安東 義良(あんどう よしろう、1897年(明治30年)5月… 安東 義良(あんどう よしろう、1897年(明治30年)5月4日 - 1986年(昭和61年)1月20日)は、日本の外交官、弁護士、政治家。位階は従三位、勲等は勲二等。衆議院議員(2期)。 岐阜県可児郡御嵩町出身。1922年東京帝国大学法学部卒業、外務省入省。1925年パリ大学卒業(法学博士)。 外務省調査部第3課長、欧亜局、大東亜省総務局長、1942年11月条約局長、同省政務局長、1945年退官。 1947年4月、第23回衆議院議員総選挙に岐阜2区から当選。衆議院では外務委員長を務める。1949年1月の第24回衆議院議員総選挙では落選するが1952年10月の第25回衆議院議員総選挙で返り咲き。
横溝 光暉(よこみぞ みつてる、1897年(明治30年)4月… 横溝 光暉(よこみぞ みつてる、1897年(明治30年)4月12日 - 1985年(昭和60年)1月16日)は、日本の内務官僚・弁護士。内閣情報部長、官選県知事。 神奈川県出身。商業・横溝豊吉の四男として生まれる。横浜一中、第一高等学校を経て、1921年6月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1920年10月、高等試験行政科試験に合格。1922年2月、内務省に入り、東京府属として内務部庶務課に配属された。 1923年2月、広島県警視・警察部警務課長に就任。以後、同警察部保安課長、福岡県警察部特別高等警察課長、復興局長官官房計画課勤務、内務事務官・警保局保安課勤務、内閣書記官、内閣官房総務課長、兼法制局参事官、兼内閣調査局調査官、情報委員会事務官、内閣情報部長などを歴任。
薄田 美朝(すすきだ よしとも、1897年1月16日 - 1… 薄田 美朝(すすきだ よしとも、1897年1月16日 - 1963年4月16日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。官選県知事、警視総監、衆議院議員。 秋田県出身。薄田正美の長男として生まれる。函館中学、旧制第二高等学校を経て、1920年7月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1919年10月、高等試験行政科試験に合格。1920年7月、内務省に入り大阪府属兼警部として警察部特別高等警察課に配属された。 1921年11月、香川県警視となり警察部に勤務。1923年2月、朝鮮総督府に転じ総督官房庶務部に勤務し、警務局に異動。 1926年12月、地方事務官として栃木県農商課長に就任。以後、内務事務官・警務官、岡山県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、広島県書記官・警察部長、京都府書記官・警察部長、警視庁警務部長などを歴任。
石川 金次郎(いしかわ きんじろう、1897年〈明治30年〉… 石川 金次郎(いしかわ きんじろう、1897年〈明治30年〉1月14日 - 1953年〈昭和28年〉3月24日)は、日本の政治家、社会運動家、弁護士。衆議院議員(4期、日本社会党)。 国家社会主義の活動家だった石川準十郎は実弟。子息の石川克次郎は、弁護士で民主社会党結成に参加した。 岩手県岩手郡玉山村大字日戸(現在の盛岡市近郊)に比較的裕福な家庭に生まれる。1907年(明治40年)日戸小学校を卒業(四年制)。後、義務教育年限延長により王仁小学校に通学。1909年(明治42年)王仁小学校尋常科を卒業、盛岡市立高等小学校に進学。1911年(明治44年)岩手県立工業学校(現・岩手県立盛岡工業高等学校)機械科に進学、1914年(大正3年)同校を卒業。
四代升本 喜兵衛(ますもと きへえ、1897年1月1日 - … 四代升本 喜兵衛(ますもと きへえ、1897年1月1日 - 1980年11月28日)は、日本の法学者・弁護士・裁判官・実業家。商法学者。法学博士(中央大学)。元中央大学理事長・総長・学長。兵庫県養父郡八鹿町出身
四代升本 喜兵衛(ますもと きへえ、1897年1月1日 - … 四代升本 喜兵衛(ますもと きへえ、1897年1月1日 - 1980年11月28日)は、日本の法学者・弁護士・裁判官・実業家。商法学者。法学博士(中央大学)。中央大学理事長・総長・学長。兵庫県養父郡八鹿町(現:養父市)出身。升本喜兵衛3代目の娘婿。 1915年旧制海城中学校卒業。1919年中央大学法学部卒業。司法官試補。東京地方裁判所判事。1924年東京地方裁判所退官。弁護士登録。商法研究のためにドイツ、イギリスに留学( - 1927年)。1928年中央大学法学部教授に就く。1941年中央大学評議員。1947年中央大学理事( - 1951年)。1951年中央大学法学部長( - 1957年)。1960年中央大学理事( - 1974年)。
大月 伸(おおつき しん、1896年(明治29年)12月18… 大月 伸(おおつき しん、1896年(明治29年)12月18日 - 1980年(昭和55年)4月13日)は、日本の弁護士、大阪弁護士会会長、第15代日本弁護士連合会会長、関西大学理事・顧問を務めた。岡山県高梁市出身。 1896年(明治26年)岡山県上房郡上竹荘村(現:高梁市)で生れる。その後、旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)を経て、関西大学へ進学する。1917年(大正6年)7月に関西大学専門部法律学科を卒業し、翌年、1918年(大正7年)4月に日本大学法学高等研究科(現:日本大学法科大学院)を専攻する。1919年、同校を卒業し、1920年(大正9年)12月11日、大月は弁護士試験に合格する。
田中 幾三郎(たなか いくさぶろう、1896年(明治29年)… 田中 幾三郎(たなか いくさぶろう、1896年(明治29年)12月10日 - 1967年(昭和42年)11月2日)は、大正から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。 三重県北牟婁郡尾鷲町矢ノ浜町(現尾鷲市)で生まれる。代用教員などを務め、苦学して1920年(大正9年)日本大学専門部法律科を卒業。高等試験司法科試験に合格し弁護士を開業した。内閣拓殖局嘱託、東京地方裁判所司法委員、民主法曹協会会長などを務めた。 1952年(昭和27年)10月、第25回衆議院議員総選挙に三重県第2区から右派社会党公認で出馬したが落選。1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙に出馬して初当選。以後、第29回総選挙まで再選され、衆議院議員を連続4期務めた。
生島 五三郎(いくしま ごさぶろう、前名・敏治、1896年〈… 生島 五三郎(いくしま ごさぶろう、前名・敏治、1896年〈明治29年〉11月27日 - 1973年〈昭和48年〉5月13日)は、日本の検事、弁護士。石川島播磨重工業顧問。 兵庫県神戸市出身。先代五三郎の長男。 1920年、東京帝国大学法学部仏法科を卒業。1933年、家督を相続し、前名敏治を改め襲名する。大阪、神戸各検事を経て1940年、京都地方裁判所検事。神戸保護観察所長。 1944年、高松地方検察庁検事正。1945年、福岡地方検察庁検事正。後に退官し弁護士となる。 1973年、心臓弁膜症のため大阪府豊中市内の自宅で死去。満76歳没。 生島五郎兵衛の養甥。多額納税者である。著書には『皇陵巡拝記』がある。
白川 久雄(しらかわ ひさお、1896年(明治29年)10月… 白川 久雄(しらかわ ひさお、1896年(明治29年)10月18日 - 1984年(昭和59年)1月1日)は、大正末から昭和期の弁護士、実業家、政治家。衆議院議員、兵庫県津名郡洲本町長。 兵庫県三原郡神代村(三原町を経て現南あわじ市神代)で、白川五平、まつ の長男として生まれる。旧制洲本中学校卒業。1921年(大正10年)京都帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業した。陸軍法務官試補に任官し、法務官に昇進。1925年(大正14年)から弁護士の業務に従事した。 実業界では、洲本瓦斯社長、全淡自動車取締役、洲本鉄工所取締役、淡路交通取締役、淡路タクシー取締役、淡路産業監査役、淡路商工会議所会頭などを務めた。
木村 清司(きむら せいじ、1896年〈明治29年〉10月1… 木村 清司(きむら せいじ、1896年〈明治29年〉10月12日 - 1980年〈昭和55年〉10月18日)は、日本の内務・厚生官僚、弁護士。官選福井県知事。 新潟県出身。長岡市長・木村清三郎の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1920年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1921年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。農商務省に入省し工務局属となる。 以後、工場監督官、鉱務監督官、国際労働会議政府代表顧問(1926年)、秋田県書記官・総務部長、内務省地方局財務課長などを歴任。 1939年4月、福井県知事に就任。戦時体制の整備に尽力。1940年12月、厚生省保険院社会保険局長に転任し、1942年4月まで在任。
山本 義章(やまもと よしあき、1896年10月5日 - 1… 山本 義章(やまもと よしあき、1896年10月5日 - 1961年9月26日)は、日本の内務官僚、弁護士。第32代京都府知事(最後の官選知事)、陸軍司政長官。 鳥取県鳥取市出身。山本吉太郎の長男。東京帝国大学法科卒業。 大阪市警察署長、北海道庁・兵庫県・警視庁各特高課長、大阪府工場課長、長野県書記官・警察部長、千葉県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、熊本県経済部長、秋田県書記官・総務部長、ジャカルタ州長官、京都府知事を歴任。その後、公職追放となる。 1946年弁護士を開業。追放解除後の1953年の第3回参議院議員通常選挙において出身地の鳥取地方区から緑風会公認で立候補したが落選した。
正木 ひろし(まさき ひろし、 1896年〈明治29年〉9月… 正木 ひろし(まさき ひろし、 1896年〈明治29年〉9月29日 - 1975年〈昭和50年〉12月6日)は、日本の弁護士。 第二次世界大戦前より軍国主義批判を繰り広げ、戦時中には官憲による拷問を告発した首なし事件で有名となった。戦後も多くの反権力裁判、冤罪裁判に関与した。1953年に発生した八海事件の弁護を担当。同事件についての著書『裁判官』はベストセラーとなり、『真昼の暗黒』という題名で映画化された。 敬虔なキリスト教徒としても知られていた。 本名は旲(ひろし)であるが、自ら「正木ひろし」「まさき・ひろし」の表記を好んで用いた。 1896年(明治29年)、東京府東京市本所区(現在の東京都墨田区)林町に生まれる。
伊藤 久松(いとう ひさまつ、1896年(明治29年)9月2… 伊藤 久松(いとう ひさまつ、1896年(明治29年)9月28日 - 1983年(昭和58年)1月4日)は、日本の内務官僚、弁護士。官選大分県知事。 山口県出身。伊藤政吉の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1922年11月、高等試験行政科試験に合格。1923年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し熊本県属となる。 以後、熊本県飽託郡長、1935年9月、秋田県学務部長、1938年1月、埼玉県学務部長、1939年5月、奈良県総務部長、1941年6月、大阪府学務部長などを歴任。 1942年6月、大分県知事に就任。戦時下の対応に尽力。1943年7月、知事を退任。同年に退官。戦後に公職追放となる。
佐竹 晴記(さたけ はるき、1896年〈明治29年〉9月6日… 佐竹 晴記(さたけ はるき、1896年〈明治29年〉9月6日 - 1962年〈昭和37年〉4月24日)は、日本の政治家、弁護士。社会民衆党、社会革新党、民主社会党に属し、片山内閣では司法政務次官を務めた。 高知県高岡郡窪川町(現在の四万十町)に生まれる。窪川高等小学校を卒業後、窪川郵便局員、大連航路汽船の三等油差しなどに従事する。その後上京し、中央大学法科に学び弁護士試験に合格。24歳で弁護士として東京で開業したが、1923年(大正12年)、関東大震災のため高知市に帰り北奉公人町(現在の高知市上町)で再度開業した。 1929年(昭和4年)社会民衆党高知支部を結成および支部長となる。同年と1933年(昭和8年)に高知市会議員に当選した。
中野 善敦(なかの よしあつ、1896年(明治29年)9月 … 中野 善敦(なかの よしあつ、1896年(明治29年)9月 - 1972年(昭和47年)12月21日)は、日本の内務官僚、弁護士。官選県知事。 東京府出身。中野政方の三男として生まれる。第一高等学校を卒業。1920年、東京帝国大学法学部法律学科(仏法)を卒業。内務省に入省し内務属となる。1921年11月、高等試験行政科試験に合格した。 以後、奈良県書記官・学務部長、栃木県書記官・警察部長、社会局書記官・労働部労務課長、神奈川県総務部長などを歴任。 1939年4月、高知県知事に就任。同年12月、文部省普通学務局長に転任。1942年5月、岐阜県知事となる。満州報国農場の設置、中小商工業再編、授産事業などを推進した。
村松 久義(むらまつ ひさよし、1896年7月25日 - 1… 村松 久義(むらまつ ひさよし、1896年7月25日 - 1972年5月12日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)。 宮城県仙台市出身。1923年東京帝国大学独法科、1925年同大学経済科卒。司法官試補、検事代理、名古屋地方裁判所判事を経て、弁護士となる。1932年の第18回衆議院議員総選挙で宮城2区(当時)から立憲民政党公認で立候補して初当選する。民政党解党後は大政翼賛会国民生活動員本部長に就任、翼賛選挙では大政翼賛会の推薦を受けて当選。当選後は翼政会政調厚生委員となった。 戦後、公職追放となり、1951年に追放解除。翌年の第25回衆議院議員総選挙で自由党公認で立候補して当選し、政界に復帰した。
遠山 丙市(とうやま へいいち、1896年(明治29年)7月… 遠山 丙市(とうやま へいいち、1896年(明治29年)7月14日 - 1978年(昭和53年)8月14日)は、昭和期の弁護士、政治家。参議院議員(1期)。 岐阜県本巣郡、のちの鷺田村(現瑞穂市)で、遠山観治郎の長男として生まれる。1929年(昭和4年)中央大学法学部を卒業。 1930年(昭和5年)弁護士となる。東京弁護士会常議員(3期)、万国博覧会評議員、国際オリンピック東京委員などを務めた。 政界では、東京市会議員(4期)、同市参事会員、東京府会議員(2期)、同府参事会員、東京都議会議員を務めた。1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に東京都地方区から日本自由党公認で出馬して当選(補欠、任期3年)し、参議院議員に1期在任した。
角田 幸吉(かくた こうきち、1896年(明治29年)5月2… 角田 幸吉(かくた こうきち、1896年(明治29年)5月27日 - 1966年(昭和41年)4月7日)は日本の政治家、法学者、弁護士。衆議院議員(2期)、東洋大学教授。 1896年(明治29年)5月27日、宮城県に生まれる。1921年(大正10年)に法政大学専門部法律科を卒業、弁護士試験に合格し、弁護士業に従事する。1939年(昭和14年)から法政大学で講師を務め、後に教授に就任し、1943年(昭和18年)に『日本親子法論』で法学博士(法政大学)を取得する。 1947年(昭和22年)の第23回衆議院議員総選挙、1949年(昭和24年)の第24回衆議院議員総選挙に出馬し、連続当選する。初代衆議院人事委員長、裁判官弾劾裁判所裁判長、自由党総務を務める。
加藤 晃(かとう あきら、1896年(明治29年)5月25日… 加藤 晃(かとう あきら、1896年(明治29年)5月25日 - 1988年(昭和63年)5月10日)は、日本の弁護士。第二東京弁護士会会長、関東弁護士会連合会理事長を歴任。 1967年(昭和42年)に勲三等旭日中綬章を受章する。
濱尾 四郎(はまお しろう、1896年4月24日 - 193… 濱尾 四郎(はまお しろう、1896年4月24日 - 1935年10月29日)は、日本の検事、弁護士、探偵小説家。子爵。貴族院議員。戦後の版では「浜尾四郎」表記が一般的である。作家活動は実働足かけ6年に過ぎず、作品量は長短20篇に及ぶだけだが、戦前派作家として逸することのできない足跡を残している。
山田 作之助(やまだ さくのすけ、1896年(明治29年)4… 山田 作之助(やまだ さくのすけ、1896年(明治29年)4月22日 - 1995年(平成7年)5月20日)は、日本の会社役員、弁護士、裁判官。昭和セメント、肥後製糸各監査役。神戸弁護士会長[3]。最高裁判事[3]。衆議院議員山田喜之助の三男。
伊藤 修(いとう おさむ、1896年3月30日 - 1969… 伊藤 修(いとう おさむ、1896年3月30日 - 1969年6月14日)は、日本の弁護士、政治家。参議院司法委員長および法務委員長(初代)。 名古屋市生まれ。1921年、日本大学法科卒。1922年、弁護士となる。中部日本農民組合および日本農民組合岐阜県連の常任顧問、岐阜市会議員、東亜興業、旭炭鉱、関東重工業、三富士製作所、朝日精機、旭電気工業および日本社会公論の社長、日本社会新聞岐阜県総局長、社会文化大学名誉学長、富田高等女学校理事、岐阜弁護士会会長、岐阜地方裁判所調停委員。1952年、右派社会党岐阜県連委員長。青年民主主義擁護連盟本部会長。浄土真宗。東京都新宿区下落合に龍山荘を構えていた。 1966年4月の春の叙勲で勲二等に叙され、瑞宝章を受章する。
名川 保男(ながわ やすお、1896年(明治29年)3月25… 名川 保男(ながわ やすお、1896年(明治29年)3月25日 - 1975年(昭和50年)5月25日)は、日本の弁護士、東京弁護士会会長、国家公安委員会委員長代理、明治大学専務理事、東京音楽大学理事長。 衆議院議員、鉄道政務次官、第一東京弁護士会会長を務めた名川侃市の弟。 広島県生まれ。1919年(大正8年)明治大学法学部卒業。1922年(大正11年)千葉地方裁判所判事に任官。1927年(昭和2年)に弁護士となる。事務所は京橋区銀座。 帝人事件、炭鉱国管疑獄、昭和電工事件、日殖事件、造船疑獄といった汚職事件の弁護人を務めた。 1955年(昭和30年)東京弁護士会会長に就任。日本弁護士連合会副会長を務めた。
斎 武雄(さい たけお、1896年(明治29年)2月 - 1… 斎 武雄(さい たけお、1896年(明治29年)2月 - 1953年(昭和28年)12月14日)は、日本の政治家、弁護士。参議院議員(日本社会党)。 1896年(明治29年)2月、宮城県に生まれる。1920年(大正9年)7月に法政大学専門部法律科を卒業し、同年弁護士試験に合格。 1947年(昭和22年)、第1回参議院議員通常選挙に宮城選挙区から出馬し、当選する(上位当選で任期6年)。また、仙台弁護士会常議員会議長、東北弁護士会連合会幹事などを歴任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
柳井 恒夫(やない ひさお、1895年(明治28年)11月6… 柳井 恒夫(やない ひさお、1895年(明治28年)11月6日 - 1981年(昭和56年)7月21日)は、大正・昭和期の外交官、弁護士。 東京 で医師・柳井貴三の二男として生まれる。1913年に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業、第一高等学校を経て、1919年7月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した。 1919年7月、外務省に入省し外務属として電信課に配属された。同年10月、高等試験外交科試験に合格。以後、シャム、フランス、ベルギー、ブラジル、外務省アジア局第一課などで勤務した。1931年1月、領事に任じられ奉天在勤となり満州事変に遭遇した。以後、アジア局第三課長、東亜局第三課長、兼東亜局第二課長、ドイツ大使館一等書記官、同参事官、ジュネーヴ総領事兼国際会議帝国事務局次長、興亜院経済部長などを歴任。
中松 澗之助(なかまつ かんのすけ、1895年(明治28年)… 中松 澗之助(なかまつ かんのすけ、1895年(明治28年)11月1日 - 1973年(昭和48年)3月20日)は、日本の弁護士、弁理士。日本弁護士連合会会長、日本弁理士会会長、国際工業所有権保護協会日本部会(現日本国際知的財産保護協会)会長。 1895年(明治28年)11月出生。中松盛雄の長男。1921年(大正10年)3月、京都帝国大学法学部英法科を卒業し東京帝国大学大学院に入り産業法を専攻。弁護士・弁理士資格を取得し、1946年(昭和21年)には、父・盛雄が開設した中松特許法律事務所の代表となる。 1963年(昭和38年)に、国際工業所有権保護協会日本部会の第2代会長に就任。日本国際知的財産保護協会では、その功績を記念して1996年(平成8年)にAIPPI中松記念スカラーシップ(中松澗之助スカラーシップ)を設けている。
四宮 久吉(しのみや ひさきち、1895年9月8日-1980… 四宮 久吉(しのみや ひさきち、1895年9月8日-1980年11月10日)は、日本の政治家であり弁護士。徳島県石井町出身。位階および勲等は、従四位・勲二等。 医師の書生として明治大学を卒業後、弁護士となる。 東京府会議員(3期)、東京都議会議員(文京区選出・5期)、東京都議会議長、全国都道府県議会議長会会長をへた後鳩山一郎の後見を得て、文京区で衆議院議員として第30回衆議院議員総選挙に出馬し当選。第31回までの6年間を衆議院議員として国政に携わる。この間、青色申告や戦後帰還事業、競艇事業の推進に貢献し、中曽根康弘の最初の派閥メンバーとして参画したのちに引退。 最終的に都議会議員時代に秘書であった深谷隆司に議席を譲る。
韓 根祖(ハン・グンジョ、朝鮮語: 한근조/韓根祖、1895… 韓 根祖(ハン・グンジョ、朝鮮語: 한근조/韓根祖、1895年7月19日 - 1972年2月8日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の弁護士、政治家、実業家。平壌市長、第4・5・6代韓国国会議員を歴任した。 本貫は清州韓氏。カトリック教徒。 平安南道江西郡出身、本籍はソウル。1921年明治大学法学部卒。翌年の弁護士試験合格後は平壌で弁護士として活動し、平壌弁護士会長を経て、大東亜戦争勃発以降は農村に隠居した。光復後は平壌市長、平安南道政治委員を務めた。その後は越南し、米軍政庁大法院大法官、司法部法務次長、曺晩植が率いる朝鮮民主党の副党首・最高委員、憲法起草専門委員、司法科・行政科考試委員、高等選考委員、弁護士試験委員、韓国日報社社長、民主党中央常任委員会議長・ソウル鍾路乙区党委員長を務めた。
永田 安太郎(ながた やすたろう、1895年(明治28年)7… 永田 安太郎(ながた やすたろう、1895年(明治28年)7月15日 – 1955年(昭和30年)5月13日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(1期)、愛知県会議長、愛知県会議員(4期)などを歴任した。 愛知県碧海郡長瀬村大字橋目字毘沙門(現岡崎市)に永田半兵衛の次男として生まれた。安城農林学校を卒業後、家事の農業に従事していたが、明治大学専門部法律学科に入学した。1917年(大正6年)7月、同大学を卒業。1922年(大正11年)に弁護士試験に合格し弁護士を開業した。1937年(昭和12年)には名古屋弁護士会長に就任した。 1927年(昭和2年)9月25日の愛知県会議員選挙に碧海郡選挙区から立憲民政党公認で出馬し初当選。
打出 信行(うちで のぶゆき、1895年(明治28年)7月1… 打出 信行(うちで のぶゆき、1895年(明治28年)7月12日 - 1963年(昭和38年)6月25日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員、熊本県議会議員、熊本市議会議員を歴任した。 熊本県出身。第五高等学校から東京帝国大学法学部に学び、弁護士資格を取得。弁護士活動の傍ら立憲民政党から熊本県議・熊本市議となり、民政党県支部政調副会長を務めた。 1946年の総選挙で進歩党から衆議院議員に立候補するも次々点、翌1947年の総選挙で熊本県第一区から民主党公認で出馬して初当選し衆議院議員を一期務める。落選後は熊本市議に返り咲き、1954年に熊本県弁護士会長となり1959年6月〜1961年3月に熊本市議会議長を務めた。
岩重 隆治(いわしげ りゅうじ、1895年(明治28年)6月… 岩重 隆治(いわしげ りゅうじ、1895年(明治28年)6月21日 - 1975年(昭和50年)3月10日)は、大正後期から昭和期の内務官僚、警察官僚、弁護士。陸軍司政長官、最後の官選福岡県知事。 山口県出身。岩重弥七の長男として生まれる。小倉中学校(現福岡県立小倉高等学校)を経て、第三高等学校を卒業。1921年(大正10年)11月、高等試験行政科試験に合格。1922年(大正11年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し長野県属兼警部となる。 以後、鹿児島県警察部保安課長、福岡県警察部保安課長、同警務課長、岡山県警察部特別高等課長、愛知県警察部特別高等課長、岡山県学務課長、同社寺課長、兵庫県商工課長、同水産課長、同地方課長、千葉県書記官・学務部長、京都府書記官・学務部長、青森県書記官・経済部長、三重県書記官・総務部長などを歴任。
岡井 藤志郎(おかい とうしろう、1895年(明治28年)5… 岡井 藤志郎(おかい とうしろう、1895年(明治28年)5月24日 – 1974年(昭和49年)10月19日)は、大正後期から昭和期の裁判官、弁護士、政治家。衆議院議員(1期)。 愛媛県伊予郡松前村南黒田(現松前町南黒田)で、農業・岡井三郎の長男として生まれる。松山中学校(現愛媛県立松山東高等学校)を経て、1913年(大正2年)9月、海軍兵学校(44期)に進んだが1915年(大正4年)12月に中退した。その後、第一高等学校を経て、1922年(大正11年)3月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した。東京帝大在学中に友人佐野茂樹の紹介で剣術家山田次朗吉に入門し師事した。 1922年5月、司法官試補に任官し浦和地方裁判所詰となる。
徳永 豊(とくなが ゆたか、1895年(明治28年)5月1日… 徳永 豊(とくなが ゆたか、1895年(明治28年)5月1日 - 1976年(昭和51年)1月4日)は、日本の政治家、弁護士、画家。第7代福山市長(4期)。位階は従四位。 広島県深安郡福山町(現・福山市霞町)に生まれる。1914年(大正3年)3月、広島県立福山誠之館中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)卒業。1915年(大正4年)4月、第一高等学校入学。1921年(大正10年)に東京帝国大学法学部を卒業し、三菱造船(現・三菱重工業)に入社。本社総務部に配属される。翌1922年(大正11年)、病のため三菱造船を退職、療養生活に入る。 1926年(大正15年)、広島県福山師範学校の教師となる。1930年(昭和5年)、退職。
井川 伊平(いかわ いへい、1895年(明治28年)3月18… 井川 伊平(いかわ いへい、1895年(明治28年)3月18日 - 1979年(昭和54年)11月2日)は、日本の政治家、弁護士。参議院議員(2期)。 徳島県出身。1921年、明治大学法学部卒業。1923年、札幌市で弁護士事務所を開業。その後、札幌市議会議員(3期)、北海道議会議員(6期)を務め、1951年に北海道議会副議長に就任(1期、当時は国民民主党に所属)。1955年、市議や道議として公共の福祉に奉仕した地方自治発展の功労により藍綬褒章受章。 1959年の第5回参議院議員通常選挙と1965年の第7回参議院議員通常選挙において北海道選挙区より当選(自由民主党)。参議院議員を2期に亘って務め、北海道開発政務次官などに就いた。
高野 源進(たかの げんしん、1895年(明治28年)3月1… 高野 源進(たかの げんしん、1895年(明治28年)3月15日 - 1969年(昭和44年)1月4日)は、日本の内務官僚、弁護士。官僚としては主として警察畑を歩き山梨県知事・警視総監などを歴任したが、特に原爆被災時の(官選)広島県知事を務めたことで知られる。 福島県北会津郡北会津村で農業を営む高野源八の長男として生まれる。 会津中学・一高を経て、1923年3月東京帝国大学法学部法律学科(独法学)を28歳で卒業した。卒業前の1922年11月に高等試験に合格しており、卒業後の1923年4月に内務省に入省、警視庁警部(警務部警衛課)となった。その後神田外神田警察署・神田万世橋警察署・本郷駒込警察署の各署長を歴任したのち、警視庁警務部長(1939年9月 - 1941年1月)を経て、山梨県知事となる(1941年1月 - 1942年7月)。
志熊 三郎(しくま さぶろう、1895年〈明治28年〉2月2… 志熊 三郎(しくま さぶろう、1895年〈明治28年〉2月28日 - 1978年〈昭和53年〉)は、日本の検察官、弁護士、公証人。 広島県広島市出身。志熊直人の息子。広島市段原町(現・比治山町)の比治山神社社掌・志熊三郎が1915年に亡くなり、当主の三郎がその後を継承する。 高等師範学校附属中学校を経て、1916年に第三高等学校大学予科を卒業、1919年に東京帝国大学法学部英法科を卒業。三菱造船に入る。 1922年、司法官試補に任ぜられる。1924年、検事に任ぜられる。1925年、釧路地方裁判所検事に補せられる。1929年、台湾総督府検察官に任ぜられ、台北地方法院検察官に補せられる。台中地方法院検察官、台南地方法院嘉義支部上席検察官、高雄地方法院検察官長を経て1943年、新竹地方院検察官。
鍛冶 良作(かじ りょうさく、1895年〈明治28年〉2月2… 鍛冶 良作(かじ りょうさく、1895年〈明治28年〉2月20日 - 1980年〈昭和55年〉6月8日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(7期)。 富山県下新川郡生地町(現黒部市)出身。1915年に上京して谷欽太郎の書生となる。その後明治大学に入学して雄弁部に所属したが、部内の社会主義論になじめず退部し、「桜桂会」というグループを結成して雄弁部に対抗した。 1921年に明治大学を卒業。翌年神田区会議員となり、1947年、富山一区から衆議院議員に初当選し、以降7期務め、法務政務次官、大蔵政務次官などを歴任。1960年、裁判官弾劾裁判所裁判長に就任。1965年秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章。1970年秋の叙勲で勲一等瑞宝章。
高橋 潔(たかはし きよし、1895年1月16日 - 196… 高橋 潔(たかはし きよし、1895年1月16日 - 1961年12月29日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。青森県出身。 1921年(大正10年)3月に東京帝国大学法学部を卒業。同年5月にいったん司法官試補となるが、1922年(大正11年)9月に依願退官し、すぐ弁護士登録をした。1952年4月から2年間、司法研修所の教官を務めた。 弁護士としては湯浅倉平内大臣暗殺計画事件や人民戦線事件などを扱い、極東国際軍事裁判で旧制一高・東京帝大時代の友人である岸信介の弁護人をした。 子供が無く、夫人と二人暮らしであった。楽しみは若い相撲取りや弁護士たちの面倒を見ることで、特に相撲が好きで若い力士を子供のようにかわいがっており、学生時代は仕度部屋に通いづめだったほどである。
明礼 輝三郎(明禮、みょうれい てるさぶろう、1895年(明… 明礼 輝三郎(明禮、みょうれい てるさぶろう、1895年(明治28年)1月5日 ‐ 1954年(昭和29年)12月16日) は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員。 愛媛県喜多郡満穂村論田(現内子町)で明礼善助の長男として生まれた。1921年、日本大学法律科を卒業した。弁護士となり、1936年に東京弁護士会副会長に就任した。その他、日本弁護士協会理事、日満法曹協会理事、大東亜法曹協会理事などを務めた。 戦後、1947年4月の第23回衆議院議員総選挙に自由党公認で愛媛県第3区から出馬して当選。第24回総選挙では落選したが、1952年10月の第25回総選挙で再選された。1953年4月の第26回総選挙で落選し、衆議院議員に2期在任した。
林 信夫(はやし のぶお、1894年(明治27年)12月24… 林 信夫(はやし のぶお、1894年(明治27年)12月24日 - 1972年(昭和47年)11月16日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選県知事。 和歌山出身。林治の三男として生まれる。第三高等学校を卒業。1919年、京都帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し兵庫県属となる。同年10月、高等試験行政科試験に合格した。 以後、兵庫県印南郡長、長崎県理事官、埼玉県参事官、山形県書記官・学務部長、青森県書記官・警察部長、警視庁書記官・保安部長、岡山県書記官・総務部長、東京府書記官・総務部長などを歴任。 1937年1月、茨城県知事に就任。県民の負担増の抑制のため財政の立て直しと、緊急事業の実施に尽力。
森山 鋭一(もりやま えいいち、1894年(明治27年)12… 森山 鋭一(もりやま えいいち、1894年(明治27年)12月17日 - 1956年(昭和31年)6月9日)は、大正から昭和前期の法制官僚、政治家、弁護士。貴族院勅選議員、法制局長官。 現在の三重県桑名市で、伊藤伊右衛門の三男として生まれ、森山兵介の養子となる。1914年(大正3年)7月、第八高等学校一部丙を首席で卒業。1919年(大正8年)7月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業し、同月、内務省に入り内務属・土木局工営課に配属された。1920年(大正9年)10月、高等試験行政科試験に合格。 その後、兼警察講習所教授、埼玉県視学官、帝都復興院計画局制度課、復興局事務官・長官官房計画課などを歴任。
井上 卓一(いのうえ たくいち、1894年〈明治27年〉12… 井上 卓一(いのうえ たくいち、1894年〈明治27年〉12月5日 - 1979年〈昭和54年〉12月7日)は、日本の弁護士・政治家。衆議院議員、内閣官房副長官。 岡山県勝南郡湯郷村(現美作市)出身。1923年、早稲田大学専門部法律科を卒業。 東京で弁護士となり、日本弁護士協会理事も務めた。その他、小石川区会議員、東京市会議員を歴任。 1946年4月、第22回衆議院議員総選挙で岡山県選挙区に日本自由党から出馬し当選。1947年4月の第23回総選挙で落選し、衆議院議員を一期務めた。落選後の1948年、政治資金に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。1954年12月から第1次鳩山一郎内閣の内閣官房副長官(事務担当)を務め、第2次鳩山一郎内閣の内閣総理大臣秘書官に就任。
花井 忠(はない ただし、1894年〈明治27年〉12月3日… 花井 忠(はない ただし、1894年〈明治27年〉12月3日 - 1973年〈昭和48年〉10月5日)は、弁護士・検事総長。茨城県生まれ。従三位。勲一等瑞宝章受章。岳父は花井卓蔵(元衆議院副議長・法学博士・弁護士)。 茨城県行方郡麻生町(現:行方市麻生)にて福田病院の院長・福田安次郎の四男三女の次男として誕生する。麻生町立尋常小学校、県立水戸中学校、第八高等学校を経て、1919年7月東京帝国大学法学部(独法兼修)を卒業。 1921年7月に弁護士名簿に登録。著名な弁護士であった花井卓蔵の法律事務所に入る。1925年5月、花井卓蔵の次女・稲子と結婚し、花井卓蔵の養子となる。1929年よりベルリン大学、ウィーン大学にて刑事学を研究、帰国後、海軍軍人と民間人が政財界人を暗殺した五・一五事件や神兵隊事件の弁護人を務める。
小河 正儀(おがわ まさのり、1894年〈明治27年〉12月… 小河 正儀(おがわ まさのり、1894年〈明治27年〉12月2日 - 1977年〈昭和52年〉1月7日)は、日本の内務・警察・拓務官僚、弁護士。官選県知事、樺太庁長官、海軍司政長官。 山口県山口町今道町(現山口市)出身。第五高等学校を卒業。1918年、東京帝国大学法科大学を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し和歌山県属となる。 以後、内務属・警保局図書課勤務、静岡県警視、関東庁事務官兼同参事官、関東庁警視、朝鮮総督府秘書官、同事務官・殖産農務課長、拓務省書記官・朝鮮部第一課長、台湾総督府事務官、拓務省大臣官房会計課長などを歴任。 1936年10月、青森県知事に就任。腸チフス流行への対処などを行う。
吉田 賢一(よしだ けんいち、1894年(明治27年)11月… 吉田 賢一(よしだ けんいち、1894年(明治27年)11月15日 - 1982年(昭和57年)6月11日)は、日本の弁護士、農民運動家、政治家。衆議院議員。 兵庫県明石郡明石町(現明石市)で、理髪業・吉田種次郎、たみ夫妻の長男として生まれる。1920年4月、日本大学専門部法律科を卒業。弁護士試験に合格し、大阪市に弁護士事務所を開業。 1921年、兵庫県明石郡神出村の小作争議に係わり農民運動に参加。1922年4月、日本農民組合が結成され法律顧問の一人となる。以後、農民労働党参加、労働農民党中央委員、日本労農党中央委員、全日本農民組合中央委員、全国農民組合中央委員、日本大衆党参画、全国大衆党参画などの活動を行い、1931年7月から1932年6月までヨーロッパの政治経済、農業を視察した。
近藤 壌太郎(こんどう じょうたろう、1894年11月13日… 近藤 壌太郎(こんどう じょうたろう、1894年11月13日 - 1977年8月15日)は、日本の内務官僚、弁護士。官選県知事。 長野県埴科郡屋代町(現:千曲市屋代)において、農業・旅館業、近藤万五郎・たか夫妻の長男として生まれる。4歳で母と死別。県立長野中学校、第二高等学校を経て、1920年(大正9年)7月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。1919年(大正8年)10月、高等試験行政科試験に合格。1920年(大正9年)8月、内務省に入り鳥取県属となり内務部に配属。以後、鳥取県警視・警察部勤務、奈良県警察部保安課長、青森県警察部保安課長、北海道庁土木部土地改良課長を歴任。北海道庁在任中の1927年(昭和2年)6月、文官分限令第11条第1項第4号により休職を命ぜられ帰郷した(逸話を参照)。
飯塚 友一郎(いいづか ともいちろう、1894年(明治27年… 飯塚 友一郎(いいづか ともいちろう、1894年(明治27年)11月11日 - 1983年(昭和58年)4月21日)は、日本の演劇研究家、弁護士である。妻は日本舞踊家の飯塚くに。 東京の生まれ。1919年(大正8年)東京帝国大学(現在の東京大学)法学部卒業後、約10年間弁護士として活動しその傍らとして在学中からの歌舞伎等の演劇研究に携わった。その後は弁護士としての活動を辞め、1932年(昭和7年)には日本大学芸術学部の教授となる。 その後は二松學舎大学にて教鞭を執り、日本演劇学会の設立にも携わった。また松竹歌舞伎審議会の専門委員や国立劇場の評議員、鎌倉アカデミアの初代校長、鎌倉市教育委員等も歴任した。
上條 貢(かみじょう みつぎ、1894年11月10日 - 1… 上條 貢(かみじょう みつぎ、1894年11月10日 - 1977年2月6日)は日本の政治家、弁護士。浅草区議(1期)、東京市議(2期)、東京都議(5期)、第13代都議会議長、第6−8代台東区長を歴任した。 長野県生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、日本大学法律学科卒業。東京市で弁護士を開業。 1934年から浅草区会議員を1期4年務めた。1937年3月16日から1943年6月30日まで東京市会議員を2期務めた。1943年9月13日の第1回東京都議会議員選挙で当時の浅草区選挙区から立候補して、初当選する。都議会では、消防委員会委員長(1948年から1949年)、オリンピック大会招致実行委員会委員長(1953年から1954年)を歴任した。
原 淳一郎(はら じゅんいちろう、1894年〈明治27年〉1… 原 淳一郎(はら じゅんいちろう、1894年〈明治27年〉10月30日 - 1975年〈昭和50年〉6月2日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(2期)。板垣退助先生顕彰会創立発起人兼顧問。 高知県安芸郡田野村(現田野町)で生まれた。1919年明治大学法律科卒。弁護士となる。兵庫県議、同参事会員、神戸市議、同参事会員、神戸弁護士会副会長となる。高知電気工業、国策化学工業、神戸機械工作所各(株)取締役、(株)播磨造船所監査役、神陽汽船、大陸鉱業、秋岺鉱業、三陽工業、三陽精機、太平金属各(株)社長、ラジオ高知初代社長、高知放送取締役となる。 1932年の第18回衆議院議員総選挙において兵庫2区(当時)から立憲民政党公認で立候補して当選。