朝比奈 三代子(あさひな みよこ、本名:高橋 三代子(たかは… 朝比奈 三代子(あさひな みよこ、本名:高橋 三代子(たかはし みよこ)、1969年9月24日 - )は、日本の元女子陸上競技(主にマラソン)選手で、元マラソン日本女子最高記録保持者である。神奈川県出身。 中延学園高等学校(現・朋優学院高等学校)時代に日本選手権1500mで優勝。1988年に同校を卒業後、旭化成陸上部入部。同年10月の全日本実業団対抗陸上競技選手権大会では3000mで、増田明美の日本記録を5年ぶりに更新した。その後長距離・マラソンに転向する。 1992年の大阪国際女子マラソンでは、ライバルの小鴨由水(当時初マラソン世界記録及び日本最高記録で優勝)・松野明美(2位)らと共にマラソンデビューを果たし注目を集めたが、30km以降で失速し2時間30分48秒で9位に終わる。
中道 貴之(なかみち たかゆき、1969年4月17日 - )… 中道 貴之(なかみち たかゆき、1969年4月17日 - )は日本の元陸上競技選手。三重県出身。
大沢 知宏(おおさわ ともひろ、1969年4月2日 - 20… 大沢 知宏(おおさわ ともひろ、1969年4月2日 - 2016年4月6日)は、埼玉県出身の元陸上競技選手・元陸上競技指導者。1988年ソウルオリンピックの日本代表。 中学時代は野球部に所属。松山高等学校入学後に陸上に転向した。 高校2年時にインターハイ男子100mで3位。3年時のインターハイ男子100mでは、ディフェンディングチャンピオンの名倉雅弥、高校生ながら男子100mの日本記録(手動計時)を樹立していた中道貴之を抑えて優勝した。更にアンカーを務めた男子4×100mリレーも優勝に貢献し、男子100mとの大会2冠を達成。総合優勝に貢献し、最優秀選手賞に選出された。 早稲田大学時代には、1年時の1988年に日本選手権男子100mで2位に入り、ソウルオリンピックの日本代表に選出。
平塚 潤(ひらつか じゅん、1969年(昭和44年)1月8日… 平塚 潤(ひらつか じゅん、1969年(昭和44年)1月8日 - )は、日本のスポーツ科学者、陸上競技元選手・現指導者で、専門種目は長距離走、駅伝及びマラソン。1993年世界陸上シュトゥットガルト大会男子10000m代表・1994年広島アジア競技大会男子10000m銀メダリスト。 2001年から2009年まで、城西大学駅伝部の監督を担当。城西大学理学部助手、同経営学部助専任講師、助教を経て2010年より准教授。 茨城県東茨城郡城里町出身。水戸工業高校から日本体育大学へ進学し、体育学部体育学科卒業、同大学大学院体育科学研究科修了。エスビー食品陸上競技部に10年間在籍し、2001年度より城西大学男子駅伝部監督に就任。
実井 謙二郎(じつい けんじろう、1968年12月16日 -… 実井 謙二郎(じつい けんじろう、1968年12月16日 - )は、岐阜県多治見市出身の日本の陸上競技選手。専門は長距離種目。中京商業高等学校、大東文化大学卒業。MDI(現在のレオパレス21)→日清食品、日清食品グループコーチを経て、現在は日清食品グループで働いている。アトランタオリンピックマラソン代表。身長166.5cm、体重53kg。血液型A型。息子の実井智哉も陸上競技選手(東京農業大学卒業→NTT ExCパートナー所属)。 大東文化大学時代は箱根駅伝に4年連続出場。1年時の第64回大会1区ではスタート直後から独走して区間賞を獲得する鮮烈なデビューを果たす。2年時からは大東大のエースとして3年連続で花の2区を担当。
真木 和(まき いずみ、1968年(昭和43年)12月10日… 真木 和(まき いずみ、1968年(昭和43年)12月10日 - 2018年(平成30年)10月18日)は、日本女子の元陸上競技(長距離走・マラソン)選手。 1992年バルセロナオリンピック・女子10000mと、1996年アトランタオリンピック女子マラソンに、二大会連続で五輪代表選出や、世界陸上選手権2度出場(ともに10000m)など、1990年代前半から後半にかけて活躍した。現役引退後は恩師であるシスメックス女子陸上部顧問・藤田信之が監督として主催の「F・R・A 藤田ランニングアカデミー」のアドバイザリー・スタッフを務めていた。 愛媛県今治市(旧越智郡波方町)出身。愛媛県立今治北高等学校在籍中から頭角を現し、1987年ワコール入社後は長距離トラック競技(3000m~10000m)や、駅伝競走などでも所属チームの優勝に貢献するなどで活躍する。
野村 綾子(のむら あやこ、1968年11月7日 - )は、… 野村 綾子(のむら あやこ、1968年11月7日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は短距離走。女子100mの元日本記録保持者。1991年東京世界選手権女子4×100mリレーの日本代表。 日本体育大学在籍時の1990年、日本選手権女子200mを日本学生新記録(当時)の24秒25で制して初優勝を達成。 光アクティス在籍時の1991年、8月の南部記念女子100mで11秒71の日本新記録(当時)を樹立し、1978年に阿萬亜里沙、1986年に北田敏恵が樹立した従来の記録を0秒02更新した。自国開催となった8月下旬の東京世界選手権女子4×100mリレーでは日本チーム(正木典子、柿沼和恵、北田敏恵、野村綾子)のアンカーを務め、予選敗退に終わったものの44秒85の日本新記録(当時)樹立に貢献した。
佐野 浩之(さの ひろゆき、1968年10月6日 - )は、… 佐野 浩之(さの ひろゆき、1968年10月6日 - )は、静岡県富士宮市出身の陸上競技選手。静岡県富士宮市立第四中学校、静岡県立富士宮北高等学校、法政大学卒。 1992年バルセロナオリンピックで男子棒高跳に出場した。
弘山 晴美(ひろやま はるみ、旧姓・鈴木。1968年9月2日… 弘山 晴美(ひろやま はるみ、旧姓・鈴木。1968年9月2日 - )は、日本女子の元陸上競技(中距離走・長距離走・マラソン)選手。現在は陸上競技の指導者。 夫も同じ陸上競技元選手で、現指導者(2015年4月より筑波大学陸上部・長距離走コーチののち監督)の弘山勉。現在1児の母親。 徳島県鳴門市出身。血液型はB型。 鳴門市大麻中学校時代に陸上競技を始め、中学時代に第1回全国都道府県対抗女子駅伝競走大会にも徳島県代表として出場している。徳島県立鳴門高等学校を経て国士舘大学卒業後の1991年に資生堂に入社。 1993年2月に資生堂ランニングクラブの元選手で、引退後同コーチに就任した弘山勉(2007年4月~2013年3月まで同RC監督を担当)と結婚。
金子宗弘(かねこ むねひろ、1968年6月6日 - )は、日… 金子宗弘(かねこ むねひろ、1968年6月6日 - )は、日本の陸上競技選手。十種競技前日本記録保持者。ミズノ株式会社勤務。
早田 俊幸(はやた としゆき、1968年5月2日 - )は日… 早田 俊幸(はやた としゆき、1968年5月2日 - )は日本の岐阜県出身の陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。1994年広島アジア競技大会男子マラソン銀メダリスト、1995年世界陸上イェーテボリ大会男子10000m日本代表。
垣守 博(かきもり ひろし、1968年3月31日 - )は日… 垣守 博(かきもり ひろし、1968年3月31日 - )は日本の男子陸上競技選手。専門はハードル走。 奈良県立添上高等学校、中央大学卒。1985年にジャカルタで開催されたアジア陸上競技選手権大会の400mハードルで3位、翌年の世界ジュニア陸上競技選手権大会では2位になっている。日本陸上競技選手権大会では1986年に110mハードルで優勝、1988年にも400mハードルで3位になっている。 『日本陸上競技連盟七十年史』(1995年)参考
梅津 富浩(うめつ とみひろ、1968年2月2日 - )は、… 梅津 富浩(うめつ とみひろ、1968年2月2日 - )は、長崎県出身の日本の陸上競技選手。専門は長距離種目。長崎県立国見高等学校→日本大学→長崎県立諫早農業高等学校→愛知製鋼、現在創成館高等学校の教員で陸上部監督。身長179cm、体重60kg。血液型O型。 日本大学時代は東京箱根間往復大学駅伝競走大会に1年(1989年)から4年(1992年)まで4年連続出場した。1年時3区(21.4km)、2年時7区(21.3km)、3年時3区(21.4km)、4年時1区(21.3km)にエントリーされ、2年時と4年時は準優勝に貢献した。また出雲全日本大学選抜駅伝競走に第1回大会で優勝し、全日本実業団対抗陸上競技選手権大会で初優勝した。
小松 隆志(こまつ たかし、1967年12月30日 - )は… 小松 隆志(こまつ たかし、1967年12月30日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は三段跳。1994年アジア競技大会銀メダリスト、2002年アジア競技大会銅メダリスト。高知県安芸市出身。高知県立安芸高等学校、日本大学卒業。 安芸高校3年の国民体育大会で三段跳に出場し、15メートル81の日本高校新記録をマークして優勝。1994年、日本選手権で初優勝。広島アジア大会では16m88をマークして銀メダルを獲得した。1996年、アトランタオリンピックへの出場が有力視されていたが、コンディショニングに失敗し選考会であった日本選手権で3位に終わり、オリンピック出場を逸した。2000年のシドニーオリンピックも落選した。
鈴木 文(すずき あや、1967年11月18日 - )は、日… 鈴木 文(すずき あや、1967年11月18日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は砲丸投、ハンマー投。元砲丸投日本記録保持者、ハンマー投アジア記録保持者。女子ハンマー投のパイオニアとして知られる。静岡県浜松市出身。静岡県浜松市立天竜中学校卒業。静岡県立浜松工業高等学校卒業。広島県のチチヤス乳業に所属した。
岩崎 利彦(いわさき としひこ、1967年10月4日-)は群… 岩崎 利彦(いわさき としひこ、1967年10月4日-)は群馬県山田郡大間々町(現・みどり市)出身の元陸上競技選手。元110mハードル日本記録保持者。日本人初の電気計時14秒突破選手。1991年世界陸上競技選手権大会代表、1992年バルセロナオリンピック代表。
森下 広一(もりした こういち、1967年9月5日 - )は… 森下 広一(もりした こういち、1967年9月5日 - )は、鳥取県八頭郡八頭町出身の元陸上競技選手、指導者。1992年のバルセロナオリンピック男子マラソン銀メダリスト。鳥取県立八頭高等学校出身、現役時は旭化成陸上部所属。現在はトヨタ自動車九州陸上競技部監督。 船岡町立船岡中学校時代は水泳部に所属しながら駅伝に参加し、3年次には中学駅伝鳥取県大会の区間賞(6区)を獲得している。八頭高等学校に進学後、陸上競技部に入部して頭角を現す。3年次にはインターハイ予選中国地区大会の3000mSCにおいて由良育英高等学校の岡田敦行とともに高校生として初めて9分を突破、地元開催であったわかとり国体では、少年A1500m1500mで8位、少年A10000mで6位と気を吐く。
笠原 隆弘(かさはら たかひろ、1967年7月31日 - )… 笠原 隆弘(かさはら たかひろ、1967年7月31日 - )は、日本の短距離走選手である。1988年ソウルオリンピック日本代表選手。 三重高等学校時代の1985年に、100メートルで手動計時10秒6を出す。 中京大学に進学し、1988年の第72回日本陸上競技選手権大会の100メートルに10秒60で優勝した。同年のソウルオリンピックには男子100メートルと400メートルリレーに出場した。同じ中京大学に所属していた青戸慎司も揃って代表となっている。
青戸 慎司(あおと しんじ、1967年5月7日 - )は、和… 青戸 慎司(あおと しんじ、1967年5月7日 - )は、和歌山県和歌山市出身の陸上競技(短距離)・ボブスレー選手、スポーツ指導者。スポーツコメンテーター、中京大学スポーツ振興部課長、スポーツ科学部非常勤講師、体育会陸上競技部副部長を務める。男子100メートル競走の元日本記録保持者である。2012年早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程で修士(スポーツ科学)を修了。大学院では平田竹男教授(内閣官房参与、東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部事務局長)の指導を受ける。平田研究室7期生には三浦俊也や瀧本誠、大橋未歩などがいる。修士論文の題目は「小学校授業におけるかけっこ指導法の改善に関する研究」。
原 晋(はら すすむ、1967年〈昭和42年〉3月8日 - … 原 晋(はら すすむ、1967年〈昭和42年〉3月8日 - )は、日本の陸上競技指導者、大学教員、タレント、コメンテーター、評論家、スポーツ解説者、コンサルタント、パネリスト、司会者、元陸上競技選手、元中国電力営業職員。妻は青学大町田寮・寮母の原美穂。 青山学院大学陸上競技部・男子長距離ブロック監督、青山学院大学相模原キャンパス・地球社会共生学部・地球社会共生学科教授、関東学生陸上競技連盟・駅伝対策委員長、GMOアスリーツ・EKIDENダイレクター、三原市・ふるさと大使、埼玉医科大学・客員教授、スポーツ産業化推進議員連盟・アドバイザリーボード、アディダス・キャンペーンアンバサダー、プロ・フィッツ名誉監督、HLBスポーツ・顧問、バディ企画研究所・社外取締役、アスリートキャリアセンター・会長(三重県桑名市と連携協定)、日本トライアスロン連合・理事、ジョリーグッド・社外取締役、神奈川県相模原市・スポーツ宣伝大臣、熊本県球磨郡水上村・アドバイザー、タスキホールディングス・PR大使、鈴廣かまぼこ・魚肉たんぱく戦略アドバイザー、ユニクロ女子陸上部・スペシャルアドバイザー、東北高等学校・教育アドバイザー、株式会社RUNDY・アドバイザー、RUNDY Athlete Club・クラブアドバイザー。
磯貝 美奈子(いそがい みなこ、1967年3月7日 - )は… 磯貝 美奈子(いそがい みなこ、1967年3月7日 - )は、日本の陸上競技選手である。群馬県出身。愛称は「ミナコ」「みなっち」。七種競技と走幅跳の日本記録を樹立し、1980年代の日本陸上界を牽引した名選手である。東京の私立大学を中心とした勢力図の中で、一地方大学である群馬大学から世界に飛び立った選手であり、多くのファンに愛された。
兵頭 勝代(ひょうどう かつよ、本名:宮本 勝代、1967年… 兵頭 勝代(ひょうどう かつよ、本名:宮本 勝代、1967年- )は日本の元陸上競技選手、トライアスロン選手。愛媛県出身。 中学時代までは競泳選手で、バタフライで四国4位となったものの全国大会に出場できなかったことから水泳部を退部した。全国都道府県対抗女子駅伝での増田明美の走りを見たことがきっかけで陸上競技に転向し、愛媛県立松山商業高等学校で陸上部に入部(年代は離れているが、土佐礼子の先輩に当たる)。高校時代は3000mのベストタイムが10分12秒で、全国高等学校総合体育大会陸上競技大会にも出場したが予選落ちに終わった。 高校卒業後、クラレ西条工場の陸上部に進み、長距離選手として山陽女子ロードレースなどに出場。
新井 文子(あらい あやこ、1967年 - )は、1980年… 新井 文子(あらい あやこ、1967年 - )は、1980年代後半から1990年代に活躍した日本の陸上競技選手。元女子800m・1,000m・2,000m走日本最高記録保持者。群馬女子短期大学附属高等学校(現・高崎健康福祉大学高崎高等学校)から三田工業に入社。のち京セラに移籍。群馬県出身。 1984年、群馬女子短大附属高校2年時、第72回日本選手権女子800mにおいて優勝。以降1988年の第76回まで同種目5連覇を飾る。 1985年、高校3年生で800m2分4秒82の日本新記録を樹立。全国女子駅伝1区で区間新記録を樹立した。その他の記録は以下。
今村 文男(いまむら ふみお、1966年11月5日 - )は… 今村 文男(いまむら ふみお、1966年11月5日 - )は、千葉県柏市出身の日本の陸上競技選手。専門は競歩で50km競歩元日本記録保持者ならびに50000m競歩日本記録保持者。日本陸上競技連盟競歩ブロック部長 バルセロナオリンピック、シドニーオリンピック日本代表。広島アジア大会銀メダリスト、バンコクアジア大会銅メダリスト。 柏市立柏中学校、八千代松陰高等学校、東洋大学経済学部卒業。富士通に所属した。順天堂大学大学院修了。 日本の競歩界をリードする存在として長年に渡って活躍。競歩界のパイオニア的存在であった。 東洋大学時代は日本インカレ3位、1998年第13回全日本競歩根上大会男子30kmで初優勝を果たす。
弘山 勉(ひろやま つとむ、1966年10月12日 - )は… 弘山 勉(ひろやま つとむ、1966年10月12日 - )は栃木県真岡市出身の元陸上競技選手、現指導者。専門は中距離走・長距離走・マラソン。栃木県立真岡高等学校、筑波大学卒業。現役時代は資生堂に所属した。2015年4月〜2024年3月迄、母校の筑波大学陸上競技部男子駅伝監督.を務めた。 妻は同じく資生堂ランニングクラブに所属し、オリンピックでは3大会連続で出場した弘山晴美。 真岡市立山前中学校在学時は、野球部に所属しポジションは投手であった。しかし、中学のマラソン大会で上位に入ったのをきっかけに、高校から陸上競技へ転向する。高校時代は主に中距離ランナーとして活躍。3年時には全国高校駅伝の2区(3Km)に出場した(区間7位)。
奥山 光広(おくやま みつひろ、1966年7月10日 - )… 奥山 光広(おくやま みつひろ、1966年7月10日 - )は、千葉県習志野市出身の陸上競技選手。専門は中距離走。習志野高校、専修大学卒業。ヤクルト陸上競技部チーフアドバイザー。 1990年代の1500メートル競走にて多くのタイトルを獲得した。 習志野高校三年次の全国高等学校駅伝競走大会にて、1区を担い9位で襷を繋いだ。 高校卒業後は、専修大学へ進学。2年次の箱根駅伝にて1区8位。3年次も1区を担当。3位と好走した。4年次の1988年日本インカレ男子1500mにて優勝。専修大学陸上競技部内でも同年に記録した3分43秒74が令和5年9月1日現在も部内記録となっている。また、5000mでも実業団・学生対抗陸上競技大会にて14分25秒99にて優勝。
不破 弘樹(ふわ ひろき、1966年7月9日 - )は、日本… 不破 弘樹(ふわ ひろき、1966年7月9日 - )は、日本の陸上競技選手。ロサンゼルスオリンピック日本代表。群馬県沼田市出身。沼田市立西中学校、東京農業大学第二高等学校、法政大学卒業。 小学生時代から沼田市内の大会において、4年生から100mにおいて驚異的な14秒7という記録を樹立し、6年生の県大会において100m12秒6で優勝。中学時代は野球部に所属していたが、中体連において中学男子としては異例の1年生で100mの県大会決勝に進んだ。1981年の関東大会男子100mで電気計時では中学生初の10秒台となる10秒95をマークし、10日後の第8回全日本中学選手権男子100mでは11秒00の大会新記録を樹立して優勝。
川嶋 伸次(かわしま しんじ、1966年6月4日 - )は、… 川嶋 伸次(かわしま しんじ、1966年6月4日 - )は、日本の元陸上競技・マラソン選手。現在は主に指導者として活動中。旭化成陸上部コーチ。2000年シドニー五輪男子マラソン日本代表で、元東洋大学陸上競技部監督(2002年1月 - 2008年12月)。埼玉県出身。埼玉県立飯能高等学校、日本体育大学卒業。柔道二段を持つ。 1982年4月、埼玉県立飯能高等学校に入学。飯能高校の1学年上に、高1で横浜インターハイ5000m 5位、高2で鹿児島インターハイ5000m 優勝、高3で名古屋インターハイ5000m 2位とインターハイ5000mで3年連続入賞した牧野典彰(飯能高校⇒明治大学⇒旭化成)が存在した。
山本 浩之(やまもと ひろゆき、1966年5月31日 - )… 山本 浩之(やまもと ひろゆき、1966年5月31日 - )は、福岡県北九州市出身の元車いす陸上競技選手。 20歳の時、バイク事故がもとで脊髄を損傷して下半身麻痺となり、車いす生活となった。退院と同時に車いすバスケットボールに取り組み、10年ほどして車いすマラソンに転向した。パラリンピックや国際大会で日本代表選手として活躍した。 その一方で、2011年に高校生だった息子(妻の連れ子)を飲酒運転による事故で亡くしたことから、妻と共に被害者遺族の立場で飲酒運転撲滅に向けた活動を続けている。 年齢が50代になっても車いすマラソンの大会に出場を続けていたが、2021年の第40回記念大分国際車いすマラソンへの出場に向けて練習していた10月、心臓に痛みを感じ、心筋梗塞の疑いで入院した。
三浦 学(みうら まなぶ、1966年5月19日 ‐ 1995… 三浦 学(みうら まなぶ、1966年5月19日 ‐ 1995年8月17日)は、広島県出身の陸上競技指導者(主として中距離走)、元陸上競技選手。保健体育教師(中学校、高等学校)。 広島県安佐郡可部町(現在の広島市安佐北区)生まれ。父は教員だった。小学校3年から6年まで剣道を習っていたが、運動会のリレーで活躍し、6年の頃には「可部小の三浦は足が速い」と噂されるようになっていた。広島市立可部中学校では、中村高行(世羅高~日体大)が顧問の陸上競技部に所属。2、3年の時、第41回中国中学駅伝、第42回中国中学駅伝に1区走者として出場した。高校は当初、地元の広島県立可部高等学校への進学を考えていたが、駅伝の名門で、恩師の中村の出身校でもある広島県立世羅高等学校への進学を決意。
倉林 俊彰(くらばやし としあき、1966年4月29日 - … 倉林 俊彰(くらばやし としあき、1966年4月29日 - )は、日本の元陸上競技選手、指導者。埼玉県鳩ヶ谷市出身。順天堂大学体育学部卒業。 浦和実業学園高等学校、順天堂大学出身。 箱根駅伝には4年連続で出場。4回の出場全てで総合優勝を果たした。また、4年時の第65回大会では4区を走り、区間賞を獲得している。 大学卒業後はNECに就職したが、自己流の練習がしたいと思うようになり、1992年にYKKに移籍した。 1994年の第48回福岡国際マラソンで日本選手トップの5位に入り、世界陸上イエテボリのマラソン日本代表に選ばれたが、本戦では41位だった。 2001年に現役を引退した。 2001年に松下通信女子陸上競技部(現:パナソニック)のコーチに就任すると、2007年には監督に昇格した。
太田 裕久(おおた ひろひさ、1965年12月21日 - )… 太田 裕久(おおた ひろひさ、1965年12月21日 - )は、日本の陸上競技選手。元100m日本記録保持者。群馬県前橋市出身。東京農業大学第二高等学校、東海大学体育学部卒業。
藤村 信子(ふじむら のぶこ、本名・比護(ひご)信子、196… 藤村 信子(ふじむら のぶこ、本名・比護(ひご)信子、1965年(昭和40年)12月18日 - )は、京都府亀岡市出身の元女子陸上競技選手、現教職員及び陸上競技指導者。大阪体育大学卒業。 マラソン種目の主な実績に、1994年広島アジア競技大会女子マラソン3位入賞・銅メダリスト、1997年世界陸上選手権アテネ大会女子マラソン・日本代表(10位)、1993年北海道マラソン・1996年東京国際女子マラソン各優勝など。 当初、京都府立南丹高等学校在学時まで短距離走専門の選手であった。1983年、同高校3年生時に名古屋インターハイ・女子400mで7位入賞。1984年4月、大阪体育大学に入学。同大学陸上部では中距離走・長距離走のランナーへと転向。
小島 和恵(こじま かずえ、1965年12月12日 - )は… 小島 和恵(こじま かずえ、1965年12月12日 - )は、青森県つがる市出身の日本の元陸上競技選手。1989年に女子マラソンの日本最高記録(当時)を樹立したが、同年で現役を引退した。 高校入学以前から、吹雪に閉じ込められた校舎で廊下を走っていたという。稲垣村立稲垣中学校 卒業後、青森県立木造高等学校に進学し、長谷川穂と長谷川宇民の指導を受ける。高校3年生の時には青森県高校総体の800mで優勝。「1000m以上の練習は大嫌い」だったため、800mにこだわっていた。木造高校在籍時代の1983年には、『陸奥湾一周駅伝競走大会』(青森県民駅伝競走大会の前身)の第1回大会に、稲垣村代表の女子選手として参加した。
打越 忠夫(うちこし ただお、1965年10月30日 - )… 打越 忠夫(うちこし ただお、1965年10月30日 - )は、日本の陸上競技選手。専門はマラソン。水戸農業高等学校、順天堂大学卒業。 順大在学時代、1986年の第62回箱根駅伝では2区を走る予定だったが、直前の怪我で急遽出場出来なくなるなど3年生までは箱根駅伝には縁がなかったが、4年生で迎えた1988年の第64回箱根駅伝で3区区間賞を取り、この年の完全優勝に貢献した。 1988年大学卒業後雪印乳業に入社した。1992年北海道マラソンは日本人トップの成績となる2位、1993年のシュトゥットガルト世界選手権は5位入賞し日本人トップであった。1993年東京国際マラソン6位入賞などの戦績を残した。フルマラソンのベストタイムは1994年ロッテルダムマラソンの2時間12分52秒。
荒木 久美(あらき くみ、現姓名・窪田久美(くぼた くみ)、… 荒木 久美(あらき くみ、現姓名・窪田久美(くぼた くみ)、1965年10月11日 - )は日本の元女子陸上競技(主に長距離走・マラソン)選手。福岡県小郡市出身。 佐々木七恵、増田明美、浅井えり子、宮原美佐子らとともに、日本女子マラソンの黎明期に活躍した。また全日本実業団女子駅伝や、全国都道府県対抗女子駅伝競走大会でも活躍。全日本実業団女子駅伝では1980年代に山下佐知子らと京セラ女子陸上競技部黄金期を築いた。 一時期、登録名を「荒木久深」と改名した時期があった[要出典]。 高校は久留米市立南筑高等学校に学ぶ。高校3年生の時に全国都道府県対抗女子駅伝競走大会に出場し、駅伝競走に魅力を覚える。高校卒業後の1984年4月に、鹿児島県国分市(現・霧島市)の京セラ国分工場に就職、女子陸上部に所属した。
高田 稔浩(たかだ としひろ、1965年9月9日 - )は、… 高田 稔浩(たかだ としひろ、1965年9月9日 - )は、日本の車いすの陸上競技・マラソン選手、政治家。福井市議会議員(1期)。IPC 陸上競技クラス T52 、福井県出身、福井県身体障害者陸上競技協会所属。身長 166cm 、体重 53kg 。 2004年、アテネ・パラリンピック 400m 、5000m 、マラソンで金メダルなどパラリンピック3大会連続出場し通算7つのメダルを獲得、2012年、第32回大分国際車いすマラソン大会優勝などで活躍。クラス T52 の 1500m 、 5000m のアジア記録、日本記録、マラソンの日本記録などを樹立した。 1965年9月9日、福井県生まれ。生まれつき神経が消えていき次第に筋肉が動かなくなる遺伝性感覚運動性ニューロパチーのシャルコー・マリー・トゥース病で、幼い頃は他の子供と同じようにかけっこをしたりサッカーをしたりしていたが、次第に脚が動かなくなった。
林 浩実(はやし ひろみ、1965年7月9日 - )は日本の… 林 浩実(はやし ひろみ、1965年7月9日 - )は日本の陸上競技選手(長距離走)。現在は、結婚により前田浩実としてマラソンインストラクター・マラソンコーディネーターをしている。娘は元AKB48Team4の前田美月。 新潟県糸魚川市生まれ。小学校5年生までは運動会で最下位ばかりだったが、練習により走るのが速くなったことで走ることが好きになる。高校から本格的に取り組むようになり陸上競技部に所属、8000メートル走を専門とする。県大会突破するが北信越大会で予選敗退。高校2年生のときに始まった全国都道府県対抗女子駅伝競走大会に長野県代表として参加、10年連続で出場した。高校卒業後も陸上を続け上田無線に入社、大阪国際女子マラソンで2時間50分58秒を記録、その活躍によりリクルートランニングクラブへ入った。
高橋 勇市(たかはし ゆういち、1965年6月12日 - )… 高橋 勇市(たかはし ゆういち、1965年6月12日 - )は、視覚障害の陸上競技・マラソン選手。秋田県横手市出身、三菱商事所属。 IPC 陸上競技クラス T11 、身長 169cm 、体重 58kg 。血液型A型。 2004年、アテネパラリンピックマラソンの金メダリスト。2006年、IPC 陸上競技世界選手権大会マラソン金メダルの世界選手権者。2004年、国際盲人マラソンかすみがうら大会で当時の世界最高記録で優勝他、クラス T11 の 5000m 、 10000m 、マラソンの日本記録を樹立した。 農家の長男として生まれ、横手市立黒川小学校、同横手西中学校を経て秋田県立大曲農業高等学校に入学した。
磯崎 公美(いそざき ひろみ、1965年3月20日 - )は… 磯崎 公美(いそざき ひろみ、1965年3月20日 - )は、日本の元陸上競技選手(短距離走)。女子200m、400mの元日本記録保持者である。
吉田 良一(よしだ りょういち、1965年3月2日 - )は… 吉田 良一(よしだ りょういち、1965年3月2日 - )は、日本の短距離走選手である。1980年代の400メートルハードルの日本の第一人者である。福井県福井市出身。北陸高校、順天堂大学卒業。 1984年ロサンゼルスオリンピック、1987年ローマ世界陸上選手権では400メートルハードルで準決勝まで進出した。 1986年アジア大会では400メートルハードルでは49秒40の日本新記録で銀メダルを獲得した。 日本選手権で5回優勝している。これは為末大の7回に続く記録である。 20年近く足羽高校の監督を務めた後、北陸高校陸上部の監督を務めている。
酒井 浩文(さかい ひろふみ、1965年2月10日 - )は… 酒井 浩文(さかい ひろふみ、1965年2月10日 - )は、日本の男性競歩選手、政治家である。 長野県下伊那郡豊丘村出身。長野県下伊那農業高等学校、飯田消防署を経て、国士舘大学。1988年ソウルオリンピックで日本代表として出場した。1998年長野オリンピックでは聖火ランナーを務めた。豊丘村でスポーツクラブを運営しながら、2011年より豊丘村議会議員。
森田 修一(もりた しゅういち、1965年2月3日 - )は… 森田 修一(もりた しゅういち、1965年2月3日 - )は、日本の元陸上競技選手(長距離走・マラソン)。神奈川県出身。現在は日清食品グループ陸上競技部で監督を務める。 専修大学出身で、箱根駅伝への出場経験もある。大学卒業後は日産自動車に所属。 1992年8月開催のバルセロナオリンピック男子マラソンの代表選考レースでもあった、1991年12月の福岡国際マラソンでは、自己ベスト記録となる[要出典]2時間10分58秒のゴールタイムで優勝した。この時点で、1991年9月開催の世界陸上東京大会男子マラソンで優勝した谷口浩美がすでに代表に内定しており、残り2名は国内選考会での成績で選出となったが、森田は国内選考会優勝により有力候補となった。
大後 栄治(だいご えいじ、1964年11月21日 - )は… 大後 栄治(だいご えいじ、1964年11月21日 - )は、日本の陸上競技指導者、神奈川大学人間科学部教授。陸上競技部監督、前駅伝部監督、現駅伝部部長兼総監督、元関東学生陸上競技連盟駅伝対策委員長。コーチ、監督として箱根駅伝総合優勝2回(往路優勝3回、復路優勝1回)、全日本大学駅伝優勝3回の実績を持つ。 東京都出身。日本体育大学荏原高等学校から日本体育大学に入学した大後も、箱根駅伝出場を夢見ていた選手だった。しかし故障もあって満足に走れず、他の多くの選手と共に埋もれていた。そんな中2年生になって上級生の助言もあってマネージャーに転向。大後と入れ替わりに卒業した谷口浩美、大塚正美の時代からチームは監督、コーチが不在という状況が続いていた。
宮ケ原 浩(みやがはら ひろし、1964年8月29日 - )… 宮ケ原 浩(みやがはら ひろし、1964年8月29日 - )は、日本の近代五種選手。鹿児島県立鹿屋農業高等学校出身。自衛隊体育学校所属。2016年リオデジャネイロオリンピックでは男子監督を務めた。1992年のバルセロナオリンピックに出場した。
大崎 栄(おおさき さかえ、1964年8月18日 - )は、… 大崎 栄(おおさき さかえ、1964年8月18日 - )は、日本の元陸上競技選手、指導者。千葉県出身。 八千代松陰高等学校時代に頭角を現し、全国高校駅伝で2年連続区間賞を獲得した。チームも過去最高順位の2位に入賞するなど黄金期の中心人物だった[要出典]。しかし、東海大学進学後は4年連続箱根駅伝出場を果たしたもののタイトルに縁のないまま卒業する。 卒業後旭化成陸上部でマラソンを目指した大崎は、ここで大きなショックを受ける。高校時代の同期と同じ練習をしているのに全くついていけなかったのだ。そこで足元から見直しトラック競技から出直すことにする[独自研究?]。それが1992年のバルセロナオリンピック10000m代表に繋がった。
山内 健次(やまうち けんじ、1964年8月10日 - )は… 山内 健次(やまうち けんじ、1964年8月10日 - )は、兵庫県神戸市東灘区生まれの日本の男子陸上競技選手。100m(手動計時)、200m、4×100mリレー、4×200mリレー、4×400mリレー種目の元日本記録保持者。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了。2016年3月まで佐野短期大学総合キャリア教育学科教授、2016年4月より東京福祉大学短期大学部こども学科教授。
吉崎 修(よしざき おさむ、1964年8月6日 - )は、岡… 吉崎 修(よしざき おさむ、1964年8月6日 - )は、岡山県岡山市出身の元陸上競技選手。専門は長距離種目。中央大学商学部経営学科卒業。実業団時代はNKKに所属した。 岡山市立操山中学校から関西高等学校普通科入学。関西高校では、1年次の国体予選3000mで2位入賞。2年次の中国大会は1500m/5000mに出場。3年次の中国大会は5000m7位。くにびき国体は予選落ち。高校時代のベストタイムは5000m14分52秒8、10000m31分36秒。 中央大学進学後は箱根駅伝で活躍。1年次からレギュラーとして4年連続出場。1年次(第60回大会)は6区区間16位。2年次(第61回大会)は6区区間5位。
栗原 浩司(くりはら こうじ、1964年5月2日 - )は、… 栗原 浩司(くりはら こうじ、1964年5月2日 - )は、栃木県佐野市(旧:田沼町)出身の元陸上競技選手。現陸上競技指導者。1988年ソウルオリンピック日本代表。4×100mリレーの元日本記録保持者。現在は栃木県立佐野高等学校の陸上競技部の顧問などを務める。 佐野市立閑馬小学校時代は100mを14-15秒で走るなど、学校で一番の快足の持ち主だった。 栃木県立佐野高等学校時代は国民体育大会少年男子Aで優勝する活躍を見せたが、腰を痛める、腹膜炎、足首を捻挫するなど、大事な試合前に怪我をすることが多かった。 筑波大学時代には日本選手権男子4×100mリレーで優勝、男子200mで2位、日本学生選手権で2冠(男子100m・4×100mリレー)達成するなど活躍。
岡野 雄司(おかの ゆうじ、1964年3月2日 - )は、日… 岡野 雄司(おかの ゆうじ、1964年3月2日 - )は、日本の元砲丸投選手。砲丸投の元日本記録保持者(1989年6月17日 - 1996年9月22日)。 成田高等学校、日本大学出身。成田高等学校の教員や、日本大学の講師を務めた。指圧治療士でもある。