徳山陽(とくやま よう、1925年(大正14年)12月11日… 徳山陽(とくやま よう、1925年(大正14年)12月11日 - )は、ジャズ・ピアニスト、音楽家。父は「侍ニッポン」や「ルンペン節」で有名な流行歌手徳山璉。守安祥太郎、穐吉敏子と並び評される、戦後モダン・ピアノ三傑の一人である。 神奈川県藤沢市出身。久我山電波工業大学(久我山大学)卒業。卒業後は会社員をしていたが、1951年、森亨バンドに入りプロのピアニストとなる。 1952年には、沢田駿吾とダブル・ビーツに加入。退団後の1954年、稲垣次郎5、西条孝之助4などを経て、1975年、自身のトリオを結成し、中牟礼貞則とのデュオも行う。その後は、ジャズメン・クラブなどに出演する傍ら、ヤマハの講師も勤めた。
梶原 完(かじわら ひろし、1924年(大正13)11月9日… 梶原 完(かじわら ひろし、1924年(大正13)11月9日 - 1989年(平成元)7月29日)は、日本出身のピアニスト、音楽教育者。日本で演奏活動を始めた後、1954年にドイツに渡り、ヨーロッパ各地で演奏を重ねる。1960年からドイツ西部のベッツドルフにあるアドルフ音楽院でピアノのレッスンを始め、演奏活動を続けるかたわら多くの生徒を育てた。 梶原完は、父梶原國生と母恒子の次男として、1924年11月9日に上海で生まれた。長野県出身の父は満鉄調査部上海事務所に勤めており、音楽を愛する学究肌の人物だった。同じく長野県出身の母は、女子高等師範学校を首席で卒業し、仙台で教師を務めた後に、結婚まで東京の東洋英和女学院でも教えていた。
守安 祥太郎(もりやす しょうたろう、1924年1月5日 -… 守安 祥太郎(もりやす しょうたろう、1924年1月5日 - 1955年9月28日)は、日本のジャズ・ピアニスト。初期モダンジャズのビバップを日本でいち早く体得した先駆者であったが、31歳で早世したため録音がほとんど残されていないことから「幻のピアニスト」とも評されている。 東京都出身。父親は日本酸素、秋田木工拓殖、日米商店、日本絹布捺染などの重役を務めた守安瀧二郎。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部を経て、慶應義塾大学経済学部から同大学院に進む。学生時代からクラシック・ピアノに親しみ、大学時代はヨット部の主将だった。ジャズに興味を持ち始めたのは社会人になってからだという。 1949年から、プロのピアニストとして活動開始。
片岡 みどり(かたおか みどり、1923年(大正12年)10… 片岡 みどり(かたおか みどり、1923年(大正12年)10月15日 - 2009年(平成21年)12月1日)は、日本のピアニスト。相愛大学名誉教授。 東京音楽学校卒業。愛知県出身。 愛知県出身。中村佳永子、井口基成に師事し、1944年(昭和19年)に東京音楽学校(現:東京芸術大学音楽学部)本科器楽部ピアノ専攻を卒業。相愛大学名誉教授や日本シマノフスキ協会の理事を務めていた。 門下生に花房晴美、太田紗和子、平野智子、今岡淑子などがいる。 2009年(平成21年)12月1日、86歳で亡くなった。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
ジャック 滋野(ジャック しげの、Jacques Shige… ジャック 滋野(ジャック しげの、Jacques Shigeno、本名:滋野 清鴻(しげの きよとり)、1922年9月11日 - 1989年6月20日)は、日本のジャズピアニスト。「和製カーメン・キャバレロ」の異名で呼ばれた。 弟のロジェ滋野(本名・滋野清旭=きよひ)はドラム奏者で洋画家。 父滋野清武男爵は、音楽家ながらフランス外人部隊に所属し、第一次世界大戦に従軍して日本航空史上最初のエース・パイロットとなったことで知られる。母はフランス人のジャーヌ・エイマールとは再婚。その長男として兵庫県神戸市に生まれる。 清武は、第一次世界大戦でフランス外人部隊に所属していた際に戦争未亡人だったジャーヌと出会い、結婚。
室井 摩耶子(むろい まやこ、1921年〈大正10年〉4月1… 室井 摩耶子(むろい まやこ、1921年〈大正10年〉4月18日 - )は、日本のピアニスト。2025年現在、104歳でなお現役の日本最高齢ピアニストである。 東京府(現・東京都)に生まれる。成城小学校に入学した6歳からピアノを始め、小学4年次から高折宮次に師事。1941年、東京音楽学校(現・東京芸術大学音楽学部)を首席で卒業。同校研究科へ進み、レオニード・クロイツァー教授に師事、1943年に修了。 1945年1月、日比谷公会堂での日本交響楽団(NHK交響楽団の前身)の演奏会でソリストを務めてデビュー。終戦後、本格的にリサイタル活動を開始。エリック・サティやデュカスなど多くの作品を日本初演した。
大島 正泰(おおしま まさやす、1919年(大正8年)9月2… 大島 正泰(おおしま まさやす、1919年(大正8年)9月20日 - 2012年(平成24年)6月15日)は、日本のピアニスト、音楽教育者。桐朋学園大学音楽学部名誉教授。 台湾台北市において、動物学者の父・大島正満と、東京音楽学校卒の母・イマコの五男として生まれる。 1940年(昭和15年)東京音楽学校予科を経て本科器楽科卒業。1942年(昭和17年)同校研究科修了。田中規矩士、レオ・シロタ、井口基成に師事。 1947年(昭和22年)フェリス女学院(当時の校名は「横浜山手女学院」と変えられていたが、1950年(昭和25年)に「フェリス女学院」に戻される)専門学校音楽科創設と共にピアノ講師となる。
藤田 晴子(ふじた はるこ、1918年2月25日 - 200… 藤田 晴子(ふじた はるこ、1918年2月25日 - 2001年10月20日)は日本のピアニスト、音楽評論家、法学者。選挙制度審議会委員。
井上 園子(いのうえ そのこ、1915年2月22日 - 19… 井上 園子(いのうえ そのこ、1915年2月22日 - 1986年1月19日)は、日本のピアニストである。 1915年2月22日、東京にて生まれる。父は神田駿河台に1881年から続く井上眼科病院の第7代院長・井上達二。 6歳からカテリーナ・トドロヴィチにピアノを師事する。入学した成蹊小学校では小林宗作に音楽を習う。 1926年5月16日、東京でデビューする。この時、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番イ長調Kv.488を演奏する。 1929年、ウィーンへピアニストとして留学する。翌年、ウィーン国立音楽院に入学。エミール・フォン・ザウアーのクラスで学び、パウル・ヴァインガルテンにもピアノを師事した。
若松 紀志子(わかまつ きしこ、1915年 - 2012年4… 若松 紀志子(わかまつ きしこ、1915年 - 2012年4月23日)は、日本のピアニスト。2010年現在95歳を迎えた時点でも、ピアノ指導に従事。教え子の数は1000人を超える。指揮者小林研一郎を見出した。アザミ会・アートスペースエリコーナ主宰。夫は画家の若松光一郎。
三宅 洋一郎(みやけ よういちろう、1914年11月8日 -… 三宅 洋一郎(みやけ よういちろう、1914年11月8日 - 1994年8月1日)は、日本の音楽家、ピアニスト、合唱指揮者、フェリス女学院短期大学名誉教授。 長年にわたり日本女声合唱団の指導にあたるとともに、フェリス女学院短期大学学長などを務めた。 熊本県に生まれたが、間もなく神奈川県横浜市へ移った。東京音楽学校に学び、ケルン音楽大学へ留学した。1941年からフェリス女学院(戦時下では「横浜山手女学院」)で教鞭を執り、専門学校音楽科を開設する際には團伊玖磨とともに中心的な役割を果たし、戦後における短期大学音楽科への昇格でも中心となって、後の大学音楽学部への発展の基礎を築いた。 1969年には第18回横浜文化賞を受賞し、1978年には第27回神奈川文化賞を妻である三宅春恵とともに受賞した。
本儀 静(もとぎ しずか、旧姓:高橋、1913年(大正2年)… 本儀 静(もとぎ しずか、旧姓:高橋、1913年(大正2年)7月16日 - 没年不明)は、日本のピアニスト。元徳島文理大学音楽学部教授。元甲南大学文学部講師。 東京音楽学校ピアノ科卒業。兵庫県神戸市出身。 兵庫県神戸市出身。1935年(昭和10年)に東京音楽学校ピアノ科(現:東京芸術大学音楽学部)を卒業し、ピアノを高折宮次、レオ・シロタ、森昭子に師事する。 1951年(昭和26年)から1974年(昭和49年)まで甲南大学文学部で講師を務め、徳島女子大学音楽学部で講師・教授となり、同大学が改称した徳島文理大学音楽学部で教授を務めた。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
島村 千枝子(しまむら ちえこ、旧姓:生越、1912年〈大正… 島村 千枝子(しまむら ちえこ、旧姓:生越、1912年〈大正元年〉10月7日 - 1976年〈昭和51年〉9月2日)は、日本のピアニスト。 元東京音楽学校教授。元武蔵野音楽大学音楽学部教授。元徳島文理大学音楽学部教授。 東京音楽学校ピアノ科卒業。東京都出身。息子は地震学者の島村英紀。 東京都出身。1937年(昭和12年)に東京音楽学校ピアノ科を卒業した。 1938年(昭和13年)から1947年(昭和22年)まで東京音楽学校で教鞭を執り、その後は武蔵野音楽大学音楽学部や徳島文理大学音楽学部で教授を務めた。 1976年(昭和51年)9月2日、死去。享年63。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。
豊増 昇(とよます のぼる、1912年〈明治45年〉5月23… 豊増 昇(とよます のぼる、1912年〈明治45年〉5月23日 - 1975年〈昭和50年〉10月9日)は、日本のピアニスト、音楽教育者。日本藝術院会員。佐賀県佐賀市出身。 1933年、東京音楽学校卒。高折宮次、レオ・シロタらに師事。1936年ドイツに留学、1943年東京音楽学校教授。その後、京都市立音楽短期大学教授を経て、1959年に武庫川女子大学音楽部長となった。 1940年にベートーヴェンのピアノソナタとピアノ協奏曲全作品の連続演奏会、1949年にバッハ死後200年記念ピアノ曲連続演奏会、さらに1950年にもバッハのピアノ曲全作品の連続演奏会をおこなった。1956年、日本人として初めてベルリンフィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に出演した(指揮はヨーゼフ・カイルベルト)。
遠見 豊子(とおみ とよこ、1912年3月6日 - 1979… 遠見 豊子(とおみ とよこ、1912年3月6日 - 1979年8月3日)は日本のピアニスト、音楽教育者。京都府出身。1929年に東京音楽学校予科に入学。1933年3月に同校本科器楽部ピアノ専攻を卒業。同年より同校の聴講科と研究科に進学し、1935年3月に聴講科ピアノ専攻を、1936年3月に研究科作曲部を修了。レオ・シロタ、クラウス・プリングスハイム、レオニード・クロイツァーに師事した。1939年10月(2日または20日)にデビュー。上野楽星会員。東京女子高等師範学校、武蔵野音楽学校、上野児童音楽学園講師。お茶の水女子大学教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
天池 真佐雄(あまち まさお、1910年9月18日 - 19… 天池 真佐雄(あまち まさお、1910年9月18日 - 1992年11月22日 本名・中野政雄)は、東京都出身の音楽家、作曲家、ピアニスト。 東京高等音楽学院(現・国立音楽大学)本科卒。その後東京中央放送局(のちのNHK)の専属ピアニストに就任。特に、戦後の『のど自慢素人演芸会』や、音楽ゲーム番組『三つの歌』では出場者の伴奏を展開した。 歌手・タレントの天地総子は実の娘である。 この項目は、音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 音楽/ウィキプロジェクト 音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
井口 愛子(いぐち あいこ、1910年1月28日 - 198… 井口 愛子(いぐち あいこ、1910年1月28日 - 1984年12月1日)は、日本のピアノ教育家・ピアニスト。東京府東京市日本橋区(現東京都中央区)出身。本名は、佐藤愛子(旧姓:井口)。 とくに基礎教育が専門分野であった。 音楽之友社・新音楽辞典による。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
松谷 穣(まつや みのる、1910年1月2日 - 1995年… 松谷 穣(まつや みのる、1910年1月2日 - 1995年5月15日)は、日本のジャズピアニスト。ゆずる、じょうとも呼ばれていた。 東京音楽学校卒。ウクライナ出身のユダヤ人ピアニスト、レオ・シロタに師事する。戦後米軍の仕事で、クラシックからジャズに転向した。多くの日本のジャズボーカリストの育て親となる。藤山一郎の友人。作曲家小倉朗とも親しく、『ピアノソナチネ』(1937年)を初演する。 ピアニストの松谷翠 (1943 - 1994) は息子である。息子の亡くなった翌年に死去した。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
中村 佳永子(なかむら かえこ、1909年(明治42年)9月… 中村 佳永子(なかむら かえこ、1909年(明治42年)9月1日 - 1987年(昭和62年))は、日本のピアニスト。元徳島文理大学音楽学部教授。 神戸絢、井口秋子に師事し、1931年(昭和6年)に東京音楽学校(現:東京芸術大学音楽学部)甲種師範科を卒業。卒業の際、二条厚基賞を受賞。 音楽学校卒業後は徳島女子短期大学部音楽科(現:徳島文理大学短期大学部音楽科)の講師となり、後に徳島女子大学音楽学部(現:徳島文理大学音楽学部)の教授に就任する。 第二次世界大戦後の徳島県内のピアノ教育に尽力し、東京芸術大学・桐朋学園大学・神戸女学院大学・大阪音楽大学などの大学にピアニストを輩出した。また門下生に相愛大学名誉教授の片岡みどりなどがいる。
越谷 達之助(こしたに たつのすけ、1909年 - 1982… 越谷 達之助(こしたに たつのすけ、1909年 - 1982年)は、日本の音楽教育家、作曲家、伴奏ピアニスト。 1931年、東京音楽学校師範科を卒業。和歌山師範学校に教官として赴任する。その後、俳優(芸名・高倉彰)を経て作曲家、伴奏ピアニスト(特に三浦環の伴奏家として著名)として各地で活躍する。第二次世界大戦後は、青山学院高等部に長年勤め、その傍ら同学院大学、短大講師を務めた。教育者としては一級であった。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
井口 基成(いぐち もとなり、1908年5月17日 - 19… 井口 基成(いぐち もとなり、1908年5月17日 - 1983年9月29日)は日本のピアニスト・ピアノ教育家。妹の井口愛子(後に佐藤愛子)と、前妻の井口秋子もピアニスト・ピアノ教育家という音楽一族。 井口基二と秀の長男として東京府東京市日本橋区浜町(現東京都中央区日本橋浜町)に生まれる。 1915年、浜町尋常小学校入学。1921年、京華中学校入学。16歳から田中規久士にピアノを師事。東京音楽学校器楽部ピアノ科にて高折宮次、レオニード・コハンスキに師事する。卒業後フランスに留学、イヴ・ナットのもとで研鑽を重ねた。1934年、帰国後初のリサイタルを日比谷公会堂で行い、その後活発な演奏活動を展開する。
松平 頼則(まつだいら よりつね、1907年5月5日 - 2… 松平 頼則(まつだいら よりつね、1907年5月5日 - 2001年10月25日)は、日本の作曲家、ピアニスト。 子爵松平頼孝の長男として東京市小石川区久堅町(現・東京都文京区小石川)に生まれる。母の治子は公爵徳大寺実則の四女。大叔父に内閣総理大臣西園寺公望がいる。 学習院初等科から暁星中学校に進む。16歳のとき生家が没落し、久堅町の邸宅を手放すことを余儀なくされ、父と別居した母に伴われ、妹とともに青山に仮寓。一高入試に失敗して2年間の浪人ののち、慶應義塾大学文学部仏文科に進む。国立音楽学校に転学したが1年ほどで慶應義塾大学に戻り、叔母の学資援助により、大学時代からピアノをチャーレス・ラウトロプに、和声学と対位法と楽式論をハインリヒ・ヴェルクマイスターに、作曲を小松耕輔に師事。
井口 秋子(いぐち あきこ、1905年11月1日 - 198… 井口 秋子(いぐち あきこ、1905年11月1日 - 1984年10月2日)は、日本のピアニスト、ピアノ教育家。東京芸術大学名誉教授。夫は同じくピアニスト・ピアノ教育家の井口基成。結婚前の姓は澤嵜(さわざき)。 訳書に「現代ピアノ演奏法」(ライマー・ギーゼキング著)がある。 息子の井口家成は物理学者で東京工業大学教授。
福井 直俊(ふくい なおとし、1904年2月15日 - 20… 福井 直俊(ふくい なおとし、1904年2月15日 - 2001年4月2日)は、日本のピアニスト。富山県上市町出身。学校法人武蔵野音楽学園名誉学園長、元東京芸術大学学長。勲二等旭日重光章(1974年に受章)。 武蔵野音楽大学創立者・福井直秋の長男として生まれる。弟に武蔵野音楽大学学長を務めた福井直弘、妹にピアニストの若尾輝子がいる。 東京音楽学校研究科を卒業。萩原英一、レオニード・コハンスキに師事。1930年、ベルリンに渡りアルトゥル・シュナーベルに師事。帰国後、新交響楽団(現:NHK交響楽団)との共演や、「ベートーベン:ソナタ・アルバム」などの校訂に携わる。 武蔵野音楽大学教授を経て、東京芸術大学音楽学部の教授に就任。
近藤 柏次郎(こんどう はくじろう、1900年8月17日 -… 近藤 柏次郎(こんどう はくじろう、1900年8月17日 - 1932年7月13日)は、日本のピアニスト。大正から昭和初期にかけて活躍したが、30代で芸妓と情死した。 浅野石油技師長近藤会次郎の次男として生まれる。暁星中学4年のときに府立一中に転校、一高を首席で卒業した。中学時代からピアノを学び、杉山長谷夫らに師事、山田耕筰の推薦で、来日中のデンマーク人ピアニストのジョージ・ロランジの伴奏を行い、一躍楽壇に知られた。友人の藤原義江によると、近藤は中学時代ピアノばかり弾いて学校にはあまり行かず、一高時代は「勉強は嫌いだが母親のために卒業だけはしてやる」が口癖だったという。 東京帝国大学法学部を卒業後日仏銀行に勤務の傍ら、藤原義江の伴奏をよく務めた。
ジェームス・ダン(James Dun, 日本名・壇治衛、18… ジェームス・ダン(James Dun, 日本名・壇治衛、1898年11月29日 - 1950年4月2日)は、日本で活動した音楽家・ピアニスト。明治期のお雇い外国人で後に駐日米国公使を務めたエドウィン・ダンの次男。幼少期を直江津で過ごし、在学した直江津小学校の校歌を後に作曲した。ジェームスが選定した「ベヒシュタイン」のピアノが今でも同校に残されている。 エドウィン・ダン、中平ヤマ(後妻)夫妻の次男として生まれる。四人兄弟で、兄のエドウィン・ダン・ジュニアも音楽家。 1897年(明治30年)に駐日米国公使を辞任した父・エドウィンは、その後も引き続き日本の発展のために貢献したいと考え、当時の新潟県の石油ブームに着眼し、直江津に石油精製工場を造る。
小倉 末(おぐら すえ、1891年2月18日 - 1944年… 小倉 末(おぐら すえ、1891年2月18日 - 1944年9月25日)は岐阜県大垣市出身の日本のピアニスト。東京音楽学校(現東京芸術大学)教授。戦前日本を代表する女流ピアニストである。 小倉末は、1891年に小倉周一(元大垣藩士小寺専助五男)、紫登の三女として生まれた。幼い頃からドイツ人の義姉マリアよりピアノの手ほどきを受け、1910年3月に神戸女学院を卒業 (4期) した。その前後ですでに演奏活動を行っており、1905年から1911年までに東京音楽学校に学び、その間学内外で演奏を行った記録が残っている。 また、末は「日本最初の婦人ゴルファー」ともいわれている。15歳の時にゴルフ場を作ったアーサー・ヘスケス・グルームの持つ山荘で休憩する姿の写真が、神戸の六甲ゴルフ倶楽部のアルバムに「Miss sueko ogura」の書き込みと共に残されている。
奥山 貞吉(おくやま ていきち、1887年〈明治20年〉3月… 奥山 貞吉(おくやま ていきち、1887年〈明治20年〉3月20日 - 1956年〈昭和31年〉6月2日)は日本のピアニスト、作曲家、編曲家、トロンボーン奏者。歌手の奥山彩子は実娘。 1887年(明治20年)東京茅場町に生まれる。東洋音楽学校卒業後、大正年間は船内のバンドでの活動を行った。昭和に入ると帝国ホテル主演のハタノ・オーケストラに所属する傍ら東京放送局で楽曲の編曲を担当し、浅草オペラ全盛期には金竜館の音楽部に所属し楽長を務めた。その頃に知り合った佐々紅華のすすめで後年はコロムビア専属となり、多くの作編曲を手掛けた。日本初のスライド・トロンボーンの奏者であったことでも知られる。1956年(昭和31年)に病死した。
久野 久(くの ひさ、1886年(明治19年)(1885年(… 久野 久(くの ひさ、1886年(明治19年)(1885年(明治18年))12月24日 - 1925年(大正14年)4月20日)は、日本のピアニスト。文部省からの辞令で音楽留学したウィーンで投身自殺した。 琴や三味線、長唄などの邦楽が盛んだった明治時代にピアニストとして活躍し、「音楽の都」とされるオーストリア・ウィーンで演奏を果たしたことから「日本初のピアニスト」と称される[リンク切れ]。 1886年(明治19年)(1885年(明治18年))12月24日に滋賀県滋賀郡膳所町馬場(現:滋賀県大津市馬場)で質屋を営む裕福かつ大地主の家の娘として生まれる[リンク切れ]。3歳の頃に自宅近所の神社の階段で転倒し、片足に障害を負う。
澤田 柳吉(さわだ りゅうきち、1886年3月13日 - 1… 澤田 柳吉(さわだ りゅうきち、1886年3月13日 - 1936年9月16日)は、日本のピアニスト。一般聴衆を前に演奏会を開いた最初の日本人ピアニストと言われている。 東京都に生まれ、東京音楽学校でピアノを学ぶ。同期には久野久子や小松耕輔、大和田愛羅らがいる。浅草オペラの創設に携わり、幕間でピアノ演奏を行なった他、オペレッタなどの上演に参加した。 1923年、関東大震災によって浅草オペラが壊滅的打撃を受けると、大阪府へ移住。演奏活動の他、大阪洋楽研究所を主宰し、ピアノ・声楽・音楽理論などを教えた。黎明期の日本のレコード会社に、洋楽・邦楽を問わず数多くの伴奏や器楽の録音を遺したことで知られる。その中には、日本人初となるショパンやベートーヴェンのピアノ曲も含まれている。
瀧 廉太郎(たき れんたろう、1879年〈明治12年〉8月2… 瀧 廉太郎(たき れんたろう、1879年〈明治12年〉8月24日 - 1903年〈明治36年〉6月29日)は、日本の音楽家・ピアニスト・作曲家。 明治期における西洋音楽黎明期の代表的な音楽家の一人で、歌唱共通教材として「荒城の月」が知られている。戸籍名では旧字体の「瀧」を用いるが、現代の教科書などでは新字体の「滝」でも表記される。 1879年(明治12年)8月24日に、旧・日出藩士(現:大分県速見郡日出町)の瀧吉弘の長男として東京府芝区南佐久間町2丁目18番地(現:東京都港区西新橋)に生まれた。両親は吉弘と正子で、瀧家は江戸時代に豊後国日出藩の家老職を代々務めたいわゆる上級武士の家柄である。父・吉弘も日出藩の家老で1872年(明治5年)に上京し、大蔵省から内務省に転じて大久保利通・伊藤博文らの下で内務官僚として勤務したのち、地方官として神奈川県・富山県を経て大分県竹田市に移り住んだ。
神戸 絢(かんべ あや、1879年(明治12年)2月16日 … 神戸 絢(かんべ あや、1879年(明治12年)2月16日 - 1956年(昭和31年)2月23日)は、日本のピアニスト、音楽家、音楽学校教授。別名、神戸 絢子。 日本の洋楽界最古のピアニスト(洋琴家)として知られた。東京音楽学校 (旧制)を卒業後、母校で30年以上にわたって後進を指導し、従四位勲四等に叙せられた。 東京府人・梁田正直(元鳥取藩士族)の長女として、東京に生まれた。第百銀行監査役・神戸信義(元岡山藩士族・元藩主侯爵池田章政家扶)の養女となり、姫路水力電気技師長・神戸順三郎(明治3年7月生、神戸信義の養子)と結婚、長女貞子(明治34年3月生)をもうけた。一家は1914年(大正3年)に分家した。
いいくぼ さおり(12月7日生)は、日本の女性シンガーソング… いいくぼ さおり(12月7日生)は、日本の女性シンガーソングライター、作曲家、ピアニスト。東京都出身。 東京都世田谷区育ち、宝仙学園高等学校、昭和音楽大学音楽学部声楽学科卒業。 絶対音感の持ち主でどんな音でも音符にできる。 ポップス・ピアノ弾き語り。全国的にライブ活動を展開。 キャッチコピーは「嬉しいから泣いた、悲しいから笑った。そんな時がある、そんな歌がある」 音楽家としての夢は「映画音楽を作ること」 料理が得意。かなりの読書家。 映画観賞、美術館巡りが趣味。 漫画やお笑いにも詳しい。 一日中ピアノを弾き続けている日も多く、食事もピアノに座ったまま取っていたという。音楽に対してはストイックに向き合う姿勢はファンの間では有名。
増田みのり(ますだみのり、11月27日- )は、福島県出身の… 増田みのり(ますだみのり、11月27日- )は、福島県出身の日本のピアニストであり、女性音楽グループ「1966カルテット」のメンバー(ピアノ担当)である。また、コラボレーティブ・ピアニストとして室内楽や伴奏ピアニスト、オペラやミュージカルの音楽スタッフや稽古ピアニストとしても活動している。 福島県会津若松市で生まれ、茨城県守谷市で育つ。ヤマハ・ジュニア専門コースでピアノと作曲を学び、特待生として東京音楽大学付属高校、東京音楽大学ピアノ演奏家コースを卒業。明治安田クオリティオブライフ文化財団より奨学金を受けて渡米し、ニューヨーク・マネス音楽院修士課程修了。同院でピアノとチェンバロ奏法を学ぶ。アメリカやブルガリアでリサイタル活動を行い、テレビ、Classic FMに出演。
鬼武 みゆき(おにたけ みゆき、11月17日 - )は、日本… 鬼武 みゆき(おにたけ みゆき、11月17日 - )は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト。 東京理科大学理学部数学科卒業。2002年、自身のレーベル、Eternal Music Records を設立。これまでに、6枚のオリジナルアルバムを発表。自身の活動の他、他のアーティストのレコーディングやコンサートにも参加。2011年、ブラジリアン・シンガーソングライター、グラストン・ガリッツァとのコラボレーションアルバムを発売、マドリードや、30ヵ所にわたる日本ツアーを敢行。その他、小栗康平監督映画「埋もれ木」の挿入歌作曲、マレーシア・ナショナル・シンフォニー・オーケストラのオーケストレーションを手がけたり、東京理科大学のオリジナル楽曲「未来への約束」作曲などを行う。
矢嶋 マキ(やじま マキ、9月16日 - ) は日本のピアニ… 矢嶋 マキ(やじま マキ、9月16日 - ) は日本のピアニスト、キーボーディスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。東京都出身。夫はギタリストの矢島賢、次女はアートディレクターの矢島沙夜子。Whisper Notes Music代表。 2才の頃より音に対する恐怖症を克服するため、ピアノの前に座り弾き始める。東洋英和女学院幼稚園から小中高等部へと進学し、その間父親の転勤で台湾にて5〜8歳まで過ごす。この頃台北の著名な演奏家に師事すると、ピアノの才能を認められる。 中学・高校時代は学園祭のためのバンドを結成し、バート・バカラックの曲やボサノヴァなどをレパートリーとすると、クラシック以外の音楽を演奏する事に強く惹かれるようになる。
久保田 千陽(くぼた ちあき、9月8日 - )は、日本の作曲… 久保田 千陽(くぼた ちあき、9月8日 - )は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト、ディレクター、音楽プロデューサー。東京都世田谷区出身。桐朋学園大学音楽学部音楽学科ピアノ専攻卒業。 3歳よりピアノを始め、高校生時代から編曲・作曲法を独学。東京都立芸術高等学校音楽科卒業。桐朋学園大学音楽学部音楽学科ピアノ専攻卒業。 韓国EuroArts音楽祭ソリストディプロマ受賞、ショパン国際コンクールinASIA高校生の部関東大会第2位ほかコンクール、オーディションの受賞をする。 他に代表取締役を務める株式会社センヨーミュージックマネジメントでコンサートなどの演奏機会を企画・展開して若手演奏家の育成と活躍の場を創出。
前田 涼子(まえだ りょうこ、8月8日 - )は、東京都西東… 前田 涼子(まえだ りょうこ、8月8日 - )は、東京都西東京市出身のピアニスト。 東京都立芸術高等学校音楽科卒業。 フェリス女学院大学音楽学部楽理学科作曲専攻卒。 ピアノを宮津まり子、江端津也子、佐野川延子、松本明、矢沢朋子、三宅榛名に、作曲を三宅榛名、伊藤弘之、岡島雅興に師事。 高校時代の同級生と「Ange de Musique」を結成後、演奏活動を始める。 現在は、ピアノ講師をする傍ら、色々なユニットとの共演や作曲、舞台演奏などで活躍中。
森田 雪(もりた ゆき 6月27日 - )は、神奈川県鎌倉市… 森田 雪(もりた ゆき 6月27日 - )は、神奈川県鎌倉市出身のフリーアナウンサー、ピアニストである。
中村理恵(なかむらりえ、6月26日 - )は、日本のピアニス… 中村理恵(なかむらりえ、6月26日 - )は、日本のピアニスト、クラシック音楽。福岡県那珂川市出身。血液型B型。 福岡県那珂川市出身。幼い頃よりクラシック音楽に興味を持ち、6歳の時にピアノを始め、15歳からヴァイオリンを始める。小学4年生の時に初めて挑戦した「大牟田ジュニアピアノコンクール」にて西日本新聞社賞を受賞。その後、数々のコンクールで入賞、優勝を果たす。福岡女学院高等学校音楽科卒業。桐朋学園大学短期大学部卒業。 現在、演奏家派遣、イベント制作を手がける株式会社Primoの代表取締役。 クラシックのみならず、さまざまなジャンルの分野で活躍中で、ソロCD『はじめまして』、ドラマの挿入曲でも使われた『Sail Away』、Soleilとして『Soleil』、Rayとして『Delicious』をリリース。
奈良 希愛(なら きあい、5月4日 - )は、日本のピアニス… 奈良 希愛(なら きあい、5月4日 - )は、日本のピアニスト。国立音楽大学音楽学部ピアノ科准教授。
母里 由美子(もり ゆみこ、3月19日 - )は、日本の作曲… 母里 由美子(もり ゆみこ、3月19日 - )は、日本の作曲家、歌手、ピアニスト、アレンジャー、音楽プロデューサー。六子のサポートメンバーであり、ピアノとコーラスを担当する。有限会社ミューズランプに所属していた。 島根県安来市出身。血液型O型。年齢不詳希望[要説明]。 趣味は料理と匂い[要説明]。そして後悔しながらの飲酒。
加藤 千恵(かとう ちえ)はピアニスト。 北九州市小倉に生ま… 加藤 千恵(かとう ちえ)はピアニスト。 北九州市小倉に生まれ、3歳の時オルガン教室に通い始める。4歳時に東京へ転居。芝久保小学校、田無第三中学校、都立武蔵高等学校、大阪府立春日丘高等学校編入を経て、大阪音楽大学器楽学科ピアノ科卒。国立音楽院音楽療法学科卒。ソリストとして、また歌、器楽、合唱団の伴奏ピアニストとして多くのステージを経験、海外演奏にも同行する。その間、大手音楽教室専門コース講師として、また自宅でのレッスンを通じ多くのピアニストの卵を育てる。現在『Kato Music World』を主幹。後進の指導、ジャズ、クラシックを基盤にしたコンサート活動、音楽療法活動を続ける。
佐藤美香 は、大阪府交野市出身のクラシック音楽のピアニスト。
福間 洸太朗 は、日本のクラシック音楽のピアニスト。
水谷 達夫 は、日本のピアニスト。音楽教育者。父は音楽教育家… 水谷 達夫 は、日本のピアニスト。音楽教育者。父は音楽教育家・音楽家、児童演劇教育家の水谷志奇男。ピアニストの石川 百合子は三男三女の長女。ヴァイオリニストで歌手の水谷美月の大叔父にあたる。
石岡 久乃(いしおか ひさの)は、日本のピアニストである。
H ZETT M(エイチ・ゼット・エム)またはヒイズミ マサ… H ZETT M(エイチ・ゼット・エム)またはヒイズミ マサユ機(ひいずみ まさゆき)は、日本のミュージシャン、ピアニスト、キーボーディスト。
山崎 真(やまさき まこと)は、日本のピアニスト。
永井 進(ながい すすむ)は、昭和期のピアニストである。東京… 永井 進(ながい すすむ)は、昭和期のピアニストである。東京芸術大学音楽学部教授も務めた。