岡見 正雄(おかみ まさお、1913年7月30日 - 199… 岡見 正雄(おかみ まさお、1913年7月30日 - 1990年2月6日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1962年)(学位論文「中世小説研究序説」)。京都女子大学教授・関西大学教授・中京大学教授を歴任。 東京生まれ(本籍は秋田県)。父は岡見宇一。1923年に大阪へ転居、浪速高等学校 (旧制)卒、1936年に京都帝国大学文学部国文科卒、大学院入学。 1939年に天理外国語学校 (旧制)(現:天理大学)教授、1943年に京都府立京都第一高等女学校(現:京都府立鴨沂高等学校)教諭、1948年に京都府立桃山高等学校教諭、1949年に京都市立日吉ヶ丘高等学校教諭、1954年に京都女子大学教授、1961年に関西大学教授、1962年「中世小説研究序説」で京都大学より文学博士の学位を取得。
郡司 正勝(ぐんじ まさかつ、1913年7月7日 - 199… 郡司 正勝(ぐんじ まさかつ、1913年7月7日 - 1998年4月15日)は、日本の歌舞伎研究家・演劇評論家・国文学者。早稲田大学名誉教授。 1913年、北海道札幌市生まれ。北海道庁立第二中学(現北海道札幌西高等学校)を経て、1939年早稲田大学文学部国文科を卒業。大学では河竹繁俊に師事した。卒業後は、早稲田大学演劇博物館学芸員となり、同大学講師などを経て、1960年から84年まで教授を務めた。 その著作は、『郡司正勝柵定集』(全6巻)にまとめられている。故郷である札幌大学に、郡司の蔵書を納めた「郡司文庫」が設けられている。
松村 誠一(まつむら せいいち、1913年〈大正2年〉7月6… 松村 誠一(まつむら せいいち、1913年〈大正2年〉7月6日 - 2004年〈平成16年〉10月30日)は、国文学者。高知大学教授、成蹊大学教授を歴任。岡山県生まれ。池田亀鑑に師事。池田の『古典の批判的処置に関する研究』、『校異源氏物語』の作成に関与した。中古文学、特に源氏物語が専門。 近代文学研究者で東京女子大学名誉教授の松村綠(1909年(明治42年)1月4日~1978年(昭和53年)1月18日)は姉。
斉藤 国治(齊藤 国治、さいとう くにじ、1913年7月1日… 斉藤 国治(齊藤 国治、さいとう くにじ、1913年7月1日 - 2003年2月21日)は、日本の天文学者、天文学史家。 東京天文台在職中は、太陽光の高精度スペクトルを研究するとともに、世界各地に日食観測のために渡航した。太陽コロナの極付近から出る光条について報告した論文は、今まで国際学術誌に100回近く引用されている。また、明治以後の日食、ハレー彗星、金星の太陽面通過観測の歴史の詳細な総合報告を発表した。退職後はパソコンPC9801を購入して、主に日本と中国の古い記録に残る天文現象の検証に精力的に取り組んだ。その成果は、『星の古記録』(岩波新書)など、10冊以上の著作となって実を結んだ。そうした天文現象の古記録を現代天文学によって検証する分野に対して「古天文学」と呼ぶことを提唱したが、賛否両論が起こった。
西尾 光一(にしお こういち、1913年(大正2年)6月21… 西尾 光一(にしお こういち、1913年(大正2年)6月21日 - 1998年(平成10年)3月19日)は、日本の国文学者。 西尾実の長男として長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)に生まれる。1926年、一家で東京府豊多摩郡落合町に移る。旧制浦和高等学校文科を経て、1936年東京帝国大学文学部国文科卒。 1943年陸軍士官学校教授、1946年東京外国語大学教授を経て、1949年山梨大学教授、1979年定年退官、名誉教授、同年清泉女子大学教授、1985年上田女子短期大学学長。1989年11月勲三等旭日中綬章受章。中世説話文学を専門とした。
中川 芳雄(なかがわ よしお、1913年 <大正2年> 6月… 中川 芳雄(なかがわ よしお、1913年 <大正2年> 6月17日 - 1987年 <昭和62年> 7月23日)は、日本の国文学者。静岡女子大学(現:静岡県立大学)名誉教授。勲等は勲三等。位階は正四位。 静岡女子短期大学教授、静岡女子大学文学部教授、静岡女子大学文学部長、常葉学園短期大学教授、常葉学園大学教育学部教授などを歴任した。 1913年、新潟県生まれ。旧制新潟県立十日町中学校を経て國學院大學高等師範部第一部を卒業した。川治尋常高等小学校の代用教員を振り出しに、教育者としての道を歩む。応召を挟み、六日町高等女学校や新潟県立十日町中学校の教諭を務めた。その後、京都帝国大学文学部国語学国文学専攻にて学ぶ。
工藤 篁(くどう たかむら、1913年5月27日 - 197… 工藤 篁(くどう たかむら、1913年5月27日 - 1974年12月11日)は、日本の中国語・文学者、東京大学名誉教授。 台湾台北州宜蘭市で小島義夫の子として生まれ、台湾総督府官吏の工藤清の養子となる。1932年台北高等学校卒、1936年東京帝国大学文学部支那哲学支那文学科卒業。在学中より竹内好らの中国文学研究会に入る。1939年東京商科大学予科講師、1940年教授。1949年一橋大学助教授、1950年3月東京大学教養学部中国語助教授、1963年教授、1974年3月定年退官、名誉教授、同年12月に死去。 1950、60年代の数少ない東大教養課程中国語教員として、多くの学生を現代中国研究者へと導いた。
久米 常民(くめ つねたみ、1913年5月5日 - 1977… 久米 常民(くめ つねたみ、1913年5月5日 - 1977年2月10日)は、日本の国文学者。専門は万葉集であり、中部地方における万葉研究の中心的な役割を果たした。学位は、博士(文学)(名古屋大学)。愛知県知多郡東浦村(現・東浦町)出身。 1913年(大正2年)5月5日、愛知県知多郡東浦村(現・東浦町)藤江に生まれた。1920年(大正9年)4月に藤江尋常小学校に入学し、1926年(大正15年)3月に藤江尋常小学校を卒業した。1926年(大正15年)4月に旧制愛知県立半田中学校に入学し、1931年(昭和6年)3月に愛知県立半田中学校を卒業した。半田中学校時代の友人として、後に児童文学作家となる新美南吉(本名は新美正八)がおり、南吉と久米は互いが書いた文学作品を交換して読み合うなどしていた。
岡上 鈴江(おかのうえ すずえ、1913年5月3日 - 20… 岡上 鈴江(おかのうえ すずえ、1913年5月3日 - 2011年1月27日)は、日本の児童文学者・翻訳家。 小川未明の次女として東京に生まれる。日本女子大学英文学科卒。外務省勤務ののち、児童文学の再話・翻訳などの著述生活に入る。日本児童文芸家協会顧問。 「日本近代童話の父」と讃えられた未明の没後30周年を記念し、1991年に小川未明文学賞が創設された際には小川未明文学賞委員会会長に就任。以来、理想と現実の問題に真摯に取り組む児童文学作家を世に送り出してきた。未明の精神である「誠実な人間愛と強靭な正義感」を育むよう、その生涯を通して子供たちにエールを送り続けた。 2011年1月27日、心筋梗塞のため東京都杉並区の自宅で死去。
石川 徹(いしかわ とおる、1913年〈大正2年〉3月30日… 石川 徹(いしかわ とおる、1913年〈大正2年〉3月30日 - 1997年〈平成9年〉9月10日)は、日本の国文学者。専門は、源氏物語を中心とした中古文学研究。愛知教育大学名誉教授。東京市芝区高輪生まれ。 東京府立第六中学校(現:東京都立新宿高等学校)、東京府立高等学校(現:首都大学東京)を卒業した。1936年(昭和11年)に東京帝国大学(現:東京大学)文学部国文学科を卒業した(卒業論文「古代小説の構想の展開」)。 旧制新潟県立新潟中学校(現:新潟県立新潟高等学校)・愛知一中・府立第六中学校教諭を務めた。1945年(昭和20年)9月に神戸女学院専門学校教授に就任し、関西学院大学講師を兼務した。
井本 農一(いもと のういち、1913年3月30日 - 19… 井本 農一(いもと のういち、1913年3月30日 - 1998年10月10日)は、日本の国文学者・俳人、お茶の水女子大学名誉教授。実践女子大学第8代学長で、勲二等瑞宝章受章者。 1913年、山口県新南陽市(現周南市)に生まれた。1933年、旧制成蹊高等学校文科甲類を卒業。1936年、東京帝国大学文学部国文科を卒業。 卒業後は、お茶の水女子大学教授をつとめた。1961年、学位論文『蕉風を中心としたる俳諧史の問題的研究』を東京大学に提出して文学博士号を取得。1976年にお茶の水女子大学を定年退官し、名誉教授となった。その後も聖心女子大学教授として教鞭をとり、1984年からは実践女子大学第8代学長をつとめた。
田中 清太郎(たなか せいたろう、1913年3月30日 - … 田中 清太郎(たなか せいたろう、1913年3月30日 - 2000年6月3日)は、日本の英文学者、翻訳家、詩人、俳人。 東京生まれ。1936年東京帝国大学文学部英文学科卒業。 武蔵大学助教授、学習院大学助教授、1951年教授。1983年定年退職、名誉教授。1970年「D・H・ロレンス詩集」の翻訳により日本翻訳文化賞受賞。 専門はイギリスの詩、特にディラン・トマス。 俳人でもあり、日本の近代詩についての評論もある。
高橋 義孝(たかはし よしたか、1913年3月27日 - 1… 高橋 義孝(たかはし よしたか、1913年3月27日 - 1995年7月21日)は、日本のドイツ文学者・評論家・随筆家。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1961年)(学位論文「文学研究の諸問題」)。九州大学教授、名古屋大学教授などを歴任。 1913年、東京府東京市神田区生まれ。錦華尋常小学校、第二東京市立中学校(現東京都立上野高等学校)で学び、その際には福田恆存と同級であった。旧制高知高等学校を経て、東京帝国大学独文科に進んだ。1935年、東京帝国大学を卒業。その後は同大学大学院に進学し、1936年に卒業。翌1937年よりフンボルト財団給費生としてベルリン大学へ留学。1938年、ケルン大学へ移りドイツ文学を学んだ。
井上 正蔵(いのうえ しょうぞう、1913年3月27日 - … 井上 正蔵(いのうえ しょうぞう、1913年3月27日 - 1989年11月2日)は、日本のドイツ文学者。旧・東京都立大学名誉教授。東京出身。 東京市京橋区(現中央区)新富町生まれ[要出典]。東京府立高等学校卒、1935年東京帝国大学文学部独文科卒業。在学中、滝川事件が起こり、滝川シンパとして戦う[要出典]。第11次『新思潮』に参加して小説を書く[要出典]。卒業後は東京帝国大学大学院に残り、1938年専修大学講師、1942年興亜工業大学教授、1945年成蹊高等学校講師、1946年旧制東京高等学校専任講師、1947年教授、1949年東京工業大学助教授、1955年旧・東京都立大学助教授、1963年教授。
中井 正文(なかい まさふみ、1913年3月6日 - 201… 中井 正文(なかい まさふみ、1913年3月6日 - 2016年10月27日)は、日本の翻訳家、作家、独文学者。 東京帝国大学ドイツ文学科在籍中に、フランツ・カフカのドイツ語全集を手に入れ、戦後「変身」「アメリカ」などの翻訳を行う。 作家として「神話」で『中央公論』懸賞入選。「寒菊抄」で第20回直木賞候補。生まれ育った広島県を舞台とした戦争文学を残している。 早くから作家を志し、東大在学中は石川達三を敬愛、同氏とともに同人誌『星座』に参加する。本郷界隈で、高校、大学の後輩梅崎春生、学友の檀一雄、太宰治、織田作之助らと親交を持ち、ともに作家を目指した。 広島大学教授。のち同大学名誉教授。 1986年に勲三等旭日中綬章。
福與 正治(ふくよ まさはる、1913年3月2日 - 199… 福與 正治(ふくよ まさはる、1913年3月2日 - 1995年9月3日)は日本の英文学者。成蹊大学名誉教授。長野県下伊那郡上久堅村(現・飯田市)出身。 編著に『英文法辞典』(培風社)、訳書に『天路歴程 研究社新訳注双書』(研究社)などがある。
小島 憲之(こじま のりゆき、1913年2月15日 - 19… 小島 憲之(こじま のりゆき、1913年2月15日 - 1998年2月11日)は、日本の国文学者。大阪市立大学名誉教授。専門は上代文学、和漢比較文学。 1913年、鳥取県生まれ。旧制鳥取県立鳥取第一中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)、旧制第三高等学校を経て、京都帝国大学文学部に進んだ。1938年3月に同大学を卒業。 卒業後は、文学部副手に採用された。同年4月、同大学大学院に入学するも、1939年1月に応召して1942年5月まで入隊。1943年9月に京都帝国大学文学部教務嘱託となったが、翌1944年5月に再び応召して1945年11月まで従軍。 太平洋戦争終結後、1946年9月より京都大学大学院特別研究生となった。
小尾 郊一(おび こういち、1913年2月2日 - 2004… 小尾 郊一(おび こういち、1913年2月2日 - 2004年2月4日)は、日本の中国文学者。広島大学名誉教授。 1913年、長野県諏訪郡豊平村(現・茅野市)生まれ。1930年、長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を卒業。長野師範学校専攻科に進み、1932年に卒業。1938年、大東文化学院(現・大東文化大学)本科を卒業。1941年、広島文理科大学(現・広島大学)文理学部文学科漢文学専攻を卒業した。 卒業後は、同1941年より東方文化学院京都研究所(現・京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター)助手となった。太平洋戦争をはさみ、1946年に広島文理科大学講師に着任。
北小路 健(きたこうじ けん、1913年1月25日 - 19… 北小路 健(きたこうじ けん、1913年1月25日 - 1991年10月22日)は、国文学者、古文書学者。本名は渡部 栄(わたなべ さかえ)。 1913年、福島県会津若松市生まれ。両親ともに教師。父親の転勤に従い渡満し、大連春日小学校、 大連一中を経て1931年に東京高等師範学校文科第二部国漢科(1934年東京文理科大学国文科に転入)に入学。能勢朝次、山岸徳平らに師事して「源氏物語」研究を志す。父の死後、父に世話になったという人から家宝だという古書の『源氏物語』54冊を贈呈され、それが従一位麗子本源氏物語であることを発見し、これを論文にした。 1937年、東京文理科大学国文科を卒業。召集されたものの、病のため除隊となり、満州で中学教師として勤める傍ら研究を続けた。
吉田 正俊(よしだ まさとし、1913年 - 1998年11… 吉田 正俊(よしだ まさとし、1913年 - 1998年11月8日)は、日本の英文学者。 東京生まれ。1940年東京文理科大学英文科卒。福原麟太郎に師事。共立女子大学助教授、教授、1984年定年、名誉教授。フランス文学者・吉田城は息子。
田中 謙二(たなか けんじ、1912年12月6日 - 200… 田中 謙二(たなか けんじ、1912年12月6日 - 2002年11月17日)は、日本の中国文学者。 1912年、滋賀県で生まれた。京都帝国大学文学部支那文学科で学び、1937年に卒業。1944年春、安田二郎と共に北京に留学した。 卒業後は、天理大学助教授に就いた。京都大学人文科学研究所助教授に転じ、後に教授昇格。1962年、学位論文『西廂記の研究』を京都大学に提出して文学博士の学位を取得。1977年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は関西大学教授として教鞭を執った。 専門は中国の古典文学。特に戯曲を研究対象とし、文化と言葉について研究を進めた。
宮本 正太郎(みやもと しょうたろう、1912年12月1日 … 宮本 正太郎(みやもと しょうたろう、1912年12月1日 - 1992年5月11日)は、日本の天文学者。荒木俊馬の弟子の一人で、惑星気象学の開拓者として有名。広島県出身。
小沢 正夫(おざわ まさお、1912年11月 - 2005年… 小沢 正夫(おざわ まさお、1912年11月 - 2005年)は、日本の国文学者、愛知県立大学名誉教授。 1912年、東京で生まれた。本籍・茨城県古河市。暁星中学校、浦和高等学校を卒業し、東京帝国大学国文科に進んだ。1935年に同大学を卒業。 1936年より愛知淑徳高等女学校教諭として勤務。1938年からは愛知県第一高等女学校教諭として勤務した。 太平洋戦争後の1947年、愛知県立女子専門学校教授に就いた。1950年に同専門学校が愛知県立女子短期大学となると、同大学助教授となった。1957年に教授昇格。1961年、学位論文『古代歌学の形成についての研究』を東京大学に提出して文学博士号を取得。1966年、愛知県立大学教授に転じた。
吉田 新吾(よしだ しんご、1912年10月30日 - 19… 吉田 新吾(よしだ しんご、1912年10月30日 - 1966年10月28日)は、日本の英文学者。 広島高等師範学校卒。旅順の中学校で英語教師を務めたのち、1942年京都帝国大学文学部英文科入学、46年卒業。64年「チョーサー研究」で京都大学文学博士。大阪市立大学文学部助教授、英文科主任教授。専門はチョーサー。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
増野 正衛(ますの まさえ、1912年10月1日 - 198… 増野 正衛(ますの まさえ、1912年10月1日 - 1985年〈昭和60年〉3月10日)は、日本の英文学者、翻訳家。 1938年京都帝国大学文学部英文科卒、立命館大学助教授、京都工芸繊維大学教授、甲南大学教授、就実女子大学教授。ワイン研究家でもあった。 父親は、増野製作所創業者の増野清香。2代目社長の増野香次、3代目社長の増野鋼四郎は弟である。 東京府立第五中学校時代の同級生にNHKアナウンサーの田辺正晴がいる。
古畑 正秋(ふるはた まさあき、1912年9月18日 - 1… 古畑 正秋(ふるはた まさあき、1912年9月18日 - 1988年11月23日)は、日本の天文学者。元東京大学東京天文台教授。 長野県諏訪郡落合村(現・富士見町)出身。長野県諏訪中学校・旧制松本高等学校理科甲類を経て、1938年東京帝国大学理学部天文学科卒業。 同年からハーバード大学天文台で助手を務め、プログラムによる測定や計算などに従事し、1941年に帰国後は、東京大学東京天文台の助手、1958年に教授、1968年に台長を歴任し、野辺山宇宙電波観測所や木曽観測所設置に尽力した。夜天光研究の権威として知られており、アマチュア天文家による変光星観測の指導も行った。1973年退官。 古畑の門下生には北村正利、田鍋浩義がいる。
北住 敏夫(きたずみ としお、1912年9月18日 - 19… 北住 敏夫(きたずみ としお、1912年9月18日 - 1988年5月26日)は、日本の国文学者、東北大学名誉教授。 三重県生まれ。東北帝国大学法文学部国文科卒。宮城県女子専門学校教授、東北大学助教授、55年「文芸に於ける写生説の研究」で東北大文学博士。59年教授。76年定年退官、山形女子短期大学教授。75年「写生説の研究」「写生派歌人の研究」などで学士院賞受賞。岡崎義恵、阿部次郎らに学び、「万葉集」から長塚節まで研究。 この項目は、文学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJライトノベル)。 項目が小説家・作家の場合には {{Writer-stub}} を、文学作品以外の本・雑誌の場合には {{Book-stub}} を貼り付けてください。
安士 正夫(やすし まさお、1912年9月3日 - 1970… 安士 正夫(やすし まさお、1912年9月3日 - 1970年10月4日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。東京都立大学名誉教授。筆名に中田 精一。 北海道小樽市生まれ。1937年東京帝国大学仏文科卒、東京都立大学教授を務めた。 バルザックが専門だが、ルソー『新エロイーズ』を初めて完訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
阿部 俊子(あべ としこ、1912年9月2日 - 1993年… 阿部 俊子(あべ としこ、1912年9月2日 - 1993年)は日本の国文学者。学習院名誉教授(元学習院女子短期大学教授)、元大正大学教授。『伊勢物語』の研究で著名。 岡山県出身。1934年(昭和9年)、東京女子高等師範学校卒業。1937年(昭和12年)、東京文理科大学国語学国文学科卒業。国文学(古代)専攻。1964年(昭和39年)、「大和物語を中心とした歌物語の研究」で文学博士(東京教育大学)。1955年学習院女子短期大学着任、1978年退職、学習院名誉教授、のち大正大学教授等を務める。夫は文学者の阿部秋生。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
千田 九一(ちだ くいち、1912年9月1日 - 1965年… 千田 九一(ちだ くいち、1912年9月1日 - 1965年12月12日)は、日本の漢文学者。 山口県出身。1936年東京帝国大学文学部支那文学科卒。竹内好、武田泰淳らの中国文学研究会に参加、戦後は機関誌『中国文学』の編集にあたる。また高見順らの文芸同人誌『日暦』にも参加した。戦後、小野忍とともに『金瓶梅』を訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
吉田 正太郎(よしだしょうたろう、1912年9月1日 - 2… 吉田 正太郎(よしだしょうたろう、1912年9月1日 - 2015年7月30日)は、日本の天文学者、光学設計者である。 非球面光学系の先駆者であり、理論面、実務面の双方において優れた業績を残した。学究活動の傍ら、一般や青少年向けの本を執筆して知識の向上に努めた。
渡辺 明正(わたなべ あきまさ、1912年8月26日 - 2… 渡辺 明正(わたなべ あきまさ、1912年8月26日 - 2007年8月7日)は、フランス文学者、京都大学名誉教授。 1935年東京帝国大学文学部仏文科卒。1963年京大教養部教授。1975年フランス教育功労章オフィシエ受章。1976年定年退官。 1985年、勲三等旭日中綬章を受章。2007年8月7日、肺炎のため死去。歿日付で従四位。
佐藤 文樹(さとう ふみき、1912年8月10日 - 198… 佐藤 文樹(さとう ふみき、1912年8月10日 - 1987年6月27日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。九州大学名誉教授。18世紀フランス文学が専門。 東京府東京市下谷区(現東京都台東区)生まれ。1937年東京帝国大学文学部仏文科卒、陸軍経理学校経理部嘱託。1938年東調布高等女学校教諭。1939年東大付属図書館嘱託、1944年陸軍通訳官。1948年東洋大学教授。1949年九州大学助教授、1955年教授。1962年「ペイザン・バルブニユとタンザイとネアダルネの初版刊行年」で東大文学博士。1963 - 1964年フランス政府招聘教授、第1回仏蘭西派遣教授団団長として渡仏。1968年九州大学退官、上智大学文学部教授。
橋本 武(はしもと たけし、1912年7月11日 - 201… 橋本 武(はしもと たけし、1912年7月11日 - 2013年9月11日)は、日本の国語教師、国文学者、元灘校(灘中学校・高等学校)教頭。京都府宮津市出身。中学の3年間をかけて中勘助の『銀の匙』を1冊読み上げる国語授業「『銀の匙』授業」で知られる。
齋藤 磯雄(さいとう いそお、1912年5月26日 - 19… 齋藤 磯雄(さいとう いそお、1912年5月26日 - 1985年9月3日)は、日本の仏文学者。山形県庄内出身。 山形県東田川郡清川村(現:庄内町)生まれ。戸籍上は4月26日生まれ。実家は大庄屋格で、幼少時より漢籍と文語体聖書に親しんで育つ。 旧制酒田中学校在学中から仏文学を志す。辰野隆の教えを受けるつもりで、1929年、法政大学予科に入学。当時既に辰野は法政を退職していたために望みは果たせなかったが、戦後初対面した折にボードレール『悪の華』訳文を激賞された。法政で豊島与志雄や漢詩人阿藤伯海(あとう・はくみ)に師事。同級に安藤鶴夫と近藤光治がおり「三藤」と称して親しく交際した、在学時に次兄(筆名:西東徳之介)も加わり、文芸同人誌『秩序』(7号まで)を発行、プルースト短編やヴィリエ・ド・リラダンの翻訳を寄稿。
澤田 瑞穂(さわだ みずほ、1912年5月23日 - 200… 澤田 瑞穂(さわだ みずほ、1912年5月23日 - 2002年1月28日)は、日本の中国文学者。中国の怪異研究の第一人者。跡見学園女子大学助教授、天理大学教授、早稲田大学文学部教授を歴任した。娘婿は清末小説研究家の樽本照雄(大阪経済大学名誉教授)。 高知県幡多郡大方町(現・黒潮町)生まれ。小学校3年生の時に大阪へ転居。1934年國學院大學高等師範部卒。1940年、北京日本大使館嘱託として中国に渡り、1942年に帰国する。1944年5月東亜交通公社華北支社附属伝習所講師として再び中国に渡る。1946年3月に帰国。中学校や高校で教鞭を執った後、1957年天理大学に着任。1973年同大学を定年退職。
冨山 芳正(とみやま よしまさ、1912年5月6日 - 20… 冨山 芳正(とみやま よしまさ、1912年5月6日 - 2003年10月23日)は、ドイツ文学者、学習院大学名誉教授。 東京都生まれ。1935年東京帝国大学文学部独文科卒。学習院大学助教授、教授、83年定年、名誉教授。東洋学園理事。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
簗瀬 一雄(やなせ かずお、1912年5月5日 - 2008… 簗瀬 一雄(やなせ かずお、1912年5月5日 - 2008年9月14日)は、日本の国文学者、豊橋技術科学大学名誉教授。 東京生まれ。早稲田大学国文科卒業。1960年「俊恵及び長明の研究」で法政大学文学博士。豊田工業高等専門学校教授、1978年豊橋技術科学大学教授、1982年定年退官、名誉教授。 愛知に在住していた1958年から1972年にかけ、著作研究および未刊古典の翻刻私家版「碧冲洞叢書」を謄写版で100冊発行した。歌集も多く刊行している この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小泉 一郎(こいずみ いちろう、1912年4月23日 - 1… 小泉 一郎(こいずみ いちろう、1912年4月23日 - 1991年10月20日)は、日本の英文学者。 茨城県水戸市生まれ。1937年東京帝国大学文学部英文科卒、1941年同大学院(旧制)満期修了。副手、水戸高等学校教授、茨城大学文理学部助教授、東京女子大学教授、学習院大学文学部教授を歴任。1983年定年退任、名誉教授。 1984年、勲三等瑞宝章を受章。 1991年10月20日、肺炎のため死去。
徳永 康元(とくなが やすもと、1912年4月2日 - 20… 徳永 康元(とくなが やすもと、1912年4月2日 - 2003年4月5日)は、日本の言語学者、ハンガリー文学者。 東京府豊多摩郡大久保町字百人町(後の東京都新宿区百人町)に生まれ育つ。父徳永重康は東大動物学科出身の古生物学者・地質学者で理学博士・工学博士、早稲田大学教授、東大地質学教室非常勤講師。実弟の徳永重元も地質学者。徳永家は元の苗字を吉原と称し、薩摩藩士の家系だった。重康が高島鞆之助の三女と結婚した時に徳永と名乗り始め、その後離婚に至ってからも苗字はそのままになった。日本銀行初代総裁吉原重俊は父方の祖父の弟にあたる。母方の祖父柴田承桂は薬学者で東京大学教授をつとめた。 東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)から同中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を4年修了で卒業し、府立高等学校文科乙類で実吉捷郎や石川道雄に師事。
大谷 篤蔵(おおたに とくぞう、1912年3月22日 - 1… 大谷 篤蔵(おおたに とくぞう、1912年3月22日 - 1996年8月4日)は、日本の国文学者。 大阪市生まれ。1935年京都帝国大学文学部国文科卒。大学院で潁原退蔵に師事し近世文学、俳諧を専攻。出征したのち抑留され、1948年7月復員。1949年天理図書館司書研究員。1953年佐賀大学助教授、1958年大阪女子大学教授。75年定年退官、名誉教授、松蔭女子学院大学教授。89年退任、名誉教授。俳文学会代表。
尾上 政次(おのえ まさじ、1912年3月14日 - 199… 尾上 政次(おのえ まさじ、1912年3月14日 - 1994年1月18日)は、日本の英語学・アメリカ文学者、翻訳家。中央大学名誉教授。 兵庫県姫路市生まれ。尾上作兵衛の六男。姫路高等学校を経て、1934年東京帝国大学英文科卒。1939年まで大学院に在籍し、大阪高等学校教授、武蔵大学教授、戦後1951年中央大学経済学部助教授、1953年文学部助教授、教授、1982年定年となり名誉教授。はじめアメリカ英語を研究し、のち文学研究、翻訳をおこなった。 1994年1月18日、急性心不全のため死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
高橋 貞一(たかはし さだいち、1912年〈明治45年〉2月… 高橋 貞一(たかはし さだいち、1912年〈明治45年〉2月20日 - 2003年〈平成15年〉3月14日)は、日本の国文学者。 香川県出身。東京文理科大学卒、1961年論文「軍記物語の研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。京都府立の高等学校教諭、立命館大学教授を経て、佛教大学文学部教授。1982年定年退任、名誉教授となる。中古・中世文芸、軍記物語が専門。『保元物語』の著者を葉室時長とする説がある。
石丸 静雄(いしまる しずお、1912年2月16日 - 19… 石丸 静雄(いしまる しずお、1912年2月16日 - 1988年5月14日)は、日本のドイツ文学者、宇都宮大学名誉教授。 佐賀県神埼郡神埼町生まれ。1937年東京帝国大学独文科卒。1952年宇都宮大学教授、1975年定年退官、名誉教授。1988年、胃癌のため死去。 ドイツ・ロマン派を専門とした。
田中順二(たなか じゅんじ、1912年2月14日 - 199… 田中順二(たなか じゅんじ、1912年2月14日 - 1997年1月16日)は、日本の歌人、国文学者。 東京深川区生まれ。京都帝国大学国文科に入学し、「短歌草原」「香蘭」(村野次郎主宰)を経て、1933年(昭和8年)より吉澤義則が立ち上げた歌誌『ハハキギ』同人の編集に参画。なお吉澤没後、1962年より『ハハキギ』を引き継いで主宰した。 1936年(昭和11年)京都帝国大学国文科卒。卒業後、不況のため就職難先の確保に苦労したが、滋賀県立膳所中学校で教員を4年間務めた後、京都府立第一中学校で教員を務めた。この際、『ハハキギ』で交流があった日本文学研究者、里井陸郎に借家を用意してもらっている。その後、同志社女子大学教授、1982年(昭和57年)定年、奈良大学教授。
三浦 靱郎(みうら ゆきお、1912年2月5日 - 1997… 三浦 靱郎(みうら ゆきお、1912年2月5日 - 1997年5月20日)は、日本のドイツ文学者。 東京出身。1934年東京帝国大学文学部独文科卒。1937年第七高等学校教授、陸軍教授、第五高等学校教授、法政大学教授、東京学芸大学教授。1975年日本工業大学教授、1978年学長。1987年勲二等瑞宝章受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鈴木 幸夫(すずき ゆきお、1912年1月28日 - 198… 鈴木 幸夫(すずき ゆきお、1912年1月28日 - 1986年12月24日)は、英文学者、推理作家、早稲田大学名誉教授。 大阪府出身。早稲田大学文学部英文科卒業、旧制大学院修了。1939年、早稲田大学理工学部講師。1954年、早稲田大学文学部教授。1982年定年退職、名誉教授。その後は跡見学園短期大学教授、同大学学長を務めた。 1951年、探偵作家クラブ新年会の犯人当てゲームで2年連続して正解した実績を買われ、同ゲームのために「痴人の宴」を書き下ろし、同作が千代 有三の筆名で『宝石』に掲載されて探偵作家としてデビューする。 1954年、日本初のSF商業誌『星雲』を創刊された際、同年に組織された日本科学小説協会の参与となった。
金子 幸彦(かねこ ゆきひこ、1912年1月5日 - 199… 金子 幸彦(かねこ ゆきひこ、1912年1月5日 - 1994年7月25日)は、日本のロシア文学者、翻訳家。一橋大学名誉教授。 1912年、東京市・新宿津久戸町で生まれた。私立早稲田中学校を経て、東京外国語学校ロシア語科に進学。在学中に治安維持法違反で逮捕され勾留された。 卒業後は、逓信省勤務を経て、1948年に旧制東京商科大学予科非常勤講師となった。1951年、一橋大学社会学部専任講師に採用され、ロシア語を担当。1954年に助教授、1957年に教授昇格。この間、1953年から1972年まで北海道大学スラブ研究センター(現・北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター)客員研究員も兼ねた。1977年一橋大学を定年退官。
刈田 元司(かりた もとし、1912年1月3日 - 1997… 刈田 元司(かりた もとし、1912年1月3日 - 1997年3月8日)は、日本の英米文学者・翻訳家。上智大学名誉教授。 1912年、新潟県生まれ。1935年上智大学文学部英文科を卒業。1937年ジョージタウン大学大学院修士課程を修了。上智大学講師、1940年助教授、1945年教授。1955 - 1956年ハーバード大学に留学、1969 - 1972年上智大学文学部長、1983年に定年退職した。その後は中京大学教授として教鞭をとった。 1920年代のアメリカ文学を中心に広く研究、翻訳をおこなった。日本英文学会編集委員、評議員、理事、日本アメリカ文学会会長等を歴任した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
石井 正之助(いしい しょうのすけ、1912年 - 1990… 石井 正之助(いしい しょうのすけ、1912年 - 1990年)は、英文学者、東京学芸大学名誉教授。東京都生まれ。麹町小学校、旧制豊山中学校を経て、1935年東京外国語学校英語部卒業、50年文部省内地研究員として東京文理科大学在籍。51年ガリオア留学生として米国オハイオ州立大学大学院に学ぶ。69年「ロバート・ヘリック研究」で東京教育大学文学博士。東京学芸大学教授、76年定年退官、名誉教授、白百合女子大学教授。83年退職。