 - 20… 永井 滋郎(ながい じろう、1921年10月27日 - 2012年10月26日)は、日本の比較教育学者、社会科教員。 大阪市生まれ。広島高等師範学校、学徒動員をへて1945年広島文理科大学卒、広島大学附属中学校・高等学校教諭、広島大学教育学部助教授、84年「国際理解教育に関する研究 国際的協同研究をとおして」で広島大学より教育学博士の学位を取得。定年退官、名誉教授、鳴門教育大学教授。
村上 行示(むらかみ こうじ、1921年8月5日 - 201… 村上 行示(むらかみ こうじ、1921年8月5日 - 2011年6月20日)は、日本の労働運動家。元全日本海員組合組合長。 大阪市生まれ。神戸高等商船学校(現神戸大学海洋政策科学部)航海科卒。新和海運出身、甲種船長。1956年全日本海員組合中央執行委員。1960年から1966年に教育部長を務め、機関誌『海員』の編集を担当。組合の先輩を紹介する物語を連載し、1966年に『海上労働運動夜話』(成山堂書店)として刊行した。1971年6月の海員組合第30回臨時大会で組合長に選出。1972年4月から7月の「賃上げ・人間性回復・合理化対策」のスローガンを掲げた92日間のストを指導。民社党員で同盟副会長(1972年1月~1981年1月)を務めたが、日本生産性本部との関係解消、政党支持自由化、全港湾など総評系組合との共闘、総選挙での共産党候補の推薦など海員組合の路線転換を推進した。
藤本 勝次(ふじもと かつじ、1921年7月4日 - 200… 藤本 勝次(ふじもと かつじ、1921年7月4日 - 2000年2月18日)は、日本の中東イスラーム学者、専攻は中世イスラム文化史。 大阪府大阪市生まれ。京都帝国大学東洋史学科でアラビア語を学ぶ。 関西大学文学部教授を兼ね、1975年4月から1982年9月までの間、関西大学東西学術研究所の所長をつとめた。 2000年2月18日、脳梗塞のため死去。
笹田 和子(ささだ かずこ、1921年(大正10年)6月30… 笹田 和子(ささだ かずこ、1921年(大正10年)6月30日 - 2007年(平成19年)11月30日)は、日本の声楽家(ソプラノ)、オペラ歌手、音楽教育者。 大阪府大阪市出身。小学生の時に美声をかわれて教会の日曜学校で歌う。1939年(昭和14年)、東京音楽学校(現: 東京藝術大学)予科入学。木下保と原信子に師事。本科の同期には同じ声楽部の内田るり子、石井好子、畑中更予(米田更子)、前田幸市郎、器楽部の森正(指揮者)などがいた。1942年(昭和17年)に卒業と同時に藤原歌劇団に入り、同年11月にワーグナーのオペラ『ローエングリン』ヒロインのエルザでデビューを果たす。以来、同歌劇団で1000回余りの舞台を踏み、ワーグナー『タンホイザー』日本初演のエリーザベトなども務めた。
清水 好子(しみず よしこ、1921年6月8日 - 2004… 清水 好子(しみず よしこ、1921年6月8日 - 2004年12月10日)は、日本の国文学者。専門は平安文学、主に『源氏物語』について研究した。夫は万葉学者で京都女子大学名誉教授の清水克彦。 大阪府大阪市生まれ。大阪府立大手前高等女学校卒、1942年奈良女子高等師範学校卒、天王寺高等女学校教諭。1944年東北帝国大学文学部国文科に入学、1946年中退して京都帝国大学文学部国文科に転じ、1949年卒業、同大学大学院に入学。1952年京都府立桂高等学校教諭、1956年退職。京都学芸大学や京都大学、同志社大学の非常勤講師を経て、1965年金蘭短期大学助教授。1967年関西大学文学部専任講師、1968年同助教授、1971年同教授。
松原 武生(まつばら たけお、1921年4月3日 - 201… 松原 武生(まつばら たけお、1921年4月3日 - 2014年12月15日)は、日本の物理学者。 大阪市出身。旧制北野中学、旧制大阪高校を経て、大阪帝国大学理学部物理学科を卒業。同大学院に進み「結晶によるX線散漫散乱の理論的研究」で博士号。同大助教授を経て北海道大学で教授に就任。その後は京都大学教授、岡山理科大学教授を歴任。元日本物理学会会長。 場の量子論の手法を統計物理学に適用することで、グリーン関数 に関する統計力学の手法を提案した。 豊沢豊と行った半導体の不純物バンドに関する研究は、ランダム格子内の電子の運動を記述する松原-豊沢モデルとなった。 他には誘電体、超伝導、超流動も研究した。
佐野 正一(さの しょういち、1921年(大正10年)1月1… 佐野 正一(さの しょういち、1921年(大正10年)1月10日 - 2014年(平成26年)3月20日)は、日本の建築家。大阪市生まれ。建築家安井武雄は岳父。 1942年(昭和17年)に東京帝国大学工学部建築学科を卒業後、鉄道省(当時)に入省、海軍技術将校(建築部門)を経て1945年(昭和20年)に復員、運輸省、国鉄などで勤務。1955年(昭和30年)安井建築設計事務所に入社。1961年(昭和36年)同社社長に就任。その他、日本建築協会名誉会長、大阪府建築士事務所協会会長、日本建築士事務所協会連合会名誉会長、日本建築家協会関西支部顧問、建築審議会委員などを歴任。 2014年3月20日午前8時30分、腎臓疾患のため兵庫県西宮市の病院で死去。
渡辺 博之(わたなべ ひろゆき、1921年1月1日 - 19… 渡辺 博之(わたなべ ひろゆき、1921年1月1日 - 1990年10月2日)は、大阪府大阪市阿倍野区出身のプロ野球選手(外野手、内野手)・監督。 旧制桃山中学校卒業後、同志社大学に進学し野球部に所属した。1941年と1942年春秋リーグ戦では関西六大学リーグ初優勝かつ4連覇(戦後まもなくの1946年春秋リーグ戦連覇で6連覇)に貢献するなどエースとして活躍。在学中に南海軍から入団の打診を受けるも拒否し、卒業後に応召を受ける。戦後は会社員として働くが、それから間もなく独立し、御堂筋に洋品雑貨の店を構えていた。これと並行してノンプロチーム「全大阪」に参加し、1946年から1948年まで3年連続で都市対抗に出場。
梶岡 忠義(かじおか ただよし、1920年9月26日 - 2… 梶岡 忠義(かじおか ただよし、1920年9月26日 - 2003年3月23日)は、昭和中期(1940年代後半-1950年代前半)のプロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。現役時代は阪神タイガースで活躍し、引退後は阪神の投手コーチを務めた、大阪府大阪市出身。 成器商業学校から専修大学へ進学。専修大学時代は4番(ないし5番)エースとして、東都大学リーグで6季連続優勝に貢献した。専修大学卒業時に阪神から声がかかったが、学徒出陣となり満州へ行くこととなる。1946年に満州から帰国し、発足した中央工業の野球部に入る。 翌1947年2月1日に南海から勧誘されるが、阪神への義理を通し、自ら電話で阪神に連絡をとり、阪神に入団する。
奥村 輝之(おくむら てるゆき、1920年 <大正9年> 9… 奥村 輝之(おくむら てるゆき、1920年 <大正9年> 9月23日 - 2009年 <平成21年> 5月11日 )は、日本の経営者。太陽神戸銀行頭取を務めた。位階は正四位。 大阪府大阪市出身。1941年に高文行政科に合格し、1942年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に大蔵省に入省。1972年11月に神戸銀行(のちの太陽神戸銀行)常務に就任し、常務、専務、副頭取を経て、1983年6月には頭取に昇格した。1987年6月に会長に就任し、1990年4月に太陽神戸三井銀行(のちのさくら銀行)会長に就任し、1991年6月に相談役、1998年7月に常任顧問、2000年4月に名誉顧問を歴任した。 関西テレビ放送監査役、兵庫県公安委員会委員長も務めた。
田中 徳三(たなか とくぞう、1920年9月15日 - 20… 田中 徳三(たなか とくぞう、1920年9月15日 - 2007年12月20日)は、日本の映画監督である。関西学院大学文学部卒業。大阪市東区(現・中央区)船場出身。
中村 浩(なかむら ひろし、1920年7月15日 - 198… 中村 浩(なかむら ひろし、1920年7月15日 - 1985年8月23日)は、日本の国文学者、歌人。 大阪市生まれ。本名・米島勉。父は書道家で大阪朝日新聞にも勤務した中村眉山(本名は平三)。父親が阪田の書の代筆をしていた関係で、晩年の阪田三吉と交流があり、のちにその思い出をもとに阪田の27回忌(1972年)に、それを記念した『実録王将伝』を執筆、のちに『棋神・阪田三吉』として刊行した。 國學院大學文学部国文学科卒。折口信夫、金田一京助に師事。戦後、関西大学、薫英学園で教職につき、その後、大阪府議会事務局、四天王寺女子大学、羽衣学園短期大学、辻調理師学校に勤務。
坪野 米男(つぼの よねお、1920年(大正9年)7月4日 … 坪野 米男(つぼの よねお、1920年(大正9年)7月4日 – 2008年(平成20年)8月16日)は、昭和から平成期の弁護士、政治家。衆議院議員。 大阪府大阪市出身。第三高等学校を経て、1943年(昭和18年)東京帝国大学法学部を卒業。厚生省に入省し大臣官房属となる。同年7月、高等試験行政科試験に合格。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 1948年(昭和23)に退官して、弁護士、税理士を開業。京都市人権擁護委員、国民救援会京都府連副会長を務めた。
鴻池 十郎(こうのいけ じゅうろう、1920年 <大正9年>… 鴻池 十郎(こうのいけ じゅうろう、1920年 <大正9年> 6月26日 - 2004年 <平成16年> 2月22日)は、日本の経営者。鴻池運輸社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1943年に日本大学商経済学部を卒業し、同年に鴻池組に入社。1970年11月に鴻池運輸社長に就任し、1989年12月には会長に就任。 1984年11月に藍綬褒章を受章し、1997年4月に勲四等瑞宝章を受章。 2004年2月22日に肺炎のために死去。83歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
今堀 和友(いまほり かずとも、1920年6月1日 - 20… 今堀 和友(いまほり かずとも、1920年6月1日 - 2016年5月8日)は、日本の生化学者。東京大学名誉教授。大阪府大阪市出身。父は教育者・心理学者の今堀友市、兄は東洋史学者・今堀誠二、生物学者・今堀宏三。弟子に2016年度ノーベル生理学・医学賞受賞者である大隅良典がいる。
西村 兵部(にしむら ひょうぶ、1920年5月28日 - 1… 西村 兵部(にしむら ひょうぶ、1920年5月28日 - 1976年6月3日)は、美術史学者。 大阪府大阪市生まれ。関西学院専門部文学部英文科を経て1944年台北帝国大学文政学部史学科卒業。奈良の育英高等学校教諭の後、1948年奈良国立博物館に勤務、1961年資料室長、1964年普及室長、1967年資料室長、学芸課長、1972年大阪市立美術館長となった。染織工芸史の研究を専門とし、正倉院宝物の古裂調査を宮内庁より委嘱された。1976年6月3日、心筋梗塞のため京都の鞍馬口病院で死去。従五位勲五等双光旭日章を追贈された。
山崎 隆三(やまざき りゅうぞう、1920年4月16日 - … 山崎 隆三(やまざき りゅうぞう、1920年4月16日 - 2011年3月10日)は、日本の農業経済学者。経済学博士(大阪市立大学・論文博士・1962年)。大阪市立大学名誉教授。孫はフリーアナウンサーの伊東紗冶子。 大阪市出身。1942年大阪商科大学卒。兵役ののち、大阪商大事件で拘束。1946年大阪商大助手。1949年大阪市立大学経済学部助教授。1962年教授。同年「地主制成立期の農業構造」で大阪市立大学より経済学博士の学位を取得。1982年定年退官、名誉教授。名城大学商学部教授。1993年退職、名誉教授。
蜂屋 慶(はちや けい、1920年1月23日 - 1997年… 蜂屋 慶(はちや けい、1920年1月23日 - 1997年9月18日)は、日本の教育学者。京都大学名誉教授。 大阪市出身。1941年京都帝国大学文学部哲学科卒、同大学院(旧制)、1981年「生活指導における集団指導の理論的考察」で京都大学教育学博士。大阪市立大学講師、助教授、教授、1972年奈良女子大学教授、京都大学教育学部教授、83年定年退官、名誉教授、光華女子大学長。92年退任。1958年『子どもらが道徳を創る』(宇野登共著)で毎日出版文化賞受賞。
鞠谷 宏士(きくたに ひろし、1920年代 - 2010年1… 鞠谷 宏士(きくたに ひろし、1920年代 - 2010年10月29日)は、日本の運送施設工学者。大阪府大阪市出身。
豊嶌 雅男(とよしま まさお、1919年12月23日 - 1… 豊嶌 雅男(とよしま まさお、1919年12月23日 - 1945年3月10日)は、大阪府大阪市出身の元大相撲力士。本名は西村 雅男(にしむら まさお)。
吉良 竜夫(きら たつお、1919年12月17日 - 201… 吉良 竜夫(きら たつお、1919年12月17日 - 2011年7月19日)は、日本の生態学者。本名は龍夫。理学博士。大阪市立大学名誉教授。元日本生態学会会長。初代日本熱帯生態学会会長。 大阪市生まれ。父は大阪府四條畷市の曹洞宗寺院龍尾寺の住職で貝類研究家の吉良哲明。父の薫陶を受けて、生態学者としての素養を身につけた。旧制大阪府立北野中学校(現大阪府立北野高等学校)を、1940年に第三高等学校を卒業し、1942年京都帝国大学農学部農学科を卒業。京都帝国大学在学中には、今西錦司、森下正明、さらに1年後輩の梅棹忠夫とともに、大興安嶺山脈、ポナペ島の探検に参加した[要出典]。 1948年、新制の京都大学農学部農学科園芸学教室の助教授に着任。
藤田 和夫(ふじた かずお、1919年7月24日 - 200… 藤田 和夫(ふじた かずお、1919年7月24日 - 2008年12月1日)は、日本の地球科学者。専門は構造地質学。地形学。 大阪市生まれ。幼少期を兵庫県芦屋市で過ごす。京都帝国大学理学部地質・鉱物学科卒業。1961年「西南日本中央帶(瀬戸内)の中新世以降における構造発達」で京都大学理学博士。京都帝大助手をへて、1950年大阪市立大学理学部助教授、60年教授、83年定年退官、名誉教授。帝塚山大学教養部教授。 主として近畿地方の活断層と地形の成因論を研究した。近畿地方に活断層が多く見られる理由を、琵琶湖の東と西とで地質構造が大きく変わる点に求め、当該地域を特別な地質構造帯として「近畿トライアングル」と名付けた。
上野 衣子(うえの きぬこ、旧姓:中村、1919年7月23日… 上野 衣子(うえの きぬこ、旧姓:中村、1919年7月23日 - 2013年12月5日)は、日本のフィギュアスケート選手、フィギュアスケートコーチ兼国際スケート連盟公式審判員、日本スケート連盟審判部長。大阪市出身。神戸女学院大学卒。長女は同じくフィギュアスケート選手でのちに審判員となった平松純子(旧姓:上野)である。 稲田悦子、山下艶子と同じく永井康三に師事した。1934-1935年シーズンに行なわれた第6回全日本ジュニア選手権で優勝。1936-1937年シーズンの第8回全日本選手権と1937-1938年シーズンの第9回全日本選手権でともに稲田悦子、月岡芳子に次ぐ3位、1938-1939年シーズンの第10回全日本選手権で2位となった。
梅本 純正(うめもと よしまさ、1919年〈大正8年〉5月2… 梅本 純正(うめもと よしまさ、1919年〈大正8年〉5月27日 - 2015年〈平成27年〉12月28日)は、日本の厚生官僚・実業家。 社会保険庁長官、厚生事務次官、環境事務次官、内閣官房副長官、武田薬品工業社長などを務めた。 大阪府大阪市出身。浪速高等学校を卒業。1942年7月、高等試験行政科試験に合格。同年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。厚生省に入省し、生活局属となる。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。第九五八海軍航空隊に配属されラバウルに赴任。1944年5月、主計大尉に進み終戦を迎えた。 以後、児童局企画課長、内閣官房総務課長(首席参事官)、援護局長、大臣官房長、保険局長、社会保険庁長官、厚生事務次官などを歴任。
芦原 千津子(あしはら ちづこ、1918年11月14日 - … 芦原 千津子(あしはら ちづこ、1918年11月14日 - 2009年1月5日)は、松竹楽劇部(改名を経て、OSK日本歌劇団)娘役スター。 1918年(大正7年)生まれ。大阪府大阪市の住吉大社の近くで生まれ育つ。 1931年(昭和6年)、松竹楽劇部に入団。秋月恵美子によれば、芦原は「天才肌」であり、(稽古熱心だった秋月に比し)短時間で振付をマスターした。またダンスに専念する姿勢でファンに「愛想をしない人」であった。 1935年(昭和10年)、大阪劇場『アベック・トア』で秋月とのコンビで起用されるようになる。その後1937年(昭和12年)以降は、秋月が男役メインとなり、二人は男役・娘役ペアでコンビを組むようになった。
河崎 晃夫(かわさき てるお、1918年6月11日 - 20… 河崎 晃夫(かわさき てるお、1918年6月11日 - 2000年7月7日)は、日本の経営者。三菱レイヨン社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1943年に慶應義塾大学経済学部経済学科を卒業し、同年に日本化成工業に入社。1971年11月に三菱レイヨン取締役に就任し、1975年5月に常務、1979年6月に専務を経て、1982年6月に副社長に就任し、1983年6月には社長に就任。1988年6月に会長に就任し、1993年6月から相談役を務めた。 1992年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2000年7月7日肝不全のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山岡 康人(やまおか やすひと、1917年12月21日 - … 山岡 康人(やまおか やすひと、1917年12月21日 - 1963年10月24日)は、日本の経営者。ヤンマーディーゼル社長を務めた。創業者山岡孫吉の長男。 大阪府大阪市出身。1942年に早稲田大学政治経済学部を卒業。1943年9月に25歳で取締役に就任し、1945年3月に山岡内燃機副社長、1961年7月にヤンマー農機社長を歴任し、山岡孫吉をサポートし、会社を牽引していた。組織体制の強化を図り、新規事業への進出と海外事業の再編などにも取り組み、中でも小型貨物自動車の開発に意欲を見せ、臨時車輌部を新設し、1958年5月には「ヤンマーポニー」の愛称で知られる小型ディーゼルエンジンを搭載した農用作業車を世に送り出した。
今堀 宏三(いまほり こうぞう、1917年(大正6年)11月… 今堀 宏三(いまほり こうぞう、1917年(大正6年)11月20日 - 2001年(平成13年)2月20日)は、日本の生物学者。大阪府大阪市出身。広島文理科大学卒業。父は教育者・心理学者の今堀友市、兄は東洋史学者・今堀誠二、弟は生化学者・今堀和友。
石谷 清幹(いしがい せいかん、1917年9月7日 - 20… 石谷 清幹(いしがい せいかん、1917年9月7日 - 2011年5月26日)は、日本の機械工学者。蒸気工学専攻。 大阪市出身。1940年東京帝国大学工学部機械工学科卒。1952年「ボイラ燃焼室熱計算法の研究」で東京大学から工学博士。川崎重工技師、1947年大阪帝国大学工学部機械科講師、1948年助教授、大阪大学工学部助教授、1962年教授。1981年定年退官、名誉教授、大阪産業大学客員教授。1991年勲三等旭日中綬章受勲。ボイラー、船舶などの安全工学を研究した。