久野 豊彦(くの とよひこ、1896年〈明治29年〉9月12… 久野 豊彦(くの とよひこ、1896年〈明治29年〉9月12日-1971年〈昭和46年〉1月26日)は、日本の小説家、経済学者。 愛知県出身。慶應義塾大学卒。大正時代末から小説を書き、新興芸術派の一人。第二次世界大戦後、名古屋商科大学教授(経済学)。1967年(昭和42年)に定年退職。クリフォード・ダグラス(en:C. H. Douglas)に依拠して反マルクス主義の立場をとった。
赤松 要(あかまつ かなめ、1896年8月7日 - 1974… 赤松 要(あかまつ かなめ、1896年8月7日 - 1974年12月20日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。日本における経済政策学の第一人者で、雁行形態論(のち小島清や山澤逸平らにより発展)等を提唱したことで知られる。 福岡県に旧久留米藩藩士の長男として生まれる。久留米商業学校(現久留米市立久留米商業高等学校)、神戸高等商業学校(現神戸大学)を経て、1921年東京高等商業学校(現一橋大学)卒。1944年経済学博士(東京商科大学)。福田徳三門下。 1921年、名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)講師、1922年、同教授。1923年から留学し、ドイツでハインリヒ・リッケルトとヘルマン・グロックナーに師事したのちアメリカ合衆国でに移りハーヴァード大学でケースメソッドを学んだ。
李 勲求(イ・フング、朝鮮語: 이훈구/李勳求、1896年4… 李 勲求(イ・フング、朝鮮語: 이훈구/李勳求、1896年4月26日または1906年6月6日 - 1961年6月13日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の農業経済学者、農学者、教育者、政治家、実業家、ジャーナリスト。制憲・第5代(参議院)韓国国会議員、檀国大学学長、成均館大学校総長を務めた。 本貫は韓山李氏(朝鮮語版)。号は心堂。キリスト教徒。 忠清南道舒川郡麒山面出身。漢学教育を経て、1920年に水原農林専門学校卒、1924年に東京帝国大学(現・東京大学)農学部農科卒。日本留学中にキリスト教に入信した。公州永明学校教員を2年間務めた後、1927年にカンザス州立大学大学院修了、1929年にウィスコンシン州立大学大学院農業経済学専攻修了(博士)。
堀 経夫(ほり つねお、1896年〈明治29年〉4月20日 … 堀 経夫(ほり つねお、1896年〈明治29年〉4月20日 - 1981年〈昭和56年〉9月18日)は、日本の経済学者。専門は、経済思想史、社会思想史。日本学士院会員。関西学院大学学長、四国学院大学学長を歴任した。 1896年4月20日、函館市生まれ。1920年、京都帝国大学卒業。河上肇に師事。1925年東北大学教授、1932年大阪商科大学 (現在の大阪市立大学) 教授を経て、1948年関西学院大学教授に就任。1955年に、関西学院大学学長(第5代学長)に就任し、同学長を1966年に退任。同年、四国学院大学学長に就任。理論経済学会、経済学史学会、大洋州経済学会など多くの学会の創設以来の会員、幹事、顧問をつとめる。
手塚 寿郎(てづか すみお/じゅろう、明治29年(1896年… 手塚 寿郎(てづか すみお/じゅろう、明治29年(1896年)4月12日 - 昭和18年(1943年)5月3日)は、日本の経済学者。小樽高等商業学校(現小樽商科大学)教授や東亜同文書院大学教授を務め、日本への近代経済学の導入を行った。 栃木県出身。宇都宮市立宇都宮商業学校(現栃木県立宇都宮商業高等学校)を経て、無試験入学で小樽高等商業学校(現小樽商科大学)に進学し、1916年に同卒業。1919年東京高等商業学校(現一橋大学)専攻部経済科卒業。福田徳三ゼミ出身。 経済学及び統計学研究のため、1920年から1926年までイギリス、アメリカ、フランスに留学。1921年小樽高等商業学校教授、叙従七位。オーストリア学派などの日本への導入を行った。
波多野 鼎(はたの かなえ、1896年(明治29年)3月30… 波多野 鼎(はたの かなえ、1896年(明治29年)3月30日 - 1976年(昭和51年)9月29日)は、日本の経済学者、政治家。参議院議員(1期)。 愛知県生まれ。1917年旧制八高卒業ののち東京帝国大学に入学、新人会で活動した。1920年法学部英法科卒業ののち南満洲鉄道東亜経済調査局に就職し、前期新人会員により結成された社会思想社に参加した。1922年に同志社大学教授となり、その後九州帝国大学教授を務める。経済学博士。 第二次世界大戦後に日本社会党に入党。1947年、第1回参議院議員通常選挙で福岡県選挙区から参議院議員に当選し、同年成立した片山内閣では平野力三が罷免された後に農林大臣に就任。
野村 兼太郎(のむら かねたろう、1896年〈明治19年〉3… 野村 兼太郎(のむら かねたろう、1896年〈明治19年〉3月20日 - 1960年〈昭和35年〉6月22日)は、日本の経済学者。経済学博士。専門は経済思想史(江戸時代・経世論)。 日本学士院会員。国文学研究資料館設立発起人。他、東洋貨幣協会名誉会員、社会経済史学会を創立し代表理事等を歴任。 東京府東京市日本橋区浜町(現・東京都中央区日本橋浜町)生まれ。東京府立第三中学校を卒業後、1918年に慶應義塾大学部理財科を卒業。予科教授を経て、1923年よりケンブリッジ大学キングス・カレッジ在籍。 1937年、慶應義塾大学で「英国資本主義の成立過程」により経済学博士の学位を授与される。 1950年に日本学士院会員となり、他に慶應義塾図書館長、東京大学経済学部講師、日本学術会議会員、文部省科学研究費総合研究「近世庶民資料調査研究」委員長、文部省史料館評議会長、経済学部適格審査委員会委員長などを歴任した。
山本 勝市(やまもと かついち、1896年〈明治29年〉3月… 山本 勝市(やまもと かついち、1896年〈明治29年〉3月20日 - 1986年〈昭和61年〉8月1日)は、日本の経済学者、政治家。和歌山高等商業学校教授、衆議院議員(5期)、大東文化大学教授。和歌山県出身。 京都帝国大学経済学部卒業、経済学博士 (東京商科大学)。戦前は経済学者として和歌山高商教授や文部省国民精神文化研究所所員を務め、戦後は日本自由党の結党に参加した。『福祉国家亡国論』の著述やマルクス主義への批判、経済計算論争の紹介など、自由主義経済の推進者として知られる。 1896年(明治29年)3月20日、和歌山県東牟婁郡四村(現・田辺市)生まれ。1913年(大正2年)3月、私立京都中学校(後の新制京都高等学校、廃校)卒業。
宮川 實(みやかわ みのる、1896年2月19日 - 198… 宮川 實(みやかわ みのる、1896年2月19日 - 1985年10月21日)は、日本のマルクス経済学者。「宮川 実」とも。 山口県出身、東京帝国大学卒業。河上肇に師事。和歌山高等商業学校教授を経て、1939年立教大学教授。1942年治安維持法違反により入獄。戦後立教大学に復職、労働者教育協会会長を務めた。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
有沢 広巳(ありさわ ひろみ、有澤 廣巳、1896年(明治2… 有沢 広巳(ありさわ ひろみ、有澤 廣巳、1896年(明治29年)2月16日 - 1988年(昭和63年)3月7日)は、日本の統計学者、経済学者。位階は正三位。 法政大学元総長。東京大学名誉教授、法政大学名誉教授。統計学が専門分野で、実証に徹した。 高知県出身。高知中学を経て、第二高等学校卒業。東京帝国大学では法学部から独立したばかりの経済学部の第一期生として統計学を糸井靖之の演習にて学ぶ。また河合栄治郎の講義を熱心に聴いた。大内兵衛に師事し、マルクス経済学を学ぶ。1922年(大正11年)に同大学を卒業後、助手を経て1924年(大正13年)に同大経済学部統計学講座の助教授となる。同年、同大講師の猪間驥一を大学から追放した。
宮田 喜代蔵 (みやた きよぞう、1896年1月23日 - … 宮田 喜代蔵 (みやた きよぞう、1896年1月23日 - 1977年7月7日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。元日本学術会議会員。 1896年、岡山市で生まれた。1914年に金川中学校(現・岡山県立金川高等学校)を卒業し、神戸高等商業学校(現・神戸大学)本科に進んだ。在学中は坂西由蔵に師事した。1918年に卒業。その後は東京商科大学(現・一橋大学)専攻部領事科に進み、1921年に卒業。福田徳三ゼミに所属し、福田ゼミの同期には赤松要、大熊信行、梅田政勝がいた。 卒業後は名古屋高等商業学校(現・名古屋大学経済学部)教授となった。1922年から2年間欧州留学を命じられ、イギリス、ドイツ、アメリカに留学。
黎 世蘅(れい せいこう、1896年 – 1977年)は、中… 黎 世蘅(れい せいこう、1896年 – 1977年)は、中華民国・中華人民共和国の経済学者・教育者・官僚。字は子鶴。経済学者として活動した一方、中華民国臨時政府と南京国民政府(汪兆銘政権)において官僚をつとめたことがある。 日本に留学し、1919年(民国7年/大正7年)、京都大学経済学部に入学した。1922年(民国11年/大正11年)、同学部を卒業、経済学士を取得したと見られる。帰国後、1922年(民国11年)、国立北京大学経済系講師兼私立民国大学校長となる。1925年(民国14年)2月17日、教育部編審処編審員に任命された。1928年(民国17年)、国立北平大学法学院教授となる。1930年(民国19年)から1937年(民国26年)まで北平成達初級中学校長兼中法大学院教務主任をつとめた。
田中 九一(たなか きゅういち、1896年 - 1995年1… 田中 九一(たなか きゅういち、1896年 - 1995年1月29日)は、日本のマルクス経済学者。 1920年東京帝国大学法経学部経済学科卒。満鉄東亜調査局員となり、1936年「支那経済及北方調査」の主査を務める。部下に西沢富夫(1913年7月7日- 1985年11月7日)がいたという。 1922年東大新人会OBを中心に作られた社会思想社 (1922年)の幹事となり論文を寄稿。1924年ボルハルト著「マルクス経済学大綱」翻訳。 1943年満鉄調査部事件で石堂清倫らと逮捕される。1944年釈放。終戦後1945年から1949年までソ連鉄道管理局にて、満州経済を調査するも、ヨシフ・スターリンによる粛清のためスパイの罪で13年の重労働の刑に服す。
加藤 一雄(かとう かずお、1896年〈明治29年〉 - 1… 加藤 一雄(かとう かずお、1896年〈明治29年〉 - 1992年〈平成4年〉8月2日)は、日本の経済学者。日本大学元学長・名誉教授(経済学)。福岡県嘉穂郡飯塚町出身。 1917年(大正6年)に福岡県師範学校(現在の福岡教育大学)第二部を卒業し、楽市小学校の訓導となる。第一次世界大戦後の1919年(大正8年)4月に辞職し上京、日本大学法文学部の予科に入学する。1924年(大正13年)に卒業して実業家志望で、民間会社の東京支店長に内定し、結婚式も挙げたばかりのとき、常務理事の塩野季彦から大学に残れとの誘いを受け、同学法文学部の講師となる。 1928年(昭和3年)に海外留学に派遣され1930年(昭和5年)5月、経済学研究のため2年間の英国留学を終え当時学長であった山岡萬之助の請いを受け予科教授兼学監に就任する。
住谷 悦治(すみや えつじ、1895年〈明治28年〉12月1… 住谷 悦治(すみや えつじ、1895年〈明治28年〉12月18日 - 1987年〈昭和62年〉10月4日)は、日本の経済学者。同志社大学名誉教授。同大学元総長。吉野作造門下。群馬県出身。 群馬県群馬郡国府村(現・高崎市東国分町)に、父・住谷友太、母・軟の次男として生まれる。旧制前橋中学校、旧制第二高等学校を経て、1922年(大正11年)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年吉野作造の推薦により同志社大学法学部助手となる。1927年(昭和2年)に同大学教授となったが、1933年(昭和8年)に治安維持法で逮捕され、職を辞す。東京文藝春秋社欧州特派員として1934年(昭和9年)に渡欧(1936年に帰国)。
関 未代策(せき みよさく、1895年6月26日 - 197… 関 未代策(せき みよさく、1895年6月26日 - 1974年3月8日)は、日本の経済学者。日本経済団体連合会の設立など、戦後の経済再建に重要な役割を果した。 1917年、明治大学政治経済学部卒業。在学中は雄弁会幹事長を務めていた。朝日新聞社に入る。1920年のワシントン会議では、緒方竹虎等と共に特派員に選出されたが、直前の急病により断念することとなった。 1925年に、母校からの要請により、朝日新聞社から明治大学に転じた。同商学部助教授に就任すると同時にパリ大学に留学。1927年に帰国し、政治経済学部助教授、1930年に同教授、1942年に「東洋思想と仏蘭西経済学」で、経済学博士の学位を取得。
早川 三代治(はやかわ みよじ、1895年(明治28年)6月… 早川 三代治(はやかわ みよじ、1895年(明治28年)6月22日 - 1962年(昭和37年)8月28日)は、日本の経済学者、小説家。位階は正五位。 北海道小樽市生まれ。北海道帝国大学卒業後、経済学を学ぶためにドイツに留学し、ウィーンでヨーゼフ・シュンペーターに面会し、指導を受ける。帰国後、レオン・ワルラスやヴィルフレド・パレートを日本に紹介し、北海道を中心に所得調査を行い、日本の所得分布でパレートの法則を検証した論文を発表した。また、北海道帝国大学、小樽経済専門学校・小樽商科大学、早稲田大学で教鞭を取り、早稲田大学で経済学博士の学位を取得している。 一方で、東北帝国大学農科大学予科在学時に有島武郎の教えを受け、文学に傾倒し、その後島崎藤村に師事し、多くの小説・戯曲・随筆を創作した。
竹村 豊太郎(たけむら とよたろう、1895年〈明治28年〉… 竹村 豊太郎(たけむら とよたろう、1895年〈明治28年〉4月9日 - 1977年〈昭和52年〉)は、日本の経済学者、教育者。立教大学商学部教授・経済学部教授、国士舘大学教授。 1895年4月9日生まれ。慶應義塾大学理財科を卒業したのち、三井銀行に入行。 同行で4年間の勤務のあと退職し、慶応義塾大学教授のトーマス・E・ジョンの元で研究助手を務め、同大学大学院で経済学および人口論を専攻する。1920年(大正9年)3月、同大学理財科大学院を修了。 1925年(大正14年)に立教大学商学部(現・経済学部・経営学部)教授に就任。経済原論や銀行論を講じる。 1937年(昭和12年)に立教大学スキー部が創設されると、初代部長を務めた。
石浜 知行(いしはま ともゆき、1895年3月26日 - 1… 石浜 知行(いしはま ともゆき、1895年3月26日 - 1950年8月1日)は、日本の経済学者。 兵庫県出身。時事新報社の記者・石濱鉄郎の長男、作家の石浜金作は弟。東京帝国大学経済学部卒。ドイツ留学を経て九州帝国大学教授。1928年(昭和3年)三・一五事件で辞職、のち読売新聞論説委員。戦後、1946年(昭和21年)に中国研究会設立に参加。九州帝大に復帰、マルクス主義経済学者として活動する。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
河西 太一郎(かわにし たいちろう、1895年3月18日 -… 河西 太一郎(かわにし たいちろう、1895年3月18日 - 1986年8月26日)は、日本の経済学者。立教大学名誉教授、立教大学元経済学部長、学校法人立教学院元理事長。高崎市立短期大学(現・高崎経済大学)初代学長。 1895年3月、大阪府和泉市松尾寺町で河西仲次郎の四男として生まれる。 1912年3月、大阪府立堺中学校卒業、1917年7月、第一高等学校独法科卒業し、同年9月、東京帝国大学法学部政治学科入学。1920年9月、東京帝国大学法学部政治学科卒業。同年10月、大原社会問題研究所助手に就任。同年11月、安藤文子と結婚する。 1923年3月、大原社会問題研究所の財政的な問題から規模縮小のために、同僚の林要らとともに同研究所を離れる。
大槻 正男(おおつき まさお、1895年3月12日 - 19… 大槻 正男(おおつき まさお、1895年3月12日 - 1980年12月8日)は、日本の農業経済学者。 宮城県出身。1921年東京帝国大学農学部卒。京都帝国大学農学部助教授、教授となり、1955年定年退官、名誉教授、東京農業大学教授を務めた。農地審議会委員、米価審議会委員などを務めた。1978年日本学士院会員。子にフランス文学者の大槻鉄男がいる。
森 耕二郎(もり こうじろう、1895年(明治28年)2月2… 森 耕二郎(もり こうじろう、1895年(明治28年)2月23日 - 1962年(昭和37年)1月28日は、日本の大正から昭和期における経済学者、九州帝国大学教授。滋賀県出身者として最初の経済学博士(博士登録番号64番)。 1895年(明治28年)2月23日、滋賀県甲賀郡(現甲賀市)の井村家に生まれる。 京都帝国大学経済学部に1921年(大正10年)入学、1922年(大正11年)3月同大学を卒業し、大学院に進み経済原論を専攻する。1923年(大正12年)森家の養子となる。 1922年(大正13年)京都帝国大学講師となり、1925年(大正15年)2月経済学博士学位を得る。1928年(昭和3年)九州帝国大学法文学部助教授となり経済学第六講座を分担する。
黒正 巌(こくしょう いわお、1895年(明治28年)1月2… 黒正 巌(こくしょう いわお、1895年(明治28年)1月2日 - 1949年(昭和24年)9月3日)は、日本の経済学者、農業史家、農村社会史学者。専門は経済史、経済地理学。経済学博士(京都帝国大学)。岡山県出身。大阪経済大学初代学長。 1895年(明治28年)岡山県上道郡可知村(現在の岡山市東区)生まれ。可知尋常小学校、上道高等小学校を経て1909年(明治42年)4月岡山県立岡山中学校(現・岡山県立岡山朝日高等学校)に入学、1914年(大正3年)3月同校を卒業し同年9月第六高等学校に入学、ドイツ語や英語などを習得し他に歴史や経済史を研究した。1916年に黒正家の養子となる(旧姓中山)。翌1917年(大正6年)7月に六高を卒業し同年9月京都帝国大学法科大学政治経済学科に入学。
竹内 謙二(たけうち けんじ、1895年 - 1978年)は… 竹内 謙二(たけうち けんじ、1895年 - 1978年)は、日本の経済学者。 新潟県出身。1919年東京帝国大学経済学部卒、大原社会問題研究所、九州帝国大学教授、1931年「仏蘭西重商政策確立史 モンクレチアント其時代」で慶應義塾大学経済学博士。1956年九州大学を定年退官、中央大学教授。アダム・スミス『国富論』を翻訳し、大内兵衛らの誤訳を指摘した。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
井藤 半彌(いとう はんや、1894年9月14日 - 197… 井藤 半彌(いとう はんや、1894年9月14日 - 1974年2月6日)は、日本の経済学者。専門は財政学。経済学博士。正三位勲一等瑞宝章。 海軍経理学校教授、一橋大学学長、日本学士院会員、自治庁参与、大蔵省税制特別調査会会長、日本ホッケー協会理事、大学基準協会常任理事などを歴任した。 京都市出身。京都市立第一商業学校(現京都市立西京高等学校)を経て、1918年東京高等商業学校(現一橋大学)本科卒業、1920年同校専攻部貿易科卒業。福田徳三教授に師事。1920年東京商科大学(現一橋大学)助手、1910年東京商科大学附属商学専門部講師。1922年から財政学の内池廉吉教授に師事。1935年東京商科大学より経済学博士の学位を取得。
中川 与之助(なかがわ よのすけ、1894年7月30日 - … 中川 与之助(なかがわ よのすけ、1894年7月30日 - 1968年8月1日)は、日本の経済学者、元京都帝国大学教授。文学博士。ナチス研究により戦後公職追放された。川田順の「老いらくの恋」騒動の当事者の一人。 富山県上新川郡熊野村江本(現:富山市江本)の農家、中川滋次郎・チイ夫妻の次男に生まれる。苦学して特待生で東京高等師範学校に入学、卒業後、奈良県郡山中学校(現・奈良県立郡山高等学校)で教師をしたあと、1924年に京都帝国大学経済学部卒業、大学院に進み、30歳の時に下宿先の娘鈴鹿俊子(17歳)と結婚、一男二女を儲ける。 1928年に大学院を中退して京大講師となり、1930年助教授、1931年から1933年まで文部省の辞令によりドイツ留学、1943年教授。
福本 和夫(ふくもと かずお、1894年(明治27年)7月4… 福本 和夫(ふくもと かずお、1894年(明治27年)7月4日 - 1983年(昭和58年)11月16日)は、日本の経済学者。科学技術史家・思想史家・文化史家でもあり、福本イズムを打ち立てた。長男は福本邦雄。 戦前期の日本共産党(第二次共産党)の幹部となり、その理論的指導者として活躍した。また、フランクフルト留学中、文化史という研究方法を学び、日本における文化史研究の先駆者の一人とされる。 福本は生前、自分の名前である「和夫」について、両親が「明治日本の出世頭」鳩山和夫にあやかったものと語っている。当時の筆名は、出身地にちなんで「北条一雄」としていた。 鳥取県久米郡下北条村(現・東伯郡北栄町)に福本信蔵の三男として生まれる。
北岡寿逸(きたおか じゅいつ、1894年(明治27年)7月2… 北岡寿逸(きたおか じゅいつ、1894年(明治27年)7月2日 ‐ 1989年(平成元年)6月7日)は、日本の労働官僚・経済学者。國學院大學名誉教授。北岡伸一の大叔父。 奈良県吉野町出身。旧制第一高等学校を経て、1918年(大正7年)東京帝国大学政治科卒業。農商務省に入省し、内務省の外局として社会局が設置されると同事務官に就任した。1929年(昭和4年)社会局労働部監督課長、1936年(昭和11年)国際労働機関(ILO)事務所長などを歴任。1939年(昭和14年)に退官すると同時に、東京帝国大学経済学部教授に着任する。1941年(昭和16年)には住宅営団研究部長・理事に就任する。 戦後は1946年(昭和21年)経済安定本部第4部長を皮切りに、1948年(昭和23年)東宝取締役に就任。
荒木 光太郎(あらき みつたろう、1894年5月18日 - … 荒木 光太郎(あらき みつたろう、1894年5月18日 - 1951年9月29日)は、日本の経済学者である。東京出身。荒木十畝の息子。
林要(はやし かなめ、1894年5月3日-1991年12月2… 林要(はやし かなめ、1894年5月3日-1991年12月26日)は、日本のマルクス経済学者。 山口県出身。1920年東京帝国大学法学部卒、大原社会問題研究所助手となり『日本労働年鑑』の編集にあたる。1923年同志社大学教授。東大新人会で活動以来のマルクス主義者で、そのため1936年、同僚の野村重臣から赤化教授と糾弾されて大学を追われ、38年には執筆も禁止される。 戦後は愛知大学教授、関東学院大学教授。1979年退職。妻は林てる。
坂本 彌三郎(さかもと やさぶろう、1894年4月 - 19… 坂本 彌三郎(さかもと やさぶろう、1894年4月 - 1981年2月20日)は、日本の経済学者。専門は経済学史。神戸大学名誉教授。初代神戸大学経済学部長や、初代神戸学院大学経済学部長を務めた。 1894年、広島県尾道市で生まれた。尾道商業学校(現・広島県立尾道商業高等学校)、神戸高等商業学校(現・神戸大学)を経て、東京高等商業学校(現・一橋大学)専攻部貿易科に進んだ。1917年に卒業。 1919年、神戸高等商業学校教授に就いた。1929年より神戸商業大学(現・神戸大学)助教授兼神戸商業大学附属商学専門部教授。1930年に神戸商業大学教授に昇格。 新制大学への包摂に伴い、1949年からは神戸大学教授兼神戸大学神戸経済大学教授。
藤田 敬三(ふじた けいぞう、1894年3月22日 - 19… 藤田 敬三(ふじた けいぞう、1894年3月22日 - 1985年11月29日)は、日本の経済学者。大阪経済大学学長(第3代)、同理事長を歴任。大阪市立大学経済学博士、同名誉教授。日本経済政策学会名誉会員。 大阪市立大学名誉教授で元大阪経済法科大学学長の藤田整は子息。 香川県三野郡本山村(現 三豊市豊中町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制第三高等学校を経て、1921年京都帝国大学経済学部卒業、同大学院に進み河田嗣郎に師事。1922年より文部省在外研究員として欧州に留学。羽仁五郎、大学同窓の三木清らと同時期にドイツ・ハイデルベルク大学で学び交流をもった。 1924年彦根高等商業学校教授、1927年京都帝国大学農学部農林経済学科講師。
白 南雲(日本語読み;はく なんうん、朝鮮語読み;ペク・ナム… 白 南雲(日本語読み;はく なんうん、朝鮮語読み;ペク・ナムン、1894年2月11日 - 1979年6月12日)は、日本統治時代の朝鮮・連合軍軍政期の南朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の経済学者、政治家。学者としての専門は朝鮮社会経済史。 韓国のマルクス主義歴史学の創始者として知られ、京城帝国大学教授、ソウル大学校教授等を務めたのちに北朝鮮に渡り、朝鮮民主主義人民共和国初代教育相、最高人民会議議長、祖国統一民主主義戦線議長等を歴任した。論文「金日成同志の英雄的偉業」により金日成勲章受章。 全羅北道高敞郡の貧しい家で生まれ育つ。本貫は水原白氏。1911年に結婚。同年朝鮮総督府附属水原農林学校(現ソウル大学校農業生命科学大学)に入学して農業政策を学び、1915年に卒業。
田中金司(たなか きんじ、1894年-1985年)は、日本の… 田中金司(たなか きんじ、1894年-1985年)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。専門は、貨幣論・金融論・国際金融論。 1913年(大正2年)に群馬県高崎中学校(現群馬県立高崎高校)を卒業し、東京高等商業学校(現一橋大学)予科に入学。東京高商では佐野善作の指導を受けた。卒業後、神戸高等商業学校、神戸商業大学、神戸経済大学を経て神戸大学教授を務めた。さらに、神戸大学退官後は関西学院大学教授を務めた。 門下生には矢尾次郎神戸大学名誉教授、宮下忠雄神戸大学名誉教授、安居洋神戸市外国語大学名誉教授、小寺武四郎元関西学院大学教授・関西学院大学学長・学校法人関西学院・第10代院長などがいる。貨幣論では名目主義、一般的購買手段を主張したほか、全体的な経済理論としては貨幣的経済理論を主張した。
五百籏頭 眞治郎(いおきべ しんじろう、1894年(明治27… 五百籏頭 眞治郎(いおきべ しんじろう、1894年(明治27年) - 1958年(昭和33年)10月1日)は日本の経済学者。専門は経済政策、経済思想史、イタリア経済学。神戸大学名誉教授、経済学博士。敬虔なクリスチャンであり、キリスト教所有権思想の研究などを行った。イタリア政府より聖マウリッツィオ・ラザロ勲章コンメンダトーレ章を、ローマ教皇庁より大聖グレゴリウス勲章コンメンダトーレ章をそれぞれ受章。
久留間 鮫造(くるま さめぞう、1893年(明治26年)9月… 久留間 鮫造(くるま さめぞう、1893年(明治26年)9月24日 - 1982年(昭和57年)10月20日)は、日本の経済学者。法政大学名誉教授・法政大学大原社会問題研究所所長。専攻はマルクス経済学であり、『マルクス経済学レキシコン』の編者として有名。立教大学名誉教授の久留間健は彼の子である。 岡山県岡山市に紙問屋の長男として生まれる。家業を継いで欲しいという親の願いに反し、岡山県立岡山中学校、第六高等学校から東京帝国大学法科大学経済学科に入学、1か月後に政治学科に転科。病気による1年の休学をはさんで卒業。ゼミには参加していない。 1918年、住友銀行に入行するが、自分のやりたい仕事ではないと感じ(久留間は学問をしたい、また世の中のためになること、国家のためになることをしたいと考えていた)、また米騒動における労働者階級の力に衝撃を受け、銀行にはいられないと、3か月余りで退行。
山口 茂(やまぐち しげる、1893年(明治26年)3月5日… 山口 茂(やまぐち しげる、1893年(明治26年)3月5日 - 1974年(昭和49年)8月21日)は、日本の経済学者。金融論、経済学史等を専攻した。一橋大学名誉教授。 神奈川県高座郡大和村(現・大和市)の地主の家に生まれる。暁星中学校を経て、1917年東京高等商業学校(現・一橋大学)本科卒業。1919年同校専攻部卒業。1921年から東京商科大学(現・一橋大学)附属商学部専門部助教授を務め、三浦新七、上田貞次郎のプロゼミに参加。1922年から銀行論の講義を担当し、佐野善作、高垣寅次郎の指導を受けた。1925年からイギリス、ドイツ帝国、フランス共和国、アメリカ合衆国に留学し、1927年に帰国すると東京商科大学助教授を兼任。
大熊 信行(おおくま のぶゆき、1893年2月18日 - 1… 大熊 信行(おおくま のぶゆき、1893年2月18日 - 1977年6月20日)は、経済学者・文芸評論家・歌人。 富山大学教授、神奈川大学教授、創価大学教授などを歴任。福田徳三門下。 山形県米沢市元籠町生まれ。旧制米沢興譲館中学校(現山形県立米沢興譲館高等学校)を経て1916年東京高等商業学校(現一橋大学)卒。中学時代、浜田広介や上泉秀信と同人誌を作っていた。高商同期の歌人浦野敬はのちに、大熊の創刊した歌誌「まるめら」の同人となった。 1916年日清製粉入社。米沢商業学校で教鞭をとった後、1919年東京高等商業学校専攻部進学、1921年同卒。1941年経済学博士(東京商科大学)。論文の題は「経済理論における配分原理の所在並に適用に関する基礎的研究」。
矢内原 忠雄(やないはら ただお、1893年(明治26年)1… 矢内原 忠雄(やないはら ただお、1893年(明治26年)1月27日 - 1961年(昭和36年)12月25日)は、日本の経済学者・植民政策学者。東京大学総長。日本学士院会員。正三位勲一等瑞宝章。無教会派キリスト教の指導者としても知られる。
島田 孝一(しまだ こういち、1893年(明治26年) - … 島田 孝一(しまだ こういち、1893年(明治26年) - 1987年(昭和62年))は、日本の交通経済学者。商学博士。 早稲田大学名誉教授。第6代早稲田大学総長(1946年 - 1954年)、流通経済大学初代学長(1965年-1974年)、日本交通学会初代会長(1941年-1973年)。初代日本私立大学連盟会長(1951年 - 1955年)。 東京麹町の番町(現・千代田区四番町)で生まれた。島田三郎の長男。父・三郎は民権運動の功労者で、衆議院議長に挙げられた。 1906年に東京高等師範学校附属小学校(現、筑波大学附属小学校)、1911年に東京高等師範学校附属中学校(現、筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。
赤神 良譲(あかがみ りょうじょう、1892年10月30日 … 赤神 良譲(あかがみ りょうじょう、1892年10月30日 - 1953年4月6日)は大正時代から昭和時代初期に活動した日本の社会学者、経済学者、教育者。良譲は僧名で旧名は外蔵、別名崇弘。戦後は教蔵院住職も務めた。 新潟県三島郡寺泊町(現 長岡市)に生まれる。1919年(大正8年)に東京帝国大学文学部社会学科、1923年(昭和12年)に法学部政治学科を卒業。同大助手を経て1922年(大正11年)5月に明治大学教授となった。 1934年(昭和9年)、北陸日日新聞(現北日本新聞)に主筆として迎えられ、新聞統制で他の3紙と統合となる1940年(昭和15年)まで在職した。 ソビエト連邦の政治やマルクス経済学の研究を進めていたが、第二次世界大戦以前は国家主義者としても活動。
二木 保幾(ふたつぎ やすき、1892年6月29日 - 19… 二木 保幾(ふたつぎ やすき、1892年6月29日 - 1934年9月21日)は、日本の経済学者。 長野県南安曇郡明盛村(現安曇野市)生まれ。旧制順天堂中学校を経て、明治43年(1910年)早稲田大学高等科に入学し、大正3年(1914年)早稲田大学政治経済学部卒業。同年朝日新聞社に入社し、政治経済部の記者を経て、外務省担当記者を担当した。同4年(1915年)第2次大隈内閣が全国遊説を試みた際には後援会遊説部を組織し、その会長となった。同8年(1919年)、早稲田大学第2代総長塩澤昌貞から、母校留学生としてアメリカ、ドイツ、フランスへの留学を命じられ、帰国後は、同12年(1923年)同大学政治経済学部教授、同13年(1924年)教務主任等を勤め、日本の経済学界の重鎮と謳われたが、昭和9年(1934年)に病没した。
石川 興二(いしかわ こうじ 1892年5月16日 - 19… 石川 興二(いしかわ こうじ 1892年5月16日 - 1976年3月25日)は、昭和時代に活動した日本の経済学者、教育者。経済学博士(京都帝国大学)。京都大学名誉教授。 第六高等学校を経て、1917年に京都帝国大学法科大学政治経済科を卒業。在学時には西田幾多郎の指導を受け、日本では先例のない経済哲学を研究した。経済学は河上肇を師として慕った。1920年より京都帝国大学経済学部講師、彦根高等商業学校教授を務め、1926年から京都帝国大学経済学部助教授、次いで1930年には教授となった。同年、同大学経済学博士。1937年から評議員として大学運営に参画、1939年に経済学部長に就任。1943年には著書『新体制の指導原理』(1940年)の記述内容が帝国議会に於いて問題視され休職処分を受けている(いわゆる石川事件)。
大塚 金之助(おおつか きんのすけ、1892年5月15日 -… 大塚 金之助(おおつか きんのすけ、1892年5月15日 - 1977年5月9日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。 近代経済学から始め、ベルリン大学留学後、マルクス経済学者となり、治安維持法で検挙された。日本の降伏後復帰し、日本学士院会員、日本ドイツ民主共和国友好協会会長等を務めた。フンボルト大学名誉哲学博士。 1892年、東京府神田で生まれた。旧制神戸第一中学校(現兵庫県立神戸高等学校)を経て、神戸高等商業学校(現・神戸大学)に進学。在学中は授業料免除特待生であり、坂西由蔵ゼミで学んだ。その後東京高等商業学校(現・一橋大学)専攻部に進み、坂西の師にあたる福田徳三ゼミで指導を受けた。1916年に卒業。
本位田 祥男(ほんいでん よしお、1892年(明治25年)3… 本位田 祥男(ほんいでん よしお、1892年(明治25年)3月8日 - 1978年(昭和53年)11月17日)は、日本の経済学者。西洋経済史専攻。欧州経済史、殊にイギリス経済史および消費組合研究の権威者として知られ、協同組合論にも多大な貢献をもたらした。
上田 辰之助(うえだ たつのすけ、1892年2月2日 - 1… 上田 辰之助(うえだ たつのすけ、1892年2月2日 - 1956年10月13日)は、日本の経済学者、思想史家。一橋大学名誉教授。日本学士院会員。ペンシルベニア大学博士。正三位勲一等瑞宝章、イタリア王国コンメンダトーリ・コローナ・イタリヤ受章。 東京市日本橋小網町出身。実家は上田回漕店。東京府立第一中学校(現東京都立日比谷高等学校)を経て、1914年に東京高等商業学校(現一橋大学)を卒業。1916年、同校専攻部貿易科を卒業し同校講師に就任。1917年には教授に昇格。1918年からペンシルベニア大学に留学して海運論を研究。1920年、ペンシルベニア大学博士(Ph.D.)。一橋では上田貞次郎教授に師事した。
高谷 道男(たかや みちお、1891年10月12日 - 19… 高谷 道男(たかや みちお、1891年10月12日 - 1994年3月21日)は、日本の経済学者。内村鑑三の弟子でジェームス・カーティス・ヘボンの研究家でもある。 1922年にシカゴ大学を卒業後、関東学院、明治学院の教授を経て、桜美林大学経済学部創立に尽力する。後に同大学経済学部長を務める。 1981年キリスト教功労者の表彰を受ける。 1891年(明治24年)香川県那珂郡丸亀町(現・丸亀市)の呉服町の家に生まれた。小学校の高学年の時に家の商売は借財と火災でたちまち傾き没落したが、家族親戚は高谷には勉学の見込みがあるとみて学問をさせようと努めた。東京高等商業学校(現一橋大学)に合格し育英会の奨学金と親戚の援助などで進学した。
舞出 長五郎(まいで ちょうごろう、明治24年(1891年)… 舞出 長五郎(まいで ちょうごろう、明治24年(1891年)9月8日 - 昭和39年(1964年)7月15日)は、日本の経済学者。経済学博士。東京大学名誉教授。日本学士院会員。五女は政治評論家三宅久之の兄で元福島大学経済学部教授三宅皓士の妻。 神奈川県出身。幸次郎の四男。 大正6年東大政治科卒業。同大学院特選給費学生を経て大正8年1月助教授に任ぜられ経済学研究のため欧米に留学。同12月経済学部教授となり経済学部長に就任。 昭和10年学術視察のため欧米に出張。昭和22年12月学位を受け昭和24年10月学士院会員に選ばれ昭和27年3月東大教授を退職。翌月学習院大学教授となり政経学部長を依嘱さる。 厚木中学、一高を経て東京帝国大学では高野岩三郎に師事する。
田辺 忠男(たなべ ただお、1891年8月11日 - 196… 田辺 忠男(たなべ ただお、1891年8月11日 - 1967年3月20日)は、大正から昭和時代の日本の経済学者、教育者。東京帝国大学経済学部教授、立教大学教授・経済学部長を務めたほか、高崎経済大学初代学長を始め、大分大学、東京農業大学、青山学院大学、国士舘大学で教授を歴任した。 1891年(明治24年)、田辺男外鉄(海軍軍人、神奈川県横須賀市長)の長男として生まれる。 暁星中学校 (旧制)、第一高等学校 (旧制)英法科をへて1916年(大正5年)東京帝国大学法科大学経済学科卒業後、三井合名会社、横浜護謨をへて1920年(大正9年)に専修大学講師(のち教授)。その後、立教大学教授に就任。 1927年(昭和2年)東京帝国大学経済学部助教授を兼務する。
河合 栄治郎(かわい えいじろう、1891年2月13日 - … 河合 栄治郎(かわい えいじろう、1891年2月13日 - 1944年2月15日)は、日本の経済学者、社会思想家。東京帝国大学経済学部教授。第二次世界大戦前夜における著名な自由主義知識人の一人として、共産主義とファシズムに抵抗した。 東京府南足立郡千住町(現在の東京都足立区千住2丁目)の酒屋を営んでいた家に生まれる。戸籍には誤りで「栄次郎」と記載されるが、本人は「栄治郎」で通した。尾崎行雄を崇拝していた父親の影響で、少年時代から社会的関心が強く、特に徳富蘇峰の平民主義に惹かれていた。 東京府立第三中学校(現・東京都立両国高等学校)、第一高等学校をへて、1915年東京帝国大学法科大学政治学科卒業、銀時計受領。