宮﨑 康平(みやざき こうへい、1917年5月7日 - 19… 宮﨑 康平(みやざき こうへい、1917年5月7日 - 1980年3月16日)は、日本の古代史研究家、作家、元会社役員。『まぼろしの邪馬台国』によって邪馬台国論争に参入した。本名は懋、失明後に一章に改名。 正確な表記は「宮﨑」(「崎」の字は山偏に竒)であるが「宮﨑」と表記出来ない環境が一部存在するので「宮崎」で通すことが多い。以下本項でも「崎」の字を用いる。 本名は宮崎懋(みやざきつとむ)。のちに一章(墓誌名)、一彰と改名する。ペンネームは当初、日夏耿之介の名前から一字を取って「宮崎耿平」(みやざきこうへい)としていたが、人から正しく「こうへい」と呼んでもらえなかったことからその後「康平」に変更している。
宮﨑 康平(みやざき こうへい、1917年5月7日 - 19… 宮﨑 康平(みやざき こうへい、1917年5月7日 - 1980年3月16日)は、長崎県島原市生まれの古代史研究家、作家、元会社役員。『まぼろしの邪馬台国』によって日本中に邪馬台国論争を巻き起こした。正確な表記は「宮﨑」(「崎」の字は山偏に竒)であるが「宮﨑」と表記出来ない環境が一部存在するので「宮崎」で通すことが多い。以下本項でも「崎」の字を用いる。
島尾 敏雄(しまお としお、1917年(大正6年)4月18日… 島尾 敏雄(しまお としお、1917年(大正6年)4月18日 - 1986年(昭和61年)11月12日)は、日本の小説家。日本芸術院会員。 大学卒業後に海軍予備学生に志願し第十八震洋特攻隊隊長として、奄美群島加計呂麻島に赴任。1945年8月13日に特攻戦が発動され、出撃命令を受けたが発進の号令を受けぬまま即時待機のうちに終戦を迎えた経験を持つ。「ヤポネシア」という概念を考案したことでも知られる。 作品は超現実主義的な『夢の中での日常』などの、戦争中の体験を描いた作品群、『出発は遂に訪れず』などの作品群、さらに家庭生活を描いた『死の棘』などの作品群に大別される。また、小説作品との決定的な差異はないとされる日記や、紀行文など記録性の高いテキスト群や南島論なども多く書き続けた。
八匠 衆一(はっしょう しゅういち、1917年3月30日 -… 八匠 衆一(はっしょう しゅういち、1917年3月30日 - 2004年6月21日)は、昭和・平成期の小説家。 北海道旭川市生まれ。本名は松尾一光。北海道庁立旭川商業学校(現・北海道旭川商業高等学校)、日本大学芸術学園卒。講師の伊藤整や東大生だった梅崎春生と知り合う。戦時中は召集により第7師団に入隊。戦後に再上京するが、過度の飲酒とヒロポン中毒のために深夜の路上で刑事事件を起こし、札幌刑務所で服役。そこで女性看守坂東知子と知り合う。仮出所後、上川町の義兄宅に寄宿。1954年、札幌で伝道師となっていた知子と結婚する。 名古屋の同人誌『作家』に「未決囚」を発表、1955年に直木賞候補となる。1958年、再上京し「地宴」で作家賞、1982年、『生命盡きる日』で平林たい子文学賞受賞。
柴田 錬三郎(しばた れんざぶろう、1917年〈大正6年〉3… 柴田 錬三郎(しばた れんざぶろう、1917年〈大正6年〉3月26日 - 1978年〈昭和53年〉6月30日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、中国文学者。本名齋藤錬三郎(さいとう れんざぶろう)。代表作に『眠狂四郎』シリーズ、『赤い影法師』『御家人斬九郎』『三国志 英雄ここにあり』などがあり、剣客ブームを巻き起こし、時代小説に新風を送った。「シバレン(柴錬)」の通称でも呼ばれた。 岡山県邑久郡鶴山村(現・備前市)の地主・柴田知太の三男として生まれる。父は日本画家でもあった。3歳で父を亡くしたが、遺された漢籍に親しみ、唐宋詩人の詩を愛吟して育った。 鶴山尋常小学校を卒業後、1929年に旧制岡山県第二岡山中学校に進学。
小林 美代子(こばやし みよこ、1917年3月19日 - 1… 小林 美代子(こばやし みよこ、1917年3月19日 - 1973年8月18日)は、日本の小説家。 岩手県釜石市出身。1924年に福島県伊達郡保原町(現伊達市)に移住。1929年、母の癌再発に伴って一家窮乏し、尋常小学校高等科1年で中退、単身上京して子守となる。家業の破産や家族の病死、逐電、精神錯乱などが相次ぎ、転々と職を変えた末、戦時下は速記者として生計を立てる。 戦後は三鷹市井の頭に自宅を構えるが、1955年、メニエール病で倒れ、以後入退院を繰り返す。1962年、近隣トラブルからノイローゼになり、精神病院に入院。1966年、閉鎖病棟の中で書き上げた処女作が『文芸首都』に掲載され、以後、同誌同人の中上健次、勝目梓らと切磋琢磨する日々をおくる。
大塚 雅春(おおつか まさはる、1917年〈大正6年〉3月1… 大塚 雅春(おおつか まさはる、1917年〈大正6年〉3月12日 ‐ 2000年〈平成12年〉5月1日)は、日本の小説家、歌人。 高知県香美郡土佐山田町(現香美市)生まれ。本名は忠雄。1934年、高知県立高知工業学校(建築科)卒業。前職は大阪汽車会社社員。 1949年、大衆文芸賞受賞、長谷川伸主宰の雑誌『大衆文芸』でデビュー。主に歴史小説・時代小説を執筆。 妻は歌人の大塚布見子で、妻の主宰する歌誌「サキクサ」に参加した。孫は劇団アマヤドリの所属俳優・大塚由祈子。
吉田 タキノ(よしだ たきの、1917年3月11日 - 20… 吉田 タキノ(よしだ たきの、1917年3月11日 - 2008年1月23日)は、日本の児童文学作家。「タキノおっぱ」と慕われた。岩手県宮古市鍬ヶ崎出身。岩手県立宮古高等女学校卒。
山本 茂実(やまもと しげみ、1917年〈大正6年〉2月20… 山本 茂実(やまもと しげみ、1917年〈大正6年〉2月20日 - 1998年〈平成10年〉3月27日)は、日本の小説家。非常に寡作な人物であり、代表作「あゝ野麦峠」で日本文学史にその名を刻んだ。 長野県東筑摩郡松本村(現・松本市)に農家の長男として生まれる。松本青年学校に通うが、1937年(昭和12年)に召集され近衛歩兵第3連隊に入る。終戦後は農業に従事し、31歳になってから上京し、早稲田大学文学部哲学科の聴講生となる。青年海外協力隊の専任講師も務めた。 松本市歴史の里に「山本茂実展示コーナー」がある。夫人山本和加子の回想記『「あゝ野麦峠」と山本茂実』(角川学芸出版、2010年)がある。 1998年3月27日死去。
堀川 潭(ほりかわ たん、1917年1月29日 - 1979… 堀川 潭(ほりかわ たん、1917年1月29日 - 1979年2月4日)は、日本の小説家。島根県益田市出身。本名・高橋義樹。 日本大学芸術科卒。1944年海軍報道班員としてサイパン島従軍、グアム島で捕虜となり、ハワイ収容所に送られて1946年帰国。伊藤整の弟子となり、「新文化」「文学生活」などに小説を執筆。短編集「運命の卵」ほか。 「高橋潭」とすることもある。文藝春秋の編集者・高橋一清は甥。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
土屋 隆夫(つちや たかお、1917年1月25日 - 201… 土屋 隆夫(つちや たかお、1917年1月25日 - 2011年11月14日)は、日本の小説家、推理作家。 長野県北佐久郡立科町芦田出身。慶長年間から芦田宿に続く旧家の出であり、祖先は江戸時代を通して本陣と問屋をつとめ、隆夫の実家はその下屋敷であった。 中央大学専門部法律学科卒業。卒業後は化粧品会社、映画配給会社宣伝部に勤務した。第二次大戦後、郷里の長野県に戻り、小劇場の支配人を勤めたのち立科町立中学校の教諭となる。 推理小説を執筆する以前には、演劇に傾倒した。真山青果の戯曲を暗誦するまで読み込み、自身も戯曲を執筆した。松竹歌舞伎研究会が主催した新歌舞伎脚本の募集に「彩管武士道」を応募し二席入選を果たしている。
斎藤 隆介(さいとう りゅうすけ、1917年1月25日 - … 斎藤 隆介(さいとう りゅうすけ、1917年1月25日 - 1985年10月30日)は、日本の児童文学作家。本名は隆勝(たかかつ)。 短編童話集『ベロ出しチョンマ』で、1968年に第17回小学館文学賞、『天の赤馬』で、1978年に第18回日本児童文学者協会賞、『ソメコとオニ』で、1987年に第10回絵本にっぽん賞を受賞。 東京都生まれ。山本有三を慕って明治大学専門部文科(文芸科)に入学。在学中ゴーリキーの影響を受ける。卒業後、北海道新聞、秋田魁新報の記者を歴任。新聞記者のかたわら著作活動に入る。 秋田地方の方言、オノマトペをふんだんにちりばめた民話の体裁をとりながら、ほとんどは斎藤の創作童話である。
田中 志津(たなか しづ、1917年〈大正6年〉1月20日 … 田中 志津(たなか しづ、1917年〈大正6年〉1月20日 - 2024年〈令和6年〉11月3日)は、日本の女性作家。日本文藝家協会会員。本名は田中 シヅ。 次男の田中佑季明も同じく作家である。 新潟県北魚沼郡小千谷町に生まれる。1966年(昭和41年)に随筆日記「雑草の息吹」が「今日の佳き日は」としてNHKで放送される。長女の佐知がFM放送で2001年(平成13年)に『佐渡金山を彩った人々』を全編朗読し、2003年(平成15年)には『冬吠え』を全編朗読した。 2005年(平成17年)、佐渡金山に「田中志津文学碑」(佐渡金山顕彰碑)が建立され、2010年(平成22年)には新潟県小千谷市船岡公園に「田中志津生誕之碑」が建立された。
見川 鯛山(みかわ たいざん、1916年11月22日 - 2… 見川 鯛山(みかわ たいざん、1916年11月22日 - 2005年8月5日)は、日本の医師、作家。本名は見川 泰山。栃木県安蘇郡植野村(現・佐野市)出身。 昭和医学専門学校卒業後、栃木県那須郡那須村(現・那須町)に見川医院を開設、60年以上にわたって地域医療に従事する傍ら、那須の風土に根ざした短編小説や随筆を14冊執筆した。製薬会社のPR誌に連載した作品などをまとめた「山医者シリーズ」が有名。獅子文六に師事した。 2男2女の4人の子供がおり、長男は見川医院の院長を引き継いでいる。次女はイラストレーターの米倉万美で、2004年7月に地元佐野市のギャラリー酒蔵楽で「見川鯛山&米倉万美父娘展」を開催した。
野村 耀昌(のむら ようしょう、1916年9月3日 - 19… 野村 耀昌(のむら ようしょう、1916年9月3日 - 1997年3月2日)は、日蓮宗の僧、刻字作家。 立正大学卒。1966年「周武法難の研究」で立正大学文学博士。立正大学仏教学部教授。87年定年退任、名誉教授。中国仏教史が専門。
三越 左千夫(みつこし さちお、1916年〈大正5年〉8月2… 三越 左千夫(みつこし さちお、1916年〈大正5年〉8月24日 - 1992年〈平成4年〉4月13日)は、日本の詩人、児童文学作家。本名は三津越幸助(みつこし こうすけ)。千葉県香取郡大倉村(現:香取市)出身。 昭和20年頃より神保光太郎、高橋新吉、山之口貘らと交流があり、戦後現代詩の書き手の1人として活動。1950年に江口榛一と童謡詩誌『キツツキ』を創刊。詩誌『薔薇科』などに同人として参加。また、NHKのプロデューサーであった三枝健剛(三枝嘉雄)と知り合い、ラジオ番組の台本の執筆の他、『音楽夢くらべ』という番組の詩の選と補選を十数年担当した。 主な詩集に『柘榴の花』『夜の鶴』、童話集に『あの町この町、日が暮れる』『ぼくはねこじゃない』『かあさんかあさん』などがある。
石川 悌二(いしかわ ていじ、1916年8月24日 - 19… 石川 悌二(いしかわ ていじ、1916年8月24日 - 1987年)は、日本の作家、文学・地理研究家。 台湾・台北生まれ、東京出身。1943年早稲田大学文学部国文科卒。1947年「魚紋」を発表して小説家を志し、1973年「近代作家の基礎的研究」を刊行。東京都公文書館主任調査員の傍ら、ライフワークとして「江戸東京坂道辞典」「東京の橋」などを執筆した。
大西 巨人(おおにし きょじん、1916年(大正5年)8月2… 大西 巨人(おおにし きょじん、1916年(大正5年)8月20日 - 2014年(平成26年)3月12日)日本の小説家・評論家。本名は同じく「巨人」と書いて「のりと」。マルクス主義の立場を堅持し、唯物論的観点から個人の尊厳を創作で追究した。小説・批評のいずれにおいても、常に主体を明確にした、論理性を重んじる文体を用いた。 戦後、「近代文学」などに小説・評論を発表。戦後文学・思想の方向性を巡る論争で積極的に発言する。1955年から25年間書き継いだ『神聖喜劇』のほか、『五里霧』(1997年)、『迷宮』(2004年)など。 福岡県福岡市出身。旧制福岡中学校(現・福岡県立福岡高等学校)、旧制福岡高等学校卒業、九州帝国大学法文学部中退。
一色 次郎(いっしき じろう、本名:大屋典一(すけかつ)、1… 一色 次郎(いっしき じろう、本名:大屋典一(すけかつ)、1916年5月1日 - 1988年5月25日)は、日本の小説家。 鹿児島県にある沖永良部島の大島郡知名村(現知名町)余多で生まれ、すぐ鹿児島市に移る。幼少期に1年程、現在の兵庫県加古川市に居住。1919年、3歳の時に父が無実の罪で獄死し、母親と別居して親戚の家で育つ。 1936年に鹿児島朝日新聞(現・南日本新聞)で「隠密薩摩相」の連載小説を執筆。同年上京する。佐佐木茂索に師事、はじめは本名で執筆活動を行った。1945年西日本新聞東京支社に入社。1949年「冬の旅」で直木賞候補、1955年に児童読物で一色次郎の筆名を用いる。1961年「孤雁」で再度直木賞候補。
瀬田 貞二(せた ていじ、1916年4月26日 - 1979… 瀬田 貞二(せた ていじ、1916年4月26日 - 1979年8月21日)は、日本の児童文学作家・翻訳家・児童文学研究者。 東京市本郷区(現:東京都文京区)湯島切通坂町にて父・瀬田金之助と母・余寧の息子として生まれる。1939年、俳人中村草田男に師事。本郷尋常小学校、開成中学校、東京高等学校を経て、1941年、東京帝国大学国文科卒業。同1941年、東京府立第三中学校(のちの、都立両国高校)の夜間部の教諭となる。 1942年、千葉県立国府台陸軍病院の衛生兵となる。1945年の終戦後、東京府立第三中学校に復職し、同年の秋、結婚。 戦後、東京府立第三中学校夜間部教師のかたわら、余寧金之助の筆名で児童文学作品を雑誌に寄稿。
岡本 隆三(おかもと りゅうぞう、1916年3月31日 - … 岡本 隆三(おかもと りゅうぞう、1916年3月31日 - 1994年4月14日)は、日本の作家・中国文学者。 静岡県生まれ。1937年東京外国語学校支那語科卒業。戦後横浜国立大学助教授を務めるが辞職して文筆に専念する。近現代文学が専門。中華人民共和国と文化大革命、毛沢東の支持者であった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
松田 瓊子(まつだ けいこ、1916年(大正5年)3月19日… 松田 瓊子(まつだ けいこ、1916年(大正5年)3月19日 - 1940年(昭和15年)1月13日)は、日本の小説家。父は小説家の野村胡堂。夫は政治学者の松田智雄。 東京市小石川区(現在の東京都文京区)に4人兄弟の次女として生まれる。作家の父と高等女学校の教員であった母のもと、文化的に恵まれた家庭に育つ。日本女子大附属高等女学校(現在の日本女子大学附属中学校・高等学校)に入学した頃から少女小説を書き始め、女学校卒業の頃に初めての長編である『人形の歌』を完成する。女学校卒業後は日本女子大学校(現在の日本女子大学)英文科に入学する。卒業生名簿に名前が記載されていないことから、卒業はしなかったとされている。
五味川 純平(ごみかわ じゅんぺい、1916年(大正5年)3… 五味川 純平(ごみかわ じゅんぺい、1916年(大正5年)3月15日 - 1995年(平成7年)3月8日)は、日本の小説家。本名︰栗田 茂(くりた しげる)。 関東州・大連生まれ。東京商科大学(現一橋大学)に入学するも1年で中退し、東京外国語学校(現東京外国語大学)英文科入学。同校在学中に、治安維持法違反の疑いで検挙されるが、その後卒業し、満州鞍山の昭和製鋼所に入社する。ここで隅谷三喜男と知り合う。1943年召集を受け、満州東部国境各地を転々とした。1945年8月のソ連軍の満州侵攻時には、所属部隊はソ連軍部隊の攻撃を受けて全滅に近く、生存者は五味川以下数名で、捕虜となる。 1948年の復員後、自らの従軍体験を基にして1956年に発表した『人間の條件』が1,300万部を超える大ベストセラーとなり、一躍人気作家となる。
結城 信一(ゆうき しんいち、1916年3月6日 - 198… 結城 信一(ゆうき しんいち、1916年3月6日 - 1984年10月26日)は、日本の小説家である。 東京府生まれ。1933年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒。早稲田大学英文科卒。国際学友会の日本語学校の教師を経て、1948年、「秋祭」で作家デビュー。以後、『早稲田文学』ほかの文芸雑誌、年に二作程度の短篇を発表する寡作で地味な作家だったが、1980年、老人と少女の交流を描いた「空の細道」で日本文学大賞受賞。没後の2000年、未知谷より全3巻の『結城信一全集』(串田孫一、郡司勝義、結城信孝責任編集)が刊行された。アンソロジスト、エッセイストの結城信孝は息子。墓所は荒川区西日暮里の本行寺。
藤井 重夫(ふじい しげお、1916年(大正5年)2月10日… 藤井 重夫(ふじい しげお、1916年(大正5年)2月10日 - 1979年(昭和54年)1月17日)は、兵庫県生まれの作家。 兵庫県豊岡市生まれ。豊岡商業学校卒(現兵庫県立豊岡総合高等学校)。 21歳で応召し、4年間を中国大陸の戦火の中で過ごした。1941年、25歳の時に朝日新聞に入社(姫路通信局専属通信員)。第二次世界大戦中は陸軍報道班員としてフィリピンやマレーなどに派遣され、約2年間を南方の地で従軍した。戦後の1951年、大阪本社から東京本社へ転勤。雑誌編集などに携わる傍ら、執筆した「佳人」(同人誌『作家』所収)が川端康成に激賞され、芥川賞候補となる。同作が1958年に日活で映画化されたことを機に、翌年朝日新聞社を退社し、作家業に専念する。
塚原 美村(つかはら よしむら、1916年2月4日- 200… 塚原 美村(つかはら よしむら、1916年2月4日- 2009年)は、歴史家、小説家。 山梨県生まれ。東京府立第七中学校(現東京都立墨田川高等学校)卒、日本大学卒。山梨県立甲府第一高等学校教諭。 京都の部落問題研究所に所属。下層の人間の歴史を研究した。『金印惑伝』では漢委奴国王印の金印を江戸時代の製作と主張した。
下畑 卓(しもはた たく、1916年1月30日 - 1944… 下畑 卓(しもはた たく、1916年1月30日 - 1944年4月10日)は、日本の児童文学作家。
来栖 良夫(くるす よしお、1916年(大正5年)1月14日… 来栖 良夫(くるす よしお、1916年(大正5年)1月14日 - 2001年(平成13年)6月6日)は、日本の児童文学作家。旧姓は木村。 進歩的な史観と鍛えられた文章による巧みな物語構成に特色を持ち、歴史取材を主とした作品を多く遺した。 茨城県稲敷郡高田村(江戸崎町高田を経て、現在の稲敷市高田)に生まれる。江戸崎農学校を卒業後、茨城県内で多田公之助らと共に綴方教育運動等の新興教育運動に参画し、文集『工程』などを発行した。教育科学研究会にも参加した。 1941年、綴方教師弾圧(生活図画事件)により逮捕される。釈放後、山東省青島市即墨区で陸軍駐屯地勤務を含む3年間の従軍を経て、1946年に帰郷した。
武者 一雄(むしゃ かずお、1916年〈大正5年〉1月2日 … 武者 一雄(むしゃ かずお、1916年〈大正5年〉1月2日 - 2008年〈平成20年〉12月17日)は、日本の小説家、児童文学作家、僧侶。群馬県出身。本名・中村一雄。『ビルマの竪琴』の水島上等兵のモデルとなったとされることで知られる。 碓氷郡松井田町(現 安中市)生まれ。13歳で僧となる。旧制高崎中学校(現 群馬県立高崎高等学校)を経て、1936年駒澤大学専門部仏教科卒業。卒業後ただちに高崎第15連隊に入隊。1938年に北支に出征した後1941年に帰国。福井県の永平寺で2年間修業するが再び召集され、フィリピン、タイなど東南アジアを転戦後、多くの死者が出たインパール作戦に参加し、ビルマ(今のミャンマー)で終戦を迎える。
高木 啓太郎(たかぎ けいたろう、1916年1月1日 - 1… 高木 啓太郎(たかぎ けいたろう、1916年1月1日 - 1997年10月11日)は、日本の写真作家、美術家。 写真、陶芸、書画を中心に、日本のみならず、欧米でも数多くの個展を開催するなど幅広く活躍した。 1916年(大正5年)倉吉で生まれ、戦前に大陸に渡る。敗戦後、シベリア抑留を経験する。1948年(昭和23年)に帰国すると、倉吉でカメラ店を開き、民俗写真、民俗風景の撮影に熱中した。独学で写真を始め、塩谷定好や植田正治との親交を通じて技術を磨いた。同好の仲間と「光画クラブ」というアマチュア写真集団を作る。「光画クラブ」には、戦後の「砂丘社」復興にかかわった画家・徳吉英雄も参加した。さらにカメラ店の他に、民藝品店、画廊、喫茶店(久良)、蕎麦屋(土蔵蕎麦)など商売の幅を広げ、そこが芸術家たちの集うサロン的な場所となった。
戸板 康二(といた やすじ、1915年12月14日 - 19… 戸板 康二(といた やすじ、1915年12月14日 - 1993年1月23日)は、日本の演劇・歌舞伎評論家、推理作家、随筆家。 東京市芝区三田四国町(現在の東京都港区芝)出身。旧姓山口。藤倉電線に勤める父・三郎、母ひさの長男として生まれる。父親の仕事の関係で中国に引っ越し、上海小学校に通い、帰国後愛宕小学校(東京都港区)に入学。山口家に男子が生まれたら母方の戸板家の養子になる約束があり、初めは「康夫」と名付けられたが、養子になった1923年7月9日、「康二」と改める。 幼時、母方の祖母で戸板裁縫女学校の創立者である戸板関子の養子となる。関東大震災のとき、鎌倉材木座の別荘にいた母親が幼い次男をかばって圧死するも、康二は東京の自宅にいたため難を逃れる。
三樹 青生(みき せいき、1915年10月18日 - 200… 三樹 青生(みき せいき、1915年10月18日 - 2000年3月18日)は、日本の翻訳家、作家。本名は三樹 精吉。 米国サクラメント生まれ。1937年大阪外国語学校フランス語部卒業。毎日新聞、静岡新聞、第一新聞記者を経て、1949年より日本新聞協会勤務。英米文学翻訳家。1970年「終曲」で直木賞候補。国語審議会委員も務め、TBSブリタニカ監修部長、帝京大学文学部教授(1996年定年)。大学では社会教育学を指導した。 実子は編集者の三樹創作。
江崎 惇(えざき あつし、1915年9月28日 - 1995… 江崎 惇(えざき あつし、1915年9月28日 - 1995年1月8日)は日本の小説家。 静岡県出身。慶應義塾大学を卒業後、放送局勤務を経て作家活動に入る。主に時代小説の分野で活躍した。
浅田 晃彦(あさだ てるひこ、1915年〈大正4年〉8月11… 浅田 晃彦(あさだ てるひこ、1915年〈大正4年〉8月11日 - 1996年〈平成8年〉7月31日)は、日本の小説家、医師。 群馬県勢多郡富士見村(現・前橋市)出身。 祖父・浅田長太郎は平藩の足軽の家の出で勢多郡新里村山上の浅田民次郎の養子となり、後に初代新里村長となった。 晃彦は勢多郡富士見村に生まれ、利根郡片品村で幼少期を過ごした。1934年(昭和9年)に旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業し、1941年(昭和16年)に慶應義塾大学医学部を卒業。翌1942年(昭和17年)陸軍軍医として入隊、ラバウルで勤務し1946年(昭和21年)に復員した。 戦後は前橋で内科小児科を開業し、のちに日本郵船の船医となる。
天藤 真(てんどう しん、1915年8月8日 - 1983年… 天藤 真(てんどう しん、1915年8月8日 - 1983年1月25日)は、日本の推理作家。本名は遠藤 晋。 東京都生まれ。東京帝国大学国文科卒。同盟通信社記者を経て、戦後は千葉県で開拓農民となる。また千葉敬愛短期大学講師も務める。寡作ながらユーモアとウィットに富んだ文体、状況設定の巧みさと読者の意表を突く展開の作風が特徴的である。現在、ほとんどの作品が創元推理文庫に入っている。 1962年、旧『宝石』に投稿した『親友記』が宝石賞に佳作入選して、作家活動を開始。また同年『陽気な容疑者たち』が第八回江戸川乱歩賞の最終候補となり、大下宇陀児らの推薦を得て翌年刊行に至る。1963年、『鷹と鳶』で第二回宝石賞を受賞。
井上 孝(いのうえ たかし、1915年8月2日 - 2002… 井上 孝(いのうえ たかし、1915年8月2日 - 2002年6月17日)は、日本の小説家。 山口県生まれ。早稲田大学仏文科卒業。『早稲田文学』に小説を発表し、1940年「ある市井人の一生」で芥川賞候補。戦後は『早稲田文学』の編集に携わりながら作家活動をおこなった。 2002年6月17日、肺炎のため山口県下関市の病院で死去。86歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
黒木清次(くろき せいじ、1915年5月2日 - 1988年… 黒木清次(くろき せいじ、1915年5月2日 - 1988年8月22日)は、日本の作家、詩人。 宮崎県西諸県郡須木村(現小林市)生まれ。宮崎師範学校(のち宮崎大学)卒。小学校教員となる。1938年に富松良夫らと同人誌『龍舌蘭』を創刊。太平洋戦争中は上海に渡り、『上海文学』を創刊する。43年「棉花記」で芥川賞候補。戦後、宮崎市の日向日日新聞社(現・宮崎日日新聞社)勤務、のち同社社長(1977~1982)。
荻原 秀夫(おぎわら ひでお、1915年〈大正4年〉4月23… 荻原 秀夫(おぎわら ひでお、1915年〈大正4年〉4月23日 - 2004年〈平成14年〉6月14日)は、日本の小説家、編集者、警察官。 群馬県佐波郡宮郷村(現・伊勢崎市)に生まれる。内務省警察講習所(警察大学校)卒。警視庁に十年間勤務し、山岡荘八に師事、戦後犯罪小説や推理小説を書いた。1951年日本出版タイムス社に迎えられ、『週刊タイムス』編集局長を勤める。妻は詩人の荻原欣子(1925-2018)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
長尾 良(ながお はじめ、1915年4月5日 - 1972年… 長尾 良(ながお はじめ、1915年4月5日 - 1972年3月29日)は、日本の作家。 兵庫県飾磨郡(現:姫路市)家島町真浦出身。東京帝国大学文学部卒。平林英子・中谷孝雄に師事、『コギト』同人として小説を書く。 太宰治らと親しく、檀一雄の異父妹の高岩忍と結婚。 また、出版社「ぐろりあ・そさえて」の編集者としても働いていた。同社は播磨の大地主で貴族院議員の伊藤長次郎の弟・伊藤長蔵が設立した出版社で、小説や歌集、評論を多く出していた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
直井 潔(なおい きよし、1915年4月1日 - 1997年… 直井 潔(なおい きよし、1915年4月1日 - 1997年11月23日)は日本の小説家。 広島県広島市に生れ、兵庫県滝川中学卒業後は区役所に勤める。応召により中国戦線に出征して病を得、本土に送還のうえ入院する。全身が「石地蔵のように」硬直する奇病で、現地の風土病に罹患したらしい。以降身体の自由を欠き、寝たきりの生活となって、老母の看護を受けながら療養を余儀なくされる。 病床でつれづれのあまり手に取った『暗夜行路』に感激し、これを暗唱するまで読みこみ、著者志賀直哉に師事せんことを願う。文通によって志賀もその境遇に同情し、読書をはげましながらしきりと小説の執筆をすすめたが、1943年小説『清流』の原稿が手元に送られるに至ってその出来栄えを称揚し、これが直井の文壇へのデビューとなった。
黄 順元(ファン・スンウォン、ファン・スノン、1915年3月… 黄 順元(ファン・スンウォン、ファン・スノン、1915年3月26日 - 2000年9月14日)は韓国の小説家、詩人。淡い同性愛とサディズム、マゾヒズムを抱く「落胆したロマンチスト」を描写する黄の作風は、詩人として出発した抒情的感性から来るのかもしれない。50年代以降、党派文学に対する批判が起こる韓国文壇で、感受性で美学を形象化してきた黄は純文学のひとつの頂きをなしている。 1915年3月26日、平安南道大同郡在京面氷庄里175番地に生まれる。父は黄賛永。母は張賛朋。三人兄弟の長男。1919年、黄が4歳のとき、三・一運動に父が関わり、日帝当局に逮捕される。それは後に『父』を書く土台になった事件である。
清水 たみ子(しみず たみこ、1915年3月6日 - 201… 清水 たみ子(しみず たみこ、1915年3月6日 - 2010年4月30日)は、日本の児童文学作家、詩人。 埼玉県生まれ。東京府立第五高等女学校(現東京都立富士高等学校)卒。北原白秋の指導を受け、「赤い鳥」に児童自由詩や童謡を投稿する。1991年「清水たみ子詩集 かたつむりの詩」で第21回赤い鳥文学賞、第21回日本童謡賞受賞。日本児童文学者協会、日本童謡協会会員。
勝野 ふじ子(かつの ふじこ、本名:勝野フジノ、1915年 … 勝野 ふじ子(かつの ふじこ、本名:勝野フジノ、1915年 (大正4年) 3月5日 - 1944年 (昭和19年) 3月21日)は、日本の小説家。『九州文学』同人。鹿児島県立第二高等女学校卒業。 鹿児島県薩摩郡入来村(現・薩摩川内市)生まれ。実父と実母の結婚が認められず、母方の祖父母の戸籍に入り彼らの娘として育てられる。入来尋常小学校卒業後、鹿児島県立川内高等女学校(現鹿児島県立川内高等学校)に進学。その1年後に鹿児島市の戸籍上の兄の元へ移り、鹿児島県立第二高等女学校(現鹿児島県立甲南高等学校)へ転校。第二高等女学校では、文学好きな友人に恵まれ充実した学校生活を過ごす。1932年(昭和7年)に第二高等女学校を卒業。
小島 信夫(こじま のぶお、1915年〈大正4年〉2月28日… 小島 信夫(こじま のぶお、1915年〈大正4年〉2月28日 - 2006年〈平成18年〉10月26日)は、日本の小説家。中国から復員後、教師を経て『小銃』で文壇に登場。「第三の新人」の一人と目されるも、抽象表現を帯びた前衛的手法の作品に独自の道を拓いた。評伝や文学論でも活躍。日本芸術院会員。文化功労者。位階は正四位。 岐阜県稲葉郡加納町(現・岐阜市加納安良町)出身。旧制岐阜中学校(現・岐阜県立岐阜高等学校)、第一高等学校を経て、1941年東京帝国大学文学部英文科卒業。卒業論文は『ユーモリストとしてのサッカレイ』。 1942年より中国東北部で従軍、敗戦でポツダム上等兵(伍長)。1946年復員し、1948年4月から千葉県立佐原女子高等学校で教え、1949年度より東京都立小石川高等学校に移る。
荻 太郎(おぎ たろう、1915年2月28日 - 2009年… 荻 太郎(おぎ たろう、1915年2月28日 - 2009年9月2日)は、日本の画家、絵本作家。 愛知県北設楽郡稲武町(現・豊田市)に生まれる。ほどなくして岡崎市に移り住む。旧制岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。東京美術学校油画科入学。在学中に南薫造、猪熊弦一郎から指導を受ける。1937年、第2回新制作派協会展に初入選、以後出品を重ねる(1947年に会員となる)。1939年、東京美術学校油画科を卒業する。 1939年、東京美術学校を卒業。第4回新制作派協会展に出品し、新作家賞を受賞。1941年、第6回新制作派協会展で新作家賞受賞。1951年、第2回選抜秀作美術展。以後同展の他、日本国際美術展、現代日本美術展などにも出品した。
鹿山 誉(かやま ほまれ、1915年〈大正4年〉2月26日 … 鹿山 誉(かやま ほまれ、1915年〈大正4年〉2月26日 - 没年不明)は、日本の海軍軍人、実業家、作家。最終階級は海軍少佐。『海軍第十六防空隊』など多数の日本軍関係本の著者。 徳島県生。旧制徳島県立徳島中学校(現・徳島県立城南高等学校)卒業後、1934年(昭和9年)に海軍兵学校に入学した。 海兵65期として1938年(昭和13年)に卒業する。八雲・陸奥・剣埼・夕立・村雨・五月雨などの海軍軍艦および艦艇に乗船した。[要出典] 1940年(昭和15年)に舞鶴鎮守府第一特別陸戦隊副官になる。1941年(昭和16年)に夕立と村雨の砲術長兼分隊長、1943年(昭和18年)に海軍第16防空隊長になる。1944年(昭和19年)海軍少佐に昇進し、1945年(昭和20年)に海軍兵学校教官兼海軍兵学校監事となる。
野間 宏(のま ひろし、1915年(大正4年)2月23日 -… 野間 宏(のま ひろし、1915年(大正4年)2月23日 - 1991年(平成3年)1月2日)は、日本の小説家・評論家・詩人。 大学時代の左翼運動と出征経験から、戦後『暗い絵』を書いて第一次戦後派の先頭に立ち、特に『真空地帯』は大きな反響を呼んで戦後文学の記念碑的名作となった。その後は社会全体の構造をとらえる全体小説を志向し、次々と大作を発表。文学の国際交流にも尽力し、また最晩年まで社会的な発言を多く行った。部落外の出身者だが部落解放同盟中央委員となった
梅崎 春生(うめざき はるお、1915年〈大正4年〉2月15… 梅崎 春生(うめざき はるお、1915年〈大正4年〉2月15日 - 1965年〈昭和40年〉7月19日)は、日本の小説家/随筆家。 海軍体験を基にした『桜島』の成功で第一次戦後派の代表的存在となった。戦争物のほか、人間心理の暗闘を戯画的に描いた市井事物でも評判を呼び、作家としての地位を確立。「第三の新人」の先駆とも目されたが、やがて心身不調となり、『幻化』を遺して没した。 福岡市簀子町生まれ(現中央区大手門)。父親の建吉郎は佐賀県出身で陸軍士官学校を卒業した軍人であり、海軍大将百武源吾とも旧制佐賀中学の同窓。父の福岡配属時に春生が生まれた。祖父梅崎長明の弟梅崎綱吉は、佐賀で相場師として活躍し名を馳せた。
大迫 倫子(おおさこ りんこ、1915年1月22日 - 20… 大迫 倫子(おおさこ りんこ、1915年1月22日 - 2003年10月4日)は、日本の作家。
熊倉 正弥(くまくら まさや、1915年-1995年)は、日… 熊倉 正弥(くまくら まさや、1915年-1995年)は、日本の記者、作家。神田仁人(ほうじん)とも 。 熊倉弥五郎の次男で、姉に島津フミヨがいる。慶應大学出身。1939年に朝日新聞社へ入社し、論説委員などを務める。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。