望月 好夫(もちづき よしお、1932年10月14日 - 2… 望月 好夫(もちづき よしお、1932年10月14日 - 2019年3月10日)は、日本の産業工芸分野のインダストリアルデザイナー、技術者。工芸品を普段の生活で使えるものとしてデザインし、青森県の産業として定着させた。 静岡市に生まれる。1952年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1956年、東京芸術大学美術学部工芸科漆芸専攻卒業。同年、青森県工業試験場漆工課勤務。1986年、青森県木工指導所所長。1988年、青森県工業試験場場長。1993年、同試験場停年退官。1994年、弘前工芸協会理事長。青森県技術アドバイザー、社団法人日本クラフトデザイン協会会員。 2019年3月10日、慢性閉塞性肺疾患のため死去。
石井 幸孝(いしい よしたか、1932年10月12日 - )… 石井 幸孝(いしい よしたか、1932年10月12日 - )は、日本の鉄道技術者。実業家、九州旅客鉄道(JR九州)初代社長。広島県呉市出身。本籍は京都府宮津市漁師町。 東京都立新宿高等学校、東京大学工学部機械工学科卒業。1955年日本国有鉄道(国鉄)に入社。蒸気機関車の補修を皮切りに、油まみれの工場勤務からスタート。1959年、本社臨時車両設計事務所でディーゼル車両の担当技師として車両設計・開発を担当。キハ81系「はつかり」、キハ82系、キハ58系、DD51形、DE10形などディーゼル車両開発最盛期の仕事に携わった。ディーゼル特急「はつかり」を東北本線に導入した当時は故障に泣かされ、毎晩徹夜で修理作業に当たったという。
村上 利夫(むらかみ としお、1932年(昭和7年)3月12… 村上 利夫(むらかみ としお、1932年(昭和7年)3月12日 - )は、日本の農業技術者、政治家。元福井県小浜市長(2期)。 福井県遠敷郡上中町(現・三方上中郡若狭町)出身。福井県立遠敷農林学校(現・福井県立若狭東高等学校)卒業。福井県立高等農業講習所(現・福井県立大学)鯉淵学園研究科卒業。 1952年から、福井県農業改良普及員・専門技術員等。1971年から1976年まで、福井県立農業短期大学校(のち福井県立大学看護短期大学部)教授。その後、福井県農林水産部長、同県議会議員、同県農業会議会長、同県森林組合連合会長などを経て、福井県小浜市長(2000年8月から2期)。全国歴史研究会本部正会員。1998年、協同農業普及事業功労(農林水産大臣)。
岩澤 信夫(いわさわ のぶお、1932年(昭和7年)1月28… 岩澤 信夫(いわさわ のぶお、1932年(昭和7年)1月28日 - 2012年(平成24年)5月4日)は、境循環型の稲作農法である冬期湛水不耕起栽培を提唱し、普及活動を展開した農業技術者。 千葉県成田市生まれ。旧制成田中学校を卒業後、農業に従事。 第1回 日本の農業はコメだ(2008年9月3日放送) 第2回 耕さない田んぼが農家を変える(2008年9月17日放送) 第3回 生きものが集まり人が集まる(2008年9月24日放送) 第4回 田んぼを守るために(2008年10月1日放送)
稲盛 和夫(いなもり かずお、1932年〈昭和7年〉1月21… 稲盛 和夫(いなもり かずお、1932年〈昭和7年〉1月21日 - 2022年〈令和4年〉8月24日)は、日本の実業家、技術者。京セラや第二電電(現・KDDI)の創業者であり、京セラ社長・名誉会長を歴任した他、後年には経営破綻した日本航空の会長に就任し、同社の経営再建を担った(後に日本航空名誉会長)。公益財団法人稲盛財団理事長。「盛和塾」塾長。 妻の朝子は、禹長春の四女である。 1932年(昭和7年)、鹿児島県鹿児島市薬師町に7人兄弟の次男として生まれる。父の畩市は「稲盛調進堂」という名で印刷工場を経営していた。西田尋常高等小学校(現在の鹿児島市立西田小学校)を卒業し、私立鹿児島中学校(旧制、現在の鹿児島高等学校)へ進む。
高山 信雄(たかやま のぶお、1932年 - 2025年 )… 高山 信雄(たかやま のぶお、1932年 - 2025年 )は、英文学者、電気技術者、童話作家、大正大学名誉教授。 埼玉県川口市生まれ。旧制川口中学校(現・埼玉県立川口高等学校)に入学後、15歳で就職し、31歳まで民間の工場や会社に電気技術者として勤務。その間、夜間課程の川口市立県陽高等学校卒、芝浦工業大学2部電気工学科卒業。1964-82年東京都立港工業高等学校定時制に電子科教諭として勤務。本務の傍ら、法政大学で英文学、中央大学でドイツ文学と法律学の学科を卒業し、東京大学医学部の研究生として6年間医用工学の研究に従事。法政大学大学院人文科学研究科博士課程単位修得退学。1982年大正大学に勤務。
向井 久和(むかい ひさかず、1932年ごろ - )は、日本… 向井 久和(むかい ひさかず、1932年ごろ - )は、日本の工学者、半導体開発のエンジニア。日本電信電話株式会社LSI研究所長、沖電気工業取締役技師長などを務めた。工学博士。 東京大学工学部電気工学科卒業。日本電信電話公社武威野電気通信研究所を経て、日本電信電話株式会社LSI研究所長。沖電気工業取締役技師長を経て、古賀総研シニアスタッフ。1994年・1995年、IEEE Electron Devices Society Japan Chapter Chairman。2010年4月29日、瑞宝小綬章受章(集積回路研究部長時代の電気通信事業への貢献に対し) この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
安川 英昭(やすかわ ひであき、1931年11月13日 - … 安川 英昭(やすかわ ひであき、1931年11月13日 - 2014年2月25日)は、日本の技術者、実業家。セイコーエプソン代表取締役社長を務めた。 東京都生まれ。北海道小樽市で育つ。北海道庁立小樽中学校(現・北海道小樽潮陵高等学校)を経て、1955年東京大学工学部精密工学科卒業、第二精工舎(現・セイコーインスツル)入社。1959年諏訪精工舎(現・セイコーエプソン)転籍。自動巻き腕時計「ジャイロマーベル」、世界初のクォーツ腕時計「セイコークォーツ・アストロン」などを開発し商品化。1976年同社取締役。1991年セイコーエプソン代表取締役社長。1998年長野県経営者協会会長。2001年セイコーエプソン会長。
島 隆(しま たかし)(1931年7月27日-2020年6月… 島 隆(しま たかし)(1931年7月27日-2020年6月22日)は、日本の鉄道技術者。 東京都生まれ。同じく鉄道技術者である島秀雄の次男。東京大学工学部機械工学科卒。1955年日本国有鉄道(国鉄)に入社。父・秀雄とともに東海道新幹線0系の台車設計にあたる。後に東北・上越新幹線の200系の車両設計責任者となる。 その後、世界銀行に出向。1990年代から計画されていた台湾新幹線計画ではフランスのTGV車両が受注していたが、1999年の台湾大地震で耐震性に優れた日本の車両に発注が変更され、フランスと台湾間で裁判となったが、結果、仏・独・日の合同プロジェクトに決まり、2002年に台湾高速鐵路から技術顧問の依頼を受け、2007年の開通まで3国間の調整を行った。
三井 信雄(みい のぶお、1931年7月4日 - 2015年… 三井 信雄(みい のぶお、1931年7月4日 - 2015年7月14日)は日本出身の技術者、技術系管理者を経て、実業家。NHKで番組編成補助・自動送出などのコンピュータ化を行い、IBMで技術系部門の高級管理者として活躍し、IBM退社後には技術系投資ファンドを管理。
渡辺 和也(わたなべ かずや、正字体:渡邊和也、1931年6… 渡辺 和也(わたなべ かずや、正字体:渡邊和也、1931年6月8日 - 2021年10月17日)は、日本のコンピュータ技術者。日本電気(NEC)在職当時に、マイコンキット「TK-80」やパーソナルコンピュータ「PC-8001」の開発販売を中心になって手がけたことで知られる。 1931年、長野県に生まれる。 山梨大学工学部電気工学科を卒業する。その後、国際電気(現・日立国際電気)で真空管式無線機の設計を約10年担当した。トランジスタなどのマイクロエレクトロニクスに惹かれ、1965年、それらを手がけていたNECに入社する。当初「半導体応用技術部」に所属した。 マイクロプロセッサが開発されてNECでも生産されるようになり、ICの検査システム担当だったところで販売部門の部長を命じられて拡販に当たる。
佐藤 研一郎(さとう けんいちろう、1931年3月8日 - … 佐藤 研一郎(さとう けんいちろう、1931年3月8日 - 2020年1月15日)は、日本の実業家、技術者。ローム株式会社創業者。ローム ミュージック ファンデーション理事長。 東京都出身。父親は新交響楽団(現・NHK交響楽団)のバイオリニスト、母親も琴を趣味としていたことから、6歳からピアノを習い、プロのピアニストを目指していた。立命館高等学校、立命館大学理工学部卒業。 1954年(昭和29年)、立命館大学在学中に開発した超小型抵抗器の特許を元に、京都西陣に東洋電具製作所を創業。1958年(昭和33年)に株式会社に組織変更。1981年(昭和56年)、社名をローム株式会社に変更。一代でロームを世界的な電子部品メーカーに育て上げる。
前田 勝之助(まえだ かつのすけ、1931年2月5日 - 2… 前田 勝之助(まえだ かつのすけ、1931年2月5日 - 2013年4月7日)は、日本の技術者・経営者。東レ名誉会長。 福岡県嘉穂郡穂波村大字忠隈(現:福岡県飯塚市)に生まれる。父・繁師(しげのり)は住友鉱山忠隈炭鉱の病院の薬局長、母・道枝は山鹿(熊本県)の御殿医の流れを汲む竹下病院の長女。住友鉱山の庭付きの社宅で育った。姉・上野栄子、兄・慶之助。 菰田小学校時代、約50人の学級の中に朝鮮人が5、6人おり、彼らは1、2歳年上だった。日本人と朝鮮人の生徒間の喧嘩が始まると、級長の前田は間に割って入った。 嘉穂中学校時代は勤労動員に遭遇し、炭鉱で採炭の仕事に明け暮れた。男たちは戦争に駆り出され人手不足だった。
大西 利美(おおにし としみ、1931年1月2日 - 201… 大西 利美(おおにし としみ、1931年1月2日 - 2011年4月3日)は、日本の自動車技術者。トヨタ自動車副社長や、愛知製鋼会長、日野自動車工業会長等を歴任した。藍綬褒章受章。 1953年東北大学工学部機械科卒業、トヨタ自動車工業入社。1975年トヨタ自動車工業生産技術企画室主査。1978年トヨタ自動車工業生産技術開発部長。1980年トヨタ自動車工業取締役に昇格。1984年トヨタ自動車取締役田原工場長。 1986年トヨタ自動車常務取締役元町工場長。1988年トヨタ自動車専務取締役。1992年トヨタ自動車取締役副社長。 退任後、愛知製鋼取締役会長、日野自動車工業取締役会長等を歴任した。1993年中部インダストリアル・エンジニアリング協会会長。
阿部 英彦(あべ ひでひこ、1931年 - )は、日本の鉄道… 阿部 英彦(あべ ひでひこ、1931年 - )は、日本の鉄道技術者。
長谷川 武彦(はせがわ たけひこ、1931年 - 2024年… 長谷川 武彦(はせがわ たけひこ、1931年 - 2024年5月7日)は、日本の技術者、実業家。愛知県名古屋市出身。 1958年、ヤマハ技術研究所を経てヤマハ発動機株式会社に入社。同社では、オートバイのエンジン開発を担当するとともに、世界グランプリレース監督を務めた。また、名車と謳われた「トヨタ2000GT」の共同開発、ソフトバイク「パッソル」の開発などに関わり、同社社長(1994年~2001年)、会長(2001年~2003年)等を歴任した。 2004年4月旭日中綬章受章。 2024年5月7日、老衰のため死去。92歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
久保園 晃(くぼその あきら、1930年5月6日 - 201… 久保園 晃(くぼその あきら、1930年5月6日 - 2016年12月26日)は、日本の宇宙航空エンジニアであり、日本の宇宙開発の草分け的存在である。 1930年(昭和5年)5月に中国遼寧省瀋陽市に生まれる。戦後鹿児島県日置郡伊集院町(現・日置市)に引き上げ、旧制第七高等学校、鹿児島大学文理学部物理学科を卒業後、1953年(昭和28年)運輸省運輸技術研究所航空部に入所。航空機の風洞実験などを学ぶ。1955年(昭和30年)新三菱重工(現・三菱重工業)名古屋航空機製作所に入社。技術部の空力研究課、電子技術課、飛翔体基礎設計課などで、航空機に関する実験、設計などを行い、国産旅客機YS-11の開発にも携わった。
江副 茂(えぞえ しげる、1930年2月22日 - 2017… 江副 茂(えぞえ しげる、1930年2月22日 - 2017年5月20日)は、日本の技術者、実業家。東陶機器(現TOTO)元社長江副孫右衛門の甥で、同社社長や会長、九州・山口経済連合会(現九州経済連合会)副会長、福岡県公安委員会委員長などを務めた。正四位勲二等瑞宝章。 関東州大連市生まれ。東陶機器(現TOTO)社長を務めた江副孫右衛門は伯父。愛知県立旭丘高等学校1期を経て、1955年名古屋大学工学部機械学科卒業、東洋陶器入社。水栓金具技術者としてウォシュレット等の開発を手掛けた。 東陶機器常務、専務、副社長を経て、1992年から社長を務め、アジア進出などを進めた。1998年から会長。 2001年勲二等瑞宝章受章。
松平誠(まつだいら まこと、1930年2月8日 - 2017… 松平誠(まつだいら まこと、1930年2月8日 - 2017年11月30日)は、日本のコンピューター技術者、生活文化学者。専攻、生活文化論。 東京府東京市(現東京都千代田区)生まれ。1953年京都大学文学部卒業。日本ユニバック(現・日本ユニシス)勤務後、立教大学教授、1996年定年退任、女子栄養大学教授。1989年「都市生活文化論 -都市祝祭の構成原理-」で筑波大学文学博士。『都市祝祭の社会学』(1990)で今和次郎賞受賞。
梯 郁太郎(かけはし いくたろう、1930年2月7日 - 2… 梯 郁太郎(かけはし いくたろう、1930年2月7日 - 2017年4月1日)は、日本の技術者、実業家。エース電子工業、ローランド、ATVの創業者。ATV株式会社代表取締役会長、公益財団法人かけはし芸術文化振興財団名誉顧問。 梯は電子音楽の規格MIDI(Musical Instrument Digital Interface)の制定に貢献した。長年にわたって電子楽器の発展および普及に努めた多大な功績により、1991年には米国バークリー音楽大学から、名誉音楽博士号を授与された。また、2000年にはハリウッドにあるロック・ウォークに手形を残し殿堂入りした。そして、2013年には第55回グラミー賞にて、デイヴ・スミス(英語版)とともにメーカーを問わない電子楽器の世界共通規格としてMIDIの制定に尽力し、MIDI規格がその後の音楽産業の発展に貢献したことが評価され、技術グラミー賞を受賞した。
石福昭(いしふくあきら、1930年 - 2025年)は、日本… 石福昭(いしふくあきら、1930年 - 2025年)は、日本の建築家、設備エンジニア。 1959年、早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。その後1981年まで日建設計に勤務し技師長を務める。 1978年工学博士。 1981年から宇都宮大学教授に就任。 1990年から早稲田大学教授就任。建築設備綜合協会名誉会長。 設計に関わった作品として、東邦ガス本社ビル、中部電力本社ビル、パレスサイドビル、日本アイビーエム本社ビル、世界貿易センタービル、東京国際空港第一ターミナルビルなどがある。 著書である「大学課程 建築設備」は大学教育における建築設備の教科書として初版が発刊された1968から時代とともに刷新され続け、日本の建築教育に寄与している。
金原 淑郎(きんばら よしろう、1929年9月24日 - )… 金原 淑郎(きんばら よしろう、1929年9月24日 - )は、日本の自動車技術者。トヨタ自動車取締役副社長や、自動車技術会会長を務めた。 愛知県立刈谷高等学校を経て、1954年早稲田大学大学院工学研究科修士課程修了。1980年トヨタ自動車工業取締役。1986年トヨタ自動車常務取締役。1988年トヨタ自動車専務取締役。1992年からトヨタ自動車取締役副社長を務め、プロジェクト「G21」を立ち上げて次世代自動車の在り方の検討を行うなどした。1994年自動車技術会会長。運輸省運輸技術審議会自動車部会委員等も務めた。
藤田 史郎(ふじた しろう、1929年7月24日 - 202… 藤田 史郎(ふじた しろう、1929年7月24日 - 2021年2月8日)は、日本の技術者、実業家。NTTデータ代表取締役会長や、日本品質管理学会会長を務めた。旭日重光章、フランス国家功労勲章受章。デミング賞本賞受賞。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
米山 高範(よねやま たかのり、1929年5月30日 - 2… 米山 高範(よねやま たかのり、1929年5月30日 - 2014年2月16日)は、日本の技術者、実業家。コニカ代表取締役社長、同社代表取締役会長、日本科学技術連盟理事長、日本品質管理学会会長などを務めた。アメリカ品質学会(ASQ)功績賞、デミング賞本賞受賞。 東京市本所区(現墨田区)生まれ。府立七校(現東京都立墨田川高等学校)在学中に東京大空襲で家が焼失し、学生寮のある横浜工業専門学校(現横浜国立大学)に入学。1953年東京工業大学電気化学科卒業。大学では品質管理の水野滋教授に師事した。 1953年小西六写真工業(現コニカミノルタ)入社。八王子工場品質保証課長を経て、生産本部本部長付主任部員在任中に出版した著書『品質管理のはなし』で日経品質管理文献賞受賞。
桜井 眞一郎(さくらい しんいちろう、1929年4月3日 -… 桜井 眞一郎(さくらい しんいちろう、1929年4月3日 - 2011年1月17日)は日本の自動車技術者。 株式会社エス・アンド・エス エンジニアリング取締役会長。日本自動車殿堂入り、オーテックジャパン初代代表取締役。神奈川県出身。戸籍上の氏名は、櫻井 眞一郎。 旧プリンス自動車工業時代より日産自動車時代に渡るまでスカイラインの開発に携わる。2代目の途中からは開発責任者(主管)として7代目の開発終盤まで長期間携わっていたことから、「GT-Rの生みの親」「ミスタースカイライン」「スカイラインの父」として知られている。 清水建設に勤務していた時代に「日本で初めてバッチャープラントとコンクリートミキサー車(生コン車)を開発した」と伝えられるが、これについては異論も出されている。
今井 隆吉(いまい りゅうきち、1929年2月16日ー201… 今井 隆吉(いまい りゅうきち、1929年2月16日ー2012年10月10日)は、日本の原子力問題の専門家、外交官、新聞記者、原子力技術者、科学評論家。専門は核不拡散、保障措置など。 1929年(昭和4年)、父今井文平(元大倉鉱業、元大倉商事会長)、母信子(または信、小坂善之助五女)の五男として東京に生まれる。兄に今井兼一郎(元日本機械学会会長)がある。元外務大臣小坂善太郎、元運輸大臣小坂徳三郎兄弟らは従兄弟にあたる。 少年時代、エドウィン・O・ライシャワー夫人から英語を習った。 旧制東京府立高等学校から、1952年東京大学理学部数学科卒、ガリオア資金で米国留学し、フレッチャー法律外交大学院(M.A)および1956年ハーバード大学大学院国際関係学修士(A.M)。
橋本 尚(はしもと たかし、1929年1月29日 - 199… 橋本 尚(はしもと たかし、1929年1月29日 - 1999年)は、日本の電気技術者、文筆家。技術コンサルタント。 大阪府堺市出身。1948年大阪工業専門学校電気科(現大阪府立大学)卒、1961年近畿大学理工学部電気工学科卒。 長男の橋本岳(たけし、1961年生)は電気工学者、静岡大学教授[要出典]。次男の橋本均(ひとし)は薬学研究者、大阪大学教授 [要出典]。
末 和海(すえ かずみ、1929年 - 2024年6月3日[… 末 和海(すえ かずみ、1929年 - 2024年6月3日[要出典])は日本の時計技術者である。大阪府堺市出身。
朝倉 昭(あさくら あきら、1928年11月13日 - 20… 朝倉 昭(あさくら あきら、1928年11月13日 - 2020年12月7日)は、日本の技術者、実業家。オーディオ部品メーカー品川無線の創業者。Audio Engineering Society(英語版) (AES) 日本支部の創始者でもあり、2004年にAES Fellow Memberに承認され翌2005年の The 2005 AES in Barcelona において Fellowship受賞。アマチュア無線家。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
片方 善治(かたがた ぜんじ、1928年3月9日 - )は、… 片方 善治(かたがた ぜんじ、1928年3月9日 - )は、日本の電気技術者、電気通信学者、システム工学者、文筆家、翻訳家。成安造形大学名誉教授。 情報文化学会会長、名誉会長。高崎商科大学客員教授、金城学院大学特任教授、日本DEVNET協会会長。 専門の電気通信以外にも、ビジネス書、子供向け、伝記、英語、酒、話し方、仏教などについて多くの一般向け著作をなしている。 書道の雅号は片方 大幹。 岩手県北上市生まれ。 カーネギーメロン大学卒業後、同大学院電子工学専攻修士課程修了、コロンビア大学大学院通信システム工学専攻修士課程修了。1966年「狭帯域符号化変調方式に関する研究」で北海道大学工学博士。日本電信電話公社勤務、1960年同計画局のち、工学院大学講師、1969年助教授。
河島 喜好(かわしま きよし 1928年 - 2013年10… 河島 喜好(かわしま きよし 1928年 - 2013年10月31日)は、自動車エンジニア、実業家。元本田技研工業代表取締役社長。日本楽器製造(現ヤマハ)社長、ダイエー副社長を歴任した河島博は実弟。
加藤 祐治(かとう ゆうじ、1927年12月3日 - 201… 加藤 祐治(かとう ゆうじ、1927年12月3日 - 2016年11月21日)は、日本の技術者、模型製作者。東京都世田谷区に生まれ、株式会社関水金属の創業者であり、代表取締役会長であった。日本国内外にNゲージの鉄道模型を普及させた功労者である。 加藤祐治は1927年12月3日、東京都世田谷区で生まれた。物心ついた時からの鉄道好きで、戦後に父が経営していた加藤金属工芸社のドロップフォージング技術を生かし、当時珍しかったピボット軸受けの16番鉄道模型用の台車を発売した。加藤祐治は1949年に交通博物館で開催された鉄道模型コンクールにおいてHOゲージの車両が入賞したことがきっかけとなり実家の加藤金属(世田谷)から独立し1957年8月、東京都文京区関口水道町に鉄道模型用金属部品工場を興し、この地にちなんで関水金属彫工舎と名づけた。
大野 稔(おおの みのる、1927年〈昭和2年〉7月3日 -… 大野 稔(おおの みのる、1927年〈昭和2年〉7月3日 - )は、日本の技術者。1950年代〜70年代にかけて日立製作所にて半導体事業で活躍し、現在の集積回路の基幹技術であるMOSFETの国産化において中心的役割を果たし、日本国内におけるMOSFET(MOSトランジスタ)開発の立役者の一人として知られる。 1927年7月3日 名古屋市に生まれる。 1952年 名古屋大学工学部電気科(当時は電気工学科)卒業。その後、特別奨学生コースを終了し、工学部の助手を務める。(大学院では磁性材料の研究) 1957年 半導体の技術を探していた日立製作所の誘いに応じ入社、日立中央研究所に入所。当時からいわゆる電界効果トランジスタの可能性に着目し研究を進めていたが、当時の日本では懐疑的な見方をするものが多く、研究所の総務部長からは「せっかく入ったけれども、知り合いが所長の小さい研究所があるから」と暗に退社・転職を勧められるほどだった。
長谷川 幸男(はせがわ ゆきお、1927年(昭和2年)5月9… 長谷川 幸男(はせがわ ゆきお、1927年(昭和2年)5月9日 - 2016年(平成28年)5月23日)は、日本のロボット研究者、エンジニア。学位は、博士(工学)(早稲田大学)。同名誉教授。精工舎技術課長、能率課長、早稲田大学生産研究所助教授、同大学システム科学研究所教授を歴任。国際ロボット連盟や国際建設ロボット学会では会長を務め、産学共同の建設ロボット化プロジェクト「WASCOR」を主導した。1977年に第1回エンゲルバーガー賞を受賞し、2015年には瑞宝中綬章を受章している。 長谷川は1951年に早稲田大学理工学部工業経営学科(機械分科)を卒業し、精工舎へ入社。生産技術に携わる。1957年から1958年にかけてミシガン大学に滞在し、生産技術を研究する。
小柳 俊一(こやなぎ しゅんいち、1927年4月25日 - … 小柳 俊一(こやなぎ しゅんいち、1927年4月25日 - 2004年7月7日) は、日本の化学技術者、実業家。信越化学工業代表取締役副社長や、信越半導体代表取締役社長、電気化学協会会長などを歴任した。紫綬褒章受章。 1952年東京工業大学化学科卒業、信越化学工業入社。1961年東京工業大学工学博士。1975年全国発明表彰経済団体連合会会長発明賞受賞。1976年信越化学工業塩ビ技術研究所長。1978年信越化学工業合成技術研究所長兼任。1981年信越化学工業取締役。1984年信越化学工業常務取締役。1987年信越化学工業専務取締役、紫綬褒章受章。1990年信越化学工業代表取締役副社長。1994年電気化学協会会長。
中川 致之(なかがわ むねゆき、1927年 - )は、日本の… 中川 致之(なかがわ むねゆき、1927年 - )は、日本の農業技術者。専門分野は茶の化学分析、とくに味の研究。農学博士。静岡県出身。 旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、1953年に東京大学農学部農芸化学科を卒業。同年、静岡大学農学部助手、農林省茶業試験場化学研究室研究員、室長、場長などを歴任。この間「緑茶の滋味に関する化学的および統計学的研究」で日本食品工業学会奨励賞を受賞。1970年、農学博士号取得。1985年、退職。後、民間分析センター、株式会社エコプロ・リサーチで農産物の栄養成分の分析業務などに従事。株式会社佐藤園技術顧問、日本茶業技術協会顧問を歴任した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
鈴村 喜久男(すずむら きくお、1927年 - 1999年1… 鈴村 喜久男(すずむら きくお、1927年 - 1999年10月1日)は、日本の技術者。トヨタ自動車生産管理部生産調査室主査(部長級)、井関農機専務取締役を歴任した。旧制愛知県立工業専門学校(現・名古屋工業大学)卒業。 トヨタ在籍時、大野耐一の下でトヨタ生産方式(Toyota Production System)確立に寄与した人物の1人であり、現場で大野の理念実現を支えた。1982年よりNPS(New Production System)研究会に参画(実践委員長)し、その理念と実践を多くの会社に伝えた。 1999年10月1日、肝臓癌により死去。71歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
山中 寅文(やまなか とらふみ、1926年12月 - 200… 山中 寅文(やまなか とらふみ、1926年12月 - 2003年1月6日)は、日本の林業技術者、東京大学農学部技官。森林文化協会技術顧問。橋本龍太郎ともに、名誉森林インストラクターの称号を持つ。鹿児島県大口市生まれ。 鹿児島県大口市(伊佐市)生まれ。1944年、鹿児島県立伊佐農林高校林学科卒業。 東京大学千葉演習林で1年間の研修を経て、東京大学農学部林学科森林植物学教室文部技官に就任。 小石川植物園に長く勤め、近所に住む幸田文と親しかった。縄文杉を見せるため、彼女を背負っていったこともあるという。1976年には彼女らとともに静岡県の大谷崩れを訪れ、そのときの体験が幸田文の「崩れ」に結実した。 1987年、東京大学を定年退職。
古賀 梶夫(こが かじお、1926年(大正15年)11月18… 古賀 梶夫(こが かじお、1926年(大正15年)11月18日 - )は、日本の実業家、建築技術者。国土総合建設(現:あおみ建設)元社長。神奈川県川崎市在籍。元通産・経産官僚、政治経済評論家の古賀茂明の父。 福岡県出身。古賀要市・ユクの次男として生まれる。1945年(昭和20年)海軍経理学校(36期)、1952年(昭和27年)明治大学商学部を卒業し、同年4月鉄鉱業に入社。 1961年(昭和36年)12月退社し、ブルドーザー工事(現:青木あすなろ建設)に入社。1967年(昭和42年)9月経理部長、1968年(昭和43年)5月取締役に就任。1971年(昭和46年)2月経理部長兼電算部長、1972年(昭和47年)7月事務本部副本部長委嘱。
関本 忠弘(せきもと ただひろ、1926年11月14日 - … 関本 忠弘(せきもと ただひろ、1926年11月14日 - 2007年11月11日)は日本の実業家・技術者。位階は従三位。1980年より1998年にかけて日本電気株式会社(NEC)の社長と会長を務め、この間に日本電気を日本電信電話公社(現・NTT)に依存する〝国策企業〟から、世界中にコンピュータ、半導体、通信機などを売る総合電機メーカーに成長させた。 兵庫県神戸市生まれ。神戸市立川池小学校(現・神戸市立会下山小学校)、旧制瀧川中学校(四修)、旧制姫路高等学校理科甲類(首席)を経て、東京大学理学部物理学科を卒業。 1948年、日本電気に入社。入社後は同社の中央研究所で研究に従事し、PCM(パルス符号変換方式)の研究等を行う。
中塚 武司(なかつか たけし、1926年11月13日 - 2… 中塚 武司(なかつか たけし、1926年11月13日 - 2008年10月30日)は、日本の自動車技術者。元車体工業株式会社社長。元いすゞ自動車株式会社理事。 エンジンの設計をはじめ、制御技術、タイヤ、新素材、サスペンションなど自動車を構成するほぼ全ての技術に携わり、日本の自動車技術の発展に著しく貢献した。 日本初の空気ばね車や電子制御によるディーゼルエンジン、新素材、4輪独立懸架乗用車、4WD車、電子制御機械式自動変速機などの新技術を開発した。とりわけ、1955年に行った空気ばねの研究・開発は、後の東海道新幹線における同技術の先鞭となった。また、自動車運動の解析及び理論化に努め、さらに人間工学や環境工学、医学、生理学的観点から《人間-機械-環境系》という体系を提唱・確立すると共に、従来の“設計者”の枠を実験・研究者の司る範疇にまで拡張し、今日における“技術者”の再定義に寄与した。
木原 信敏(きはら のぶとし 1926年(大正15年)10月… 木原 信敏(きはら のぶとし 1926年(大正15年)10月14日 - 2011年(平成23年)2月13日)は、日本の技術者、実業家。元ソニー専務。元ソニー木原研究所会長。創業者井深大に見出され、ソニー創成期の基礎技術を確立させる。東京通信工業時代からのソニー創成期メンバーの一人。 東京府豊多摩郡中野町(現在の東京都中野区)生まれ。東京府立第二中(現東京都立立川高等学校)を経て早稲田大学専門部工科機械科を卒業後、1947年東京通信工業(現:ソニー)に新卒採用1期生として入社。 1950年に日本最初のテープレコーダー、1964年にビデオテープレコーダー国産第一号機やベータ方式のVTR「ベータマックス」を開発。
原 昌三(はら しょうぞう、1926年9月26日 - 201… 原 昌三(はら しょうぞう、1926年9月26日 - 2018年6月9日)は、日本の造船技術者、アマチュア無線家、馬術選手。日本アマチュア無線連盟や日本馬術連盟の会長を務めた。 岳父(妻の父)は入江相政。母方の祖父は坂本俊篤。伯父(母の兄)は坂本大造。塩野季彦は大叔父(父方の祖母の弟)。塩野宜慶は従叔父。 長崎県に生まれる。小学生(学習院初等科)の頃に鉱石ラジオを作る。そこで耳にした英語の電波について尋ねたことから、アマチュア無線の存在を知る。学習院中等科の頃に自宅からほど近い場所にアマチュア無線のアンテナを構えた民家があるのに気づき、そこを訪ねたところ、学習院高等科の先輩で、その先輩と親しくなって短波受信機も自作した。
服部 正(はっとり まこと、1926年8月7日 - 1983… 服部 正(はっとり まこと、1926年8月7日 - 1983年1月29日)は、日本の建築構造エンジニア、工学者。株式会社構造計画研究所を創業。建築物の構造計算にコンピュータを日本で初めて導入した。また、構造設計事務所を設立し、技術コンサルティングビジネスを確立し、知業のビジネス展開で活躍した人物。工学博士。 1926年8月7日、東京都港区青山にて、父和三郎、母和子の長男として生まれる。5才で父を亡くす。柳原白蓮の門下に入った母のもとで文筆力を鍛える。 港区立青南小学校卒業後、1944年に開成中学校卒業(同期に渡邉恒雄)。山梨高等工業高校を経て、1951年東京工業大学建築学科卒業。谷口忠教授の下で建築構造解析を専攻する。 卒業後は日本電信電話公社建築局に就職。
奥野 健男(おくの たけお、1926年〈大正15年〉7月25… 奥野 健男(おくの たけお、1926年〈大正15年〉7月25日-1997年〈平成9年〉11月26日)は、文芸評論家・化学技術者。多摩美術大学名誉教授。父は最高裁判事の奥野健一。
佐々木 紫郎(ささき しろう、1926年1月26日 - 20… 佐々木 紫郎(ささき しろう、1926年1月26日 - 2025年1月2日[要出典])は、日本の自動車技術者。トヨタ自動車取締役副社長や、自動車技術会会長、豊田中央研究所代表取締役を務めた。 山梨県甲府市生まれ。1949年旧制北海道大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業入社、技術部設計課配属。1969年から製品企画室主査を務め、2代目・3代目トヨタ・カローラの開発責任者などを務めた。1977年製品企画室副室長(参与)。1982年製品企画室室長。1984年常務取締役。1986年専務取締役監査改良室室長。1988年取締役副社長。1990年自動車技術会会長。1992年相談役、豊田中央研究所代表取締役。
京谷 好泰(きょうたに よしひろ、1926年1月24日 - … 京谷 好泰(きょうたに よしひろ、1926年1月24日 - )は、鉄道技術者、元日本国有鉄道浮上式鉄道技術開発推進本部長。リニアモーターカーの開発者で、リニア技術の今日的な基礎を築いた技術者、「リニアの父」。 広島県福山市生まれ。子供の頃から家族の時計をばらしてはまた組み立てたり、理科の実験に熱中した。戦時中は高校生ながら学業を休み、三井造船の艦艇電気工場で潜水艦に関する仕事に従事した。第六高等学校を経て1948年、京都大学工学部(旧制)卒業。最初は船の仕事を希望したが、母親に「船に乗ったらどこかへ行ってしまう」と泣きつかれ運輸省に入省。1年後国鉄が出来たので国鉄に移籍。戦争でやられた機関車を日本の復興のためにと徹夜で修理した。
稲川 誠一(いながわ せいいち、1925年(大正14年)10… 稲川 誠一(いながわ せいいち、1925年(大正14年)10月1日 - 2016年(平成28年)6月28日)は、日本の自動車技術者。第3代スズキ株式会社取締役会長を務めた。藍綬褒章受章。科学技術庁長官賞受賞。 1945年浜松工業専門学校(のちの静岡大学工学部)精密機械科卒業、鈴木式織機(のちのスズキ)入社。自動車技術者として、スズキ・スズライト、スズキ・キャリイ、スズキ・フロンテ360、1979年5月にモノグレード47万円の全国希望小売価格で発売し大ヒットした初代アルト(SS30型)などを開発。1964年技術部長。1970年技術サービス部長。1973年取締役技術管理部長に昇格。1979年常務取締役。
岡本 佐四郎(おかもと さしろう、1925年9月14日 - … 岡本 佐四郎(おかもと さしろう、1925年9月14日 - )は、日本の技術者、実業家。帝人代表取締役社長や、日本化学繊維協会会長を務めた。化学工学会賞技術賞受賞。 1945年桐生工業専門学校応用化学科選科修了。1948年東京工業大学高分子化学科卒業、帝国人造絹絲入社。1964年帝人三原工場ナイロン製造部次長。1965年帝人松山工場ナイロン第1製造部長。1968年帝人徳山工場副長。1969年帝人徳山工場長。1970年帝人松山工場長。1971年帝人取締役に昇格。1983年帝人代表取締役社長。ナイロンタイヤコ-ドの改良などを実現した。1969年には「ポリエステル連続重合、直接紡糸法の開発および工業化」により、化学工学会賞技術賞受賞。
手島 透(てしま とおる、1925年(大正14年)9月6日 … 手島 透(てしま とおる、1925年(大正14年)9月6日 - 2013年(平成25年)6月14日)は、日本の技術者、実業家、経営者、名誉博士、元スタンレー電気代表取締役社長。 1925年(大正14年)愛知県に生まれる。東京電機大学工学部第二部電気工学科卒業後、アイヒッツ研究所代表取締役社長、神奈川科学技術アカデミー研究顧問、公文教育研究会取締役、スタンレー電気技術研究所所長、スタンレー電気代表取締役社長を歴任。 液相式高輝度赤色LEDの開発・実用化やG.H型フルカラーLCD技術の開発・実用化の功績で知られる。 その他、大河内記念技術賞を2回受賞