国近 友昭(くにちか ともあき、1973年4月22日 - )… 国近 友昭(くにちか ともあき、1973年4月22日 - )は、陸上競技長距離走・マラソン元選手、現指導者(NTT西日本陸上競技部監督)。山口県光市出身。主な実績に2004年アテネオリンピック男子マラソン日本代表、2003年福岡国際マラソン優勝など。 光市立浅江中学校から陸上を始め、当時の陸上部顧問であった山村進(現・聖光高等学校陸上部監督)の指導を受けて実力をつけ、山口県立光高等学校時代には田村好明教諭の指導を受けインターハイに出場した。卒業後の1992年、NTT中国に入社。1996年、広島市で開催された第1回全国都道府県対抗男子駅伝で優勝した広島県チームのアンカーを務める。長身でかつ俳優の古尾谷雅人似の爽やかイケメンで、現役時代女性から高い人気を得ていた[独自研究?]。
砂田 貴裕(すなだ たかひろ、1973年1月19日 - )は… 砂田 貴裕(すなだ たかひろ、1973年1月19日 - )は、大阪府出身の元長距離走選手。1998年6月から2018年6月まで、ウルトラマラソン(IAAF 100km)の元世界記録保持者。2023年の日本陸上競技選手権、3000メートル障害で2位に入った砂田晟弥は次男。 太成高等学校卒業後、大阪ガスに入社。1992年、防府読売マラソンで2時間15分30秒(U20 ジュニア日本最高記録、当時10代日本最高記録)を記録した。姫路市陸協(シーエス建設)に移籍後の1995年1月、東京シティハーフマラソンで1時間1分23秒(現在は非公認コースの参考記録となっている)を記録した。 1995年積水化学工業に移籍。
山口 衛里(やまぐち えり、現姓・岡井(おかい)。1973年… 山口 衛里(やまぐち えり、現姓・岡井(おかい)。1973年1月14日 - )は、兵庫県加東市(滝野地区)出身の女子陸上競技長距離走・マラソン元選手、陸上競技指導者。選手として1990年代中盤から2000年代前半にかけて活躍、2000年シドニーオリンピック女子マラソン日本代表・7位入賞。 現役引退後は、2011年3月末日まで岡山県岡山市の天満屋女子陸上競技部でコーチ業を務めていた。2015年度より岡山市内の環太平洋大学(IPU)・陸上競技部コーチ、同女子駅伝部監督に就任。2020年4月1日より天満屋女子陸上競技部ヘッドコーチに就任。ほか岡山県の桃太郎夢クラブ理事・コーチングスタッフ、スポーツ解説者などでも活動中。
盛山 玲世(せいやま さちよ、1972年 - )は、日本の女… 盛山 玲世(せいやま さちよ、1972年 - )は、日本の女子陸上競技元選手(長距離走・マラソン)。 鳥取県琴浦町(旧東伯町)出身。 東伯町立東伯中学校から鳥取県立由良育英高等学校(現・鳥取県立鳥取中央育英高等学校)に進学し、全国高等学校駅伝競走大会の女子の第1回大会に出場した。 大阪短期大学卒業後、芙蓉、ユタカ技研で競技を続けた。 1999年12月に真也加ステファンと結婚し、2児(一男一女)がいる。長女も陸上選手として実業団に所属している。
小鴨 由水(こかも ゆみ、1971年12月26日 - )は、… 小鴨 由水(こかも ゆみ、1971年12月26日 - )は、日本の女子陸上競技長距離走・マラソン元選手。元女子マラソン日本最高記録保持者・1992年バルセロナオリンピック女子マラソン日本代表。 兵庫県明石市出身。1984年4月に明石市立大蔵中学校に入学後、陸上競技部に所属。その時、生涯の恩師となる荻野卓と出会い指導を受ける。中学卒業後の1987年4月に兵庫県立明石南高等学校に入学(同期にキャスターの望月理恵がいる)。1990年3月に高校卒業後、同年4月大阪府池田市のダイハツ工業へ入社・女子陸上競技部に所属。1994年龍谷大学短期大学部に入学、1996年に短大卒業。現在は二児の母で、福岡市城南区在住。
服部 孝宏(はっとり たかひろ、1971年11月27日-20… 服部 孝宏(はっとり たかひろ、1971年11月27日-2000年6月29日)は、広島県世羅郡世羅西町(現在世羅町)出身の陸上(長距離走・マラソン)選手。身長179cm、体重59kg、血液型A型。 男子陸上競技界では名門の広島県立世羅高等学校を卒業後、1989年カネボウに入社。陸上競技部に所属。当時の監督は就任したばかりの伊藤国光。当時の部員に高岡寿成、早田俊幸らがいる。 1995年2月、別府大分毎日マラソンでマラソンデビュー。成績は2時間17分15秒の12位。1996年2月、東京国際マラソンで8位入賞、2時間12分41秒。着々とタイムを上げていく。 1997年2月、東京国際マラソンで、旭化成の川嶋伸次・谷口浩美を抑え、レース後半はトップを独走。
小幡 佳代子(おばた かよこ、本名・藤原 佳代子。1971年… 小幡 佳代子(おばた かよこ、本名・藤原 佳代子。1971年〈昭和46年〉9月18日 - )は、元日本女子陸上競技・長距離走およびマラソン選手。現在1児の母。 神奈川県平塚市出身。平塚市立土屋小学校→平塚市立土沢中学校→神奈川県立秦野高等学校→筑波大学。 帝都高速度交通営団(営団地下鉄)所属であったが、2000年の営団地下鉄の陸上部廃部により、2001年からはアコムに所属していた。 世界陸上セビリア大会女子マラソン日本代表・8位入賞。ドーハアジア競技大会女子マラソン日本代表・銅メダリスト。 幼少期から短距離・長距離競技共に速かった。非常に負けず嫌いなところがあり小学校低学年時、同級生の男子児童に短距離走での勝負を挑んだものの敗北、直後に号泣したというエピソードもある。
安部 友恵(あべ ともえ、1971年8月13日 - )は、大… 安部 友恵(あべ ともえ、1971年8月13日 - )は、大分県杵築市(旧速見郡山香町)出身の日本の女子陸上競技・マラソン選手。 2021年現在、100 kmウルトラマラソンの女子世界記録保持者。旭化成所属。身長149cm。 2006年に結婚、現姓・河野(かわの)、2児の母。 1989年8月、大分東明高校3年在学中、高校総体3000mで3位入賞。この年、第1回全国高校女子駅伝が始まり、エース区間の第1区6kmを走り、トップの堤文子(埼玉栄2年)から12秒差の20:27の区間7位だった。同区間を走ったその他のランナーには寺崎史記(筑紫女学園3年)、小幡佳代子(秦野3年)、盛山玲世(由良育英2年)、山口衛里(西脇工業2年)などがいた。
花田 勝彦(はなだ かつひこ、1971年6月12日 - )は… 花田 勝彦(はなだ かつひこ、1971年6月12日 - )は、日本の陸上競技(長距離走・マラソン)元選手、現指導者。 京都府京都市生まれ、滋賀県近江八幡市出身。滋賀県立彦根東高等学校・早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業。エスビー食品を経て上武大学ビジネス情報学部准教授・上武大学駅伝部監督、GMOアスリーツ監督を歴任した。現在は早稲田大学競走部駅伝監督を務める。 1989年の彦根東高校3年時、高知インターハイ1500mで3分54秒41をマークし、優勝した武井隆次に次ぐ5位であった。早大OBの瀬古利彦の勧誘を受け、1990年、早稲田大学に入学。同大学競走部では同期の武井隆次、櫛部静二とともに早大三羽烏と呼ばれ注目を浴びる。
高岡 寿成(たかおか としなり、1970年9月24日 - )… 高岡 寿成(たかおか としなり、1970年9月24日 - )は、京都府相楽郡山城町(現・木津川市)出身の元陸上競技選手で、専門は中距離走・長距離走・マラソンランナー。現在は陸上競技指導者(花王陸上競技部監督)、スポーツ解説者などでも活動中。 主な実績として、1994年広島アジア競技大会では男子5000mと10000mの2種目を制覇。1996年アトランタオリンピック長距離走代表。2000年シドニーオリンピックは男子10000mでは7位入賞を果たす。2005年世界陸上ヘルシンキ大会男子マラソンで4位入賞。同年東京国際マラソン優勝など。 フルマラソンでは2時間6分16秒(2002年シカゴマラソン)のタイムをマーク、15年以上にわたって日本男子記録の保持者であったほか、3000m、5000m、10000mでもかつて日本記録を持っていた。
志水 見千子(しみず みちこ、1970年9月22日 - )は… 志水 見千子(しみず みちこ、1970年9月22日 - )は、京都府竹野郡網野町(現・京丹後市)出身の元日本女子陸上競技の中距離走・長距離走選手である。
山本 佳子(やまもと よしこ、1970年6月6日 - )は、… 山本 佳子(やまもと よしこ、1970年6月6日 - )は、日本の元女子陸上競技・マラソン選手。元日本女子マラソン最高記録保持者。本名、本田 佳子(ほんだ よしこ)。兵庫県神戸市出身。夫は、元マラソン選手で現・センコー株式会社・女子陸上競技部の監督本田大造で、現在2児の母。 中学生から本格的に陸上競技を始める。当時、父親から毎日10kmのロードワークを課せられており、滝川第二高校進学後は学校と自宅の間の約16 - 17kmをほぼ毎日走って帰宅していた(夏休みには練習に登校する際も走っていた)。 高校3年生の1988年、全国高等学校総合体育大会陸上競技大会の近畿予選に3000mで出場するも敗退し、ショックから胃潰瘍を発症、その治療薬の副作用で今度は貧血にかかり、秋の京都国体でも予選落ちしてしまう。
岡村 正広(おかむら まさひろ、1970年4月13日 - )… 岡村 正広(おかむら まさひろ、1970年4月13日 - )は、視覚障害の陸上競技・マラソン選手。静岡県御前崎市出身、 RUNWEB 所属、 IPC 陸上競技クラス T12 、身長 175cm 、体重 54kg 。 2016年、リオパラリンピックのマラソンで銅メダルを獲得。 2012年、ロンドンパラリンピックマラソン4位、2011年、IPC 陸上競技世界選手権大会マラソン銅メダル等で活躍。クラス T13 および T12 の 10000m 、マラソンの日本記録を樹立した。2008年、北京パラリンピックのマラソンには選手の伴走をするガイドランナーとして出場した。 1970年4月13日、静岡県小笠郡浜岡町(現在の御前崎市)に生まれる。
浅利 純子(あさり じゅんこ、現姓・高橋純子。1969年(昭… 浅利 純子(あさり じゅんこ、現姓・高橋純子。1969年(昭和44年)9月22日 - )は、1990年代に活躍した秋田県鹿角市出身の元女子マラソン選手。現在三児の母。
平塚 潤(ひらつか じゅん、1969年(昭和44年)1月8日… 平塚 潤(ひらつか じゅん、1969年(昭和44年)1月8日 - )は、日本のスポーツ科学者、陸上競技元選手・現指導者で、専門種目は長距離走、駅伝及びマラソン。1993年世界陸上シュトゥットガルト大会男子10000m代表・1994年広島アジア競技大会男子10000m銀メダリスト。 2001年から2009年まで、城西大学駅伝部の監督を担当。城西大学理学部助手、同経営学部助専任講師、助教を経て2010年より准教授。 茨城県東茨城郡城里町出身。水戸工業高校から日本体育大学へ進学し、体育学部体育学科卒業、同大学大学院体育科学研究科修了。エスビー食品陸上競技部に10年間在籍し、2001年度より城西大学男子駅伝部監督に就任。
真木 和(まき いずみ、1968年(昭和43年)12月10日… 真木 和(まき いずみ、1968年(昭和43年)12月10日 - 2018年(平成30年)10月18日)は、日本女子の元陸上競技(長距離走・マラソン)選手。 1992年バルセロナオリンピック・女子10000mと、1996年アトランタオリンピック女子マラソンに、二大会連続で五輪代表選出や、世界陸上選手権2度出場(ともに10000m)など、1990年代前半から後半にかけて活躍した。現役引退後は恩師であるシスメックス女子陸上部顧問・藤田信之が監督として主催の「F・R・A 藤田ランニングアカデミー」のアドバイザリー・スタッフを務めていた。 愛媛県今治市(旧越智郡波方町)出身。愛媛県立今治北高等学校在籍中から頭角を現し、1987年ワコール入社後は長距離トラック競技(3000m~10000m)や、駅伝競走などでも所属チームの優勝に貢献するなどで活躍する。
鈴木 博美(すずき ひろみ、現姓:伊東、1968年12月6日… 鈴木 博美(すずき ひろみ、現姓:伊東、1968年12月6日 - )は、1990年代に活躍した元陸上競技(長距離走・マラソン)女子選手。千葉県千葉市花見川区出身(ただし生誕地は福島県)。 1992年バルセロナオリンピックと1996年アトランタオリンピックは女子10000m代表として出場。1997年の世界陸上選手権アテネ大会女子マラソンでは金メダルを獲得したランナーである。有森裕子はチームの先輩、高橋尚子や小出正子らは後輩にあたる。 夫は男子100m元陸日本記録保持者で、1998年バンコクアジア大会で3個の金メダルを獲得した甲南大学准教授の伊東浩司(学年は鈴木が1年先輩)。現在二児の母親でもある。
弘山 晴美(ひろやま はるみ、旧姓・鈴木。1968年9月2日… 弘山 晴美(ひろやま はるみ、旧姓・鈴木。1968年9月2日 - )は、日本女子の元陸上競技(中距離走・長距離走・マラソン)選手。現在は陸上競技の指導者。 夫も同じ陸上競技元選手で、現指導者(2015年4月より筑波大学陸上部・長距離走コーチののち監督)の弘山勉。現在1児の母親。 徳島県鳴門市出身。血液型はB型。 鳴門市大麻中学校時代に陸上競技を始め、中学時代に第1回全国都道府県対抗女子駅伝競走大会にも徳島県代表として出場している。徳島県立鳴門高等学校を経て国士舘大学卒業後の1991年に資生堂に入社。 1993年2月に資生堂ランニングクラブの元選手で、引退後同コーチに就任した弘山勉(2007年4月~2013年3月まで同RC監督を担当)と結婚。
松野 明美(まつの あけみ、本名:前田明美、1968年4月2… 松野 明美(まつの あけみ、本名:前田明美、1968年4月27日 - )は、日本の政治家、タレント、元陸上競技長距離走・マラソン選手。 1988年・ソウルオリンピック女子10000m日本代表。その後、女子マラソンでもオリンピックを目指したが、マラソンの種目で五輪代表に選出されることは一度も無かった。 選手引退後はタレント活動を経て政界入りし、熊本市議会議員(2期)、熊本県議会議員(2期)を経て、第26回参議院議員通常選挙に日本維新の会比例代表候補として出馬し当選した。 1968年、スイカ・メロンの全国一の産地である熊本県鹿本郡植木町(現:熊本市北区)の農家に生まれる。小学生の頃は無口でいじめられっ子だったが、小学校5年生の時に市内のマラソン大会で優勝。
鈴木 賢一(すずき けんいち、1967年4月6日 - )は、… 鈴木 賢一(すずき けんいち、1967年4月6日 - )は、日本の元マラソン選手。 氏家町(現在のさくら市)出身。栃木県立宇都宮農業高等学校(現在の栃木県立宇都宮白楊高等学校)、順天堂大学卒業。その後は富士通に所属した。栃木県立那須拓陽高等学校の教員を務め、駅伝部の監督を務めていたこともある。
大家 正喜(おおや まさき、1966年7月11日 - )は、… 大家 正喜(おおや まさき、1966年7月11日 - )は、日本のマラソン選手。アトランタオリンピック男子マラソン日本代表。佐川急便陸上競技部所属。徳島県小松島市出身。 小松島市立南小松島小学校、小松島市立小松島中学校、徳島県立徳島東工業高等学校(現在の徳島県立徳島科学技術高等学校)卒業。 小学校の頃に地元のクロスカントリーに出場したのをきっかけに陸上競技を始め、高校卒業後は佐川急便陸上競技部に入部した。 1992年に東京シティマラソンでハーフマラソンの日本新記録を達成する。また1998年には関西実業団駅伝競走大会で佐川急便として初の優勝を決めた。 1995年、福岡国際マラソンではマラソンで自己ベストの2時間9分33秒をマーク、日本人最高の3位入賞を果たし、翌1996年のアトランタオリンピック男子マラソン代表に選出された。
川嶋 伸次(かわしま しんじ、1966年6月4日 - )は、… 川嶋 伸次(かわしま しんじ、1966年6月4日 - )は、日本の元陸上競技・マラソン選手。現在は主に指導者として活動中。旭化成陸上部コーチ。2000年シドニー五輪男子マラソン日本代表で、元東洋大学陸上競技部監督(2002年1月 - 2008年12月)。埼玉県出身。埼玉県立飯能高等学校、日本体育大学卒業。柔道二段を持つ。 1982年4月、埼玉県立飯能高等学校に入学。飯能高校の1学年上に、高1で横浜インターハイ5000m 5位、高2で鹿児島インターハイ5000m 優勝、高3で名古屋インターハイ5000m 2位とインターハイ5000mで3年連続入賞した牧野典彰(飯能高校⇒明治大学⇒旭化成)が存在した。
荒木 久美(あらき くみ、現姓名・窪田久美(くぼた くみ)、… 荒木 久美(あらき くみ、現姓名・窪田久美(くぼた くみ)、1965年10月11日 - )は日本の元女子陸上競技(主に長距離走・マラソン)選手。福岡県小郡市出身。 佐々木七恵、増田明美、浅井えり子、宮原美佐子らとともに、日本女子マラソンの黎明期に活躍した。また全日本実業団女子駅伝や、全国都道府県対抗女子駅伝競走大会でも活躍。全日本実業団女子駅伝では1980年代に山下佐知子らと京セラ女子陸上競技部黄金期を築いた。 一時期、登録名を「荒木久深」と改名した時期があった[要出典]。 高校は久留米市立南筑高等学校に学ぶ。高校3年生の時に全国都道府県対抗女子駅伝競走大会に出場し、駅伝競走に魅力を覚える。高校卒業後の1984年4月に、鹿児島県国分市(現・霧島市)の京セラ国分工場に就職、女子陸上部に所属した。
高田 稔浩(たかだ としひろ、1965年9月9日 - )は、… 高田 稔浩(たかだ としひろ、1965年9月9日 - )は、日本の車いすの陸上競技・マラソン選手、政治家。福井市議会議員(1期)。IPC 陸上競技クラス T52 、福井県出身、福井県身体障害者陸上競技協会所属。身長 166cm 、体重 53kg 。 2004年、アテネ・パラリンピック 400m 、5000m 、マラソンで金メダルなどパラリンピック3大会連続出場し通算7つのメダルを獲得、2012年、第32回大分国際車いすマラソン大会優勝などで活躍。クラス T52 の 1500m 、 5000m のアジア記録、日本記録、マラソンの日本記録などを樹立した。 1965年9月9日、福井県生まれ。生まれつき神経が消えていき次第に筋肉が動かなくなる遺伝性感覚運動性ニューロパチーのシャルコー・マリー・トゥース病で、幼い頃は他の子供と同じようにかけっこをしたりサッカーをしたりしていたが、次第に脚が動かなくなった。
林 浩実(はやし ひろみ、1965年7月9日 - )は日本の… 林 浩実(はやし ひろみ、1965年7月9日 - )は日本の陸上競技選手(長距離走)。現在は、結婚により前田浩実としてマラソンインストラクター・マラソンコーディネーターをしている。娘は元AKB48Team4の前田美月。 新潟県糸魚川市生まれ。小学校5年生までは運動会で最下位ばかりだったが、練習により走るのが速くなったことで走ることが好きになる。高校から本格的に取り組むようになり陸上競技部に所属、8000メートル走を専門とする。県大会突破するが北信越大会で予選敗退。高校2年生のときに始まった全国都道府県対抗女子駅伝競走大会に長野県代表として参加、10年連続で出場した。高校卒業後も陸上を続け上田無線に入社、大阪国際女子マラソンで2時間50分58秒を記録、その活躍によりリクルートランニングクラブへ入った。
高橋 勇市(たかはし ゆういち、1965年6月12日 - )… 高橋 勇市(たかはし ゆういち、1965年6月12日 - )は、視覚障害の陸上競技・マラソン選手。秋田県横手市出身、三菱商事所属。 IPC 陸上競技クラス T11 、身長 169cm 、体重 58kg 。血液型A型。 2004年、アテネパラリンピックマラソンの金メダリスト。2006年、IPC 陸上競技世界選手権大会マラソン金メダルの世界選手権者。2004年、国際盲人マラソンかすみがうら大会で当時の世界最高記録で優勝他、クラス T11 の 5000m 、 10000m 、マラソンの日本記録を樹立した。 農家の長男として生まれ、横手市立黒川小学校、同横手西中学校を経て秋田県立大曲農業高等学校に入学した。
森田 修一(もりた しゅういち、1965年2月3日 - )は… 森田 修一(もりた しゅういち、1965年2月3日 - )は、日本の元陸上競技選手(長距離走・マラソン)。神奈川県出身。現在は日清食品グループ陸上競技部で監督を務める。 専修大学出身で、箱根駅伝への出場経験もある。大学卒業後は日産自動車に所属。 1992年8月開催のバルセロナオリンピック男子マラソンの代表選考レースでもあった、1991年12月の福岡国際マラソンでは、自己ベスト記録となる[要出典]2時間10分58秒のゴールタイムで優勝した。この時点で、1991年9月開催の世界陸上東京大会男子マラソンで優勝した谷口浩美がすでに代表に内定しており、残り2名は国内選考会での成績で選出となったが、森田は国内選考会優勝により有力候補となった。
山下 佐知子(やました さちこ、現姓・吉原。1964年8月2… 山下 佐知子(やました さちこ、現姓・吉原。1964年8月20日 - )は、女子陸上競技(長距離走・マラソン)元選手で、現在は主に指導者として活動中。2016年11月より、日本陸上競技連盟・2020年東京オリンピックナショナルチーム女子強化コーチ担当。 鳥取県鳥取市出身。鳥取県立鳥取東高等学校、鳥取大学教育学部を卒業。一旦教育職に就くが、陸上競技への思いを断ちがたく教員を退職後、1987年に京セラに入る。日本陸上競技選手権大会をかつて3回制した(5,000m・1974年、10,000m・1971年、1979年)浜田安則の指導を受け、主に女子マラソンで頭角を現した。 初マラソンは1989年3月の名古屋国際女子マラソンで、当時の初マラソン日本女子最高タイ記録をマーク。
増田 明美(ますだ あけみ、本名・木脇 明美、1964年1月… 増田 明美(ますだ あけみ、本名・木脇 明美、1964年1月1日 - )は、元女子マラソン・陸上競技長距離走選手で、現在は大阪芸術大学芸術学部教養課程教授、スポーツジャーナリスト・スポーツライター・レース解説者・タレント・ナレーターなどで活動中である。 1984年ロサンゼルスオリンピック女子マラソン日本代表。佐々木七恵とともに1980年代前半の日本における女子長距離走の第一人者であった。 千葉県夷隅郡岬町(現・いすみ市)出身。 みかん農家の家庭に生まれ育ち、みかん山を走り回って育つ。小学校は自宅から約2.5キロメートル (km)の距離があり、そこを歩いて通学したことに加え、しばしば登校中に忘れ物に気づき自宅まで走って取りに戻ったりしたことが、足腰や心肺能力を高めるきっかけになったのではないかと自ら述べている。
谷川 真理(たにがわ まり、1962年10月27日 - )は… 谷川 真理(たにがわ まり、1962年10月27日 - )は、女子陸上競技長距離走・マラソン選手で、現在はタレント活動を積極的に行っている。また、流通経済大学客員教授も務める。福岡県福岡市出身、東京都荒川区在住。独身。 中学1年の時、ナディア・コマネチに憧れて体操部に入部したが、体が硬いため3か月でやめて陸上部に転じるも転校により途中でやめた。武蔵野高校進学後は陸上部に所属し800m中心の中距離選手だったが、練習嫌いだったため南関東大会どまりで精一杯だった(同学年で谷川と同じく南関東大会に出場していた選手に、女子マラソン元日本最高記録保持者で1988年9月開催のソウル五輪女子マラソン代表の宮原美佐子がいる)。
渋谷 俊浩(しぶたに としひろ、1962年8月30日 - )… 渋谷 俊浩(しぶたに としひろ、1962年8月30日 - )は、日本の元陸上競技選手(長距離走、マラソン)。兵庫県加古川市出身。
宮原 美佐子(みやはら みさこ、現姓:姫野 美佐子(ひめの … 宮原 美佐子(みやはら みさこ、現姓:姫野 美佐子(ひめの みさこ)、1962年5月29日 - )は女子長距離走・マラソン元選手。埼玉県川口市出身。
遠藤 司(えんどう つかさ、1961年11月9日 - )は、… 遠藤 司(えんどう つかさ、1961年11月9日 - )は、日本の陸上競技(長距離走)選手・指導者。 秋田県平鹿郡平鹿町(現在の横手市)出身。小学校の卒業文集に「オリンピックに出たい」と記したという。秋田県立横手工業高等学校在学中、全国高等学校総合体育大会で男子800メートル走に出場、1分50秒9で優勝。高校3年生の時に早稲田大学競走部の中村清監督と出会い、早稲田大学を目指す。高校3年生の入試の結果発表前に行ったニュージーランド合宿中に中村から、不合格であることを伝えられたが、その時に聖書の言葉を引用して「『成功する道は、狭くて険しい』。これから成功する道を選んだのだから、頑張りなさい」と言われ、一浪の末合格した。
坂口 泰(さかぐち やすし、1961年9月2日 - )は元陸… 坂口 泰(さかぐち やすし、1961年9月2日 - )は元陸上競技選手(長距離・マラソン)で、陸上長距離指導者。日本陸連男子マラソン強化コーチ。 広島県世羅郡世羅町出身。古くから駅伝競走の盛んな地で、駅伝の名門広島県立世羅高校へは山奥の自宅から走って通った。全国高等学校駅伝競走大会では中心選手として2年時に4位、3年時は1区・区間賞もチームは9位だった。インターハイ1500mと国体5000mで優勝。卒業後は地元の広島大学に入って教師になるつもりだったが、当時早稲田大学競走部の瀬古利彦に声をかけられ、中村清監督が実家まで足を運んでくれたため、早稲田大学に進学した。早稲田では箱根駅伝で2年時に9区区間賞、3年時に9区区間新記録。
谷口 伴之(たにぐち ともゆき、1961年7月21日 - 1… 谷口 伴之(たにぐち ともゆき、1961年7月21日 - 1990年8月23日)は日本の陸上競技(マラソン)選手。現役中に交通事故で死亡した。 神奈川県立川崎北高等学校卒業後、早稲田大学に入り競走部に所属。4年時の箱根駅伝(第60回大会)では9区で区間賞を獲得し優勝に貢献。1985年ヱスビー食品に入社。陸上競技部に入り、1987年のボストンマラソンで5位入賞。1990年のロンドンマラソンでは9位でゴールした。同年9-10月開催のアジア競技大会(北京)の男子マラソン日本代表に選ばれたが、大会開催を翌月に控えた8月23日、北海道常呂町での合宿中に交通事故に遭い、29歳の若さで死亡した(エスビー食品陸上競技部員交通死亡事故)。
工藤 一良(くどう かずよし、1961年2月27日 - )は… 工藤 一良(くどう かずよし、1961年2月27日 - )は、青森県名川町(現・南部町)出身の陸上競技、マラソン選手・指導者。青森県立名久井農業高等学校卒業。1980年代から1990年代にかけて選手として活動した。 名久井農業高校時代は、全国高等学校駅伝競走大会に出場。1区を担当し、高校2年時の第28回大会(1977年)は区間13位、そして高校3年時の第29回大会(1978年)で区間賞 を獲得した。 高校卒業後は白水昭興監督に見初められ、名門だったリッカー陸上部に入部。駅伝の他にトラック競技でも活躍。特に十和田八幡平駅伝競走全国大会に相性が良く、第32回大会(1979年)では1区3位、第36回大会(1983年)では3区区間賞 の好記録を残し、リッカーの優勝に貢献した(リッカー陸上部は1984年に休部したので、第36回大会の優勝は有終の美を飾る物だった)。
浅井 えり子(あさい えりこ、1959年10月20日 - )… 浅井 えり子(あさい えりこ、1959年10月20日 - )は日本女子の陸上競技選手及び指導者で、競技種目は長距離走・マラソンである。帝京科学大学客員教授、同大学女子駅伝チームアドバイザー、足立区教育委員。 主な実績に1988年ソウルオリンピック・女子マラソン日本代表(25位)、1986年ソウルアジア競技大会・女子マラソン金メダリスト、1994年名古屋国際女子マラソン優勝など。 東京都足立区出身。東京都立足立高等学校に入学してから間もなく、友人からの誘いを機に陸上競技部へ入部するも、特別目立った成績は残せないままで、高校を卒業した。文教大学に進学後も再び陸上部に所属。同大学の3年在学中だった、1980年11月の第2回東京国際女子マラソンへ初マラソンに挑戦し12位、3時間0分台のゴールタイムで完走を果たした。
金井 豊(かない ゆたか、1959年〈昭和34年〉10月16… 金井 豊(かない ゆたか、1959年〈昭和34年〉10月16日 - 1990年〈平成2年〉8月23日)は、日本の陸上競技(長距離走・マラソン)選手。1984年ロサンゼルスオリンピック男子10000mで7位に入賞したが、現役中に交通事故で死去した。30000mの日本学生記録保持者でもある。 群馬県沼田市沼須町出身。群馬県立沼田高等学校3年生時の1977年に全国高等学校総合体育大会陸上競技大会(インターハイ)の800mで優勝した。 早稲田大学への進学を目指したが、1978年の受験は不合格となり、翌1979年に入学した。入学後は早稲田大学競走部のエースとして箱根駅伝などで活躍する。在学中の1981年に、ニュージーランド・クライストチャーチで30000mに出場して、1時間33分52秒9の日本学生新記録を樹立した。
田中 照代(たなか てるよ、1959年5月24日 - )は、… 田中 照代(たなか てるよ、1959年5月24日 - )は、車いすの陸上競技・マラソン選手。岐阜県出身、 ASSA-TC 所属。 IPC 陸上競技クラス T52 、身長150cm、体重40kg 。 1996年、アトランタパラリンピック 800m を世界新記録で金メダルを獲得、2000年、シドニーパラリンピック 200m 、 800m 、 1500m 銀メダル、2008年、北京パラリンピック 100m 銅メダル。クラス T52 の 800m の世界記録、 400m のアジア記録、日本記録などを樹立した。 1959年5月24日、岐阜県土岐市生まれ。1973年、交通事故で頸椎を損傷し入院治療。1978年、多治見西高等学校卒業後、国立障害者リハビリテーションセンターに入所。
大八木 弘明(おおやぎ ひろあき、1958年7月30日 - … 大八木 弘明(おおやぎ ひろあき、1958年7月30日 - )は、陸上競技の元選手でマラソン・中長距離選手の指導者。福島県河沼郡河東町(現:会津若松市河東町)出身。駒澤大学陸上競技部総監督、関東学生陸上競技連盟駅伝対策委員会メンバー。 陸上競技にのめり込むようになったのは会津高田町立第一中学校(現:会津美里町立高田中学校)2年の時、校内マラソンで優勝したのがきっかけだった。中学校入学当初は、体重も100kg近くあり「ドラムカン」とあだ名されていたが、福島県駅伝常勝の陸上部で練習を積み重ね、中学3年時にはジュニアオリンピックの前身であるジュニア選手権3000mにて全国5位に輝く(9分09秒6)。 福島県立会津工業高等学校在籍時にはインターハイへの出場を夢見るも、走りすぎによる故障(疲労骨折)と貧血に苦しめられる3年間を過ごすこととなった。
新宅 雅也(しんたく まさなり、一時期、永灯至(ひさとし)に… 新宅 雅也(しんたく まさなり、一時期、永灯至(ひさとし)に改名していたが、現在は雅也に復している)、1957年12月20日 - )は、広島県三原市出身の陸上競技、マラソン選手。広島県西条農業高校、日本体育大学卒業。1970年代後半から1980年代にかけて瀬古利彦、宗茂・宗猛兄弟、伊藤国光、中山竹通らとともに日本陸上界をリードした名選手である。 広島県三原市立幸崎中学校で、陸上部に入り陸上をはじめた。中学時代は目立った選手ではなかったが、負けず嫌いで、練習は熱心で、一人で遅くまで走っていることも多かった。高校進学では、駅伝で有名な世羅高校を希望したが、学区が違うため、広島県立西条農業に進学し、約2時間かけて通学していた。
佐々木 七恵(ささき ななえ、結婚後の氏名:永田 七恵、19… 佐々木 七恵(ささき ななえ、結婚後の氏名:永田 七恵、1956年2月8日 - 2009年6月27日)は、1980年代に活躍した女子陸上競技(主に長距離走・マラソン)選手、指導者。1984年ロサンゼルスオリンピック女子マラソン日本代表。 岩手県大船渡市出身。岩手県立住田高等学校、日本体育大学卒業。大卒後は教育職を経て、瀬古利彦らがいたヱスビー食品に所属。増田明美らとともに、初期の日本女子マラソン界を代表する選手の1人だった。 5男2女の7人兄弟の末娘として生まれたことから七恵と命名される。日頃市中時代はバレーボール部に所属し、[要出典]住田高時代から兄の影響で陸上競技を始める。日体大時代までは中距離の選手としてインカレ等で活躍し、大学卒業後マラソンに進む。
伊藤 国光(いとう くにみつ、1955年1月6日 - )は、… 伊藤 国光(いとう くにみつ、1955年1月6日 - )は、長野県伊那市西箕輪出身の元陸上競技(長距離・マラソン)選手。JFEスチール競走部前監督。 長野県上伊那農業高等学校時代は全国高等学校駅伝競走大会で3年連続して1区(10km)に出場。3年生時の1972年には区間賞を獲得した。高校卒業後、カネボウ陸上競技部に進む。 カネボウ時代は10000mの日本新記録、マラソン、30kmロードレース、20000m、10マイルロードレースの日本最高記録を記録した。日本が不参加だった幻の1980年モスクワオリンピック10000m日本代表。1981年の第4回アジア陸上競技選手権大会では10000mで優勝している。
宗 茂(そう しげる、1953年1月9日 - )は、日本の元… 宗 茂(そう しげる、1953年1月9日 - )は、日本の元長距離走・マラソン選手、陸上競技指導者で、現在は宮崎県延岡市紺屋町で気功健康塾を経営している。大分県臼杵市出身。血液型はAB型。モントリオール、モスクワ、ロサンゼルスのオリンピック3大会で男子マラソン日本代表となる。一卵性双生児の弟の宗猛とともに、兄弟で多くの国際大会に出場し、入賞を果たした。 猛とともに中学時代より陸上競技を始める。中学2年で兄弟揃って大分県内一周駅伝に出場するなど、早くから地元では注目されていたが、同じ2年生からは学校の指導者が不在となり猛とともに自主的に考えてトレーニングをしたという。親の薦めで猛とともに大分県立佐伯豊南高等学校に進学、下宿生活を送る。
小山 隆治(こやま たかはる、1948年7月8日 - 201… 小山 隆治(こやま たかはる、1948年7月8日 - 2018年9月11日)は、日本の陸上競技(中距離走・長距離走)選手。3000メートル障害の元日本記録保持者であり、日本選手権6連覇、オリンピック出場2回。1972年ミュンヘンオリンピックでは決勝進出を果たした。ロードレースでも箱根駅伝や全日本実業団駅伝で成績を残している。 福岡県出身。常磐高等学校を経て順天堂大学に入学。順天堂大学では、箱根駅伝に4年連続出場、区間賞1回。 1971年、大学を卒業してクラレに入社。日本選手権では1971年から1976年まで3000メートル障害で6連覇を達成した。 1972年ミュンヘンオリンピックでは3000メートル障害と5000メートル競走に出場。
佐々木 精一郎(ささき せいいちろう、1945年9月2日 -… 佐々木 精一郎(ささき せいいちろう、1945年9月2日 - )は、日本の男子陸上競技(長距離走・マラソン)選手。 1960年代後半から1970年代前半の戦後日本の男子マラソン第1次黄金時代に活躍したランナーで、1968年メキシコシティーオリンピックに男子マラソン日本代表として出場した。佐賀県鳥栖市出身。 佐々木とマラソンの出会いは佐賀県の鳥栖市立田代中学校時代。「1年か2年の時(本人談)」に校内マラソン大会で10位に入り、市内の中学駅伝大会の代表選手になったことがきっかけだった。当時同校には陸上部がなく、バレー部顧問の教諭の指導を受けた。 高校は佐賀県立鳥栖工業高等学校に進学。陸上部に入り、全国高等学校総合体育大会陸上競技大会(インターハイ)、国体で上位入賞する他、2年・3年時に全国高等学校駅伝競走大会に出場。
采谷 義秋(うねたに よしあき、1944年10月6日 - 2… 采谷 義秋(うねたに よしあき、1944年10月6日 - 2022年11月5日)は、日本のマラソン選手。"元祖"市民ランナー。 広島県呉市広長浜生まれ。広島電機大学附属高校(現広島国際学院高校)機械科卒業。高校2年時の1962年全国高校駅伝では、4区区間賞で全国3位に貢献した。 1963年、体育教師になるため日本体育大学健康学科に進学。日体大は当時、長距離・マラソンの一級選手は出ておらず、采谷は特定のコーチにつかず独自のプログラムを作り練習した。健康学科の授業を通して、自身の体調を科学的に分析し、また力学から足の運び、重心の置き方を研究するなど、つねに科学的なトレーニングを消化することに務める。
澤木 啓祐(さわき けいすけ、1943年12月8日 - )は… 澤木 啓祐(さわき けいすけ、1943年12月8日 - )は、陸上競技の元選手でマラソン・中長距離選手の指導者。順天堂大学スポーツ健康科学部学部長、日本陸上競技連盟副会長。 大阪府立春日丘高等学校2年時に神戸インターハイ(1960年)、1500mと5000mで優勝。高校3年時(1961年)には、日本陸上競技選手権大会1500mで2位入賞、インターハイには出場せず、ヨーロッパを転戦するなど1964年東京オリンピックの有力候補として将来を嘱望された。進路は注目されたが、「有力選手の澤木を必ず獲得する」と監督の帖佐寛章が熱意を見せた順天堂大学(当時は関東学生陸上競技対校選手権大会二部降格線上のチームだった)に進学する。
宇佐美 彰朗(うさみ あきお、1943年5月31日 - )は… 宇佐美 彰朗(うさみ あきお、1943年5月31日 - )は、日本のマラソン選手、指導者である。東海大学名誉教授。 新潟県西蒲原郡吉田町(現・燕市)出身。新潟県立巻高等学校から日本大学経済学部経済学科に進学して卒業。その後日本大学文理学部体育学科(学士入学)卒業。日本大学大学院文学研究科教育学専攻体育学コース修士課程修了、教育学修士。日本大学大学院文学研究科教育学専攻体育学コース博士課程単位取得満期退学。 1960年代後半 - 1970年代中盤にかけて活躍した、日本の男子マラソンの名選手のひとり。 実家は鮮魚店で、9人兄弟の6番目(三男)に生まれる。中学時代はバスケットボール、高校時代はテニスをしており、大学に入ってから本格的に陸上競技を始めたという異色の経歴の持ち主。
靑葉 昌幸(あおば よしゆき、1942年6月16日 - )は… 靑葉 昌幸(あおば よしゆき、1942年6月16日 - )は、現在の埼玉県秩父市(旧大田村)出身の陸上競技の元選手でマラソン・中長距離選手の指導者。埼玉県立秩父農工卒業。日本大学卒業。埼玉県庁を経て、大東文化大学陸上競技部監督、スポーツ・健康科学部教授を歴任。関東学生陸上競技連盟名誉会長。青の字体は、「靑」が正しい。 日本大学在籍時は、1964年日本選手権3000mSCで優勝、翌1965年の同大会では1500mで優勝するなど活躍。 また、箱根駅伝にも出場し、第42回大会では1区を区間3位で走っている。 その後埼玉県庁を経て、1968年(昭和43年)4月から大東文化大学陸上競技部監督に就任。就任1年目で迎えた第45回箱根駅伝では2度目の出場ながら初めてシード権を獲得。