森田 武(もりた たけし、1913年 - 1994年9月28… 森田 武(もりた たけし、1913年 - 1994年9月28日)は、日本の国語学者、広島大学名誉教授。 1934年、広島高等師範学校卒業。1936年、広島文理科大学文学科卒業。朝鮮総督府大邱師範学校、広島高等師範学校教諭を経て、広島大学皆実分校教授に就任。広島大学教養部、広島大学総合科学部の教授を歴任した。1961年「長崎版日葡辞書の研究」で広島大文学博士。1976年、定年退職、名誉教授、安田女子大学教授。
河野 六郎(こうの ろくろう、1912年12月16日 - 1… 河野 六郎(こうの ろくろう、1912年12月16日 - 1998年10月7日)は、日本の言語学者。文学博士(東京大学、1962年)。東京教育大学名誉教授。専門は朝鮮語・中国語。 1912年、兵庫県神戸市生まれ。第一高等学校を経て、1937年(昭和12年)東京帝国大学言語学科卒業。 1940年(昭和15年)小倉進平の推薦を受け京城帝国大学助手に就任。1941年(昭和16年)同大講師。1942年(昭和17年)同大助教授。 第二次世界大戦後、1958年より東京教育大学言語学教室教授。1962年、「朝鮮漢字音の研究」を東京大学に提出して文学博士号を取得。1976年、東京教育大学定年退官後に大東文化大学教授に就いた(1983年まで)。
佐藤 喜代治(さとう きよじ、1912年9月19日 - 20… 佐藤 喜代治(さとう きよじ、1912年9月19日 - 2003年5月7日)は、日本の国語学者。東北大学名誉教授。 宮城県宮城郡根白石村(現・仙台市泉区)に生まれる。 第二高等学校卒、1935年東北帝國大學法文学部国語学科卒業。山田孝雄に師事。1938年満洲・建国大学助教授、1942年神宮皇學館大學助教授、1948年東北大学法文学部助教授、1949年文学部助教授、1951年教授、1962年「日本文章史の研究」で文学博士の学位を取得、1964年から翌年ミシガン大学へ出張。1967年文学部長、1976年定年退官、名誉教授、聖和学園短期大学教授、1977年から1989年フェリス女学院大学客員教授。1984年勲二等旭日重光章叙勲。
森岡 健二(もりおか けんじ、1912年〈大正元年〉6月11… 森岡 健二(もりおか けんじ、1912年〈大正元年〉6月11日 - 2008年〈平成20年〉3月27日)は、日本の国語学者、上智大学名誉教授。 宮城県栗原郡生まれ。教員だった父の転勤で山形県、佐賀県に移り、佐賀高等学校を経て、1940年東京帝国大学国語国文学科卒。大学院に進むが、兵役のため1945年に退学。満洲勤務を経て1946年に広島高等学校教授、1949年に国立国語研究所所員、1953年に東京女子大学助教授、1958年に同教授。1970年に上智大学教授、1988年に定年退職、名誉教授。学外では、国語審議会委員をたびたび務めた。 兄は岡山大学教授・森岡常夫。 近代語の成立に関して、英華辞典や英和辞典における訳語を方法の変遷から調査し、それを中村正直や西周などの翻訳や聖書和訳と対照することで、それぞれの果たした役割を明らかにした。
亀井 孝(かめい たかし、1912年6月3日 - 1995年… 亀井 孝(かめい たかし、1912年6月3日 - 1995年1月7日)は、日本の国語学者、言語学者。一橋大学名誉教授。 東京府生まれ。ユーラシア史学者・亀井高孝の長男。哲学者・亀井裕は弟 慶應義塾幼稚舎、武蔵高等学校 (旧制)を経て、1935年東京帝国大学文学部卒業。1938年同大学大学院を中退し、同大助手に就任。東京商科大学(のちの一橋大学)予科非常勤講師、同教授を経て、戦後、一橋大学助教授を経て教授。1977年定年退官し、名誉教授になる。成城大学教授、1984年に東洋文庫研究員となる。 「国語学よ、死して生れよ」をテーゼとし、方法論それ自体に対する手厳しい批判精神に満ちていた。いわば「学問の在り方を問う立場の飽くなき提示」という知的運動こそが、亀井の学問の真骨頂であった。
徳永 康元(とくなが やすもと、1912年4月2日 - 20… 徳永 康元(とくなが やすもと、1912年4月2日 - 2003年4月5日)は、日本の言語学者、ハンガリー文学者。 東京府豊多摩郡大久保町字百人町(後の東京都新宿区百人町)に生まれ育つ。父徳永重康は東大動物学科出身の古生物学者・地質学者で理学博士・工学博士、早稲田大学教授、東大地質学教室非常勤講師。実弟の徳永重元も地質学者。徳永家は元の苗字を吉原と称し、薩摩藩士の家系だった。重康が高島鞆之助の三女と結婚した時に徳永と名乗り始め、その後離婚に至ってからも苗字はそのままになった。日本銀行初代総裁吉原重俊は父方の祖父の弟にあたる。母方の祖父柴田承桂は薬学者で東京大学教授をつとめた。 東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)から同中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を4年修了で卒業し、府立高等学校文科乙類で実吉捷郎や石川道雄に師事。
鐘ケ江 信光(かねがえ のぶみつ、1912年(大正元年)1月… 鐘ケ江 信光(かねがえ のぶみつ、1912年(大正元年)1月18日 - 2012年(平成24年)12月5日)は、日本の中国語学者。東京外国語大学名誉教授、元同大学学長。 大阪市出身。東京外国語学校支那語科卒。東京外国語大学助教授、教授、1971年4月から1975年3月まで学長、1976年(昭和51年)定年退官、名誉教授。1965年(昭和40年)から1967年(昭和42年)まで、NHKの中国語入門を担当した。2012年(平成24年)12月5日、老衰のため100歳で死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
白石 大二(しらいし だいじ、1912年〈明治45年〉1月1… 白石 大二(しらいし だいじ、1912年〈明治45年〉1月13日 - 1989年〈平成元年〉8月30日)は、日本の国語学者。文部官僚。 愛媛県今治市生まれ。1935年東京帝国大学文学部国文科卒。文部省に入り、文部省調査局国語課長。早稲田大学教育学部教授。1982年定年退任。現代仮名遣いの策定に関わり、国語行政を先導した。
大石 初太郎(おおいし はつたろう、1911年12月13日 … 大石 初太郎(おおいし はつたろう、1911年12月13日 - 2003年5月25日)は、日本の国語学者、国立国語研究所名誉所員。 静岡県出身。静岡県立掛川中学校(現在の静岡県立掛川西高等学校)を経て、1939年東京文理科大学国文科卒業。国立国語研究所所員、専修大学教授、1982年定年となり文教大学教授を務めた。現代口語を研究し、『敬語』はロングセラーとなった。 1988年、勲四等瑞宝章を受章。2003年5月25日、呼吸不全のため死去。
鈴木 棠三(すずき とうぞう、1911年12月13日 - 1… 鈴木 棠三(すずき とうぞう、1911年12月13日 - 1992年7月13日)は、日本の国文学者・国語学者。本名、鈴木 脩一(しゅういち)。 1911年、静岡県庵原郡飯田村(現清水市)に生まれる。1929年、静岡県立静岡中学校を経て、國學院大學予科に入学、在学中から柳田國男、折口信夫に師事(郷土研究会で折口信夫の講義を聴き、1929年6月ごろより柳田國男の書斎に出入りする)。1931年、國學院大學国文科入学、1934年、同大卒業。1934年4月〜1935年3月、中学校国語教科書の編集に従事。以降、柳田國男の指導により農村・漁村の民俗および口承文芸の調査に従事。1935年、國學院大學学部研究科に在籍。
島田 勇雄(しまだ いさお、1911年(明治44年)9月28… 島田 勇雄(しまだ いさお、1911年(明治44年)9月28日 - 1990年(平成2年)2月4日)は、日本の国語学者。 広島県生まれ。東京帝国大学文学部国文学科卒業。立正大学助教授の後、神戸大学文学部教授となり、1975年定年退官、名誉教授、甲南女子大学教授、1982年退職。
藤田 五郎(ふじた ごろう、1911年7月8日 - 1997… 藤田 五郎(ふじた ごろう、1911年7月8日 - 1997年1月31日)は、日本のドイツ語学者、東京外国語大学名誉教授。 東京都生まれ。1931年武蔵高等学校卒業、東京帝国大学法学部入学、1935年同文学部独文科卒業、大学院進学、副手、1936年武蔵高校教授、1938年広島高等学校教授、1942年東京外国語学校教授、東京外国語大学助教授、1956年教授、1973年定年退官、麗澤大学教授、1982年退職。
鳥居 久靖(とりい ひさやす、戸籍名 鶴美、1911年7月1… 鳥居 久靖(とりい ひさやす、戸籍名 鶴美、1911年7月1日 - 1973年7月1日)は、日本の中国語学者・中国文学者。元天理大学教授。 愛知県八名郡石巻村(現豊橋市嵩山町)の農家の二男として生まれる。1927年、県から学資補助を受けながら愛知県岡崎師範学校(現愛知教育大学)本科一部に進学。1932年、豊橋市内の学校に奉職するも、1935年、県に頼んで南満洲鉄道株式会社奉天教育研究所に出向。ここで中国語と出会い、中国語を専攻する。1939年に一時帰国し、結婚。1940年、新京(現長春市)の新京商業学校で教鞭を執る。1942年、帰国して天理外国語学校(現天理大学)教授となる。そのかたわら、立命館大学法学部に在籍し、1944年に卒業した。
長谷川 松治(はせがわ まつじ、1911年3月4日 - 19… 長谷川 松治(はせがわ まつじ、1911年3月4日 - 1998年1月28日)は、日本の言語学者、英語学者、翻訳家。 翻訳に多くの業績があり、1948年(昭和23年)ルース・ベネディクトの『菊と刀』の翻訳に携わった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
三浦 つとむ (みうら つとむ、1911年 (明治44年) … 三浦 つとむ (みうら つとむ、1911年 (明治44年) 2月15日 - 1989年 (平成元年) 10月27日) は、日本の哲学者、言語学者、マルクス主義者。弁証法を武器とし、在野の理論家として、認識論、言語論、芸術論、組織論、人生論など、幅広い分野において、活発な研究を続けた。 本名、三浦二郎。1911年、父松五郎、母志津江の次男として、東京都小石川区に生まれる。1925年、東京府立工芸学校印刷科に入学、1927年中退。1928年17歳、窪田商会に就職、その後、フィリップス日本ラジオに入社。印刷工をしていた兄の影響を受け、マルクス主義を学び始める。1933年、このころ勤めを辞め、ガリ板製版で生計を立てるようになった。
中村 通夫(なかむら みちお、1911年1月15日 - 20… 中村 通夫(なかむら みちお、1911年1月15日 - 2005年2月1日)は、日本の国語学者、中央大学名誉教授。 東京出身。1935年東京帝国大学文学部国文科卒。文部省勤務。戦後、中央大学助教授、教授。1981年、定年、名誉教授。 1953年、「『来れる』『見れる』『食べれる』などという言い方についての覚え書」(『金田一博士古稀記念言語·民俗論叢』三省堂)で、早い時期にら抜き言葉を指摘した人である。
池上 禎造(いけがみ ていぞう、1911年1月10日 - 2… 池上 禎造(いけがみ ていぞう、1911年1月10日 - 2005年12月15日)は、日本の国語学者。大阪大学名誉教授、京都大学名誉教授。 1911年(明治44年)1月10日、京都府京都市で誕生する。父は貞吉、母は満(みち)。呉服屋である「越前屋」の一人息子であった。 第三高等学校を経て、1930年(昭和5年)に京都帝国大学文学部文学科に入学。家業が傾いていたことから思うように本を買うことができなかったが、家業が倒産したことにより国語学者となる決意が固まった。1933年(昭和8年)に同国語学国文学専攻を卒業。卒業論文の題目は「上代特殊仮名遣の一考察」。 1938年(昭和13年)まで同大学院に在籍し、副手を勤めた。
宇野 精一(うの せいいち、1910年〈明治43年〉12月5… 宇野 精一(うの せいいち、1910年〈明治43年〉12月5日 - 2008年〈平成20年〉1月7日)は、日本の儒学者・中国哲学研究者・国語学者。 学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1955年)。東京大学名誉教授。尚絅大学名誉学長。國語問題協議會名誉会長。斯文会理事長、日本中国学会理事長、日本会議顧問、スパイ防止法制定促進国民会議議長、世界平和教授アカデミー常任理事、国際勝共連合代表世話人、全国勝共教授団副会長などを歴任。 1910年(明治43年)、宇野哲人の長男として東京に生まれる。1923年(大正12年)に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。1928年(昭和3年)に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。
梶木 隆一(かじき りゅういち、1910年11月10日 - … 梶木 隆一(かじき りゅういち、1910年11月10日 - 2012年5月6日)は、日本の英語学者。東京外国語大学名誉教授。 東京生まれ。東京帝国大学卒業。1955年東京外国語大学教授、1973年定年、名誉教授となり明星大学教授、駿台予備学校でも英語を教えた。語学教育研究所理事長(1980年4月~1986年3月)、大学英語教育学会会長などを歴任。大学、高校入試の英語教科書を数多く著し、受験英語に活躍、また英語の辞書も編纂した。 2012年5月6日に心不全で死去。101歳没。 この項目は、言語学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 言語学)。
江湖山 恒明(えごやま つねあき、1910年5月 - 198… 江湖山 恒明(えごやま つねあき、1910年5月 - 1989年3月13日)は、日本の国語学者。 愛媛県生まれ。旧制高知高等学校を経て、1935年東京帝国大学国文科卒。千葉高等女学校(現・千葉県立千葉女子高等学校)教師、第四高等学校教授、東京女子高等師範学校教授、お茶の水女子大学助教授、教授、1976年定年退官、名誉教授、鶴見大学教授。没後正四位。「えこやま」と濁らずに読むこともある。
岩田 一男(いわた かずお、1910年4月23日 - 197… 岩田 一男(いわた かずお、1910年4月23日 - 1977年12月7日)は、日本の英語学者、英文学者。ロバート・ルイス・スティーヴンソン研究の日本における第一人者で、スティーヴンソン・クラブの日本人唯一の会員。 横浜生まれ。祖父の岩田幸吉は中区石川町で質店を営んでいた。神奈川県立横浜第三中学校卒業。1932年(昭和7年)、東京外国語学校英語部文科卒業。横浜高等女学校(現横浜学園高等学校)教諭、小樽高等商業学校(現小樽商科大学)教授を経て、1943年(昭和18年)に東京商科大学(現一橋大学)講師、翌年に教授。1971年(昭和46年)に定年を前に退職。一橋文芸顧問を務めた。 横浜高等女学校では中島敦の同僚で、中島の「光と風と夢」に対するスティーヴンソンの手紙の影響を論じたりしている。
野上 素一(のがみ そいち、1910年1月29日 - 200… 野上 素一(のがみ そいち、1910年1月29日 - 2001年2月4日)は、日本のイタリア文学者・イタリア語学者。京都大学名誉教授。
佐久間 正(さくま ただし、1910年1月17日 - 199… 佐久間 正(さくま ただし、1910年1月17日 - 1992年9月26日)は、日本のスペイン語学者、東西交渉史学者。 東京出身。1938年中央大学法学部卒。1945年横浜市立経済専門学校講師、1949年横浜市立大学助教授、教授、1960年亜細亜大学教授、1962年清泉女子大学教授。80年定年。
魚返 善雄(おがえり よしお、1910年1月8日 - 196… 魚返 善雄(おがえり よしお、1910年1月8日 - 1966年3月27日)は、日本の言語学者、中国文学研究者。信濃憂人の別号を持つ。 1910年、大分県玖珠郡北山田村(現・玖珠町)に生まれた。1926年より上海の東亜同文書院に学ぶが、病気のため1929年に中退して帰郷。1933年に文部省検定試験に合格し、英語と支那語の教師資格を取得して東亜学校で教職に就いた。1937年より日華学会理事、NHK嘱託として北京語放送を担当。1939年より東京帝国大学(新制後は東京大学文学部)非常勤講師を27年務めた。戦時中、東京高等師範学校教授。 太平洋戦争後は東洋大学、駒澤大学、東洋大学客員教授として教鞭をとった。
上野 景福(うえの かげとみ、1910年 <明治43年> 1… 上野 景福(うえの かげとみ、1910年 <明治43年> 1月3日 - 1996年 <平成8年> 2月5日)は、日本の英語学者。東京大学・昭和女子大学名誉教授。位階は従四位。祖父は、明治期に外交官を務めた上野景範。 父は上野景明。学習院高等科を経て、1933年東京帝国大学英文科卒業、大学院入学。1935年、東京帝大副手。1939年、成城高等学校教授。1943年、陸軍大学校教授。1946年、成蹊高等学校教授。1949年、東京大学第一高等学校教授。1950年、東京大学教養学部助教授。1959年、同教授。1967年、財団法人語学教育研究所所長。1970年、東大を定年退官、名誉教授、武蔵大学人文学部教授。
北村 正司(きたむら しょうじ、1910年(明治43年) -… 北村 正司(きたむら しょうじ、1910年(明治43年) - 1989年(平成元年))は、日本の英語学者。専門は英語教育。英米文化。
田辺 正男(たなべ まさお、1909年8月28日 - 200… 田辺 正男(たなべ まさお、1909年8月28日 - 2002年4月17日)は、日本の国文学者・国語学者・教育者。学位は、文学博士(國學院大学・1961年)。國學院大学名誉教授、元国学院女子短期大学初代学長。三重県亀山市生まれ。東京都育ち。田邊正男とも表記される。 国語学者として中学校・高等学校の多くの国語教科書・古文教科書・指導要領の策定に関わった この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
大久保 忠利(おおくぼ ただとし、1909年8月28日 - … 大久保 忠利(おおくぼ ただとし、1909年8月28日 - 1990年6月1日)は、日本の言語学者・国語学者・文筆家。 神奈川県小田原市生まれ。1929年東京外国語学校卒。新聞記者、ユーモア作家、中学教師などを経て、東京都立大学教授。言語学、国語学、国語教育などについて多くの著述活動をした。
平山 輝男(ひらやま てるお、1909年8月16日 - 20… 平山 輝男(ひらやま てるお、1909年8月16日 - 2005年8月17日)は、日本の国語学者。東京都立大学名誉教授。日本音声学会第5代会長。 宮崎県北諸県郡中郷村(現:都城市)生まれ。1922年3月に中郷村尋常高等小学校を卒業。1928年3月に麻布中学校を卒業。1935年3月に國學院大學文学部国文学科卒業。1937年3月に國學院大學大学院修了。金田一京助、折口信夫に師事。 1937年4月に法政大学講師。1940年6月に東京府立高等学校教授。1949年4月に東京都立大学人文学部助教授。1957年に文学博士となった(学位論文「日本語音調の研究」)。 1962年2月に東京都立大学人文学部教授。1969年4月に東京都立大学附属図書館長。
朝倉 季雄(あさくら すえお、1909年6月29日 - 20… 朝倉 季雄(あさくら すえお、1909年6月29日 - 2001年4月11日)は、日本の文学研究者、フランス語学者・フランス文学者。 東京生まれ。1922年 東京私立暁星小学校卒業。1927年東京私立暁星中学校卒業、1931年官立東京高等学校文科丙類卒業、1934年 東京帝国大学文学部仏蘭西文学科卒業。母校・暁星小学校の教師となる。1946年日本大学三島予科教授、1949年茨城大学助教授、1953年東京大学教養学部助教授。1959年9月よりNHK教育で始まったテレビフランス語講座の講師となる(1962年まで)。1961年東大教授、1970年定年退官、中央大学経済学部教授。1987年東京大学名誉教授。
海江田 進(かいえだ すすむ、1909年〈明治42年〉5月3… 海江田 進(かいえだ すすむ、1909年〈明治42年〉5月30日 - 1984年〈昭和59年〉9月16日)は、日本の英文学・英語学者。海江田信義の子孫。 東京生まれ。1931年東京外国語学校英語科卒。1952年東京外国語大学助教授、教授、73年定年退官、名誉教授、明星大学教授。大学入試英語の教科書などを多く執筆した。
岩井 隆盛(いわい りゅうせい、1909年(明治42年)5月… 岩井 隆盛(いわい りゅうせい、1909年(明治42年)5月18日 - 1995年(平成7年)2月12日)は、日本の言語学者。金沢大学名誉教授。石川県羽咋郡押水町出身。 また、石川国語方言研究会会長(1950年-1960年)、石川県バレーボール協会顧問等を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
知里 真志保(ちり ましほ、1909年〈明治42年〉2月24… 知里 真志保(ちり ましほ、1909年〈明治42年〉2月24日 - 1961年〈昭和36年〉6月9日)は、アイヌの言語学者。文学博士。北海道大学名誉教授。専攻はアイヌ語学。姉は『アイヌ神謡集』著者の知里幸恵、伯母は口承文芸伝承者の金成マツ。 1909年2月24日、北海道幌別郡登別村(現在の登別市登別本町)で生まれた。。1929年3月、北海道庁立室蘭中学校(現在の北海道室蘭栄高等学校)を卒業し、地元の幌別役場に勤務する。その後、喜田貞吉と金田一京助が両親に大学進学を勧め、進学を決意した。 1930年、上京して東京・杉並の金田一家に逗留し、第一高等学校に150人中12番の成績で合格し入学。1933年3月に卒業。
広田 栄太郎(ひろた えいたろう、1909年(明治42年)2… 広田 栄太郎(ひろた えいたろう、1909年(明治42年)2月8日 - 1974年(昭和49年)5月23日)は、日本の国語学者。 東京生まれ。東京帝国大学卒。二松学舎教授、文部省国語調査官。国語審議会幹事、戦後の国語国字改良に当たる。のち中央大学教授、大妻女子大学教授。在職中に死去。
大岩 正仲(おおいわ まさなか、1909年1月16日 - 1… 大岩 正仲(おおいわ まさなか、1909年1月16日 - 1972年6月19日)は、日本の言語学者・国語学者。千葉大学元教授。 専門は方言学、文法学。 東京市芝区(現:港区)生まれ。東京外国語学校ドイツ語学科を経て京城帝国大学文学科卒。外国語学校卒業後にはすでに東条操のアシスタントとして平凡社『大辞典』(1933年)の方言の項目を担当。それを皮切りに『全国方言辞典』(1951年)、『分類方言辞典』(1954年)の刊行の際実質的な作業に力を注いだ。 その後、いよいよ大岩の名前で『日本方言大辞典』を編集・刊行すべく作業を進めていたが、1972年、その完成を見ずに死去。享年64。 その後徳川宗賢が大岩の遺志を受け継ぎ『日本方言大辞典』を刊行した。
藤原 与一(ふじわら よいち、1909年1月6日 - 200… 藤原 与一(ふじわら よいち、1909年1月6日 - 2007年10月23日)は、日本の言語学者・方言学者。広島大学名誉教授。愛媛県大三島(現・今治市)出身。 愛媛県越智郡大三島町肥海に生まれる。15歳で松山の愛媛県師範学校に入学、広島高等師範学校(広島文理科大学)に進学し、2年時に赴任してきた方言研究者の東条操に師事して方言学に進む。そのころより全国の方言調査を行った。東条を通して柳田国男とも交流を持った。在学中の1933年に、生家の隣にある金剛寺の梵鐘についての著作「梵鐘を鋳る」を発表、井伏鱒二はこれをなぞって連作エッセイ『釣鐘の音に関する研究』を執筆。 広島大学教授定年退官後は広島方言研究所を設立し、多数の著書を出版した。
橋本 文夫(はしもと ふみお、1909年 - 1983年)は… 橋本 文夫(はしもと ふみお、1909年 - 1983年)は、日本のドイツ語学者、中央大学名誉教授。 1934年、東京帝国大学文学部独文科卒業。戦後、中央大学教授、1980年定年退任、名誉教授。娘婿に松原秀一。
斎藤 秀一(さいとう ひでかつ、1908年12月24日 - … 斎藤 秀一(さいとう ひでかつ、1908年12月24日 - 1940年9月5日)は、日本の言語学者、僧侶。エスペランティスト、ローマ字論者。別名に森馥、鳥海昇、北島三郎、野沢愛蘭。 明治41年、山形県東田川郡山添村(現:鶴岡市櫛引地区)泉流寺の長男として生まれる。鶴岡中学(現・山形県立鶴岡南高等学校)、1931年駒澤大学文学部東洋文学科卒業。大学在学中、日本エスペラント学会、カナ文字会、秋田雨雀らのソビエトの会の会員となる。 大学卒業後、朝日村大泉小学校教員となり、大平や八久和などの分校に勤めていたが、軍国主義教育に批判的であり、児童にローマ字を教えていたことが問題視され、赤化教員の疑いで鶴岡警察署に1度目の逮捕。
平井 昌夫(ひらい まさお、1908年11月24日 - 19… 平井 昌夫(ひらい まさお、1908年11月24日 - 1996年2月11日)は、日本の国語教育学者・日本語学者。 筆名に「頼阿佐夫」(平井昌夫 Hirai Masao から Hi と M をとって Rai Asao とした)。 東京府東京市(現・東京都大田区千束)生まれ。本籍地は愛知県名古屋市。 旧制第八高等学校文科甲類を経て、1933年3月に東京帝国大学文学部哲学科を卒業。1933年4月より1929年12月まで日本のローマ字社に勤務。1926年4月から1937年2月まで東京高等商工学校高等科教授。1927年6月から1928年12月まで東京帝国大学図書館嘱託。1929年から東亜研究所嘱託、春陽堂などの嘱託をつとめる。
小川 芳男(おがわ よしお、1908年10月15日 ‐ 19… 小川 芳男(おがわ よしお、1908年10月15日 ‐ 1990年7月31日)は、日本の英語学者。東京外国語大学名誉教授。神田外語大学初代学長。日本語教育学会初代会長。 岡山県生まれ。東京外国語学校英語科卒。戦後、東京外国語大学助教授、1955年教授、1961年学長。NHKラジオ「基礎英語」を長く担当した。 1972年、中央教育審議会の委員に就任。1977年初代日本語教育学会副会長。 発音を重視した英語教授法を広めた人物として一般に知られている。英語教育においては「語学の学習は根本的には誤りをおかさせないようにすることが大切である。(中略)間違ったことは、耳にも聞かせず口にも発音させず目にも見せず手でも書かせないようにしなければならない(中略)たとえば生徒に英語を音読させる場合でも最後まで黙って聞いていてそれから強制するのではなく、間違いを犯した場合はただちにその場で矯正するようにしなければならない」という考えを一般に広めている。
有坂 秀世(ありさか ひでよ、1908年(明治41年)9月5… 有坂 秀世(ありさか ひでよ、1908年(明治41年)9月5日 - 1952年(昭和27年)3月13日)は、日本の言語学者、日本語学者。日本語の音韻史や音韻論に関して業績を遺した。上代特殊仮名遣に関する有坂の法則で知られる。 大学卒業後、矢継ぎ早に論文を出し、当時の学界の第一線に立った。しかし、その活躍は卒業後のわずか10年間のみであり、その10年もほとんどの時間を病院・診療所で過ごしている。33歳以降は論文の数は激減し、闘病の末43歳で没した。橋本進吉から、東京帝大の国語学主任教授の後任と白羽の矢を立てられながら、辞退したのも病身の故であった。 有坂が昭和5年12月に東京帝国大学へ提出した卒業論文は、言語学科主任教授の藤岡勝二教授ひとりが目にしたと思われ、現存はしないようである。
東郷 正延(とうごう まさのぶ、1908年7月13日 - 2… 東郷 正延(とうごう まさのぶ、1908年7月13日 - 2002年2月13日)は、日本のロシア語学者。 茨城県生まれ。土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)卒業。1931年東京外国語学校ロシヤ語科卒業。ソ連通商代表部、陸軍幼年学校ロシア語教官となり1945年の敗戦を迎える。1947年東京外事専門学校助教授、1949年東京外国語大学助教授、1957年教授、1971年定年退官、名誉教授。東京ロシア語学院院長。日本ロシア文学会会長。
服部 四郎(はっとり しろう、1908年〈明治41年〉5月2… 服部 四郎(はっとり しろう、1908年〈明治41年〉5月29日 - 1995年〈平成7年〉1月29日)は、日本の言語学者。東京大学名誉教授。 1908年、三重県鈴鹿郡亀山町(現・亀山市)生まれ。津中学校卒業。第一高等学校時代に読んだ安藤正次の『言語学概論』で、日本語の起源が不明であることを知り、言語学を志すようになった。 1931年、東京帝国大学文学部言語学科卒業。言語学、国語学、アイヌ語、朝鮮語、モンゴル語、満洲語、トルコ語、中国語などを、藤岡勝二、橋本進吉、金田一京助、小倉進平らに教わる。大学での同期には有坂秀世がいた。また、学部時代に、琉球(沖縄)出身の仲宗根政善をインフォーマントとして言語調査を行っている。
釘本 久春(くぎもと ひさはる、1908年4月28日 - 1… 釘本 久春(くぎもと ひさはる、1908年4月28日 - 1968年5月11日)は、日本の国語学者、国文学者。 東京出身。群馬県立男子師範学校附属小学校、旧制群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)卒業。旧制第一高等学校を経て、1932年、東京帝国大学国文科卒業。中央大学予科教授を経て、1939年9月文部省図書監修官。戦時中は石黒修などとともに大東亜共栄圏への日本語普及政策に関わっていた。戦後はGHQと連携を取りながら、西尾実とのコンビで国語改革や、国立国語研究所の創設に参与。1960年、東京外国語大学教授。在職中に死去。 一高と東大で同級生だった中島敦の親友で、パラオ南洋庁赴任の職の斡旋をし、死後の全集編纂などに尽くした。
上村 孝二(かみむら たかじ、1908年(明治41年)3月1… 上村 孝二(かみむら たかじ、1908年(明治41年)3月14日 - 1996年(平成8年)3月25日)は、日本の国語学者・方言学者。九州の方言学における重鎮だった。文学博士。鹿児島大学名誉教授。 1908年、佐賀県武雄町で出生。本籍は鹿児島県上甑村(甑島列島、現在の薩摩川内市の一部)。生後すぐ母が亡くなったこともあり、上甑村中甑の上村家の養子となった。同村の中津尋常高等小学校を経て、1925年(大正14年)に本土の鹿児島県立川内中学校 (旧制)を卒業。 旧制中学卒業後に帰郷し、上甑村の江石尋常高等小学校で1年間代用教員を務めた。その後、九州帝国大学法文学部国文学科に入学して学び、1933年3月に卒業。
宗 武志(そう たけゆき、1908年〈明治41年〉2月16日… 宗 武志(そう たけゆき、1908年〈明治41年〉2月16日 - 1985年〈昭和60年〉4月22日)は、日本の英語学者、詩人、華族。爵位は伯爵。旧姓は黒田(くろだ)。麗澤大学名誉教授。李王家徳恵翁主の夫。宗氏第37代当主。 貴族院議員、麗澤大学学監、学校法人廣池学園常務理事などを歴任した。 東京府東京市四谷区伝馬町新一丁目(現在の東京都新宿区四谷二丁目)にて、父・黒田和志(よりゆき、対馬府中藩藩主宗義和六男)、母・鏻子(れいこ、黒田直和の娘)の末子(四男)として生まれる。母の実家である黒田家は上総久留里藩の旧藩主の家柄。父和志は対馬藩の旧藩主宗重正の実弟で貴族院議員を務めていた。1934年にエチオピア帝国皇帝ハイレ・セラシエ1世の甥アラヤ・アベベ皇太子が日本人妻(貴族)を公募した際、妃候補として手を挙げた黒田雅子は武志の姪にあたる。
高津 春繁(こうづ はるしげ、1908年1月19日 - 19… 高津 春繁(こうづ はるしげ、1908年1月19日 - 1973年5月4日)は、日本の言語学者、比較言語学研究者、古代ギリシア文学研究者。学位は、文学博士(東京大学)。東京大学名誉教授。東京大学文学部教授、武蔵大学人文学部教授、人文学部長(初代)を歴任。 高津はオックスフォード留学から帰国後まもなく、東京帝国大学(東京大学)においてそれまで福島直四郎(後に改名し辻直四郎)が担当していた印欧語比較文法の講義を始めた。そしてその成果が初めて公にされたのが「印欧語母音変化と Laryngales の発見」(『言語研究』第3号、1939年)である。これは、近代言語学の祖とも言われるフェルディナン・ド・ソシュールが1878年に提唱し、当時は一般には受け入れられなかった印欧比較文法における Laryngales(喉音)理論を詳論したものである。
高部 義信(たかべ よしのぶ、1907年12月18日 - 1… 高部 義信(たかべ よしのぶ、1907年12月18日 - 1995年3月11日)は、日本の英語雑誌編集者、英語学者。 神戸市生まれ。1931年東京帝国大学法学部政治学科卒、機械輸入会社勤務、電気学校夜間部講師、1935年研究社に入り『英語研究』主筆となる。太平洋戦争では暁部隊に編入され沖縄から帰還。『英語研究』を改題した『時事英語研究』を創刊し初代編集長となる。73年退職、研究社顧問。叔父は囲碁棋士の高部道平。
山本 正秀(やまもと まさひで、1907年7月16日 - 1… 山本 正秀(やまもと まさひで、1907年7月16日 - 1980年9月6日)は、日本の国語学者・国文学者。言文一致運動の研究における根本研究を行った。 高知県生まれ。旧制高知高等学校を経て、1933年東京帝国大学文学部国文科卒。神奈川師範学校教諭、第四高等学校教授、水戸高等学校(旧制)教授、茨城大学文理学部助教授、人文学部教授、専修大学教授、1978年定年。1974年「近代文体発生の史的研究」で東大文学博士。
仲宗根政善(なかそね せいぜん、1907年4月26日-199… 仲宗根政善(なかそね せいぜん、1907年4月26日-1995年2月14日)は、日本の教育者、言語学者、琉球大学名誉教授。