木村 光佑(きむら こうすけ、1936年5月24日 - )は… 木村 光佑(きむら こうすけ、1936年5月24日 - )は 日本の版画家・彫刻家・作家・画家。京都工芸繊維大学名誉教授(第9代学長)。 大阪府大阪市生まれ。日本経済の高度成長と同時に美術の大衆化が顕著となる中、木村光佑は30歳を超えた1968年に作家としてデビューを果たした。シルクスクリーンや写真製版をはじめ多様な製版・印刷の最新技術を駆使し、現在社会の虚像と実像入り交じる様々なイメージを重ね合わせることで、情報過剰な同時代人の視覚的経験を作品化し、デビューと同時に「時代の申し子」として立て続けに国際コンクールでの受賞を重ねていく。一方で、自由な版表現への挑戦は、当時の日本版画界においては異色であり、版画の範疇や概念に対する議論を巻き起こした。
市村 緑郎(いちむら ろくろう、1936年4月21日 - 2… 市村 緑郎(いちむら ろくろう、1936年4月21日 - 2014年4月27日)は、茨城県下妻市出身の彫刻家、日本芸術院会員。 茨城県立下妻第一高等学校卒業。1961年、日展初入選。1962年、東京教育大学教育学部芸術学科彫塑専攻卒業、同大学院に進むが6月に中退。 1977年、文部省在外研究員として渡欧。1983年、埼玉大学教授。1986年、白日会会務委員、1987-1992年・彫刻部事務局長。1987年、日展審査員。2001年、日展評議員。2002年、埼玉大学定年退官、名誉教授。崇城大学美術学科教授。 2005年、さいたま市文化賞。2006年、日展理事。日本芸術院賞受賞。2008年、日本芸術院会員。
最上 壽之(もがみ ひさゆき、1936年3月3日 - 201… 最上 壽之(もがみ ひさゆき、1936年3月3日 - 2018年10月2日)は、日本の彫刻家。武蔵野美術大学名誉教授。 神奈川県横須賀市に生まれる。1960年東京芸術大学彫刻科卒。在学中は石井鶴三に師事した。1981年に武蔵野美術大学の教授となり、2005年に定年退職、名誉教授となった。 1992年に横須賀市平和都市モニュメントを制作。木を媒介とした抽象的な作風が特徴とされる[要出典]。 2018年10月2日、心不全のため死去。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
福岡 道雄(ふくおか みちお、1936年2月4日 - 202… 福岡 道雄(ふくおか みちお、1936年2月4日 - 2023年11月15日)は、日本の彫刻家。晩年は「つくらない彫刻家」を名乗っていた。 1936年、大阪府堺市に生まれる。幼少時に中華民国北平市(現:北京市)に渡り、終戦後に帰国。中学2年まで滋賀県高島郡(現高島市)海津で過ごした。建築家を志し堺市立工業高等学校建築科に入学。京都市立芸術大学の彫刻科を受験するが失敗したことから、デッサンをやり直すために、1955年に堺市立工業高等学校を卒業後、大阪市立美術研究所に入所した。デッサンを学ぶために入所したものの、誤って彫刻室に入る。大阪市立美術研究所では、今村輝久、保田龍門に師事。 1958年の自身初の個展では、砂浜に石膏を流し込む技法を用いた独自の抽象彫刻を発表した。
若林 奮(わかばやし いさむ、1936年1月9日 - 200… 若林 奮(わかばやし いさむ、1936年1月9日 - 2003年10月10日)は、日本の彫刻家。 東京都町田市出身。東京都立立川高等学校、東京芸術大学美術学部彫刻学科卒業。 鉄、銅、鉛などの金属素材を用いて自然をモチーフとした彫刻を制作した。1980年、1986年のベネチア・ビエンナーレに出品。武蔵野美術大学、多摩美術大学教授を歴任した。詩人の吉増剛造や河野道代と共同制作を試みている。また700点の銅版画作品も制作しており、吉増剛造は没後に銅板を譲り受けてオブジェ作品を制作している。
尾澤 正毅(おざわ まさき、1936年 - 2010年)は、… 尾澤 正毅(おざわ まさき、1936年 - 2010年)は、日本の彫刻家、教育者、教育学者(美術教育)。福井大学名誉教授。姓の「澤」は「沢」の旧字体のため、新字体で尾沢 正毅(おざわ まさき)と表記されることもある。 東京都公立高等学校講師、福井大学教育学部教授、福井大学教育地域科学部教授などを歴任した。 長野県出身の彫刻家である。東京芸術大学美術学部を卒業後、彫刻家として活動した。また、並行して、東京都の公立高等学校にて非常勤で教鞭を執った。のちに福井大学に奉職し、教育学部にて助教授や教授を務め、さらに教育地域科学部の教授を務めるなど、後進の育成にも力を注いだ。2005年の国民文化祭では彫刻部門の審査員を務めており、福井県立美術館では実技講座専門彫刻の講師を務めるなど、地域社会の芸術の振興にも力を尽くした。
小畠 廣志(こばたけ ひろし、1935年8月2日 - 199… 小畠 廣志(こばたけ ひろし、1935年8月2日 - 1996年11月8日)は、東京都武蔵野市出身の彫刻家。東京芸術大学卒業後、二科会に出品するとともに個展、グループ展、野外展などで作品を発表した。 初期の抽象的で有機的形態の石彫、白セメント、硬質石膏と鉄などによる作品から1963年を境に具象的な木彫作品を制作するようになる。1969年に開校した美学校に木彫刻工房を開く。1972年頃から吉祥寺のアトリエでイタリア蝋型美術鋳造を始め、木彫と共にブロンズ作品を多く発表する。美学校から独立したKOBATAKE彫刻工房で後進の指導を続けるとともに、工房内に大型の鋳造設備を備えスケールのある公共彫刻を各地に制作した。
渡辺 修渡舟(わたなべ おさむとしゅう、1935年6月25日… 渡辺 修渡舟(わたなべ おさむとしゅう、1935年6月25日 - 2007年3月2日)は、日本の画家、彫刻家。 武者小路実篤が「人間らしく生きる」「自己を生かす」ことができる社会を目指して提唱し、その同志が建設した理想郷「新しき村」で義務労働の傍ら、絵画や彫刻の制作に励む。村で毎日絵筆をとる生活をし、絵画教室も開いていた。渡辺登州(わたなべ としゅう)と名乗ることもあった。本名、渡辺修(わたなべ おさむ)。武者小路実篤や高田博厚に師事した。 鳥取県東伯郡中山村(現・西伯郡大山町)で生まれ、中学生の頃から絵を描きたいという思いを持ち、武者小路実篤の作品も熱心に読んでいた。将来は教員でもやりながら絵を描こうと思っていたが、高校教師だった兄の話を聞いて教師との両立に疑問を抱く。
安丸 信行(、1935年〈昭和10年〉1月24日 - 202… 安丸 信行(、1935年〈昭和10年〉1月24日 - 2022年〈令和4年〉3月1日)は、東宝の特殊技術専門の造型家、彫刻家。自由美術協会会員。富山県出身。 武蔵野美術大学彫刻科の在学中に、アルバイトで映画『第三次世界大戦 四十一時間の恐怖』の石膏ミニチュアを手掛けたのをきっかけに、映画業界に携わる。 1961年(昭和36年)、大学の先輩の誘いで『モスラ』にアルバイトとして参加。卒業後、東宝に入社。「特殊技術課」の特殊美術科石膏部に配属される。石膏部は、ミニチュアのビルなどを石膏で造型する部署だった。東宝を選んだ理由は、東映に比べ特撮映画がコンスタントに制作されていたため仕事が安定していると考えたためであった。
柴田 鋼造(しばた こうぞう、1935年(昭和10年)1月1… 柴田 鋼造(しばた こうぞう、1935年(昭和10年)1月11日 - )は、日本の彫刻家。愛知県出身。東京芸術大学卒。 1974年(昭和49年)第6回日展、1975年(昭和50年)第7回日展の2年連続で日展特選を受賞。 1977年(昭和52年)愛知県芸術文化選奨文化賞(個人)を受賞。 1989年(平成元年)第21回日展にて内閣総理大臣賞受賞。 1992年(平成4年)、前年第23回日展出品作「香雲」に対し平成3年度日本芸術院賞受賞。 1993年(平成5年)、「新領域を開く彫刻制作と後進の指導」の功績により第46回中日文化賞受賞。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
河崎 良行(かわさき りょうこう、本名:かわさき よしゆき、… 河崎 良行(かわさき りょうこう、本名:かわさき よしゆき、1935年(昭和10年) - )は、日本の彫刻家。徳島大学名誉教授。二紀会評議員。徳島県出身。徳島大学卒業。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
麦倉 忠彦(むぎくら ただひこ、1935年 - 2025年1… 麦倉 忠彦(むぎくら ただひこ、1935年 - 2025年1月26日)は、日本の彫刻家。九州産業大学大学院芸術研究科教授。 埼玉県草加市出身。1954年埼玉県立春日部高等学校卒業。1959年東京芸術大学芸術学部彫刻科卒業。1961年東京芸術大学研究科彫刻専攻修了。同大学研究室副手。 1963年日本美術家連盟会員に推挙。 アメリカ合衆国サウスダコタ州K・ジョーロコフスキー彫刻研究所に留学。1968年新制作協会会員に推挙。 1997年新宿パークタワー・ギャラリー1にて東京ガス都市開発主催による記念個展を開催。1999年新制作協会委員長。2000年草加市文化会館にて草加市文化賞受賞記念展開催。その後、埼玉県美術家協会運営審査員を歴任。
中井延也(なかい のぶや、1934年5月16日 - 1999… 中井延也(なかい のぶや、1934年5月16日 - 1999年5月6日)は、日本の彫刻家。 北海道上川郡愛別町出身。1958年東京藝術大学彫刻科卒業。多摩美術大学助教授、教授を歴任。1991年より彫刻科長。 1999年、肝臓癌のため死去。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
池田 満寿夫(いけだ ますお、1934年〈昭和9年〉2月23… 池田 満寿夫(いけだ ますお、1934年〈昭和9年〉2月23日 - 1997年〈平成9年〉3月8日)は、日本の画家・版画家・挿絵画家・彫刻家・陶芸家・作家・映画監督などの従来の芸術の枠にとどまらず多彩に活躍した芸術家。エロスの作家といわれるように、官能的な作風が多い。しかし、多岐にわたる活動や多才さは、かえって“池田芸術”の高い知名度にふさわしい正当な評価を困難にしている。 旧満洲国奉天市(現在の瀋陽市)に生まれ、戦後長野県長野市で育つ。長野市立柳町中学校、長野北高等学校(現・長野県長野高等学校)定時制課程卒業。高校在学中に絵画が入選、画家を志し上京するが、東京芸術大学の受験に3度失敗し大学進学を断念。
空 充秋(そら みつあき、1933年11月18日 - )は、… 空 充秋(そら みつあき、1933年11月18日 - )は、日本の彫刻家。石組みによる抽象彫刻が特徴。 本名は田中充昭。広島県出身。多摩美術大学卒(1957年)。1964年東京オリンピックの選手村に、石彫「石のスピーカー」を制作した。1986年、みなとみらい21彫刻展で優秀賞・神戸須磨離宮公園現代彫刻展で大賞。1988年、「生きる」で第19回中原悌二郎賞を受賞。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
鹿野 幸子(かの さちこ、1933年4月20日 - 2005… 鹿野 幸子(かの さちこ、1933年4月20日 - 2005年10月16日)は、日本の彫刻家。 愛知県出身。愛知県立津島高等学校を1952年(昭和27年)に卒業(4回生)し、上京してその年女子美術大学彫刻科に入学し同大学を1956年(昭和31年)卒業した。 女子美術大学を卒業した後、大学に残り同大学教授、同大学名誉教授を務めた。 母校の教授を務めながら二科展役員を務めた。 2005年10月16日、胃癌のため東京都足立区の自宅で死去、72歳没。
蛭田 二郎(ひるた じろう、1933年2月21日 - )は日… 蛭田 二郎(ひるた じろう、1933年2月21日 - )は日本の彫刻家、教育者。日本芸術院会員、日展常務理事、日本彫刻会理事長、岡山県美術家協会会長、岡山大学名誉教授、倉敷芸術科学大学名誉教授・元芸術学部長。 茨城県出身。彫刻家の小森邦夫に師事。 精妙で感性豊かな作風で日展を中心に多くの女性像を発表しているが、岡山県岡山市の桃太郎大通り沿いにある『ももたろう』シリーズの彫刻群や、郷里の茨城県北茨城市にある『七つの子』の像など子供の世界をあつかった作品も多い。また岡山大学、倉敷芸術科学大学などで教鞭を執り、多くの後進を育成してきた。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
斎藤 誠治(さいとう せいじ、1933年 - )は栃木県宇都… 斎藤 誠治(さいとう せいじ、1933年 - )は栃木県宇都宮市出身の彫刻家、石彫作家。 1933年に栃木県宇都宮市に生まれる。東京芸術大学彫刻科に入学し、石井鶴三教室にて素描、彫像、木彫を学ぶ。1958年東京芸術大学専攻科で昭和の名工の一人である明石亀太郎に石彫を学ぶ。1960年大晦日に貨客船でアメリカに向かう。ブルックリン美術学校(ニューヨーク)に奨学金を得て入学し、イタリアの彫刻家オデリオ・ベッジに御影石による彫刻技法を学ぶ。全米彫刻協会の特別会員(Fellow of NSS)、アート・スチューデンツ・リーグのインストラクターを務める。現在もニューヨーク、ブルックリンのスタジオにて制作を続けている。
中村 宏(なかむら ひろし、1933年 - 2022年)は日… 中村 宏(なかむら ひろし、1933年 - 2022年)は日本の彫刻家。横浜国立大学名誉教授。 1933年(昭和8年)栃木県足利市生まれ。東京教育大学で彫刻を学び日展の評議員、日本彫刻会 の運営委員、白日会の常任委員を務め、横浜国立大学の教授として学生に教えた。 内閣総理大臣賞、吉田賞、長島美術館賞、白日賞などを受賞。1993年(平成5年)から彫刻家仲間とともに視覚障害者向けの「触れる彫刻展」を始める。 横浜市保土ケ谷区に自宅兼アトリエを構えていた。2022年(令和4年)没。 没後、中村のゼミ生だった若鍋寛が中村の作品を筑波大学附属視覚特別支援学校に寄贈した。中村は「触れる彫刻展」で同校を含め盲学校の教員や生徒との交流を行っていた。
辻 志郎(つじ しろう、1932年(昭和7年)8月1日 – … 辻 志郎(つじ しろう、1932年(昭和7年)8月1日 – 2003年(平成15年)3月13日)は、昭和時代から平成時代にかけての日本の彫刻家。本名は四郎。日展評議員、日彫会運営委員を歴任。 富山県庄川町金屋(現在の砺波市)に生まれる。井波木彫刻師の市山玉香に弟子入、1956年第12回日展に「山羊」」で初入選。1964年加藤顕清に師事し、翌年の第8回新日展に「人間」で特選。1968年澤田政廣に師事し、1969年改組第1回日展に「男」で特選。1980年第一回高村光太郎大賞展に特別優秀賞受賞。 1983年「富山県置県100年記念 新世紀博」会場のシンボルタワー「新世紀の旅立ち」制作。1984年県営総合体育センター「限りなき生命」制作。
江口 週(えぐち しゅう、1932年(昭和7年)4月3日 -… 江口 週(えぐち しゅう、1932年(昭和7年)4月3日 - )は、日本の彫刻家である。 京都市の生まれ。東京芸術大学で彫刻科を専攻する。スケール感が強い技術を用いた斬新な技法を使った木彫を基本とした。卒業後の1963年(昭和38年)に東京国立近代美術館で開催された展示会において初めて彼の作品が出品された。この業績により、1965年(昭和40年)に山口県宇部市で開催された記念すべき第一回現代日本彫刻展にて受賞した。 また1974年(昭和49年)に平櫛田中賞、1977年(昭和52年)には中原悌二郎賞をそれぞれ受賞し、一躍有名な彫刻家となった。 海外にも進出しており、1965年にニューヨーク近代美術館で出品され、以後アントワープ、インドのトリエンナーレでのそれぞれの展示会でも出品された。
髙橋 忠雄(たかはし ただお、男性、1932年3月11日 -… 髙橋 忠雄(たかはし ただお、男性、1932年3月11日 - 2012年5月23日)は、日本の洋画家、彫刻家、陶芸家である。 兵庫県加西市生まれ。34歳で二科会彫刻部会員となり、木彫をはじめ、石膏、ブロンズ、金属、陶芸等あらゆる素材を駆使した立体を得意とした。1981年49歳で脳梗塞に倒れ、半身不随の車椅子生活ながら絵画制作を行う。大作を続々と国内外に発表し髙橋芸術を確立。立体、平面とも日本国内外に多数作品が収蔵されている。
菊川 晋久(きくかわ のぶひさ、1932年 - )は、兵庫県… 菊川 晋久(きくかわ のぶひさ、1932年 - )は、兵庫県出身の彫刻家。女性を中心とした人物像などを発表、その多くが神戸市内に野外彫刻として設置されている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
二田原 英二(にたはら えいじ、1931年12月7日 - 2… 二田原 英二(にたはら えいじ、1931年12月7日 - 2017年1月31日)は、日本の彫刻家、おもにブロンズを扱う。金蘭学園短期大学学長を務めた。 福岡県久留米市生まれ。旧制・福岡県立中学明善校に学び、学制改革を経て1950年に福岡県立明善高等学校を卒業。1956年、東京芸術大学美術学部芸術学科美学美術史専攻を卒業し、同大学彫刻科研究室副手となる。1960年、イタリア政府招聘留学生として国立ナポリ美術アカデミーに学ぶ。以後1978年に帰国するまでナポリ、ローマ、ミラノなどイタリア各地で制作する。 1985年に金蘭学園短期大学(後の千里金蘭大学短期大学部)特任教授となり、2002年には学長となった後、2004年に名誉教授を贈られた。
山田 良定(やまだ りょうじょう、1931年(昭和6年)10… 山田 良定(やまだ りょうじょう、1931年(昭和6年)10月5日 - 2002年(平成14年)1月30日)は、日本の彫刻家。日展理事。浄土宗専念寺住職・滋賀大学名誉教授。滋賀県出身。 昭和6年(1931年)10月5日、滋賀県神崎郡五個荘町奥(現東近江市)に生まれる。滋賀大学卒業後富永直樹に師事し、昭和50年(1975年)・51年(1976年)日展で連続特選を受賞した。平成2年(1990年)には文部大臣賞、平成11年(1999年)「開幕の刻」で芸術院賞を受賞した。この間県立石山高校教諭や母校滋賀大の教授(退官後名誉教授)を務め、大津市公民館児童美術教室で子供達への指導を行った。平成14年(2002年)1月30日、栗東市の病院で肺炎により死去。
川崎 普照(かわさき ひろてる、1931年5月15日 - 2… 川崎 普照(かわさき ひろてる、1931年5月15日 - 2024年5月31日)は、日本の彫刻家。日本藝術院会員。 東京府(現東京都北区)生まれ。東京都立武蔵丘高等学校卒。1952年に三美工芸に就職、1959年に彫刻家として活動をはじめる。1993年「未来への讃歌」で日展内閣総理大臣賞、1998年「大地」で日本芸術院賞受章。日展理事。2004年芸術院会員。2007年旭日中綬章受章。2024年5月31日、老衰のため東京都の自宅で死去した。93歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
澄川 喜一(すみかわ きいち、1931年5月2日 - 202… 澄川 喜一(すみかわ きいち、1931年5月2日 - 2023年4月9日)は、日本の彫刻家。勲等は文化勲章。東京芸術大学名誉教授、学校法人國學院大學顧問、日本芸術院会員、文化功労者。 島根県出身の彫刻家である。東京芸術大学美術学部教授を経て学長を務め、金沢美術工芸大学では客員教授を務めた。新制作協会の会員であり、2006年には委員長を務めた。日本芸術院会員にも選任され、文化功労者となった。また、島根県芸術文化センター グラントワのセンター長、石見美術館の館長、財団法人横浜市芸術文化振興財団の理事長などを歴任した。 島根県六日市町(現・吉賀町)生まれ。山口県立岩国工業高等学校機械科卒業。東京芸術大学美術学部彫刻科卒業。
板津 邦夫(いたづ くにお、1931年4月14日 - 202… 板津 邦夫(いたづ くにお、1931年4月14日 - 2023年1月26日)は、日本の彫刻家。北海道教育大学名誉教授。 北海道出身。北海道札幌東高等学校、東京芸術大学卒業。東京芸術大学では石井鶴三に師事した。木の特性を生かした、土俗的風合いを持った自由で斬新な木彫作品で知られる。北海道教育大学旭川校の彫刻ゼミの卒業生らでつくる彫刻グループ「青銅会」の設立者・指導者。
篠田 守男(しのだ もりお、1931年3月13日 - )は、… 篠田 守男(しのだ もりお、1931年3月13日 - )は、東京都目黒区出身の彫刻家である。青山学院大学文学部英米文学科中退。鋼鉄線の張力と圧力で金属塊を中空に固定させるTC(Tension and Compression)シリーズで知られる。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
雨宮 敬子(あめのみや けいこ、1931年2月3日 - 20… 雨宮 敬子(あめのみや けいこ、1931年2月3日 - 2019年7月31日)は、日本の彫刻家。位階は従四位。勲等は旭日中綬章。日本芸術院会員、文化功労者。 彫刻家雨宮治郎の娘として東京に生まれる。弟は雨宮淳。日本大学芸術学部卒業。1956年日展初入選、1982年長野市野外彫刻賞、1983年中原悌二郎賞優秀賞、1985年日展内閣総理大臣賞受賞、1994年日本芸術院会員。2017年4月、旭日中綬章受章。2017年11月、文化功労者。 主に女性のヌード座像を制作している。『雨宮敬子作品集』(講談社 2005)がある。 2019年7月31日、心不全のため、東京都世田谷区内の病院にて88歳で死去。死没日をもって従四位に叙される この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
佐藤 健次郎(さとう けんじろう、1931年1月10日 - … 佐藤 健次郎(さとう けんじろう、1931年1月10日 - 2015年5月14日)は、日本の彫刻家 、国画会会員。 栃木県、のちの那須塩原市出身。具象彫刻、新宿中央公園、栃木県総合運動公園、北海道から屋久島まで各地にモニュメントがある。また、評論家の草柳大蔵とも親交があり、新宿中央公園の「燮(やわらぎ)」の像は草柳が名付けたもの。日本交渉学会理事。 下野新聞「談話室」、栃木新聞「渡辺美智雄氏の胸像を作る彫刻家佐藤健次郎さんが来社」
富樫 実(とがし みのる、1931年(昭和6年)1月2日 -… 富樫 実(とがし みのる、1931年(昭和6年)1月2日 - 2020年11月25日)は、日本の彫刻家。成安造形大学名誉教授、櫛引町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)。第47代横綱柏戸剛は再従兄弟にあたる。
井上 武吉(いのうえ ぶきち、1930年12月8日 - 19… 井上 武吉(いのうえ ぶきち、1930年12月8日 - 1997年9月26日)は、奈良県宇陀郡室生村(現・宇陀市)出身の彫刻家。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
吉田 鎮雄(よしだ しずお、1930年(昭和5年)8月30日… 吉田 鎮雄(よしだ しずお、1930年(昭和5年)8月30日 - 1996年(平成8年)3月16日)は、愛知県出身の日本の彫刻家。 1930年(昭和5年)8月30日、愛知県名古屋市中区に生まれる。名古屋市昭和区の南山中学校・高等学校を経て武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)を卒業した。 大学在学中に日展初入選しており、この時より20年以上も女性像を造り続けた。以後、1965年(昭和40年)に「懐」が日展特選受賞、続く1968年(昭和43年)にも「稔」が特選を受賞している。また、この年には名古屋女子大学の教授となった。 1979年(昭和54年)、第11回日展にて日展会員賞受賞。 1981年(昭和56年)には愛知県芸術文化選奨文化賞を受賞している。
細川 宗英(ほそかわ むねひで、1930年〈昭和5年〉7月2… 細川 宗英(ほそかわ むねひで、1930年〈昭和5年〉7月25日 - 1994年〈平成6年〉4月30日)は日本の彫刻家。号は観無水。 長野県松本市に生まれ、同県諏訪市で育った。長野県諏訪清陵高等学校を経て東京藝術大学美術学部彫刻科専攻科を卒業。1956年に同大学院彫刻科専攻科修了。同年同大学美術学部助手、1981年に彫刻科教授に就任。 大学在学中から新制作協会展に出品し、1950年代から1960年代初頭、日本へ流入する欧米現代美術の影響を受けつつも、やがて日本的なものへ回帰するイメージから生まれた「装飾古墳シリーズ」を制作し、第8回高村光太郎賞を受賞。 1968年、第1回文化庁芸術家在外研修員として海外派遣となった際にメキシコのマヤ文明に触れ、自らが目指す彫刻の本質を確信する。
橋本 堅太郎(はしもと けんたろう、1930年7月23日 -… 橋本 堅太郎(はしもと けんたろう、1930年7月23日 - 2021年1月31日)は、日本の彫刻家。位階は従四位。勲等は旭日中綬章。東京学芸大学名誉教授、日本芸術院会員、文化功労者。 宝仙学園短期大学助教授、東京学芸大学教育学部教授、社団法人日展理事長、社団法人日本彫刻会理事長などを歴任した。 1930年7月23日生まれ。東京出身。1953年、東京芸術大学彫刻科卒業(平櫛田中に師事)。 1954年、日展初入選、1966年、日展特選。宝仙学園短期大学助教授などをへて、1973年、東京学芸大学助教授、1974年、日展審査員、1982年、教授、1990年、日展評議員、1992年、日展文部大臣賞、1994年、日本彫刻会監事、東京学芸大学を退官、名誉教授。
高橋 秀(たかはし しゅう、1930年〈昭和5年〉6月30日… 高橋 秀(たかはし しゅう、1930年〈昭和5年〉6月30日 - )は、日本の画家、版画家、彫刻家。元独立美術協会会員、倉敷芸術科学大学名誉教授、文化功労者。本名は髙橋 秀夫(たかはし ひでお)。本名の姓の「髙」 はいわゆる「はしごだか」であるが、筆名の姓の「高」 はいわゆる「くちだか」である。 広島県立府中中学校(現、広島県立府中高等学校)を卒業後に化粧品の訪問販売をしながら絵を描いていた頃(1948年)、終戦後に府中町(現、広島県府中市)に疎開していた二科会の画家、北川実のアトリエに出入りするようになる。そこで北川の油彩画、およびピカソやマティスの画集を目にして、美術の世界に目覚める。 高橋は1959年の第3回安井賞候補新人展、翌年の第4回展に安井賞候補として出品した後、1961年に3回目の候補となり《月の道》でようやく安井賞を受賞した。
掛井 五郎(かけい ごろう、1930年(昭和5年)6月5日 … 掛井 五郎(かけい ごろう、1930年(昭和5年)6月5日 - 2021年(令和3年)11月22日)は、日本の彫刻家である。 静岡県に生まれる。19歳のときに木内克に師事し、彫刻家を志す。1953年東京藝術大学彫刻科卒業。1957年、第21回新制作協会展にて新作家賞を受賞し、以後団体を退会する2001年まで新制作協会を中心に活動。1962年には青山学院女子短期大学芸術学科の教授、1968年にはベラクルス大学(メキシコ)の客員教授に就任。 彼の作品はユーモアのある作風であり、以降も多くの賞で受賞する。掛井は立体作品を軸に、油彩、ドローイング、エッチングやリトグラフなど幅広いメディウムと技法で自由な制作を続けた作家で日本の戦後の彫刻家としてもその名が知られています。
保田 春彦(やすだ はるひこ、1930年2月21日 - 20… 保田 春彦(やすだ はるひこ、1930年2月21日 - 2018年1月20日)は、日本の彫刻家・画家。武蔵野美術大学名誉教授。 1930年和歌山県生まれ。父は、南方熊楠の肖像彫刻で有名な彫刻家の保田龍門。娘婿は彫刻家の西村浩幸。 東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業。1958年2月より10年近くヨーロッパ各地で滞在、制作を行う。オシップ・ザッキン等に師事。1968年、日本に帰国。1975年に武蔵野美術大学教授に就任し、1999年まで在職した。2018年1月20日、老衰のため死去。
宮脇 愛子(みやわき あいこ、1929年9月20日 - 20… 宮脇 愛子(みやわき あいこ、1929年9月20日 - 2014年8月20日)は、日本の彫刻家。本名・磯崎愛子。旧姓・荒木。夫は建築家の磯崎新。 静岡県出身。熱海の資産家(商家)の一人娘として生まれ、幼少期より病弱のため戦時中も自宅療養し、丈夫になるようにと貴子、幹子と改名を繰り返した。 1945年に広津和郎が近所に転居して以降、家族ぐるみの交流が始まる。1946年に小田原高等女学校(現、神奈川県立小田原高等学校)卒業後、日本女子大学文学部史学科へ入学、東京大学西洋史学科の学生だった宮脇俊三との交際が始まり、俊三を広津に紹介する。在学中に俊三と結婚し(1960年に別居し1965年離婚)、1952年に大学卒業。
成田 亨(なりた とおる、1929年9月3日 - 2002年… 成田 亨(なりた とおる、1929年9月3日 - 2002年2月26日)は、日本のデザイナー、彫刻家。青森県出身。 神戸市生まれで、翌年より両親の故郷青森県に移り父方の出身地である青森市にて育つ。俳優の成田浬は息子、漫画家の成田美名子は従兄弟の娘。 生後8ヶ月の時、青森市の自宅で囲炉裏の炭をつかんで左手に火傷を負い、数度の手術でも治らなかった。1936年4月、青森市立古川尋常小学校(現:青森市立古川小学校)に入学。8歳の時に兵庫県武庫郡大庄村(現:尼崎市)へ移り、大庄村立大庄尋常小学校(現:尼崎市立大庄小学校)に転校。4年生時の学校分離により大庄村立大庄尋常第二小学校(旧:尼崎市立西小学校)に通い、14歳までの6年間を尼崎市で過ごす。
林 政治(はやし まさはる、1929年7月1日 - 2007… 林 政治(はやし まさはる、1929年7月1日 - 2007年3月18日)は、日本の彫刻家、日展審査員。広島県出身。 1929年、広島県安芸郡坂町に生まれる。1982年(昭和57年)、第14回日展にて特選(彫刻)受賞する。その後日展審査員を務め、2006年(平成18年)には文部科学大臣地域文化功労者表彰を受賞している。 2007年3月18日、胆管がんのため77歳で死去。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
志水 晴児(しみず せいじ、1928年(昭和3年)10月7日… 志水 晴児(しみず せいじ、1928年(昭和3年)10月7日 - 2005年(平成17年)1月21日)は、日本の彫刻家。石造彫刻を中心に、建築や広場などで環境彫刻も手がけた。東京都出身。東京芸術大学卒。
村岡 三郎(むらおか さぶろう、1928年6月25日 - 2… 村岡 三郎(むらおか さぶろう、1928年6月25日 - 2013年7月3日)は大阪府出身の彫刻家である。 1952年より二科展に出品。1954年に彫刻家として初めて鉄を素材とした作品を発表した。戦争体験の影響もあってか、人間の「生命」や「死」を鉄、硫黄、塩などの自然物質を使って表現する作品が特徴的である。作品は1990年のヴェネツィア・ビエンナーレ日本代表など、多くの展覧会に出品され、国内外で高い評価を得ている。母校・高津高校旧校舎の中庭に作った裸婦像は異色の作風である。
木村 賢太郎(きむら けんたろう、1928年4月10日 - … 木村 賢太郎(きむら けんたろう、1928年4月10日 - )は、日本の彫刻家。石彫による作品を多く手がけている。東京都出身。1952年、東京美術学校卒業。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
速水 史郎(はやみ しろう、1927年10月27日 - )は… 速水 史郎(はやみ しろう、1927年10月27日 - )は日本の彫刻家。 香川県仲多度郡多度津町生まれ。徳島工業専門学校機械科(現・徳島大学工学部機械工学科)卒業。和瓦の技法を用いた黒陶と石彫の作家である。特に石彫は、モニュメンタルな作品やパブリックアートが多く、東京都庁や国立科学博物館などをはじめ全国100ヶ所を超えるパブリックスペース等に作品が設置されている。 また1996年に紫綬褒章、2005年度秋の叙勲において旭日小綬章を受章している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
桑原 巨守(くわはら ひろもり、1927年〈昭和2年〉7月1… 桑原 巨守(くわはら ひろもり、1927年〈昭和2年〉7月15日 - 1993年〈平成5年〉8月26日)は、日本の彫刻家。女子美術大学名誉教授。旧名・昭夫(あきお)。 具象彫刻の第一人者と評され、群馬県渋川市に桑原巨守彫刻美術館がある。 群馬県沼田市出身。弟は小説家の桑原幹夫。1944年に旧制沼田中学校(現・群馬県立沼田高等学校)第4学年を修了し、1949年東京美術学校彫刻科卒業。在学中、関野聖雲に師事したため、桑原は高村光雲の孫弟子にあたる。 1949年東京都大田区立大森第十中学校教諭となる。1956年より女子美術大学選任講師。1961年「昭夫」から「巨守」に改名。 1963年、女子美術大学助教授に就任、同年二紀展に初入選、同人に推薦される。
山口 牧生(やまぐち まきお、1927年6月20日 - 20… 山口 牧生(やまぐち まきお、1927年6月20日 - 2001年12月16日)は、日本の石彫彫刻家。 1927年福岡県戸畑市生まれ。13歳の頃に兵庫県西宮市に移りその後終戦をむかえる。 京都大学印度哲学科に入学するが2ヶ月で美学科に転科。 大学卒業後は大阪市立美術研究所に入所、美術の道に進む。 初期は木彫から始まりセメントや廃材を素材としていた。 団体展への出品や画廊での個展を経て、野外彫刻(公共彫刻)に可能性を見出し、1968年に小林陸一郎、増田正和らと「環境造形Q」を結成。その時に石という素材に出会い、その後は石彫作品を主に制作。 大阪府能勢町に産する能勢黒(のせぐろ)と呼ばれる良質な御影石に惚れ込み、娘の山口さとことともに採掘所の一角や亀岡市西別院町に設けたアトリエで能勢黒を素材に作品制作に励んだ。
加藤 昭男(かとう あきお、1927年6月16日 - 201… 加藤 昭男(かとう あきお、1927年6月16日 - 2015年4月30日)は、愛知県瀬戸市出身の日本の彫刻家。武蔵野美術大学名誉教授。新制作協会会員。旭日小綬章受章。
中村 晋也(なかむら しんや、1926年7月29日 - )は… 中村 晋也(なかむら しんや、1926年7月29日 - )は、日本の彫刻家。文化勲章受章者。鹿児島県鹿児島市名誉市民。三重県亀山市名誉市民。 2013年、日本体育大学世田谷キャンパス(深沢)1階エントランスホールに名作EOS・萌えるリズム・太古の血潮・朝の祈り・姉妹のブロンズ像が飾られた。