立川 桃(たつかわ もも、2001年1月6日 - )は、愛媛… 立川 桃(たつかわ もも、2001年1月6日 - )は、愛媛県四国中央市出身の、日本の柔道選手。階級は63kg級。身長158cm。血液型はB型。組み手は左組み。得意技は大内刈。姉に48㎏級の立川莉奈、兄に73㎏級の立川新がいる。 柔道は3歳の時に川之江柔道会で始めた。川之江北中学から新田高校に進むと、2年の時には高校選手権の63㎏級で3位になった。3年の時には全日本カデで2位、インターハイでは5位だった。 2019年に東海大学へ進学すると、1年の時には学生体重別、優勝大会、体重別団体と全国タイトルを総なめにした。3年の時には優勝大会で優勝したものの、学生体重別では2位、体重別団体では3位だった。
糸川 亮太(いとがわ りょうた、1998年4月30日 - )… 糸川 亮太(いとがわ りょうた、1998年4月30日 - )は、愛媛県四国中央市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 2人の兄(7歳上と3歳上)の影響で四国中央市立妻鳥小学校1年生のときに『妻鳥ファイターズ』で野球を始め、四国中央市立川之江北中学校では硬式野球の『川之江ボーイズ』に所属。中学3年時はチームのキャプテンとエースを務め、夏には愛媛県選抜に選ばれた。 川之江高校に進学し、1年夏からベンチ入りしたが、結果を残せずにいた。控え投手であった2年夏は愛媛大会準々決勝で敗退し、新チームが始動して間もない頃に友近拓也監督から「変化球ピッチャーになれ」と告げられ、投球スタイルを変更すると、エースに成長。
立川 新(たつかわ あらた、1997年11月30日 - )は… 立川 新(たつかわ あらた、1997年11月30日 - )は、愛媛県四国中央市出身の、日本の柔道家である。階級は73kg級。身長170cm。血液型はB型。組み手は左組み。段位は二段。得意技は大内刈、首抜きによる指導勝ち。現在は旭化成に所属。姉は48kg級の立川莉奈、妹は63㎏級の立川桃。 柔道は3歳の時に宇摩柔道会(川之江柔道会)で始めた。上分小学校5年の時に全国小学生学年別柔道大会45kg級に出場するも、決勝トーナメント1回戦で敗れた。6年の時には50kg級に出場して決勝まで進むが、バルセロナオリンピック71kg級金メダリストの古賀稔彦の長男である古賀颯人に判定で敗れた。古賀とはこれ以降も全国大会で何度となく競い合うことになる。
軸丸 ひかる(じくまる ひかる、1997年11月26日 - … 軸丸 ひかる(じくまる ひかる、1997年11月26日 - )は、日本の元女子バスケットボール選手である。ポジションはポイントガード。ニックネームは「マル」。 愛媛県四国中央市生まれ。 地元の公立小学校、中学校を経て、聖カタリナ女子高等学校へ進学。2年次からレギュラーの座を掴み、2014年度のインターハイ、ウインターカップでともに3位となる。自身がキャプテンを務めた3年次はインターハイベスト8、ウインターカップ4位および個人としてベスト5に選出された。 白鷗大学へ進学。インカレでは1年次に優勝を果たすも自身は怪我で欠場。4年次には準優勝および個人として優秀選手賞を受賞。また、ナポリで開催されたユニバーシアードに日本代表として出場し、4位となった。
立川 莉奈(たつかわ りな、1996年7月14日 - )は、… 立川 莉奈(たつかわ りな、1996年7月14日 - )は、愛媛県四国中央市出身の、日本人の柔道選手である。階級は48kg級。身長158cm。血液型はO型。組み手は右組み。得意技は内股。弟は73kg級の立川新、妹は63㎏級の立川桃。 柔道は5歳の時に宇摩柔道会(川之江柔道会)で始めた。上分小学校5年の時に全国小学生学年別柔道大会40kg級で優勝を飾った。6年の時には45kg超級に出場するも予選リーグで敗れた。福岡県の敬愛中学へ進むと、3年の時には全国中学校柔道大会の57kg級決勝で帝京中学3年の西尾直子に敗れて2位だった。 2012年には敬愛高校へ進んだ。1年先輩には芳田司がいた。1年の時には全日本カデで3位になった。
篠原 慎平(しのはら しんぺい、1990年6月13日 - )… 篠原 慎平(しのはら しんぺい、1990年6月13日 - )は、愛媛県四国中央市出身の元プロ野球選手(投手)、女子野球監督。右投左打。 小学2年で軟式野球を始め、中学時代は川之江ボーイズ(第10期生)に所属。愛媛県立川之江高等学校では、1年夏に県大会4強、1年秋に四国大会8強、2年夏に県大会4強を経験するが、同校野球部の不祥事に巻き込まれ、同校を中退した。しかし、野球への思いを断ち切れず、独立リーグ・四国・九州アイランドリーグ(現・四国アイランドリーグplus)の愛媛マンダリンパイレーツに2008年入団。 愛媛マンダリンパイレーツ入団後は、1年目から公式戦に出場する。今治精華高等学校通信制課程松山校に通いながら19試合64.1回をこなし、4勝3敗、防御率3.36の成績を残した。
今村 仁美(いまむら ひとみ、1990年2月3日 - )は、… 今村 仁美(いまむら ひとみ、1990年2月3日 - )は、日本の女性モデル、レースクイーン 愛媛県四国中央市出身。スリーライズ所属。
藤原 有沙(ふじわら ありさ、1987年9月25日 - )は… 藤原 有沙(ふじわら ありさ、1987年9月25日 - )は、愛媛県四国中央市出身の元バスケットボール選手である。ポジションはフォワード。175cm。ニックネームは「シェル」。 聖カタリナ女子高校では1年のインターハイから出場を果たし、2年のウィンターカップではベスト4に貢献する。 卒業後、デンソーに入社。この年にはヤングウーメン日本代表に選出される。2016年引退。
鎌倉 健(かまくら けん、1984年11月25日 - )は、… 鎌倉 健(かまくら けん、1984年11月25日 - )は、愛媛県川之江市(現:四国中央市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 2002年の第84回全国高等学校野球選手権大会で、浦和学院高校の須永英輝と投げ合った。終盤で浦和学院に逆転されたがその後再逆転し、サヨナラ勝ちを収めている。また、この試合で鎌倉は左翼へ本塁打を放っている。この大会では鎌倉を擁した川之江高校は、仙台西、浦和学院、桐光学園、遊学館を破って同校初の4強進出を果たすが、優勝した同じ四国勢の明徳義塾高校に準決勝で敗れた。(同大会では8強に四国4県が全て残り、四国勢の強さを印象付けた。)また、同年の国体では、川之江高校は初優勝を果たした。
まぁこ(1984年2月3日 - )は、日本のお笑いタレント(… まぁこ(1984年2月3日 - )は、日本のお笑いタレント(ピン芸人)。旧所属事務所は浅井企画。東京アナウンス学院卒業。 以前の公式プロフィールでは、身長162cm、体重97kg、B109 / W109 / H109であった。2014年、ダイエットに成功し、公式プロフィールによると体重49kg、B84 / W62 / H89と標準体型になった。しかし、2022年当時の公式プロフィールでは体重78kgとなっており、リバウンドしてしまった。 元々、アイドルを目指していたがオーディションに落ちてしまい、他にできることを考えてウド鈴木が好きだったのでお笑いの道に進んだ。 専門学校東京アナウンス学院にたまたま体験入学に行った時に三拍子がゲストで来ており、その時の在学生が楽しそうにしている様子を見て入学を決意する。
石川 幸子(いしかわ さちこ、1978年8月18日 - )は… 石川 幸子(いしかわ さちこ、1978年8月18日 - )は、愛媛県四国中央市出身の元バスケットボール選手である。ポジションはフォワード。178cm。「花の78年組」の一人。脱毛症により一時期スキンヘッドとなっていた。 新居浜商業高から指導していたコーチの転勤に伴って甲子園学院高に編入学。3年次のウィンターカップでは準優勝した。卒業後、1997年にシャンソン化粧品に入社。2003年に先発に定着した。 2004-05シーズンの5年ぶりとなるシャンソン優勝の原動力となる。 2005-06シーズンよりチームのキャプテンに就任し、レギュラーシーズン・プレーオフ全試合出場で連覇に貢献した。 2005年にはアジア選手権の日本代表にも選出されている。
石川 健太郎(いしかわ けんたろう、1978年5月24日 -… 石川 健太郎(いしかわ けんたろう、1978年5月24日 - )は、日本の総合格闘家、空手家、キックボクサー。士道館士魂村上塾愛媛所属。別名、達磨石川。愛媛県四国中央市出身。 愛媛県川之江市(現・四国中央市)に生まれる。家族は父、母、姉の4人構成。幼少期から柔道を学び、高校からフルコンタクト空手を学ぶ。小学生のころから不良少年であり、中学2年生のころから車を無免許で乗り回していた。高校に入学すると、車、バイクの無免許運転で学校に通学。休みの日もほとんど車の無免許運転で移動していた。1993年にアメリカで開催されたアルテメット大会を雑誌で知り、総合格闘技を志す。 2022年9月24日、地元の四国中央市で開催された「チャクリキ17四国中央格闘まつり」にて、プロレスラーの田馬場貴裕とMMA肘ありUFCルールで戦い、カウンターパンチからパウンドでTKO勝ち。
西野 りんご(にしの りんご、1978年3月17日 - )は… 西野 りんご(にしの りんご、1978年3月17日 - )は、日本の少女漫画家。女性。愛媛県四国中央市出身。血液型はA型。 「りぼんオリジナル」(集英社)1995年8月号にて『心配御無用!』でデビュー。第57回S・B賞を受賞。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
中泉 英雄(なかいずみ ひでお、1976年12月23日 - … 中泉 英雄(なかいずみ ひでお、1976年12月23日 - )は、愛媛県四国中央市出身の俳優、映画プロデューサー。現在はアジア圏を中心に活動している。
漆谷 康宏(うるしたに やすひろ、1976年9月8日 - )… 漆谷 康宏(うるしたに やすひろ、1976年9月8日 - )は、日本の男性元総合格闘家。愛媛県川之江市(現・四国中央市)出身。URUSHI DOJO代表。元修斗世界フライ級王者。 2000年9月10日、第7回全日本アマチュア修斗選手権フェザー級(-58kg)で3位入賞した。 2001年1月19日、修斗の高橋大児戦でプロデビューを果たし、0-3の判定負け。 2002年、修斗バンタム級(-56kg)新人王トーナメントに出場。赤木康洋、端智弘、阿部マサトシを破り新人王を獲得した。 2003年12月14日、初代修斗世界バンタム級王座決定戦でマモルと対戦し、0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。 2004年11月14日、DEMOLITIONでジョン・ドッドソンと対戦し、判定勝ち。
安田 由佳(やすだ ゆか、1973年3月15日 - )は、長… 安田 由佳(やすだ ゆか、1973年3月15日 - )は、長崎国際テレビ (NIB) の社員で元アナウンサー。旧姓:重森(しげもり)。 愛媛県川之江市(現・四国中央市)出身。愛媛県立川之江高等学校、大阪経済法科大学法学部を卒業後、1995年に長崎国際テレビに入社。 入社以来23年間報道部に所属し、アナウンサー兼ディレクターとして活動。安田が1年をかけて取材・制作した『NNNドキュメント'09 塀の外で見つけた居場所〜罪を犯した障害者たち』は、第47回ギャラクシー賞テレビ部門の選奨(2009年5月度月間賞)となった。長崎国際テレビがアナログ放送を行っていた時代には地上デジタル放送推進大使も務めていた。
椎名 あゆみ(しいな あゆみ、本名:三好 明美、1969年8… 椎名 あゆみ(しいな あゆみ、本名:三好 明美、1969年8月29日 - )は、日本の漫画家。愛媛県四国中央市出身。血液型B型。 愛媛県立川之江高等学校卒業。 1987年、『りぼんオリジナル』秋の号に発表した「涙のメッセージ」でデビュー。長年、『りぼん』(集英社)の主力作家として活躍した。 最新作は『Cookie』(集英社)にて連載していた「三日月と流れ星」。 代表作には『あなたとスキャンダル』、『ベイビィ★LOVE』などがある。 交友関係:倉橋えりかと親友である。
寺尾 英子(てらお えいこ、1967年6月6日 - )は、南… 寺尾 英子(てらお えいこ、1967年6月6日 - )は、南海放送 (RNB) のアナウンサー。愛媛県宇摩郡土居町(現・四国中央市)出身。 土居町立土居中学校(現・四国中央市立土居中学校)、愛媛県立土居高等学校、松山大学卒業。 高校時代は教師に誘われて、ソフトボール部に所属。 大学時代はアナウンサーを目指していなかったが、放送研究会に所属。大学4年の春に、中学・高校時代から放送部で頑張っていた友人が短期集中のアナウンサー講座を受けに行くと言い、もう一人同じサークルの友人も行くと言っていて、卒業後のことを何も決めていなかったが講座を受けることにした。 大学を卒業後、1990年に南海放送に入社。 2019年3月1日付で放送制作本部制作局次長に昇進し、同時にRNBアナウンス室室長を務めている。
井川 意高(いかわ もとたか、1964年(昭和39年)7月2… 井川 意高(いかわ もとたか、1964年(昭和39年)7月28日 - )は、日本の実業家。大王製紙の前会長。大王製紙創業家3代目で、同社創業者・井川伊勢吉の孫。
福田卓郎(ふくだ たくろう、1961年5月16日 - )は、… 福田卓郎(ふくだ たくろう、1961年5月16日 - )は、日本の脚本家、演出家。愛媛県(旧・伊予三島市)四国中央市出身。アンドリーム所属。 日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。在学中から映画、演劇活動を開始し、脚本や演出を手掛ける。 卒業後は東宝演劇演出部に入社。 1987年に福田自身が主宰する「劇団疾風DO党」を結成。これに伴い東宝を退社する。2002年、劇団をDotoo!(ドトォ!)と改名。 1988年に、コピーライターとしてラジオCM「うちのお母さん」(ライオン)でACC最優秀スポットCM賞ラジオ部門民放祭優秀賞を受賞する。 1991年にシナリオライターとして、映画『就職戦線異状なし』でデビュー。
宮本 潤子(みやもと じゅんこ、本名・宮本 潤子、1956年… 宮本 潤子(みやもと じゅんこ、本名・宮本 潤子、1956年12月24日 - )は愛媛県宇摩郡土居町(現在の四国中央市)出身のフリーアナウンサー。 愛媛県立新居浜西高等学校・共立女子大学文芸学部日本文学コースを卒業後、高知放送アナウンサー室勤務。その後フリーとなり、1990年からNHKや民放各局で、報道キャスター・リポーターとして活動すると同時に、座談会・イベント関係の司会を務める。 1994年11月からは浅井企画に所属。引き続きNHK衛星放送や在京キー局各局、CS放送などで、メインキャスター・司会・レポーターなどを務めている。
森 信雄(もり のぶお、1952年2月10日 - )は、将棋… 森 信雄(もり のぶお、1952年2月10日 - )は、将棋棋士。棋士番号126。2017年5月16日に引退。愛媛県伊予三島市(現・四国中央市)出身。南口繁一九段門下。愛媛県立三島高等学校卒業。 3兄弟の末っ子で、飲んだくれの父親は幼少時に蒸発。母は土方仕事で3人の子を女手一つで育てたが、極貧の生活であった。いじめの標的にされていた森だが、小学5年で将棋を覚えて急速に上達し、伊予三島市に一軒だけあった将棋道場に通い、愛媛県立三島高等学校を卒業する頃にはアマ二段になっていた。高校を卒業して兵庫県伊丹市の帝国化成の工場に勤め、余暇には、のちに師匠となる南口繁一・九段が開いていた「南口将棋教室」に通った。
矢代 まさこ (やしろ まさこ、1947年(昭和22年)1月… 矢代 まさこ (やしろ まさこ、1947年(昭和22年)1月13日 - )は、日本の漫画家。愛媛県伊予三島市(現・四国中央市)出身。1976年から1978年にかけて一時期睦月とみのペンネームで執筆していた。夫は漫画家の山本まさはる。 子供の頃に手塚治虫、水野英子、ちばてつや、新城さちこらの漫画に影響を受け漫画家を志す。 1962年(昭和37年)、金園社の貸本『すみれ』に掲載された『ちいさな秘密』でデビューし、翌年大阪に転居。その後、おもに若木書房の貸本を中心に作品を発表。1964年(昭和39年)、新城さちこの弟の山本まさはると結婚。1964年から1966年に発表した「ようこシリーズ」(全28巻)で作家としての地位を確立する。
鈴木 皖武(すずき きよたけ、1941年2月6日 - )は、… 鈴木 皖武(すずき きよたけ、1941年2月6日 - )は、愛媛県四国中央市出身の元プロ野球選手。 土居高校では、1957年秋季四国大会県予選準々決勝に進むが北宇和高に敗退。 1958年、グラウンドに土を運ぶ作業中に土砂崩れで左骨盤を骨折し、卒業後に約束されていた伊予銀行への入社を断念する。卒業後は大毎オリオンズの入団テストを受けるも不合格。 1959年に東京鉄道管理局へ入社。 1961年の産業対抗では全国鉄のエースとして活躍、準々決勝に進むが熊谷組に惜敗。同大会の優秀選手に選出される。 1962年に国鉄スワローズへ入団。1年目から41試合に登板し、中継ぎ、抑えとして活躍する。 1966年はリーグ最多の62試合に登板し、初の規定投球回(リーグ7位、防御率2.33)にも達する。
佐藤 恒雄(さとう つねお、1941年2月 - 2025年1… 佐藤 恒雄(さとう つねお、1941年2月 - 2025年10月8日)は、日本の国文学者、香川大学名誉教授、広島女学院大学教授。 愛媛県四国中央市出身。 1965年東京教育大学国文科卒。1971年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。 香川大学にて助手、教育学部講師を経て1973年に助教授、1981年に教授となる。 2004年香川大学を定年退職し、名誉教授となり、その後は2005年に広島女学院大学文学部教授を務める。 2002年に『藤原定家研究』で角川源義賞を受賞し、2004年同書で筑波大学から文学博士を贈られる。 2025年10月8日死去。85歳没。没後に正四位に叙された。
石川 陽造(いしかわ ようぞう、1940年11月24日 - … 石川 陽造(いしかわ ようぞう、1940年11月24日 - )は、愛媛県伊予三島市(現・四国中央市)出身の元プロ野球選手(投手)。
井川 高雄(いかわ たかお、1937年8月28日 - 201… 井川 高雄(いかわ たかお、1937年8月28日 - 2019年9月19日)は、日本の実業家・経営者である。大王製紙創業家2代目で、同社社長・会長等を歴任した。 大王製紙の創業者である父伊勢吉の社長時代に、倒産という修羅場を経験したが、父と力を合わせて大王製紙を再建。家庭用紙への参入など時代の先を読む経営手腕を発揮して、同社を王子製紙、日本製紙に次ぐ業界3位の総合紙パルプメーカーに育て上げた。 1937年(昭和12年)、当時愛媛県宇摩郡三島町(現在の四国中央市)で製紙原料商を営んでいた井川伊勢吉の長男として生まれた。 1943年(昭和18年)、父・伊勢吉は大王製紙を創立、社長に就任した。 大阪府立北野高等学校を経て、慶應義塾大学文学部英文学科を1年ずつ浪人留年して卒業。
篠永 善雄(しのなが よしお、1927年〈昭和2年〉9月9日… 篠永 善雄(しのなが よしお、1927年〈昭和2年〉9月9日 - 2012年〈平成24年〉2月23日)は、日本の政治家。愛媛県伊予三島市(現・四国中央市)長。 愛媛県宇摩郡三島町(のち伊予三島市、現・四国中央市)出身。旧制愛媛県立三島中学校(現・愛媛県立三島高等学校)を経て、明治学院大学経済学部に入学するが、中退する。帰郷後は伊予三島市議会議員、同第25代副議長(1977年12月14日から1978年12月5日まで)、同第26代議長(1978年12月6日から1979年7月27日)となった。 1979年、森川孝夫の急死に伴い行われた市長選で伊予三島市長に自民党公認で立候補して、社会党・共産党推薦の新人ら2人を破って当選し、同年8月20日に就任した。
大黒 繁男(おおぐろ しげお、1925年(大正14年)5月2… 大黒 繁男(おおぐろ しげお、1925年(大正14年)5月20日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本海軍の戦闘機パイロット。初の神風特別攻撃隊の一隊である「敷島隊」に五番機として参加し、死後「敷島隊五軍神」の1人として顕彰された。このときの敷島隊の攻撃でアメリカ海軍の護衛空母セント・ローを撃沈した。 小学校の頃は何度も級長を務め、成績は一番であった。だが彼は、学業成績のことを両親には絶対言わず、通信簿も隠していた。貧しくて兄弟姉妹も多い家庭のため、進学は経済的に厳しく、両親を悩ませたくなかったからだという。教師の説得と父親の配慮で1年だけ新居浜工業学校に通い、住友機械工業に就職した。
今村 好信(いまむら よしのぶ、1919年(大正8年)12月… 今村 好信(いまむら よしのぶ、1919年(大正8年)12月3日 - )は、日本の技術者。日立機電工業の元取締役社長、名誉相談役。大日本帝国海軍の魚雷艇開発史についての著作がある。 1919年12月3日に、愛媛県上分町(現在の四国中央市の一部)で、今村家の二男一女の次男として生まれる。愛媛県立三島中学校(愛媛県立三島高等学校の前身の旧制中学校)、松山高等学校理科乙類を経て、1942年9月に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業する。 大学卒業後、日立製作所に入社するが、太平洋戦争中であったため、ただちに海軍の短期現役技術科士官に志願する。見習尉官としての半年の教育を経て、造機技術大尉(第32期技術科士官)として呉海軍工廠造機部機械工場や艦政本部5部で服務し、新兵器であった魚雷艇のエンジン開発などに従事する。
菅 季治(かん すえはる、1917年(大正6年)7月19日 … 菅 季治(かん すえはる、1917年(大正6年)7月19日 - 1950年(昭和25年)4月6日)は、日本の哲学者。シベリア抑留後、徳田要請問題に巻き込まれ悲劇的最期を遂げた人物として知られる。 愛媛県宇摩郡津根村(現四国中央市)で父勝吉・母ツ子の7人兄弟姉妹の三男として生まれ、5歳で北海道常呂郡野付牛町(現・北見市)に移住。父母は染物屋「三吉堂染舗」を経営し、近在の木材工場の印伴天や漁場の大漁旗を一手に引き受けていた。地元の小学校、野付中学校(現・北見北斗高等学校)を卒業し、1935年(昭和10年)に東京高等師範学校文科に入学、3学年終了後、東京文理科大学哲学科に入学し、務台理作、田中美知太郎に師事し、ギリシャ哲学、ヘーゲル哲学を学ぶ。
真鍋 元之(まなべ もとゆき、1910年9月12日 -198… 真鍋 元之(まなべ もとゆき、1910年9月12日 -1987年10月30日)は、日本の小説家、文芸評論家。大衆文学研究会会員。 愛媛県宇摩郡関川村(現・四国中央市)出身。1931年、広島高等師範学校(現・広島大学)国文科中退。上京して日本プロレタリア作家同盟に加入するが、後に脱退。1939年博文館に入社し、勤務の傍ら時代小説を執筆。戦後は数年間、新小説社の『大衆文芸』の編集をし、自ら「炎風」を連載。1958年『炎風』で新鷹会賞特別奨励賞を受賞。その後は実作及び評論を手がける。
井川 伊勢吉(いかわ いせきち、1909年〈明治42年〉11… 井川 伊勢吉(いかわ いせきち、1909年〈明治42年〉11月7日 - 1990年〈平成2年〉7月4日)は、日本の実業家。大王製紙創業者。幼名高助。大王製紙前会長井川意高の祖父。 1943年(昭和18年)大王製紙設立。1981年(昭和56年)県功労賞。1984年(昭和59年)伊予三島市名誉市民。1986年(昭和61年)愛媛放送賞受賞、同年勲二等瑞宝章。 井川伊勢吉は、幼名高助といった。チビだったため、低助のアダ名がついた。伊勢吉の経営者としてのスタートは、戦時下という特殊な事情もあって苦難の連続であったが、苦労を苦労としない不屈の精神力と決断力が今日を築いたといえる。 伊勢吉について、地元商店街の関係者によると「創業者の井川伊勢吉氏は、身長が百五十センチに満たない小柄な人でしたが、働き者でね。
藤田 真照(ふじた しんしょう、1907年(明治40年)4月… 藤田 真照(ふじた しんしょう、1907年(明治40年)4月1日 - 1966年(昭和41年)1月6日)は、日本の宗教家。天光教教祖。愛媛県四国中央市出身。本名は照見。 愛媛県宇摩郡土居町(現:四国中央市)で農家の三男として生まれた。1928年(昭和3年)京都帝国大学法学部を卒業後、外交官試験に合格して外務省に入り、上海領事館、漢口領事館に勤務した後、1935年(昭和10年)に退官、その後は満洲にて事業を営んだ。 19歳のときに大祖神からの神示を受けたとし、1938年(昭和13年)に「道照明神」の神号を名乗った。1948年(昭和23年)に東京都大田区大森で信修会教団を設立。1958年(昭和33年)に天光教と改称し、本部が大阪市天王寺区堂ヶ芝へ移る。
森川鹿次(もりかわ しかじ、1904年10月7日 - 198… 森川鹿次(もりかわ しかじ、1904年10月7日 - 1981年2月20日)は、日本のヤクザ。森川組初代。四代目山口組舎弟・矢嶋長次は、娘婿。愛媛県川之江町(現:四国中央市)出身。 明治37年(1904年)10月7日、愛媛県川之江町(現:川之江市)で生まれた。生家は士族の旧家だったが、すでに没落していた。幼少期には、メンコに熱中した。 その後、森川鹿次は、松山市に出て、呉服屋に丁稚奉公した。 大正14年(1925年)、森川鹿次は、妹・悦子と妹婿の檜垣信太郎とともに、満州大連に移り住んだ。森川鹿次と檜垣信太郎は、クリーニング屋を隠れ蓑にして、大連で拳銃を買い集め、大阪に密輸した。森川鹿次は、税関吏・宮内を買収していた。
井原 岸高(いはら きしたか、1903年〈明治36年〉4月2… 井原 岸高(いはら きしたか、1903年〈明治36年〉4月23日 - 1992年〈平成4年〉9月25日)は、日本の政治家。衆議院議員(8期)。 愛媛県、のちの伊予三島市(現四国中央市)で生まれた。1916年(大正5年)三島尋常高等小学校(現四国中央市立三島小学校)卒業後、土建業を営み、丸和商事、井原建設工業(株)を創立、社長、会長となる。 政界では、三島町会議員となり、1947年(昭和22年)に愛媛県議会議員に当選して2期在任し、県政クラブ会長、同副議長、同議長を歴任 1958年(昭和33年)2月9日に行われた第27回衆議院議員総選挙愛媛2区補欠選挙で自由民主党から出馬して初当選し、以後補欠選挙での当選2回を含めて通算8期務める。
合田 福太郎(ごうだ ふくたろう、1860年6月23日(万延… 合田 福太郎(ごうだ ふくたろう、1860年6月23日(万延元年5月5日)‐ 1921年(大正10年)5月29日) は、明治から大正期の日本の政治家。衆議院議員、愛媛県宇摩郡土居村長。 伊予国宇摩郡、のちの愛媛県宇摩郡土居村(土居町を経て現四国中央市) で、精米・瓦製造業、会田基次郎の長男として生まれた。小学校卒業後、尾崎山人(星山)の松菊舎に入り漢学を修めた。1882年(明治15年)愛媛県師範学校高等師範科を卒業した。 郷里の小学校で訓導兼校長を務めた。1889年(明治22年)町村制の施行に伴い土居村が発足すると初代村長に就任した。1891年(明治24年)11月、愛媛県会議員に選出され1898年(明治31年)まで在任。
鬼ヶ谷 才治(おにがたに さいじ、1855年4月19日(安政… 鬼ヶ谷 才治(おにがたに さいじ、1855年4月19日(安政2年3月3日) - 1931年(昭和6年)2月2日)は、伊予国宇摩郡(現:愛媛県四国中央市)出身の元大相撲力士。本名は鈴木 才治(すずき さいじ)。 1855年4月19日(旧暦3月3日)に伊予国宇摩郡(現:愛媛県四国中央市)で生まれた。当初は時津風部屋(大坂相撲)に入門し、本場所に登場するまでの巡業では愛媛潟と名乗った。1886年に梅ヶ谷藤太郎 (初代)から勧誘されて東京相撲に加入することが決まると、東京相撲では雷部屋に所属し、同年1月場所に二段目(現:幕下)格付出で東京相撲の初土俵を踏んだ。1887年1月場所で新入幕を果たすと、際立った好成績を残すことは無かったが地道な努力を重ね、1891年5月場所で小結昇進、この場所を5勝3敗1分で勝ち越して翌場所も小結を務めた。
コーイチ(11月29日 - )は、愛媛県四国中央市出身の男性… コーイチ(11月29日 - )は、愛媛県四国中央市出身の男性ナレーター、声優。 愛媛県四国中央市出身のナレーター、声優。CM、企業VP、テレビ番組などを中心に活動している。 学生時代に観たスポーツドキュメンタリー番組に感銘を受け、「人の心を動かす仕事」に興味を持つ。その後、ラジオドラマをきっかけに声の仕事を志した。 高校卒業後、愛知県へ。トヨタ自動車の期間従業員として勤務する傍ら、声優・ナレーター養成の専門学校で発声や演技、ナレーション技術を学ぶ。 その後、名古屋の声優・ナレーター事務所キャスト・プロに所属し、テレビCMナレーションでデビュー。CMや企業VPのナレーションを中心に活動した。 2012年にフリーランスへ転向し、活動拠点を東京へ移す。
吉田 アカリ(よしだ アカリ、9月19日 - )は、日本の女… 吉田 アカリ(よしだ アカリ、9月19日 - )は、日本の女性ドラマー。愛媛県四国中央市出身。高知大学農学部卒。 大学在学中、そして就職してからのバンド活動を経て上京。 2016年3月、ロックバンド「Unicycle dio(ユニサイクルディオ)」にドラマーとして加入。 2019年3月、ロックンロールバンド「The Lady Shelters(ザ・レディ・シェルターズ)を結成(ボーカル・ドラマー)。 The Local Pintsのサポートドラムを担当 。
白石 稔 は、日本の声優、ラジオパーソナリティ、俳優、司会者… 白石 稔 は、日本の声優、ラジオパーソナリティ、俳優、司会者、シンガーソングライター。愛媛県四国中央市(旧・川之江市)出身。アクセント所属。
木村 太彦(きむら たひこ)は、日本の漫画家。愛媛県四国中央… 木村 太彦(きむら たひこ)は、日本の漫画家。愛媛県四国中央市出身。男性。代表作は『瀬戸の花嫁』。 『月刊少年エース』の新人漫画賞の第2回奨励賞を受賞。 「余の名はズシオ」を『月刊少年エース』にて1998年8月号より2001年1月号まで連載された。「余の名はズシオ」の1巻発売の際に「石川恵三」から木村太彦に名前を変えた。「ARTIFACT;RED」を『月刊少年ガンガン』2001年1月号から『月刊ガンガンWING』2002年7月号まで連載した。 「瀬戸の花嫁」を『月刊ガンガンWING』2002年9月号から2008年4月号まで連載し『月刊ガンガンJOKER』に移籍し、2010年6月号から12月号まで連載された。