江畑 謙介(えばた けんすけ、1949年3月23日 - 20… 江畑 謙介(えばた けんすけ、1949年3月23日 - 2009年10月10日)は、日本の軍事評論家。元拓殖大学海外事情研究所客員教授。 千葉県銚子市生まれ。銚子市立銚子高等学校を経て、上智大学理工学部機械工学科卒業、上智大学大学院理工学研究科機械工学専攻博士後期課程修了。 イギリスの防衛専門誌『ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー』日本特派員、通商産業省産業構造審議会「安全保障貿易管理部」臨時委員、スウェーデン・ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)客員研究員、防衛庁防衛調達適正化会議議員、内閣官房情報セキュリティ専門調査会委員、経済産業省産業構造審議会安全保障貿易管理小委員会委員、日本国際フォーラム付属「日本予防外交センター」運営委員、外務省「対外情報機能強化に関する懇談会」委員などを歴任。
萩尾 瞳(はぎお ひとみ、1949年3月13日 - )は、… 萩尾 瞳(はぎお ひとみ、1949年3月13日 - )は、映画・演劇・ミュージカル評論家。 福岡県生まれ。同志社大学文学部英文科卒業。日本映画ペンクラブ、国際演劇批評家協会会員。 1971年、西日本新聞社(編集局)入社、経済部、社会部記者歴任。1978年西日本新聞社退社、フリーの映画・演劇評論家となる。 月刊ミュージカル誌、キネマ旬報、読売新聞などに連載を持ち、読売演劇大賞選考委員の顔も持つ。2002年から2010年まで早稲田大学第二文学部非常勤講師。2012年から昭和音楽大学非常勤講師。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
加藤 薫(かとう かおる、男性、1949年(昭和24年)3月… 加藤 薫(かとう かおる、男性、1949年(昭和24年)3月11日 - 2014年4月22日)は、日本の美術研究者、評論家、神奈川大学教授。 神奈川県鎌倉市生まれ。本籍は東京都。国際基督教大学卒業、ラス・アメリカス大学大学院芸術学部修了。メキシコ国立美術研究所(IIE)研究員を経て帰国。1987年神奈川大学助教授、国際経営研究所主任研究員を経て、91年教授。
千石 英世(せんごく ひでよ、1949年3月3日 - )は、… 千石 英世(せんごく ひでよ、1949年3月3日 - )は、日本のアメリカ文学者、文芸評論家。立教大学名誉教授。 大阪府出身。1972年東京教育大学文学部アメリカ文学科卒業、1975年旧・東京都立大学大学院英文学専攻修士課程修了、同助手、1977年明治大学専任講師、1980年助教授、1981年東京都立大学英文学科助教授、1992年立教大学文学部英米文学科教授、同文芸・思想専修教授、2014年定年退任、名誉教授、京都産業大学客員教授を務めた。 1983年「ファルスの複層-小島信夫論」で第26回群像新人賞評論部門受賞(当初は筆名板倉洋を使ったが、発表時に本名に戻す)。以後、アメリカ文学の研究、特にメルヴィル『白鯨』の翻訳のほか、文藝評論でも活躍。
海江田 万里(かいえだ ばんり、1949年〈昭和24年〉2月… 海江田 万里(かいえだ ばんり、1949年〈昭和24年〉2月26日 - )は、日本の政治家、経済評論家。 衆議院副議長(第68代)、原子力経済被害担当大臣(菅直人第2次改造内閣)、経済産業大臣(第14代)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策、科学技術政策)、宇宙開発担当大臣(菅第1次改造内閣)、衆議院決算行政監視委員長、同経済産業委員長、同財務金融委員長、衆議院議員(9期)、旧立憲民主党税制調査会長(初代)、民主党代表(第10代)、民主党政策調査会長(第5代)、市民リーグ代表を歴任した。 父親の四郎は毎日新聞の記者であり、安倍晋太郎の上司であった。中華人民共和国や台湾にいたことがあり、万里の名前は万里の長城に因むことから、海江田は「中国とのかかわりは、生まれた時から」と語る。
大島 愼子(おおしま ちかこ、1949年2月20日 - )は… 大島 愼子(おおしま ちかこ、1949年2月20日 - )は、日本の広報PR専門家、教育者、評論家。研究分野はコミュニケーション戦略、航空事業、観光政策。 2023年現在は、国立大学法人筑波技術大学監事。researchmap会員ID 6000014649。 東京都港区出身。聖心女子学院幼稚園、初等科、中等科、高等科を経て早稲田大学文学部に入学。アメリカインディアナ州、デポー大学(DePauw)に交換留学後、1972年早稲田大学第一文学部文芸科卒業。 ノースウエストオリエント航空客室乗務員、ルフトハンザドイツ航空客室乗務員を経て、日本韓国地区広報室長。50歳で早稲田大学大学院アジア太平洋研究科に社会人入学経営修士取得、その後千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。
太田 述正(おおた のぶまさ、1949年2月17日 - )は… 太田 述正(おおた のぶまさ、1949年2月17日 - )は、日本の評論家。防衛庁のキャリア出身で元防衛庁長官官房防衛審議官。 経営学修士(MBA)、政治学修士(いずれもスタンフォード大学)。 三重県四日市市出身。エジプトカイロにて少年期を過ごす。モーツァルト記念音楽院に短期留学。 大臣官房で審議官まで経験した人物であるため、防衛省の内部事情を知り尽くしている。人を喰ったような性格であるため、テレビ番組などで誤解を招きやすい。[要出典]
清水 正(しみず まさし、1949年2月8日 - )は、日本… 清水 正(しみず まさし、1949年2月8日 - )は、日本の文芸批評家、元日本大学芸術学部教授。 千葉県我孫子市生まれ。日本大学芸術学部卒。「D文学通信(Д文学通信)」編集発行人。 フョードル・ドストエフスキーと宮沢賢治を中心に論じ(経歴前半は精力的にドストエフスキーを多数論じ、中半から宮沢賢治論も充実してゆく)、のち学生との共著形式で「D文学研究会」から多数の著書・編著を刊行。対象はグリム童話、つげ義春、映画、漫画など多数に及ぶ。 1991年に発行された「Д文学通信」38号、および同初出を収録した「宮崎駿を読む 母性とカオスのファンタジー」(2001年)において、映画「となりのトトロ」のサツキとメイの母(草壁靖子)は死亡しているとする自説を提唱している。
青山 南(あおやま みなみ、男性、1949年2月2日 - )… 青山 南(あおやま みなみ、男性、1949年2月2日 - )は、日本の翻訳家、エッセイスト、アメリカ文学研究者、文芸評論家、絵本作家。早稲田大学名誉教授。日本文藝家協会理事。本名、杉山茂(すぎやましげる)。 福島県福島市出身。1967年早稲田大学高等学院卒業。1971年早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。1972年、早稲田大学大学院在学中『早稲田文学』編集部に入る。 1973年、ジョン・ドス・パソスの『さらばスペイン』を刊行し翻訳家デビュー。 1975年早稲田大学大学院文学研究科アメリカ演劇専攻修士課程修了。早稲田大学文化構想学部教授、2019年定年退任、名誉教授となる。 1979年から常盤新平、川本三郎とともに編集委員として『ハッピーエンド通信』を刊行。
伊原 春樹(いはら はるき、1949年1月18日 - )は、… 伊原 春樹(いはら はるき、1949年1月18日 - )は、広島県甲奴郡上下町(現・府中市)生まれ出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 1971年から1973年の登録名は「伊原 春植」(いはら しゅんしょく)。 ニックネームは「ハル」。 6人兄弟の次男で女4人、男2人の4番目であった。 上下中学校卒業後、1964年に北川工業高校へ進学。古葉竹識の実弟である古葉福生監督の指導を受け、3年次の1966年夏の甲子園県予選では4番打者・三塁手として活躍。福山工との準決勝で本塁打を放ち決勝に進出するが、広島商の山本和行に完封を喫し、甲子園出場を逸する。 高校卒業後は1967年に芝浦工業大学へ進学し、東都大学野球リーグでは在学中2度の優勝を経験。
大角 修(おおかど おさむ、1949年 - )は、日本の仏教… 大角 修(おおかど おさむ、1949年 - )は、日本の仏教評論家。 兵庫県姫路市生まれ。筆名・菊池武夫。1968年白陵高等学校卒、1973年東北大学文学部宗教学科卒業。佼成出版社勤務をへて、有限会社「地人館」代表。仏教関連を中心に編集・執筆活動を展開している。
谷口 雅(たにぐち みやび、1949年 - )は、写真家、写… 谷口 雅(たにぐち みやび、1949年 - )は、写真家、写真評論家。2002年より2012年まで東京綜合写真専門学校校長。 1949年愛知県生まれ。福岡県立福岡高等学校を経て、東京綜合写真専門学校卒業。 「写真批評」編集部に勤務。その後、東京綜合写真専門学校講師となる。 写真家による自主ギャラリー「プリズム」(東京・新宿)設立にかかわる(このギャラリーは東京綜合写真専門学校や東京造形大学の在校生や卒業生が中心となって1976年3月に設立された。その後、このプリズムは閉廊している)。 1985年のつくば写真美術館'85の企画にも参加した。 個展、グループ展や展覧会の企画も行う。 なお、福岡在住で布を使った作品を制作する谷口雅()は別人。
寺田 裕(てらだ ひろし、1949年 - )は日本の文芸評論… 寺田 裕(てらだ ひろし、1949年 - )は日本の文芸評論家。和歌山県生まれ。 1972年、大阪府立大学経済学部卒。1976年、探偵小説専門誌『幻影城』の第1回幻影城新人賞評論部門で「ゲームの規則」が佳作となり、デビューした。受賞時は神戸市在住。第1回の評論部門では、ほかに津井手郁輝が佳作に選ばれている。 幻影城新人賞の受賞者を中心に結成された「影の会」のメンバー。 2002年10月刊行の双葉文庫『匣の中の失楽』巻末に評論が再録されたが、著作権者との連絡が取れない旨が記されている。
大和田 始(おおわだ はじめ、1949年 - )は、日本の評… 大和田 始(おおわだ はじめ、1949年 - )は、日本の評論家、翻訳家。 宮崎県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1972年に「季刊NW-SF」5号の「遊侠山野浩一外伝」で評論家デビュー、「SFマガジン」掲載のロバート・シルヴァーバーグ「太陽踊り」の訳で翻訳家デビュー。以降、「SF論叢」、「トーキングヘッズ」等に参画。 実父に詩人・フランス文学者の服部伸六、伯父に翻訳家・小説家の神戸政郎。 日本SF作家クラブ会員。SF Prologue Wave編集部所属。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
高橋 誠一郎(たかはし せいいちろう、1949年 - )は、… 高橋 誠一郎(たかはし せいいちろう、1949年 - )は、日本のロシア文学者、文芸評論家。 福島県二本松市生まれ。1975年東海大学文学部卒業。1979年同大学院文学研究科文明研究専攻修士課程修了。1983年東海大学外国語教育センター助教授、教授。2013年退職。
横江 文憲(よこえ ふみのり、1949年 - )は、日本の写… 横江 文憲(よこえ ふみのり、1949年 - )は、日本の写真評論家、写真史家。東京学芸大学非常勤講師、女子美術大学非常勤講師。 香川県生まれ。1974年に日本大学芸術学部写真学科卒業後、1975年から1977年にかけてパリ第一大学へ留学し、1978年に日本大学芸術研究所を修了している。 セゾン美術館(西武美術館、1981年9月〜1989年3月)、東京都写真美術館(1990年の一次開館時から1999年3月まで。実際には、東京都写真美術館設置準備室から)、東京都庭園美術館(1999年4月〜2005年3月)の学芸員を歴任し、2005年12月現在は東京都美術館の学芸員となっている。 1985年のつくば写真美術館'85の企画にも参加した。
岡村 多佳夫(おかむら たかお、1949年 - )は、日本の… 岡村 多佳夫(おかむら たかお、1949年 - )は、日本の美術評論家。元東京造形大学教授、東京造形大学附属横山記念マンズー美術館館長。国際美術評論家連盟会員。専門はスペイン美術史及び20世紀ヨーロッパ美術。 1949年東京生まれ。1985年早稲田大学大学院文学研究科博士課程満期修了退学。1989年より東京造形大学助教授を経て教授。2014年退任。東京造形大学附属横山記念マンズー美術館館長を初代より歴任。 NHKデジタルハイビジョン放送開局記念番組「世界遺産の旅 スペイン」の解説者やNHKラジオ講座講師を務め、ソフトバンク・クリエイティヴ「トレジャー・ボックス」シリーズの監修の他、「生誕100年記念 ダリ回顧展」「ミロ」展「マッタ」等をはじめとする展覧会監修を手掛ける。
石川 雄一(いしかわ ゆういち、1949年 - 2016年4… 石川 雄一(いしかわ ゆういち、1949年 - 2016年4月22日)は、日本の専門誌編集者・自動車評論家。四輪駆動車分野の専門雑誌編集等に携わった日本での先駆的人物で、四輪駆動車・軍用車両趣味の普及に寄与したことで知られる。 埼玉県出身。陸上自衛隊生徒第11期、神奈川県立湘南高等学校通信制(現・神奈川県立横浜修悠館高等学校)卒業。 1977年から1989年まで四輪駆動車専門月刊誌『4x4 Magazine』に主に編集長として携わる。同社の法人登記後は副社長にして編集の責任者。月刊誌の他に多くの別冊を執筆・編集した。ビデオ制作のプロデューサーでもあった。1990年から2008年まで『クロスカントリー・ビークル』(季刊)を主宰していた。
室谷 克実(むろたに かつみ、1949年(昭和24年) - … 室谷 克実(むろたに かつみ、1949年(昭和24年) - )は、日本の評論家・ジャーナリスト。 東京都出身。慶應義塾大学法学部を卒業後に時事通信社へ入社し、政治部記者、ソウル特派員、宮崎支局長、宇都宮支局長、時事解説編集長、時事評論編集長、地域づくり編集長などを歴任。2009年(平成21年)の定年退職後より評論活動に入り、大韓民国に関する書籍・記事を出版している。『夕刊フジ』で毎週木曜日にコラム「新・悪韓論」を連載している。 『Voice』に掲載されている「超韓流猫コリにゃん」の単行本化作品。 定年退職(2009年)以降の論説をリストにあげる。 2013年(平成25年)6月25日から同年7月9日まで、連載コラム「韓国の真実」を産経新聞グループに寄稿した。
武藤 正敏(むとう まさとし、1948年(昭和23年)12月… 武藤 正敏(むとう まさとし、1948年(昭和23年)12月18日 - )は、日本の元外交官、評論家。 元在大韓民国特命全権大使。三菱重工業・元顧問。 東京出身。世田谷区立祖師谷小学校、1972年に横浜国立大学を卒業し、外務省に入省。ソウル特別市の延世大学校で朝鮮語研修を受ける。1975年ハーバード大学大学院修了、修士。 キャリア官僚の中で朝鮮語を専攻した「コリア・スクール」からの初めての韓国大使で、韓国勤務が語学研修を含め5度ある韓国通であり、外務省の北東アジア課長も務めるなど、朝鮮半島情勢通として知られる。 朝鮮語ができた駐韓大使には、日本統治時代の京城帝国大学卒で1980年代初めに駐韓大使を務めた前田利一がいるが、戦後生まれでは武藤が最初であった。
川又 千秋(かわまた ちあき、1948年12月4日 -)は、… 川又 千秋(かわまた ちあき、1948年12月4日 -)は、日本の小説家、SF作家、評論家。日本SF作家クラブ、日本推理作家協会、各会員。 北海道小樽市出身。慶應義塾大学文学部卒業。大学時代より、伝説的なSFファンの集まり「一の日会」に参加。 博報堂に入社しコピーライターとなる。1971年、評論「バラードはどこへ行くか?」(『季刊NW-SF』誌)で評論家デビュー。1972年「舌」(『季刊NW-SF』誌)で作家デビュー。また、同年、評論「明日はどっちだ!」を『S-Fマガジン』に発表。1973年から1975年にかけて『S-Fマガジン』に長編評論『夢の言葉・言葉の夢』を連載する。 1980年より専業作家となる。
ルディー和子(ルディーかずこ, RUDY, Kazuko、1… ルディー和子(ルディーかずこ, RUDY, Kazuko、1948年10月10日 - )は日本のマーケティング評論家、ダイレクトマーケティング研究者。 立命館大学大学院教授等を経て、セブン&アイ・ホールディングス取締役、トッパン・フォームズ取締役。本名・桐山和子。 国際基督教大学卒業。結婚・渡米しエスティローダー社で勤務しつつ上智大学国際部大学院経営経済専攻修士課程修了。経営学修士。1972年シカゴ大学会計監査室勤務。 エスティローダーではマーケティングマネジャーを務め、1980年にタイムのダイレクトマーケティング本部長に就任。1983年ウィトン・アクトン社代表取締役。2011年日本ダイレクトマーケティング学会副会長。
日暮 泰文(ひぐらし やすふみ、1948年10月 - 202… 日暮 泰文(ひぐらし やすふみ、1948年10月 - 2024年5月30日)は、日本の音楽評論家。ブルース・インターアクションズ(Pヴァイン・レコード)創業者。 東京都新宿区柏木に生まれ神奈川県藤沢市で育つ。茅ヶ崎北陵高校を経て慶應義塾大学法学部卒業。 中高時代に米ポピュラー音楽、特にリズム・アンド・ブルースに心酔し、ブルースの世界に深く入る。大学在学中の1968年に鈴木啓志とともにブルース&ソウル・ミュージック愛好会を設立。中村とうようによって1969年に刊行された月刊誌『ニュー・ミュージック・マガジン』のレギュラー・ライターとなる。 ブルース愛好会の機関誌を発展させる形で雑誌『ザ・ブルース』を1970年に刊行、76年以降隔月刊全国誌となる。
新戸 雅章(しんど まさあき、1948年9月18日 - )は… 新戸 雅章(しんど まさあき、1948年9月18日 - )は、日本の作家、評論家、翻訳家。小説においては新田 正明名義も使用した。 日本SF作家クラブ会員。テスラ研究所所長、テスラ記念協会会員、日本セルビア協会会員。 神奈川県藤沢市出身。神奈川県立湘南高等学校、横浜市立大学文理学部卒業。 学生時代からSFファン活動を始め、山野浩一主催のNW-SFワークショップに参加。そこで知り合った志賀隆生・永田弘太郎らとSF同人誌『SF論叢』を1974年に創刊。また1982年、小説『汀線都市』でSFファンジン大賞を受賞。一時SFファンジン大賞の審査員もつとめた。 編集プロダクション「スタジオ・アンビエント」主宰者として、1982年から1986年まで9号刊行された、新時代社発行のSF評論誌『SFの本』の発行人をつとめ、自らもSFの評論活動を行う。
伊藤 惇夫(いとう あつお、1948年(昭和23年)8月28… 伊藤 惇夫(いとう あつお、1948年(昭和23年)8月28日 - )は、日本のジャーナリスト、政治評論家(政治アナリスト)。 神奈川県出身。学習院大学法学部を卒業後、出版社勤務を経て、1973年に自由民主党本部事務局へ入職。自民党では広報を担当し、1989年から1992年まで自民党政治改革事務局主査補として政治改革大綱を取りまとめる。その後、羽田孜らと行動を共にして1994年に自民党を退職、1995年から新進党総務局、1996年から太陽党、1998年に民政党および民主党の事務局に勤務。太陽党以後は、いずれも事務局長を務めた。 新党の結成に次々と立ち会ったことから「新党請負人」の異名を持つ。2001年、民主党を退職し、政治アナリストとして独立。
吉川 潮(よしかわ うしお、1948年8月1日 - )は、日… 吉川 潮(よしかわ うしお、1948年8月1日 - )は、日本の演芸評論家、小説家、コラムニスト。ルポライターのほか、放送作家。 妻は、粋曲(色物)の柳家小菊(落語協会所属)。日本文芸家協会会員。駄句駄句会同人、俳号は「駄郎(だろう)」。 茨城県真壁郡下館町(現・筑西市)出身。父親は長唄の岡安喜三四郎。姉と妹がおり、三人の名付け親は西條八十。 1971年立教大学経済学部卒業。 ルポライターのほか、放送作家として「青島幸男のお昼のワイドショー」などの構成を担当する一方、1979年から演芸評論家として演芸評、コラムを書き始める。1980年「小説現代」で小説家としてデビュー。 落語立川流の顧問であったが、2014年11月に辞任した。
田母神 俊雄(たもがみ としお、1948年〈昭和23年〉7月… 田母神 俊雄(たもがみ としお、1948年〈昭和23年〉7月22日 - )は、日本の航空自衛官、軍事評論家、政治活動家。第38代航空総隊司令官、第29代航空幕僚長。最終階級は空将(空軍中将相当)。予備役ブルーリボンの会顧問、「日本をまもる会・大東亜聖戦大碑護持会」会長。 防衛大学校卒業後、航空自衛隊に入隊し、2007年3月に航空幕僚長に就任。2008年10月31日に政府の歴史認識と異なるアパグループ主催の懸賞論文を公表し、航空幕僚長を更迭された。論文では、日本は第二次世界大戦に蒋介石とルーズベルトの策略によって巻き込まれたと主張した。また、日本の戦時中の行動は「西洋の植民地主義からアジアを解放する」ための努力であったと論じた。
芥川 麻実子(あくたがわ まみこ、1948年7月12日 - … 芥川 麻実子(あくたがわ まみこ、1948年7月12日 - )は、日本の交通評論家、タレント、メディアコーディネーター、エッセイスト。財団法人首都高速道路協会元理事。 作曲家・芥川也寸志(芥川龍之介の三男)とその最初の妻・紗織(旧姓:山田)の長女として東京都に生まれる。1957年、両親が離婚する。子供の頃は音楽の成績が良かったため、そのことを作曲家である父親に対する教師からの特別な配慮として受け取った也寸志は、「そういうことはしないでください」と学校に抗議に行ったが、その後も音楽の成績は下がらなかったという。 1971年、日本女子大学文学部卒業と同時に渡辺企画(現・渡辺プロダクション)に所属する。
津村 喬(つむら たかし、本名は高野威(たかの たけし)、1… 津村 喬(つむら たかし、本名は高野威(たかの たけし)、1948年7月10日 - 2020年6月17日)は、評論家、気功師。NPO法人気功文化研究所代表。気功懇談会会員。京都気功会講師。「ニューエイジ」類似運動活動家。 東京都出身。元総評事務局長の高野実の二男。ジャーナリストの高野孟は兄。高瀬羽皐の孫。 早稲田大学高等学院に入学。 1964年、第一次訪中に気功療法を体験。 1970年、早稲田大学第一文学部中退。在学中より評論活動を行い、中国の文化大革命と毛沢東主義に傾倒、大学を中退後は反原発運動、反差別運動などの市民運動に関わりつつ執筆活動を継続する。その後フリーのライターとして今日に至る。「日中友好協会(正統)早大支部」を名乗り、中国研究所の機関誌『中国研究月報』などにも寄稿。
瀬戸川 猛資(せとがわ たけし、1948年7月5日 - 19… 瀬戸川 猛資(せとがわ たけし、1948年7月5日 - 1999年3月16日)は、日本のミステリー評論家、映画評論家、編集者。筆名に、宅和宏、藤崎誠などがある。 映画評論家の瀬戸川宗太は弟。 東京都出身。早稲田大学文学部卒業。在学中は「ワセダミステリクラブ」に所属し、海外ミステリ評論を手掛けていた。1年後輩の北村薫や、2年後輩の折原一らと親交があった。卒業後は東宝に入社し、テレビ部に配属されてテレビ番組の制作にたずさわり、7年後に退社。 1973年に紀田順一郎、荒俣宏が創刊した雑誌『幻想と怪奇』に、鏡明とともに編集同人として参加。 1980年、自身の個人出版社「トパーズプレス」を設立。 また、1982年に読書人向けの雑誌『BOOKMAN』を創刊。
諸石 幸生(もろいし さちお、1948年6月26日 - 20… 諸石 幸生(もろいし さちお、1948年6月26日 - 2022年4月9日)は、日本の音楽評論家。 1948年佐賀県佐賀市に生まれる。1967年、佐賀県立佐賀北高等学校卒業。早稲田大学法学部卒業。 学生時代にはオーケストラでトロンボーン奏者を経験する一方、夜にはバンドマンを務めたりもしていた。 大学卒業後は音楽鑑賞教育振興会に10年間勤務、義務教育課程における鑑賞指導法の研究・啓蒙に携わる一方、『演奏家大事典』の編纂にも従事していた 1984年にステレオサウンド社から創刊された『音楽通信』に創刊メンバーの1人として携わる《編集長には同じく音楽評論家の黒田恭一が就任したものの、半年で休刊となった》 以後、フリーの音楽評論家として、音楽専門誌、新聞、ライナーノーツへの執筆や、ラジオ放送におけるクラシック音楽関連番組へのパーソナリティ或いはゲスト解説者としての出演などの活動を行ってきている。
板坂 剛(いたさか ごう、1948年6月 - )は、日本のフ… 板坂 剛(いたさか ごう、1948年6月 - )は、日本のフラメンコダンサー、作家、プロレス評論家。アルテフラメンコスクール主宰。美能憲二のペンネームを用いることもある。 国文学者の板坂元は叔父にあたる。 福岡県北九州市門司区出身。山口県下関市で幼少時代を過ごし、同地の文化に多大な影響を受ける。日本大学芸術学部映画学科に進学後、全共闘運動を経験。 1971年、シナリオ「黎明は炎のように輝く」を先行社より発表。1972年、日大芸闘委時代の同志との共著「日本映画解体考」を青林堂より発表。 1975年、小説「Rの誘惑」を青林堂より発売。映画芸術、新潮、現代詩手帖などに掲載した一連の過激な広告が一部好事家の話題を呼ぶ。
河村 常雄(かわむら つねお、1948年〈昭和23年〉5月2… 河村 常雄(かわむら つねお、1948年〈昭和23年〉5月28日 - )は、長く読売新聞記者として、おもに歌舞伎を取材した芸能ジャーナリスト、演劇評論家、兵庫県出身。 1973年に早稲田大学第一法学部を卒業し、読売新聞東京本社に入社した。水戸支局や整理部を経て、1985年に芸能部(後の文化部)に移って歌舞伎を中心とした演劇担当となった。その後、部次長、専門委員などを経て退社し、2008年から読売・日本テレビ文化センター勤務となった。この間、文化庁芸術祭、芸術選奨、鶴屋南北戯曲賞の選考委員や、放送大学非常勤講師、日本演劇協会会員なども務めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
金子 隆一(かねこ りゅういち、1948年5月18日 - 2… 金子 隆一(かねこ りゅういち、1948年5月18日 - 2021年6月30日)は、日本の写真史家、写真評論家、写真集コレクター、キュレーター。本職業は僧侶。東京都台東区の「正行院」住職。 東京都出身。東京都台東区谷中の慈雲山正行院にて、住職金子善英と母英子の長男として生まれる。1967年、立正大学文学部地理学科入学、写真部に入部、全日本学生写真連盟(「全日」)の活動に参加する。当時「全日」の指導者は写真評論家の福島辰夫であった。 このころ、ウィリアム・クラインの『ニューヨ−ク』、細江英公の『おとこと女』、森山大道の『にっぽん劇場写真帖』など初めて写真集を購入。後年国内外で著名な写真集コレクターになるが、その一歩を踏み出す。
江夏 豊(えなつ ゆたか、1948年5月15日 - )は、兵… 江夏 豊(えなつ ゆたか、1948年5月15日 - )は、兵庫県尼崎市出身(奈良県吉野郡生まれ)の元プロ野球選手(投手)、解説者・評論家・タレント。 2025年現在でも日本記録であるシーズン401奪三振を達成したほか、NPB最多タイ記録となる最優秀救援投手(現在の最多セーブ投手)を6回獲得している。プレーそのものについても「オールスター9連続奪三振」「江夏の21球」など多くのエピソードを持つ。 1948年5月15日、奈良県吉野郡にて生まれる。鹿児島県出身の母は大阪にいた頃大阪大空襲に遭い疎開先の奈良県吉野郡で江夏の父親となる男性と出会い、豊が生まれた。江夏の母親にとって豊は三男に当たり、14歳年上の長男、7歳年上の次男、と3人とも父親が全員異なるという複雑な家庭環境であり、江夏姓も母方の姓だった。
藤巻 昇(ふじまき のぼる、1948年(昭和23年)4月28… 藤巻 昇(ふじまき のぼる、1948年(昭和23年)4月28日 - )は、元競輪選手、現在はスポーツ報知北海道総局所属の競輪評論家。現在の山梨県笛吹市石和町出身。日本競輪学校第22期卒業。初出走は1966年1月11日の立川競輪場で初勝利も同日。 競輪選手としての最初の登録地は山梨県であったが、後に高原永伍らがいた平塚競輪場に練習拠点を移したことから神奈川県へと移籍。さらに1973年からは、夫人の郷里である北海道へと移籍し、以後は函館競輪場をホームバンクとしていた。 山梨県立甲府工業高等学校を中退した後、実父の藤巻清一が選手であったことから日本競輪学校を受験し合格。後に弟3人(藤巻清志・藤巻勝・藤巻進) も選手となり、競輪一家としても名を馳せるようになる。
山本 益博(やまもと ますひろ、1948年(昭和23年)4月… 山本 益博(やまもと ますひろ、1948年(昭和23年)4月11日 - )は、日本の落語評論家、料理評論家。株式会社マスヒロジャパン代表取締役社長。現在の妻・山本美穂子は舞台衣装や歌舞伎バックなどを制作する織衣装作家。 東京都出身。東京都立紅葉川高等学校、北海道札幌東高等学校を経て、早稲田大学第二文学部演劇学科卒業。東京 浅草に育つが、高校時代に北海道に転居し、1968年(昭和43年)3月に大学進学のため、再び東京に戻った。生家は靴下問屋を営んでいた(現在は廃業している) 東京に戻った山本は、たまたま国立劇場小劇場の第五次落語研究会第一回(昭和43年3月14日)に入場し、そこで初めて桂文楽 (8代目)(黒門町)の落語を体験し、黒門町の追っかけとなった。
加藤 典洋(かとう のりひろ、1948年(昭和23年)4月1… 加藤 典洋(かとう のりひろ、1948年(昭和23年)4月1日 - 2019年(令和元年)5月16日)は、日本の文芸評論家、早稲田大学名誉教授。講談社ノンフィクション賞、小林秀雄賞選考委員。 『「アメリカ」の影』(1985年)で注目される。文学、政治、歴史認識と広く戦後日本の社会を独自の視点で考察。著書に『敗戦後論』(1997年)、『日本の無思想』(1999年)、『言葉の降る日』(2016年)、『敗者の想像力』(2017年)などがある。 山形県山形市出身。山形県立山形東高等学校を経て、1972年東京大学文学部仏文学科を卒業。1985年に『アメリカの影』でデビューする。 雑誌『思想の科学』に1980年代からかかわり、第八次『思想の科学』(1993-1996)の編集委員をつとめた。
橋本 治(はしもと おさむ、1948年〈昭和23年〉3月25… 橋本 治(はしもと おさむ、1948年〈昭和23年〉3月25日 - 2019年〈平成31年〉1月29日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。 イラストで注目され、『桃尻娘』(1977年)で作家としてデビューすると博学や独特の文体を駆使し、古典の現代語訳、評論・戯曲など多才ぶりを発揮する。作品に『桃尻語訳 枕草子』(1987 - 1988年)、『蝶のゆくえ』(2004年)、『初夏の色』(2013年)などがある。 東京都杉並区の商家の息子に生まれる。1951年3歳の時に世田谷区に転居し、杉並区の小中学校を経て1963年東京都立豊多摩高等学校に入学。1966年に同校卒業後予備校に通う。 1967年、東京大学文科三類入学。
吉見 佑子(よしみ ゆうこ、本名:吉見裕子、1948年3月2… 吉見 佑子(よしみ ゆうこ、本名:吉見裕子、1948年3月22日 - )は音楽評論家・作詞家・歌手・声優。大阪府豊中市出身。 親も親戚も杵屋だらけの、いわゆる三味線一家の一人っ子として育ったが、周囲の期待に反して三味線や家元制度に興味を持たない青春時代を送る。 高校在学中に渡辺プロダクションのオーディションを受ける。最終オーディションで落選するが、審査員の宮川泰の紹介でジャズ・ボーカルのレッスンに半年間京都まで通い、コマーシャルソングの仕事に関わる。 その後、NHK大阪放送局付属演劇研究所に入所。修了後は、グループ・サウンズやフォークのコンサートの司会やラジオ番組のアシスタントの仕事を始め、関西圏限定でDJの仕事を増やしていく。
柏木 集保(かしわぎ しゅうほ、1948年3月18日 - )… 柏木 集保(かしわぎ しゅうほ、1948年3月18日 - )とは、長野県小諸市出身の競馬評論家である。 「集保」の名はペンネームであり、資料を集めて保つとの意味。身長が高く、同業者からは「ジャンボ」との愛称で呼ばれている。 長野県上田高等学校時代にはハンドボールでインターハイに出場。その後は早稲田大学政治経済学部に進学し、相撲部屋からスカウトされた経験も持つ。1973年に競馬新聞『日刊競馬』を発行する日刊競馬新聞社に入社し、以後同社にて長年にわたり中央競馬の競馬予想を担当。1979年に福島開催で大きな実績を挙げたことから、メイン馬柱に名前が載るようになった。また、1980年の第82回天皇賞で、プリテイキャストの大逃げ勝利をレース展開まで完璧に読み切って的中させ、テレビCMが作られるほどの注目を集める。
鈴木 啓志(すずき ひろし、1948年3月8日 - )は、日… 鈴木 啓志(すずき ひろし、1948年3月8日 - )は、日本の音楽評論家。ブルース、ソウル音楽を専門とする。 北海道函館市に生まれ、3歳より東京都で育つ。横浜国立大学経済学部卒業。大学在学中の1968年に日暮泰文とブルース&ソウル・ミュージック愛好会を設立。その後、音楽評論家となる。 将棋棋士・花村元司の娘がソウル音楽の関係者で、元来の鈴木の知人であった縁で、2012年に花村の伝記を執筆している。 この項目は、音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 音楽/ウィキプロジェクト 音楽)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
阿部 信雄 (あべ のぶお、1948年〈昭和23年〉3月1日… 阿部 信雄 (あべ のぶお、1948年〈昭和23年〉3月1日 - )は、 日本の美術評論家。 専門は、近現代美術、博物館学。父は英文学者で作家の阿部知二。兄はフランス文学者の阿部良雄。科学史家で評論家の赤木昭夫は義兄。 兵庫県姫路市に生まれる。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院修士課程修了。 1977年より、石橋財団ブリヂストン美術館学芸員となり、後に学芸部長を務める。1993年に退職。 1989から92年まで、東急Bunkamuraザミュージアムのプロデューサーを兼任。 ニューオータニ美術館顧問、鎌倉大谷記念美術館運営委員、セキ美術館(愛媛県)顧問を歴任した。 また、美術館外では、名古屋大学、学習院大学、成城大学、玉川大学、武蔵工業大学などの非常勤講師を務めた。
指田 文夫(さしだ ふみお、1948年3月 - )は、日本の… 指田 文夫(さしだ ふみお、1948年3月 - )は、日本の大衆文化評論家、著作家。2012年に退職するまで、横浜市役所職員であったが、在職中の1980年代から、評論、執筆活動をおこなっていた。 1948年3月、東京都大田区池上に生まれ、5人きょうだいの末子として、池上本門寺の近くで育った。父親は、小学校の校長をしていたが、文夫がまだ小学生だった1958年に現職のまま病死し、以降は、母親のもとで、叔父の支援を受けながら大学まで進んだ。 東京都立小山台高等学校から1966年に早稲田大学に進み、劇団演劇研究会に参加した。留年を経験して、1972年に早稲田大学教育学部英語英文科を卒業し、横浜市役所に入職した。
筆坂 秀世(ふでさか ひでよ、1948年〈昭和23年〉2月2… 筆坂 秀世(ふでさか ひでよ、1948年〈昭和23年〉2月28日 - )は、日本の政治評論家。元参議院議員(2期)。 日本共産党中央委員会常任幹部会元委員、同党政策委員長。同党から離党した後は政治家としての活動からは身を引き、北海道根室市納沙布岬のNPO法人望郷の塔(旧・納沙布岬平和の塔)の理事長を務めた。 1948年(昭和23年)、兵庫県川辺郡六瀬村(現在の猪名川町)柏原の農家に、5人兄弟の末子として生まれる。兵庫県立伊丹高等学校卒業 後、三和銀行(三菱UFJ銀行の前身行)に勤務。その傍ら日本民主青年同盟の活動を経て、日本共産党に入党。筆坂自身と同じ銀行員という経歴を持つ作家の小林多喜二を尊敬していたことも、日本共産党の活動に尽力していく要因となった。
河村 健一郎(かわむら けんいちろう、1948年2月26日 … 河村 健一郎(かわむら けんいちろう、1948年2月26日 - )は、山口県柳井市出身の元プロ野球選手(捕手、内野手)・コーチ、解説者・評論家。 桜ケ丘高校では、3年次の1964年に秋季中国大会準々決勝に進むが、広島商に敗れ甲子園には届かなかった。 高校卒業後は1965年に芝浦工業大学へ進学し、道原裕幸は高校・大学の2年後輩となる。東都大学リーグでは3年次の1968年、左腕エース池田善吾とバッテリーを組んで秋季リーグに優勝。リーグ通算45試合出場、124打数32安打、打率.258、0本塁打、11打点。大学同期に豊田憲司、片岡新之介(中退)がいる。 大学卒業後は1969年に日本石油へ入社し、1970年の都市対抗では奥江英幸らとバッテリーを組み準々決勝に進むが、三菱重工神戸に敗退。
菊田 均(きくた ひとし、1948年2月21日 - )は、日… 菊田 均(きくた ひとし、1948年2月21日 - )は、日本の文芸評論家。 東京都生まれ。本姓・小橋。法政大学文学部卒業、法政大学大学院中退。江藤淳を初めて一冊の本で論じた。
北嶋 廣敏(きたじま ひろとし、1948年(昭和23年)2月… 北嶋 廣敏(きたじま ひろとし、1948年(昭和23年)2月20日 - )は、文学・美術評論家、翻訳家、文筆家。 福岡県三潴郡大木町生まれ。1971年に早稲田大学第一文学部仏文科を卒業。コピーライターをへて、文筆家。はじめ塚本邦雄論やフランス文学の翻訳をしていたが、のち雑学書などを多く執筆するようになる。
小林 広一(こばやし こういち、1948年2月9日 - )は… 小林 広一(こばやし こういち、1948年2月9日 - )は、日本の文芸評論家。 長野県飯田市生まれ。明治大学卒業、同大学院博士課程中退。1981年「斎藤緑雨論」で群像新人文学賞評論部門受賞。中野重治、添田唖蝉坊、赤塚不二夫なども論じる。 1991年、湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人、中上健次、津島佑子、田中康夫らとともに『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表する。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
浅野 史郎(あさの しろう、1948年〈昭和23年〉2月8日… 浅野 史郎(あさの しろう、1948年〈昭和23年〉2月8日 - )は、日本の政治評論家、コメンテーター。元神奈川大学特別招聘教授。元慶應義塾大学総合政策学部教授。元宮城県知事(公選第15・16・17代)、元厚生官僚。 岩手県大船渡市生まれ、宮城県仙台市育ち。神奈川県横浜市在住。仙台第二高等学校3学年に在学中には、「受験生への密着リポート」として、数ヵ月にわたって地元テレビ局の取材を受けた。 東京大学法学部卒業後にはキャリア官僚として厚生省(当時)に入省、同省において障害福祉課長を務めた。1993年、ゼネコン汚職事件に係わって当時の宮城県知事・本間俊太郎が辞職、その後の知事選挙に新生党・日本新党・さきがけ・社民連の推薦を受け立候補し初当選、戦後生まれ3人目の知事に就任した。