西谷 亮(にしたに あきら、NIN、1967年9月10日 -… 西谷 亮(にしたに あきら、NIN、1967年9月10日 - )は、日本のゲームクリエイター。『ファイナルファイト』・『ストリートファイターII』の生みの親。1995年より株式会社アリカ代表取締役社長。 アマチュア時代はゲームサークル「闘幻狂」に所属しており、高校生の頃から日本ソフトバンクのゲーム誌『Beep』でビデオゲームの攻略記事を執筆していた。 1986年春、岡本吉起からカプコンへの誘いの電話を受け即決、すぐに荷物をまとめて大阪へと向かった。『Beep』執筆当時のペンネームは「CPM闘幻狂 NIN」であったが、カプコン入社後もスタッフクレジットには変わらず「NIN」を用いていた。同じカプコン出身である竹中善則は高校時代のゲーマー仲間であり、西谷がライター業を始めたきっかけを作り、岡本に西谷を紹介しカプコン入社へ導いた人物でもある。
山内 一典(やまうち かずのり、1967年8月5日 - )は… 山内 一典(やまうち かずのり、1967年8月5日 - )は、日本のゲームクリエイター。ゲーム制作会社ポリフォニー・デジタルの設立者で代表。 全世界で累計1億本以上の売上を記録しているゲームソフト「グランツーリスモシリーズ」の発案者兼プロデューサー。現在はポリフォニー・デジタルの代表取締役プレジデント。2001年より日本カー・オブ・ザ・イヤーの選考委員も務める。代表作は他に「モータートゥーン・グランプリシリーズ」「オメガブースト」「ツーリスト・トロフィー」など。PS3で2006年12月24日に無料配信されたグランツーリスモHDでは、ランキング1位に名を連ねた。 「(やり残したことを悔いるあまり)新作を出すたびにストレスがたまる」と発言するなど、完璧主義者として知られる。
坪井 昭久(つぼい あきひさ、1967年6月4日 - )は、… 坪井 昭久(つぼい あきひさ、1967年6月4日 - )は、日本の映画監督、映像クリエイター。大阪芸術大学映像学科卒業後、助監督や広告宣伝業務を経て映像制作の世界に進出。草野球愛好家としても知られ、2023年に劇場映画『野球ユーチューバー有矢』で監督デビューを果たした。 長野県須坂市出身。長野県須坂高等学校、大阪芸術大学映像学科を卒業。 高校時代に8mmフィルムで自主映画を制作したことをきっかけに映画にはまり、映画監督を志す。 大阪芸術大学を卒業後、テレビドラマの現場で助監督を務めるが、映像にのめり込みすぎた人生に疑念を感じ、その後、スポーツ用品関連の宣伝部に転職、ファンスキーの普及活動に従事した。
ボンボ藤井(ボンボ ふじい、1967年5月9日 - )は、熊… ボンボ藤井(ボンボ ふじい、1967年5月9日 - )は、熊本県八代市出身のCMサウンドクリエイター。ボンボサウンドワークス代表。本名は藤井衛。 上記の他、ウクレレ奏者、ウクレレインストラクター・小中学校音楽非常勤講師・ラジオパーソナリティ・アウトドアインストラクター等の顔を持つ。2010年、九州新幹線全線開通記念行事としてくまモンをキャラクターとするキャンペーンのテーマ曲、「くまもとサプライズ!(通称:くまモン体操)」の作詞・作曲・編曲を手掛けた。同年にはウクレレ奏者、ジェイク・シマブクロ日本ツアーのウクレレサポートアクトとして、同じステージに立っている。 中学校の文化祭で長渕剛の曲を弾き語りをした事をきっかけに音楽活動に走る。
イワタ カヅト(本名:岩田 一人(いわた かずと)1967年… イワタ カヅト(本名:岩田 一人(いわた かずと)1967年5月6日 - )は、日本のゲームクリエイター、ゲームシナリオライターである。
板垣 伴信(いたがき とものぶ、1967年4月1日 - 20… 板垣 伴信(いたがき とものぶ、1967年4月1日 - 2025年10月16日〈訃報発表日〉)は、日本のゲームクリエイター。テクモ(現:コーエーテクモゲームス)所属、ヴァルハラゲームスタジオ最高顧問等を経て株式会社板垣ゲームズ代表取締役社長。代表作は『デッド オア アライブ シリーズ』『NINJA GAIDEN』。 早稲田大学法学部を卒業後、1992年にテクモ株式会社に企画志望で入社。セガも候補としてあったが「電車1本で行ける距離だから」としてテクモを選ぶ。プログラミングも得意としていたため、企画ではなく開発に回される。初仕事は『キャプテン翼IV』で、自身の担当した3D風パス相手選択画面が不評であり、技術と遊びを高度に融合させなければ駄目だ、との独自の哲学を持つようになる。
林 陽一(はやし よういち、1967年3月28日 - )はゲ… 林 陽一(はやし よういち、1967年3月28日 - )はゲームクリエイター、作曲家。Studio INSOMNIA代表。文教大学・湘南キャンパス在籍の頃より抜きん出た音楽的才能を発揮する。 1996年よりコナミコンピュータエンタテインメントスタジオ(コナミの家庭用ゲーム制作子会社)に勤務し、同社の家庭用ゲーム機向けゲームソフトの楽曲制作やプログラムなどを担当。特に、音楽ゲーム『pop'n music』の家庭用移植版のサウンドディレクター(楽曲面の責任者)「はやP」として楽曲や譜面の制作をしていたことが知られる。また、謎の歌手「ミッキー・マサシ」として、自らボーカルも担当する。他にも、楽曲でコーラスを担当したり、BEMANIシリーズ関連のライブではパーカッショニストとして演奏に参加したりと、多彩な能力を持つ。
内藤 寛(ないとう かん、1967年3月23日 - )は、東… 内藤 寛(ないとう かん、1967年3月23日 - )は、東京都武蔵野市出身のプログラマー、ゲームクリエイター。元・株式会社クライマックス代表取締役。本名内藤寬(寛に「,」が入る)。 高校生の頃からアンプルソフトウェアやZAPなどでアルバイトとして働くようになり、『カーレース』『ミッドナイトブラザーズ』などを手掛けた。のちにドラゴンクエストシリーズをともに手掛けることになる山名学とはこの会社で出会うこととなる。 専門学校在学時にはチュンソフトでアルバイトとして働くようになり、『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』ではチーフプログラマーを務めた。 1989年1月に『ドラゴンクエストシリーズ』の内幕を明かした著書『ドラゴンクエストIVの秘密』を飛鳥新社から出すことになっていた。
イシイ ジロウ(1967年1月28日 - )は日本のゲームク… イシイ ジロウ(1967年1月28日 - )は日本のゲームクリエイター、脚本家。兵庫県西宮市立西宮高等学校出身。
坂上 陽三(さかがみ ようぞう、1967年 - )は、日本の… 坂上 陽三(さかがみ ようぞう、1967年 - )は、日本のコンピュータゲームクリエイター(ゲームデザイナー、ディレクター、プロデューサー)、大学教授。兵庫県西宮市出身。「アイドルマスターシリーズ」の総合プロデューサーを務めていた。愛称はガミP。 学生時代は大阪芸術大学の映像学科に通っており、映画業界に入りたいと思っていたという。自身も自主映画を撮っており、映画監督を目指そうとしていたが、当時の映像業界は縦割り社会のような印象だったこともあり、カメラマンは「ピン送り10年」といった言葉がある程度だったと先生から聞いており、ハリウッドの娯楽映画に憧れて映画業界を目指そうとすることは厳しい世界だと感じたという。
宮田 正英(みやた まさひで、1967年 - )は、日本のゲ… 宮田 正英(みやた まさひで、1967年 - )は、日本のゲームクリエイター。 『エストポリス伝記シリーズ』、『ルーンファクトリーシリーズ』などのディレクター、シナリオライターとして知られる。 この項目は、ゲーム関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝)。
今村 孝矢(いまむら たかや、1966年4月10日 - )は… 今村 孝矢(いまむら たかや、1966年4月10日 - )は、日本のゲームクリエイター。大阪国際工科専門職大学工科学部教授。 かつては任天堂株式会社情報開発本部制作部に所属していた。 1966年4月に奈良県北葛城郡で生まれる。父親は漫画家として主に4コマ漫画や新聞の挿絵などを手がけており大阪府の心斎橋に事務所を構えて毎日通っていたが、通勤に時間がかかるという理由から小学4年生の時に兵庫県宝塚市に引っ越すことになる。転校後の小学校ではこれまで住んでいた田舎との環境の違いから周囲とあまりなじめなかったためもっぱら弟と遊び、段ボールですごろくを作って自ら絵を描いたり野球盤を自作したりするなど、ゲーム作りに勤しんでいた。
杉森 建(すぎもり けん、1966年1月27日 - )は、日… 杉森 建(すぎもり けん、1966年1月27日 - )は、日本のゲームクリエイター・イラストレーター・漫画家。福岡県、福岡市博多区出身。株式会社ゲームフリーク取締役。
時田 貴司(ときた たかし、1966年1月24日 - )は、… 時田 貴司(ときた たかし、1966年1月24日 - )は、日本のゲームクリエイター。スクウェア・エニックス所属。元第7開発事業部長。妻は声優の折笠奈緒美。 子供の頃から漫画、アニメ、ゲームが大好きで将来の夢は漫画家だったがアニメブームで声優に憧れ、役者を志し、神奈川県立横須賀大津高等学校在学中から劇団で活動を始めていた。東京で一人暮らしをしながら劇団生活を支えるためのアルバイトとして、面白い仕事がいいなと思って見つけたゲーム会社ZAPにグラフィックデザイナーとして入社。そこで山名学や内藤寛と出会う。漫画は独学やっていたことから絵は描けたがパソコンは使えず、会社に教えてもらった。 約2年後、1986年『キングスナイト』のCMに惹かれてスクウェアにアルバイトとして入社。
坂本慎一(さかもと しんいち、1966年1月7日 - )は日… 坂本慎一(さかもと しんいち、1966年1月7日 - )は日本の作曲家、ゲームクリエイター。主にコンピュータゲームの音楽を手がける。ラクシスエンタテインメント所属(2026年5月時点)。 代表作に『ワンダーボーイ』シリーズ、『モンスターワールド』シリーズがある。 東京都墨田区出身。1982年、テーカンに16歳でプログラマーとして入社し、ゲーム開発者としての活動を始めた。テーカンでは、主に同社製品に実装するサウンドドライバーの開発やゲーム内の音楽などを担当し、『SENJYO』や『ボンジャック』の試作品などの開発に関与した。 その後、テーカンの開発部長であった琴寄幸雄の誘いを受けて、1985年に設立まもない日本マイコン開発に入社した。
松野 泰己(まつの やすみ、1965年(昭和40年)10月2… 松野 泰己(まつの やすみ、1965年(昭和40年)10月24日 - )は、新潟県妙高市(旧・新井市)出身のゲームクリエイター、株式会社ALGEBRA FACTORY(アルゼブラ ファクトリー)代表取締役。法政大学経済学部中退。A型。 『オウガバトルシリーズ』や『イヴァリースシリーズ』など、シミュレーションロールプレイングゲーム作品を中心に制作している。 幼少時代には当時の世間一般的な娯楽には触れる機会がなく、妄想や想像にふける事が最大の楽しみであったという。図書館に通い第二次世界大戦の資料文献などから1人でジオラマ再現などをしていた。中学3年生の時、ゲームの虜となる。当時はまだゲームセンターのイメージが良くなく、人目を避けるためにわざわざ地元から離れた土地まで通い詰めていた。
安原 広和(やすはら ひろかず、1965年10月12日 - … 安原 広和(やすはら ひろかず、1965年10月12日 - )は、日本のゲームクリエイター。クレジットタイトル名はCarol Yasである。 東京理科大学工学部卒業。1988年にセガ入社。 キャラクターデザイナーの大島直人、プログラマーの中裕司らと共に『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』の生みの親のひとり(ディレクターおよびプランナー)。セガから独立したソニックチームには2002年まで所属。その後、ノーティドッグに参加し、(セガ時代の同僚)マーク・サーニーらと共に『ジャック×ダクスター』シリーズや『アンチャーテッド エル・ドラドの秘宝』を開発した。バンダイナムコゲームス(後のバンダイナムコエンターテインメント)を経て、2012年4月よりNintendo Software Technologyに所属。
赤羽 卓美(あかばね たくみ、1965年9月18日 – )は… 赤羽 卓美(あかばね たくみ、1965年9月18日 – )は、日本のクリエイティブディレクター、ゲームクリエイター。長野県上田市出身。 複合書店の企画広告制作を経て、カルチャー雑誌や建築雑誌の編集に携わる。同時にカメラマンとしても活動。その後、糸井重里が代表を務めるエイプに入社、『MOTHER2』、『ザ・モノポリーゲーム2』など、数々のヒット作の開発にかかわる。 95年以降は、クリーチャーズに入社、大山功一とともに、ポケモンカードゲームシリーズを開発。長年研究を続けてきたロジカルシンキングや物語モデルを応用し、トレーディングカードゲームのデザインを完成させる。高度な対戦型の大会試合を中心とした仕組みは、世界中の子供たちを夢中にさせ、日本はもとより、北米を中心に中南米、ヨーロッパ各国にいたるまで、世界的な大ヒットとなった。
前川 正人(まえがわ まさと、1965年9月1日 - )は日… 前川 正人(まえがわ まさと、1965年9月1日 - )は日本のゲームクリエイター。 トレジャー代表取締役社長。福井県出身。東京理科大学理工学部経営工学科卒。 1989年、コナミに入社。プログラマーとして家庭用ゲームの開発に携わる。 1992年、当時の同僚と共にコナミから独立しトレジャーを設立。得意のアクションゲーム、シューティングゲームを中心に開発を始める。 近年では社長職としての製作に専念し、開発を直接指揮する事は少なくなっている。 昔はふけ顔であり、30代の頃に「よく40歳ぐらいに見られる」と語っていた。 この項目は、ゲーム関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝)。
田尻 智(たじり さとし、1965年8月28日 - )は、ゲ… 田尻 智(たじり さとし、1965年8月28日 - )は、ゲームクリエイター。株式会社ゲームフリークの代表取締役社長であり、『ポケットモンスター』の生みの親として知られる。血液型はA型。 東京都世田谷区に生まれ、少年時代を町田市で過ごす。当時はまだ自然が残っていた町田市で、野山や小川、時には防空壕跡、廃墟にまで足を伸ばし、昆虫をはじめとした生物の観察や採取を楽しみ、図鑑から知識を得ることだけに留まらず、収集や飼育に独自の工夫を凝らした。この経験によってクラスで一番の「昆虫博士」となった。この時友達同士で昆虫での交換がヒントとなりポケモンの製作に活かされる。 中学生になった頃には町田市にも開発の波が押し寄せて自然が失われていき、宅地やゲームセンターが建てられていった。
綾部 和(あやべ かず、1965年8月6日 - )は、日本の… 綾部 和(あやべ かず、1965年8月6日 - )は、日本のゲームクリエイター・実業家。ぼくのなつやすみシリーズの企画・脚本・ゲームデザイナーとして知られる。株式会社ミレニアムキッチンおよび株式会社惑星プロジェクト代表取締役。2014年以降は火星カレーなどの飲食プロデュースも行っている。北海道函館市生まれ。 東京デザイナー学院アニメーション科を卒業後、グラフィックデザイナー・プログラマとして、NMKおよび木村初(キム皇)の作品などに参加。『エスパ冒険隊 魔王の砦』『ザ・ラストバトル』など個性的なゲームのプログラミングを担当した。『落っことしパズル とんじゃん!?』や『ベリウスII~復讐の邪神~』では音楽も担当している。
名越 稔洋(なごし としひろ、1965年6月17日 - )は… 名越 稔洋(なごし としひろ、1965年6月17日 - )は、日本のゲームクリエイター。2017年現在、株式会社セガゲームス取締役兼開発統括本部統括本部長並びに株式会社セガ・インタラクティブ取締役CPO兼開発生産統括本部統括本部長。
山名 学(やまな まなぶ、1965年6月8日 - )は、日本… 山名 学(やまな まなぶ、1965年6月8日 - )は、日本のゲームクリエイター、プログラマ。東京都品川区出身。日本大学生産工学部数理工学科卒。 高校在学中に、高校生の内藤寛がプログラマーとしてアンプルソフトウェアでアルバイトしていることを特集したNHKのテレビ番組を観て、同社に応募してアルバイトでMSX向けゲームの開発に関わる。内藤とはのちに『ドラゴンクエストシリーズ』をともに手掛ける。この時の上司であった板倉雄一郎の会社ザップの起業に協力し、幾つかのMSX向けゲーム制作とPC向けゲーム制作を行う。 大学入学後の1986年同社を退社し、チュンソフトに入社。ドラゴンクエストシリーズのメインプログラムを担当。
水口 哲也(みずぐち てつや、1965年5月22日 - ) … 水口 哲也(みずぐち てつや、1965年5月22日 - ) は、クリエイター、プロデューサー、実業家、大学教員。Enhance(米国法人エンハンス)代表、Synesthesia Lab(シナスタジアラボ)主宰、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科(Keio Media Design)特任教授、Resonair (レゾネア)株式会社代表、EDGEof(エッジ・オブ)共同設立者兼CCO、株式会社アカツキ社外取締役。北海道小樽市出身。 北海道札幌西高等学校卒業後、日本大学藝術学部文芸学科に進学、メディア美学専攻。卒業後セガへ入社した。 同社情感デザイン研究室室長、ユナイテッド・ゲーム・アーティスツ(UGA)代表、キューエンタテインメント取締役などを歴任。
川田忠之(かわだ ただゆき 、1965年5月3日 - )は、… 川田忠之(かわだ ただゆき 、1965年5月3日 - )は、北海道出身のゲームクリエイター、元ハドソン社員、1986年から1990年にかけて活躍したファミコン名人の川田名人としても知られる。 北海道苫小牧市出身。駒澤大学附属苫小牧高等学校、北海道スクールオヴビズネス専門学校卒業。当時のハドソンがプログラマーを大量に必要としていたため、内定をもらった同級生に連れて来られるかたちで入社試験を受けた。高橋名人によると、入社試験はトイレ掃除であったという。 高橋名人の述懐によると、第2回全国キャラバンにおいて、高橋名人と当時ハドソンのアルバイトであった毛利名人の二人だけでは全国の会場を回ることができないという事情から、ハドソンは「名人」を拡充する必要に迫られていた。
皆川 ゆか / 皆河 有伽(みなかわ ゆか、1965年 - … 皆川 ゆか / 皆河 有伽(みなかわ ゆか、1965年 - )は、日本の小説家、漫画原作者、脚本家、評論家、3DCG映像クリエイター、元大学教員。 1987年、講談社X文庫ティーンズハートより『ぱらどっくすティー・パーティー』で小説家デビュー。 初期はオリジナルの小説を中心に執筆していたが、1995年頃よりアニメ・ゲーム作品のノベライズへと発表の場を広げ、2001年には『機動戦士ガンダム 公式百科事典 GUNDAM OFFICIALS』を編纂し注目を集める。 以降、小説執筆に加え、アニメ関連の書籍・雑誌への評論やコラムの寄稿、大学での講義、『宇宙戦艦ヤマト』リメイクシリーズではアニメ製作にも関与するなど、文筆にとどまらない活動を行っている。
下山 真吾(しもやま しんご、1965年 - )は、日本のC… 下山 真吾(しもやま しんご、1965年 - )は、日本のCGクリエイター・プロデューサー。シモグミ代表。 1965年、東京都大田区生まれ。幼少期より、絵画、モノクロ名画(外画邦画)、特撮映像、アニメ関連に親しむ。矢切小学校(鰭ヶ崎小学校に転校)→市川学園(中学・高校)を経て1986年より千葉工業大学工学部建築学科・同大学院建築学専攻、1992年に同大学院修士課程を修了。大学・大学院時代を通じ黎明期のCG(UNIX、DOS、MacのCG/CAD)を学び、またサークル活動で8mmフィルム自主アニメ制作に携わる。1992年、鹿島建設に入社。以後、同社及びグループ会社(カジマビジョン、ピー・アール・オー)にてCGを使った産業映像制作に従事。
眞島 真太郎(まじま しんたろう、1965年 - )は、日本… 眞島 真太郎(まじま しんたろう、1965年 - )は、日本のゲームクリエイター。 アルテピアッツァ代表取締役社長。デジタルエンタテインメントアカデミー他、特別講師。東京都出身。 幼少から絵を描くのが好きで、埼玉県立川越高等学校卒業後は東京デザイナー学院にて商業デザインを専攻。 1985年パソコンゲームソフトのパッケージイラストやメカデザインを依頼されたことをきっかけにCGデザイナーとしてデビュー。 「ドラゴンクエストシリーズ」(以下参照)のグラフィックデザインを担当。また、同シリーズのタイトルロゴデザインや、公式ガイドブック内で使われているイラストなどにも携わっている。 また、『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』(PS2)以降は下記の全ての作品において企画・開発も手がけている。
時園 勇 ( 1965年 - ) は、東京生まれの家具デザイ… 時園 勇 ( 1965年 - ) は、東京生まれの家具デザイナーおよび空間クリエイター。 NYをベースとしたワールドワイドで活躍している建築家トニーチから声が掛かりヒルトン系国内ブランチの照明部門として協力するなど活躍する。 近年では株式会社atmosmithを設立しプロダクトに定まらず店舗オフィス住宅の内外装空間プロデュースを手掛けている。 東京藝術大学工芸科彫金科修了 ロンドンに渡りinterior designの視野を広げ海外の展示会に参加 NYICFFにて発表したスツール(swingegg)のデザインの斬新さが注目され様々な媒体に掲載される 以降数年にわたりユニークな作品を発表し続けて照明プロダクトに特化して行く。
米光 一成(よねみつ かずなり、1964年12月22日 - … 米光 一成(よねみつ かずなり、1964年12月22日 - )は、日本のゲームクリエイター、ライター、俳人、イラストレーター、元立命館大学映像学部教授、デジタルハリウッド大学専任教授、文化庁メディア芸術祭審査委員(第18回(2014年)〜第20回(2017年)まで)、日本翻訳大賞実行委員。 広島修道大学人文学部英語英文学科卒業。1987年、コンパイルに入社。同社初の専門企画職として、『魔導物語』や『ぷよぷよ』などのタイトルを生み出す。これらはシリーズ化され、同社の看板タイトルとなった。 その後企画部主任を務めるも、社長との意見の不一致などの理由から1992年退社。同社のスタッフが設立したスティングに移籍。
中村 光一(なかむら こういち、1964年8月15日 - )… 中村 光一(なかむら こういち、1964年8月15日 - )は、日本のゲームクリエイター、実業家。香川県出身。タレントの松本明子は従妹にあたる。 丸亀高校時代は数学同好会に所属していた。同会で『ギャラクシーウォーズ』をBASIC言語でタンディ社TRS-80に移植するなどしていた。 『I/O』誌で、芸夢狂人がNECのPC-8001に移植した『ギャラクシアン』等を遊ぶために新聞配達で貯めた金でPC-8001を購入し、以後はそのPC-8001でプログラム開発と投稿を行うようになる。『I/O』誌に機械語入力ツールを投稿し、1981年2月号に掲載されたのが投稿デビューで、これにより原稿料2万円を得る。 この経験から、今度は高校1年の春休みにアーケードゲーム『スペースパニック』の移植作『ALIEN PartII』が1981年5月号に掲載され、同作はカセットテープでも販売されたことで20万円の印税収入となった。
あきまん(1964年(昭和39年)7月21日 - )は、日本… あきまん(1964年(昭和39年)7月21日 - )は、日本のゲームクリエイター・イラストレーター・キャラクターデザイナー・漫画家・元アニメーター。 男性。北海道釧路市出身。本名は安田 朗(やすだ あきら)。 幼少時にはダリやドガなどの美術に影響を受ける。小学生のときに先生に褒められたことがきっかけで本格的に美術に目覚める。しかし、中学時代に安彦良和の戦場の絵を見て絵の方向性が変わったという。地元には就職先が無かったため、新聞奨学生として東京デザイナー学院(現東京ネットウエイブ)に入学。眠るのが好きなので、授業中に寝てたり、課題を出さないことがよくあったという[要出典]。 その後、親に黙って東京デザイナー学院中退後、趣味でパソコンを使ってアニメのイラストなどを描いていたが、新聞屋を辞めて、みゆきプロダクションへ入社。
片岡 K(かたおか けい、本名:片岡 啓、1964年6月21… 片岡 K(かたおか けい、本名:片岡 啓、1964年6月21日 - )は、東京都出身の日本のテレビ演出家・映像クリエイター・映画監督・脚本家・作家など。 明治学院大学卒業後、テレコムジャパンに勤め、およそ半年後にディレクターとしてデビュー、『世界の車窓から』などを手がける。しかし3年で退社。その後フジテレビ深夜番組『音効さん』『文學ト云フ事』『よい国』『かしこ』などを手がける。 その後は、おもにテレビドラマを中心に活動。『世にも奇妙な物語』や『学校の階段』などの監督をつとめる。自身が企画したテレビ朝日系深夜ドラマ『いとしの未来ちゃん』では1クール全11話の脚本・演出を一人で手掛ける。アミューズに所属していた時期もあった。
箭内 道彦(やない みちひこ、1964年4月10日 - )は… 箭内 道彦(やない みちひこ、1964年4月10日 - )は、日本のクリエイター。福島県出身。東京藝術大学教授。 広告することは、応援すること。対象の輝きを抽出最大化し、未だその存在に気づいていない多くの人に届け伝えること。結果、自身の活動は多岐にわたる。領域を超え、既存の概念を解体しながら、その全てを「広告」として、活動を続けている。 クリエイティブ・ディレクター、東京藝術大学美術学部デザイン科教授(第2研究室 Design Alternative)、フリーペーパー『月刊 風とロック』発行人・編集長、コミュニティFM「渋谷のラジオ」(87.6MHz)名誉局長、ロックバンド「猪苗代湖ズ」ギタリスト、「風とロック芋煮会」実行委員長、などの肩書を持つ。
落合真司(おちあい しんじ、1964年3月5日 - )は、日… 落合真司(おちあい しんじ、1964年3月5日 - )は、日本のクリエイター。 本名は山下昌彦(やました まさひこ)。グラフィックデザイン、DTP、デジタルアート、ブランディングなどの分野で活動。 デザイン会社「IMAI Design Factory」を共同運営。 また、専門学校、大学で非常勤講師をつとめる。 大阪府大阪市生まれ。東大阪市立池島中学校、大阪府立池島高等学校、追手門学院大学経済学部経済学科卒。 1990年に『中島みゆき観測日記』で作家デビュー。目の不自由な人のために朗読テープ化や点字化されたものがある。また、海外(ニューヨーク)の書店で販売されたものもある。 中島みゆき論をシリーズ出版していたが、2004年に出した『中島みゆき・無限軌道の旅』を最後にシリーズの執筆に封印をする。
大島 直人(おおしま なおと、1964年2月26日 - )は… 大島 直人(おおしま なおと、1964年2月26日 - )は、日本のゲームクリエイター、キャラクターデザイナー。アーゼスト代表取締役社長。 京都精華大学美術学部デザイン学科を1986年に卒業。広告代理店エスティートマスを経て、1987年5月にセガ入社。ソニック・ザ・ヘッジホッグ(初代)やナイツのキャラクターデザインを担当。 1999年、石井洋児らとアートゥーンを設立し、取締役。アートゥーンがAQインタラクティブ傘下に入り、アートゥーンやキャビアの代表取締役や、AQインタラクティブの取締役、執行役員をつとめた。 2010年6月の顧問を最後にAQインタラクティブを退任し、石井と共にアーゼストを設立。
岡田 耕始(おかだ こうじ、1964年2月22日 - )は、… 岡田 耕始(おかだ こうじ、1964年2月22日 - )は、日本のゲームクリエイター、株式会社ガイア代表取締役社長。東京都台東区元浅草生まれ。テーカン、アトラスにも在籍した。代表作は「女神転生シリーズ」(アトラス、ディレクター・プロデューサー)。 1964年2月、東京都台東区の元浅草に生まれる。大正生まれの父は、食品関係の工場長として、自営業が主流のこの当時に珍しいサラリーマンであった。 小学生時代は、アメリカンフットボール選手のO・J・シンプソンに憧れ、自作のボールで見様見真似のごっこ遊びをしたと振り返る。この一方で、小遣いの殆どは戦車などのプラモデルへと費やし、ドイツのタイガー戦車からデザインやメカニック、ひいては自動車に興味を持ち、「レーサーになりたい」旨も作文に書いたのだという。
野島 一成(のじま かずしげ、1964年1月20日 - )は… 野島 一成(のじま かずしげ、1964年1月20日 - )は、日本のゲームクリエイター、ゲームシナリオライター。有限会社ステラヴィスタ代表。 北海道出身。北海道札幌清田高等学校を経て、札幌大学へ入学するも20歳の頃に中退し、データイーストに入社。「探偵 神宮寺三郎」シリーズや「ヘラクレスの栄光」シリーズでシナリオを中心に活躍。 1994年スクウェア(現スクウェア・エニックス)に移籍し、『バハムート・ラグーン』で初のディレクターを務める。その後も『ファイナルファンタジーVII』(以下FF)、『FFVIII』、『FFX』、『FFX-2』、「キングダム ハーツ」シリーズなど多数のヒット作のゲームのシナリオを手がけた。
畑井 貴晶(はたい たかあき、1964年(昭和39年) - … 畑井 貴晶(はたい たかあき、1964年(昭和39年) - )は、日本の料理愛好家、フードクリエイター、マーケティングコンサルタント、ダッチオーブンマイスター、俳人。 20世紀までは塾講師などのフリーター、映画人時代(シナリオコンクール入賞、劇場用映画プロデュース、映画批評サイト開設)が15年、21世紀から2016年まで15年をマーケティング人として過ごし、2017年から飲食業界に転身。 趣味は俳句、声楽、カヌー、議論。 1991年、劇場用映画脚本『大盛家のはなれでは・・・』が東宝新人シナリオコンクールに佳作入選した。このコンクールは1度限りで継続していない。 1998年、阪神・淡路大震災の復興を願って開催された、1000人ものチェリストが一同に集まって、アンサンブルを奏でるビッグバンド系イベント「1000人のチェロ・コンサート」の企画者の一人。
吉積 信(よしづみ まこと、1964年 - )は、テイルズ … 吉積 信(よしづみ まこと、1964年 - )は、テイルズ オブ シリーズのプロデューサーを務めるゲームクリエイター。バンダイナムコセブンズ所属。 福岡県生まれ、大分県大分市出身。大分県立大分舞鶴高等学校、明治大学政治経済学部を経て、「女神転生」を面白いと思ったことをきっかけに1988年にナムコ(後のバンダイナムコゲームス)に入社。入社1年目は東京、2年目以降は大阪で、6年間営業をしていた。その後、さらに7年間のゲームの宣伝や広報のプロモーション業務を経験。その中にはプロデューサーとしてかかわる前のテイルズ オブ シリーズも含む。 入社前から営業の仕事を希望していた。しかし実際に働いてみると自分の想像と違う部分があり会社を辞めようとも思ったが、「こうすれば面白くなる」と考えて自分で面白くしていった。
飯島 多紀哉(いいじま たきや、1963年7月31日 - )… 飯島 多紀哉(いいじま たきや、1963年7月31日 - )は日本のゲームクリエイター、ゲームシナリオライター、小説家。東京都出身。日本大学芸術学部映画学科卒業。既婚、三児の父。本名および旧ペンネームは飯島健男(いいじま たけお)。 代表作に『ラストハルマゲドン』『BURAI』『ONIシリーズ』『学校であった怖い話』『四八(仮)』『アパシー 鳴神学園七不思議』など。 1982年、日本大学藝術学部入学。映画学科の演技コースに所属し、高校生も含むコントグループで活動していた。テレビ番組の『お笑いスター誕生!!』への出演も決まったが、直前にメンバーの高校生が学校から厳重注意を受け、グループは解散となった。
ひらまつ たかお(1963年〈昭和38年〉7月9日 - )は… ひらまつ たかお(1963年〈昭和38年〉7月9日 - )は、日本のクリエイター、著者、講師。愛知県名古屋市出身。 株式会社パラス取締役兼クリエイティブディレクター、事業部マシュマロスタジオ責任者。 東京造形大学で映画を専攻。卒業後、株式会社日本カラーエンジニヤーズに就職。9年間、広告の写真合成の営業ディレクションを務め独立。 1995年、表参道にて、マルチメディア・プロフェッショナル・スクールを開校。 2000年、世界で初めてのゲーム機を使ったネットショップの仕組み「どこでもデパート」をセガのドリームキャストと協力して開発。ニューヨークでアジアEコマースのコンファレンスに登壇。 2009年、ツイッターのビジネス活用セミナーを開催。
麻野 一哉(あさの かずや、1963年3月28日 - )は日… 麻野 一哉(あさの かずや、1963年3月28日 - )は日本のゲームクリエイター、テクテクライフ株式会社取締役、慶應義塾大学日本語・日本文化センター非常勤講師、東北芸術工科大学文芸学科特別講師。 兵庫県出身。甲南大学文学部社会学科卒業。『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』に感銘を受け、ウチダエスコを経てチュンソフトに入社。『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』などの開発を行い、『弟切草』ではサウンドノベルという新ジャンルのゲームを生み出す。また『不思議のダンジョン』シリーズの創出者でもある。 2002年にチュンソフトを退社した後は、フリーのクリエイターとして活動。ゲーム制作のみならず、米光一成や飯田和敏との共著や、単著の刊行、講師、評論、翻訳、イベント活動など、幅広い分野で活躍している。
青沼 英二(あおぬま えいじ、1963年3月16日 - )は… 青沼 英二(あおぬま えいじ、1963年3月16日 - )は任天堂のゲームクリエイター。同社のコンピュータゲーム『ゼルダの伝説』シリーズ総合プロデューサー。長野県出身、血液型はA型。愛称は「ひげのおじさん」。 東京芸術大学美術学部デザイン学科修士卒。1988年に任天堂へ入社、任天堂情報開発本部に所属。 大学在学中には、モーターとクランクの仕掛けによって楽器演奏の仕草をするオートマタ(からくり人形)を制作、その後大学院へ進学し制作活動を続ける。就職を間近に控えた時期に自身の作品の展示会を開いた際、たまたま会場を訪れていたゲーム会社の関係者と出会い、これをきっかけにゲーム業界に興味を持つ。その後、同大学の卒業生で当時任天堂に在籍していた小田部羊一の紹介により任天堂の面接を受ける。
田邊 賢輔(たなべ けんすけ、1963年1月26日 - )は… 田邊 賢輔(たなべ けんすけ、1963年1月26日 - )は、日本のゲームクリエイター、任天堂企画開発本部統括。大阪府出身。血液型はA型。 映像関係の仕事に興味を持ち、大阪芸術大学芸術学部映像学科に入学。 大学卒業後の1986年に任天堂に入社。当初は情報開発部(後の情報開発本部)に所属し、宮本茂のもとでゲーム開発に携わる。最初に手がけたゲームは『ふぁみこんむかし話 新・鬼ヶ島』(ファミコンディスクシステム)で、ゼルダの伝説シリーズにおいては、シナリオまで含めた演出を担当する。 その後、しばらく出社しない状況に陥った所、「外注作品を担当してみたらどうか」と持ちかけられ、以降は外注担当のクリエイターとして活動する。
柴尾 英令(しばお ひでのり、1962年12月12日 - 2… 柴尾 英令(しばお ひでのり、1962年12月12日 - 2018年4月2日)は、日本の文筆家、ゲームクリエイター。本名・旧筆名は柴尾 豊太郎(しばお とよたろう)。 福岡県北九州市出身のゲームクリエイターである。レナスシリーズが代表作として知られている。また、攻略本の執筆や映画の評論などでも知られていた。 福岡県立東筑高校から一年浪人。早稲田大学法学部を中途退学した。なお、ワセダミステリクラブに所属していた。大学在学中から雑誌のライターとして活動。その後、雑誌やゲーム攻略本の編集執筆につとめ、多数の攻略本に携わる。代表的なものとしては、『小学二年生』や『小学三年生』など小学館の学年別学習雑誌にて記事を執筆していた。
坂口 博信(さかぐち ひろのぶ、1962年11月25日 - … 坂口 博信(さかぐち ひろのぶ、1962年11月25日 - )は、日本のゲームクリエイター、シナリオライター、映画監督。ゲーム制作会社ミストウォーカーCEO。 茨城県日立市出身。『ファイナルファンタジーシリーズ』の生みの親である。 1962年、九州出身の両親のもと茨城県日立市に生まれる。 茨城大学教育学部附属中学校、茨城県立水戸第一高等学校を経て、横浜国立大学工学部電子情報工学科へ進学するも中退。 小学生の時はピアノを、中学生の時はフォークギターを嗜み、高校時代はミュージシャンを目指す(当時ゲームは嫌いで触りもしなかった)。 大学ではApple IIで『ウィザードリィ』『ウルティマ』の虜になり、オールBASICのアドベンチャーゲームなどを作っていた。
河津 秋敏(かわづ あきとし、1962年11月5日 - )は… 河津 秋敏(かわづ あきとし、1962年11月5日 - )は、日本のゲームクリエイター、ゲームプロデューサー。株式会社スクウェア・エニックス第一開発事業本部所属。 熊本県立熊本高等学校卒業、東京工業大学理学部在学中にソニーから内定通知を受け入社予定だったが、事情によりやむを得ず中退。のちの1986年、スクウェアのアルバイト採用試験に応募した際、前日に採用が締め切られていたことを告げられるも、結果として採用される。入社直後、マスターアップ間際の『ハイウェイスター』のデータ作成を手伝う。社員となり『ファイナルファンタジー』、『ファイナルファンタジーII』の開発に携わったのち、当時の社長宮本雅史から新発売の携帯ゲーム機ゲームボーイのソフト開発を任される。
斎藤 由多加(さいとう ゆたか、1962年10月15日 - … 斎藤 由多加(さいとう ゆたか、1962年10月15日 - )は、東京都出身のゲームクリエイター、作家。オープンブック株式会社社長。株式会社シーマン人工知能研究所所長。自称・文明生物考古学者。青山学院大学シンギュラリティ研究所客員研究員。『The Tower』、『シーマン ~禁断のペット~』、『大玉』などの作品を開発したことで知られる。また「Apple Computerの研究家」でもあり、Macintosh に関する著書、ビジネス書等を多数執筆。 2018年4月、55歳にして『生涯ー研究開発者』を宣言し、突如として慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科後期博士課程に入学。 駒場東邦中学校・高等学校、早稲田大学理工学部建築学科卒業。
檜木田 正史(ひのきだ まさし、1962年8月28日 - )… 檜木田 正史(ひのきだ まさし、1962年8月28日 - )は、日本の脚本家、ゲームクリエイター、小説家。 広島県出身。修道高等学校卒業。早稲田大学第二文学部演劇専修卒業。映画監督・野村芳太郎に師事し、アシスタントを10年近く務める。プロットライター(200本以上のプロットや企画書を執筆)、公募小説の下読みなどを経て、ゲームや映像の脚本、小説執筆、演出などを行うようになった。専門学校デジタルアーツ東京他、いくつかの専門学校のノベルス科、ゲーム科、CG科で講師もしてきた。株式会社ラインスタッフ・プロダクツ代表として、作品ごとにシナリオライターを集めてチームを作る方法で、多くのゲームシナリオのチーム編成・監修も行っている。