横塚 光雄(よこづか みつお、1915年 - 1977年)は… 横塚 光雄(よこづか みつお、1915年 - 1977年)は、フランス文学者、小説家。 東京帝国大学仏文科卒、1939年佐倉で入営、華北へ赴く。1943年除隊、1944年再召集、1945年伍長で復員。1953年横浜大学[疑問点 – ノート]助教授、横浜市立大学教授。在職中に死去。アンドレ・マルローの研究、フランス文学の翻訳を行い、軍隊経験を描いた小説が没後刊行された。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
八切 止夫(やぎり とめお、1914年12月22日? - 1… 八切 止夫(やぎり とめお、1914年12月22日? - 1987年4月28日)は、歴史小説家。日本シェル出版代表。「八切史観」と呼ばれる独自の歴史観を展開した。
角田 房子(つのだ ふさこ、女性、1914年(大正3年)12… 角田 房子(つのだ ふさこ、女性、1914年(大正3年)12月5日 - 2010年(平成22年)1月1日)は、日本のノンフィクション作家、日本ペンクラブ名誉会員。本名は角田フサ(つのだ ふさ)、旧姓・中村。 東京府生まれ。福岡女学校(現 福岡女学院中学校・高等学校)専攻科卒業後、ソルボンヌ大学へ留学。第二次世界大戦勃発により、ソルボンヌ大学を中退して帰国。戦後、新聞記者の夫の転勤に伴って再度渡仏した。1960年代より執筆活動を開始。精力的な取材と綿密な検証に基づき、日本の近現代史にまつわるノンフィクションを数多く手掛けた。とくに、明治以降の激動の時代を生きた日本人を主な対象に、圧倒的な量の取材と検証に基づいて、歴史の中でのその生きざまを取り上げたノンフィクションが多い。
吉岡 棟一(よしおか とういち、1914年12月3日 - 1… 吉岡 棟一(よしおか とういち、1914年12月3日 - 1997年3月31日)は、日本の僧侶、作家。曹洞宗円通寺住職。同宗議会議長、駒澤大学理事長を歴任。 福島県福島市生まれ。福島師範学校、駒澤大学卒業。1956年「しのぶ保育所」園長、1967年「宗教法人福島ルンビニー幼稚園」初代園長。小説「椿の系譜」(1979年)で福島県文学賞受賞。曹洞宗円通寺住職。同宗議会議長、駒澤大学理事長などを歴任。日本ベトナム文化協会長としてテト休戦を提唱、両国間の友好に尽力。1995年5月12日外務大臣表彰。歌と評論同人。 著書に「小説 黄色い椿」「人間としていかに生きるべきか: 曹洞宗教典「修証義」を読む」「般若心経で意識革命を」「ベトナム仏教体験シリーズ」など。
辻 亮一(つじ りょういち、1914年9月28日 - 201… 辻 亮一(つじ りょういち、1914年9月28日 - 2013年3月6日)は、日本の小説家。 滋賀県神崎郡南五個荘村金堂(現在の東近江市五個荘金堂町)生まれ。従兄に画家の野口謙蔵がいる。呉服商・辻市左衛門の五男で、父に謡曲を習う。 八日市中学校、早稲田第二高等学院を経て、1937年早稲田大学文学部フランス文学科卒業。高等学院在学中、八木義徳、多田裕計、中村八朗らと同人雑誌『黙示』を創刊。大学卒業後は満洲に渡り、東満洲鉄道の親会社である東満洲産業に勤務した。 敗戦に伴い、中国共産党軍に抑留され、妻を失う。1948年に帰国した後に再婚し、長浜ゴム(のち三菱樹脂)に勤務。1949年、中国共産党の手榴弾工場で徴用された経験を描いた「異邦人」を書く。
北条 民雄(ほうじょう たみお、旧字体:北條 民雄、1914… 北条 民雄(ほうじょう たみお、旧字体:北條 民雄、1914年(大正3年)9月22日 - 1937年(昭和12年)12月5日)は、徳島県出身の小説家。ハンセン病となり隔離生活を余儀なくされながら、自身の体験に基づく作品「いのちの初夜」などを遺した。本名:七條 晃司(しちじょう てるじ)。 1914年9月、日本統治時代の朝鮮の首都京城(現・ソウル)に生まれる。生後間もなく母親と死別し、徳島県阿南市下大野町に育つ。 1932年に結婚。1933年、19歳のとき、ハンセン病を発病し破婚。翌1934年、東京府北多摩郡東村山村の全生園に入院。入院後、創作を開始した。川端康成に書簡を送って原稿の閲読を乞い、以降は川端に師事する。
水芦 光子(みずあし みつこ、旧姓 布光子、1914年(大正… 水芦 光子(みずあし みつこ、旧姓 布光子、1914年(大正3年)9月12日 - 2003年(平成15年)10月13日)は、日本の詩人、小説家。室生犀星の女性初の弟子でもある。 石川県金沢市馬場五番丁六(現・東山3丁目29-13、14)生まれ。第四高等学校から東京帝国大学に進学する程のインテリであった次兄の雄吉の影響を受け、幼い頃から源氏物語などの古典に親しみ、歌舞音曲や映画鑑賞などの芸能を好む数寄者の母を持った影響から文学的才能を養った。 金沢市広坂にあった石川県立金沢第二高等女学校(現・石川県立金沢桜丘高等学校)4年の在学中に、水芦の父の篤が創業し、経営していた家業の金箔商経営が、受取手形が不渡りになった事によって不振に陥り、倒産。
草川 俊(くさかわ しゅん、1914年8月13日 - 200… 草川 俊(くさかわ しゅん、1914年8月13日 - 2000年3月6日)は、日本の作家。宮城県石巻市に生まれる。宇都宮高等農林学校(現在の宇都宮大学農学部)卒業。本名:高橋善三郎。1958年、『黄色い運河』、『長城線』、1964年、『赤い運河』、それぞれ直木賞候補。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
森 赫子(もり かくこ、1914年6月2日 - 1986年4… 森 赫子(もり かくこ、1914年6月2日 - 1986年4月14日)は、日本の女優、作家。 東京府渋谷町猿楽生まれ。岩谷松平の孫。旧姓は岩谷。跡見高等女学校卒。伯母森律子の養女となる。1932年松竹蒲田撮影所に入り、映画女優でデビュー。1934年新派に転向、花柳章太郎の相手役として活躍。1939年映画「残菊物語」で花柳の相手役を演じた。1956年失明して引退。同年、失明寸前に書き上げた自伝「女優」を出版。ベストセラーになり「書きますわよ」の流行語を生んだ。同作は映画化された(女優 (1956年の映画))。
徳永真一郎(とくなが しんいちろう、1914年6月1日 - … 徳永真一郎(とくなが しんいちろう、1914年6月1日 - 2001年12月5日)は、歴史小説家。元毎日新聞編集局参与。本名は德永眞一。地域的には主に近江を舞台に、時代的には戦国時代および幕末を舞台に、歴史上の人物を描写した作品を発表し続けた。 香川県綾歌郡飯山町(現在の丸亀市)に生まれる。旧制高松中学校(現、香川県立高松高等学校)を卒業。 1940年に毎日新聞社入社。毎日新聞社鳥取支局長、大津支局長、学生新聞編集部長などの職を歴任した。学生新聞編集部に在籍中に連載した「少年三国志」が東映から映画化された。 1964年(昭和39年)に吉川英治賞を受賞。1969年(昭和44年)に55歳で退職。1971年(昭和46年)から1975年(昭和50年)までの4年をびわ湖放送局で常務の職にあった。
芝木 好子(しばき よしこ、1914年5月7日 - 1991… 芝木 好子(しばき よしこ、1914年5月7日 - 1991年8月25日)は、小説家。
中村 八朗(なかむら はちろう、1914年4月16日 - 1… 中村 八朗(なかむら はちろう、1914年4月16日 - 1999年2月3日)は、昭和期の小説家。 長野県長野市出身。旧制長野中学(現長野県長野高等学校)、第二早稲田高等学院(現早稲田大学高等学院)を経て早稲田大学文学部仏文科卒業。吉江喬松にフランス文学を学んだ。高等学院時代に八木義徳、辻亮一、多田裕計らとともに同人誌『黙示』を創刊。『黙示』に載せた小説「或る尼僧の話」を丹羽文雄に評価され、以後師事する。1937年、丹羽の推挙により『早稲田文学』に処女作「古い絆」を発表、文壇デビューを果たす。初期の作品は僧侶を題材としたものが多かった。 大学卒業後、1938年から早稲田大学出版部に勤務するが、翌年応召され、松本市の歩兵第50連隊を経て、盛岡市の陸軍予備士官学校に入る。
池田 みち子(いけだ みちこ、1914年4月10日 - 20… 池田 みち子(いけだ みちこ、1914年4月10日 - 2008年1月7日)は、日本の作家。 京都府出身。日本大学芸術科卒業後、日本写真公社に勤務する傍ら『三田文学』などで小説を書き始め、1940年(昭和15年)には「上海」で第11回芥川賞候補となった。 戦後は作家専業となり、女の性を赤裸々に描いた1950年(昭和25年)の「醜婦伝」で注目され、中間小説を多数執筆。「肉体派の風俗作家」と呼ばれる。1981年(昭和56年)、『無縁仏』で平林たい子文学賞を受賞。1982年(昭和57年)の『生きる』は翌年、NHKのドラマ人間模様でドラマ化された。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
船山 馨(ふなやま かおる、1914年3月31日 - 198… 船山 馨(ふなやま かおる、1914年3月31日 - 1981年8月5日)は、日本の小説家。船山春子の夫。次男は彫刻家の船山滋生。戦後文学の旗手として活躍し、代表作に『石狩平野』『お登勢』などがある。 北海道札幌市生まれ。実父の小林甚三郎は余市町の出身で、馨の出生当時は東北帝国大学農科大学(現・北海道大学農学部)の学生であった(後に北海道拓殖銀行などに勤務)。母方の実家の意向で母方の船山姓を名乗り、実父とも生後間もなく離別した。なお、馨によると甚三郎はクリスチャンで、トルストイなどの文学愛好者でもあったという。養父は新聞記者・森笛川。 札幌二中(現北海道札幌西高等学校)に在学中、組合教会に通った。
十返 肇(とがえり はじめ、1914年〈大正3年〉3月25日… 十返 肇(とがえり はじめ、1914年〈大正3年〉3月25日 - 1963年〈昭和38年〉8月28日)は、香川県出身の作家、文芸評論家、編集者。 本名は十返 一(とがえり はじめ)。筆名=大方宗多(オオカタ ソウダ)。 高松市生まれ。料亭・淀川楼の長男に生まれる。 旧制高松中学校を経て、1935年(昭和10年)日本大学芸術科卒業。在学中から中河与一主宰「翰林」の同人となり、文芸時評を連載。東京市麹町区土手三番町に下宿していたとき、近所の吉行エイスケに師事。 森永製菓宣伝部に勤務。後に、第一書房に入社して「新文化」(「セルパン」改題) 編集長。 戦後、丹羽文雄に勧められて十返肇という筆名を名乗る。
堀尾 青史(ほりお せいし、1914年3月22日〈大正3年〉… 堀尾 青史(ほりお せいし、1914年3月22日〈大正3年〉 - 1991年〈平成3年〉11月6日)は、日本の紙芝居作家・児童文学作家。宮沢賢治の伝記研究でも知られる。 兵庫県加古郡高砂町(現・高砂市)生まれ。1935年明治大学中退、松永健哉と出会い、紙芝居に関わる。その前年、東北大冷害の取材のために岩手県を訪れ、宮沢賢治とその前年の死去を知る。その後、賢治の実弟である宮沢清六の知遇を得て、賢治の事績について研究を始める。戦後は1948年民主紙芝居集団、1968年子どもの文化研究所に参加。また、農山漁村文化協会や全日本社会教育連合会に勤務した。 1966年、宮沢賢治の編年体伝記『年譜宮澤賢治伝』(図書新聞社)を刊行する。
京都 伸夫(きょうと のぶお、1914年3月3日 - 200… 京都 伸夫(きょうと のぶお、1914年3月3日 - 2004年11月28日[要出典])は、日本の脚本家、作家。本名は長篠 義臣。 1914年(大正3年)生まれ。徳島県出身。京都帝国大学文学部社会学科卒業。 高校生の頃「女の書ける小説家になりたい」という悲願を立て、以来結婚するまで、「広く、浅く、多く」を主義に、プレイボーイくずれのような生活を送った。1934年(昭和9年)京都大学に入ってからは、映画女優クローデット・コルベール、ギャビー・モルレー(フランス語版)、アンナベラ、マリー・ベルに夢中になり、とりわけヴィヴィアーヌ・ロマンスとシモーヌ・シモンにのぼせた。日本人で贔屓にしたのは桑野通子と志賀暁子。
金 史良(キム・サリャン、1914年3月3日 - 1950年… 金 史良(キム・サリャン、1914年3月3日 - 1950年10月以降行方不明)は、朝鮮の小説家。本名は金時昌(キム・シチャン)。日本語・朝鮮語両方で創作した。「在日朝鮮人文学」の先駆的存在である。 金史良、本名金時昌は1914年(大正3年)3月3日、日本統治時代の朝鮮平壌府陸路里102番地で生まれた。母と姉は熱心なキリスト教徒であり、一族は平壌屈指の富裕層で、兄の金時明はのちに朝鮮人としては最初の朝鮮総督府専売局長に就任した。 平壌高等普通学校5年の時の1932年(昭和7年)冬に、留学のため初めて日本に渡る。当時の一般的な朝鮮人学生とは異なり、金史良は日本への留学は本意ではなく、北京の大学に憧れていたという。
福島 鉄次(ふくしま てつじ、1914年2月19日 - 19… 福島 鉄次(ふくしま てつじ、1914年2月19日 - 1992年)は、絵物語作家。本名:加藤 興(かとう たかし)。別名は上山 路夫である。 福島県白河市出身。19歳のころより、洋画家の岡吉枝に師事する。 戦前は小学館の学年別学習雑誌や朝日新聞社の『アサヒグラフ』などに挿絵を描いた。 戦後、一時日本鋼管に勤務したが、1948年に秋田書店より単行本『コングの猛襲』、『コンドル魔島』を出版する。1949年、秋田書店から創刊された『冒険王』に「ポップ少年の冒険 ダイヤ魔神」を描き、2号から『沙漠の魔王』(のちに『砂漠の魔王』に改題)を連載する。巨大な魔王は少年たちの間で話題を呼び、絶大な人気を得た。
蔦谷喜一(つたや きいち、1914年2月18日 - 2005… 蔦谷喜一(つたや きいち、1914年2月18日 - 2005年2月24日)は、画家、塗り絵作家。東京都出身。 1914年(大正3年)、京橋の紙問屋「蔦谷音次郎商店」の9人兄弟の7番目(五男)として生まれる。 1931年(昭和6年)、東京市立京橋商業学校を中退し、画家を志し川端画学校で学ぶ。 1939年(昭和14年)、画家としてはなかなか芽が出ず、見兼ねた兄の口利きで25歳にして商売をすることになり、菓子店の経営者となるが、商才は全くなく、赤字により1年ほどで店を閉める。 1940年(昭和15年)、友人が持ち込んだ「ぬりえ」の仕事をフジヲの名で始める。フジヲは、夏目漱石の「虞美人草」の藤尾からとった。
北園 孝吉(きたぞの こうきち、1914年2月13日 - 1… 北園 孝吉(きたぞの こうきち、1914年2月13日 - 1984年12月)は、日本の作家、歴史家。 東京市日本橋区本町 (現・中央区日本橋室町) の提灯屋・大和屋四代目の家に生れる。彼の父は、番傘や提灯などにさまざまな書体や紋章を施す筆耕職人であった。9歳のとき、関東大震災を経験。 1937(昭和12)年10月、「明日はお天気」が第21回サンデー毎日大衆文芸賞に入選し作家デビュー。『新青年』や『宝石』などに執筆した。ユーモア小説、風俗小説、時代小説を書いた。ほか歴史ノンフィクションも書いている。 1958(昭和33)年1月刊行の『おとぼけ侍』 (和同出版社) を原作として、1961(昭和36)年6月公開の映画『橋蔵の若様やくざ』(河野寿一/監督、東映)が製作されている。
茂在 寅男(もざい とらお、1914年2月10日 - 201… 茂在 寅男(もざい とらお、1914年2月10日 - 2013年5月31日)は、日本の工学博士(航海計器学)、作家、水中考古学(海洋考古学)研究者。 茨城県筑波郡筑波町大字北条(現・つくば市北条)出身、千葉県市川市に在住していた。勲三等旭日中綬章、東京商船大学(現・東京海洋大学)名誉教授、英国王立航海研究所名誉会員、日本水中考古学会副会長。ペンネームは、油棚憲一(あぶらだな けんいち)、茂在公望(もざい こうぼう)、鬼怒川公望(きぬがわ こうぼう)、他。 日本で初めてヨットを製作する。土浦中学校(現・茨城県立土浦第一高等学校)、東京高等商船学校(現・東京海洋大学)航海科卒業後、日本郵船を経て、鳥羽商船学校、東京高等商船学校(東京商船大学を含む)、横浜国立大学、東京大学、東海大学で教鞭をとりながら、先端研究分野である船舶のオートパイロットを視野にいれた航海計器の近代航海術の技術開発研究を行う。
石川 利光(いしかわ としみつ、1914年2月3日 - 20… 石川 利光(いしかわ としみつ、1914年2月3日 - 2001年7月14日)は、日本の作家。宮中研三名義の官能小説も発表した。 弁護士を父に持ち、三男として大分県日田市に生まれる。日田中学(現在の大分県立日田高等学校)を卒業し、1932年早稲田高等学院を経て早稲田大学に入るが、1937年近藤忠義に誘われて法政大学国文科に転学し、1940年に卒業。1941年に同人誌を統合した『文藝主潮』の編集委員となる。1944年に日本文学報国会会員となり、日本航空機工業に勤務。1946年に九州書院を興す。丹羽文雄を中心とした会合に参加し、『文学者』の刊行を引き受ける。 1951年に執筆活動に入り、第25回芥川賞を『春の草』で受賞した。
生源寺 美子(しょうげんじ はるこ、1914年1月29日 -… 生源寺 美子(しょうげんじ はるこ、1914年1月29日 - 2015年5月18日)は、日本の児童文学作家。 1914年、柏木三郎夫妻のもとに五人兄姉の末っ子として生まれる。出生地は奈良県だが、1歳になる前に師範学校の校長だった父の転任に伴い、福島に移る。その後、秋田、京都、朝鮮など各地を転々とした生活を送る。 京城第一女子公立高等学校、大邱公立高等女学校を経て、東京自由学園高等部(旧制)を卒業する。 主婦業の傍ら、童話を書き始め、1955年頃から『婦人朝日』の「私の童話欄」に投稿し何度も入選を果たす。童話欄の選者だった与田凖一の指導をうけ、同じ入選仲間である岩崎京子らと「童話の会」を結成。同人誌「童話」を作り創作に励む。
深沢 七郎(ふかざわ しちろう、1914年〈大正3年〉1月2… 深沢 七郎(ふかざわ しちろう、1914年〈大正3年〉1月29日 - 1987年〈昭和62年〉8月18日) は、日本の小説家、ギタリスト。 山梨県出身。職を転々とし、ギター奏者として日劇ミュージックホールに出演。『楢山節考』が正宗白鳥に激賞され、異色の新人として注目を集めた。「中央公論」に発表した『風流夢譚』に関わる右翼テロ事件(嶋中事件)後、筆を折った時期もあったが、土俗的な庶民のエネルギーを描いて独自の作品を発表し続けた。農場や今川焼屋を経営したり、ギター・リサイタルを開催したりと多くの話題を残した。他に代表作『笛吹川』『東京のプリンスたち』『庶民烈伝』『みちのくの人形たち』など。 1914年(大正3年)1月29日、印刷業の父・隣次郎、母さとじの四男として、山梨県東八代郡石和町(現笛吹市石和町)市部に生まれる。
三木 鶏郎(みき とりろう、1914年〈大正3年〉1月28日… 三木 鶏郎(みき とりろう、1914年〈大正3年〉1月28日 - 1994年〈平成6年〉10月7日)は、日本の作詞家、作曲家、放送作家、構成作家、演出家である。本名、繁田 裕司(しげた ひろし)。東京府東京市麹町区(現:東京都千代田区)出身。 昭和前期から平成前期まで活躍した。芸名は好きなミッキーマウスと(デビュー当初、朝川賞郎、秋元喜雄と3人で活動していたことから)「トリオ」をかけたものであり、本来の読み方は「みき とりお」であったが、アナウンサーから「とりろう」と誤読されたためそれが定着した。「三木トリロー」名義での活動歴もある。 ジャズ評論家・司会者の三木鮎郎は実弟。甥(鮎郎の長男)の三木睦郎は「笑点」の放送作家。
谷村 まち子(たにむら まちこ、1914年1月25日 - 1… 谷村 まち子(たにむら まちこ、1914年1月25日 - 1987年7月2日)は、日本の児童文学作家、翻訳家。 本名・新谷 依枝(よりえ)。夫は新谷 藤楠。 東京に生まれる。津田英学塾卒業。自ら児童文学を創作するほか、多くの英米児童文学を翻訳、少女小説の翻訳が多い。真知子、満智子などの表記もある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
駒田 信二(こまだ しんじ、1914年1月14日 - 199… 駒田 信二(こまだ しんじ、1914年1月14日 - 1994年12月27日)は、日本の作家、文芸評論家、中国文学者。島根大学教授、桜美林大学教授、早稲田大学客員教授などを歴任した。 1914年1月14日、父の勤務地の大阪府大阪市に生まれる。本籍は三重県安濃郡多門村(現在は津市)で、家は明治23年(1890年)の名簿によると地価総額3036円余りの素封家だった。兄は父の姉の家を継いだ美術史家の谷信一。父の転勤で広島、金沢、東京と移動したのち、津で祖父母に育てられ、津中学校卒業、旧制山形高校を経て1940年東京帝国大学文学部支那文学科卒業。 1941年旧制松江高校教授となるが、1942年召集されて支那に出征、捕虜となり共産党の工作員と誤認されて死刑宣告を受けるが日本人と分かり釈放。
佐藤 鉄章(さとう てっしょう、1914年1月9日 - 19… 佐藤 鉄章(さとう てっしょう、1914年1月9日 - 1990年3月20日)は、日本の小説家、古代史家。 秋田県大館市生まれ。本名・有次郎。1941年文部省中等教員検定合格。秋田県下で教育生活を送る傍ら、執筆をつづけ、1949年「北方文芸」主宰、1955年「奥羽文学」を興して主幹となる。1970年上京。息子に佐藤有文。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
竹之内 静雄(たけのうち しずお、1913年11月25日 -… 竹之内 静雄(たけのうち しずお、1913年11月25日 - 1997年12月19日)は、日本の小説家、筑摩書房社長。 静岡県生まれ。旧姓・桑原。1932年第三高等学校に入学、野間宏、富士正晴と、竹内勝太郎に師事して雑誌『三人』を刊行する。大学では吉川幸次郎に師事、1940年京都帝国大学文学部哲学科卒、河出書房に入社する。のち筑摩書房に移り、戦時中は海軍に応召した。1950年「ロッダム号の船長」で芥川賞候補となる。1966年から1972年まで古田晁の後を受けて筑摩書房2代目社長を務めた。
渡辺 喜恵子(渡邊 喜惠子、わたなべ きえこ、1913年(大… 渡辺 喜恵子(渡邊 喜惠子、わたなべ きえこ、1913年(大正2年)11月6日 - 1997年(平成9年)8月8日)は日本の小説家。本名は木下喜惠子。秋田県出身者として初めて、直木賞を受賞した。 秋田県仙北郡檜木内村(後の西木村、現:仙北市)生まれ。2歳の時、父・栗生沢米太郎が鷹巣町(現:北秋田市)に木材工場を創業し転居する。能代高等女学校(現:秋田県立能代北高等学校)卒業後の1931年(昭和6年)に上京。1935年(昭和10年)、画学生・渡辺茂との結婚のため広島へ転地する。しかし、1939年(昭和14年)、25歳のときに夫が病死。1942年(昭和17年)、亡き夫のことを綴った短編小説集『いのちのあとさき』を刊行し創作活動に入る。
富士 正晴(ふじ まさはる、本名:冨士正明、1913年10月… 富士 正晴(ふじ まさはる、本名:冨士正明、1913年10月30日 - 1987年7月15日)は、日本の小説家、詩人、版画家。多くの有名作家を輩出した『VIKING (同人誌)』の創刊同人であり、3度の芥川賞候補、直木賞候補となり、晩年は竹やぶに囲まれた自宅に引きこもって活動し、「竹林の隠者」と呼ばれた。毎日出版文化賞、大阪芸術賞、関西大賞大詩仙賞受賞。 徳島県三好郡山城谷村(現三好市)出身。両親はともに小学校の訓導をしていた。家族と神戸に転居し、神戸第三中学校卒業。 1931年旧制第三高等学校理科甲類に進学。志賀直哉を訪問したところ、竹内勝太郎を紹介されて師事する。1932年、野間宏(のちに富士の妹と結婚して義弟となる)や桑原静雄とともに、詩の同人誌『三人』を創刊。
織田 作之助(おだ さくのすけ、1913年(大正2年)10月… 織田 作之助(おだ さくのすけ、1913年(大正2年)10月26日 - 1947年(昭和22年)1月10日)は、日本の小説家。戦後、太宰治、坂口安吾、石川淳らと共に無頼派、新戯作派と呼ばれ「織田作(おださく)」の愛称で親しまれる。『夫婦善哉』で作家としての地位を確立。 1913年(大正2年)、大阪市南区生玉前町(現・天王寺区上汐4丁目、生魂小学校正門前付近)にて、仕出屋(後に『一銭天麩羅屋』に業態変更)「魚春」の織田鶴吉、たかゑの長男として生まれる。仕出屋とは言え、上汐町筋より路地を入った所謂『裏店』(うらだな)であったが、中央区上汐1丁目の一画(『近松門左衛門の墓』のすぐ東側)に当時の家並(表店と路地=長屋)が唯一残っている。
佐野 猛夫(さの たけお、1913年10月22日 - 199… 佐野 猛夫(さの たけお、1913年10月22日 - 1995年10月2日)は、日本のろうけつ染作家。京都市立芸術大学名誉教授。第4回改組日展出品作「噴煙の島」により日本芸術院賞を受賞した。 滋賀県野洲郡守山町(現在の守山市)に生まれる。1927年に京都市立美術工芸学校(現在の京都市立美術工芸高等学校)図案科に入学し、山田江秀、山鹿健吉に学んだ。1932年に京都市立美術工芸学校を卒業し、1933年の第20回商工省工芸美術展図案部に創作図案「祭礼の図額」で、同年の第14回帝展に「大阪天満祭ノ図鑞染壁掛」でそれぞれ初入選を果たした。 1930年代には京都市展や工芸院展でも受賞を重ね、京都染織繍芸術協会にも参加した。
中山 正和(なかやま まさかず、1913年10月21日 - … 中山 正和(なかやま まさかず、1913年10月21日 - 2002年)は、日本の著作家・文筆家。創造工学研究所所長。 広島県または山梨県生まれ。第四高等学校卒、1939年北海道帝国大学理学部物理学科卒。 電電公社電気通信研究所調査役をへて、創造工学研究所を設立し所長。 川喜田二郎のKJ法に対し自身の方法をNM法と名づけた。 禅仏教に関心を深めていった。
霜多 正次(しもた せいじ、1913年9月5日 - 2003… 霜多 正次(しもた せいじ、1913年9月5日 - 2003年4月16日)は、日本の小説家である。元日本共産党員。 沖縄県国頭郡今帰仁村に生まれた。沖縄県立第一中学校から旧制五高に進学。同級の梅崎春生と親交を結び、文学の道をめざす。東京帝国大学英文科卒業後、1940年に応召し、各地を転戦したあとブーゲンビル島に配属される。日本の敗色が濃厚となった1945年5月、オーストラリア軍に投降し、捕虜となる。 復員後、故郷には戻らず、東京で文学をめざし、新日本文学会の事務局に勤務しながら小説を書く。1950年、雑誌『新日本文学』に「木山一等兵と宣教師」を発表、作家として認められるようになる。 このころから、西野辰吉・窪田精・金達寿たちと交流を深めていく。
南川 潤(みなみかわ じゅん、1913年9月2日 - 195… 南川 潤(みなみかわ じゅん、1913年9月2日 - 1955年9月22日)は東京府出身の小説家。風俗小説で知られた。本名、秋山賢止(けんじ)。
蘭 郁二郎(らん いくじろう、1913年9月2日 - 194… 蘭 郁二郎(らん いくじろう、1913年9月2日 - 1944年1月5日)は、日本の小説家、SF作家、推理作家。本名は遠藤 敏夫(えんどう としお)。林田 葩子(はやしだ はなこ)というペンネームもある。 東京都生まれ。東京高等工業学校電気学科卒業。SF好きだった母の影響を受け、SF小説同人誌を学生時代に多数発表。その後、1931年に平凡社刊『江戸川乱歩全集』の月報付録「探偵趣味」にショートショート『息を止める男』を応募し、これがデビュー作となった。1935年には、大慈宗一郎、中島親、荻一之助らとともに同人誌『探偵文学』を創刊。1937年に『シュピオ』と改題してからは、海野十三、小栗虫太郎、木々高太郎とともに編集を務めた。
太田 静子(おおた しずこ 1913年(大正2年)8月18日… 太田 静子(おおた しずこ 1913年(大正2年)8月18日 - 1982年(昭和57年)11月24日)は、滋賀県出身の歌人、作家。太宰治の愛人の一人。『斜陽』に材料を提供したことで知られている。 作家の太田治子は、太田静子と太宰治の娘。 滋賀県愛知郡愛知川町(現:愛荘町愛知川)にて、開業医太田守・きさの四女として誕生。実家は九州の大名の御典医の家系。叔父(きさの弟)は大和田悌二(逓信省次官で、退官後日本曹達社長、日本電信電話公社経営委員長)。愛知高等女学校(現:滋賀県立愛知高等学校)卒業後、東京の実践女学校家政科に進む。直後から口語短歌を作り、逗子八郎が主宰する「短歌と方法」に入る。1934年(昭和9年)、口語歌集『衣裳の冬』を芸術教育社から刊行。
新美 南吉(にいみ なんきち、1913年〈大正2年〉7月30… 新美 南吉(にいみ なんきち、1913年〈大正2年〉7月30日 - 1943年〈昭和18年〉3月22日)は、日本の児童文学作家。本名は新美 正八(旧姓:渡邊)。愛知県半田市出身。雑誌『赤い鳥』出身の作家の一人であり、彼の代表作『ごん狐』(1932年)はこの雑誌に掲載されたのが初出。結核により29歳で亡くなったため、作品数こそ多くないがごん狐が小学校の国語教科書に継続的に採用されており、近年でもアニメーション制作が実施されたり学芸会の演目になることも多いので現在でも一定の国民からの知名度を持つ。童話の他に童謡、詩、短歌、俳句や戯曲も残した。彼の生前から発表の機会を多く提供していた友人の巽聖歌は、南吉の死後もその作品を広める努力をした。
氷川 瓏(ひかわ ろう、1913年7月16日 - 1989年… 氷川 瓏(ひかわ ろう、1913年7月16日 - 1989年12月26日)は、日本の作家。探偵小説家。東京都出身。 本名、渡辺 祐一。同じく探偵作家の渡辺剣次(本名・渡辺健治)は実弟である。また、ファンタジー作家のひかわ玲子は姪(末弟の娘)にあたる。東京商科大学(現在の一橋大学の前身)卒業。 第二次世界大戦後、創刊されて間もなかった雑誌『宝石』1946年(昭和21年)5月号に、「乳母車」を発表しデビューした。以後、断続的に幻想・怪奇系に属する探偵小説作品を書いた。作品の多くは短編である。 一方でもともと純文学指向のあった彼は木々高太郎が編集にあたっていた『三田文学』に本名で「天平商人と二匹の鬼」、「洞窟」の二編を発表、後者は1952年度上半期の第27回直木賞候補となっている。
小泉 譲(こいずみ ゆずる、1913年7月13日 - 200… 小泉 譲(こいずみ ゆずる、1913年7月13日 - 2004年8月19日)は、日本の作家。本名・一久。 埼玉県川口市生まれ。慶應義塾高等部中退。満鉄上海事務所調査部をへて、上海特別市政府に勤務。丹羽文雄の『文学者』に参加。1943年「桑園地帯」で芥川賞候補。1949年『死の盛粧』で直木賞候補、50年『君が火の鳥』『南支那海』、60年『小説天皇裕仁』で直木賞候補。『小説天皇裕仁』はベストセラーとなる。日中文化交流協会会員。「じょう」と読まれることもある。
足立 巻一(あだち けんいち、1913年6月29日 - 19… 足立 巻一(あだち けんいち、1913年6月29日 - 1985年8月14日)は、日本の小説家、詩人、エッセイスト。 メディアを通して本居宣長の顕彰に大きな功績を残した。代表作である『やちまた』は、盲目の国学者である本居春庭を描いた評伝文学の傑作である。 東京市神田区(現:東京都千代田区)に生まれる。生後間もなく父と死別、母は再婚したため、漢詩人であった祖父足立清三(敬亭)、祖母ヒデに育てられるが、1920年に祖母ヒデが急死、祖父清三としばし流浪の生活を送った。翌年、清三も横死を遂げ、神戸在住の母方の叔父に引き取られる。 諏訪山尋常小学校時代から「少年倶楽部」「赤い鳥」等に頻繁に短文、詩歌等を投稿。
岡本 良雄(おかもと よしお、1913年6月10日 - 19… 岡本 良雄(おかもと よしお、1913年6月10日 - 1963年2月6日)は、日本の児童文学作家。 「あすもおかしいか」「生きているレントゲン」「三人の0点くん」などの作品がある。 大阪府大阪市北区(現:此花区)で生まれる。1931年に上京、第一早稲田高等学院を経て、早稲田大学文学部国文学科を卒業。大学在学中から早大童話会に入会し、口演童話や創作活動を行った。また卒業論文の題は「童話作家小川未明論」であった。 卒業後の1938年に大阪府に戻り、下畑卓や花岡大学らと同人「新児童文学集団」を結成。機関紙『新児童文学』に童話などを発表した。また、そこで発表した「八号館」が第1回日本新人童話賞を受賞、授賞式後すぐに上京、豊島区に下宿した。
杉浦 明平(すぎうら みんぺい、1913年〈大正2年〉6月9… 杉浦 明平(すぎうら みんぺい、1913年〈大正2年〉6月9日 - 2001年〈平成13年〉3月14日)は、日本の小説家、評論家、翻訳家。 1913年(大正2年)愛知県渥美郡福江村(現在の田原市折立町)で、小地主兼雑貨商の長男として生まれる。父の太平は、1963年(昭和38年)から1967年(昭和42年)に死去するまで渥美町長をつとめている。 1926年(大正15年)、愛知県豊橋中学校(現在の愛知県立時習館高等学校)を四年生修了で第一高等学校へ進学、1936年(昭和11年)東京帝国大学文学部国文学科卒業。一年下の後輩、立原道造と一高の短歌会で知り合い、共に1935年(昭和10年)同人誌「未成年」を発行。
西口 克己(にしぐち かつみ、1913年4月6日 - 198… 西口 克己(にしぐち かつみ、1913年4月6日 - 1986年3月15日)は、京都市出身の小説家、政治家。 京都府紀伊郡伏見町(現在の京都市伏見区)の中書島遊廓の貸座敷の家に生まれる。第三高等学校から東京帝国大学文学部西洋哲学科卒業、1946年に日本共産党に入党するが、1950年のいわゆる「五十年問題」による党分裂の際、「除名」される。1955年には、日本共産党の統一・正常化と同時に党へ復帰。 この間に義母名義の娼家(第2次世界大戦後は「お茶屋」名目で営業)の片隅で自伝的小説『廓』を執筆。第一部を1956年に刊行。ベストセラーとなり、小説家として認められる。同作は第35回(昭和31年上期)直木賞候補となり、「『廓』より 無法一代」(1957年、監督滝沢英輔)として映画化された(第二部は同年末、第三部は1958年に刊行)。
戸塚 文子(とつか あやこ、1913年〈大正2年〉3月25日… 戸塚 文子(とつか あやこ、1913年〈大正2年〉3月25日 - 1997年〈平成9年〉11月7日)は、日本の紀行文作家、編集者。1983年(昭和58年)に第1回日本旅行作家協会賞を受賞した。 東京府(後の東京都)日本橋浜町生まれ。父の仕事の関係で、5歳の頃から小学4年までを横浜市神奈川区で過ごし、日本国外への憧れを抱いて育った後に、東京への転居を経て兵庫県神戸市に移った。 1934年(昭和9年)に日本女子大学英文科卒業後、女性として初めてジャパン・ツーリスト・ビューロー(JTB)に入社した。東京駅案内所の案内係を経て、同社発行の雑誌『旅』編集部に移り、世界各国の数々の旅行情報を読者へ紹介した。
五代 夏夫(ごだい なつお、1913年3月25日- 2016… 五代 夏夫(ごだい なつお、1913年3月25日- 2016年9月30日)は、日本の作家。 宮崎県(現日向市)生まれ。本名・松尾強。満州建国大学研究院修了。満州国政府に勤務、戦後文筆家となり、1964年「那覇の木馬」で文学界新人賞受賞、芥川賞候補。鹿児島を拠点に地方文化人として活動を続ける。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
宮本 幹也(みやもと みきや、1913年3月20日 - 19… 宮本 幹也(みやもと みきや、1913年3月20日 - 1993年11月2日)は、日本の作家。本名は正勝(まさかつ)。 長野県上水内郡吉田村(現長野市)生まれ。旧制長野中学(長野県長野高等学校)を経て、明治大学文学部卒業。1932年「青春街」がサンデー毎日新人賞を受賞し、作家デビュー。週刊朝日に「霧の中の獣心」「渋柿」を掲載、1935年日活撮影所脚本部員となり、1937年社会浪漫派同人となる。1940年国民文化建設同盟を結成し、1941年『公論』編集長となる。1943年に軍に応召し、1945年復員、1949年から文筆業に復帰。戦後、ユーモア小説、通俗小説を多く書いたが、50代で筆を折ったようである。
岡田 誠三(おかだ せいぞう、1913年3月8日 - 199… 岡田 誠三(おかだ せいぞう、1913年3月8日 - 1994年6月21日) は、日本の小説家である。 大阪府大阪市出身。大阪府立生野中学校(現大阪府立生野高等学校)、大阪外国語学校(現大阪大学外国語学部)を経て、朝日新聞社に入社。記者として南方戦線に従軍した経験を基に、短編小説『ニューギニア山岳戦』を著し、1944年上半期の第19回直木賞を受賞した。その後も朝日新聞学芸部記者として映画評などの記事を書き続け、定年退職後に創作活動を本格的に開始。サラリーマンの老後を描いた『定年後』はベストセラーになり、テレビドラマ化された。ほかに『定年後以後』、大塩平八郎の乱をモチーフにした『雪華の乱』などの作品がある。