野口 侑真(のぐち ゆうま、2001年9月18日 - )は、… 野口 侑真(のぐち ゆうま、2001年9月18日 - )は、日本のバスケットボール選手である。鹿児島県薩摩川内市出身。日本大学卒。ポジションはスモールフォワード。 薩摩川内市立川内中央中学校から鹿児島県立川内高等学校へ進み、2017-19にかけてウィンターカップへ出場した。 2020年4月、日本大学へ進学した。2年次には全日本大学バスケットボール選手権(インカレ)2021年(ベスト8)、3年次には関東大学バスケットボール新人戦(5位決定戦決勝)・全日本バスケットボール新人戦2022年・同インカレ(ともに3位決定戦)、4年次には関東大学バスケットボール新人戦(3位決定戦)・全日本バスケットボール新人戦2023年(決勝トーナメント準決勝)・同インカレ(ベスト8)等に出場した。
岸本 彩華(きしもと いろは、1999年3月31日)は、日本… 岸本 彩華(きしもと いろは、1999年3月31日)は、日本の元ラグビー選手。主なポジションはプロップ(PR)。東京山九フェニックスの選手 現在は、自社ブランド「Maresta」を立ち上げて、ブランドディレクター兼デザイナーを務めている。 鹿児島県甑島出身。中学校2年の終わりに兄の影響でラグビーを始め、鹿児島県立鹿児島工業高等学校に入学し、ラグビー部に入部する。当時初の女子部員として、男子部員と一緒に練習を行い、全国高等学校ラグビーフットボール大会出場を目指す。高校2年時から女子ラグビー高校西日本代表として、全国大会出場(花園)を果たし、スタメンとして活躍を果たす。 卒業後、東京山九フェニックスに入部。
眞藤 雅興(しんどう まさおき、1998年8月3日 - )は… 眞藤 雅興(しんどう まさおき、1998年8月3日 - )は、日本の漫画家。鹿児島県薩摩川内市出身。 2016年、第109回(2016年7月)JUMPトレジャー新人漫画賞にて『Twin Peach』が佳作を受賞。2017年、『除冷師 煉太郎の約束』が第12回金未来杯を受賞。 2022年、『週刊少年ジャンプ』同年28号から『ルリドラゴン』が連載される。同年8月1日、体調不良のため『週刊少年ジャンプ』同年35号より『ルリドラゴン』を休載することを発表した。 2024年2月21日、『ルリドラゴン』の連載を再開することを発表した。『週刊少年ジャンプ』2024年14号から同年18号まで連載し、以降は4月22日からデジタル版週刊少年ジャンプおよび『少年ジャンプ+』にて隔号で連載されている。
上釜 美憂(うえがま みゆ、1996年10月15日 - )は… 上釜 美憂(うえがま みゆ、1996年10月15日 - )はテレビ愛知のアナウンサー。 鹿児島県薩摩川内市出身。好きな歌手はMr.Children、Perfume、両親。 趣味は、登山、音楽・ライブ鑑賞、食べ歩き。特技は、即興似顔絵、耳を小さく折り畳むこと。身長154cm、A型。 いずれもテレビ愛知の番組である。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。 Category:テレビ愛知のアナウンサーを参照 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
出田 優斗(いでた ゆうと、1995年6月13日 - )は、… 出田 優斗(いでた ゆうと、1995年6月13日 - )は、鹿児島県薩摩川内市出身の日本の陸上競技選手、スピードキューブ競技選手である。日本大会、アジア大会に出場経験あり。2026年現在はパラ陸上競技のガイドランナーとして活動中。 メインの専門種目は3000m障害であるが、専門は多岐にわたり、短距離、長距離をマルチにこなす。 薩摩川内市立川内中央中学校出身。1年目に外部コーチを連れてきて、2年目には地区優勝へ導く。3年時の夏休み明けの全校朝礼時、7種目の表彰を連続して行い、賞状やメダル、トロフィーを持ちきれなくなるという珍事が発生し、全校をざわつかせた。 スポーツ名門で強豪校の鹿児島実業高等学校(通称:鹿実)陸上部に特待生で進学。
若松 佑弥(わかまつ ゆうや、1995年〈平成7年〉2月9日… 若松 佑弥(わかまつ ゆうや、1995年〈平成7年〉2月9日 - )は、日本の男性総合格闘家。鹿児島県薩摩川内市出身。TRIBE TOKYO M.M.A所属。元ONE世界フライ級王者。マネジメント会社はJohn Locke株式会社。 “殺戮ピラニア”の異名で知られた元PRIDEファイター・長南亮を師に持ち、「リトル・ピラニア」のニックネームで呼ばれる。喧嘩への興味をきっかけに格闘技を始めたが、次第に競技を通じて“強さ”の在り方や人間的成長への関心を深めるようになった。 幼少期より「ステゴロ(素手喧嘩)で世界最強になる」ことへの強い憧れを抱いていた。 中学時代地元のボクシングジムに通い、以降10代は地元の鹿児島県で大工や鳶職をしながら、ステゴロで世界最強への想いを喧嘩で発散する日々を過ごす。
大迫 希(おおさこ のぞみ、1990年11月27日 - )は… 大迫 希(おおさこ のぞみ、1990年11月27日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手。登録ポジションはミッドフィールダー(MF)。 川内市(現薩摩川内市)出身。鹿児島市立桜島中学校を経て高校は鹿児島城西高校に進学した。高校3年生の時に、同級生の大迫勇也と「ダブル大迫」で注目されたが、勇也との血縁関係は無い。 高校3年生時の第87回全国高等学校サッカー選手権大会では右サイドの攻撃的MFとして全試合に先発出場した。準々決勝の滝川第二高校との試合中に左膝の靭帯を負傷。前橋育英高校との準決勝ではフル出場したものの、広島皆実高校との決勝戦では前半のみの出場となった。 高校サッカー選手権では通算2得点2アシストを記録。
落合 渉悟(おちあい しょうご、1990年 - )は、日本の… 落合 渉悟(おちあい しょうご、1990年 - )は、日本の起業家、技術者、著述家。 ブロックチェーン領域で事業や執筆活動を行っており、特にイーサリアムに関連した実績が多い。著書として『僕たちはメタ国家で暮らすことに決めた』がある。訳書にはオライリージャパン社より「マスタリング・イーサリアム」。TEDx登壇やWired特集等の実績もある。 鹿児島県薩摩川内市生まれ。九州大学工学部物質科学工学科在学中にプログラミングを開始し、23歳に渋谷でフリーランス開発者、26歳にインドネシアでファッション通販アプリ会社のCTO。28歳でブロックチェーン関連企業を立ち上げ、東京大学特任研究員や大阪大学特任研究員に就任。
木下 航志(きした こうし、1989年5月8日 - )は全盲… 木下 航志(きした こうし、1989年5月8日 - )は全盲の日本の音楽家。鹿児島県薩摩川内市出身。“和製スティーヴィー・ワンダー”とも呼ばれる。目標とするアーティストは山下達郎。 幼い頃に未熟児網膜症で視力を失う。1997年に路上ライブを始める。1999年、マスメディアが紹介。反響を得る。2002年に、ニューヨークでライブ、本場ゴスペル隊と共演。2004年アテネパラリンピックのNHKのテーマソング「Challenger」を作曲。2005年、愛・地球博EXPOドームにて、ジャパンウィーク第1部のライブに参加。また、大阪BIG CAT、東京duo MUSIC EXCHANGEなどで、ソロライブを成功させる。
稼木 美優(かせぎ みゆ、1989年5月4日 - )は日本の… 稼木 美優(かせぎ みゆ、1989年5月4日 - )は日本の歌手。鹿児島県薩摩川内市出身。本名同じ。 鹿児島県民謡大会で優勝、『NHKのど自慢』でも優勝し、歌手デビューした。故郷の鹿児島県に関する楽曲を中心に歌っており、鹿児島県関連のイベント、郷友会にも出演し、歌を披露している。さつま町さつま観光夢大使。趣味はイラストレーション、料理、カラオケ。
山下 りな(やました りな、1989年3月12日 - )は、… 山下 りな(やました りな、1989年3月12日 - )は、日本の女性プロレスラー。鹿児島県出身。165cm、70kg。血液型A型。 1 風香 / 2 夏樹☆たいよう / 3 中島安里紗 / 4 ティラノサウルス奥田 / 5 中島安里紗 / 6 松本浩代 / 7 大畠美咲 / 8 水波綾 / 9 悲恋 / 10 花月 11 下野佐和子 / 12 ラビット美兎 / 13 勝愛実 / 14 Sareee / 15 ラビット美兎 / 16 ライディーン鋼 / 17 山下りな / 18 小林香萌 / 19 ライディーン鋼 / 20 木村花 21 藤ヶ崎矢子 / 22 安納サオリ / 23 鈴季すず / 24 AKARI / 25 梅咲遥 / 26 久令愛 / 27 海樹リコ / 28 大空ちえ / 29 大空ちえ / 30 神姫楽ミサ 31 柳川澄樺 / 32 大空ちえ / 33 炎華
金子 彩(かねこ あや、1988年9月6日 - )は日本の女… 金子 彩(かねこ あや、1988年9月6日 - )は日本の女性タレント・モデル。鹿児島県薩摩川内市出身。サンミュージックブレーン所属。&ref() 鹿児島県立川内高等学校時代はバスケットボール部のマネージャーをしていた。
濱田 玲(はまだ れい、1985年3月2日 - )は、鹿児島… 濱田 玲(はまだ れい、1985年3月2日 - )は、鹿児島県薩摩川内市出身のモデル。FRONT Model Agency 所属。モデル名はREI(れい)。
山田 孝之(やまだ たかゆき、1983年〈昭和58年〉10月… 山田 孝之(やまだ たかゆき、1983年〈昭和58年〉10月20日 - )は、日本の 俳優、声優、ナレーター、歌手、タレント、映画監督、映画プロデューサー。 沖縄県那覇市生まれ、鹿児島県川内市(現:薩摩川内市)出身。スターダストプロモーション所属。 1. 遠藤憲一・菅田将暉 | 2. 濱田岳 | 3. 長瀬智也 | 4. 岡田将生 | 5. 三上博史 | 6. 松岡昌宏 | 7. 草彅剛 | 8. 小栗旬 | 9. 石坂浩二 | 10. 浅野忠信 11. 志尊淳 | 12. ディーン・フジオカ | 13. 山田孝之・菅田将暉 | 14. 岡田将生 | 15. 光石研 | 16. 西島秀俊・内野聖陽 | 17. 大泉洋 2016. 山田孝之 | 2017. 浅野忠信 | 2018. 山田孝之・菅田将暉
吉留 樹里(よしどめ じゅり、1983年7月4日 - )は、… 吉留 樹里(よしどめ じゅり、1983年7月4日 - )は、日本の女性ローカルタレント、ラジオパーソナリティー。鹿児島県薩摩川内市出身。
德丸 英器(とくまる えいき、1982年8月14日 - )は… 德丸 英器(とくまる えいき、1982年8月14日 - )は、日本のシンガーソングライター、ローカルタレント、テレビレポーター、ラジオパーソナリティー。 SKUNK SHOT BOOSTERのメンバー(ボーカル)。鹿児島県薩摩川内市出身。佐賀大学文化教育学部卒業。 現在はソロ名義での音楽活動の他、佐賀県を中心にローカルタレントとしてテレビ・ラジオ・イベントMCとして活動中。 公益社団法人 ON THE ROAD アンバサダー兼 理事。 ※バンドとしての経歴・活動はSKUNK SHOT BOOSTERを参照。 2007年にSKUNK SHOT BOOSTERボーカルとして、アミューズからメジャーデビュー(エイキ名義)。
木佐貫 洋(きさぬき ひろし、1980年5月17日 - )は… 木佐貫 洋(きさぬき ひろし、1980年5月17日 - )は、鹿児島県川内市(現:薩摩川内市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 川内市川内南中学校では軟式野球部に所属。川内高校では3年時の1998年、鹿児島県高等学校春季野球大会にて杉内俊哉を擁する鹿児島実業を破り優勝。夏の全国高等学校野球選手権鹿児島大会決勝では鹿児島実業に1-3で惜敗。甲子園出場を逃した。卒業後は亜細亜大学に進学。2年時にはリーグ戦未勝利ながら大学選手権準決勝でドラフト有力候補だった山村路直(九州共立大)と延長10回を投げ合って完封勝利。決勝でも先発し3回1失点で交代するも優勝に貢献した。東都大学リーグ通算31試合登板、12勝8敗、防御率1.80、225奪三振。
SAYUKI(さゆき、1980年1月3日 - )は、日本の女… SAYUKI(さゆき、1980年1月3日 - )は、日本の女性シンガーソングライター、モデル、株式会社VOCE(ヴォーチェ)代表取締役社長 / CEO。鹿児島県川内市(現:薩摩川内市)出身。2014年6月10日に一般男性と結婚。 俳優の山田孝之は弟、モデルで女優の椿かおりは姉。 1980年1月3日、母親の実家がある沖縄県で生まれる。姉と弟に挟まれた3人姉弟の真ん中。幼い頃から歌手を目指し、ジャズやR&Bを聴いて育つ。14歳から曲作り、16歳からボイストレーニングを始める。 10代は姉のかおりとともに『egg』や『Popteen』などのティーン向け雑誌のモデルとして活動する。 2000年1月3日(20歳の誕生日)にSony Music Associated Recordsから『Bounce With Me』で歌手デビュー。
濵野 勇気(はまの ゆうき、1978年6月23日 - )は、… 濵野 勇気(はまの ゆうき、1978年6月23日 - )は、鹿児島県薩摩川内市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。 大学卒業後、当時JFLに加盟するYKKに加入。JFLベストイレブンに3度選ばれるなどJFLの有力センターバックとして活躍。2008年、所属するYKK APと北陸電力サッカー部アローズ北陸が統合し誕生したカターレ富山に加入。初代キャプテンとしてチームをまとめ、クラブ創設1年でのJリーグ昇格に貢献。J初年度となる2009年も、堅守を誇るチームの中心選手として活躍した。2010年にも再びキャプテンに指名された。同シーズン終了をもって引退。その後2011年に1シーズンのみ富山新庄クラブでプレーした。
濱野 勇気(はまの ゆうき、1978年6月23日 - )は、… 濱野 勇気(はまの ゆうき、1978年6月23日 - )は、鹿児島県薩摩川内市出身の元サッカー選手。ポジションはDF。
徳重 隆明(とくしげ たかあき、1975年2月18日 - )… 徳重 隆明(とくしげ たかあき、1975年2月18日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手。ポジションはMF(両サイド)、フォワード。 高校卒業後、デンソーに入社。2001年に25得点で日本フットボールリーグ得点王となった。2002年にセレッソ大阪に入団。その後、京都サンガF.C.や徳島ヴォルティスでプレーして2013年3月にプロサッカー選手として現役を引退を表明。また、加賀産業(名古屋市)で働きながら名古屋サッカークラブでプレーするとコメントした。2015年7月18日に京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場で開催された「関西レジェンドマッチ2015」に出場した。 なお、名古屋サッカークラブは2014年で退団。
前園 真聖(まえぞの まさきよ、1973年10月29日 - … 前園 真聖(まえぞの まさきよ、1973年10月29日 - )は、鹿児島県薩摩郡東郷町(現:薩摩川内市)出身の元プロサッカー選手、サッカー解説者、タレント。現役時代のポジションはミッドフィールダー、フォワード。元日本代表。所属事務所はサニーサイドアップ、ジャパンエフエムネットワーク。 長年Jリーグを担当している英国人記者は全盛期の前園をジョージ・ベストに例えた。血液型はO型。 Kリーグ時代の登録名は前園(ハングル: 마에조노)。 日本が28年ぶりに出場した1996年アトランタオリンピックの予選突破の最大の功労者で、本大会でブラジルに勝利した「マイアミの奇跡」のU-23サッカー日本代表キャプテン。
乾き亭 げそ太郎(かわきてい げそたろう、1971年〈昭和4… 乾き亭 げそ太郎(かわきてい げそたろう、1971年〈昭和46年〉1月19日 - )は、鹿児島県を拠点に活躍する日本のお笑い芸人・ローカルタレント。本名、櫨木 信一(はぜき しんいち)。 鹿児島県薩摩川内市生まれ、鹿児島市出身。元太田プロダクション所属。身長174cm、血液型B型。旧芸名ははぜき 信一。志村けんの弟子。ウクレレの師匠は、高木ブー。 23歳だった1994年(平成6年)11月、上京しイザワオフィスを突然訪れ、志村けんの運転手兼弟子入りして芸能活動を開始。志村の付き人を20歳から約5年務めた山崎まさやとは、付き人の期間が約1ヶ月間被っており、その間は付き人についていろいろと教わった。1997年(平成9年)より『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ)のレギュラーとして「眼鏡をかけた家来」役で知られ出演。
にわの まこと(1964年5月1日 - )は、日本の漫画家、… にわの まこと(1964年5月1日 - )は、日本の漫画家、同人作家。鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)出身、栃木県那須塩原市在住。 アッパー系ギャグを基本としたヒーローアクション及びスポーツ漫画のジャンルを得意とする。 1981年、鹿児島県立川内商工高等学校在学中の17歳の時に『週刊少年ジャンプ』(集英社)へ投稿した野球物の読切作品「迷勝負!?」で第14回(昭和56年度上半期)赤塚賞佳作を受賞。1986年に「THE MOMOTAROH -村上伸一君の場合-」で第25回(昭和61年度下半期)赤塚賞佳作を再び受賞し、ジャンプ編集部の茨木政彦に誘われ上京。翌1987年9月15日発売の『週刊少年ジャンプ 第42号』より「THE MOMOTAROH」で連載デビュー。
鹿島 忠(かしま ただし、1961年10月7日 - )は、鹿… 鹿島 忠(かしま ただし、1961年10月7日 - )は、鹿児島県薩摩川内市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。
児玉 泰介(こだま たいすけ、1958年7月26日 - )は… 児玉 泰介(こだま たいすけ、1958年7月26日 - )は、日本の元陸上競技選手、指導者。マラソン元日本記録保持者。 鹿児島県薩摩郡東郷町(現在の鹿児島県薩摩川内市)出身。私立川内実業高等学校(現れいめい高等学校)卒業後、陸上競技部があった隣県(宮崎県)の旭化成に入社。 1986年の別府大分毎日マラソンで日本歴代9位(当時)となる2時間10分34秒の好タイムで優勝。続く10月の北京国際マラソンではジュマ・イカンガー( タンザニア)、伊藤国光らを抑え2時間7分35秒のマラソン日本最高記録(当時)をマークし優勝。この記録は1999年に犬伏孝行によって塗り替えられるまで12年間破られることはなかった。
窪薗 晴夫(くぼぞの はるお、1957年〈昭和32年〉3月-… 窪薗 晴夫(くぼぞの はるお、1957年〈昭和32年〉3月- )は、日本の言語学者。専門は音声学・音韻論。国立国語研究所名誉教授。 英語への興味から研究生活を始めたものの、イギリス留学時代の「母語である日本語のことをほとんど知らない」という体験によって、日本語への探求へと研究対象を変えてゆくこととなる。日本語のピッチアクセント、連濁、促音、イントネーションの研究などで有名。近年は母方言である鹿児島方言の調査や借用語の促音挿入問題を中心に、言語接触による言語変化についての研究を行っている。一般向けの著作も多数あり、国際学会なども積極的に開催している。 鹿児島県薩摩川内市出身。 1975年鹿児島県立川内高等学校卒業。
花増 幸二(はなます こうじ、1955年5月29日 - )は… 花増 幸二(はなます こうじ、1955年5月29日 - )は、鹿児島県川内市(現:薩摩川内市)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 鹿児島玉龍高校では1年次の1971年、夏の甲子園に吉重敏信(早大)の控え投手として出場。準々決勝で桐蔭学園に完封負けを喫し、自身の登板機会は無かった。3年次の1973年には夏の県大会で準決勝に進出するが、鹿児島商に敗退。 高校卒業後は1974年に鹿児島大学へ進学し、九州地区大学野球選手権大会では2年次の1975年に優勝。体育の教員免許を取得するも、4年次の1977年オフにドラフト外で日本ハムファイターズへ入団。国立大学出身選手ということで話題となるが、一軍登板が無いまま1980年限りで現役を引退。
小倉 一郎(おぐら いちろう、1951年10月29日 - )… 小倉 一郎(おぐら いちろう、1951年10月29日 - )は、鹿児島県出生(東京都新宿区育ち[要出典])の俳優である。日本大学豊山高等学校中退[3]。テロワールに所属していた。
恒松 郁生(つねまつ いくお、1951年(昭和26年) - … 恒松 郁生(つねまつ いくお、1951年(昭和26年) - )は、著作家、筆名、サミー・恒松。 ロンドン夏目漱石記念館主宰、館長。崇城大学図書館長、副学長を経て教授。 鹿児島県薩摩川内市出身。桜美林大学文学部英語英米文学科卒業後、1974年から在英。海外でホテルマン、旅行代理店のオーナー等を経て、大英博物館前で稀覯本専門の古書店や、ギャラリーを経営。 2004年に夏目漱石ゆかりの地、熊本にある崇城大学で教鞭をとる。 月刊誌JCB 「GOLD」、JAL CARD「Agora」などに英国特集を執筆。共同通信のコラム「海外手帳―英国」を無署名で3年以上担当。 現在月刊イギリス旅行と生活雑誌「mr partner」に連載「イギリス人も知らないロンドン案内」、「英国紳士クラブ案内」執筆中。
中村 益章(なかむら ますのぶ、1950年10月31日 - … 中村 益章(なかむら ますのぶ、1950年10月31日 - 2007年12月)は鹿児島県出身のプロ野球選手(投手)。 川内実業高では、エースとして1968年夏の甲子園県予選決勝に進むが、鹿児島商業高に敗れた。中央ではあまり知られていなかったが、小柄ではあるが左腕からの右打者のふところに食い込む速球に威力があり、カーブの切れも良くリストアップされていた。 1968年にドラフト外で西鉄ライオンズに入団するが、1年で引退。 1971年に読売ジャイアンツで現役に復帰。1972年に家業を継ぐために現役を引退。一軍公式戦には出場出来なかった。 2007年12月、57歳で死去した。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。
シゲ福山(しげ ふくやま、1950年1月28日 - )は、日… シゲ福山(しげ ふくやま、1950年1月28日 - )は、日本の元プロボクサー。本名は福山 茂文(ふくやま しげふみ)。鹿児島県川内市出身。協栄ジム所属。 1968年デビュー。日本ランキング入りした1970年にアメリカ武者修行を敢行、ロサンゼルスで4勝2敗の成績を残して帰国。1972年3月12日、金炫の持つOBF東洋ジュニアフェザー級王座に挑戦したが、10回KO負けで王座獲得ならず。 その後再度ロスに渡り、晩年のエデル・ジョフレを始めとする強豪とグローブを交え、その果敢なファイターぶりで現地の人気を博す。1974年、強打のホープ、ダニー・ロペスと対戦、後の名王者を9回KOに破る貴重な勝ち星を挙げた。
川畑 和人(かわばた かずと、1948年4月12日 - )は… 川畑 和人(かわばた かずと、1948年4月12日 - )は、鹿児島県薩摩川内市出身の元プロ野球選手(投手)。
今久保 幸生(いまくぼ さちお、1948年2月22日 - )… 今久保 幸生(いまくぼ さちお、1948年2月22日 - )は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。専門は、経済政策、比較経済政策システム。 鹿児島県薩摩川内市出身。鹿児島県立川内高等学校卒。長崎大学卒業。京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。京都大学博士(経済学)。博士論文は「19世紀末ドイツの工場―電機工業の資本蓄積と労資関係」(平成6年)。京都大学大学院経済学研究科教授。所属学会は、社会政策学会、社会経済史学会、経営史学会、政治経済学・経済史学会、ドイツ現代史学会。2012年3月に退職し、京都大学名誉教授。
紙屋 敦之(かみや のぶゆき、1946年6月24日 - 20… 紙屋 敦之(かみや のぶゆき、1946年6月24日 - 2019年)は、日本の歴史学者。文学博士、早稲田大学名誉教授。専門は日本近世史。特に日琉関係史を長年研究し、島津氏と琉球の関係から明清中国へ視野を広げ、「東アジア」の枠組みで歴史的変遷の論理を組み立てた。その他、梅北一揆の研究でも知られる。 鹿児島県薩摩川内市出身。1965年3月鹿児島県立甲南高等学校卒業。同年4月早稲田大学教育学部入学、1969年3月卒業。 1969年4月早稲田大学大学院文学研究科修士課程に進学し1972年3月修了。大学院では北島正元に師事し、深谷克己は同門。1974年4月早稲田大学大学院文学研究科博士課程に進学し、1981年3月に単位取得満期退学。
松若 勲(まつわか いさお、1944年3月1日 - 1977… 松若 勲(まつわか いさお、1944年3月1日 - 1977年11月5日)は、かつて日本中央競馬会に所属していた元騎手。 鹿児島県川内市生まれ。 弟に元装蹄師の松若清人。甥に装蹄師の松若勝。大甥にJRA騎手の松若風馬。 増本勇厩舎に見習騎手として入り、1965年3月にデビューした。デビュー年に14勝を挙げ、2年目には18勝、3年目にも9勝をマークし減量騎手を卒業したが、その後は騎乗馬には恵まれなかった。1976年には規定騎乗数の60回に足りず、騎手免許の更新が危ぶまれたが、関係者の努力と、その真面目な性格を日本中央競馬会が認め、免許更新の許可がおりたということもあり、競馬関係者からは親しまれていた。
吉永 邦治(よしなが くにはる、1944年 - )は、日本の… 吉永 邦治(よしなが くにはる、1944年 - )は、日本の画家、建築家。元大阪大谷大学教授。飛天の研究者。 鹿児島県川内市生まれ。桑沢デザイン研究所で学び、ドイツに遊学。西洋美術や建築などをロッテ・ロッシェリに学び、その後、高野山大学に入学し、山本智教に東洋美術や仏教美術などを学ぶ。高野山大学文学部仏教科卒業。絵画は山口長男に師事し、東洋各地の風土や人物を描き続ける。 一方、「気まぐれ美術館」(新潮社)の著者である洲之内徹と出会い、彼の主催する現代画廊にてインド・シルクロード・中国・日本各地を描いた作品の個展を開き、その度に多大なる影響を受けた。過去には国画会などに出品したが、現在は国内外各地での個展に重点をおいて発表し続けている。
村田 秀一(むらた ひでかず、1943年12月10日 - )… 村田 秀一(むらた ひでかず、1943年12月10日 - )は、日本の工学者、土木工学者。山口大学名誉教授、工学博士。専門は、地盤工学、岩石力学。 鹿児島県出身。川内市(現薩摩川内市)で育ち、小学6年生の時に鹿児島市へ移る。1962年、鹿児島県立甲南高等学校卒業。1967年、九州大学工学部土木工学科卒業。大学院で、防災工学的見地から九州南部のシラス地盤を研究し、1969年に九州大学大学院工学研究科土木工学専攻修士課程を修了。同年、鹿児島工業高等専門学校の助手となり、翌年、講師に就く。1974年、鹿児島工業高等専門学校助教授に就任。九州大学研究員として「地山シラスの破壊機構と斜面安定に関する研究」に取り組み、1978年10月3日に工学博士の学位を授与される。
逆鉾 與治郎(さかほこ よじろう、1942年6月7日 - 2… 逆鉾 與治郎(さかほこ よじろう、1942年6月7日 - 2000年12月 )は、鹿児島県川内市五代町(現在の薩摩川内市五代町)出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は山口 元行(やまぐち もとゆき)→古田 元行(ふるた -)。最高位は東前頭6枚目(1963年7月場所)。現役時代の体格は176cm、90kg。得意手は左四つ、突っ張り、出し投げなど。 中学校を卒業後、地元の県会議員・田中氏の紹介で井筒部屋へ入門し、1958年7月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、出身地の川内市に因んだ「川内」。 以来、順調に出世し、1962年7月場所で新十両に昇進。これを機に四股名を、「逆鉾」へ改めた。 その後、1963年5月場所で新入幕。
草野 大悟(くさの だいご、1939年〈昭和14年〉9月7日… 草野 大悟(くさの だいご、1939年〈昭和14年〉9月7日 - 1991年〈平成3年〉2月27日)は、日本の俳優。台湾・台中市出身。妻は元女優の田島和子。 鹿児島県で幼少期を過ごし、1958年に明治大学に入学するが、すぐに中退した。 1961年、文学座附属演劇研究所に入所する。同期に岸田森、樹木希林、小川真由美、寺田農、橋爪功、北村総一朗らがいた。翌年に準座員として文学座に入団、1966年に座員へと昇格する。文学座の看板・杉村春子にも可愛がられたという。1963年に文学座の内紛に発展した『喜びの琴』では主役に抜擢されていたとされる。1967年に文学座を退団し、その前年に草野に先駆けて文学座を離れていた岸田らが結成していた「六月劇場」に参加、以降は映画・テレビドラマへの出演も多くなる。
松下 忠洋(まつした ただひろ、1939年〈昭和14年〉2月… 松下 忠洋(まつした ただひろ、1939年〈昭和14年〉2月9日 - 2012年〈平成24年〉9月10日)は、日本の政治家、建設官僚。 内閣府特命担当大臣(金融担当)・郵政民営化担当大臣(野田第2次改造内閣)、復興副大臣兼内閣府副大臣(野田第1次改造内閣)、経済産業副大臣(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣・菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣・野田内閣・野田第1次改造内閣)、内閣府副大臣(規制改革、男女共同参画、国民生活、栄典などの担当)(第1次小泉内閣)、衆議院内閣委員長、衆議院議員(5期)、国民新党副代表、同鹿児島県支部代表を歴任。 鹿児島県薩摩郡川内町(のちの川内市、現:薩摩川内市)出身。
児玉 仁士(こだま ひとし、1931年11月28日 - 20… 児玉 仁士(こだま ひとし、1931年11月28日 - 2021年2月8日)は日本の英語学者、フリジア語学者。獨協大学名誉教授。 鹿児島県薩摩川内市出身。1955年青山学院大学文学部卒業。大学卒業後、東京都品川区立伊藤中学校(現在の義務教育学校品川区立伊藤学園)非常勤講師を経て独協高校にて教鞭をとり始める。当時の独協高校の校長は天野貞祐。1966年青山学院大学大学院修士課程修了。文学修士。指導教授は鈴木重威。修士課程修了後の1966年から獨協大学講師・助教授・(大学院兼任)教授を勤めた。その間、ケンブリッジ大学にて古・中期英語を、フローニンゲン大学でフリジア語を研究。2001年退任。 1990年代から、フリースラント州レーワルデンに毎年通うなどフリジア語の研究を続け、1992年に日本で初めての『フリジア語文法』を、2004年に『フリジア語辞典』、そして2015年に『日本語フリジア語辞典』を上梓した。
太刀風 義経(たちかぜ よしつね、1930年8月2日 - 没… 太刀風 義経(たちかぜ よしつね、1930年8月2日 - 没年不明)は、鹿児島県薩摩郡樋脇町(現役当時、現・同県薩摩川内市)出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は岩下 義経(いわした よしつね)。最高位は東前頭20枚目(1957年1月場所)。得意手は右四つ、寄り、下手投げなど。現役時代の体格は175cm、90kg。 18歳の時、上京して井筒部屋に入門し、1949年5月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の前頭・高錦らがいる。同年10月場所では、12勝3敗と大勝ちし、序ノ口優勝を果たした(当時は、幕下以下も初日から千秋楽まで取組があった)。初めて番付に付いた時より「太刀風」を名乗り、以後、廃業までこの四股名で通している。
濱田博之(はまだひろゆき、1925年10月29日 - )は、… 濱田博之(はまだひろゆき、1925年10月29日 - )は、空手武道家。 日本古伝神道流空手道の創始者。フェルトン・メッシーナ(Felton_Messina)の師匠。鹿児島県薩摩川内市生まれ。 1939年15歳のときに沖縄泊風の空手を稽古し始めた。1943年3月、彼は第二次世界大戦で2年間の授業がなく高校を卒業した。その年、首里手や手手など他沖縄のスタイルを学び始めた。 1943年4月から1944年3月までの間に、彼は完全に空手の訓練と完成に専念した。 1944年4月には海兵隊に召集。1945年に戦争が終わるまでに、彼は倉敷の軍部隊にいた。日本の敗北のニュースが彼に届いたとき、彼は切腹をすべきかどうか考えて10日間を費やした。
奥園國義(おくぞのくによし、1925年 - 2013年)は、… 奥園國義(おくぞのくによし、1925年 - 2013年)は、日本の剣道家(範士。段位は九段を取得するも、後に返上)。選手として活躍を経て大阪府警察師範、近畿管区警察学校教授、全日本剣道連盟副会長、桃山学院大学剣道部師範、大阪星光学院講師などを歴任。 鹿児島県薩摩郡樋脇村で七人兄弟の三男として誕生。小学校時代に剣道を始め以後、宮之城農蚕学校、海軍航空隊、予科練時代も稽古に没頭し研鑽を積む。 18歳の時戦争が始まり土浦の海軍航空隊に入隊を志願する。辞令に従い飛行機操縦の教官として滋賀県の比叡山に置かれた航空隊へと赴く。航空隊では、武道大会が恒例として催されており、その時初段だった奥園は飛行科の個人戦で準優勝する。
勝野 ふじ子(かつの ふじこ、本名:勝野フジノ、1915年 … 勝野 ふじ子(かつの ふじこ、本名:勝野フジノ、1915年 (大正4年) 3月5日 - 1944年 (昭和19年) 3月21日)は、日本の小説家。『九州文学』同人。鹿児島県立第二高等女学校卒業。 鹿児島県薩摩郡入来村(現・薩摩川内市)生まれ。実父と実母の結婚が認められず、母方の祖父母の戸籍に入り彼らの娘として育てられる。入来尋常小学校卒業後、鹿児島県立川内高等女学校(現鹿児島県立川内高等学校)に進学。その1年後に鹿児島市の戸籍上の兄の元へ移り、鹿児島県立第二高等女学校(現鹿児島県立甲南高等学校)へ転校。第二高等女学校では、文学好きな友人に恵まれ充実した学校生活を過ごす。1932年(昭和7年)に第二高等女学校を卒業。
若松 幸禧(わかまつ ゆきよし、1911年(明治44年)- … 若松 幸禧(わかまつ ゆきよし、1911年(明治44年)- 1944年(昭和19年)12月18日)は、大日本帝国陸軍の軍人。戦闘機操縦者。最終階級は中佐。鹿児島県薩摩郡高江村(現在の薩摩川内市)出身。通り名・異名は「赤鼻のエース」。 鹿児島県薩摩郡高江村大字久見崎(現在の薩摩川内市久見崎町)出身。太平洋戦争(大東亜戦争)中後期の中国戦線で活躍した、二式単座戦闘機「鍾馗」と四式戦闘機「疾風」乗りのエース・パイロット。二等兵として入営し、下士官から少尉候補者を経て少佐にまでのぼりつめた。冴えた空戦技術と円熟した優れた人格を持ち合わせた理想的な戦闘隊指揮官であった。 その活躍から敵の中華民国重慶政府より若松の首に賞金が懸けられ(当初は2万元、のち5万元に増額)、また、若松の所属する飛行第85戦隊第2中隊機のスピナーと垂直尾翼前縁(部隊マーク)に塗られた中隊色の赤色から、若松は在中国米空軍(在支米空軍)や友軍より「赤鼻(RedNose)のエース」、「赤ダルマ隊長」として存在が広く知られていた。
鮫島 國三(さめじま くにぞう、1907年〈明治40年〉3月… 鮫島 國三(さめじま くにぞう、1907年〈明治40年〉3月8日 - 1990年〈平成2年〉6月17日)は、日本の中国古典文学者(文字学専攻)で、久留米大学名誉教授。書家としても「春岳」の号で多くの作品を残した。 鹿児島県内(現・薩摩川内市)に生まれる。幼少時に両親に連れられて中国に移住した。 1930年(昭和5年)に中華民国の 南開大学(中国古典文学、文字学専攻)を卒業した。1944年(昭和19年)に満洲国の新京特別市にあった新京法政大学(中国語版)(日本の法政大学とは無関係)の教授となる。 日本の敗戦後に中国から引き揚げ、1952年(昭和27年) に久留米大学教授に就任した。久留米大学では1971年(昭和46年)に商学部長となる。
藤田 実彦(ふじた さねひこ、1900年〈明治33年〉12月… 藤田 実彦(ふじた さねひこ、1900年〈明治33年〉12月25日 - 1946年〈昭和21年〉3月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。陸士33期、陸大42期。 別名、田友・田通。髭の参謀とも呼ばれた。通化事件の首謀者として八路軍に拘束され、肺炎で急死した。 鹿児島県の士族出身。薩摩郡隈之城村大字東手(現在の薩摩川内市宮崎町)出身。陸士卒業後、歩兵第23連隊附。陸大卒業後は独立軽装甲車第2中隊長として華北戦線、南京攻略戦に参加。内地に帰還し内閣情報局第1部第3課長、戦車第1連隊長を歴任。1945年、再び大陸へ向かい第125師団参謀長となった。 ポツダム宣言が受諾された翌日、関東軍にも武装解除命令が通達されたが、納得の行かない藤田は関東軍作戦班長の草地貞吾大佐に電話をかけ、「草地君、ワシの師団は関東軍命令はきかないからなあ」と命令拒否と師団の徹底抗戦を宣言した。
前田 盛高(まえだ もりたか、1899年1月5日 - 198… 前田 盛高(まえだ もりたか、1899年1月5日 - 1982年6月13日)は、日本の経営者。共栄火災海上保険社長、会長、相談役を歴任。 鹿児島県薩摩郡入来村(後の入来町、薩摩川内市の一部)生まれ。1918年3月に鹿児島県師範学校本科(現 鹿児島大学教育学部)を卒業。1918年4月から鹿児島県日置郡の天昌尋常高等小学校(現 日置市立永吉小学校)教諭を務めるが、病気療養のため退職。 1920年10月に大福海上火災保険へ入社し、調査課勤務。1942年7月、大福海上火災保険と大東海上火災保険の合併により共栄火災海上保険が設立されると同時に神戸支店長となり、1944年3月から大阪支店長、1946年12月から近畿支社長。