新家 颯(しんや そう、2003年8月14日 - )は、和歌… 新家 颯(しんや そう、2003年8月14日 - )は、和歌山県田辺市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。 田辺市立会津小学校1年時にあいづクラブで野球を始め、田辺市立衣笠中学校では軟式野球部に所属した。 和歌山県立田辺高等学校では1年冬に左肘を手術。2年時はリハビリのため公式戦未登板だったが、リハビリ中に大竹耕太郎の投球フォームを参考にした新フォームを習得し、変化球のキレとコントロールが大きく向上した。3年夏の和歌山県大会は初戦敗退したものの、和歌山工を相手に9回3失点完投し、12三振を奪った。その試合を小園健太(市和歌山)の視察に訪れていた広島東洋カープスカウトの鞘師智也の目に留まり、ドラフト指名に繋がった。
工藤 孝太(くどう こうた、2003年8月13日 - )は、… 工藤 孝太(くどう こうた、2003年8月13日 - )は、和歌山県田辺市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・浦和レッズ所属。ポジションはディフェンダー(DF)。 小学時代は和歌山県田辺市の南紀ジュニアサッカークラブでプレー。小学6年時に浦和レッズジュニアユースのセレクションに合格して、卒業後は埼玉県に住み浦和レッズのアカデミーに所属。2019年には16歳以下の日本代表に選出され国際試合に出場、2020年には17歳以下の日本代表に選出された。 2021年シーズン、2種登録選手としてトップチームに登録され、4月21日、ルヴァンカップ・グループステージの横浜FC戦でトップチームデビューを飾った。5月13日、プロ契約締結が発表された。
桂 米舞(かつら まいまい、1999年10月24日 - )は… 桂 米舞(かつら まいまい、1999年10月24日 - )は、和歌山県田辺市出身の落語家。本名:三好 智華。米朝事務所所属。 関西大学の落語研究会に所属していたが、「お笑い好きの友だちが作れたらいい」という気持ちで、入門直前まで落語に関する知識はほとんどなかった。コロナ禍により対面授業がなくなり、落研も辞め、「精神的にすごく落ち込んで、大学を辞めようかどうか迷っていた」という状態まで追い込まれた際、後の師匠となる5代目桂米團治の落語会を見る機会があり、「この人に付いていきたい、と強く思った」ことから、その場で弟子入りを決意。同じ大学の先輩であり後の兄弟子となる桂米輝に相談して1年をかけて準備し、大学を中退して2022年2月1日に米團治に入門した。
松本 直也(まつもと なおや、1997年9月30日 - )は… 松本 直也(まつもと なおや、1997年9月30日 - )は、和歌山県田辺市出身のプロサッカー選手。九州サッカーリーグ・ジェイリースFC所属。ポジションは、ディフェンダー(DF)。 南紀JSC、カナリーニョFCリオ、中央学院高校を経て、東海学園大学へ進学。 2020年より、カマタマーレ讃岐へ加入した。 2022年11月9日、カマタマーレ讃岐は契約期間の満了と来季に向けた契約の更新をしないことを発表。同年11月29日、カンセキスタジアムとちぎで行われたJリーグ合同トライアウトに出場した。 2023年、ジェイリースFCに移籍。シーズン終了後に引退した。
武田 拓真(たけだ たくま、1995年10月12日 - )は… 武田 拓真(たけだ たくま、1995年10月12日 - )は、和歌山県田辺市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 幼稚園の頃にサッカーを始め、田辺第一小学校時代は南紀ジュニアサッカークラブ、高雄中学校では同校のサッカー部に所属し、上富田町のカナリーニョ中学生教室(現カナリーニョFCリオ)にも通った。中央学院高校への進学を機に和歌山を離れ、大学では東海学園大学サッカー部でプレー。2015年から2017年に掛け、3年連続でデンソーカップチャレンジ東海・北信越選抜の選手として選出されるなど、活躍を見せた。 2017年8月23日、来シーズンからファジアーノ岡山へ加入することが発表された。
稲毛 健太(いなけ けんた、1989年6月28日 - )は、… 稲毛 健太(いなけ けんた、1989年6月28日 - )は、和歌山県田辺市出身の競輪選手。日本競輪選手会和歌山支部長、ホームバンクは和歌山競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第97期生。師匠は西野卓也(44期)。弟は同じく競輪選手の稲毛知也。弟子は吉川美穂(120期)がいる。 中学生の頃から陸上競技をはじめ、和歌山県立和歌山北高等学校に進学してからも円盤投の選手として陸上に取り組んでいた。ところが、同校自転車競技部の顧問から自転車競技部への入部を勧誘されていた縁もあり、試しにトレーニングマシンで計測したところ、筋力や持久力について部員よりも高い数値をマークした。このことがきっかけとなり、高校卒業後に競輪選手を志すようになった。
竹中 晶(たけなか あき、1987年10月26日 - )は、… 竹中 晶(たけなか あき、1987年10月26日 - )は、和歌山県田辺市出身の元競艇選手。登録番号4476。身長153cm。血液型O型。101期。同期に篠崎仁志、守屋美穂、稲生夏季らがいる。
春日 伸介(かすが しんすけ、1984年5月18日 - )は… 春日 伸介(かすが しんすけ、1984年5月18日 - )は、和歌山県田辺市出身の元プロ野球選手(内野手)。 和歌山県立田辺高等学校時代は、主にキャッチャーとして出場していたが、肩を脱臼したためにファーストへコンバートするも、第84回全国高等学校野球選手権大会・和歌山県大会では最終的にキャッチャーとして出場。4番・キャプテンとして県ベスト4の原動力となった。2002年のドラフト会議で西武ライオンズから5巡目に指名され、内野手として入団。高校通算28本塁打。 プロ入り後は、伸び悩み、2軍でも本塁打を打つことが出来ずに退団。 引退後は関西の専門学校に入学。理学療法士の資格を取得し、卒業後に就職。
藤井 了(ふじい さとる、1979年5月5日 - )は、和歌… 藤井 了(ふじい さとる、1979年5月5日 - )は、和歌山県田辺市出身の元プロ野球選手(投手)。 和歌山県立田辺高等学校から法政大学に進学。2学年上に安藤優也、1学年下に土居龍太郎らがおりリーグ戦登板は少なかったが、3年秋の対明大2回戦で救援登板すると、主将の廣瀬純のサヨナラ安打で勝利投手となった。 大学卒業後の2003年に渡米し、独立リーグであるセントラル・ベースボール・リーグのサンアンジェロ・コルツと契約するも、1試合(1イニング)のみの登板で自由契約となった。 その後、2005年にオランダに渡り、現地のプロ野球リーグであるホーフトクラッセのスパルタ・フェイエノールト(英語版)と契約。2シーズン在籍した。
濱中 治(はまなか おさむ、1978年7月9日 - )は、和… 濱中 治(はまなか おさむ、1978年7月9日 - )は、和歌山県田辺市出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)、コーチ。2015年から阪神タイガースでコーチを務めており、現在は二軍打撃コーチを務める。
武壮 隆志(むそう たかし、1975年2月22日 - )は、… 武壮 隆志(むそう たかし、1975年2月22日 - )は、日本の写真家。株式会社むそう写真事務所代表取締役。和歌山県田辺市出身。大阪市在住。日本写真協会正会員 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
田中 光(たなか ひかる、1972年7月19日 - )は日本… 田中 光(たなか ひかる、1972年7月19日 - )は日本のタレント・元体操選手。流通経済大学教授。博士(学校教育学) 和歌山県田辺市出身。身長は164cm。 1996年、アトランタオリンピックに出場し平行棒においてオリジナル技「TANAKA」(懸垂前振りひねり前方かかえ込み2回宙返り腕支持:難度F)を発表し認定されている。本人はこの技に「ヒカルX」と命名したが、協会から却下されたというエピソードがある[要出典]。 1997年に引退したが、1998年に現役復帰したものの、1999年に再び引退した。その後タレント活動のほか洗足学園短期大学客員教授、流通経済大学教授として幼少児教育・健康教育・介護予防などをテーマとした研究、指導を行っている。
福田 光次郎(ふくだ こうじろう、1971年(昭和46年)1… 福田 光次郎(ふくだ こうじろう、1971年(昭和46年)1月25日 - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家。 和歌山県田辺市出身。血液型O型。ソロ名義で、「a FiLm」と「platform」という2枚のアルバムをリリース。現在、Root42Records所属。 『a harvest garden』(藤原聡子ソロユニット(に楽曲を多数提供。代表曲に、「夜長月」、「このバス停から」、「僕のすべて」、「エンドロール」など。(福田光次郎公式サイトを参照) (福田光次郎公式サイトを参照) a FiLm(2013年1月25日、ROOT-001) 音楽プロデューサー・野田浩平プロデュース (福田光次郎公式サイトを参照) platform(2016年1月25日、Root-002) 小澤マコト プロデュース (amazon co.jpを参照) a harvest gardenにはその他にも「エンドロール」など多数、楽曲提供しており、藤原聡子が作詞の共作も「FLY」など多数ある。
市場 孝之(いちば たかゆき、1970年9月8日 - )は、… 市場 孝之(いちば たかゆき、1970年9月8日 - )は、和歌山県田辺市出身の元大相撲力士、元プロ野球選手(外野手)。 大相撲廃業後にNPBに進んだという異色の経歴の持ち主。 田辺市立明洋中学校時代は野球部で4番を打つ傍らで相撲部でも活躍し、1986年3月の中学卒業と同時に佐渡ヶ嶽部屋に入門して同年3月場所に琴市場(こといちば)の四股名で初土俵を踏んだ。1987年3月場所では6勝1敗の好成績をおさめ、翌5月場所には自己最高位となる序二段42枚目まで昇格したが左膝捻挫のために途中休場し、同年9月場所限りで廃業した。 大相撲廃業後は、1988年4月に国際海洋高校へ入学するとともに、野球部に入部した。
仲 章伸(なか あきのぶ、1969年 - )は、日本の化学者… 仲 章伸(なか あきのぶ、1969年 - )は、日本の化学者(有機ケイ素化学)。学位は博士(工学)(広島大学・1995年)。 倉敷芸術科学大学生命科学部教授。 1969年、和歌山県田辺市生まれ。倉敷芸術科学大学産業科学技術学部助手、ウイスコンシン大学化学科博士研究員、倉敷芸術科学大学生命科学部助教授などを歴任した。 1987年3月 和歌山県立田辺高等学校卒業 1987年4月 広島大学工学部第3類(化学系)入学 1991年3月 同上 卒業 1991年4月 広島大学大学院工学研究科博士課程前期入学 1993年3月 同上 修了 1993年4月 広島大学大学院工学研究科博士課程後期進学 1994年4月~1995年3月 日本学術振興会特別研究員採用(DC) 1995年3月 広島大学大学院工学研究科博士課程後期修了 博士(工学) 1995年4月~1996年3月 日本学術振興会特別研究員(PD)(広島大学) 1996年4月 倉敷芸術科学大学産業科学技術学部助手 1999年4月 倉敷芸術科学大学産業科学技術学部講師 2003年4月 倉敷芸術科学大学産業科学技術学部助教授 2003年10月~2004年9月 ウイスコンシン大学マディソン校化学科(Robert West 教授)博士研究員 2005年10月 第10回ケイ素化学協会奨励賞 受賞 2008年4月 倉敷芸術科学大学生命科学部教授 2018年6月 平成29年度ウエスコ財団優秀研究者賞 受賞
澤邉 紀生(さわべ のりお、1966年6月24日 - )は、… 澤邉 紀生(さわべ のりお、1966年6月24日 - )は、日本の会計学者。京都大学経営管理大学院副院長。京都大学経営管理大学院・大学院経済学研究科教授。本山美彦(京都大学名誉教授)・高寺貞男(京都大学名誉教授)の弟子。和歌山県田辺市出身。
たなか じゅん(1965年10月29日 - )は、日本の男性… たなか じゅん(1965年10月29日 - )は、日本の男性漫画家。和歌山県田辺市出身。大阪工業大学工学部電子工学科卒業。在学中に漫画同好会に在籍し、小学館新人コミック大賞入賞。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
植田 幸弘(うえだ ゆきひろ、1964年7月27日 - )は… 植田 幸弘(うえだ ゆきひろ、1964年7月27日 - )は、和歌山県田辺市[1]出身の元プロ野球選手(捕手)。現在は、広島東洋カープ一軍バッテリーコーチ。
中瀬 ゆかり(なかせ ゆかり、1964年6月3日 - )は、… 中瀬 ゆかり(なかせ ゆかり、1964年6月3日 - )は、日本の編集者。新潮社執行役員。 1964年(昭和39年)生まれ。郷土史家で南方熊楠研究家の中瀬喜陽の次女で、和歌山県田辺市出身である。姉、弟がいる。田辺市立田辺第一小学校、田辺市立東陽中学校、和歌山県立田辺高等学校[要出典]、奈良女子大学文学部英語・英米文学科を卒業。 1987年(昭和62年)に新潮社へ入社。最初の2年間は出版部で書籍編集を担当し田辺聖子や北杜夫の本の担当補助を行った。独り立ちして初めて作家と二人で進めたのは、群ようこのエッセイ集『鞄に本だけつめこんで』であった。その後、『新潮』編集部へ異動。(当時の編集長は坂本忠雄)9年間在籍し、当初は苦手意識が強かった純文学を好むようになったという。
杉若 弘子(すぎわか ひろこ、1964年 - )は、日本の心… 杉若 弘子(すぎわか ひろこ、1964年 - )は、日本の心理学者。専門は臨床心理学。同志社大学心理学部教授。 和歌山県田辺市生まれ。1988年千葉大学教育学部教育心理学専修卒業。1990年広島大学大学院生物圏科学研究科博士課程前期環境計画科学(行動系)専攻修了、学術修士。1993年広島大学学院生物圏科学研究科博士課程後期環境計画科学(行動系)専攻単位取得退学。 1993年早稲田大学人間科学部助手。1995年奈良教育大学教育学部助教授。2001年広島大学博士(人間科学)。2005年奈良市総合計画審議会委員。2006年同志社大学文学部教授、奈良県男女共同参画審議会委員。2007年日本健康心理学会理事、日本行動療法学会理事。
香月 日輪(こうづき ひのわ、1963年8月18日 - 20… 香月 日輪(こうづき ひのわ、1963年8月18日 - 2014年12月19日)は、日本の小説家。和歌山県田辺市出身。本名・杉野 史乃。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
太田 隆文(おおた たかふみ、1961年 - )は、和歌山県… 太田 隆文(おおた たかふみ、1961年 - )は、和歌山県田辺市出身の日本の映画監督・脚本家。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
吉田 幸夫(よしだ ゆきお、1958年7月23日 - )は、… 吉田 幸夫(よしだ ゆきお、1958年7月23日 - )は、元アマチュア野球選手である。ポジションは投手。 和歌山県田辺市出身。南部高校でアンダースローとなり、卒業後は青山学院大学経営学部に入学し硬式野球部に所属する。入部時は東都大学リーグ2部リーグであったが、大学3年次の1979年春の入替戦で専修大学に勝利。1部に昇格すると最優秀投手、1学年上の藤倉一雅とともにベストナインを受賞。4年次は主将も務めた。 大学卒業後の1981年に社会人野球のプリンスホテルに入社する。同期に川村一明、高山郁夫がいた。1984年にエースとしてロサンゼルスオリンピック野球日本代表に選ばれ、伊東昭光や宮本和知とともに投手陣の一角として活躍し、オリンピックでの金メダル獲得に貢献した。
楠 淳生(くす あつお、1957年〈昭和32年〉8月16日 … 楠 淳生(くす あつお、1957年〈昭和32年〉8月16日 - )は、オフィスキイワードに所属するフリーアナウンサー で、元・朝日放送(ABC)アナウンサー。 和歌山県田辺市出身、和歌山県立田辺高等学校から関西学院大学経済学部へ進学。高校時代には、バスケットボールの選手としてインターハイにも2回出場した。 大学4年生だった1980年に、当時新卒の学生にしか門戸を開いていなかった在阪放送局のアナウンサー試験に挑戦。よみうりテレビの最終試験に残った ものの、どの局からも採用されなかった。一時は他の地方の放送局のアナウンサー試験を受けることも考えたが、「在阪局のアナウンサーでなければ、大きな活躍はできない」と一念発起。
真砂 充敏(まなご みつとし、1957年〈昭和32年〉7月2… 真砂 充敏(まなご みつとし、1957年〈昭和32年〉7月21日 - )は、日本の政治家。和歌山県田辺市長(6期)。元中辺路町長(3期)、中辺路町議会議員(2期)。 1981年3月、修成建設専門学校を卒業する。1988年11月 、中辺路町の町議会議員に就任する。1992年11月 、中辺路町議会議員に再選する。1996年7月 、中辺路町長に就任する。2000年7月、中辺路町長に再選する。2004年7月 - 中辺路町長に3選する。2005年5月22日 、新設された田辺市の初代市長に就任する。2009年4月26日 、田辺市長に再選する。2013年4月21日、田辺市長に3選する。2017年4月 、田辺市長に無投票で4選。
福田 良之(ふくだ よしゆき、1956年 - )は、日本の実… 福田 良之(ふくだ よしゆき、1956年 - )は、日本の実業家。新光投信取締役会長等を経て、海外通信・放送・郵便事業支援機構代表取締役社長。 和歌山県田辺市出身。東陽中学校、和歌山県立田辺高等学校を経て、1979年一橋大学商学部を卒業し、株式会社日本興業銀行(現みずほ銀行)入行。一橋大学陸上競技部出身。 2006年株式会社みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)執行役員営業第十五部長、2007年執行役員証券部長、2008年常務執行役員・営業担当役員、2010年常務執行役員・コンプライアンス統括グループ統括役員兼審査グループ統括役員、2011年常務執行役員・コーポレートバンキングユニット統括役員、2012年株式会社みずほ銀行常務執行役員・大企業法人ユニット長兼事業法人ユニット担当、2013年みずほ証券株式会社取締役副社長・投資銀行部門長兼金融公共グループ長、2014年新光投信株式会社取締役会長。
真砂 靖(まなご やすし、1954年(昭和29年)5月11日… 真砂 靖(まなご やすし、1954年(昭和29年)5月11日 - )は、日本の財務官僚・弁護士。元財務事務次官。 株式会社読売新聞西部本社監査役、日本テレビホールディングス株式会社・日本テレビ放送網株式会社社外取締役、三井不動産株式会社監査役、一般社団法人日本外交協会理事を歴任。和歌山県田辺市出身。2025年、瑞宝重光章受章。 真砂曰く入省した動機は「官庁回りをしていた際に『大蔵省の(大臣官房)秘書課に凄く可愛い娘がいるぞ』と聞き、発足冷やかしに行った。帰ろうと思ったら、当時の細川興一(大臣官房)秘書課長補佐から説明を受けた。大学の『優』の成績ぐ4つしかなく、『もっと取れ』とハッパをかけられた。
畑尻 剛(はたじり つよし、1950年8月30日 - 202… 畑尻 剛(はたじり つよし、1950年8月30日 - 2023年1月20日)は、日本の憲法学者。中央大学名誉教授。指導教官は川添利幸。和歌山県田辺市出身。
丸田 隆(まるた たかし、1949年6月14日 - )は、日… 丸田 隆(まるた たかし、1949年6月14日 - )は、日本の弁護士・法学者。学位は、法学博士(論文博士・1990年)(学位論文「アメリカ陪審制度研究 ジュリー・ナリフィケーションを中心に」)。関西学院大学名誉教授。専門は、アメリカの陪審制度を中心に、裁判制度への市民参加。 和歌山県田辺市生まれ。関西学院大学法学部卒、同大学院法学研究科修了、1990年「アメリカ陪審制度研究 ジュリー・ナリフィケーションを中心に」で法学博士の学位を取得。ミシガン・ロー・スクール大学院修了(LL.M.)。1981年甲南大学法学部助教授、1988年同教授、1996年関西学院大学法学部教授、2004年関西学院大学法科大学院(ロースクール)教授。
北 公次(きた こうじ、1949年〈昭和24年〉1月20日 … 北 公次(きた こうじ、1949年〈昭和24年〉1月20日 - 2012年〈平成24年〉2月22日)は、日本の歌手、俳優、タレント。男性アイドルグループ・フォーリーブスのリーダー。和歌山県田辺市出身。本名:松下 公次(まつした こうじ)。 ジャニーズ事務所→第一プロダクション→(有)沢竜二事務所→データハウス→エフエンタープライズ→OFFICE-REN(エフエンタープライズと掛け持ちで所属) 「清定(せいてい)菓子株式会社」の社長の次男として生まれる。他にも工場などを経営していたが、北が小学校2年生の時に父の会社が倒産。一気に貧乏暮らしとなり、母もボタン工場にパートに出なければならなくなった。 和歌山県田辺市立東陽中学校時代は体操で学内随一の才能と見込まれ、地域では将来のオリンピック選手と期待された。
山際 哲夫(やまぎわ てつお、1948年3月21日 - )は… 山際 哲夫(やまぎわ てつお、1948年3月21日 - )は、和歌山県田辺市出身の医師。 やまぎわ整形外科院長。京都大学ギャングスターズチームドクター。日本臨床スポーツ医学会評議委員。日本アメリカンフットボール協会医科学委員、安全対策委員。
田 次朗 (うえだ じろう、1947年7月6日 - )は、和… 田 次朗 (うえだ じろう、1947年7月6日 - )は、和歌山県田辺市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
辻原 登(つじはら のぼる、1945年12月15日 - )は… 辻原 登(つじはら のぼる、1945年12月15日 - )は、日本の小説家。和歌山県印南町出身。日本芸術院会員、文化功労者。神奈川近代文学館前館長。 十代から小説を書きはじめ、文化学院で桂芳久に学ぶ。21歳で文藝賞(河出書房)佳作に選ばれるが、その後は中国貿易の仕事に就きたびたび現地に赴く。1985年、「文學界」に発表した「犬かけて」で作家デビューを果たし、1990年、44歳の時に「村の名前」で芥川賞を受賞する。主な作品は、『翔べ麒麟』(読売文学賞)、『遊動亭円木』(谷崎潤一郎賞)、『枯葉の中の青い炎』(川端康成文学賞)、『許されざる者』(毎日芸術賞)、『闇の奥』(芸術選奨)、『冬の旅』(伊藤整文学賞受賞)。
松澤 佑次(まつざわ ゆうじ、1941年10月18日 - )… 松澤 佑次(まつざわ ゆうじ、1941年10月18日 - )は、日本の医学者。住友病院名誉院長・最高顧問。元大阪大学医学部附属病院 病院長、大阪大学名誉教授。アディポネクチンの発見者であり、「メタボリックシンドローム」の提言者としても知られる。和歌山県田辺市出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
早田 卓次(はやた たくじ、1940年10月10日 - )は… 早田 卓次(はやた たくじ、1940年10月10日 - )は、和歌山県田辺市出身のオリンピック体操金メダリスト。日本大学名誉教授。元日本大学文理学部体育学科教授。1964年東京オリンピック体操男子つり輪、男子団体の金メダリストで、現在は日本オリンピック委員会理事、日本オリンピアンズ協会の理事長を務める。 1959年 - 和歌山県立田辺高等学校卒業。1963年 - 日本大学文理学部卒業。 1964年 - 東京オリンピック男子団体総合、つり輪で金メダルを獲得した。 1970年 - リュブリャナ世界選手権(ユーゴスラビア)男子団体総合で金メダル、鉄棒で銅メダルを獲得した。 1989年 - 日本大学文理学部教授となった。
寄本 勝美(よりもと かつみ、1940年4月9日 - 201… 寄本 勝美(よりもと かつみ、1940年4月9日 - 2011年3月28日)は、日本の行政学者・環境政策学者。 和歌山県田辺市生まれ。1964年、早稲田大学政治経済学部卒業。1967年、早稲田大学政治経済学部助手。1970年、早稲田大学大学院政治学研究科博士課程単位取得退学。1978年、早稲田大学政治経済学部教授。1983年から85年までピッツバーグ大学客員教授。1994年、京都大学博士(法学)。博士論文は「自治の形成と市民:ピッツバーグ市政研究」。 早稲田大学政治経済学部学生担当教務主任、政治経済学部長(1994年~1998年)、常任理事(1998年~2001年)等を歴任。専攻は、行政学、地方自治論、環境政策。
岩本 多代(いわもと ますよ、1940年〈昭和15年〉3月5… 岩本 多代(いわもと ますよ、1940年〈昭和15年〉3月5日 - 2020年〈令和2年〉8月17日)は、日本の女優。血液型はA型。 和歌山県田辺市出身。大阪府立市岡高等学校卒業。最終所属はオフィスPSC。 高校卒業後、俳優座養成所に11期生として入所。勝呂誉、工藤堅太郎らが第11期同期にあたる。 1962年、養成所を卒業して劇団新人会に所属。『おっぺけぺ』『さすらい』などの舞台に出演して注目される。 1961年のテレビドラマ『絶唱』(フジテレビ)でデビュー。1963年の紹介記事では、これからの抱負として「おとなしい娘役ばかりではなく、明るく活動的な役にも取り組みたい」と述べている。この頃、松竹と本数契約して『無宿人別帳』(1963年)などの映画に出演。
北 大象(きた たいしょう、本名 北 茂行(きた しげゆき)… 北 大象(きた たいしょう、本名 北 茂行(きた しげゆき)、1930年12月24日 - 2009年1月1日)は日本の書家。和歌山県田辺市出身。朱月社代表。伊丹書作家協会元理事長。 2009年1月1日に下咽頭癌のため死去。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
岩本 堯(いわもと たかし、1930年4月20日 - )は、… 岩本 堯(いわもと たかし、1930年4月20日 - )は、和歌山県田辺市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・コーチ・監督。 旧制田辺中学校では2年次の1947年に一塁手・控え投手として春の選抜へ出場。1回戦で富田中から22点を奪い快勝。この試合で5回からリリーフに立ち甲子園初登板を果たすが、11四球を与えている。2回戦では先発を任され、城東中の前田祐吉と投げ合い、先制するが9回に追いつかれて延長11回サヨナラ負けを喫した。夏の大会が終わると、野球部を退部して陸上競技部に入る。陸上部では、コーチに来た南部忠平から「野球より陸上競技でオリンピックを目指したほうがよい」と勧められたという。1ヶ月ほどで野球部に復帰すると、3年次の1948年には右翼手に回り、2年連続で春の選抜へ出場。
岩本 堯(いわもと たかし、1930年4月20日 - )は、… 岩本 堯(いわもと たかし、1930年4月20日 - )は、和歌山県田辺市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・コーチ・監督。
長井 彬(ながい あきら、1924年11月18日 - 200… 長井 彬(ながい あきら、1924年11月18日 - 2002年5月25日)は、日本の小説家。 和歌山県田辺市生まれ。東京大学文学部哲学科卒業後、毎日新聞社入社。整理部を経て編集委員。整理部時代の先輩に作家の小峰元がいる。1979年(昭和54年)定年退職。 定年退職後江戸川乱歩賞をめざし、昭和55年東海地震をテーマとした「M8以前」で第26回の最終候補作となるも落選。翌昭和56年原子力発電所の建設にまつわる疑惑をテーマとした「原子炉の蟹」で第27回江戸川乱歩賞を受賞。当初は社会派推理小説、後に山岳小説を得意分野とした。 2002年5月25日、脳梗塞のため大阪府吹田市の病院で逝去。享年77。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
和歌ノ海 忠次郎(わかのうみ ちゅうじろう、1919年2月1… 和歌ノ海 忠次郎(わかのうみ ちゅうじろう、1919年2月1日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。出羽海部屋所属。和歌山県田辺市出身。本名は峰 忠次郎(みね ただじろう)。身長180cm、体重92kg。最高位は東十両6枚目。得意技は左四つ、押し。 1937年1月場所に初土俵を踏む。1943年5月場所に十両に昇進。この場所は5勝10敗と大きく負け越し、1場所で幕下に陥落した。1945年6月場所に十両に復帰したが、3勝4敗と負け越した。翌11月場所は初日から全休、この場所限りで26歳で廃業した。左四つの相撲が得意だったが、押し相撲でも良く、組んでも離れても巧さが光る取り口であった。
藤堂 恭俊(とうどう きょうしゅん/やすとし、1918年11… 藤堂 恭俊(とうどう きょうしゅん/やすとし、1918年11月19日 - 2000年12月14日)は、浄土宗僧侶・仏教学者。 和歌山県田辺市出身。父は藤堂祐範。大正大学仏教学科卒、1944年同研究科修了。1979年「日中浄土教思想史の研究」で佛教大学文学博士。佛教大学助教授、教授。1989年定年、名誉教授。浄土宗大本山知恩院浄土宗学研究所研究員、増上寺法主。
二十二世本因坊秀格(にじゅうにせいほんいぼう しゅうかく、1… 二十二世本因坊秀格(にじゅうにせいほんいぼう しゅうかく、1915年9月21日 - 1986年11月26日)本名:高川格(たかがわ かく)は、日本の囲碁棋士。本因坊戦9連覇の功績により名誉本因坊として高川秀格(たかがわ しゅうかく)と号し、後に二十二世本因坊を贈られる。和歌山県出身、光原伊太郎名誉八段門下。本因坊位の他にも、名人、十段等タイトル多数の、昭和を代表する名棋士の一人。「流水不争先」を信条とし、平明流とも言われる、合理的で大局観に明るい棋風。 和歌山県田辺町(現在の田辺市)生まれ。6歳頃に父の影響で碁を覚え、1925年に9歳で棋士を目指して上京し日本棋院に通うが、事情により2か月で帰郷する。
那須 宗一(なす そういち、1914年3月9日 - 1990… 那須 宗一(なす そういち、1914年3月9日 - 1990年9月10日)は、日本の社会学者。中央大学名誉教授。元淑徳大学学長。専門は、老人社会学、社会病理学、犯罪社会学。 和歌山県田辺市生まれ。1934年大阪府立浪速高等学校卒業。1937年東京帝国大学文学部社会学科卒業。1951年東洋大学文学部助教授、1953年中央大学文学部教授に就く。1958年中央大学文学部教授、1966年経済企画庁国民生活審議会委員、1972年東京都老人総合研究所副所長、日本老年学会理事、日本老年社会科学会会長。1984年中央大学を定年退職、名誉教授。淑徳大学学長。同学長在職中に死去。
畑中 武夫(はたなか たけお、1914年(大正3年)1月1日… 畑中 武夫(はたなか たけお、1914年(大正3年)1月1日 - 1963年(昭和38年)11月10日)は、日本の天文学者。日本の電波天文学の開拓者として知られている。 和歌山県田辺市に生まれたが、少年時代に新宮市に引っ越したので、同市を出身地とした。旧制新宮中学校(現・和歌山県立新宮高等学校)時代から科学雑誌を読み、天文学を志す。旧制第一高等学校を経て、1937年東京帝国大学理学部天文学科卒業。はじめは理論天体物理学を専攻し、東京大学助手を経て、1945年講師となる。萩原雄祐の下で惑星状星雲の放射機構を研究し、同年9月、学位論文「惑星状星雲に於ける電離ヘリウム、二重電離酸素及び二重電離窒素原子間の光学的交互作用理論(英文)」により、理学博士の学位を取得。
島田 賢一(しまだ けんいち、1910年5月24日 - 19… 島田 賢一(しまだ けんいち、1910年5月24日 - 1978年2月20日)は、日本の実業家。チッソ代表取締役社長として、水俣病患者との交渉にあたった。 和歌山県田辺市出身。1934年、東京商科大学(現・一橋大学)卒業。同年、日本窒素肥料(現・チッソ)入社。1949年、日本窒素肥料水俣工場総務部長。同年、日本窒素肥料営業部長。1950年、新日本窒素肥料営業部長。1952年、第二営業部長。1955年、繊維部長。1956年、ミナロン営業部長。1959年、取締役。1963年、常務取締役。1967年11月、副社長。 1971年5月26日に開かれた株主総会は一株運動との対決で大きな騒動となり、チッソは世論の厳しい批判を浴びた。
西 律(にし りつ、1909年〈明治42年〉8月20日 - … 西 律(にし りつ、1909年〈明治42年〉8月20日 - 1983年〈昭和58年〉4月30日)は和歌山県の政治家・郷土史家。和歌山県東牟婁郡四村の村長、本宮町町議会議員をつとめた。政治家の職を退いた後、熊野九十九王子の調査に従事した。 西は1909年(明治42年)8月20日、和歌山県東牟婁郡四村(和歌山県田辺市本宮町)に生まれた。新宮中学校を中退した後、家業の林業に一時従事したが、陸軍に入隊し、郷里を出た。第二次大戦中は満州で軍役に就いたが、敗戦とともにソ連に抑留され、1949年(昭和24年)に帰国した。帰国後、1949年から四村の村長に就任し、水害にあった村の復旧など、政治家としての手腕を振るったが、1951年(昭和31年)に四村ほかいくつかの町村が合併して本宮町が成立する際の町長選で落選した。
壇上 春清(だんじょう はるきよ、1909年(明治42年)2… 壇上 春清(だんじょう はるきよ、1909年(明治42年)2月27日 - 1979年(昭和54年)9月13日)は、和歌山県田辺市出身の童謡詩人。本名は春之助。別号を芳花、青華。 金子みすゞや島田忠夫の童謡集を出版したことでも知られる。 第16回久留島武彦賞を受賞。 1924年(大正13年)頃より童謡を書き始め、『赤い鳥』『童話』『金の船』(のち金の星と改題)などの雑誌に作品を発表する。 同志社高等商業学校を卒業後、1974年(昭和49年)まで外務省に勤務する。 その間、1970年(昭和45年)に季節の窓詩舎から『金子みすず童謡集 繭と墓』を発行した。同書のあとがきには「下関の商品館から投稿していた」という記述があり、これが後に金子みすゞが再発見される大きな手がかりとなった。
井上 鑑昭(いのうえ のりあき、明治35年(1902年)12… 井上 鑑昭(いのうえ のりあき、明治35年(1902年)12月3日 - 平成6年(1994年)4月13日)は、日本の武道家。親英体道(親和体道)の創始者である。合気道の開祖植芝盛平(うえしば もりへい)は叔父にあたる。 本名は井上要一郎といい、鑑昭は別名である。その他の別名として、祥治(よしはる)・聖祥(せいしょう)・方軒(ほうけん)・照祥(てるよし)と名乗っていた時期もある(この項では、一般的な鑑昭の表記で統一する)。 和歌山県西牟婁郡(現在の田辺市)に生まれる。生家は貿易商を手広く営む裕福な家庭で、生活には何不自由なく育ったが、井上自身はすぐに風邪をひいて寝込んでしまう体の弱い少年であった。