橋本 昇(はしもと のぼる、1948年2月6日 - )は、福… 橋本 昇(はしもと のぼる、1948年2月6日 - )は、福岡県北九州市出身の、日本の柔道家。階級は中量級(80kg級)。
福岡県 北九州市:495人
橋本 昇(はしもと のぼる、1948年2月6日 - )は、福… 橋本 昇(はしもと のぼる、1948年2月6日 - )は、福岡県北九州市出身の、日本の柔道家。階級は中量級(80kg級)。
青木 清(あおき きよし、1948年1月5日 - 2022年… 青木 清(あおき きよし、1948年1月5日 - 2022年9月5日)は、将棋棋士。2000年、引退。熊谷達人九段門下。棋士番号は133。福岡県北九州市出身。 奨励会では、プロ入り一歩手前の三段時代が10年間もあった。旧制度の三段リーグ(奨励会A組)では1967年度後期から制度が終わる1973年度後期まで13期を過ごした。その間、1968年度後期リーグでチャンスが巡ってきたが、東西決戦で池田修一、野本虎次に敗れて昇段を逃した。 1972年度、第2回奨励会若獅子戦・関西トーナメントで優勝。その決勝は中田章道1級を相手にした香落ち対局であった。また、同年度、第16回古豪新鋭戦でベスト4進出。 1977年8月20日、29歳でプロ入り。
大潮 憲司(おおしお けんじ、1948年(昭和23年)1月4… 大潮 憲司(おおしお けんじ、1948年(昭和23年)1月4日 - 2024年(令和6年)5月25日)は、福岡県八幡市(現・同県北九州市八幡東区)出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は波多野 兼二(はたの けんじ)。最高位は東小結(1978年1月場所)。現役当時の体格は186cm、143kg。得意手は左四つ、寄り、突き。 大相撲で通算1891回出場の史上1位記録を持つ。 引退後は年寄・式守秀五郎(通称・式秀)を襲名し、1992年(平成4年)から日本相撲協会を停年(定年。以下同)退職する2013年(平成25年)1月まで式秀部屋の師匠を務めた。 幼いころに両親が離婚し下宿屋で貧乏しながら育ち、いわゆる「おばあちゃん子」であった。
大川 栄子(おおかわ えいこ、1947年12月1日 - )は… 大川 栄子(おおかわ えいこ、1947年12月1日 - )は、日本の女優。福岡県北九州市出身。アネモイエンタテインメント所属(メンバー)。夫は河原崎建三。 小学3年生の時に北九州から上京。小学5年生の時に母親から、将来のために何か身につくことを勧められて東映児童演劇研修所に第1期生として入所。1962年8月12日公開の美空ひばり主演映画『ひばりの母恋いギター』(東映)でデビュー。その後、グラビアモデルとしても活動。高校生時代は水泳の選手でもあった。1965年秋、当時の東映社長・大川博の姓をもらって芸名を大川栄子とする。成城大学芸術学部卒業。文芸美学専攻で、卒業論文のテーマは「童話論」。大学在学中から、『キイハンター』にて記憶の天才・谷口ユミとしてコミカルな美女役で出演し、人気を得る。
陣内 秀信(じんない ひでのぶ、1947年10月7日- )は… 陣内 秀信(じんない ひでのぶ、1947年10月7日- )は、日本の建築史家。専門は、イタリア建築・都市史。学位は、工学博士(東京大学)。法政大学名誉教授。 イスラム圏を含む地中海地域、東京の都市を研究し、その魅力やあり方を論じる。著書に『東京の空間人類学』(1985年)、『都市と人間』(1993年)、『イタリア海洋都市の精神』(2008年)など。 福岡県北九州市生まれ。1971年東京大学工学部建築学科卒業。1973年から1975年にかけてイタリア政府給費留学生としてヴェネツィア建築大学に留学、翌年にはユネスコのローマ・センターに留学した。帰国後、1980年東京大学大学院工学系研究科博士課程単位取得退学。
木瀬 照雄(きせ てるお、1947年4月29日 - )は日本… 木瀬 照雄(きせ てるお、1947年4月29日 - )は日本の実業家。TOTO会長兼取締役会議長。社団法人日本建材・住宅設備産業協会(建産協)会長、九州経済連合会副会長。 福岡県北九州市出身。 1947年、福岡県北九州市に生まれる。幼稚園の同級生に大相撲元小結の大潮憲司。北九州市立高見中学校、ラ・サール高等学校、京都大学教育学部卒業。1970年、東陶機器(現・TOTO)株式会社入社。1992年営業本部営業企画部長就任。1996年取締役経営戦略室長、2000年取締役上席常務執行役員マーケティング本部長、2002年取締役専務執行役員販売推進グループ長に就任。2003年、同社社長に就任。2009年、同社会長兼取締役会議長に就任。
田下 啓子(たおり けいこ、1947年4月26日 - )は、… 田下 啓子(たおり けいこ、1947年4月26日 - )は、日本の著作家、映画プロデューサー、産業カウンセラー。 夫はマーケティングリサーチャー、経営者の田下憲雄。 福岡県北九州市出身。国立音楽大学卒。
安田 猛(やすだ たけし、1947年4月25日 - )は、福… 安田 猛(やすだ たけし、1947年4月25日 - )は、福岡県北九州市出身のプロ野球選手(投手)。
益本 康男(ますもと やすお、1947年4月21日 - 20… 益本 康男(ますもと やすお、1947年4月21日 - 2014年6月4日)は、日本の実業家。株式会社クボタの元会長兼社長。 福岡県北九州市出身。兵庫県立神戸高等学校を経て、1971年に京都大学工学部精密工学科を卒業し、久保田鉄工(現クボタ)に入社するが、2年目で出社拒否となった。建設機械事業、宇都宮工場のコンバイン生産、鉄管事業の再建をした、部門を超えたコミュニケーションのため「社員バー」を開業。 2009年から社長。2012年1億3500万円の役員報酬を、2013年1億5100万円の役員報酬を受けた。2014年急逝。67歳没。
高宮 俊諦(たかみや としあき、1947年3月29日 ‐ )… 高宮 俊諦(たかみや としあき、1947年3月29日 ‐ )は日本の実業家。株式会社タカミヤ代表取締役会長。 福岡県北九州市出身。同社創業者の高宮義諦の長男。立教大学卒業。 2016年(平成28年)2月、代表取締役会長に就任。 日本会議福岡副会長、(公財)日本釣振興会会長、(公財)タカミヤ・マリバー環境保護財団理事長、福岡経済同友会副代表幹事、八幡優良申告法人会理事長、日赤紺綬会八幡部会長、北九州市海釣り公園設置推進協議会会長、紫川にアユを呼び戻す会の会長、日本ボーイスカウト福岡県連北九州西地区協議会会長などを務める。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
徳永 晴美(とくなが はるみ、1947年 - 2022年8月… 徳永 晴美(とくなが はるみ、1947年 - 2022年8月1日)は、ロシア語通訳者で、元上智大学外国語学部教授である。朝日新聞客員。横浜ロシア語センター講師。男性。 1947年北九州市出身。1965年に福岡県立戸畑高等学校を卒業後モスクワに留学、1965年ルムンバ大学予科入学、1966年同大歴史・文学部入学(ロシア文学専攻)。 1970年6月、ソ連国内大学対象ロシア語国家試験A合格。ソビエト連邦モスクワ・ルムンバ大学を修士号(MA)取得卒業。1970年に帰国後、同年9月よりソ連の新聞『トルード』(露: Труд)東京支局長補佐ととなる。1975年より1978年7月まで同支局顧問。1978年夏期,モスクワ大学のロシア語教授法研究コースに短期留学。
東 順治(ひがし じゅんじ、1946年10月6日 - 202… 東 順治(ひがし じゅんじ、1946年10月6日 - 2023年10月17日)は、日本の政治家。 衆議院議員(7期)、防衛政務次官(羽田内閣)、公明党副代表などを歴任した。 1946年10月3日、福岡県若松市に生まれる。1962年3月、若松市立第五中学校を卒業。1965年3月、八幡大学附属高等学校を卒業。1969年3月、北九州大学外国語学部米英学科を卒業。 1990年2月18日、第39回衆議院議員総選挙に公明党公認候補として旧福岡2区から立候補し、初当選。1993年7月18日、第40回衆議院議員総選挙で2選。 1994年、羽田内閣が発足し、神田厚防衛庁長官の下で防衛政務次官に就任。 1996年10月20日、小選挙区比例代表並立制の下で初めて行われた第41回衆議院議員総選挙において福岡4区から新進党公認候補として立候補し、自民党の渡辺具能に敗れて落選。
今西 祐一郎(いまにし ゆういちろう、1946年8月6日 -… 今西 祐一郎(いまにし ゆういちろう、1946年8月6日 - )は、日本の国文学者。国文学研究資料館名誉教授・元館長。九州大学名誉教授。文学博士。日本学術会議会員。児童文学作家の今西祐行は叔父。 福岡県北九州市生まれ。1969年京都大学文学部国文科卒、1972年同大学院修士課程修了、1974年静岡県立静岡女子大学講師、のち助教授、1978年京都府立大学助教授、1985年九州大学助教授、教授、文学部学部長を経て、九州大学副学長・理事。2009年3月、九州大学退職。同4月、総合研究大学院大学文化科学研究科日本文学研究専攻教授、国文学研究資料館館長に就任。2017年3月末をもって、退職。 『蜻蛉日記』が専門で、同書は藤原兼家の協力を得て書かれた、兼家家集の宣伝のためのものだという説を唱えている。
中島 義道(なかじま よしみち、1946年7月9日 - )は… 中島 義道(なかじま よしみち、1946年7月9日 - )は、作家。元電気通信大学教授。専攻はドイツ哲学、時間論、自我論。イマヌエル・カントが専門。 1946年、福岡県門司市生まれ。1965年、神奈川県立川崎高等学校を卒業。東京大学文科I類に入学した。1971年、東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業。その後は同大学大学院人文科学研究科に進んだ。1973年、東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程を退学。東京大学法学部に移って1976年に卒業した。1977年、 東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程を修了し、文学修士号を取得。その後、オーストリアに渡り、1983年にウィーン大学基礎総合学部哲学科を修了し、ウィーン大学に学位論文『カントの時間構成の理論』を提出して哲学博士号を取得。
福田 仁一(ふくだ じんいち、1946年3月2日 - )は、… 福田 仁一(ふくだ じんいち、1946年3月2日 - )は、日本の歯学博士、九州歯科大学元理事長(元学長)。 福岡県小倉市(現・北九州市)出身。福岡県立小倉西高等学校から九州歯科大学に進み、同大学院歯学研究科(口腔外科学専攻)修了。1975年歯学博士。学位論文の題は 「幼若犬永久歯歯胚および周囲組織に対するBetatron電子線限局照射の影響に関する実験的研究 」。九州歯科大学助手、スイス・バーゼル大学在外研究員、福岡大学医学部助教授を経て九州歯科大学教授。1999年附属病院長、2002年学長に就任。専門は口腔外科で、文部科学省、厚生労働省の各種委員を務めるほか、九州歯科学会会長、日本口腔外科学会理事長などの要職にある。
吉田 彩子(よしだ さいこ、1946年 - )は、日本のスペ… 吉田 彩子(よしだ さいこ、1946年 - )は、日本のスペイン文学者、清泉女子大学名誉教授。 福岡県北九州市生まれ。清泉女子大学文学部スペイン語スペイン文学科卒業、上智大学大学院外国語学研究科言語学専攻博士課程満期退学。清泉女子大学助教授、教授を務めた。2017年定年、名誉教授。若いころ児童文学『月が死んだ日』を書いている。
自見 庄三郎(じみ しょうざぶろう、1945年〈昭和20年〉… 自見 庄三郎(じみ しょうざぶろう、1945年〈昭和20年〉11月5日 ‐ )は、日本の政治家、医師。 ハーバード大学公衆衛生学部主任研究員、九州大学医学部講師、衆議院議員(7期)、参議院議員(1期)、郵政大臣(第63代)、内閣府特命担当大臣(金融担当)・郵政改革担当大臣(菅直人内閣、野田内閣)、国民新党代表(第3代)、同幹事長(第2代)などを歴任した。 福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)生まれ。1958年に小倉市立堺町小学校(現・北九州市立小倉中央小学校)、1961年に福岡学芸大学附属小倉中学校(現・福岡教育大学附属小倉中学校)、1964年に福岡県立小倉高等学校を卒業し、九州大学医学部へ入学。
わたせ せいぞう(本名:渡瀬 政造、1945年2月15日 -… わたせ せいぞう(本名:渡瀬 政造、1945年2月15日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。福岡県北九州市出身。 兵庫県神戸市で生まれ、生後まもなく小倉市(現北九州市)に転出し、高校まで同地で過ごした。 小倉市立堺町小学校(現北九州市立小倉中央小学校)、明治学園中学校、福岡県立小倉高等学校、早稲田大学法学部卒業。 大学卒業後は、同和火災海上保険(現あいおいニッセイ同和損害保険)の総合職として勤務。 入社して3年目に作家の永井路子の講演会を聞きに行き、直接話す機会を得る。この時自作の4コマ漫画を持っていったところ、「渡瀬さん、漫画家になりたいんだ!」と言われ、漫画家になることを意識する。永井から『週刊漫画サンデー』の編集長を紹介され、園山俊二に師事する。
隈部 崇之(くまべ たかゆき、1945年2月13日 - )は… 隈部 崇之(くまべ たかゆき、1945年2月13日 - )は、元RKB毎日放送アナウンサーで、現在も福岡県を拠点に活動するフリーのスポーツアナウンサーである。 福岡県北九州市出身。中央大学卒業後1967年、RKBに入り、プロ野球やマラソンなど、数多くのスポーツ中継にかかわった。2001年頃に早期退職してフリーとなってからも、引き続き地元に拠点を置いて野球中継などに携わる。 息子が2人いるが、ともにラグビーをやっており、全国高校ラグビーの福岡県大会において2人が出た試合の実況を行ったという。そのことで隈部は当時スポーツニッポン西部版の取材を受けた。また隈部本人も、ラグビー経験があった。花園ラグビー場からの中継では、メイン制作局のMBSやTBSのアナウンサーとともに実況していた。
貫 正義(ぬき まさよし、1945年1月27日 - )は、日… 貫 正義(ぬき まさよし、1945年1月27日 - )は、日本の実業家。元九州電力会長。日本電気協会会長。福岡県北九州市出身。 福岡出身。福岡県立八幡中央高等学校を経て、1968年3月、九州大学経済学部を卒業。高木暢哉ゼミ出身。同年4月、九州電力株式会社入社。 九州電力では社長を経験しない初めての会長となった。福岡県文化団体連合会会長、福岡経済同友会代表幹事なども務める。 眞部利應とは同期入社の盟友と言われ、やらせメール事件が発覚した当時は副社長の1人であった。
森本 俊治(もりもと としはる、1945年1月14日 - )… 森本 俊治(もりもと としはる、1945年1月14日 - )は、福岡県北九州市出身のプロゴルファー。 息子の森本真祐はエースキャディ。 福岡県立小倉商業高等学校出身。 21歳でゴルフを始め、1973年にプロ入りする。 1974年の中部オープンでは初日に69をマークして首位でスタートし、最終日には優勝した橘田規から7打差2位に入った。 1975年のKBCオーガスタでは初日を許勝三(中華民国)・川上実・西田升平・小林富士夫と並んでの11位タイでスタートし、2日目には69をマークして草壁政治・前田新作と並んでの4位タイに浮上。3日目は前田と共に73とスコアを伸ばせず、青木功・石井裕士と並んでの4位タイに留まった。
弘友 和夫(ひろとも かずお、1944年8月17日 - )は… 弘友 和夫(ひろとも かずお、1944年8月17日 - )は、日本の政治家。公明党所属の元参議院議員(2期)、元衆議院議員。 姉は元宝塚歌劇団の小文字まり(44期。上田睦子)。剣道教士七段、居合道二段。全日本剣道連盟顧問、武道議員連盟副会長、日本武道館理事。
北村 英一(きたむら ひでかず、1944年7月8日 - 20… 北村 英一(きたむら ひでかず、1944年7月8日 - 2022年6月25日)は、日本のテレビプロデューサー。クリエイティブハウストップキャット代表取締役。 福岡県北九州市出身。福岡県立東筑高等学校、青山学院大学卒業。 少年時代は画家に憧れ、中学・高校と美術部に所属。しかし、大学時代に自身の画家としての力量不足を感じ断念。 その後、絵画では難しいが映像なら自分の世界を表現できるのではと思い、映像業界を志望し、1968年に日本教育テレビ(1977年よりテレビ朝日)に入社。以降、バラエティ番組・情報番組を中心に様々な番組の制作を手掛けた。 また同社の事業局統括役員を2000年2月から2009年6月まで務め、その間、常務取締役まで昇進した。
鳥越 碧(とりごえ みどり、1944年5月17日 - )は、… 鳥越 碧(とりごえ みどり、1944年5月17日 - )は、日本の小説家。女性。 福岡県北九州市生まれ。1967年、同志社女子大学学芸学部英文学科(英文学専攻)卒業。商社勤務を経て、1990年、尾形光琳の生涯を描いた『雁金屋草紙』により、第1回時代小説大賞(株式会社講談社主催)を受賞、小説家デビューを果たす。以降、多数の時代小説を上梓している。横浜市青葉区在住。 2013年10月14日、同志社同窓会の120周年記念講演会で、講演を行い、『めぐり逢い 新島八重回想記』の執筆に関して、「当初は、執筆する意欲があまりなかったが、新島襄と八重が、群馬と会津にいながら、どのように出会ったかを考えたときに興味が湧き、執筆の過程では、襄の熱意に感動した」と語った。
佐藤 征一(さとう せいいち、1944年4月28日 - )は… 佐藤 征一(さとう せいいち、1944年4月28日 - )は、福岡県北九州市出身のフリーアナウンサー。 小倉高校時代の同級生には漫画家・イラストレーターのわたせせいぞうがいる。法政大学卒業後の1967年にテレビ西日本へ入社し、主にプロ野球・公営競技などのスポーツ中継を担当。特に競馬中継→エキサイティング競馬→ドリーム競馬の小倉開催分のメインキャスターを務め、退職までの数年間はプロデューサーも兼務。これは後輩の川﨑聡にも引き継がれた。プロ野球ニュースでは福岡からのコーナーキャスターも担当し、時間終わりの「佐藤アナ・今日の一句」は番組名物となった。TVQ開局前の1990年まで小倉競輪場・飯塚オートレース場の特別競走を実況し、特に小倉の競輪祭はテレビ東京系列でも放送された。
小江 紘司(おえ こうじ、1944年2月23日 - )は、日… 小江 紘司(おえ こうじ、1944年2月23日 - )は、日本の経営者、工学博士。DIC社長、会長を務めた。福岡県北九州市出身。 1969年に九州大学大学院工学研究科を修了し、1970年に九州大学生産科学研究所に入所。1981年3月に大日本インキ化学工業に転じ、2000年6月に取締役に就任し、2002年6月に常務、2003年6月に専務を経て、2004年6月に社長に就任。2009年4月には会長に就任。
小田原 智一(おだはら ともかず、1944年2月12日 - … 小田原 智一(おだはら ともかず、1944年2月12日 - )は、日本の実業家。福岡空港ビルディング代表取締役社長や、九州大学学術研究都市推進機構理事長を経て、福岡証券取引所理事長。 福岡県北九州市出身。福岡県立東筑高等学校を経て、1966年九州大学法学部卒業、九州電力入社。九州電力理事人事労務部長、九州電力執行役員鹿児島支店長などを経て、2003年九州電力取締役。2004年九州電力常務取締役。2007年から福岡空港ビルディング代表取締役社長を務め、利便性の向上などにあたった。2009年九州大学学術研究都市推進機構理事長。2016年福岡空港ビルディング顧問。2017年福岡証券取引所理事長。
大前 研一(おおまえ けんいち、1943年2月21日 - )… 大前 研一(おおまえ けんいち、1943年2月21日 - )は、日本の経営コンサルタント、起業家。 マサチューセッツ工科大学博士。マッキンゼー日本支社長を経て、カリフォルニア大学ロサンゼルス校公共政策大学院教授やスタンフォード大学経営大学院客員教授を歴任。 現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長、韓国梨花女子大学国際大学院名誉教授、高麗大学名誉客員教授、(株)大前・アンド・アソシエーツ創業者兼取締役、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役社長等を務める。 「ボーダレス経済学と地域国家論」提唱者。 福岡県若松市(現北九州市若松区)出身、ただし幼少期。父・忠男は長崎県対馬の漁師の家に生まれた三男で、博多の百貨店に勤めていた時に陸軍に召集された陸軍大尉。
谷 正明(たに まさあき、1943年1月23日 - )は、日… 谷 正明(たに まさあき、1943年1月23日 - )は、日本の銀行家・実業家。国際医療福祉大学理事。ふくおかフィナンシャルグループ代表取締役社長兼会長や福岡銀行頭取、全国地方銀行協会会長、西部瓦斯やRKB毎日放送の社外取締役、西日本鉄道の監査等委員などを務めた。 福岡県北九州市出身。福岡県立東筑高等学校、早稲田大学第一法学部卒業。福岡銀行に入行後に同行の取締役や総合企画部長、常務、専務、副頭取などを経て、2005年に寺本清の後任として同行の頭取に就任する。頭取を日本銀行出身者が長く占めてきた福岡銀行では、50年ぶりの生え抜き頭取となった。2007年に福岡銀行と熊本ファミリー銀行との株式移転により金融持株会社としてふくおかフィナンシャルグループが設立されると、同社の会長兼社長に就任する。
水戸英則(みと ひでのり、1943年 - )は、日本の銀行家… 水戸英則(みと ひでのり、1943年 - )は、日本の銀行家、大学理事長。福岡県北九州市出身。日本銀行を経て、現在、学校法人二松学舎の理事長。 1969年、九州大学経済学部を卒業。同年日本銀行に入行。1973年にフランス政府留学、1992年日本銀行青森支店長、1996年株式会社肥後銀行常務取締役に就任。2004年学校法人二松学舎入職、2005年には評議員、常任理事、2011年理事長就任、現在に至る。2007年から二松学舎大学非常勤講師。 文部科学省国立大学法人評価委員会委員、同分科会委員、同第II期専門委員、同業務・財務等審議専門部会委員、日本私立大学協会評議員、同理事会監事、同関東地区連絡協議会監査役、IAUP(世界大学総長協会)日本委員会委員、独立行政法人大学評価・学位授与機構大学ポートレート運営会議委員など。
波平 恵美子(なみひら えみこ、1942年11月 - )は、… 波平 恵美子(なみひら えみこ、1942年11月 - )は、日本の文化人類学者。お茶の水女子大学名誉教授。日本民族学会(現・日本文化人類学会)第19期会長。専門は文化人類学、特に医療人類学、宗教人類学、ジェンダー論。日本文化論(日本民俗学)における「ハレ・ケ・ケガレ」という三項対置の概念を示した。福岡県北九州市出身。
大竹 英雄(おおたけ ひでお、1942年(昭和17年)5月1… 大竹 英雄(おおたけ ひでお、1942年(昭和17年)5月12日 - )は、2021年に引退した囲碁棋士。名誉碁聖。福岡県北九州市出身、日本棋院所東京本院所属、木谷實九段門下、九段。 碁聖位6連覇、名人位4期、世界囲碁選手権富士通杯優勝など。 厚く味のよい形を好む本格的な棋風で大器、大竹美学と呼ばれる。布石では小目を好む。またNHK杯優勝5回など早碁を得意とし「早碁の神様」、名人戦では挑戦手合通算12回出場などで「名人戦男」などのニックネームを持つ。同年同月生まれでライバルでもある林海峰と並んで"竹林"とも称される。 通算タイトル獲得数は48で、囲碁棋士の獲得タイトル数ランキング歴代5位。門下に西村慶二八段。
津村 禮次郎(つむら れいじろう、1942年 - )は、シテ… 津村 禮次郎(つむら れいじろう、1942年 - )は、シテ方観世流の能楽師。二松學舍大学文学部特任教授。観世流緑泉会代表、重要無形文化財「能楽」保持者(総合認定)、福岡県出身。 1942年福岡県北九州市生まれ。1960年福岡県立八幡高等学校卒業、1963年能「花月」初シテ、翌年一橋大学経済学部卒業、1969年一橋大学社会学部卒業。在学中に一橋観世会で女流能楽師の津村紀三子に師事し、能楽師の道を志す。卒業の後は先代観世喜之に師事する。1967年4月日蓮宗本山海光山佛現寺において出家得度(板垣日応上人門弟)し、同年8月に身延山信行道場を修了し僧籍を取得する。同年師の津村紀三子の養子となる。1970年観世流師範 、1971年能「道成寺」初演。
小川 弘毅(おがわ ひろき、1941年9月21日 - )は、… 小川 弘毅(おがわ ひろき、1941年9月21日 - )は、日本の実業家。西部ガス代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本ガス協会副会長などを歴任した。 福岡県北九州市出身。1960年福岡県立小倉高等学校卒業。1964年明治大学政治経済学部卒業。同年西部ガス入社。1994年西部ガス取締役。1998西部ガス常務取締役。2000年西部ガス専務取締役。2002年西部ガス代表取締役副社長。2003年山崎宮市、塩屋義之に続く明大出身者として3人目となる西部ガス代表取締役社長に昇格。同年日本ガス協会常任理事、日本ガス協会九州部会長。2004年天然ガス導入促進センター理事。2008年西部ガス代表取締役会長、日本ガス協会副会長。
細木 郁代(ほそき いくよ、1941年〈昭和16年〉5月 -… 細木 郁代(ほそき いくよ、1941年〈昭和16年〉5月 - )は、日本の源氏物語研究者。福岡県北九州市小倉生まれ。福岡学芸大学附属小倉小学校、小林聖心女子学院中学校・高等学校卒業。1964年聖心女子大学文学部卒業。1971年より計7年間を、イギリス・ロンドン、ドイツ・デュッセルドルフ、セルビア・ベオグラードで過ごす。1992年より市民講座(東京都杉並区、神奈川県鎌倉市腰越など)の講師を務める。
君原 健二(きみはら けんじ、1941年3月20日 - )は… 君原 健二(きみはら けんじ、1941年3月20日 - )は、日本の男子陸上競技(長距離走・マラソン)選手。1960年代から1970年代前半の戦後日本の男子マラソン第1次黄金時代に活躍したランナーである。また、オリンピックには3大会連続で男子マラソン日本代表として出場した。福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)出身。 出生当時、実家は小倉市で小間物屋を営んでいた。5人兄弟の3番目で、姉、兄、弟2人がいる。中学時代、友人から駅伝クラブに入るよう勧められ、断り切れずに陸上を始める。福岡県立戸畑中央高等学校(現・福岡県立ひびき高等学校)時代はインターハイでも予選落ちを経験するなどとりわけ目立った選手ではなく、高校を卒業後の就職活動も思わしくない中、八幡製鐵(現在の日本製鉄)より陸上部の長距離を強化する目的でスカウトされ、卒業直前にようやく入社が決まったという。
有田 泰而(ありた たいじ、1941年1月31日 - 201… 有田 泰而(ありた たいじ、1941年1月31日 - 2011年7月17日)は、日本の商業写真家。非商業的なヌード作品なども発表し、写真以外の芸術作品も制作した。 有田泰而は、1941年1月31日に、当時の福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)に生まれた。中央大学法学部に進学したものの、程なくして写真家を志し、東京綜合写真専門学校の学生となって石元泰博の下で学んだ。 有田は、1964年から1991年まで、もっぱら写真家として活動した。1964年から1966年には、日本デザインセンター写真部に所属し、その後、1977年まではフリーランスの写真家として数多くの出版社や広告企業に作品を提供した。1975年に、自分の家族(最初の妻とその息子)を撮影した「First Born」の作品群を発表した。
井上紫城(いのうえ しじょう、1941年〈昭和16年〉- )… 井上紫城(いのうえ しじょう、1941年〈昭和16年〉- )は、日本の画家。福岡県北九州市出身。日本美術院院友、日府展専務理事、日府賞受賞、外務省買い上げ作品に選出。 1941年、福岡県北九州市に生まれる。1967年、東京芸術大学大学院日本画科を修了する。在学中に日本美術院展に入選し、日本美術院院友となる。1978年、日府展専務理事に就任し、日府賞を受賞する。1998年、「北の朝」が外務省に買い上げられた。2022年、Art Collectors 完売作家に掲載。その後もグループ展の主宰や個展を全国で続ける。 花鳥風月をモチーフに、自然の息遣いをとらえた日本画として紹介されている。古来からの花鳥風月の枠に縛られない桜、椿、薔薇、富士、鯉、猫などを題材にした作品が掲載されており、柔らかな題材を金箔や日本画の技法でまとめた作品が特徴。
細川 俊之(ほそかわ としゆき、1940年〈昭和15年〉12… 細川 俊之(ほそかわ としゆき、1940年〈昭和15年〉12月15日 - 2011年〈平成23年〉1月14日)は、日本の俳優。所属事務所は活動屋。 福岡県生まれ、山口県下関市育ち。山口県立豊浦高等学校卒業、学習院大学政経学部中退。 山口県豊浦郡西市小学校、山口県豊浦郡西市中学校を経て、1956年、山口県立西市高等学校に入学するが、翌1957年、山口県立豊浦高等学校へ転校。同校を卒業後、1959年、学習院大学政経学部へ入学。大学では演劇部に所属していた。 1961年、大学を中退し、一旦下関に戻った後、再び上京し同年俳優座の試験を受け合格し、俳優座養成所第13期生となる。1964年、同養成所卒業と同時に石立鉄男らと文学座研究生となり、初舞台は『無害な毒薬』。
延吉 正清(のぶよし まさきよ、1940年〈昭和15年〉6月… 延吉 正清(のぶよし まさきよ、1940年〈昭和15年〉6月11日 - )は、日本の医師。前小倉記念病院院長、京都大学医学部循環器内科臨床教授、日本心血管インターベンション学会名誉理事長。 福岡県北九州市小倉南区出身。福岡県立小倉高等学校卒業後、京都大学医学部卒業。1974年より社会保険小倉記念病院内科に勤務。 1981年に心臓のカテーテル治療(血管内治療)を日本で初めて行った医師として知られる。普通の医師ならカテーテルを心臓まで送るのに数分かかるが、延吉は同様の処置を10秒ほどで行うため、通常であれば1時間かかる治療を10分程度で済ませることができるという。 多い時は1日に20件以上、年間3,000件に上る心臓カテーテル治療を行い、これまでに5万人以上もの心臓疾患の患者を救ったことから「心臓カテーテルの神様」と呼ばれる。
古川 晶章(ふるかわ まさあき、1940年3月3日 -201… 古川 晶章(ふるかわ まさあき、1940年3月3日 -2012年10月13日 )は、日本の実業家、豊田通商株式会社元代表取締役会長、社長、相談役。2011年、旭日重光章。 1940年3月3日、福岡県北九州市生まれ。1962年3月、立教大学経済学部卒業。 1962年4月、豊田通商株式会社入社。1987年6月、同社取締役就任、1993年6月、常務取締役、1997年6月専務取締役、1999年6月取締役副社長。 2001年6月、代表取締役社長就任、2005年6月、取締役会長、2010年6月相談役。 2010年4月、フィリピン共和国「THE ORDER of SIKATUNA国家勲章」受章。翌2011年6月、旭日重光章受章、フランス「レジオンドヌール勲章シュバリエ」受章。
麻生 渡(あそう わたる、1939年〈昭和14年〉5月15日… 麻生 渡(あそう わたる、1939年〈昭和14年〉5月15日 - 2025年〈令和7年〉3月15日)は、日本の官僚、政治家。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。 第13-16代福岡県知事、第10代全国知事会会長、自治体国際化協会会長、福岡空港ビルディング代表取締役社長、財団法人地域創造理事、特許庁長官などを歴任。同時代の政治家で、元内閣総理大臣の麻生太郎は同姓で同じく福岡県を地元とするが、両者の間に血縁関係はない。 福岡県戸畑市(現・北九州市戸畑区)出身。福岡県立戸畑高等学校を経て京都大学法学部卒業後、1963年当時の通商産業省に入省。入省同期に牧野力、高島章、秋山收など。 当初は前任者の奥田八二が社会党系だったのと異なり与野党相乗りとして立候補していたが、途中から民主党は対立候補を擁立するようになり、民主党支持である職員労働組合とも対立するようになった。
足立 正生(あだち まさお、1939年〈昭和14年〉5月13… 足立 正生(あだち まさお、1939年〈昭和14年〉5月13日 - )は、日本の映画監督・脚本家・俳優。パレスチナ解放人民戦線・日本赤軍の元メンバー。 福岡県八幡市(現・北九州市八幡東区)出身。日本大学芸術学部映画学科中退。若松プロダクション参加、若松孝二の盟友とされる。 1939年5月13日、福岡県八幡市(現・北九州市八幡東区)に生まれた。八幡市立中央中学校と福岡県立八幡高等学校を卒業。1959年、日本大学芸術学部映画学科に入学。新映画研究会を立ち上げた。同時期に、VAN映画科学研究所を設立。 1961年の監督映画『椀』が学生映画祭大賞を受賞し、1963年の自主製作映画『鎖陰』でも脚光を浴びた。
城戸 則文(きど のりふみ、1939年3月5日 - )は、福… 城戸 則文(きど のりふみ、1939年3月5日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 画家でタレントの城戸真亜子は姪に当たる。 常磐高校から1957年に西鉄ライオンズへ入団。大型内野手として期待され、1958年にはウエスタン・リーグの本塁打王と打点王を獲得。入団して2年間はあまり一軍の試合に出られなかったが、3年目の1959年には中西太の故障もあって開幕から三塁手として起用される。同年の近鉄戦で黒田勉に死球を受け、深刻なダメージを受けた影響で、後に極端に死球の少ない選手として知られる。打撃フォームも極端なクローズドスタンスから身体を開きつつ打つ独特なもので、死球を避ける工夫でもあった。
松行 康夫(まつゆき やすお、1937年10月1日 - )は… 松行 康夫(まつゆき やすお、1937年10月1日 - )は、日本の経営学者。学術博士(慶應義塾大学・論文博士・1985年)。東洋大学名誉教授。 福岡県北九州市出身。1962年電気通信大学通信経営学科卒、1967年国際基督教大学大学院修士課程修了、1985年「地域計量経済モデルによる地方自治経営制御政策に関する研究 近郊都市としての三鷹市の事例研究」で学術博士(慶應義塾大学)の学位を取得。1967年国際基督教大学助手、1969年東京農工大学講師、1970年助教授、1990年教授、1991年東洋大学経営学部教授。2008年定年、名誉教授。
千々和 久幸(ちぢわ ひさゆき、1937年3月14日 - )… 千々和 久幸(ちぢわ ひさゆき、1937年3月14日 - )は、日本の歌人、詩人。 福岡県北九州市生まれ。福岡県立東筑高等学校、明治大学法学部英法科卒業。大学時代は、思想・評論を中心とした雑誌「駿台論潮」編集部に籍を置く。 1956年、作歌を始め、歌誌「香蘭」に入会、村野次郎に師事。1961年、詩誌「沙漠」に入会。1964年、山本哲也と詩誌「砦」を創刊。1965年、第一詩集『恋唄』を刊行。1975年、佃学と詩誌「アポクチファ」を創刊(1978年、「邯鄲」に改組)。1981年、第一歌集『壜と思慕』を刊行。1988年、「現代短歌を評論する会」に参加。 2001年、「香蘭」代表に就任。2010年、横浜歌人会代表委員に就任(2013年退任)。
柴 桂子(しば けいこ、1937年2月18日 - )は、日本… 柴 桂子(しば けいこ、1937年2月18日 - )は、日本の歴史学者。桂文庫主宰。専門は日本近世史・女性史。 福岡県北九州市生まれ。高校卒業後9年間のブランクを経て早稲田大学文学部入学、在学中に結婚。卒業論文『江戸時代の女たち 封建社会に生きた女性の精神生活』が単行本となる。 80歳を機に静岡県掛川市に転居、引き続き勉強会などを主宰している。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
小林 千登勢(こばやし ちとせ、本名:山本 千登勢(やまもと… 小林 千登勢(こばやし ちとせ、本名:山本 千登勢(やまもと ちとせ)、1937年2月13日 - 2003年11月26日)は、日本の女優、タレント。夫は山本耕一。愛称は「おっかさん」。 朝鮮京畿道京城府(現:大韓民国ソウル特別市)生まれ。戦後に福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)に引き揚げ、のちに東京へ移る。 共立女子高等学校卒業後、文学座の研究生となり、1958年にNHKと専属契約を結ぶ。清純さの中にどこか哀愁を漂わせ、「鈴を張ったような」と形容された大きな目の美貌で人気を集め[要出典]、馬渕晴子と冨士眞奈美と合わせて「NHK三人娘」と呼ばれ、テレビ草創期のスターとなった。 1965年、俳優の山本耕一と結婚。
上条 英男(かみじょう ひでお、本名:井上 英男 - いのう… 上条 英男(かみじょう ひでお、本名:井上 英男 - いのうえ ひでお、1937年1月10日 - 2025年7月13日)は、日本の実業家・芸能プロデューサー。 福岡県北九州市に出生。福岡県立八幡中央高等学校を卒業後関西大学文学部に進学するが、次第に音楽活動に傾倒し中退した。4・9・1(フォー・ナイン・エース)を結成して東北、北海道を巡業し、1966年には芸能プロデューサーに転向した。 芸能プロデューサーとしては4・9・1のボーカリストとしてジョー山中をスカウトしたのを皮切りに小山ルミ、吉沢京子、西城秀樹、安西マリア、田口久美、舘ひろし、川島なお美などを次々と発掘した。1960年代後半から1980年代初頭にかけて芸能界に重きをなした。
戸田 奈津子(とだ なつこ、1936年7月3日 - )は、日… 戸田 奈津子(とだ なつこ、1936年7月3日 - )は、日本の映画字幕翻訳家、通訳者、映画翻訳家協会元会長。神田外語大学客員教授・神田外語学院アカデミックアドバイザー。 福岡県戸畑市(現:北九州市戸畑区)に生まれる。戸田が1歳のときに銀行員であった父が日中戦争下の上海で戦死し、母の実家のある東京・世田谷に転居した。このため、出身地は東京都としている。第二次世界大戦中で娯楽の無かった子供時代を過ごしたため、終戦の翌年から解禁された外国映画を見て衝撃を受ける。中学生の後半からは一人で映画を見にいくようになり、高校生の頃から名画座などに通い詰める。 母が東京女子高等師範学校(現:お茶の水女子大学)卒業後、高校教諭をしていた関係でお茶の水女子大学附属幼稚園に入園。