太田 裕子(おおた ゆうこ、本名:八重樫 裕子(やえがし ゆ… 太田 裕子(おおた ゆうこ、本名:八重樫 裕子(やえがし ゆうこ、旧姓:太田)、1957年4月26日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。北海道出身。 駒大苫小牧高校在学中の1976年、インスブルックオリンピック代表に選出、1000m20位、1500m24位、3000m19位の成績を残した。 高校卒業後王子製紙に入社、結婚して姓が久慈に代わった後、1979年の第48回全日本スピードスケート選手権大会総合優勝。 1980年1月の世界オールラウンド選手権では総合16位。レークプラシッドオリンピック代表に選出されたが、1000m25位、1500m23位、3000m25位に終わった。
川原 正行(かわはら まさゆき、1956年2月1日 - )は… 川原 正行(かわはら まさゆき、1956年2月1日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。北海道本別町出身。白樺学園高等学校を経て三協精機所属時代にインスブルックオリンピック、レークプラシッドオリンピックに日本代表として出場した。 1976年インスブルックオリンピックでは5000m24位、1980年のレークプラシッドオリンピックでは1000m23位、1500m20位、5000m25位だった。現役引退後は帯広市教育委員会に所属し小中学生のスケート指導に当たった。 2010年バンクーバーオリンピックにコーチとして参加。
大山 三喜雄(おおやま みきお、1955年10月29日 - … 大山 三喜雄(おおやま みきお、1955年10月29日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。北海道帯広市出身。白樺学園高等学校を経て王子製紙所属時代にインスブルックオリンピックに日本代表として出場した。 1976年インスブルックオリンピックでは500m18位、1000m24位だった。1977年と1978年の全日本スプリントスピードスケート選手権大会を連覇。 現役引退後は王子製紙スケート部でコーチ・監督を務め、ソルトレイクシティオリンピック代表チームのコーチも務めた。
福田 薫(ふくだ かおる、1955年10月4日 - )は日本… 福田 薫(ふくだ かおる、1955年10月4日 - )は日本の元スピードスケート選手である。北海道釧路市出身。釧路第一高等学校卒。 1980年レークプラシッドオリンピック代表に選出され、500m14位、1000m19位となった。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
伊東 千恵子(いとう ちえこ、1954年4月2日 - )は、… 伊東 千恵子(いとう ちえこ、1954年4月2日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。長野県出身。 長野県諏訪二葉高等学校-三協精機。 1972年のインターハイ1500mで優勝。 インスブルックオリンピックでは1500m22位、3000m21位だった。
小野沢 良子(おのざわ りょうこ、1951年1月1日 - … 小野沢 良子(おのざわ りょうこ、1951年1月1日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。長野県北安曇郡池田町出身。東京女子体育大学 を経て三協精機所属。 1972年の札幌オリンピック代表となり500m21位、1000m28位だった。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
小池 里美(こいけ さとみ、1950年10月19日 - )は… 小池 里美(こいけ さとみ、1950年10月19日 - )は日本の元スピードスケート選手である。長野県富士見町出身。三協精機所属。
伊藤 清美(いとう きよみ、1949年10月30日 - )は… 伊藤 清美(いとう きよみ、1949年10月30日 - )は、日本の元男子スピードスケート選手である。福岡県出身。東福岡高校、日本大学卒業。 東福岡高校在学中の1968年、インターハイの5000mと10000mで優勝。日大在学中の1972年、札幌オリンピックに出場し、1500m22位、5000m13位、10000m10位だった。第35回、第40回、第44回全日本スピードスケート選手権大会で総合優勝している。
内藤 修(ないとう おさむ、1949年4月14日 - 201… 内藤 修(ないとう おさむ、1949年4月14日 - 2016年10月22日)は、日本のスピードスケート選手である。オリンピアン。長野県佐久市出身。 臼田高校(現・長野県佐久平総合技術高等学校)を経て1972年日本大学文理学部を卒業。高校時代に全国高校大会で5000m、10000mに高校記録を出して優勝。日本学生選手権では10000mに3連覇。ユニバーシアード10000mで銅メダルを獲得。1972年札幌オリンピックでは5000m16位、10000m12位だった。1974年の第43回全日本スピードスケート選手権大会で総合優勝。世界選手権に2度出場した。 2016年、急性心筋梗塞のため67歳で死去した。
平手 則男(ひらて のりお、1948年12月8日 - )は、… 平手 則男(ひらて のりお、1948年12月8日 - )は、北海道中川郡本別町出身のスピードスケート選手・指導者である。札幌五輪・インスブルック五輪日本代表。 釧路第一高校卒業後、三協精機に入社。 1972年に開催された札幌オリンピックで初代表に選ばれ500m出場。17位。 1975年に開催された第1回全日本スプリント選手権で優勝を果たす。 1976年のインスブルックオリンピックでは500mと1000mに出場。500m16位、1000m30位。 引退後は三協精機の監督に就任。 1980年のレークプラシッドオリンピックでは日本代表コーチを務める。 その後は清水宏保の指導に当たり、長野オリンピックでの金メダル獲得をサポートした。
大塚 博文(おおつか ひろふみ、1947年10月8日 - … 大塚 博文(おおつか ひろふみ、1947年10月8日 - )は、日本の元スピードスケート選手。北海道旭川市出身。旭川市立永山中学校、旭川南高校、専修大学卒。 専修大学在学時の1968年グルノーブルオリンピックでは10000m28位となった。 1968年旭川市新人奨励賞受賞。 1969年の第38回全日本スピードスケート選手権大会では総合優勝を果たす。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
前田 睦彦(まえだ むつひこ、1947年5月7日 - )は… 前田 睦彦(まえだ むつひこ、1947年5月7日 - )は、日本の元スピードスケート選手。北海道中川郡池田町出身。 北海道帯広三条高等学校では全国高校総体の男子1500mで優勝。高校時代はスケートの傍ら野球部でも活躍し、第47回全国高等学校野球選手権大会に「3番・右翼手」として出場した。この大会帯広三条は北北海道代表として初の1勝を挙げている。 明治大学進学後はスケートに専念し、在学中に出場したグルノーブルオリンピックでは1500m40位、5000m33位。卒業後は国土計画に入社し、札幌オリンピックでは1500m20位だった。1500mの日本記録(2分8秒2)を7年間保持した。 1973年に現役を引退。
出嶋 民雄(でじま たみお、1947年2月21日 - )は… 出嶋 民雄(でじま たみお、1947年2月21日 - )は、日本の元スピードスケート選手。長野県佐久市出身。 立教大学在学時の1968年グルノーブルオリンピックでは500m33位。 1971年富士急行に入社、1974年から1981年まで同チーム監督を務めた。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
斎藤 幸子(さいとう さちこ、米倉(よねくら)に改姓、194… 斎藤 幸子(さいとう さちこ、米倉(よねくら)に改姓、1947年1月15日 - 2000年7月26日 )は、日本のスピードスケート選手。広島県出身。 東洋大学在学時の1968年グルノーブルオリンピックでは500m途中棄権、1000m26位、1500m18位。 三協精機入社後の札幌オリンピックでは500m9位、1000m18位だった。 全日本スピードスケート選手権大会では第33回、第37回、第38回、第40回と4度総合優勝。
斎藤 実子(さいとう じつこ、1946年5月18日 - )… 斎藤 実子(さいとう じつこ、1946年5月18日 - )は、日本の元女子スピードスケート選手。長野県岡谷市出身。三協精機に所属していた。 諏訪二葉高校時代にはインターハイ3000mで3連覇を達成。1968年グルノーブルオリンピックでは1500mで26位、3000mで20位となっている。
鈴木 正樹(すずき まさき、1945年1月2日 - )は、日… 鈴木 正樹(すずき まさき、1945年1月2日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。北海道苫小牧市出身。王子製紙所属。 1968年グルノーブルオリンピックでは500m15位、1500m40位。 1972年札幌オリンピックでは500m8位。 3度目のオリンピックとなったインスブルックオリンピックでは旗手を務め、競技では500m11位、1500m19位だった。 レークプラシッドオリンピック日本選手団、サラエボオリンピック日本選手団コーチ。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
肥田 隆行(ひだ たかゆき、1944年5月4日 - )は、… 肥田 隆行(ひだ たかゆき、1944年5月4日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。北海道帯広市出身。 帯広市立帯広第三中学校-北海道帯広柏葉高等学校-専修大学-三協精機 1968年グルノーブルオリンピックでは500m37位。4年後の札幌オリンピックでは500m13位だった。
武田 美佐江(たけだ みさえ、1943年10月22日 - … 武田 美佐江(たけだ みさえ、1943年10月22日 - )は、日本の元スピードスケート選手。北海道幕別町出身。帯広大谷高等学校卒、三協精機。 1968年グルノーブルオリンピックでは500m25位、1000m25位。 オリンピック後現役引退し帰郷、帯広スケート連盟理事などを務め、後進を指導した。結婚後の現姓は平子。平子裕基はおいである。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
河野 義博(かわの よしひろ、1943年10月4日 - )… 河野 義博(かわの よしひろ、1943年10月4日 - )は、日本の元スピードスケート選手。北海道中川郡本別町出身。同町出身者として初のオリンピック代表選手である。名字の読みは「こうの」ではなく「かわの」である。 1962年、北海道帯広三条高等学校を卒業。立教大学に進学し、卒業後は実業団のSSSスケート(長野)に入った。現役引退後、1年間の会社員生活を経て本別町教育委員会に勤務。2000年から2003年の間本別町教育長を務めた。 大学2年時の1964年インスブルックオリンピックに出場、5000m26位、10000m32位だった。
出町 嘉明(でまち よしあき、1943年8月18日 -19… 出町 嘉明(でまち よしあき、1943年8月18日 -1978年1月19日)は、日本の元スピードスケート選手。青森県館村(現八戸市)出身。日本コカ・コーラ所属。光星学院高等学校を経て日本大学卒業。 1968年冬季ユニバーシアード5000m銅メダル。続くグルノーブルオリンピックでは5000m21位、10000m22位。 しかし、1978年の国体合宿中に急逝した。享年34。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
有賀 豊文(あるが とよふみ、1942年11月16日 - )… 有賀 豊文(あるが とよふみ、1942年11月16日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。長野県佐久市出身。 立教大学在学時の1964年インスブルックオリンピックに出場、1500m41位、5000m24位、10000m22位だった。 財団法人日本スケート連盟理事。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
高橋 カネ子(たかはし かねこ、1942年9月26日 - … 高橋 カネ子(たかはし かねこ、1942年9月26日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。長野県軽井沢町出身。長野県軽井沢高等学校-三協精機 1964年インスブルックオリンピックに出場、500m14位、1000m18位、1500m18位、3000m16位だった。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
新保 鋭(しんぽ さとし、1941年10月26日 - 20… 新保 鋭(しんぽ さとし、1941年10月26日 - 2005年5月31日)は、日本の元スピードスケート選手である。 北海道出身。札幌商業高等学校卒業後、明治大学に入学。 明治大学在学時の1964年にインスブルックオリンピックに出場、500mで41位、1,500mで34位、5,000mで23位、10,000mで24位であった。 1962年の第31回全日本スピードスケート選手権大会で優勝。 2005年5月31日、筋萎縮性側索硬化症 (ALS) のため札幌市中央区の病院で死去。
浜 文恵(はま ふみえ、1939年11月29日 - )は、日… 浜 文恵(はま ふみえ、1939年11月29日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。長野県岡谷市出身。 1957年の全日本スピードスケート選手権大会で優勝。三協精機所属時の1960年スコーバレーオリンピックにオリンピック日本女子スピードスケート史上初の代表として出場、500m8位、1000m7位、1500m10位だった。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
小林 秀司(こばやし しゅうじ、1939年4月17日 - )… 小林 秀司(こばやし しゅうじ、1939年4月17日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。長野県出身。 岡谷工業高校時代にはインターハイ10000mで3連覇を達成。明治大学在学時の1960年スコーバレーオリンピックに出場、1500m34位、5000m24位、10000m21位だった。
溝尾 武夫(みぞお たけお、1937年3月11日 - )は、… 溝尾 武夫(みぞお たけお、1937年3月11日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。北海道苫小牧市出身、米国在住。 三協精機所属時の1960年スコーバレーオリンピックに出場、500m36位、1500m33位、5000m23位、10000m25位だった。 現役引退後の1971年渡米、ロサンゼルスで飲食店を経営、回転すしチェーン店のオーナーである。 現在はアメリカでの仕事を全て辞め、自由人としてのんびりアジアを中心に旅をしている。86歳ながらユーチューバーとして旅情報などを流している。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
長久保 文雄(ながくぼ ふみお、1937年2月23日 - )… 長久保 文雄(ながくぼ ふみお、1937年2月23日 - )は、日本の元スピードスケート選手。山梨県北巨摩郡小淵沢町(現・北杜市)出身。冬季オリンピックに2大会連続で出場し、インスブルック大会では妻・初枝(旧姓・高見沢)とともに夫婦で五輪出場を果たして話題になった。 峡北高校から専修大学に進み、1957年の全日本学生選手権500mで当時の日本記録となる42秒9をマーク。 卒業後、三協精機に入社。1年目でスコーバレー五輪に出場し、500m9位・1000m21位を残した。 その後、専大出身で同五輪に出場した高見沢初枝と結婚。 1964年のインスブルック五輪では冬季五輪では史上初となる夫婦日本代表の快挙を果たす。
長久保 初枝(ながくぼ はつえ、1935年7月27日 - )… 長久保 初枝(ながくぼ はつえ、1935年7月27日 - )は、日本の元スピードスケート選手。旧姓・高見沢。長野県南佐久郡南牧村出身。日本女子スピードスケート黎明期の第一人者。冬季オリンピックに2大会連続で出場し、インスブルック大会では夫・文雄とともに夫婦で五輪出場を果たして話題になった。
五味 芳保(ごみ よしやす、1933年(昭和8年)4月25日… 五味 芳保(ごみ よしやす、1933年(昭和8年)4月25日 - 没年不明)は、日本の元スピードスケート選手である。長野県茅野市出身。 1952年(昭和27年)冬季オリンピックのオスロオリンピックに早稲田大学在学中18歳で出場し5000mで10位、10000mで14位となった。 4年後の1956年(昭和31年)コルティナダンペッツォオリンピックでは10000m23位、5000m27位、1500m39位タイの成績を残した。 全日本スピードスケート選手権大会では1952年と1954年の2回優勝している。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
堀 吉孝(ほり よしたか、1933年4月20日 - )は、日… 堀 吉孝(ほり よしたか、1933年4月20日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。 樺太出身。第二次世界大戦後苫小牧に引揚げ、苫小牧市立苫小牧東小学校、苫小牧市立苫小牧東中学校、苫小牧工業高校を経て富士製鐵室蘭製鉄所に入社。 1956年にコルティナダンペッツォオリンピックに出場、500m17位、1500m23位、5000m46位だった。 4年後のスコーバレーオリンピックでは500m16位、1500m29位だった。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
竹村 晋吉(たけむら しんきち、1931年(昭和6年)12月… 竹村 晋吉(たけむら しんきち、1931年(昭和6年)12月21日 - 1999年(平成11年)12月9日)は、日本のスピードスケート選手である。長野県茅野市出身、長野県岡谷南高等学校、日本大学を卒業。ヤシカに所属していた。 日本大学在学時の1956年(昭和31年)の冬季オリンピック、コルティナダンペッツォオリンピックに出場、500m11位、1500m36位だった。4年後の1960年(昭和35年)スコーバレーオリンピックでは500m43位に終わった。 池袋スケートセンターの開場式でスケーティングを披露。 1999年脳こうそくのため死去。
浅坂 武次(あささか たけじ、1930年7月24日 - )は… 浅坂 武次(あささか たけじ、1930年7月24日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。青森県八戸市出身。 八戸商業高校卒業後一旦就職、その後立教大学に進学した。 1948年から1951年まで青森県選手権4連覇。1954、1955世界選手権代表。 立教大学在学時の1956年コルティナダンペッツォオリンピックに出場、500m22位、1500m21位、5000m28位、10000m22位だった。
高林 清高(たかばやし きよたか、1928年7月10日 - … 高林 清高(たかばやし きよたか、1928年7月10日 - 没年不詳)は、日本の元スピードスケート選手である。 長野県下諏訪町出身。明治大学在学中の1952年にオスロオリンピックへ出場し、500mで6位入賞、これは1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック500mで4位となった石原省三以来2人目の入賞である。また、1500mで34位となった。4年後のコルティナダンペッツォオリンピックでは500mで30位に終わった。インスブルックオリンピックではスケートチームのコーチを務めた。 1953年(昭和28年)増沢工業に入社し、1956年(昭和31年)高林スケート工業専務に就任、1960年(昭和35年)明治精機製作所を創業し代表者となった。
工藤 祐信(くどう すけのぶ、1927年9月11日 - 20… 工藤 祐信(くどう すけのぶ、1927年9月11日 - 2012年4月17日)は、岩手県盛岡市出身のスピードスケート選手。早稲田大学卒業。 予科練から戻ってからスケートを始めた。1948年の国民体育大会では1500mで2位となった。岩手県立盛岡農業高等学校(当時 岩手県立柏高等学校)教諭を務めていた1952年に、オスロオリンピックに出場。男子500mで15位、1,500mで33位という記録を残した。 現役引退後は、日本スケート連盟スピードスケート委員長を務めたり、1998年から2007年まで岩手県スケート連盟会長を務めた。 盛岡市が1998年冬季オリンピックの開催地に立候補した際、誘致活動に携わっている。
青木 正則(あおき まさのり、1927年9月6日 - )は日… 青木 正則(あおき まさのり、1927年9月6日 - )は日本の元スピードスケート選手である。北海道苫小牧市出身。王子製紙に所属した。 1952年のオスロオリンピックに出場し500mで12位、1500mで23位の成績を残した。 1950年の第19回全日本スピードスケート選手権大会で優勝。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
菅原 和彦(すがわら かずひこ、1927年5月1日 -196… 菅原 和彦(すがわら かずひこ、1927年5月1日 -1962年10月27日)は日本の元スピードスケート選手である。オリンピアン。北海道苫小牧市出身。 苫小牧工業学校(現・北海道苫小牧工業高等学校)を経て日本大学専門部工科を1951年卒業。苫小牧製紙に入社。 1952年のオスロオリンピックに出場し5000mで15位、10000mで7位の成績を残した。 1947年度の第16回全日本スピードスケート選手権大会で総合優勝。全日本選手権で1946、1947年度5000mと10000mにそれぞれ2連覇。日本学生選手権で5000mに1946、1947、1949年度の3回優勝、10000mでは1946~1949年度4連覇を達成。
佐藤 恒夫(さとう つねお、1925年12月18日 - 19… 佐藤 恒夫(さとう つねお、1925年12月18日 - 1992年9月16日)は宮城県出身(宮城県桃生郡廣渕村、現在の石巻市広渕)の元スピードスケート選手である。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
内藤 晋(ないとう すすむ、1922年〈大正11年〉3月18… 内藤 晋(ないとう すすむ、1922年〈大正11年〉3月18日 - 2007年〈平成19年〉8月11日)は、日本のスピードスケート選手。戦後のスピードスケート界を代表する人物の1人とされ、1951年(昭和26年)にスイスで開催された世界選手権で、日本新記録で優勝を飾った。その実績と将来性から、冬季オリンピックの代表選手に2度選ばれたが、戦争と自身の病気によりその2度とも出場の機会を失い、「不運のアスリート」とも呼ばれる。現役引退後はオリンピック日本代表選手のコーチとして、スケート界の発展に尽くした。 北海道札幌市出身。父の内藤芳雄は、幼少時、まだスケート靴が非常に高価だった時代より、我流でスケートを楽しんで技術を鍛え上げ、成人後は札幌スケート協会の幹事長を務めた。
中村 礼吉(なかむら れいきち、1916年10月16日 - … 中村 礼吉(なかむら れいきち、1916年10月16日 - 没年不明)は日本の元スピードスケート選手である。北海道苫小牧市出身。 早稲田大学専門部1年在学時の1936年ガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックで500m11位となった。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
金 正淵(きん せいえん、キム・ジョンヨン、ハングル:김정연… 金 正淵(きん せいえん、キム・ジョンヨン、ハングル:김정연、1914年1月7日 - 1992年7月16日)は、日本統治時代の朝鮮の元スピードスケート選手。平安南道江西郡の出身。 公立平壌高等普通学校時代から大同江でスケートをおこなっていた。1932年に明治大学商学部に進学。1934年と1935年の全日本スピードスケート選手権大会を連覇。この当時は500m・1500m・5000m・10000mの総合得点で順位を決定していた。1934年2月に鴨緑江で行われた1934年大会では、金は500m3位、5000mと1000mで1位であった。1935年1月に日光で開かれた1935年大会では、500mは石原省三らに敗れたものの残る3種目はすべて1位となった。
石原 省三(いしはら しょうぞう、1910年8月10日- 1… 石原 省三(いしはら しょうぞう、1910年8月10日- 1993年7月19日)は、日本の元スピードスケート選手・指導者。第二次世界大戦前にオリンピック出場2回。1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘン大会では500mで4位入賞を果たした。 満洲安東県(現在の中国遼寧省丹東市東港市)に生まれ育つ。南満洲鉄道(満鉄)がスケートを奨励したこともあり、満洲は大日本帝国の勢力圏において「スケート王国」と評され、スケート競技では内地を圧倒していた。スピードスケートにおいては、満鉄の仲介でハルピン在住ロシア人スケーター、ルシチャイがコーチとして指導にあたっていた。1931年には満鉄の岡部平太監督のもと石原らがヘルシンキの世界選手権大会に出場している。
河村 泰男(かわむら やすお、1908年5月7日 - 199… 河村 泰男(かわむら やすお、1908年5月7日 - 1997年10月13日)は日本のスピードスケート選手。滋賀県生まれ。 1908年(明治41年)5月7日滋賀県大津市生まれ。1911年(明治44年)春、一家で朝鮮半島へ渡り、次いで満州へ移住。成人して冬季はスピードスケート、夏季は自転車競技、陸上競技に専念する。 1931年(昭和6年)、日本スピードスケート最初の海外遠征として欧州選手権(ストックホルム)、世界選手権(ヘルシンキ)等に参加。 1932年(昭和7年)のレークプラシッドオリンピック、1936年(昭和11年)のガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックに参加。1946年(昭和21年)夏、一家で旧満州から引き揚げ後大阪市、1947年(昭和22年)12月~石川県金沢市(体育協会)、1951年(昭和26年)夏~函館市(函館新聞・市役所・教育委員会)、1970年(昭和45年)札幌市(札幌オリンピック組織委員会)と移住。
潤間 留十(うるま とめじゅう、のち宮沢姓、1902年12月… 潤間 留十(うるま とめじゅう、のち宮沢姓、1902年12月9日 - 1999年1月26日)は日本の元スピードスケート選手である。長野県諏訪郡平野村(現在の岡谷市)出身。諏訪蚕糸学校(現・長野県岡谷工業高等学校)卒。 1932年のレークプラシッドオリンピックでは、500m、1500m、5000m、10000mの4種目に出場したが、いずれも予選で敗退した。 その後は審判員として長く活躍し、日本スケート連盟名誉審判員にも選ばれた。
髙木 菜那 は、日本電産サンキョーに所属していた日本の元スピ… 髙木 菜那 は、日本電産サンキョーに所属していた日本の元スピードスケート選手。現役引退後に所属先が廃部になったため、退社に至った。その後は、スピードスケート競技解説者やタレントをフリーランスで活動している。血液型A型。
植松 仁 は、元ショートトラックスピードスケート選手、元競輪… 植松 仁 は、元ショートトラックスピードスケート選手、元競輪選手。1998年長野オリンピックショートトラックスピードスケート男子500m銅メダリスト。岐阜県羽島郡岐南町出身。岐阜県立岐阜工業高等学校(テキスタイル・デザイン科)卒業。身長163cm、体重56kg。
加藤 美善 は、愛知県名古屋市出身の元スピードスケート選手。… 加藤 美善 は、愛知県名古屋市出身の元スピードスケート選手。1970年代末から1980年代前半に活躍した。レークプラシッドオリンピック代表。実姉の加藤美佳はショートトラックスピードスケートの元日本代表。
神野 由佳 は、日本のショートトラックスピードスケート選手。… 神野 由佳 は、日本のショートトラックスピードスケート選手。大阪府東大阪市出身。
伊藤 繁 は、元スピードスケート選手、元競輪選手。長野県安曇… 伊藤 繁 は、元スピードスケート選手、元競輪選手。長野県安曇野市出身。競輪選手時代は日本競輪選手会神奈川支部所属。日本競輪学校第21期卒業。ホームバンクは花月園競輪場。
西岡 和哉(にしおか かずや)は、日本のスピードスケート選手… 西岡 和哉(にしおか かずや)は、日本のスピードスケート選手。北海道十勝支庁音更町出身。 音更町立下士幌小学校6年次の1990年には、北部方面スピードスケート競技大会の1500mで2分22秒32の大会記録を作った。この記録は20年以上破られていない。 北海道池田高等学校から専修大学を経て吉田産業に入社した。 1997年10月25日にエムウェーブで行われた記録会で36秒80を出して1位となった。11月2日まで行われた、ワールドカップ派遣選手選考協議会で堀井学、宮部保範に次いで3位となり、ISUワールドカップ前半戦に派遣されることが決定、9日、カルガリーのオリンピックオーバルで行われた記録会では、男子1000mで清水宏保に次いで2位に入った。
髙木 美帆 は、日本のスピードスケート選手である。女子150… 髙木 美帆 は、日本のスピードスケート選手である。女子1500メートル(m)の世界記録および1000mと3000mの日本記録を保持し、2010年からスピードスケート女子五輪日本代表を務める。