大西 宏(おおにし ひろし、1962年5月14日 - 199… 大西 宏(おおにし ひろし、1962年5月14日 - 1991年10月16日、29歳没)は、日本の登山家。名古屋市出身。1989年、スキーによる北極点到達とエベレスト登頂の「2極」征服を達成した。 名古屋市に生まれた。1978年、東京都立九段高等学校に入学、山岳部に入部した。明治大学に進学し、2年生のときから山岳部に入って活動した。 卒業後も、一度は食品会社に就職したが、肉体労働のアルバイトをしながら登山中心の生活を送り、OB会である炉辺会(ろばたかい)のメンバーとして活動した。 1985年、日本山岳会の80周年記念行事として行なわれた中国登山隊に参加し、崑崙山脈カカサイジモンカに登頂した。 1987年、日本・中国・ネパール1988チョモランマ・サガルマタ友好登山隊に参加し、北稜ルートでエベレストに登頂した。
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小西浩文(こにし ひろふみ、1962年〈昭和37年〉3月15… 小西浩文(こにし ひろふみ、1962年〈昭和37年〉3月15日 - )は、日本の登山家。世界の8000m峰14座すべての無酸素登頂を目標として、現在まで6座に無酸素での登頂を果たしている。身長174cm、体重69kg。石川県金沢市生まれ。
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北村 俊之(きたむら としゆき、1962年 - )は、日本の… 北村 俊之(きたむら としゆき、1962年 - )は、日本の登山家、山岳ガイド。 1962年、東京都に生まれる。小学校より野外活動、登山に親しむ。早稲田大学入学後、学内クラブおよび社会人山岳会で本格的登山に取り組む。1985年早稲田大卒業後、日本石油に就職。大学時代のクラブや社会人山岳会で本格的に登山に取り組み、1993年に日本石油を退社。 その後ブロードピーク三山無酸素アルパインスタイル縦走、ナンガパルバット登頂(個人隊)、チョ・オユー無酸素単独登頂など、8000m峰7座登頂(うち4座無酸素)を果たした。2004年に国際山岳ガイド資格取得。毎年世界の高峰山岳ガイドを行う。海外ガイド歴は、アコンカグア、ペルーアンデス、キリマンジャロ、マナスル等。
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成瀬 陽一(なるせ よういち、1962年 - )は、日本の登… 成瀬 陽一(なるせ よういち、1962年 - )は、日本の登山家、沢登り家。 20歳の時に沢登りに出会い、それ以降沢登りにのめり込む。日本国内だけでなく、韓国、台湾、中国大陸、ハワイカウアイ島、レユニオン、タヒチなどで沢登りをしている。
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倉岡 裕之(くらおか ひろゆき、1961年8月3日 - )は… 倉岡 裕之(くらおか ひろゆき、1961年8月3日 - )は、日本の登山家、山岳ガイド。エベレスト登頂11回は日本人最多。 1961年8月3日、東京都に生まれる。我孫子市内の小中学校を卒業。中学校時代から丹沢で登山に親しむ。高校進学後、山岳部がなかったために毎日手賀沼で10kmタイムトライアルを行って身体を鍛えた。 大学進学後、登攀クラブ蒼氷でクライミングを始め、1984年木本哲らとともにエンゼルフォール(1,283m)を未踏ルートで初登攀成功。 1985年、映画「植村直己物語」の撮影スタッフとして5月マッキンリー登頂、10月エベレストロケに参加する。帰国後、懸垂下降時に事故で大怪我を負い、約12年間クライミングから遠ざかる。
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田辺 治(たなべ おさむ、1961年1月4日 - 2010年… 田辺 治(たなべ おさむ、1961年1月4日 - 2010年9月28日)は、日本の登山家。元日本ヒマラヤ協会理事。日本山岳会東海支部員。東海山岳会長。 1961年1月4日、愛知県名古屋市に生まれる。刈谷市立富士松中学校、愛知県立刈谷高等学校を経て、1984年に信州大学農学部を卒業。大学時代は山岳部に所属し、1982年ガネッシュヒマールⅡ峰(7,111m/ネパール)登攀を始めとし、25回ヒマラヤ登攀隊に参加、8000メートル峰全14座のうち9座に登頂した。その多くを冬季や未踏の難ルートからの登攀で達成した。 2006年12月ローツェ南壁冬季初登攀に成功、その功績が認められ、2008年12月、日本山岳会東海支部冬季ローツェ南壁登山隊として秩父宮記念山岳賞を受賞した。
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戸高 雅史(とだか まさふみ、1961年 - )は、大分県出… 戸高 雅史(とだか まさふみ、1961年 - )は、大分県出身の日本の登山家。 高校時代までは歴史小説とフォークソングに熱中していたが、教職を志して福岡教育大学に進学。下宿先に住んでいた先輩の影響で探検部に入部。ケイビングや川下り、登山などの活動に親しむ。その後、探検部の先輩から渡された新田次郎の『孤高の人』に強い影響を受け、クラブ活動に飽き足らず社会人山岳会にも入会して山行を重ねるようになった。 23歳の時にアンナプルナII峰に遠征し初の海外遠征。大学院修了後に高校の数学教師となるが、高所登山に専念するために退職。トレーニング環境を求めて神奈川県湯河原町に移住した。自動車工場の工員として働きながらトレーニングを積み、高所登山の遠征を繰り返す。
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安曇 潤平(あずみ じゅんぺい、1958年 - )は、日本の… 安曇 潤平(あずみ じゅんぺい、1958年 - )は、日本の作家、登山家。 神奈川県横浜市出身。2004年12月、怪談専門誌『幽』(メディアファクトリー)に「山の霊異記」を発表して作家デビュー。以来、兼業作家としての立場を保ちながら連載を続け、山行記の中に怪談を織り込む、山岳怪談という新たな境地を開拓した。また語りにも長けており山岳専門の怪談師やコメンテーターとしても活躍している。 山を舞台とした、特異な怪談を書き続けている。基本的に自らの登山経験を基にして執筆しているためか、怪談でありながら山の情景描写と読後感には独特の味わいがある。実際の山名表記は避けているようだが(最近は山名を書くことも増えている)北アルプスを舞台としたと思われる作品が多い。
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三枝 照雄(さえぐさ てるお、1957年〈昭和32年〉10月… 三枝 照雄(さえぐさ てるお、1957年〈昭和32年〉10月29日 - 1989年〈平成元年〉2月24日)は、日本の登山家。群馬県出身。1989年、マッキンリー(現・デナリ)で遭難死した。 群馬県立沼田高等学校で山岳部に入部し、山に夢中になった。 1985年『植村直己物語』の撮影隊としてエベレスト登頂を果たす。1988年5月5日、日本テレビの開局35年番組『チョモランマはそこにある』にテレビクルーとして参加し、頂上からの生中継を成功させた。 1989年2月、マッキンリー(現・デナリ)で山田昇、小松幸三とともに遭難死した。このとき山田は簡易保険に入っていたが、ほかの2人は入っておらず、さらに山岳保険には誰一人加入していなかったために、遭難とは別の面での悲劇が起こった。
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村口 徳行(むらぐち のりゆき、1956年5月28日 - )… 村口 徳行(むらぐち のりゆき、1956年5月28日 - )は、日本の登山家、山岳カメラマン。エベレストに7回登頂し、かつて日本人最多登頂記録であった。 1956年、東京都生まれ。1980年、日本大学文理学部卒業。在学中は体育会山岳部に所属。1978年のアラスカ、マーカスベーカー登頂を8ミリフィルムで自主制作。卒業後は日本大学山岳部OBからなる桜門山岳会に所属。 1984年、日本山岳会が企画したカンチェンジュンガ3峰縦走と山腹からのハンググライダー飛行を同時に行うというプロジェクトに、日本テレビの撮影隊として参加。日本大学山岳部の先輩であり、日本テレビに所属していた山岳カメラマンの中村進に撮影指導を受けた。
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木本 哲(きもと さとし、1956年2月26日 - )は、日… 木本 哲(きもと さとし、1956年2月26日 - )は、日本の登山家、クライマー、山岳ガイド。 1956年2月26日、大分県竹田市生まれ。 1976年、埼玉谷峰山岳会に入会。主に夏場に沢登りを中心に活動する。1979年、山学同志会に入会し、国内外のクライミングや高峰登山で活躍。1980年9月、日英岩登り交流会でイギリスを訪れ、イギリスのクライミング事情を知る。 1985年10月30日、植村直己物語撮影隊としてエベレスト登頂。下山中、自力下山が不能になったカメラマンを救出に向かい重度の凍傷を負い、全両足指を切断する。 1986年、キリマンジャロ南西壁登攀後、急性高山病になったツアー登山者に遭遇。
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松田 宏也(まつだ ひろなり、1955年12月28日 - )… 松田 宏也(まつだ ひろなり、1955年12月28日 - )は、日本の登山家。大分県佐伯市出身。 同志社大学の山岳同好会に所属し、アラスカのヘイズ山登頂などで経験を積む。卒業後は日本ペイントに就職。1979年に千葉県の市川山岳会に入会する。 1982年5月、市川山岳会隊の一員として中華人民共和国四川省の大雪山脈ミニヤコンカへの登頂に挑戦。同隊員の菅原信をパートナーとし、2人で頂上を目指すものの、悪天候に阻まれて下山。しかし頼みの綱であったサポート隊がキャンプを撤収して下山した後であったため、菅原と2人での下山を強いられる。途中、菅原は衰弱により下山することができず、単独での下山となった松田は山中を19日間さまよった末、満身創痍のところを地元民に発見され、奇跡的に生還を遂げた。
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堀 達憲(ほり たつのり、1953年 - )は、日本の実業家… 堀 達憲(ほり たつのり、1953年 - )は、日本の実業家、登山家。株式会社三保原屋代表取締役。 1953年8月、静岡県生まれ。江戸時代(1687年・貞享4年)から続く三保原屋の家に生まれる。 立教大学卒業。大学在学中は山岳部に所属した。 1977年には家業を継ぎ、八代目として三保原屋代表取締役社長を務めるが、登山家としてもガッシャーブルムII峰などへの遠征経験を積む。 2017年には、1936年(昭和11年)に立教大学山岳部が日本初となるヒマラヤ遠征でインドの高峰ナンダ・コート(英語版)(6,867メートル)に初登頂した偉業を後世に伝える「ナンダ・コート初登頂80周年記念事業」において編成された登山隊のメンバーとして再びナンダ・コートの頂を目指す活動を行った。
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尾崎 隆(おざき たかし、1952年9月9日 - 2011年… 尾崎 隆(おざき たかし、1952年9月9日 - 2011年5月12日)は日本の登山家。三重県亀山市生まれ。 1952年、三重県鈴鹿郡亀山町(現在の亀山市)にて3人兄弟の次男として生まれる。三重県立四日市中央工業高等学校入学後、山岳部に入部。卒業後は一般企業に就職。1972年にフランスで植村直己と10日間ほど自転車旅行を行った。同年、ドリュボナッティ稜やグランドジョラス登頂を果たす。1974年10月「第2次RCC中部支部」に加入。 1980年世界初のエベレスト北壁からの登攀(とうはん)に成功。以後、数々の前人未到の記録を残し、8000メートル峰のスターと呼ばれた。世界の8,000m峰14座のうち7座の登頂に成功した。
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北山 真(きたやま まこと、1952年 - )は、日本のシン… 北山 真(きたやま まこと、1952年 - )は、日本のシンガーソングライター、クライマー。日本フリークライミング協会元理事長、元日本山岳協会理事。日本人初の国際山岳連盟公認国際審判員(現在はノンアクティブ)。日本山岳ガイド協会フリークライミングインストラクター協会顧問。日本クライミングジム連盟顧問。日本開拓クライマー協会代表。JMCC代表。 1952年、北海道に生まれる。1歳より栃木県宇都宮市に在住、栃木県立宇都宮東高等学校在学中からシンガーソングライターとして活動を開始する。 プログレッシブ・ロックバンドOUT OF CONTROL(後にSerenadeと改名)のボーカリストとして加入。Serenade解散後、先に脱退していた花本彰のいる新●月に加入する。
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鈴木 英貴(すずき ひでたか、1952年 - )は、日本のク… 鈴木 英貴(すずき ひでたか、1952年 - )は、日本のクライマー、カイトサーファー。 広島県呉市で生まれ、神奈川県横須賀市で育つ。 早稲田大学を2年で中退し、1980年よりアメリカに渡る。当時世界でも最難のクラックルートと言われた[誰によって?]カリフォルニア・ジョシュア・ツリーの“Stingray(5.13d)”フリー初登を筆頭に全米で数々のルートを初登・開拓。 渡米前は国内でアルパイン・クライミングをしており、未だ再登されていない甲斐駒ヶ岳赤石沢左方ルンゼ 冬季単独初登などの記録を持つ。 1990年後半、ボルダリングムーブメントの先陣を切ってビショップ (カリフォルニア州)に移住。1998年から2000年の3年間はビショップでボルダリングを半年、残りの半年はフランスのブリアンソンでルートクライミングをする生活を送った。
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貫田 宗男(ぬきた むねお、1951年3月21日 - )は、… 貫田 宗男(ぬきた むねお、1951年3月21日 - )は、日本の登山家、山岳ガイド。山口県出身。中央大学卒業。 株式会社ウェック・トレック顧問、日本山岳ガイド協会公認ガイド、社団法人日本山岳協会海外常任委員、社団法人日本山岳会会員(海外委員会委員長、医療委員会委員)、日本勤労者山岳連盟顧問。 山口県熊毛郡生まれ。世田谷区松原育ち。 佼成学園中学校・高等学校登山部で登山を始める。中央大学入学と同時に「日本エキスパートクライマーズクラブ(JECC)」へ入会。21歳でヨーロッパアルプスを経験。23歳で渡米。1979年、ダウラギリV峰(7,618m/ネパール)登頂。中央大学卒業後は、アメリカ、カナダで登山ガイドに従事。
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市毛 良枝(いちげ よしえ、1950年〈昭和25年〉9月6日… 市毛 良枝(いちげ よしえ、1950年〈昭和25年〉9月6日 - )は、日本の女優、登山家、タレント。NPO法人日本トレッキング協会理事。 静岡県田方郡修善寺町(現:伊豆市)出身、アミューズ所属。以前は、ハーキュリーズに所属していた。 医師でクリスチャンの父のもと、伊豆修善寺町で誕生し、小学校まで暮らす。20歳離れた二人の兄がいる。 立教女学院では松任谷由実の実姉とクラスメートであった。松任谷も市毛と姉は仲良しだったと自身のインターネットラジオ『ウィークエンドスペシャル 松任谷由実はじめました』で語っていて、市毛も松任谷は立教女学院当時から校内で目立っていたとインタビューで話している。 立教女学院中学校・高等学校卒業後、文学座や劇団俳優小劇場の養成所に入り、女優人生をスタートさせる。
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山田 昇(やまだ のぼる、1950年〈昭和25年〉2月9日 … 山田 昇(やまだ のぼる、1950年〈昭和25年〉2月9日 - 1989年〈平成元年〉2月24日)は、日本のヒマラヤ登山家。8000メートル峰14座のうち9座に12回登頂。 小惑星(4807) Noboruは山田昇に因んで命名された。 1950年2月9日、群馬県沼田市に生まれる。1965年、群馬県立沼田高等学校入学、2年時より山岳部に所属。1968年、同校卒業、沼田山岳会に入会。 1969年、群馬県立前橋職業訓練校卒業、川崎市の池貝鉄鋼に入社。1976年退職。群馬県に戻り、木材店や自動車会社などに勤務しながら、沼田山岳会での活動を続ける。 1978年、ダウラギリに登頂して以降、世界の高峰に次々と登頂する。
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加藤 保男(かとう やすお、1949年〈昭和24年〉3月6日… 加藤 保男(かとう やすお、1949年〈昭和24年〉3月6日 - 1982年〈昭和57年〉12月27日?)は、日本の登山家。8000メートル峰に4度、エベレストに3度の登頂を果たした。エベレストをネパール、チベット両側から登頂したのは世界初。エベレスト3シーズン(春・秋・冬)登頂も世界初。埼玉県大宮市(現さいたま市)生まれ。大宮市市民栄誉賞(現:さいたま市民栄誉賞)第一号を受賞。 1982年末に冬期エベレスト登頂を目指し、12月23日に7900mの最終キャンプから一人でアタックしたが片足のアイゼンが脱げ落ち、強風のなか8,100m地点で断念した。12月27日に再度、小林利明とともに最終キャンプからアタックし、約11時間後の15時55分登頂に成功した。
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難波 康子(なんば やすこ、1949年2月7日 - 1996… 難波 康子(なんば やすこ、1949年2月7日 - 1996年5月11日)は日本の登山家。東京都大田区出身、早稲田大学文学部卒。日本人女性では田部井淳子に次いで2人目のエベレスト登頂者(47歳・1996年5月10日)となり、日本人として田部井淳子に次いで2人目の七大陸最高峰登頂者(全世界では44人目、全世界女性では7人目)となったが、エベレスト下山中に猛吹雪に遭い死亡した。
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山下健夫(やました たてお、1949年1月4日 - )は日本… 山下健夫(やました たてお、1949年1月4日 - )は日本の登山家。福岡県北九州市出身。 1971年八幡大学(現九州国際大学)卒業。学生時代山岳部で国内中心に山岳登頂を重ねる。大学卒業後アウトドア用品会社に就職。 エベレスト登頂後は九州マウンテン・ガイド・サービス(山ちゃん塾)を主宰。山岳ガイドの傍ら講演活動等も頻繁に行っている。他マッキンリーやヨーロッパアルプス等登頂多数。 2006年エベレスト登頂にはハンディカムで撮影しながらのアタックに挑戦した。 2010年に3回目のエベレスト登頂を計画していたが体調の調整の為延期となった。 2012年に3回目のエベレスト登頂を目指しネパール側ルートでC4まで到達したが、エベレスト登山史上類を見ない悪条件により山頂直前で大渋滞が発生。
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尾形 好雄(おがた よしお、1948年7月2日 - )は、日… 尾形 好雄(おがた よしお、1948年7月2日 - )は、日本の登山家。福島県福島市出身。元スポニチ登山学校校長、現日本山岳協会理事長。ヒマラヤ山脈の未踏峰を登頂し、一度も事故を起こさなかった日本を代表する登山家である。 福島県福島市出身、同県二本松市在住。 父親を早くに亡くしたため、小学校時代から家計のために自転車での牛乳配達をはじめていた。中学生時代から登山に興味を示し、兄たちとともに地元安達太良山を踏破する。福島県立福島工業高等学校入学後、山岳部に入部、登山の基礎知識を学ぶ。生徒会長と折衝して部の予算を倍額にした。 1967年に社会人で構成される「雪と岩の会」に参加、登山家として活動を始める。
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長谷川 恒男(はせがわ つねお、1947年〈昭和22年〉12… 長谷川 恒男(はせがわ つねお、1947年〈昭和22年〉12月8日 - 1991年〈平成3年〉10月10日)は、日本の登山家。日本アルパインガイド協会専務理事を務めた。ウータンクラブ主宰。アルプス三大北壁の冬期単独登攀の成功は世界初。神奈川県立神奈川工業高等学校卒業。神奈川県愛甲郡愛川町半原出身。 これ以降の遠征はすべて敗退する。
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重廣 恒夫(しげひろ つねお、1947年(昭和22年)10月… 重廣 恒夫(しげひろ つねお、1947年(昭和22年)10月11日 - )は、日本の登山家。山口県徳山市(現在の周南市)生まれ。日本山岳会会員。兵庫県尼崎市在住。 小学3年生の頃に始めた昆虫採集で珍種を求めて山奥に入るようになり、次第に登山に傾倒していく。1967年、山口県立徳山高等学校卒。1971年(昭和46年)に、岡山理科大学応用化学科卒、オニツカ(現在のアシックス)に入社する。 1973年(昭和48年)、第2次RCC隊に参加し、この当時、エベレストの南西壁の最高到達点までの登攀(とうはん)を果たし、1977年(昭和52年)に、日本山岳協会隊で、K2の日本人初、世界でも2番目の登頂を達成。1979年(昭和54年)、高田直樹を隊長とする京都カラコルムクラブ隊で、ラトックI峰に初登頂を果たした。
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根深 誠(ねぶか まこと、1947年2月6日 - )は、日本… 根深 誠(ねぶか まこと、1947年2月6日 - )は、日本のルポライター、登山家。 青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校、明治大学農学部卒業。同大学山岳部OB。小学校の時から登山に親しみ、家を出てから下駄履きで岩木山登山をして帰って来たときもあった。 1964年1月に岩木山でおきた大館鳳鳴高生の岩木山遭難事件では、同じ高校生として厳冬期の岩木山に偶然居合わせ、捜索活動などに参加している。このため、この事件を扱ったテレビドラマ(2001年8月20日NHK放映 ノンフィクションドラマ『遭難』)や、開高健賞を受賞した田沢拓也の「空と山のあいだ」に高校生時代の根深が出てくる。 1977年ヒマール・チュリ、1981年エヴェレストともに失敗。
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辰野 勇(たつの いさむ、1947年 - )は、日本の登山家… 辰野 勇(たつの いさむ、1947年 - )は、日本の登山家、冒険家。登山用品メーカーの株式会社モンベル(mont-bell)の創業者であり、現在は会長を務める。大阪府堺市出身。大阪府立和泉高等学校卒業。奈良県奈良市高畑町在住。
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八木原 圀明(やぎはら くにあき、1946年11月27日 -… 八木原 圀明(やぎはら くにあき、1946年11月27日 - )は、日本の登山家。社団法人日本山岳協会第11代会長、日本ヒマラヤ協会理事。群馬県前橋市出身。群馬県立前橋商業高等学校卒業。 前橋市立南橘中学校時代から上毛三山や谷川岳への登山を重ね、高校卒業後に群馬ミヤマ山岳会に入会した後、谷川岳一ノ倉沢衝立岩正面壁ミヤマルート初登攀を達成した。 1971年からヒマラヤへ通い始める。以後、1975年にダウラギリⅣ峰、1981年にヤルン・カンへの登頂を果たした。その後、ダウラギリI峰南東稜初登攀、冬季アンナプルI峰南壁初登攀(1987年)、冬季エベレスト南西壁初登攀(1993年)と3つの世界初を記録した。
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池沼 慧(いけぬま さとし、1946年 - 2016年)は、… 池沼 慧(いけぬま さとし、1946年 - 2016年)は、登山家、ロッククライマー。 海洋上に浮かぶ岩峰の登攀を「洋上登攀」と称し、実践していた。日本列島の洋上の100m級の岩である針之岩とナポレオン岩を初登頂している。日本山岳会東海支部所属。 この項目は、探検家や冒険者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝)。
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海津 正彦(かいつ まさひこ、1945年12月13日 - 2… 海津 正彦(かいつ まさひこ、1945年12月13日 - 2024年6月27日)は、日本の山岳書翻訳家、登山家。 昆虫採集などで山の楽しさに目覚め、15歳で社会人山岳会の岩峯登高会に入会し、奥鐘山西壁左方ルンゼや中央ルンゼを初登する。貿易商社に勤めるも3年で退職、同じ山岳会会員だった結婚したばかりの妻の後押しもあり翻訳家を目指し、1981年に山岳雑誌『岩と雪』で仕事を得て、1983年に初めての翻訳書籍を出版した。2019年、心臓弁膜症の開心術を受けた。2024年に感染性心内膜炎のため立川市の病院で死去した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
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大内 尚樹(おおうち なおき、1945年 - )は、日本の登… 大内 尚樹(おおうち なおき、1945年 - )は、日本の登山家。 小学生時代にシダ植物採取に夢中になり、中学生で登山に目覚めて山岳会に入会した。27歳で山岳同人・東京心岳会を設立し、そのメンバーで当時誰も手をつけていなかった未知未踏の海谷山塊の大岩壁群を開拓した。懸垂が1回もできないにもかかわらず、海谷山塊に1970年代前半の最高グレードVIにあたる高地岳北壁カールマルクス大フェースを初登するなど、当時を代表するクライマーの一人だった。1999年から中国・四姑娘山周辺に通い、10本以上のルートを初登攀している。 この項目は、探検家や冒険者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝)。
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岩崎 元郎(いわさき もとお、1945年 - )は、日本の登… 岩崎 元郎(いわさき もとお、1945年 - )は、日本の登山家。登山教室「無名山塾」主宰。 東京都品川区大井町に生まれる。東京理科大学中退。1963年、18歳で昭和山岳会に入会後、1970年、山岳同人「蒼山会」を創立、1981年、ヒマラヤのニルギリ南峰登山に登山隊長として参加するも敗退。同年11月に登山教室「無名山塾」を設立、著述や講演も通じて登山者の啓発活動に従事。中高年登山ブームの到来により、安易かつ危険な登山が増えていることに警鐘を鳴らしている。
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下嶋 浩(しもじま ひろし、1944年(昭和19年)10月6… 下嶋 浩(しもじま ひろし、1944年(昭和19年)10月6日 - 1999年(平成11年)8月15日)は、機械工学、ロボット工学を専門とする日本の研究者、登山家。東京工業大学工学博士。ロボット国際標準規格に関するISO国際会議日本代表として活躍。ランニング登山の国際的第一人者としても有名で、「下嶋渓」の名で著書もある。東京工業大学教授在職中の1999年、マッターホルンの登山中に滑落事故で死去。 1944年生まれ、神奈川県出身。高校生の頃から登山を始め、カメラいじりも得意であった。東京工業大学工学部機械工学科を卒業。同期生に林巌、吉澤善男がいた。 東京工業大学大学院修士課程、博士課程を通じて、小川潔教授の元で研究を行う。
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穂高 健一(ほだか けんいち、1943年10月12日 - )… 穂高 健一(ほだか けんいち、1943年10月12日 - )は、日本の小説家、ジャーナリスト、写真家、登山家。名字の「穂高」はペンネームであり、本名は非公開。 広島県大崎上島町出身、中央大学経済学部卒業。 日本ペンクラブ広報委員会・会報委員会、電子文藝館の各委員。 日本文藝協会、日本山岳会、日本写真協会に所属。 読売・日本テレビ文化センター、朝日カルチャーセンター、目黒学園カルチャースクールなどで、「文学賞を目指す小説講座」、「エッセイ教室」、「フォト・エッセイ」の講師を務める。 東京都葛飾区在住。かつしか区民大学では、「区民記者講座」の講師も務める。 作家・吉岡忍、伊藤桂一、小中陽太郎、出久根達郎、高橋千劔破、新津きよみ、山名美和子、ジャーナリスト・轡田隆史、大原雄、吉澤一成、井出勉、相澤与剛、文藝評論家・清原康正らと交流を持つ。
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高橋 和之(たかはし かずゆき、1943年1月26日 - )… 高橋 和之(たかはし かずゆき、1943年1月26日 - )は、東京都中野区出身の登山家。登山用品店「カモシカスポーツ」創業者。愛称は「ダンプ」。 この項目は、探検家や冒険者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝)。
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今井 通子(いまい みちこ、1942年2月1日 - )は、日… 今井 通子(いまい みちこ、1942年2月1日 - )は、日本の医師・登山家、ラジオパーソナリティー。 和光小学校、女子学院中学校・高等学校を経て、東京女子医科大学医学部を卒業後、東京女子医科大学病院に勤務する傍ら、趣味の登山で女性として初めてアルプス三大北壁(マッターホルン、アイガー、グランド・ジョラス)の登攀に成功した。 東京女子医科大学泌尿器科医として在籍。日本泌尿器科学会指導医・専門医。医学博士。東京農業大学客員教授。兵庫県立森林大学校「特任大使」。 2011年1月(2007年3月定年退職後、準備の後)森林医学の研究者等と共にInternational Society of Nature and Forest Medicine (INFOM) を設立。
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植村 直己(うえむら なおみ、1941年〈昭和16年〉2月1… 植村 直己(うえむら なおみ、1941年〈昭和16年〉2月12日 - 1984年〈昭和59年〉2月13日)は、日本の登山家、冒険家。 兵庫県出身。1970年に世界最高峰エベレストに日本人で初めて登頂した。同年、世界初の五大陸最高峰登頂者となる。1978年に犬ぞり単独行としては世界で初めて北極点に到達した。1984年、冬期のマッキンリー山(デナリ)に世界で初めて単独登頂したが、下山中に消息不明となった。1984年、国民栄誉賞を受賞した。 1941年2月12日、兵庫県城崎郡国府村(現:豊岡市日高町)上郷で、父・植村藤治郎と母・梅の7人兄弟の末子として生まれた。実家は農業とわら縄製造。 藤治郎の3代前の「植村直助」から「直」の字を取り、干支の「巳」と合わせて「直巳」と名付けられたが、村役場の戸籍担当職員が戸籍簿に誤って「直已」と記入したことから、戸籍名は「直已」として登録された。
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若山 美子(わかやま よしこ、1940年〈昭和15年〉5月1… 若山 美子(わかやま よしこ、1940年〈昭和15年〉5月19日 - 1973年〈昭和48年〉8月3日)は、日本の登山家、彫刻家。1967年(昭和42年)に今井通子と共に、アルプス山脈三大北壁の一つであるマッターホルンの北壁へ、世界初の女性だけのパーティでの登攀を果たした。卓越した登攀技術の持主として将来を期待されていたものの、新婚旅行を兼ねたマッターホルン登山で、夫と共に滑落死した。登山小説『銀嶺の人』のモデルの1人。「若山」は旧姓で、結婚後の本名は「岡本 美子」。満州里市出身。 満洲国に渡って水産会社を興した父のもとに誕生。父の事業成功により家は裕福であったが、終戦直前の1945年(昭和20年)7月に父が召集され、翌月にはソ連軍の侵攻に遭い、逃避行の生活を強いられた。
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福島 博憲(ふくしま ひろのり、1940年(昭和15年)5月… 福島 博憲(ふくしま ひろのり、1940年(昭和15年)5月19日 -) は、登山家であり、社会事業家。 1969年7月マッターホルン北壁の単独登攀は日本人初(世界第三登)。1973年9月日本エベレスト登山隊、南西壁隊員。関西大学二部体育会山岳部OB会所属。三重県名張市出身。 現在[いつ?]、スイス山岳会会員、第2次RCC同人、日本オセアニア交流協会理事。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
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神崎 忠男(かんざき ただお、1940年〈昭和15年〉5月1… 神崎 忠男(かんざき ただお、1940年〈昭和15年〉5月1日 - )は、日本の登山家、冒険家。登山界のリーダー、山岳団体の要職を務めた人物である。 東京都出身。日本大学山岳部出身。 神崎は、エベレストに4回挑戦したが頂上には到達できず、自身を「悲劇の登山家」と呼んでいた。1970年のエベレスト登山では滑落事故を経験し、1980年のチョモランマ登山では急性心筋梗塞を発症した。 NHK文化センター、読売日本テレビ文化センター、昭和女子大オープンカレッジ各登山教室講師 太郎と花子山の会会長 ジャックアンドベティ山の会会長 数多くの世界の登山、トラッキングを会員を連れて挑戦 韓国(北漢山、智異山、月出山、道峰山、漢拏山、雪岳山)、中国(雪宝頂)、台湾(玉山、雪山、南湖大山、中央尖山)、香港(海の見える山)、ロシア(アパチャ山)、トルコ(カッパドキア)、カンボジア、イタリア(ドロミテ)、グルジア(コーカサス)、スペイン(ピレネー山脈)、カザフスタン(天山)、アメリカ(グランドキャニオン、ヨセミテ国立公園)、イギリス(ウェールズ)、南極など 2019年時点で79歳であったが、月に10〜15日は古い友人たちと山歩きを楽しんでいた。
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田部井 淳子(たべい じゅんこ、1939年〈昭和14年〉9月… 田部井 淳子(たべい じゅんこ、1939年〈昭和14年〉9月22日 - 2016年〈平成28年〉10月20日)は、日本の登山家。福島県田村郡三春町出身。旧姓は石橋。 女性として世界で初めて世界最高峰エベレストおよび七大陸最高峰への登頂に成功したことで知られる。 福島県田村郡三春町生まれ。三春小学校卒業。小学4年生の時に那須の茶臼岳に登ったことが(一説には福島・安達太良山とも)登山家への意識の芽生えになったと言われている。福島県立田村高等学校卒業。1962年、昭和女子大学英米文学科卒業。日本物理学会で学会誌の編集に従事しながら社会人の山岳会に入会し、登山活動に力を注ぐ。以後数年間、谷川岳や穂高岳でのクライミングに熱中した。
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関田 美智子(せきた みちこ、1939年(昭和14年)5月1… 関田 美智子(せきた みちこ、1939年(昭和14年)5月10日 - 1976年(昭和51年)5月3日)は、日本の登山家である。 東京に生まれ、東京学芸大学に入学する。在学中の1958年(昭和33年)には同大学内のクラブであった女子学生で結成した「凌雪会」の創設にあたり、登山を始めた。卒業後は東京都立心身障害者福祉センターに勤務し、その傍らで鹿島槍ヶ岳荒沢奥壁や穂高岳滝谷、谷川岳一ノ倉沢衝立岩等を登山する。 1972年(昭和47年)にはアラスカにあるマッキンリー(現在の呼称はデナリ)の南壁に女性登山隊のリーダーとして登山し、1974年(昭和49年)には日本マナスル女性登山隊の一員となった。1976年(昭和51年)に再度穂高岳を登山するがその途中で滑落死した。
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雁部 貞夫(かりべ さだお、1938年12月16日 - )は… 雁部 貞夫(かりべ さだお、1938年12月16日 - )は、日本の歌人、登山家。 東京向島生まれ。早稲田大学教育学部卒。東京都立高校教諭を務める。1966年、ヒンドゥ・クシュ主稜でパキスタン側から日本人初の登山活動を行ない、サラグラール峰山群とブニ・ゾムを試登した。1968年夏、未踏峰のヒンドゥ・ラジ山脈の最高峰コヨ・ゾムに試登し、イシュペル・ドームとフラッテロ・ゾムに初登、その後十数度これらの山域を踏査した。近年はヤルフーン河原流域を踏査し、1997年と2003年夏、ヒンドゥ・クシュ山系の最大の氷河、チアンタール氷河を縦断し、未踏の六千メートル峰を多数撮影して多くの資料をもたらした。 また、宮地伸一の影響により学生時代から『アララギ』会員として作歌、1997年に終刊した「アララギ」の後継誌として吉村睦人らと「新アララギ」を創刊し、編集委員、選者を務める。
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渡邉 玉枝(わたなべ たまえ、1938年11月12日 - )… 渡邉 玉枝(わたなべ たまえ、1938年11月12日 - )は、日本の登山家。富士河口湖町名誉町民。 山梨県富士河口湖町出身。家業の農業を手伝いながら、定時制高校に通う。都留短期大学(現都留文科大学)卒業後、神奈川県の職員(地方公務員)となる。神奈川県庁山岳会に入会し、登山を本格的に始め、1977年、マッキンリーに登頂。これは一般的なルートより難易度の高いバリエーションルートといわれる「南壁アメリカン・ダイレクトルート」の女性初登攀であった。 8,000メートル級の山4座のほか、モンブラン、キリマンジャロ、アコンカグアなどの登山歴をもつ。県庁勤務を経て県立高校事務長に就任。 田部井淳子に誘われ、50歳以上のメンバーで8000m級の山に挑戦しようという会「シルバータートル」に参加し、1991年52歳で初めての8000m峰チョ・オユーの登頂に成功する。
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佐伯 道子(さえき みちこ、1938年4月 - 1974年5… 佐伯 道子(さえき みちこ、1938年4月 - 1974年5月22日)は、日本の歌人・登山家。 大分県南海部郡上野町生まれ。大分県立別府鶴見丘高等学校卒、1960年広島大学教育学部国語科卒、萩原朔太郎で卒論を書く。在学中から登山を始める、1960年10月、増永迪男と結婚し、福井市に住む。短歌を作る。登山中に転落し死亡。 この項目は、探検家や冒険者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
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森田 勝(もりた まさる、1937年(昭和12年)12月19… 森田 勝(もりた まさる、1937年(昭和12年)12月19日 - 1980年(昭和55年)2月24日)は、日本の登山家。 1937年12月19日、東京府北豊島郡(現在の東京都荒川区)に4人兄弟の長男として生まれた。 戦争中、埼玉県松伏に疎開、家族で自給自足生活に入った。小学校4年生の時に、母が死亡。父が再婚すると、野田の醤油工場に奉公に出される。中学校を卒業できないまま実家に戻り、父の下で金型工の見習いとなる。そのころブームになりつつあった登山を始めるようになる。 1959年に東京緑山岳会に入会。主に谷川岳でのクライミングにのめりこんで行く。金型工としての腕はあったが、山登りを優先し、職場を転々とする生活になった。
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小板橋 徹(こいたばし とおる、1937年8月15日 - )… 小板橋 徹(こいたばし とおる、1937年8月15日 - )は、日本の登山家。群馬県安中市出身。日本山岳ガイド協会、日本山岳会の会員。 群馬県立高崎工業高等学校電気通信科から東京理科大学数学科に進学し、卒業。1958年2月、後にエベレスト遠征隊を送る有名山岳会である第2次RCCの設立に際して同人として参加。1963年 結婚し「泰磨 徹」に改名。 1970年11月 全日本アーチェリー選手権大会出場
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橋本 龍太郎(はしもと りゅうたろう、1937年(昭和12年… 橋本 龍太郎(はしもと りゅうたろう、1937年(昭和12年)7月29日 - 2006年(平成18年)7月1日)は、日本の政治家、登山家。位階は正二位。勲等は大勲位。学位は法学士(慶應義塾大学)。岡山県総社市名誉市民。剣道錬士六段。
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吉尾 弘(よしお ひろし、1937年(昭和12年)4月 - … 吉尾 弘(よしお ひろし、1937年(昭和12年)4月 - 2000年(平成12年)3月13日)は、日本の登山家。東京都墨田区錦糸町生まれ。第2次RCC同人。日本勤労者山岳連盟名誉会員。
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内田 嘉弘(うちだ よしひろ、1937年 - )は、日本の登… 内田 嘉弘(うちだ よしひろ、1937年 - )は、日本の登山家。日本山岳会、日本ヒマラヤ協会、日本山岳文化学会、京都山友クラブ、京都府山岳連盟所属。 京都府京都市生まれ。1957年、鈴鹿連峰霊仙山に登ったことがきっかけで登山の道へ。1962年立命館大学法学部卒業後、本格的に登山家として活動を始める。登山のほか、京都野鳥の会自然観察指導員も務める。
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