里見 真三(さとみ しんぞう、1937年 - 2002年9月… 里見 真三(さとみ しんぞう、1937年 - 2002年9月15日)は、日本の編集者、ルポライター。本名:内藤厚(ないとうあつし)。 東京都世田谷区生まれ。慶應義塾大学卒。文藝春秋に入社し、グルメに関してのエッセイなどの執筆を手がける。後に岐阜女子大学観光文化学科教授を務めた。 2002年9月15日、皮膚癌のため死去。 ※下記のほか、本名の内藤厚名義で発行者として文春文庫の複数の書籍に記載されている。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
森内 俊雄(もりうち としお、1936年12月12日 - )… 森内 俊雄(もりうち としお、1936年12月12日 - )は、日本の小説家、詩人、編集者である。本名同じ。
橋本 一郎(はしもと いちろう、1936年12月1日 - )… 橋本 一郎(はしもと いちろう、1936年12月1日 - )は、日本の元編集者・文筆家。 朝日ソノラマ時代は『鉄腕アトム』『オバケのQ太郎』『エイトマン』『鉄人28号』等、多くのソノシートを企画しヒットさせた。また「サンコミックス」を立ち上げ、水木しげる、石森章太郎、桑田次郎、永島慎二、水野英子などのヒット作を多く手掛けた。 福島県郡山市出身。祖父は郡山市内に縫製工場を構え一代で財を成した。 橋本自身は同志社大学文学部に進み、1959年に卒業した。就職浪人を経て1961年、朝日ソノラマに入社する。 当時の「月刊朝日ソノラマ」は時事色が強く売り上げが低迷していた。企画を模索していた橋本はジョン・F・ケネディ(アメリカ合衆国大統領)の演説に目をつけ音盤化。
宮田 毬栄(みやた まりえ、1936年11月5日 - )は、… 宮田 毬栄(みやた まりえ、1936年11月5日 - )は、日本の編集者、文芸エッセイスト。旧姓、大木。詩人の大木惇夫の次女。北九州市立松本清張記念館館長・藤井康栄(元・文藝春秋社編集委員)は姉、俳人の大木あまりは妹。日本ペンクラブ会員。 東京府出身。馬込や荏原中延で育つ。高校時代からフランスの市民革命に関心があった宮田は早稲田大学文学部仏文科に進学した。 『週刊コウロン』を創刊するため人員が必要だった中央公論社は新聞に募集の広告を出した。宮田は試験を受け、合格した。11人が採用され、女性は宮田だけだった。このときの保証人は父の友人の金子光晴だった。1959年に早稲田大学を卒業し、中央公論社に入社した。
伊藤 正孝(いとう まさたか、1936年10月23日 - 1… 伊藤 正孝(いとう まさたか、1936年10月23日 - 1995年5月31日)は、日本のジャーナリスト、編集者。朝日ジャーナル編集長、朝日新聞編集委員。 福岡市に生まれる。福岡学芸大学附属福岡中学校、福岡県立修猷館高等学校を経て、1955年早稲田大学文学部に進学するが、中学・高校の同期で親友であった山崎拓が商学部に入学したこともあり、翌年転入。なお、2人は中学時代に同じ文芸部に所属し、山崎が部長で伊藤は副部長であった。卒業後、山崎がブリヂストンタイヤに就職したため一時同社に入社するが、1960年朝日新聞に転職。山崎との親交は終生続いた。朝日新聞では、鹿児島支局、福岡支局社会部、1969年、東京本社社会部、1970年、アフリカ特派員、1972年、東京本社政治部、1977年、ダルエスサラーム特派員、1980年、カイロ特派員などを務める。
各務 三郎(かがみ さぶろう、1936年10月20日 - 2… 各務 三郎(かがみ さぶろう、1936年10月20日 - 2025年8月27日)は、日本の海外ミステリ編集者、翻訳家、評論家、アンソロジスト。 本名は太田博(おおた ひろし)。日本推理作家協会会員。 愛知県岡崎市出身。愛知県立岡崎高等学校卒業。早稲田大学商学部在学中は歌人として知られた。歌人としての名義は太田比呂史であり、結社「未来」に参加していた。 同大学卒業後、早川書房に入社し、『ミステリマガジン』の編集に携わる。常盤新平の後を受け、1969年8月号から編集長になり、1973年6月号まで務める。その後フリーとなり、海外ミステリの翻訳(ジュニア向け多数)、評論執筆、アンソロジー編纂に携わる。 1995年に編著『チャンドラー人物事典』で、第48回日本推理作家協会賞(評論その他の部門)を受賞した。
長島 良三(ながしま りょうぞう、1936年9月16日 - … 長島 良三(ながしま りょうぞう、1936年9月16日 - 2013年10月14日)は、日本の編集者・翻訳家。フランス文学の翻訳を専門とする。 アンドレ・モーロワ、ボリス・ヴィアン、ジョルジュ・シムノン(「メグレシリーズ」)、モーリス・ルブラン(「ルパン・シリーズ」)などの翻訳で知られる。別名、北村良三(きたむら りょうぞう)。少年文芸作家クラブ会員。 編集者時代は、「ミステリマガジン」「SFマガジン」両誌の編集長を務めた。また、バベル翻訳学院講師も務めた。 東京府に生まれる。明治大学文学部仏文科卒。大学を修了後、早川書房に入社。1973年から1975年までは「ブラック・ユーモア選集」などを企画した。
竹内 修司(たけうち しゅうじ、1936年9月5日 - )は… 竹内 修司(たけうち しゅうじ、1936年9月5日 - )は、日本の元編集者・ジャーナリスト。八戸ペンクラブ顧問。 北海道函館市生まれ。1946年台湾より引揚げて父の郷里青森県弘前市和徳町へ。翌年母の郷里八戸市六日町へ移り、1955年八戸高等学校卒業(高七回生)。アルビオン英語学校一期生として中高5年間薫陶を受けた漆山終吉校長の母校でもある東京外国語大学英文学科を卒業。 1959年2月に文藝春秋新社(のちの株式会社文藝春秋)に入社。雑誌「週刊文春」月刊「文藝春秋」「文學界」の編集や、出版部で書籍編集に携わる。1977~79年「諸君!」編集長ののち、出版局長、編集局長、営業局長、総務局長、常務取締役を経て2000年6月退任。
丸山 尚(まるやま ひさし、1936年6月9日- 没年不明)… 丸山 尚(まるやま ひさし、1936年6月9日- 没年不明)は、日本の社会運動家、編集者。 長野県下高井郡富倉村(現飯山市)生まれ。1960年國學院大學文学部卒、現代評論社編集部に入り、『現代の眼』編集部をへてフリー。63年日本経営協会『NOMAプレスサービス』編集長。65年現代ジャーナリズム出版会編集長。「明日のジャーナリズムを考える会」を作る。71年日本ミニコミセンターを設立。76年住民図書館を設立、館長。住民図書館は2001年12月に廃館となり、所蔵資料は埼玉大学に引き継がれ、その後、2010年4月から立教大学共生社会研究センターに引き継がれている。 正木ひろしを人生の師、鈴木均をジャーナリズムの師として仰いでいる。
田中 和男(たなか かずお、1936年4月3日 - 2017… 田中 和男(たなか かずお、1936年4月3日 - 2017年7月8日)は、福井県出身の日本の編集者。 福井県武生市に生まれる。1955年(昭和30年)、武蔵野美術大学に入学するが学校の方針に反発し中退。その後日本文学学校で文章の基礎を学び、平凡社の雑誌『太陽』など多くの編集の仕事に携わる。 1968年(昭和43年)、自身の他にデザイナー、カメラマンらと編集プロダクション「ル・マルス」を設立し、富士ゼロックスの発行するPR誌『グラフィケーション』の編集を始める。以降、48年にわたり同誌の編集責任者を務めた。 2017年(平成29年)7月8日、大腸癌により死去。享年81歳。 美術評論家の藤枝晃雄、直木賞作家の有明夏夫とは勝山精華高等学校(現福井県立勝山南高等学校)時代の同窓。
大伴 昌司(おおとも しょうじ、1936年2月3日 - 19… 大伴 昌司(おおとも しょうじ、1936年2月3日 - 1973年1月27日)は、日本の編集者、SF研究家、映画評論家、翻訳家。別名、大伴秀司。「怪獣博士」と呼ばれた。ペンネームの「大伴」は大伴家持に、「司」は司葉子に由来。 本名は四至本豊治(ししもと とよじ、後に「よしもと」と読みを改める)。父は国際ジャーナリストの四至本八郎(ししもとはちろう)。母の四至本愛子(本名はアイ)は母権擁護運動家でコラムニスト。叔父(母の弟)にニコンの研究で名高い荒川龍彦。 四至本八郎とアイの息子として東京市本郷区の順天堂医院に生まれる。 1938年から父の任地メキシコで育ち、アステカのピラミッドや石像から大きな影響を受ける。
岡崎 満義(おかざき みつよし、1936年 - )は、日本の… 岡崎 満義(おかざき みつよし、1936年 - )は、日本の編集者・スポーツジャーナリスト・ライター。 鳥取県生まれ。1960年京都大学文学部哲学科卒、文藝春秋入社、『文藝春秋』『週刊文春』『オール読物』編集部を経て、1980年創刊の『スポーツ・グラフィック・ナンバー』初代編集長、82-84年『文藝春秋』編集長を経て、99年退職。
梅田 正己(うめだ まさき、1936年(昭和11年) - )… 梅田 正己(うめだ まさき、1936年(昭和11年) - )は、日本の著作家・書籍編集者・市民活動家。 高文研の代表、顧問を務める。 佐賀県唐津市生まれ。 1972年(昭和47年)、高文研を設立し、高文研の代表や顧問を務める。1985年(昭和60年)から1987年(昭和62年)にかけて、国家秘密法に反対する出版人の会事務局を勤める。1986年(昭和61年)以降、横浜事件・再審裁判を支援する会事務局を担当している。日本ジャーナリスト会議出版部会代表。マスコミ九条の会の呼びかけ人のひとり。 下記は、Amazonの著者紹介(1)、Amazonの著者紹介(2)に掲載されている情報を参照している。 一橋大学社会学部を卒業し、1959年(昭和34年):三省堂に入社する。
豊田 健次(とよだ けんじ、1936年 - )は、日本の編集… 豊田 健次(とよだ けんじ、1936年 - )は、日本の編集者。 東京生まれ。1964年早稲田大学文学部卒業。 1959年(昭和34年)文藝春秋社に入社し、『週刊文春』『文學界』『オール読物』編集部を経て、1976年から1979年まで『文學界』編集長、『別册文藝春秋』編集長、1979年より『オール読物』編集長、文春文庫部長、出版局長、取締役・出版総局長を経て、1999年退職。文藝春秋社友。長年、文学雑誌の編集者として直木賞受賞者との結びつきが強い。新潮社の編集者だった中根駒十郎の孫娘と結婚(『文士のたたずまい』)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
相場 一宏(あいば いっこう、または、あいば かずひろ、19… 相場 一宏(あいば いっこう、または、あいば かずひろ、1936年 - )は、囲碁ライター、編集者。 秋田県秋田市出身。1955年に僧籍に入り、駒澤大学仏教学部に入学。駒澤大学仏教学部中退。1962年に囲碁ライターに転じる。安永一の1966年の著書『囲碁百年』(全3巻、時事通信社)では、記述・編集を担当した。 囲碁ライター協会名誉会長。全日本囲碁協会元・理事。囲碁史の研究も行い、2006年4月にスタートした「囲碁史会」の運営委員。天元戦・新人王戦の観戦記者をつとめた。 1981年から1985年まで出版社・四星社も経営し、『趙治勲のかならず勝つ』『棋聖秀行の碁』『囲碁名局年鑑』『囲碁新手年鑑』などを刊行した。
篠原 直(しのはら ただし、1936年(昭和11年) - 2… 篠原 直(しのはら ただし、1936年(昭和11年) - 2001年(平成13年)12月17日)は、日本の編集者、出版人。ごま書房共同創業者・元代表取締役社長。静岡市出身。 1936年(昭和11年)、静岡市に生まれる。1955年(昭和30年)、静岡県立静岡高等学校卒業。1957年(昭和32年)、一橋大学社会学部入学。大学卒業後、光文社に入社。同社で編集者として実績を積み、1960年代のカッパ・ブックスを筆頭とする新書・実用書ブームの現場に携わる。 1971年(昭和46年)2月、光文社を退社。同僚の編集者であった福島茂喜と共に株式会社ごま書房を設立。設立に際して、ソニー創業者の井深大、心理学者の多湖輝、山種証券社長の山崎富治ら各界有力者からの出資および支援を取り付けた。
木津川 計(きづがわ けい、1935年10月22日 - 20… 木津川 計(きづがわ けい、1935年10月22日 - 2026年4月16日)は、日本の雑誌編集者、文化芸能評論家、コラムニスト。本名は坂本 凡夫(さかもと つねお)。 雑誌『上方芸能』を発行するかたわら、立命館大学ほかで教鞭をとったほか、演芸賞・文学賞等の審査を行った。 高知県高知市江ノ口生まれ。高知市立旭小学校・高知市立城北中学校・高知県立高知丸の内高等学校卒業。萩原遼(本名:坂本孝夫)は実弟。 20代より上方の芸能に関する執筆活動を行う。ペンネームを当初「私の主張に『気付けい』」との思いを込め、「木津 計(きづ けい)」としていたが、やがて「聞き流していただいて結構です、水のように川のように」と心境が変化し、川の字をつけて「木津川 計」と改めたという。
安江 良介(やすえ りょうすけ、1935年8月26日 - 1… 安江 良介(やすえ りょうすけ、1935年8月26日 - 1998年1月6日)は、日本の編集者、出版人。岩波書店社長。 石川県金沢市の東山出身。実家は金箔職人。石川県立金沢桜丘高等学校卒。1958年金沢大学法文学部法学科卒業、岩波書店へ入社。「世界」編集部を経て、1967年から1970年まで美濃部亮吉東京都知事の特別秘書を務めた。1971年「世界」編集部へ戻り、翌年(1972年)から1988年まで編集長を務める傍ら、1984年に取締役、1988年に常務取締役となる。1990年に、岩波書店4代目社長に就任する。1997年に病に倒れ、相談役へ退く。 この間、左派のいわゆる進歩的知識人に対して、陰に陽にサポートし続けた。
倉島 節尚(くらしま ときひさ、1935年5月5日 - 20… 倉島 節尚(くらしま ときひさ、1935年5月5日 - 2020年4月)は、日本の国語辞典編集者。三省堂において国語辞典、古語辞典の編集を担当し、『大辞林』初版刊行時の編集長として知られる。三浦しをんの小説『舟を編む』の主人公のモデルの1人ともいわれる。大正大学教授、国立国語研究所「外来語」委員会の委員も務めた。 1935年現在の長野県佐久市に生まれる。 1959年に東京大学文学部国語国文学科を卒業し、三省堂に入社、新人研修後三省堂編修所に配属される。初めての担当は、1962年に刊行された『明解古語辞典』新版のための改訂作業。その後、当時書名の決まっていなかった辞典、企画番号#231(後の『大辞林』)の編集担当となる。
内田 勝(うちだ まさる、1935年4月22日 - 2008… 内田 勝(うちだ まさる、1935年4月22日 - 2008年5月30日)は、日本の雑誌編集者。北海道生まれ。 講談社発行の漫画雑誌『週刊少年マガジン』第3代編集長。 1935年北海道に出生し、小学6年生から埼玉県越生町へ転居する。地元の小中学校を卒業後、川越高校を経て東京教育大学へ入学する。在学中に結核を患い、1年間休学した。1959年に講談社を受験し、一度は身体検査で不合格となったが、大学の主任教授梅根悟の推薦状で入社を許された。 『週刊少年マガジン』には創刊時から携わり、1965年に第3代編集長に就任する。怪獣ものの企画で同誌の売上を伸ばし、30万部だった発行部数を1年で50万部に増大させた。
坂本 忠雄(さかもと ただお、1935年4月15日 - 20… 坂本 忠雄(さかもと ただお、1935年4月15日 - 2022年1月29日)は、日本の編集者。 月刊文芸誌『新潮』編集長を長年務めた。三田文学新人賞選考委員、開高健記念会会長。こども読書推進賞表彰選考委員。山口県下関市生まれ。
馬場 璋造(ばば しょうぞう、1935年2月13日 - 20… 馬場 璋造(ばば しょうぞう、1935年2月13日 - 2021年12月20日)は、日本の建築評論家、建築批評家、建築史家、編集者、建築ジャーナリスト。 1935年埼玉県川越市生まれ。1957年早稲田大学建築学科卒。1959年早稲田大学経済学科卒、新建築社入社。1972年新建築社取締役編集長。1989年から「高松宮殿下記念世界文化賞」建築部門の選考委員を務めた。1990年建築情報システム研究所設立。1992年日本建築学会理事。1995年日本文化デザイン会議福岡議長。2002年日本建築学会賞業績賞受賞。 コンペのプロフェッショナル・アドバイザー、さいたまスキップ・シティ技術提案競技審査委員長、中国仏山市スポーツセンター国際指名設計競技審査員、ブリーゼタワー国際指名設計競技審査員等を歴任。
亀井 淳(かめい じゅん、1935年(昭和10年)1月12日… 亀井 淳(かめい じゅん、1935年(昭和10年)1月12日 - 2009年(平成21年)5月10日)は、日本のジャーナリスト、編集者。『週刊新潮』編集部次長、日本ジャーナリスト専門学校専任教員を務めた。 東京都出身。鳥取県人・亀井常蔵の長男。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。1957年4月、新潮社に入社。同期に江國滋がいた。 『週刊新潮』編集部には21年在籍し、同誌編集部次長を経て、1978年に退社。フリーとなり、日本ジャーナリスト専門学校専任教員を務めた。 2009年5月10日23時20分、肺癌のため東京都新宿区の病院で死去。74歳没。 週刊新潮編集部次長の経験を活かしたマスコミ・ジャーナリズムに関する評論のほか、三宅島や沖縄における自衛隊・米軍基地問題の取材・報告を主たる活動テーマとした。
塙 嘉彦(はなわ よしひこ、1935年1月10日 - 198… 塙 嘉彦(はなわ よしひこ、1935年1月10日 - 1980年1月25日)は、日本の編集者。
大坪 直行(おおつぼ なおゆき、1935年1月 - )は、日… 大坪 直行(おおつぼ なおゆき、1935年1月 - )は、日本の編集者、実業家。宝石社の編集者を経て、1972年に霊友会をスポンサーとする雑誌『いんなあとりっぷ』を創刊した。 東京生まれ。父は本郷坂下町(現・文京区千駄木3丁目)時代の講談社の向かいで郵便局を営み、野間清治の家に出入りしていた。 早稲田大学大学院在学中、講談社学芸部でアルバイトしたのち、1958年、江戸川乱歩のスカウトで宝石社に入社。雑誌『宝石』の編集に従事し、主に日本人作家を担当する。 1959年6月、宝石社は『Alfred Hitchcock's Mystery Magazine』の日本版である『ヒッチコック・マガジン』を創刊した(8月号)。
横井 忠夫(よこい ただお、1935年 - )は、日本の書籍… 横井 忠夫(よこい ただお、1935年 - )は、日本の書籍編集者。文筆家。 愛知県生まれ。東京大学法学部卒業。日本評論社に勤務、主に書籍の編集に携わる。94年退職。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
白川 充(しらかわ みつる、1935年 - 2019年3月)… 白川 充(しらかわ みつる、1935年 - 2019年3月)は、日本の著作家、講談社の元編集者。日本推理作家協会会員。 現代風俗研究会、雑学倶楽部、書皮友好協会各会員。雑学倶楽部・日本顔学会・にんげん史研究会の各会員。別名に朝海猛。 東京都出身。明治学院大学英文学科卒業。講談社で週刊誌、月刊誌、文芸書、文庫の編集に携わり、講談社文庫出版部長で退職。在職中に、ベトナムに平和を!市民連合の創設メンバーであり、また梶山季之、船戸与一、志水辰夫などを担当。文庫編集部時代は「大衆文学館」シリーズを創設した。 2008年、著書『昭和平成ニッポン性風俗史』で雑学倶楽部主催の、第26回雑学出版賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
市川 一雄(いちかわ かずお、1935年 - 2019年4月… 市川 一雄(いちかわ かずお、1935年 - 2019年4月17日)は、日本の作家、編集者。 長野県下諏訪町出身。長野県諏訪清陵高等学校卒。地域紙「湖国新聞」編集長を経て、編集工房「草原社」(現「あざみ書房」)を設立し、地方文献を出版。 文芸誌『窓』編集発行人。自身の著書も多数。 「諏訪こぶしの会」(新田次郎顕彰会)会長、「ふるさとの製糸を考える会」副会長、諏訪市文化財専門審議委員、下諏訪町文化財専門委員等、多数の役職を務めた。 霧ヶ峰 ビーナスライン建設にあたり、新田次郎、藤森栄一らと共に反対運動(霧ヶ峰八島線事件)に取組み(1967~)、当初の八島ケ原湿原や旧御射山遺跡を通る計画を回避させた。
水口 義朗(みずぐち よしろう、1934年9月6日 - )は… 水口 義朗(みずぐち よしろう、1934年9月6日 - )は、編集者、ジャーナリスト、テレビ司会者である。 東京出身。早稲田大学第一文学部、大学院文学研究科ドイツ文学専攻科修士課程修了。 1959年に中央公論社入社。『中央公論』副編集長、『婦人公論』編集長などを務めた。 1986年4月~1994年3月、テレビ朝日系ワイドショー『こんにちは2時』(朝日放送など一部地域を除く)の司会者。 1994年、「婦人公論」編集長・主幹に再任。 大正大学「ジャーナリズム論」講師。サイバー大学客員教授(言論・表現の不自由-文学作品を中心に-)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
田中 知己(たなか ともみ、1934年7月7日 - 2015… 田中 知己(たなか ともみ、1934年7月7日 - 2015年10月21日)は東京都出身のテレビディレクター、テレビプロデューサー兼鉄道雑誌編集会社社長およびその編集者。早稲田大学卒業。 1957年日本テレビ入社。1959年にドラマ「恋人」でデビュー後、愛の劇場、日産スター劇場、サスペンス劇場といった連続ドラマ枠を担当。その後も「気になる嫁さん」、「ほおずきの唄」、「オレの愛妻物語」などのドラマや、「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」といったバラエティー番組の演出も手掛けた。1989年に日本テレビを退社しフリーとなった。 その後は鉄道月刊誌「鉄道ピクトリアル」を発行する電気車研究会に転職し同社の社長を務め、その後会長を務めた。
藤井 康栄(ふじい やすえ、女性、1934年〈昭和9年〉 -… 藤井 康栄(ふじい やすえ、女性、1934年〈昭和9年〉 - )は、日本の編集者・昭和史研究家。北九州市立松本清張記念館名誉館長。旧姓大木。父は詩人の大木惇夫。編集者・文芸エッセイストの宮田毬栄は次妹、俳人の大木あまりは末妹。夫は歴史家の藤井忠俊。 小説家の松本清張の作家生活約40年の内の約30年間を担当編集者として務め、『昭和史発掘』『二・二六事件 = 研究資料』などの資料収集に奔走し、『松本清張全集』にも携わった。松本清張記念館設立後は館長および名誉館長として、清張に関する講演、企画展などでも大きな働きを見せている。 東京府出身。東京都立三田高等学校を経て、早稲田大学文学部史学科で大正デモクラシーなどの近代史を専攻する。
伊藤 寿男(いとう としお、1934年 - )は日本の企業経… 伊藤 寿男(いとう としお、1934年 - )は日本の企業経営者、編集者。元『週刊現代』編集長。元『フライデー』創刊編集長。月刊テーミス編集主幹。 1934年(昭和9年)、静岡県榛原郡相良町(現・牧之原市)に誕生し、1958年(昭和33年)、早稲田大学卒業後、講談社に入社する。『月刊現代』編集長、『週刊現代』編集長を経て学芸図書第二出版部長、再び『週刊現代』編集長を務めた後、取締役第一編集局長に就任し、1984年に『フライデー』創刊編集長を兼務する。また、この間には日本雑誌協会の編集委員会副委員長はじめ、取材委員長、雑誌記者会幹事長を歴任する。 1988年(昭和63年)に同社を退社し、株式会社テーミスを創業、代表取締役社長兼編集主幹となる。
東福 洋(とうふく ひろし、1934年 - 2008年9月1… 東福 洋(とうふく ひろし、1934年 - 2008年9月17日)は、雑誌編集者、実業家。地元である函館市を中心に、北海道にまつわる書籍・雑誌を出版した。 幼少期は、地方回りで家にあまりおらず、母も家業で忙しく、祖父母と過ごす時間が多かった。函館西高校から明治大学文学部卒。父に大学進学に反対され、学生時代はアルバイトに明け暮れていたが、女子高校の教師をしていた伯母が学費を援助してくれていた。東京で編集社に入社し、料理の雑誌編集に携わり、編集長を10年ほど務めた。その後、50歳ころ、函館に戻り、当時、函館唯一の出版社である1986年2月に幻洋社を設立。設立してから数年後、ラジオ番組で「地方の生きのいい、ぴちぴちとしたテーマをもとに、いい本づくりが私たちの手で生まれてもいい」と意気込みを語っていた。
徳島 高義(とくしま たかよし、1934年 -2020年6月… 徳島 高義(とくしま たかよし、1934年 -2020年6月6日)は千葉県出身の文芸編集者。 銚子市生まれ。銚子市立銚子高等学校を経て千葉大学文理学部を卒業。1958年、講談社入社。同年、大久保房男編集長時代の『群像』編集部に入り、以後15年間、野間宏、武田泰淳、椎名麟三、中村真一郎、梅崎春生、大岡昇平、三島由紀夫、長谷川四郎、島尾敏雄、小島信夫、藤枝静男、安岡章太郎、庄野潤三、吉行淳之介、大江健三郎、佐々木基一、江藤淳、丸谷才一、小川国夫、川村二郎などを担当。1971年から1973年まで『群像』編集長を務め、大岡昇平、庄野潤三、大江健三郎、阿部昭の新連載を開始。1973年から1981年まで文芸第三出版部(後の翻訳出版部)に在籍。
石和 鷹(いさわ たか、1933年11月6日 - 1997年… 石和 鷹(いさわ たか、1933年11月6日 - 1997年4月22日)は、日本の小説家、編集者。本名は水城 顕(みずしろ あきら)。 埼玉県生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒。大学在学中から『早稲田文学』に小説を書き、後藤明生や森内俊雄の仲間だった。卒業後の1958年に集英社に入社、1972年『週刊プレイボーイ』編集長、1976年より85年まで文芸雑誌『すばる』の編集長を務め、石川淳の担当として『狂風記』『江戸文学掌記』などの晩年の代表作の執筆に貢献した。 編集者時代に深沢七郎と交流し、深沢の小説「秘戯」にやはり当時編集者だった嵐山光三郎とともに「水代(みずしろ)」という名前で登場する。 編集者としての活動の傍ら執筆を行い、1985年「掌の護符」(『早稲田文学』)で芥川賞候補、続いて「果つる日」で同候補、89年『野分酒場』で泉鏡花文学賞、95年『クルー』で芸術選奨文部大臣賞、97年『地獄は一定すみかぞかし』で伊藤整文学賞を受賞した。
杉山 正樹(すぎやま せいじゅ 1933年11月 - 200… 杉山 正樹(すぎやま せいじゅ 1933年11月 - 2009年1月16日)は東京府出身の文芸評論家、編集者。本名読みは、まさき。
大村 彦次郎(おおむら ひこじろう、1933年9月27日 -… 大村 彦次郎(おおむら ひこじろう、1933年9月27日 - 2019年8月30日)は、日本の編集者、文芸評論家。東京府出身。 東京市茅場町生まれ。日本橋区に育つ。1952年、早稲田大学政治経済学部入学。『早稲田学報』編集部で記者を経験。編集部の1年先輩に高井有一、1年後輩に長部日出雄がいた。文学部国文科に学士入学し、1959年に卒業し、学部長だった谷崎精二の紹介で講談社に入社。 『婦人倶楽部』編集部から出発し、『小説現代』編集長(1969年 - )、『群像』編集長(1973年 - )。同社文芸出版部長、1980年から文芸局長、1983年から取締役文芸局長を歴任。1991年退職。 在社中は、野坂昭如、井上ひさし、長部日出雄、村上龍、村上春樹などを文壇デビューさせ、池波正太郎『仕掛人・藤枝梅安』、笹沢左保『木枯し紋次郎』などを企画し成功させた。
寺田 博(てらだ ひろし、1933年7月11日 - 2010… 寺田 博(てらだ ひろし、1933年7月11日 - 2010年3月5日)は、日本の編集者、文芸評論家。 長崎県に生まれる。早稲田大学教育学部卒業。1961年、河出書房新社に入社。1962年に復刊された『文藝』の編集者として井伏鱒二や瀬戸内晴美などを担当。編集長に就いた。また容貌が丸谷才一に酷似していることを丸谷から随筆の材料にされた。 1979年、作品社設立に参加し、翌年文藝雑誌『作品』を創刊。編集長に就任したが、7号で休刊となる。 1981年、福武書店(現ベネッセコーポレーション)に入社し、『海燕』創刊編集長、取締役出版事業本部長を歴任。1994年退職。時代小説案内を刊行し、回想記を著述していた。
川仁宏(かわに ひろし、昭和8年(1933年)6月19日 -… 川仁宏(かわに ひろし、昭和8年(1933年)6月19日 - 平成15年(2003年)2月5日 )は、編集者、思想家、パフォーマンスアーティスト。 東京都新宿区に生まれ、慶應義塾大学仏文科卒。 1950年代から、政治的な公然、非公然なものまで多種多様な活動に参加する傍ら、前衛パフォーマンスを実践した。中でも中西夏之、高松次郎らと共に行った「山手線事件(電車内での攪拌)」というハプニングは後のハイレッド・センターへと繋がるプレ・イヴェントとして名高い。
岩瀬 順三(いわせ じゅんぞう、1933年〈昭和8年〉5月1… 岩瀬 順三(いわせ じゅんぞう、1933年〈昭和8年〉5月19日 - 1986年〈昭和61年〉5月18日)は、日本の編集者、KKベストセラーズ・ワニマガジン社・ワニブックスの創業者。戦後を代表する名編集者の一人で、"出版界の歴代鬼才ナンバーワン"とも言われた出版事業家。 広島県尾道市三軒家町出身。野坂昭如は「尾道を代表する二大文化人、大が石堂淑郎で、小が岩瀬。ともにややこしい心根の持主」と話していた。1958年立教大学英米文学科卒業。講談社は不合格となり、バーテンダーなどの仕事をする。当時はヒロポン中毒に悩まされていたという。1961年、28歳で食品業界の業界紙・光琳書院に入社。翌1962年、60年安保闘争の総括で知られる清水幾太郎の紹介で青春出版社に入社。
島崎 博(しまざき ひろし、1933年3月 - 2022年6… 島崎 博(しまざき ひろし、1933年3月 - 2022年6月19日)は、台湾生まれの編集者、評論家、書誌研究者。本名は傅金泉(ふ きんせん、フー ジンチュアン)。1979年まで日本で活動し、その後は2010年現在まで台湾(中華民国)在住。台湾での筆名は傅博(ふはく、フーボー)。傳博(伝博)と書かれることがあるが、誤り。 1955年に来日。日本では、『定本 三島由紀夫書誌』(三島瑤子と共編、1971年・1972年)を始めとする書誌作りや、探偵小説専門誌『幻影城』(1975年 - 1979年)の編集長を務めたことで知られる。 1979年に台湾に戻った後は、1984年の『推理雑誌』の創刊や、「日本十大推理名著全集」(序文と解説を執筆、1987年)などの刊行により台湾の第1次推理小説ブームを牽引した。
島村 力(しまむら つとむ、1933年1月26日 - )は、… 島村 力(しまむら つとむ、1933年1月26日 - )は、日本の編集者、評論家、翻訳家。 1957年東京大学教養学部教養学科卒業。中央公論社入社後『中央公論』編集長を経て、1973年退社。拓殖大学海外事情研究所客員教授、評論家。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
谷口 尚規(たにぐち なおき 1933年 - )は日本の著作… 谷口 尚規(たにぐち なおき 1933年 - )は日本の著作家、編集者。 東京に生まれる。東京大学文学部卒業後、昭和55年、光文社に入社。 以後、児童雑誌の編集にたずさわる。雑誌『少年』編集長となる。その後、「EQ」「SF宝石」編集長などをつとめた。 石川球太との共著『冒険手帳―火のおこし方から、イカダの組み方まで』は冒険ガイドブックの走りであり、ボーイスカウト少年達に読まれた。2005年に光文社知恵の森文庫で復刻されている。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
猪狩 誠也(いかり せいや、1933年 - 2018年4月2… 猪狩 誠也(いかり せいや、1933年 - 2018年4月23日)は、日本の編集者、広報学研究者、東京経済大学名誉教授、日本広報協会広報アドバイザー。「広報論の研究に早くから取り組まれた先駆者の一人」、「日本における広報を草創期から理論的・実践的に主導」した人物と評されている。 1953年に早稲田大学第一商学部に入学し、1957年に卒業してダイヤモンド社に入社し、経営関係の書籍編集や、翻訳業務などに従事する。その中で、アメリカ合衆国から導入が図られていたパブリック・コミュニケーション論に触れ、広報論の研究に取り組むようになり、南博、石川弘義らと知り合って、社会心理研究所に関わる。 1970年から1971年にかけて月刊誌『近代経営』編集長を務め、次いで1971年から1973年まで出版局長となり、次いでダイヤモンド・ビッグ社取締役となったが、病気のために1977年に退任した。
山田 彦彌(やまだ ひこや、1932年11月16日 - 19… 山田 彦彌(やまだ ひこや、1932年11月16日 - 1999年10月31日)は、日本の編集者。週刊新潮編集長、新潮社常務取締役。
佐藤 重臣(さとう しげちか、1932年9月2日 - 198… 佐藤 重臣(さとう しげちか、1932年9月2日 - 1988年2月27日)は、日本の映画雑誌編集者、映画評論家、映画コレクター、映画上映活動家である。「アングラのジューシン」と呼ばれた。
高田 宏(たかだ ひろし、1932年8月24日 - 2015… 高田 宏(たかだ ひろし、1932年8月24日 - 2015年11月24日)は、日本の編集者・作家・随筆家。多くの著書がある。 京都市出身で石川県加賀市育ち。石川県立大聖寺高等学校、京都大学文学部仏文学科卒業。 1955年に光文社に入社し雑誌『少女』の編集者となる。のち雑誌『マイホーム』の創刊に関わる。1962年にアジア経済研究所入社して雑誌『アジア経済』の編集長となる。 1963年エッソ・スタンダード石油(現・ENEOS)PR課に入社。 1964年からPR誌『エナジー』を編集者として創刊して、11年間、編集者をつとめる。大学時代の友人の小松左京や、梅棹忠夫などの京大人文研のメンバーに多く執筆を依頼し、PR誌を越えた雑誌として評価された。
中村 とうよう(なかむら とうよう、本名:中村 東洋、193… 中村 とうよう(なかむら とうよう、本名:中村 東洋、1932年〈昭和7年〉7月17日 - 2011年〈平成23年〉7月21日)は、日本の音楽評論家、編集者。 株式会社ミュージック・マガジンの元・取締役会長、代表取締役。「中村とうよう事務所」代表。武蔵野美術大学客員研究員。 ジャズ、ロック、フォークなどのポピュラー・ミュージックから、ワールド・ミュージック、国内・海外のルーツ・ミュージックまで、幅広く守備範囲とする評論家であり、また、多数のレコード、CDの企画・紹介を行っていた。 2005年、趣味である、音楽関係を中心としたさまざまなジャンルの骨董収集コレクションの内容を本にまとめ、『中村とうようの収集百珍』として刊行した。
伊藤 文學(いとう ぶんがく、英: Bungaku Ito,… 伊藤 文學(いとう ぶんがく、英: Bungaku Ito, 1932年3月19日 - )は、日本の実業家、雑誌編集者、作家、歌人。 日本初の商業ベースの同性愛雑誌『薔薇族』創刊者・編集長。第二書房代表取締役社長、ロマンの泉美術館館長。 男性同性愛者のためのゲイ雑誌刊行により、全国の書店に置くことで「同性愛者の存在を可視化」させ、社会的少数者は「自分だけではない」と明確に分かるようになる。雑誌の投稿欄、読者座談会やカフェ開業など交流の場を設け、コミュニティ作りに尽力。「薔薇族」「百合族」を命名。『薔薇族』編集長を40年間務めた。 東京府に生まれる。荏原小学校代沢分教場(世田谷区立代沢小学校)、世田谷中学校・高等学校を経て、駒澤大学文学部国文科を卒業。
柳田 邦夫(やなぎだ くにお、1932年3月7日 - 198… 柳田 邦夫(やなぎだ くにお、1932年3月7日 - 1988年3月1日)は、日本の編集者・ジャーナリスト。筆名に小川晴夏(春香)、小原壮八。日本ジャーナリストクラブ会員。 鹿児島県鹿児島市出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)、ラ・サール高等学校卒業。1959年、学習院大学政経学部政治学科卒業。大学時代には囲碁部に所属し、のちに囲碁アマ四段、将棋アマ二段となる。 中央公論社に入社。「中央公論」「週刊公論」「暮しの設計」「経営問題」「小説中央公論」の雑誌編集に携わったあと、1962年「思想の科学」天皇制特集号事件で労組委員長として闘争し。1972年に退職。のちフリーのジャーナリスト、編集者として活躍した。