猪俣 公章(いのまた こうしょう(本名: きみあき)、193… 猪俣 公章(いのまた こうしょう(本名: きみあき)、1938年4月11日 - 1993年6月10日)は、日本の作曲家、作詞家。
職業が作詞家:815人
猪俣 公章(いのまた こうしょう(本名: きみあき)、193… 猪俣 公章(いのまた こうしょう(本名: きみあき)、1938年4月11日 - 1993年6月10日)は、日本の作曲家、作詞家。
里吉 しげみ(さとよし しげみ、1938年2月18日 - 2… 里吉 しげみ(さとよし しげみ、1938年2月18日 - 2019年以前)は、日本の劇作家、演出家、作家、作詞家である。劇団未来劇場主宰。妻は、同劇団所属である水森亜土(1965年結婚)。立教大学社会学部卒業。本名は里吉重實。 吉武みどりが1958年に主宰として創立し、当初は推理劇専門劇団だった。里吉しげみは1959年に入団。2年後の春、喜劇「ネコが好き」を書き、演出し、喜劇に魅せられる。吉武のバックアップで以後6年間に渡り6本の作品の作・演出をするが、吉武から強引に劇団を押しつけられ、渋々引き継ぎ今日に至る。その時、現在の未来劇場のスタイルともなる、ミュージカル風・喜劇を目指すことを考え、作曲家の小林亜星の参加を得て、以後数十年間に渡り、自ら脚本を書き、演出してきた。
松鶴家 千とせ(しょかくや ちとせ、本名:小谷津 英雄(こや… 松鶴家 千とせ(しょかくや ちとせ、本名:小谷津 英雄(こやつ ひでお)、1938年〈昭和13年〉1月9日 - 2022年〈令和4年〉2月17日)は、日本の漫談家、歌手、作詞家。 全国さつまいもの会会長、東京演芸協会常任理事、南相馬市ふるさと親善大使を務めた。 アフロヘアーと、「俺が昔、○○だった頃、○○は○○だった。○○は○○で、○○は○○だった。わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」のフレーズ、「イェーイ!」で決めるピースサインのポーズがトレードマークで1970年代に人気を博した。 満洲国で産まれる。水道設計技師の実父の仕事で在満していたが、1945年に父がソ連軍の捕虜になったため、母と共に6人で満洲を脱出し日本に帰還(父はその後6年間の抑留を経て日本に帰還)。
平尾 昌晃(ひらお まさあき、1937年〈昭和12年〉12月… 平尾 昌晃(ひらお まさあき、1937年〈昭和12年〉12月24日 - 2017年〈平成29年〉7月21日)は、日本の作曲家、作詞家、歌手。社団法人日本作曲家協会・常務理事、社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)理事などを歴任した。 化粧品業を営んだ平尾聚泉の孫。クラシックの作曲家で国立音楽大学教授を務めた平尾貴四男は伯父。 東京市の牛込(現:東京都新宿区)「生まれ」であるが、終戦後、神奈川県の湘南エリアに移住し、藤沢市にある湘南学園で小中学時代を送る。出生名は平尾勇。幼少時にたびたび改名し、デビュー初期の芸名である「昌章」を経て、最終的には本名の通り平尾昌晃を芸名としていた。 小学3年生のとき、自宅に来ていた将校から貰ったジャズのLPを聴き衝撃を覚える。
林 春生(はやし はるお、1937年8月18日 - 1995… 林 春生(はやし はるお、1937年8月18日 - 1995年2月28日)は、日本の作詞家、テレビプロデューサー。 本名:林良三。島根県大田市出身。 テレビ番組制作の際は本名の「林良三」を、作詞家としての活動の際はペンネームである「林春生」を使用していた。 作曲家すぎやまこういちの妹と結婚し、すぎやまは義兄に当たる。 島根県立邇摩高等学校から島根県立松江高等学校(現:島根県立松江北高等学校)に転校し卒業後、1956年、法政大学文学部に入学。 在学中にニッポン放送でアルバイトをしながら、1960年、卒業と同時にフジテレビに入社。 フジテレビでは『ザ・ヒットパレード』『新春かくし芸大会』『ミュージックフェア』『リブ・ヤング!』等の番組でディレクター・プロデューサーとして活動した。
阿部 征司(あべ せいじ、1937年〈昭和12年〉8月1日 … 阿部 征司(あべ せいじ、1937年〈昭和12年〉8月1日 - 2012年〈平成24年〉12月29日)は、日本のテレビプロデューサー・映画プロデューサー・作詞家。秋田県鹿角郡花輪町(現・鹿角市)出身。早稲田大学教育学部社会学科卒業。東映でテレビ番組制作や映画製作に携わった。 作詞家としてのペンネームは中瀬当一、田中守。脚本家としてのペンネームとしては、東映プロデューサーの平山亨との共同筆名「海堂肇」がある[要出典]。 1937年(昭和12年)8月1日、秋田県鹿角郡花輪町(現・鹿角市)において、阿部重吉とハツエの二男として生まれた。阿部家は映画館の花輪劇場の経営者だった。実家が映画館だったこともあり、幼い頃から映画業界を志した。
長谷 邦夫(ながたに くにお、1937年4月7日 - 201… 長谷 邦夫(ながたに くにお、1937年4月7日 - 2018年11月25日)は、日本の漫画家、漫画評論家、小説家、エッセイスト、詩人、作詞家、元大垣女子短期大学・椙山女学園大学・中京大学・宇都宮アート&スポーツ専門学校等の講師。元日本マンガ学会理事。赤塚不二夫の長年のブレーン役。パロディ漫画におけるパイオニアとして知られる。日本の教育における漫画学科の草創期から関わっている人物でもある。 石森章太郎主宰の東日本漫画研究会の同人として、赤塚不二夫とデビュー前から交流していた。彼らがトキワ荘に入居すると通い組として参加。もともと現代詩を書く文学青年でもあり、江戸川邦生名義で小説も発表した。また、SF同人誌『宇宙塵』の初期からの会員でもあった。
阿久 悠(あく ゆう、1937年〈昭和12年〉2月7日 - … 阿久 悠(あく ゆう、1937年〈昭和12年〉2月7日 - 2007年〈平成19年〉8月1日)は、淡路島出身の放送作家、詩人、作詞家、小説家。数々のヒット曲の歌詞を生み出し、日本歌謡界の黄金時代を築いた。 ペンネームの由来は、広告会社勤務時代に放送作家として活躍を始めたが、兼業禁止の会社にばれないよう“悪友”をもじった筆名として使い始めた事から。深く考えずにつけたため、いずれは別の筆名にするつもりだったが、仕事が途切れなかったので、独立後も使い続けた。また、多夢星人(たむせいじん)の変名も使用した(阿久の小説『グッドバイ―BN童子の青春』の登場人物であるロック歌手の名に由来する)。 長男は作曲家の深田太郎で、阿久作詞・深田作曲の楽曲も存在する。
岩崎 富士男(いわさき ふじお、1937年または1938年 … 岩崎 富士男(いわさき ふじお、1937年または1938年 - 2016年4月9日)は、日本のクリエイティブ・ディレクター、作詞家。広告業界大手の博報堂関西支社長代理で、その後大阪芸術大学放送学科長として教鞭をとった。クロード・Q(クロード・キュー)名義で手掛けたテレビアニメ『キューティーハニー』の同名オープニング主題歌の作詞で知られる。 福岡県出身。法政大学卒業後、博報堂にてクリエイティブ・ディレクターとして活躍した。カンヌ国際広告フェスティバルグランプリなど、国際広告賞を多数受賞した。カンヌで受賞した作品は、パナソニックのCMで、果物の中で電球が光る「光のメニュー」だった。 2000年に大阪芸術大学教授となり、学生にコピーライティングなどを指導。
楳図 かずお(うめず かずお、1936年〈昭和11年〉9月3… 楳図 かずお(うめず かずお、1936年〈昭和11年〉9月3日 あるいは9月25日 - 2024年〈令和6年〉10月28日)は、日本の漫画家・タレント・作詞家・作曲家。血液型O型。本名は楳図 一雄(読み同じ)。初期には山路 一雄やウメヅ カズヲの名義による作品もある。 和歌山県伊都郡高野町で生まれ、奈良県五條市に育つ。1955年に貸本漫画家としてデビュー、『週刊少年サンデー』などに作品を発表。代表作に『漂流教室』『まことちゃん』『わたしは真悟』など。作品は恐怖ものからSF、ギャグもの、時代劇まで、少年もの、少女もの、青年ものを問わず幅広いが、一般にはホラー漫画の第一人者として知られる。 1995年以降、腱鞘炎などといった理由で漫画は休筆し、1990年代後半からはタレント活動を精力的に行っていた。
小池 一夫(こいけ かずお、本名及び僧号: 俵谷 星舟〈たわ… 小池 一夫(こいけ かずお、本名及び僧号: 俵谷 星舟〈たわらや せいしゅう〉、旧名: 譲〈たわらや ゆずる〉、作詞家としての別名: 東 文彦〈あずま ふみひこ〉、1936年5月8日 - 2019年4月17日)は、日本の漫画原作者、小説家、脚本家、作詞家、作家。男性、身長183cm、血液型はB型。1976年までの筆名は小池 一雄。別筆名に小池一雄、緒塚敬吾、イゴル・キニスキー等がある。 秋田県大仙市出身。中央大学法学部卒。大阪芸術大学キャラクター造形学科教授(学科長)、神奈川工科大学情報学部情報メディア学科教授、大阪エンタテインメントデザイン専門学校教授を歴任した。出版社の小池書院元編集長。 漫画原作作品に『子連れ狼』(画: 小島剛夕)、『御用牙』(画: 神田たけ志)、『高校生無頼控』(画: 芳谷圭児)、『修羅雪姫』(画: 上村一夫)、『クライング フリーマン』(画: 池上遼一)、『オークション・ハウス』(画: 叶精作)、小説に『乾いて候』、『夢源氏剣祭文』がある。
足立 明(あだち あきら、1936年5月 - 2012年1月… 足立 明(あだち あきら、1936年5月 - 2012年1月6日)は、日本の放送作家、脚本家、劇作家、児童文学作家、実業家、作詞家。本名、足立昭。 島根県仁多郡奥出雲町八川出身。 1962年に国連劇脚本に入賞、サンデー毎日への応募脚本を期に東宝演劇文芸部に在籍する。1967年に劇団ピッカリ座を創立、ぬいぐるみ人形劇の創作を行う。多くのテレビアニメの原作脚本を手掛ける。仁田 信夫の名義で原作を手掛けることもある。 2012年1月6日、肺炎のため死去。75歳没。
坂田 あふる(さかた あふる、本名=坂田溢、1936年1月3… 坂田 あふる(さかた あふる、本名=坂田溢、1936年1月30日 - 2013年12月19日)は、日本の作詞家。石川県鶴来町(現白山市)出身。家業を継いで建具職人をしていたが、32歳の時、作詞家を志し上京。作詞家の宮川哲夫に師事する。初期に星川あゆみというペンネームも使っている。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
湯川 れい子(ゆかわ れいこ、1936年〈昭和11年〉1月2… 湯川 れい子(ゆかわ れいこ、1936年〈昭和11年〉1月22日 - )は、日本の音楽評論家、作詞家、女優。 本名・湯野川和子(ゆのかわ かずこ)が田村駿禮(たむら たかのり)と結婚して田村和子になる。のちに離婚するが本名は田村和子のままにしている。吾妻麗子名義で女優として活動したこともある。山形県米沢市育ち。 東京府東京市目黒区芳窪町(現:東京都目黒区東が丘)に出生。父は海軍大佐・湯野川忠一。忠一の従妹(父・湯野川忠世の妹の娘・礼子)は山本五十六の妻。海軍大将・黒井悌次郎は大叔父(父方の祖母の弟)。米沢藩家老・千坂高房は母方の祖先。その他、父方の曾祖父の湯野川忠国は漢学者。父方の祖父の湯野川忠世は全国農事会本部幹事でラ・フランスを日本に紹介した人物。
荒川 利夫(あらかわ としお、1936年 -2023年 )は… 荒川 利夫(あらかわ としお、1936年 -2023年 )は、日本の作詞家。東京都豊島区池袋出身。 昭和11年、寿司屋の長男として、東京・池袋に生まれる。 10代の頃から美空ひばりに憧れ、自分も歌手になりたいと、歌手の花村菊江等と共にレッスンを受けていたが、三橋美智也の歌に出会って挫折。1955年、ならば美空ひばりに歌ってもらう詩を書こうと作詞家の松井由利夫に師事。石本美由起主宰の同人誌『新歌謡界』を紹介され、本格的に作詞家を目指す。 1958年6月にある同人誌に載せた「2番テーブルの女」が船村徹の目に留まり、日本コロムビアの制作室に呼び出され、何回も書き直しをするもダメで、他に原稿は持ってきてないのか?の問いに、持参していた『暫くでした東京さん』(曲:船村徹、唄:青木光一、コロムビア)でOKが出て作詞家デビュー。
茜 まさお(あかね まさお、1935年11月21日 - 20… 茜 まさお(あかね まさお、1935年11月21日 - 2022年9月5日)本名:山口良一は、日本の作詞家・作曲家。元歌手。全日本音楽著作家協会・常任理事(詩)2003年。日本作詩家協会 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
悠木 圭子(ゆうき けいこ、1935年7月21日 - 202… 悠木 圭子(ゆうき けいこ、1935年7月21日 - 2026年3月3日)は、日本の作詞家、元女優。女優名は藤田佳子。親類に女優の葉山葉子がいる。山口県防府市生まれ。八代亜紀の大ヒット曲『なみだ恋』、『おんなの夢』、香西かおりの大ヒット曲『浮雲』の作詞や田川寿美を見出し大歌手にまで育成したことで知られる。 最初の夫は俳優の山田真二だったが、のち離婚。その後、作曲家の鈴木淳と再婚した。 芸能界入りしたのは16歳だが、藤田佳子の芸名で女優として「十代の秘密」でデビュー。1954年に大映入り。出演作には「婦系図 湯島の白梅」、「霧の音」、「夜の蝶」、「細雪」、「大奥」などがある。京マチ子、若尾文子、山本富士子や市田ひろみらと共演している。
鳥井 実(とりい みのる、1935年6月27日 - 2018… 鳥井 実(とりい みのる、1935年6月27日 - 2018年8月30日)は、北海道三石郡三石町(現日高郡新ひだか町)出身の作詞家。 20歳で上京した後、作詞家の高橋掬太郎に師事。その後は故郷の北海道に戻り、バーを経営しながら作詞家活動を行い、1964年に「すすきのブルース」でデビュー。再び東京へ戻ると、1967年の「命かれても」(森進一)が100万枚を超すヒット曲になる。 その後も「だんな様」(三船和子)、「娘よ」(芦屋雁之助)などコンスタントにヒット曲を飛ばす。 2012年に病気療養のため札幌に戻り、その後は帯広市に移住し、当地を中心に作詞活動を行っていた。 2018年8月30日午前4時13分、肝細胞癌のため死去。
円谷 皐(つぶらや のぼる、1935年5月10日 - 199… 円谷 皐(つぶらや のぼる、1935年5月10日 - 1995年6月11日)は、円谷プロダクション第3代社長で第2代会長、演出家、プロデューサー、歌手、作詞家。別名に谷のぼる。 円谷英二の次男として生まれる。円谷一(演出家・円谷プロダクション第2代社長)は兄、円谷粲(英語版)(円谷映像社長)は弟、円谷一夫(円谷プロダクション第4代社長・同社第3代会長)は息子にあたる。 玉川学園卒。同社で特撮スタッフとして長年活躍した高野宏一とは小学校で同級生だった。脚本家の金城哲夫はこの玉川学園の後輩である。 1954年(昭和29年)、成城大学文芸学部入学。大学では演劇に熱中。石井伊吉(現毒蝮三太夫)は劇団仲間だった。
髙橋 育郎(たかはし いくお、1935年〈昭和10年〉3月2… 髙橋 育郎(たかはし いくお、1935年〈昭和10年〉3月26日 - 2026年〈令和8年〉3月7日)は、日本の童謡作詞家、童謡作曲家、著述家、元日本国有鉄道(国鉄)職員。東京都出身。国鉄時代から合唱団で音楽を学び、在職中から団体旅行ソングなどの作詞・作曲を手がけた。退職後は日本童謡協会に所属し、代表作「大きな木はいいな」(作詞)などの童謡作品を発表したほか、昭和から平成にかけての自身の体験を綴った著書を複数出版している。 1935年(昭和10年)3月、東京都に生まれる。1941年(昭和16年)4月に赤羽国民学校に入学し、戦中・戦後の動乱期を過ごす。1947年(昭和22年)3月に埼玉県杉戸町の杉戸国民学校を卒業。
小薗江 圭子(おそのえ けいこ、1935年 - 2011年)… 小薗江 圭子(おそのえ けいこ、1935年 - 2011年)は、日本の作家、作詞家、映像作家、アニメーター。本名・平川圭子。 東京生まれ。9歳まで銀座に住む。日本女子大学在学中からぬいぐるみ作家として注目され、その後イラストレーター、童話作家、エッセイストとしても活躍。初期の「みんなのうた」のアニメ作家でもあり、「この広い野原いっぱい」の作詞者としても知られる。 「うちのネコ ぼくのネコ」「魔法のワルツ(魔法使いチャッピー)」「夕やけ番長」などの作詞のほか、『モザイクの馬』『耳かきのすきな王様』『生活美人』などの著作がある。「ツビレグ ツブレグ マーチ」「新しい動画 3つのはなし」のアニメ映像も担当した。
窪田 聡(くぼた さとし、1935年 - )は日本の作詞家。… 窪田 聡(くぼた さとし、1935年 - )は日本の作詞家。東京市向島区生まれ。本名は久保田俊夫。 小学生時代、太平洋戦争の戦時中に1年間ほど長野県上水内郡津和村(現長野市)へ疎開した。 雑誌『高校文学』主催の全国小説コンクールで最終選考まで残る。1954年、開成高校卒業後、早稲田大学第二文学部に合格するものの家出。製油会社に就職するとともに、中央合唱団の研究生になる。日本共産党に入党するが7年後に除名される。この時期、1年間ほど住み込みの新聞配達員、事務員など職を転々とする。 その後中央合唱団専従、うたごえグループ・トロイカ主宰、日本音楽協議会事務局次長。 この間、一貫して”はたらくものの音楽”のジャンルで創作・演奏活動を展開。
宮中 雲子(みやなか くもこ、1935年 - 、本名・宮中ち… 宮中 雲子(みやなか くもこ、1935年 - 、本名・宮中ちどり)は日本の詩人、童話作家、作詞家。日本童謡協会副会長。同人誌『木曜手帖』編集人。
有馬 三恵子(ありま みえこ、1935年〈昭和10年〉または… 有馬 三恵子(ありま みえこ、1935年〈昭和10年〉または1936年 - 2019年〈平成31年〉4月18日)は、日本の作詞家である。伊東ゆかり「小指の想い出」、南沙織「17才」、 金井克子「他人の関係」、 布施明「積木の部屋」などのヒット曲で知られる。 本名・立石三惠子。山口県防府市出身。法政大学を卒業。1960年代後半から作詞家活動を開始する。 時期は不明であるが、同郷の出身の作曲家で当時音楽之友社『ポップス』誌編集長であった鈴木淳と結婚、鈴木を職業作曲家として確立させた1967年(昭和42年)2月10日発売のヒット曲、伊東ゆかり「小指の想い出」の作詞を手がけ、「おしどり夫婦」と紹介される。
たか たかし(1934年10月27日 - )は、新潟県新発田… たか たかし(1934年10月27日 - )は、新潟県新発田市出身の作詞家。本名は高橋 広雄。 新潟県立新発田高等学校在学中に若山牧水の「白鳥は哀しからずや空の青 海のあをにも染まずただよふ」に出会い、身の震えるような感動を覚える。立教大学文学部中退後は北海道に渡り、業界新聞記者、セールスマン、興信所調査員、ルポライターなどを経験。青島幸男と知り合ったことが契機となり、以後放送作家として各種音楽番組を手がけるが、仕事上「昭和歌謡全集」(新興楽譜出版社)を隅々まで目を通したことで、歌謡詩に興味を持つようになる。 作詞活動は1967年から美川憲一の「ネオン化粧」でデビューし、西城秀樹「情熱の嵐」、松崎しげる「愛のメモリー」等、ヒット曲を世に送り出す。
朝 比呂志(あさ ひろし、1934年8月14日 - 2007… 朝 比呂志(あさ ひろし、1934年8月14日 - 2007年12月13日)は、日本の作詞家。本名は普久原 朝弘(ふくはら ちょうこう)で、作曲家・普久原恒勇の実弟である。 越来村(現在の沖縄市)胡屋出身。大阪薬科大学を卒業後、レコード店や薬局経営の傍ら、作詞家として「ウーマクカマデー」「ちんぬくじゅうしい」(以上、三田信一作曲)「ヘイ!二才達」「ゆうなの花」「島やから」(以上、普久原恒勇作曲)など、数多くのヒット作を生み出す。 妻はでいご娘の三女・普久原千津子(旧姓・比嘉)。 2007年12月13日、胃がんのため死去。享年73。
山口 あかり(やまぐち あかり、1934年5月26日 - 2… 山口 あかり(やまぐち あかり、1934年5月26日 - 2007年5月10日)は、日本の作詞家。長野県上田市出身。日本社会事業大学卒業。本名は山崎 裕世(やまざき ひろよ)。 2007年5月10日、大腸癌のため死去。72歳没。
古賀 力(こが つとむ、1934年3月29日 - 2018年… 古賀 力(こが つとむ、1934年3月29日 - 2018年5月26日)は、長崎県佐世保市出身のシャンソン歌手、作詞家、訳詞家。 青山学院大学卒業。独学でシャンソンを学ぶ。1958年、シャンソン喫茶「ジロー」でデビュー。銀巴里、日劇ミュージックホールに出演し人気シャンソン歌手となる。1968年、自身の店として赤坂に「ブン」をオープン、シャルル・アズナヴールやジルベール・ベコー、レオ・フェレ、ジュリエット・グレコなど錚々たる世界的スターが出演する人気店となる。2011年閉店。 シャンソン歌手としての活動と並行して訳詞家としても活躍、とくにジャン・フェラ(英語版)の「ふるさとの山」は日本人に分かりやすい表現で訳した名曲として多くの歌手にカバーされた。
桜井 順(さくらい じゅん、1934年3月14日 - 202… 桜井 順(さくらい じゅん、1934年3月14日 - 2021年9月25日)は、日本の作曲家、作詞家。東京都(麻布)出身。本名は櫻井 峯夫(さくらい みねお)。作詞の際のペンネームに「水木 ひろし(みずき ひろし)」「能 吉利人(のう きりひと)」。櫻井 順と表記される場合もある。 曾祖父(父方の祖母の父)は貴族院議員・慶應義塾長を務めた小幡篤次郎。父方の祖父は三井物産砂糖部長・三越常務取締役・二幸取締役などを歴任した櫻井信四郎。幼稚舎(小学時代)より慶應義塾に学び、慶應義塾大学経済学部を卒業。祖父、父、自身と3代続けて幼稚舎〜経済(理財)を卒業した。 慶應義塾大学経済学部卒業。就職先が決まった頃には朝日放送主催の『ABCミュージカルスポット・コンクール』に応募し、2位に入賞していた(1位は越部信義)。
西谷 尚雄(にしたに ひさお、1934年2月 - )は、日本… 西谷 尚雄(にしたに ひさお、1934年2月 - )は、日本の音楽プロデューサー・演出家、作詞家。京都府出身。ペンネームは多木比佐夫。 京都府立大学卒業後、梅田コマスタジアム、東京録音スタジオ制作部に勤務して、舞台とラジオ放送、映画製作関連の実務をオーディオ・エンジニアーとして担当。 電通入社。CMプランナー、クリエイティブ・ディレクターとして30年間で1000本のテレビCM企画制作に関与多くの作品がACC,カンヌ、CLIO等、内外のCMコンクールで多数受賞。特に1970年チャールズ・ブロンソンを起用した、「マンダム」のデビューキャンペーンは外国人タレント起用の画期的な成功例として評価され、日本のCM史100傑に選出された。
三鷹 淳(みたか じゅん、1934年1月7日 - )は、日本… 三鷹 淳(みたか じゅん、1934年1月7日 - )は、日本の歌手・作詞家・作曲家・ボイストレーナー。本名:持光 正輝(もちみつ・まさてる)。 山口県宇部市出身。国立音楽大学卒業。NHK総合テレビジョンの音楽番組『歌の広場』でデビューした後、日本コロムビア専て活動。その傍ら、ボイストレーナーとして活動するほか、社歌、自治体の県民歌・市町村民歌を数多く手掛ける。 演歌歌手のわかばちどりは妻に当たる。
世志 凡太(せし ぼんた、1934年1月4日 - 2025年… 世志 凡太(せし ぼんた、1934年1月4日 - 2025年11月18日)は、日本のソングライター(作詞家・作曲家)、俳優、コメディアン、演出家、音楽プロデューサー。本名は市橋健司(いちはし・けんじ)。東京都豊島区出身。芸名は、フランス語の「C'est si Bon.」(セシボン・「とってもいい」の意)から来ている。事実上の内縁関係にあった女優の浅香光代と35年間生活を共にしていた。浅草喜劇人協会会長。 18歳の時からアルバイトでバンドに加わって進駐軍のキャンプを回り、1957年に「原信夫とシャープス&フラッツ」にベーシストとして参加。渡邊プロに所属しバンドマンとしての活動他に同時期にコメディアンとして朝日放送の「てなもんや三度笠」などのテレビ番組、ハナ肇とクレージーキャッツ主演の映画、東宝・松竹の喜劇映画、NHKの音楽番組等に出演する。
こわせ たまみ(小和瀬 玉三、1934年〈昭和9年〉- )は… こわせ たまみ(小和瀬 玉三、1934年〈昭和9年〉- )は、日本の絵本作家、童話作家、作詞家、詩人。 1934年に埼玉県比企郡に生まれる。1957年早稲田大学第一商学部卒業。 この期、サトウハチロー主宰の木曜会に所属。コピーライターを経て、1960年以降、NHKの幼児番組の構成に参加しつつ作品を発表する。1960年、童謡同人誌「ピアノとペン」を創刊。1963年、おうちやすゆき・阪田寛夫・荘司武・関根榮一・鶴見正夫らとともに、新しい童謡の創作運動をめざして「6の会」を結成。1974年解散。 1982年、日本童謡協会に入会。事務局長、機関誌『季刊どうよう』編集長、副会長などを歴任し、現在は理事、広報委員。
品川 隆二(しながわ りゅうじ、1933年4月11日 - )… 品川 隆二(しながわ りゅうじ、1933年4月11日 - )は、日本の俳優、作詞家、ナレーターである。山梨県出身。 1933年4月11日(火曜日)、山梨県南都留郡宝村(現・都留市)中津森に生まれる。旧制都留中学3年の時、兄を交通事故で亡くし家出を決行し上京。 その後、母親の援助を受け都内の旧制専門学校などを転々とするが、次第に愚連隊に関わるようになる。そんな戦後の学制改革のドサクサの中、戸籍抄本に細工をして年齢を詐称し東洋大学に入学する。 1951年、「ミスターニッポンコンテスト」(スポーツニッポン社と大映が主催)の5人に選ばれ、同年12月大学を中退し、大映演技研究所6期生となる(若尾文子より3か月遅れ、同期のニューフェイスには南原宏治がいる)。
永 六輔(えい ろくすけ、1933年4月10日 - 2016… 永 六輔(えい ろくすけ、1933年4月10日 - 2016年7月7日)は、日本の放送作家、作詞家。本名:永 孝雄(えい たかお)。 テレビやラジオなどを中心に活躍。軽妙な語り口と歯に衣着せぬトークで人気を集めた。1961年7月に坂本九により初演され、その後世界中でヒットしたポップソング『上を向いて歩こう』の作詞者として知られる。また短く簡単な言葉で物事の本質を突く、短文の名人としても知られ、著作も多い。『大往生』は200万部を超える大ベストセラーとなった。 “旅の坊主”、“ラジオ屋”、“テレビ乞食”、“遊芸渡世人”、“男のおばあさん”などを自称。晩年の所属事務所は「オフィス六丁目」だった。角刈り頭と細長い顔がトレードマーク。
柳澤 愼一(やなぎさわ しんいち、1932年〈昭和7年〉12… 柳澤 愼一(やなぎさわ しんいち、1932年〈昭和7年〉12月19日 - 2022年〈令和4年〉3月24日)は、東京府東京市(現:東京都)出身のジャズ歌手、俳優、声優、福祉活動家、ボードビリアン、作詞家である。エム・スリー所属。NPO法人日本アビリティーズ協会会長顧問。有料老人ホーム気まま館東大和名誉館長。 旧芸名は柳沢 真一、柳澤 真一。 江上トミから「在野の料理名人」と呼ばれた柳澤愛子の息子。戦時中、東京で空襲に遭って祖父母の住む新潟県長岡市に疎開するが、長岡でも空襲に遭って東京に戻る。東京都立豊多摩高等学校在学中、日本共産党の下部組織に参加するも、男女交際の乱れを嫌い、青山学院高等部に転校。
志賀 大介(しが だいすけ、1932年8月17日 - 201… 志賀 大介(しが だいすけ、1932年8月17日 - 2018年8月6日)は、日本の作詞家。日本作詩家協会副会長、日本音楽著作家連合会長。本名は牛越 武。 長野県大町市出身。長野県大町高等学校卒業。大手広告代理店在職中、作詞依頼を受けたのをきっかけに作詞活動を開始。東芝EMI、朝日放送、日本クラウンの専属作家を務めた。 2007年に日本音楽著作家連合第4代会長に就任。2018年8月6日に亡くなったことが日本作詩家協会のホームページにて発表された。
小林 亜星(こばやし あせい、1932年〈昭和7年〉8月11… 小林 亜星(こばやし あせい、1932年〈昭和7年〉8月11日 - 2021年〈令和3年〉5月30日)は、日本の作曲家、作詞家、俳優、タレント。 日本作詞作曲家協会(J-scat)理事、大日本肥満者連盟(大ピ連)初代会長を務めた。CM曲や歌謡曲、アニメソング、テレビ番組のテーマ曲など、生涯で6,000曲以上を残した。1976年に「北の宿から」で日本レコード大賞を受賞し、2015年には日本レコード大賞功労賞を受賞した。 妹はイラストレーターの川村みづえ。次男は元俳優・元学習塾講師の小林朝夫。従甥(母・塩子の兄の孫)に経済学者の有賀敏之がいる。 東京都渋谷区幡ヶ谷生まれ、杉並区堀ノ内で育った。父方の祖父は新潟で病院を経営していた医師、父は逓信省の官僚、母は新築地劇団の元女優で、小林を産むまで劇団に所属していた。
青島 幸男(あおしま ゆきお、1932年〈昭和7年〉7月17… 青島 幸男(あおしま ゆきお、1932年〈昭和7年〉7月17日 - 2006年〈平成18年〉12月20日)は、日本の政治家、小説家、作詞家、タレント、テレビ司会者、俳優、放送作家、映画監督、歌手。位階は正四位。 参議院議員(5期)、第二院クラブ代表(初代・第5代)、東京都知事(第13代)等を歴任した。 テレビ業界で当初は放送作家として成功し、高度成長期を歌った「スーダラ節」を作詞する。クレージーキャッツ主演の映画はもとより、『若大将シリーズ』などでも映画の主題歌を作詞した。主演したドラマ『いじわるばあさん』では国民的キャラクターとして定着し、小説を執筆すれば処女作『人間万事塞翁が丙午』が直木賞を受賞するなど、多才の人として知られ、「超マルチタレント」と呼ばれた。
尾原 昭夫(おばら あきお、1932年6月30日- )は、作… 尾原 昭夫(おばら あきお、1932年6月30日- )は、作詞・作曲家/わらべうた・子どもの文化史研究家。 1932年(昭和7年)島根県簸川郡直江村(現出雲市斐川町直江)生まれ。1958年に島根大学教育学部特設音楽科を卒業(作曲・理論専攻)。上京後、東京都公立小学校・養護学校・盲学校音楽専科教諭として教職のかたわら、日本のわらべうた・民謡の採集・研究を行う。1976年久留島武彦文化賞、1993年毎日出版文化賞特別賞(『日本わらべ歌全集』共著)、1994年田村虎蔵特別賞(鳥取県)。2017年 第41回鳥取県出版文化賞影井賞 1932年(昭和14年)島根県簸川郡直江村立直江小学校入学 。 1945年(昭和20年)島根県簸川郡直江村立直江国民学校卒業、島根県立大社中学校入学 。
福田 陽一郎(ふくだ よういちろう、1932年〈昭和7年〉6… 福田 陽一郎(ふくだ よういちろう、1932年〈昭和7年〉6月25日 - 2010年〈平成22年〉4月11日)は、日本のディレクター、脚本家、作詞家である。伊奈 洸(いな あきら)のペンネームも用いる。妻は女優の稲野和子。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、舞台芸術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:舞台芸術)。
中村 千栄子(なかむら ちえこ、1932年4月25日 - 1… 中村 千栄子(なかむら ちえこ、1932年4月25日 - 1997年9月22日)は、日本の詩人、作詞家。中村は旧姓で、本名は新野 千栄子(あらの ちえこ)。 中村家の二女として新潟県柏崎市に生まれる。1945年、新潟県立柏崎高等女学校に入学。1951年、山脇学園高等学校卒業。高校時代に上京し、1953年、東京女子大学短期大学部国語科を卒業。そのまま東京で詩の勉強を続けようとしたが、母のすすめでいったん故郷に戻る。1954年、新潟大学学生歌、応援歌をそれぞれ応募し、前者が1位、後者が2位に選ばれたのを機に、詩作を本格的に行おうと決意する。同年5月より、加藤省吾の下で童謡の作詞を学ぶ。翌年、同郷の新野央と結婚し、再び上京。
池田 充男(いけだ みつお、1932年〈昭和7年〉- )は、… 池田 充男(いけだ みつお、1932年〈昭和7年〉- )は、日本の作詞家。 茨城県稲敷郡岡田村東猯穴(牛久町を経て、現在の牛久市東猯穴町)出身。岡田国民学校(現在の牛久市立岡田小学校)、岡田農業青年学校(後の牛久町立岡田中学校)、県立取手第一高等学校に進む。高校生の時に作詞家を志す。テイチクレコードより黒田春雄(後のアイ・ジョージ)歌唱の「心の十字路」で作詞家デビューし、現在も現役で活動している。 1992年の第34回日本レコード大賞歌謡曲・演歌部門で、大月みやこの『白い海峡』が大賞、1999年には服部浩子の『旅路の花』が第32回日本作詩大賞、2006年には香西かおりの『最北航路』が第39回日本作詩大賞を受賞するなど多くの作品で日本作詞家大賞を受賞する。
川野 京輔(かわの きょうすけ、1931年8月29日 - )… 川野 京輔(かわの きょうすけ、1931年8月29日 - )は、広島県生まれの日本の作家、作詞家。作詞時の筆名は杉野 まもる。本名は上野 友夫。日本推理作家協会名誉会員。中央大学法学部法科卒業。 推理小説、歴史小説、評論、ノンフィクション、エッセイなど幅広く執筆。 中央大学在学中の1953年から『千一夜』『風俗草紙』などの性風俗雑誌、『宝石』『探偵倶楽部』『探偵実話』などの探偵小説誌に短編の投稿を始め、同年末には『別冊宝石』の懸賞に本名で応募した「復讐」が入選し、「宝石新人二十五人集」として作家デビュー。1955年「消えた街」で第9回宝石賞佳作。 1954年にNHKに入局し、NHK広島中央放送局放送部、NHK松江放送局放送部を経て、1960年より東京芸能局ラジオ文芸部に転属となり、ラジオドラマの演出などを担当。
大日方 俊子(おおひなた としこ、1931年7月20日 - … 大日方 俊子(おおひなた としこ、1931年7月20日 - 2022年5月6日)は、日本の作詞家、著述家、音楽プロデューサー。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン会員、日本映画音楽協会会長、日本音楽著作権協会正会員。 東京府生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。東京放送(現・TBSテレビ)でテレビディレクターを務めた後フリーに。音楽プロデュース、音楽イベント企画・コーディネートに加え、レコーディングのプロデューサー・ディレクターとして、音源制作に携わる傍ら、訳詞・作詞をはじめ、1968年、ザ・キング・トーンズの「グッド・ナイト・ベイビー」(同年5月1日発売、ポリドール)の作詞を「ひろまなみ」名義で担当。
漣 健児(さざなみ けんじ、1931年2月4日 - 2005… 漣 健児(さざなみ けんじ、1931年2月4日 - 2005年6月6日)は、日本の作詞家、訳詞家。本名:草野 昌一(くさの しょういち)。本名名義で編集者、実業家として活動し『ミュージック・ライフ』編集長、シンコーミュージック・エンタテイメント会長を務めた。 東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区)出身。早稲田大学第一商学部在学中の1951年9月、父・草野貞二が経営する新興音楽出版社(現:シンコーミュージック・エンタテイメント)から雑誌『ミュージック・ライフ』を復刊し(貞二が1938年に創刊した『歌の花籠』をベースとし、1946年に創刊された『ミュージック・ライフ』の復活)初代編集長を務めた。 1958年4月、新興楽譜出版社専務取締役に就任。
薩摩 忠(さつま ただし、1931年1月29日 - 2000… 薩摩 忠(さつま ただし、1931年1月29日 - 2000年3月24日)は、日本の詩人、翻訳家、作詞家、放送作家。 童謡『まっかな秋』の作詞で知られる。 東京出身。慶応幼稚舎(小学校)で菊池知勇に学ぶ。慶應義塾大学仏文科卒。堀口大學、藤浦洸に師事。『風』『新詩潮』『詩帖』同人。1962年昆虫詩集『蝶の道』を刊行。1964年『海の誘惑』で室生犀星詩人賞受賞。昆虫など小動物を題材とした詩が多く、海外児童文学の翻訳・再話などもある。放送作家としてラジオの音楽番組の構成を担当したほか、シャンソンの訳詞も多く手がけた。 その他アンデルセン、グリムなどの再話 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中島 清治(なかじま きよじ、1931年〈昭和6年〉- 20… 中島 清治(なかじま きよじ、1931年〈昭和6年〉- 2015年〈平成27年〉)は、日本の作詞家。茨城県稲敷郡牛久村(現在の牛久市)出身。 茨城県稲敷郡牛久村(現在の牛久市)大字新地(現在の新地町)出身。牛久国民学校(現在の牛久小学校)を卒業後、学徒動員されて地元の軍事工場で働く。終戦後、高等科を卒業し、東京都に働きに出る。その後に板倉文雄に誘われて作詞家となる。1963年に日本クラウンレコード専属歌手となった津田耕次のデビュー作「お聞き下さい皆様よ」を作詞する。15年以上に渡り東京で作詞活動をするが、医者に進められて自身と家族の体調を考え牛久に里帰りした。平成22年には牛久市立ひたち野うしく小学校の開校に伴い、校歌の作詞を手掛けた。
山北 由希夫(やまきた ゆきお、1931年? - 2024年… 山北 由希夫(やまきた ゆきお、1931年? - 2024年2月6日)は、日本の作詞家。東京都新宿区出身。 中央大学経済学部卒業。1958年に雑誌『平凡』の懸賞募集作詞へ入選し、コロムビアより『乙女の十字架』(唄:青山和子)が発売になる。作詞家の松井由利夫に師事し、1961年に『上野発故郷行』(唄:高城丈二、ポリドール)及び『すてきなワルツ』(唄:松山恵子、マーキュリー)でデビューを果たす。その後は松井の紹介で同人誌『新歌謡界』に入門し、ローカル作品コンクールで発表した『夕焼け水車』が入選。そこで曲を付けた川上英一の師匠・吉田矢健治に出会い、1965年1月にはキングレコード専属作詞家となる。後にフリー。
野坂 昭如(のさか あきゆき、1930年〈昭和5年〉10月1… 野坂 昭如(のさか あきゆき、1930年〈昭和5年〉10月10日 - 2015年〈平成27年〉12月9日)は、日本の小説家、歌手、作詞家、タレント、政治家。参議院議員(1期、任期途中で退職)を務めた。 神奈川県鎌倉市で生まれる。程なく生母が亡くなり、兵庫県神戸市の親戚宅の養子に。空襲で養父を失い、疎開先で妹を栄養失調で亡くし放浪した。こうした体験から、「焼跡闇市派」を自称した。 早稲田大学仏文科中退。在学中からコント・テレビの台本、CMソングの作詞などで活躍。 『エロ事師たち』(1963年)で小説家デビュー。妹への贖罪から書いた『火垂るの墓』(1967年)、占領下の世相を描いた『アメリカひじき』(1967年)で直木賞受賞。